読切小説
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妻に刺されて/又は100のキスを落す夫

『 あの店のたいやきを食べると美人になれる 』
そんな噂を持つ店・たいやき専門店”百百(もも)”。裏通りにポツンと小さく佇む、地元の有名店だ。

 店を切り盛りしているのは、人当たりが良く口元が特徴的な旦那さん。若く見えるが、少し枯れた印象を受ける。
 そして、すらりとした穏やかな奥さん。腰まである艶やかな黒髪と相まって、モデルのような居出立ちだ。

 おやつの時間が過ぎる頃、学校帰りのお客さんが多く訪れる。年頃の女の子達は、今日も恋の話題に忙しい。
 通称・美人セット ( 紫芋あんたいやき & 成分調整ホルミルク・ビターあじ ) を頂きながら語る、彼女らの本日の議題は 『 2人の馴れ初めについて 』 だった。

 テーブル席の女子高校生達が、たいやきを運んできた奥さんに質問を投げかける。
「 あの、失礼かもですが、店長さんとの出会いって、どんなだったんですか? 」
「 うーん、そうねぇ……どうしても聞きたい? 」
 聞きたいです! と返す彼女達に、奥さんは慣れた様子で話し始めた。この手の質問は多いらしい。


 たいやきを焼く私の視線の先で、妻は学生達を相手にがんばっている。
 以前は人前に出たがる性格では無かったが、私が店をやりたいと言った時、進んで接客を引き受けてくれたのは妻だった。
 前髪で隠れていて表情は分かり難いが、今では口元が笑っている事の方が多い。

 不意に、焼き上がりを待っているお客さんが話掛けてきた。
「 ねぇ店長さん、その立派な唇って生まれつき? いや、昨日ウチの子が虫に刺されちゃって、もうパンパンなのよ 」
 可哀相にねぇ、と続けるお客さんに相槌を打ちながら、私は昔の記憶を堀り起こしていた。

 あれは、妻のユリと付き合い始めて少したった頃の事だった。


********


「 ユリ、俺と結婚して欲しい 」
 まだ相手の事なぞ、殆ど知らない状態。焦りに駆られ、俺は彼女にプロポーズを投げつけた。
 不安だった。美人で物静かで素敵な彼女が、他の誰かに取られるのではないかと、不安で仕方なかった。彼女はいつだって、微笑んで俺の後を付いて来てくれていたのに。
 それなのに……信じ切れなかったんだ。

 告白を終えた俺は充実感に満ちていた。彼女が「はい」という以外の選択肢なぞ考えもしなかったし、もう何も心配する事は無かった。彼女は俺のもので、この先も幸せな生活が待っている。そう疑いもしなかった。

 だから、なぜ彼女が泣き出したのか分からなかった。悲しくて泣いている事ぐらいは、馬鹿な俺でも理解できた。
 1人暮らしには広すぎる彼女の部屋に、嗚咽が木霊している。

「 ごめんなさい、こんな……急に、言われるなんてっ……思って、なくて…… 」
 両手で顔を覆い、嗚咽を抑えて言葉を紡ぐ。ユリがこんなに感情を露にしたのを、俺は見たことが無かった。

 そして彼女は苦しげに、ある言葉を搾り出した。
「 ねぇ……魔物娘って……知ってる……? 」

 知ってる、そんなの今は関係ない。そう言いかけた時、俺は気付いてしまった。
いつも長い前髪の奥に仕舞われた彼女の瞳に、妖しい光が灯っているのを。

「 本当はね。告白される前に言いたかったんだよ……。私は、大百足っていう、魔物なんだ 」
 言い終わった瞬間、彼女の上半身が上に伸び上がった。いや、下半身が部屋の奥まで伸びていった。数え切れない足が、長く扁平な胴体に一対ずつ。百足そのものの長大な下半身に、触覚と顎肢の生えたユリの上半身が繋がっていた。

「 ごめんね。これが、本当の私。 騙したみたいになって、ごめんね。 あなたの事、大好きだったんだよ……? だから、言えなかった。私が、こんなだったなんて……! 」

 涙を零しながら俺を見下ろすユリ。たじろぐ俺をじっと見つめるその瞳から、徐々に感情が失せてゆく。

「 そうだ……。ワタシは魔物娘ですもの。好きになったヒトは、自分の力で手に入れなければ…… 」
 ユリは長躯を蠢かせながら、俺との距離を詰め始めた。
「 さぁ、愛し合いましょう? 誰にも邪魔されない、暗く静かな所で、ずっと2人で…… 」
 ぎしり、と首の後ろから生えた牙の様な顎肢が持ち上がり、先端から紫色の液体を滴らせた。


━━ まだ私は迷っている。もう選択肢なんて無いハズなのに。
 迫る私に怯え、後ずさりする彼。そうだよ、それでいいよ。
 ついに走りだした。部屋の奥、私の一番後ろの脚まで。その先にある、出口に向かって。
 ねえ、今すぐにでも襲い掛かって、噛み付きたいよ。それでも。
 さようなら。だいすきな、あなた ━━


 俺は、ユリの体の一番後ろまで走った。そして狙いを定めると、彼女の脚の1本にキスをした。うねっていた彼女の体が、ぴたりと止まる。
 脚の表面は甘ったるい液体で濡れていて、唇がすぐに痺れだした。だがそれがどうした!

 次は隣の脚、3つめ、4つめと連続でキスを落としてゆく。 俺は、今までユリの気持ちを考えた事があったか? いつも俺と一緒にいてくれる彼女に、感謝を伝えてきたか?
 10、20、30、唇どころか、顔の下半分の感覚がおかしくなる。

 頭が痺れた様になって、何故か今の彼女の姿に劣情を抱いている自分に気付く。くそ、股が突っ張って足がうまく動かない。
 40、50、60、キスを落としながら、がむしゃらに彼女の体をよじ登る。 俺はこんな事しか出来ない。それでも、どんな姿でも君を好きだと証明するんだ。見ていてくれ、ユリ!

 しがみ付いた彼女の体は、小刻みに震えている。俺の顔の感覚はとっくに麻痺していた。
 70、80、90、ついに彼女の上半身を捕らえた。俺は、彼女に伝えなきゃならない事があるんだ。負けるものか!

 95、96、やっと腰の所まで来た。刺青のような模様で縁取られた、震えるやわらかな腹部。撫で廻したいが我慢だ。
 97、98、胸の下まで来た。このまま、ここに顔を埋めて果てたい衝動に駆られるが我慢だ。
 終わりが近い。彼女の肩は震え、何かを必死で堪えている様な、くぐもった声が聞こえてくる。

 99、100。
 胸元を覆う最後の脚にキスを落とし終えて、俺は息も絶え絶えに彼女と顔を合わせた。
 ユリは震えながら俯き、前髪で覆われたその表情は伺えない。一つ息を吸い込み、俺は万感の想いを込めて彼女に言い放った。

「 ひははでごべん、ほれほへっほんひでくらはひ!! 」 (今までごめん、俺と結婚してください!!)


━━ もう、我慢できなかった。限界だ。目の前の必死な彼を前に、私は、私は
「 ぷっ、あ、っあはははははははははははははは!! 」
盛大に、吹き出してしまった ━━


 目の前で笑い転げる彼女を前に、俺は全く事態を飲み込めずにいた。只、彼女がこんなに笑ったのを見るのは初めてだった。
 笑いの波が引いて、彼女が何か言おうとするのだが、こっちを見た瞬間に再び笑い出す。ツボに入ったのか、呼吸困難状態だ。
 部屋をのたうち回りながら、彼女は体の全ての脚で部屋にある鏡台を指していた。

 鏡の中には、顔を汗と涙でぐちょぐちょにした、ピエロより立派なタラコ唇を装備した俺が立っていた。 自分でも笑える程に情けないツラを晒す俺の後ろに、まだ呼吸の荒い彼女がやってきた。

「 あなたの覚悟、ゴホっ、見せて、もらったよ。……こっち見て? 」
 彼女の触覚が俺の視界を塞ぐ。感覚は無いが、唇にキスをされたのだと分かった。
「 これで、少し良くなるかな 」
 徐々に唇の感覚が戻ってきて、顔も多少マシな状態まで回復していた。

「 最後に確認させて。本当に良いんだね? 私たちの種族は、すごく執念深いんだよ。1度この人だって決めたら、地獄の底まで追いかけて、一生離さない。誰にも渡さない。これから私は、あなたの為だけに生きるんだ 」

 視線を合わせる為に下降してくれた彼女に感謝しつつ、俺は頭を下げて彼女に応えた。

「 宜しくお願いします。俺のお嫁さん! 」


********


 出来立てのたいやきを詰める。じんわりとした温かさが、紙袋越しに伝わってくる。
香ばしいたいやきの香りと、熱せられた紙袋特有の甘い香りが漂う。これが終わったら、休憩にしようか。

 結局、毒を中和してもらって大きさはマシにはなったものの、私の唇が元の大きさに戻ることは無かった。
 当時、妻は魔法治療を勧めてくれたが、私はそれを断った。これは覚悟というか、決意表明みたいなものだ。恥ずかしいので妻には言わないが。

 焼きたてのたいやきが入った紙袋を、お客さんに渡す。そして、お会計をしながら私は言った。
「 お待たせしました。さっきの虫刺されの話なんですけどね。 実はこの唇、元からこんなじゃ無かったんですよ 」
「 あら、そうだったの? じゃあ、なんでそうなったのかしら? 」
「 それはですね…… 」
 私が理由を言いかけたのと同時に、妻が相手をしていた学生達の方から黄色い悲鳴が上がった。


「 ひゃー! これは純愛だよぅ! 奥さんの過去に、こんなドラマが有ったなんて……! 」
「 これが異種婚姻譚ってヤツ!? 種族の違いすら超える愛……最高! 最高ですぅ! 」
「 せんぱい、すてき…! 」

 学生達の勢いに圧されつつも、奥さんは体制を整えた。過激な部分は大分ぼかしたけれど、反応は上々だった。
「満足してもらえたかしら? あなた達も、どうか素敵な恋を。」
そう言って彼女が席を離れようとした直後、女子高生達から最後の質問が飛んで来た。
「 最後にこれだけ! 旦那さんからのプロポーズって、実際はどんなだったんですか!? 」

旦那さんと奥さんは、同時に口を開いてこう言った。

「 妻に刺されまして 」
「 100のキスを落とされたの 」




おしまい


19/03/10 03:46更新 / トケイ屋

■作者メッセージ
「 ユリ、すまないがアレを作ってくれないか。今日は何だか疲れたよ 」
「 アレですね。待っててくださいな 」
 そう言って妻は人化を解いた。再び人の姿で店に持って来てくれたのは、コップに入った薄紫色の炭酸水。これは、妻の新鮮な毒を炭酸で割ったものだ。
 新婚当時では考えられなかったが、今では丁度良い気力回復剤になっている。
 ふと悪戯心がうずいて、私は妻の手を取る。そして、毒腺がまだ薄く残る手首にそっとキスをした。
「 ひゃん♥ もう、あなたったら! ほら、お客さんが来ましたよ! 」

 こうして、今日も小さなたいやき専門店・百百の一日は、忙しく過ぎてゆくのでした。

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