連載小説
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後日談A: 幼馴染みが赤点を回避する、たった一つの冴えたやり方@
 

 その集まりは、ごく和やかなムードだった。


「ねえ、次はどの教科を復習しようか? 数学?」

 黒い羽を揺らしながら、ヤツが自分のシャーペンに芯を補充しつつ尋ねてくる。
 さっきまでペンのキャップを開けるのに苦労しており、いつものへにゃっとした表情もだいぶ真剣な様子でシャーペンと格闘していたそいつ。
 どうやらようやくキャップが外れたらしい。

 満足げな顔で自身のペンをテーブルに置くと、今度はこっちが握っていた一本をするっと自然な動作で抜き取り、それも芯を継ぎ足してくれる。
 当然のように行われる親切行為、長年の付き合いある俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。

 だからこちらは他の雑事をと、そいつの問いに応えつつカラになった自分のコップを手に取ろうと…………。

「おう。そうな、一旦暗記系じゃないのを――」
「だんな様、飲み物をお注ぎいたしますね」

 取ろうとしていたコップは横から現れたしなやかな指に先にアブダクションされて宙に浮かび、1.5Lペットボトルの中身がコップへと満たされていく。
 ペットボトルは白い尾の先端がくるりと巻きつくことで、宙空で傾いた姿勢になって固定されていた。
 器用だなあ、という小学生のような感想が頭に浮かぶ。

 そうしてシャーペンと飲み物という2つの目的地を失った手が机上でビミョーに手持ち無沙汰になっていたところ、そのすぐ横に一冊の参考書が置かれる。

「ところでだんな様。わたくしの勉強している世界史なのですが、年号が暗記できているかの確認をお手伝いいただけませんか……?」

 察するに俺が歴史の出来事を言って彼女が年号を答えるとか、またはその逆の作業をしたいとか、まあそんな感じか。

 横を見れば、縋るような調子の上目遣い。
 透き通るような紅の眼がうるうると。

 自分の中の『頼りになる学校のパイセン』としての自負心、それがムックムク膨れ上がるのを感じた。

「よし任せとけ! 手伝いならいくらでも――」
「はいはい、ダメだよ。君はちゃんと自分のことをこなさなきゃ」

 しかしここで、3度目の誘拐事件が発生。
 手に取ろうとした一学年下の世界史の教科書を、反対側に座っていたヤツが先んじて回収してしまったのだ。

 どうやら今度はスムーズにシャー芯の補給を終えたらしいそいつは、手にしたペンをクルッと回してこちらに渡し、にっこり微笑む。

「君のための勉強会でもあるんだし、君はそのまま数学を進めといてよ。ぼくでも年号を言う手伝いくらいはできるからさ、ヘビちゃんもそれでいいよね? ……あと、君も途中式の展開とかが分からなかったらぼくに遠慮なく訊いてね、ぼくに」

 俺とその隣の子に向かって交互に話しかけたそいつは、やたらと言葉の最後を強調していた。
 笑みは崩さないまま。

「そうなると、ぼくは2人の間に入ったほうがいいかな? だって、その方がそれぞれの進捗とかを近くで見てアドバイスできるしさ」
「――いえ、その必要はありませんよ? わたくしがもうほんの少しだけ、だんな様との間の距離をぎゅっと寄せれば良いだけのことですから。ほら、これで貴方と話すのにも充分な距離なのでは?」
「でもヘビちゃん、それだと不必要に近すぎて隣の人が腕を動かすジャマになったりしないかな?」
「そうでしょうか? ……だんな様、だんな様、今のわたくしはだんな様のお邪魔になってしまっておりますか?」

 会話、プッツリとそこで止まる。

 そしてこのメンツの中で唯一会話に混じっていなかった俺の方へ、視線が集中。

「あ、いや、近い……ような、そうでないような」

 ……あっれれ、おかしいなー?
 なんでか、話そうとすると舌が上手く回らないぞ?

 緊張か。

 今の俺、緊張しているのか。

「ま、まあ、ほらよ、数学も最初は公式の暗記だし? 俺だってそんなバリバリ書くわけじゃないから、特に近くても――」
「………………ねえ、ホントに? それでいいの?」

 あかん、左側からすごい重圧が!!

 声が違う、いつものヤツと比べて声が低い!!

 それはそれはもう、まるで煮える寸前の圧力鍋のような、一歩扱いを間違えれば蒸気で破裂しそうなレベルの抑え込まれた圧迫感だった。

「――で、でもいずれは計算式とかばんばか書くかもしれないしなー! こりゃちょっと書くかなー俺ー! だからゴメンなーやっぱ少しだけ距離を」
「お邪魔だと、私は不要だと、そうだんな様はおっしゃりたい…………のですね?」

 今度は右側が恐ろしいことになった!

 二の腕が、今シャツ越しに指でなぞられた二の腕がなんかめっちゃ冷たいんだけど!?

 それはそれはもう、まるで冷凍室の倉庫を開けた時のような、冷たすぎて足元に白銀の冷気が滲み出てくるようなレベルの吹雪のような圧迫感だった。

 話題、話題、この場をしのぐ爆笑俺ジョークネタ集から何か一つここで披露したりとか…………って。

 おい、ちょっと待った。

「な、なんか……お前も近くね? 近くね?」
「そうかな? 気のせいじゃない?」

 ふと気付けば、左側のヤツもいつの間にかやけに距離が接近していた。

 机の下のこちらの左フトモモにさりげなく巻きついてきているヤツの細黒い尻尾、これには一体なんの意図があるのか。

「…………なるほど、それは確かに気のせいなのかもしれませんね」

 もちろん、その距離の変化を右側の子が看過するはずもなく。

 右から色白な腕がこちらの腕と交差するように回され、手先の指の一本まで絡み合わされるのも拒否するわけにはいかなかった。
 そして白の長髪を俺の肩に載せ、反対側にいるヤツに涼やかな流し目を送ってみせる。

 俺の前で、両側からの視線がバチっと交錯。

 そして、一拍置いてから。

「…………ヘビちゃん?」
「…………先輩、さん?」

 いつものへにゃっとした感じの糸目気味な笑みを浮かべつつも、僅かに目が開いていてどこか暗黒のオーラじみたなにかを纏わせている左側。

 微笑をまったく崩すことはないものの、握る手の力を強め、蛇尾の先端をピシッとムチのように空中で1つ打ち鳴らしてみせる右側。

 左も右も向けない真ん中としては、せめて上を仰ぐしかなかった。
 ぶら下がっている電灯だけが俺の味方だった。

 …………もう、なんと言うべきか。

 もうなんも言えねえ、と言うべきか。

 左右の距離が近い気がするんだよ、俺。

 非常に、非常に、近い気がするんだ。






 その集まりは、ごく和やかなムードだった。


 ――ただし、"表面上は"という言葉が付くが。








- 幼馴染みが赤点を回避する、たった一つの冴えたやり方 -








「おい、聞いてくれ。もう俺はダメかもしれない」

 冬休み前の期末テストを間近に控えた平日の昼、俺は前の席に座っているヤツに向かってそう言った。

「えっ、どしたの?」

 そう応えたのがヤツだ。

 小・中・高と学校を同じくする長年の男友達であり、なんの運命のいたずらかアルプへと転身を果たし、さらに今や俺の彼女としてクラスチェンジしている。

 アルプになった今も制服は男子用のブレザーを着ているのは、ただ単に制服を買い換える金がもったいないからという理由らしい。
 体育の時は普通にクラスの女子連中とダベりながら女子更衣室に入っていく。
 最近では髪も背中まで長く伸び、まるで違和感がなくなってしまったのが恐ろしい。

 総評すれば、人当たりも面倒見も良い性格に、眺めてるだけで平和な気分になれるふにゃっとした穏和な表情が魅力的なほんわか美人さん…………では、あるのだが。

「俺は、白蛇さんと昨日会っていましたね?」
「なにその変な英語の和訳文みたいなの」
「会っていましたね?」
「まあ、うん」

 頷く幼馴染み。

 目当てであった弁当箱を取り出すと、ヤツはこちらの机にゴトッと重量感たっぷりな大きな音を立てて置いた。
 やけに置き方が乱暴だった。

「……そうだね、ぼくのことは放りだして白蛇さんと会ってたよね、昨日。別に気にしてないよ、うん。全然気にしてない、全然気にしてないから」
「ちょっと落ち着こ、な?」

 とてもいい奴ではあるのだが、なんかのタイミングでスイッチが入ると、ちょいとばかり嫉妬深い性格が表に出てしまう。
 いわゆるジェラッちゃうというやつだ。
 俺の中でこっそり、『闇・幼馴染みモード』と命名している。
 『病み・幼馴染みモード』ではないのだ、決して。

「でもほら、一昨日はお前と居たやんな? な?」
「うん」
「その前は?」
「白蛇さんだね」
「さらにその前は?」
「月曜はぼくだったよね」

 デカい容器に詰められたたくさんの弁当のオカズがお披露目だ。
 周りの席の誰かが今、「でかっ……!?」と絶句したのを耳にしてしまった。

 そんな弁当をどこからか取り出した紙皿でヤツは取り分け、こちらに寄越してくれる。
 とってもいい笑顔だ。あと、ちょっと誇らしげだ。

「はい、どうぞっ」
「いつもどうもです。いただきます。……で、何が言いたいかというとだな」
「うん」
「プライベートな時間がありません」
「………………うん?」

 ブロッコリーを口に入れた姿勢のまま、こてんと首を傾げている。
 あ、これ全然分かってねえな。
 幼馴染みさん全然分かってねえな。

「前回の話し合いによって、無用な衝突を避けるために君ら2人は月・水・金は君、火・木・土は白蛇さんが俺を独占するということになりましたね?」
「今日は金曜だからぼくで合ってるよね? あと、なんでさっきからヘンな敬語なのさ」
「正解です。敬語は気にしない。で、そしてなんと、毎週日曜には我が家に君ら2人ともが押しかけてきます」
「うん、1週間は2じゃ割りきれないからね。白蛇さんに抜け駆けされちゃうのもちょっとヤだし」

 そうだ。

 でも、そうだけどそうじゃないんだ。

 俺は天を仰いだ。
 から揚げを頬張りながら。

「身体が…………保ちません…………」

 訴える。
 恋人兼幼馴染みに切々と訴える。
 唐揚げは超うめぇ。

 訴えるのは、今は1年のクラスメイト達と食事を摂っているであろうあの子と、目の前のこやつが放課後は毎日交代でやって来て、2人とも当たり前のように来たその日は泊まり込んでいくのはどうなのだろうか、ということ。

 1人暮らしで親の目こそないものの、高校生の男女がそんなお泊まりを毎日かまし、なおかつ毎晩シたうえで朝チュンコースを辿ってしまうのはいかがなものか、ということ。

 というかぶっちゃけ君ら搾り取りすぎじゃね? ちょっと容赦なさすぎじゃね? ハイペースすぎね? ということ。

「え、ええっと…………そうかなあ?」

 そんなことないよぉ、とちょっと内股になって照れ混じりに言っている危機感のない幼馴染みだった。
 露骨なもじもじポーズだった。

「でもさ、皆で話し合って決めたんだし。きみも、ほら、どんどん体力っていうか精力っていうか、そういうアレも強くなってきてると思うんだけど……」
「それがな? わしゃ少し考えてみたんじゃがな」
「そんなお爺ちゃん口調の人、今まで1人も会ったことないよ……」

 渾身のよぼよぼジジイな演技をしてみせた俺は、すぐ真顔に戻って机の中に手を突っ込んだ。

 そして取り出す、1枚のフリップボード。

「見てくれ、ふと興味が湧いて先週の俺のスケジュールを書き出してみた。丁寧な24時間表示で、しかも色も付けてある。すごいだろ?」
「……ピンク色だらけだね?」
「良い着眼点ですね。そしてそのピンク色が、夜の就寝時間を限りなく圧迫しているのが分かりますね?」
「あ、あー、ピンク色ってそういうこと」
「そう! 寝る時間がないの!! 夜の睡眠時間がアレのせいで削りに削られたツケが授業時間に全部眠気としてやってくるから、俺はぜんっぜん期末テストの勉強ができてないのほぉぉぉ!!」

 それを聞いて幼馴染みはようやく、そうなんだぁ、と得心したように頷いていた。
 このおっとりさんめ!

 ちなみにこのフリップボードは眠気覚ましのために書いていたら熱が入ってしまったためにこんなフルカラー仕様のハイクオリティに仕上がっている。
 そして授業には欠片も集中できなかった。
 これについてはなんの言い訳もできない。

「そ、そんなにマズいの?」
「いつものテスト時の俺の実力を仮に『1赤点教科』程度と例えると、今のパワーはだいたい12赤点教科くらい溜まってる。溜まったというか、減ったというか」
「12教科……って全滅じゃん! えぇぇえ!?」

 仮でも例えでもなんでもなかった。
 ただの真実だった。

「なので今年の俺の長期休暇は補習まみれ、ヘタすると留年すらあり得なくないという崖っぷち具合!」
「わー! く、クリスマスとかっ、2人で深夜に初詣とかっ、一緒に外泊旅行とかっ……!」
「すまんな、本当にすまん」

 俺の机をガタガタ震わせて激しく取り乱す幼馴染みから、そっと目線を外す。
 というか、そんなに陰でいろいろ計画してたのか。
 可愛いことしてるな。

「ちなみに白蛇さんに昨日同じこと言ったら、『留年……留年ですか。そうなると、だんな様と学年が同じに……なるほど』ってなんか深ーく頷かれた」

 言った途端、普段はどういった理屈か消し隠しているヤツの背中の翼がバサーッと現れ、膨れ上がるように大きく広がった。

「わ、わああああーーーー!! ダメ! それは絶対ダメ!! ね、一緒に進級しよ!?」
「俺だってしてぇよ! だからクラスの皆にも頼ったし今もまた皆に頼ろうとしてるよ! 皆様お願いしまーす!! 皆様ご協力お願いします、はい、はい、熱いご声援ありがとうございまぁーす!!」

 誰も応援なんてしとらんわ、と近くの席の野郎どもが熱い大ブーイングを返してくれた。
 ヤツら、俺がこの幼馴染みとくっ付いたことを知ってからさらに当たりが強くなってやがるぜ。

 まあ、そもそも俺と同レベルであり補習授業の同志である彼らには、元から大して期待していない。
 ワラを掴んで数本束ねたところで、そんなものはすぐに切れるし簡単に吹き飛んでしまうだろうて。
 むしろ、一緒に溺れる仲間という安心感しかない。

「うーん、闇雲にあたるよりは、声を掛けるならラタやんとかギョーブさんとかに頼ったほうがいいんじゃ……?」

 そう、こういう時に一番頼りになるのは、幼馴染みの言う通り、今はちょうど昼休みの委員会会議とかで抜け出している女子グループだった。

 いくつかあるらしい女子グループの中でも、特に学力や行動力、そして諜報能力に長けた1派閥だ。

 諜報能力に長けた女子ってのは、味方にすれば素晴らしく頼もしい。
 ヤツらにとっては情報収集から威力偵察、扇動からプロバガンダ、会議における発言権や任命権の掌握まで朝飯前なのであるのだから。
 しかし敵にすれば一巻の終わりだ。

「実はな、もうあいつらには助力を頼んでた。これな。お嬢ちゃん、ほら見てごらん」

 数学と社会科に関してはもう手を打ってある。
 それがこの授業ノートのコピー集だ。

「うわぁ……きみってたまにすっごく手が早いねえ」
「その言い方はやめな、むしろあの時先に手ぇ出したのはお前の方だからな? ちなみにこれが生物と化学、こっちが世界史だ。さすがギョーブ、単語暗記系はぬかりなくまとめてあるっぽいぞ」

 まだ始めのほうしか読んでないけど、と幼馴染みに冊子を手渡す。
 それをヤツは、ふむむとか、へぇーとか言って頷きながらパラパラめくっていく。
 くくく、凄かろう凄かろう。
 あの女子らに頭下げた甲斐があったというものよ。

 しかし、途中で手が止まった。

「……ねえ、コレ途中で内容が終わってるよ?」
「えっ」
「ほら見て、ここ」

 参考書と見まがうほどに丁寧にまとめられたノートは、見れば確かにテスト範囲の前半部分で内容が終わっていた。

 最後のページを見る。

 『体験版』と大きな文字で書かれていた。

「あ、あんのタヌキぃぃっ!!」

 ページの下のほうでは、『続きは製品版(有償)でんがな♥』とタヌキの絵がフキダシで喋っていた。
 なんかやたら可愛いイラストがさらに腹立つ。

「どおりでアイツ、貸す時に一瞬ニヤッとしてたワケだわ! 有償って金か、金なのか!?」

 使いこんでヨレヨレの財布を取り出す。

 開ける。

 硬貨が数枚あった。

 それ以外は何もなかった。

 この世で最も財力を期待できない人種、それが男子高校生というものなのであった。

 ヘタすればそんじょそこらの小学生の方が持っている可能性もあるレベルだ。

「ダメだ、何かマネー以外で対価になるものは……」
「お金以外…………って、わ、そ、それはダメ!! ぼくが絶対許さないし、白蛇さんもすっごく悲しむよ!?」

 ちぎれんばかりの勢いで首を横に振る幼馴染み。
 このへにゃ顔美少女、一体何を想像したのか。

 しかし、今のヤツは妙に鬼気迫ったような、真剣味のある表情になっていた。

「じゃあ、こうしようよ! この貰った授業ノートに書いてある範囲までは参考にさせてもらって、残りの後半はぼくが教えるよ!」
「え、マジ?」
「大マジだよ! ぼくもそんなに成績が抜群に良いってわけじゃないけど、それでもきみにアドバイスくらいならできると思うからっ!」

 そうだな。
 今も謙遜してるけど実はお前、結構クラスの中では成績良い秀才カテゴリだからな。今日も熱心に授業聞いてたし。
 デキる男、いや、デキる女だぜ。

 …………デキる女って言葉、ちょっとヒワイな感じがしたんだぜ。

「今なんかヘンな表情しなかった? ……まあいいや。だから、ぼくが今日からテストまでの1週間、あとテスト期間中まで合わせて付きっきりで勉強を教えてあげる」
「なるほど、ありがてぇ」

 このへにゃ顔さん、親切とかお人好しとか以上にもはや聖人君子の域に達しているのではなかろうか。
 魔物化したとはいえ、淫魔になったとはいえ、それでもこいつの本質はあまり変化していないように思えるワンシーンだった。

 しかし、こちらが感謝を述べつつガッと肩を組もうとすると、「わ、わっ」という声とともに身を縮こまらせてしまう幼馴染み。

「も、もー! いきなりされるとビックリするって」
「いや、すまんかってん」
「いいけどさ、そ、その、ぼくとしてもイキナリは驚くっていうか……」

 ……たまにダチというか、男の友人にするような距離感で接してしまうとこんな反応になるのは、大きな変化かもしれんね。
 なんだか異性って再確認させられるというか、そんな感じか?

「あ、話がそれちゃった。ええっと……そうだ、それからヘビちゃんにもそう連絡しておくよ。ヘビちゃんの番は明日だから、その時にでも。うん、やっぱり仮にも学生なんだから、学業をおろそかにするのはダメだよね!」
「あれ、お前白蛇さんのアドレス知ってたっけ?」
「この前交換したんだよ。スケジューリングの調整とかメニューの打ち合わせとか、きみのマネジメントに必要だし」
「そんなスポーツ選手のバックアップみたいな理由で!? ってかメニューってなんぞ!?」

 どうやら俺には気づけば2人のジャーマネが付いていたらしい。
 あずかり知らぬところで俺の管理が進んでいた。

 これが管理社会ってやつか。怖い。

「まあ、それは置いといて。で、ぼくの部屋に少し役に立ちそうな参考書があったはずなんだ」
「なにっ、それも貸してくれんのか?」
「それでも良いんだけど、せっかくならたまにはウチに来ない? 今さ、ちょっと親戚の叔父さんが帰国して戻ってきてて、そのお世話にお父さんとお母さんが昨日から2人して行っちゃってるんだ」

 こいつの家は3人家族、こっちの家の近所にある。
 なにせ幼馴染み、目と鼻の先の距離だ。
 ウチよりも結構立派な戸建てである。

「お前の叔父さんって、ずっと前に会ったことあるあのヘンな人だろ?」
「まあ……ヘンかも。というか似てるかも、君に。なんかこう、突拍子もないことをしようとする感じとか、妙なところで思い切りが良かったり引っ込み思案だったりするところとか」
「いやいや、俺はいたって普通の勤勉な学生だぞ? それじゃとにかくお前ん家に行って、そっちで勉強した方が捗りそうだな」
「うん、ぼくもこのまましばらく1人になるのは……その、ちょっと家が静かすぎる気がしてさ」

 寂しげな様子を隠しきれていない幼馴染み。

 なんだかんだでウチにいつも来てくれていたのは、こいつなりに一人暮らしの俺を気遣ってくれていたのだろう。

 ならば、こんな時にこそ恩返しをすべきだろう。
 鶴の恩返しならぬ、俺の恩返しだ。
 なんだこのむさ苦しい字面。

「よし、あい分かった! 今日からしばらくお前んちに世話になります!」
「うん、よろしくね。帰ったら一旦家に寄って、歯ブラシとかも持ってくると良いんじゃないかな?」
「ん? 泊まりってことか? お前んちに?」
「あ、いや、やっぱり夜もきっちり勉強しなきゃいけないと思うし! だって君、君の家に戻ったらきっと朝までゲームとかしちゃうかもしれないし!」

 見透かされていた。
 さすがは幼馴染み、我が行動パターンを熟知している。
 前ジャンプ見て昇竜拳くらい熟知してる。

「だからここは、ばっちりぼくが見てあげなきゃ! ぼくも一緒に勉強するからさ、頑張ってみようよ! 頑張ろう!」

 そうか、今日まで続いてたお泊まりに際するあれやこれやを一旦封印して、2人ともに意識を100%試験モードに切り替えるってことだな?
 きっとそうに違いない。

 なんか勢いに任せてヤツの思惑に乗せられたような気がほんの僅かにしたようなしないような感じがしたが、きっとそうに違いない!

 そしてそれこそが今回、俺が赤点を回避するたった一つの冴えたやり方ってワケだ!

「よし分かった! 頼むぜ幼馴染み先生! 一切合切の娯楽を断って猛勉強してみせるぜ、俺は! 睡眠時間も充分確保だ!」

 そう決意表明する。
 ゆくぞ、輝かしい冬休みに向けて邁進するんや!

「…………………………そうだね、アッチの方も禁止だよ、うん。もちろんぼくもそう考えてたよ?」

 おい、その長すぎるタメはなんなんだ。

 すげぇ不安になってきたよ俺。










 帰宅すると、家のドアが勝手に開いた。

 いつから我が家は自動ドアになったのかと思ったが、それは違った。

「おかえりなさいませっ、だんな様! もうすぐお茶があがりますからね、お荷物は私がお持ち致します、お召し物は恥ずかしながら私が選んだものを奥に用意していますので」
「うん、ちょい待って?」

 一旦ドアを閉める。

 なんかすげぇ勢いで家の奥から玄関に迫ってくる姿が見えたんだけど。
 蛇の尾、めっちゃニョロニョロさせてこっちに来てたんだけど。

 ……再度、開ける。

 と、途端に視界が白地の着物で埋め尽くされた。

「ああっ、だんな様! わたくしだんな様のお帰りを千秋の思いでお待ちしておりました! もうこうして片時も離れとうありません!」
「尻尾が絡まって圧迫感がすげぇ!!」

 ご近所の目もあるだろう玄関先で、蛇体の腰のところまでをこちらに巻きつけて密着させようとしてきたのを必死にタップしてギブアップ宣言。

 危なかった、こちらが重心を崩してしまえばこのまま寝技に持ち込まれるところだった。

「はい、カムダウーン、カムダウーン。ヘビちゃんは落ち着きのあるいい子、ヘビちゃんは落ち着きのあるいい子」
「…………はっ……! そ、そうでした。今のは少々貞淑な妻の振る舞いから外れてしまっておりました」
「よし。妻うんぬんはさておき、とりあえずこのリアルコブラツイストを離そう、な?」
「はい、だんな様」
 
 今こうして顔を舐め尽くさんばかりに至近距離に迫ってきている子、彼女が白蛇さんである。
 呼ぶ時はヘビちゃんと呼んでいる。

 言葉遣いや考え方が少し古風ではあるが、それは彼女の家が結構由緒ある家柄であり、教育が行き届いているからであるようだ。
 というか街二つくらい隔てた場所の老舗の温泉旅館の娘さんなのだ。
 温泉の家系でご令嬢、と言っていいのかどうかは分からないけど。

「……わたくし、ふと、もう少しこうしていたく思ってしまいました」
「そっかー、もう一巻きほどけば外れるってところで、そう思っちゃったかー……」

 学校では1年後輩にあたり、成績優秀、品行方正、苦手なのは体育だけというお淑やか極まる白蛇さんだ。
 肌は抜けるような白磁の白、髪は陽を受けると銀に輝く白い髪、そして切れ長の目には、周囲の人を惹きつける特徴的な赤い眼が麗しい。

 そんな彼女とは、しばらく前のあれやこれやを経た結果、こんな感じの関係になってしまっていた。

 最初にこんな俺に告白を敢行してきてくれた白蛇さんのことは全然嫌いになれないどころか、しばらく過ごしてやっぱり自分にゃもったいないくらいのいい子だな、という印象を持っている。

「ん、ふっ……腰にだんな様の熱が伝わってきます」
「ヘビちゃんは体温低めだしな」
「ええ、故にこうしているだけで、だんな様、わたくし少し火照ってきてしまって」
「へ、ヘビ……さん? どうして身体をくねらせつつ目をつぶって顔を近づけてくるんだい?」

 ……最近は、その印象にどこか突進グセがあるというか、一途というか、たまにねっとりした感じの迫り方をしてくる子だなあ、という感想が追加された。

 そして、この状況は良くない。

 どうせ家にいたのは、彼女なりの出迎えをするつもりだったのだろう。

 彼女の普段着でもある着物スタイルなのは、一度帰宅してから着替えてきた結果なのだろう。

 なぜ迎えのタイミングがバッチリだったのかは、ただ単に魔物娘としての勘やこっちのクラスの下校時刻や掃除当番ローテの完全把握、そして俺のケータイのGPS座標を追跡していただけという理由だろう。

 しかし、今はそれが裏目に出ていた。

 なぜなら俺は、これから……。

「だんな様、何故そんなお顔をなさるのです? まるで、わたくしをうっちゃらかして他所へ行こうとしていたところに待ち伏せされてこれはマズい早くどうにかせにゃならんて、そんなコトをお考えになられているようなお顔ですよ?」

 あ、なんか身体が冷えてきた。
 これなんだろう、この歳で冷え性になったのかな?

「だんな様、だんな様、だんな様、まさかそのようなお考えはなさっておりませんよね? それはわたくしのカン違い、そうなのでしょう? そうなのでしょう?」

 違うなコレ。

 あれだな、空気が冷えるっていうのはこういうことを言うんだろうな。

 まあ、ヘビちゃんはちょっとこちらの様子を気にしがちというか、どうも不安にかられると身体が実際に冷えてしまうらしいからな。

 今ちょうど目が合ってるけど、なんか目も冷え冷えした感じというか、微妙に目の奥が笑っていないからな。

「…………もしかして、聞いてたり?」

 確かあのへにゃ顔幼馴染み、連絡は明日にすると言っていたはず。

「なんのことでしょうか?」
「さ、さあーなんのことだろうねー? いやはやこれは失敬、わけ分からん質問してごめ」
「だんな様のお言葉の真意、わたくしは測りかねてしまいますが…………ただ、本日は偶然にも部活のための服の替えが手元にあり、そして丁度教室の自身の机の中を片付ける日であったためにわたくしの教本は全て揃えております偶然ながら」

 笑っていない目で、ニッコリと笑う白蛇さん。

 巻きついた尻尾がドンドコ冷えていってるの、これ気のせいじゃないわ絶対。

「すっ、すんませんっしたァー!!」
「はて、なんのことでしょうだんな様? だんな様に頭を下げられてしまうなど、妻としては困ってしまいます」

 今さらの話だが、白蛇さんからのこちらの呼び方は『だんな様』だ。
 さらに、自身を呼ぶ時は『妻』だ。

 ある意味、それが如実に彼女の意気込みや心持ち、こちらへ向ける情熱を表していると思うのだ。

 少なくとも、付き合いは軽薄なものではない。
 むしろ、それとは180度真逆な感じだ。

 さて、そんな重…………じゃなかった、秘めた熱情を露わにしている今の白蛇さんに言うべき言葉は。

 ここでのチョイスを誤ってはならない。

「……ちょっと勉強会があるんだけど、ヘビちゃんも一緒に来てくれるかな!?」
「もちろんですっ、だんな様っ!」

 巻きついたまま至近距離で俺の手を両手で取り、感極まったように喜んでくれる白蛇さん。

 ああ、喜んでもらえて嬉しいなー良かったー!
 
「ではわたくし、持っていくお茶のペットボトルをお台所から持って参りますねっ。だんな様、お着替えの入ったバッグはそこの靴箱の後ろに置いてあります」

 本当に…………良かった…………っ!


 ――そうして、徒歩2分の幼馴染みの家までの旅の仲間に、白蛇さんが加わった。


 さて、今後の運命やいかに。


 …………いや、もう分かりきってるんだけど。


 
17/08/27 02:04更新 / しっぽ屋
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■作者メッセージ
 
笑うという行為は 本来 攻撃的なものである

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