連載小説
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赤と白のその後のお話
 この村には、数日に一度、市が立つ。
 近隣からやってきた人々が何かを売るために、あるいは買うために。森の近くにあるだけの何も無い村が、ただ色んな町の中間点にあるから、という理由だけで賑わいを見せる。
 そして、その賑わいは、人ならざる者の正体を覆い隠すために、大いに役立ってくれる。遠い東の国では、「木を隠すなら森の中」と言うらしい。

「ベラ、ちゃんと手をつなぎなさい。迷子になったら困るだろう?」
「うん」

 森の中で暮らしていたベラにとって、人ごみというのはそれだけでも、物珍しいのだろう。素直に手をつないではくれているものの、返事は上の空で、視線はあちらこちらに行ったり来たりしている。
 とは言え、大人である私も、物珍しさを感じないかと言えば、そうではない。どこから来たのか、見慣れない格好をした行商人たちも混ざる市には、何度通っても興味を惹かれる物が見つかり、子どもじみた楽しみを感じてしまう。

「ねえ、パパは、いつもここでお買い物してるんだよね?」
「そうだよ」
「ふーん……」

 意図の分からない質問をひとつ口にしてから、ベラは再び、視線をそこら中に投げる。
 ベラと森で暮らしはじめてから、随分と時が経った。日々は人を変えるもので、夜ごとに聞こえる獣の鳴き声にも、いつの間にか小屋に入り込んでいる大きな虫にも、今では驚かない。一方で、そう簡単に変えられないこともある。獣の肉さえあれば満足そうなベラとは違い、私は、焼いただけの獣の肉ばかりの暮らしには――今のところは――耐えられない。衣服も、いつまでも着ていればそのうち擦り切れ、駄目になる。そのまま着続ける気にはならず、繕うにも糸がいる。結局のところ、まだ私は人との交流を、最低限のやり取りを必要としていた。
 幸い、毛皮や薬草の類など、金銭に変えられるものは森でも手に入る。だから、時折、市に来てはそれらを売り、金に変え、必要なものを買っている。その間はベラに留守番をしてもらっていたのだが、そろそろ、土産でのご機嫌取りも限界だったらしい。
 この愛らしい娘が「ベラも一緒にいく」と言い出したのは、昨日のこと。頭の良いベラは、私を困らせるためには、毛皮を括るための縄を隠してしまえばいいと分かっていた。
 市にはたくさんの人がいるから、ベラにはこの小屋を守っていてほしいから、など理由を並べ立ててみても、ベラは「一緒にいく」とかたくなで、結局、私が折れることになってしまった。
 ベラは、精神にある種の歪みを抱えているものの、見た目は人間の少女とさほど変わらない。手足の傷跡や色を変える帽子も、「ちょっと変わっている」くらいで見過ごしてもらえるはずだ。
 私も覚悟を決め、いざとなれば二人で森に逃げ帰るくらいのつもりで市に来たものの、この場所の空気は、私たちを上手いこと受け入れてくれていた。

「……パパ、あれ、お肉?」

 買い込んだ安い布を紐でくくっていると、ベラが言った。
 布を背負って立ち上がり、ベラの視線の先を追うと、そこでは縦に吊るされた巨大な肉塊がじゅうじゅうと音を立てて焼かれている。
 西の方では、養豚が盛んだと聞いている。そちらから来たのだろうか。

「お肉だね」
「……大きい」
「あれが食べたいのかい」
「う、うん……でも……」
「そうか。少し待っていなさい」

 ベラにしては珍しく遠慮するような様子を見せたのは、人混みという場所の空気に当てられたせいか、あるいは親へのおねだりをためらう子どもの気持ちか。
 そして、その姿すら愛らしいと思ってしまうのは、溺愛する親心、だろうか。
 串焼きを二本、と愛想も恰幅も良い婦人に注文すると、「はいよ!」という威勢のよい声が返ってきた。後ろで肉を焼いていた旦那らしき男性は、額に汗を浮かべながら、どこか楽しげに笑っている。きっと、良い夫婦なのだろう。

「可愛い娘さんだねえ」

 私から代金を受け取りながら、婦人はベラを見て微笑んだ。美しいとは言い難いが、人の良さそうな笑みだった。しかし、ベラは婦人に怯えたように、私の後ろへと隠れてしまう。

「ありがとうございます。でも、どうにも人見知りで」
「まあもったいない。そんなに綺麗な顔をしてるのに」

 当たり障りのない受け答えを心がけながらも、私の背筋は冷たかった。万が一、ベラが魔物であると気付かれたら。この市はもちろん、森からも追われかねない。
 それに、あたかも既知のように答えたが、ベラが人見知りであるなど、今日のこの時はじめて知ったことである。怯えるあまり突飛なことをしないか、気が気ではない。
 そんな私の胸中など知るはずもなく、婦人は「サービスだよ」と随分たくさんの肉を木串に刺してくれた。その串をベラへと渡して、私も受け取った串の肉にかじりつく。あまり良い肉ではないのか筋張っていて硬いが、噛むほどに香草の香りとほのかな塩の味がして、気付けば私は「美味いな」とこぼしていた。
 傍らにいる我が愛子を見下ろせば、婦人におびえていた先程までの様子はどこへやら、串の両端を持ち、豪快に肉へとかぶりついていた。

「まあまあ、美味そうに食べてくれるねえ」

 婦人の言葉も聞いているのかいないのか。串焼きに夢中なベラの頭を軽くぽんぽんと叩いて、どこか落ち着ける場所を探すことにした。
 しかし、ベンチなどという気の利いたものは見当たらないので、地面に転がされた丸太の上へと、ベラと並んで腰を下ろす。

「美味しいかい?」

 私の問いかけに、ベラは無言で頷く。その間も、食べる手を止めようとしない。思えば、出会って間もない頃も、ただ焼いただけの肉を喜んで食べていた。雑にとは言え味付けされたものならば、彼女にとってごちそうになりうるのだろう。
 しばし無言で肉を貪り、私が喉の渇きに咳き込み始めた頃、一足先に食べ終えたベラが、肉片すら残っていない串でどこかを指した。そろそろ、人ごみにも慣れてきたのかもしれない。好奇心を隠しきれないというのが見て取れる。

「ね、ね、パパ。あれって、帽子?」
「串で指すのはやめなさい」

 細い手首を掴んで串を降ろさせてから、ベラの指した先を見れば、確かに、形も色も異なる様々な帽子が、木の棚に並べられていた。
 そういえば、ベラは何があっても帽子を脱ごうとしない。寝る時すらナイトキャップのようにかぶっており、外すのは水浴びで髪を洗う時くらいである。
 だから、と言うべきか、やはり、帽子は気になるらしい。

「少し、見てみようか」
「うん」

 残っていた肉をほとんど噛まずに飲み込んで、ベラの手を引いて立ち上がる。
 帽子屋を営んでいるのは、姉弟だろうか、中性的な顔立ちに笑みを貼り付けた女性と、おとなしそうな少年だった。独特な飾りの付いた上等そうな燕尾服を着た女性とは対照的に、少年はどこにでもある、麻の上下を着ていた。それでいて女性と揃いの山高帽をかぶっているため、頭の上だけが妙に浮いてしまっている。それは自覚しているのか、あるいは照れ屋なだけか、私たちがやってきても、少年は小さく会釈だけをすると、帽子を深くかぶって顔を隠してしまった。

「やあ、こんにちは。素敵な帽子のお嬢さんと……帽子の似合いそうなお兄さん。いや、奥様と旦那様、かな」

 一方で社交的な空気を纏った燕尾服の女性の言葉に、私はかろうじて愛想笑いを返す。冗談と取るべきなのだろうが、親子や兄妹のような関係であると割り切れるほど、私はベラに対して庇護欲以外の物を感じていないわけではない。
 そうしている間にも、ベラは棚に並んだ帽子たちを熱心に眺めていたが、やがて、ひとつの帽子を指差した。

「……これ」

 ベラが選んだのは、今かぶっているものと似たような、円錐の上部が垂れたような形のものだった。大部分は赤い生地で作られているが、先端には白い毛玉のようなものが付いている。

「これが欲しいのかい?でも、今かぶってる帽子と……」
「ううん。ベラじゃなくて、パパがかぶって?」
「おやおや。お嬢さん、素晴らしい提案じゃないか。おそろいの帽子をかぶるというのは、それはそれは胸踊り心高鳴ることだからね」

 私の返事を待たずして女性から手渡された帽子は、驚くほど手触りが良かった。随分前に一度だけ触れる機会のあったシルク生地よりも上質に感じられる。
 目で促されてかぶってみれば、ふわりと頭を包み込みながら、かぶっていることを忘れてしまいそうなほどに軽い。

「よくお似合いですよ。まるでサンタのようだ」

 サンタ、というものが何かは知らないが、どうやら似合っているらしい。だが売り子の評価よりも、ベラが目を輝かせていることが嬉しかった。常に着けるのはためらわれるが、たまにかぶって遊ぶくらいならば、いいかもしれない。

「それじゃあ、これをいただきます」
「ああ、持っていってくれ。お代は結構。帽子たちがふさわしい主を見つける事以上の喜びは無いからね」
「いや、しかし……」
「それに、こんなところで名も知らない仲間に会えたのだから。その喜びを表したいんだ」

 一瞬、心臓が握りつぶされたような思いがした。少なくとも私の目からは、女性の姿は美しいだけの人間に見える。しかし、多くの人からすれば、ベラもまた人間にしか見えないはずである。

「ね、パパ。行こ」
「あ、ああ……じゃあ、ありがたく貰っておきます」

 ベラに袖を引かれ、立ちすくんでいた足に感覚が戻る。
 上機嫌そうなベラは、いっそ鼻歌すら歌いそうな軽い足取りでどこかへと私を引っ張り始めた。
 ふりむいて見れば、丁寧にお辞儀をする女性の隣で見よう見まねの一礼をする少年が微笑ましかった。
 もしかしたら、姉弟に見えたあの二人も、私達と同じような関係であるのかもしれない。分かる者からすれば、分かるということだろうか。少し、気を抜きすぎていたのだろうか。
 帽子をかぶった頭の中で、様々な不安がめぐる。この愛しい娘との生活に、人としての私に。
 しかし。

「パパとおなじ……」

 手を繋いで歩くベラの嬉しそうなつぶやきを聞くだけで、その程度の不安などどうでも良いものであると思えるのも、確かだった。
23/09/10 20:05更新 / みなと
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