連載小説
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とある女医にまつわること
 去年の冬。
 一人の女性が、八十三年の生涯に幕を下ろした。

 人間として生まれ、医師として働き、旅人として歩む。
 地位や名誉、金銭や快楽といった事柄には頓着せず、ただひたすらに、純粋に、この世界の広さと、そこに暮らす全ての命を愛し続ける。
 繰り返し訪れる出会いと別れに心を震わせ、巡り来る季節を見つめ、誰に対しても分け隔てのない笑顔を送る。

 彼女は、そんな人物だった。

 彼女には、色々なあだ名があった。

 旅人先生。
 女風来坊。
 天衣無縫の人魔医。
 医者の鏡。
 魔物の手先。

 ……その他にも、たくさん。

 親魔物国家の人々は、彼女の生き方を一つの理想と考えた。
 中立国家の人々は、彼女の自由な歩みに驚きと憧れを抱いた。
 反魔物国家の人々は、彼女の垣根を作らぬ言動に眉をひそめた。

 同じ物事に対しても、立場や状況、文化や思想が異なれば、それぞれの捉え方は大きく異なってしまう。
 だから、彼女には色々なあだ名があった。
 あだ名の数だけ、彼女はこの世界を歩き、色々な事を仕出かしたとも言えるだろう。

 彼女は、どんな人間だったのだろう。
 彼女は、どんな女性だったのだろう。


 彼女を知る魔物さんに、お願いです。
 彼女との思い出を、少し教えてください。



 《 彼女の幼年期を知る、ヴァンパイアの話 》

 ……そうか。
 あの子が、逝ってしまったのか。

 最後にあの子と会ったのは、ニ年前の秋だった。
 昔と同じように何の遠慮もなくこの館の扉を開けて、ニッコリと笑っていたよ。

 ただ、持ち物とセリフは変わっていたかな。

 昔はお気に入りの人形を持って、「お姉ちゃん、遊ぼう!」と。
 歳を取ってからは、お気に入りの葡萄酒の瓶を持って、「さぁ、一杯やろうよ」と。

 前歯のない擦り傷だらけのお転婆娘が、皺だらけのお婆さんになってしまうのだから、まったく 人間の一生とは儚いものだ。
 けれど、あの子の笑顔だけは、時が流れても少しの変化もなかった。
 いつも楽しそうで、あたたかい顔をしていて。
 裏表など一切ない、素直な心の全てが綺麗に表現されているような、そんな笑顔だったよ。


 あの子との出会いは……まぁ、それなりに衝撃的なものだったな。
 とにかく、少し想像してみて欲しい。

 五歳、人間、女の子。
 乱雑な三つ編みと、日焼けした顔。
 着ている服は、あちこちに泥や葉っぱがくっついた、安っぽいワンピース。
 左手には、お気に入りの人形。右手には、母親から渡されたおやつ入りの小さなバスケット。

 そんな女の子が“冒険”と称して鬱蒼とした森に立ち入り、怖いもの知らずにズンズンと突き進んだ挙句、薄気味の悪い古びた館に辿り着く。
 だが、その子の顔に恐怖や戸惑いはなく、瞳は溢れ出る好奇心で爛々と輝いている。

 ワクワク弾む心と共に、女の子は重い扉を開け、それまでと同じように館の中をズンズンと突き進む。
 目に入ったドアは、とにかく全部開けてみる。
 興味を抱いた物は、とりあえず全部触ってみる。
 中にはそれなり以上に危険な部屋や物もあったのだが、何かの加護が悪運か、特にこれといった問題は起こらない。

 そして女の子は館の地下に突き当たり、格別重い扉を開く。
 怪しげに揺れる燈台の光。
 冷たく無機質な石の壁。
 敷き詰められた、血のように赤い絨毯。

 そんな部屋の中央に置かれた、夜の闇よりも黒い棺桶。

 明らかに、この部屋はおかしい。
 明らかに、この棺桶の中には何かがいる。
 明らかに、その何かは危険な存在だと、人智を超えた怪物だと、己の本能が告げている。

 けれども、やはり、女の子の顔に恐怖や戸惑いはない。
 それどころか、ドキドキとワクワクは最高潮に達し、もう楽しくて楽しくて仕方がなくなっている。
 女の子はフンと鼻息も荒くその棺桶に歩み寄り、宝箱を開けるようにパカリと蓋をあける。

 そうして、棺桶の中身をしげしげと見つめ、確認した女の子は、こう言った。

「お姉ちゃん、お寝坊さんねぇ。もうお昼過ぎだよ? ママが焼いたクッキー食べる?」


 ……いや、嘘や冗談ではない。
 棺桶の中で眠っていた私に向かって、あの子はそう言ったんだ。

 私も随分と長い間生きて来たが、『お寝坊さん』呼ばわりされた挙句、クッキーを勧められたのは初めての経験だったよ。
 あと、人間の所業に対して、「……えぇ〜?」という戸惑いの言葉を発したのも、初めてのことだったな。

 念のために断っておくが、普段はいかなる状態にあろうとも、この私が館への侵入者に気付かないなどという事はない。絶対に、ない。
 頭の悪い反魔物国家やヴァンパイアハンター用の罠と結界も、きちんと整備してある。

 そう、きちんと整備も準備もしてあったんだ。
 けれども、あの子はそれら全てを無邪気に踏み越えてやって来た。
 いや、無邪気だからこそ、何の悪意も害意も持っていなかったからこそ、あの子は私の所まで辿り着いたのだろうな。

 全く、意味がわからない。
 こんな子供は、人間は、初めて見た。
 だから私は、眠りを妨げられた不快感も忘れて、こう言ったんだ。

「フっ……ふふふふ……そうだな。確かに、随分とお寝坊さんだ。では、クッキーのためにお茶を煎れようか?」

 付け加えて言うなら、この二時間ほど後、街へ買い出しに出かけていた夫が帰って来たのだが……ダイニングで黙々とクッキーを齧っている私達を見て、すっかり目を点にしていたよ。

 まぁ、当然だな。
 いつもはぐっすり眠っているはずの真昼間に、きちんと起きている私。
 そんな私の傍らにちょこんと座り、美味しそうにクッキーを頬張っている見ず知らずの女の子。
 さらに、テーブルの上にはとっておきのお茶と来客用のティーセット。

 そんな状態を一発で理解しろと言われても、これは完璧に無理な相談だろうから。


 とにかく、そんな風にして、あの子と私は出会った。
 そしてすぐに、あの子が特異な資質の持ち主である事に気が付いた。

 いや、“特異な資質”と言っても、魔法が使えるとか、神の声を聞けるとか、そういう類の話ではない。言葉にすれば、何だそんなものかと思ってしまいそうな事柄だ。
 だが……本物の力というものは、往々にしてそんな素朴な所に宿るものでもある。

 あの子が持っていた資質は、三つ。

 一つ目は、友達作りの天才であったこと。
 二つ目は、旺盛極まりない知的好奇心と行動力を持っていたこと。
 三つ目は、興味を持った事柄に対する学習能力が、異常なまでに高かったこと。

 そもそも、繰り返しこの館にやって来ること自体が、あの子の資質を証明しているんだ。

 あの子の家からこの館までは、それなりの距離がある。
 加えて、大人でも恐怖感を覚える程の、暗く湿った森を抜けて来なければいけない。
 おまけにその森には、色々な種類の魔物達が好き勝手に暮らしている。
 普通の子供なら三歩目で立ち竦み、七歩進んだ所で泣きながら戻って来るだろう。

 しかし、あの子は違った。
 どの季節であろうとも、いかなる天気であろうとも、ひと度「今日はお姉ちゃんのお家へ行く日!」と決めたなら、躊躇いもせずに突き進む。

 道中で出会った魔物にも自分から明るく声をかけ、いつの間にか仲良くなってしまう。
 ある時はハニービーと手をつなぎながら、またある時はグリズリーに肩車をしてもらいながら、はたまた別の時にはオーガと一緒に果物を齧りながら、あの子は家と館を往復していたんだ。

 そういえば、あの子の家は小さな診療所だったそうだな。
 医師の父親と、看護師の母親。
 いつもおおらかで優しく、それでいて腹の据わった図太い考えを持つ両親だったらしい。
 まぁ……『おおらかで図太い』とはいえ、少々娘を自由にさせ過ぎであったような気はするがな。


 あの子の両親と私達夫婦に共通点があるとすれば、本と知識を愛する心を持っていた、という所になるのだろうか。

 あの子の家には、絵本から辞典に至るまで、様々な本があった。
 そして、この館にも、私と夫が集めた多種多様な蔵書と、それを収める大きな書庫があった。

 ふふふ……初めて書庫に足を踏み入れた時のあの子の顔は、本当に面白かったな。
 「ここは一体なに!? 私にとっての天国なのかな!?」というような、歓喜と驚きを混ぜ合わせた、ものすごい表情を浮かべていたよ。

 あぁ、そうだ。あの子は、本が大好きな子供だったんだ。
 面白そうだと感じた本は片っ端から手に取り、わからない事があれば私と夫を質問責めにしたよ。
 その数と勢いには少々閉口させられたが、一度教えた事は、きちんと把握して学習していくんだ。そう、乾いた大地に水を撒いた時のように、スっと自然に知識を吸収する……そんな有様だったよ。

 だから、出会ってから七年が経ち、十二歳になったあの子がこんな事を言ったのも、必然の流れだったのかも知れないな。

「あのね、私、大人になったら、お医者さんになろうと思うんだ。それで、世界のあっちこっちを旅して、色んな人や魔物さんと会ったり、困っているみんなを助けたりしたいんだ。お姉ちゃん達に教えて貰った事とか、本で読んだ事とかを、実際にこの目で見て、確かめてみたいんだ!」

 その言葉を聞いた時、私の脳裏には羽を広げる小鳥のイメージが浮かんだよ。
 あぁ、この子は、己の資質を活かせる道をきちんと選び、羽ばたこうとしているのだな、と。
 
「それは、間違いなく素晴らしい事だ。自分が望み、信じた道を、思い切り突き進んでみれば良い。お前なら、きっと出来る。不安や疑問が湧いた時は、私達に何でも訊きに来い。今まで以上の質問責めにも、きちんと付き合ってやるから。この世界の広さと楽しさを、しっかりと学んでみろ」

 そう言った私に、あの子はとびきりの笑顔を見せてくれた。

 率直に告白すれば……あの時、私の胸の中には、我が子を見守る母親のような感覚があったのかもしれない。
 あの子は、私達から様々な知識と未来へのイメージを受け取っていた。
 それと同じように、私達はあの子から、子供と向き合い、育むというイメージを受け取っていたのだろう。

 その種族や性別、年齢を問わず、あの子は相手の懐にポンと飛び込み、様々な事柄を学び取っていく。
 だが必ず、自分が受け取ったものと同じだけの何かを、相手の心に残していくんだ。
 それもまた、あの子が持っていた“特異な資質”の一つと言えるのだろうな。


 さて……今日は夫と共に、とびきりの葡萄酒を味わいながら、空に浮かぶ月を眺める事にしよう。

 あの子との思い出は、とても一晩では語り尽くせぬ程、たくさんある。
 これからしばらくは、その一つ一つと丁寧に向き合う事にしよう。

 もちろん、グラスは三つ……あの子の分も用意して、な。



 《 彼女の青年期を知る、ワイバーンの話 》

 あぁ……そうなんだ。
 先生、天国へ行っちゃったんだ。

 うん……そうだよね。
 先生、人間だもんね。
 “寿命”というものに鈍感なのは、私達魔物の悪いクセだよね。

 あぁ……そうなのか。
 仕方ないけど、寂しいな。すごく、寂しいな。
 もう、先生には会えないんだね。
 「やぁ、元気にしてたかい?」って、訊いてもらえないんだね。

 やだなぁ……本当に、すごく、寂しいなぁ。


 私が先生と出会ったのは、二歳のとき。
 うん。物心も何もついていない、小さな子供だった頃だね。

 『魔物は、多少の事では怪我をしない。病気にも、滅多な事では罹らない』

 今の時代、誰もが知ってる常識だよね。
 特に、私達ドラゴン族の魔物は、“強大な力を持った上位の魔物”って奴でね。
 頑丈さと健康っぷりには、それなり以上に自信があるんだよ。

 けど、何事にも例外というモノはある訳で。
 子供の頃の私は、世にも珍しい【病弱なワイバーン】だったんだ。

 例えば、季節の変わり目には必ず熱を出す。
 食が細くて、いつもフラフラ。目もどんより。
 さらには、夜中に突然吐いたり、鼻血を出して痙攣したり。
 まぁ、割りと洒落にならない有り様だったんだよね。

 滅多に病気に罹らないという事は、病気になった時の対処方法がわからない、という事でもある。
 だから、父様も母様も、私の健康状態にはいつもハラハラしてたんだ。

 で、あの日の朝……私は、かつてない程の高熱を出してひっくり返っちゃったの。
 薬を飲ませても、すぐに全部吐き出してしまう。
 治癒魔術を使っても、半時ほどしか効果がない。
 呼びかけにも反応せず、時々手足を引き攣らせながら、意識を朦朧とさせている。

 後々に父様は、こう言ったよ。
 「さすがにあの時は、心が折れかけた。最早これまでかと思ったね」。

 でも、母様は諦めなかった。
 「医者を捕まえてくる!」と叫んで家の外へ飛び出し、旧魔王時代の姿で空へ上がったんだ。

 母様の愛情は本当に有り難いものだけど……落ち着いて考えれば、ちょっと無理があるよね。
 人間と魔物は、違う種類の生き物。
 だから、人間の医者を連れて来ても事態は改善しない。
 魔物を診る事が出来る医者もいなくはないけど、そういうのは大抵、魔界に居を構えてる。

 当時、私達家族が暮らしていたのは、魔界から遠く離れた山の中。
 そんな所に都合よく、魔物を診られる医者が通りかかる訳がない。
 病弱だった私のために環境の良い所へ引っ越したのが、ちょっと仇になったんだね。
 
 けど……やっぱり、何事にも例外というモノはある訳で。
 いや、この場合は“何事にも奇跡というモノはある訳で”と言うべきなのかな?


「旅の途中で一番強く死を覚悟したのが、あの時だったよ。だってそうでしょ? 街道の脇で足を痛めた旅人を介抱してあげてる最中に、旦那ともども恐ろしい姿のワイバーンに鷲掴みにされて、空へ連れて行かれたんだから。『残念! 私達の旅は、ここで終わってしまった!』ってメッセージが脳内に流れたよ!」

 ずっと後になってから、先生はそう言って笑ってたなぁ。

 うん。空へ上がった母様は、見つけたんだ。
 大きな荷物を背負った、旅の男女。
 その左腕に巻かれている通行証には、医者である事を示す注射器と包帯のマーク。
 「医者だ! 最早、一刻の猶予もない! あの二人に賭けるしかない!!」。
 母様は、そう思ったんだ。

 え? 上空から、そんな細かいものがわかるのかって?
 そりゃ、当然だよ。だって、私達はワイバーンだよ?
 どうして私達が、畏怖と敬意の両方を寄せられる空の王者であるのか……その辺りの事を考えてもらえば、簡単にわかるんじゃないかな。

 とにかく、そうして母様は二人を鷲掴みにしたまま家へと連れ帰った。もしくは、先生曰く「拉致して来た」。

 母様の目に狂いは無く、二人は正真正銘の医者であり、夫婦だった。
 医学アカデミーを一年飛び級で卒業し、種族を問わない医療の形を追求している妻。
 東方医学に精通し、既存のものとは異なるアプローチで人魔の健康を研究している夫。
 そう、母様は……いいや、私達家族は、そんな大当たりの二人を引き当てる事が出来たんだ。

 母様から開放された二人は、目を白黒させて軽い混乱状態に陥ってたんだって。
 だけど、父様から事情を説明されるとサッと表情を変え、速やかに私の治療を開始してくれだんだ。

 そして、三日間に渡る戦いの末、見事に私の命をこの世に繋ぎ止めてくれた……。
 全く、本当に、これを奇跡と呼ばずして、一体何と呼べば良いんだろうね!


 そんな先生は……よく笑う人だったなぁ。
 うん、本当にものすごく素敵な笑顔の人だったよ。

 旦那さんの方は、口数が少なくて、ちょっぴり照れ屋な男性だったね。
 そして何より、とても心優しい人だったな。
 穏やかな旦那さんと快活な先生の組み合わせは、まさにベストカップルって感じだったよ。

 何でも、医学アカデミーに入学して最初に目が合った瞬間、二人共“あっ……!”って思ったんだって。
 何故かはわからないけど、“自分はこの人と結婚するんだな”って、確信に近い不思議な感覚に包まれたらしいよ。

 で、事実その通り、二人はごく自然に交際を初めて、アカデミーを卒業するのと同時に入籍。
 その後、現場での三年半の修行を経て、様々な場所での医療活動と見聞を広げるための旅に出た……という話だったな。

 ちなみに、私達家族と出会ったのは、旅に出てそろそろ四年目になるかなって辺りのこと。

 二人は私のために旅の足を止めて、五ヶ月近くも面倒を診てくれたんだ。
 「手間を取らせて申し訳ない」と謝る両親に、二人は「いいえ、お気になさらずに。私達も、貴重な経験を積ませてもらっていますから」と言ってくれてね。

 西方と東方、それぞれの要素を組み合わせた二人の治療は、私の体から病気をガンガン追い出してくれたよ。
 さすがに細かい事は覚えてないけど、採血のための注射が怖かったのは、何とな〜く印象として残ってるなぁ。

 ……まぁ、それも後々、先生からツッコミを入れられた話なんだけどね。
 ほら、何せ私、ワイバーンだから。
 人間用の注射針だと皮膚に刺さらなくて、先生達も必死だったらしいんだ。
 だから、その時の先生達の顔や力んだ様子が、頭の中に変な形で焼きついちゃったんだろうね。

 いや、色々と苦労をさせちゃったようで、申し訳ないよねぇ。


 出会いの五ヶ月の後も、先生達は折に触れて私の様子を見に来てくれたんだ。

 先生達のお陰で私はもうすっかり元気になって、子供なりに空も飛べるようになってね。
 私が空に上った姿を初めて見た二人は、「すごいすごい!」って、両手を突き上げて喜んでくれたなぁ。

 私は、本当に先生達の事が大好きだったんだ。

 二人は私にとって命の恩人であり、格好良くて面白いお姉ちゃんとお兄ちゃんであり……。
 うちへやって来て泊まって行く度に、「旅のお話を聞かせて!」って、せがんだもんだよ。
 すると二人は、「もちろん!」と言って、色々な出来事を面白おかしく話してくれるんだ。

 世界は、とてつもなく広いということ。
 そしてその世界には、様々な人間や動物、魔物達が暮らしているということ。
 時に助け合い、時にぶつかり合いながら、その数え切れないほど多くの命が輝き続けているということ。
 そんな大切な事柄を、私は先生達から学んだんだ。

 あ……ふふふ……。
 そう言えば、『やきもち』という感覚を知ったのも、先生達を通じてだったなぁ。

 先生達は旅の中で、私のような子供を数多く救って来たんだ。もちろん、人魔を問わず、ね。
 で、その子供達にも、私と同じ様に色々な旅のお話を聞かせてあげていると知って……私は、プ〜っと膨れちゃったんだよね。
 「そんな、酷い! 先生達は、私だけの先生達なのに!」って。

 まぁ、子供らしい無邪気な嫉妬と独占欲だけど、あの時の先生達の困ったような顔は、今もはっきりと覚えてるよ。
 あと、「みっともない事を言うんじゃない!」という母様の叱り声と、おしおき頭突きの激痛もね。


 ん? 私が病弱だった理由?

 それは結局、ある種の細菌のせいだったみたいだね。
 人間には何という事はないけど、魔物の体内に入ると稀に大暴れする厄介な奴らしいよ。

 え? そんな細菌、図鑑や辞典には載ってないって?
 うん、そりゃそうだよ。
 だって、その細菌の存在も仕組みも、先生達が全て解き明かして、もう完璧に対策できるようになってるんだから。

「細菌を見つけました〜って、手柄を自慢する気はないよ。徒に魔物さんを不安にさせる必要もないしね。あと、開発した薬は、親魔物国家や中立国では普通に売られてるよ。流通には、とあるバフォメットの力を借りたけど、もう万事問題なし。君の治療を通じて、一つの病気を撲滅できたのさ」

 本当なら凄い事をしたはずなのに、先生はずっと後になってから、サラっとそう言って笑ってたよ。
 その気になれば、相当なお金や名声を得られたかも知れないのに、そういうのには全然興味が無い人だったからなぁ。
 何と言うか、つくづくドえらい人だよねぇ。


 さぁて……それじゃあ今晩は、力の限り空高くまで飛んでみようかな。
 天国へ行った先生達に、今の私の姿を見てもらえるように。

 あぁ、でも、途中で泣いちゃうかもしれないな。

 実は私、来月に【お祖母ちゃん】になる予定でね。
 そう、孫が生まれるんだ。
 だから、孫の名前を先生に考えてもらえないかなって思ってたんだけど……うん。
 その希望は、叶わなくなっちゃったね。

 あぁ、でも、先生ならこう言うかもしれないな。

『可愛い孫の名前は、お祖母ちゃんである君が考えてあげなきゃ。新しい命の誕生に立ち会い、名を授けてあげる事は、何物にも代えがたい素晴らしい経験なんだからね』

 誇り高き、一人のワイバーンとして。
 尊敬する父様と母様の子として。
 愛する夫の良き妻、大切な娘の良き母として。
 そして、抱え切れないほど大きな感謝を寄せる先生達に救ってもらった、一つの命として。
 今までも、これからも、私は一生懸命に生きていくよ。

 あと……生まれてくる孫には、絶対に先生達の話をしてあげたいな。
 笑顔で世界を歩いた、とてもとても素敵な人間さんのお話を、ね。



 《 彼女の壮年期を知る、バフォメットの話 》

 棺の中の奴は、穏やかな顔をしておったよ。
 口元には、うっすらと微笑みの様なものもあったな。

「まったく、素直にワシの言う事を聞いていれば、若々しい姿のまま不老長寿になれたものを。こんな皺くちゃの婆さんになった挙句、あっさりと天へ旅立つ道を選ぶとは。今も昔も、お前さんは大馬鹿者じゃのぅ」

 永遠の眠りの中にある奴に、ワシはそう言ったよ。

「じゃが……お前さんの顔の、何と安らかで美しいことよ。己の命と信念を誇り、真っ直ぐに生き抜いた人間の年輪とは、ここまで神々しく見えるものなのかのぅ」

 ワシは、奴の顔にそっと手を触れた。
 もしかしたら……いや、絶対にそんな事は無いとわかっておるのに、奴が「くすぐったいよ」と笑いながら目を覚ましそうな気がしての……。

 奴の顔は、冷たかった。
 命の灯火は、消えていた。
 湿っぽい事が嫌いだった奴のため、意地でも泣くまいと決めておったが……ダメじゃったな。

 ガンと頭を殴られたような気がして、鼻の奥がツンと痛くなって、体が勝手に震え始めて。
 ワシは、泣いたよ。奴のために、泣いたよ。
 あれほどたくさん、心の底から泣いたのは、いつ以来の事だったか。

『ほら、天下御免のバフォ様が、そんなに泣いてどうするの。しっかりしなきゃ!』

 どこからか、そんな奴の声が聞こえたような気がしたよ。


「ほぉ。これはまた、明確な意志と活力に溢れた奴じゃ。とても五十近くには見えんのぅ」

 初めて奴の姿を見た時、ワシは素直にそう思った。
 人間の中には、十代にして既に老い始めているような輩もおるが、奴の体からはピチピチと弾けるような熱いオーラが漂っておったよ。
 もともと童顔気味の奴ではあるが、とても三人の子を持つ“肝っ玉系 お医者様母ちゃん”には見えなんだなぁ。

 夫と共に世界中を歩きまわった奴は、四十の始めに一旦その足を止めたんじゃ。
 いや、別に足腰を痛めたとか、病気を抱えたとか、そういう理由ではない。
 ……そもそも、旅をしながらきっちり一男二女を産んで育てる様な奴なんじゃから、病気の方から逃げて行きおるわい。

 まぁ、要するに、奴はこう考えたんじゃな。

・魔物さんは、もう少し健康や病気に対して注意を払うべき。
・人間は、もう少し健康や病気に対して、正しい知識と行動規範を持つべき。
・つまり必要な事は、健康に関する啓蒙活動と、より良い医療の体制を構築・再編すること。
・加えて、種族や身分に関係なく、誰もが適切な医療を受けられる環境を整備すること。

「だから、ここらで旅の荷物を下ろして、きちんとした組織で仕事をしてみようと思ったの。幸い、親魔物国家や中立国家の医療機関から、色々と面白そうな契約要請も受けてた事だしね」

 ……という事で、奴は自分達夫婦の力を必要とする、あちらこちらの医療機関に籍を置き、様々な物事の改革と構築に乗り出したんじゃ。

 奴と関わりを持った面々に話を聞いて来たのなら知っておろうが、とにかくアレは人や魔物の心にスッと入り込む天才でな。
 その上、方方を旅して様々な治療術を学び、それを患者の種族を問わずきちんと実践できる一流の医者ときている訳じゃから……その成果の見事さたるや。

 例えば、『人魔:新生児〜三歳児 検診制度』・『人魔:定期予防接種制度』・『人魔妊娠講習会:素敵な夜と、こんにちは赤ちゃんの集い』・『人魔子育て支援・相談:母ちゃんの会』・『人魔共同企画:敬老健康診断/お年寄りを大切にする会』などなど、奴が始動させた事柄を数え始めればキリがない。

 さらに奴は、派閥や学閥といった無意味なものもアッサリと破壊してのぅ。
 態度ばかり大きくて無能な連中を上手にあしらいながら、高い能力と前向きな力を持った中堅・若手の医師や看護師を積極的に登用したんじゃ。
 残念ながら親魔物国家の中にも、身分や家柄を理由に差別的な処遇をする病院があっての。
 奴は、旅の中で、色々と思いを巡らせておったんじゃろうのぅ……「人の価値は、そんな事で決まるようなものではないはずだ」とな。

 じゃからこそ、奴は振るうべき場面では、ガンガンと大鉈を振るったんじゃ。
 当然、そんな奴の事を疎ましく思う輩も居った様じゃが、患者の支持は上がり、病気の率は下がりという中では、反旗を翻す訳にもいかんわなぁ。

 いや、まったくもって痛快な話じゃよ。うむ。

 で……そんな風にあっちこっちで活躍しておった奴の噂が、ワシの耳にも入っての。

 「どれどれ、一体どんな奴かの。ちょいと冷やかしてやろうかい」と思って見に行ってみたんじゃが、これが予想以上に愉快な女での。

 ふと気が付けば、奴の夫も交えて、三人で杯を酌み交わすような仲になっておったわ。
 クククっ……そうじゃ。
 このワシもまた、奴の天才的な『人たらし。魔物たらし』の力にやられてしもうたのよ!

 奴は、ワシの事を気軽に「バフォちゃん、バフォちゃん」と呼んでの。
 ある時は人と魔物の未来について真剣に語り合い、またある時は反魔物国家の阿呆共を盛大になじり合い、はたまたある時は……まぁ、よい子には聞かせ辛い、女の秘め事について濃厚に語り合い、としてな。
 今思い返してみても、どうしてかと不思議に思うほど馬が合って仕方がなかったんじゃよ。


 そんなある日のこと……いつになく真剣な顔をした奴が、こんな事を言いおった。

「ねぇ、バフォちゃん。折り入ってお願いしたい事が二つあるんだけど、聞いてくれるかな?」
「お願い? ふむ。ワシに出来る事かの?」

 そう聞き返したワシに、奴は深く頷いて答えた。

「うん。これは、バフォちゃんにしか頼めないと思う」
「ほぉ。何じゃ? 言うてみよ」

 すると、奴は微笑んで「ありがとう」と応え、こう説明した。

「一つは、私が開発した魔物さん用の薬を、親魔物国家や中立国家の流通に乗せて欲しいの。私も手を尽くしてはいるんだけど、色々と行き届かない部分があってね」
「ふ〜む……なるほどな。サバトの行動力と情報網、縁故関係の広大さを活かして欲しい、という事かの。それなら、ワシが一声かければあっという間じゃ。任せよ」
「さっすがは、バフォちゃん! 完璧! 素敵!」

 ワシの返答に、奴は破顔一笑。
 バシバシと背中を叩かれたのは痛かったが、魔物達の健やかな日々のためなら、お安い御用じゃった。

「で、もう一つは何じゃ?」
「うん……あのね」

 残る一つの願いを訊ねると、奴はギュッと眉にシワを寄せた後、意を決したように口を開いた。

「私を、王魔界の魔術研究棟へ連れて行ってくれないかな。魔物さんが罹る病気をやっつけるためには、人間界の資材では足りない部分があるの。無茶なお願いだとは思うけど……どうかな?」
「ん〜む。なるほどのぅ……確かに、あそこなら研究も開発も、大いに捗るじゃろうが……」

 確かにそれは、無茶な願いと言えた。
 魔界にもチラホラと噂が流れている凄腕の医者とはいえ、魔物化する意思もない普通の人間を王魔界の魔術研究棟へ連れて行く。
 魔物に対して友好的な人物や国々は大歓迎ではあるが、王魔界は様々な意味において桁違いの場所……さすがのワシでも、すぐに言葉を返す事は出来なんだ。

「…………」
「…………」

 奴は、右手を顎にやって考え込んでいるワシの顔を、そっと見つめた。
 ワシはその視線を感じながら、あれこれと考えた。

 そうして、たっぷり十五分ほど沈思黙考した後、ワシはこう返答した。

「お前さんは、人間にとっても魔物にとっても必要な人材じゃ。準備にひと月ほど掛かるが、その願い、このワシが何とかしてやろうではないか!」
「やったぁっ! ありがとう、バフォちゃん!! 大好きよっ!!!」

 ニッと笑いながら言ったワシに向かって、奴は歓喜の雄叫びを上げながら飛びかかって来よった。
 そして、ワシをその胸に掻き抱いて、頭をグシャグシャと撫でてのぅ……。
 まったく、ワシの方が奴よりも遥かに年上じゃというのに、まるで母にお手柄を褒められる娘の様な有り様じゃったよ。

 ……ま、あれはあれで、なかなか愉快な体験ではあったがの。


 そうして、奴とその夫は王魔界での研究生活を始めた。

 二人の左手首には、赤と紫のブレスレットが一本ずつ。
 何を隠そう、それこそが奴をひと月待たせた理由……“バフォ様特性 : 濃密な魔力に当てられても大丈夫だよブレスレット”じゃ。
 あ? ネーミングが安直すぎる? まぁ、そんなものはどうでも良いではないか。
 肝心な事は大層な名前ではなく、その物の効果にあるのじゃからな。

 何ゆえ、奴が魔物になる事を望まなかったのかは別の者に語ってもらうとして、ワシはそのブレスレットを作り、王魔界に話を通し、二人が集中できる環境を整えたんじゃよ。
 ワシがやった事は、ただそれだけじゃ。

 その後、二年三ヶ月に及ぶ研究生活の中で、奴ら夫婦が作り出した薬と、解明した病の仕組みの数々は、今も多くの魔物達を健康で幸せな日々へと導いておるのじゃ。
 その努力と功績を讃え、【王魔界特別勲章】が授与されるという話も出たんじゃが……奴らは二人揃って、それをやんわりと辞退しよった。

「私達夫婦にとって真の勲章とは、人間と魔物さんが日々を仲良く、健康的に過ごす、その輝きの中にあるのです。ですから今回は、そのお気持ちだけを、ありがたく頂戴させていただきます」

 ……なんて、格好良い事を言ってな。
 
 あぁ、そういえば、勲章を辞退した直後に、奴ら夫婦の元へ魔王様直筆の手紙を携えた、使いの者がやって来ての。
 人の文を盗み見たり、根掘り葉掘り聞いたりする趣味はない故、それがどのような内容であったのかはわからぬが、奴の表情を見る限り、なかなか素敵な手紙であったようじゃ。

 本当に、善き哉善き哉、じゃな。


 さぁて、語りたい事は他にも山ほどあるが、今日はこの辺にしておこうかの。

 魔物に友好的な医者として大活躍し過ぎた結果、反魔物国家から“特級暗殺対象者”に指定されたり、実際にやって来たアサシンを何故か奴がボコボコにしたり、面白い話はいっぱいあるんじゃ。
 けれども……程々にしておかねば、天から奴の雷が落ちて来るやも知れんからのぅ。

 ん? 今、奴に声をかけるなら、何を伝えたいか、とな?

 そうじゃな、特別な事は何もない。
 『そっちはどうじゃ? 退屈はしておらんか? 先に逝っていた夫とは、無事に会えたか?』と、普通の調子で訊いてみたいの。

 奴は、己の生涯を濃密に駆け抜けた。
 ワシも、短い間であったとはいえ、その傍らを共に走った。
 じゃから、互いに後悔や思い残しは無いんじゃよ。

 あぁ、でも、一つ付け加えるなら、こうじゃな。


 お前さんよ。愛すべき大馬鹿者よ。

 随分と先の話になるだろうが、いずれワシもそちらへ行くじゃろう。
 その時は、またお前さんの夫も交えて、三人で大いに呑み、語らい、笑い合おうではないか。
 肴になる土産話は、これからこっちでたっぷりと作って行くから、心配するな。

 それでは、しばしの別れじゃ。
 またな。我が友よ。



 《 彼女の老年期を知る、リリムの話 》

 西の空に大きな星が流れた時、ハッと彼女の事を思ったわ。
 だから、大急ぎで彼女のもとへと向かったのだけれど……ね。

 惜しい人を亡くしたと思うわ。
 彼女は、人間にとっても、魔物にとっても、この世界そのものにとっても、大切な人だったのよ。

 私は、自分自身の行動や決断に、後悔の念を抱かない質なの。
 でも、彼女に関しては、話が別よ。
 本当に、つくづく、心の奥底から悔やんだわ。

 その結果として彼女に怒られる事になろうとも、恨まれる事になろうとも、彼女を魔物に変えておくべきだった、とね。

 もう……今思い返しても、重いため息を付いてしまうわ。
 不覚よね。痛恨の極みだわ。


 ところで、彼女の事をよく知っているバフォメットに、話を聞いた?
 うん……あぁ、そうなの。
 それなら、説明をかなり省けるわね。

 私が彼女と知り合った理由は、そのバフォメットが私達を引き合わせてくれたからなのよ。
 彼女には、「お前さんに負けないくらい、人間と魔物を愛しているお方じゃよ」と。
 私には、「時間を作って会い、話す価値のある、とても面白い人間です」と。
 それぞれ説明の上でね。

 先に結論から言ってしまえば、バフォメットの言葉は正しかったわ。
 彼女だけではなく、夫である彼も、とても豊かであたたかい、稀有な魂の持ち主だったの。

 初対面は、彼女の六十歳の誕生日。
 そこで私達は意気投合して、以来、折に触れて語らいの時間を持つようになったわ。

 そしてごく自然に、私は『彼女を魔物にしたい』と思うようになったの。
 彼女ほどの魂と積み重ねて来た素養があれば、上位の魔物にだって簡単に変化できる。
 それに、彼女が魔物になった上で彼と愛し合えば、彼もまたインキュバスとなって長い時間を生きられるようになる。
 そうすれば、二人はいよいよ最高の夫婦となり、医者となり、この世界の発展に大きく寄与してくれるはず……。

 だけど、彼女達夫婦の返答は「遠慮しておくよ」だったわ。
 いつどんな風に提案しても、誘っても、脅かしても、すかしてみても、やっぱり駄目。
 その気になれば、デルエラ姉様のように過激な手段を取る事も出来たのだけれど……それは彼女達の魂を汚すようで、やる気が起こらなかったのよ。


「人として生まれ、人として生き、人として死ぬ。それは私の定めであり、また一生を通じて行う実験でもあるのよ。だから私は、魔物にはならないわ。お願いだから、勝手に魔力を注入しないでね」

 魔物になれば、長い長い寿命を得られるわ。
 あなたの全盛期の姿と能力で、色々な事が出来るのよ。
 こんなお得な話は、なかなかあるものじゃないと思うけど?

 彼女の七十歳の誕生日に、私は改めてそう言ったの。
 でも、彼女は穏やかに微笑みながら、やっぱり私の誘いを断ったわ。

「つくづく、わからないわね。やっぱり、流石のあなたでも、魔物になるのが怖いのかしら?」
「怖い……えぇ、そうね。確かに、そういう気持ちもあるわ」

 押して駄目なら、少し変化球。
 私は、わずかに挑発的な目線で、彼女に問いを投げかけてみたの。
 だけど、彼女は何一つ動じること無く、素直に答えてしまったわ。

 そんな風にあっさり跳ね返されてしまうと、こちらとしては言う事が無くなってしまってね。
 唇を尖らせて肩をすくめた私を見て、彼女はクスクスと笑ったわ。

 そして、数秒の間をおいた後、こんな風に言ったの。

「人間はね、弱くて脆いものなのよ。どんな人間も、生まれた瞬間から死に向かって走りだすの。その運命は、絶対不変。どれほど上手く生きたとしても、百年と少しが限界なの。だから私は、人間のままでいたいのよ」

 私は、表情で『どういう意味?』と問うたわ。
 すると彼女は小さく頷いて、こう続けたの。

「私は、医者よ。でも、それだけが私の全てじゃないの。私は、生きて、老いて、死んでいく、ごく普通の人間。生きる事に喜び、死ぬ事に恐怖する、患者さんと同じ立場の人間。私は、患者さんと同じ運命を背負った命でありたいの。今も昔も、共に終わりを見つめる命でありたいのよ」
「……では、あなたから見て、私達魔物はズルくて腹立たしい存在?」

 意地悪な意味ではなく、言葉に笑みと洒落を乗せて、私は彼女に言ったわ。

「ふふふ……そうね。あなた達は、ちょっぴりズルいわ。私達よりも頑丈で、若くて、綺麗で、活き活きしてる。でも、この世界にあなた達がいる事にも、大切な意味があるのよ。私は、あなた達と出会ったり、触れ合ったり、笑い合ったり出来て、とても幸せよ」

 そこで彼女は言葉を切り、そっと瞼を閉じたの。

 彼女の誕生日は、真冬の季節でね。
 私は、彼女の家に招かれて、暖炉の前に置かれた二人がけのソファに並んで座っていたの。

 ゆらゆらと揺れる、暖炉の炎。
 その炎に照らされて、彼女の最愛の人……壁にかけられた旦那さんの小さな肖像画が、ふんわりと輝いていたわ。


 彼女は、事あるごとに言っていたわ。

「私一人では、今まで生きてこられなかったと思う。たぶん、どこかで命を落としてたんじゃないのかな。彼がいてくれたからこそ、私の人生は実りと彩りに満ちたものになったのよ」

 いつも快活で行動力満点の彼女に対して、夫である彼は物静かな印象の人物だったわ。
 だけど決して、女房の尻に敷かれたダメ夫、という訳ではなくてね。
 それどころか、間違いなく彼こそが、この世界で彼女の事を最も深く理解している最高の伴走者だったのよ。

「私が無茶をする。彼は黙って後ろから付いて来てくれる。私が何かに挑戦する。彼はきちんと最高のサポートをしてくれる。私が弱音を吐く。彼はそっと温かいお茶を淹れてくれる。そして、私が限界を超えそうになると……一言、『無理をしてはいけないよ』と止めてくれる。そんな人だったの」

 彼女達は、一歳違いの夫婦だった。
 彼女達は、お互いを深く信頼し、必要とし合っていた。
 けれども、運命は彼女達に別れをもたらした。

 彼女が六十二歳になった年、彼は突然の病でこの世を去ったの。

 彼の葬儀が終わった後、彼女は私やバフォメットにこう言ったわ。

「私ね、決めた事が二つあるの。一つは、これからの一ヶ月間を泣いて過ごすわ。彼を失った痛みで、今は心が張り裂けそうだから。泣いて、泣いて、泣き尽くすわ。きっと酷い姿になっちゃうだろうから、誰とも会わないし、会えないわ。申し訳ないけど、放っておいてね」

 これまで一度も見せた事のない複雑な顔で、彼女は笑ったわ。
 そして一つため息を付いて、こう続けたの。

「もう一つは、医者としての活動に一区切りをつけるわ。これからは現場でバリバリ働くのではなく、これまでの出来事や経験を本にまとめて行こうと思うの。後に続く誰かのために、少しでも役立つ何かを残そうと思うの。彼が死んでも、私が死んでも、ずっと残り続けるものを、ね」

 彼女の言葉に、私は「わかったわ」と応えた。
 同じようにバフォメットも、「お前さんの意思を尊重しよう」と告げた。

 今思えば……彼女なりに、様々な葛藤があったのでしょうね。
 彼のためにも、変わらぬ意志と姿で働き続けるべきと考えたのか。
 それとも、彼の居ない現場では、自分自身の能力を発揮できないと思ったのか。
 あるいは、心に迷いを抱えた状態で患者と向き合う事は、医師失格ではないかと迷ったのか。

 これらは、全て私の推測。
 だから真実でも正解でもないけれど、決して的外れな内容でもないはずよ。

 彼女の心の根っこにある、あの純粋で真面目な熱を思えば、なおさらに。


 その後の彼女は、言葉通りに一ヶ月の間、きちんと泣き通したわ。
 その結果として少し痩せて、一気に白髪も増えたわね。

 でも、二ヶ月目からは「さぁ、それじゃあ始めようかな!」と気合を入れて、精力的な執筆活動に入ったの。
 その内容は医学や旅行記に留まらず、文化・歴史・自然・芸術・気候・風俗などなど……まさに百科事典状態だったわ。
 顔を合わせると、「書き物疲れで目がショボショボするわ〜」なんて言っていたけど、とても楽しそうに頑張っていたのよ。

 彼女は執筆活動を通じて、二度目の旅を経験していたのかな。
 若き日の自分には分からなかった細かな出来事が、年齢を積み重ねた彼女の中で、明確な答えを持って浮かび上がっていたのかも知れないわ。

 もちろん、その旅の傍らには、彼女の最愛の人が、かつてと同じ様に寄り添っていたはずよ。
 彼女にしか聞こえない愛情溢れる声で、『大丈夫かい。根を詰めすぎてはいけないよ』と言いながら。

 そうして彼女が著した書物の数々は、親魔物国家や魔界において大切な作品として愛されているわ。

 そういえば、彼女は幼い頃から本が大好きだったそうだけど……まさか、お婆ちゃんになった自分が、その大好きな本を作る側になるとは、想像もしていなかったのでしょうね。

 ちなみに、彼女がペンを走らせた生原稿は、私とバフォメットが半分ずつ管理しているの。
 原稿用紙の欄外に、青や赤のインクで書かれた彼女の呟きが残っていてね。
 本には載らないその内容が、また面白くて愛しいのよ。


 ふぅ……じゃあ、そろそろ私は、用事があるのでこの辺で。

 実は明日、彼女の孫達が私の家へ遊びに来る事になっていてね。
 あの子達が大好きなお菓子を作ってあげようと思うの。

 ……あら、その顔はなぁに?

 リリムがエプロンをして、チビッコ達のために台所に立ってはいけないのかしら?
 私の優しさに文句をつけるとは、見上げた根性ね……って、フフフ。冗談よ。

 “歴史は繰り返す”という言葉があるけど、案外それは真実なのかも知れないわ。
 かつて彼女は、とあるヴァンパイアと出会い、世界と知識の広大さを知った。
 そして時が流れて、今度は彼女の孫達が、リリムである私と出会い、何かを掴もうとしている。

 未婚の私が、あの子達に何をしてあげられるのか。
 それは全くわからないけど、それでも何かを伝えてあげたいわね。
 空から見守る彼女達が、笑顔で「ありがとう」って言ってくれるような、何かを。

 さぁ、グズクズしてはいられない。
 そろそろ動いて行きましょうか!
12/10/07 04:42更新 / 蓮華
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■作者メッセージ
大変長らくお待たせいたしました。

何とか、ようやく、やっとこさの更新:二回目でございます。

前回から今回までの間に、公私とも色々な事がございまして。

特に、引越しに伴うドタバタと、パソコン不調に伴う
OSの再インストールが大変でした……。


などという言い訳はこの辺して、
『魔物と結婚した皆さんへ、50の質問 〜2〜』
第二回更新をお楽しみいただければ幸いでございます。

そして、いつになるかわからない完成を気長にお待ちいただければ、
これまたものすごく幸いでございます。何卒、よろしくお願い致します!

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