読切小説
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狐婿
 狐婿。旧小佐ヶ村に伝わる神隠しの伝説で、若い男が金の髪飾りを身に着けた童に見初められると姿を消すというものだ。
 一般的な神隠しのそれと違うのは、神隠しの1年後に村に数人の赤子が帰ってくることで、その赤子が男はたくましく女は美しく育ち、そして皆勤労であったということから、喜ばしいことであるとされていたことである。
 そうした事から、かつてこの一帯で暴れていたという狐の伝説に擬えて、狐に婿入りしたのだと言われていたという。
 私が小佐地区に足を運んだのはそうした伝承を求めてのことである――と言っても本当に神に見初められるとも婿入りするとも本気で思ってはいなかったし、ただ不可思議なものを面白がっているに過ぎなかった。

       〇

 小高い山々は所々赤に染まり始めている。盆地に広がる田には黄金色に色づき始めた穂が揺れており、涼やかな疎水のせせらぎが聞こえる。田園が広がる風光明媚な日本の原風景――とまでは行かないのが現代の都合。
 電柱は連なり電線は風に揺れ、山の上には送電用の鉄塔が建っている。高速道路が谷を乗り越えるようにして通り、そのコンクリートの柱は山の麓にそびえ立つ。住居は古くてもせいぜい瓦葺で、そこに現代風の金属板の屋根が入り混じっている。アスファルトで舗装された道は昼間でもまばらにも自動車が走り、時折踏切の警報と電車の揺れる音が響く。旧小佐ヶ村はO市に併合されて小佐地区となったのももう40年も前の話だとかで、こうして見る分には現代にもあちこちで点在する田舎でしかない。
 不思議なことと言えば、繁華街には決して近くない立地でありながら新築の家屋がかなり多い――つまり若い者が多いということが一つ。そしてもう一つ、町の中には美男美女、それも今流行りの女のような瞳を大きく開いた可愛らしい顔というよりは、切れ長の瞳が特徴的な美しい顔立ちの者が多いことである。しかし元が村であったから同じ血を祖先に持っているにしても、化粧も無しに似た系統の顔が多いように思われるのは本当に気のせいだろうか。

 石鳥居をくぐると、境内特有の清涼な空気が私を迎えた。かすかに色づいた鎮守の森の紅葉の下、緩く蛇行して並ぶ石段の参道を登れば、その先には石の鳥居と石畳、そしてその奥に朱で彩られた下尾嵯神社の社殿がある。
 下尾嵯神社は尾嵯魂比売命(オサタマヒメノミコト)と呼ばれる神を祀っていることになっている。が、調べてみれば分かる通り、日本神話にはそのような神に語られてることはない。その所以は下尾嵯神社にも残されており、曰く『尾嵯と呼ばれる狐の祟りを恐れ、敬い、神として祀り上げた』とのことである――要するに祟り神を治める為の神社なのだ。
 今では豊穣と縁結びの神として知る人ぞ知るパワースポットだとか言われており、正月や例大祭などのハレの日にはなかなか人が押し寄せて来るようであるが、ケの日では私と境内を清掃している巫女しかいない。
 賽銭箱に五円を放ると社殿の鈴を鳴らし、社殿に据えられた鏡を咥える狐の像に二礼二拍一礼の参拝をする。頭を下げてから、独り身の男には特別祈るようなこともないのに気づき、旅での奇縁を祈った。
「珍しいですね、男性の方だけだなんて」
 後ろから声をかけられる。振り返ると先の巫女がこちらに来ていた。
 巫女は小佐地区の住人らしく切れ長の瞳をしている。私より幾歳か年上――三十路頃で、もちろん童と呼べる年齢ではないし、金の髪飾りもしていない。
「珍しいものなんです? まぁ縁結びというと女性の方がこぞって来る印象はありますが」
「えぇ。でも、尾嵯様は男性と婚約するものですから、女性の縁結びにご利益があるかというと……」
「無いんですかねぇ、やっぱり。ところで尾嵯様というと祟り神だった?」
「元は長く生きた狐だったと言われています。尾嵯の狐と呼ばれるようになったのは、この地域の小佐から取られたとか、逆に尾嵯の狐からこの地が小佐と呼ばれるようになったとか」
「天狐とかそういう類ですか。それで退治か何かされてこのような形になったと?」
「退治……になるのでしょうか。
 伝わっている話によりますと、昔、長く生きたことで、何者にも化け、天地を自在に操ることも出来る力を得た狐が『己に何も出来ないことは無い』と驕っていたところ、村の知恵者が『きっと永遠に続く愛だけはお前にも叶わないだろう』と言ったのだそうです。狐はそれを為してみせる為に、女性に化身して知恵者と契り、そして今でも山のどこかで愛し合っているのだとか。
 そして金の髪飾りをつけた童は彼女らの娘であるから、男と愛し合い、強い子を産むのだと」
「……思ったより浪漫的というか、そんな伝承があるとは」
「まぁその話が本当かどうかはわかりませんが、この地域の男女は離婚なんて話は全く聞かないですね。子どもの頃からこの話を聞かされて育つから、世間体もあって別れにくいだけかもしれませんけど」
 巫女はそう言って笑った。……見間違えだろうか、彼女の背で、狐の尾が緩やかに振るわれたように見えた。見直しても当然そのようなものは目につかない。伝承を聞いたことで、無意識のうちに不可思議な出会いに期待してしまったのだろうか。
「あぁそれと、もしもお時間ございましたら、上尾嵯神社の方にも足を運んでみて頂ければ」
「上尾嵯?」
 下調べした時点ではそのような神社は見当たらなかったし、それらしい話も初めて聞く。
「えぇ。住人と、この伝承を聞いた方以外には秘密にしているんです。地図を差し上げますから」
 そう言って袂から出した地図を渡される。別に歴史的な価値があるようなものではない、インターネットの地図を印刷したものに過ぎない。ピンの刺された場所は、多少山の方に入りはするものの、麓から道は繋がっており、知って探そうとすれば見つけられそうな程度に浅い場所にある。
 私は巫女に礼を言って、参道を下った。鳥居を潜ると、今更思い出したかのように湿気と熱がまとわりついてきた。

       〇

 果たして、地図の通りに進んだところ、それらしいものがあっさりと見つかった。確かに平地からは広葉樹の林に遮られて見え辛いとは言え、その道中はアスファルトで舗装されているし、この一帯を利用しているならば道中の傍らに立っている鳥居に気づかない者はいないだろう。むしろ秘密にされているという割にこうも簡単に見つかったことから、別の無名の神社なのではないかと疑ってしまったが、傍の石碑に尾嵯窟だのと刻まれているのだから間違いないようだ。
 しかしこの自称秘密の上尾嵯神社に何があるというのだろうか。どうして秘密にされているのだろうか。

 意を決して鳥居を潜った途端、甘い――砂糖菓子のようなものではない、蜜か……あるいは女性の匂い、ねばつく甘い匂いを思い切り吸い込んでしまい、立ち眩んだ。深呼吸をする度にその甘い匂いは身体に入り込み、蝕んでいくのを感じる。
 明らかに異常だった。香を焚いたにしてもここまで強烈な匂いはしない、そもそも鳥居を潜るまではそれらしい気配もなかった。神社の豊穣を司る神の神事には言霊や香などを用いて憑かれた状態になった者が性行為を行うものもあるが、そうした場の熱を伴う狂気、トランス状態とはまた異なる空気が――静かに、しかし確実に正気を失わせる何か――その疑いや危機感すらも、意識が霞に包まれると同時に失われていくものがここにはあった。
 再び立ち上がった私は、誘蛾灯に誘われるかのように、拙い足取りで鳥居の並び立つ石段を登っていった。奥に進めば進むほど、甘い匂いは強くなった。心臓が、初恋をしているかのように大きく鳴っていた。林に挟まれた参道を歩き続けても疲労は感じなかった。

 やがて、開けた場所に出た。造りは下尾嵯神社とよく似ている、石の鳥居が入り口に、地面には石畳が敷かれ、その奥に朱の社殿。違うのは、脇に小さいながらも滝行用の滝と、住居らしい日本家屋式の建物があるぐらいか。
 そこには6,7人程の少女が遊んでいる。列が向かい合って、甲高い声で囃子歌を歌っている。歌やその様子から、やっているのは花いちもんめだろう。
 顔立ちや髪型、髪色は各々違いがあるものの、皆一様に膝小僧が出る程に丈の短い朱の和装に、金の髪飾りを身に着けている。小佐地区の住人のように切れ長の瞳をしている。
 そして……彼女たちが私に気づき向けた瞳は、明らかに童のそれとは違う色があった。
「おじさんどうしたの?」
 少女の一人が、声音こそ少女そのもののそれで言った。彼女の声を聴いた途端、先ほどまでの甘い匂いが更に増した。
「ひょっとして……お婿さん?」
 少女の一人がそう言うや否や、きゃあきゃあと黄色い声が上がり始めた。
「いや、お婿さんじゃないんだけれど……狐婿について知りたいんだけれど、下尾嵯神社の巫女さんにここに行くよう勧められてね」
 私が婿じゃないと言った時には落胆していた少女たちであったが、巫女について触れた途端、打って変わって嬉しそうに顔を見合わせあった。
「そっかー! そうだよね、巫女さんが教えてくれないとここ見つからないよね!」
「じゃああそこに入ってー!」
「お婿さんのこといっぱい教えてあげるー!」
 少女たちは私にまとわりつくと、腕を取って引っ張り、社殿の方へと運んでいった。少女たちに掴まれた部分が、じんわりと熱を持ち、悦びに震えるように感じた。

 社殿の引き戸を開けると、広々とした――十何畳かほどの畳の間、その奥に鏡を構える金色の狐の像がある。その奥にはしめ縄で封をされた襖がある。
 そして、畳の上には布団が一枚だけ敷かれている。少女たちが寝る為のものではないのは間違いない。部屋は昼間でありながら薄暗く、甘い匂いも相まって官能を想像せずにはいられなかった。
 衣擦れの音に気づき振り返ると、少女たちは互いの帯に手を伸ばし、着物をはだけさせていた。紅の着物の下には、真白い肌。乳房や腰にかすかな成長の兆しはあれど、その膨らみは完全ではなく、その乳頭も蕾も穢れを知らない薄桃色である。穢れが無いといえば美しいが、雌としての機能はまだ足りていない少女の身体――だというのに、私の雄の本能は彼女たちと子を為すようにと叫び、理性をかき消そうとする。
「それじゃあお布団に寝転がってー」
「あとは私たちにまかせてねー」
 童とは言え七人がかりで引っ張られれば、流石に体勢も崩れる。それが甘い匂いに力を奪われていればなおさら抵抗は難しい。
 そのまま布団に押し倒されると、裸体を晒す少女たちがまとわりついてくる。今まで以上の甘い香りと柔らかな感触、そして色情に狂った目に中てられて、交わることしか考えられなくなり――。

 不意に、僅かに残った理性が、二度と現世に帰れなくなるぞ、と叫んだ。
 途端に意識が明瞭になり、この異常な世界に恐怖する心が芽生えた。そこで初めて気が付いた――少女たちに狐のような尾と耳がある。瞳孔が縦長であり、犬歯は鋭く、蕾からはまだ行為に及ぶ前から蜜が滴っている。そして、先にはしめ縄と襖で封じられていた場所に、中が真暗で何も見えない洞窟がぽっかりと開いていた。
 呑まれれば、帰れない。その恐怖から、私は少女たちを振り払い、わき目も振らず一目散に逃げ出した。
 参道が永遠に感じられる程長かったが、それでもやがて気づくと鳥居の前に、そしてアスファルトの道路に戻って来ていた。
 空気はまた、湿気と熱を含んだ残暑のそれに戻っていた。膝をつく気にもなれず、荒い呼吸のまま、駅を目指して足を前に運び続けた。

        ●

 今や、どうやって自宅にたどり着いたのかも憶えていない。こうして文章に書き起こしていても、まるで夢であったかのように思えてしまう。インターネットの地図で付近の画像を探してみたが、上尾嵯神社に繋がるあの鳥居は見当たらなかった。
 だが、確かに白昼夢ではないと確信している。今もなお、あの甘い匂いと少女たちの情欲に狂った瞳が脳裏にこびりついている。そして彼女たちに与えられるであろう快楽への期待と渇望も、一時とて脳裏から離れたことは無い……。
 こうして文章を書き残しているのは遺書か、私の居た証を世間に刻む為か、あるいは……彼女たちが婿を求めているからなのだろう。 だから、私と同様に魅入られる者が現れるであろうことを分かっていながら、こうしてこの文章を人目につく場所に晒す。罪悪感は感じない――いや、もはや私の心は、あの少女たちの姿を思い浮かべることでしか動かなくなっている。
 全て承知した上で、私は再びあの地を踏むだろう。私は、恐らく帰ることはないだろう――。
19/10/20 11:12更新 / 黒髪の非理知的な男

■作者メッセージ
26歳は一回り以上下の子どもからするとおじさんなんだとは思う。でも実際に言われたらわたしゃ泣くと思う。

ハーレムロリ婚ってネタだった。気づいたらなんかえらいことになっとった。とりあえずホラータグはつけておいた。

      ※

細かいミス修正。

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