連載小説
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「ボディーガード料20万円」
 祭壇の建築は――やはりと言うべきか――少人数では中々に厳しいものがあった。サイスとアン、それに今まで召喚されてきた魔物娘総出で作業に当たったが、それでも設営作業は一筋縄ではいかなかった。
 単純に言って、人手不足であった。それでもサイス達は、この難題を投げ出そうとはしなかった。祭壇を立てないとカードゲームが再開できないからだ――そもそもカードの効果を発動させるために実物の祭壇を作る必要があるのかと言ってはいけない。
 
「ちょっとこの辺りで休憩しませんか? 働きづめでは効率も落ちますし、ここらで一度ティータイムを挟むと言うのはどうでしょう?」

 そうして全員が悪戦苦闘しつつ祭壇の設営作業を進め、それが六割ほど進んだところで、唐突にアンがそう提案してきた。いきなりの休憩案にサイス達は一瞬面食らったが、それを拒絶する者は皆無だった。
 誰も彼もクタクタに疲れていたからだ。彼らは一人残らず全身から滝のような汗を流し、喉も乾いて死にそうだった。
 故に全員が、そのマッドハッターの提案を受け入れた。むしろ彼女の提案は彼らにとって、天の恵みですらあった。
 
「でもティーセットとかはどこにあるんだ? どうやって用意するんだよ」
「そこはお任せを。こんなこともあろうかと、事前に準備しておいたのですよ」

 その後作業を中断し、不思議そうに尋ねるサイスに対して、アンが得意げな顔で言ってのける。それから彼女はおもむろに右手を持ち上げ、皆の注目する前でその指を勢いよく鳴らした。
 直後、彼女の背後で紫色の煙が噴き上がる。煙はそれを見て驚く面々の眼前でいとも容易く四散し、やがてその奥から大きな丸テーブルと人数分の椅子が姿を現した。
 シミ一つない純白のテーブルの上には、それと同じくらい白に染まった白磁のティーポットとカップが揃えられていた。ティーセットの隣にはクッキーや果物と言った色とりどりの茶菓子も完備されており、まさに準備万端と言える完全武装ぶりであった。
 
「いつの間にあれだけのものを?」
「最初からあそこにあって、それを魔法で隠してあったんじゃないでしょうか」

 そんな威容を目の当たりにして驚くジャイアントアントに対し、エンジェルが自分の立てた推論を述べる。アンがそれに反応して「概ねその通りですね」と返し、そのまま一人先んじて件のテーブルの方へ歩き出す。
 
「さ、皆さんも自由に座ってください。さっそくティータイムを始めましょう」

 そして最初にテーブルの前に辿り着いたアンはおもむろにティーポットを持ち、人数分のカップを揃えてから、慣れた手つきでそこに紅茶を注いでいく。それと並行してアンはサイス達に席に着くよう促し、請われたサイス達もまた控え目な足取りでテーブルへ向かう。
 なお水槽に入っていたーシャークは、その水槽の固定された台車をサイスに押される形でテーブルまで向かった。台車の扱いに慣れてきたのか、サイスの動きは以前よりもスムーズなものになっていた。
 
「慣れって怖いな」
「そうか? 慣れも結構大事だと思うぜ」

 その道中でそう呟くサイスに対し、水槽入りのマーシャークが明るい声で答える。実際マーシャーク本人も、こうして運搬されることに対して慣れ始めていた。
 一生このままでいるつもりは毛ほども無かったが。
 
 
 
 
 こうして、サイス達は束の間のティータイムを楽しんだ。この時マッドハッターが用意したのは、不思議の国で常飲されているものではなく、人間の世界で市販されているような「普通の紅茶」であった。
 なおここで人間製の紅茶を出した理由については、もし不思議の国産の物を供してしまうと最悪この場の全員が発情してしまい、ゲームどころでは無くなるからとアンは説明した。
 
「私としてはそれもそれで面白いと思ったのですが、さすがに今やっているゲームを有耶無耶にしてしまうのも勿体ないと思いまして。なのでこうして、人畜無害な紅茶を提供することにした次第というわけです」
「なるほど。それなら納得ですね」
「いや、紅茶って普通は人畜無害な飲み物なんじゃないのか?」

 アンからの説明を聞いた一同は、皆彼女の配慮を理解しそれを受け入れた。サイスのぼやきは無視された。この場において人間はか弱く小さな存在でしかなかった。
 それはともかく、彼らは暫くの間紅茶と茶菓子を存分に堪能した。茶菓子の方にも媚薬の類は入っておらず――普通は当たり前である――おかげで今回の「お茶会」は非常に珍しいことに、狂気の欠片もない平凡なものとなった。
 
「ところで、お前ギャンブラーなんだってな? 何かギャンブル絡みの面白い話とか聞かせてくれよ」

 そのお茶会の最中、唐突にマーシャークがサイスに話を振ってきた。そしてサイスもまた、苦笑交じりにその提案に自ら乗ってきた。自分の武勇伝を他人に語って聞かせると言うのは、中々に愉快で楽しいものがあるのだ。
 
「そんなに面白い話もないんだけどな」

 そしてそう前置きを入れた後、サイスは自分のゲーム遍歴を語り始めた。魔物娘達はそんな彼の話を、目を輝かせて熱心に聞き入った。彼女達にとってサイスの経験談は全く未知の領域のものであり、それ故彼女達は彼の話に強く惹かれていったのである。
 
「そのポーカーっていうゲーム、どんな感じに遊ぶの?」

 そんな折、不意にマンティスがサイスに問いかけてきた。この時サイスはトランプを使ったゲームについて語っており、その「トランプゲーム」の一つの例としてポーカーを挙げたばかりであった。
 それにはサイスより先にアンが反応した。
 
「ポーカーなら私も知っていますよ。ルール確認も兼ねて、実際に遊んでみましょうか?」
「いいの?」
「ええ、もちろん。トランプも用意してありますしね」

 そう言いながら、アンが懐からトランプの入ったケースを取り出して見せる。どこまでも用意周到であった。そしてアンは周りの面々を見回しながら「皆さんも一緒にどうですか?」とゲーム参加を呼び掛けた。
 当然、こんな面白そうな話に乗らない話は無い。全員がポーカーに参加した。
 
「サイス様。わかっているとは思いますが、ここにいるのは初心者ばかりです。やられ役になれとは申しませんが、ある程度は手を抜いて戦ってくださいね」
「わかってるよ。そんなみっともないことはしないから安心しろって」

 なお言いだしっぺのアンは、熟練者のサイスに釘を差すのも忘れなかった。サイスもまた、彼女の要求を突っぱねるほど子供でもなかった。こうして突発的に始まったポーカー大会は、その大半が新規ということもあって、中々にのんびりとした空気を漂わせながら進行した。
 全員で紅茶を飲み、クッキーをつまみながら、和やかなムードでゲームを行う。ゲーム好きのサイスにとって、それはまさに理想郷と言うべき光景であった。
 
「自分の手が悪いと思ったら、素直に降りるのも戦術の一つだ。変に戦って深手を負うくらいだったら、そっちの方がずっとマシだからな」
「いや、俺はここで勝負に出るぜ。コールだ!」
「私も勝負します。コールです!」

 ゲーム中、アンとサイスは揃って教え役に徹した。もちろんゲームにも参加していたが、本気で他のメンバーを叩き潰そうとはしなかった。ここでも彼らは初心者たちに譲るような形で自分からゲームを降り、他の面々もサイスのアドバイスを受けてゲームから降りた。
 最終的にこのラウンドは、強気に出たマーシャークとエンジェルの一騎打ちという形になった。宣言を終えた後、二人揃って手札を公開する。
 
「キングのスリーカードだ!」
「スペードのフラッシュです」
「あっ……」

 今回はマーシャークが泣きを見る結果になった。なおこれはあくまでも「お遊び」なので、特別何かを賭けてポーカーをしているわけではなかった。
 負けて悔しいことに変わりは無いが。
 
「畜生! もう一回だ! このまま終わったんじゃ気が済まん!」
「はいはい、もう一回やりますから落ち着いてください。今シャッフルしますからね」
「だから言っただろ。やばいと思ったら降りろって」
「勝てると思ったんだよ! まさかあんなでかい役で来るとは思わなくってさあ……!」

 アンがカードを集めて切り直す一方、サイスが傷心のマーシャークを慰めにかかる。そしてアンがシャッフルを終え、プレイヤー達にカードを配り始める頃には、マーシャークも既に気を持ち直して次のラウンドに挑んでいく。気持ちの切り替えが早いというのは、ゲームをするうえで中々に大きな強みであった。
 
「それじゃ、もう一回始めますよ。前の勝負で勝った人から時計回りに手札交換していきましょうか」
「じゃあ最初は私ですね。初めてもいいですか?」
「はい。お願いしますね」

 全員にカードが行き渡り、アンが手札交換開始を告げる。エンジェルがそれに反応し、そして一番手として手札を捨て、捨てた枚数と同じ数のカードを山札から引いて行く。
 
「何それ? 面白いことしてんじゃん」

 サイスの背後からそんな声が聞こえてきたのは、まさにその時だった。驚いたサイスと他の面々が声のする方へ目を向けると、そこには見たことのない一人の魔物娘が立っていた。それは頭から耳を生やし、背中側の腰辺りから尻尾を生やした、全身青みがかった猫のような魔物娘であった。
 
「あらまあ、チェシャ猫じゃないですか。どうしたんですかこんなところで」

 それを見たアンが真っ先に声を上げる。そして呼ばれたチェシャ猫もまた、自分を呼んだマッドハッターに視線を移しながら彼女に声をかける。
 
「いやなに、ちょっとここら辺を散歩してたら、あんたたちのこと見つけてさ。なんか面白そうなことしてるなーって思ったから、こうして話しかけてみたってわけ」

 アンからの問いかけに対し、チェシャ猫は楽しげな表情でそう答えた。一方のサイス達はその猫の魔物娘がどのような存在かいまいちわからず、そんな彼らに向けてアンが説明を始めた。
 
「こちらの方はチェシャ猫と申しまして、私と同じ不思議の国に住む魔物娘なのですよ」
「チェシャ猫って言うの。よろしくね」

 アンの簡潔な説明に合わせるように、チェシャ猫が声を上げる。そしてチェシャ猫は相手の返答を待たないまま前に飛び出し、サイスの横に並んでテーブル上にあるクッキーを素早く手に取り、許可も得ずにそれを口の中に放り込む。
 
「で? あんたらここで何してんの?」

 一枚目を軽く食べきり、そのまま二枚目のクッキーをつまみながらチェシャ猫が尋ねる。サイス達はそれを咎めず、代わりにチェシャ猫からの問いかけに答えようとした。
 
「俺達か? 俺達はここで……」

 そこまで言ったところで、サイスの視界に作りかけの祭壇が入る。
 直後、ここに来た本当の理由を思い出す。
 
「そういえば俺達デュエルしてたんだったな」
「あっ」
「そんなことやってたなそういや」
「なんでトランプやってるんでしょうかね私達」

 他の面々も続けてそれを思い出す。アンも遅れて自分達の本当の使命を思い出し、「ああそうだったそうだった」と他人事のように声を上げる。
 
「祭壇まだ作りかけだったんですよね確か。そろそろ再開しないと」

 アンの言葉に皆が頷く。それを見たチェシャ猫が「マジで何してんのあんたら」と色々な意味で疑問をぶつける。
 新参者のチェシャ猫は、現況を理解するのも一苦労だった。
 
「何かしらこれ?」
「祭壇かな? お祭りでもするのかな?」
「すごーい! おっきいねー!」
「でもまだ作りかけみたい。誰がどうしてこんなの作ってるのかしら?」

 そこに追い打ちをかけるように、祭壇の方から複数の声が上がる。そこに集まっていたのは全員が少女であり、それぞれがトランプの絵柄と数字を身に纏った服のあちこちに記していた。

「トランパートまでここに来たんですか。見つかるものですねえ」

 少女たちを見たアンが感心したように声を出す。それからアンは何かを思いついたようにその顔を輝かせ、いざ設営作業を再開しようと立ち上がったサイス達に向かって声をかけた。

「皆さん、ちょっとよろしいですか?」
「うん?」
「どうした?」
「ちょっと私に提案があるんですけど、いいでしょうか?」
「提案? なんだいったい」

 アンからの問いかけを受けて、サイス達が不思議そうな顔で彼女の元に集まる。チェシャ猫は完全に蚊帳の外に置かれる格好となった。
 
「いい加減何してんのか教えてほしいんですけどー……」

 結局彼女がサイス達の実情を知るのは、彼らが作業を再開した後のことだった。
 
 
 
 
 アンの策とは、言ってしまえば単純なものだった。偶然見物に来たチェシャ猫とトランパートの一団を、祭壇設営作業に加えようというのである。
 
「タダ働きしろってこと?」

 当然チェシャ猫は反発した。トランパート達も大なり小なり差は有れど、その「作戦」には難色を示した。
 
「働いてもいいけど、何か見返りは欲しいよねー」
「もちろんそれも用意してありますよ。もしこれを手伝ってくれれば、後でケーキをご馳走してあげましょう」
「えっ? ケーキ!?」
「それならやるよ! 何すればいいの?」

 アンは抜け目なかった。彼女は労働の対価をしっかりと用意してあり、チェシャ猫たちはその等価交換をあっさり受け入れた。サイスはその光景を見て「ちょろい連中だな」と思ったが、口には出さなかった。
 総勢二十名。人手が増えて助かったのは事実だからだ。
 
「では、一緒にこれを組み上げてしまいましょう。これだけの数があれば、すぐに終わりますよ」

 そうして作業が再開された。しかし今回は大量の人員を確保できたので、それまでよりもずっと速いペースで仕事を終えることが出来た。なおチェシャ猫はロクに作業に参加しなかったが、誰もそれを咎めなかった。木材の山によりかかって寝息を立てる様を見て呆れるくらいはしたが。
 
「あいついつもあんな感じなのか」
「猫は基本的に気まぐれな生き物ですからね。自分が面白いと思ったことにしか首を突っ込もうとしないんですよ」
「建築は面倒くさいってか」
「そういうことです」
「いい御身分な猫だな」

 そんなこんなで、ついに祭壇が完成した。篝火と供え物も用意し終え、準備完了であった。
 しかしようやくそこまで来たところで、サイス達はまた新たな問題に直面した。
 
「なんだなんだ、何か面白そうなことしてるな」
「あれは、祭壇か? 誰かが儀式でも始めようとしているのか?」
「何だか面白そうですね。ちょっと覗いてみましょうか」

 わいわい。がやがや。祭壇とそれの前に立つサイス達を取り囲むように、大勢の魔物娘がこの場にやって来ていた。不思議の国に住まう者から妖精まで、ありとあらゆる魔物娘がこの場に集まっていた。
 誰も彼もが好奇の視線を巡らせていた。そしてその全員がサイス達を見つめていた。おまけに彼ら――彼女らと言うべきか――はこの場の光景を前にしてあれこれ推論を立て始めており、それらを好き勝手ぶつけ合って議論を始める始末だった。
 サイス達が利用していた物静かな草原地帯は、一転して喧騒と騒乱の坩堝と化したのである。
 
「これは……」
「は、ははは……」
 
 建築作業に時間をかけ過ぎた。そして多人数を巻き込んで派手に立ち回り過ぎた結果が、この有様であった。大量のオーディエンスが流入し、一気にやかましくなったデュエルフィールドを前にサイスは呆然とし、アンは乾いた笑いを浮かべた。
 
「これ、どうする?」

 やがてサイスがアンに問いかける。彼の問いは、この地に呼ばれた魔物娘達全員が抱いていた疑問でもあった。
 それに対するアンの回答は、至って明白だった。
 
「どうするも何も、このまま続けますよ」
「は?」
「むしろ観客が増えてよいではありませんか。俄然やる気がわいてくるというものです」

 彼女はこの状況を楽しんでいた。マッドハッターの性であった。
 
 
 
 
 結局、マッドハッターの意見が尊重される形となった。ティータイムを終えたサイス達は元いた場所に戻り、大勢の観客の前で再び戦闘態勢を取った。
 
「なんつーか、恥ずかしいな」
「はい……」

 観衆の視線が一斉に突き刺さる。矢面に立たされたマーシャークとジャイアントアントは、等しく居心地の悪さを覚えた。墓地で控えていたエンジェルとマンティスも同様に額に汗をかき、気まずい顔を浮かべた。
 彼女達はこのような大舞台に慣れていなかった。当然の話である。一方でド派手なゲームを幾度も切り抜けてきたサイスと、人一倍図太い神経を持っていたアンは、彼女達に比べてそれほど緊張してはいなかった。その心底にあった考えは真逆のものであったが。
 
「本当にこの状況でやるのか? 俺は別にいいが、他の娘達にとっては酷じゃないか?」
「その心配は無用です。それにもし何かあっても、私が完璧に対処してみせますから。安心してくださいな」

 あくまで他の魔物娘――これからこの場に無理矢理召喚されるであろう魔物娘のことを気に掛けるサイスに対し、アンはどこまでも楽観的だった。おまけに彼女は強引だった。アンはなおも渋るサイスを無視して、デュエル再開を強行したのだ。
 大観衆の前に赤の他人を引きずり出すリスクを、この時のマッドハッターは軽視していたのである。
 
「それより始めますよ。まだ私のターンですからね」
「ああわかったよ。わかったわかった。始めてくれ」

 当然サイスはその危険性を考慮しており、またそれを指摘しようとした。しかしアンがあまりにも強引だったので、結局彼女に合わせることにした。マッドハッターの「押し」に屈した形である。
 そして「どうなっても知らんぞ」と心の中で唱えながら、サイスはアンと同じタイミングで召喚器を構える。相手の同意を得たアンはニヤリと笑い、改めて魔法カードの発動を宣言する。
 
「ではもう一度、魔法カード『龍神降臨の儀』を発動! 海和尚さん、お願いします」

 宣言した直後、声色を変えて巫女役の魔物娘に協力を仰ぐ。この時海和尚はまだテーブルの前に腰かけており、のんびりクッキーをかじりながら紅茶を飲んでいた。そこにアンから声がかかってきたので、彼女もまた自身のティータイムを終わらせ、建築済みの祭壇の前までやってきた。
 既に儀式の準備は完了していた。祭壇に篝火、供え物まで、全てが万全だった。その祭壇の前まで来た海和尚はまず最初に一礼し、その後その場でかしずき、懐から大幣を取り出した。
 やがて海和尚の口から呪文が漏れ出していく。それはおおよそ人語とは思えないほどの重苦しい音だった。空気が張り詰め、それまで好き放題騒がしくしていた観衆たちも思わず口を閉ざす。
 草原地帯が再び静寂に包まれる。その静けさの中を、海和尚の放つ音声だけが駆け抜けていく。彼女は時折息継ぎをしつつ、大幣を大きく振りながら淡々と詠唱を続けていく。
 時を経るごとに空気が重くなっていく。その緊張と裏腹に、観客の中で退屈を感じ神経を弛緩させる者が現れていく。海和尚の呪文は重々しくはあったが、単調でつまらないものであったのだ。
 
「これ、いつまで続くんです?」

 面白くないと思ったのはサイス達も同様だった。まず沈黙に耐え切れなくなったエンジェルが、そっと持ち場を離れてサイスの横に並びつつ、彼に声をかけた。海和尚の口から音が溢れ始めてから五分後のことである。一方、小声で問われたサイスは彼女の方を向き、同じく小さな声でそれに答える。
 
「まだ当分はかかりそうだな」
「サイス様はどれくらいで終わるとお考えですか?」
「三十分くらいじゃないか」
「はあ」

 サイスの返答を聞いたエンジェルが露骨に疲れた顔を見せる。この時サイスも同じくらい嫌そうな顔をしていた。彼も彼で、この儀式を億劫に感じ始めていた。
 ジャイアントアントは儀式が終わるまで律儀に構えを解かず、マーシャークは欠伸を?み殺していた。マンティスは墓地で羊を数え始め、アンはポーカーで使っていたトランプを取り出してそれをいじり始めた。
 一名を除いて、彼らの緊張は長くは続かなかった。
 
「……来た!」

 海和尚が叫んだのは、それから三十分かかった後のことだった。前兆のない唐突な叫びだったので、決闘者と観客の全員が等しく驚愕した。
 
「何が来たんですか?」

 真っ先にアンが反応する。観衆とサイス達も海和尚に注目する。場の空気がやにわに熱を帯び始める。
 その熱気の最中、海和尚がアンに答える。
 
「龍神様です。降臨なさいますよ」
「おお、ついに来ますか」
「はい! アン様、後はお願いします」
「お任せを!」

 海和尚からの呼びかけにアンが了承する。そしてアンは手札から一枚のカードを引き抜き、それを勢いよく召喚器に叩き付ける。
 
「儀式召喚!」
 
 鬼気迫る顔でアンが叫ぶ。観衆の熱がさらに高まる。
 注目されていることへの歓喜と気迫を漲らせながら、声高にアンがその名を呼ぶ。
 
「出でよ! 龍神!」

 フィールドに光の柱が出現する。初めて見るその光景に、観客と海和尚が一斉に驚きの声を上げる。
 彼らの眼前で柱が砕け散る。柱の欠片が光の粒子となって四散し、その中に隠れていたものを白日の下に晒す。
 
「えっ」

 そこにいたのは龍だった。日本に住まう強大なる魔物娘。ドラゴン属でありながら温厚な性格を持った、心優しき大人の女性。
 
「あ、あら? これはいったい……」

 その龍は今、木枠で作られた大きな桶の中にその身を浸していた。桶の中には湯がなみなみと注がれ、水面からはもうもうと湯気が立ち上っていた。彼女はその中に全裸で浸かり、のんびりと体を休めていたのである。
 そこに声がかかった。入浴中に召喚された龍は、突然の出来事に目を白黒させた。
 
「えっ? へっ? どういうことです? 何がどうなって……」
「ああ……」

 そしてすぐさま自分が大衆の目に晒されていることを知り、一気に顔を赤くしていく。あまりにも災難な展開に、サイスは思わず頭を抱えた。
 本当に申し訳ない。彼は頭の中で龍に謝罪した。
17/03/01 19:57更新 / 黒尻尾
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