読切小説
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古い約束と人形
 青年のもとに手紙が届いたのは、数日前の事。
 封筒にすら入っていない、便箋を折りたたんだだけの手紙には、「丘の屋敷の売却が決まったので、片付けを手伝いに来い」とだけ、久しぶりに見た兄の字で短く書かれていた。

 丘の屋敷。祖父母の暮らしていた邸宅を、みんながそう呼んでいた。
 最後に行ったのは、まだ八つか九つか、それくらいの時だった。
 もうすっかり記憶は薄れてしまったが、それでも、その広さと華美な装飾には、感動を通り越して恐怖した覚えがあった。
 住んでいた祖父母が亡くなってしまった後、縁者で住みたいと言う者もおらず、売ることになったのだろう。確かに、あの美しい屋敷なら、買い手などいくらでもいるはずである。

 そう思っていた青年は、久しぶりに訪れた「丘の屋敷」を見て、呆然とした。

 くまなく敷かれた絨毯は薄汚れ、廊下の隅には埃が溜まっている。飾られた絵画は老朽化したフックが外れて傾き、美しい花の生けられていた花瓶は、腐った水を湛えるだけになっていた。

「来ていたのか。早かったな」

 青年の兄は、頭に付いた埃を払いながら言った。

「ああ、兄さんも早いな。……その、思ってたより、ひどいな」

 花瓶を見つめたまま、青年は答えた。
 長いこと放置されていたとは知っていたが、ここまで酷い有様だとは思っていなかった。もっと早く、何かできたのではないか。
 浮かび上がってきた後悔を、頭を振って忘れる。

 そんな弟の姿をどこか悲しげに見ながら、兄は話題を逸らすように言う。

「お婆様とお爺様の思い出の品は全て、二人の墓に埋められたから、ここに残っているものは好きに持っていって良いそうだ」
「持っていっていい、と言われてもな……」

 この花瓶や絨毯を見るに、まともな物は残っていないだろう。
 弟がそう考えたのを察したのか、兄は苦笑して言った。

「お爺様のガラクタを纏めた部屋は、まだ誰も見ていないぞ」
「そんな部屋、あったか?」
「覚えていないのか?」

 驚いたな、と兄は目を丸くして、続けた。
 片付けの終わっていない祖父の部屋もそのままに、「こっちだ」と案内する。

「お前が小さかった頃、あの部屋に一人で閉じ込められて、みんなで探し回る羽目になったんだぞ」
「そんなことが……あったかな?」
「わんわん泣き喚きでもすればすぐ分かったのに、閉じ込められておきながらじっと静かにしてたから、探すのにも余計に時間がかかったんだ。覚えてないか?」
「……覚えてない」

 青年は首を傾げて必死に思い出そうとしてみたが、どう頑張っても、そんな記憶は出てこなかった。

「都合のいい頭だな……ほら、ここだよ」
 
 鍵もかかっていないドアを開けると、錆び付いた蝶番が耳障りな音を立てた。
 長い事閉ざされていたのか、埃と共にカビ臭い空気が廊下へ流れ出し、兄弟は揃って咳き込んだ。

「……ひどいな」
「探せば価値のある物も残っているかもしれないが……部屋ごと捨てたいくらいだ」

 壊れた家具や、よく分からない絵などが無造作に放り込まれている部屋は、もはや、ゴミ捨て場にも等しい惨状だった。
 青年が勇気を出して部屋に踏み込んでみると、一歩目から蜘蛛の巣が顔に引っかかり、早々にこの部屋を片付けなければならない事に嫌気が差した。
 お前に任せたとでも言うように部屋に入ろうとしない兄は、蜘蛛の巣を振り払う青年を見ながらため息をついた。

「お爺様は、何を思ってこんな物を集めていたのか、一度聞いておくべきだったな」
「そんな事言ってないで、手伝えよ」

 手近な物を片っ端から部屋の外へ放り出しながら、青年は訴える。
 濡れて読めなくなった本や、脚の折れた椅子、子どもの落書きの様な絵、丸い石。統一感も何も無いゴミの数々を、適当に引っつかむ。

「さっきまでお爺様の部屋を掃除していたから、休憩だ」
「そうか。じゃあ、俺もこの部屋を掃除したら休憩しよう」

 他愛も無い会話をしながら、部屋を埋めていたゴミを投げ出し続けると、ようやく、この部屋が物置であった事を示すような棚が現れた。
 そこに置いてあるのも、穴の空いたボールや、鏃の取れた矢など、価値など無いものばかり。
 確認するのもめんどくさくなり、掴んだものを全部投げ捨てようと思い始めたところで、青年の手が、何かの瓶にぶつかった。
 その拍子に瓶は倒れ、緩んでいた蓋が外れて中身が棚の上に零れ出す。

「うわっ……くそっ、面倒だな」

 瓶の中身は、花から精製された香油だった。比較的最近ここに放り込まれたのか、劣化はしていない。瓶も汚れておらず、綺麗なままだった。
 倒れた瓶を戻し、床に転がり落ちた蓋を探す。
 四段ほどある棚の一番下の段は、不自然な程に綺麗だった。お陰ですぐに蓋は見つかったが、同時に、そこにあった別の物も見つかった。

「……人形、か?」

 ドレスを着た女の子の姿をした人形が、空いていた棚にちょこんと座らされていた。
 いつからあるのか、陶器のような白い肌や、ハート模様をあしらったドレスは薄汚れていて、埃っぽいくすんだ水色の巻き髪は、強く引けば切れてしまいそうなほど痛んでいた。
 何となく興味を惹かれた青年が抱え上げてみると、先ほど零した香油の香りがふわりと舞った。どうやら、この人形の髪に付けるための香油だったらしい。
 近くで見てみると、愛らしく微笑むその顔には、見たものをときめかせる何かがある。少し濁った青い目も、作り物のガラス玉にしては、何ともいえない妖艶さがあった。

「馬鹿馬鹿しい……」

 そんな事を考えてしまってから、青年は自嘲した。
 子どもが遊ぶための人形で、妖艶さも何も無いだろう。確かに綺麗な人形だが、所詮は人形だ。

「なんだそれ、人形か?」

 静かになった弟を不思議に思った兄が、部屋を覗き込みながら訊ねた。

「ああ、棚に置いてあった。結構綺麗だから、これは捨てなくてもいいかもしれない」
「そうか。でも、うちはいらないな。お前、持って帰ってやれよ」
「いや、俺も……」

 いらないと言おうとしたが、青年は口ごもり、もう一度人形を見た。
 すっぽりと腕の中に収まっている人形は、当然のことながら何も言わない。
 しかし、仮にも人の姿を模している物を捨てる事自体、どうも気が咎める。それに、この人形には、どこか懐かしさを感じる。もしかしたら、自分も忘れているだけで、祖父母との思い出があるのかもしれない。

「……じゃあ、貰ってく」

 考えた末にそう言って、他のゴミと混ざらないように、人形を廊下の花台に座らせる。ついでに、香油も貰っておく事にした。

「他は……全部捨てて良さそうだな」

 部屋の中を見回しながら、兄が呟いた。
 青年も、それに頷いて同意した。

「よし、じゃあさっさと終わらせよう。俺も、あまり家を空けると嫁に何言われるか分からないからな」
「……兄さん、相変わらず尻に敷かれてるのか」
「違う。俺が愛する妻を尊重しているから、そう見えるだけだ。お前も結婚すれば分かる」

 久しぶりに会ったのに相変わらずな兄に、弟は安心していた。

「しばらく義姉さんには会ってないけど、兄さんが尻に敷かれていなかった所は見たことない」
「だから違う。何と言うか……難しいんだよ、その辺は」

 捨てる事が決まったゴミたちが、次々と廊下に放り出され、袋に纏められる。
 話をしながらでも手際よく掃除を進める仲の良い兄弟を、花台に座らせられた人形は、じっと見つめていた。



 掃除は順調に進み、その日の晩には、ほぼ全ての作業が終わった。
 埃にまみれた兄弟は、後は色々捨てるだけになった所で、「そういう仕事の人たちに任せればいいだろう」と同じ意見を述べた。
 そうして、兄は早々に帰ってしまったが、青年は近くの街で宿を取り、翌朝帰ることにした。

 宿の柔らかいベッドに体を投げ出し、青年は奇妙な唸り声をあげた。

 食事も終えて満腹である。このまま眠ってしまえば、適度な疲れも相まって、さぞ気持ちよく眠れる事だろう。
 青年は、欲求に身を任せてしまおうとしたが、サイドテーブルに置いておいた人形が目に入ると、ぼーっとそれを見つめた。
 そして、おもむろに起き上がって、壁に吊るしていた外套から香油の瓶を取り出した。

 ベッドの縁に座り、膝の上に人形を乗せる。何の素材でできているのか、その体は柔らかかった。
 取り出した香油の蓋を開け、自分の手に付ける。その手で、引っ張ってしまわないように、優しく人形の髪を撫でた。
 人形の世話などした事は無いが、多分、こういう風にすればいいのだろう。
 しかし、何度か撫でていると、香油を付けた手に埃が玉になって残ってしまっていた。
 先に埃を取った方が良かったのかもしれない。素人がどうにかするよりも、人形師でも探して手入れを頼んだほうが良さそうだ。

 早々に諦めた青年は、人形をサイドテーブルに戻した。
 そして、手に付いた埃と香油をベッドシーツで拭って、そのまま眠る事にした。


 月明かりの差し込む部屋に、甘い花の香りが漂っていた。
 曖昧な意識の中、青年は、何かが動いているのを感じた。
 見れば、貰ってきた人形が腰の上に乗り、その小さな手で、青年の下着を引っ張っていた。
 少々苦戦していたが、やがて、人形が後ろにころんと転がった拍子に下着がずらされ、その下のだらりとした肉の棒がさらけ出された。

 奇妙な夢だと思いながら、青年は人形の行動をじっと見守る。
 月明かりに照らされ、起き上がった人形の顔が少しだけ見えた。うっすらと微笑んでいたはずの顔は、とても淫靡な笑みに変わっている。

 人形は再び腰の上に乗りなおすと、さらけ出された肉棒に触れ、先っぽに半分被っていた皮を剥き、敏感な亀頭を、指先でつんつんとつついた。
 刺激を受けるたびにびくんびくんと跳ね回るそれが面白いのか、しばらくそうして遊んでいたかと思えば、今度は、両手でしっかりとカリ首の辺りを押さえた。
 そして、小さな唇で、むき出しになった亀頭にキスをしはじめた。
 ちゅっ、ちゅっと音を立てて、何度も、何度も、敏感な箇所に柔らかな唇が触れる。
 強い刺激では無いが、それでも、そういった行為とは無縁だった青年のものは、瞬く間に固く張り詰め、血管を怒張させた。

「わっ……ちょっと、大きすぎ……」

 人形が、そう呟いたように聞こえた。
 小さな口をめいっぱい開けて、丸ごと咥え込もうとするが、どう頑張っても入る大きさではない。
 何度か悪戦苦闘した末、諦めたのか、再び、唇と舌での愛撫に戻った。
 ただし、今度はキスを繰り返すだけでなく、カリ首の段差を何度も舌でなぞり、裏筋を唇で食んだりする、様々な刺激による口淫だった。
 もどかしい刺激に、青年は体を動かそうとしたが、そこで、指一本動かせない事に気が付いた。声も出ない。完全に、動けない。

「……あっ、分かった」

 人形の唇が、鈴口に重ねられる。そして、尿道へと、小さい舌が差し込まれた。
 痛みにも近い強烈な刺激。同時に、精液を強引に吸い上げようとするかのように、人形は口を窄める。
 器用に舌を動かして、先走りを舐め取りながら、その奥にある、濃厚な精液が上ってくるのを待っている。

「苦しい?痛い?ごめんね、でも、これは、おしおきなの。うそつきお兄ちゃんへの、おしおき」

 一度口を離して、人形がこちらを見た。自分がどんな表情をしているのかは分からない。でも、人形は笑っていた。

「んぅっ……むぅっ……」

 小さい舌が、再び強引に尿道へ押し込まれる。
 浅い所とは言え、本来ならば何かが入ってくる事は無い内側を責められ続け、やがて、痛みは痺れへ、そして、強い快感へと、変わっていった。
 意思とは関係無く、腰が跳ねるように動く。それでも、暴れ馬を乗りこなすかのように、人形は振り落とされずに青年自身を責め続けた。
 裏筋に唇が触れ、尿道口を舌が繰り返し舐め回す。

 そして、ついに、蓄積した快感が限界を迎えた。

「んむっ!こくっ……んふっ……」

 びゅくん、びゅくんと脈打つ肉棒をしっかりと押さえたまま、吐き出される精液を人形は口に含み、少しずつ飲み込む。
 口に入らなかった分がドレスや顔を汚してしまったが、人形は嫌な顔一つせず、それらを手に取って、全て飲み込んだ。

「……けぷ。ごちそうさまでした」

 自慰による射精では感じた事の無い、異常な充実感と倦怠感に包まれながら、青年は人形を見た。
 その青いガラス玉の目は、作り物では無い光を宿していた。

「疲れちゃった?ごめんね、お兄ちゃん。おやすみなさい」

 満足げな笑顔を浮かべたまま、人形は青年の頬にキスをした。
 途端に、青年の意識は、何かに引きずり込まれるように暗転した。



 翌朝。目を覚ました青年は、サイドテーブルで座っている人形を見た途端に、あまりにも欲に塗れていた夢を思い出して、自己嫌悪した。
 確かに、そういう欲求は溜まっていた。それにしたって、いくら綺麗であっても、人形を精の捌け口にするなど、夢の中であっても正気とは思えない。下着に精を吐き出したりしていなかったのは、不幸中の幸いだろうか。

 憂鬱な気分のせいか、どことなく気だるさを感じながらベッドから起き上がる。

 宿の裏手で、井戸から汲み上げたばかりの冷たい水で顔を洗った。嫌悪感と倦怠感が洗い流され、雫となって地面に落ちた。
 少し遠くの空には、黒い雲が見える。順調に行けば今日中に帰り着ける距離だが、もしかしたら、雨が降ってもう一日かかるかもしれない。さして急ぐ理由も無いのだが、自宅の畑をあまり長く放っておくのは好ましくない。
 そんな事を考えながら、水を汲みに来た宿の主人に会釈をして、他愛の無い世間話を交わす。

「そういえば、昨夜、あんたの部屋に誰か来ていなかったかい?」

 不意にそんな事を言われ、青年は首を傾げた。

「昨夜はずっと眠っていたから……」
「そうか……ああ、いや、夜中にトイレに立った時、あんたの部屋から話し声が聞こえた気がしてな。眠かったから、風の音が声に聞こえたのかもしれんな」

 そう言って、主人は木桶一杯に汲んだ水を抱えて戻っていった。
 その後も、青年は少々考えてみたが、やはり、人の話し声など聞いた記憶はなかった。
 もしや、盗人でも入ってきたかと急いで部屋に戻ってみたが、何かを盗まれたりした様子も無い。やはり、主人の聞き間違えだったのだろう。

 確認ついでに荷物を纏め、人形を抱えて、宿を出た。幸いにも、同じ方向へ向かうと言う荷馬車を掴まえて乗らせてもらう事ができた。

 荷物の隙間に座らされるのは、決して居心地の良いものでは無いが、専用の馬車や馬を借りるよりもずっと安く済む。
 宿の主人から出掛けにもらった固いパンを齧りながら、のろのろと進む荷馬車の上で景色を見るのも、悪くは無い。

「へぇ、お婆さんがねえ……」

 道中、手綱を握っている御者に話をねだられたので、祖父母の話をする事にした。
 面白い話では無い。それなりに裕福で様々な物を溜め込んでいても、死んでしまえば、後には残るのは面倒ばかりと言う、愚痴にも近いものである。

「そいで、残った面倒とやらの一つがぁ、そのお人形かい?」

 訛りのある口調で笑いながら、御者はそう言った。更に「面倒と呼んでやるにはちょいと可愛らしいな」と付け加えられ、青年も苦笑して答えた。

「まあ、そんなところです」
「おいらぁ、こんな仕事で色々運んできたが、そんな可愛い人形は見たことねぇよ。大事にしてやんな」
「……そうですね」

 確かに、掃除自体は面倒だったし、これからも何かあるかもしれないが、この人形自体は、間違いなく良い物である。それに、一応、思い出の品という形になるのだ。大事にした方がいいだろう。
 心の内で謝罪しながら人形の頭を撫でてみると、髪の感触が昨夜触れたときとは随分違う事に気が付いた。

 指で梳いてみれば、引っかかる事もなく、するすると指の間を抜ける。軽く引いてみると、素直に伸びるが、形は崩れずにすぐに元の巻き髪に戻る。色も、くすんだ水色だったはずだが、汚れも無い、綺麗な空の色になっていた。
 慣れないなりに、香油をつけて手入れをしたのが良かったのだろうか。
 手触りが良いという言葉では足りない、いつまでも触れていたいと思う、美しい髪だった。

 不意に風が吹き、ふわりと髪が揺れた。同時に、甘い香りが鼻をくすぐる。香油による物だけではない、情欲を煽り立てるような、頭の中まで痺れさせるような香り。
 きっと、この香りに包まれながら、この人形を滅茶苦茶に汚してしまえば、さぞ気持ちよい事だろう。穢らわしい欲望で、この美しい人形を染め上げてしまえば。

「いやぁ、うちにも娘が一人いてねぇ」

 御者の声に、青年は我に返った。いつの間にか固く勃起した自らの物に押し付けるように、人形を強く抱きしめていた。

 自分は何をしているのだろうか。こんな小さな人形に欲情しているのか。

 人形を隣に置き、こめかみを指で強く押す。ずきずきとした頭の痛みが冷静さを取り戻させてくれると信じた。
 そんな青年の様子に気付く事無く、御者は自分の娘の事を話し続ける。

「どうも男勝りでなぁ。人形の一つでも買ってやれば、女の子らしくなるかねぇ」
「……そうですね、いいと思います」

 適当な返事をしながら、青年はため息をついた。

 結局、その日の内に家まで辿り着く事は叶わなかった。途中で雨が振り出し、荷を濡らさないために近くの村へ逃げ込む事になったためである。
 それでも、家までは少し歩けば帰り着ける距離まで来られた。後は、明日雨が上がってからゆっくり歩けばいいだろうと、青年は御者に礼を渡して別れた。
 そして、宿で眠りに付くまで、ずっと、腹の底に渦巻く欲求に悩まされ続けた。



 部屋中に、甘い香りが漂っていた。それは、昨夜のものとはまた違う香りで、今日の荷馬車の上で嗅いだものよりも、遥かに濃く強い匂いだった。

「お兄ちゃん、起きてるよね?」

 声が聞こえた。昨夜と同じ、人形の声だった。
 目を開ければ、昨夜と同じ、腰の上に跨っている人形が見えた。

「今日、お外で何を考えてたの?」

 既に下着は剥がれ、人形の目前に、そそり立つ肉棒が曝け出されていた。

「お兄ちゃんに髪を撫でられるの、とっても気持ちよかったよ……でも、お兄ちゃんも、わたしの髪を撫でただけで、気持ちよくなっちゃってたの?」

 艶のある空色の髪がひとりでに動き、絡みつく。
 しゅるしゅると、覆い隠すように巻きつくそれの感触は、柔らかな絹のようでもあった。
 驚きはしなかった。むしろ、期待していた。昨夜のような、味わった事の無い快感を。

「外で、それも荷馬車の上で、なんて……変態さん」

 人形は、小さな両手で輪っかを作り、先端から根元まで、ゆっくりと性器を扱き始めた。
 手が上下するたびに、巻きついた髪からも不規則な刺激を与えられる。
 その刺激自体も十分に気持ちよいものだが、それ以上に、この状態で精を吐き出せば、どうなるか。
 それを考えるさせられる事で、自分でも驚くほどに興奮していた。

「髪、綺麗でしょ?昨日、お兄ちゃんの精液を……魔力を分けてもらったから、綺麗にできたの」

 人形の手が動くたびに、背筋を震わせるゾクゾクとした快感が走る。

「撫でてもらって、ぎゅって抱きしめられて、服の上からでも、お兄ちゃんのが大きくなってるのが分かって……我慢するの、大変だったんだから」

 白い頬を上気させ、人形も興奮しているようだった。
 緩やかで不規則な快感に漏れ出した先走りが、髪や手に絡み、くちゅ、くちゅといやらしく音を立てている。
 もっと強く、と懇願しそうになったが、声は出なかった。しかし、人形は、それを読み取ったように、手を止めて囁いた。

「もっと、強くしてほしい?」

 考える間もなく、頷いていた。みっともないくらいに。

「じゃあ、お兄ちゃんが自分でして?わたしの髪は使わせてあげるから……ね?」

 その言葉で、昨日とは違い、自分の意思で体を動かせる事に気が付いた。
 この人形は、みっともなく自分の物を扱いている姿を、見たがっているのだ。
 屈辱的だった。だが、屈辱など、快楽への欲求へと比べれば、些細なものだった。

 髪が巻きついたままのそれを、自分の右手で握り、ゆっくりと扱く。
 手だけでしている時とは比べ物にならない程の快感。人形の髪に触れ、触れられている。その事に、異常なほどの興奮を覚えた。

「あはっ……すごぉい……」

 目の前で行われる自慰行為に見惚れながら、人形は呟いた。自分の髪が、ただの道具として扱われている事に興奮しているようでもあった。
 水音が増し、ぐちゅり、ぐちゅりと安宿の部屋に響いていた。青年の行為を見ながら、人形も、自分の秘部をまさぐっていた。
 小さな指で、ドレスの下に隠れているそこを、一心不乱に弄り続ける。
 時折、青年の無遠慮な手の動きに髪を強く引っ張られてしまっても、その痛みすら悦びとしか感じていなかった。

 奇妙な形で互いの自慰行為を見つめ、興奮を絡めあうように高まらせていると、不意に青年が一際苦しげな声をあげた。

「あっ……もう、出ちゃうの?」

 びくり、びくりと震えるそれを見ながら、人形はどこか残念そうに言った。
 そして、自身も絶頂を目前にして喘ぎながら、続けざまに囁いた。

「じゃあ……いいよ……髪に、全部出して……?お兄ちゃんの、どろどろした精液で……わたしの髪、めちゃくちゃに、よごして……?」

 頷く事すらできず、青年は、こみ上げるままに精を放った。
 どくん、どくんと、塊のような精液が出るたびに、息が詰まった。暗い部屋の中でも、人形の空色の髪が、黄ばんだ白濁に汚されていくのが見えて、それが更なる興奮を招いた。
 射精中も手を止められず、人形の髪を乱暴に引っ張りながら、本能のままに快感を求め続けた。

 人形も、自分の髪に精液がべったりと付くたびに、言い知れぬ快楽を感じていた。自慰による快感よりも、自分を汚される方が、求められている、満たされているという快感を得られていた。

 ようやく射精が終わり、青年の手が止まると、人形はゆっくりと巻きつけていた髪を離した。
 どろりとした精液が、細い髪の間で糸を引いている。それを少しだけ手に取って、小さな舌で舐め取ってから、人形はうっとりとため息をついた。
 そして、今度は、髪に付いた精液を塗り込むように、自分の髪を撫でる。

「香油よりも、こっちの方が好きかも……うぅん、ぜったい、こっちのほうが……」

 細く長い髪の一本一本、全てに精を纏わせようと、人形は青年の精液を引き伸ばす。
 青年は心地良い気だるさを感じながら、その光景に見惚れていた。

「ねぇ、お兄ちゃん。今度からは……」

 気だるさは、やがて睡魔へと変わり、ゆっくりと、夢の世界へと手招きする。

「……お兄ちゃん?」

 眠りに落ちる寸前に、青年は、人形の声に頷いた。
 お兄ちゃん。ああ、そうか。そういう事か。浮かび上がってきた記憶と重なったその言葉に納得した。
 そして、その記憶に意識を渡すかのように、深い眠りへ落ちていった。




「……お兄ちゃん、か」

 雨上がりの街道を歩きながら、遠い目をして青年は呟いた。
 小さい頃は、自分も兄の事をそう呼んでいたはずだった。いつから「兄さん」と呼ぶようになったのだろうか。

「どうしたの、お兄ちゃん?」

 青年の頭の上に座っていた人形が首を傾げた。
 着ているドレスは相変わらず少し汚れているが、その白い肌も、空色の髪も、今では汚れ一つ無い、綺麗なものになっていた。
 そして何より、それが当然のように、人形は動いて喋っている。

「いや……なんでもない。それより、思い出したよ。あの物置で、きみと会った時の事」

 人形との夜は、時と共に忘れ去られていた青年の記憶を掘り起こしていた。

「あそこに閉じ込められた時、俺はきみと話をしていたんだ。一方的だったけど、色々な事を話した」
「うん。『きみのお兄ちゃんになってあげる』って言ってくれたのも、『髪がきれい』って言ってくれたのも、その時だったの」

 今ならば、全てを思い出せる。
 青年は、頭の上の重さを感じながら目を細める。

 あの時、暗い物置に閉じ込められた幼い日の自分は、この人形のお陰で、泣き喚いたりせずに済んだ。
 寂しさを誤魔化すように、色々な話をした。自分の事、兄の事、広くて怖いお屋敷の事。
 そして。

「『こんな所から出て、一緒に家に帰ろう』って、約束した」
「よかった、ちゃんと覚えてた……ううん、思い出して、くれたんだ?」

 人形の言葉が、青年の胸に刺さった。

 人形と話し続けて、約束までしたのに、薄暗い部屋のドアが開くと同時に、幼い日の自分は人形を放り捨てて両親へ飛びついた。
 そして、安心感で満たされると同時に、ほんの少し前の約束も、簡単に忘れ去った。

 それでも、人形はあの薄暗い部屋で再び一人になってしまっても、待っていたのだ。
 薄汚れても、家の主が亡くなっても、どれほどの時が経っても、「お兄ちゃん」は必ず約束を守ってくれると、信じた。

 やがて、時と共に膨れ上がった想いは、魔力と結びつき、ついに、人形をひとつの生き物にまで変貌させた。
 その結果が不幸かどうかは別として、長く孤独を味わわせた事には、変わりは無い。

「……悪かった、ごめん」
「うん、悪いことされた。お兄ちゃんは、悪い人」
「悪い人は、どうすればいい?」

 青年の頭の上に座ったまま、人形は前後に体を揺すった。青年は人形が落ちないように、慌ててその足を掴んだ。

「えーっと、髪を綺麗にするのと、抱っこするのと、一緒に寝るのと……わたしがしてほしい事、毎日、全部やってくれたら、許してあげる。あと、お洋服も買ってね?髪につける油も、新しいのが欲しいな」
「服と油は追々……でも、他の事は全部やるよ。それで、許してくれるなら」
「毎日だよ?わたしが『もういいよ』って言うまで、ずっとだよ?」
「……無理の無い程度には、頑張る」
「あ、あともう一個!」

 上下さかさまになって青年の目を覗きこみながら、人形は、静かに言った。

「もう、置いていかないでね」

 青いガラス玉の目には、何も映っていなかった。光も、青年の姿も。
 ただひたすらに昏いその目に、恐怖すら感じて、青年は息を飲んだ。

 だが、その一瞬後には、人形はまた青年の頭の上で笑っていた。

「ふふ、お兄ちゃん……おにいちゃん!」

 無邪気な妹のように振舞っているが、その心の奥底には、魔物らしさが眠っている。ただの人形に心を生み出すまでに至った、執念という炎が燃えていた。
 青年は、額にじっとりと浮かんだ汗を拭い、誤魔化すように言った。

「とりあえず、近いうちに大きな街へ行こう。服や香油は、そこで探す」
「ほんと?もちろん、わたしも一緒に行っていいのよね?」

 人形が動いていたら驚かれるだろう。
 そう言おうとも思ったが、少し前の人形の言葉を思い出し、青年は沈黙した。
 今ならば、兄の気持ちが分かる気がする。尻に敷かれるとはまた違うが、確かに、これは難しい。

「楽しみだわ!わたし、街の事なんて全然知らないもの!」

 そんな青年の悩みなど露知らず、人形のはしゃぐ声は、雨上がりの澄んだ空気を湛える街道に響き渡っていた。
 家に着くまで、もうしばらくの間。青年は頭の上ではしゃぐ人形に付き合わされる事になりそうだった。
16/04/21 01:12更新 / みなと

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