連載小説
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第十話:悠なる時、夜に有り、俊明ける哉




 どこからか潮騒のような音が聞こえる。
 視界は暗く、何も映さない。
 触覚は肌を流れる感覚から、自分が今何かの液体の中に居る事を伝えてくる。
 だとしたら嗅覚が働かないのも納得だ。
 水の中で人間は呼吸出来ないのだから、きっと自分は息をしていないのだろう。
 空気と一緒に伝わるものなど、あろう筈が無い。
 それを言ったら味覚も同様である。
 少年は、今夢を見ていた。

 

 泡立つ音。
 ざぁ、ざぁ、と鳴り響く、潮騒のような音。
 母の胎内のような温い温度を感じながら、残る聴覚から伝わる音を拾い夢を見る。
 
 視界を閉じられたのはある意味で幸いだったかもしれない。
 鋭敏になった聴覚は、記憶の中とも現実の中ともつかない曖昧さの中で欲しい情報を拾ってくる。


 ―――何とか形になったな。もう少しだ。


 これは誰の声だったか。
 知っている人の筈だが、どうにも結びつかない。


 ―――漸く、か。長かったな……いや、これでも短い方か?


 人心地ついた声がする。
 何かをやりきったのか、声に含まれていた緊張が抜けたような感じだ。


 ―――長い、短いじゃないさ。成功するか失敗するかだったんだ。まぁ、僕等は賭けに勝った訳だけどね。


 あぁ、この声は聞き覚えがある。
 忘れようが無い声だ。
 今日も散々振り回してくれた片割れだったなぁ。
 何であの人はこう、落ち着かないのかな。


 ―――この子が、あの人ですか?


 また記憶に無い声。
 だが、この声は何と言うか。懐かしい感じがする。
 安心した、っていうのかな?これは。


 ―――うん。大分欠けちゃってたからもう別人だと思うけど。大事な『私達』の家族よ。


 ……頼むから、確り手綱を握ってて下さいよ。
 僕じゃ抑えきれないんですから、貴女が頼りなんですよ。


 ―――あれ、この子動いてない?指とか目蓋とか。


 これが精一杯なんですけどね。
 というか何で動けないんですか。
 

 ―――本当だ。凄いな、成功したとはいえ、ほぼ作り直しだぞ?神経系だって未発達なのに……。


 ……何か凄い状態だったみたいだな。
 でもさっきの話を総合すると良い兆候のようだ。
 順調に動けるようになってるのなら、焦る事もないか。

 
 ―――あ、治まった。疲れちゃったのかな?


 それもありますね。
 本当に動けないんですから。
 疲れましたし、寝てれば治るでしょうけどね。


 ―――急ぐ事はないさ。山は越えた。これからずっとこの子に掛かりっきりになるんだから、気長に付き合おうよ。


 振り回しまくるのは勘弁して下さいよ?
 僕は貴方とは違うんですから。
 普通の人間なんですよ。


 ―――でも、やっぱり今のうちに言っておきたいな。『おかえり』、今日からまた家族だよ。

 
 ……仕方ないですね。
 僕が成人するまでは付き合って上げますよ。
 だからその、嬉しそうな声を出すのは止めて――――――







 少年はコチ、コチという音で目を覚ます。
 時刻は定かではない。
 何処からか聞こえる自室の時計の音と、薄暗い周囲が既に朝から数時間経過した事を示していた。
 
 「夢……か?」
 
 見知った天井を眺め、起き上がろうとして少年―――俊哉は気付いた。
 上半身が動かない。
 少年に許された自由は首より上しかない状態だった。
 既視感を感じ首を右に回すと、そこには予想通り悠亜が居た。
 更に首を左に回すと、昨日と同じ有麗夜が寝息を立てていた。

 「これも、夢だったら良かったんだけどな……」

 いつかのように両腕を動かせない状況に溜息を吐きながら、俊哉は天井を見上げる。
 時計と寝息以外、物音一つしない世界の中で俊哉は口を開いた。

 「出てきていいですよ、父さん」

 「え、何でバレたし」

 ひょこっとベッドの縁から顔を覗かせ、小声で器用に驚きの声を上げる白ニンジャが現れる。
 気遣いに苦笑しながら、俊哉は続けた。

 「何となく、ですよ。てっきり母さん達に絞られたとばかり思ってましたが、元気そうで何よりです」

 「あー、うん。ガッツリ絞られた。話が賠償までいっちゃうとこだったけど、結果的には宣誓書書いて終わりだったよ」
 
 予想以上に軽い処分である。
 下手をしたら訴訟されかねないとすら考えていただけに、その温情措置には俊哉も驚いた。
 
 「随分と軽い措置ですね。東雲さんの口添えですか?」

 母―――春海と神社の関係者である東雲が知り合いだった事は知らされていたが、それだけで処分は軽くならないだろう。
 他に理由があるのなら、とカマを掛けた俊哉だったが白ニンジャ―――利秋は逆に驚いたようだった。

 「俊哉……本当は起きてたんじゃないだろうな?まあ、その通りだ。尊い犠牲もあったけどな……」

 何処か遠い目をしながら答える利秋に疑問を抱きつつも、俊哉は気になっていた事を口にする。

 「犠牲?穏やかじゃないですね。……それと、何でまだその格好なんですか?もう罰ゲームは終了したんじゃ?」

 未だに白装束≪白楼≫を着ている利秋が俊哉には疑問だった。
 あれは参拝に行く時だけ付き合ったものではなかったのか。
 仮にそうではないにしても、流石にあれだけ大立ち回りをした立ち姿を何時までも見たいものだろうか、と俊哉は考えていた。
 しかし、利秋の返答は簡潔なものだった。

 「これ、仕事着だぞ?お父さん夜勤だから、昼間他人の目の届く範囲で着る事なんてなかったんだよ」

 「あぁ、だから『明るいうちに着るとドキドキするな』って言ったんですね」

 そうだよ、と軽い調子で答える利秋に、俊哉は考える。
 
 自分はこの人の事を表面上しか知らない。
 どんな仕事をしているのかも、何故あんな大立ち回りをして平気なのかも理由を知らない。
 きっとそれは自分が今まで興味を持たなかった部分であり、同時に知りたいと思えた部分だろう。
 
 「父さん、もう少し時間はありますか?」

 「余裕余裕。仕事に入るのってあと一時間くらい後だから。会社には20分もあれば着くし」

 忍装束に似合わない、耐久性重視の腕時計を確認しながら利秋は答えた。
 ミスマッチな仕草に頬を綻ばせて俊哉は口を開いた。

 「昔の夢を見たんです―――多分、僕が生まれた時位の頃でしょう」

 その発言に利秋が固まったように俊哉は感じた。
 が、構わず先を進める。

 「潮騒のような音が聞こえたり、ぬるま湯に浸かった状態で声が聞こえたんですよ。はっきりとは憶えてないんですが、胎教の頃の記憶でしょうかね?」

 人は歳を取ると忘れてしまうが記憶自体は残る、という説がある。
 忘れるという行為は脳の記憶野にある情報にアクセス出来なくなるだけであり、情報そのものはしっかりと残るのだというものだ。
 何かの拍子でそれが掘り起こされる可能性も無くは無いと、俊哉は以前聞いた事があった。
 
 利秋は黙って聞いている。
 普段の彼ならそれこそ途中で茶々を入れたろうが、息子の発言に含まれた真剣さが感じられたのだろう。
 沈黙で話が続かない事を確認すると、しばし黙考した後利秋は口を開いた。

 「……それを思い出して、君はどう思ったんだい?俊哉」

 質問に対し質問に返すのはどうか、と思いながらも今度は父のほうが真剣であった為、俊哉も暫く考え口を開いた。

 「そうですね―――嬉しく思います。夢の中の声は、僕の誕生を喜んでいた。それがとても嬉しいです」

 「―――そう、か。僕もね、俊哉。君が生まれてくれて良かったと思ってるよ。僕と母さんには中々子供が出来なかったからさ。初めての子がこんなに健やかに育ってくれて、本当に嬉しい」

 子が授かりにくかったという初めて聞く事実に、俊哉は少なからず驚いた。
 勝手ながら利秋と春海の性に対しての考え方は、人間でありながら魔物寄りのものであったからだ。
 そんな二人の間であれば妹か弟かがその内増えるだろう、と高を括っていたのだがどうやらそれは俊哉の考え違いだったようである。
 
 「すみません……父さん。不躾な質問だったようですね……」

 「気にするな、僕等には君が居れば十分だよ―――っと、おやイカン。そろそろ時間のようだ」

 わざとらしく時計を見ながら声を上げる利秋に、俊哉は声を殺して笑った。
 誤魔化し方が下手すぎる。
 だが、その気遣いが今は有り難かった。
 暗くて分からないだろうが、今の自分はきっと涙ぐんでいるだろう。
 利秋は小声に直しながら出掛ける挨拶をしていく。

 「行って来るよ。帰りは明日の今頃だから、留守番宜しくね。後、春海は旧友と親交を深めるから今日は帰らないってさ」

 「分かりました、気をつけて。行ってらっしゃい、父さん」

 挨拶を済ませると、利秋は癖なのか二本指で剣指を作り、ピッと振って掻き消えた。
 音も無く、姿も無く、気配すら即座に消して去っていくその姿は、本当に彼が忍である事の証明である。
 急に静寂に包まれる自室で、俊哉は一人ごちた。

 「何と言うか、年始早々この調子では今年一年が思いやられるな……」

 振り返って見ると何と濃度の濃い年始であったろうか。
 今年一年分の騒動を詰め込んだように感じたそれも、もうじき終わる。
 平穏な日常はすぐそこまで顔を覗かせており、一眠りするだけでもうその渦中に入れるだろう。
 故に、ここでさっさと意識を手放す事を考えた俊哉だが、その前にするべき事がある事を思い出した。

 「悠亜さん、起きてますよね」

 「バレたか」

 首を右に回すと、そこには小さく舌を出して俊哉を見る悠亜の姿があった。
 
 「どの辺りからバレてたのかな、参考程度に聞いて良いかい?」

 寝息も心拍数も変えてなかったと思うんだけど、と悠亜は事も無げに言ってくる。
 そこまでバレたくないのかと俊哉は呆れるが、問われた事にはきちんと答えるべき、と思い回答を優先した。

 「難しい事じゃありませんよ。理由は父さんです」

 「小父様が?何か教えているような事は言ってなかったと思うけど」

 悠亜が不思議がるのは最もである。
 利秋は俊哉に悠亜や有麗夜の事は何も言っていなかった。
 気をつけろ、とも起きてるぞ、とも言っていない。

 「だからこそ、ですよ。父さんなら二人が寝てるなら『起こすな』くらいは言います。言わなかったという事は言う必要が無かったという事です」

 「あぁ、やられたね。そういう伝え方もあったか」

 言う程悔しがってはいない様子で悠亜は納得した。
 
 「だってさ、有麗夜。その狸寝入り、バレてるよ?」

 俊哉の左側でビクッと大きく跳ねたのは呼ばれた有麗夜である。
 だが、彼女は何を思ったか頑なに寝た振りを止めようとはしなかった。
 それどころか―――

 「有麗夜ちゃんはただいま就寝中です。御用の方は目覚めのキスをどうぞ」

 どこまでも自分の欲求に素直な行動を取る様は、魔物娘の特徴を分かり易く表している。
 そんな有麗夜の様子に構わず、俊哉は悠亜を相手にする事にした。

 「そうか、お休み有麗夜。さて、悠亜さん。そういえば昨日の返事なのですが」

 「え♪嬉しいなぁ。私と付き合うかどうかってアレかい?返事を聞かせてくれるんだね?」

 「ええ、本当は有麗夜とも話したかったんですが、寝てるなら仕様が無いですから」

 「ごめんね。この子寝つきが良くて中々起きないんだよ……で?聞かせて聞かせて♪」

 「だーっ!ちょっと待ってよ!何ガン無視してんの!?俊哉も悠姉も酷くない!?」

 凡そヒロインらしからぬ怒声と共に噴火する有麗夜に、俊哉も反論する。

 「大きな寝言だな、有麗夜。もし父さんと母さんが居たら起きてたぞ」

 「ごめんね。この子寝言で会話も出来るから……で?私の事どう思ってるのかな?」

 「その寝言ってどっちの意味?!俊哉キスする!私起きる!会話弾む!OK?!」

 大陸出身者が本州の言葉を覚えたばかりのような発音で有麗夜は会話に混ざろうとする。
 俊哉は溜息を吐きながら有麗夜を呼んだ。

 「何で片言なんだよ。まぁ、いいか……有麗夜。ちょっとこっち向いてくれ」

 「何か!私に用があるなら―――んむっ」

 首を伸ばして俊哉は有麗夜と唇を合わせる。
 啄ばむように数秒、ちっ、ちゅと軽い音を立てて俊哉は離れた。

 「……ほれ、したぞ。ちゃんと僕の話を聞くな?」

 「ふぁ……え、へへ///」

 薄暗い中、夜目の利く悠亜と有麗夜には俊哉が顔を真っ赤にしている姿が見て取れた。
 加えて、もし悠亜が俊哉越しに有麗夜を見られれば、きっと嬉しさの余り顔が緩みきっている妹を見られたろう。
 
 「……返事くらい、しろよ」

 恥ずかしさからか若干上擦った声を出して俊哉は呟いた。
 その様子に有麗夜はやっと実感が沸いたのか、満足気に何度も肯定した。

 「うん……うん……!分かった!」
 「んー♥」

 肯定と同時に嬉しさのあまりか、力強く俊哉の腕を抱く有麗夜。
 悠亜は俊哉の一連の流れに驚嘆していた。

 「まさか本当にするなんて……どうやら、今日の俊哉は少し期待しても良さそうだね」

 「ご期待にはお応えしますよ、『悠亜』」

 その発言に今度は悠亜が目を丸くする。
 俊哉が自分を呼び捨てするなぞ、自発的な行動では一切されていなかったからだ。

 「……本当にどうしたんだい?そんな事を言われたら、もっと期待してしまうじゃないか」

 「先程も言いましたが、期待には応えますよ。悠亜にも有麗夜にも、僕の正直な感情をぶつけたいんです」

 数度深呼吸すると、俊哉はまず有麗夜に向けて言い放つ。

 「有麗夜。君は本当に真っ直ぐに僕に好意をぶつけてくれた。僕は何故それを向けて貰えたのか今でも理由は分からない」
 「でも、君の真っ直ぐさが僕は好きだ。吸血鬼なのに日中騒がしくて、勢い余って無理をして空回りする君も好きだ」
 「夜になると陽が出てる時以上に元気で、一緒に居て飽きる事がなかった。何時だって僕と一緒に居てくれた」
 「僕は、心から笑って傍に居てくれる君が大好きだと確信した。だから、僕と正式に付き合って欲しい」
 「勿論二人共学生だから、結婚はまだ出来ない。けど、将来的にはしたいと思っている」
 「……僕と、付き合ってくれますか?」

 偽る事無く自分の気持ちを俊哉は口にする。
 飾り気の無い言の葉の列ではあるが、だからこそ有麗夜に応えられる真っ直ぐさがあると俊哉は考えていた。
 対する有麗夜はというと、俊哉からは見えないが蒸気を噴出さんばかりに真っ赤に紅潮しながら狼狽していた。

 「あ……え?何で…………」

 「―――顔のデッサン狂う程嫌なのか?」

 「狂ってないし嫌ちゃうわっ!……でも、なんで今なのかな……って」

 尻すぼみになる言葉と同時に俯いて顔を隠す有麗夜。
 雰囲気だけで察した俊哉は、一呼吸置いて答える。

 「まぁ、何というか再確認だったんだよ。父さんに飲まされて倒れて、気付いたら有麗夜が居て。目を覚ました時に『あー可愛いなー』とか『やっぱり好きなんだよなー』って極自然に浮かんだんだ」
 「僕の気持ちはもうそれで固まったんだよね。じゃあ、後は早い内にこっちから告白しようかな、と」

 「あう……///」

 直球な俊哉の発言に、有麗夜は今度こそ沈黙してしまった。
 だが、俊哉はそれで終わらせない。

 「強引で悪いんだけど。返事、欲しいかな」

 「あ……その……よ、よろしくお願いします……」

 その返答に満足したのか、俊哉は今度は悠亜に首を向けた。
 心なしか、先程より気配を近く感じる。

 「妹陥落、おめでとう俊哉。お見事だったよ」

 「悠亜の言葉を借りれば拙速を尊んだ、というところですかね」

 お互い小さく笑いあう二人。
 だが、悠亜の声には別の感情が混ざっていた。

 「……でも、そうなると私は振られたって事だね。かなーり残念、かな?」

 選ばれたのは妹である。
 悠亜個人として、自分が選ばれなかったのは非常に残念ではあるが姉としては喜ばしい。
 俊哉の人格も、まぁ申し分ないだろう。
 少し素っ気無い部分があるが、それは彼の気持ちの整理をつける為に必要な態度だったのだと理解している。
 願わくば自分が傍に居たかったが、自分を選ばない以上は負担でしかない。
 これも友人以上恋人未満兼姉という欲張った立ち位置に居たツケだろう。
 負担になるよりは、このまま引いて『有麗夜の姉』として接して貰う方が彼の、そして自分の為である。
 
 「―――あぁ。でも有麗夜と結婚したら私は義姉って事だね。それはそれで魅力的だな……どうだい?『お姉ちゃん』って呼んでみるかい?」

 今、部屋が暗くて良かったと悠亜は考えた。
 人間の目では闇に慣れても見える距離と範囲に限界がある。
 夜目の利く有麗夜は俊哉の向こう側。
 声には現れていないが、悠亜の瞳は喪失感から涙が溜まっていた。
 そんな状態を知ってか知らずか、俊哉は口を開く。

 「何を言ってるんです?悠亜、僕と付き合って下さい」

 「「…………はい?」」

 姉妹同時に気の抜けた声を上げる二人。
 思考停止の中、先に復帰したのは悠亜だった。

 「えー……と、買い物に付き合うとか。そんなのかな?」

 「僕が悠亜を巡るヒロインだったらその発言は許されますが、生憎逆です。異性としてお付き合いを望んでいます」

 「え?どゆこと?え?」

 混乱冷め遣らぬ姉妹の中、今度は有麗夜が口を開いた。

 「俊哉俊哉、ちょっといい?」

 「何だ?有麗夜」

 有麗夜は俊哉と自分を交互に指差しながら、確認するように一句一句区切って話し掛ける。

 「俊哉、私と、付き合う。合ってる?」

 「合ってる。あと片言で無くていいぞ」

 「俊哉、悠姉とも、付き合う。何で?」

 「何でと言われてもな……」

 両手が使えれば顎に手を当てて考え込んでいたろうが、俊哉は暫く目を閉じて言葉を整理する。
 開いた時、俊哉の発言はある意味で納得出来るものだった。

 「どっちかだけを選びたくなかったから、かな」

 その発言に尚も混乱する有麗夜と、俊哉の思考を察したのか納得した悠亜。
 二人の表情が見比べられれば、さぞ面白いだろうと俊哉は苦笑する。

 「では、改めまして……悠亜」
 
 再度深呼吸し、悠亜に向かって向き直ると俊哉は表情を固くして声を出す。

 「悠亜。貴女は僕の負担にならないよう、時に友人として、時に姉として常に数歩空けて見守ってくれていた」
 「それは貴女が即座に踏み込める程度の距離だったけれど、その距離は僕を翻弄し続けた」
 「いつの間にか離れてて、それでも気付けば傍に居る。時々離れる時に見せる寂しそうな表情と近付く時の心からの嬉しそうな表情に僕は魅せられた」
 「だから、もっと近くに居る時間が長く欲しいんです。寂しい顔はして欲しくない。笑っていて欲しい」
 「僕は、貴女も大好きなんですよ。……僕の傍に居て下さい。悠亜」
 
 悠亜の口元が綻ぶ。
 前髪で目元は隠れてしまったが、その瞳には先程とは違う、歓喜の涙が溢れていた。

 「ずるいなぁ……それは。諦めようと思ったのに、断れないじゃないか」

 「それは危ないところでしたね。拙速を尊んで良かったと思いますよ……返事を、頂いても?」

 「ふふっ、強引だなぁ。嫌いじゃないけどね」
 
 俊哉の肩にそのまま頭を押し付ける悠亜。
 その様子はまるで飼い主に甘える猫のようであった。

 「勿論、喜んでお受けするさ。末永く、宜しく頼むよ♪」
 
 悠亜の返答に俊哉は胸を撫で下ろすと、未だ相互関係を整理しようと唸っている有麗夜に声を掛けた。

 「何だ、何処に悩む要素があるんだ?言ってみろ」

 「え……だって、俊哉は私と付き合って、で悠姉とも付き合って。悠姉と私は姉妹だから関係はそのまんまで……あれ?」

 話した事で整理出来たのか、有麗夜はある事に気付いた。

 「変わって……ない?」

 個人間の関係性はそのままである。
 ただ、一方通行と思われた想いが漸く双方向になった。
 変更点はそれ一点であった。

 「そうだな。正確には僕等は皆で揃って一歩踏み出した。今までも、これからも。ずっと一緒だよ」

 物事に成否がある以上どちらかを選べば必ず選ばれない方が生まれる。
 叶うにしろ諦めるにしろ、その対象と今まで通り全く同じ関係は望めない。
 壊れた道具を直す時と同じである。
 どんな理由であれ、一度壊れた関係はどうやっても戻らない。
 だが、俊哉達は今の関係を丸ごと一歩進める事にした。
 
 周囲との距離が変わるのは致し方ないが、懸念事項であった『お互いを不自然に意識する状態』を避ける事が出来たのである。
 彼等にとって現状それ以上を望む事は無いと言っていい。
 俊哉は、先の事は先の事、と今を満喫する腹積もりで居た。
 そこに迫る影がある。

 「むっふっふ……じゃあ、晴れて両想いになったって事で―――「あぁそうだ」」

 わきわきと父親譲りのいやらしい指使いで俊哉を剥こうとした有麗夜だが、唐突な俊哉の一撃に遮られる。
 いつの間にか俊哉の右腕が解放されており、隠していた水鉄砲が握られていた。
 その中身は既に一射分、有麗夜の顔面に直撃している。

 「まただよぉおおお♥♥♥いいじゃない今くらいいいいい♥♥♥♥」

 ベッドから転げ落ち、快楽にのた打ち回る有麗夜。
 その様子に俊哉は不思議そうな表情を浮かべ、水鉄砲を眺めていた。

 「あれ?希釈したハーブ水を入れていた筈だからあんな効果は―――あ」

 ベッドから身を乗り出して、俊哉は有麗夜に寄り添った。
 
 「ごめん有麗夜。さっきの、朝の特製ニンニクエキス入りだった」

 既に有麗夜は紅潮しきった顔で、身動き一つ取れずに居る。

 「それ♥まだ、あったん、だ……♥」

 当たった特製水に濡れた紅潮した顔。
 潤んだ瞳は快楽に翻弄されており、中空を見続けるばかりである。
 暴れた時に寝巻きのボタンが外れたのか、豊かな胸元が大きく覗いていた。
 
 だらしなく四肢を投げ身動きの取れない状態の有麗夜を見据え、俊哉は何かを思いついた顔をする。
 
 「そうだ、悠亜。今日は三人で寝ましょう。―――真ん中が有麗夜で」

 「成る程―――心得たよ。俊哉」

 そういうと俊哉は有麗夜の顔を拭くタオルを探し、悠亜は有麗夜を抱えるべくベッドから降りる。
 数分後、彼等は狭いベッドで川の字になって寝る事となった。

 「これ♥生殺しも、ん♥いいとこなん、あ♥けど♥」
 
 身動きの取れないまま抱き枕にされた有麗夜は、以前焦点の合わない瞳のままうわ言のように話す。
 正面は悠亜が、後ろは俊哉が固めた形となったまま有麗夜は文字通り板ばさみとなっていた。

 「んー♪有麗夜と一緒に寝るなんて何年ぶりだろうね。お姉ちゃん役得だなー♪」

 妹というよりは愛玩動物を愛でるように悠亜は有麗夜を撫で回した。
 だが、そんな触り方であっても一度快楽に導かれた有麗夜の意識は断続的に受ける刺激に灼かれている。
 加えて―――

 「僕の記憶が確かなら、昨日も一緒に寝ていましたよね。あれはカウントされないんですか?」

 首筋をくすぐるように撫でながら俊哉は有麗夜越しに問い掛ける。
 こちらは軽く触れる程度の力加減で時に手の平、時に指先と刺激を加える面積を変えながら壊れ物を扱うかのように慎重に触れ続けていた。

 「あれは俊哉を挟んでいたからノーカウントかな。やっぱり生はいいねぇ♪」

 「……それを言うなら直じゃないでしょうか?」

 意味深に取られかねない発言をしつつもお互いにスキンシップを止めない二人。
 当の有麗夜はといえば、最早声すら出せず虚ろな目で痙攣していた。

 (――――――これ、絶対配役間違えてるよ……)

 二人のお触り魔人が何時満足しきるのか。
 有麗夜は、長い夜の果てに自分の意識が残っている事をひらすら祈った。













 某所の建築物上。
 長方形で乱立しながらも整然と並ぶ中、一際その存在を誇張するように聳え立つ一棟に彼等は居た。
 赤い外套≪紅叫(スカーレット・クライ)≫を纏う真崎 久、そして白い忍装束≪白楼≫を纏う近江 利秋である。
 
 「やぁ、早いね。僕が一番乗りとばかり思っていたよ。君が一番乗りかい?」

 話し掛けられた久は、鼻から軽く空気を逃がし笑いながら答える。

 「いや。残念ながら二番手だ。一番先に来たのは彼女だな」

 視線を向けながら示唆する久に倣い、その方向を見る利秋。
 月光に照らされて陰になった部分から、小さな影が歩み出る。

 「遅いわよ、二人とも。淑女を待たせるなんて紳士失格じゃない?」

 青い肌、紅い瞳。
 長い闇色のブーツに裾の綻んだホットパンツを履き、ブーツと同色のチューブトップブラの上から大き目の暖かそうなベージュのセーターを着込んでいる。
 藤色の髪はツーサイドアップにされており、蝙蝠の羽を模した飾りの付いた大き目の赤い帽子を被っていた。
 今朝、豪を探しに来た少女達の中に居たデビル。メフィル・フォン・ファウトその人である。
 高めの幼い声ながら、艶を含む音を響かせ少女は悪態を吐いた。

 「ご免ご免。で、今日は何処に行けばいいのかな?」

 幼子の悪態を流しながら、軽い調子で利秋は聞き返す。
 その様子に溜息一つ吐いてメフィルは告げた。

 「この間占拠した教団参加の施設跡よ。建物内に図面に無い空間があったから、その調査と制圧」

 「この間というと……例の『望郷騎士団』とやらのか?」

 「そう。詳しくは現地で聞いて頂戴。理由は多分、着けば分かるから」
 
 詳細を聞かれるのが面倒だった為か、メフィルは簡潔に返答する。
 その様子は面倒なお使いをさっさと済ませたい子供のような雰囲気であった。
 久と利秋はその様子を察すると、用件を済ませる事とした。

 「分かったよ。それと、頼んでいた事だけど……」

 「えぇ、預かるわ。渡して頂戴」
 
 利秋が懐から出したのは既に文字が掠れ所々変色した一枚の紙だった。
 それに加えて久が取り出したのは、大きさが変色した紙と同様の符の束である。

 「……効果は高いけど、ただの強化符ね。これで試せばいいのね?」

 「あぁ、生物と無機物。同様に試して欲しい。その上で利秋が渡した状態になるかどうか、別の奴が作った強化符で試してどうなるかも含めて報告を頼む」

 「これ……同じものだったの?どうすればこうなるのよ……?」

 片手に強化符の束、片手に変色した紙を見比べながらメフィルは半眼で問い質す。
 どんな無茶をしたのか、と呆れているようだった。

 「詳しくは現場で調べてくれ。僕等の予想が外れている事を願うよ」

 利秋はそう言い残し靄に包まれながら消え去った。
 久も翼状に≪紅叫≫を展開させながら滑空して行く。
 一人取り残されたメフィルは、天を仰ぎながら呟いた。

 「……ま、夫の友人だもの。無下には出来ないわよね」

 腰に下げたポーチの中に符を仕舞うと、メフィルは高所から身を晒して飛び降りた。
 次いで背中から一対の羽が生える。
 悠々と羽ばたきながら遠ざかる彼女を最後にその場には誰も居なくなる。

 彼等の求めるものは何だったのか。
 天に在る月は黙するのみで変わらず。
 応えるものは何も無かった。



14/03/02 21:51更新 / 十目一八
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■作者メッセージ
更新十話目。十目です。
一応『年始ネタ』はこれにて完結とさせて頂きます。
誠に勝手ながら、自分の中で少し俊哉達が気に入ってしまった為可能であればこのまま暫くは完結タグを付けずにおこうと考えています。
イベント毎に駆り出す不定期連載、という形です。
過去編は別にするか思案中ですが、今後イベントが書ければと愚考しております。
でも早速雛祭り逃しちゃうんですよね(笑)
先行き不安ですが、どうぞ宜しくお願い致します。

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