連載小説
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ほっぺた落ちそうとか言いながら
「店長、助けてください!」

 レイチェルを抱いて店に飛びこんだとき、店長たちは朝食中だった。しかもベタに、奥さんが店長に「あーん」をしているタイミングで。だがレイチェルの様子を見ると、二人は即座に席を立った。
 奥さんは普段ののんびりとした姿からは想像できないほど素早く、クッションつきの椅子を並べて寝かせる場所を作ってくれた。俺は疲労した脚を励ましながら、ゆっくりとレイチェルの体を横たえる。寝息が顔に当たりくすぐったい。この状況でこんなことに胸を高鳴らせる自分が恨めしすぎる。

 続いて、俺は以前買った『魔王軍装備名鑑』の知識通り、彼女の鎧を脱がしていく。好奇心で買ったのだが、魔物の身につける物を紹介しているだけあって、むしろ夜のオカズになるような書物だった。魔界の技術で作られた、堅牢でありながら非常に軽量な鎧。これは機能性というよりも、戦場で屈服させた男とそのまま性交するために開発されたらしい。ご丁寧に図入りで説明されており、レイチェルにそのような行為をされる所を妄想したりもした。しかし書いてある知識は本物だった。もっともこんな形で役立つとは思っていなかったが。
 半壊した鎧を脱がせると、汗で肌に張り付いたインナーが露わになった。露出の多い恰好に加え、汗で布地が透けている。反応しかかったムスコをなんとか鎮め、深呼吸。
 店長が彼女の額に冷布を置き、奥さんが頬の汗を拭いてあげた。まだ目は覚めないようだが、顔に赤みが戻っている。
 ヅギさんの言った通り、大したことはなさそうだ……そう思い、俺はホッと一息ついた。

「シャルル、一体何があった?」

 一段落したところで、店長は真剣な面持ちで尋ねてきた。
 何処から話せばいいのか迷ったが、とりあえず兵舎を訪ねた辺りから、ヅギさんと一緒に憲兵隊から逃げたことまで全て話した。レイチェルが仇討ちでヅギさんに挑んだことも、サキュバスさんの大活躍も、全て。
 最後に、レイチェルを匿って欲しいと深く頭を下げる。多大な迷惑をかけるかもしれないが、とにかくレイチェルを助けたい。それには、2人に縋るしかなかった。

「いいさ。ほとぼりが冷めるまで、ここにいてもらおうや」
「そうですよ〜。し、シャルルくんの、た、大切な人なんですから〜」

 残りの朝食を平らげながら、2人とも笑顔で答えてくれた。こう言ってくれると信じてはいたが、それでも涙が出そうになる。そもそも流れ者の俺を受け入れ、雇ってくれて、料理を教えてくれて……。最早俺にとって、この2人は家族同然だった。

 ……この町の人たちは、みんな強い……レイチェルが漏らした言葉を、ふいに思い出す。人に優しくできることも、また強さなのではないか。このルージュ・シティには、苦境を乗り越え、平和に暮らせる新天地を求めてやってきた人々が大勢いる。奥さんとの出会いをきっかけに夜逃げしてきたという店長も、その一人だ。他にも、顔に火傷を負ったギター弾き、喉に傷を持つセイレーン、差別に苦しんできた屠殺人の兄弟……。辛い過去を乗り越え、あるいは乗り越えようと足掻いているからこそ、人の温かみの大切さを分かっているのだ。

 そしてレイチェルは、俺を強いと言ってくれた。

「店長、奥さん。ありがとうございます」
「おっ、『すみません』が『ありがとう』に変わったな。それでいいんだ」

 店長は満足げに頷き、俺の背中を叩く。相変わらず力加減はされておらず、軽くせき込む。
 何故だろうか、今なら少し、堂々としていられるような気がする。レイチェルを守りたい、強く在りたいという思いが、そうさせているのか。以前読んだ本に、「危機的状況で生き残る意思を持つには、守るものを持て」と書いてあった気がする。そうしなければならないという責任感が、自分を強くしてくれるのだろう。

 そんなとき、レイチェルが微かに声を漏らした。
 反射的に目をやると、微かに開いた瞼の隙間から、深いブルーが見えた。徐々に目が開き、吸い込まれそうな青の瞳が俺を見つめる。まるで最高級の人形のような、無垢な瞳だ。
 続いて、ピンク色の唇がゆっくりと動いた。シャルル、と。
 微かな、幻のような声で、彼女は俺の名を呼んだ。

「レイチェル、大丈夫?」

 そっと声をかけると、彼女は瞬きをし……

 いきなり上体を起こし、俺に抱きついてきた。

「うおっ!?」
「シャルル……シャルルゥ!」

 心臓が、破裂しそうになった。
 泣き出しそうな声を出しながら、俺の肩に抱きつくレイチェル。怖い夢を見た子供のように、夢中でしがみついてくる。普段の凛々しさの裏に、こんな一面があったのだろうか。そして今までにないほど、濃くて甘い汗のニオイを間近で堪能させられた。なにせ汗でじっとりと濡れたインナーが、俺の体に押し付けられているのだから、ニオイなどむんむんと漂ってくる。

「あ………ご、ごめん!」

 そして、終わるのも突然だった。ハッと我に返ったレイチェルは俺を放し、椅子の上に腰かける。頬を熟れた桃のように赤らめ、そっぽを向いているその姿は、何か俺の興奮を掻き立てるものがあった。初めて出会ったときと似ているのだ。シチューの熱さに驚き、俺の視線に顔を背けたときの表情。これで一目惚れしたなんて言ったら、彼女はどんな顔をするだろうか。
 だがとりあえず、まず言うべきことは別にある。

「レイチェル、怪我は無い?」
「……私は……」

 レイチェルは周囲はぼんやりした声で呟く。状況が把握できていないのだろう。床に置かれた自分の鎧、店長、奥さん、俺を順番に見回す。
 目があった瞬間、俺はやろうとしていたことを思い出した。

「店長、台所使わせてもらいます!」

 すると、店長はにやりと笑った。

「よし。ミンス、その間に風呂入れてやりな」
「あ、はい〜。た、立てますか〜?」
「え……あ、あの……」

 レイチェルは軽く混乱しているようだ。そもそも自分が何故助かったのかすら、理解できていないかもしれない。遺書まで残していたのだし、完全に死ぬ覚悟だったのだろう。
 奥さんの肩を借りて、彼女はおずおずと立ち上がる。そのまま前に数歩踏み出し……ちらりと、俺の方を振り返った。

「ご飯、作っておくから。とりあえず、今は休みなよ」
「……ああ。すまない」

 レイチェルの声は弱弱しく、切ない。こころなしか、青い瞳までもが色あせているかのようだ。ミンスさんに支えられながら浴場へ向かう後ろ姿も、妙に頼りない。あの凛々しくて格好いいレイチェルが、こんなにも弱弱しくなるものなのか。魔界の騎士デュラハンと言えど、やっぱり俺と大して歳の変わらない女の子なのだと、今更ながら実感した。
 ふと、彼女の残り香が鼻をくすぐる。何と言うか、上手く表現できないニオイだが、レイチェルのものだということははっきり分かった。これでも彼女のニオイだけは散々嗅いで来たのだ。さっき抱きつかれたときに深呼吸しておけばよかったと躊躇いも無く思うほど、俺はこのニオイに夢中になってしまっている。

 ‐‐さて、と!

 自分の両頬を叩いて気を取り直し、俺はキッチンへ足を踏み入れた。
 料理人の戦闘服たるエプロンを身に着け、手を綺麗に洗う。作るのは……チーズ入りオムレツ。やはり卵料理に拘りたいわけだが、今回は今までとは違う。彼女に食べてもらうための、鍵を手に入れたのだから。

「シャルル、ミンスのミルクを使え」
「ありがとうございます」

 卵を割り、ボウルに入れる。全部で三つ。
 鮮度の高い卵は卵黄がこんもりと盛り上がり、生命力を感じさせる。
 店長からお達しがあったので、保冷魔術のかかった箱から奥さんのミルクを取り出す。濃厚で栄養の豊富なホルスタウロスのミルクを、ボウルに適量注ぐ。

 ここからが勝負だ。
 卵に少量の胡椒を振りかけ、続いて塩。
 俺は袋の中に手を入れ、指先に全神経を集中させる。ほんの少し、いつもより少しだけ多く……塩をつまみ取る。

 それをボウルに入れ、一気にかき混ぜる。卵を切り裂くように、素早く。
 卵白、卵黄、ミルクの色が溶けあい、ボウルの中でうねる。

「……予想外のことになっても、答えは見つかったみたいだな」

 店長が満足げに言った。やはり、店長の示してくれた答えはこれだったのだ。

 塩分は多くの生物にとって、必要不可欠な存在。為政者が塩に税をかければ、塩の密売人などという商売が成立するほどだ。そして、レイチェルは非常に汗っかき。しかも毎日運動している。足りなくなった塩分を、体が求めていたのだ。恐らく店長は彼女が真面目な性格で、日々訓練に勤しんでいることから予測したのだろう。彼女と何度も会っていながら気付かなかった自分が、情けないくらいだ。

「店長が仰ったように、もっと観察しておくべきでした」
「いや、お前は食材を見る目は確かだし、観察眼は大したもんだ。ただ相手が女の子だと、食材と同じようにはいかないさ」

 女ってのは謎の塊だから、と店長は付け加えた。奥さんとバカップルぶりを披露しつつも、やはり女性からミステリアスなものを感じていたらしい。

 ‐‐俺だけじゃないんだな……。

 そう思うと、不思議と愉快な気分になってきた。
 素早く、切れ味よく卵をかき混ぜる。この店で俺の料理を食べる最初のお客様のために。

 ただひたすら料理に集中していく自分に、俺は確かな悦びを感じていた。
 こういう感覚を、職人魂というのだろうか。


















 … … …

「風呂から出てきたから、テーブルに座らせておいた」

 オムレツが出来上がった頃、店長がそう告げた。
 艶やかな光沢を持つチーズ入りオムレツに、鮮やかなトマトソース。千切りにしたキャベツに、パン。これ以上ない仕上がりになったはずだ。
 後は、彼女が食べてくれれば……。

「ミンスがまた具合悪くなったみたいでな、ちょっと病院に連れていく」
「分かりました。お気をつけて」
「……上手くやれよ」

 拳を握り親指を立て、店長はキッチンから出て行った。
 上手くやれ、というのは料理のことではない。俺でもそのくらいは分かる。悩み、思いつめ、お姉さんの仇を討てなかったばかりか、その仇に生かされたレイチェル。彼女の心がどうなっているか、正直察しきれない。
 だが、そんな彼女を助けるのは俺だ。彼女に抱きつかれ、名前を連呼されて、今なら自信を持ってそう言える。
 俺の料理が人を幸せにできるか。それを試すときなのだ。

 オムレツを乗せた盆を片手に乗せ、一歩、二歩と踏み出す。
 ドキッチンのドアに、空いている方の手をかけ……開いた。


「……シャルル」

 着席したレイチェルが、何か言いたそうな、頼りない声で俺の名を呼んだ。風呂に入って汗はサッパリと流せたようだが、未だに表情は暗い。

 だが俺は、それよりも彼女の服装が気にかかった。恐らく身につけている衣類全てが汗だくで、奥さんの服を借りたのだろう。しかしホルスタウロスというのはもともとあまり服を好む方ではないらしく、奥さんはあまり衣類のバリエーションを持っていない。だから彼女が借りた服も、キャミソールに短パンというラフなものだった。露出した太腿に目が行く。
 しかしそれ以上に、胸元が気になる。レイチェルの胸は大きい方だが、ホルスタウロスほどではない。つまりキャミソールの胸元のサイズが合っておらず、『ポロリ』しかかっているのである。

「あ、これは、その……あまり見ないでくれ……」

 俺の視線に気づき、レイチェルは真っ赤になって胸元を隠す。それでも、『見えそうで見えない』胸元は究極の視線誘導装置だった。これは仕方ないと思う。
 気まずい状況になってもいけないので、とりあえず話を進めることにした。

「えーと、レイチェル。オムレツ作ったんだ。とりあえず、食べてよ」

 お盆をテーブルに置き、皿を彼女の前に差しだす。
 レイチェルは少しそれを見つめた後、ナイフとフォークを手にした。いただきます、と小さな声で呟き、ゆっくりとオムレツを切り分ける。ふんわりとした卵に包まれ、とろりと溶けたチーズが姿を見せた。これも奥さんのミルクで作った、自家製チーズだ。

 チーズの糸を引きながら、銀のフォークが黄金色のオムレツを運んでいく。
 唇の向こうにそれが消え、ゆっくり咀嚼する彼女の頬に、目が釘付けになる。

 そして。


 突然、レイチェルの目から涙が零れた。

「れ、レイチェル!?」
「……しい」
「え?」
「美味しい。凄く……」

 オムレツを飲み込み、レイチェルは涙声で言う。腕で涙を拭い、ようやく笑顔を見せてくれた。
 これだ。これが、俺の待ち望んでいた笑顔。美味しい料理を食べて、無条件で幸せな気分になれたときの笑顔だ。料理人の求める、至高の宝。
 レイチェルは夢中でオムレツを頬張り、パンを齧る。朝食も摂っておらず、相当空腹だったことだろう。見ている間に皿の上が片付いていき、パンも小さくなっていく。

「……シャルル」

 オムレツがあと一口分になったとき、レイチェルは再び言葉を発した。

「私のことを、レイチェルと呼んだよな?」
「あ、うん。なんか、それでもいいんじゃないかと。……嫌?」
「な、何を言っているんだ。そもそも私がシャルルと呼んでいるのに、ずっと『隊長さん』なんて呼び方をして……」

 何か照れくさそうに顔を背け、それを誤魔化すかのように残ったオムレツを口に放り込む。皿の上が、僅かに残ったトマトソースを除いて真っ白になった。
 レイチェルはゆっくりと味わい、飲み下す。

「美味しかった?」
「ああ、ほっぺたが落ちそうだ」

 先ほどまでの暗い表情が嘘だったかのような、朗らかな笑顔を浮かべるレイチェル。本当に可愛い。そして何よりも、俺の料理で彼女を笑顔にできたことが何よりも嬉しい。
 後は、俺の思いを伝えるだけ……。

「シャルル、その……」
「ん?」

 ふいに、レイチェルは立ち上がった。もじもじと俯き、目をぎゅっと閉じる。顔は相変わらず真っ赤だ。普段の騎士の顔ではない、ただの女の子の顔だ。胸元は相変わらず、見えるか見えないかの状態を危うくキープしているが、それを隠すのさえ忘れているようだ。「その、ええと……」などの言葉を途切れ途切れに呟きながら、体を震わせている。

「あの……ご、ごちそうさま!」

 そう叫んで、礼をした瞬間。


 レイチェルの首が、テーブルの上に落ちた。


11/09/19 19:54更新 / 空き缶号
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■作者メッセージ
美味しくてほっぺた落っこちそうとか言ってたら、首が落ちちゃうことってよくありますよね?

早ければ明日、遅くとも明後日には最終話投稿予定。

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