読切小説
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神父と娘に祝福を


 がたんという大きな物音で私は目を覚ました。頭を動かさずに眼を左右に向けると、立派とはいえないものの頑丈な造りの馬車の内装が目に入る。
 この状況に対する軽い混乱を覚えていた私だったが、街から村への帰路の途中であったと思い出し、音を立てないように気をつけながら溜息を吐き出した。
 決められた規則や管理された時間で行動し清廉潔白な人生を送るのが信条である主神教の、しかも模範となるべき神父である私とした事が居眠りをして仕舞った様だ。
 今までどんなに眠かろうとベッドの中以外では眠った事が無かったというのに、こんな失態を犯してしまうとは主神様に申し開きの仕様が無い。
 眠気を追い払うように片手で顔を撫で下ろしてみれば、そこには深く刻まれた皺の数々が触覚を通して私の手に伝わってきた。
 自分の顔はこんな風だったかと考えつつも、どうやら押し寄せる年波には私にも勝てないらしいと軽く笑ってしまう。
「ちょいっと運転が乱暴でしたかい?」
 視線を声のした方へ上げると、そこにはまだ歳若い御者の姿。
 その溌剌とした姿に、いま帰るあの村へ私が派遣されたのはこの位の頃だったなと思いを返す。
「神父さん?」
 視線は進行方向へ向けたまま、ちらりちらりと此方が生きているのかを伺う青年に、私は本当に耄碌してしまったのだなと思わず感慨深くなってしまうものの、この青年に言葉を返さなければ失礼になる。
「大丈夫ですよ。それに君は私の事など気にせず、手綱を操る方を気にしなさい」
「はぁ……」
 出来るだけ優しい声色を使いはしたが、どうにも神父という職業柄で言葉の端が説教臭くなってしまう。
 これでは清く節度を保った生活へと導く主神教の神父として失格もいいところだ。人々が欲しがっているのは偉そうに説教をして信者を死地へ送り出す教団中核派の馬鹿ではなく、手を取り共に茨の道へも歩んでくれる同行者だというのに。
 そんなことだから死を指折り数えて待つ身になっても、いまだに神の声を聞くことが出来ないのだと、この歳になるまで何度と無しに繰り返した自己批判をもう一度繰り返した。
 



 昼頃には到着した村の入り口で、私は何時もの通りに馬車を降りた。
 御者台に居た青年は私が杖を突いている老人だからか、親切に馬車に積んであった私の荷物を取り外してくれ、しかも嬉しい事に村の中まで運ぶとまで言ってくれる。
 しかしそのありがたい申し出に私は丁重に断りの言葉を入れ、次に地面の上に置かれた荷物を私は片手で軽々と持ち上げて背負うと、信じられない物を見たといった風な表情の青年に会釈して村の中へと向けて足を踏み出す。
 私への心配が無用の物だと思ったのか、しばらくしてがらがらと馬車が走り去る音を背後に聞きつつ、私は更に村の奥にある私の住居である教会へと杖を突きつつ歩を進ませていく。
 その道すがらに目に入ってくるのは広い農地に疎らに建った家と、その農地に黄金の絨毯を大地に敷いたかのような麦畑の姿。耳に入ってくるのはその麦畑を駆け抜ける風が奏でる草音に、村の中心を流れる川に設置された水車小屋の聞き慣れてしまった駆動音。麦畑とその下にある土の匂いが混ざる中に、家の方からの芳しい昼の支度の匂いが私の鼻を楽しませてくれる。
 此処に住んで数十年を掛けて、見慣れ、当たり前になり、安心感すら感じるこの光景。
 そのどれも私がここに来た当初は無かったものだ。
 私が最初にこの村で見た光景は、荒れ果てた畑、壊れて回らない水車、そして家からは食事の匂いと物音ではなく……
 そこまで思い出して私の足元に何かがぶつかった。見てみると、小さな女の子がひっくり返っている。
 どうやら私がぼんやりしていた所為で、この少女に要らぬ怪我を負わせて仕舞ったようだ。
「申し訳なかったね。私がぼんやりしていた所為で」
「い、いえ、神父様。わ、わたくしの方こそ、よ、余所見を」
 私は片手に持った荷物を地面に置くと、地面に座り込んだまま慌てて弁明をしている少女を抱き起こし、服に付いてしまった砂埃を彼女の尻尾に手を当てないように払ってやり、ピンと頭から伸びた犬耳の間に手を当てて撫でてあげる。
 すると少女――この近くに在るワーウルフの夫婦の娘は、私の皺だらけの手で撫でられてくすぐったいのか、眼を細め少し体をくねらせる。
「すまなかったね。ほら、もうそろそろお昼の時間だから、早くお帰り」
「うん!神父様も、お姉ちゃんが待ってるから早く教会に帰りなよ!!」
 大手を振って家へと走っていくワーウルフの少女に、私は手を振り替えしてから地面に置いた荷物を持ち直すと、歩きながら再度昔の光景を思い出す。



 私が今の様に杖を突く事も無く、溢れ出る若さと信仰心を持ってこの街に来た時、もう既にこの村は狼や蛇と華などの数種類の魔物で占領されており、村の至る所で男女の嬌声が響き渡り、畑や水車等の農業施設は全て打ち捨てられて無残な有様だった。
 私はそんな村の様子を見て一目散に崩れかけの村の教会へと入り込み、神に私がこの村に来た真意を問いかけ続けた。
 今から考えればこの魔物だらけの辺鄙な村への派遣は、後ろ盾も無くコネも無い私に対する嫌がらせのようなものだったのだろうと推測する事が出来るが、当時の上からの命令に盲目的に従っていた私にはそんな事は知る由も無い事。
 しかも当時の私はその命令を反故にするなどという発想も無く、終には『魔物に誑かされた人を救済する事こそが、私に課せられた神の試練である』と頓珍漢な確信を得てしまったのだ。
 それから私は私一人が生活出来る最低限の畑を作り、壊れかけの教会と水車をなんとか修繕することにした。そして食と住を確保してから一軒一軒の家を訪ね周り、時には村の道端や茂みで絡み合っている人と魔物に主神様の教え――その頃に教団が付け加えて声高に唱え始めた魔物を殺せという物ではなく、前魔王時代からの主神様の教えである『慎みある人間らしい生活を送る事の素晴しさ』を説いて行った。
 しかし私の説法に耳を傾ける魔物は居らず、ましてやそれに心底骨抜きにされている男は言わずもがなであった。
 そこで私はまず彼ら彼女らの食生活を改善する方法を取った。
 ただ狩った肉を焼いただけ、怪しげな果物をそのまま食べるだけ、伴侶の体から出てくる蜜を啜るだけという行為がなんと味気無い物かを説きながら、修道士時代に培った手腕で彼ら彼女らに月に一度だけ食事と酒を振舞う事にしたのだ。
 当初は食事に感心があったのは男と村に住んでいた女が変じた魔物だけだったが、彼ら彼女らが過去に経験した人間の食文化の味を思い出し、寝物語でも私が開く食事会を楽しみにするように彼ら彼女らが語る様になってからは、それはもう早いものだった。
 生まれつきの魔物たちも夫に喜んでもらうためにと私に料理を習いに来ては必死に学び、料理の生徒が増えた所為で教会の周りに作った畑だけでは材料が足りないと私が零せば、魔物たちは村の畑を夫に習いながら共に耕し出し、調味料の確保のために魔物が生み出すことが出来る糸や蜜などでの交易を私が申し出れば夫のためと嬉々として応じてくれた。
 途中、私が未婚の魔物に魔眼で手篭めにされそうになり、自身の足を懐に入れていた短刀で刺して正気に戻したり、この村を悪しきモノだと断罪した聖騎士団との舌戦があったりしたが、私が天に召される間際のこの歳になってようやく魔物の中でも慎みある生活の素晴しさを理解できる者が現れ出し、私のこの行いが無駄ではなかったのだと実感できるようになってきた……



 ふと思考の渦から現実へと顔を覗かせてみれば、もう目の前に私の住居でもある教会があった。
 昔を思い出すのは老成した証拠だなと頭を振りつつ、私はその教会の中へと続く門扉に手を掛ける。
 ぎぎぃと私の歳より年上の門扉が軋みを上げて開かれると、しんと静まり返った多少の長椅子がある礼拝堂の姿。そこに一人の女性が蹲るようにして神に祈りを捧げているのが見える。
 祈りを邪魔しては悪いと、私は静かに荷物を床に下ろして近くの長椅子に腰掛けると、その女性が祈りを終えるのを物音を発しないようにしながら待つ。
 やがて祈りの体勢から顔を上げたその女性は、私の気配に気が付いたのか顔を向けてきた。
 端整な――綺麗と言って申し分ない程に整った顔つきに、金糸のような腰まで伸びた艶やかな髪を持ち、修道女の服で女性らしい体型を纏ったその女性は、立ち上がると私の方へと歩み寄る。
「お父様。帰ってらしたのなら声を御掛けになってください」
「祈りを邪魔しては悪いと思ってね」
 そう彼女は私の娘で名前をフィーマ。
 だが私が主神様に貞操を捧げた身である事から判ると思うが、フィーマは私の種から出来た娘ではなく、十年ほど前に街で死に掛けていたのを私が拾った孤児である。
 彼女の前までにも何人か死に掛けた孤児を拾った事があったが、彼ら彼女らたちは成長しこの村や近隣の町で嫁や婿を貰っている中、唯一彼女だけがいまだ私の元に留まっている。
 これほど見目が麗しければ引く手数多だと思うのだが、聞いた話ではフィーマが結婚の申し出を固辞しているらしい。
 私の真似をして主神様に貞操を捧げているつもりかは知らないが、親代わりの私としては教団が主神教の全権を掌握した昨今の状況を鑑みるに、信徒でもないフィーマにはそんな選択肢を選んでは欲しくは無いと常々思っている。
「それで街はどのような感じでしたのでしょうか?」
 私の思惑を知っているのかいないのか、フィーマは床に下ろしていた荷物を幾つか手に取りつつ私にそう尋ねてきた。
「唐突に親魔物領へ転換するなどと言われて、民衆は混乱しているようだったよ」
 フィーマの問いに私は端的に答えた。
 そうあの街もこの村のように魔物と人間が一緒の生活圏に住む事を選んだ。
 その決断の材料となったのには、魔物と生活を共にしている神父――つまりは私という存在の部分もあるが、私の舌戦の好敵手であり教団が派遣した異端審問官だったあの男が老衰で死んだ事の方が多分に含まれている。
 彼は口が上手く、一旦は魔物に篭絡されて主神様の教えを忘れた男ですら、彼の説法の前には教えを思い出して妻となった魔物を捨てさせるほどで、周りの国が親魔物へ傾く中でこの一帯が未だに反魔物領だったのは彼一人の所為といっても差支えが無い。
「では、お父様はご要望された通りに……」
 余り聞くことの出来ないフィーマの珍しい声色に顔を向けてみれば、フィーマの顔には何処か寂しそうな悲しそうな表情が浮んでいた。
 今では余り診る事がなくなった、昔私が用事で村の外へ出かける時に良くフィーマが浮かべていた懐かしい表情だった。
 私はフィーマの不安感を取り除くように、昔の彼女にそうしていた様にフィーマの頬に手を当て、安心させるように口に言葉を紡ぐ。
「あの要請はご遠慮申し上げたよ。親魔物への新しい時代に、私のような耄碌した爺が陣頭指揮を取るのでは新時代の意味がない。それに何時死ぬか判らないこの身では、見知った者がない街ではなく、住み慣れたこの場所で死にたい」
 そう私が口に出すと、フィーマはより一層不安感を募らせた表情を作り、私が頬に当てている手に縋りついて来た。
「嫌です。お父様が死ぬなんて……」
「フィーマ。人は何時か死ぬ。それは誰とて一緒の事だよ」
 私の身を案じてくれるほどに慕ってくれるのは嬉しいが、どうやらまだフィーマは私への親離れが出来ていないように見える。
 もしかしたら結婚を固辞しているのはその所為なのかもしれないと私が思っていると、フィーマは溺れるものが何かに縋ろうとするように眼をあちらこちらへと向け、思考の海の中に私が死を回避する方法を見つけようとしているようだった。
「でしたら魔物化の薬を飲めば、少しは寿命が――」
「フィーマ」
 私の静かながら固い口調に呼ばれたフィーマはビクリと体を震わせると、私の目を恐る恐るといった感じで見返し、私の表情を見て固まった。
 恐らく今の私の表情は巌の様に硬く、殺人者を断罪する執行官のように冷たい目つきをしている事だろう。
「フィーマ、我が愛しい娘。貴女は私が今まで教えと共に歩んできた人生を、全て台無しにしたいのですか?」
「い、いえ、でも――」
「清廉潔白に日々を懸命に生き、何も恥ずるべき事が無い人生を抱えて天に召されるという教えに殉じようとする私の行為はいけない事なのですか?」
 下手な言い逃れなど許さないと眼光を強める私に、フィーマは思わず眼を逸らし体を震わせる。
 そこで自分が私に対して何を言ったのかを思い知ったのか、フィーマは震える手を前に組み私に許しを請うように頭を垂れた。
「……ごめんなさい。お父様」
「判ればいいのです。さぁ仲直りです、私の腕の中へ」
 自分の失言に極寒の地へ放り出された様に震え蹲るフィーマを、私は確りと抱きしめて震えを抑える様に背中を撫でてやる。
 するとフィーマは私の腕の中で只管に『ごめんなさい、ごめんなさい』と繰り返し、そんなフィーマを見た私は少々大人気ない行為をしたと後悔した。
 だから私はこの時聞きそびれたのだ、フィーマが最後に『嫌いにならないでお父様』と私の腕の中で呟いた事に。



 私が街から帰って来て一週間が経ち、今日はこの村恒例の食事会の日。
 当初は村人たちに人間の食生活を思い出すために催したものなのだが、今では付近の魔物や噂を聞きつけた旅人たちも集まっての月に一度の交流の場になっている。
 私も杖を突きながら準備をしていたのだが老人は大人しくしていろと言われ、一抹の寂しさを覚えながらも私は教会に戻り、準備が終わるまでを礼拝所で過ごす事にした。
 昔は神の声を聞こうと暇あれば祈りを捧げていたというのに、今では習慣化している祈りの時間以外で神へ祈るのは久し振りだなと考えながら、私は主神様へと今までの人生を振り返りつつ報告をする。
 そして締め括りにこの村の住民と私の愛しい娘――フィーマの将来を、老いぼれの私に代わって加護してくれるようにと祈りを捧げた。
『そんなに心配ならばぁ〜、魔物になっちゃいなさいよ♪』
 そんな蜂蜜に砂糖を加えた様な甘ったるい声が頭の中に響き、背中には過去にサキュバスに悪戯目的で誘惑された時と同じ様な悪寒が走り、私は思わず祈りの体勢を崩して周りを見渡してしまう。
 しかし礼拝堂には誰もいない。姿を隠すのが得意な魔物がいるのかもしれないと感を研ぎ澄ませても、何の気配すらも無い。
 一体何が起きているのか混乱する私の頭の中に、またあの声が聞こえる。
『今まで魔物たちと仲良く一緒に暮らしてきた貴方が、主神なんかに操を立てることなんてないわぁ〜♪主神の教えなんか忘れて、享楽の世界に浸りましょうよぅ〜♪♪』
 耳を塞いでも聞こえてくるその心を溶かそうとするような甘く熱っぽい声に、私は思わず口から祈りの言葉を紡いで、その声に自分の心が縛られないようにと懸命に堪える。
 しかしあの声は再三再四に渡って私を篭絡させようと甘い声で誘惑し、私はその都度必死に今までの人生で培った精神力を切り崩しながら耐えた。
 だがいよいよその精神力も再三再四に渡る誘惑を耐えるのに使い果たし、私の心がその甘言に支配されそうになった時、私はもう使う事も無いと思っていた短剣を腰から引き抜くと、迷わず足に突き立てた。
 足から駆け上ってきた激痛が澱の様に私の心に溜まっていた声の支配を打ち払い、私の頭の中も一気に痛みによる危機感から正常なものへと戻る。
『まさか自分を傷付けてまであの馬鹿に操を立てるなんて……でもそこまで嫌がられると、堕とし我意があるわん♪――また会いましょうね〜♪♪』
 あの心を溶かすような声は遠くに消えうせ、私は荒く息を付きながら今の出来事を何かしらの悪い夢だと思い込もうとしたが、じくじくと痛む足の刺し傷とそこから漏れ出てくる赤い血潮が服を濡らす湿った感触に、今の出来事が現実の事だと再度実感すると、今まで出会った事のない状況に対しての言い知れぬ恐怖感が私の胸の中を重く圧迫してきた。



 あの礼拝堂での出来事の後、足の刺し傷に応急処置をした私は食事会に足の傷を隠しながら参加した。
 持ち前の精神力で表情に傷の痛みを出すことも無く当初は気付かれはしなかったのだが、しかしながら魔物娘の鼻は人間より敏感なようで、私が足に傷を負っていることなど直ぐにばれてしまい、食事会が始まった昼からお酒が振舞われ人々が騒ぎ立てる夜までの今日一日中、村の人と魔物の区別無く全員から老人扱いと怪我人扱いを受ける羽目になってしまった。
「お怪我を為さっているのなら、ほら此方にお座りになってください」
「食べたいものがあったら遠慮なく言ってくんな、もって行ってやっからよ!」
「傷に良く効く塗り薬です……もう結構な御歳なんですから、昔になさった様な真似は控えてくださいね」
「その足じゃ樽を運ぶのは無理だって。いいから酒の隠し場所教えなよ」
 無理やり椅子の一つに座らされた私にあれやこれやと料理を運び、魔物娘のお手製の薬を手渡され、日が落ちはじめた頃に私が教会で醸造した果実酒を持ってこようとすると押し留められて、村の若い衆が教会の酒のある場所へと向かっていく。
 この位の傷でこんな扱いをするなど大げさなと思っていると、フィーマが苦笑しながら私に果実酒の入った杯を手渡してきた。
「皆様はお父様の事を大事に思っておられるのです。今日一日ぐらい皆様からの老人扱いを甘受しても宜しいのではありませんか?」
「むぅ……」
 そう改めて言われてしまうと私も弱い。この扱いが純粋な村人たちからの厚意だと私自身自覚している分、これに対して反論できる材料がない。
 そんな憮然とした態度の私が可笑しいのか、フィーマはくすくすと口元に手を当てて笑っている。
 まったく親を言い含めた上に笑うとは、フィーマも大人になったものだと、私は手に持った杯に口をつけた。
『くすくす、面白いわね♪』
 その時に唐突に脳裏にあの声が聞こえ、私は冷や水を背中に掛けられたような感覚が走った私は、誰にも悟られないように静かに周りを確認する。
 しかし回りに居るのは見知った顔ばかり。私の脳裏に声を届けるような高等魔術が使えるような人物は居ない。
 それに私以外にこの声が聞こえたものが居ないのか、隣に居るフィーマですらいまだに笑っている最中。
 こうなればこの声の正体を私一人で探し出すしかいないと決意し、私はゆっくりと杯の中身を飲み干し、そしてその杯をフィーマに預けた。
「フィーマ。もう私は教会へ帰るよ」
「もう戻られるのですか?まだ食事会は……」
「怪我人が此処に居たのでは、皆が安心して楽しめないだろう。それに煩い神父が居なくなれば、多少は羽目を外しやすくなると言うものだろう」
 少し茶目っ気を含ませた言い方でフィーマに言葉を告げ、私は痛む足に手を当てながら椅子から立ち上がる。
「では教会まで同行を――」
「いや、美しい女性は宴の華。フィーマは皆へのお酌を続けてさし上げなさい」
 私は手でフィーマをその場に押し留めながら、杖を片手に教会へ向かって歩き始める。
 私の背後には私を心配してくれるような声が少数出てくるものの、フィーマがあれやこれやと気を回してくれているため、私の方へ歩み寄ってくるものはいないだろう。
『あらん?貴方はもう帰っちゃうわけぇ??』
「私に甘言を吐き掛けるアナタの正体を確認しなければならないのでね」
 杖を地面へと突きつつも周りに視線を配る。しかし村中の人が食事会に参加している為、視界の中には動く者など誰も居ない。
『なぁに?ようやく貴方も×××に興味が出てきたのぉ??』
 言葉で念話を発している人物を特定されることを防ぐ隠す魔術でも使用しているのだろうか、言葉の中に不自然なまでに聞き取れない部分が存在する。
 そうまでして私に存在を隠したいのか。でもそれでは私の脳裏へ声を届けているのに道理が合わない。
「私に存在を知られたいのか、知られたくないのかどっちなのだ?」
 相手の存在が眼で確認できないのでは、薄暗がりの外に居ては不利になると判断し、私は教会の扉を開けて礼拝堂へ入る。
『あらん、別に×××は逃げも隠れもしてないわょ♪それにぃ、貴方が×××の声を聞きたいって願っていたからん、態々声を掛けて上げたんじゃない♪♪』
 之はまた変なことを言う。
 主神様に貞操を捧げ、教えに殉じた人生を送り、人間の身で天寿を全うするのが信条の私が、何時堕落の誘いを希ったというのだろうか。暴言も甚だしい。
「私が望んだ?私が聞きたい声は、アナタの声ではなく主神様の御声なのだがね」
『×××もあの馬鹿の声も大して違いはないと思うのだけどぉ??』
 違いがないとは、仮に相手が魔物で主神様を嫌っているのだとしても、私が崇める主神様に対しての大いな不敬に当たるこの言葉は見過ごせない。
 もし侮辱でないのだとするならば――
「それでは何か、アナタは自分の事を神だとでも言いたいのか?」
『あらん、気が付いていなかったの?×××は神様なのよん♪まぁ、堕落し切っちゃってるけどねぇん♪♪』
「アナタが神だと?ふっ、まさかそんな訳が」
『ふ〜ん。まさかこの世の神があの主神の馬鹿だけだとでも思っていたのかしらん?それはぁ――×××を含めて他の神に対して、些か無礼ではない?』
 急に言葉の途中で口調が蕩けた甘い物から硬さを含む真剣な物へと変わり、その硬質の声に含まれた威圧感に私の背中にはぞくりとした感触が駆け抜け、さらには冷や汗が背筋を伝って流れ落ちる。
 その威圧感は私が修道士だった頃、主神様の啓示を受けたと謂われる大司教様が『神の声』を伝えるときに感じた、その声の全てを受け入れたくなるあの感覚と同質。
 まさか本当に神なのかと心の中で疑う気持ちとはちぐはぐに、頭の中では声の主に失言を謝罪しろという考えが渦巻く。
『ねぇ、どうなの?直接貴方の口から出た言葉で聞きたいわ』
 声が一つ言葉を結ぶ度に、その声が持つ圧迫感で真綿で首を絞められているかのような息苦しさを感じ、頭の中では地に額を擦り付けて許しを乞えと別の私が声を荒げ立てる。
 自分自身、この声に負けてしまえば楽になれると判ってはいるのだが、それは私が歩いてきたいままでの人生と決別を意味していることも理解している。
 そのため私はこの声の圧迫感に打ち勝つためだけに、応急手当しただけのまだ痛みの残る足の傷跡を片手で掴むと、懇親の力を込めて傷を圧迫した。
「ぐッ……私にとって、神とは主神様だけだ」
 痛みで目の前に火花が飛びつつ私が繰り出した精一杯の言葉は、情けないことに声の主に向かって弁明とも謝罪とも取れない曖昧なもの。
 もし声の主に同じ事をされた場合、また私の心は耐えられるだろうかと不安に思っていると、頭の中に溜息が聞こえてきた。
『はぁ〜……これでも駄目だなんて、ホントーに貴方は意地っ張りなのね』
 呆れ帰った様子のその声に私は内心ホッとしつつも、このまま私の事を諦めてくれないかと心の中で願ってしまう。
『まぁ直接的なのが効かないのなら、搦め手を使えば良い事だけどぉ〜♪』
 まさかまだ諦める心算はないのかと落胆し、そして搦め手という不吉な言葉に戦々恐々とする。
「何をするつもり――」
 私がそこまで言葉を出したとき、教会の扉が大きな音を立てて開かれた。
 ぎょっとして私が振り向くと、そこには食事会で酌をして回っているはずのフィーマの姿。
 もしかしたら心配して私を追ってきたのだろうか。それとも何かの用で教会に戻ってきたのか。
 どちらにせよ神と名乗る存在の影響下にある此処に、フィーマを留まらせておくのは拙い。
「フィーマ、どうかしたのかい?もしかしてお酒が足りなくなったのかい?だとしたら男衆を呼んで来なさい。一人で樽を持っていくのは骨だろうからね」
 声の支配から脱しようとした影響から、いまの私は疲労困憊して額には脂汗が浮んだあられもない姿となっている事だろうが、それをフィーマに悟らせてはいけないと、殊更に明るい調子でフィーマに声を掛ける。
 しかしフィーマは一直線に私のほうへと足早に歩み寄ってくる。
 なにか緊急事態でも起きたのだろうかと危惧していると、フィーマは私の皺だらけの頬に手を当て、愛しむ様に頬を目元から顎先まで撫で擦っていく。
「可愛そうなお父様。そんなになってまで、主神に操を立てる必要は無いでしょうに」
「フィーマ、お前は何を言って……まさか!?」
「そのまさかです」
 フィーマに力強く顔を引き寄せられた私は、そのままフィーマの唇にぶつかる様に口付けを交わしてしまう。
 娘に唇を奪われた衝撃と初めて感じる女性の唇の柔らかさに、驚き固まった私の口内へとフィーマの舌が侵入すると、私の舌の上と上あごを二度三度と撫で回す。
 背筋に走ったゾッとする感覚に私は後先考えず杖から手を離すと、フィーマの体を両手で突き放した。
 だがそのために、杖という支えを失い足の傷で踏ん張りの効かなかった私は、惨めな程大きな音を立ててその場に崩れ落ちる。
 軽く体を地面に打ち付けつつも顔をフィーマへと向けると、私が彼女を引き取ってから一度も見たことの無い表情――この世の中で一番に美味しい物を口に含んだかのような緩んだ笑みを目と口に浮かべ、口に残ったその味を再度舐め取ろうとするかのように唇に舌を這わせるという、主神の教えに反するように享楽的な顔色。
「お父様のお口、思った通り美味しいです」
 うっとりと頬を上気させながら、私の口の中へ再度侵入することを夢見ているのか、フィーマは彼女自身の人差し指と中指を口の中へ入れて自分の口内をかき回す。
 そんなフィーマの様子に愕然としながらも、私の心の中には沸々と怒りが湧く。
「お前の……お前の仕業か!」
『そうよ〜。×××のし・わ・ざ♪』
 私の怒りなど何処吹く風と言いたげな様子の声に、私は地に伏したまま方々に向かって声の限りに叫び放つ。
「フィーマに何をした!何故関係の無いフィーマを毒牙に掛ける!私を堕としたいのならば、私だけを標的にすればいいだろう!!」
『あらん。そんな事も判らないなんて、意外と貴方はお馬鹿さんなのねぇ♪♪』
 その楽しそうに語る声色に私は瞬間的に沸騰し、喉を潰さんばかりに罵倒しようと口を開けた時、私は続いた言葉に声を失った。
『×××はあの娘のお願いを叶えただけよん?『愛しいパパと結ばれますように』っていう、可愛らしいお願いをね♪それにぃ、魔物娘たちの生活向上に役立った貴方を、魂だけとは言っても、主神の馬鹿に渡すのはもったいないしぃ♪本当に渡りに船だったわん〜♪』
「何を言っている……」
『本当に気が付かなかったのかしらん?それとも気が付いていても無視していたとかぁ?もしそうだとしたら、随分と残酷ですのね〜♪』
「まさか本当に……フィーマが私の事を……」
 信じられない心持で私はフィーマへと困惑した顔を向けると、私の瞳の中に自分の姿が映っているのが判ったのか、フィーマは殊更に厭らしく下劣な様子で自分の二本の指を咥えて口内を弄り回す。その姿は過去に私が見た、淫熱に浮かされたサキュバスが男へと向ける性行為の訴えと同じ物。
 私はフィーマのその様子に、いままで魔物と暮らしていて知識としてならず、実際の魔物化の光景を見て知っているはずなのに、彼女が人間から別の何かへと変わってしまうという恐怖感に駆られてしまう。
「フィーマ!確りと自分を保て!!」
 不意に出た私の言葉にフィーマは意外そうな顔つきをした後、口の中に入れていた自分の指を引き抜くと、ゆっくりとした歩みで私の元へと近寄ってくる。
「自分を保てと仰いましたね、お父様」
 そしてうつ伏せで倒れている私の傍らへと屈み込むと、フィーマの細腕の何処にそんな力が在ったのかと疑うほどの力強さで、私を仰向けにひっくり返し、私のお腹の上に童女が悪戯で乗るかのように座り込むと、フィーマの唾液で濡れた指が私の頬にそれを塗りこむかのように這い回る。
「これが本性です、お父様。お父様が魔物の子供と仲良くする度、お父様が隣人と仲良く談笑なさっておれれる間、お父様が遠くへと赴かれる時、ココが寂しさで疼いて止まりませんでした」
 フィーマは自分の下腹部上へ私の頬を撫でている手とは反対の手を乗せると、私にその中にある物の形を判らせるかのようにゆっくりと円を描く。そしてその手つきと連動して、フィーマの腰が私の腹に股間を押し付けるかのように蠢き始める。
「お父様は知っておられないと思いますが。お父様にあの街で飢え死にしかけているところを助けて頂いた時既に、この身をお父様へと捧げる覚悟をしておりました。この教会から巣立っていったお兄様お姉様たちが結婚し、その腕の中に赤ん坊が抱かれているのを見て、『嗚呼、何時かお父様との子を……』と心の底から願っていたのです」
 神へと懺悔するかのように、私へと自分の内情を告白するフィーマ。
 しかし私は今の今迄、フィーマが私に対してそんな感情を抱いているとは露ほども知らなかった。神に誓ってもいい。
 そもそもフィーマと私とでは親と子、むしろ祖父と孫ほどに歳の差があるのだ、フィーマの恋愛対象に私が入っているなど誰が想像出来ようか。それこそ――
『神の御技以外にはね♪』
 あの忌々しい声が気取った調子で喋るのが脳裏に聞こえる。
 そうだ、この声だ。この声の所為でフィーマがおかしくなったのだ。そうに決まっている。
『あらん、×××は無理強いなんてしないわよん?それにぃ〜、×××は堕落の神といっても無理やり洗脳するとかの力技ができるほど強くないのよね〜。精々、祈っている人の背中を押してあげる位よ♪』
「そしてフィーマはそれを受け入れたのです、お父様」
「もしや、フィーマにもあの声が聞こえるのか!?」
 私のその問いにフィーマは笑みで答えると、ゆっくりと私の顔に自分の顔を近づけてくる。
 咄嗟に私は顔を逸らして拒否の意思を示すが、フィーマは構わずに顔を近寄けて私のフィーマの唾液が塗られた頬へと口を付け、そして更に自分の唾液を塗りこむかのように舌で顎先から舐め上げる。
「お父様がいけないのです。急に死について語り始めるんですから。フィーマの心の中は愛しい人を失うかもしれないという不安でいっぱい」
「私が悪かった、だから今すぐに」
「止めませんよ。このままお父様を堕として差し上げます。それこそ主神などどうでも良くなるくらいに」
 するりと私のズボンにフィーマの手が入り込み私の陰茎を掴むと、私の枯れ果てたモノを蘇らせるかのように優しい手つきで撫でだす。
 私自身でも小用を足す以外に触れる機会のないそれに、娘代わりとはいえ他人が触れるという事に、私の心の中は主神様への背徳感で溢れそうになる。
 しかしそれでも死を目前に控えた年齢である私のソレは、相変わらず力の抜けたまま。その事実に心持救われた気分になる。
「無理だよフィーマ。疾くの昔に私の性欲は枯れ果てているんだから」
「そんな事はないですよ、お父様」
 使われ方を忘却している陰茎に安心して、顔をフィーマに向けて説得しようとしたのが悪かった。フィーマは私の口を彼女の唇で塞ぐと、ぬらりと私の口の中に彼女のしたが再度入り込んでくる。
 相手の舌を噛み切れと神の教えに染まっている脳が発するが、やはり私も人の子で自分の手で育てた子が愛しいのか、フィーマを傷つける手段は二の足を踏んでしまう。
 そんな私の心の動きを察知しているのか、フィーマの舌は私の口内を我が物顔で蹂躙し始め、私の舌に絡ませたかと思えば上あごを舐め上げ、歯茎を舐めているかと思えば私の舌下へと潜り込もうとする。
 その内段々と私の口内には私とフィーマの唾液とが混ざった液体で満たされていき、ピッタリと唇をフィーマの唇で閉ざされて逃げ場の無いそれは溢れ出る事すらも出来ない。
 どうにかしてそれを吐き出さなければという思いと裏腹に、フィーマの舌が私の喉奥を突付いた刺激で、私の喉は嚥下の音を響かせてしまう。
 するとどういうことか、胃の腑よりも更に奥から熱が発生し、どんどんと私の体の中にその熱が溜まってゆく。それと連動して垂れ下がったままの私の陰茎が、フィーマの手の動きにぴくりと反応を示す。
 その動きを手で察知したフィーマは、相変わらず私に唇を合わせたまま目だけで嬉しそうに笑うと、再度私の喉の奥を舌先で突付いて唾液を飲み込ませようと動く。
 この熱に支配されては拙いと懸命に喉の動きを堪える私に、段々と焦れてきたフィーマは私の陰茎から手を離し唇も私から離す。しかし私の口から唾液が漏れ出ないように、私のズボンに入れたままの手とは反対の手で私の口を押さえつける。
「お父様、そんなにフィーマの唾液を呑むのがお嫌ですか?」
 その言葉と共にフィーマの手が私のズボンの中で動き、陰茎の下に付いている陰嚢を片手で握る。何をするのかと困惑する私をよそに、その奥に存在する睾丸を潰そうとするかのようにフィーマの手に力が入る。
「ん゛ッ〜〜!!」
 男性の急所を直接刺激されて痛みと異物感がない交ぜになった感覚が下腹部に発生し、更には急所を握られているという恐怖心から、押さえられていた口の中で叫び声を上げてしまう。しかもその際口の中に在った全ての液体を喉の奥へと送ってしまった。
「加減したのですけど痛かったですか?でもお父様がいけないんですよ?」
『そうよん♪可愛らしい女の子の、蜜の用に甘美な唾液を拒否するなんて勿体無いわん♪♪』
 私に向かってフィーマとあの声が何かを言っている様だが、重い風邪をひいた時の様に頭に靄が掛かりその言葉の意味を理解する事が出来ない。
「ふふっ、お父様もそんな美味しそうな顔が出来るのですね」
 手を私の陰嚢から放したフィーマは、私の陰茎を撫で擦るのを再開する。
 その時陰茎から駆け上ってきた不可思議な感覚は、私の経験するどんな刺激よりも強烈で、私の体は電撃の魔術を受けたときのように硬直してしまう。
 しかしそんな刺激ですら私の頭の中に掛かった靄を晴らす事は出来ない。いや寧ろ、その刺激を咥えられるたびにその靄が濃くなり霧となっていく。
 その霧が段々と濃くなり広がっていき完全に私の頭の中を支配すると、ズボンの中を弄るフィーマの手へと向かって、私の下腹部から流れ出ようとする重たいモノが迸った。
 一度二度と陰茎が硬直と弛緩を繰り返すたびに、ズボンの中に生暖かい液体が漏れていくのを感じる。
 やがてその躍動も終わり、役目を終えたように私の陰茎が力を抜いた頃、フィーマは私のズボンの中に吐き出された液体を手に絡みつかせた後ゆっくりと手を引き抜き、私に向かって白濁した液体で汚れた手を見せつかせるかのようにかざした。
「ほら、まだお父様は枯れて居りません。それに……ぁん♪元気に私の手を犯そうと動き回ってます」
 掌から流れ落ちそうになる白濁液を舌で受け止めたフィーマは、その手にまとわり付く匂いと舌に走った味に陶酔するかのように、上気した頬で手を汚している液体を見つめている。
 そんな正気を失っている様子のフィーマとは逆に、射精をしたからか私の頭の中に掛かっていた霧は晴れ渡り、通常の思考能力を取り戻す事が出来ていた。
 どうにか私の上に乗っているフィーマから逃げられないかと体を捻るが、射精した反動なのか小揺ぎする程度しか出来ない。すると私が正気を取り戻した事を理解したのか、フィーマは少し残念そうな表情を浮かべた。
「本当にお父様は剛情なお方です。でもいいのです、これからはたっぷりと時間はあります」
 諦めるような呟きを放ったフィーマは私に視線を向けながら、手にまとわり付く液体を舐め取り啜り上げ、そして口の中で丁寧に味わった後で飲み下す。
 もうすっかりと快楽の虜になってしまっているフィーマの様子に、少しだけ私の心の中に判別不能の痛みが走る。
「……フィーマ、君は私の精神力を、見誤っていないかい。私が堕落するその前に、きっと私の寿命は尽きる」
 たった一度だけ精を放つだけで、この老体は疲弊しきるのだ。そう何度も行為は行えない。
 故にフィーマが私の体力を気遣って手心を加えれば、私は持ち前の精神力で堕ちる事はない。逆に堕落させようと私に無理をさせれば、それだけで私の死期が早まる。どちらにせよ私が享楽の海に沈む前に、私の命は消え去る事になる。
「いいえ、見誤ってなど降りません」
 しかしフィーマは私の考えなど判っていると言う目付きで私に笑いかけると、手に残っていた全ての白濁液を舌ですくい舐め取る。
 するとフィーマの体に変化が訪れ始めた。
 金糸の様な艶やかな金髪は、色素を失いながらも艶は残した銀髪へ。耳は人間らしい丸い物から、先が尖った魔物らしい物へ。腰からは黒い羽と尻尾が伸びると、尻尾には魔力が変化したと思われる鎖が締め付けるかのように巻きつき、そしてただでさえ黄金率に近かった体付きは、より男を呼び込み易くするかの様に胸と尻が張り出てきて、フィーマが来ている修道服を内側から押し上げていた。
 そんな体の変化など感心の外なのか、自分の変化に一瞥をくれる事も無く、フィーマは私に覆いかぶさるようにして私の顔を覗き込んできた。
「堕落の神には万魔殿というそれはそれは良い所があるのです。そこでは一切の時の流れが止まる――つまりは一日でも寿命があれば、永遠に生き続け交わり続けられる素晴らしい場所」
 最初は何を言っているのかと、私を失いたくないだけのただの妄言かと思っていたが、フィーマの嬉しそうなその笑顔と私の頭の中に響くクスクス笑いのあの声で、私はそれが真実であると確信した。
「さぁお父様、参りましょう。淫欲渦巻く猥らな園へ」
「やめてくれフィーマ。せめて私を人として死なせてくれ」
 このままではその万魔殿とやらに連れて行かれると認識した私は、衝動的に懐に在るはずの短剣で自害しようと手を伸ばすが、そこにはあるはずの感触がない。
 訝しむ私の顔の前に、フィーマの手の中に納まった例の短剣が姿を現す。何時の間に掏り取ったのかと驚愕する中、私はフィーマから出てきた魔力に覆われると、続いて体感した浮遊感に私の意識は寸断された。


 薄らと精液の匂いが漂う、誰も居なくなった教会の礼拝堂。
『ふふっ。二名様、ご案内〜♪♪』
 その声は礼拝堂の中に響き渡ると残響し、そして誰の耳に入る事も無く消えていった。

11/11/18 20:12更新 / 中文字

■作者メッセージ


はい、というわけで堕落ENDのSSで御座いました。

さて皆様はこの神父の事をどうお思いになったでしょうか?
魔物娘の生活向上に役立ったいい人物?
もしくは主神の神父に似つかわしくない?
それとも自己中心的だと思ったのでございましょうか?

見方を変えれば如何とでも取れるような風に書いたつもりですが、いかがだったでしょうか?
(まぁ、書いた私本人は、魔物を軽んじる主神教の使徒らしい神父だと思っています)

それにしてもこのSSの主役は神父で確定ですが、でもヒロインはフィーマなのか、それとも堕落神×××なのか……

そいではまた次の作品であいましょう。
中文字でした!

如何でも良い補足説明:
堕落神の名前が判らない様になっているのは、『神の名を口にする無かれ』という概念解釈で神父が認識出来ないだけで、クトゥ○フの異形の神のように知ったら発狂するのでぼやかしているわけではありませんよ。念の為。


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