連載小説
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中編
「ところで、名前はまだ教えてもらえないのかしら?名乗られたら名乗るのが騎士の心得と聞いていたのだけれど」
「・・・」
コンラッドはソファーに座っていた、尻が沈み込むような感触から相当な高級品と思われる、ひょっとするとワーシープの毛皮でも使われているのかもしれない。
その感触に居心地悪そうに身じろぎした後、周囲を見回してみれば目に入るのは木のテーブル、椅子、暖かな火を灯す暖炉、煉瓦造りの壁、見たこともない植物の植えられた鉢植え・・・どうやら自分は立派な造りの家の一室にいるらしい、何故かはわからない。
あの時、魅入られている自分の手をリリムはそっと引き、背後に出現した空間の歪みに引き込んだのだ。
体が浮き上がるような感覚と共に意識が薄れ、気がつけばこのソファーに寝かされていた。
「ね?教えて下さらない?」
そして、自分を引き込んだリリムは今目の前で椅子に座っている、いつの間に着替えたのか先程のような挑発的な服装ではなく、セーターに短いズボンという姿だ、この室内に似合った落ち着いた雰囲気を醸している、肌の露出が控えめなせいかあの時のように一目見ただけで欲情の嵐に飲まれるようなことはなかった、それでもズボンが短いせいで見えている太股や、暖炉の明かりに照らされて深い陰影を映しているセーターの盛り上がりから極力目を逸らさねば危険だった、現に今も同じ部屋にいて同じ空気を吸っているだけで下半身の昂ぶりが静まらない。
彼女はコンラッドが目覚めたのに気付くと「ジュカ」と名乗った。

「・・・魔物に名乗る名は無い」
「よし!喋ってくれたぁ♪」
「ええ?」
自分の放った言葉に対してあまりに予想外のリアクションを取られたため思わず変な声を上げてしまった。
明確な敵意を現したつもりなのに何故にガッツポーズを取るのか。
訝しげな視線に気付いたリリム・・・ジュカははっとした顔になり、慌てて居住まいを正す。
「まみゅ、魔物と言えどレディーの扱いは大事よ?騎士さん?」
噛んだ。
コンラッドはますます訝しげに彼女を見る、どうも様子がおかしい。
「ええと・・・んもう、こういうキャラの方が堕としやすいと思ったのに・・・向いてないなぁ」
何故かしょんぼりした様子になる。
「うん、まぁ、これから長い付き合いになるんだし・・・これでいいか」
思い直したように顔をあげるジュカ、コンラッドは驚く。
遭遇してから今までずっと妖艶な雰囲気を振りまいており、成熟した印象を受けていたのだが、顔を上げた時には不思議なことに自分と同年代くらいに見えた。
どこがどう変わったかというと先程より少し目をぱっちり開けているぐらいしか違いはわからないのだが、受ける印象が全然違う。
「えへへ、ちょっと猫被ってたけどこっちが素なんだ」
舌をだして笑う、コンラッドはどちらにしろ魅力的な事には変わりはないと思った、と言うより、相手に与える印象を自在に操れる事が恐ろしいと思った。
「それじゃあね・・・質問に答えてくれたらこっちも一つ質問に答えるよ?」
「この状況で相手から与えられる情報を信用できると思うか?」
「私、嘘は付かないよ?それにこのままだんまりしてても何も進展しないよ?」
屈託のない笑みを浮かべるジュカ、何の保障にもならない言葉だが確かにこのままでは埒が明かない。
「・・・コンラッドだ、コンラッド・エバンス」
「コンラッド君かぁ」
ジュカは何度か口の中で転がすようにコンラッド、コンラッドと嬉しそうに呟く、仕草がいちいち可愛いのが腹立たしい。
「それじゃあ質問に答えろ、ここは何処だ?」
「君と会った所からそんなに遠くないよ、森の中」
「・・・あの森にこんな家は建ってない」
「ああ、この家、持ってきたんだ」
「え?」
言われた意味がわからない。
「これ、私の別荘みたいなもので、転移魔法で移動させて来たの」
「・・・」
転移魔法と言うと相当高位の魔法だ、それも家一軒ともなると膨大な魔力を必要とするはずだ。
「お前一人で?」
「うん」
ジュカは何かおかしい?とでも言いたげに答える。
ジュカの話を信用するなら、彼女は魔物の中にあっても相当桁外れの魔力の持ち主という事になる、少なくとも落ちこぼれの剣士一人がどうこうできる相手ではない。
「それじゃ、私から質問ね」
コンラッドは頭を働かせようと集中する、自分は重要な情報など知りはしないが、うまく信用させれば嘘の情報を信じ込ませる事が出来るかも知れない。
「好きな食べ物はなんですか?」
「・・・」
この質問に嘘で答えても多分、いや、絶対意味はない。
「・・・牛肉の煮込み」
悩んだ末、素直に答えた。
「ふふっ、お肉かぁ、男の子らしいね、どんな味付けの?」
「・・・デミグラス」
「そっかそっか・・・今度勉強しとこ」
「・・・」
自分の好物を知ることがこの魔物にどういう利益をもたらすのか分からないが、とりあえずそれは置いておく事にした。
「次に俺の質問だ・・・他の生徒達はどうなった?」
「どうもしてないよ?多分あの後普通に帰ったんじゃないかな」
コンラッドはほっと息をついた、ひょっとして全員連れ去られて魔物の餌食にされたのではないかと心配していたのだ・・・この魔物の言葉を信用するなら、だが。
「それじゃ、質問ね、うーんと・・・好きな色は何ですか?」
「・・・青だ」
相手の質問にどういう意味があるのかを考えるのはやめた。
「青、かぁ」
そう言うとジュカは目を閉じて俯いた。
「?」
何事かと思うコンラッドの目の前でジュカの体から揺らめくように魔力がたちのぼり始め、そこだけ無重力になったようにジュカの髪がふわりと浮き上がる。
「なっ・・・!?」
そして、クリーム色だったセーターがみるみる鮮やかな空色に変わり始める、コンラッドはただ呆然と見ているしか出来ない。
「こんな感じの色?」
すっかり色の変わったセーターでちょっと角度をつけてポージングしてみせるジュカ、コンラッドは言葉もない。
「おーい?もしもし」
「そ、ああ、うん、そんな感じ」
「ふふ、鳩が豆鉄砲って顔だよ」
「ええと、あー、こ、こっちの質問だ」
「はいはい」
コンラッドは気を取り直すように頭を振った。
「何故俺だけを攫った?」
「そりゃあ、君を気に入ったからだよ」
「気に入ったって・・・」
「イイ男を見分ける目には自信があるんだよ♪これでも」
「・・・ふふっ」
「?」
「あっはっはっはっはっ!」
突然笑い出したコンラッドをジュカはきょとんとして見る。
「どうしたの?」
「くくくっ・・・お前は凄い魔力を持っているのにその自慢の男を見る目だけは全然だな」
「全然って?」
「俺は落ちこぼれなんだよ、あの集団の中でも、いや、学校の中でもダントツのな、剣の腕も魔法も何もかも、あんなに沢山いた中からよりによって俺を選ぶなんて大した観察眼だな?」
相手を馬鹿にする材料が自分の無能さというのが少々情けないが、今まで付け入る隙の見当たらなかった相手が見せた思わぬ失態にコンラッドは勢い付く、しかし、ジュカは柔らかな笑みを浮かべて言った。
「ううん、私の目は間違ってないよ」
「何をどう間違ってないと・・・」
「君の剣の腕が下手でも魔法が使えなくても、君の魂の美しさとは関係のないことなんだよ」
「魂・・・?」
「そう、君がダントツで輝いてた、もう見た瞬間びびびって来たんだもん」
きらきらと輝く深紅の瞳に見つめられてコンラッドは慌てて目を逸らし、頭を掻いた、どうしてこういう話になったのか、そもそも自分は食われるために連れて来られたのではなかったのか、魂の美しさどうこうが食う相手に重要な事なのか?
「あーっ!」
「!?」
色々考えていると急にジュカが素っ頓狂な声を上げ、思わず飛び上がってしまった。
「そうそうそう!すごく大事な事聞くの忘れてた!」
「な、何だ?」
「あのね・・・好きな人、いますか?」
「・・・」
一瞬脳裏にソランの顔が思い浮かぶ。
「・・・いない」
「いるんだ」
「いないって言ってるだろ!?」
「今ちょっと頭の中覗いちゃいました」
「ちょ、卑怯だぞ!?」
「あ、やっぱりいるんだ」
「うぐっ」
簡単なカマかけに引っかかってしまい、歯噛みする。
「そっかぁ・・・いるんだぁ」
「もうどうでもいいだろそんな事!食うならさっさと食いやがれ!」
半ばやけくそになってコンラッドが叫ぶと、かちん、とジュカが硬直した。
「?」
そして見る見るうちに白磁の肌がかあああああっと朱に染まっていく。
「そそそそそんな、早く食・べ・て♪だなんて・・・」
そんな言い方はしていない。
「そ、そりゃあ、そういう目的で連れてきたんだけれども、その、もっとお互いによく知りあってから・・・わ、私も何だかんだでこういうの初めてなんだし・・・で、でも、もう我慢できないって言うなら・・・!」
顔を真っ赤に紅潮させたまま椅子から降り、そろそろとコンラッドににじり寄ってくる。
コンラッドは固唾を呑んだ、とうとうその時が来たのかもしれない、連れ去られた時から覚悟はしていたが、この美しい容姿の魔物が一体どうやって人を食らうのか、ひょっとして肉を食うのではなく魂を食う、という事なのかもしれない、それなら先程の魂の美しさ云々も納得のいく話だ、しかしどうも様子がおかしい、手を広げて近付いてくる彼女の瞳はきらきらと輝いていて、それは食欲とは別の欲望に満ちているようで、彼女の匂いはますます濃密になってきて、この期に及んで自分の息子は激しくいきり立って・・・。
と、そこで彼女の動きがぴたりと止まり、紅潮していた肌からすうっと赤みが引いた。
「?」
何事かと見るコンラッドの前でジュカはじっと彼を見る。
いや、焦点はコンラッドに合わされていない、彼を通り抜けてもっとずっと遠くを見ているような・・・。
「ね、コンラッド」
「な、何だ」
「あなたの好きな人って、金髪?」
「えっ」
「長い髪を二つに結えてて、顔は気の強そうな美人で胸がおっきくて・・・」
「な、何でそんな事!?」
「そうなんだ」
彼女の言う特徴は紛れもなくソランだ、だが何故急にそんな事がわかるのか。
困惑するコンラッドの前で彼女はすうっと背筋を伸ばす。
「うん、でもこれは丁度いいかも」
「何がだよ?」
ジュカはにっこり笑って言った。
「囚われの王子様を勇者様が救いに来たみたいだね」


ソランは僅かに残されている魔力の痕跡を辿り、森の中に分け入っていた。
召喚した青白い光球で闇を照らしながら木々を切り払い、進む。
自分がどれだけ無謀な行いをしているかは自覚していた、彼を連れ去った魔物は魔王の娘たるリリムなのだ、あの魔物一体で軍隊の脅威になり得る存在なのだ、勇者だ何だともてはやされてもたかが小娘一人でどうにか出来る相手ではない。
それでも自分一人で行くしか選択肢はなかった、魔物に連れ去られた犠牲者が帰還した例は皆無だ、そして、余程将来が有望な生徒ならともかく・・・彼一人のために捜索隊が結成される可能性もほぼないだろう、話に聞くとそのリリムは転移魔法を使うのだという、時間が経てば経つほど彼の生存率は下がっていく、軍や学校を説得している暇はない、このような無謀な行為に他人を巻き込む訳にもいかない。
不意に、険しい獣道から草原のように開けた場所に出た、それと同時に急激に周辺に満ちる魔力の密度が増すのを感じた。
ソランは立ち止まって剣を抜き、じっと周囲の様子を伺った。
間もなく、彼女の目の前の空間が歪み、肌も露わな衣装を纏った魔物が現れた。
(・・・なんて・・・)
美しい、正しく人では有り得ない悪魔じみた美貌だ、異性だろうと同性だろうと問答無用で虜にされる、軽い目眩を覚えたソランは慌てて頭を振り、正気を取り戻す。
(・・・この子かぁ・・・確かにこれは・・・)
そしてジュカの方も彼女の姿に見惚れる。
容姿は無論のこと、その魂は力強くも慈悲深い輝きを放っている、このまま成長し、輝きを増し続ければ恐らく彼女のために命を惜しまない大勢の仲間に恵まれるだろう。
「こんにちは」
にっこりと笑ってジュカが声を掛ける。
「・・・こんにちは」
少し考えた後、ソランも挨拶を返す、もし話が通じる相手なら交渉によってコンラッドを取り返す事が出来るかも知れない、むしろ戦ってもまず勝てない相手なのだからそれが出来るならそれが一番望ましい。
「貴方が一人の男子生徒を連れ去った事は分かっています、すぐに解放するなら貴方の身の安全は保障しましょう」
「安全?」
「リリム出現の報せを受け、軍が動き出しました、まともにぶつかり合えば貴方であってもただでは済まないでしょう、しかし軍も貴方と戦って無事に済むとは思っていない、出来れば戦闘は避けたい、私は調停役にここに派遣されたのです、貴方が攫った男子生徒をただちに解放し、ここを立ち去るなら軍も余計な消耗をせずに済むという事です」
無茶なはったりというのは承知だ、しかし交渉する材料がない以上意地でもはったりを通すしかない。
(・・・そっか・・・この子、そんなにコンラッドの事・・・)
ジュカにはそれがはったりだと分かった、そして、この少女がどうあってもコンラッドを取り返したいと考えている事も分かった、ならばこの少女に一つの試練を与えよう。
ジュカはソランに微笑み掛けた、それは妖艶な笑みでも無邪気な笑みでもない、酷薄で慈悲の欠片もない、まさしく教団の教えにあるような邪悪な魔物の浮かべるような笑顔だった。
「残念だけど応じられないよ、交渉の材料はもう食べちゃったからね♪」
「・・・・・・・それはどういう」
「コンラッド君、だっけ?とっても美味しかったよ♪」
それを聞いた瞬間、ソランの顔から抜け落ちるように表情が消え、能面のような無表情になった。
次の瞬間ジュカは弾かれたように仰け反った、直前までジュカの首があった空間を鈍い閃光が閃き、数本の髪が千切れた。
常人なら自分の首が地面に落下するまで気付かないほどの高速の斬撃だった。
ジュカはそのまま地面を滑るように移動し、距離を取る。
相手が間合いを取ったのを見ると、ソランは男性のように低く、荘厳な声色で呪文を詠唱した、たちまち複数の青白い光球が彼女を取り巻くように出現した、魔を焼き払う浄化の光だ。
青白い光に照らされて金の髪が妖しく煌めき、夜闇に無慈悲な美貌が浮かび上がる。
血も凍るような美しさだった、死神の美しさだった。
「綺麗・・・」
ジュカはうっとりと呟くと空中で何かを掴むような動作をし、一気に引き抜いた。
目に見えない鞘から抜いたように手には禍々しい曲刀が握られていた。
同時にジュカの体から可視できるほど強力な魔力が紫色のオーラのようにたちのぼり始める。
「見せて、貴方の怒りを、悲しみを、絶望を」
そっと刃に指を這わせ、状況にそぐわない慈母のような優しい笑みを浮かべ、囁く。
「彼への想いを」
ソランは青い光球を従わせ、ジュカに躍りかかった。


それは英雄譚の一幕に描かれるような闘いだった。
青白い光と紫色の魔力がぶつかり、弾け、砕ける、剣が閃き、木々がざわめき、大地が揺れる。
これが英雄譚の一節ならば闘いは勇者の勝利で幕を閉じるのだろう、英雄譚なら。


ソランは仰向けになり、夜空を見上げていた、鎧はあちこちが砕け、もはや防具として用を成していない、青白い光は全て霧散し、体は言う事を聞かない。
それでも背筋に力を込め、起き上がろうとする。
ソランは頭に皆の顔を一人一人思い浮かべた、応援してくれる仲間の顔、期待をかけてくれる教師の顔、教えてくれた師の顔、父の顔、母の顔、たくさんの・・・。
そうすると力が湧いてくる、苦境に立たされた時、挫けそうに辛い時、ソランはいつもこうして立ち上がってきた。
・・・力が入らない、湧いてこない、立ち上がれない。
何故、どうして、このくらいの怪我が何だ、この程度の消耗が何だ、立ち上がれ、立ち上がってあの魔物を倒すのだ、倒して・・・倒して・・・?
全身から力が抜ける。
ああ、そうか、そうだ、思い浮かべる顔の中に、彼がいない。
ずるずると崩れ落ちる。
コンラッドが、いない。
地に倒れ伏す。
例え立ち上がって、あの魔物に勝てたとしても、彼は帰ってこない、彼はもういないのだ、この世のどこにも存在しないのだ、もう、会えないのだ。
ソランはまた、夜空を見上げた、涙が出るかと思ったが、全てが枯れ果てたように何もでてこなかった、むしろ笑い出してしまいたい気分だった、自分は勇者などではない、ただの一人の愚かな女だ、彼一人を失ってしまっただけでもう、何もかもがどうでもいい。
視界の端にあの魔物の姿が映った。
「合格だよ、勇者さん」
うるさい、自分は勇者などではない。
「たくさん、伝わってきたよ」
もう何も聞きたくない、見たくない、早く送ってほしい、彼の元に、コンラッドの元に。
ジュカはソランの元に近寄り、顔を覗き込んだ。
「貴方に永久の幸福と無限の快楽を」
自分はいまわのきわに幻覚を見ているのかもしれない、魔物がこんなに慈悲深い笑顔を浮かべるはずがない、まるで聖母のようだ。
ジュカはソランの額に口づけをした、それと同時にソランは意識を手放した。
コンラッドに、会いたい。

11/05/08 14:39更新 / 雑兵
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