読切小説
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単眼の愛
 広い石造りの部屋があった。炉で火が小さな火花を散らしながら赤々と燃え、赤熱し溶解した鉄の熱で地獄のように熱された小さな部屋。

 そこで一人の人間が大振りな槌で一心に鉄を打ち続けていた。槌が熱された鋼を打つ度に火花が飛び散り、消えていく。

 鋼を鍛えるかん高い音、熱された鉄が打ち据えられていくにつれて打音は僅かにずつ澄んだ音へと昇華する。

 やがて、鍛えと成型が済んだ赤い鉄の塊が水の中へとつけられると奇妙な獣の断末魔のような音が響いた。一瞬で蒸発させられた水が上げる変化の悲鳴だった。

 分厚い手袋がはめられた手に握られたやっとこ、その先に掴まれた鉄の塊はすっかり冷え、僅かに煤を帯びながらも鏡面のような怜悧さを宿していた。

 その刀身に映るのは単眼の異形。伏し目がちの巨大な目がじっと自らが鍛え上げた刃に注がれ、映った己を見返している。長く淡い色彩の髪は頭の高い所でくくられていた。

 その異形の貌は、すっと通った高い鼻と、薄く真一文字に結ばれた唇の印象も相まって古い美術品のような無機質で冷たい美しさを有している。

 「……まずまず」

 桜色をした唇が開かれ、美貌のイメージに見合った美しく凛とした声がこぼれた。

 出来上がった刃は長さ70cm程度であり、刃の下にもうけられた茎は片手で握り込むのに丁度良い長さであった。

 仕上げ段階でないというのに見事な輝きを有する刃をやっとこに握らせたまま作業台に乗せ、磨きの準備をする。これで刃を研ぎ澄ませば完成である。

 分厚い耐熱手袋をはずし、加工用の繊細な感覚も分かる薄い手袋につけ替える。作業台の前に置かれた小さな椅子に長身を降ろし、作業するべく身を屈めると体と机の淵に豊満な胸が押しつぶされた。これでは痛くて堪らない。

 面倒くさそうに大きな胸をすくい上げ、机の上に置いた。これで屈んでも少々苦しいだけで痛くはない。女は得心行ったと言いたげに頷き、刃を研ぎにかかった…………










 炉を有した鍛冶場の隣、また別の部屋があった。手狭な部屋に大きな作業台や加工道具、そして木製の人型が置かれているそこには小さな打音が響いていた。先ほどの鍛冶場のように大きく断続的な音ではなく、控えめで連続した音だ。

 音の発生源は椅子に腰掛けた男だ。中肉中背の引き締まった体を屈め、手元を一心に見つめて小振りな槌を細かく振っている。

 叩くのは小さなな鉄板で、それは中央を細かく叩かれて僅かずつであるが円を描き始めていた。

 ある程度の成型が済むと男は額に浮かんでいた汗を袖で拭い、短く刈り込んだ茶色い頭をかきあげた。薄い唇から深い息が漏れ、緻密な作業で緊張していた体が弛緩する。

 「ああ、しんどいな」
 額だけでなく掌もじっとりと汗で濡れていた。作業に集中すると男は手に汗をかく質なのだ。このままでは堪らないので汗を拭うべく手拭いを探るが、見当たらない。

 さて、どこにやったかと普段の癖で左側を向くと机の端に手ぬぐいが引っかけられていた。

 「やれやれ、どうにもいかんね」

 手のひらを拭った後で顔も拭う。

 その優しげな雰囲気の顔には大きな傷が刻まれていた。左の額から顎下に抜ける大きな刀傷。それが通る左目は潰れて窪んでいた。それ故に左側の視界が狭く、常に左を意識してしまう癖の原因だった。

 刻まれた大きな傷と少し草臥れたような雰囲気、男は外見よりもずっと年老いて見える顔を歪めて成型した鉄の群を並べていく。

 先ほど作っていた小さな半円板と、少しずつ大きくなっていく同型の四つの部品。その他に薄い板状の鉄板、その両端を少し折り曲げ中央が撓んだ物が沢山積まれていた。

 「こっからが面倒だな」

 槌とは別の先端が尖った道具を取り出し、金槌を隣に用意する。その道具の柄は柄頭が広い板状になっており、丁度金槌で打突出来るように作られていた。

 半円形の鉄板を取り、筒の片側の切っ先に尖った先端を据え金槌を振り降ろした。硬質な澄んだ音が響き、小さな穴が穿たれる。

 筒の逆にも穴を開け、対面も同じようにする。一枚の鉄板に四つの穴が出来た。

 同様の作業を繰り返し、他の鉄板にも小さな穴を作ると短く小型なビスで連結していく。すると、筒の集合はぴったり指を覆える形になった。少々大振りで堅くなった自分の指に重ねると丁度良い具合に重なったので、量販品の個人的な対象が無いなら物なら、この位の大きさでいいだろう。

 指の部分を五本作り、板状の鉄板を組み合わせると手の甲を覆う部分が出来た。手のひら側が未完成な所を除けば見事な手甲だった。

 「まぁこんなモンか、翼竜のなめし革は何処に置いたかな……」

 備品を入れている棚を漁り始めた時、部屋の扉が開き、むっとした熱気が流れ込んでくる。

 「ロッソ……」

 そこから現れたのは鍛冶場で剣を鍛えていた単眼の女性だ。片手には鋭く鍛え上げられ、磨き上げられた片手剣が握られていた。

 「出来たのか?」

 「ん」

 小さくいって差し出された剣を受け取り、目の前に掲げて出来映えを見定める。形状は何の飾り気もない片手剣。長くもなく短くもない極めて一般的なものだ。指先で刃にふれると、滑らせた訳でもないのに皮膚が裂ける。見事な業物であった。本来、切断力は皆無に等しい西洋剣だというのに少々異常とも言えよう。

 これは剣が魔法鋼という特殊な金属で作られているが故の神がかった切れ味であった。ありふれた金属であっても魔力を込めて精製すれば金属は変質し、更なる頑強さを宿す。

 「ふむ……。この切れ味なら十分だな。試し切りでもするか?」

 「任せる……」

 単眼の女性はそれだけ言うと長い髪を動物の尾のように揺らし、工房に戻って行った。

 「仮の柄をはめてやってみるかな……」

 それを眺めつつ隻眼の男、ロッソは小さく呟いて伸びをする。目尻から涙が滲み、あくびがこぼれ落ちた…………











 夕方、燃えるような色の日差しが手狭な居間に降り注いでいた。工房や鍛冶場と同じく石造りのそこには小さな竈や水洗い場が備えられており、小さな机と椅子が二脚並べられている。

 その机に一組の男女がついて食事をしていた。ロッソと単眼の女性である。

 「なぁ、アンナ」

 「……何?」

 異形の美女、アンナは机の上に視線を落としたまま応えた。机の上には深皿に入れられたスープと薫製肉にチーズ、そして黒パンが幾つかの籠に入れられて並んでいる。全てロッソが用意したものであった。

 「明日街に降りて色々売ってくる。帰りに何か買ってくる物はあるか?」

 「……何も要らない」

 言って、岩のように硬い黒パンを驚異的な膂力で毟り、スープに浸した。

 「……無事に帰ってきて……」

 ロッソからは伏せられたその表情は伺えなかったが、少し震えている声から彼女が何を考えているかは分かった。それに小さく頷いてやると、アンナはスープでふやけたパンを口に放り込み咀嚼する。

 「美味いか?」

 「……苦い」

 「はは、まぁ、黒パンだからな。明日はとびっきり柔らかい白パンを買って帰ってこよう」

 ロッソが笑うとアンナも少しだけ唇を歪めて笑みらしき表情を浮かべて見せた。そんな不器用な彼女の精一杯の努力にロッソの笑みが更に強くなる。

 その後、二人は特に何も交わすことはなく、静かではあるが暖かみのある食事が厳かに続けられた…………










 夜半過ぎ、ロッソは明日街に持って降りる剣を品定めしていた。机の上に幾つもの剣が並べられている。拵えは大抵地味な物だが、控えめであるものの美しい装飾が施されている剣も幾本か見受けられた。

 これらの剣は皆アンナが打った物だ。アンナはサイクロプスという鍛冶に精通した種族の娘で、その宿命に逆らわず刀匠として生計を立てている。

 単眼の異形から分かる通り、彼女は人類ではあってもヒトではない。遙か昔にヒトとは袂を分かったまた別種の人類であり、種族的に魔力を有していることから魔物と呼ばれる生き物の一人だ。

 その特性を生かし、魔力を込めて打たれた剣は類い希なる鋭さを誇る。並の剣を相手にすれば大した腕でなくとも両断できる切断力と、血を幾ら浴びようとも曇らぬ不変の頑強さを併せ持つ。剣士として名を上げようと思う者なら喉から手が出るほど欲しい逸品揃いだ。

 かつては己も剣の聖を欲し、甲冑と剣一本で街を出たものだ。今はこうしているが、それなりに名も売れていた。だが、今更ながらあれは全て剣のお陰だったのだろうとも思っている。

 ロッソは壁に飾られた一本の長剣に目をやると感慨深そうに息を吐く。あの剣を抱えて戦場を駆け抜けたのは懐かしい思い出だ。今はもう叶わない夢を思うと、枯れたかと思っていた胸に甘い疼痛が走った。

 「懐かしいの……?」

 背後からかけられた声に誰とは問わない。此処には自分以外は後一人しか居ないのだから。

 「まぁな……。未練が無いかと言えば嘘になるが、戻りたいかと聞かれればそうでもない。微妙な所だ」

 首に腕が回され、背が柔らかな感触に包まれた。アンナは鼻を髪に埋め、目一杯息を吸い込む。吐き出される甘やかな吐息がロッソの耳を擽り、アンナは恍惚としたように目を伏せた。

 「おいおい、まだ水浴びもしてないんだぞ?」

 「……いい……ロッソの匂い……好き……」

 「作業がし難いんだがね……」

 言いながらも振り払おうと言う気は無い。むしろ、邪魔せぬように控えめに手を動かし剣を確かめる。刀身に曇りや刃こぼれはないか、鞘の中に敷いた鉛は劣化していないか、柄が抜け掛かっていないか。これらの細々とした調べをし、問題が無い物は箱に仕舞っていく。

 合計で二〇本ほどの剣を箱に収めると、今度はまた別の物を取り出した。籠手や兜、甲冑の一式である。飾り気はなく、ただ頑丈さと機能性のみを重視した鈑金の塊。鏡面の如く磨き上げられた表面が優しげな表情をしたロッソと、彼の首筋に顔を埋めて恍惚としているアンナを映した。

 甲冑や籠手に目立った傷は見受けられない。これも加工こそロッソが行ったものの、原料の鉄はアンナが鍛えた魔法鋼なのだ。落としたりぶつけた程度の事では傷一つ付きはしないし、少々磨かずとも曇ることはない。

 剣二〇本と甲冑二組、明日街に持って降りる武具を選び終えた。全て一級品と名乗って恥じない物ばかりである。おまけに原材料の鉄鉱石は住居の裏にある古い坑道から幾らでも取れるので殆ど無料、儲けを考えると少し胸が躍る。

 「よし……こんなものだな。ちょっと放してくれ」

 「ん……」

 名残惜しそうに離れていくアンナを横目で気にしつつ、椅子から立ち上がる。

 ロッソは少々不自然な歩き方をしていた。右に体重を乗せ、左足を引きずるように歩いている。膝が上手く動かないらしく、引きずられている靴の先が酷く擦れていた。

 そんなロッソを心配してかアンナが裾を小さく引いた。無言で「代わろうか?」 と言っているのだ。

 「いや、この程度なら問題ないさ。少しは動かさないと足が腐っちまうからな。さっさと終わらせて寝るとしよう」

 ロッソは不格好に笑うと剣を抱え、部屋を後にした…………










 翌朝、簡単に朝食を済ませるとロッソは身支度を手早く済ませ、街に出る準備を整えた。

 家を出ると其処にはゴツゴツとした岩の大地が広がっており、かろうじて馬車が一台通れそうな道が通っている。二人の家は大きな山の中腹に立てられており、緩やかな傾斜に埋まるようにして存在していた。

 これはかつてこの山が良質な鉄鉱石の産出地であり、今でこそ廃坑となっているが小さな鉱脈が幾つか残っているので、それを求めて立てられたからであった。

 家の裏には坑道への入り口が設けられている。とても小さな鉱脈なので大量に掘り出せば直ぐに枯れるだろうが、小規模な工房で細々と剣を作るだけならば後一〇年は保つだろう。

 「さってと……頼むぞ」

 前日の内に商品は荷車に積み込み、振動で倒れたり落ちたりしないように縄で括り付けてあった。そして、その荷車を牽引するのは一頭の老いた馬である。

 老いた、と言っても戦働きにはもう耐えられないが、荷馬車や鋤を引くためならばまだまだ元気にやってくれる。馬体も悪くないし気性も大人しい良い馬だ。

 少々値は張ったが、ここから街に降りるには馬は殆ど必須と言っても良い。険しくはないがなだらかな坂が続き、徒歩で往復するならば半日以上掛かる。荷物を持って、となると二日以上は軽く必要だろう。

 御者席に乗って手綱を握る、少し振り返ると普段通り鍛冶場に向かう為のラフな服装をしたアンナが戸口に立っていた。大きな瞳を不安そうに伏せ、小さく手を振っている。

 「夕暮れまでには戻る。適当に待っていてくれ。あ、昼飯は鍋に入ってるから暖めて食べろよ!」

 アンナが僅かに頷いたのを確認すると、手を振り返して馬を出した。

 地面を打つ蹄鉄の音が昔の記憶を思い出させる、かつては良く聞いた音だった。馬蹄の響き、砲の轟音、魔術で大気が軋む音。そして、戦場を埋め尽くす人馬の呻きと勝ち鬨の声。

 何もかもが懐かしい、己の中で黄金色に輝いていたあの頃を彩る錆び色の飾りだ。

 上手く動かない足を撫でて思い出に浸る。かつては傭兵として戦場を駆けずり回ったが今となってはこの有様だ。砲が至近で炸裂し、破片に足をズタズタにされ、顔を引き裂かれた。歩けなくなるほどではないが、戦に出る所か剣さえも振れないこの体たらく、昔の自分が見ればどう思うことかと考えると、ロッソは少しだけ切なくなった。

 名を上げる事を夢見て傭兵になったが、そんな自分に剣と甲冑を作ってくれたのはアンナの母であった。既に流行病で亡くなってしまっているが、アンナに良く似た美しい人だったのを覚えている。

 街に住んでいた子供の頃は彼女の母が行商に降りてくる度まとわりついて剣を見せてくれとねだったものだ。その縁でアンナと友人になり、今は夫婦をやっているが…………縁とは全くもって奇妙な物だ。

 街を出る日、極度の人見知りと人嫌いで家から滅多に出ない彼女が母の影に隠れて自分を見送ってくれた。瞳に溜まっていた水気は心配で溜まっていたのか、それとも単に人里に降りてきた不安感だったのか、気恥ずかしくて未だに聞けずにいる。

 アンナの母と同じくロッソの両親も流行病で亡くなっている。最後までロッソが傭兵になることを反対していて、戦場の自分に絶縁状まで叩きつけてきた程だ。

 戦場で訃報を聞いたが、ロッソは帰らなかった。戦況が膠着していてとてもではないが自分一人帰れる状況ではなかったのだ。

 最大の親不孝をし、目と足の自由を失い帰った時、誰も自分を待っている筈がないと思っていたのに、彼女は慣れぬ人里に降りてロッソの家を守りながら彼を待っていた。一体何故だったのだろうか……曖昧な過去の記憶を掘り起こしてもロッソには分からなかった。

 自分の妻の事でありながら、未だに理解しきれぬ事は多い。金に困ってるわけではないのに無数の剣を打ち、頻りに自分に甘えてくる。それだけの事をしてもらえる程の覚えは一切無かった。精々家に遊びに行って相手をしてやった程度である。

 適当に手綱を操り街まで余りある時間を費やして考えたが、結局答えは出なかった。

 当然である。数年悩み続けている問題が僅か数時間で解決するならば訳は無いのだから…………










 下の街はあまり大きくはなかった。家々は古びた煉瓦で造られ、それが三百ほど並んでいるだけの小さなものだ。街は国が整備した立派な通商路の上に位置し、そこを通る貿易商や隊商を相手に簡単な宿屋を営んでいた者達がはじまりだと聞く。数百年以上昔の話だが、それは今でも変わっていない。

 建物は古く、石畳だけが立派な道を荷車を引いたが馬が行く。丁寧に整備された道は轍の溝がきられており、大型の馬車二台が悠々とすれ違えるだけの幅を有していた。

 街は街道を中心に円形に広がっており、その中心は道を囲う円形の広場になっている。そこではミカンを売る物売りや東洋の壺などを満載した屋台が通行の邪魔にならぬ程度で店を広げていた。

 この広場では店を出すのも畳むのも自由で、場所は早い者勝ち。一日までならそこを占領する事が許されていた。所謂バザールと言うやつである。その為、連日旅行客や隊商目当ての商売人達で大変賑わっている。

 無論、争いを起こさぬよう各所に槍を携えた衛兵が立っているため雰囲気は極めて穏やかだ。

 そんな広場の一角、他所は随分混み合っているというのに荷車と馬が丁度一台入れるスペースがぽっかり空いていた。その周囲には多くの人間が集まっており、そこにやって来る何かを今か今かと待ちわびていた。

 「ああ、盛況だ」

 ロッソが楽しげに呟く。そこは彼がいつも店を出すスペースなのだ。場所は自由であるのだが、とある理由でそこには誰も店を出さない。下手な事をすれば袋だたきにされかねないからだった。

 「あ、来たぜ」

 「おお、やっとか。金貯めた甲斐があったってもんだ」

 集まっていた者共が散り、荷車が入る為の道を空けた。彼等は一様に剣を下げていたり、面傷を持っていたりとある職種特有の剣呑な雰囲気を放っていた。

 彼等は傭兵だ。ある噂を聞きつけ、剣を買い求めにやって来た戦争の犬共。かつてのロッソと同じ男達。

 荷車と馬がスペースに入るとロッソは馬の首当てと鞍を外してやった。手綱を荷車に結びつけ、付近に積まれている馬船を取ろうとすると待っていた客の少年が軽々と担いで持ってきた。まだ年若く、期待に目を輝かせている。

 「悪いね」

 「いや、気にしないでくれ」

 小型の馬船に荷車に積んでいた小さい水樽の中身をぶちまけた。馬は人より随分多くの水を飲む、しっかり休ませてやらないと荷が無くなって軽くなったとは言え山道を登るのは辛いのだ。

 馬がガブガブと水を飲むのを見届け、ロッソは荷車の上から客を見回した。ざっと二〇人ばかしの男達が雁首並べて此方を見つめている。

 「さてと……それじゃ今日の商品は剣が二〇本と甲冑が二組だ。剣は片手剣が一〇本とクレイモアが三本、ツーハンデッドソードが二本にスティレットが三本。両手持ちの大型フランベルジェが二本だ。数は充分ある」

 言って布で巻いて止めておいた長い包みを開く。中には大小様々の剣が並んでいた。全て戦働きの為に造られた頑丈な物で、装飾がなされている物でも実用に耐えられるように造られている。

 「全部魔法鋼作りで柄も一品物だ。並の剣なら一撃で断ち切れるぞ」

 その内の一本を抜き放ち、鏡の様な刀身を見せつけ言った。

 「早い者勝ちで一本金貨二枚、誰から買う?」

 その日、剣は一刻足らずで売り切れ、一揃え金貨五枚の甲冑もすぐに売れてしまった…………










 「やぁやぁ、商売繁盛、世は事も無しってな……」

 まだ昼も少しを過ぎたと言う時間であるのに既にロッソは帰りの途上にあった。売る物が無ければ何時までも店を出している訳にはいかない。

 あのバザールで定位置が決まって空いているのは、月に一度サイクロプスが打ったという魔法鋼製の剣を売っていると傭兵達の間で噂になっているからであった。

 月の丁度半ば、荷馬車に剣を積んだ男が売りに来る、だからそこに店を出させないようにするといい。そこが別の店で埋まると剣が買えなくなってしまう。

 その噂に従って毎月傭兵達があそこを確保しているのだ。

 今日のように若い駆け出しの傭兵が必死に溜めた金を握りしめてやってきたり、歴戦の傭兵が激戦の末に果てた己の愛剣の代わりを求めてきたりと客は後を絶たない。

 それはそうだ、大した力量でもない駆け出し傭兵のロッソが只の百人長とはいえ、大将首を上げられたのも魔法鋼の剣のお陰だったのだから。

 腰の袋は金貨で重い、実に心地よい重みだった。荷車には全て売れた商品の代わりに幾つかの樽や箱が積まれていた。日々の道具を買い足したり、僅かにだが嗜む酒を買ったのだ。他には白パンや果物など、街に降りねば手に入らぬ物も多くある。

 何も言わずに手綱を握り、空を見上げる。雲が気儘に飛び征く様を見ていると、あの馬船を取って来た若い傭兵の顔が浮かんだ。

 まだ見ぬ愛剣に心躍らせ、これからの活躍に思いを馳せる。若い頃のロッソがそこに居た。

 「……これも……天啓ってやつなのかねぇ……」

 彼の顔を思い出しつつ、ロッソはある事を決意した。

 ここ数年来の疑問を晴らそうと…………










 夜、小さなランプの明かりが揺れる居間で二人は食事を摂っていた。小さな机を囲み、上に並べられた柔らかな白パンと鮮やかな果物の普段より少し豪華な食事。いつもは仏頂面を貼り付けたようなアンナも心持ち嬉しそうにしている。

 白パンは彼女の好物であるのだが、如何せん小麦で作られているので日保ちせず、すぐに硬くなってしまうのでロッソが街に降りた時しか食べられないのだ。たまに食べる好物の美味しさは一入であろう。

 「なぁ、少し良いか?」

 「……何……?」

 口に詰め込んでいた白パンを嚥下し、アンナは顔を上げた。弱い光源で照らし出された異形の美貌には深い陰影が刻まれ、妖しげな美を掻き立てている。

 「何で……俺とツガイになったんだ?」

 「……何でって……? ……何?」

 「理由だ……。俺は特に何もしてやれた覚えはないぞ? なのに……何故……」

 俯いたロッソの頬に手が差し伸べられる。毎日槌を降り続け巌の如く硬くなった彼女の掌。じんわりと伝わる暖かさにロッソは少々の戸惑いを覚えた。

 指先が深々と刻まれた傷痕をなぞる。顎から頬を昇り、目を通って額へ。そして、最後に目に戻る。落ちくぼんだ目を慰めるかのようになぞりつつ、アンナが口を開いた。

 「……私……初めてだった……お母さん以外に優しくしてもらったの……」

 伏せられた顔が上がると、大きな単眼が此方を見つめていた。異形であるが故に人としての表情は分かりにくいが、その目には複雑な感情が込められ、口で語るよりも雄弁に全てを吐露していた。

 「小さい頃に一度ね……降りたことがあるの……そこで……子供にね……石……投げられて……化け物だって……気持ち悪いって……それで……ヒト……嫌いだったの……」

 子供は無邪気だ。故に悪意無く人を傷つける。考えもせず、ただ異形である、それだけで子供達には十分な理由だったのだろう。

 「初めて……ロッソが家に来たとき……私……凄く嫌だった……また……石……投げつけられると思った……。でも……違ったでしょ……?」

 過去を反芻する。あの頃、まだ幼い自分は小さなアンナにどうしたか。あまりに昔の事であり、記憶は酷く不確かだったが……たしか……。

 「君は……笑いかけてくれたよね……。それで……手を繋いで……一緒に遊ぼうって……」

 そうだ、思い出した。ロッソの頭に過去の情景がありありと映し出される。

 丁度この居間、工房に続く部屋の扉から覗いた幼い彼女の顔。自分は友達になりたかったのだ、この素晴らしい剣を作り出す母親の子と。

 「それで……よく遊んだよね……。なのに……君は戦争に行っちゃうし……帰って……来ないし……。本当は……私が打った剣を渡したかったんだ……でも……まだ未熟で……お母さんに駄目だって……」
 剣、傭兵として出立する日に贈られた剣の事であろう。今も壁に飾られている過ぎた日の象徴。

 「……ずっと……好きだったの……ずっと……待ってたの……だから……私は……」

 大きな目に小さな涙が産まれ、やがて落ちた。我慢していたようだが最初の一滴が零れてしまうと後は止め処なく、堤防が壊れたように涙が溢れ出した。

 「……何で……こんな事聞くの……? もしかして……嫌になっちゃった……? ……そうだよね……無理矢理だったもんね……家に居座って……帰ってきたら……無理矢理……断れなかったもんね……きっと……」

 それ以上アンナは二の句を継げなかった。ロッソが頬に添えられた手を掴み、強く彼女を掻き抱いたからだ。小さな机の上に二人の体が乗り出し、食べかけていた夕食が床に転がるが、気にも留めなかった。

 「……悪い……。こんな馬鹿男で」

 「ロッソは……悪くない……私……勝手に……」

 「五月蠅い黙れ、悪いのは俺だ。暢気に……現状に溺れて……何も聞かなかった俺だ。もう何も言うな」

 細い体を目一杯抱きしめる、柔らかく折れてしまいそうな肢体。甘い髪の香りが鼻梁を擽り、溢れた大粒の涙が肩に染みた。

 「お前は俺に勿体ない嫁さんだ……」

 「……そんなこと……無い……」

 「いや……間違いは無いさ」

 「でも……」

 ロッソは、まだ色々と言いたげなアンナの口を塞いだ。自分の唇で。

 舌で突然の口づけに固まった唇を割り、口腔を貪る。悩みを全て喰らうような勢いで口舌を味わうと、やがて彼女もおずおずと舌を伸ばしてそれに応えた。

 深く、そして長い口戯。いつ終えるとも知れぬ口づけはやがて粘質な音を帯び始める。唾液を啜り、啜られる音、互いに体を強く掻き抱き口から走る快楽を深く味わう。

 机越しの抱擁では足りぬと言うように、二人はどちらからともなく移動した。かといって寝室に向かうわけではない。既に収まりがつかなくなっていた。

 口を合わせたまま倒れ込み、服を剥ぐ。あっという間に裸になった二人は解け合うかのように身を絡ませ合った。互いの秘所を探り合い、舌を踊らせる。

 言葉を交わさずとも二人には準備が整っていることが分かった、怒張した肉と、潤んだ肉が摺り合わされ……繋がった。

 押しつぶされたような声が口から漏れるが、重なった唇のせいで不鮮明な快楽の呻きは小さな部屋に反響することなく消えていく。

 互いに上になり、下になり、緩やかに律動したかと思えば激しく動き、停まったかと思えば前以上の速度で送り出す。相手が望む速度やタイミングが全て分かっているかのように喜びの交驩が成されていた。これが連れ添った夫婦と言うものであろうか。

 次第に動きは激しくなり、やがて止まった。打ち付けられた腰が最奥で震え、命を吐き出し、女はそれを受け入れる喜びに打ち震えている。

 絶頂の声すらも呑み込むように口を合わせ続けた行為は終わりを迎え、二人は床に身を横たえる。荒く息を吐き、それでも体は離れない。汗が球のように浮き、髪が水でも被ったかのように濡れた二人は互いの体温をもっと感じられるように抱擁を強くする。

 言葉はなくとも意志が酌み交わされ、二人の心は噛み合った。最早そこに先刻までのズレも不安もなく、二人は一つであるかのようにさえ思えている。

 壁にちらつく弱い光源で映し出された二人の影は、一つに重なって離れることはなかった…………










 数日後、ロッソは普段通り作業机の前に座り細々とした仕事をしていた。今は剣の柄に細やかな紋章や飾りを彫り込んでいる。

 だが、その膝の上にはアンナが座っていた。横向きに腰を降ろし、首に手を回して抱きついており髪に鼻を潜り込ませて香りを楽しんでいる。

 非常に作業がし辛い体勢であろうが、ロッソは何も言わずに細工を掘り続けている。唐草が巻き付いた剣と小さな目と大きな目が並んだ意匠の美しい飾り、大振りな長剣用の柄の装飾は殆ど完成していた。

 後は上に金箔を載せ、銀を流し込んで飾るだけである。ロッソは木屑を吹き払って彫刻刀を置いた。

 「ふぅ……。よし、最高傑作だ」

 作業机には一本の剣が置かれていた。長さが1m以上ある細身の長剣、鏡面と言うよりも氷のような冷徹さを宿した刀身が冷たく輝いていた。

 これは先日アンナが打った剣であるが、売るためでなくある一つの目的で打たれている。

 ロッソの出立の日、未熟さ故に渡せなかった己の刃。これ以上の物は打てない、そう断言できる最高の品だ。最早無用であるそれは、今の平穏な生活と愛情の象徴でもあった。

 抜かれる事無く壁に飾られる剣、血に染まらず休息に身を沈める彼等ほど平和な物もそうはなかろう。

 ロッソは柄を剣の側に置き、愛しそうに刀身を一撫でし、今度は膝に座するアンナを抱きしめた。

 欠けた自分を埋める妻、己が半身よりも大切な彼女を決して離すまいと言うように強く強く抱きしめる。すると、彼女もそれに応えて彼を強く抱き返す。

 二つの目が、幸せそうに撓んだ…………
10/10/11 01:21更新 / 霧崎

■作者メッセージ
 誰かのリクエストだったと思う短編。誰だっけ?

 まず、酷い出来の原文を推敲してくださった親愛なるロリコ……げふんげふん。佐藤 敏夫氏に多大なる感謝を。本当に有り難う御座いました、作品のレベルが数段上がって自分でも良く出来たと思えるようになりました。

 魔となった人の更新はしばしお待ち下さい……現在私情により多忙で執筆に時間を割けなくて……。必ず完結させますので長い目で見てやって下さい。

 感想、更正などお待ちしております。感想くれたら嬉しくて踊ります。

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