連載小説
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21日〜24日
・8月21日
『天気:雨
 今日はエル、妹様、母様3人とも屋敷におり、さらには今日は業務をやらなくていいとの命令が下りたので私は部屋から一度も出なかった。母様も昨晩から今日に至るまで一度も寝室から出てこないということだ。ワーシープの枕が余程強力であったのだろうか、真相は定かではない。
 最近になってまた私は考え事が増えたような気がする。ただの無機質なゴーレムが考えることなどあるのだろうかと思うが、私の脳裏には一つの大きな疑問がぐるぐると回り脳裏に映っては消え映っては消えの繰り返しであるのだ。
 それは、私。私自身の存在のことである。
 今現在私は、エルによって研究跡地から摘出されこの屋敷の使用人兼エルの従者として存在しているのは私自身でも確認できる。その事実は誰が聞いても確かなもので、私が断言できよう。使用人として屋敷の掃除を執り行い、食料品の買出しに出かけたり、時に従者として主人の為に尽くしサポートしたりもする。時には、エルに褒美(無論精である)を貰ったりもする私が使用人でないはずがない。
 だがしかし、私が使用人である。そう肯定付けるのには一つの大きな矛盾が立ちはだかるのは言うまでもないだろう。
 私は元々使用人や従者になる為にこの世に創り出された存在ではないはずなのだ。今の生活はエルがそのようの命令しただけであって、エルが私を創り出したわけではないのは私でもわかっている。

 私は何の為に創られたのか。

 その途方もなく巨大で解くことのできない難題が私の脳髄プログラムの中を駆け巡り、思考しては消え、解決したかと思ってはエラーの繰り返しである。私が自分という存在を自我で認めたとしても、意識の深層つまりは無意識の領域でその存在を否定してしまっているのだ。
 無意識というものは並大抵に理解できるものではない。例えるならば、一日何回瞬きしたのかを意識せずに数えることなく言い当てたり、数十年も昔に友人が言った何気ない一言をふと思い出したり、集団で歩いていたらいつの間にか最後尾になっていることがよくある等だ。
 それほどまでに無意識という思考回路は読み取るのが難解であり、定義付けができないのである。私はその無意識というものに今の自分の存在を否定され、使用人としての私を定義付けられないのだ。
 結論を言ってしまおう。
 私という存在は一体いかなる事象をもってしてこの世に創り出され、この世に存在しているのか。その意義が私にはわからないのである。
 前にも言ったかもしれないが、人間は生活を楽しみ、戦い、恋をし、子孫を残し、家族をつくり、そして次の世代へと繋いで行く生物である。人間に限ったことではない、この地球という星に生きる全ての生物はそうやって原始の時代から今の時代まで生きながらえてきたのだ。
 だが、私はどうだ。感情が損失していることにより、楽しむという感情が沸かない。悲しいという感情が沸かない。生きたいという感情すらない。挙句の果てに、魔物娘という立場におきながら、好色とは言えず、子孫を残す生体機能も備わっていない。
 私は生きていながら死んでいるのだ。
 確かに先日のセックスは気持ちのいいものであった。身体の奥底から沸き立つどろっとしたマグマのような粘り気のある目には見えぬ何かがあるということまでわかった。だが、それが本当に気持ちいいという感情なのかがわからないのだ。もしかしたら、これは私だけが感じることのできる別の快感なのかもしれない。本当の快感というものはもっと別な感覚なのかもしれない。しかしそう思っても確認する手立てすらない。
 私が今思っているこの言いようのない感覚は果たして感情と言えるものなのかそうでないのか。他人の感情を読めるのならば難しいことではないのだが、無論そのようなことは無理である。
 私の存在意義とは一体何なのだろうか。
 私の無意識が否定することのない自身とは何なのだろうか。
 それはきっとエルにはわからないことだろう。私でもわからぬのだ、エルにわかるはずもない。

 私は自分自身を解明させ、自分自身の存在と決着を付ける為に少し屋敷を離れようかと思う。もちろん行き先は例の私が試験管に詰められていた研究跡地だ。私が創られた場所ならばもしかすると、私の素性の手がかりが見つかるかもしれない。
 業務の手伝いが減って母様はお困りになるかもしれないが、こればかりはどうにかして解決しなければならない重大なことであると私は直感した。私自身が自ら思い立ち行動しようとした始めての行動が自分探しとはまったくもって情けない限りである。だが、そうやって自ら思い立つという思考回路に至ることはもしかしたら感情が少しばかり発達した証拠なのかもしれない。感情というものが相変わらずわからないので、確認の仕様がないが、そうであって欲しいと願うばかりである。』

・8月22日
『天気:晴れ
 置手紙を書き、いざ出発と奮起したところで運が良いのか悪いのかばったりとエルに出くわしてしまった。どこか行くのかと問われたので買出しに出かけると言いたいところであったが、ゴーレムは主に絶対主従の存在であるが故に嘘はつくことができない。
 誰にも告げずに一人で出発しようとしていたのだが嘘のつけない私は、正直に研究跡地に発つところであったと言ってしまった。嘘はつくことができないので言わざるを得なかったという表現の方が正しいか。
 絶対に反対されるとシュミレートしていた私は、エルが次に発した言葉が意外で仕方がなかった。

「おぉ、俺もユミルの作られた意味ってのは結構気になってたんだよな。いつ行くんだ?」

 私があれほど悩んでいたというのにこの主人はそれをいとも容易く吹き飛ばしてしまいそうで、私はエルの事を半分は《あきれ》、半分は《逞しい》と思った。研究者には二つのタイプがあり、一つの物事に没頭するタイプと、色々なモノを広く浅く手を出すタイプとがあるが、エルは明らかに後者であると私は認識するのにそう時間はかからなかった。
 すっかりやる気が吸い取られてしまったようなので、出発は明日にし今日は明日のためのリペアをエルと私とで行うことにした。よくよく考えてみれば私がこの屋敷に使用人として来たとき以来一度もリペアを行っていなかったのでこれが初の行為となるのでいい機会だ。行為といってもただのリペアだ、勘違いしてはいけないぞ。
 エルは片手にルーン辞書を手に取り、もう片手で私の肌に直接ルーンを刻んでいる。私の左腕にエルの手が触れ辞書を睨みながら必死に書いてくれている。そう考えるだけで、私はこんなにも大切にされているのだと新たに実感するのだ。やはり私は私自身、そしてエルの為にも自分の素性をはっきりとさせなければならないと改めて思うのであった。
 エルがルーンを書き終えると、私の左腕は肩からごとりと床に転がった。一見するとホラーに見えなくもないが、これはリペア即ち修理であるとしつこいようだが言い直しておく。何も知らない一般人がこの様子を見るとただの猟奇的な殺害現場としか言い表すことができないだろうが、これはリペアである。
 私の落とされた左腕をエルがチェックしている間に私は自分の左肩断面をチェックしてみた。特に何の支障もないようなのだが、ふと今更になってある疑問に気が付いてしまった。ゴーレムというものは製作者によって作られた石と泥の人形である。なのだが、まったくどうして私の身体には泥らしさや土臭さというものが一切なく、逆に人間の臓器をそっくりそのまま作り出してしまったかのようなリアリティに溢れているのだ。腕の断面には中心に骨のような芯があり、周辺には筋肉のようなスジが所狭しと敷き詰められている。身体に流れている血のような赤色の液体は、大気に触れるとすぐさまゼリー状に固まり断面を覆っている。おかげで液体が噴出するということはないが、それにしても血液に似過ぎている。これで臭いが鉄の臭いだと完全に血液と間違えてしまいそうなほどだ。私を創った前マスターは相当悪趣味なのではないのだろうか。
 何故私が石と泥でできていないかなど今更考えてみても意味はない。なぜなら、そう考えるよりも早い間に出発して私の正体を証明させたほうが余程早いだろうからだ。考えてもわからないことは自分で答えを追求するべし、と教えてくれたのはエルだったな。
 左腕、両足全てのリペアが問題なく終わるころには既に時刻は夕方を回り、太陽が山の頂上にすっぽりと隠れてしまっていた。今日はリペアのせいでろくな時間も取れなかった、いや元々今日出発するはずであったな…まぁよい。準備は石橋をたたいて渡るほどに念入りであるほうがよいのだ。
 エルとも2、3日合えなくなると思うだけで《口惜しい》と思ってしまう。心にぽっかりと大きな穴が開いてしまったかのように冷たい風が吹き荒び、言いようのない孤独のようなものを想起してしまうあまりだ。私はこれほどまでに、エルのことを大切に思っていたのか。出会ってからまだ一月も経っていないというのに、この感覚は生まれてから今の今までずっと一緒にいた兄弟のような、恋人のような感じさえする。ただの使用人である私が、恋愛感情など抱いてはいけないはずなのにエルのことを想起、メモリーで具現化するたびに回線が逆流し下腹部に熱が溜まる現象が起きてしまう始末だ。やはり私もれっきとした魔物娘なのだな。身体機能が回復してきたのか、暇さえあればセックスのことを考えている自分が今となっては、その状態が普通だと思ってしまった。以前の私であれば考えられぬことであっただろう。
 だがこれでいい。これでいいのだ。私が自分自身の正体を知った暁には、全てを話し、全てを受け入れてもらい、そして最後にはセックスができればそれでいい。エルにプロポーズなんていうものをしてしまうのもいいかもしれないな、ふふ。おっと、聞かれてないよな。』

・8月23日
『天気:晴れ
 アーアーテステス。今私は上空1000メートルを時速100キロで飛行中。屋敷にいない間は日記形式ではなく、実況という形で録音することにする。雑音はノイズキャンセリング機能搭載なので問題はないはずだ。
 今から2時間ほど前、午後9時に私は屋敷を出発した。見送りにエルが、妹様と母様を起さないよう付いて来てくれたのは《嬉し》かったのだが、私の高出力飛行装置の爆音のおかげでその心遣いはまったくの無意味となってしまって、結局妹様、母様、エルの3人に見送られるという形になってしまった。まぁ悪い気はしない。寧ろ心地よい気分だ。妹様とは完全に和解し、今では私がサキュバスである妹様から性技を教わっている有様であり、母様は母様で魔物など恐れるそぶりもなく逆に興味津々であるのだ。母様はそんな御方であったであろうか。ワーシープの枕をプレゼントしてからというもの、最近睡眠時間が異常に増え、また女の私が言うのもなんだが少々色っぽさというか、艶かしさというものが漂ってきているような気がする。私の気のせいだと信じたい。
 話がそれてしまった。今私が向かう地は、前マスターが私を創り上げ、コールドスリープを施した研究跡地である。場所は私のレーダーですぐに感知できたので大丈夫だ。年中かけて人通りは皆無の地である裏山の深奥部にレーダーは反応した。このままの速度で行けば1時間かかるかかからないかの距離にあるのが一番の驚きであり、よく今の今までいかなる存在の進入も許さずひっそりとたたずんでいられたのかが不思議なくらいである。
 そういえば、今になって知らされた事実が一つある。これには私も驚いたが、エルが私を連れ出したことについてだ。エルはあの日、私を連れ出したくて連れ出したわけではなく、自分でも気が付かない間に私を見つけ、試験管を壊し、一人で屋敷まで運んでいたというのだ。何を言っているのかわけがわからなかったが、エル自身もわけがわからないらしい。
 というのもエルが私を始めて肉眼で見たのは、エルが研究跡地から私を解凍し運んできた1日目ではなく、屋敷に連れてこられた私、即ち2日目だというのだ。エル曰く、1日目の記憶はなぜか曖昧であり、気が付いたら泥だらけの格好でベッドで死んだように寝入っていたという。ふと目を覚ましてみると目の前にゴーレムがいて死ぬほど驚いたとか。
 はたしてこれはどういうことなのだろう。エルは私を運んだ記憶がないと言っていたが、確かにあの日私を解凍し運んでいたのはエルであった。確かに、あの時のエルは言葉を発せずただ黙々と私を運んでいたのは今でも思い出せるし、少々薄気味悪い印象はあったので気にはなったが、そんなことは気になる程度で収まる。もしかするとこれも無意識の一部のなのだろうか、夢中夜行の奥底で身体が自然と意識せずに動いてしまったのか…いずれにせよこれも私の正体と同じく謎である。私のシュミレートではエルが無意識で私を運んだという結果のみが弾き出されたが真相の定かではない。
 おっと、戯言を述べている間にいつの間にか目的地の真上上空に来てしまっていたようだ。辺りを見回してみると驚くほどに緑色一色であり、目に映るのは山と空のみである。私が来た方向とは真逆の方角には、先日陥落したらしい教国が米粒ほどに小さく見え、そちらの方角だけはどす黒い暗雲が空を覆っていた。
 とりあえずは下りてみよう。実況方式として録音しているが普段となんら変わりが見えないのが少々疑問だが特筆気にかけることではない。高度を徐々に落とすにつれ地上との距離が詰まってくる。野生のハーピーやフェアリーなどは私のことを不思議そうにジロジロと視線を送ってくるが、それらにかまっている余裕などない。彼女らとてゴーレムと相手などしたくはないだろうしな。
 地上に無事着地するといよいよもってして研究跡地が眼前と広まった。石と鉄で作られた無機質な建造物であるのが目に見えてわかり、外部との接触を排他的に表現しているようである。外壁はところどころ剥がれ落ちており、壁の役割を全うできていなかったがそれでもこの研究跡地は堅牢な造りであることは材質、建造方式、配置などを見たら一目瞭然である。
 ひとまずこの研究跡地を一週回ってみよう。どのくらいの規模の建築物であるのか確かめる必要がある、それにより内部の探索時間に関わってくるからな。残エネルギーはあまり無駄に消費したくないので、できるだけ捜索時間は多めに確保したいところである。
 しかし…何か奇妙だ。ここまで森の奥深くとならば必然的に樹木や植物は生育してもよいはずなのだが、ここら一帯だけはなぜか植物が生えていない。いや、植物だけではない。鳥も虫も、動物も、全ての命あるものがここ一帯にかけて存在していないかのような気さえする。まるでこの研究跡地を避けているかのように植物は避け、羽虫や鳥類は旋回し、嫌気しているようだ。もしかするとこの建造物の周囲には結界のようなものが張っており、何人たるものを避けるように細工しているのかもしれない。もしかすると、研究跡地には触れてはならない禁忌が存在し、森の動植物はそれに気づき畏怖嫌厭しているのかもしれない。どちらにせよ、気をつけなければならないことには変わらないようだ。
 と、気が付いたら一周してしまった。どうやらさほどこの研究跡地の敷地は広くない様で規模もさほど大きくないと見える。それか地下に続いているかという可能性も考えられなくもない。
 アーアー。それではいよいよ内部の捜索を開始する。荷物は…緊急用の経口魔水液に、マシンオイルに、あとは例の紅色の書物「ルーベリアの叡智ある大理論」。よし、大丈夫だ。もしかしたらこの書物の手がかりも何かわかるかもしれないしな。傷つけないよう丁重に扱おう。私を創った前マスターは何者なのか。何故私を創ったのか。そして、ルーベリア氏の暗号には何が書いているのか。全てはわからずともせめて何か手がかりだけでも収穫したいものである。
 鉄格子で造られた門は錆びついているようで、軽く力を加えると呆気なく崩れ落ちた。さて、では捜索を開始しよう。と、その前にもうすぐ日付が変わりそうだ、日付が変わったら実況を再開しよう。』

・8月24日
『天気:未明なので不明
 どうやら私の推測は正しかったようで、研究跡地の内部は地下がメインであるらしい。地上の方は捜索してみたものの研究に関わる書類も物品も何も存在せず、空洞の部屋が2,3室あるだけであった。貴重な時間がもったいない。こんなことならば事前にエルに内部構造を聞いておけばよかった…いや、駄目だエルは研究跡地での記憶がないのだった。
 …ん?エルは研究跡地での出来事を覚えてないというのに、研究跡地に行っていたということは覚えているだと。今にして考えてみるとこれはとてつもない矛盾ではなかろうか。覚えていないが記憶している、知らないはずが知っている。一体どういうことなのだろう。夢中夜行の中で行った現実の出来事を無意識の深奥に追いやり自らの記憶を意識外へと弾き飛ばしたのか…ううむそろそろ私の回線も処理が追いつかなくなってきそうだぞ。
 地上の内部構造は小さな小部屋が3つあるだけであり、そのどれもが研究を行うにはまったく無関係といった生活観溢れる廃屋であった。薬品の瓶もなければ機材や文献すら見受けず、本当にここが研究跡地であるのか疑いたくなるほどだ。壁は所々崩れ落ち、その隙間からは暗闇の中星空が光り輝いているのがよく見える。
 毎日聞いているはずの鳥の囀りや、虫のさざめきはこの場所からは何も聞こえない。数百年も経ち廃屋と化したこの場所は動植物が居座るのは絶好の場所であるはずなのに、一切生命の気配すら感じられないのは些か不気味に思えてきた。壁も床も天井も、苔の一つ存在せず蔦も同様に存在していないところを見ると、本当にこの場所は生命を拒んでいるように見えるようだ。
 地上では特に収穫はないので早々と地下へと向かおう。

 カツン
 カツン
 カツン
 カツーン……

 辺りの音が一切ないおかげで、階段を下る音がより鮮明に響き渡る。静寂と暗闇に包まれた回廊は地下へ地下へと続いて行き、底が見えぬ暗闇は闇の深淵に引きずり込まれそうな錯覚さえイマジネーションしてしまいそうだ。また、不気味なほど静まり返った静寂は逆に静けさのプレッシャーを与え無言の圧力を加えてるような感覚に陥り、気を抜けば足を踏み外してしまいそうになる。ある程度進んでゆくと、一切の光が消え去り完全に周囲は暗黒に包まれてしまった。前も後ろも上も下もわからないほど深い暗さで、唯一私がわかるのはただ下へ下へと歩いているということだけだ。エネルギーの消費が激しくなってしまうが今は夜光カメラ式眼でどうにかなっている。
 それからも歩き歩き歩き続け、永遠かと思われる長い階段は終わり地下へとたどり着いた。
 ここは地下のはずだが…おかしいな、天井から光が注がれている。外はまだ深夜のはずなのだが、何故天井から光が注がれているのか。いや違う、これは光が注がれているのではなく、発光しているのか!ガラス球のような小さな物体が天井からぶら下がり、そこから太陽のような光が発せられている。これはすごい…ランプや暖炉のように燃料を使わず光を発する装置がこの世に存在するとは、私はもしかしたらとてつもないものを見つけてしまったのかもしれないな。
 地下に入って正面に見える大きな扉の先を進むとそこにはまさに、私の追い求めているものがあった。
 机に散らばった書類の数々、棚に積み上げられた薬品、数多の機器とパイプ、そして割られている巨大な試験管。疑うことはない、ここが、この場所が私が眠っていた場所なのか…
 468年もの間凍結させられ何時目覚めるかもわからぬまま時を彷徨っていた時期。意識はなかったので実際体感していたのは一瞬の時間であったが、それでも私は約4世紀半誰にも気づかれることもなくひたすらに眠っていた。約一ヶ月前まではこの場所にいたというのに、改めて訪れてみると随分と《懐かしい》ような気がして感傷に浸ったりもしてしまう。エルに解凍された時は意識が朦朧としていてはっきりと情景を覚えていなかったが、今ならわかる。
 私は戻ってきたのだ。
 私はこの場所で創られた。ということは私を創り上げた前マスターもこの場所にいたということだ。この研究室には何か重要な手がかりがあるかもしれないので、念入りに調べつくしてみよう。
 まずは、薬品でも見てみるか。棚には百数種類以上もの薬品が所狭しと並びそろえられ、どれもどれもが見たこともないものばかりである。エルの工房にも薬品は置いてあったが、今手に取っている薬品はエルのものとは比べ物にならないほど不気味で用途不明であり、そして美しかった。まるでこの世のものとは思えないような色を放つ液体や固形物はどれもが見たこともないものであり、本当にこの世に存在している物質なのかどうかすらも怪しく思えるほどである。
 薬品の次は機器とパイプだ。正方形の箱形をした機器からパイプが伸びているのだが、そのパイプは試験管へと繋がっていた。ということはさしずめこの機器は試験管の内部を調節する機器といったところか。数を数えるのも面倒になるほどのスイッチやボタンが配置されており、初見で動作を理解するのは明らかに不可能だろう。
 パイプを伝い試験管。激しく割られているのはエルが私を解凍する再に叩き割ったもので、未だに足元にはガラス片と鉄くずが転がっているので、やはりあの日から誰も侵入していないようだ。試験管の内部は上下に網で覆われたプロペラが設置されており、どうやらこのプロペラで試験管内部を循環させていたようだ。
 …ん?よく観察してみると試験管の正面に腰の大きさほどの石版が立っている。あまりに大きな試験管に見とれて麓の方までは目がいっていなかったのだ、無理もない。石版には文字のような規則性のある彫刻跡があったが風化して読むことはできなくなっていたが、それよりも私はもう一つの方の削りもののほうが気になる。
 それは…手形?
 石版の一番大きな正面部分にはよくわからない羅列と共に程よい大きさの手形が彫られていたのだ。人間の男性用にしては少し小さいようなサイズであり、どちらかというと女性用のサイズである手形は私の目の前に無言で鎮座しているのみである。
 羅列も読むことができないのでとりあえず者は試しということで、手形をはめてみることにした。

 カチッ

 !!!!?手が外れない!?固定されたのかッッ!?!?
 くそっ放せッッ!!外れんか!!!

 バババババリリバリリリリ
 バチッ

 ……なんだその電極は!!や、やめろっそんなもの当てられたらショートしてしまうだろうが!!!
 くそっっぉ!!外れろ外れろ外れろ!!!
 やめっ―――――アッ――――』  
12/01/17 17:14更新 / ゆず胡椒
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■作者メッセージ
急激な温度変化についていけないゆず胡椒です。

さて、今回の日記は物語の核心に近づくための前菜と思っていただければ幸いです。
特にヤマナシオチナシの文がだらだらと続いていただけですが、ここまで読んでくださった方はまことにありがとうゴザイマス。

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