連載小説
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門出の章
 モーリスは、思わず聞き返す。

「おばさん…どういう事?おじさんがいなくなったって…」
「あの人、前に飲みすぎて、フラフラどこかへ行っちゃったことがあったでしょ…?」
「確かに、そんなことあったな…
 あれ以来、あんまり飲ませないようにしてたんじゃなかったんですか?」
「それが、ドラゴニアのお酒って、見た目よりも強いみたいで…
 ちょっとならいいと思って、好きにさせてたんだけど、気付いた時にはもうベロベロで…酔い醒ましをもらいに行って目を離した時には、もう…!」
「二人は山の中腹辺りの店で食事をしていたらしい。
 当然ながら、ガイドの竜騎士も一組ついていて、少し離れた席から二人を見守っていたんだが…隣の席にいた別の観光客の子供が、突然熱を出してしまったらしくてな。
 介抱と医者を呼ぶために、やむなく目を離してしまったそうだ。
 これを責めることはできない」
「そうだったんですか…」
「道なりに下りていけばこの竜翼通りだから、万が一と思って、君たちの所に来ていないか訪ねたんだが…やはり居なかったみたいだな。
 もちろん、ここに来る途中で迷った可能性もあるが…もしかすると、より上の方へ行ってしまったかもしれない…」
「の、登ったって言うんですか!?あの山を!」

 上の方は雲に覆われてよく見えないが、見える範囲でも、山の険しさは…そして、十分な備えなしに登るのは危険であることはすぐにわかる。

「竜翼通りからの登山道がいちばん安全だけど…それでも中腹からは、酔っ払った人がひとりで登れるような場所じゃあないよ。
 どこかでギブアップして休んでるんじゃないかな?」
「だとしても、それがどこか…だな。
 ドラゴニアの山々は、天然の迷宮と言われるほど険しく、また迷いやすい。特にこの中央の山は、その総本山と言ってもいい。
 ガイドの竜騎士のことといい、他の竜に見つかって止められなかったというのは、まったく運がいいのか悪いのか…」
「そんな…それじゃあ、あの人は…!?」
「我々が、必ず救助します。
 奥さん、旦那さんがいなくなったのを確認したのは、だいたい1時間前でよろしかったですね?」
「はい…お店に柱時計があったので、覚えています」
「大人の足で行ける範囲は…大体あの辺りか。
 いま妻が呼んでいるレンジャー部隊が合流し次第、すぐに捜索いたします。
 見つかるまで、あちらの詰所でお待ちいただけますか?」

 だがその提案に、おばさんは首を振る。

「あの…同行させていただくことは、できないでしょうか?」
「…危険ですよ?」
「わかっています。
 ですが…元はと言えば、ちゃんと夫を見ていてあげられなかった私の責任です。そのために夫が危険な場所にいるかもしれないのに、黙って待っているなんて、あまりにも…
 お願いします。何か、お手伝いをさせて下さい!」
「…旦那さんを、大切に思っておられるのですね。
 ですがまずは、どうかレンジャー部隊をお待ち下さい。
 それまでに、よく考えて…それでも心が変わらなければ、私からも掛け合ってみます」

 しばらくして、レンジャー部隊がディンの母とともに駆け付けた。
鍛え抜かれた体を持つ竜騎士とワーム達が、真剣な顔で一糸乱れず整列する様子を見て、おばさんは少しだけ安心感を覚えた。

「ワームたちは嗅覚が鋭く、また高い腕力を持ち、障害物の排除に長けています。
 遭難者は、空から探すよりも、彼女らが地上で探すほうが見つけやすいのです。
 …それでは奥さん、どうされますか?」
「……行きます!」

 おばさんの決心は堅かった。
ディンの父は頷き、おばさんを交えて部隊長らしき人物と相談し始める。
と、そこに…

「レンジャー隊…遭難者が出たのか?
 …って、おばさん!?いったい何が…!」
「あ…兄貴!?どうしてここに…!」

 飛んできたのは、兄ジョージと、それを背中に乗せるパールーであった。
地面に降り立ち、二人は事情を聞く。

「式の準備がようやく終わったから、お前と話がしたいと思って探してたんだが…
 そしたらここでの騒ぎが見えて、レンジャー部隊がいて、お前たちもいた。
 …いったい何があったんだ?」
「向かいのおじさんが、酔っ払ってどこかに行っちゃったんだよ!これから探すんだって…」
「ああ、そんな癖あったな…。
 あの人、深酒すると小さい子供みたいになっちゃうんだよな。
 村ならまだよかったのに…こりゃ禁酒だな、おじさん…」
「禁酒になる前に、このまま見つからなかったら…!」
「落ち着けよ。レンジャー部隊は優秀だ、必ず見つかるさ」

 おばさん程ではないが、モーリスも大いに心配していた。
そんなモーリスを安心させようと、ジョージは肩を叩く。

「モーリス。そのおじさんは、おそらく無事だろう。
 ドラゴニアの自然は厳しいが…変なところで優しくてな。遭難しやすいが、それで死んだという話はほとんどない」
「パールーさん…いや、お義姉さん…。
 …でも、心配だよ…兄貴は平気なの?」
「平気なわけあるかよ。
 俺達はあの二人に育てられたんだぞ?ちゃんと無事に、式に出てもらいたいさ。
 …そういえば、おばさんは何をしてるんだ?」
「自分にも捜索させてほしいって、あたしのお父さんと一緒に部隊と相談してるよ」
「一人でか?気持ちはわかるが、マミーを探してマミーになるようなものだぞ…」
「ガイドさん達もいるけど…山の上の方まで行ってたのなら、正直手助けは難しいよね…」
「オレも、力になってあげたいけど…」
「?…みんな、何言ってるんだ?力になればいいじゃないかよ。
 俺達4人も行くって言やあ、反対はされないさ」
「「「!?」」」

 さも当たり前のように提案するジョージ。
まるで、既にそう決まっていたことを再確認するかのような口ぶりだった。

「おいおい…まさか、黙って見てるつもりだったのか?
 手助けがしたいっていうなら、当然行くべきだろ。他に何かあるか?」
「…ああ…」

 モーリスは思い出した。昔から、兄はこういう人間だったということを。
ひとたび心に思ったのなら、その時からすでに、一直線に目標へ動き出しているのだ。
行動力の塊のような男…だからこそ、平和な村に退屈を感じて、その瞬間からもう計画を立てはじめ、そして旅に出てしまったのだということをモーリスは知っていた。
旅に出て、結婚しても、兄は兄のまま…それが、モーリスには嬉しかった。

「…うん。オレも、兄貴と一緒に行くよ。
 ディン…いいよね?」

 真っ直ぐな目で、ディンを見つめて言うモーリス。
一昨日、自分からディンを抱きしめに行った時に見たものと同じ目だった。
『やっぱり兄弟なんだな』と彼女は思う。その目を見て、反対できるわけもなかった。

「わかった。あたしも一緒に行く!」
「ディン…
 …仕方ないな、私も行こう。
 式の前に、大事な夫やその家族に怪我などされては敵わないからな」
「やっぱパールーは、なんだかんだで優しいよな♪」
「か、からかうなッ!!」

 ジョージが主導で、4人がおばさんに同行することをレンジャー部隊に掛け合ってみると、ようやく了解をもらうことができた。
最後におじさんを見た中腹の通りを起点に、範囲を上方と下方に分けて捜索するという話で、ジョージは躊躇いなく上方の捜索を志願する。

「でも兄貴、どうして上の方なの?」
「ん?なんとなくさ」
「えぇ…」

 ともかく、捜索に出発する時が来た。
パールーの背中、ジョージの後ろにおばさんを同乗させ、中腹の通りに向かって急いで飛ぶ。
捜索拠点となる詰所に到着すると、遭難者の捜索方法の説明を受けた後、光源となる魔法の松明が三本配られた。
兄弟とパールーがそれを持ち、彼らは教わった通り、登山道に沿って、おじさんの名前を大声で呼びながら登り始めた。

「気をつけろよ。
 一番安全な道とはいえ、崖に林に洞窟と、危険地帯がてんこ盛りだ。
 おまけにこの暗さ…はぐれたら、自分が遭難するぜ?」
「そういう事だ。疲れたり足を取られたりしたら、即座に言うんだぞ!」

 注意深く、しかし確実に進んでゆく。

「ジョージ…こうして地上を歩いていると、訓練生だった頃を思い出すな。
 こんな道を、鎧を着けて、教官に追い立てられて…」
「まったく、あれはいい思い出だったぜ…って、そんな昔でもないけど」
「だが、私には印象的だったぞ。
 なにせ…お前が教官の秘蔵の酒を盗み飲みしてくれたお陰で、私達は普通の竜騎士よりも、2倍たくさんの思い出をこの山で作らされたんだからな?」
「あ…あはは。兄貴のイタズラ好きも、変わってないね…」
「そうね。大きくなっても変わらないで…ある意味、安心したわ…」

 しばし和やかなムードが漂うも、おじさんは見つからない。
呼び続け、登り続けた疲れは、彼らの肉体に少しずつ溜まっていく。
捜索が始まってから、どれだけの時間が経っただろうか…

「ん〜…全然見つからないね…」
「ワームたちは飛べないから、発見し次第、持っている信号弾が打ち上げられる筈なのだが…それもないな」
「おじさん、一体どこまで行ったんだろう…」

 疲れと時間は、次第に焦りを生んでいく。
加えて、ジョージ・パールーは救助が本職ではなく、モーリスとディン、そしておばさんに至っては、救助活動などしたこともない。
『もしもこのまま見つからなかったら…』という考えが、声には出さなくとも、一行の心に蔓延しつつあった。
張り詰めた雰囲気に耐え切れず、モーリスは思わず声を上げてしまう。

「どうしよう…見つからないよ…!」
「落ち着け!焦ると余計まわりが見えなくなる。
 そうしたら、見つかるものも見つからなくなるぞ!」

 モーリスがつい洩らしてしまった弱音を、パールーが諌める。
しかし、他の者達もまた、疲労と焦りの色が濃くなっていた。

「はぁ…。姿を残す魔法や、熱くない魔法の松明なんてあるんだから、おじさんの居場所がわかる魔法とかもあればいいのに…」
「一緒に行くって自分で言ったお前が、弱音を吐いてどうするんだよ?
 キツいだろうが、おばさんはもっとキツいんだ。飛んでも意味がないディンちゃんもな。
 …今は、ひたすら地道に探すしかないぜ…」
「確かに、魔法にすがりたくなる気持ちはわかるが…生憎、そんな都合のいい魔法は、そう簡単には用意できない。無いわけではないが…捜索が完全に行き詰った時に使うものだ。
 ふぅ…いなくなったのがもしジョージなら、どこにいたって、私がすぐに……ん?」
「…どうしたの?」

 少しの黙考の後、パールーは口を開く。

「……ひとつ、妙案を思い付いた。
 いや…妙案というよりは、賭けだな。当たれば見つかるかもしれない」
「か、賭け…って、そんなあやふやな…!」
「だが、試す価値はあると思うぞ?現状、明確な手がかりも無いのだからな」
「そうだけど…!」
「落ち着け、モーリス。
 魔法じゃないが、手っ取り早い方法があるなら、まずは聞こうぜ」
「ありがとう。
 では…奥方。少しいいだろうか?」
「は、はい…?」
「これまで私達は、レンジャー隊から受けた捜索の指南に則って探してきた訳だが…ここはあえて、奥方の感覚に任せたい。
 あなたは、夫君がどこにいると思う?」
「えっ…?あの、言っている意味が…」
「根拠はいらない。なんとなく、直感で構わない。
 夫君のことを、強く思い浮かべて…なんとなく、どちらの方向にいると思う?」
「ええっと…」

 おばさんはしばらく考え…やがて、一つの方向を指差した。

「あちらの方…かと…」
「よし、そっちへ向かうぞ!」
「ええっ!?」

 熟練のレンジャー部隊のやり方でも見つからないのに、そんなあまりにも適当な方法で見つかるのか?
疑念の絶えないモーリスだったが、それを察したのか、ジョージが肩を叩く。

「大丈夫だ。ドラゴンってのは、大抵の人間よりも頭がいい。
 こんな時にデタラメをやるわけもないさ。俺のパールーを信じてくれ、な?」
「…わかった…」

 半信半疑ながらも、この『賭け』に乗るしかない。ディンとおばさんも同様だった。
おばさんが指し示す方向に、呼びかけながら進んでいく。登山道から大幅に外れても、ひたすら「なんとなく」の方向へ向かっていく。
進み続けて…最終的に辿り着いたのは、ある大きな倒木のある場所。
おばさんは、その下を指さした。

「…そこです。なんとなく、そこにいる気がします…」
「えっ…!?まさか、おじさん…この木が倒れてきて…」
「いや、この木はだいぶ前に倒れたようだ。苔が生えて、朽ちかけている。
 この木を肥料にして、周りの草も高く成長している…ん?」

 よく見ると、高い草の中に、掻き分けられたように折れ曲がった場所がある。
それらの草を、パールーが爪で刈ってみると、地面と倒木の間にくぼみがあり、そこに…

「…いた!?」

 おじさんは、正にそのくぼみの中で、小さく寝息を立てていた。
傷ひとつ見当たらない、無事な姿だった。

「ああ…あなたッ!!
 まったく、沢山の人に心配かけて…!」

 おばさんは、おじさんを強く抱きしめながら、がくがくと揺さぶる。
その刺激で、おじさんはうっすらと目を開いた。

「ん……?…あー…ここは…?」
「山の中だよ!おじさんが、酔っ払ってフラフラと…!」
「おお…モーリス。ジョージがどこか知らないか?」

 どこか夢うつつで、まだ酔いは覚めていないようだ。

「俺ならここだよ、おじさん…」
「ジョージ…立派になったなぁ。お前に会いたかったんだ。
 村一番のやんちゃだったお前が、いまや騎士様…
 お前はわしと、嫁と、天国のご両親と…村のみんなの誇りだ…」

 言いながら、おじさんは懐から、2つの懐中時計を取り出す。

「昔連れて行った街で、懐中時計、欲しがってたよなぁ…
 あの街まで行って、ヘソクリはたいて買って来たんだ…お前と、嫁さんに…」
「あ、あなた…そのために…?」
「バレちまったなぁ…こっそり渡すつもりだったんだ…
 ああ、『また無駄遣いして…』とかなんとか、小言言われちまう…」
「あなたったら…そんな大事な贈り物で、小言なんて言うわけないじゃないですか。
 一言言ってくれれば…!まったくもう…」
「へへ…やっぱり言われちまった…。
 さあ、受け取って…くれないか?大したもんじゃないが…」

 差し出された時計を、ジョージとパールーがそれぞれ受け取る。

「ありがとうな…おじさん」
「どんなものよりも、良い宝物だ。大切にさせていただきます」

 ふたりの満面の笑みを見ると…おじさんは、再び眠ってしまった。

「本当に…私がいないと駄目なんだから。
 もう何があっても、目を離したりしませんからね…ずっと…!」

 そんなおじさんを、おばさんはより一層強く抱きしめる。
さらには、おじさんの顔に頬ずりし、熱烈なキスまでしだした。

「わわっ…!まるで、何年も離れ離れになってた恋人みたい…
 …って、あれ?いくら見つかって安心したからって…おばさん、あんな事するような人だったっけ?」
「確かに、もっと落ち着いてた筈だが…まるで…
 ……あっ!?なるほど…そういう事か!
 ここに3日もいて、魔界の物も沢山食べてたら…確かに、そうなって当然だな…」
「そっか…それは思いつかなかったなぁ。
 そうするとむしろ、おばさんが来たからこそ、すぐに見つかったのか…」
「ど…どういうこと?どうして、あれで見つかったの?」
「フフン♪なに…あの奥方は、夫君の事を深く愛していた。
 見つけられた理由はつまるところ、それだけなのだ」

 納得するジョージとディン、そして考えが的中し、得意げなパールー。
おばさんも、おじさんの事しか見えていない現状で、モーリスだけが困惑していた。



 夫妻とともに捜索拠点に戻り、めでたく遭難騒ぎは解決。
レンジャー部隊も帰っていき、辺りはすっかり、元の町になった。

「本当に…本当にありがとう!あなた達にも、なんてお礼をしたらいいか…」
「お礼なんて水臭い、おじさんが無事なのが一番さ。
 それにもう、おじさんから懐中時計なんてもらっちゃったしな」
「オレたちも別に、お礼が欲しくてやったわけじゃないし…」
「レンジャー部隊のヒト達から、ご褒美に『竜の生き血』と、人気店の竜泉饅頭の詰め合わせもらっちゃったからオッケー♪」
「お二人が五体満足で出席していただければ、それで十分ですよ」
「…ありがとう…!」

 おばさんは何度も何度も頭を下げながら、おじさんを連れ、ガイドの竜騎士たちと共に旅館へ戻っていった。

「さて…ちょっと遅くなったが、二人とも、これから俺んちに来ないか?」
「兄貴の家に?」
「ああ。せっかく二年ぶりに会ったんだ、じっくり話そうぜ。
 手紙だけじゃ伝えきれない事…俺もお前も、いっぱいあるだろ?」
「…うん!」
「ジョージさんたちの家…ちょっと楽しみかも!」
「俺が言うのも何だが、あまり大した家じゃないぞ?景色はいいけどな…」

 そして兄弟は、それぞれの竜に乗り、ジョージの家へ向かって飛ぶ。
先程までおじさんを探し回っていた登山道を飛び越え、上へ、上へ…山頂付近を覆い続ける雲まで飛び越す。
雲海の上には、巨大な城がそびえ立つ一際高い山頂のほかに、頂点が島のように点在している。
その一つ一つに、栄えた都市が築かれており…ある頂点都市の中に、ジョージとパールーの家はあった。

「た…大した家、じゃないの!?これが!?大した家だよ!!」
「もっと大きな家なら沢山あるぞ。それに比べりゃ、小さいほうだろ?」
「確かに沢山あったけど…オレ達の家の大きさ忘れたの!?」

 ジョージ達の家は、故郷の村で兄弟が暮らした家よりも、倍は大きかった。

「まあ、三人子供ができても不自由はしない大きさだが…今後作りたい子供の数を考えると、少し不安だな。もっと大きな家に住めるように、貯金しなければ…」
「お義姉さんまで…贅沢すぎない!?
 えっ、竜騎士って、みんなものすごいお金持ちなの!?」
「そういう訳ではない。この程度の家なら、ドラゴニアでは無料なんだ。条件はあるがな」
「無料ォ!!?」
「ああ。
 なんでも、昔の偉い人間達が、使わないのにあちこちの土地を独占したり、別荘を建てまくったりしてて…そんで今は、そいつらがいなくなったせいで、土地も建物も有り余ってるんだってよ。
 この山のてっぺんの街だって、空き家がまだ沢山あるし、これからもっと増えるらしいぜ?」
「……」

 モーリスは、絶句するしかなかった。
毎日のように肉が食べられ、こんな大きな家が無料…ドラゴニアというのは、天国か何かなのだろうか。そう思わずにはいられなかった。

「さて…いつまでも家の前でしゃべってられないし、早く入ろうぜ」
「そうそう。おじゃましまーす♪」
「お、おじゃまします…」

 ディンに続いて入ってゆく。外部も豪邸なら、内部もまた豪邸であった。
広々としたリビングルームに、綺麗な台所、吹き抜けから見える二階の廊下、綺麗な花壇が見える庭に、地下室まで…
こんな立派な家が無料だなんて、神様のバチが当たるのでは?そう思ってしまう。

「さ、座れよ。俺の家なんだから、遠慮はいらないぜ?」
「うん…」

 リビング中央にある、大きく柔らかそうなソファー。
他の三人が遠慮なく座るそれに、モーリスはおずおずと腰を下ろす。
雲のようにフカフカだと感じたが、それがかえって落ち着かない。
その様子を見てか、ジョージは苦笑しながら言った。

「…まあ、なんだ。誰だってビビるよな。
 俺も、これまで旅してきて、こんなに豊かな国なんて見たことなかったしな」
「え…?」
「なに驚いてるんだよ?
 もしかして、俺が雲の上の人間になっちまった…なんて思ってたのか?
 まあ、雲の上には住んでるけどな。ハハハ!」
「…兄貴…」
「…言いたいことはわかるぜ。
 でも、信じてほしいのは…今はこんな暮らしだけど、故郷の村で暮らしてた時のことも忘れちゃいないってことだ。俺はずっと、お前の兄貴のままだよ。そう思ってる」
「……うん」
「この2年とちょっと…本当に、色々あったんだよ。お前もそうだろ?
 いいことも悪いことも、色々話そうぜ。さっきもらった竜泉饅頭でも食べながら…」
「あたしも聞きたいな。二人の事、まだ全然知らないし…」
「ああ、私もだ。ぜひ教えてほしい」
「…そうだね。
 旅してた時の事とか、沢山教えてよ、兄貴!オレも教えるからさ」
「おう。まず、旅に出てすぐの事なんだが…」

 兄弟は、時間を忘れて語り合った。
長く離れていて、知らないうちに開いてしまった互いの距離を埋め合わせるかのように。
二人の竜も、兄弟の話を、ひとつひとつ楽しげに聞いていた。
真夜中になっても話は続き…いつの間にか、皆、ソファーの上で眠ってしまっていた。





 そしてとうとう、結婚式当日。
会場は、初めてこの国に来た時や、兄の家に向かった時にも見えた巨塔…その名も『天の柱』、その頂上であった。
モーリスとディンが目覚めた頃には、すでに兄達はおらず…
急いで身支度をし、戸締りをして会場へ向かうと、そこには大勢の人が集まっていた。

「あんなに人が沢山…どこまで大きいんだろう、この塔…」
「すごいよね…。いつ誰が建てたのか、まだ誰にもわかってないんだって…」

 山頂にある城よりもなお高い塔の頂上は、何万人と入る闘技場には劣るが、何百何千という人が集まれる広さを持っていた。
外周には、見たこともないような美しい花が咲き乱れ、さながら巨大な空中庭園である。
中心部にはいくつものイスとテーブルが置かれており、そのさらに真ん中には、真っ赤な絨毯が伸びて、対になっている大きな鐘が据えられた小高い壇と、塔の下の階への出入り口を繋いでいる。
そこに、村人たちのほか、ジョージが旅先で知り合ったらしき人々、騎士団の面々、見物に来たドラゴニアの人々…人も魔物も、溢れんばかりの客が詰めかけていた。
皆、ジョージとパールーの結婚を心待ちにしているのだ。
その中に、モーリス達も降り立った。

『あっ…君がモーリス君かい?』
『会えてうれしいな!』
『もう誰か相手はいるの?…って、いるのね。ごめんごめん♪』

 新郎の弟ということで、モーリスも大勢の人に声をかけられる。
やっぱり兄は、沢山の人に好かれているんだな…と感じた。
自分がもし、結婚することになったとして…果たして、どれだけの人が祝福してくれるだろうか?そもそも自分は、結婚などできるような男だろうか?
口々にジョージを祝福する人々の中で、そんな事を考えてしまい、モーリスの心に再びもやがかかる。
兄と話をして晴れたと思っていたのに、どうやったらこのもやは晴れるのだろう?
結婚式のムードとは正反対の憂鬱な気持ちを抱える中、ディンと共に、最前列の席に座る。

「あはは…もう疲れちゃった?」
「うん…そうかも…」

 雲一つない空や、塔の周囲に広がる花、その周りに広がる地平線や水平線を見て、なんとか気持ちを落ち着けようとするモーリスだったが、うまくいかない。
そうしている中、隣のテーブル席に座っている男が、モーリスに話しかけてきた。

「モーリス君、だね?」
「はい。…あなたは?」
「僕かい?僕は、君のお兄さんの先輩のようなものさ」
「先輩…ですか…」
「もっとも、とっくに引退した身だけどね」

 その男のことを、上から下まで眺めてみる。
地味な男だ、と感じた。
モーリスも、自分の容姿に自信があるわけではないが…背は低く短足で、顔立ちも整っているとは言い難い。
雄々しい竜騎士よりも、どちらかというと、モーリスの故郷のような村で、畑でも耕しているのが似合うような…素朴な印象の男だ。
しかし、その立ち居振る舞いは、どことなく老成した説得力のある雰囲気を持ち、先輩という言葉には嘘は感じられない。

「今でもたまに訓練を覗いたりするんだけど、君のお兄さんとは、その時に知り合ったんだ。
 君のことについても、よく話してくれたよ」
「…兄貴はオレの事、なんて言ってたんですか?」
「自慢していたよ。一人でも頑張っている、自慢の弟だってね」
「そんな事を…?」
「そうだよ。
 あと…『自分はモーリスにとって、いい兄でいられただろうか』とも、しきりに言っていたね」
「……そう、ですか…」
「…どうしたんだい?さっきから、何やら浮かない顔だが…」

 表情の曇りを気づかれて、そんな事を尋ねられてしまった。
いけない。兄の晴れ舞台だというのに、弟の自分がこんな顔をしていてはならない。
そう思い、モーリスはとっさに平静を装いつつ、話題を逸らそうとした。

「こ、この席にいるって事は、兄貴に呼ばれたんですか?」
「そうさ。
君のお兄さんは、律義な人だよ。いつものように一般客に混じっての見物でよかったのに、こうして妻の分も特等席をとってくれたんだから…」
「…いつもの?」
「ん?ああ。
お兄さんに限らず、『番いの儀』がある日は、ほとんど毎回、こうして見に来るんだ。
 人も竜も、心から幸せそうに笑っていて、国中が新たな番を祝福する…
それを見ると僕も、毎回とても嬉しくて、幸せな気分になれるからね」
「毎回って…よく知らない人の結婚でも…ですか?」
「確かに、よく知らない人や、話したことのない人もいるけど…僕はこの国のみんなを、家族のように思っているよ。
 その家族が、今日まで平和に暮らせていて、幸せに結婚していく…
 多くの人にとっては当たり前のそれが、僕にはたまらなく嬉しいんだ」
「……よくわからないです」
「ははっ。まあ僕は、これでもかなり年寄りだからね。無理もない。
 知っているかい?昔…この地には、別の国があったんだ」
「あっ、ディンから少しだけ聞きました。その国が、カクメイ?で無くなって、今のこのドラゴニアになったって…」
「その通り。…今のこの国とは、まったく違う国だった。
強引な政治や軍備の拡大で、沢山の人や竜が苦しんで、死んでいって…なのにその死は、『国のための犠牲』という言葉で誤魔化される…ひどい国だった」

 かつての国の姿を思い出しているのか、男は悲しげに眉をしかめる。

「…僕はその国を知っているから、今の平和が、なおさら嬉しく感じるんだ。
 革命が成っても、新しい国を平和な国にするのは、とても難しいことだったからね。
戦いのとき、味方はもちろんだが、相手の命も『犠牲』にしていたなら…きっと、こんな光景は見られなかったことだろう」

 モーリスの隣で、男の話を聞いていたディンは…そこまで聞いて、何かに気づいたようだ。

「あっ!?も…もしかして、貴方は…!?」

 何かを言いかけるディン。
しかし男は悪戯っぽく笑い、ディンに向けて、自分の口元に指を立てて、しーっ…と口止めをする。

「ところで…君は、どうしてあんな顔をしていたんだい?
 お兄さんの結婚に、なにか不満があるのかい?」

 そして、話は戻ってきてしまった。もはや話を逸らす手段は思いつかない。

「…不満なんて、ないです」
「だが、こんな日には似合わない顔だよ。
 幸い、まだ式は始まっていない。その顔を式まで持ち込む前に、何があったのか言ってごらん?力になれるかもしれない。」
「………。
 …結婚式には、不満はないです。兄貴にも、お義姉さんにも、ディンにも、この国にもないです。
 不満があるとしたら…オレです。…オレがいることが、不満なんです」
「…君自身が抱えている問題、というわけか。
 よければ…話してみてはくれないだろうか?
 知らない相手だからこそ、かえって話しやすいということもあるかもしれない。
 僕はこれでも、口は堅いよ」

 目の前の男は、初対面なのに…何故か、自分の話を真剣に聞いてくれそうな気がした。
モーリスは、少しずつ…自分の胸の内を話していく。

「……まだ、オレが物心ついたばかりの頃。
 父さんと母さんが、事故で死んじゃって…小さいオレは、兄貴に育てられてきたんです。
 向かいのおじさんとおばさんも、色々と面倒見てくれたけど…オレはずっと、兄貴を見ながら育ったんです」
「うん」
「たまに喧嘩したり、からかわれたりもしたけど…オレの世話をしながら、村の子供たちのリーダーもしていた兄貴は、ずっとオレにとって、憧れの存在でした。
 兄貴はなんでもできて、悩んだりしなくて…兄貴の後ろについて行きさえすれば、オレの一生は、なにも間違いはない…そんな風に思ってたこともありました。
 でも…」
「現実は、そうじゃなかった?」
「…はい。
 大きくなっていったら…だんだん、そんな事はないし、それじゃいけないって事がわかってきたんです。
 例えば、兄貴が大きな病気にかかった時…オレは、慌てるばっかりで、なんにもできなかった。
 治ったからよかったけど…その時は、なんにもできない自分が情けなくて、苦しくて…たまらなかった。実際に苦しかったのは、兄貴の方なのに…」
「…そんな事があったんだね」

 笑ったり、変に励ましたりせず…男はただ、モーリスの話を聞き続ける。

「兄貴の足を引っ張りたくなかった。
 兄貴みたいに、自分で何でもできるようになりたかった。
 二年前、兄貴が旅に出るって言った時…『お前も一緒に来るか?』って言われたんです。
 でもオレは、足を引っ張りたくなかったから、行かないって言いました。
 自分で決めたことなのに、兄貴が出て行ったら、ずっと寂しくて…
 兄貴がいなくても大丈夫なようになろうとして、村のいろんな仕事をやらせてもらったけど、全然駄目で…
 こんなんでオレは将来、何かになったりできるんだろうか…って、ずっと考えてました。
 これからもずっと失敗ばかりで、一生、兄貴の足手まといにしかならないんじゃないか、って…」

 改めて自分を再確認し、モーリスの目から涙がこぼれた。

「話してくれて、ありがとう。
 …辛かっただろう?」

 返事はできない。
辛かった。でも、辛いと感じてしまう自分が嫌だった。

「君さえよければ…人生の先輩として、君の力になってあげたい。いいかな?」

 モーリスは、無言で頷く。

「ありがとう。
 まず…君は、どうして自分が失敗ばかりしてしまうんだと思う?」
「…兄貴の後ろで、努力なんてしてこなかったから…?」
「いや、僕の考えでは、それは違う。
 これじゃいけない…そう思うだけ思って、まったく何もしていなかったわけじゃないんだろう?」
「じゃあ、どうして…?」
「…君が、心からお兄さんに憧れている事は、これまでの話からよくわかった。
 おそらく君は…何かするときに、こう思っていたはずだ。
 『お兄さんみたいに、完璧にやりたい。
  でも、自分にそんなこと出来るだろうか?失敗したらどうしよう?』…とね」
「…!」
「図星だろう?
 君に足りないものがあるとすれば…それは自分への自信、もっと言うと『勇気』だ」
「…勇気…?
 でもオレ、意気地なしで、喧嘩とかも…」
「相手に立ち向かうことや、命を投げうつことだけが勇気じゃあない。
 間違いを認めて直すこと。新しいものや考えを受け入れること。
 失敗しても諦めないで頑張ること。誰かに優しくすること…
 すべてに、勇気が必要なんだ」

 まっすぐ、モーリスの目を見つめて言う。

「君はそれを、既に持っている。
 そうでなければ、いくらお兄さんが結婚するからって…竜の言葉を信じて、こんな竜だらけの国に行こうなんて思わなかったはずだろう?」
「……」
「いかに強い力があっても、力が弱くても。お金持ちでも、貧しくても。
 勇気を知らない者は、脆く、弱いものだ。
 時にはその弱さが、大きな悲しみを生んでしまうこともあり得る。
 勇気こそが、人間が持てる最大の力であり…強大な魔物である竜と共に生きるために、示さなくてはならない力なんだ」

 まるで物語に出てくるような言葉。だがそこには、何の誇張や陶酔も感じられない。
自分の信じていることを言葉にしているだけといった、ごく自然な口調だ。

「…そんな力が、オレにあるなら…どうして、今まで使えなかったんですか?」
「使い方を知らなかっただけだよ。
 勇気は、心の中に何か確たるものがあって、はじめて引き出せるんだ。
 夢を叶えたいとか、恋人を悲しませたくないとか…家族にまた会いたい、とかね」
「家族に会うため…」

 思えば、まさしくそれが、モーリスがドラゴニアへ行くことを決意した理由だった。

「実は…君の事は、一昨日すでに見かけていたんだ。
 君の隣のディン君が変身した時、僕も偶然、その場面を見ていてね。
 君が彼女を悲しませまいと抱きついたのを、しっかり見させてもらったよ」
「み…見てたんですか!?」
「あ、その後の事までは見ていないよ?そこは安心してくれ。
 とにかく…僕はその時、君の中に確かな勇気を見た。お兄さんに負けないくらいのね。
 ずっと、竜は恐ろしい怪物だとばかり思っていただろうに…その竜を信じてここまで来て、昨日の今日で、竜への恐怖を克服してしまうなんて、大したものじゃないか」
「そ、そんな…」
「僕としては…是非、君のその勇気を、ドラゴニアに貸してほしい。
 今後この国は、ますます発展していくだろう。人手はいくらあっても足りないんだ。
 お兄さんと共に、君も力になってくれたら嬉しい」
「…オレが……?」
「もちろん、強制はしない。竜騎士はあくまで、君が進むことができる道のひとつだ。
 他になりたいものを見つけられたなら、そちらに進むべきだし…故郷に帰って今まで通りに暮らすというのも、君の道だ」
「…でも…オレ、竜騎士なんて…」
「なれるわけがない、って?」
「……はい」

 しかし男は、そんな弱気な言葉を聞いても、優しく微笑む。
今のモーリスと同じような者は、幾度も見てきた…そう言いたげな顔だ。

「なにも、いきなり竜騎士として仕事をしろなんて言わないさ。
 君が『なりたい』という意志さえ示してくれれば、竜騎士団は、君を立派な竜騎士に訓練してくれるだろう。
 それに戦う以外にも、遭難者を助ける者、国の外と交流する者、君がやっていたように人々のお手伝いをする者と、色んな竜騎士がいるんだ。君も見てきただろう?
 扉は、誰にでも開かれているよ。
 槍など持ったこともなかった君のお兄さんが、こうして沢山の人に、英雄のごとく慕われているようにね」
「……」
「『なれるわけない』とは考えないで、『もしも、なれたら…』そう考えてみたら、どうだろう?
 もしもこんな所で、素敵な相手と、みんなに祝福されながら結婚できるとしたら…
 もしも自分に、お兄さんみたいな英雄になる資格があったとしたら…なってみたくはないかい?」
「…もしも、なれたら…」

『ご来場の皆様。これより、ジョージ様・パールー様の『番いの儀』を開始いたします。
 新郎と新婦を、どうぞ拍手でお迎えください』

 司会の竜(闘技大会と同じ竜だった)の宣告の後、会場の両脇に控えていた楽団が、入場の音楽を奏で始める。

「おっと、ついに式の始まりだ。
 長々と話してしまったけど…将来の事を考えるのは、後でいくらでもできる。
 今は君も、お兄さんたちの晴れ舞台を祝福してあげてくれ」
「…はい!」

 塔の内部と外部を隔てていた、大きな扉が開くと…
純白のタキシードを着たジョージに連れられて、同じく純白のヴェールと豪華なウエディングドレスを纏ったパールーが、ブーケを持ち、ゆっくりと歩いてきた。
会場は、音楽に負けないくらいの、雨のような拍手に包まれる。

「わぁ…見てよ、あの二人!綺麗だよねぇ…」
「うん。…すごい綺麗で、立派な恰好だ…」

 赤い絨毯を一歩一歩踏みしめて、二人は壇上に上がる。
司会が新郎新婦の簡単な紹介を済ませると、今度は壮年の竜騎士が、二人に祝辞を述べる。

「…あれ?あの、話が長い人じゃないんだ…」
「あの話が長い人は、あくまでお迎えのための部隊の隊長だから。
 ジョージさん達の所属してる部隊の隊長は、あの人なんだよ」

 祝辞が終わり、新郎新婦に宛てられた手紙も朗読され終わると、ジョージとパールーは互いに向き合う。
それと同時に会場は静まり返り、しかし、これから始まるなにかを皆が期待し、場のムードは最高潮に高まっているのを肌で感じる。
そんな中、モーリスは、先ほどの男に言われた言葉を思い出していた。

(……もしも……)

もしも、自分が竜騎士になれるとしたら。
もしも、国中の人々の助けになる力が、自分に備わっているとしたら。
もしも、尊敬する兄の後ろについて回るのではなく、肩を並べて働けるとしたら。
そして、もしも…

(オレが、兄貴と同じように、誰かとあの場所に…?)

 その様を思うと、それまで自分が見ていた式の様子が、違って見える気がした。

 隊長は、まずジョージに小箱を渡す。
中に入っていたのは、竜の爪をあしらったらしき首飾りであった。
今はブーケを持っていて見えないが、パールーの爪と同じ色をしている。
それを受け取ったジョージは、パールーの被るヴェールをめくり、その白い首に、首飾りをそっと掛けてやる。
終わると、パールーもまた、ブーケを一時的に預けて首飾りを受け取り、ジョージの首に優しく掛けた。
そして二人は、壇の奥にある大きな鐘の下まで揃って歩く。
二人一緒に、鐘から下がる鎖を持ち、揺らす。
竜の咆哮のごとく、荘厳に響き渡る鐘の音…
それはドラゴニア中に響き渡り、新たな番の誕生を知らせ、祝福しているようだった。

「おめでとう、ジョージさん、パールーさん…!!」
「おめでとう…兄貴、お義姉さんっ…!!」

 みな席から立ちあがり、拍手と祝福の言葉を、思い思いに捧げる。
しばらく歓声が続いていると、食事の時間を司会が告げた。
すると、まるで天上から食事が供されるかのように、沢山の竜が、金属の蓋が乗った皿を空から運んでくる。
新郎新婦の席を含めた、各々のテーブルにそれが乗り、蓋を開けると、とても美味しそうなご馳走の数々が現れる。
巨大なステーキ、色とりどりの魚介類、様々な果実の乗ったデザート…
それらが、モーリスの、ディンの、新郎新婦の、会場にいるすべての人々の前に取り分けられる。
会食がはじまった。
吟遊詩人の詩や、ジョージ達の知人が披露する余興をバックに、ご馳走を口へ運ぶ。
最高の美味であった。ディンなど、一言も発せず食事に没頭している。
一通り食べ終わった頃、ジョージとパールーは、お色直しのためにいったん退場した。

「あー…もう無くなっちゃった…おかわりとか貰えないかな…」
「ほんと食いしん坊だよね…ディンって」
「そういう女の子って…イヤかな?」
「い、嫌じゃないよ!食べてる時の顔、とっても可愛いし…」
「ふふふ…ありがとっ♪」

 それからしばらくして、食事の時間が完全に終わると、お色直しを済ませたジョージとパールーは、大勢の竜騎士とその騎竜達を伴って、再び現れた。

『皆様。これより、竜騎士団の凱旋パレードを開始いたします。
 指示に従い、今日この日の英雄ふたりをお見送り下さい!』

「さあ、これからが番いの儀の真骨頂だよ!
 あたし達や村のみんなみたいな主賓は、パレードに一緒について行けるの。特等席だよ♪」
「し、真骨頂…!」

 モーリスは唾を飲み込む。
会場には、取っ手らしき棒が四方に張り出した、大きく豪奢な台が運ばれてきた。
中央の床に置かれ、その上に、ジョージとパールーが揃って乗る。
そして竜騎士たちが、それぞれの騎竜に乗り込むと、そのまま取っ手を持ち、一斉に台を持ち上げた。
台の上で、二人は高らかに、古くからの儀礼に則った台詞を叫ぶ。

我等は今日この日、互いの絆の力によって、至高の宝を得たり!!

 ジョージは、天高く槍を掲げて。

皆の者!いざ陛下に、全ての民草に、我等の勲しを持ち帰ろうぞ!!

 パールーも、ブーケを掲げ、翼を大きく広げて。

オオオオォォォッ!!!

 そして全ての竜騎士達が、勝鬨の声を上げる。
楽団が勇壮な行進曲を奏でると共に、竜騎士達は羽ばたき、頂上を離れる。
楽団もまた、演奏をしながらそれぞれの竜に乗り、一緒に空の行進を始めた。

「さ、行こ!早くしないと、ついて行けなくなっちゃうよ!」
「う、うん!」

 モーリスはディンに乗り、ほかの主賓たちと共に、パレードについて行った。

 頂上を離れたパレードは、天の柱に沿って、緩やかな螺旋を描いて地上へ向かう。
塔を覆う雲を通り抜け、木の葉のようにゆっくりと、地上すれすれの高度まで降りる。
地上には、飛べないワームを騎竜とする竜騎士と、大勢のドラゴニアの人々が、パレードを待っていた。
ワームの竜騎士を加え、天の柱の麓から延びる石畳の道を突き進む。

「本当に、国中みんなが観てるんだ…!」

 竜翼通りをはじめとした街並みには、パレードの見物客が、途切れることなくどこまでも続いている。
あるものは建物の窓から、あるものは空から、またあるものは山から流れる川の中から。
みんなが新郎と新婦に向けて歓声を上げ、笑顔で手を振っている。
そしてジョージとパールーも、満面の笑みで手を振り返し続ける。
行進のルートに沿って、行列は、どこまでもどこまでも続く。

「…あっ、あれは…!!」

 その中には…モーリス達が泊まった旅館の従業員や、竜翼通りで見た店の面々、闘技大会の闘士たちや、なんと休憩場所を提供してくれた牧場の夫婦までいた。
みんな笑顔で、新たな人と竜の番を讃え、祝っていた。

「……っ…!」

 モーリスは、気付けば、涙を溢れさせていた。
負の感情ではない。自分の大好きな兄と、新しい家族となった義姉が、これほどまでに沢山の人々に祝福されて、結婚する…
そのことに対して沸き上がる熱く大きな嬉しさが、心から溢れてしまっているのだ。

「うっ…ふぐぅっ…!!」
「…ドラゴニアって、いい国でしょ?」

 ディンは、横目で笑っていた。
溢れるほどの嬉しさを感じたとき、人は笑う者と泣く者の二つに分かれるという。
モーリスは泣き、ディンは笑っていた。
横や後ろを見ると、向かいのおばさんは泣いて、おじさんは笑って…村人たちみんなが、泣いて、笑っている。
それらを含めて見守る長い長い笑顔の列は、ドラゴニアの街を一周し、美しい自然に満ちた山道にも続いてゆき、彼らに見送られながら、行進はゆっくりと山頂を目指してゆく。
険しい山を乗り越え、雲を突き抜け…最も高い山頂に鎮座する、女王の城へ。

「あそこが、パレードの目的地だよ!
 二人が、この国の女王様に会うの!あたし達も入れるよ!」
「お、お城の中に…それに、女王様も見られるの…?」

 ただの平凡な村人であるモーリスにとって、それは、身に余る光栄な事だと感じた。
緊張している内に、巨大な城門が開き、大広間まで行進が到達すると…そこで音楽は終わり、台は降ろされた。
どの場所をとっても、芸術作品のように美しい城内を、ジョージとパールーが、竜騎士団が、そしてモーリス達が、ゆっくりと歩き、玉座の間を目指す。
黄金と宝石をあしらった豪華な玉座には、息を呑むほど美しく…そして絶大なる威厳を纏った、燃え盛る炎のような緋色の鱗を持つ竜が座っていた。
彼女こそが、このドラゴニアを治める女王、デオノーラであった。
ジョージとパールーは、女王の前で片膝をつき、頭を垂れる。
女王は立ち上がり、二人に歩み寄る。

「…若き竜騎士よ。
 ここまでの長き道程を経て、武勲を持ち帰った事、まことに大儀であった」
「「勿体無きお言葉にございます」」
「叙任式で顔を見てから幾年月。其方らは、実に立派な働きをしてくれた。
 その働きへの報いとして…其方らがこれからも、この国に生きるすべての者の為に働くならば、私は其方らの絆が永劫のものとなるように守り続けよう。
 その為に今一度、その絆に偽りや揺るぎがないことを、我が前で誓ってほしい。
 面を上げよ!」

 二人は顔を上げた。
女王は、携えた剣を抜き、その剣の平で、ジョージの肩を優しく叩く。

「雄竜ジョージよ」
「はい!」
「これより其方の槍は、妻を満たし、子を成し、愛する者らを護るための槍となる。
 いかなる苦難が訪れようと、その槍を以て己が責務を果たし、
魂ある限り、妻に愛と忠誠を捧げることを誓うか?」
「…誓います!」

 迷いなく、女王の目を見据えて言う。
続いて女王は、パールーの肩を、剣の平で優しく叩いて問う。

「雌竜パールーよ」
「はい」
「これより其方の爪牙は、夫を抱き、子を抱え、愛する者らを護るための爪牙となる。
 いかなる苦難が訪れようと、その爪牙を以て己が責務を果たし、
魂ある限り、夫に愛と忠誠を捧げることを誓うか?」
「はい、誓います…!」

 パールーの返事もまた、迷いはなかった。

「それでは…誓いの証として、口づけをせよ。」

 立ち上がった二人は…優しく、しかし力強く、唇を重ね合わせた。

「…誓いの証、しかと見届けた。
 竜皇国ドラゴニア女王デオノーラの名において、ここに新たな番の誕生を宣言する!
 皆の者、この二人を讃え、祝福せよッ!!!」

 宣言と共に、国中すべてが、空の彼方まで届かんばかりの歓声を響かせた。



 こうしてジョージとパールーの結婚式は、つつがなく、幸せのうちに終わったのだった。
人々に見送られ、ジョージ達は彼らの家に帰ってゆく。新婚初夜を楽しむのだろう。
村人達には、旅館『針立島』の広間にて、盛大な酒宴が開かれることとなった。
東の国の、数々のご馳走に舌鼓を打ち、大人達は(向かいのおじさんを除いて)酒を酌み交わしながら談笑する。
ガイドの竜たちや、夫がいる女性陣はその場に残ったが、こういった酒宴の雰囲気が苦手な人や子供は、早々に退出した。
モーリスとディンも、その中の二人であった。

「ふーっ…。ああいうおじさん達の話って…入っていけないし、からかわれたりもするから苦手なんだよね…」
「じゃあ、二人だけでお話しよっか!」
「そうだね。どこか良いところ知ってる?」
「もちろん!」

 温泉宿をはじめ、東の国の様式の建物が立ち並ぶ竜泉郷だが、全ての建物がそうというわけではなかった。
独特の文化や、総じて強い東の国の『サケ』に慣れず、しかし竜泉郷の外まで行くのは遠くて面倒…そんな贅沢な需要もあるようで、竜泉郷外のスタイルを持つ酒場や料理屋もいくつか存在していた。
モーリス達が入った店も、景観を壊さず、うまく溶け込む外装を持ちながら、内装は竜泉郷外の趣を残している。

「どう?」
「うん、なんだか落ち着く…
 それに、けっこう静かだね」
「こういう静かな場所の方が好きなヒトもいるんだよ。
 当たり前って言えば当たり前だけど…」

 二人がけの席に座り、メニューを見る。

「どれにしよう…?」
「…そうだ。
 ねぇ、モーリス…今夜はちょっと、オトナになってみない?」

 ディンが指さしたのは、どうやらお酒らしかった。

「えっ!?…いや、ダメだよ。オレ、まだ飲んじゃいけない歳だし…」
「ドラゴニアなら、もうオッケーだよ♪
 この国はお酒も有名だから、ちょっとだけでも試してみたら?」
「う〜ん…じゃあ、一番弱いのを…」
「それじゃ、コレだね。
 すいません、『カシドラベリー』2つください!あとフライドまかいもも!」

 程なくして、赤く透き通った美しいお酒と、バターを落とした揚げたて熱々のポテトが運ばれてきた。

「それじゃあ改めて…ジョージさんとパールーさんに、乾杯!」
「乾杯!」

 二人は、静かにグラスを呷る。
モーリスにとって生まれて初めてとなるその酒は、すっきりとした葡萄ジュースのようで、とても飲みやすかった。

「ふふふ…どう?オトナになった気分は」
「美味しい…けど、大人になった気分っていうのは、よくわからないな…」

 しばしの間、二人は静かにお酒を飲み、ポテトをつまむ。
グラスは空になり、おかわりを注文して…先に口を開いたのは、ディンであった。

「なにか、考え事してない?」
「えっ…どうして分かるの?」
「わかるよー。これまでずっと一緒にいたんだもん。
 考えてたのは…やっぱり、あの男の人に言われた事?」
「…うん。
 これから、どうしようかな…って…」
「そういえば、昨日も言ってたね。どうなりたいんだろう、って…
 どうなりたいのか、まだわかんない?」
「うん…まだ、わからない…」
「じゃあさ、竜騎士になっちゃうのはどう?この国に住んじゃってさ。
 ほら、あの人も言ってたでしょ?勇気を貸してほしいって」
「…そんなに簡単に、決めていいのかな?」
「決めていいんだよ、きっと。ジョージさんもそうだったでしょ?」
「……」

 ここに至って、モーリスはまだ、未来を決断する勇気が出ないでいた。
これまで『失敗ばかりの臆病者』として生きてきた後遺症が、踏み出そうとする足を止めてしまう。
自分の不甲斐なさに、モーリスは泣きたくなった。

「あたしじゃ、力になれないかな?」
「…?」
「あたしが、あの姿になった時…キミが抱きしめてくれたこと。まさか忘れてないよね?
 あたしは…絶対に忘れないよ。あの時の、モーリスの勇気を。
 キミの中に眠っている勇気を出すために、あたし、お手伝いをしたいの」
「ディン…」
「…あたし、キミの事が大好きだよ。
 素直で、頑張り屋さんなキミの事が。
 どうなりたいのか、決められないのなら…あたしと一緒に、なりたいものを探さない?」

 昨夜言いかけた言葉を、ディンは今度こそ、はっきりと告げた。

「探して…くれるの?オレなんかと…」
「どこまでだって、一緒に探してあげる。この国じゃなくたって…どこでも。
 モーリス…、モーリスはあたしの事、どう思ってるの?
 …今でも、キミの中では、ただのガイドだったりするの?」
「……ううん。そんなことない」
「…じゃあ?」
「……好き、なんだと思う…。女の子として…」

 小さく、だがしっかりと、モーリスは答える。
顔が赤いのは、酒に酔ったせいか、恥ずかしいせいか…あるいは両方か。

「…ありがとう。
 あたし、キミに会えてよかった♪」
「オレも…ディンに会えて、本当によかった!」

 二人は席を立ち、お互いに抱きしめあう。
そんな様子を、静かに飲んでいた客たちも、微笑ましく見守ってくれた。



 それからしばらくして、二人は店を出て、旅館へ戻った。
戻ってくる頃には、大人達も、それぞれの部屋に戻っていた。
お互いに心が満たされていたからか、セックスはせず、ゆっくり温泉に浸かり、浴衣に着替えて部屋に戻る。
部屋の窓を開け、そこから覗く美しい満月を、二人で眺めた。

「…明日の朝で、ドラゴニア観光もおしまいだね」
「うん…。
 終わったら、ディンはどうするの?」
「もちろん、さよならじゃないよ。
 さっきも言ったけど、どこまでも、キミと一緒にいてあげる。
 村に戻って暮らすことを選んだとしても、絶対ついてくからね?」
「…ありがとう。
 …でも、オレの国では、魔物は悪者だよ?それでもいいの?」
「いいの。
 それに…ふふ。今から、ネタばらしをしてあげよっか」
「…ネタばらし?」

 いきなり、この場にそぐわない単語が出てきた。

「うん。もう、言っても大丈夫だと思うから言うけど…
 あたし達はね、キミの村を…村の人たちを、みーんな、その『悪者』にしたかったの。
 独り身の男の人は、あたし達とセックスして恋人になってもらって…
 女の人も、魔物に変えちゃって、旦那さんや恋人や現地の男の人とイチャイチャラブラブしてもらうために、招待状を送ってキミたちを呼んだんだよ」
「ま…魔物に!!?」
「そう。
 村の女の人たち…みんな、来る前よりも、若くてきれいになったと思わない?
 向かいのおばさんも、あっという間におじさんを見つけちゃったし…
 なんなら、ジョージさんが女王様に『雄竜』って呼ばれてたでしょ?
 番いの儀ができる条件は、人間をやめて、竜…つまり、魔物になることなんだよ」
「兄貴も魔物に…一体どうして、そんなことを!?」

 大いに驚いたが、モーリスは恐れたり怒ったりするよりも、まず理由を尋ねる。

「それは…ごめんね、まだちょっと言えない。
 でも、そのために番いの儀をやったんじゃあ、絶対にないよ。
 たまたまジョージさんが番いの儀をすることになって、それがいいタイミングだったから、ちょっぴり利用させてもらっただけ。
 あの二人は、ちゃんとお互いの事を愛して、結婚したんだよ。あたしがモーリスの事を大好きなのも、間違いなく本当…それだけはどうか、信じてほしいの」

 騙していたのか?
途中で一瞬そう聞こうとしたが、目を伏せるディンの顔には、あの巨大な姿を見せた時と同じような覚悟があった。すなわち、嫌われるのを承知で、すべてを明かす覚悟。
思えば…ディンはこの4日間、モーリスにイタズラはしても、観光中に嘘をついて騙すようなことは、一度だってなかった。
ディンはモーリスを襲ってくるが、それと同時に、素直な性格なのだ。
ならばきっと、村人たちを魔物と交わらせたり、魔物に変えてしまったりするのも、なにか理由があっての事なのだろう。

「…信じるよ。
 オレたちの村を壊したりするために、招待したんじゃないんだよね?」
「うん…。
 むしろ、竜騎士になってくれたジョージさんが生まれ育った村を、誰にも壊させたりしない…そのために、こうしたんだよ。
 竜騎士団と魔物達の力で、キミ達の国に近々起こりそうな『ある出来事』を止める…
 その足掛かりとして、村を使わせてもらいたいの」
「そっか…。そうなると兄貴は、村を守った英雄、ってことになるのかな?
 やっぱり、兄貴はすごいや…」

 月を見て、モーリスは兄に思いを馳せる。
将来への不安は消えたが、自分はやはり、兄のような英雄には敵いそうもない…そう思っている風だった。
ディンは、その横顔を見ていて…ふと、思いついたことがあった。

「…ふっ。
 ふ、ふふふ…」
「…?」
「あたし…いや、私がこの計画の、すべての黒幕だと言ったら…信じるか?」

 精一杯、悪い顔を作ろうとするディンだが…そんな顔など生まれてこの方したこともないので、妙なにやけた顔になってしまう。

「…いや、嘘でしょ。さっき自分で…」
「う、ウソではないッ!あた、私が、お前たちをここまで連れてきたのだ!
 お前たちの村の平和を守…いや、乱すためにな!」

 あまりにも下手な演技。しかも浴衣姿のまま。
流石のモーリスも『何やってんの?』というキョトンとした顔しかできない。

「村人たちは魔物に変えられ、大切なお兄さんさえ奪われ…
 そしてお前は、一生私の下で、情けなく犯され続けるのだあッ!!」
「あの…ディン?」
「え、え〜と…悔しかったら、勇気を出して、私に立ち向かってみろ!
 そうすれば、お前も兄のようになれるかもしれないぞ!」
「……!
 ああ。そうか…」

 ディンは、自分を勇気づけようとしてくれているのだ。
英雄としての気分を味わわせてあげようと、悪役を演じているのだ。
…致命的にヘタクソだが。
案内役の時も、今思うと、少々振る舞いに難があったが…今回は即興なので、さらにガタガタである。

「竜に目をつけられた以上、お前たちはもう、どこにも逃げられないのだ!
 大人しく、私にむぼさっ…むさぼり食われるがいい!!」

 浴衣を脱ぎ捨て、その美しい肢体と、竜の角や鱗を月明かりに晒す。
翼となっている両腕を、誘い込むように広げて、向かってくるのを待っている。
汗ばんだ肌は月の光で妖しく煌めき、乳房の大きさに反して上に尖った乳首や、無毛の陰唇からわずかに覗く湿り気を帯びた女性器の中身が、宝石のように存在を主張する。
それを見て、モーリスの持つ槍は、力を漲らせていった。

「お、おのれ…悪い竜め!よくもみんなを、許さないぞ!」

 拙い演技への情けか、酒がまだ残っているのか、モーリスは勇ましい言葉を口にする。
演技の出来はどうあれ…彼女たちはこうして人間の心の隙間に入り込み、おとぎ話の悪い竜がお姫様や宝物を奪ってゆくように、たやすく心を捕らえてしまう。
兄や村人達も、こうして竜に心を囚われてしまったのだということを、モーリスは言葉ではなく、心で理解した。

「ほう。何ができるというのだ?私は強いぞ…すごく、強いぞ!
 私を倒せたら、英雄になれるくらいにな!」

 やはり、竜は竜であった。知能が高く狡猾で、人間を襲う恐るべき怪物。
村に招待状が来た時点で、すでに村人たちは竜の顎(あぎと)に誘い込まれていた。
モーリスが、そうとは知らずに村人たちの手を引いて、その奥深くへと引き入れたのである。

「ふふふ…それでも尚、向かってくるか?ニンゲン…」
「そ…そうだ!
 逃げられないのなら、せめて…お前に、勝つ!!」

 ならばあの時、モーリスが勇気を見せたのは間違いだったのか?
…答えは『否』であろう。
その証拠に、兄の陰に隠れ、オドオドしていた少年モーリスは…このたった4日間で、いっぱしの『男』の顔になったのだから。

「その意気やよし!
 さあ、お前の勇気を見せてみろッ!!!」

 モーリスは勇敢に、目の前の竜に立ち向かっていった────





 それから一年。

「うわっ!?…あいたぁっ!!」

 モーリスは、やはり失敗続きであった。
今も、石床の上に派手に転倒してしまったところである。

「いてててて…またやっちゃった…」
『まだ脇が甘い!受け流したら、すぐ攻撃に転じるんだ!
 さあ立て、もう一回やるぞ!』
「は、はいッ!!」

 腹から声を出して石床から立ち上がり、モーリスは再び槍を構えた。



『よし、今日の実技はここまで!今日はこれから野外訓練だったな。
 今日教えた動きの反復も大事だが、くれぐれも騎竜をおろそかにするなよ!』
「はい。ありがとうございました!」

 たっぷりかいた汗を、寮に備えられた浴場で流し、しばらく広間で火照りを冷ます。

「今日も疲れたなぁ…」

 村人たちに見送られながら旅立ち、竜騎士に志願して、そろそろ一年。
モーリスは相変わらず、成功よりも失敗することのほうが多く、同期の訓練生にも頼りないなとからかわれている。
だが、かつて村にいた頃とは、大きな違いがあった。

「モーリス、おつかれッ!!」
「ディン!」

 どれだけ失敗しても、ディンがいてくれる。ひとりぼっちではない。
だからモーリスも気負うことなく、日々、失敗から学ぶことができていた。
これは二人の与り知らぬ話であるが…旅で培った力と知識で早くに竜騎士となってしまった兄よりも、熱意にあふれ、素直で教えやすいとして、モーリスは教官たちの覚えもよかった。

「会いたかったよ〜!」
「そんな大げさな…」

 ディンは翼で、力強くモーリスを抱きしめる。
他の騎竜も自分の竜騎士に対してよくやる、日常的行為だ。

「今日もみっちりしごかれちゃった?」
「うん。まだまだ直さなきゃいけない所はいっぱいあるなぁ…って思ったよ」
 ディンはどうだったの?」
「あたしもそう。今日もいっぱい練習させられて、もうヘトヘトだよー…
 まあ、ここに来るまでは、だけど♪」

 ディンもまだまだ、一人前の騎竜と言うには足りないところが沢山ある。
どんな仕事もそうであるが、竜騎士も、愛や夢さえあれば全て上手くいくという甘いものではないのだ。

「あはは…おつかれさま」
「あ、そういえば、さっきね…」
『おーい、モーリス!ディン!』
「あっ…兄貴!お義姉さんも!」

 ジョージ達夫婦は久々に、自分たちが過ごした寮へ遊びに来ていたのだ。

「調子は大丈夫?」
「ああ。毎日ジョージが励んでくれるおかげで、私もこの子も、すこぶる良好だぞ♪」

 パールーはそう言って、大きく膨らんだお腹を見せつけるように撫でる。

「まだ半年なのに、だいぶ大きくなりましたね…
 確か、もうすぐ卵が産まれるんでしたよね?」
「そのとおり。座学もしっかり身についているようだな。嬉しいぞ♪」
「この子の名前って、もう考えてあるの?」
「それが、まだ決まらないんだよな…。お前たちに決めてもらうってのもアリかな?」
「確かに…ジョージのセンスを考えると、それもアリかもな。
 なんだ『コング』とか『タイガー』って!娘につける名前じゃないだろう!」
「だって、強そうなのがいいって言っただろ?」
「兄貴…流石にそれは無いよ…」
「ないよね…」

 成長していくにつれ、それまで見えなかったものも見えてくる。
例えば…かつては何でもできると思っていた兄は、ネーミングセンスがまったく無いのだ。

「ところで…お前達はこれからどうするんだ?」
「これから野外訓練なんだ〜♪頑張った分、楽しんでくるよ!」
「そうか、感心感心♪」
「俺達は、まだ当分の間復帰できないから…
 こんなに熱心にやってるなら、戻ってきた頃には抜かされちまうかもな?」
「ジョージ…何を言ってるんだ、家で絆を深める訓練があるじゃあないか。
 もうすぐ父親になるというのに、そんな弱気な態度は許さないぞ!」
「おっと、そうだったな。
 悪いなモーリス、俺達もまだまだ成長してみせるぜ!」
「お、オレ達も負けないよ!」
「そうそう。負けないよ!夜もあたしに勝てるようになってきたんだから♪」

 憧れは、翼があっても槍を使っても届かない天上の星。
成功も失敗も、努力も楽しみも、大切な者と一緒に積み重ねてゆき…ようやく、それに手が届く。
かつては手が届かない憧れの存在と思われた兄夫婦は、今やモーリス達にとって目指すべき目標であり、良きライバルでもあった。
モーリス達は、その領域にまで登ってきているのだ。

「それじゃ、邪魔しちゃ悪いし…俺達ももう行くぜ。
 教官や仲間たちにも顔見せてやりたいからな」
「大体は家にいるから、また遊びに来るといい。この子と一緒に歓迎するぞ♪」
「ありがと!赤ちゃん生まれたら、絶対見に行くからね!」
「うん。またね、兄貴!」

 兄夫婦と別れ、二人は寮の門を出て、青い空の下で大きく体を伸ばす。

「さてと…今日はどこ行く?」
「もちろん、あの新しいパン屋さん!
 もうそろそろ行列も落ち着いてるだろうし、今日こそ絶対食べるの!」
「あっ、じゃあさ。買ったら『竜頭の丘公園』まで行かない?
 街を見ながら、ピクニック気分で食べようよ♪」
「おおっ、それ最高!さっそく行こッ!!」

 そしてモーリスは、ディンの背に乗って飛び立った。
二人は今日もまた、楽しみながら日常を積み重ねてゆくのだ。
憧れの兄貴達の背中を追いかけ、追い付き、いつか追い越すことを夢見て。

 
18/10/04 01:09更新 / K助
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■作者メッセージ
やっぱり9月中には終わらなかったよ…甲斐性ねぇ…
ドラゴニアが魅力的過ぎて、つい、あれもこれもと無計画に突っ込みすぎてしまうのです。…というのは、いつもの言い訳です。スイマセンでした…
『あの人』にずいぶんベラベラとしゃべらせてしまいましたが、実はあれがすごく書きたかったのです。
ずいぶんとクサいセリフかもしれませんが…ちょっと前に買った文庫版の小説(10月にアニメが始まる漫画のノベライズ)からインスピレーションを受けて、モーリスとあの人の会話シーンが最初に浮かんで、そこからぐんぐん膨らませて出来上がったのがこの物語なのです。ここまで膨らむなんて思ってもみなかったけどな!
全くもって稚拙ですが、私なりのドラゴニアとその旅行記、楽しんでいただけたでしょうか?いただけたなら幸いです。
それではまたいずれ…なるべく早いうちに…お目にかかれますように。
ここまで読んで下さり、誠にありがとうございました!K助でした!

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