読切小説
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ドールドール
 正直なところ、しがない物書きの僕としてはジャンルを選んでいる暇もなかった。いや、それでも担当がついているあたり、物書きとしてはまだまだ幸せな方だろう。中には物書きを目指しながら消えていく人の方が圧倒的に多いのだから。自分を不幸と思ってはいけないだろう。次々と潰れていく物書き志願の人たちから見れば、これも皮肉に聞こえてしまうだろうから。
 だから、僕はジャンルを選ばずに次々と作品を書き続けた――なんて、言えればいいのだが、実際はそこまで筆は進まなかった。葛藤の渦に投げ出され、苦悶する日々が続いているだけだった。
 確かなことは、ジャンルを選ばずに、の部分だけだ。
 いや、それすらも嘘か。選ばずにではなく、選べずに、だ。
 ともあれ、そんな苦悩が続いていたある日のことだ。
 思考が迷路に入ったときには気分転換が一番だと信じている僕は、その日新しいアイデアを求めて、昼下がりの散歩と洒落込んでいた。
 肌寒い日々が続く中でも、たくましく新年の始まりを祝うセールの看板を並べる商店街に入る。その商店街は良くも悪くも、町の商店街といった所で、ちょっとした惣菜などを買い揃えるにはちょうどいいが、しっかりとした買い物をしたい時にはやや物足りないと感じる所だった。
 そんな商店街に、一件の骨董品店があるのは以前から知っていたのだが、そこに、普段とは違う異変があった。
 いや、異変と言うにはそれは些細なことだったのだが、僕にとっては不思議なことに異変だと認識された。
 その骨董品店の前には、アンティークの小洒落た椅子が置いてあるのだが、そこに人間の少女くらいの大きさの西洋人形が鎮座していたのだ。
 人形。
 真っ白な髪と、青い双眸の人形だった。だが、それはぱっと見ただけならまるで少女がそこに座っているかのように見えた。よく目をこらせば、指に球体関節が見られるのだが、逆に言えばそこまで目をこらさなければ人形だとわからない。
 そんな精巧な造形に、この人形を作った作者の情念めいたものを感じて、僕はぞっとした。
 そこに、同じ何かを創り出す者同士、対面はなくともどこか通ずるものを感じたのかもしれない。僕は何を思ったのか、その人形を買うことにした。ここまでの情念を感じさせる代物ならば(少なくとも僕にはそう感じた)自分もその情念に感化されて、筆が進むかもしれない。そんな場違いな感慨に浸ってしまった。
 骨董品店の店主が言うには、いわくつきの代物らしかったが、いわくつきを怖がっていてはインスピレーションは降臨しないだろう。
 僕がその人形に魅せられ、財布を取り出すのに時間はかからなかった。
 その人形を買い、持ち上げてみると、ずっしりとした重みがあった。まるで本物の少女のような重みが。それがどこか生々しく感じ、背筋をぞくぞくとしたものが走っていくのを感じた。これほどまでに感性を刺激してくれるものならば、きっといいだろう。
 僕はすぐその人形を自宅に持って帰り、とりあえずは先ほどの骨董品店に倣って、椅子に鎮座させた。
 ふわりとした質感の髪の毛が手に触れ、僕は人形ではなく動けなくなった少女を、こうして恭しく世話しているのではないかと錯覚してしまいそうになる。

「…まさかな。それじゃあどう考えても、作家云々の前に変質者だ」

 僕はワーキングチェアに腰を降ろすと、デスクに置いてあるパソコンと向き合った。作品の締め切りはまだあるから大丈夫だが、しかしその慢心が何人もの作家を屠り、苦しめてきたのか僕は知っている。だから、こうして少しでも物語を進めておかなければならない。
 静かな部屋の中に、ブラインドタッチの音だけが響き、次々と文字が綴られていく。いや、これは綴られるというよりも打ち込まれると言ったほうが正しいだろう。
 くだらないことを頭の隅で考えながら、黙々と文字を打ち込み続け、八枚ほど物語が進んだ頃だった。

「ん……?」

 ふと、自分の背中に刺さるような視線を感じた。だが、この部屋には僕以外誰もいないはずだ。強いてあげるならば、ついさきほど購入した人形か。振り返るが、人形は変わらず椅子の上に鎮座していた。だが、なぜだろう。どこかその人形に精気が宿っているような気がする。
 職人が丹精込めて作り上げた代物ならば、そんなことを感じさせる魔力があって当然なのかもしれない。なら、その魔力が命でも吹き込んだのだろうか。
 そして、その人形は夜な夜な動き出すと。

「アホらしい」

 僕は視線を再びパソコンの画面に戻すと、マシンガンの一斉射のように打鍵音を響かせた。再度打ち込まれていく文字の弾丸。こうしている瞬間が、一番物書きらしいと思う。物語の展開に悩む時よりも、伏線の回収に子を産むような苦しみを味わっている時よりも。
 それからしばらくして、僕はなんとか苦労していた難所を切り抜け、作業に一段落をつけることができた。一仕事終えた達成感に浸るにはまだまだ早いが、それでも一息つくくらいなら、きっとどこかで青筋を立てている担当様も許してくださることだろう。
 煙草が吸いたい。
 僕は部屋を出て、外へ向かった。部屋の中での喫煙が気に入らないわけではなかった。ただ、この凝り固まった疲労感をとってくれるのは、外の冷たい空気と煙草の味だと思ったからだ。こんな時に、センチメンタルになっている場合ではないだろうが、モチベーションのことを考えると、こういう何気ないことでも馬鹿にはできない。
 渋い煙草の味を堪能した僕は再び部屋に戻り――違和感を感じた。
 家の中を誰かに物色されたように、少しずつだが物の配置が変わっていた。それだけなら、自然とずれてしまったのかと思うだけだったのだが、あの人形に至っては、椅子から落ちていたのだ。
 さすがに、人の形を模している物がこうなっていると、生理的に薄気味悪い。僕は人形を椅子に戻してやると、また辟易しそうな気持ちを堪えてパソコンに向き合った。
 部屋に入った時に感じた違和感が頭の中でちらついていたのは、ほんの少しの間だけだった。
 要するに、それだけの違和感だったのだ。その時は。

「さて……」

 どれくらい集中していただろうか、すっかり何枚も物語を進め、本日分の仕事を終えた僕は、自分へのご褒美に居酒屋へとくりだしていった。久しぶりに胃袋に詰め込む唐揚げ枝豆、ビールは精神の糧になった。もはや、このために物書きをしているのではないかと疑いたくなるくらいに。
 五臓六腑に染み渡るアルコールの感覚を堪能し、満足した僕は気分よく帰宅した。ここで物語ならば、部屋が荒らされているなり、あの西洋人形が部屋の中央に佇んでいるなり、そんな展開が待ち受けているのだろうが、現実は呆気なく、くだらなく。
 そんなことはなく、部屋は変わっていなかった。
 もっともそれは、部屋から人形が消えていることに気づいていないからこその感想だったが。
 その感想も、僕が寝室に入ると消えてしまった。

「え?」

 僕が寝室に入り発した、第一声はそれだった。現状を把握できずにいる自分が必死に理性を振り絞り、今、目の前に広がる光景を何とか常識の範疇に汲み取ろうとする。
 だが、目の前の光景をどう表現すればいいのか、わからない。物書きなのに、それすらわからない。おやおや、そんなことではあなたが踏み台にしてきた物書き達に失礼ではないのですか?大先生――なんて皮肉の声まで、聞こえてきそうだ。
 だが、誰だって、こんな光景を見たら、思考は止まってしまうだろう。
 人形が踊っている光景を見れば。
 電池式で動く人形、というわけではない。ただの人形のはずだった。その人形が今、僕の部屋で踊っている。白髪をたなびかせ、軽やかなステップを踏みながら。
 文字通りの、人形舞踊。
 僕は……こんなことを言えば、神経を疑われるかもしれないが、その光景に、恐怖はしていなかった。その姿に、心奪われていた。
 魅了されていた。
 美しさに、可憐さに、可愛らしさに。
 普通人形が踊っていれば、そのおぞましさにおののき、或いは己を無理矢理にでも鼓舞してその人形を壊しにかかるだろう。
 だが、僕はどちらでもなかった。
 どっちつかずだった。
 ある意味、最悪の選択肢。
 その人形と目が合い、自分が見られていることに気付くと、その人形は、

「きゃあ!」

 顔を真っ赤にしたかと思うと、慌てて僕の布団に潜り込んだ。
 …え?

「え、ちょっ、ちょっと待ってくれ!」

 まるで叱りを畏れる子供そのものといったように、その人形は布団に潜り込んでしまった。そのあまりに、人間の少女なら至極真っ当な反応を人形がしたことで、僕は思わず声をかけてしまっていた。
 人形が飛び込んだ布団の中央は膨らみ、よっぽど怯えているのか、かたかたと震えている。そんな馬鹿な。これじゃあ立場が逆だ。
 怪談で人を怯えさせる人形の噺は数あれど、人に驚き怯える人形があってたまるものか。そうは思っても、突然そんな態度を取られては、僕は下手に出るしかなかった。

「なぁ、驚かせて悪かったから、出てきてくれないか?」

 震えはおさまったが、しかしそこから出てくる気配は感じられなかった。まるで、僕の言葉が本当かどうか疑って――いや、まるで、ではなくて、疑っているんだろう。

「大丈夫、何もしないよ」

 口にしてから、ここまで胡散臭い台詞もあったもんじゃないと自分で思ってしまったが、幸か不幸か、かたかたと球体関節を鳴らしながら、人形――いや、彼女は這うようにして出てきた。
 その光景だけを切り取ったなら、僕は悲鳴をあげて裸足でも外へと逃げ出していただろう。だが、それよりも前の彼女を知っていた。舞い踊る、綺麗な彼女を知ってしまっていた。
 だから逃げ出すことも、彼女を壊すようなこともしなかった。

「えっと…」

 彼女は何を喋ったらいいのかわかりかねている様子だったので、まずは先に僕が喋る。

「初めまして」
「え?」
「え?って、いや、挨拶だよ。初めまして。僕の名前は梔子口名」
「クチナシ……クチナ?」
「そうそう。面白い名前だろ?」
「わ、私は…」

 そういいながら彼女は、名前を教えていいのかしばらく迷っていた様子だったが、やがて口を開いてくれた。

「アリア」
「へぇ、いい名前だ。それじゃ、アリア、これからよろしく」
「よ、よろしく……って、あなた、私が怖くないの?」
「怖い?どうして?」
「だ、だって人形が喋ったり動いたり」
「ああ、そんなこと」
「そ、そんなこと?」
「大丈夫だよ」

 僕は彼女の手をしっかりと握った。人形なんかじゃない、生の体温が手の平に伝わる。
 こうして僕とアリアとの共同生活が始まった。



 だから。
 だからといって、僕の日常に特別な変化が起きたわけではなかった。
 それくらい自然にアリアは僕の生活に溶け込んでいた。
 球体関節を鳴らしながら動き回る彼女は、あまりにも自然に僕の生活の一部になっていた。それどころか、彼女が僕の支えにすらなりかけていた。その理由は、至ってシンプルで、笑顔が可愛かったのだ。
 単なる可愛さではなく。

「クチナ、とって…」
「はいはい」
「ん、ありがと!」

 そう言いながら屈託のない笑みを浮かべる彼女は、なんというか、清らかに感じた。それはきっと、彼女が汚れてはいないからだろう。この場合、言うまでもなく物理的な汚れではなく、精神とか、目に見えない部分の、汚れ。
 人付き合いの中で阿諛追従することを覚えているわけでもなく、社会の荒波に揉まれているわけでもない。汚れていない、無垢な彼女。
 そんな彼女を見ていると、自分まで救われるように思えてしまった。
 新しい住人がもたらしてきてくれたのは、僕にとっては有益なものばかりだった。それこそ、今のこのおかしな現状が幸せだと感じるくらいに。
 だが、いいことばかりではない。
 困ったことも、当然あった。
 それは、

「クチナ!」

 元気よく僕の名前を呼ぶ彼女はいつも通りの、変わることない彼女であることに違いはない。ただ、一つだけどうしても挙げるべきことは、彼女が一糸纏わぬ姿で今僕の目の前にいることだろう。
 少女が裸で僕のような青年(と言ってもいいのかわからない年齢)と一緒にいるこの光景は、警察がいたならば問答無用で署に連行され、PTAが見れば間違いなく目くじらを立て、そして都条例は待ったなしで僕にレッテルを貼るだろう。
 だが、ここで一つ言い訳をさせてもらえば、僕達がいる場所は風呂場だということだ。
 風呂場でわざわざ服を着て入る人がいるだろうか?と、言い訳をしたところで背徳的な光景に変わりはないのだが。
 そう、彼女はその無垢さのために、その長所ゆえに欠点があった。
 社会的なことがわからないのだ。主に、善悪の部分で。
 と言っても、泥棒は駄目だとか、そういう基本的な部分は欠けてはいない。欠けているのは、こうした日常生活でのことだった。

「アリア、一緒に入るのはまずいって言ってるだろう」

 そう言って僕が諫めようとしても、

「どうして?」

 と聞かれれば返答に困ってしまうのが僕だった。

「どうしてって、そりゃ、社会的に云々かんぬん…」
「うんぬん?」
「その…」
「むぎゅ」
「うっ」

 彼女にどうやって説明したものかと困っている僕を他所に、密着してきたりするのでかなり性質が悪い。
 決して少女に性的興奮を覚えるような僕ではなかったが、それでもぴったりと密着されると、腹の底からせぐり上がってくるものがあった。

「ねーねー、髪洗って!」
「……はぁ、仕方ないな」

 こうして僕は屈服し、…いや、ちゃんと堪えている。ぜひこの機会に肖って――なんてことはこれっぽっちも考えていない。だが、僕は少しだけ、世の中から冷ややかな視線を浴びせられる人の気持ちがわかった気がする。
 無垢というのは、罪に近い。

「ん〜♪」

 そんなことを、髪を洗われて気持ち良さそうな声をあげる彼女を見ながら思った。



 彼女との生活での利点に、笑顔が見れることを僕は挙げたが、実はもう一つ、とっておきのことがあった。
 それは、僕の膝に彼女が座るということだった。
 たとえ幸せだと思えるような日々を送っていても、そこは不況不況と嘆かれる世の中。ちゃんと稼ぐものを稼いでいないと食ってはいけない。そんなわけで僕はまたパソコンと向き合って、近隣住民から苦情がくるのではと思うような打鍵音を響かせている。そのいつもの光景に、違うことが少しだけ。
 僕の視界に入るものが増えていた。
 打ち込まれる文字と、じっとこちらを見つめる彼女だ。
 向かい合う形で彼女は僕の膝に跨り、作業に没頭する僕をひたすら見つめていた。それも、毎度毎度。僕が仕事をするとなると必ずだ。
 別に、嬉しそうな笑みや真剣そのものといった表情が視界に入ってきたところで、僕の作業効率が変化するわけではないし、仕事の最中なので彼女にかまってもあげられないのだが、それでも彼女は僕の膝に跨っていた。

「そうしていて、楽しいか?」

 僕はそう聞くのだが、答えは決まって

「うん」

 それだけだった。
 何が楽しいのか僕にはわからなかった。彼女の感性からすれば、きっとこの光景のどこかに僕では見つけられないような面白みが隠れているのかもしれないと思ったのだが、彼女の視点になれるはずもない。
 気にしていても埒が明かないので、僕はひたすら作業に没頭するのだが、そんなことがずっと続いていたある日のこと。

「んっ…」

 彼女が、少しだけ僕の膝の上で動き始めたのだ。
 今まではぴくりとも動かずにじっとして僕を見つめていただけだったのが、ある日から少しずつ、擦り付けるような動きを彼女がするようになった。
 愛玩動物が、よく飼い主に身体を擦り付けるような、あの動き。
 その動きをやり始めたのだ。

「んん…」

 それだけならまだいいのだが、そこから彼女の目が少し虚ろになっているのに気付き、僕は慌てて彼女を膝から降ろした。

「おい、大丈夫か?目が潤んでるぞ。熱があるんじゃ」
「大丈夫」
「そうは言うけどな…」
「へへへ」

 風邪をひかれた日には、僕はどうすればいいのかわからない。

「大丈夫」
「本当か?ならいいけど…」

 その日はそれで終わったのだが、次の日も、そのまた次の日もそんなことが続くとなると、いよいよ僕も不安になってきた。
 だが、彼女は大丈夫の一点張りだった。
 迷惑をかけまいと思っているのか、彼女の真意は定かではないが、それを推し量ることができないでいる自分の不甲斐なさに、思わず膝に拳を叩き付けた。
 その時になって、やっと僕は気付いたのだ。
 うっすらと、湿り気を帯びている自分の膝に。
 そして、やっと彼女が何をしているのか、鈍間な僕の頭は理解した。
 なんてことはない。
 僕は人形にあのとき、こういうことも含めて魅入られていた、それだけだった。



15/11/11 22:05更新 /

■作者メッセージ
そんなお話でした。楽しんでいただければ幸いです。
最近、最初の頃にあげてたような作品を書いてないな、と思って書きました。
あっさり風味です。

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