連載小説
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前篇
潮風を受けながら、真っ白な砂浜を一歩一歩踏みしめる。足跡は打ち寄せる小波によってかき消されていく。顔を上げる。雲一つなく、海と同じ色をした空が視界を覆った。
顔を上げたまま、体の力を抜いて砂浜に寝転がる。大きく息を吸って、ゆっくり吐いた。体中の毒気が抜けたような清々しい気持ちになった。
しかし、私は別にバカンスに来たわけでは無かった。
そもそもここはどこか。南の島のリゾート?違う。私が買った秘密のプライベートビーチ?それも違う。
ここは無人島。周りには大陸どころか小島ひとつ見えない、おそらく地図にすら載ってないであろう小さな小さな島。
そこに私はたった一人、まるで島の所有者であるように佇んでいる。けれども私は所有者でも何でもない、ただのしがない漂流者であった。


事のいきさつを順序立てて話すと、私の職業から語りだすことになる。
私の職業は作家だ。ジャンルは主に生命の神秘。格好つけずにいえば、官能小説だ。色々と苦労はあったが、人並みの生計を立てていた。
しかしある日、話が書けなくなってしまったのだ。いわゆるスランプというやつだ。何時間も机に向かいペンを握りしめるが一行も進まない。書いても納得いく出来にならず捨てる。そんな繰り返しでとにかく私は行き詰っていた。
悩みに悩んだ末、よく当たるという占い師に相談することにした。その類は普段全く信じていないのだが、その時は藁をも掴む思いだった。
「海へ行くといいでしょう。そこに何か変わるきっかけがあると思いますよ」
占い師に言われるまま、私はその足で港のほうへと向かった。
浜辺でボートを借りて、浅瀬をのんびりした気分で漕いでいた。喧騒の日々で忘れていた何かを取り戻せたような気になっていた私は、ボートが沖へ流されていることに全く気付かなかった。海流は私をどんどん陸から遠ざけ、気づいたころには浜辺が何処にあるのかすらわからなかった。
さらに叩きこむかのように突然の嵐。オンボロのボートは荒波に呑みこまれ、私は海に放り出された。無我夢中で手足をばたつかせたが抵抗も空しく、荒れ狂う海の中で私の意識は途絶えた。
そして、気づいたらこの島に打ち上げられていたという有様である。
起きた直後は自分がどんな身にあるか把握できておらず、ただぼうっと浜辺に沿って歩いていた。歩き続け、体感的に30分程たったころ。私は見覚えのある景色の場所にたどり着いた。先ほど起きた所だ。
ここは孤島だった。歩いて30分で一周できてしまうような小さな島だった。


二つの幸運があった。一つ目は、魔物娘たちにとってはまさに絶好といえるような状況で、誰にも襲われなかった事。
寝ている間に……とも考えたが、衣服の様子から察するに無事なようだった。ついでにポケットを探ると、火打石とパイプが入っていた。タバコは湿気っていたが、火打石は使い道があるだろう。
島を一周歩いた時も、それらしい影は見当たらなかった。魔物たちの餌がないのだから、いないのは当然ともいえた。
もう一つのいい事は、私の隣に真新しいトランクケースが打ち捨てられていた事。
何か食べ物があるかもと期待して、鍵のついていないケースをゆっくりと開けた。
しかし、中には本が数冊と瓶が一本入っているのみで、食料の類は見当たらなかった。瓶を持ってみると中で透明な液体が揺れていた。コルクを引き抜くと、アルコールと蜂蜜の香りが鼻腔をくすぐった。これが最後の晩餐か、私はほくそ笑んで、さらにトランクケースの中身を漁った。
本を一つ手に取る。ぞんざいに扱われていたのか、所々傷んでいた。不意に表紙が目に留まる、私は驚いた。
「私の本じゃないか……」
表紙には胸のはだけさせ、股を大きく開いた女性の絵が載っている。私が初めて書いた作品だった。
これで慰めろというのだろうか?大して信仰深くなかった事を今になって後悔した。
他の本も探る。が、どれもこれも似たような官能小説ばかりだった。聖書が入ってたって腹の足しにはならないわけだが。
後で火種にでも使うことにして、本をトランクケースに戻す。とりあえず酒でも飲んで寂しさを紛らわすことにした。
水平線を眺めながら、瓶を口に寄せて一口飲む。舌でゆっくりと転がし喉へと流し込む。蜂蜜の甘さが、体と心にじっくり染み渡る。
焦ってもしょうがない。ほろ酔いになって気分がよくなった私は、うろ覚えの歌を口ずさみながら、青一色の世界を楽しんでいた。


翌日、昨日の楽観的な自分を早速恨むことになった。二日酔いで頭が痛い。金づちで2、3度殴られたみたいだ。
「水……」
水なら目の前にある。しかし、飲めば腹を壊して死ぬだろう。私は本当に愚かだった。酒など飲まずに真水や食料を調達しなければいけなかったのに、あまりにもショッキングな出来事に思わず逃避してしまった。
しかし、後悔したところでもう遅い。何か考えようにも頭が思うように働かない。
「誰か……」
思わず声に出た。ここがどこだか分かっていても、誰もいないと分かっていても。
しかし
「ん?」
遠くの方で何かが浮かんでいた?あれはなんだ?ひょっとして、人か?
私は裸足になり、何かに近づく。海水で膝まで濡れる。
目を凝らしてみたそれは、帽子……のようなものを被った人が泳いでるようだった。
安堵した。しかし、また不安になる。こんなところで人が泳ぐだろうか?近くにはこの無人島しかないというのに。
十中八九、あれは魔物だ。それでも助けを求めるか?しかし、私には選択肢などなかった。
息を大きく吸い込んだ。
「おおおぉーい!!!」
力の限り叫ぶ。千切れそうになるくらい手を振る。今の自分にできる限り、自分の存在を主張した。
すると、何かは私に気づいたようで、徐々に私のほうへ向かってきた。
近づいてくるにつれ、それは女性であることが分かった。帽子のようなものは、神官の被るそれによく似ていた。
それが分かった時点で、私が声を掛けた者は人間ではないと踏んだ。
神に仕える人間ならば、神に仇名す存在が蠢くこの大海原に帽子を被ったまま訪れたりなどしないだろう。
予想は的中した。
遠くにいた彼女は、水深が腰のあたりに来たところで体を起こした。彼女の下半身には本来あるべき筈の物がなく、代わりに魚の尾ひれがついていた。彼女は魔物、人魚だった。


襲い掛かってくるかと思い身構えたが、予想に反して彼女は穏やかに話しかけてきた。
「あの、私に何か御用でしょうか?」
魔物娘らしからぬ腰の低さに少々驚いたが、私は落ち着いて自分の今の状況を説明し始めた。
「なるほど、それで運よくここに漂流なされたんですね」
私が一通り話終わると、今度は彼女が自身について語りだした。
マーメイドにもいくつか種類があるらしく、彼女はシー・ビショップという種だった。
彼女らは決まった住処を持たず、世界の海を旅するのだそうだ。彼女もまた、旅の途中でのんびりと日に当たっていたところだった。
「〈マリナ〉と申します」
ペコリ、とマリナは行儀よくお辞儀をする。礼節を貴ぶその姿は魔物の好色さしか知らぬ私にとって新鮮で、少し異様でもあった。
「まずは、飲み水を用意しないとですね。何か瓶等の容器はお持ちですか?」
私はお酒の入っていた瓶を差し出した。
「では、失礼して……」
マリナは目をつむり聞き覚えのない言葉を呟く。すると、彼女の手からみるみる水が滴り始めた。
「水魔法の応用です。本当はもっと凄い勢いで出てくるんですけどね。調整してみました」
こうやって使うのは初めてですけど、といいながらそれを少しずつ瓶に注ぐ。水が溢れるほど入ると、彼女はそれを一口飲んだ。
「うん。どうやら真水のようです」
マリナは私に瓶を返す。手渡されたそれを恐る恐る口に近づけて一口、飲む
「……おいしい」
それが分かるや否や、私は瓶を逆さにして喉に一気に流し込む。ゴクリ、ゴクリ、と下品にも音を立てながら、体に水分を満たす。
瓶いっぱいにあった水を飲み干すと、満足というように一息つく。ふと、ほほ笑むマリナの視線に気づき、私は赤面した。
「良かった。顔色も良くなったみたいですよ?」
「……おかげ様で」
「喉が乾いたらまたおっしゃって下さいね。さて、次は食料ですね。火種になりそうなものはお持ちですか?」
ポケットの火打石を取り出す。
「それは何とかなりそうです」
「それでは、食べられそうな魚や海藻を取ってきますので、ちょっと待ってて下さい」
そう言うと、彼女は水中に飛び込み、優雅に水中へと潜って行った。
一人取り残された私は、おとなしく火をたくための木を集めに、林の中へと入って行った。


夕刻、たき火を囲いながらマリナがこんがり焼いた魚を私に手渡す。
「しかし、なんでこんなにも私に親切にしてくれるのですか?」
「海で困っている方がいたら助ける、それも私達海に生きる魔物の務めなのです」
真面目な顔をして彼女は言った、が。
「ルーチンワークみたいなものですから、お気になさらないで下さい」
彼女は穏やかに微笑む。その笑顔に癒され、張りつめていた緊張も和らいだ。
助けてくれたとはいえ、悪名聞こえる魔物娘。マリナの全てを信じ切れていなかったのだ。
そんな自分を恥じ、私は貰った魚にかぶりつく。
「うん。これはうまい。絶品だ!マリナさんは料理がお上手なんですね!」
「ふふ、ただ焼いただけですよ?」
そういいながらも、マリナは嬉しそうに笑っていた。


「何か私に恩返しをさせてください」
飯を食べ終わるや否や、私は彼女に言った。しかし、彼女は首を振る。
「お礼を頂く程の事じゃありません。気になさらないで下さい」
「しかし、せめて何か差し上げるものがあれば……」
と言って私は、ポケットやトランクケースの中身を探る。しかし、やはり大したものは持っていなかった。
「そうですねえ……」
マリナは少し思案すると
「では、それを一つ頂いても宜しいですか?」
彼女はトランクから飛び出した本の山を指さした。正確には、ポルノ小説の山を指した。
「そんなものでいいんですか?」
ほしいものなら何でも差し上げるつもりでいたが、流石に躊躇ってしまう。
「人間の書物には興味があったんです。それに、海では結構珍しいんですよ?」
本当にそうなのか、私を気遣ってくれたのかは定かではなかったが、彼女の言ったことを信じることにして、私は本を差し出した。私が書いたやつだ。深い意味はない、その中で一番状態が良かったのだ。
彼女が受け取る時、少し手が触れた。絹の様で、少ししっとりとしていた。
「早速、読んでも構いませんか?」
「どうぞどうぞ」
では……と、マリナは静かに本を開いて読書を始めた。官能小説を紐解く時でさえ、彼女の所作は折り目正しかった。
私は火に枝をくべつつ、本に集中するマリナを見惚れつつ、無人島を脱出する計画を練った。
やはりイカダを作るか?しかし、それを作る為のロープがない。木を切るのだって素手では出来ない。ここには斧も鉈もない。
だとすれば他にどんな方法がある?今すぐに出来るのは、マリナに島まで運んでもらう事。
こちらにも問題がある。私は島を一周したが、視認できる距離に島は無いことが分かった。つまり、かなりの距離を泳ぐことになる。
彼女にどれ位の時間しがみつくことが出来るだろうか?職業柄、体力には自信がない。おまけにまた嵐に見舞われたら……。それを考えると、あまりにもリスクが多い。
マリナなら、海での人助けが良くある事だと言っていた彼女なら、何かいい方法を知っているか。そう思い彼女を見つめる。すると、ある異変に気付く。
マリナは口を覆い、目を見開き、尾びれをパタパタと揺らしながら黙々とページをめくっている。どう見てもさっきと比べ様子がおかしかった。
「マリナさん……?」
「………………」
声を掛ける。しかし、聞こえていない。すごい集中力だ。今度は大きな声を出してみる。
「マリナさん!!」
「は、はいっ!?」
仰天したように彼女は声をあげる。たき火のせいか、マリナの顔が真っ赤に染まっていた。
「な、なんでしょうか……?」
マリナは乱れた髪を撫で解かしながら答える。
「いえ、ただ様子が……」
と言いかけ、また別の異変が目に留まる。彼女の鼻から一本、赤い筋がつたっていた。
「マリナさん、鼻血が出てますよ」
「え……ええ!?!?」
マリナは鼻を覆い隠す。
「や、これは!違うんです!!その、誤解なんです!!!」
なんだかよく分からないが、数刻前の淑やかな雰囲気が嘘のような慌てっぷりだった。
「きょ、今日はこの辺でお暇させていただきますね!」
お疲れ様です!という変な挨拶の後、彼女は立ち上がり、脱兎の如く海へと跳ねていた。人魚とは思えない俊敏な動きだった。
私はしばしの間呆気にとられていたが、体調が悪くなったんだろうと勝手に納得した。
一人だとすることもないので、木の葉をかき集めて作ったベッドに倒れこみ、眠りについた。


翌日、太陽が真上に来ても彼女は現れなかった。まだ調子が悪いのだろうか。仕方なく、私は島をぐるりと散策する。
相変わらず、島どころか船ひとつ見当たらない。ただ青々とした海が広がるばかりだった。感動的なまでに美しい景色だが、今はそんな物に浸ってる余裕はなかった。
気を取り直して、何か役に立ちそうなものは無いかと見回していると。岩場の方に何かがいた。
それはどうやらマリナのようだったが、やはり様子が変だった。体は小刻みに震え、尾は時々大きく揺れる。そして、何か小声でつぶやいてるようだった。
「あ……!……な………め……!」
打ち寄せる波の音で、何を言っているのかは分からない。私は様子を伺う為に近づく。自然と音を潜め、息を殺していた。
抜き足差し足で彼女の顔が見える所まで接近すると、彼女が何をしているのかが分かった。
彼女は読書をしていた。ただし、本は左手に持っていた。余った右手は、下腹部のその下にあてられ、細い指先はワレメをなぞり、小さな水音を立てていた。つまり、読書をしながらオナニーをしていた。
私の書いた本で、興奮して、オナニーをしていた。
マリナは蕩けるような眼差しで本を見つめ、時折左手で器用にページをめくっては右手の指を激しく動かす。その恍惚とした表情に、私は思わず生唾を飲んだ。
もっと近くで見たい。そんな欲望に掻き立てられ、私は一歩足を踏み込んだ。が、濡れた岩場は滑りやすく、私は踏み外してバランスを崩してしまった。
「うわっ!」
なんとか転倒は免れたが、思わず大きな声が出た。
「!!」
本に集中していたマリナがこちらに気付いた。
「な、あ、あなたは、なんで……!!」
彼女はひどく驚いたのか、口をパクパクとさせていた。しかし、彼女の意思とは裏腹に指は動き続けた。
「あ、だ……だめ…………!!ん、んっ………!」
ブルリ、と大きく体が震えて、次の瞬間
「い…くうぅっ…………!!」
プシャアアアアアアア………
彼女のヴァギナから大きな弧を描くように、潮が勢いよく飛び出した。激しく、絶頂していた。
「〜〜〜〜〜っっ!!」
羞恥と快楽の表情に顔を染めている。私はその光景を食い入るように黙って見つめる。
「やあぁ…………見ないでぇ………っ…!」
彼女は両手で顔を隠すが、それでもその勢いが収まる事は無かった。
私はその情景から目を背けることが出来なかった。潮の香りの中に、嗅いだことのない蠱惑的な匂いが混じり、辺りに立ち込めた。
14/04/18 16:44更新 / 牛みかん
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後篇に続きます。

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