連載小説
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2.女郎屋の殺意
その男が店に入ってきたのは、宵五つ(20時くらい)の頃であった
客引きの女どもに誘われたわけではなく
ふらりとその店に入ってきた
「いらっしゃいまし」
店の主人が愛想よく話しかける
「お初のお客様ですね。うちは選り取りみどり、気立てのいい娘から床上手な娘まできっとお客様を天にも昇るほどのいい思いをさせることでしょう。どのような娘が好みですかな?」
風体は、紋のない黒い着流し
腰に大小を刺していて
腰帯に絵柄のない印籠を下げている
少々羽振りの良い浪人といった風情だが、どことなく内面から滲み出すものか、きちんとした侍であるかのような気を身に纏っていた
「・・・誰でもよい。酒をくれ」
ぶっきらぼうにそういう浪人
そういう客に慣れているのか主人は、客引き場の隅で鏡を見ながら簪を挿そうとしていた女を呼ぶ
体系は太め世辞にも美人とはいえぬ女がやってきて浪人を部屋へと案内する

「お客さん。こういうところは初めてかい?だったら、あたいがいろいろと教えてあげるよ?」
浪人は大小を腰から抜き、窓辺に座ると言った
「おんな。俺はお前を抱くつもりはない。だから、傍らで寝ておれ。その代わり、酒をもってこい」
「・・・そうですか。なら、あたいは休ませてもらいます。お酒は今お持ちします」
そうして女が横になるのを横目で見ながら、窓を開け黙って酒を飲んでいた

その店は、遊里。女郎屋であった
通常、女郎屋で客が女郎に抱くつもりがないと言うと、女郎は暇を出されたということだ
代金はきちんと支払われるので、そうした客は喜ばれた

奇妙なのはその浪人が、その日以降も現れ女郎も抱かずに酒ばかりを頼むことだった
そんな浪人の話は、狭い女郎屋ですぐに噂となった

その日も浪人はやって来た
「・・・主人。酒をくれ・・・」
そう言うと浪人は部屋への階段を昇る
そんな浪人を見つめる女がいた
「だんな様?今日は私にあのご浪人さまのお相手をさせておくれ」
その女は店の主人に頼んだ
「シズク。庄屋の若はどうするんだ?」
シズクと呼ばれた女はクスと笑うと言った
「他の娘を今日はあてがってみなさいよ。私だけいつも若のお相手じゃ他の子がかわいそうよ。新しくやって来た娘なんてどうかしら?きっと若旦那様が女の喜びをやさしく教えてくださいましょう」
「しかし、あの若旦那はお前にぞっこんなのだ。お前がいないと不機嫌になられてしまう。お得意様だなんとかならんか?」
「ならば、私が新しくやって来た娘と一緒に若のお相手をし、後のことはあの娘と若に任せるということで・・・」
「それで若旦那が納得するか?」
「クスッ。私が何とかしましょう・・・」
「頼んだぞ?あの若旦那はいつも大金を湯水のように落としてくれるお客だ。いつまでも大切にしたいものだ」
店の主人は金の亡者のような下卑た笑いを女に見せた
「・・・」
女はそんな主人が嫌いだった

『酒だ!』
浪人の声が廊下に響く
「はい!ただいま!!」
主人が返事を返す
「じゃぁ、私がお酒を持っていきます。若が来たら呼んでくださいな」
「ああ」


酒を持ってシズクと呼ばれた女は浪人の待つ部屋へと入った
「・・・」
「お酒をお持ちいたしました」
鋭く一瞥を加えた浪人
窓辺に座りそこから見える河の流れを表情のない顔で見つめている
シズクは浪人の隣に座る
「シズクと言います。以後お見知りおきを」
「・・・」
関係ないとばかりに河を見つめ続ける浪人
シズクは黙ったままで静かに浪人に猪口を差し出した
それを見た浪人は受け取った
「まずは一献」
「・・・」
何も言わずに酒を受けくいっと呷った

誠に静かな酒盛りであった
シズクが酒を差し出すがまま浪人がそれを受ける
「・・・」
「・・・」
浪人は窓から見える景色を見ながら、静かにシズクに猪口を差し出す
何も言わずに酒を注ぐシズク・・・

そんな酒盛りが続く中・・・
『シズク。若が来た!こちらに頼む』
そんな声が廊下より聞こえた
「わかりました」
そう言うと、シズクは部屋の隅にある鏡へと向かい少し身なりを確認すると、浪人へ言った
「少し出てきます。どうしてもと言うお客様がおりまして・・・」
「・・・女。俺はお前を抱くつもりはない。馴染みの男がおるならばそちらへ行ってやれ」
「今夜のあなた様のお相手は私なのです。ですから戻ってきます・・・」
『シズク姉さま?菊です。よろしいでしょうか?』
廊下より若い娘の声が聞こえる
「キク?今行きます。・・・では後ほど・・・」
シズクは浪人へ一礼すると去っていった

『姉さま?わたし、大丈夫かなぁ・・・』
『大丈夫よ!この前教えたとおりにやればいいの。あなたには私の魔力・・・力を注いだんだからうまくやれるはずよ!!』
『男の人の精ってどんな味がするのかなぁ』
『きっと病みつきになるわよ♪』

そんな声が聞こえ去っていった


シズクが浪人の待つ部屋の前へと戻ると、おかしなことに気が付いた
「・・・?!・・・殺気?」
中から殺気のような気が漏れている
おかしなことだった
周りの部屋からは他の客と、女郎達の嬌声が響き渡っている
彼女にとっては実に心地よい響きだった
しかし、彼の部屋からは肌を刺すような殺気が伝わってくる・・・
「・・・ただいま戻りました」
襖を開けてみると、浪人は先ほどの窓辺で座っている。しかし、腰を浮かし片足を立て腰辺りに鞘を持ち、刀をいつでも抜けるように柄に手を掛けた状態で目を瞑っている
「・・・・・・
何かに必死で耐えているかのように唇を噛んでいる
「如何なさいましたか!?」
「・・・寄るな!」
そう叫ぶと、浪人は閉じていた目を開き目の前の何もない空間を睨めつけた

『ああーーーイッくぅーーーーー!!』
隣の部屋から客と女郎の嬌声が聞こえてくる

「・・・っく・・・」
刀を握る手がぶるぶると震えている
耐えがたきことを必死に耐えている・・・そんな感じだった
「ご浪人さま!!」

チャキッ
ヒュゥッ!
と、金属の音と風を切る音だけが聞こえた
「ひっ・・・」
目にも留まらぬ早業であった
浪人の元へと駆け寄ろうとしたシズクの首筋には刀の切っ先が突きつけられていたのだから・・・
「女。寄るなと申したはずだ」
低く冷たい声だった
抜き身の一閃は、後数寸の先には彼女のやわらかな首筋がある
そのまま切っ先を顔へと上げる。切っ先を眉間に持ってくると、浪人は言った
「構い立ては無用・・・。馴染みのところへでも行ってやれ」

「・・・っ!」
そんな浪人の言葉に、シズクはその場へ座り込むと言った
「…こんな身も縮む怖い思いして、これから若の所へ行って肌合わせるなど・・・そんな気分にはなりまぬ。今宵のお相手はあなた様なのですから」
そう言うと、震える手つきで酒を掴んで浪人へと差し出した
「・・・」
冷たく見下す浪人
そして、刀を納めると静かに座って猪口を差し出した
酒が注がれるとまた静かに飲み始める浪人
さっきの殺気はどこえやら消え、またも静かなひと時が舞い戻った

「・・・」
「・・・」

その夜は終始無言で酒を飲んでいるだけだった



「主さん?シズクか菊はおりますか?」
身なりのいい若者がそう言って来店した
客引きの女達が一斉にその男へと群がる
それを見た若者は懐の金子をばら撒いた
歓声が上がる
「はい。ただいま!!・・・シズクー?菊ー?若旦那様がお呼びですよー!」
「「はーーーい!」」
ふたりの女が出てくると若者は満足顔でふたりを抱きかかえるようにいつもの部屋へと行こうとした

そんな時に、浪人がやってきた
「・・・」
女どもが床に散らばった金子を拾い集める中、静かに店に上がる
「・・・主人。・・・酒を・・・」

廊下にふたりの女を両手で囲み満足顔の若旦那。廊下を塞いでいる
ふっとその後に立つ浪人・・・
何気なくその浪人の顔を見た若旦那は、ドタンと地団駄を踏んで腰が抜けたように驚いた。
そして、ふたりに抱えられるように道を開けた
「主さん?なんですか?あれは・・・。まるで死神にでも立たれたようでしたよ?!」
いかにも驚いたという風に目を見開いて主人に問いかけた
「なんでもありません。さて、シズク?菊?若旦那様を驚かしてしまったお詫びに天にも昇る奉仕をして差し上げなさい!」
「「はーい。若ー?行きますよー?」」
シズクは若旦那を抱きかかえながら浪人の後姿を目で追った
少し寂しげな背をしていた


その日は浪人の元へ来る女郎はいなかった
いつものように酒だけが運ばれた

「・・・しつれいしまする」
日付が変わる頃、静かに訪れたのはシズクだった
「・・・」
中からはなんの音もしない
すっと襖を開けると、浪人はやはり窓辺にいた
しずしずと浪人の傍らに来て座ると様子を伺う
「・・・。・・・」
浪人は寝ているようであった
そのままの体勢では辛からろうと横にしてやろうと手を伸ばした


チャキッ
ヒュゥッ!!

「っ?!!!」
脇差の白刃はシズクの頸の横で止まっていた
「・・・女。触るな」
はっ・・・はぁ・・・
気が動転したのか。シズクは胸に手を置くと小さく息をした
「・・・なにをしようとしていた」
「はぁ・・・あなた様が・・・はぁ・・・寝ていたので・・・はぁっはぁっ・・・横にして差し上げようかと・・・」
「・・・」
またいつものように無言になった浪人
シズクはこの際と疑問を口にすることにした
「・・・あなた様はこの店に何故酒だけを飲みに来るのですか?なぜ、そんなにも女を拒むのですか?・・・何をそんなに恐れているのですか・・・?」
恐れていると言ったときに、鋭くシズクを睨めつける浪人・・・
しばらく睨むと、すっと視線をはずした。そして、静かに河を見る

・・・・・・

どのくらい時が経ったか・・・
一言・・・
「私は・・・殺気を研いでいるのだ・・・」
そう言って浪人はぐいと酒を飲み干した
後は、いつものように終始無言・・・
そうして、飲み終わるとその日は帰っていった








その日の夜、浪人はやってこなかった


「シズク?今日はなにやら覇気がありませんよ?菊をごらんなさい。こんなにも蕩けた良い顔をしている。さぁ、ふたりとも?もっと私を極楽へと導いておくれ?」
「はぁい!若旦那様!」
菊の元気な声を聞きながらシズクは浮かない顔をして若旦那の相手をしていた








次の日・・・

店に現れたのは、黒い袴姿の男だった。あの浪人である
浪人の着流しとは違う身なり。やはり紋はなかった
顔を見たものは声を上げそうになった
その顔は生気のないまるで亡霊かと思うような顔つきであった
主人はそんな顔した者がいつまでも店先にいさせてはと思い早々に、部屋へと押しやった
店先には、鉄錆びのような臭いが僅かにあったが・・・すぐに女達の女の匂いとおしろいや香などの匂いで消えた


酒を運んできたシズクは部屋の前に来ると、異変に気がついた
中からは血の臭いが洩れていた
「どうかなされましたか!!」
急いで中に入ると、窓辺に立ち尽くしている浪人の姿があった
ぼぅっと河を眺めている・・・
部屋の中は、血臭に満ちていて、酷く鼻につく
「もし?お怪我をなされているのでは?!」
ふと、振り返った浪人・・・
「っ?!」
思わず息を呑んだシズク
その顔は、まるで地獄の幽鬼のようであった
血の気は失せ、これから自殺してしまうかのような顔・・・
「如何なさいました!?」
「・・・」
力なくその場に崩れ落ちる浪人・・・
「しっかり!」
シズクは浪人の背と腹に手を添えて、男を抱きしめると顔を覗き込んだ・・・

「・・・っ」
その顔は、涙を流していた
「・・・っ・・・っ・・・っ」
声を上げずに咽ぶように泣いている
シズクは彼を抱きしめるとやさしく彼の頭を撫でてやる

どのくらいそうしていたか・・・
抱かれたままで、彼は話し始めた


「兄と母を斬って来た・・・」


私は、名を松川 恵次と申す
松川家の次男で、兄がおり私の下には弟が2人と妹が1人おりまする
父はもう亡うなりまして、お家は兄が継ぎ申した
私の母ももう・・・
私と兄は腹違いでござってな…。されど、それでもよき兄でござった
兄の母もつい先ごろ流行病で・・・
葬式をしたばかりだったのでござるが・・・
ある日、屋敷の奥の書院でその母を見かけるようになり申した
最初の頃は、亡霊がごとく薄く透けるほどのものでござったが・・・
だんだんと、日を追うごとにまるで肉があるかの様に見えるようになり申した
この頃になると、屋敷の者達の間で母が舞い戻ってきたと―――噂になり始めてしまいました

母が書院に現れる頃から当主である兄の様子がおかしくなっておりましてな
食事時などなにか悩みを抱えているようなのだが、私達兄弟にも打ち明けぬままで・・・
城へと上がる時はしゃんとしていても、屋敷に戻るなり奥の書院に篭り切りになるのでござる
それから私は、一切の者が奥へと立ち入るのを禁じ、兄が母となにをしているのかを確かめに行き申した

そこで・・・
兄と母は身を重ねており申した・・・
まるで恋人同士のように契っていたのだ
兄が精を注ぐと母の色が濃くなる・・・
母のその姿は、私達がまだ幼かった頃のように若々しくなっており申した・・・

私は何がおきているのかと、松川の菩提にお家の事情は伏せ、亡霊が舞い戻り肉を持つことはあるのかと聞きに行き申した
すると、住職は無いことははない・・・あるという
何らかの未練を残したまま、この世に溢れる力に触れ亡霊と化してしまう事があると
取り憑かれた者から精を奪い肉を得ようとするらしい
取り憑かれた者から亡霊を離すことは大変に難しいとも言う
その場合、亡霊の未練はより深くより満たされぬモノとなっているからだという
私は・・・悩み続け申した
肉を持った母。政務が滞るようになった兄・・・
このままではお家の事情が他所へと洩れ、お家取り壊しによる断絶。我が家に仕える者達が路頭に迷うことになる・・・と

私は、お家の為に非情な決断をし申した
兄を亡き者とするか、出家させると・・・
私の弟がもう少しで成人となる頃でしてな
弟は私と違って、武に学に芸に・・・と非常によく出来た切れ者
弟ならば、必ずや松川の家を盛り立ててくれると…

そうして、私は家を空けるようになり申した
弟が成人になる日どりに兄を斬ると・・・
この遊里に来たのは、家にいると我慢が出来ずに兄と母を斬ってしまうと思ったからです
客と女郎の嬌声が響く部屋
あの声が母と兄の声に重なると思い
私は刃を研ぐように殺気を研いで行ったのです
腹違いとは言え、血の繋がった兄です。そうでもしなければ私には斬れませなんだ

当日、私は兄に弟の姿を母に見せてやってほしいと頼み申した
皆の集まる間に兄が母を伴って現れた時、皆息を呑みました
母は完全に肉を持ち、生前の気丈な武家の女ではなく、淫らな遊里の女郎がごとく蕩けた様な顔をして一心に兄だけを見ている…そんな…そんな者となっており申した
兄もどこか上の空で・・・やはりこれでは・・・と・・・
すぐに私は幼い妹に家人と共に医者に行ってくれないかと頼み申した。その医者は魔物にも詳しかったからです
そして、これから私が起こす事、妹には酷なものだろうと思ったのです
妹が家を出て行くのを見届けると私は兄と母の前に躍り出し
抜き身の一閃にて、母を・・・
驚き立ち尽くした兄をこの手に・・・

母は悲鳴と共に肉を失い兄の中に消えていきました
兄は致死の一撃を食らってもなお死なずにいました
魔物に詳しい者が兄を見ましたところ、兄はもはや人ではない者となっていたといいます・・・
人でありながら人でない者へ・・・



両手を前に出して手を見つめながらガタガタ震える恵次・・・
それを、抱きかかえてシズクは言った
「あなた様の兄上様は、それだけでは死にませぬ。おそらくもはやインキュバスとなっているのでしょう。ならば大丈夫です」
「しかし、お家のためとは言えあの兄を斬ってしまった・・・許されるものではあるまい!」
「魔の者になった男はそうそうなことでは死にませぬ。それで?あなた様はどうしたのですか?」



皆に私は問うた
このまま、兄を当主としたとしても、いつかこのことが世間に洩れたならばお家は断絶すると
ならば、兄は急死とし弟を新たな当主として発てた方が家の為ではないかと!

肉を失い亡霊に戻った母、致死の一撃を食らっても死なぬ兄・・・
誰の目にも彼らが普通の者ではないのは明らかだった
皆、及び腰となりながらも弟を当主とすることに賛成した
・・・今思うと、少々荒療治だった

その後その足で、私は兄の血潮を浴びたままこの遊里へとやってきた



シズクが着物についた血を確かめると、やはりそれには魔力があった
「やはり、兄上様は魔となっておりまする」
「そうか・・・」
「兄上様は死んだことになり、弟君はご当主となられる・・・ならば、恵次様はどうなさるのですか?」
「私・・・か」
恵次の顔は一層暗く暗澹としたものとなった

「私は・・・明日、切腹する」
「なぜでございます!あなた様はお家の先を思い非情な決断をしました。されどそれは家をより良きものとするため!切腹の必要は・・・」
「あるのだ!それが武士のケジメと言うものぞ!当主を・・・堕落したとは言え当主を・・・兄を斬った者を、弟は黙って赦すと思うか?いや、おそらくそうはさせまい。当主となったからには、切腹を進めるはず。当主となった弟の初仕事が兄に切腹を薦めることではあってはならぬのだ!」
「だから、あなた様は自ら切腹をすると?!」
「・・・そうだ。死んで亡き父上と母上、先祖様たちに詫びねばならん」
「・・・」
「だから、今宵は最後の酒盛りよ。・・・シズクだったな。酌を頼む」

初めて名で呼んでくれた恵次・・・
シズクは、泣きながら言った
「初めて名を呼んでくれたと言うに、明日には死ぬと申すあなた様。わたしは悔やしゅう思いまする。そんな若い身空で死んでしまうと・・・」
「・・・最後なのだ。泣くのはやめてもらえぬか?」
「死ぬのは後にはできませぬのか?わたしはあなた様が気に入りました。このままどこかへと連れ去ってしまいたい!」
「私がいなくなったら、弟は私を赦すまい。心に恨みを抱いたまま生きてゆかせるわけにもな・・・」
「・・・」
無言で、より強く抱きしめるシズク
そんなシズクに少し興味を持ったようで恵次は言った
「連れ去ると申したが・・・一体いずこへと連れ去るのだ?」
恵次は試しに聞いてみた
「わたしの生まれ故郷・・・魔界にでございます」
「・・・やはり。そなたも魔物であったか」
「はい・・・。サキュバスと呼ばれております」
「サキュバス・・・淫魔の類か・・・。ならば、この体の疼きにも頷けるというものだ」
抱き締められてから、恵次は体の底が熱くなるのを感じていた
「わたしに疼きを感じておられるのですか?」
「・・・そのようだ。いくら心を凍てつかしても体は素直なもののようだ」
「うれしい・・・」
顔を少し離すとシズクは口づけをした
抵抗なくそれを受け容れる恵次・・・
「・・・冥土の土産に、魔界なる場へ行ってみるのも良いかもな」
「冥土なるものへは行かせませぬよ」
シズクの瞳が妖しく赤く光る
そんな瞳を見ていると、欲望が沸々と湧き上がってくるのを感じる

シズクがそのまま着物を脱ぎ、一糸纏わぬ姿になるとその背・・・腰あたりには黒き翼があった
頭には角が生えている
尾もいつのまにか伸び、恵次の頬を撫でている
「人に化けていたか」
「魔物はいかなる所へもおりまする。そして、この地・・・わたし達がジパングと呼んでいる、この日の国は魔物と人が共に歩んでいくそんな幸せな国とお聞きしました。だから、わたしは遙々魔界からやってきたのです。魔物に恐れを抱かず、友として恋人として受け容れてくれるそんなお人を・・・」
「・・・そうか」
「現にあなた様はわたしを受け容れてくださっている」
「私は、魔物となった母と兄を斬った男ぞ?」
「それは・・・。お家の為でございましょう」
「・・・」
「あなた様にわたしの力を容れ連れ去りたいと思いまする」

「魔となった者を斬った男が、その後の余興のために魔となるか・・・。・・・面白い」
なんという皮肉だろうか・・・
「では・・・。参ります」
その言葉と共に始まった口づけ
舌の差し入れと共に熱い何かが、恵次へと注ぎ込まれた
注がれると恵次の獣のような欲に火が付いた







その夜、恵次は獣のようにシズクを貪った
シズクも溢れ出す精を貪った







翌朝・・・
恵次は店の主人の前に来ると言った
「この女を身請けしたい」
「はぁ?ご冗談でございましょう?失礼ですが・・・あなた様のようなご浪人様がシズクを?金子を工面出来まするかな?」
少々馬鹿にしたような主
「・・・いくらなのだ」
「そうですな・・・その前に、シズクはこのご浪人さまのことをどう思っているのです?」
横に無表情で佇むシズク
「わたしは・・・」
妖艶にニィィィと主人に笑いかけるとゆっくりと恵次にしな垂れた
「わたしはこのお方を気に入りました」
「そんな!若旦那さまはどうするのです!」
店一番の金蔵、庄屋の若旦那。この男を店に通わせ続けることこそ、店の安泰。それが出来なくなると主人は慌てた
「菊がいるじゃないですか。あの娘はもうりっぱなオ・ン・ナ!若は菊なしでは生きてはいけますまい」
「菊だけじゃなく、お前にぞっこんなのだぞ?」
「あの娘は、もう立派なおんな(淫魔)となったのです。もう、わたしの出番ではない。そして、若はいつまで湯水のように店の金をこうして女郎買いに費やせるかお考えになったことはございますか?わたしが聞いたところ・・・もう・・・手遅れのようで・・・」
「そんな・・・」
主人は絶望的な顔をした
そんな顔を見たシズクは本当にうれしそうな顔をした
もともと、この男の金一色しか頭にない下卑た性格が大嫌いだったのだ。だから、この男の絶望的な顔はたいそう面白かった
おそらく、わたしが抜けた後、菊も若を連れ去ってどこかへと行くだろう
サキュバスとなった菊は本当に淫欲にまみれて魅力的な娘になった
あの娘は、魔界ではなくこの国のどこかへ根ざし若旦那を貪ることにするのだろう
魔界出身のわたしとは違うのだから・・・

「それで、いくらなのだ・・・」
それを尻目に静かに問う恵次
「そうですな!シズクのような売れっ子を盗られてしまうとなると・・・。今までの化粧代・・・着物代・・・食費・・・その他合わせて・・・占めて、150!いや!これから店の売り上げが減ることを考えると、200!!」
「おや、まぁえらく吹っかけるじゃないか」
シズクはあきれた
淫魔は、人間の女と違って化粧など必要としない美貌の持ち主。化粧も着物も、魅了の魔法があるのだから必要ないし何を着ていても男には魅惑的に見える
食費だって、彼女には精があればいいのだ。今まで魔であることを隠す為に少量は人の前で食べていたけれど、後はすべて他の女郎や借金のかたに売られ新しく入って来た娘達に分け与えてしまっていた

どうだ!一介の素浪人にこれだけの金子が用意できるものか!!と主人は嘲笑するように笑った
「これで、足りるな・・・」
ガシャーン
恵次は懐から重たくがちゃがちゃと音のする頭陀袋を床に放った
「行こう、シズク。お前はここともはや縁なきところ」
「はい・・・」
シズクは恵次の腕を抱きしめると軽やかな足取りで出て行こうとした

「まっ待て!!お前様はどこかのご家中・・・探し出して女を買ったこと言いふらしてやる!!そうなれば、お前様もそのお家はまずい事となりましょうな!!」
恵次の前に走ると嘲り笑う主人


チャキッ
ヒュゥッ!!


あの抜き身の一閃が冴えた
今度は寸止めなどせずに、主人の白髪交じりの髷を宙へと飛ばした
「ひやぁ!!」
髷を斬られ肩に散らばる髪を振り乱しながら主人は腰を抜かした

刀を納めながら、見下すように恵次は言った
「貴様の言った金子は確かに渡した。なれど、貴様は欲と憎悪を募らせて人に有るまじきことをするという。このまま生かして良いものか?」
「ぁぁぁ。なにとぞお助けを!言いふらすことも何もしませぬ!!だから、命だけは!」
黙って見下す恵次・・・
「いい加減にせぬか!」
鋭い目つきで射殺す
その瞳は、非情にも兄と母を斬らねばならなかった冷酷な人斬りの目だった
それが、この惨めな男の心を砕ききった

・・・異臭があたりに漂った
憐れな男が失禁したのだった




「あの店はもうお終いね」
くすくすと笑うシズク
あんな主人の店などこの世から消え去ってしまえと笑っているのだ
「・・・他の女郎はどうなる?」
恵次は腕をシズクの肩に回し言った
「・・・おんなはね。魔物だろうが人だろうが・・・男の人が思っている以上に強いものなのよ?」
「・・・そうかもしれんな」
「あそこがつぶれたら・・・みんなまた他の店に移るでしょうね」
「そうか・・・。それにしても、本当に私でよかったのか?」

よき男を求めて女郎となったシズクにはこれ以上ないほどの男を見つけた。そんな男が明日にも死ぬと言う、魔界に連れ去っても後腐れはない
「もちろん!あなた様のようなお方を求めておりました。そんなお方が明日にも命を絶たれるといいまする。ならば、力を貸さねば!と・・・」
「そうか・・・」
「はい」
「・・・よろしく頼む」
「はい・・・」
返事と共にそのまま、唇を奪った



恵次とシズクは、町外れの寂れた寺に来ていた
「シズク。しばしここで待て」
「こんな寂れたところで?」
「私は今より、家に行き腹を切る」
「わたしも、共に・・・」
「ならぬ。家の者は今、魔のものに非常に過敏となっておろう。そんな時にそなたが近くにいたら、私もやはり魔のものとして・・・今度こそお家がどうなるかわからん。私の身もどうなるか・・・。だから、おまえはここで待っていておくれ」
「・・・わかりました。お見えになられない時は、なんとしてでも迎えに行きますからね!」
恵次はシズクに口づけすると言った
「私は、自らの腹を切る前に弟に私を無縁仏としてここに埋めるように言っておく。そして、心の臓の鼓動を遅くする薬を飲んでおく。こうすれば、掻っ捌いたあと血が出ても、魔となった私はなんとかその命を繋ぎとめるであろう」
「・・・死なぬと約束を」
「うむ。私は死なぬよ。棺桶を積んだ車が来たら身を潜めていてくれ。そして、日が暮れたのならば私を掘り返してくれ。日のある時では誰の目に触れるか分からぬからな」
そうして、恵次はシズクを抱きしめると去っていった
「・・・ご武運を」




家に帰ると騒動になった
前当主と亡霊を切り捨てた後その身がどこへ消えたものかと、探していたからだ
「兄上!いずこへと行っていたのですか!」
「弟・・・いや、ご当主殿よ。これより、ケジメをつけさせていただく!」
「兄上!何を!!」
弟や妹の悲鳴
「騒ぐな!!」
一喝する
「・・・」
当主となった弟は何も言わない
「私はもはや、この松川とは何の縁もゆかりも無き者!この亡骸は町外れの寂れた寺の無縁の横にでも屠ってもらおう!!」
庭先に座ると、着物の前を開き脇差を引き抜いた
懐中の紙を取り出すと白刃に巻き
一気に腹を掻っ捌いた・・・
「うぐっ・・・。介錯を・・・」
誰も介錯をしようとするものはいなかった
おそらく、この場で介錯できる者などいまいと、恵次は踏んでいた
「ならば!」
自ら頸に白刃をあてた
「・・・すまぬ。弟達よ、助け合い立派に松川の家を盛り立てていくのだぞ?・・・ごめん!」
そして、刃を引いた・・・




「見事な切腹でござった」
家の者達がすすり泣く中、新たな当主はそう言った
「その者をすぐに棺桶に詰め、彼の寺へ無縁として葬れ!」
一人の家人が車に棺桶を乗せて曳く
見送る者もいない
寂しいものだった

寂れた寺に着くと、家人は無縁の墓の横に鍬を突きたてた
棺桶を埋め土を被せ、盛り土の上にそこが墓とわずかに分かるように大きめの石を置き、車を曳いて去っていった

寂れた寺に風が吹く
立ち枯れた草やススキが悲しげになびく
地に刺さった塔婆がカタカタと音をたてる
血のように赤い夕日が沈んでいく・・・

日が暮れるとシズクは真っ先に墓を掘り返した
「恵次!恵次!!」
棺桶の中は血で濡れていた

血の気が抜けて真っ白な顔をしている
何度も呼びかけると、薄く目が開いた
「シズク・・・今・・・戻った」
「お帰りなさいませ!」
・・・私が生きていることを隠す為、ここを元に戻すのだ・・・よいな?
息も絶え絶えで小さくそういう恵次・・・
「わかりました!!だから、もうしゃべらないで!」
そうして、恵次はシズクの腕の中で気を失った

シズクは恵次を背に乗せ翼で落ちぬように包みながら、言われたように墓を元に戻した
その間、ずっと魔力を彼に注いでいた・・・

次に、恵次が起きたのは次の次の朝だった
寺の近くにあった朽ちた家の中で目が覚めた
「今はいつぞ?」
「あれから2日ほどです」
「2日?あれだけ腹と頸を裂いたのに?」
「わたし達魔物には、男に保護の魔力を使うのです。だからこそ死なないしその傷が治るのも早くなる。されど、その力の源は魔力。つまりは、わたしの命そのもの。魔物は魔力を常に消費しておりまする・・・」
「なるほど。そして、男から精をもらえねば力尽きると・・・な」
合点がいったという顔をする恵次
「ならば、今の私に精を出す力があるかわからぬが・・・私の精をお主に・・・」
そう言って恵次は求めるように口づけをした
先ほどから、シズクの放つ甘い香りに下半身が反応していた
袴を脱がせるともう待ちきれぬとばかりにそそり立っていた
シズクがそのそそり立ったものを口に含み、舌先でなぶり舐めただけでそれは精を放った
「ああ、おいしい」
好いた男の精・・・この上ない馳走にシズクは相好を崩した
「体は大きく傷ついているというのに、すぐに果ててしまうとは・・・下半身は元気なものなのだな・・・」
「いままで、ずっとわたしの魔力をその身に受けてらしたからでしょう。魔の者となると体は精をいつでも、いつまでも放てるようになるもの・・・」
「そうか・・・。ならばシズクよ。よろしく頼む・・・」
そして、いつまでもふたりは恵次が気を失うまで身を重ねていた



次に恵次が意識を取り戻したのは空の上だった
「うん?」
「お目覚めになられましたか?」
恵次はシズクと繋がったまま抱きかかえられていて、決して離すものかと彼女の尾が腰に巻きついていた
「ここはどこなのだ?」
気づくと彼女の豊満な胸が目の前にあった
「ここは、空の上。今、ジパングを越え大陸との間にある海の上を飛んでおりまする」
「空の上?」
振り向いてみると青い景色が見えた
「おおぅ!!」
大層驚いたようで力いっぱいに抱きつく恵次
「ふふ。そんなに驚かなくても、わたしが抱きかかえているから大丈夫ですよ?」
「そなたは、空を飛ぶのはなんとも無いのかもしれぬが・・・私は初めてなのだ」
さっきから身に当たる風が恐怖を煽る
それがわかったようで、彼女は空に静止した
「恵次?空から見る地や海はきれいでしょう?」
「・・・」
少し見ては顔を背け、少し見てはやはり馴れぬのか顔を背ける恵次・・・
そんな彼の姿がどうしようもなく可愛く見えるようで、“ふふっ!”と笑うとぎゅっと抱きしめるシズク
「あそこまでの距離が分かってしまうからなのか?どうしようもなく恐ろしく見えるぞ?」
「ならば、分からないほどの天へ行ってみましょう!!」
そういうと、まっすぐに天高くへと昇るシズク
見る間に、高く高くへと昇る
後に、人が空を飛べるようになって“成層圏”と呼ぶような高みまで昇るシズク
「どう?恐ろしいですか?」
恵次は息を呑んだ
「これは・・・」
そこから上は“宇宙(ソラ)”・・・
地にいるよりもはっきりと昼なのに星が見える
遠くを見ればそこより先はだんだんと青い色が薄くなり闇のような黒へと色が変わっている
その黒いソラの先に日の光を浴びて輝く月があった
「ここよりも上になると・・・地を覆う魔力がなくなるから行けぬのだけれど・・・」
「なんという光景か・・・」
驚きを隠せない
「ほら、見て?」
シズクの指差す先・・・
そこは地の方
丸き地が見える
「この星はこんな風に丸いの。知っていて?」
「ああ。大陸より地球儀なるものが伝わっていたからな」
大陸では、その昔邪悪な魔物どもと戦う為に正確な地図を作ろうとしたらしい
その時に、その地球儀なるものが作られた
それが、遙々日の国まで届いたと言うわけだった
恵次にもはや恐怖はなかった
あまりにも高高度に来ていたために、現実感がなくなっていたのだ
「人の世など、まるで儚いもののようだ・・・」
塵にも満たぬほど小さく見えなくなった人の街

遠く・・・はるか遠く・・・
日に満ちた地が、闇に包まれていく
「あれは?」
「あれが、日暮れ。きれいでしょう?こんな高くにいるとあんなふうに見えるの」
「まるで、死神の鎌が日の光を刈り取っているようだな」
「あれを見て?」
彼女が指差す方・・・大陸の遥か彼方
そこは、日の光が暮れ夜となっている。されど、その地は赤く燃えるように見える
赤く照らされた地と黒き雲が渦巻いているように見える
「あれは?」
「あそこが魔界・・・」
「あれが・・・」
この旅の終わりにある魔界・・・
その地は例えるならば、火鉢の炭火のように、赤々と炭が光っているようだった
情熱的に燃える赤・・・寒い心を温かく癒してくれるような赤・・・それを恵次は感じた
「どう?楽しみでしょう?」
「ああ、シズク。楽しみだ!」
「行きましょう!」
「行こう!!」








遥か彼方の魔界・・・
それを目指して、ふたりは寄り添って飛んでいく
地から見たならば点にも見えぬ二人・・・
その後彼らが魔界にたどり着けたかは・・・
11/03/15 19:59更新 / 茶の頃
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■作者メッセージ
というわけで、サキュバスさんです

計画停電・・・もっと情報出せよ
まぁ、夜は大丈夫みたいだけれど・・・
地震はなんとか大丈夫でした
明日の仕事がどうなるのか・・・orz
被害に遭われた方々、心よりお見舞い申し上げます

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