読切小説
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ヒモ禁止
自分の両親は宗教に入っている。
といっても有名どころじゃなくて、もっとこじんまりとした、いわゆるカルトってやつ。
派閥としては洗礼とかを行う唯一神系のもの。
もちろんカルトだけあって教祖の都合の良いように教義はねじ曲げられているけど。

父がカルトに入ったのは興味本意だったらしい。
まだ大学生のころに、先輩に(母は友人に)誘われたとかで一度“集会”に行ったのだそうだ。
前評判ではそんな時間もかからず途中退室も可だったらしいが、
実際に行ってみたら、数日間缶詰で教祖の演説を延々聞かされるという洗脳コース。
終わるころには父母共に熱心な信者になっていた。
父方母方の祖父母は宗教なんて止めるよう説得したらしいが、二人はそれに反発し縁切して家を出た。
そしてカルトの修行施設で二人は出会い、意気投合して結婚、数年後子供の誕生という流れだ。

古今東西、子供は親の宗教を引き継ぐ。
自分が産まれ母が退院すると、両親はその足でもってカルトの施設へ向かった。
そしてかなりの額を払い、教祖様に直接洗礼をしてもらったのだが、そこで一つ問題が起きた。
カルトの教祖(うさんくさいおっさんだ)は自分を見るなり“この子は呪われている”と言ったのだ。

教祖いわく。
“この男の子には女難の相がある。女のために身を滅ぼす運命だ。
 とても強い運命で私でも書き換えるのは難しい。だが和らげ遠ざけることはできる。
 今から私の言うことをよく聞いて――――”
カルトお決まりの文句だ。
この後両親は効き目があるのか怪しいグッズを高値で買わされ、さらに寄付もさせられた。
そして“女と親密にならないこと”という御言葉に従って自分を育てたのだ。

小さい頃はそれでも問題無かった。
世界には両親しかいなくて、二人の言うことは常に正しかったから。
しかし、成長して小学校に通うようになると“ウチはおかしいんじゃないか?”と思うようになった。
周りの子たちは誰も宗教に入っていなかったから。

低学年のころは同級生も気にしなかったが、学年が上がってくると変な目で自分を見るようになった。
“あいつの家はシューキョーを信じているんだって”という風に。
前学年のときは仲良くしていた相手も段々と離れていき、やがて付き合いもなくなった。

当時の自分はそれが嫌でたまらなく、両親に宗教を止めてほしいとお願いしたりもした。
だがそれに対する両親の返答はゲンコツと怒鳴り声。
何も分かっていない汚れた奴らの戯言なんて気にするな。
教祖様に従うことこそが天国への唯一の道なんだ。
そんな感じで一晩中正座のままお説教を受け続け、次の日は睡眠不足で登校したこともある。

また“女と仲良くするな”という教祖の言葉は男女共同の教室で過ごす自分を苦しめてくれた。
小学生といえば“○○くんは××ちゃんが好きなんだってー!”なんて面白がって騒ぐ年頃だ。
両親の言いつけは理解していたが、異性への興味は抑えられるものではない。
高学年の時には同じクラスの女の子に、恋とも憧れともつかない感情を抱いたりもした。

もちろん“教祖様の御言葉”があったから、告白なんてしなかった。
それにこんな奴に好かれても彼女は迷惑だろうと考えるぐらいの頭はあった。
結局思いを伝えることなく、自分の初恋らしきものは終わったのだ。
学校の旅行で偶然撮れた、彼女と二人だけの写真を残して。

そして中学に上がる前の小学生最後の春休みのとき。
その写真が親に見つかった。

両親は教祖様の言葉を守らないなんて云々と散々にお説教をしたがその内容は覚えていない。
覚えているのは、その写真を自分の手でビリビリに破かされて、ライターで火をつけたことぐらいだ。
散り散りになった写真が灰になっていくのを見ながら自分は思った。
もう親を愛することなんてないだろうな、と。

その後の三年間の中学生活は特に記憶に残る出来事は無かった。
……いや、一つだけ忌まわしい記憶があった。
それは父がエロ本をプレゼントしたことだ。

ある日、本屋の包みを片手に部屋にやってきた父は“これをやる”とよこした。
中身は何なのかと開けてみると数冊のエロ本。
困惑する自分に向かって“それで性欲を解消しろ”と父は言う。
性欲自体を縛ってしまうと暴走しかねないから、本で適度に解消しろということなのだろう。
何のことはない“御言葉”を守らせるためのプレゼントだ。
一応もらうことはもらったが、物が物であり理由が理由なので素直には喜べなかった。

とにかくあっという間に三年間は過ぎ、自分はそこそこの高校に入った。
中学までは地元の顔が大勢いたが、高校となるとほとんどいない。
まあ、親しい奴なんていなかったから別にいいけど。

入学式が終わり、担任に連れられてそれぞれの教室へ。
事前に渡されたタグに従い、自分の席へ着席する。
期待より大きい不安を抱えながらイスに腰掛けると、すぐ横の同級生に声をかけられた。

「君が隣の席かい? 自己紹介はまだだけど、とりあえずよろしく」
隣は女か…と声で思いながらそちらを向いた途端、心臓が跳ね上がった。
隣の女生徒は生まれて初めて見る美しさだったから。
“美しい”とされる女はエロ本やグラビアで何度も目にしたが、隣席の彼女と比べれば月とすっぽん。
本当に生きている人間なのか疑ってさえしてしまう。

「ん? どうしたんだい、固まって」
あ…いや、なんでもない。こちらこそよろしく……。
あまりに綺麗過ぎるせいか、心臓がドクドク動いて止まらない。
慌てて顔を前に向けるが、それでも治まらない。
一体どうしたんだ、くそっ。

脳内で素数を数えて心を静めようとする自分。
ほんの微か、片耳にクスッと忍び笑いが聞こえた気がした。

しばらく素数を数え続け、ようやく落ち着いた頃に担任教師がやってきた。
テンプレ通りにまず担任の自己紹介があり、それが終わると生徒一人一人の自己紹介。
一人、二人と紹介が進んでいき、数人目が教壇の前に立った時おや? と思った。
たった今、前に進み出た女生徒。その顔は隣にいる女生徒と同じだったのだ。

「初めまして。イアと申します。同じ顔の生徒がもう一人いますが、間違えないようお願いします」
緊張のせいもあるのだろうが、どこか不愛想な言い方。
人付き合いはあまりよくなさそうに思える。
だが、その美しさのおかげで愛想の無さがマイナスにならない。
“トゲがあるけど美しい花”のイメージが脳裏に浮かんだ。
隣の女生徒はやれやれ……という感じに苦笑いをしていたけど。

イアという女生徒の後は誰が自己紹介してもインパクトに欠け印象は薄かった。
男子生徒はともかく、美しさ自慢の女生徒には災難だったろう。
だが、イアは“同じ顔の生徒がもう一人いる”と発言していた。
彼女らにとって二度目の災害がやってくる。

「はい、皆さん初めまして。僕はヒールといいます。
 見てお分かりでしょうが、先ほどのイアとは双子の姉妹です。
 僕が姉でイアが妹なので、そこをよろしくお願いしますね。
 分からなくなったときは髪型で判断してください」
隣の女生徒―――ヒールは女には珍しい一人称を使っていた。
しかしその姿からすればそれもチャームポイント。
加えてイアよりもとっつきやすそうだから、男子からさぞかし人気になるだろう。
そう考えているとヒールは隣に戻ってきて席に着いた。
もう少しで自分の番だ。無難に終わらせるつもりだけど、それでも緊張する。
自分は再び素数を数え心を落ち着けた。

自己紹介が終わるとちょうど休憩時間に入った。
顔見知り同士の奴はいないのか、誰も彼も探るように近くの者と会話している。
自分もそうしようと思ったが、前後ともに別の生徒とお喋りの真っ最中。
仕方ない、話が終わるの待って……と考えたとき、隣のヒールが話しかけてきた。

「君も手持ち無沙汰かい? よければ僕の話し相手になってくれないかな」
見てみるとヒールの方も前後席の生徒が話し中だった。
彼女の席の左側は通路なので隣の席とは距離がある。
だから振り向くだけで済むこちらに話しかけてきたのだろう。

しかし自分は彼女と…というより、女性全般と関わる気がない。
自分と話してもつまらないよ……と言って会話を拒否する。
だが、その発言が逆に気を引いてしまったのか、ヒールはさらに言葉を続けてきた。

「初対面の相手に全く面白みのない話ができるならもう才能だよ。
 趣味でも好きな物でもいいからさ、会話で暇を潰そうじゃないか」
ヒールはそう言うとイスをずらして、自分の方に身を向ける。
すると先ほどと同じように脈拍が上がり体温が上がってきた。

「焼き直しだけどもう一度自己紹介しようか。
 僕の名前はヒール。性別は見ての通り女で、誕生日は今日。
 姉妹はイアっていう双子の妹が一人。
 僕は後ろで髪をくくっているから、迷った時はそれで判断して。
 はい、じゃあ次は君の番だよ、ナナシノ君」
勝手に話し始めて、こちらにもそれを強要するヒール。
話す気はないと強引に会話を断ち切ることもできるが、それをすると心証を悪くするだろう。

“これは仕方ないことなんだ”と言い訳をするように脳内で呟き、口を開く。
えー、そっちも知ってるだろうけど、名前はナナシノ・ムメイ。
性別は男で誕生日は「姉さん、どんな感じ?」
話している途中で割り込んできた声。
いつの間にか近寄っていたイアがヒールに声をかけたのだ。

「イア、彼はまだ話している途中だったんだ。
 急ぎでもないのに会話に割り込むのは良くないよ」
割り込まれて気に障ったのか、少し目を厳しくして妹を見るヒール。
しかしイアはその眼差しなど意にも介さない。
これは会話を打ち切る絶好のチャンスだ。

あー、ヒールさん。妹さんが話あるようだから、そっちが先でいいよ。
自分の話なんて、それこそ急ぐ必要がないんだからさ。
そう言って会話のバトンを妹に渡そうとしたら、イアにジロッと睨まれた。

「ナナシノくん、悪いけど“妹さん”なんて呼び方はやめてもらえる?
 私にはイアっていうれっきとした名前があるんだから」
どうやら彼女は妹呼ばわりがお気に召さないらしい。
自分は頭を下げて言い直す。

ごめんなさい、イアさん。
ヒールさんに話があるならどうぞお先に「譲る必要はないよ、ナナシノ君」
話に割り込むなと言っていたくせに、ヒールは言葉を遮る。

「イアの話だって別に大したことじゃないんだ。家に帰ってから聞けば十分。
 君と話せるのは今だけなんだから、こっちの方が優先だよ」
正直、なんでそんなに自分と話したいのか理解出来ない。
たまたま隣の席に座っただけなのに。
「それは運命だから……なんて言うとロマンがあると思わないかい?
 まあ、それはともかく偶然の出会いは大切にしないとね」
ヒールはそう言って笑ったが、自分は“運命”という言葉に苦い物を感じる。
自分は運命のおかげで普通とずれた育ち方をしてしまったのだから。

……ヒールさんは運命を信じる方なんだ?
「うん、僕は信じるよ。でも運命が絶対だとも思っていない。
 良い運命ならそうなるよう努力するし、悪いならなんとしてもねじ曲げる。
 結局は信じてない人と同じさ。あと、僕にさんづけはいらないよ。
 ヒールって呼び捨てにしてもらっていいから」
出会って数時間の相手(それも美少女!)を呼び捨てにするなんてどうかと思う。
それにクラスの男に悪く思われるかもしれないし。

「大丈夫だって。君は他人の悪意を疑いすぎだよ。さあ、言ってごらん“ヒール”ってさ」
ヒールは保母さんが小さい子供にするように促す。
なんかズブズブ泥沼にはまっている気がするが、断るほどの気力が出なかった。

えーと……ヒールさ、じゃなくてヒール。
ただ名前を呼んだだけ。それだけでヒールは嬉しそうな顔になった。
「はい、よくできました。やっぱり呼び捨てされると仲が良くなった気がするね」
そうかい、それは良かったね……と力なく自分は言う。

もうすでに女性と仲良くなり始めている。
これ以上の深入りは止めるんだと両親の施した教育がやかましく喚く。
しかし、心臓の鼓動が“もっと話をしたい”と訴えてくる。
寡黙だった心臓がこれほどに物事を訴えたのは生まれて初めてだ。
だから休憩時間終了のチャイムが鳴った時に、自分はつい言ってしまった。

――――また後で話そう、と。

自己紹介の後は担任が様々な説明を行ったが、それもたいした時間はかからず午前中で終わった。
社交的な奴は仲良くなった相手と話しながら教室を出ていく。
自分も帰ろうかと腰をあげると、やはり隣から声。

「もう帰るのかい? せっかくだから行ける所まで一緒に帰ろうじゃないか」
社交的な奴の一人であるらしいヒールは、共同下校のお誘いをかけてきた。
女の子と一緒に下校とか、親が見ていたら確実にゲンコツをくらうだろう。
しかし、心臓に従っている今の自分には首を横に振ることなんてできなかった。

じゃあ、行ける所まで……。
「姉さん、一緒に帰りましょう」
自分が了承するのとほぼ同時に、やってきたイアが姉に声をかける。
「構わないよ。ナナシノ君も一緒だけどね」
“ナナシノ君”の名前が出た途端に、イアはこちらの顔を睨む。
……何が原因かは分からないが、自分は嫌われているようだ。
やっぱり断ろう。
彼女と帰れないのは少し残念だが、自分のせいで姉妹仲を悪くするわけにもいかない。

ヒール、やっぱりいいよ。せっかくイアさんが来たんだし、彼女と帰って。
「別にいいわよ、あなたがいても。それと私にもさんづけはやめて」
……分かったよイア。じゃあ二人もナナシノ君って呼ぶのは止め「それは嫌かな」「それは嫌ね」
声をそろえて嫌だという姉妹。
仲良くしたいのか、したくないのかどっちなんだろう。

「あれ? もしかして君の家はそっちなのかい?」
校門を出たところのT字路。
自分はそこで左へ行こうとし、ヒールは右へ行こうとした。
下校ルートが全くの逆方向じゃないか……。

「なんてことだ。君と話しながら帰ろうと思ったのに、ここでお別れとは……」
残念そうに嘆いてガックリ肩を落とすヒール。
明日登校すれば隣の席にいるってのに、随分オーバーなアクションをするものだ。
「気落ちすることなんてないでしょ。明日また教室で顔を会わせるんだから」
自分の内心そのままの言葉でイアは姉を慰める。
それでなんとか持ち直したのか、落ちていた肩は通常の高さに戻った。

「……そうだね、これからは毎日のように会うわけだしね。
 ナナシノ君、名残惜しいけど今日はこれでお別れだ。また明日!」
「さようなら、ナナシノくん。気をつけて帰ってね」
手を振って別れを告げる二人。
自分も同じように手を振って、さよならと言った。



家に帰って玄関に入るとまず出迎えてくれるのは怪しい置き物だ。
教祖様手ずから力を込めた逸品で、悪いモノを追い返してくれるらしい。
確かにその異様さは魔除けになりそうだけど、良いモノも追い返してそうだと密かに自分は思っていたりする。

靴を脱いで家に上がり、廊下を歩いて自室へ向かう自分。
その途中、開いている扉から居間の様子を覗いて見ると、母が熱心な眼差しで教祖様の本を読んでいるのが目に入った。

ただいま、母さん。
「ああ、お帰りムメイ。学校はどうだった?」
悪くはないんじゃないかな。不良っぽい人も見なかったし。
「ふーん、そうかい。仲良くなれそうな人はいた?」
仲良くなれそうな人。その一言にヒールとイアの姿が浮かぶ。
だが当然、女の子と親しげに話したよとは言えない。

向こうから話しかけてくれた人はいたよ。
隣の席の人だけど、仲良くしていきたいって言われた。
「それは良かったね。親しくなったら、ちゃんと声をかけるんだよ?
 一緒に“集会”に行ってみないかって」
母は教祖の教えを完全に信じている。
本人にしてみれば他人を勧誘して信者にすることは善行なのだ。
息子の友人も教えに目覚めてくれたら良いねえ…と善意100%で考えているに違いない。
もっとも、そのおかげで小中と親しかった奴が皆離れていったのだが。

その日の夜。
入学したてで神経が興奮しているのか、布団に潜ってもなかなか寝付けなかった。
畳の上に敷いた布団の中で自分はときおり寝返りを打つ。
目を閉じても開けても真っ暗な部屋の中で思い返すのは昼間のヒールの言葉。

“良い運命ならそうなるよう努力するし、悪いならなんとしてもねじ曲げる”

運命をねじ曲げる、か。考えてみれば自分の両親もそうなんだよな。
女のせいで破滅するという教祖の予言した運命。
二人は息子がそうならないために、色々やって運命を遠ざけようとしているんだから。
問題はその根拠がカルトのインチキ予言(少なくとも自分はそう思う)だということだ。

だとすると自分が戦うべきは教祖の予言した運命ではない。
頭のイカれたおっさんの戯言を真に受け、幼い頃から自分を縛ってきた父と母。
このまま両親に呪縛され教祖の奴隷になる運命こそ、戦って回避するべきものだ。

こんな簡単な事に、何故今まで気がつかなかったのか?
そう思った時、トクンと一度だけ心臓が大きく揺れた。
……ああ、彼女のおかげか。

朝、隣の席で出会った美しい女生徒。
たいして話していないけど、彼女の言葉には無謬さと自信を感じられた。
幼い頃の母のように“彼女の言うことなら間違いはないだろう”と思える安心感があった。
そんな人が運命についての意見を述べたから、きっと感化されたのだろう。

自分ももう高校生だ。
親に流されるだけの運命なんて終わりにしよう。
ヒールの言うように望まない運命はねじ曲げて、新しい運命を掴み取らないと。
そんなことを考えているうちに、自分はいつの間にか眠りに落ちた。



――――まあ、そう決意したところで、すぐに何かが変わるわけでもない。
寝たのは午前になってからだけど、予定通りに起床して朝食を摂り登校した。

この学校は一年生が上の階で、学年が上がるごとに教室が下がっていく。
入りたての自分は一番上の階。四階というエレベーターを付けるには微妙な高さだ。
朝っぱらから疲労を貯めて階段を上がり、自分は教室の扉を開く。
すると廊下側の席についていたイアと顔が会った。

「おはよう、ナナシノくん。なんだか眠そうね」
先手を取って挨拶をしてくるイア。
昨日までの自分なら、まあね……と返して会話は終わっただろう。
だが、自分は運命を変えていこうと決心したのだ。女とも積極的に付き合っていかなくては。

うん…どうも入学式の緊張が残ってたせいか、なかなか寝付けなくてさ。
寝られたのは日が替わってからだったよ。
「随分と繊細な神経してるのね、あなた。初日から注意されないよう気を付けなさいよ?」
授業中に寝るんじゃないぞと釘を刺すイア。
皮肉げな言い方だが、忠告してくれていると思うことにしよう。

ああ、気を付けるよ。自分だって初日から先生に叱られたくないし。
「私も初日から同級生が説教されてる光景なんて見たくないわよ。
 まあ、隣が姉さんだから、寝ても起こしてくれるでしょうけど」
確かにヒールは面倒見が良さそうだし、寝ても優しく起こしてくれそうだ。
「私が隣ならシャープペンを刺して起こしてあげたのだけど……残念ね」
イアはクスリと笑い、カチカチとペンの頭をノックする。

ヤバイ、怖い。
何が怖いって、それも良いかな……と僅かでも考えてしまうほどの美しさが怖い。
危険な思考に陥っていることを自覚した自分は話を切り上げ、昨日と同じ席へ向かう。
隣席のヒールは綺麗な姿勢で本を読んでいたが、自分の気配に気付くと顔をあげた。

ヒールの顔は今さっき話したイアと全く同じ造形。なのに彼女の顔を見たら少し心臓が騒いだ。
なんでだろう? 纏う雰囲気が違うからだろうか。
トゲトゲした感じのイアと比べて、ヒールは柔らかくて優しそうな雰囲気がある。
それが決定的な違いになって、自分の胸を騒がせるのだろうか。
脳で考えてみても答えは出てこない。

「おはようナナシノ君……なんか眠そうな顔だね。昨日は夜更かししたのかい?
 学校は始まったばかりなんだから、規則正しくして早く寝た方がいいよ」
こちらの顔を見るなり、イアと同じことを言うヒール。
さらに“お母さんのお説教”的なセリフも追加だ。

夜更かししたくてしたわけじゃないよ。なかなか寝られなかったんだ。
「寝られなかった? 何かあったのかい?」
別になにも。緊張が残ってたり、考え事したりで寝られなかっただけ。
「へえ、案外ナーバスなんだね君は。
 まあ、それはともかく授業はきちんと受けないとダメだよ?」
またも釘を刺される自分。そこまで眠たげな顔をしてるのだろうか。
今のところはそれほど眠くないのだが、寝たら起こしてくれと一応頼んでみた。

授業初日というが、最初の授業のときは各教科担当が自己紹介をしたり、
生徒一人一人に自己紹介をさせたりで、ほとんど進まない。
ノートも取らず、他人の話を聞いているだけの時間を過ごしていると、強い眠気が襲ってくる。
朝二人に注意されたばかりだというのに、自分の頭はコックリコックリと櫂を漕ぎ始めた。
意識がブツ切りになり、教師の話があまり聞き取れない。
話の内容がテスト等と関係無い雑談であることが、さらにそれを加速する。
少し周辺に目を向けてみると、同じように櫂を漕いだり、すでに首を落としている奴が何人かいた。

……やっぱり、自分以外にもいるんだな。
そう思うと、彼らと同じく自分も夢の世界へ旅立ちたくなる。
昼休みまではあと30分。その程度ならフライング休憩してもいいだろう。
睡魔に抗うことを止め、チャイムが鳴るまで意識を閉ざそう―――としたらツンツンと頬をつつかれた。

「寝たらダメだよ、ナナシノ君。もう少しなんだから」
忍ばせた声と穏やかな刺激でヒールは意識を覚醒させようとする。
これがイアだったらシャープペンでブスブス刺していたのだろうか。
隣が彼女で本当によかった。

ああ、ありがとう。もう少し頑張るよ……。
囁き声で礼を言うとヒールは小さく頷き、どういたしましてと返した。

その後脳内で睡魔との死闘を繰り広げ、タイムアップ判定勝ちをした自分。
授業中は眠いのに、休み時間になった途端、目が冴えるのはどうしてなんだろうね。
どうでもいいけど。

昼休みに入り、教室は騒がしくなった。
さっさと弁当を机の上に広げる者、包みを片手に教室を出ていく者、
購買派なのか廊下へ駆けだしていく者など、行動は十人十色。

そんな中、自分はヒールの近くにやってきたイアと三人で弁当を広げていた。
教室に残っている男の羨望と嫉妬の視線が少し痛い気がするが、
ヒールと一緒に昼食を摂れると考えたら、それもあまり苦にならない。
天気の話など、無難な共通の話題を広げながら、自分たちは食事を進める。

「――――というわけで、紫外線は白肌の敵なのよ。
 最近は天気が良すぎて本当に困るわ」
三月の終わりごろからバカみたいに続く青天にイアは辟易しているらしい。
確かに彼女みたいに色白な女性には過ごし辛い陽気だろう。
「イアは日光が大嫌いだからね。そのくせUVカットとか面倒臭がってやらないし」
え? スキンケアとかそういうのやってないの?
美容に詳しくはないけど、これだけの美肌を保つなら相当な労力が必要だと思うのだが。
「そんなことしないわよ。化粧しないと美しさを保てないだなんて、ただの誤魔化しでしょ?」
自尊心を刺激されたのか、フンと鼻息を放って言うイア。
その発言を信じるなら、彼女は全くのすっぴんということになる。
今は小学生ですら化粧をする時代だ。そんな中、素の美しさでこれほどとは……。
自分はイアが“綺麗な女の子”であることを改めて思い知らされた。
そして興味の引かれるままに凝視してしまう。

「あまりジロジロ見ないでくれる? 見せ物じゃないんだから」
イアは不快そうに言い放ち、持っていたフォークで目潰しのジェスチャーをとる。
女性を凝視するのは確かにマナー違反だ。今のは自分が悪い、謝ろう。

いや、ごめん。綺麗だったからつい……。
「褒めても誤魔化されないわよ。許してもらいたければ、そこのトマトをよこしなさい」
こちらの弁当箱に入っているミニトマトをフォークで指すイア。
実を言うとトマトは好きではないので、渡りに船だったりする。
自分は弁当箱を片手に持って彼女へ差し出す。
イアは銀色のフォークをプスリと突き刺し、口へと運んだ。

「あー、羨ましいな。ナナシノ君、僕にも分けてくれないかい」
意外なことにヒールが不満の声をあげ、おかずをたかってきた。
だが、嫌いなので後回しにしていたトマトを除くと後は好物しか残っていない。
これらをタダで渡すのは……。

「もちろんタダでなんて言わないよ。僕のおかずと交換だ。ついでにおまけもつけよう」
なんだ、交換か。それならいい――ってなにやってんの!?
ヒールはいきなりYシャツの首元に手を伸ばすと、プチプチとボタンを外し始めた。
そして胸元までとると、襟元をグイッと拡げて首周辺の肌を露出させたのだ。

「どうだい? 僕の肌もイアに負けてないだろう? ほら、好きなだけ鑑賞してくれ」
双子だからか、ヒールの肌もイアと同等の美肌だ。
下着などは流石に見えないが、白い肌に包まれた鎖骨が妙な色気を発散する。
自分は箸を動かすのも忘れ、その姿に見とれた。
ブーッ! と後ろの方で液体を噴き出す音が聞こえるまでの短い間だが。

「おっと、これは失敬。無駄に見せびらかしてしまったね。
 悪いけど鑑賞はここまでだ。じゃあ、君のおかずをもらうよ」
ヒールは厚切りポテトにサクッとフォークを刺して持っていく。
そして弁当箱をこちらに差し出し、どれが良いかと訊ねた。

えーと、じゃあそのイチゴを……。
「イチゴだね。はい、どうぞ」
もらおうかと言おうとした時には、すでに彼女のフォークが貫いていた。

あ…ああ、取ってくれたのね。ありがとう。
じゃあ、この上に落として「口開けなよ、ほら」
ヒールはイチゴを突き刺したフォークを近づける
どうやら彼女はこのまま食べさせてくれるらしい。

でもこれってどう見ても“あーん”だよね?
なんか後ろの方で「あいつもう手を出したのか……」なんてヒソヒソ話がされてるし。
少なくとも友人知人の間でやる行為とは思えない。

ヒール、そんなことしなくていいから。このフタの上に落としてくれればいいから。
「遠慮なんてしなくていいのに……。まあいいや。はい、確かに渡したよ」
ヒールは残念そうに呟き、フォークに刺さったイチゴを弁当箱のフタの上に落とす。
それを口に運んだら、普通のイチゴとはどこか違う甘さを感じた。





「――――そうだ。ナナシノ君は、五月の連休はどうするんだい?」
三人で昼食を取るのが当たり前になった頃。
こちらのから揚げにフォークを伸ばしながら、ヒールがそんな言葉を口走った。
「私と姉さんは連日街中をブラブラするつもりだけど、あなたも来る?
 荷物持ちしてくれるなら、缶ジュースぐらい奢ってあげるわよ」
そう言ってトマトを持っていくのはイア。
二人の目は“どうせ暇なんだろう?”と語っている。
だが、自分には黄金週間のほぼ全てを費やす苦行があるので、二人の誘いには乗れない。

生憎だけど、連休は予定がギッチリ詰まってるよ。
家族ぐるみで遠くへ旅行に出かけるんだ。
自分の返答が意外だったのか、二人は“えっ!?”という顔になる。

「そ、そうなんだ……。家族みんなで旅行ね…。
 うん、家族仲が良いのは悪いことじゃないよね。悪い事じゃ……」
己に言い聞かせるようなヒールの押し殺した声。
フォークの先が震えてるとか、どれだけオーバーリアクションだ。
「旅行ね……。一体どの辺りへ行くの? 沖縄? 北海道? それとも海外かしら?」
イアの方はそれほどでもないのか、すぐ平静な顔に戻って行き先を訊ねてきた。

まあ……四国とかその辺だよ。
観光地じゃないから、お土産は期待しないで。
「そんなの元から期待してないけど……観光地でもない所へ行くの?」
イアは不可解そうに眉をひそめる。
きっと、娯楽旅行なのに何故観光地へ行かないのかと疑問に思っているのだろう。

……言えるわけないって。
長期休暇になると、教祖生誕地で大集会があるとか。

自分の入信しているカルトは月に一度の割合で“集会”があるのだが、
黄金週間や年末年始の長い休みに入ると、合宿も兼ねた大集会を行うのだ。
その時になると日本全国から信者が集まってきて施設に泊まり込む。
そして“教祖様”のありがたい演説を連日聴いたり、本の朗読会を開いたりする。
小さい頃は退屈なだけだったが、今となっては純粋に不快だ。
周りの奴らはどいつもこいつも洗脳済みで、教祖様教祖様と歓声をあげる。
いっそ洗脳されて楽になってしまおうか……と何度思ったことか。
ああダメだ、考えただけで頭痛と吐き気がしてくる。

……二人とも、これ全部食べていいよ。なんか食欲がなくなっちゃった。
自分は額を押さえて、ズイッと弁当箱を押し出す。
するとヒールは震えるのを止め、心配げな眼差しを向けてきた。

「え、大丈夫? なんか顔色が悪いよ?」
体温を計ろうというのか、手を伸ばしてペタリと頬に当てるヒール。
「急に食欲が失せるなんておかしいわね。もしかして食中毒? 最近は暑いし…」
変な味がしないか、おかずを口に含んで舌で調べるイア。
彼女たちが心配してくれるのはありがたいが、原因は精神的な物だ。
自分はちょっと気分が悪いだけだよと口にしてその場を取り繕った。



カルトは大勢いる信者から大量の金を吸い上げている。
田舎は土地が安いということもあり、教祖は校舎のように広い施設を複数所有している。
もっとも、ただ広いだけで居住性は最低なのだが。

ついに連休に入り、自分は両親に連れられて“聖地”へやってきた。
学校と同じように、最初はお偉いさんの挨拶から始まる。
取り巻きの幹部たちが神秘的な専門用語を組み込んだ話をして、最後に教祖直々の演説。
自分はありがたいだなんて、これっぽっちも思っていないが、
周りの奴と同じように歓声を上げないと『不敬者』にされるので、嫌々に教祖の名を叫ぶ。
教祖はしばらく歓声を受けると静まるよう指示し、静音になったところで演説を始める。

常識のある人間なら、電波としか思えない単語をふんだんに盛り込んだ教祖の話。
前後左右の奴は真剣に傾聴しているが、自分は右耳から左耳へスルーだ。
こんな話をまともに聞いていたら、本当に洗脳されかねない。

大集会は午後から始まったので、演説が終わったときはもう夕方になっていた。
本日の話はこれで全て終わりとなり、もう夕食の時間。
やはり広い食堂に大人数が集まり、共同で食事を摂る。
配膳されるのは、教祖が祝福したという、神聖な食材を使用した料理。
家畜のエサとしか思えない雑穀ばかりだが、周りは美味しい美味しいと食べている。
自分は味気ないその料理を口に運びながら、二人の弁当がどれ程美味だったか追想した。



悪夢のような連休が過ぎ、また学校が始まる。
登校していつも通りの席に座っているイアを見たとき、自分は泣きそうになった。

「おはよう、ナナシノく……え? ちょっ!?」
普段通りにあいさつをしてくるイア。自分はその手を取り、ギュッと握る。

おはよう、イア……。会いたかった…、本当に会いたかったよ……。
苦しみと不快に満ちた数日間。
洗脳されてしまえば楽になるその地獄を、二人との日常を支えにして自分は耐え抜いた。
今ならイアに真正面から罵倒されたとしても笑って受け止められるだろう。
だから自分は手を振り払われるまで彼女の手を握りしめる。

「……何があったか知らないけど、とりあえずカバン置いてきなさい。
 握手ぐらいなら、後でしてあげるから」
一ヶ月近く付き合ったおかげか、イアは強引に手を振り払わずやんわりと言った。
自分はいきなり手を取って悪かったと謝り、席へ向かう。
最後に目の端に写った彼女はそっぽを向いていたけど、耳が赤い感じがした。

「あ、おはようナナシノ君。旅行はどうだった?」
旅行の実情なんて知らないヒールは、無邪気にそう訊いてくる。
最低だった。二度と行きたくない。
そう言えたら心がスッキリするだろうけど、そんなことはとても口にできない。
自分は曖昧に笑って、思ったほど面白くなかったよと答える。

「それは残念だったね。でも、僕たちの方も退屈だったよ」
退屈? 毎日街をブラブラして楽しんでたんじゃないのか?
「たしかに毎日映画見たり買い物したりしてたけど、どうにも無味乾燥で。
 イアも似たような感じだったし、君といる学校の方がよっぽど楽しいよ」
肩をすくめて笑うヒール。その仕草に、最近落ち着いていた心臓がまた跳ねた。

自分も……二人がいる学校の方が楽しいよ。
これは嘘ではない。
親に隠し事をし、熱心な信者を演じなければならない自宅より、
二人と話せて、素のままの自分でいられる学校の方がずっと好きだ。

「君もかい!? 気が合うねえ僕たち! これこそ友達って感じだね!」
意見が一致したことがよほど嬉しかったのか、ヒールは珍しくはしゃぐ。
「そうだ、今度一緒に出かけようよ! 街中にいいお店が―――」
ごめん、それはパス。
「えっ!? なんで!?」
ハイな状態から急転直下。ヒールはガーンといった顔になる。
正直、行けるなら行きたいが、二人と一緒に近場をうろつくとバレかねない。
出かけるならば危険性が低い県外だ。

せっかく出かけるなら遠くに行こうよ。街中なら一人でも行けるんだしさ。
「遠くか……だったら、遊園地でも行ってみるかい?」
遊園地……いいかもな、それ。
「じゃあ、そうしよう。イアの意見も聞いてみるけど、ひとまず遊園地ということで」

とまあ、そんな感じで、次の休みには二人と出かけることになった。
親に話せば金は出してくれるが、勧誘できそうか訊かれるだろう。
友人は男性ということになっているので、ボロが出ないよう架空の人物像を作っておかないと。

二人を元にしてそれっぽく人間を作っていると、担任がやってきてHRが始まった。
そして一通りの出欠を取ると、席替えをすると言い出した。

「―――さて、一ヶ月経って、みんな近くの席とは仲良くなっただろう。
 そこで席替えをしようと思う。先生は満遍なく仲良くして欲しいからな。
 くじは作ってきたから、一人一枚ずつ紙を引いてくれ」
ざわざわとする教室内。それを尻目に担任は黒板に四角いマスと数字を書く。
ヒールと離れることになって残念だと自分は思う。
そして隣も同じだろうかと目を向けたら、残念を通り越して悲愴な顔になっていた。

「ああナナシノ君、君とお別れなんて僕はどうしたらいいんだ……」
どこかの舞台劇のように大げさなセリフを吐くヒール。
同じ教室内なんだから、嘆くほどの事でもないだろうに。
「そう言われても、君と離れ離れになるのは耐え難いんだよ。
 これからは授業中に君をつつくこともできなくなるのか……」
ヒールは天を仰いで嘆息する。
自分はそんな彼女に回ってきた抽選箱を差し出した。

箱がクラスを一回りし全員がくじを引いたのを確認すると、担任は移動の指示を出した。
一度机の中にしまった教科書を取り出すのは手間だが、机ごと移動するよりは楽。
最前列を引いた奴は“ツイてないな”と独り言を呟きながら移動し、
窓側の後列という居眠りしやすい場所を得た女子はグッと拳を握っていた。
ちなみに自分の席はたいして変わらず、前に一個ずれただけ。
ヒールは自分の左斜め2つ前。
そしてイアは――――。
「あら、奇遇ね。隣の席なんて」
自分のすぐ横だった。

……まさかイアが隣になるとは。
まあ、以前と比べれば丸くなったから問題はないだろう。
「また席替えはあるでしょうけど、それまではよろしくね。ナナシノくん」
そう言って片手を差し出すイア。
自分はこちらこそよろしくとその手を握る。
「そうそう、言っておくけど、私は姉さんじゃないから間違えないでね。
 もし間違ったらシャープペンで刺すわよ」
イアはボールペンのインクを出すように、シャープペンを振る。
自己紹介の時もそうだったが、彼女はヒールと間違われるのがそんなに嫌なのだろうか。
「嫌に決まってるでしょ。私たちは別人なのよ?
 姉さんは好きだけど、姉さんに間違えられるのは不愉快極まりないわ」
過去に何かあったのか、イアは言葉に嫌悪感を滲ませた。
気にはなるが、変なトラウマでもあったら事だ。そっとしておこう。

席が変わっても授業内容に変化はない。
一部の教師が“ああ、席替えしたのか”と少し口にする程度だ。
何の滞りもなく時間は過ぎ、久しぶりの昼休み。
自分はいつものように隣に声をかける。

さて、食べようかヒール。机を……あっ。
失敗だ。隣をヒールだと思って話してしまった。
全くの別人なら話す前に気付いただろうが、姿が同じだけにうっかりしてしまった。

「ハイハイ、ヒールサンデスヨ。ナンノヨウダイ、ナナシノクン?」
シャープペンはすでに筆箱の中だったので刺されはしなかったが、
爪の伸びた指先で頬をグリグリされた。けっこう痛い。
「何してるんだい、イア。ナナシノ君が嫌がってるじゃないか」
弁当の包みを持ってやってきたヒールがイアをたしなめる。
それでやっと自分は解放された。

「ナナシノくん、トマト」
食事が始まっても不機嫌なイアは、賠償の品をよこせと要求する。
逆らっても良いことはないので、自分は大人しく弁当箱を差し出す。
プスッとトマトが串刺しにされ、ドナドナされていった。

「いい加減、機嫌を直しなよ。そんなんじゃ遊びには連れていけないよ?」
困った妹だ…という顔で言うヒール。
朝の話など知らないイアは、どういうこと? と訊いてきた。
「朝ナナシノ君と話してたら、次の休みに遊園地に行こうかって話になったんだよ。
 一応イアの意見も訊こうってことになったんだけど……必要ないか。
 僕たち二人だけで行くから、イアは留守番してて」
二人だけで遊園地か……なんかデートみたいだな。

自分とヒールはただの友人だが、見知らぬ人が見たらデートだと思うかもしれない。
無関係の人間にどう思われようがいいけど。

「待って姉さん。それなら私も「別にナナシノ君が嫌いなら行かなくてもいいんだよ?」
どうなんだい? と笑顔でヒールは言う。
イアはぐぬぬ…と唸っていたが、遊園地には行きたいのか、少し険を落とした。
「…分かったわよ、ナナシノくんは許してあげる。これでいいんでしょ?」
「うーん、もう少し素直になってくれないとダメかな。
 ナナシノ君はけっこう好きだから一緒に遊びたい、とかさ」
なに言ってるんだヒールは。
「何でそんなことを私が言わないといけないのよ!?」
ああ、やっぱりイアが激昂した。
「じゃあ、嫌いなんだ。遊園地は二人で回ろうね、ナナシノ君」
「別に嫌いだなんて一言も言ってないじゃないの!」
まあ確かに一言も……あれ、なんか話がズレてきてないか?
「イアは難しいねえ。結局好きなのか嫌いなのかどっちなんだい?」
「好きか嫌いかって訊かれたら好きに決まってるでしょ!?
 そうでなきゃ一緒に食事なんてしないわよ!」
なんかもう勢いに任せて喋っている感のあるイア。
そしてここまでの発言を引き出したヒールはこちらを見る。
「だそうだ、ナナシノ君。イアは君が好きなようだから、嫌わないであげてほしい。
 一種のツンデレだと思って、少し広い心で接してもらえるとありがたいな」
『Q.E.D.』そんな文字がヒールの背後に浮かんだ気がした。

「ぐっ…ぐぐ……ぐぅぅっ……!」
完全に踊らされていたと理解し、イアは唸る。
まあ、ここで下手に発言するとさらに墓穴を掘りかねないから、良い判断かもしれない。
「言葉でも喧嘩でもイアが僕に勝ったことなんて一度もないだろう?
 “姉より優れた妹など存在しない”っていい加減学習しなよ」
もう妹をいじる気はないのか、ヒールは再びフォークを動かし始める。
「さて、ナナシノ君。遊園地行きは決定したとして、何時頃に行こうか」
彼女の頭はもう次の休日の予定に移っていた。

「友達と遊園地? ああ、別にいいよ。そのぐらいの金はあげるから」
家に帰って次の休みに友達と出かけると言ったら、母は簡単に了承してくれた。
「―――でだ、一緒に出かけるってことはそれなりに仲良くなったんだよね。
 どうだい? 救ってやれそうかい?」
“救う”というのは勧誘の隠語だ。
カルトでは最後の時に救われるのは信者だけと教えているので、
勧誘行為全般を“救済”“救い”と呼んでいる。

いくらなんでも早すぎるよ。
まだ一ヶ月ちょっとしか経ってないんだからさ。
自分は勧誘する気はゼロなので“まだ早い”と言って先延ばししている。
どこまで通じるかは分からないが、しばらくは現状維持だ。
「そうか…。まあ、最後の時はまだ先だからいいけど、ちゃんとやるんだよ?
 友達が地獄に落ちて悲しむお前なんて見たくないんだから」
“お前のためなんだよ”と完璧にねじ曲がった愛情をかけてくれる母。
まったくもって鬱陶しいけど、騙しているという罪悪感も少しは感じる。
「それで、友達ってのはどんな子なんだい。
 友達のできなかったお前と仲良くしてくれるってことは、
 相当立派で優しい子なんだろうねえ……」
予想通り、母は友人のことを訊いてくる。
自分は脳内で作った“男の友人”の人柄を語って聞かせた。



土日の休日はよく晴れ上がり、五月絶好の行楽日和となった。
そのおかげで、黄金週間ほどではないが遊園地は混雑。
待ち時間が長すぎて、アトラクションはあまり回れなかった。
場所が場所だから、二人と話しながら園内を歩くだけでも十分楽しかったけど。

学校ではいつも二人でいるヒールとイアだが、一日中遊び回れば離れるときもある。
ヒールと二人だけになった時、自分は少し気になることを訊ねてみた。

ヒール、一つ訊いていい?
「ん、なんだい突然。僕に答えられることなら答えるけど」
イアってヒールと間違われるのがすごく嫌いなようだけど、何か理由があるの?
「理由ね……まあ一応あるよ」
もしよければでいいんだけど、教えてもらえないかな?
「そうだなあ、どう話したものか……」
一言で説明できるものではないのか、ヒールは考えを整理してから話し始めた。

「自慢じゃないけどさ、僕とイアって結構美人だろう?
 そのせいで昔から交際したいって男が多く寄ってきたんだ。
 でも、イアは近づき辛いからみんな僕に告白するんだよね」
それは分からなくもない。
「で、僕らが髪型を別にしたのはここ最近でさ。
 それまでは僕と間違えてイアに告白する男がけっこういたんだよ」
え、普通気付くだろ。双子でも。
「僕もそう思うんだけど、人間って緊張してると間抜けなミスをするようでさ。
 “これ読んで下さい”って渡した手紙が、僕宛てのラブレターだったり、
 “ヒールさん付き合ってくれー!”なんて教室で叫んだら相手がイアだったってこともある」
うわ……それはきついな。特に衆人告白とか。
「そんな事が何度もあったから、イアは間違われるのが嫌なんだよ。
 だから、ナナシノ君もなるべく注意して」
ああ分かった。肝に命じておくよ。
……ところで、ヒールはそんなに告白されていて誰とも付き合わなかったの?

すでに恋人がいるなら他の男が告白してくることなんてない。
イアがトラウマ抱えるほど間違えられたなら、全員フラれたと考えられるのだが…。

「そうだね……悪くないと思える人は何人かいたよ。
 でも、僕の恋人は“運命の相手”って決めていたから、全部断ったんだ」
運命の相手ってなに?
「運命の相手は言葉通りの意味さ。僕が小さい頃、母さんの知人が占ってくれてね。
 “運命の相手と出会って、愛し合うことになるでしょう”って予言されたんだ」
無茶苦茶胡散臭いなその予言。
普通、愛する相手を見つけたなら、それが運命の相手って思うだろ?
結局は“気に入った相手なら誰でも良い”ってことになるじゃないか。
「そうでもないよ。だって、いつどこで出会うかまで教えてくれたんだから」
何なんだその占い師。
占いなんて如何とでも解釈できるようにするのが常套手段じゃないのか?
細かく予言したら、インチキだってすぐばれるんだし。
「その人は自分の占いに相当の自信を持っているよ。
 逆に考えれば、出まかせのインチキじゃないってことだろう?」
そう言うとそうかもしれないけど……やっぱり胡散臭い。
「まあ、これは僕の問題だから、君が気にすることではないよ」
……そうだな、自分が口を出すことじゃない。
ところで、いつどこで出会うのかとか、よければ教えてくれないか?
胡散臭いと言いつつも、気になってしまう自分。
「そこまでは言えないかな。でも今のところは、予言通りに運命は流れているよ」
苦笑いを浮かべて“順調に進んでいる”とヒールは答えた。



七月も中盤をすぎると、全校生徒お待ちかねの夏休みになる。
夏休みは学生にしかないので、このときは大集会は開かれない。
自分にとっても喜べる長期休暇だ。
もっとも毎日家でゴロゴロするわけにもいかない。
母が“これを機に教義の理解を深めろ”とカルトの本を読ませようとするから。

結局、ヒールが一ヶ月以上会えなくなることをやたら寂しがることもあり、
宿題攻略も兼ねて、学校の図書室に毎日通うことにした。
部活もしていないのに登校するのはちょっとアレだが、
一人で問題解くより良いし、カルト本を読んだりするのに比べれば何百倍もマシだ。
ヒールもイアも成績は上位なので、二人に教えられながら解いた問題は早く終わった。
八月に入る頃には、作文などの教えられない物を除き、ほぼ全ての宿題が完了。
過去最高速度をマークし、残りの一ヶ月近くは完全なフリーとなった。

問題解きながらならともかく、話すためだけに一日中図書室にいるのは厳しい。
四ヶ月近く隠し事を続けて慣れてしまったこともあり、
自分は二人の強い誘いを受けて何度も街中へ繰り出してしまった。

――――後で後悔することになるとも知らずに。

だいたい八月の半ばごろからだろうか。図書室に同じ生徒が来るようになった。
もちろん以前も他の生徒が来たことはあるが、
彼らは自分の要件(本の貸し出しや返却)を終えるとすぐ帰っていた。
しかしその生徒は図書室に残って宿題をしていたのだ。

それだけなら、夏休みの終わりが近いから集中してやっているんだろうで終わりだ。
だが何故かその生徒は自分たちが帰ろうとすると、道具を片付けて同じように帰る。
夕方までいようが、午前で出て行こうが、全く同じタイミングで。
それを不気味だと思いつつも、直接問い訊ねることはせず、夏休みは終わった。



始業式が終わり、明日からまた授業が始まるのか……と少し気落ちしながら帰る自分。
いつもと同じ下校ルートを通り、家の近くまで来たとき、おや? と思った。

駐車場に父の車がある。
父は仕事の途中で一時的に帰宅することもあるが、その場合は社用車だ。
自家用車が停まっているのはおかしい。
それに玄関のすぐ近くに黒ガラスのバンも停まっている。
なんか怪しいな……と考えながら、自分は玄関を開いて家に入る。

ただいま、と声をかけると廊下の奥から父母が共に出てきた。
そしてこっちへ来なさい、と重い声で言う。
何かあったのか…? と疑問に思いながら、二人に従って居間へ入る自分。
するとその中には見たことのない男性(ずいぶんと体格が良い)が三人立っていた。

「いま、戻ってきました」
母がそのうちの一人に言うと、わかりましたとその男は答えてこちらを向いた。
「ムメイくん。私たちはご両親の頼みと教祖様の命で君を迎えに来た。一緒に来て欲しい」
全く予想だにしないセリフ。自分は少しでも状況を理解しようと訊き返す。

一緒に行くって…何故ですか?
「それは「お前が教祖様の御言葉を裏切ったからだよ、この馬鹿!」
男性を遮り、怒りに満ちた言葉を発したのは父。それに続けるように母も口を開いた。
「私はもう信じられないよ! “友達は男だよ”なんて嘘をついてっ!」

――――バレた。二人のことがバレたのだ。

ズシッと肩に重圧がかかる。何か言い訳しようと思っても、うまい言葉が出てこない。
少しばかり口が開閉するだけ。

「ご両親とも落ち着いてください。感情的になってはなにも解決しません」
冷静になるようにと男性は声をかけると、彼は説明を始めた。
「ムメイくん、詳しいことは省くけど、私は君の御両親に相談を受けていたんだ。
 息子が教祖様の御言葉に逆らっているかもしれない、どうしたらいいか、とね」
逆らっている“かもしれない”ということは、相談時点では確証は無かったのか。
「それで少しばかり君の周辺を調査させてもらったんだ。
 幸運な事に君の学校には信者の子が一人いたから、その子にも協力してもらってね」
その言葉で連日図書室に来ていた生徒のことを思い出した。アレはスパイだったのか。
「その子からの報告を受けた結果……心苦しいけど“黒”と伝えたんだ。
 それを知ったご両親は他の人とも相談し“修行”をさせようという結論を出した」
修行って……なんです?
「数年間俗世から身を離して、純粋な教えの世界で暮らすんだ。
 そうすれば君も綺麗な身と精神になれる。きっと悪い運命も離れていくだろう」
そ、そんなこと言われても……だいたい学校はどうするんですか。
「学校は休学……いや、退学したっていい。
 お前の未来に比べれば三年間なんて安いもんだ」
高校中退を“安いもの”呼ばわりする父。
この人は一般的な価値観を完全に失ってしまったのだろうか?
「今の君にはご両親の言葉は受け入れ難い物かもしれない。
 でもこれは君のためなんだ。拒否するなら力づくでも連れて行かせてもらうよ」
最後の言葉と共に、二人の男が一歩踏み出す。

―――その瞬間、テーブルクロスを掴んでめくり返した。
机の上にあったカップや皿がぶつかり、視界を白く覆われ、男たちは怯む。
自分はその隙に、居間を出て玄関へ向かって走った。
後ろからは“逃がすな!”“追え!”といった言葉が聞こえる。
靴を履いている暇なんてない。自分は靴下のまま、玄関扉を開け外へ駆けだした。



相手は三人で、自動車まで持っている。
生身の上に靴を履いていない自分が走って逃げ切れるとは思えない。
だから自分は角を曲がって視界から外れると、すぐに塀を越えて見知らぬ他人の敷地に潜んだ。
バタバタと人の走る音が壁のすぐ向こう側まで近づき離れていく。
塀を少し乗り越えて覗き込まれたら一巻の終わりだったが、男たちはそれをしなかった。
そんな事をしたら、住人とトラブルになりかねないから当然だろうけど。

幸いな事に住人は留守なようで、自分はしばらく身を潜めてから外へ出た。
(あまり意味は無いけど)こそこそしながら自宅の通りを覗き込むと、
男たちが乗ってきたバンは家の前から消えていた。いったん引き揚げたのかもしれない。
だが、父の自家用車は残っているので、両親は家に残っている可能性が非常に高い。
これでは靴を履いたり荷物を持ち出したりできない……。

家へ戻るのを諦め、どこへともなく歩いていると、ゴロゴロという音。
空を見上げてみると、すぐ西に真っ黒な積乱雲が来ているのが見えた。
雨宿りできる場所を探さないといけないが、今の自分は靴を履いていない。
店に入ったら変な目で見られるのは確実だ。
仕方ないので、屋根付きベンチのある小さな公園にお邪魔することにした。

雷鳴は近く大きくなり、冷たい風が吹き始めた。
植木の葉が擦れあってカサカサと音を立てる。
ポツン、ポツンと音がし始めたかと思うと、ドッ! と激しく降り出した。

今は真夏といっても、夕立の中で風に吹かれれば寒い。
半袖の上に身を覆う物もない自分は鳥肌の立つ腕を擦って温める。
だがそんな努力を嘲笑うかのように風と雨は強くなり、真横から吹きかけるほどになった。

電線がうなり声をあげるほどの強風。素肌にバチバチ当たって痛みを与える雨。
ちっぽけなベンチの屋根なんてもう何の意味もない。
自分はベンチを立ち上がり、雨に打たれる。
そして心の中に溜まった物を吐き出すように叫んだ。
落雷の轟音がそれをかき消すように鳴り響く。

……自分はもう終わりだ。
少なくとも、カルトや教祖に嫌悪感を持ち、まともな人間でいようとする自分は終わる。
未成年の自分は家を出て自活していくことはできない。そんなことは社会が許さない。
だが、家に帰れば怒り心頭の両親に散々責められたあげく、修行場へ放り込まれ、
数年後には“立派な信者”になって出てくるだろう。
そんなのはもう自分じゃない。そっくりな姿をした別の誰かだ。
天を見上げると雨粒が眼球を叩き、痛みと共に涙が流れ出る。
雨と共に全て流れてしまえと思いながら自分は泣いた。



夕立はずいぶん長く降り続き、晴れ上がったころにはもう真っ暗だった。
パンツの裏までびしょ濡れになった自分は、同じように濡れたベンチに腰掛ける。
だが、どこかの彫刻のように座って考えても、これからの展望なんて何一つ見えてこない。
ハァ……と無気力に息を「ナナシノくん?」

暗くて人気の無い公園に突然響いた声。
それはすっかり聞き慣れた、女性のものだった。

「こんな所に座ってなにやってるの、ナナシノくん」
そう言って歩いてくるのはイア。彼女こそ何をしているのだろうか。
「私は夜の散歩をしていただけよ。夕立が止むまでずいぶん時間がかかったけど。
 ナナシノくんの方は……って、びしょ濡れじゃないあなた!?」
驚いた。小さい電灯一つしかないのに服が濡れていると気付くとは。
「こんなに濡れるなんて傘は……あら?」
彼女は視線を足元にやる。そして靴下であることに気付いた様だ。
「……何があったのナナシノくん。その格好、普通じゃないわよね」
傘を持ってない、靴も履いてない、何をするでもなくただベンチに座っているだけ。
それを不審に思ったのか、イアの声が鋭くなる。

話そうか話すまいか。だいたい話してどうなるのか。
自分が黙して考えていると、キッ! と車がブレーキをかける音がした。
そちらを振り向くと、停止したバンのドアを開け男が一人出てきた。
そしてエンジンを止めると運転手も車を降りる。

反射的にベンチから腰をあげる自分。
そして逆方向へ逃げ出そう――としたら植え込みをかき分け、もう一人がその方向から現れた。

はさみうち。
昼間の件で“逃げ出すタイプ”と理解したのか、男たちは逃げ道を塞いできた。
濡れた砂を踏む音とともに近づいてくる三人。
ある程度近づいたところで止まり、昼間話した男(もしかしてリーダーか?)が口を開いた。

「逃げ出しちゃダメじゃないかムメイくん。
 こんな時間になって、君の父さんと母さんも心配してるよ?
 家まで乗せて行ってあげるから、帰ろうじゃないか。ほら」
近くにイアがいるからか、いきなり押さえ付けることはせず説得をするリーダー。
だが自分は横に首を振り、自分で帰りますと口にする。
他人の目があるから、これで引いてくれると思いたい。

「それはできないよ。ご両親から“ちゃんと連れて帰ってくれ”と頼まれているんだから。
 君もつまらない意地は捨てて、仲直りしよう? それで皆幸せになれるんだ」
“連れて帰ってくれ”ね。どこへ連れて帰るのやら。
少しぐらい強引でもいいやと考えているのか、
リーダーの言葉に迷う様子は無く、再び足音が近づいてくる。

……腕が震える。
理由の一つは拉致される恐怖で、もう一つは他人を傷つける恐怖だ。
もう逃げ出すことはできない。なら戦うしか道は無い。
確かに男たちは自分よりも体格は良い。
だが、命に代えても自分を連れて行こうという気概は無いはずだ。
目玉を潰し耳を千切るつもりで暴れれば、一旦引くかもしれない。

逆に激昂して余分に痛めつけられるという可能性ももちろんある。
というかその方が高いだろう。
しかし、自分が生き延びるためにはもうこれしかない。そう思える。

息を吸って吐く。覚悟を決める。
リーダーに向かって一歩踏み出―――そうとしたところで、黙っていたイアが口を開いた。

「すみませんが、あなた達はナナシノくんの何なんでしょうか?」
無関係と思っていた人物が口を挟んできたことに、リーダーは動きを止める。
よほど意外だったのか「えっ!?」と戸惑った声まで聞こえた。それも三人分。
「え? え? 君はどこから―――」
「私はナナシノくんの友人です。あなた達は彼を強引に連れて行こうとしているようですが、
 どんな関係で、何の理由があるのですか?」
どうしたんだろうか。彼女を前にして全員がうろたえている。
まるで幽霊やお化けが突然現れたかのように。

「ま、待った、君は今「答えてもらえませんか? そうでなければ誘拐事件として通報しますよ」
初めて出会った時よりもずっと冷たい声。黙秘は認めないとの意思がうかがえる。
“誘拐”の言葉にリーダーは冷静さ取り戻したのか、咳払いをして喋る。
「すまないがこれはムメイくんの家庭の問題なんだ。
 友達でも教えることはできないし、口出しする権利もない」
“家庭の事情”という黄金の盾を取り出し、付きつけるリーダー。
しかしイアはそれに構わず口を開く。
「私の見たところナナシノくんが家出をして、
 あなた方がそれを連れ戻しに来たという感じですが、その理解でいいんでしょうか?」
「……君は洞察力が高いねえ。だいたいそんな感じだよ。
 でも家族仲が悪いだなんて、言い触らしたらダメだからね」
アチャー、バレたか…といった顔で認めるリーダー。
これはただの家出で、家族の問題である…という形でまとめてしまいたいようだ。
「そうですか。でも家出人を連れ帰るにしては、ずいぶん物騒な物を持っているようですね」
「物騒な物? ははっ、私たちがどこにそんな物を持っているというんだい?」
リーダーは無手であることを示すように、手をヒラヒラッと動かした。
だがイアはフンと鼻息を漏らして言う。
「あなた達のポケット、すごい臭いますよ。鼻が曲がりそうです」
一瞬リーダーのヒラヒラが止まった。が、すぐ困ったように笑う。
「あー、男の汗は特に臭いって言うしね。今度の休みにはズボンを洗うことにするよ」
「あなたの汗は薬品臭がするんですか。一度医者に行った方がいいと思いますよ」
その言葉にリーダーの笑いが凍りつき、無表情になる。
くいっとアゴで指示を出すと、三人が前後から向かってきた。

なに挑発してるんだよイア!? お前まで巻き込まれてどうするんだ!
そう思ったときにはもう遅い。男たちは完璧に“やる気”になっている。
こうなったらイアだけでも逃がして、警察に通報してもらうしかない。
信者でもない彼女が巻き込まれたなら、もう家庭の問題で済まなくなるのだから。

やってやる! と思い、固めた拳をリーダーに振りかぶる自分。
向こうはその腕を掴む気なのか、両手の五指を広げる。
だが、彼が腕を捕えることは無かった。
見えない速さで繰り出されたイアの拳が、顔のど真ん中に命中していたから。

ボクシングのKOシーンのように、膝からガクッと崩れるリーダー。
それを隣の男が認識した時には、彼女のつま先がみぞおちにめり込んでいた。
一瞬呼吸ができなくなり意識を失う男。
そして背後から彼女を捕まえようとしていた最後の一人は、
振り向きざまの裏拳をアゴにくらい、脳と意識がシェイクされて沈黙した。

その間実に0.2秒! という感じの早業。
拳を振りかぶった自分はおさまりもなく腕を下ろすしかない。

えーと……強いんだね、イアは。
我ながら抜けたセリフだと思うが、思いついたのがそれしかなかった。
「たいしたことじゃないわよ。姉さんや母さんだってできるもの」
なにそれこわい。イアの血筋って外見によらず武闘派一族なのか?
「なによ武闘派って……。ともかく、全員気絶させたけど問題ないわよね?」
あ、ああ…それでいいよ。ありがとう、助かった。
「私はこのまま散歩して帰るつもりだけど、ナナシノくんはどうするの?」
自分はこれからどうするのか。
イアの言葉で状況が好転したわけではない事を思い出した。

自分を拉致しようとしていた三人が倒れたことで、目前の危機は去った。
だが、家に帰れないということに変わりはない。
それどころか、三人を叩きのめしてしまったことで、
両親やカルト信者からの心証は最低にまで落ちているだろう。
行く場所が無いことに変わりはないのだ。

「……ナナシノくんは家出してきたのよね?」
家出か……確かに細かい事情を省けば家出と言っていいだろう。
その通りだと自分は頷く。
「それで、当分のあてはあるの? 親戚が泊めてくれるとか」
そんな物は無い。両親は親戚全員と縁を切ったのだ。
自分は祖父母がどの県に住んでいるかさえ知らない。
「そう。だったら――――私の家に泊まる?」
目の前に一本たらされたクモの糸。
自分はそれを眺めるように、イアの顔を見つめる。
「ほら、私たちって、その……友人だし? 姉さんも多分喜ぶだろうし」
恥ずかしいのか、思いっきり視線を反らして言うイア。
その様が妙に可愛らしくて、笑ってしまった。
「なに笑ってるのよ!?」
馬鹿にされたと思ったのか、イアは怒った声を出す。
でもそれが心底からの怒りではないと、自分には分かった。

夜の道をイアと連れ立って歩く自分。
逃げていたときは意識しなかったが、靴下一枚で走ったおかげで足の裏はボロボロだった。
耐えられないほど強いわけではないが、一歩一歩歩くたびに痛みが走る。
RPGで毒を食らったキャラの気分が今なら理解出来そうだ。

「ナナシノくん大丈夫? 辛いならおんぶしてあげるけど」
痛みに顔をしかめる自分を見て、イアが提案する。
しかし重傷でもないのにおぶわれるというのは……。
「おんぶは嫌? ならお姫様だっこでもいいわよ。
 ん、この場合王子様だっこになるのかしら?」
王子様だっこなんて初めて聞くよ。とにかく大丈夫だから。
それより、イアの家ってどこなんだ?
「もうそこよ。ほら、ここから」
そう言って、横の塀を指差すイア。
自分はそれを見てうわ…と口を開けた。

周辺の家の3倍近くある塀。
それは自分の身長よりも高く、明らかに侵入者を防ぐ意図を持っていた。
横幅も長く、中にあるのが広い庭と家屋であることが想像できる。
さらには自動シャッター付きの車庫に、カメラ付きのインターフォン。
金持ちが住処にちょっと金をつぎ込んでみました…という感じ。

イアがカードキーで門のロックを外し、自分も一緒に庭の中へ入る。
想像通り広い庭には様々な樹木が植えられていた。
そして飛び石の上を歩いて玄関に到着。
玄関扉には鍵をかけていないのか、イアは普通にノブを回して開いた。

「ただいまー。姉さん、お土産連れて来たわよー」
我が家より長い廊下の奥に向かって声をあげるイア。
すると同じように伸びた声が帰ってくる。
「おかえりー、イア。お土産ってなぁにー」
「自分の目で見てー。姉さんが一番好きなものよー」
ガタッと引き戸が開く音。次いでヒールが顔を出し、こちらを覗く。
「僕が好きな物って―――えぇっ! ナナシノ君!?」
ヒールは驚きに高い声を出すと、ダダッと廊下を駆けて傍までやってきた。
「どうしたんだいナナシノ君!? こんな時間に!」
いや、それは―――。
なんて話したらいいものか。そう考えたとき、クシュンとくしゃみが出た。
「とりあえずシャワー浴びてきてナナシノくん。
 姉さんにはその間に説明しておくから」
靴を脱いで家に上がるイア。自分も汚れた靴下を脱いで上がらせてもらう。
そのままイアに先導されて風呂場へ入った。

夕立の雨で死体のように冷え切った体。
熱いシャワーを浴びていると、それが生き返っていくように感じる。
湯船に浸かればもっと温まるのだろうが、その中はなんと洋画のように泡だらけ。
使い方がよく分からないので、シャワーだけにすることにした。

目を閉じ、しばらくの間シャワーを浴びる自分。
数分経った頃、脱衣所の扉が開き、ヒールが声をかけてきた。
「ナナシノ君、着替えはカゴの中に入れておくよ。
 間違ってもずぶ濡れの制服なんて着たらダメだからね」
はーい、と答えると扉が閉まりガラス越しの姿が消える。
着替えといっても流石に女物を着せはしまい。
きっと母親と一緒に遠くにいるという父親の物だろう。
……娘さんが許可したとはいえ、勝手に着てしまってごめんなさい。
顔も知らぬ父親に心の中で謝っておく。

服を着終えて脱衣所を出ると、扉の音を聞きつけたヒールがすぐにやってきた。
こっちだよと彼女はリビングに案内する。
随分高価そうな木のテーブルと、三面に並ぶソファ。
その部屋ではイアが三人分の紅茶をちょうど用意し終えていた。

「座って紅茶でも飲んでよ。体の中からも温めた方がいいからね」
家族内で指定席でもあるのか、迷わずソファに腰かけるヒール。
イアはその対面に座っていたので、自分は中央の空いたソファに座る。
そして砂糖とミルクをカップに注ぎ、スプーンでクルクル。
白く濁った紅茶は、昼から何も食べてない身にはひどく美味だった。

「―――それで、いったい何がどうしたんだい、ナナシノ君」
紅茶を一杯飲んで温まったところで、ついにヒールが質問をしてきた。

何がどうと言われてもな……イアからはどこまで聞いたの?
「君が家出して、得体のしれない人たちに誘拐されそうになったことぐらい。
 イアも詳しい事情を知りたいそうだし、できれば話して欲しいな」
できれば、か。教えないならもしかして追い出す?
「見くびらないでよナナシノくん。あなたには私たちがそんな冷血に見えるの?」
今の言葉を不信と受け取ったのか、イアがムッとする。
「君が話したくないなら、無理には聞かないよ。ただ…心配だからさ。
 事情が分かれば僕たちも安心できるし、何か力になれるかもしれない」

彼女たちは自分を信じてくれている。
三人の男が正しい側で、自分が悪いことをしたとは微塵も疑っていない。
だったら……隠し事なんてしないで全て話すべきだろう。
それが誠実に応えることだと思うから。

自分は話した。
家族ぐるみでカルトに入っていること。
幼い頃に受けた運命予言のこと。
二人との関係を両親に隠していたこと。
それがバレて拉致されそうになったこと。
本当に何も隠さず全てを。

「そんなことがあったんだ……大変だったね」
「そういう事情だったのね。あいつらもう少し痛めつけた方がよかったかしら」
同情するヒールと物騒な事を言うイア。
二人は全て知っても自分への見方を変えたりしなかった。
それが嬉しくて、視界が滲む。

「……泣きたければ泣いていいよ。絶対バカになんてしないからさ」
自分の涙を辛さから出た涙だと解釈したのか、ヒールが隣に座ってそっと手を握る。
「ここにはあなたの味方しかいないんだから、好きなだけ弱音を吐きなさい」
後ろから回される腕。イアが背中から抱いてくれているらしい。
二人の心遣いに余計に涙があふれ、借り物の服を濡らしてしまった。

自分の涙も止まって落ち着くと、ヒールは壁際を見上げた。
「……もういい時間だね。明日は学校だし、そろそろ寝ようか」
「一日行ってまた土曜日なら、休みにしてくれれば良いのに……」
九月の始業式は木曜日なので、明日行けばまた土日休み。
イアの漏らす不満もわからなくもない。

「じゃあ、寝ようかナナシノ君」
そうしようか。ああそうだ、薄い毛布でいいから一枚貸してくれないか。
「毛布? 何でだい?」
いや、残暑っていっても、何もなしだと今日は寒いし……。
今日の夕立は雨と共に冷気も運んできたらしく、九月頭とは思えないほどに肌寒い。
かける物もなく寝たら、確実に寝冷えになるだろう。
「僕の毛布があるんだからそれでいいじゃないか」
何言ってるんだ。ヒールの毛布を借りたら、そっちが寒いじゃないか。
「心配ないよ。二人分ぐらいの大きさは十分あるから」
いやだからこっちは良くても、そっちが―――。
「……二人とも、話が噛み合ってないわよ」
横で見ていたイアが、ため息混じりにそう言った。

結論から言うと誤解があった。
自分は毛布を借りてソファで寝ようと考えたのだが、
ヒールは自室のベッドで共に寝ようと考えていたのだ。
そりゃあ、ズレた話になるはずだ。
一応男女同衾はマズイと断ったが、ヒールが強く勧めるので結局そうなった。

母親以外の女と初めて共にする床。
最初は緊張があったが、それはそうしないうちに解けた。
代わりに浮かび上がってきたのは巨大な不安。

自分は今日になるまで、昨日と同じ日常が続くと思っていた。
今日は昨日と同じように学校へ行き、明日も同じように行くだろう。
そんな感じに。

もちろん、この日常が永遠に続くなんて思ってはいなかったけど、
しばらくは予想した通りに未来が進んで行くと思っていた。
しかしその未来予想図は突然失われた。

今の自分には一週間先どころか、明日どうなるのかさえ分からない。
未来が見えない。未来が予想できない。それが怖くて怖くてたまらない。
先の見えなさに体が震える。
夕立の時ともリビングの時とも違う涙があふれてきた。
こんなんじゃ眠るだなんてとても――――。

「怖いのかい? ナナシノ君」
その怖れを感じ取ったのか、すぐ隣りに寝ているヒールが喋る。
自分は言葉を発さずただ頷く。
するとヒールは身を寄せて、頭を抱えるように抱きしめてきた。
「僕は君と違う人生を送ってきたから、君の恐怖や不安は完全には分からない。
 でも、これからはずっと君の傍にいる。決して独りにはしない。
 イアだって同じ考えだ。未来が分からないなら、僕たちと一緒にいる姿を思い浮かべて。
 そうすれば少しは楽になると思うから」
そう言ってチュッと軽く額にキスをするヒール。
普段なら赤くなったり慌てたりしたかもしれないが、今の自分にはただ安心させるだけの効果しかなかった。
彼女の柔らかい肉体やどことなく甘い香りもそう。まるで聖母に抱かれているような心地。
氷山のように巨大な不安が、炎天下の雹粒のように溶け、何処かへと流れ出していく。
彼女の優しさに包まれ、やっと自分は意識を手放すことができた。



ピピッ、ピピッというデジタルな音。
目覚まし時計を替えたっけ……? と思いながら身を揺するとその音は止まった。
そして密着距離にいる何かがゴソゴソと動き出す。

「ナナシノ君、朝だよ。今日は学校だから起きないと」
軽い揺さぶりと共にかけられる声。それで昨日何があったのか思いだした。
自分はのそりっ…と起き上がる。
「おはよう、ナナシノ君。制服取ってくるから、君はここにいて」
すでに身を起こしていたヒールがスリッパを履いて部屋を出て行く。
自分はその背を見ながら、あくびともため息ともつかない息を吐いた。

制服を着て一階のリビングに降りると、イアが朝食を並べていた。
それにおはようと挨拶をすると彼女も返す。

「おはよう、ナナシノくん。どう? 姉さんと一緒でよく寝られた?」
口元を吊りあげて皮肉っぽく笑うイア。
自分が顔を赤くする様を期待していたのかもしれないが、そうはならない。
とても安心してよく寝られたと答えておく。

「ん、そう……良かったわね」
期待通りの反応が得られなくて、イアは拍子抜けといった感じ。
しかし、すぐ気を取り直し席に座るよう勧めてきた。

「さ、早く食べちゃって。あなたは学校に行く前にすることがあるんだから」
学校に行く前にすること? なに?
「ナナシノくんはカバンも持たずに登校するの? 
 教科書もノートも要らないなんて成績によほど自信があるのね」
ハッと気付いて血の気が下がる。
そうだ。昨日は着の身着のままでこの家へ来たんだった。
今着ている制服以外は何も持っていない。
となると、雑多な物を取りに家へ帰らないといけないが……。

「あなたの心配していることは分かるわ。
 それはどうにかするから、先に食べて」
一体どうするのか分からないが、とりあえず言われた通りに料理を口に運ぶ。
昼食と違い、出来立ての料理はまだ熱を持っていて美味。
しかし美味と感じるだけで、食事を楽しむことはとてもできなかった。

今は朝。両親とも家にいるはずだ。
昨日の三人から確保失敗の連絡も行っているだろうし、
自分が顔を見せたらどんな騒ぎになるか見当もつかない。

……いや、そもそも今の自分は対外的には家出したことになっているはずだ。
だとすると確実に学校にも連絡が行っている。
登校なんてしようものなら、教師に捕まってそのまま両親へ引き渡されるだろう。
自分はもう学校には行けない……。

昨日の夜と同じく、自分の中で不安と恐れが膨れ上がる。
所詮自分は未成年。親の庇護がなくては生きていけない。
しかし、その親自身が自分を壊して作り変えようとしているのだ。
その現実をはっきり認識すると、また体が震えだした。
手に持った紅茶のカップが揺れて、中の液体が波立つ。

いけない。これでは零してしまう。
そう思ってソーサーに置こうとしたが、指が離れてくれない。
陶器がぶつかり合い、カチャカチャとうるさい音をたてる。
自分の体はもうパニック状態だ。動悸が早くなり、呼吸も不安定。
昨日もそうだけど、自分は情けない姿を見せてるな…と負の思考がよぎった時。

「落ち着きなよ。君が心配していることの大半は片付けられるからさ」
震える自分の手に細くて色白な手が重ねられた。
その主はいつの間にか隣に座っていたヒール。

「――――君は、僕とイアを信じることができるかい?」
ヒールの口から脈絡なく発された問い。
漠然としていてその意図は全く読めないが、自分はしっかりと頷く。
親さえ信じられない今、彼女たち以外の誰を信じろというのか。
「うん、ありがとう。なら僕たちを信じて付いてきて」
付いていくって……どこへ。
「それは当然、君の家さ」
何でもない事のようにヒールはそう言った。



自分の家は二人の家とは逆方向にある。
我が家に寄ってから学校へ行こうとするなら、かなりの遠回りだ。
朝起きたときは二人とも随分早起きなんだな…と思っていたが、
単に寄り道をするから早かっただけで、普段はもっとゆっくりらしい。

昨日の寝巻と同じように、二人の父親の靴を借りて自分は家へ向かう。
靴のサイズは少し大きかったが、歩き辛いというほどでもない。
本当に借りてばかりですみません…と父親にまた謝る自分。

そんな感じで朝の空気の中を三人で歩き、ついに自宅のある通りへ到着。
これから一体どうする気なのかと二人に問う。

「そりゃあ、君の靴やカバンを持ち出すのさ」
それは分かってるよ。知りたいのはその方法だ。
「正面から堂々と行けばいいじゃないか。君の家なんだから」
それができたら苦労はしないってば。
「うん、だから苦労はしないんだよ」
そう言ってこちらの手を掴んだままヒールは玄関へと向かっていく。
おいおい、何をする気なんだ……?
二人を信じると言ったばかりだが、それでもこの危険な行動には懸念を覚える。

「今からこの呼び出しボタンを押すけど、誰が出てもパニックにはならないでね。
 それとこの手を離さないこと。そうすれば君の安全は保証するから、落ち着いていて」
そう言うなり、返答も訊かずヒールはボタンを押す。
家の中からベルの音が微かに響き、ガチャリと扉を開いて母が顔を出す。
自分はヒッ! と息を飲んだが母は何も言わず、不審げに辺りを見回すと中へ引っ込んだ。

「ね、大丈夫だったろう?」
どうだい? と自慢げに笑うヒール。
だが、自分はあまりの緊張に心臓がバクバクして止まらなかった。

確かに、大丈夫だったけど……何だったんだアレ?
自分たちは玄関の前に三人手をつないで立っていた。
扉を開いたなら真っ先に目に入る位置で、どう考えても見落とすなんてあり得ない。
だというのに母は、誰が押したのか探すように視線を巡らせたのだ。

「あなたは何だと思うのナナシノくん?」
分かるかなー、分からないだろうなーと挑発的に笑うイア。
その通り、自分の乏しい知識を総動員しても可能性の高そうな答えは見つからない。
もう、魔法としか……。

「あら、正解よ。今姉さんが使ったのは“認識されなくなる”魔法。
 だからあなたのお母さんは目の前にいるのに気がつかなかったのよ」
気取りもせず、ごく自然な言葉として出てきた魔法という単語。
話に聞いただけなら何をバカな…と相手にしないだろうが、
実際に目の前で効果を見せつけられると否定しきれない……。

「否定しないでよ。魔法は“ある”の。私たちを信じるって言ったのはなんだったのよ」
それは…………いや、信じる。信じるよ。
自分には本当に魔法かは分からないが、常識で考えられない力は実在する。
彼女たちがそれを魔法と主張するなら、そうなのだろう。

「これで心配は払拭されただろう? ナナシノ君。
 さ、靴を履き替えて、カバンを持って、学校に行こうじゃないか」
手をつないだままのヒールはそう言って玄関扉を開いた。

学校につくと、ヒールはカバンから首飾りを取り出してかけさせた。
なんでもこれをつけていれば“気にされなくなる”のだそうだ。
“認識されなくなる”のとどう違うのかと思ったが、その違いはすぐに分かった。

「おーし、二学期最初の授業日だ! 気合入れて出欠とるぞー!」
なんかテンション上がってる担任が生徒名を読み上げていく。
その中で自分も返事をし、全員の出席を確認すると担任は連絡事項を話しだした。
「―――そうだ、誰かナナシノを見た奴はいないか?
 昨日だけど、喧嘩して家を出て行ったって親御さんから電話があったんだ。
 もし見かけたらぜひとも先生に教えてくれよー」
先ほど出席にチェックを付けたばかりだというのに気がつかない担任。
きっと“認識されなくなる”だと自分が見えなくて欠席扱いになるのだろう。

一時限目が終わっての休み時間。
授業中も色々考えていた自分は、首飾りについて少しヒールに訊いてみた。

この首飾り結構すごいみたいだけど、どのくらいまで効果があるの?
「そうだね……廊下で体がぶつかったりした程度じゃまず気付かないよ。
 職員室で名前を叫んでも気にされないかな。
 でも、喧嘩とか相手に危害を加えようとしたら“ナナシノだ”ってばれるから注意してね」
わかったよ。喧嘩なんて元々しないから、まず大丈夫かな。
「僕もその辺りは心配していないよ。そうそう、万が一バレた場合は一度姿を隠してね。
 一度視界から消えれば、また効果を発揮するはずだから」
こんなファンタジーな話をしていても誰も気に留めない。これも首飾りの力。

一ヶ月半ぶりの通常授業は随分長く感じた。
夏休みに朝から夕まで図書室で話していた時とは、時間の流れが違うんじゃないかってぐらいに。
それでも時計は正確に時を刻み、一日の授業が終わる。
普段なら校門を出て別れるところだが、今日は自分の帰り道に二人がついてくる。
それは自宅から着替えなどを持ち出すためだ。
自分はしばらく(といっても終わりは見えないが)の間、二人の家に居候することになった。
大集会用の大きなリュックに秋物の衣服を詰め、朝とは逆の道をたどり二人の家に到着。
ヒールは玄関扉を開けると“おかえり”と迎え入れてくれた。

この家では家事の担当は特に決まっていないらしい。
掃除は汚れていると思った方がするし、食事も作りたい方が作る。
それでうまく回ってるんだから、全くもって仲がいい。
自分に兄弟がいたら、絶対押し付けあって喧嘩するだろうから。

イアお手製の夕食を頂き、風呂も入った後。
自分がどこで寝るかという問題が発生した。
服や靴は彼女たちの父親の物を借りられたが、ベッドまではなかったのだ。
自分はソファで構わないと言っても、二人が“それはダメ”という。
結局、一日交代で二人のベッドにお邪魔することになった。



「ねえ、ナナシノくんは姉さんのこと、どう思ってるの?」
電気を消してイアと一緒のベッドに潜り込んだ後。
寝付けないのか、イアがそんな事を言ってきた。

どう思ってるって……とてもいい友人だと思ってるよ。
「いい友人? 本当にそれだけ?」
それ以外だと……恩人だとか、不思議な女の子だとか思う。
掘り下げればもっと出てくるだろうが、パッと思いつくのはそんなところ。
「うーん…そういう方向じゃなくて、女の子としてどう思う?」
そりゃあ、綺麗な女の子だと思うよ。下駄箱がラブレターで溢れないのが不思議なくらいだ。
漫画の一コマを思い浮かべ、冗談ぽく言ってみる。
「そうね、妹の贔屓目としても姉さんは美人だと思うわ。
 で、そんな美人と仲良くしていて、あなたはなんとも思わないの?」
なんとも思わないのかって、何を思えと?
「例えば―――姉さんと付き合いたいとか」
それは…………特に思わないな。
そう答えると、イアは寝返りを打ってこちらを向いた。
「本気? 本当に一片たりとも、恋人になってみたいと思わないの?」
まるで珍獣を目にするような顔のイア。自分はそんなにおかしいことを言ったのか?

いや、本当に思わないよ。仲の良い友人なんだから、それでいいじゃないか。
ぶっちゃけ、自分には異性の友人と恋人がどれ程違うのか理解できない。
仲が良いことに変わりはないんだから、同じような物なんじゃないのか?
「……ナナシノくんは、女の子を好きなったことってないの?」
同情や憐れみの色が混ざったイアの声。
何故そんな感情が入るのかは分からなかったが、彼女の言葉で昔を思い出した。

本当に好きだったかどうかは分からないけど、気になった女の子はいたよ。
小学生の時だけど。
「小学生か…そこまではまだ普通だったのね。その子とはどうなったの?」
どうにもならなかったよ。告白なんてしなかったし、普通に離れ離れになった。
……ああ、それと写真を燃やしたな。
「シャシン? 写真ってあの紙の写真?」
自分は頷いて話を続ける。

自分はその子の写真を一枚だけ持ってたんだけどさ、それが親にばれたんだ。
後はお説教のフルコースだよ。最後は写真をビリビリに破かされた。
そして破片の一枚一枚が灰になるまでライターで燃やさせられた。
はい、これでお終い、と自分は口をつぐむ。
何か思うところがあったのか、イアがギリッと歯を噛み締める音が微かにした。

「……なるほど、よく分かったわ」
突然イアが自分を抱きしめた。昨日のヒールと同じように。
「ナナシノくん。あなたは止まってしまったのよ、写真を燃やした時から。
 女と結ばれることは無いから、好きになってもしょうがないって封じたの。
 自覚は無いかもしれないけど、きっとそう」
耳元で優しく諭すように話しかけるイア。
その声には普段の硬さが全くなくて、本当にヒールと瓜二つだった。
「でもね、もうあなたを押さえ付ける親はいないの。
 女の子と仲良くして、愛し合って、恋人になってもいいのよ」
背中を撫でながらイアは話し続ける。
その温かい手で一撫でされるごとに、自分にヒビが入っていくような気がした。
石に入るヒビではなく、卵の殻に入るヒビ。中にいる何かが出てきそう。

「正直言うとね、姉さんが先かなって思ってた。
 だって、あんなに好き好きって雰囲気を出しているんだもの。
 ナナシノくんが自覚するにしろ、姉さんが痺れを切らすにしろ、
 あなた達二人が関係を持つのが先だろうって思ってた。
 でも、あなたの話を聞いたらもう我慢できなくなった。
 可哀想過ぎてとても見ていられないの」 
イアは背に回していた手を戻し、こちらの顔を持ち上げる。
そして――――軽くだけど、チュッと唇にキスをしてきた。
「好きよ、ナナシノくん。友達じゃなくて、女の子として好き」
愛の告白。イアにそんな事をされるなんて自分は想像したこともなかった。
一体どんなリアクションをしたらいいのか分からない。
そんな自分の様子にイアは、ちょっと困った微笑を浮かべる。
「……流石に今すぐ恋人になるのは難しいかしらね。
 なら、友達の好きと女の子の好きがどう違うのか教えてあげる」
イアはそう言うと薄い毛布をめくって体を起こした。
そしてパジャマの上着に手をかけると脱ぎ捨てる。
常夜灯の弱い光に照らされ、オレンジ色に染まる彼女のブラジャー。
背に手を回すとプチッという小さな音を立ててそれが外れた。
露わになった乳房を隠そうともせず、彼女はズボンに手をかける。
じれったいと思ったのか、イアは下着ごと足を引き抜いて裸になった。

「ナナシノくんも脱いで。私とセックスしましょう」
何故脱ぎ出したのかと疑問に思った自分。
彼女はそれに直球な答えを返してくれた。

なっ、なんで!? そりゃイアは好きだけど、何でそんなことを―――。
「“女の子の好き”を知るにはこれが一番いい方法なのよ。
 あなたも性欲はあるんでしょう? 私に欲情できないなんてことないわよね?」
自信ありげに語り、肉食獣のようににじり寄ってくるイア。
友人ならば肩を押さえて“そういうのはやめよう”とたしなめるべきなのかもしれない。
しかし卵から出ようともがいている何かのせいで、今の自分にはそれができない。
このまま流されてしまいたいと思ってしまう。
「自分に嘘をついたらダメよ。あなたの体はこんなになってるんだから」
彼女の手がズボンに潜り込み、パンツの中で硬くなっていた男性器をサワサワ…と撫でる。
たったそれだけで寒気と身震いする快感が背筋に走った。
イアはその反応に妖しい笑みを浮かべ、クスリと笑う。
「ね……脱いで、ナナシノくん。怖いことなんて何もないの。
 私と一つになりましょう? “女の子が好き”って言えるようにしてあげるから…」
ペロッと首筋を舐めるイア。それでとどめを刺された。

同性異性関係なく、自分は裸を見られるのが好きじゃない。
大集会時の大浴場での入浴も、大きいタオルで体を隠して入る。
今この部屋で灯っている電灯が常夜灯で良かったと本当に思う。
あまり良く見えないから、自分も服を脱ぐことができるのだ。

「生憎だけど、私は夜目がすごい効くから。
 ナナシノくんが顔を赤くしてるのは丸見えよ」
が、普通じゃないイアにとっては昼間と同じらしかった。
こっちは見えなくて、そっちは見えるって不公平じゃないか?
「なら電気つけましょうか? 私はそれでもいいわよ」
イアは枕元のスタンドに手を伸ばし、パチッとスイッチを入れる。
白熱電灯に照らされ、彼女の白い肌が薄闇に浮かび上がった。
初めて直視する生身の女の子の体。それを前にして、かつてないほどに男性器が硬くなる。

「んふっ、ナナシノくんのおちんちんは早く私の中に入りたいみたいね。
 じゃあ早速繋がりましょうか。あ、そのまま寝てていいわよ。全部私がしてあげるから」
起きようとした自分を制し、イアが上に乗ってくる。
そして股間の穴を指で広げて見せつけた。

「ナナシノくんも知ってると思うけど、これが女の子の穴、おまんこよ。
 今からあなたのおちんちんをここに入れちゃうから。
 とっても気持ち良いから、恥ずかしがらずにたくさん喘いでちょうだいね?」
最後に優しく笑い、イアは腰を下ろした。
途端に襲い掛かってくる熱いぬめりと締め付け。
自分は歯を食いしばって情けない声を飲み込む。

「あは…っ! 我慢…しちゃって! そんな必要、ないのにっ……!」
ズブズブと腰を下げながら肉穴に男性器を飲み込んでいくイア。
自分ほどではないが彼女も快感を感じているらしく、声が詰まっている。
「んっ…! もうすぐ…全部…っ!」
下がり続けていたイアの腰。それが下降を止め停止した。
「はぁ……っ。あなたのおちんちん、私の中に…全部、入っちゃった……」
腕立てのように上体を上げて繋がっている部分を見せるイア。
すると彼女の女性器が根元まで咥えこんでいるのが視認できた。
「どうかしら、ナナシノくん。女の子の中は、気持ち良いでしょ?」
熱い呼気と共に言葉を吐くイア。自分はそれにただ頷いて返す。
「それは良かったわ。でも―――山場はまだこれからよ?」
そう言って目を笑みの形に細めるイア。
彼女の腰が持ち上がり、柔らかい肉が男性器をしごきあげる。
自分はついに耐えきれなくなり、口を開いて喘ぎ声を漏らしてしまった。
「あっ…それで、良いの…よっ! 恥ずかし、がらないでっ……!」
その言葉通り、イアは見せつけるように胸を揉み、わざとらしく音を立てて腰を動かす。
グチュグチュと水音が繰り返し、自分の男性器が彼女の膣を何度も出入りする。
連続して与え続けられる快感に、ただ彼女のことしか見えなくなっていく。

「ナナシノくんっ…! セックスは、気持ち良いわよねっ……!
 友達なら…こんなこと、しないわよ…? 私は…あなたが、好きだからしてるの…っ!
 あなたが、男だから…一つになりたい、って思ってるのよっ…!」
キシッ…キシッ…とベッドを軋ませながら腰を振るイア。
彼女は“女の子だからあなたが好きなの”と何度も繰り返し言う。
その一言一言で卵のヒビが大きくなり、大事な何かが孵化しそうになる。
「好き…好き……っ! 愛してるわ、ナナシノくんっ…!」
“愛してる”の一言。それで卵の殻は真っ二つに割れた。
快感に霞む思考の中に”友達とは違う好き”が生まれる。
心の底から衝動がこみ上げ、イアを抱きしめた。
「あっ…! どうした…の、ナナシノくん……?」
身の細さに反して膨らんだイアの胸。それに顔を埋めて自分は呟く。
――――自分もイアが好きだよ、と。

「―――! ありがとう、嬉しいわ……!」
ちゃんと意思が伝わったのか、イアは喜びの声をあげて頭を抱く。
顔が埋まり少し息苦しくなったが、汗と共に漂う彼女の香りは引き換えに足るものだった。
「もっと、言って…! 女の子が好きって…! 私が好きって……!」
そうだった。彼女は何度も“好き”と言ってくれたのに、自分はまだ一度しか口にしていない。
彼女の胸の中で自分は望み通りにその言葉を繰り返す。
好き、好き、好き。好き好き好き好き――――。
一度口にするだびに、女の子としてのイアが愛しくなっていく。
そして育っていく愛情と絡み合うように快感も伸びていく。
もう溢れそうなぐらいに。

「あ、もう…ダメ? 射精しそう…? 出すなら、おちんちんはっ、そのままで……ね。
 最後まで、一つで…いましょう? おまんこに、精液、出しちゃって……っ!」
避妊とか責任とかそんな物は頭の中になかった。
ただ彼女と離れたくないと思い、強く抱きしめ精を放つ。

「んっ…! 来て…るっ! おちんちんが、暴れて…っ!」
イアの体内でビクビクと脈動し、精液を吐き出す男性器。
快楽で身動きが取れないにも拘らず、そこだけは独立した生物のように活動していた。
「ごめん、ナナシノ…くんっ! こっちも…飲ませてっ!」
抱えていた頭をずらし、首筋を解放するイア。
何なのか…と思うと同時に、サクッという何かが刺さる音した。

「んっ……んっ……はふっ……」
自分の首にイアが噛みついている。そして何かを嚥下している。
彼女はいったい何を飲んでいるのか?
“首筋への噛みつき”から一つの想像が思い浮かんだ。

まさか……血を飲んでる?
常識ならそんなわけないよな…と思うが、イアもヒールも魔法を使う不思議な女の子だ。
そんな彼女たちが本当に人間である保証なんてどこにもない。
姿形が全く同じだから、人間なんだろうと自分が勝手に思っていただけだ。

血を吸われるだなんて、生存第一の動物としては逃げ出すべきなのかもしれない。
しかし、イアの吸血は射精の瞬間にも劣らない快感を与える。
このまま死んでもいいかも…と思えてしまい、結局彼女のなすがままにさせた。

イアの吸血は一分にも満たず終わった。
噛みついた場所をペロペロと舐めて彼女は身を離す。
その口元には一滴の血も付着していなかった。

「ごめんなさいね。興奮しすぎて、あなたの血が欲しくなっちゃったの」
お菓子をつまみ食いした子供のように謝るイア。
怒る気はないが、説明はしてほしい。
「説明ね……結論から言うと、私は人間じゃないのよ」
それはだいたい予想できてる。なんで血を飲むんだ?
「だって私は吸血鬼だもの。吸血鬼が血を飲むのは当然でしょ?」
吸血鬼。自分でも知ってる有名な人外だ。理解しやすくて助かる。
で、その吸血鬼さんが学校に通ってなにしてるのよ?
「何って……ただ学生をしてるだけよ」
学生って…吸血鬼なのに?
「吸血鬼が学校に通ったらいけないなんて法はないわ。
 だいたい、現代社会で生きていくなら最低限の学力は必要でしょう?
 他の魔物だって子供のころは学生生活を送るわよ」
他の魔物ね……やっぱりイア以外にもいるんだ。
「それはそうよ。あなたが知らないだけで、うちの学校にも十人以上いるわ」
……なんとも身近な所にファンタジーがあったものだ。
もっともそのおかげで自分は助かったのだが。

「ところでさ……私が人間じゃなかったら、ナナシノくんは嫌いになる?」
自信がありそうで、少しばかりの不安が見え隠れするイアの言葉。
その不安を拭うように彼女の額にキスをする。
「――――ん、ありがとう。大好きよ、ナナシノくん」
自分を救ってくれた上に、心から愛してくれる女の子。
それが人間じゃないくらいでなんだというのか。

「じゃあ、私の秘密を開帳したところで……もう一回する?」
微笑んで肌を寄せるイア。
白熱灯の光に照らされたその体は、秘密を知ったことでより魅力を増して見えた。
女の子を好きになったばかりの自分に、それを拒否することなどできるはずもなく―――――。



「あーっ!! 何してるの二人ともっ!!」
突然のヒールの叫び声。眠っていた自分の意識はそれで叩き起こされた。
寝ぼけ眼でドアを見ると、信じられない物を見たような顔でヒールが震えている。

「ふぁぁ…おはよう、姉さん。他人の部屋に勝手に入らないでよ……」
隣に寝ていたイアは、気だるげに身を起こして姉に言う。
「声は何度もかけた……じゃなくて、何したのさっ!?」
つかつかと詰め寄って問い質すヒール。
それにイアは余裕の笑みを浮かべて答える。
「男と女が裸で寝てるんだから姉さんも分かるでしょ。
 セックスよ。昨日の夜ね、私とナナシノくんはセックスしたの」
友人と肉体関係を持ちました…と堂々と姉に言うイア。
何が気に入らないのか、ヒールは怒りに歯を食いしばる。
「ぐぐっ……運命の…相手は、僕なのにっ…!」
「姉さんはただのきっかけでしょう? ナナシノくんは私にとっても運命の相手よ」
二人が口にする運命という言葉。
それはきっと過去にヒールが受けた占いに関することなのだろう。
……っていうか、話を聞くに自分がヒールの運命の相手なのか?

「そうだよ! 誕生日と入学式が重なった日に、隣になる男の子が運命の相手!」
「ちなみに私の運命の相手は“姉さんが好きになった男の子”よ」
それはまた運命まで姉妹仲が良いことで……。
と、そんな事を思ってみるが、運命とは裏腹に今現在二人の仲は悪化中。
いや、ヒールの方が熱くなってるだけだけど。

「僕がいなければ出会えなかったくせに、先に取るとかなんなのさ!」
「そんな取り決め一切交わしてないでしょ。姉さんがノロノロしてるのが悪いのよ」
「ナナシノ君に嫌われないよう気を回してあげたってのに、恩を仇で返すんだ、イアは!」
「そんなこと一度も頼んでないじゃない。勝手に恩を売りつけないで」
激昂するヒールと落ち着いて切り返すイア。まるで性格が逆転したかのよう。
このまま放置して修復不能なまでに決裂するのは流石に嫌なので、自分は仲裁に入る。

と、とりあえず落ち着いて二人とも……。喧嘩は止めよう。
「別に喧嘩なんてしてないわよ。姉さんが勝手に怒ってるだけだもの」
「その余裕ぶった態度が気に入らないっ! 思い知らせてやる―――っ!?」
今にも掴みかかろうとするヒール。その体をギュッと抱く。
「え、あの、何? ナナシノ君?」
二人の諍いの原因は性交渉の順番にあるらしい。
だったら、ヒールとも関係を持てばとりあえず収めてくれるのではないか。

その……自分はヒールも好きだからさ。
イアだけじゃなくて、ヒールともしたいなって……。
こんなこと言って“調子に乗るな”とか言われたら、恥ずかしくて死ねる。
しかしヒールには効果覿面だったようで、纏っていた怒気が急速に霧散した。

「ん…そう、なんだ……。僕と、したいんだ……セックス」
ヒールは言葉を噛み締めるように呟くと、鼻をスンスンいわせて臭いをかぐ。
「イアの臭いが染みついてるね……。ナナシノ君、一緒にお風呂に入ろう。
 汗とかよだれとか…とにかくイアにつけられた物全部きれいに流してあげるから」
そう言って身を離すと、ヒールはこちらの手を掴んで引っ張った。
「来て。服なんて着なくていいよ、すぐ脱ぐんだから」
せめてパンツぐらいは…と言っても、ヒールは聞く耳持たず。
自分は全裸のまま一階まで連行されたのだった。



サーッ…というシャワーの流れ出る音。
自分はヒールと肩を寄せ合って温水を頭から被る。
体のベタつきが流れ消えていくのは、さっぱりとして気持ち良い。
しばらくこのままでも良いかな…と思えるが、そんなのはヒールが許さない。
キュッとコックを絞って、ヒールは流れ出る水を止める。

「うん、臭いはずいぶん消えたね。それじゃあ、しようか。
 ナナシノ君は上と下、どっちでしたい?」
君の好きな方でいいよと言うヒール。
しかしながら、上も下もイア相手にすでに試していたりする。
なので、自分はまた違った体勢を頼む。

うーんと…後ろ向いてもらっていいかな?
「後ろ? …ああ、分かったよ。こうしたいんだね」
ヒールは言われた通りに背を向けて、壁に片肘をついた。
そして尻を突き出して、女性器を指でクパァ…と開く。
丸見えになった肉穴からトロリと粘液が垂れて、床と彼女をつなげた。

「さ、君のおちんちんを入れて。僕と一つになろう? 
 ツンツンしてるイアよりも、ずっと気持ち良くしてあげるからさ」
昨晩でイアの角がすっかり取れてしまったことを、ヒールは知らない。
でもそのことを伝えて機嫌を悪化させたくはないので、自分は黙ったまま彼女に挿入する。

「んっ…あ、あ……入って、くるっ…! 君の…おちんちん、硬いっ…!」
女性経験一晩の自分には、女体の違いなんて分からない。
ヒールとイアは双子である分、なおさらそうだ。
自分に分かるのは、昨晩と同じ快感を再び味わえるということだけ。

「もっと、入れて……僕の中に…入ってっ!」
ヒールの望みに応え、自分は腰を深く進めていく。
熱い粘膜が男性器を舐め回し、溶けてしまいそうな快感を与えてくる。
呼吸を止めていた自分は限界まで挿入したところで、やっと息を吐いた。

「あは…僕のおまんこ、ナナシノ君でいっぱいだ……。
 夢みたいだよ……。君と…、こうしていられるなんて……」
蕩けた顔で振り向くヒール。その瞳からは汗とは違う液体が零れていた。
何故泣いているんだろう? そう思い自分は訊ねる。

「君は、ずっと待っていた、運命の人なんだよ……?
 そんな相手と、一つになってるだなんて…もう、幸せすぎて泣けてきちゃうよ…」
そう言ってヒールは本当に幸せそうに微笑む。
その表情に最初に出会った時の心臓の鼓動を思い出した。

……ああそうか。
自分にとっても運命の相手だから、卵の中で止まっていた心臓が動いたんだ。
昨日のイアのように、性欲とは別次元で彼女が欲しくなる。
自分はヒールの耳元に口を近づけて“好きだよ”と囁き、軽く口づけをした。

「ん…嬉しいよ、ナナシノ君……。僕も、大好き……」
自分が愛されているという実感。それは快楽を何倍にも増幅してくれる。
自分はその快楽を享受しようと、腰を動かし始めた。

ぬめった柔らかい肉で男性器をしゃぶり快感を与えるヒールの膣。
腰を打ちつけるたびに水音が浴室内を反響し、体液が床へ飛び散る。
普段後ろでくくっている髪を解いた今のヒールは、イアのように髪を振り乱して喘ぐ。
その姿が美しくて、煽情的で、とても愛しい。

「ふぁっ…! 君との、セックス…良すぎる、よっ! もっと、して…っ!
 おちんちんで…おまんこ、引っかき回してっ…!」
他人の肉体に体内を弄られて、嬌声をあげるヒール。
男まで気持ち良くしてくれる内臓があるだなんて、女の子はなんて素敵なんだろう。
二人を好きになれて本当に良かった。

「あっ、そ、そうだ! イくときは、僕のおまんこの中でイってねっ!
 抜いたりしたら…嫌だよっ! おちんちんから出る汁は、全部僕に飲ませて…!」
イアと同じく膣内射精を求めるヒール。当然自分もそのつもりだ。
最後の瞬間に離れ離れになるなんてもう耐えられない。
ヒールの腰をしっかり捕まえ、根元までしっかり差し込んで精液を注ぎ込む。

「ん、熱…いっ! ピチピチ、して…るっ! すごい…よっ!
 僕の子宮に、溜まってる…! 精子が…泳いでるよっ…!」
どれほど感覚が繊細なのか、彼女は子宮で精子一匹の動きまで感じ取っているらしい。
「あ…あ…ナナシノ君が、たくさん……っ! 僕の卵子を、輪姦してるっ……!
 ひっ…! 遺伝子、混ざっちゃう……よっ! 君の…精子、受精…しちゃうっ……!」
人外ゆえの感覚で、ヒールは妊娠まで感知して教えてくれた。
自分がそれを聞いて感じたのは“これでもう彼女と離れることはない”という安心感だった。



イアの代わりに浴室で付着したヒールの体液と香り。
シャワーを開にしてそれらを洗い流し、綺麗になった首筋をヒールに差し出す。

ほら、ヒール。
「ん? どうしたんだい。そんなに首を傾けて、寝違えでもしたのかい?」
ヒールにしては察し悪く、行動の意味を訊ねてくる。

そうじゃなくて、血だよ血。イアは飲んでたけど、ヒールは要らないの?
「血? 僕は飲まないよ。吸血鬼じゃないから」
あまりに予想外なセリフに、は? と訊き返してしまう自分。
「イアは吸血鬼だから欲しがるけど、僕はそうじゃないから要らないんだ。
 君の大事な血液はイアのために取っておいてくれ」
ちょっと待って。二人とも双子なのに、なんで種族が違うんだよ。
理解不能。同じ親から生まれて、姿も瓜二つだというのに、どうしてそうなる。

「吸血鬼には稀にあるんだよ。僕みたいなのが生まれることが。
 まあ、一卵性の双子でそうなるのは、奇跡的な確率みたいだけど」
吸血鬼の生態が謎すぎる。他種族を生むだなんて種族維持に関わるんじゃないのか?
「生まれるのは稀だし、孫世代はまた吸血鬼になるから問題はないんだよ。
 僕は一代限りの突然変異なのさ。別に寂しいとは思わないけどね」
確かにイアとの仲の良さを見るに、孤独感や寂しさは抱えていないようだ。
変に自分が気を使うことも「あー…やっぱり寂しいかも」
突然思いついたように言って、いたずらっぽく笑うヒール。

「母さんも、イアも、これから生まれる娘も、皆吸血鬼だからやっぱり寂しいよ。
 だから――――そんな一人ぼっちの僕に優しくしてくれよ、ナナシノ君」
お断りします。嘘つきには優しくできません。
「なんだあ、残念。こう言えば君はずっと僕をかまってくれると思ったのに」
いや、流石にヒールだけにかまっているわけにもいかないから。
「しょうがないね…。じゃあ、半分で。君がかまうのは僕とイアだけにしてくれよ。
 浮気なんてしたら泣くからね。これは約束だよ?」
果たしてどっちが泣くことになるのやら。
自分はそんな事を考えながら頷き、しっかりとヒールに約束した。





現在家出中の自分は、首飾りを付けていなければ学校へ行けない。
たいていの授業では問題にならないのだが、体を動かす体育の時間は結構危ない。
全力で走ればカチャカチャ音を立てて跳ねるし、高くジャンプすれば首からすっぽ抜けそうになる。
それを二人に相談したら、学校そのものに仕掛けを施すことになった。
これにより、学校の敷地内では首飾りをしなくても気にされなくなるのだそうだ。
それ以来首回りがすっきりして圧迫感が無くなった。実に気分が良い。

「ほら、あーんしてナナシノくん。あーんって」
毎度毎度の昼休み。
本日のイアは肉団子を刺したフォークを差し出してくる。
肉体関係を持って以来、彼女は本当に丸くなった。
学校全体にかかった魔法のこともあり、今はもう教室内で堂々とイチャついてくる。

「ナナシノ君、早く食べて。次は僕が入れるんだから」
積極的になった妹に負けるかと、ヒールの方もポテトを刺して待っている。
正直スタンバイされてると、よく味わって食べられない。
でもそれを伝えると残念がるので言い出し辛い。
最近の自分は彼女たちの気が済むまで、おかずを放り込まれるのが日常。

通常、教室のど真ん中でこんなイチャついてたら、周囲がはやし立てるだろう。
場合によっては教師から不純異性交遊で注意されるかもしれない。
しかし誰も気にしないので、二人はやりたい放題。
口移しでジュースを飲ませるなんて当たり前。
一度なんか、クラスメイトの前でセックスしようとしたことさえある。
(エスカレートの果ての暴走なので、全力で止めて元に戻ったけど)
こんな感じで、時々ハプニングを迎えつつも二人との日常は過ぎていった。

そして高校一年生が終わる三月。自分は金銭的な問題に直面した。
ぶっちゃけ言うと学費。
うちの学校は私立なので学費は結構高い。
自分の僅かな貯金ではとても足りないのだ。

金銭的な問題で二人を頼るのはどうかと思い、色々考えてみたが良い答えは出ない。
結局、良い案はないだろうか? と二人に相談することになった。
そして二人が出した解答は至極単純なもの。

「両親に出してもらえばいいじゃないか。そのぐらいのお金はあるんだろう?」
何を気にするんだい? とヒールは言う。
しかし自分は半年以上も家出しているわけで、今更話を聞いてくれるとは思えない。
「大丈夫よ。洗脳に近い強めの精神魔法を使えば頼みを聞いてくれるわ」
洗脳かい。そこまで本人の意思をねじ曲げるのは……ってあれ?
イアが口にした洗脳という言葉。それで一つの事に気がついた。

……あのさ、その洗脳魔法を最初から使っておけば、居候する必要無かったんじゃないか?
助けられた次の日にでも洗脳しておけば、そのままの生活を送れたんじゃなかろうか。

「そうだね。確かにご両親を洗脳して君をすぐ家に返すこともできたよ」
「でも、あなたはそれで安心して暮らせたと思うの?」
安心してか……無理だね。

魔法を使って洗脳したよと言う友人二人と、急に大人しくなった両親。
もしそうだったら、感謝以上の不気味さを感じて二人と距離を取っただろうし、
いつまた元に戻るか…と両親に怯え、不安に満ちた毎日を過ごすことになっただろう。

「そういうことよ。あなたが心安らかに暮らせるようにするには、
 私たちの家に住まわせるのが最善だったの」
「ついでに言うと、これでさらに仲良くなれると思ったしね。で、結果は大成功。
 僕たち二人とも相思相愛で、姉妹そろってお母さんだ」
そう言ってヒールは服の上からも分かる腹の膨らみをなでる。
当然肥満ではなく、中身は自分とヒールの子供。

じゃあ、二人にまたお願いするよ。悪いけど、うちの両親を……。
「ええ、分かったわ。頭の中をしっかり弄って、面と向かって挨拶できるようにしてあげる」
ずいぶん生々しい言い方をするイアだが、その分効果のほどには期待できそうだ。
自分は目を閉じて頭の中に両親の顔を浮かべる。
半年前は恐怖の対象だったそれも、今はもう懐かしさしか感じなかった。



洗脳は無事完了しきちんと学費を治めた自分は、何の問題もなく二年生に進級した。
心配だったクラス替えも無事二人と同じクラスになり、グッと拳を握って喜ぶ。
自分は一年前と同じように席に着き、二人と話しながら担任が来るのを待つ。
ちらっと見まわしたところ、見知った顔は20%といったところだろうか。
残りの80%はクラスシャッフルでやってきた新顔。
ただ、その中に男子制服を着た女子が一人いるのが気にかかる。

クラス担任は一年の時と同じで、ちょっとテンションにムラがあるけど親身な先生。
陰険な教師に当たらなくて良かったと一安心。
そしてテンプレ通りに担任の自己紹介が終わり、個人の自己紹介へ移る。
女子の一番最初は、例の男子制服を着た女の子だ。

「知ってる人はこんにちは、知らない人は初めまして。名前はアルです。
 あまり話すことは無いんですが、一つだけお願いがあります。
 窓際後ろに座ってるモブ君はオレの旦那なんで、女子の皆さんは手を出さないで下さい。
 もし出したら報復します。以上です」
なんか色々ぶっ飛んでる自己紹介。
教壇前で堂々と付き合ってます発言とか、厳しい教師なら注意されかねない。
しかし、誰も驚く雰囲気を見せず、パチパチパチとお決まりの拍手をする。
自分は隣に座っているヒールを見た。すると彼女は肩をすくめて口を開く。

「ナナシノ君の思った通りだよ。彼……じゃなくて、彼女も魔物だ。
 意図してないのに同クラスに三人集まるなんて、偶然もあるものだね」
そういえば、この学校には十人以上の魔物が通っているとか聞いた覚えがある。
単純計算で考えると、二年生の魔物はこの教室にほぼ固まっていることになるのか。
……と、そんな事を考えているとイアが自己紹介に立った。

「皆さんこんにちは、イアと申します。
 双子のヒールという姉が同じ教室にいるので、間違えないようお願いしますね。
 それと、姉の隣に座っているナナシノくんは私の恋人なので手出し禁止です。
 この腹は彼の子供を妊娠しているだけなので、あまり気にしないでください。
 以上、そんなところです」
自己紹介を終えると、ペコリと頭を下げてイアは席に戻る。
アルという女生徒が羨ましそうな視線で見ていたのが妙に印象に残った。
その後しばらくは普通の自己紹介が続き、ヒールの番がやってくる。

「はい、先ほど名前の出たヒールです。
 イアとは双子ですが僕は髪を後ろでくくっているので、そこで判別してください。
 あと、隣席にいるナナシノ君は僕の恋人でもあります。
 手出ししたわけではないので、イチャつく邪魔はしないでください。
 それと一応言っておきますが、僕の腹にもナナシノ君の子供はいます。
 以上、これで終わりです」
イアに負けず劣らずアレな自己紹介をするヒール。
ふと窓際を振り向くと、モブと呼ばれていた男子生徒と目が合った。
彼は“大変だね”と言いたげに苦笑いを浮かべる。
……なんか友人になれそうな気がした。

二年生にもなれば進路のことを考えないといけないが、
一学期の間は“まだ時間があるさ”と誰もが考えるので、切羽詰まった感はない。
むしろ学校生活に慣れたことで、黄金週間や夏休みを親しい相手と満喫しようと考える。
自分はカルトと完全に縁を断ったことで、生まれて初めて黄金週間を休日として過ごした。
といってもあまり出かけたりはせず、家で二人とイチャイチャエロエロしていたのだが。

なお、連休明けに登校してきたモブに訊いてみたら、彼も似たようなものだった。
ヒールとイアを羨ましがるアルが“オレも孕ませろ”と言って散々に犯してきたらしい。
その努力の甲斐あって彼女もご懐妊だそうで、モブは親に何と説明しようか悩んでいるとか。
両親と絶縁しかけている自分には分からない苦労だ。“愚痴なら聞くよ”と励ますのが精々。
もっとも、その悩みも六月中旬には吹っ切れた様で、彼の顔には気楽さが戻っていたけど。



期末テストもなんとか乗り切り、高校生活二度目の夏休み。
黄金週間以来、やっと連日連夜ぶっ続けでセックスができると二人とも大張り切り。
終業式が終わると家に直行で、玄関を開けて入るなり、床にカバンを放り投げた。

「さっ! ナナシノ君、早くしよう! 僕はもう我慢できないよ!」
Yシャツのボタンを外しながらヒールは廊下を進む。その先は風呂場だ。
「ほら、あなたも来て! 日が沈むまでは体なんて拭かせないわよ!」
ヒールとは逆にスカートを床に落とし、靴下を脱ぎ捨てるイア。
そこまで急がなくても…と思うが、二人の誘いを拒否するなんてとてもできない。
自分は玄関にカギをかけると、二人の後を追って歩いた。

帰宅したばかりなので、当然浴槽に湯は入っていない。
シャワーを高い位置に固定し、水量最大にして自分たちは汗を流す。
裸で水を浴びる二人の姿は、まったくもって欲情を駆り立ててくれる。
そして彼女たちは自身の体を清めると、こちらに手を差し出してきた。

「じゃあナナシノ君、イスに座って」
「先に姉さんとして。私は次だから」
すでに順番を決めていたのか、二人は争う様子を見せない。
変に諍いになるよりずっと良いので、自分はその言葉に従う。

浴室に置かれているプラスチックの白いイス。
そこに腰掛けるとヒールが前から抱きついてきた。
臨月腹で見えないが、その下にある男性器に熱い粘液が滴り、彼女の中に飲み込まれる。

「ああ…ナナシノ君の、おちんちん……! 太くて、熱いっ…!」
彼女たちと交わる中でずいぶん成長した男性器。
それは最初の頃よりも遥かに強い快楽を自分とヒールに与えてくれる。
そしてヒールの膣内も緩むどころか、比例するように締め付けが強くなった。
まるでお互いの体が相手に合わせてどんどん変わっていくよう。

「そうだ、おっぱいも飲んでよ…! 君のおかげで出せるようになったんだからさっ……!」
クチュリクチュリと緩やかに腰を動かしながら、片胸を差し出すヒール。
硬く立っている先端からジワッ…と母乳がにじみ出る。
記憶なんて全然ないのに、どうしようもない懐かしさを感じて、自分は彼女の乳房にしゃぶりつく。

「可愛い…すごく可愛いよナナシノ君…! まるで大きな赤ちゃんみたいだ…!
 もっと飲んで! 僕のおっぱいで…君のおちんちんをっ、育てて…あげるからっ……!」
ただ勢いで言ったのか、本当に男性器が育つ効能があるのか。
自分には分からないけど、そんなのはどうでもよかった。
ヒールのぬくもりと快楽、甘い味と優しさがあれば。

「君のおちんちん…ビクビク、震えてるよ…! もう、イキそうなんだね…!
 出して…いいよっ…! 僕の、おまんこにっ……!」
母乳を飲んでいた頭が、強く抱きしめられる。
それと同時にヒールの膣内が一気に収縮し肉穴が蠢いた。
自分は身を固くして愛情と精液を注ぎ込み、彼女からの愛情と快感を受け取る。
彼女の膨らんだ腹を圧迫していることも忘れて。

「あ、君の精液零れちゃってる……。もったいな――――っ!?」
サイズと共に量も増えた自分の精液は、彼女の体内に収まりきらず溢れ出す。
しかし今回はその量がやけに多く感じた。
「ごっ、ごめん。余韻に浸ってる場合じゃないや……」
微かに震えたヒールの声。その声に改めて姿を見ると、体も震えをおびていた。

「あ、姉さんもしかして……」
心当たりがあるのか、後ろで眺めていたイアが言葉を発する。
「うん……。もう、産まれる…」
ヒールはそう言うと腰を持ち上げて男性器を抜く。
精液混じりの羊水がボタボタと零れ落ち、排水溝へゆっくりと流れていった。

「ナナシノ君…見ていてよ。僕が子供を産むところ……」
ヒールはフタをされた浴槽の上に腰をかけ股を開く。
自分がさっきまで入っていた穴がヒクヒク動き、子宮の中身を排出しようとしていた。
「んっ…ぐ……っ! 子宮口、なかなか…出てくれないねっ……!
 ぐっ……! んんっ………! ぐが……っ!」
ヒールが息むと、腹がもぞりと動き、膨らみの頂点が移動した。
女性器から零れる液体がさらに増え、穴の入口が開き始める。
「あ…出た、よ…! いま、進んで……っ!」
涙を流しながら喘ぐヒール。
それが苦痛によるものではないことは一声聞けば分かる。
「気持ち…いいよぅ……ナナシノ君…。君の、子供…産むのっ……!」
あまりに煽情的な出産。その光景を前にして、男性器が挿入時のように硬くなった。
つい手が股間に股間に伸びて自慰をしてしまう。
「ナナシノ君、一人で……シテるの? 相手できなくて…ゴメンね……。
 イア、相手してあげて……。口で、いいから……!」
ヒールに頼まれ、離れて見守っていたイアが近づいてくる。
そして床に膝をつけると、口を開いて男性器を咥えこんだ。

「んむ……っ。ん…じゅっ……る」
彼女たちが口ですることはあまりない。
後々キスしたりすることを考えると、自分が嫌だから。
しかし、経験不足で下手ということはなく、それが専門の娼婦のようにポイントをついてくる。
「ん、ありがとう……っ! もうすぐ、終わるからっ……!」
ヒールの広がった穴は、子供の頭を半ば吐き出しかけていた。
もう少し進めばスルッと落ちてしまいそうだ。
「んっ…んっ…んー……」
姉の代わりとして扱われているイアは、いい顔はしていない。
それでも、射精が近づいてくると期待に目をほころばせた。

「あ……出るっ! 君の赤ちゃん、出るよっ…!」
ヒールがピンと体を突っ張ると、残っていた羊水と共に胴体が抜けた。
子供はズルズルとへその緒を引っ張って浴室の床に落ちる。
それを見た瞬間、自分もイアの口内に射精した。
「んっ! んんんっ! んー!」
大量の精液を放出されて溺れかかるイア。
彼女は頭を離そうとするが、自分はそれを押さえて逃がさない。
結局、射精が収まるまで彼女の口の中で男性器は暴れ回った。

「ケホ…ッ! ハァ………ナナシノくん、よくもやってくれたじゃない」
口を解放された後、最初にイアが発したセリフはやはり苦情だった。
興奮していたとはいえ、アレはまずかったと自分は反省し、ごめんなさいと謝る。
「まったくもう…。次にやったら、出した精液全部口移しであなたに飲ませるわよ?」
それは勘弁願いたいので、絶対しませんと彼女に誓う。
そうやって溜飲を下げてもらったところで、自分は蓋の上に寝ているヒールに話しかける。

大丈夫、ヒール?
「あー……うん、僕は大丈夫…。それより、子供はどうだい…?」
自分はヒールの言葉に、床に落ちている子供を持ち上げてよく見る。
ちゃんと呼吸はしているし、体は温かい。傷もないようで健康そのものだ。
「そうか…なら良かった……」
死ぬほどだるそうなヒールの声。やはり快楽があっても出産は消耗する行為らしい。
一旦風呂から出して休ませよう…と脱衣所への扉に向き直る自分。
しかしその前にイアが立ちはだかった。

「なにする気よ、ナナシノくん」
なにって、ヒールをベッドで休ませるだけだよ。
終わったら戻るから、ちょっとどいて。
「ダメよ。日が沈むまでは拭かさないって言ったじゃない」
そんなこと言ってる場合じゃないだろ。ヒールはあんな疲れてるんだし…。
命に関わりはしないだろうが、ちゃんと寝かせるべきだと自分は思う。
「ああ、その必要はないよ。もう回復したから」
途端に浴室に響いたヒールの声。
振り向いてみるとヒールはすでに起き上がって、胎盤を引きずり出していた。

……もう起き上がって大丈夫なの?
「そりゃそうだよ。この程度、少し休めば元通りさ。
 だから予定に変更は一切なし! さあ、ナナシノ君はイアの相手をしてくれ」
生まれたばかりの娘を抱いて、笑いかけるヒール。
本当にいいのかなあ…と思うが、二人が出さないと言うなら、どうあがいても出られないだろう。

今日はもう二人と気持ち良いことだけしよう。
その思考を最後に、自分は考えるのをやめた。
13/04/07 17:42更新 / 古い目覚まし

■作者メッセージ
長話できる時間が昼休みしか思いつかなかったので、やたら頻発しました。


ここまで読んでくださってありがとうございました。

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