連載小説
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Preparation
「……ん」

彼女はゆっくりと目を開けた。
頭が朦朧とする中、先ほどまで見ていた夢を思い出す。

夢を見ていた。
ある日、家の前に荷馬車が停まっていて、1人のサキュバスがその周りをうろついていた。

『あの…何してるの?』
『え? ううん、何でもないの』

10年も前の事だが、今でも覚えている。

『何か探してるの?』
『う〜ん、ちょっと落し物しちゃってね』

荷車には大きな荷物の運搬を主に行っている会社の名前が書いてあった。

『もしかして、お引越し?』
『うん、今日ここに引っ越してきたんだけど、あの棚に入れてあったペンダントが無くなってて』

そう言って指差した先では、タンスが半開きになっていた。

『どんなペンダント?』
『首からぶら下げる感じので、赤いハートの形。でも、運ぶ途中で開いちゃったのなら、もっと前に落ちたのかもね』

彼女はそう言って笑ったが、その目には明らかに落胆の色があった。その顔を見ただけで、それが彼女にとって大事な物だった事が分かった。

『じゃ、わたしも探す!』
『え? …それは嬉しいけど、隣の町から来たから、落ちてるとしてもずっと遠くにあるかも…』
『大丈夫、道は知ってるから! 待ってて!』

回答も聞かず、隣町への道を走り出す。

コカトリスは脚力に優れる。並みの多種族にとって全速力に近い速度であっても彼女にとってはジョギングに近く、道を隅々まで見渡すぐらいの余裕がある。
普通に歩けば何時間もかかる道を探しながら走り、1時間足らずで見つけて帰ってくる事ができた。

見つけたペンダントを渡した時に見せたサキュバスの驚きと喜びが入り混じった表情がとても印象的だった。


それがきっかけで隣の家に住み着いたそのサキュバスとは親しくなり、一緒に遊んだり相談に乗って貰ったり、色々と世話になった。

5年前、こんな話をしていた。

「もうすぐ行くの?」
「うん、明日。あそこの人間は異世界から来たから主神教にも染まってないって。魔法も無いから安全だって聞いてるけど、でも旦那さんが欲しい魔物は私の他にもいっぱいいるから、取り合いの方が危なくなるかも」
「……ごめんね、誘ってくれたのに。やっぱり、わたし怖い」
「いいのよ。旦那さんとは別にまた沢山連れて帰ってくるつもりだから、心配しないで」
「でも、わたしを選んでくれる人っているのかな? こんな怖がりなわたしなんか……」
「……初めて会った時、チカちゃんは隣町まで行ってこのペンダントを見つけて来てくれたよね。その後も私が何か困った事があったら、いつも手伝ってくれたでしょ?」
「うん。でも…わたしがお姉ちゃんに助けて貰った事の方がずっと多いよ」
「回数の問題じゃないの。人の事を考えて助けてあげる事ができるっていうのは、それだけで素晴らしい事なのよ? あなたのいい所を見てくれる人は、絶対どこかにいるわ。自信を持って」
「……うん!」


これが最後の会話になるとは、その時は夢にも思わなかった。
それっきり「お姉ちゃん」は、帰って来なかった。


懐かしくも心が痛むその思い出にしばらく浸っていた彼女だったが、

「おはよう」

男の声によって、強制的に現実に引き戻された。



おはようの挨拶に、コカトリスはヒッという小さな悲鳴で答えた。
自分の存在を認めると、みるみるうちに顔面が蒼白になり、体を震わせる。

(コイツ魔物の癖に、そんなに人間が怖いのか?)

5年前に魔物が開拓地に攻め込んで来た時、彼はまだ軍に入っていなかったが、当時の報道や軍に入った後の教育である程度は学んでいた。
そして大多数の兵士たちと同じく、油断ならざる相手だと認識していた。

なにしろ、
『中世レベルのテクノロジーしか持っていないたかだか数千の軍勢を追い返すのに1ヶ月近くもかかった』
のだから。

遠距離からの攻撃に徹して損害ゼロで終わった宗教国家との海戦と違い、陸戦では制圧と占領に歩兵がどうしても必要になる為、犠牲が出る事は予想されていた。戦死者は事前の予想より少なかったが、戦闘において魔物の力や性質が明らかになっていくにつれて、政府の危機感は上がっていった。

恐れられたのは圧倒的な一個人の能力の高さだ。
並みの兵士を数人纏めて吹き飛ばす怪力。種族によっては5.56ミリ弾が効かず、7.62ミリ弾や12.7ミリ弾でないと倒せない耐久力の高さ。
角の生えた幼い少女にしか見えない魔物が、戦車砲やミサイルを数発当てなければ破れないバリアを張り、
ドラゴンやヴァンパイアなどの上位種と呼ばれるカテゴリに至っては、個人の武器で殺傷する事はほぼ不可能。
1体のドラゴンが装甲車6輌と戦車1輌、ヘリ3機を破壊し、元々予定になかった制空戦闘機を急遽出撃させてドッグファイトの末にようやく撃破する事ができたという話を聞いた時には、寒気がした。

いくら強大な力を持つといっても、それは一兵士に過ぎない。一人一人を倒すために遠くから砲やミサイル、爆弾をしこたまぶち込む等というのはあまりにもリスクとコストが高く、兵站にも負担を強いる。


そして魔物が身体から常時放出している「魔力」は人間の精神を狂わせ、女性を同じ魔物に改造してしまう上、ある一定以上の濃度に達するとその土地を汚染し、周囲の植生といった環境にまで深刻な影響をもたらす。
実際、占領された開拓者の集落のいくつかは汚染によって放棄が決定され、「滅菌処置」が施された。

戦闘力は高い。洗脳と改造で仲間を増やせる。そして長くいるだけでその土地は汚染される。

もし攻め込んできた魔物の数が、1桁多かったら?
弾薬、部品、燃料の備蓄を考えると、5年前の戦いは圧勝に見えて、実はギリギリの勝利だったのだ。

彼女たちの存在は、一種の生物兵器と呼べるレベルにまで認識されていた。


でも目の前にいる魔物はどうだ。
襲い掛かるどころか抵抗する素振りも見せない。さっきは自分を見た瞬間に逃げ出したし、今はそれすらできずに頭を抱えて怯えている。

(これじゃ情報も聞けそうにないな……)

鼻の頭を掻いただけでも驚く程だ。いきなり兵士に追い掛けられたら、普通の奴なら怖がるだろうが、それでもこの反応は異常だ。演技の可能性もあるが、そこまで考えていたらキリがない。

とりあえず手に持っていた銃を背負い、両手を前に出して何もするつもりはないとアピールしながらゆっくりとしゃがんだ。
そして目線を魔物と同じ高さに合わせ、ポケットから小さな袋を取り出す。

「これでも食べたら、落ち着くか?」

袋から出てきたのは、ブロックタイプの栄養食品だった。



悪魔の足音に身をすくめていたら、聞こえてきたのは思ったよりずっと優しい声色だった。

「……え」

抱えていた頭を上げ、ゆっくりと前を向く。

緑と茶色の斑模様の服に、革製らしき袋を無数につけたベスト。半円の兜。
その手には、茶色い物が握られていた。
クッキーのような長方形の物体。甘い匂いもする。それを彼女の顔の前に差し出していた。

「……ん」
「ぇ……」

さっき自分を追い掛け、押さえ付けていた時とは全く違う行動に面食らう。クッキーらしき物とそれを持った男を交互に見ていたら、彼は

「毒なんかない。ほら」

と、少し折って自分で食べて見せた。
震える手で恐る恐る受け取り、かじってみる。

クッキーのようだがしっとりとした食感に、濃い甘味が口の中に広がる。
身体が無意識に糖分を求めていたのか、残りは一気にひと口で食べてしまった。

顔を見てみると思ったより若く、髭もちゃんと剃ってある。お姉ちゃんと同じぐらいの年に見えた。
初めて悪魔の顔を見て、思わず口から言葉が漏れた。

「……に、人間?」
「人間だ。魔物に男はいないんだろ?」
「…うん。人間、にんげん……」

悪魔と思うよりは、人間と思う方がまだいい。何度も彼は人間と自分に言い聞かせ、心を落ち着けようとする。
目の前の男は、何も言わずそれを待っていた。

しばらくすると、いくらか冷静になれたのを見計らったのか、彼は再び口を開く。

「落ち着いたか? いくつか訊きたい事があるんだ。ちゃんと答えてくれたら、何もしない。いいか?」

その言葉を理解するのに少し時間がかかり、数秒経ってようやく頷く。

「オーケー。君の目的はいったい何だ?」
「も…目的?」

目的と訊かれ、思い出す前にある予測が頭をよぎった。
彼は兵士である。訊きたい事があると言ったが、もし答え方を間違えたら大変な事になるんじゃないか。
壁に近づく魔物娘を問答無用で排除してきた彼等だ。「連れ戻したい人がいるので壁を越えようとしていました」なんて答えたら、敵と見なされて殺されるかもしれない。
違う答えを言おうと思ったが、その場で良い言い訳を思いつけるような余裕は、今の彼女には無かった。

「も、目的は……えっと、その…壁、じゃなくて森で…音がして、それで…」
「分かった、分かった。質問を変えよう」

再び混乱しかけた所を、男が慌てて落ち着かせる。

「君は、さっき会った北の奴らの仲間だ。イエスかノーか」
「ち、違う! あの人たちとは、何も…!」
「そうだ。そう答えてくれればいい」

質問は続いた。

「君の出身は西にある魔物の国だ。イエスかノーか」
「…うん」

「ヘリを落としたのは君だ。イエスかノーか」
「……ヘリ?」
「俺たちが乗って来た。空飛ぶデカいやつ」
「…違う。私じゃない」

「俺を追って来た。イエスかノーか」
「違う。さっき逃げたじゃない、私」

簡単な質問にいくつか答えると、彼は顎に手を当てて何かを考え始めた。
思っていたよりずっと人間臭い(人間なのだが)悪魔の仕草に、彼女は少し安心すると共に拍子抜けしたような感覚に陥った。



質問の答えから、彼は考えを纏め始める。

「うーん……」

反応を見る限り、嘘を吐いているような感じではなかった。
この魔物は本当に、偶然この森にいてヘリの爆発音が気になり墜落現場にやって来ただけらしい。

異種族と異教徒には徹底的な攻撃と弾圧を行う北の国と協力するなんて有り得ないし、かといって魔物の軍にいるような感じもしない。
彼女がただの一般人の部類に入るというのなら、これからどうするか。それは現段階で一番面倒な方法しか無かった。

「君、悪いがついて来てくれないか?」
「え?」
「俺は今から壁に行く。ついて来て欲しい」
「な、何で!?」

「俺は軍人だ。ある作戦の為にここに来た。でも失敗した。報告する為に戻らなくちゃならない。そして君は、この作戦についてある程度知ってしまった。情報が漏れるのを防ぐ為に、君にも来てもらう」

元々これは秘密作戦であった。魔物の方にもバレたら、彼女たちがどういう行動を取るか分からない。少なくともこの作戦が終わるまでは拘束し、誰にも漏れないようにしなければならない。
相手が軍人だったら殺して処分する事もできたし、それが一番手っ取り早いのだが、非武装の一般人となると、殺したら交戦規則違反で軍法会議にかけられる。マスコミが知ったら格好のスキャンダルになるだろう。

彼女を生かして保護し、かつ逃がさず壁まで連れて行く。
一人で帰るより難易度は跳ね上がるが、規則である以上、それに従わなければならない。

「逃げたり抵抗したりしない限りは何もしないし、勿論身柄は保証する」
「そんな…で、でも……!」
「でも、何だ?」

しどろもどろになりながら口をモゴモゴ動かすコカトリス。

「知らない人にはついて行くなって、お母さんが……」
「……ぷっ」

ようやく思いついた言い訳が思ったよりずっとレベルの低い物だった事に、思わず吹き出す。

「お前、知り合いがいるのか? この森の中に?」
「う……」

「さっきの奴らを見ただろ。北の奴らだ。魔物と異教徒が大っ嫌いな。そいつらが今、この森の中にはウジャウジャいる。見つかったらどうなる? 分かるよな?」

「よく考えてみろ。問答無用で殺そうとしてくる奴と、とりあえずついて来れば命は取らないって言ってる奴。どっちがマシだ?」

彼女に、選択肢は無かった。


17/04/16 19:37更新 / 貧弱マン
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■作者メッセージ
イエスかノーかだけで終わってしまった……
次は…次こそは会話を…

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