連載小説
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34.裏切りの裏切り
何もかもを投げ出したくなった。
一体、自分が何をしたと言うんだ。

そこまで思って、結構まずいことをした事に気づく。

「何となく胸騒ぎがしたから急いで戻ってきたら、
 まさかこういう意味でだったとはな・・・」

イリスに、犯された。

「・・・えっと」
「しかも面白いくらいよがってくれたんだってな?」

正直、めちゃくちゃ気持ちよかった。
そして、エトナの目の笑っていない笑顔を見て確信した。

(・・・あぁ、これダメなやつだ)

抵抗する気持ちも無くなった。
ここまで来ると、平坦な気持ちで覚悟を決めることができる。
というより、そうする他無い。

「シロ・・・」



「とりあえず、よくやった」



「・・・はい?」

殴られるか犯されるか。
そのどちらかだと思っていたが、返って来たのは、賞賛の言葉。
表情も、普段通りに戻っている。

自分がちゃんと指示を飛ばせていたのは最初だけ。
後はイリスに拘束され、いいようにやられていただけだった。
なのに、一体何をしたというのか。

「いや、僕何もしてませんよ?」
「あー、やっぱり?」
「・・・? あの、ごめんなさい。訳が分かりません」
「それもそうだな。んじゃ、アタシがここに戻ってきた時のことから話すか」

シロが意識を失ってから、今に至るまで。
その空白の時間にあった出来事を、エトナは語り始めた。



「シロー! 戻ったぞー!」

指令室のある建物に戻り、声を上げる。
本来なら、シロの声が返ってくるはずだが。

「お帰り。やっぱり貴方が一番早かったのね」
「っ!? 何でお前がここにいるんだ!?」

出会ったのは、ヴァンパイアの情報屋、イリス。
壁にもたれながら、さも当然のようにいた。

「急いでもらった所悪いけど、破魔蜜くんはあなたを呼んでないわ」
「は? 何言って・・・おい、何でお前がんな事知ってる?」
「当然よ。呼んだの私だもの」
「・・・へ?」
「似てたでしょ、私の声真似。ちょっと仕掛けるから、一旦戻ってきてもらったの」

通信を乗っ取ったイリスは、得意の声帯模写を駆使して、エトナとゲヌア軍に偽情報を流した。
デュークには看破されたが、エトナはここに来るまで、胸騒ぎこそ感じたものの、気づかなかった。

「じきに教団軍が街を挟み撃ちする形で攻め込んでくるわ。そうなったら一巻の終わり。
 後衛軍も戻ってこないし、街は壊滅ね」
「ンだと!? テメェ・・・なんつー真似してくれたんだ!」

怒りに任せて、イリスに掴みかかるエトナ。
しかし、その動きは単純過ぎたが故、簡単にかわされる。

「あらあら、怖いわね。そんなに激しくしちゃイヤよ」
「ふざけんな! 散々引っ掻き回した挙句、教団の回し者だ!?
 ぶっ殺す! 今この場でぶっ殺してやる!!!」

屋内では、ヴァンパイアの弱点となる日光は射さない。
激昂したエトナの拳は、勢いは普段以上だが、その分正確さは大きく落ちている。
紙一重でかわすことなど、イリスにとっては容易い。

「まぁまぁ、落ち着きなさいって」
「落ち着いてられるか!」
「・・・んもう、しょうがないわね。もう少し遊びたかったけど。
 本当のことを言うわ。私が教団の回し者だったのは半年前まで。今は逆よ」
「やっぱり回しも・・・逆? え、つまり・・・?」

エトナの動きが止まる。
教団の回し者の逆。つまり、イリスは教団に加担していない。

「・・・どういうことだ?」
「そのまま。1年前に依頼受けて、半年前までは教団にこの街の情報を流してたの。
 軍備の拡張とか、政治情勢とかね。依頼金は確か金貨3000枚だったかしら」
「3000!? どこからんな金持ってきてんだよ!?」
「ヤミ金とかお布施の強要とかじゃない? ま、その辺は私は関与してないからなんとも。
 昔の私は、依頼者も依頼内容も選んでなかったからね。お金さえもらえれば、何でもやった。
 その結果で、誰が陥れられても知らんぷりしてた。・・・クラックに会うまではね」

クラック。
情報屋のイリスとつながりのある、数少ない男。
シロとエトナの乗った馬車を襲い、撃退された。
その後、食料を分けてもらった礼に、イリスを紹介してくれた。

「私が今ここにいるのも、クラックのおかげ。
 そうじゃなかったら、私も教団軍に参加して、虐殺の限りを尽くしてたかもね。
 私、魔物娘ではあるけど、当時はそれ以上に金の亡者だったから」
「クラックか。そういや、お前とクラックってどういう関係なんだ?」

『クラックが連れて来たというのなら、それなりに敬意を払うべき相手ということ。』

エトナは、イリスに初めて会った時のことを思い出していた。
二人には、何かしらの深い関係がある。

「そんなに気になるかしら?」
「まだ説明がいるんだよ。お前と教団との関わりとか。
 多分、クラックと何かあって教団抜けたんだろ? 折角だから聞かせてもらおうか」
「正解。私はクラックと出会ってから、教団と手を切った。
 といっても、まだ別の形で教団とは繋がってるけどね。いいわ、教えてあげる。
 私がクラックと出会ったのは―――」






半年前。
イリスは、何時も通り情報を流していた。

「相変わらず化学兵器には手を出してないわね。個々の兵の装備は強化してるけど。
 長が長だから、戦い方も人道的にってことなんでしょうね」
『愚かな奴らだ。だが助かる。長が馬鹿の内に攻め込まねばな』
「あんまり勧められないわよ? 一人軍隊は伊達じゃないわ。
 先に言っておくけど、私も軍に入るなら、依頼金は10倍もらうからね」
『チッ、相変わらず銭狂いだな。まぁいい。何かあったらすぐに連絡しろ。
 我々教団が、貴様のような魔物に対して大金を・・・』

と、言いかけたところで通信を切る。
ベッドに通信機を投げ捨て、自分もベッドに倒れこむ。

(あ、コート脱がなきゃ・・・そろそろクリーニングかな。
 ご飯も買わなきゃだし、明日は外出るか)

地下暮らしが基本のイリスだが、ずっと地下にいては暮らしが成り立たない。
時折、こうしてやむを得ず外に出る場合もある。

「寝よ」

外套だけハンガーにかけ、毛布や布団が掛かった・・・いや、『乗っかった』敷布団に転がる。
クールビューティーな彼女だが、私生活は中々に自堕落。
部屋が薄暗いためごまかされているが、よく見ると菓子の袋や破れた羊皮紙が散らばっていたりする。
更に言うと、部屋が薄暗いのは雰囲気を出す為ではない。『電球を替えるのが面倒』という理由である。
乱れに乱れて一つの塊と化した毛布と布団を適当にほぐし、その中に潜り込む姿はヴァンパイアではない。

「・・・ふわぁ〜・・・んんぅん・・・」

どこをどう見ても、ただのズボラな女である。魔物娘で言うなら、のんびり屋のホルスタウロスが近いか。
彼女が完璧主義者でいられるのは、仕事の時だけのようだ。



翌朝。
つばの広い帽子を目深にかぶり、日光対策を万全にした上で外へ出る。
服も街に溶け込みやすいものを選んだ為、ただ見ただけでは彼女がヴァンパイアだと気づく者はいないだろう。
元来、ヴァンパイアが現れるのは夜が基本なのだから尚更である。

(まずコートをクリーニングに出したら食事。その後はご飯買ったら、さっさと帰って寝よう。
 あー、でも教団の奴らがうるさそうだし、適当に情報も拾っておきますか・・・)

ぼんやりとしながら、裏路地を抜け、大通りに出る。
すると、突如吹いた強風が彼女の帽子をさらっていった。

(あっ、まずい)

太陽の下において、ヴァンパイアは無力である。
高い身体能力は失われ、残るのは吸血能力のみ。

しかし、普通に動くことはできる。
特に何も気にすることなく、飛んでゆく帽子を追いかける。
至極当然の行動である。

・・・が、この日は彼女にとって、予想だにしないことが起こる星が回っていたらしい。

「んっ!」
「うぉっ!?」

走る最中、脇道から人が出てきた。
出会い頭の衝突事故である。

「いたた・・・何よもう、こんなとこから」
「おいこのクソアマ! テメェどこ見て歩いてんだ!」

しかも、ぶつかった相手はいかにもといった感じの風貌の男。
事実、悪人なのは面だけではなく、普段も中々の所業をやっている者だった。

いつもなら敵ではないが、この時のイリスは日光を浴びている。その力は普通の少女と変わりない。
・・・が、イリスの性格上、この場を静かに流すということはできなかった。

「こっちの台詞。こんなところから出るくらいなら、回りの確認ぐらいしなさいよ」
「ンだと!? この俺を誰だと思ってんだ!」
「知らないわよ。アンタみたいな品の無い顔、私の知り合いにはいないわ」
「この野郎! 黙ってればいい気になりやがって!」

服を掴み、狭い路地に引き込む。
建物の隙間ではあるが、太陽の位置が悪く、依然として日光が当たる場所だ。

「離しなさい! ヴァンパイアに勝てると・・・あっ」

そして、ここでイリスもようやく気づく。
この場で自分がヴァンパイアだということを明かすのは、完全に愚策であると。

男の口の端が、吊りあがった。
今、目の前にいる女はヴァンパイア。抜けるような白い肌の美女。

「へぇ・・・お前、ヴァンパイアなのか」

日光のある場所において、ヴァンパイアは戦闘に長けた種族の範疇に無い。
普通の人間の体力があれば、手篭めにすることなど容易い。

「ここ、日光当たるけど外から見えねぇんだよな。
 お前は何も出来ねぇし、何してもバレねぇってこった」
「あ・・・あぁ・・・っ!」

迂闊だった。しかし、もう遅い。
男の目は欲望を滾らせ、ギラついている。

「俺のチンポはゲヌア砲並だぜ? お前の子宮基地、精子弾で絨毯爆撃してやるよ!」

卑猥な比喩を交えながら、男はイリスに襲い掛かる。
こうなれば、もう諦めるしか・・・と、思った瞬間。



「・・・オイ、何してんだ」



唐突に、剣の切っ先が男の喉に触れる。
防衛本能が働き、動きが止まる。

「恋人同士の歪なプレイ・・・ってワケじゃなさそうなんで、邪魔させてもらったよ。
 とりあえず、さっさと失せろ」

気だるげながら、刺さるような視線。
何も持っていない左手は、男に見せるようにして、中指を立てている。

「何言ってんだ? 何なら、お前も入れて3Pと洒落込もうぜ?」
「・・・・・・ん、そうかい」

男の要求を呑んだ、かのように見えたが。

「言葉、通じねぇか」

とだけ零し、剣を引くようにして、男の右肩を切り裂いた。



「・・・礼は言わないわ」
「いや言えよ。つーか、何でヴァンパイアが昼に出てるんだよ」

男を憲兵に突き出し、喫茶店に来た二人。
助けた流れで、昼食を取ることにしたのだが。

「あら、ヴァンパイアは夜にしか出ちゃいけないなんて決まり、あったかしら?」
「ねぇけどよ。何であの場で種族さらしたよ」
「高貴な種族の考えは、普通の人間には分からないのよ」
「人間どころか魔物娘にも分かる訳ねぇよ。つーかさっきから言葉が痛い」
「耳に?」
「頭に」
「国語は苦手?」
「落ち度はお前だってこと分かれ」

イリスの態度は、相変わらずである。

「ったく、助けてやっといてお礼の一つもナシか? ヴァンパイアってみみっちい奴だな」
「私のことヴァンパイアって呼ぶのやめてくれない? それ、あなたのことを『人間』って
 呼ぶのと同じよ?」
「んじゃ名前なんだよお前」
「人に聞くときは自分から。教えられなかったかしら?」
「あーそうかい。・・・俺はクラック・アンフォルト。一応、冒険者やってる」

これが、クラックとイリスの出会い。
イリスは、日光に当たって弱っていたところを、クラックに助けられたのである。

「で、お前は?」
「さっき会ったばかりの他人に易々と名前を教えると思う?」
「ハァ!? お前、人に名前聞くときは自分からとか・・・」
「とは言ったけど、教えてもらったら私も名前教えるとは言ってないけど?」

だが、イリスの性根はかなり捻じ曲がっている。

これがクラックの言う、『思春期の妙な感性引きずった』イリスの性格。
俗に言う、中二病をこじらせた者の末路である。

「・・・お前いい性格してるな」
「褒めても割り勘にはしないわよ?」
「皮肉だと分かってるよな? つーか、割り勘にしないってアレか!?
 ここ俺に奢らせる気か!?」
「平凡な顔してるアンタに甲斐性あるとこ見せる機会あげてるだけよ。感謝しなさい」
「ざけんな! お前助けられてといてどんだけ厚かましいだよ!?」
「恩着せがましいわね。男なんだからグズグズ言わないの」
「棚上げ甚だしいな!? 助けて損したわ! お前マジで・・・」
「おーい。周りの目見てごらーん」
「・・・チッ」

双方の話の内容を聞いているならともかく、辺りの客に聞こえるのは、大声を出している方のみ。
この場では、クラックが圧倒的に不利である。

「ま、それなりに冗談よ。結構ヤバかったのは事実だし。
 ご飯代くらい、ちゃんと払うわ」
「・・・ったく、余計な体力使わせやがって」
「それにしても、何で態々来てくれたの?
 面倒事になってるのは明らかだし、私とアンタ、関係ないでしょ?」
「あ? んなもん・・・」

イリスは、自分が襲われることになったのは、ある意味自業自得だと考えていた。
自分のミスは勿論として、『因果応報』であると。

今まで陥れた者の数など、覚えていない。
社会的に、物理的に、一体どれだけの者を死に追いやったのか、想像だに出来ない。
それらの反動が自分に返ってきても、何らおかしくない。
それがたまたま、今日だったというだけ。

そして、今までずっと打算的に生きてきたイリスにとって、クラックの行動は不可解だった。
何の利も無いのに、自分を助ける。その意味が分からない。

だが、返ってきた答えは、非常にシンプルなものだった。



「美人が襲われてるって他に、助ける理由いるか?」



至極当然、何を今更というように。
小恥ずかしい台詞を、真顔で堂々吐いた。

「・・・つまり、私が美人だったから助けたって訳?」
「ブスでも助けたとは思うがな。俺も男の端くれだし」

クラックは、一切表情を変えていない。
本人は、別に特別なことを言ったとは思っていないから。

一方、イリスはこの感情の処理に困っていた。
高鳴る鼓動、浅い呼吸、緩む表情。

全くの不意打ちで、ストレートにぶつけられた。

『美人が襲われてるって他に、助ける理由いるか?』
『美人が襲われてるって他に』
『美人が襲われてる』
『美人が』
『美人』

イリス自身も知らなかった。しかし、今日この時、気づいた。



(・・・私、こういうのに弱かったんだ)



いつ頃からか、意図的に回りくどい言葉を用いるようにしてきた。
なんとなく、カッコいいから。そんな理由で。
そう思ったのは自分にセンスがないから、ということは早くに気づいたが、
今更やめるのも癪であり、ズルズルと使い続けていた。

その所為なのだろうか。
イリスは、直球に非常に弱かったのである。

それを自覚した瞬間、急に今までの立ち振る舞いが恥ずかしくなった。
助けてもらった相手に対して、自分は何てことをしていたのか。

「その・・・あ・・・ありが・・・」
「・・・?」
「・・・ありがたく思いなさいよね!」
「何をだよ!?」

自分の口調は、中二病が染み付いてしまっている。
お礼の言葉すら、照れ隠しに変わってしまう。

「えっと、その、アレよアレ。アレだってば!」
「分かんねぇよ! 代名詞じゃなくて名詞使え!」
「その・・・借りを作りたくないの! だから返しなさい!」
「落ち着け! ごっちゃになってるぞ!?」
「あー、もー・・・何この・・・何っ!?」
「知・る・かー!!!」

どうしても、出てこない。
言い慣れていないことを言うのは、これ程までに難しいことだったのだろうか。

「もういい! 今度からあんな危なっかしい真似すんじゃねーぞ!」
「待ちなさい! せめて次に会う時の約束ぐらい!」
「ギルド行ってクラックで探せ! じゃあな!」

結局、帰られてしまった。
律儀に二人分の食事代を置いて。

「・・・もう、何なのよ」

その言葉は、素直になれない自分に対して。
おかしな拗れ方をしてしまった性格を、イリスは恨んだ。



翌朝。
イリスは、ギルドに来ていた。

「クラック・アンフォルトっていう冒険者、いる?」
「少々お待ちください・・・はい、当ギルド所属ですね。ご用件は?」
「伝言を。『閉店時間まで待ってるから、あの時の喫茶店に来なさい』で」
「かしこまりました」

あれから色々考えた末、お礼の内容がまとまった。
自分は情報屋だ。それなら、得意分野で報いようと。

(初めからこうすればよかったわね。何やってんだか。
 全部あいつのせいよ。本当にもう・・・)

『美人が襲われてるって他に、助ける理由いるか?』

「・・・っ!」

あれから、フラッシュバックが酷い。
ふとした瞬間に思い出しては、胸が苦しくなる。

(・・・もう、何なのよ)

この苦しみの原因、そして、それが意味することは分かっている。
だが、イリスはそれを決して認めない。



「やっぱお前か」
「22時間ぶりね。それじゃ、ついてきて」
「おう」

裏路地を抜けて、廃屋へ。
階段を上り下りし、いくつかの部屋や劣化した壁の綻びを抜け、中庭へ。

「この花壇の角。普通のブロックに見えるけど、スイッチになってるの。
 これを順番に押すと・・・」
「下手なダンジョンより凝ってるな。そりゃ誰もこねぇわ」

現れた隠し階段を下れば、イリスの仕事場である。

「この前の借り、返すわ。貴方の知りたい情報を無料で教えてあげる」
「情報ねぇ。そーいう稼業してたんだな」
「えぇ。どんな情報も、3日足らずであげる。何なら、私のスリーサイズでも教える?」
「限りなくどうでもいいわ」
「上から84、57、87。カップサイズで言うならD。どう? 完璧でしょ?」
「素晴らしいスタイルであり、素晴らしくどうでもいい情報ありがとう。
 ・・・んじゃ、ついでに一つ聞こうか」

明らかに自分をおちょくりだしたイリスを止めるのも兼ねて、クラックは依頼内容を決める。
それは、かねてより気になっていたことであり、自分の目的を果たすのに必要なこと。

「教団の野郎共の構成、戦闘力、弱点その他諸々。集められるだけ集めてくれ」

当時のクラックは、ゲヌアを狙う教団をどうにかしたいと考えていた。
(現在もその気持ちは変わっていないが、糊口をしのぐのが最優先になっており、
 この時ほど熱心に活動はしていない)

イリスにとって、この依頼は意外であり、困るものだった。
既に教団から依頼を受けている以上、これはダブルブッキングとなる。

「理由は?」
「俺なりにこの街守りたいんだよ」
「いくら積まれたの?」
「・・・は? どういうこった?」
「教団相手に個人で立ち回るなんて、相当なお金に目が眩んだとしか思えないわ。
 ざっと、金貨2、3000枚ってとこ?」
「何言ってんだ。んなもんねーよ。
 つーか、コレ自体俺一人でやってることだからな。どこからも何も貰えねぇよ」

苦笑しながらも、その顔はどこか楽しげにも見えた。

クラック自身、自分のやっていることにあまり意味はなく、掲げる夢は理想論でしかないという
はっきりとした認識を持っている。
それでも、彼は教団相手に立ち向かう。

その姿は、眩しかった。

「どうせなら、情報流さない? 力のある組織に渡したほうが、教団に致命傷与えられそうだけど」

だから、思わず提案してしまった。
自分の依頼者である教団を裏切ることになる、情報の活用法を。

「・・・あ、そういう手もあるな。んじゃそれ頼むわ」

あっけらかんと言い、その場を去る。
取り残されたイリスは、数分後になってようやく、かなりまずいことになったと感じた。



(・・・さて、どうしたものか)

教団からは、街の情報を流せと言われた。
クラックからは、教団の情報を流せと言われた。

両方の仕事はできるが、それぞれの利害は背反する。
そうなった時、自分が生きられる保障はないことを、イリスはよく知っている。

どちらが危険かといえば、間違いなく教団。
なら、クラックの依頼を放棄し、教団に味方すればいい。
簡単に理解できることだが。

「・・・嫌だな」

初めて、仕事に感情が混ざった瞬間だった。
ずっと淡々とこなしていた仕事が、今はどうしようもなくやりたくない。
それ程、クラックの存在が大きくなっていた。

何とか、教団にバレないようにしながら、クラックの依頼を達成する方法。
そんな都合のいいことが・・・



「あれ・・・待てよ。これ、こうすれば・・・あっ!」



閃いた。
教団にバレないようにしながら、教団の情報をクラックに流す方法。
教団への依頼を放棄してしまうとバレてしまうなら、放棄しなければいい。

依頼を放棄しなくても、『依頼をどう遂行するか』は、こっちで決められる。
そして何より。

「こっちの方が・・・面白い!」

イリスの性格は、捻くれている。
彼女の嗜好とも、その選択は合致していた。






「・・・で、結局どうしたんだ?」
「簡単なこと。教団に情報流しながら、クラックにも情報流した」
「普通じゃねーか」
「って、思うじゃん?」
「・・・?」
「どっちにも情報は流したわ。ただ・・・」

キラリと牙が見えるように、口の端を吊り上げた笑みを浮かべ。



「教団には偽の情報を。クラックには本物の情報をね」



イリスは、クラックの依頼を優先。
半年前をもって、教団との関係を逆転させた。

「二重スパイ、って言った方が分かりやすいかしら」
「・・・えーっと、クラックに情報流して、教団に嘘を・・・ついたってことか?」
「そ。教団は私のことを信頼してるし、私も嘘だとバレないようにした。
 別に向こうから『嘘をつくな』なんて言われてないしねー♪」

今度は明るく、いかにも楽しげに笑う。
つまり、この陽動作戦は教団の為ではない。ゲヌア、そしてクラックの為。

「それに。今言った通り、私はクラックに感謝してる。
 あの時からだったわね。善人を陥れるような真似しなくなったの。
 といっても、やってることは大して変わってないから、半端者止まりですが」
「よく分かんねぇけど、いいんじゃねぇか? 教団に味方するよりずっとマシだ。
 ・・・とりあえず、お前を殴る必要は無くなった」
「ありがと。私としても、『絶対的な存在から裏切られて教団が瓦解するトコを見られる』っていう
 結構な報酬も頂けますし、リスクとリターンは釣り合ってる。
 私のルールにも則ってるし、いいかなって思った」

金銭以外でも、報酬として見ることもある。
今回の場合、その愉悦が何よりの報酬となった。

この時、エトナは感じていた。
イリスは悪人じゃない。そして、善人でもない・・・とも、言えない。
少なくとも、『善人になろうとしてる元悪人』だと。

・・・ここまでは。

流れのまま、イリスの口から出たこと。



「・・・おまけに、先程シロ君、味見させてもらいましたし♥」



「・・・ハァ!?」
「もうすっごく美味しかった♥ あの子、精液よく出るし、喉に絡む感じがたまらない。
 破魔蜜って呼ばれてるだけあって、精液は勿論、反応まで甘かったわ♥
 元々砂糖顔だなーって思ってたけど、ちょっと化粧すれば完璧に女の子よ?」

エトナは見誤った。
イリスは悪人ではない。善人と言えなくも無い。

ただ、その思想の根底は捻くれ者であり、
人をおちょくるのが大好きだということを、忘れていた。

「お前この野郎! 何してくれてんだ!?」
「別にいーでしょ? ちょっとした報酬よ。結構面倒な陽動したんだし。
 そろそろ教団軍もノコノコ来る頃だろうし、私も適当に迎撃に・・・」
「うらっ!」
「ちょっ!? 今狙ったの鳩尾・・・」
「おらぁっ!!」
「待って、落ち着いて!? うわっ!」
「どりゃぁぁっ!!!」

エトナは激怒した。
そして、激怒しながらも酷く頭は冴え、その拳は普段より精度を増していた。
イリスが軽口を叩くこともなく、殴打を避けるのに精一杯になるくらいには。

「殺す!!! やっぱりブッ殺す!!!」
「ごめん! ごめんって! あの子可愛かったからついつまみ食いしちゃったの!
 うわっ!? いや本当にごめん! 許して!」
「許すかボケェ!!!!!」

決着がついたのは5分後。
足が縺れた所を正確に捉えたエトナが、イリスの額に強烈な一撃を叩き込み、そのまま気絶させた。



「で、さっき教団軍ボコってきたとこ。
 イリスが各軍に連絡回してたらしくて、丁度よく軍も集まって、挟み撃ちできた。
 後で叩き起こして聞いたら、この計画知らせなかったのは『そっちの方が面白いから』だと」
「・・・何というか、イリスさんらしいと言いますか」

事の顛末を聞き、ようやく状況を理解する。
戦いは終わった。教団軍の壊滅的敗北をもって。

「この後は賠償何たらやら条約何とかやら、難しい話になりそうだったからアタシは抜けてきた。
 町長さんの計らいで、この司令室にはしばらく人は来ねぇことになってる」
「そうだったんですね。でもよかった。無事に終わって・・・」
「だな。・・・で、だ」

座り込んだままのシロの元へ歩を進め、自身も同じように座り。

「・・・イリスとアタシ、どっちの方がよかった?」

親指でシロの顎を上げ、顔を正対させる。
目は笑っていない。全体的に見たら、やっぱり笑っていない。

イリスの性格は忘れていても、シロが襲われたことは忘れていなかった。
たとえシロの意思に反していたとしても、襲われたことは事実。

「・・・あ、あぁ・・・あ」

ここでは当然「エトナさんです」と答えるのが正解だということは分かっている。
しかし、刺すようなエトナの視線が、声帯の動きを阻害してしまい、言語が出てこない。
 
間違いなく分かることは、もう一つある。
今のエトナは、相当にヤバイ。
タリアナで街を救う為、暴れた時。ロコで料理店の息子にキレた時。ノノンで大喧嘩した時。
その他色々。そのどれよりもヤバイ。出会ってから今までの中で、一番ヤバイ。



「んじゃ、分からせる」



町長の計らいで、この部屋には誰も来ない。
これからされることに、一切の抵抗はできない。

怖い。ただただ、怖い。
なのに。



呪文は、発動の気配すらなかった。
15/12/27 19:48更新 / 星空木陰
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■作者メッセージ
11月中のつもりが年内ギリギリに・・・失礼。
ゲヌアと教団の大戦争、終結いたしました。

その裏で、戦争よりもヤバイことになってますが。

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