連載小説
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おみせ

 内階段からリリを連れて一階の店舗に下りる。
 出た先は調理場の横、カウンター席の端だ。店には数組のお客さんが来ているようだった。
 礼慈たちが下りて来たことに気づいたカウンター席の男女が手を挙げる。

「やあ、礼慈君」
「あら、久しぶり。礼慈君」
「お久しぶりです真さん、芹さん」
「やぁねえ。おじさんおばさんでいいのに」
「いえ、今はお客様なんで。それに、もうおじさんおばさんなんて言える外見じゃないですし」
「あらお上手」

 声をかけてきたのは相島夫妻――英の両親だった。
 彼らは数ヶ月前まで普通の人間だったが、英と鏡花がくっつくにあたり、鏡花の両親が経営している貿易会社にスカウトされて魔界とこちらの世界を往復する生活をするようになったという。
 その影響で二人共インキュバス、サキュバス化しており、外見年齢的にも若返っていた。

「お客とはいっても僕たちもレミさんにいろいろ教えてもらうのを兼ねてるからね、先生と生徒みたいなところもあるんだよ。だから僕たちは目下だよ、目下」
「いや……俺の生徒じゃないですし、それでもお客さんなことには変わりないでしょう」

 二人はここしばらく、以前にも増して足繁く店に通ってくれている。
 理由としては二つあって、鏡花の両親が経営する会社に移る前は二人共勤勉過ぎるくらいに働いていた人たちだったのが、今では前の会社以上に徹底して休みを与えられており、魔物化したために夫婦の時間をしっかりと取るようになっているのだと英から聞いている。
 もう一つの理由は、礼慈の母の礼美(れみ)が人から魔物化した実例として、二人にとって最も身近な存在だからだろう。
 真が自分たちは生徒だと言っていたように、二人は礼美に人から魔物に変化した際の体や感覚の変化、そしてそれを踏まえた生活スタイルの構築について教えを乞いに来ていた。

(種族が違うからあんまりあてにはならないと思うんだがな……)

 多様な魔物との交流がある礼慈などはそう思うし、きっとそのことはあちらの世界と行き来するようになったという彼らも気付いているだろう。しかし、それでも身近な人から話を聞けるというのは安心材料になるようだった。
 だがそれも、

「もうあらかた聞きたいことは聞き尽くして最近は普通にお客さんしてるって話は聞いてますよ」
「うーん……」

 真が腕を組み、芹が引き取る。

「本当のことを言うとね、あまり家に居て鏡花ちゃんのお楽しみタイムを奪っちゃうのはどうかと思っているのね」
「あの子、僕たちの面倒もみてくれようとするからねえ」
「あー……大取らしい」

 キキーモラの性というものだろう。

「そういうことだからおじさんとおばさんはこちらの世界にいる間はうまいこと時間を潰して家に帰る時間を遅らせるのも仕事だと思ってるんだ」
「でもそれを知られちゃうと鏡花ちゃんが全力を出しかねないから、このことは内緒でお願いね」
「分かりました。このことは秘密にしておきましょう」

 世話好きの彼女には悪いが、この二人の心遣いには礼慈としても積極的に協力していきたい。親友たちには幸せになってもらいたいのだ。

 芹が「よろしくね」と念押しし、それから礼慈の後ろに視線を移す。
「ところで、そっちの子は?」

 つられて真も礼慈の後ろに目をやる。それによって彼の後ろに回り込んでいたリリは余計に礼慈の背中に隠れるようになった。
 本人に代わって紹介しようと思っていると、背に頭を擦りつけてから、リリがおずおずと前に出てきた。

「はじめまして。わたしは、リリ・アスデルっていいます」

 その名乗りに、二人は少し驚いたようだった。

「アスデル……もしかしてネハシュ・アスデル様のご息女かな?」

 リリは頷いた。

「お母さまをご存知なんですか?」
「ん? うん、今の会社の取引先――仲良くしてもらっている相手だからね」
「そうなんですか。よろしくおねがいします!」

 ぴょこんと頭を下げるリリ。妙な所で知り合い同士の縁が繋がるものだと思いながら、礼慈は自己紹介する相島夫妻の後に続いてリリに補足する。

「リリ。その人たちは帰りに会った英のご両親だ」

 リリはもう一度、更に深く頭を下げた。

「スグルお兄さんにはお世話になりました」
「おや、そうなのかい? あの子は礼慈君によくしてもらっているんだ。リリちゃんも、もしよかったら仲良くしてくれると嬉しいかな」

 リリはその申し出に曖昧な顔で笑んだ。
 今まさに友人関係で悩んでいる彼女には酷なお願いだったのだろう。
 真はリリの応答をはにかんでいるだけだと捉えたようだが、その陰で芹が問いかけるような目を礼慈に向けてくる。
 それに肩を竦めるだけで答えとして、礼慈はリリの頭に手を置いた。

「そろそろお腹も限界なんじゃないか?」
「あ」

 リリから気の抜けた声がするのと同時に彼女のお腹が鳴る。

「ああごめん。引き止めてしまったね」
 真が言い、引き継ぐ形で芹が「気が利かなくてごめんね」と詫びる。

 そんな二人に会釈して、礼慈は店の隅の方の席へとリリを案内した。

「適当に料理を頼んでくるからリリは少し待っててくれ」

 そう言ってカウンター奥の調理場に行こうとした礼慈は、背後から声をかけられた。

「まあまあ、せっかくのお客さんなんだから、直接食べたいものを聞いた方がいいでしょう」

 振り返ると、赤みを帯びたショートヘアの女性が立っていた。
 頭から丸まった二本の角を生やした彼女は魔物――サテュロスであり、このカフェ・バーの店主でもあり、

「母さん」

 礼慈の母親、鳴滝礼美(れみ)だった。

   ●

「お客様同士で何か盛り上がっていると思ったら……礼慈、お店の方に来てたのね」
「ああ、お客さんにまともな飯を食べてもらおうと思ってね」
「あらあら、英君にはそんなこと言わないのに」
「あれは多少雑に扱ってもいいんだよ。あいつ、部活後のジャンクフードとか結構好きだし」

 今となってはキキーモラ管理のもとでの健康的な食生活に胃袋をがっしりと掴まれているだろうが、たまにはジャンクな食事をできる。そういう場所を残しておくのもいいだろう。

「うーん、鏡花ちゃんにはばれないようにしなさいね」

 そう言うと、礼美はリリと目を合わせた。

「はじめましてかわいいお客さん。私は礼美。礼慈の母親です」
「は、はじめまして。わたしはリリ・アスデルっていいます。レイジお兄さまとはお友だちです」

 緊張した面持ちのリリに微笑んだ礼美は、それから首を傾げた。

「その服は礼慈の昔の服ね?」
「あーちょっと調子に乗って遊んでたら服を汚してしまった。今、乾燥機にかけてるから、乾くまではその服を着てもらってる」
「へえ、そうなの」
「この子の家族にもこのことは説明してあって、夕飯もうちで食べてってもらうことになってる」
「分かりました。じゃあ腕によりをかけます。……リリちゃんは中等……小等部? よね? どこで礼慈と知り合ったの?」
「あ、はい。それはですね――」

 本日二度目の説明だ。リリも慣れた様子で説明していく。
 今持って原因のいまいちはっきりしない涙からの出会いを話し終えたリリに、礼美は頷く。

「それで今日は昨日の続きで遊んでいたのね」
「は、はい」
「うーん、あの公園で遊んでて汚れるって、砂場とか、植え込みででも遊んだのかしら?」

 礼美は微笑ましいものでも見るように礼慈に目を向けてくる。

「いや、別にそこまで童心に帰っちゃいない」
「それじゃあどんな遊びをしてたのかしら?」
「なんだろうな」

 実際には礼美が言っていたのと五十歩百歩の遊びをするつもりだったのだが、それについてはわざわざ自分の親に話すことではないだろうと礼慈はだんまりを決め込む。
 礼慈が話す気がなさそうだと判断したのか、礼美はリリに質問の矛先を変えた。

「いったいどんな遊びをしてきたのかおばちゃんに教えてくれる?」
「え、あ……えと、ごめんなさい。ヒミツなんです」

 申し訳なさそうに言うリリに、礼美はもう一押しと踏んだのかすすす、とにじり寄った。

「そんな寂しいこと言わないで話しちゃいましょうよ。ね?」

 リリは弱った顔をして目線を泳がせる。
 見かねた礼慈は割って入った。

「本人が話したくないって言ってるんだからその辺にしておかないか?」

 礼美は背中をビクッと跳ね上げて礼慈に向き直った。

「ご、ごめんなさい。私ったらつい。礼慈が機嫌よさそうにしてるものだからどんなことをしてきたんだろうって気になっちゃって……」
 そう言って頭を下げる礼美に、礼慈は「いや、まあ……」と手を振った。

「大したことじゃないんだ。ただ、ヒミツにするってことも含めての遊びだったってだけで――」

 そこまで言って、はたと疑問が湧いた。

「俺、そんなに機嫌良さそうだったか?」

 自覚としてはこの後に控えているリリの家族に対する事情の説明について考えるだけで気が重いのだが、礼美が言うには、

「まるで英君が遊びに来て一日中ゲームをしてた時みたいよ?」

 小等部のような機嫌の良さだった。
 本当にそんな状態なのだろうかと自分の顔を触っていると、礼美が伺うように言う。

「私のこと、許してくれる?」
「いや、そもそも俺たちの間でした約束を律儀に守ろうとしてくれてるリリに強引に迫るのを注意しただけで、別に怒ってるとは違うから」

 そう礼美に返すと、彼女はほっとしたように胸を撫で下ろした。

「リリちゃんもごめんなさいね。すごく美味しいご飯を用意するから、おばさんを許してくれると嬉しいわ」
「あ、はい。あの……わたしも、その、怒ってなんていませんから」
「優しい子。ありがとうね。ね、何が食べたい?」
「その、じゃあ、オムライスが食べたい、です」
「分かったわ。礼慈は?」
「俺は……同じのでいい。量も少なくていいから」

 後々胃が痛くなりそうなことが待っているのであまり食べるのは避けたかった。
 礼美は頷くと、「ちょっと待っててね」と調理場に姿を消した。
 それを見送った礼慈は、

「あー、すまんリリ。母さんも悪気があって問い詰めてきたわけじゃないんだ。気にしいなヒトでな」
「いえ、わたしも、いじわるだったので」
「いや、リリは秘密基地のことを秘密にするっていう約束を守ってくれただけだろ? 何も悪いところはないさ」
「でも、わたし、レイジお兄さまとのことはだれにもヒミツにしたいって思ってしまいました。きっと、約束がなくてもわたし、話すことはできなかったです」

 悪事を告白するようにそう言うリリを、礼慈は微笑ましく思った。

(あの秘密なんてただの景気づけくらいのつもりだったんだけど……)

 礼慈が軽い気持ちで言ったそれは、純粋な彼女には大事にすべきものであると認識されたのだろう。
 礼慈としても、やった行為はともかくとして、リリが律儀に守ろうとしてくれているこの秘密を意味も無く誰かに話す気はなかった。
 だから、

「それなら俺もそうだ。どこで遊んだのか、は俺たちだけの秘密だからな」

 秘密基地を思い出させてくれた英だって今のあの基地の様子は知らないだろう。“あの”秘密基地で遊んだことはそういう意味では本当に二人だけの秘密だ。
 二人だけの秘密という形にこだわり始めている自分を感じていると。リリが嬉しそうな顔をした。

「どうした?」
「いえ、レイジお兄さまが何かいいことがあったみたいでしたから」
「俺が……?」

 リリは首をかしげ、

「お兄さま、うれしそうなお顔をされているので……」

 そう指摘され、礼慈はまた自分の顔を触って確かめる。自分ではそんな機嫌が良いとか嬉しそうだとか言われるような顔をしているつもりはないのだが、たしかに、口端が上がっているような気がする。

「……怖くはないか?」
「え、どうしてですか?」

 自分の凶相に由来が分からない笑みが浮かんでいたらそれは怖いのではないかと思うのだが、リリはよくわからないというふうだ。
 魔物相手だとこのあたりの感覚が難しい。

「……あー、ほら、思い出し笑いをする人はエロいっていうじゃないか」

 そう言ってはぐらかすと、リリは「えろい……」と呟いて、

「それじゃあわたしもえろいヒトです! 楽しかったことを思い出すと笑っちゃいますから」

 そんな言葉に笑いなのかなんなのか、自分でもよく分からない声が礼慈の口から出た。

「礼慈……お料理持ってきたけど……」

 そのタイミングで背後から礼美の声が来る。
 今の顔を誰かに見せる勇気はない。とにかく一息ついて努めて顔を戻して礼慈は振り返る。

「ありがとう母さ――」

 礼慈の目にはカートに乗せられて運ばれてくる料理が見えた。

「はいどうぞ。たくさん食べてね」

 息子が絶句していることに気づいているのかいないのか。礼美は次々とテーブルに料理を乗せていく。
 リリがオーダーしたオムライス。それに加えてテーブルには鉄板に乗ったハンバーグに星やら動物やらの形に切られた野菜が盛られたサラダ。更にカレーのスープにケーキまでついていた。
 子供が大好きそうなものコースと名付けてもいいような代物だ。これだけのものをこの短時間でどうやって用意したのだろうか。

(いや、多すぎだろ……)

 自分の前には素直にオムライスのみが置かれているだけなのが幸いだが、デミグラスソースは胃に重そうだ。
 指摘したいところだが、ここでまた過敏に反応されてしまってもうひと騒動起きるのは避けたい。

「ごゆっくりね」と妙に上機嫌に調理場に戻る礼美を黙って見送って、礼慈は嬉しいけれど驚いた、といった風情で固まっているリリに言う。

「あー、食べきれないようなら言ってくれ。俺も手伝うから」

   ●

「あの……おなか、いっぱいです……」
「うん、そうなるだろうな……」

 残った料理を申し訳なさそうに見るリリに気にするなと言って礼慈は残りを平らげる。
 結局八分目になってしまった腹を撫でた礼慈は残したデザートのケーキを手に席を立って、母にケーキを持ち帰りように包んでほしいと頼んだ。

「あら、残しちゃった? 多過ぎたかしら?」
「リリは体が小さいから」

 そう応じながらケーキが包まれるのを待っていると、礼美が提案する。

「リリちゃんのご家族の分も用意しようか?」

 それはありがたい。
 リリに何人姉が居るのかと訊ねると、彼女は小首を傾げ、

「えっと……お姉さま方は二十人、ですけれど……」

 魔物は長生きで、人よりは一子を孕む確率は低いとはいえ、その生涯でかなりの子を生むらしい。リリの母親はかなり長生きなのだろう。

(完全に失念してたな)

 それだけの人数のケーキを持っていくのはちょっと大変だと思いかけ、質問の仕方が悪かったかもしれないと考えて訊き直した。

「こちらの世界に来ているお姉さんは何人になるんだ?」
「それでしたら六人です」

 こちらの世界に来ているのはリリを合わせて九人。これでも人間基準で言えば二世代でこれはなかなかの大家族だ。

「分かった。――じゃあ、その分のケーキを用意して持って行こう。そろそろ服も乾いた頃だろうから着替えようか」
「あ、はい。お皿を戻してからで」
「あら、うちはお店の人が片付けをするしきたりなのよ」
「というわけだ」
「そうなんですか」と頭を下げたリリの背を押すように二階に戻ろうとする礼慈へ礼美が声をかける。

「ケーキ、新しいのを外階段の方に包んで置いておくわね」
「ごめん。後でお金は入れとく」
「これくらい、素直に受け取っておいて欲しいかな」
「あー、うん。じゃあありがたくもらっとく」

 階段を登る背中にため息混じりの笑いが聞こえた。

   ●

 自宅に戻った礼慈は乾燥機から衣服を取り出してみた。服は乾いてはいる。
 が、

「しわが寄ってるところ悪いけど、アイロンはちょっとかけれないな……」

 こんなフリフリな服にどうアイロンをかければいいのかなど分からない。傷めてしまう可能性が高いだろうし、何をどうしたところで変な折り目をつけてしまいそうだ。
 受け取った服とソックスを抱えたリリは、「こうすればきれいになりますよ」と言ってエプロンドレスを振った。
 空気を孕んで生地が伸びる音が乾いた響きをもって洗面所に響く。
 すると、服からシワがなくなっていた。

「……マジか……」

 魔物謹製の服ともなればこれくらいのことは余裕ということだろうか。

「これで服については元通りになるな。俺は外で待ってるから、着替えたら出ておいで」

 言って自宅から出ると、外階段には既にケーキが用意してある。
 ワンホールのケーキだ。手土産としては格好がつくだろう。
(酒も……まあ抜けたか?)

 完全には抜けてはいないのだろうが、一食食べたし、シャワーも浴びた。臭いから飲酒がばれるということはないだろう。
 残留したアルコールに脳細胞が浸されている影響も、幸いなことにこれから待ち構えているであろうことを思うと一切感じない。

 準備はできた。
 後は挑むだけだと思っていると、着替え終えたリリが出てくる。

「きがえ、おわりました」

 エプロンドレスの彼女は夕方に公園で会った時のままの格好だ。違うことがあるとすればパンツをはいていないことと処女ではなくなったことくらいだろう。

「……うん、よし。じゃあ、行こう」

 胸に去来した様々な思いを振り切るように礼慈は手を差し出す。
 リリが握り返してきて、その感触に不安が和らぐのを感じた。

(自分がやったことなのに随分勝手だな)

 そう思いながら、礼慈はリリに言う。

「とは言っても俺はリリの家を知らないから、リリに案内してもらうことになるかな」
「あ、はい。あの、公園まで行ってくだされば、そこからはまかせてください」

 了解、と頷いて礼慈は公園に行く。
 夜に沈む公園は、街灯に照らされている。

 向かいにあるスーパーは営業時間を終えていた。
 活動的な人間は繁華街の方に流れている頃合いだろう。

 がらんとした駐車場を横目に歩いていた礼慈はそこで足を止めた。
 公園をぐるりと囲むようにして植えられた樹木の辺りから何やら物音がする。
 何か、喘ぐような息遣いも聞こえてくることから、そこで何が行われているのかは明らかだった。

 ある意味で活動的な人たちが居るらしい。

(タイミング的に仕事帰りに……って感じか)

 この奔放さは魔物たちが居る街らしいと思う。

(部活帰りに……とかは少数派らしいし、学園の魔物たちはかなり自制してるんだな……)

 その辺りも学園の行事に煽られて緩くなったりするのもしばしばなので、そういうメリハリを楽しんでいるのかもしれない。
 それはそれとして、リリに茂みで行われているだろう行為を見せるのは、ちょっと避けたい。

(小等部だしなあ……俺が言えたことじゃないけど。それに、見たら記憶消えるだろうし)

 狼藉を働いておきながら保護者として振る舞いたいのだろう自分を自嘲していると、リリが足を止めた礼慈に問いかけた。

「レイジお兄さま?」
「……あー、公園についたな。じゃあ、これからはリリに案内を頼もうかな」

「はい。よろしくおねがいします」

 リリは礼慈の手を引っ張って先に歩いていく。彼女が向かう先はなんとなく予想できていた通りに、繁華街からは遠ざかる方向だった。
 そして、この街に引っ越してきてからというもの、一度も訪れたことがない地域に礼慈は足を踏み入れた。

 明確に線が引かれているわけではない。だが、確実にある一点から家並みが醸し出す空気そのものが変化していた。
 道に並ぶ建物の数は減って規模が大きくなり、そうして並ぶ家々はもはや全てが屋敷と評していいほどの規模だ。

(貴族区画……)

 俗にそう呼ばれている一帯だ。
 こちらの世界を気に入った貴族階級の魔物たちが居を構えている一帯で、どの家もこの世界にとっては賓客だった。
 空気が違うのは、向こうの世界の文化の色を濃く残す建築様式からくる雰囲気の違いもあるが、ここに居るレベルの魔物となると常時発している魔力も桁が違う。
 一応人魔共学の学園生活を維持するためにこちらの世界に居る魔物たちは魔力の放出を抑え気味にしているようではあるが、高位の魔物が集まれば自然と量は増えてしまう。

 そのような場所なので、いち人間としては踏み込み難くもあるし、この一帯には商店などもないため、特にこっちに足を伸ばすような用事もなかったのだ。

(会長はパーティーでもするか? と誘ってくれていたけど……)

 婚活パーティーの流れになるのは目に見えていたのでのらりくらりと躱していた。
 進路をリリの牽引に任せてお上りさんのように家々の威容を眺めていると、牽引力が消えた。
 お? と思う間もなく、慣性で体が泳いでリリにぶつかる。

「っと、悪い」

 体勢を崩したリリを支えると、リリは「いえ」と返して、礼慈に塀を指差した。

「お家につきました」

 それは周囲と比べても頭一つ抜きん出た豪邸だった。
 どことなく古代の神殿のような趣のある塀がそびえている。先程から続いているこれは、全てリリの家の塀のようだった。
 リリが指差す場所はただの塀にしか見えなかったが、彼女手をつくと表面に光が走って観音開きに壁面が開く。
 周囲の家への配慮なのか、静かに開いた門扉を驚きの内に眺め、その驚きも冷めやらぬ内に見える庭の広さに絶句する。

(九人でも持て余すだろ、これ……)

 庶民感覚でそう思っていると、リリが手を引く。

「レイジお兄さま?」
「ああ、えっと、俺も入っていいのか訊いておこうか」

 インターホンを探すが、塀にはそれらしい設備はない。

「すみません。わたしのお家、インターホンはないんです」
「そうか」

『ええ、そうなんですよ』

 応える形で声が聞こえてきた。
 どこから、というものではない。周りの空気そのものを同時に震わせるようなそれは、体の全周を複数人に囲まれたかのような錯覚を覚えさせる。
 初めての感覚に戸惑いつつ、聞いたことがある声にリリが返事を返すのを聞く。

「お母さま」

 そう、電話で話したリリの母――ネハシュ・アスデルの声だった。

『おかえりなさい。リリ。それと、はじめまして、お兄さん』

 ネハシュの声はそう言う。と同時に庭が光った。

『せっかくご足労いただいたのにこのようなところで足踏みすることもございません。さ、中へお入りになって』

 声はそれで終わった。周囲の空気が元に戻ったような、そんな感覚を漠然と覚える。

「お兄さま、さ、行きましょう」

 リリが笑顔で手をとる。このまま中まで案内してくえるようだ。
 リリと共に魔力灯の光に導かれて庭を進む。
 庭には彫刻や石造りの舞台に二階建てのアパートのような建物が複数見受けられる。
 ライトアップされた噴水に歓迎の文字が光るのを見て、礼慈は何度目かの驚嘆のため息をついた。

 数分かかってようやく玄関ポーチにまで辿り着く。外から見えていた古代の神殿じみた建物が本宅で間違いないようだ。
 店が全て入るような大きさのポーチに呆れ、礼慈は来た道を振り向く。
 明らかに外から見た時よりも敷地が広くなっている。これも魔法のおかげなのだろうか。
 魔物というのはつくづくとんでもない。

 リリと礼慈が繋いだ手を横に目一杯伸ばして横に並んでも余裕がある扉に手をかけようとすると、逃げるように扉が開いた。

 内側は、文句なしの豪邸といったところだった。
 白を基調にした石造りの屋内には、外観から感じられる神聖な雰囲気とは変わって端々から生活感が滲んでいる。外観に圧倒されて嫌な汗をかいていた礼慈は少しほっとした。

「お邪魔します」
「ただいま……です」

 何故か礼慈よりも控えめに挨拶をするリリを見ると、彼女は手でメガホンを作って小声で、

「おそくなっちゃいましたから」

 言うが、入口からここまでの家の様子から帰りはバレているのだから腹を括ったほうがいいのではと思う。

「そうね、何も言わずに遅くなったのはよろしくないわね」

 声がして、廊下からひとりの魔物が現れた。
 長い髪はリリのそれより濃いめのブロンド。魔物全体に言えることだが、流石のスタイルの良さをもつ女性の体。それに、下腹部の辺りから艶っぽく光るエメラルドの蛇体が伸びていた。

 エキドナ。
 魔物たちの母とも言われる存在が、ゆったりとその姿を見せた。

「あ、あの……ごめんなさい」

 責めるようにじっと見つめられたリリが謝る。
 それからしばらくエキドナはリリを見つめていたが、やがて眉を緩めて力を抜いた。

「よろしい。そちらの方に先に説明をしてもらってもいましたからね」

 それで、と視線を向けられた礼慈は「お邪魔します」ともう一度告げ、

「鳴滝礼慈と申します。本日は遅くまで娘さんを連れ回してしまい申し訳ありませんでした」
「ネハシュ・アスデル。リリの母親です」

 ネハシュはそう言うと間を置かずに問いかけてきた。

「さて、本日はいったいどちらに遊びに出かけていたのですか?」

 柔らかいが、はぐらかされはしない。そんな語調だった。
 ここでは正直であろうと決めている礼慈はそれに正面から応えた。

「守結学園の裏山に行って遊んでいました」
「裏山に……?」
「ええ、あそこには――」
「あのっ! それいじょうはヒミツなの!」

 と、リリが割って入る。

「あー……リリ」

 このひとには伝えておいた方がいいだろうという判断なのだが、リリとしては納得いきかねるらしい。

「ヒミツなんだもんね?! お兄さま! ね!?」

 たしかに二人だけの秘密と約束した手前、そこから先を話すのはためらわれた。
 ネハシュはおや? という顔をして、それからああ、と頷く。

「秘密なら仕方がないですね」
「いいんですか?」
「“お兄さま”のことは昨日リリから聞いています。当初話に聞いていたよりも好感を持てる少年であるようで安心です。
 それにこの子が私に秘密にしたいことがあるというのならば、それは尊重してやりたくもあります。それにこれで――」

 ネハシュはそこではっとして、「私としたことが」と身を避けた。
 誘うように廊下に手を伸ばす。

「いつまでも玄関で立ち話もないですね。せっかく可愛い末娘が連れてきた“お兄さま”なのです。是非お話をさせてくださいな」

18/10/13 10:25更新 / コン
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■作者メッセージ
俺ならこんなダンジョン絶対に乗り込みたくはないです

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