連載小説
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中編
 あれから5年後。お妃様は大きな帰路に立たされていました。
 王国が魔王様の娘であるリリム様率いる魔王軍の侵攻を受け、反魔物領から魔界へと様変わりしてしまったのです。
 人間を呪いで熊のぬいぐるみに変えるという残酷な刑罰も廃止され、今までに熊のぬいぐるみに変えられた人達は1ヶ所に集められて魔王軍・魔術部隊、いわゆるサバトの手によって呪いから解放されました。しかもこの時にバフォ様による指揮の下、リリム様も手を加えて魔女やファミリア達が構築した巨大な解呪の魔法陣には匠の粋な計らいが施されており、人間に戻りかけた人達はそのまま男性はインキュバス、女性は幼女グリズリーへと変わっていきました。なんということでしょう。まさしく劇的ビフォーアフターです。
 その場でお兄ちゃん達と幼女達によるカップルが数えきれないほど形成され、中にはバフォ様と魔女、ファミリア、グリズリーの4人をまとめて嫁にしてしまった逞しいお兄ちゃんもいたそうです。

 しかしお妃様にとっては、そうした変化も彼女が今直面している最大の問題に比べれば些末な事でした。侵攻の際にリリム様が持つ膨大な魔力をその身に浴びてしまった王様が、アルプに変わってしまったのです。これではお妃様はお世継ぎを産むという役目を果たすことが出来ません。
 王様、もとい女王様は冷徹にもお妃様に即座に三行半を叩きつけようとしましたが、ここでお妃様はある取引を持ちかけました。
 行方不明になっている白雪を探し出してこの国の女王の夫、即ち王配の座に付かせるという取引です。
 アルプの女王様はその提案に飛びつきました。白雪ももう20歳。アルプの女王様からすれば一番脂の乗る年頃です。女王様は元お妃様が白雪を探し出して王配にすることが出来たならば、元お妃様が王宮に残る事も認めると請け合いました。やはり美青年の事になると後先考えていません。

 とはいえ、そんな事を安請け合いして大丈夫なのでしょうか。いいえ、元お妃様には白雪を探し出すための切り札がありました。魔法の鏡です。
 お妃様はリリム様から鏡の本当の機能を教えられていました。あれは持ち主の希望する条件に沿った男性の所在を検索する装置だったのです。道理で「この国で一番美しいのは誰か」と聞いても元お妃様の名前を言わなかったのか、と元お妃様のちっぽけな自尊心も満足です。「持ち主の求める真実を見通して持ち主に伝える」という宣伝文句は過剰だったようにも思えますが、よく考えればあれは魔物娘が作った物。自分の好みに添った男性や夫の所在以上に、彼女達が知りたがる「真実」などあるはずがありません。いつの世も、嘘を吐かない代わりに本当の事を言わないというのは詐欺の常とう手段なのです。
 とにかく、あの時は自分の立場が脅かされるという焦りで目が曇っていましたが、今思うと白雪は自分の夫にする分には鏡の言う通り確かに優良物件です。元お妃様はアルプの女王様との取引の条件に、自分も白雪の側室として認める事を追加させました。アルプの女王様は白雪を自分のものにできる、それどころか自分の身体で白雪の血を引いたお世継ぎを産むことができると舞い上がっていたため、元お妃様が白雪との子を産んだ場合、その子供にも王位継承権を認めるとまで言いました。
 早速、元お妃様は白雪の居場所を鏡に聞きます。
「鏡よ、鏡よ、鏡さん。私の美しい白雪はどこ?」
 私達の、ではない所がポイントです。しかし、そこで大きな誤算がありました。
「白雪ハ、西ニアル森デ、7人ノどわーふ達ノ夫トシテ暮ラシテイマス」
 そう。現代の魔物の本当の習性を知った時から、元お妃様は大事な事を見落としていました。伴侶のいない男、魔物の巣窟、5年間。何も起きないはずがないという事を。
 魔物娘ならそこはハーレムに加えてもらうか、白雪を夫にする事を諦めるかの2択で考える所ですが、人間である元お妃様は違いました。
「そう。だったらいいわ。そんな小娘達なんて引き剥がしてやる!」
 手に入らないと解ると尚更欲しくなるのが人間の性。元お妃様の燃え上がる欲望は、王国に満ちていた魔力をその身体に引き寄せ、気が付くと元お妃様の肉体はダークメイジに変化していました。外見は若干の思い出補正付きで若い頃の元お妃様に戻したような姿で人間にしか見えませんが、その気になれば都市1つを魔界に変えるほどの力を有する歴とした魔物娘です。しかも、白雪をドワーフの妻達から引き離して自分のものにしたいという魔物娘としてはあり得ない欲望だけは、なぜかそのまま残っていました。
 人間の心の本来魔物娘とは相容れない部分を残したまま身体だけ魔物娘に変化した、ある意味最悪のダークメイジが誕生したのです。




 その頃、白雪はというと、アルプになった女王様やダークメイジになった元お妃様の期待通りかそれ以上に、力強いインキュバスの青年に成長していました。最初はお嫁さんが7人もいるので食事で補わないと足りなかった精も、今ではその気になれば精だけでも全員がお腹いっぱいになるのに充分すぎるほどです。家事の腕も上がり、毎日食事を大鍋いっぱいに作ってもその日のうちに空になるほどでした。
 そして、彼とドワーフ達の生活も大きな転換点を迎えようとしていました。始まりはドワーフ達の1人に起きた異変でした。
 いつもは朝になれば皆で白雪の作った朝食をおいしそうに食べているのに、その日は1人だけ食事を全く口にせずに仕事に出かけようとしていたのです。
 それに気付いた白雪はそのドワーフを無理にでもベッドで休ませましたが、翌日には更に2人、そのまた翌日には全員が同じようにして寝込んでしまいました。しかも、白雪が看病するうちにも全員の顔色がどんどん悪くなっていきます。
 魔物娘に特有の何か重い病ではないか。父親を流行り病で失った時の事を思い出した白雪は慌てましたが、彼には薬学の知識はあっても医学の知識はありません。ましてや人間のそれが魔物娘にも通じるとは。
 白雪は人目に付く危険を承知で、森から更に西に行った所にある親魔物領の街へと走り、魔物娘を診る事のできるお医者さんを探して連れてきました。寝室に横たわるドワーフ達を医者が診察し、その結果を食堂で独り待つ間も気が気ではありません。
 ですが、ドワーフ達を心配するあまり、白雪は気づいていませんでした。気分が悪そうにしながらも、ドワーフ達はむしろ何かを期待している様子だった事に。
 そして医者が白雪を寝室に呼び、診察結果を告げた時、最年長のドワーフは穏やかな声で白雪に言いました。
「おまえはパパになるんだよ」

 それから更に数日経ってドワーフ達の体調が安定すると、彼女達は新しい命が宿ったばかりの子宮で、白雪の雪のように真っ白な精液を飲み干す祝杯を挙げました。
 森に住む他の魔物達も彼らを祝福してくれ、前にワインオープナーをドワーフ達に注文したサテュロスは自信作のワインをくれたり、編み物用の針を注文したアラクネは赤ちゃん用の帽子を作ってくれたり、最近金属製のアナルプラグを作ってもらったオークの姉妹も、上等な鹿肉の燻製を分けてくれました。




 それから半月後の事です。いつものようにドワーフ達が仕事に出かけるのを見送り、朝食の食器を片づけた白雪は、家の裏で薪割りを始めました。この森に来た頃は斧の扱いが上手なドワーフ達にやってもらっていましたが、彼女達にコツを教わり、以前にも増して力も付いてきた今ではお手の物です。白雪は気付いていませんでしたが、その様子を離れた所からこっそり伺う人影がありました。ダークメイジになった元お妃様です。
「あんなに大きな斧を軽々と……うわあ」
 ダークメイジは白雪の力強く無駄のない動きに夢中で見惚れていました。あの腕で抱きしめられたら。そう考えるだけでも下着に染みができて広がっていきます。しかし、彼女は白雪をストーキングするためにこの場にいるわけではありませんでした。ある計画を実行するためです。それには白雪に至近距離まで近づいたうえで、彼の気をそらす――できれば抵抗したり身動きを取ったりできない状態にする必要がありました。
 まず、ダークメイジは自分の姿を魔法で変える事にしました。見た目が若々しくなったとは言っても、顔は自分を殺そうとしたお妃様のまま。この姿で白雪の前に出て行けば、即座に逃げられてしまいます。それでも骨格の構造までは変えられないため、亜人型や動物型の魔物に変身するのは無理が出てきますし、鳥人型や爬虫類型みたいなのは論外。ダークメイジと同じ魔人型の魔物に変身するしかありませんでした。できるだけドワーフに体形の近い魔物なら油断させられるだろう。そう思ったダークメイジは目を閉じ、リリム様が呼びよせたサバトの中にいた魔女達の姿を思い浮かべながら、呪文を唱えます。すると、背丈や胸がみるみるうちに縮み始め、腰のくびれも緩やかに、お尻は小さくなり、他にもいろんな部分の姿形が変わっていって、この場にロリコンなお兄ちゃんがいたら股間が即座に臨戦態勢になりそうな魔女の姿になりました。服や杖にも魔法をかけ、サバトの所属を示すバフォ様を象った意匠の付いた、魔女のそれに偽装するのを忘れません。
 魔女(ダークメイジ)はリンゴのたくさん入った籠を片手に、白雪の方へと近づいていきました。
「そこのおいしそ……じゃなくてかっこいいお兄ちゃん」
 白雪はその言葉に振り向き、斧を少し離れた所に置くと、魔女(ダークメイジ)の前にしゃがんで彼女の目線に合わせました。
「どうしたんだい?」
「私、この近くにあるサバト支部にいるんだけど、私達そこで新種のリンゴを作って育てたの。1つ買わない?」
 そう言って魔女(ダークメイジ)はリンゴを1つ手に持ち、白雪の方に差し出しました。実はこのリンゴ、強力な呪いが掛けられており、うっかり1口でも食べてしまうと、インドぞうでも2秒で倒れてしまう代物なのです(編注:この「インドぞう」という単語がどういう生物を指しているのかは、実はよく解っていません。元々このお話が口頭や手書きの文章で伝えられていた頃に、途中で間違って伝わってしまったものであるという説が有力ですが、異世界の中には実際に「インドぞう」と呼ばれる生き物が存在する世界もどこかにあるのだと考えている研究者もいます)。

 おかしい。白雪は魔女の話を聞いてすぐに気付きました。確かにこの近くにサバトの支部があるという噂は聞いたことありましたが、それはほんの少し前、ちょうど彼がドワーフ達の妊娠を知った頃に新しくできたばかりだという話でした。「一緒に入信したい?」とドワーフ達に冗談めかして聞かれたのを覚えています(編注:子供やサバトの信徒ではないドワーフ達は、自分達を「子供」ではなく「小人」だと思っています。ドワーフに会ってもむやみに子供扱いするのはやめましょう。最悪エルフの仲間と決めつけられて攻撃されます)。白雪はリンゴの栽培についてはよく知りませんが、魔法で新しい品種を作る事から始めるとなると、どんなに短くても数年はかかるという事ぐらいは解ります。
 とはいえ、いたいけな少女にしか見えない相手に向かって、露骨に疑うような態度を取るのも気が引けます。穏便に話を断って帰ってもらおう。白雪はそう考えました。
「悪いけど、お兄さんのおうちはこれから子供が生まれるんだ。だから色々入用でね。おいしそうなリンゴだし食べられないのは残念だけど、それを買う余裕は無いんだよ」
 子供が生まれる、という白雪の言葉を聞いた時、魔女の眉間に微かに皺が寄りましたが、彼はそれに気が付きません。
 実際には、ドワーフ達が作る製品の評判はとても高いですし、希少な鉱石が見つかる場所をいくつも発見しているので、それをサイクロプスやグレムリンが高値で買い付けに来たりする事もあり、結構な蓄えがあります。とはいえ、7人も赤ちゃんが生まれたら今の家だと手狭になるので増築しようかと話してもいたので、完全に嘘というわけでもありません。
 しかし、魔女はそれでも引き下がりませんでした。
「赤ちゃんがうまれるんだって? だったら尚更これを食べなよ。赤ちゃんがお母さんのおなかにいる時に、お父さんがこれを食べたら元気な赤ちゃんが生まれるって、バフォ様言ってたよ」

 白雪が予想外に粘るので、魔女(ダークメイジ)は焦り始めていました。
「えー。買わないの? とってもおいしいのになあ。バフォ様にばれたらお尻ペンペンされちゃうけど……うーん。やっぱりおいひい」
 そう言いながら、魔女(ダークメイジ)はリンゴを1口齧ります。実は呪いをかけたリンゴは籠いっぱいあるうちのたった1個だけで、それがどれなのかは呪いをかけた本人にしか見分けられないようになっていました。魔女(ダークメイジ)は自分でリンゴを齧る前に、それとなく普通のリンゴと入れ替えていたのです。そうして食べても大丈夫だとさりげなくアピールした後、白雪には改めて、呪いのかかったリンゴを差し出します。
「うーん、でもなあ……」
 白雪が困ったように頭を掻いた時、魔女(ダークメイジ)はとうとうしびれを切らしてしまいました。
「ええい、まだるっこしい!」
 そう叫ぶと、彼女はダークメイジの姿に戻りました。そして自分を殺そうとした相手が目の前に現れた恐怖と驚きで白雪が固まってしまった隙に、大きな杖で思いっ切り彼の頭を殴り付けます。
「うっ……」
 そして白雪が頭を抑えながらよろめいていると、彼の足元に、何重にも重なった魔法陣が現れました。それは白雪の体に吸い込まれるように消えて行き、同時に彼はその場に崩れ落ちるように横たわります。
「よし。これで計画の第1段階は終わった」
 そう呟くと、ダークメイジは白雪を殴った時に散らばったリンゴを拾い集め、転移魔法でその場を後にしました。
 倒れた白雪は、そのままピクリとも動かず、彼の身体はみるみるうちに冷たくなっていきました。




 その日の夜、白雪とドワーフ達の家は深い悲しみに包まれました。ドワーフ達がいつものように白雪の食事を楽しみにしながら家に帰ると、炊事も洗濯も掃除も全く行われていない状態で、慌てて白雪を探すと彼が家の裏にある薪割り場で倒れていたのです。触るとその身体はすっかり冷たくなっており、昨日の夜まで溢れんばかりに注いでくれた精も全く感じられなくなっていました。王国やお妃様に起きた出来事を知らないドワーフ達は、とうとうお妃様の追手が白雪の元にたどり着いて、彼を殺してしまったのだと考えました。
 思えば5年間も彼らの周囲に少しも異変が起こる様子が無かったので、ここなら反魔物領からの追手も来られないだろう、魔物と交わった事の無い人間を遠ざける罠を仕掛けたから大丈夫だろう、白雪も今では強力なインキュバスだから敵もそう簡単には危害を加えられないだろう、そんな油断が積み重なっていたのです。
「白雪があたいたちの為に医者を呼んできてくれるって言った時、無理にでも引き止めるべきだったのかもな」
「その前に、森の皆に白雪との結婚を知らせたのが間違いだったのかもしれない。お妃の手下がどこかで聞き耳を立てていたのかも」
「みんなやめなよ。今悔やんでもどうにもならないぞ」
「白雪ぃ……おまえはパパになるんじゃなかったのかよ……」
 ドワーフ達は喉が枯れそうな勢いで、一斉にわんわんと泣き始めました。そして白雪と出逢った時と同じようにいつの間にか泣き疲れ、冷たくなった白雪の周りで寄り添うようにして眠り込んでいました。

 翌朝、ドワーフ達はこれからの事を話し合いました。彼女達はアンデッドの魔物ならば死んでしまったインキュバスを自分達と同じアンデッドの肉体で蘇らせることが出来るという話を聞いたことがありましたが、不死者の国はこの森から最も近い場所でも相当な距離があり、白雪の体を運んでいくのは無理がありました。ドワーフ達は転移魔法を使えませんし、森に住む仲間の魔物達も、それほど遠くまで行ける転移魔法を飛ばせる強力な個体はいません。
 ドワーフ達はそれまで1度引き受けた注文を決して途中で断ったりはしませんでしたが、今回だけは注文してきた魔物娘やその夫達の所を回り、全てキャンセルする事を告げました。彼らも白雪の死を聞いて悲しみ、ドワーフ達に文句を言う者は1人もいませんでした。オークの姉妹の所に至っては、ドワーフ達の知る限り白雪と面識のないはずの雄奴隷さんまでもが、話を聞いた途端ご主人様達と抱き合って泣いていたくらいです。
 それから彼女達は持てる技術と道具と材料のすべてを使い、透き通ったガラスでできた大きくて丈夫な棺をこしらえました。そしてその棺に文字を刻み込む段階になった時、ドワーフ達はこう言いました。
「それにしても、白雪はあたいたちにとって素晴らしい夫だった。お妃に命を狙われたりしなければ、きっと立派な王様になっていただろうな」
「ふん、こんないい男を殺しちまうような馬鹿な国だ。じきに滅んじまうだろうよ」
 そこでドワーフ達は「偉大な王になるはずだった男 白雪 ここに眠る」と金文字で棺の蓋に刻み、この棺に白雪の体を納めました。




 しかし、ドワーフ達は悲しみに打ち震えるあまり、全く気付いていませんでした。既に白雪の体が冷たくなってから何日も経つにも関わらず、彼の体は腐敗するどころか虫1匹寄ってくる様子すら無く、まるでずっと安らかに眠っているような姿だった事に。
17/05/27 20:13更新 / bean
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■作者メッセージ
最初は前後編にするつもりでしたが、結局三部構成になりました。
でも結果的に謎を引っ張れる感じになったかな?

魔法の鏡について補足しますが、そのままの説明でも高値で買ってくれる魔物娘はいくらでもいそうなのになぜ効果を偽って売られていたのかというと、反魔物領で回収されて破棄される所だった物が不正に横流しされていたという感じです。

「人間のダークメイジ化」は前から一度書いてみたいと思っていたシチュでした。人間が自らの欲望で魔物化するという。
ただ、今回は「劇中劇」なので「実際」は色々勝手が違ってたりするんだろうなって思ってますが。
図鑑世界で書かれた童話という設定なので、元ネタみたいにお妃様が命を奪われるような終わり方ではない、とだけは先に言っておきます。

一応最後に念を押しておきますが、今回出した「精神が中途半端に人間のままになった魔物娘」という設定は、図鑑世界内での「現実ではあり得ない創作上のファンタジー」です。少なくとも僕の中では。

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