連載小説
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滅殺の宇宙恐竜 灼熱の満ちる時
 ――レスカティエ北部・グリムセイ街――

(油断したな、ヤプール!)

 ヤプールが勇者相手にあっさり敗れ去った事を、グローザムは遥か遠方より感じ取り、その不甲斐なさに憤る。

(フン……“お互い手出し無用”が七戮将たる我等の不文律。我々が奴の失態を尻拭いする必要はない)

 配属されたばかりの新兵なら助ける気も起きようが、ヤプールは一軍を率いる歴戦の将であり、当然実力は折り紙付きである。だからこそ、グローザムは同僚を助ける気はさらさら無い。
 そもそも各自が一人で一国家を攻略し得るほどの規模の能力を誇る弊害で、全力を出せるのは皮肉にも味方のおらぬ一対多の戦闘である。故に七戮将が本気で戦う際には“各所に一人ずつ”というのが暗黙の了解。
 当然、最初から単独で戦うのが前提であり、その強さ故に救援を送る事は想定されていない。

(……ならば楽だったが)

 ……と言いたいところだが、残念ながらそうはいかない。
 なにせ、Mキラーザウルスを始めとする近未来テクノロジーや浮遊島の造成・構築、任意の場所への空間移動魔術式の帝国軍全体への普及など、ヤプールの業績を挙げればキリがない。そして当然、それらの知識が生み出した彼本人の頭の中に詰まっている以上、その身柄が魔王軍に渡る事になれば、それらも漏れてしまうやもしれない。
 もし彼が魔物どもに拷問を受けて情報を喋ってしまえば、今までエンペラ帝国軍に有利だった状況が途端に覆ってしまいかねないのだ。
 そして何より恐ろしいのが、帝国の本拠地が魔物どもにバレてしまう事だ。防備こそ固めてあるが、あくまで人間の出来る範囲内。王魔界のように空間の大気そのものが侵入者へ牙を剥くような非常識なものではない。
 当然、魔物どもが本腰を入れて攻め込めば、いくらエンペラ帝国軍の精兵といえど、そう長くは持ち堪えられないだろう。そうなればエンペラの民は残らず魔物に変えられる。それだけは絶対に、何としても絶対に防がねばならない。

『遅れてきた挙句、敵に捕まるとは世話の焼ける奴だ!』

 ならば、一刻も早くレスカティエを離れればならない。このサイボーグ戦士は心ゆくまでレスカティエの破壊と魔物狩りを愉しむつもりだったが、それが出来なくなった事で実に不愉快な心持ち、苛立ちを隠せなかった。

『出てこいカスども! そんなにこのグローザムが怖いか!?』

 しかし、そんな彼を苛立たせる原因がもう一つ。グローザムの剣技と冷気を恐れてか、魔物娘どもは遠巻きに矢を射って牽制するだけでろくに姿を現さない。
 彼が斬り、凍らせたのはいずれも一般人などの非戦闘員。大勢殺しても大した手柄になりはしないため、あの黄緑色の髪をした小賢しいワーウルフを探すが、彼女は一向に姿を現さず、虚しく声が轟くばかり。それでも矢自体は一応飛んでくるが、探知能力圏外の上に魔術による隠蔽により全く敵の居場所が分からないので、さすがの彼でも探すのは骨であったのだ。





 ――レスカティエ西部・エトヴェシュ街――

『ギィィィィィィィィッッ!!!! 馬鹿だぜアイツは!!』

 凄まじい怒りを見せるアークボガールはその鬱憤を晴らすかの如く、辺りの家々を己の発する超重力で手当たり次第に破壊していた。

『研究室に閉じこもる時間が長すぎて耄碌したのかァ!?』

 狂ったように大声を張り上げるアークボガールだが、それも無理からぬ事であった。彼とヤプールには、エンペラ一世の麾下に入る以前より深い因縁があったのだ。

『情けねぇ、情けねぇ!! かつて俺と覇を争った、大陸の半分を支配したという軍閥の長がヨォ!! あっさりと負けやがってヨォ!!』

 もう550年余り前になるが――とある大陸を東西で二分したという二つの軍閥があった。
 西半分を支配していた軍閥の長は当代随一の科学者にして魔術師たる、“不滅なる異次元空間”と恐れられたヤプール・ユーキラーズという男。一方、東半分を領していたのが彼、アークボガール・ディオーニドである。
 かつて自らの軍を率いた二人は己の領地を拡大すべく、それぞれが敵地へと攻め入り、殺し合っていた。しかし、お互い類稀に強力な能力を持ち、また強大な軍事力を有してはいたが、それ故か実力は互角で決め手に欠けた。そのせいか、両者の勢力は長い間拮抗していたのだ。
 しかし、ある時この大陸に新進気鋭の勢力『エンペラ帝国』が攻め入って来た。そうしてヤプール、アークボガール、帝国の三竦みになると思われたが、帝国を率いる“救世主”エンペラ帝国皇帝エンペラ一世の力の前に結局彼等は屈服する。しかし、その強さを皇帝に惜しまれたが故、生き残った部下共々その麾下へと加わる事となった。
 それから二人は過去の因縁を水に流し、共に皇帝へ仕えた。皇帝の死後も目的を見失わず、亡き主君へ忠誠を誓い続けたのである。しかし水に流したとは言っても、僅かながら蟠りはあったのだ。

『ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!』

 歯軋りし、奇声をあげる巨人。かつての仇敵が無様な敗北を遂げ、やるせない思いに猛る男はそれを少しでも晴らそうと、無差別な大規模破壊を繰り返す。

『ギアアアアアアアアアアアアアア!!!! 皆殺しだァァァァァァァァァァァァァァ!!!!』
(…怒っている今がチャンスだよぉ)

 そんな狂った巨人を濁った赤い目で遠くからじっと見つめるは、対照的に非常に小柄で可愛らしい少女。超重力の影響の及ばぬギリギリの範囲、そこに広がる瓦礫の物陰から、ほぼ全裸という破廉恥で淫らな格好の魔女が一人、彼の様子を窺っていた。

『………………臭うなぁぁ〜〜〜〜!!!! 意識してなくてもションベン臭ぇクソガキのニオイがよぉぉ〜〜〜〜!!!!』
「!!」

 だが、いくら怒り狂っていようと、獲物の存在を忘れはしない。それを示すかの如く、アークボガールの顔は魔女ミミルの方を向き、その双眸は彼女の姿を捉えたのである。

『安心しな! 痛みを感じる間も無いように、一撃でブッ殺してやっからよォ!!』





 ――レスカティエ南部・イエローストーン街――

『グオオオオ……こうも容易くやられるとは思わなんだ。もっとも、相手は魔王の夫。相手が悪すぎたとは言えるが……』

 仲間の敗北を感じ取り、戦闘中にもかかわらずデスレムは真紅と熱に染まった空を見上げる。

「よそ見とは余裕じゃないか!!」

 その余裕な態度をメルセは気に入らず、またわざわざ生まれた隙を見逃さなかった。彼女はその長い蛇体を瞬時にバネのように縮ませ、次いでその反動によって、しなる鞭の如き恐ろしい速さでこの巨漢に跳びかかったのである。

『…』

 だが、余裕だったのは真実。そう証明するかの如く、1秒にも満たない速さのメルセの攻撃をデスレムは見切っていた。

「う!?」

 大抵の蛇の攻撃は人間の反射神経では捉えられない。現にハブなどの毒蛇の噛みつきは、文字通り瞬きよりも速く俊敏である。
 鞭のようにしなる蛇体に気づいた時には既に噛まれており、そのあまりの速さから、人によっては噛まれるというよりは「打たれる」という表現を使う者もいる。
 しかし、その鞭の如き速さの跳びかかりをデスレムは事も無げに左手で掴み、次いで振るわれたハルバードもまた右手のフレイルの柄で受け止めていたのである。

『グオアア!!』
「がっ!」

 掴んだ蛇体をおもいきり石畳に叩きつけるデスレム。メルセは咄嗟に背中を向け、後頭部で両手を組んで受け身を取るも、怪力によって硬い地面に叩きつけられたために無傷とはいかなかった。

『グオオオオオオアアアアアアアアアアアア!!!!』

 そして、一度きりで終わりではない。まるで幼児が乱暴に玩具を扱うように、デスレムは咆哮をあげながら左手でメルセの蛇体を力任せに振り回し、石造りの建物や焼け焦げた石畳に叩きつけまくった。

「へっ……!」
『……!』

 その度に蒼白い皮膚が傷つき、裂け、打撲で痣となり、血を流す。しかし、このエキドナはそれでも意識を、得物のハルバードを手放さなかった。
 その美しい肢体が傷つき無惨な姿となりつつも、その赤い左目からは闘争心は消えるどころか、この巨人の戦士を鼻で笑う程の気骨を見せた。

『何がおかしい』

 そして、それをデスレムは甚だ不快に感じた。実力差を認識していて尚、諦めないその姿勢が癪に障ったのである。

「面白くて笑いも出るさ。ここから逆転劇が始まるからねぇ!」

 傷めつけられて尚笑みを浮かべた理由を問うために、一旦攻撃を止めたデスレム。
 そうするのを分かっていたかどうかは不明だが、せっかくの好機をふいにするのは惜しいとばかりにエキドナは素早く蛇体を動かし、デスレムの手から尻尾を引き抜く。

『!!』
 
 そのままデスレムの左手に蛇体を巻き付かせ――

「【アダー・サイクロン】!!」

 そのまま柔道技の要領で勢い良く地面に投げつける。

『グオッ!!』

 焼けた石畳の上に背中から受け身も取れずにまともに叩きつけられれば、普通の人間ならその時点で骨が折れ、さらに打ち所が悪ければ臓器が破裂してしまうかもしれない。しかし、この男にはそんな攻撃も大した効果が無いのはメルセ自身よく解っていた。

「そりゃ!」

 とはいえ、デスレムを仰向けの体勢に出来たのであれば十分。力を入れにくい状態であれば、振りほどくのも手間取ろう。

『貴様…!』
「根比べといこう! でもねぇ、アタシゃ負けないよ!!」

 凄絶な笑みを浮かべ、そう宣うメルセは黒い蛇体をデスレムの全身に巻き付かせ、全力で絞め上げる。
 脱出しようと巨漢の戦士はもがくが、体が焼けるのもかまわずエキドナが絞めつけるのもあって上手くいかなかった。

『グオオオオアアアア!! こっ、小賢しい真似をぉぉぉぉッッ!!』

 絶叫するデスレム。いくら魔物を超える怪力を誇ろうとも、不安定な体勢では前回と違ってそれを発揮しきれない。
 炎や流星で焼き払おうにも、メルセが密着しているためにこちらまで焼かれてしまう。彼は爆炎を吐き、燃え盛る流星を喚ぶ事が出来るが、同時にそれらが自らに降りかかった場合は防げない事をメルセは戦いの中で気づいており、このように利用したのである。

(待っててくれ。もうすぐ帰るから)

 メルセの脳裏に浮かぶは愛しい夫、そして自身と同じく美しく成長した我が子達。夫と子ども達は今も母の身を案じ、その帰りを待っているであろう。

「とはいえ、夫以外の男に抱きついているのは正直アタシもイヤなんでね! 根比べとは言ったが、勝負は出来るだけ早く決めさせてもらうよ!」

 そして、絞め上げるだけではない。彼女の髪から伸びる二匹の蛇が不気味に光る兜のスリットを潜り、彼の顔に噛みついたのである。





 ――レスカティエ東部・カタトゥンボ街――

『むぅ……強敵相手だと思っておりましたが、こんなに簡単に勝負が決しようとは……』

 瓦礫に腰掛けていたメフィラスは、至極残念そうな様子でドーム状の電流に覆われた空を見上げる。

『やはり世の中そう上手くはいかぬもの。大事に限って、予想や計画通りにいった試しがありませんね。
 私自身、あのお嬢さんに逃げられ、魔術での捜索を余儀なくされている有様。いやはや、このメフィラスともあろう者が情けないものです』

 しかし、そうは言うものの、その態度に焦燥は無い。とはいえ、それも無理からぬ事。
 魔王の夫、勇者エドワードの最終目的地は、よりにもよってエンペラ一世のいる“ダークネスフィア”だからだ。

『ヤプールの事は残念ですが……あの男に関してはどうにかなりそうです』

 いくらエドワードが魔王の夫に相応しい強さといえど、あくまで“人間であるならば”エンペラ一世には敵わない。それは絶対なる“真理”なのだ。

『ならば私はヤプールの奪還に赴くとしましょうかね』
「させると思う?」

 辺りに声を響かせ、曇天より稲妻を伴って飛び降りてくるはサキュバス・ウィルマリナ。その怒りを籠めるが如く、白く細い手に握られた剣を、瓦礫へ腰掛ける黒衣の魔術師に目がけて振り下ろす。

『それは貴女の決める事ではありますまい』

 ここは敵地のど真ん中。いくら実力がずば抜けていようと、何の用意も無しにくつろぐほどこの魔術師は不用心でなかった。

「くぅっ!!」

 当然ただの剣ではない。レスカティエ最強の勇者と謳われたウィルマリナの剣である以上、膂力も付随する魔力と効果も並ではない。
 にもかかわらず、彼女の剣は座っていた魔術師の体に触れる事も出来ず、容易く跳ね返される。

『フッフッフッフ! また会えて嬉しいですが……惜しかったですねぇ。
 私の頭に一撃を喰らわせられれば、このゲームは貴女の勝ちだったかもしれないのにね』

 立ち上がったメフィラスは左手の指で自らの頭を指しながら、体勢を崩して膝をついたウィルマリナを見下ろす。

『もっとも、わざわざそれをさせる気はありませんがね』
「くっ、電磁バリアーか…!」
『ほほう、さすが腐っても元勇者。よく見ておりますねぇ。
 ただし、より正確に言えば、それは“一番上”の部分ですが』

 そう言うと、ウィルマリナに見せつけるように、魔術師の全身を球状に覆う膜が光る。

『電磁バリア、亜空間バリア、霊術結界、病原性微生物防御膜などの性質が異なる防護結界を組み合わせ、幾層にも渡って重ね合わせた【多重層バリア】です!!』

 メフィラスはそれらの性質・術式の異なる防護結界を何十層にも重ねて造り上げた最強の結界で全身を覆い、ウィルマリナを待ち受けていたのである。

『おっと、話がそれましたね。では、本題に入るとしましょう。
 …貴女は途中で私の前から姿をくらまし、人命救助の方を優先して行われた御様子。しかしまぁ……結果は惨憺たるものであったようですが』
「……っ!」

 沸き上がる怒りを抑えきれず、悔しそうに歯噛みするウィルマリナ。メフィラスはそんな彼女を実に愉快そうに見つめ、その感情を逆撫でするかのように嘲笑い、煽り立てる。

『とはいえ、気に病む必要はございますまい。先ほど申し上げた通り、生きていても何の役にも立たぬのが魔物というもの。
 故にそんな連中がいくら死んだところで、誰が困るというものでもありませんからねぇ』
「っ! そんな理由で貴様は軽々しくあれだけの命を奪ったというのかっ!? これほどの惨劇を起こして、貴様は何とも思わないというのか!?」

 無数の稲妻が降り注ぎ、破壊し尽くされた街並みと、奪われた多数の命。夫以外に興味が無いと言われるウィルマリナですら、その光景には果てしない怒りを覚えていた。
 しかし、その惨劇を引き起こした張本人たるメフィラスの答えは、

『思いませんね』

 ――何の罪の意識も、良心の呵責も無い、それはそれは淡々としたものであった。

「……!」
『お嬢さん……貴女は虫を踏み潰す度に、あるいは雑草を引き抜く度に、いちいち罪の意識を感じていらっしゃるのですか?』

 その答えに呆然とするウィルマリナに『心底理解出来ない』という様子で問いかけるメフィラス。
 現魔王の力により、魔物娘は人に似た美しい姿、そして性の悦楽と夫の獲得を最優先にしつつも、それでも以前から見れば遥かに理知的・穏和な性質を手に入れた。
 しかし、メフィラス、いや皇帝も含めたエンペラ帝国の者にとって、それは魔物の命の重みが増す事にはならなかった。
 彼等にとっては今も魔物と人間の命は同等ではない。かつて魔物が残忍非道だった時代の記憶を保持する彼等にとっては今も魔物は不倶戴天、共存など考えるにすら値しない敵。そして当然その命はゴミクズ以下――虫や雑草、路傍の石ころにも劣る醜く下劣な存在であった。
 だからこそ、彼等は魔物を殺すのを一切躊躇わず、むしろその死に様を愉しむ事すらした。
 それこそ、かつて殺された自らや仲間、あるいは守るべき家族や民衆の無念と怒り、恨みを晴らすかの如くに。

『魔物の命など無駄、無価値、無意味。生きているだけで人間にとってこの上なく目障りで、邪魔で、傍迷惑な存在です。
 だから人間種の本来あるべき輝かしい未来を憂いた我々が、人類にとって危険極まる敵である貴女達を“駆除”して差し上げているのです。
 …まぁ、やり方は各人に一任されておりますので、人ごとに異なりますがね。
 ちなみに、私は“私が一番愉しいと思うやり方”でやらせていただいております』

 そう説明し、屈託のない笑みを浮かべた魔術師。しかしながら、フードの影になっていたために、残念ながらウィルマリナには見えなかった。

「何だと…?」

 天の裁きを思わせる無数の雷撃。それがカタトゥンボ街に降り注いで何もかも無差別に破壊し、多くの命を奪い、阿鼻叫喚の地獄を創り出した。

『魔物の絶望した表情、断末魔、無駄なあがき……実に滑稽で惨め、しかし同時に刺激的でもあります。
 どうも私はそれらを眺めるのが好きでしてねぇ……魔物がたくさんいる所では、ついつい鑑賞したくなってしまいます』

 そして、それをただ一人で実行した男だが、そんな事を平然と宣うだけあって彼には慈悲も躊躇いも無かった。それどころか幼子も大人もただ雷に打たれ、焼かれ、死んでいくのを心から愉しむ有様。
 流される血、肉の焼ける臭い、断末魔、絶望の表情……全て愉しみ、存分に堪能していたのだ。

『ですが、いくら遊んでも魔物(オモチャ)は尽きず、いくらでも“湧いて”きます。
 先人達、そして我々のたゆまぬ努力をもってしても絶滅せぬのは困りものですが……別の見方をすれば、貴女達を使って飽きるほど長い間殺戮(ゲーム)を愉しめ……』
「…もういい」

 愉しげなメフィラスの話を遮り、ゆらりと立ち上がるウィルマリナ。血に飢える狂人の妄言をいつまでも聞いているほど、サキュバスとなった彼女は優しくなかった。

『フッフッフッフッフッフ!! おやおや、怒らせてしまいましたか!
 貴女は慈悲深い女だったと聞いておりましたが、思ったよりも気が短い御様子で!』
「…新陳代謝の活発な脳で羨ましいよ」

 つい先ほどまで何を言っていたのか覚えてないかのようなメフィラス。それを慈悲深いという評判とも、淫らなサキュバスという現在の彼女とも違う、美しくも実に凍えきった表情を浮かべてウィルマリナは皮肉った。

「早くあの人の元へ帰りたいし、趣味の悪いお前の妄言を聞くのもいい加減うんざりだ。だから、今すぐ終わらせてやる」
『フッフッフッフ! だったら最初からそうすれば、余計な犠牲も出なかったのじゃありませんか!?
 しかしお嬢さん、私に勝てるとお思いのようですが、自らを過信しちゃあいけませんよ!
 貴女は“多少”名を馳せた勇者とはいえ、それも所詮は周りが持ち上げて騒いでいただけ!
 鳴り物入りで前途を嘱望されていたはいいが、結局は何も出来ないままに敵へ寝返った未熟な小娘にすぎないという事を忘れていらっしゃる!!』

 ウィルマリナ・ノースクリム――かつてレスカティエで最も強力な勇者と言われた女である。だが、十七歳の時にデルエラとかいう魔王の娘に襲撃され、その持てる才能を発揮する事無く、哀れにもサキュバスに作り変えられてしまった。
 同時に故郷レスカティエも一夜で陥落して魔界と化すも、魔物と化した彼女の心は狂い果てた。今現在に至るまでのレスカティエの有様に何の疑問も後悔も抱かぬばかりか、夫との性交に狂い耽る始末。
 そして、その噂を聞いたメフィラスはこう思った。

『ようするに――――無様なんですよ、貴女は!』
「なら、その評価を改めさせてやろう」

 その言葉を最後に激突する両者。天より降り注ぐ無数の稲妻に加え、地を走る雷撃、さらには魔術師の体からも放たれる豪雷。
 しかし、それらを危なげなく掻い潜り、ウィルマリナの剣はメフィラスの防護結界に無数の攻撃を加えていった。

『………………』

 けれども、この魔術師には全く慌てる素振りは無い。何故なら彼は気づいていた――このサキュバスが似つかわしくない怒りと正義感に燃えている事に。乱れているのは性でなく、その心であるという事に。
 そう、もう少しだった。普段は夫との性交のみを望むが故にかえって隙が無かったその心に、彼の術が入り込む亀裂が生まれるまで、もう少し待つだけであった。





 ――ダークネスフィア――

「うぉおおぁおおぉああぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ――――――――――――っっ!!!!」

 皇帝の左拳より放たれた連鎖衝撃弾の直撃により、絶叫をあげながら遥か彼方まで吹っ飛び続ける勇者エドワード。しかし、それだけではあの勇者を殺すには甚だ不足だとばかりに、皇帝は槍先より破壊光線【レゾリューム・レイ】を連射、追撃をかける。

「……くぅぅぅぅぁぁぁぁ!!!! こんのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」

 だが、かつてはウィルマリナ同様に最強の勇者と讃えられ、今も尚その実力は衰えていないエドワードである。本当に世界一周しかねない勢いでぶっ飛ばされてこの状況から脱出出来ず、遅れて声がついて来るような状態でも尚、剣だけは手放さない。

「せぇぇえぇぇぇぇやぁぁぁぁァァァァァァァァァァァァ!!!!」

 そして、水色に輝く刃を横薙ぎに振る事で、黄金色の弧状斬撃【ホリゾンタル・スラッシャー】が放たれ、光線に向かって直進する。

『!』

 黄金の斬撃は光線群に衝突し、十五秒あまりの拮抗の後、ついには引き裂き霧散させる。
 しかもその勢いは衰えるどころか増していくほどであり、射線上にいた皇帝に向かって尚も進んでいく。

『ほう…』

 本気には程遠い攻撃ではあるが、それでも破られた事には少々驚いたらしい。しかし、不気味な唸りをあげて斬撃が迫りつつも、見つめる彼の顔に焦燥の色は別段無く、態度もまた落ち着き払ったものである。

『ぬんっ!』

 その豪胆さを示すかの如く、斬撃が当たる寸前のところで槍を振り下ろし、軽々と真っ二つに断ち割る。

「ッ!」

 攻撃が防がれたのを感じ取ったエドワードはこれ以上飛ばされてはいられないとばかりに剣より爆風の如き魔力を噴射する。そうして、なんとか自身の軌道を地面へと擦りつけるように変えると、その強靭な両足による震脚を行って踏み止まる。

「せいッ!」

 さらには右手で剣を荒れ地へと突き刺し、より強く固定し――

「哈ッ!」

 そして残った左手に強烈な魔力を纏わせ、自身の背中を殴る。

『ん!?』

 その途端、勇者の中で未だに炸裂し続ける衝撃弾がなんと体外に叩き出されてしまう。こうして、標的を失った衝撃はそのまま何も無い空中で、自身が消滅するまで炸裂し続けたのである。

「イタタ……土壇場で思いついた方法だけど、どうやら正解だったようだね」

 ようやく攻撃から解放されたエドワードは立ち上がるとポータルを発動・設置し、瞬時にエンペラ一世の元へと移動する。

『……!』

 エンペラ一世はつい先ほど光線を迎撃された時とは違い、今は本当に驚いていた。
 追撃に放った光線と違い、【ナックルボンバー】は全力でないとはいえ、それでも殺す気で放った一撃である。にもかかわらずこの勇者には手こずりもせずに脱出されてしまった。

(殺すに至らぬ事は分かっていたが…)

 どうやらこの男の実力は、先ほど戦った図体ばかり大きいドラゴンや、レスカティエ攻略を鼻にかけた馬鹿女とは違うらしい。

『貴様、本当に人間か?』

 だからこそ湧いた疑問を、皇帝はすぐさま勇者へとぶつける。

「…その問い、そのまま貴方に返そう!」

 しかし、ここは戦場。問いかけると同時に、皇帝は双刃槍での刺突を雨霰のように繰り出す。
 そんな彼に苦笑しつつ、エドワードもまた刃で打ち落とし、あるいは受け止め、さらには躱し続ける。

(――なんという馬鹿力だ! 腕が痺れる!)

 エドワードは一見難なく対応しているように見えるが、実際にはそう楽に攻撃を捌いているわけではない。
 彼自身、白兵戦ははっきり言って大得意である。だがそれでも、この男の武芸の腕には驚嘆する。

(そして、それ以上に厄介なのは動作の疾さと正確さだっ!)

 五百年余りを生きたエドワードですら経験が無いほどに皇帝の槍は鋭く、重く、何より疾い。槍の扱いに極めて熟達しているのはもちろん、単純に一刺、一斬、一打全てが疾いのだ。
 そして、それは元々の身体能力の高さもあるが、槍捌きにおいて“ぶれ”や余計な力みが一切無く、かつ無駄な動作が極限まで削ぎ落とされたものであるのも地味に大きい。
 動きの一つ一つが最も効率的で滑らかな洗練されたものであるため、常に最速となり、かつ最も疲労が少ないのだ。そこへ人間としては考えられないほどの膂力まで加わるため、厄介極まりない。

(…いや、それだけじゃない!)

 さらに、何十合と打ち合う内にエドワードが察した事はそれだけではない。

(僕と違い、この男の攻撃はほぼ無意識…無心だ! 動作が最も効率的な上、思考という過程さえ省かれているから槍が……いや戦闘での動作全てが最速なのか!)

 エドワードが戦っている内に疑問を持ったのは、あれほど疾く鋭く、激しく攻撃を繰り出しておきながら、皇帝本人に殺気が感じられないほどに彼が無意識である事だ。
 にもかかわらず、向こうはこちらの攻撃を認識した瞬間、即座に“最善手”とも言える防御、回避を行う。さらには攻撃においても、こちらの気の逸れた瞬間や無意識に苦手とする体勢、攻撃法までを瞬時かつ的確に把握、そこを突いてくる。

『考えるのではない。感じるのだ』
「!」

 剣戟の最中、頭を目まぐるしく巡らしていたところへ、そんなエドワードの考えを読んだかの如く、皇帝が語りかけてくる。それを気味悪く思い、勇者は飛び退いて間合いを取った。

『貴様の身体能力、武技、判断力。全てが余の知る中で最高峰だ』
「恐縮至極だ!」
『だが、貴様は戦いの際に“考えて”戦っている。それが示すのはまだまだ経験が足りぬという事。
 惜しむらくはそれさえ無ければ、貴様はより完璧に近づけたであろうに』
「っ! 何だと…!」

 それだけが惜しいという風に、どこか残念そうな表情で語りかける皇帝。一方、皇帝の発言が全く的外れで気に食わないとばかりに、エドワードの表情が険しくなる。

「もう五百年余り過ごした人生、渡った戦場も二百じゃきかない。そんな僕が経験不足だと?」
『戦い方からして分かる。女色に溺れたが故、その五百年余りの人生が如何に怠惰で浅薄であるかが。
 さらには取るに足らない雑魚ばかり倒しては悦に浸っていた事がな』

 そう言って、冷笑を浮かべるエンペラ一世。一方、自らの歩んできた人生、さらには愛する妻と娘達と過ごした日々を侮辱されたエドワードの顔はさらに険しくなる。

「…如何にも自分は崇高な人生を送ったとでも言いたそうだね」
『そこまでは言わぬ。だが、艱難辛苦に満ちてはいたが、それでも魔王の悪事の片棒を担ぎ続ける貴様の人生よりは有意義であろうよ』
「……誤解が無いように申し上げておくが、妻はかつての魔物のように、人間を滅ぼそうとしているわけじゃない」
『果たしてどうかな? 種の統合とはなかなか斬新な大義名分だが、貴様の妻が陰で何を目論んでいるのかが分からんからな』

 かつての魔物を知るエンペラ帝国だけでなく、魔物に敵対する全ての者が皆、魔王に対する疑念を抱いている。そして、まだその誤解を取り除けないが故に戦が起きるのである。

「……魔物は人間の上位種であり、人を喰らい、害するように神より定められていた。妻はそんな魔物の本能を憂いた。魔物娘とは、その掟を打破しようとした結果だ。
 人間と同位同種となれば、魔物はもう人を害する事は無い。そして人間が雄、魔物娘が雌となる事で、妻は老いも病も苦しみも無い、愛と快楽に包まれた世界を創ろうとしている」
『魔の性質を変えようとした事は評価しよう。だが、人間の女が全て魔物に変わるとは実に腐臭のする世界だ。余は御免こうむる』

 そうして、今回もまた同じ結果に終わった。結局エンペラ一世の共感を得るには至らなかったのである。

「…人の女も皆魔物娘に変えようというのは、妻が自身の知る最高の快楽を伝えようとしたからだ」
『それをありがた迷惑、あるいは善意の押し付けと言うのだ。
 ままならぬ世の中とはいえ、せめて人間が人間である事には誇りを持たせてやれ』
「…これは手厳しい」

 皇帝の耳の痛い指摘に、エドワードも苦笑するしかなかった。
 しかし、エンペラもまた似たような真似を世界中でやりまくっており、あまり人のことは言えないのだが。

『さて、もう分かったであろう。余と其の方等は決して相容れぬ。
 余の夢にして生まれた意義。そのために成すべき事は、其の方等がいては成り立たぬからだ』
「それは僕等も同じ事。貴方がいては妻の夢は叶わない。悪いが、ここで倒させてもらう」

 己が生き様、夢、野望、理想、大義……それらが相容れぬ事を認めた両者が睨み合うと共に、強烈な殺気が交錯する。

『大きく出たな、若僧! 良かろう……このエンペラ帝国皇帝エンペラ一世の、救世主と呼ばれた男の力の真髄、味あわせてやる!!』

 しかし、そんな中でも尚猛々しさを失わぬエンペラ一世の鎧の首元からタールのようなドス黒い粘液が染み出すと、徐々に彼の頭部を覆っていく。
 そして、その光景を眺めるエドワードもまた本気となる。

『………………』

 首元から染み出した粘液はやがて皇帝の頭部を覆い尽くし、禍々しい兜のような形へと凝固する。それは奇しくも、それはゼットン青年がかつてアーマードダークネスを纏って暴走した際と同じ形状のものであった。
 しかし、粘液はそれでも尽きず、彼の背後にもまた伸びていく。

(あれが……)

 粘液が形作ったのはあくまで兜だけであったゼットン青年と違い、背後にも染み出したそれは漆黒の外套となり、鎧の背ではためく。

『待たせたな』
「いや、かまわない。こちらとしても、その姿で戦っていただけるのはまことに光栄」

 このように、全身を漆黒の武具で覆い尽くしたその姿は禍々しくはあるも、同時に荘厳で神々しくすらある。それを目にしたエドワードも一旦怒りを忘れ、代わりに敬意すら覚えたほどだ。
 そう、皇帝のこの姿が何を意味するか。僅かながらも同じ時代を生きた者としてエドワードは知っていたのだ。

「人類最強の英雄――そう謳われた男が全力で戦い、殺すと決めた相手のみが見る事が出来たという“完全武装形態”。まさか、目にする日が来るとは思ってもみなかった」

 そう、生身の顔を晒している内は、この男が本気で戦ってはいない証拠。だが、対峙する者が強敵であると認めた時、皇帝は自身の兜で顔を隠し、漆黒の外套を羽織るのである。

『ならば、己の結末も分かっているな?』
「“死”か…」

 そう、それ故にその姿を見た者は死ぬ。しかし…

「だが、ただ一度例外があるのは知っている」

 見ても尚生き延びた者が一人いる。

『…先代の魔王か。確かに余の生涯において唯一勝ちを得られなかった相手だ』
「しかし、僕にとっては有り難い話だ。つまり、貴方と戦っても生き延びられる可能性があるという事だからね」

 だからこそ絶望せず、平静を保っていられるのだ。

「ほう…勝つつもりか? このエンペラ一世に?」
「当然さ。妻の夢を叶えるために、もう一つはデルエラとバーバラの借りを返すため……そして最後に僕の欲しいものを貴方から奪うために」
『?』

 妻である魔王の野望を実現するために、エンペラ一世を倒そうとするのは分かる。しかし、それ以外にもまだ皇帝が持っているものがあるというのか。

「なぁに、つまらないものさ。“人類最強”の称号だよ」
『何だと?』

 そう言って、苦笑するエドワードの顔を見たエンペラは意外そうな反応を見せる。元は勇者だけあって、そんなものには全く興味が無いと思われたからだ。

「男ならば一度は憧れ、夢に見る物を貴方は持っている。意外だろうが、僕はそれが欲しくて仕方ないのさ」

 『人類と魔物娘を統合し、一つの種族とする』という妻の魔王の夢に賛同し、それを成すべく妻と淫らに交わり合う日々を送っていた勇者エドワード。しかし意外や意外、エンペラと出会った事で、子どもの頃に抱いたきり忘れてしまった夢を思い出していたのである。

「妻の夢を叶えたいが、そのためには貴方は邪魔だ。だから貴方を倒さねばならない。しかし、それは同時に僕の夢が叶う瞬間でもあるというわけさ」

 至極嬉しそうに語るエドワード。エンペラを倒す事は妻の夢の障害を排除し、同時に人類最強の称号も手に入る。即ち、エドワードにとっては一石二鳥なのである。

『くだらぬ望みよ。人類最強など、余にとっては気がつけばそう呼ばれていただけに過ぎぬものだ。そんなものに余は誇りもこだわりも抱いてはおらぬ』

 しかし、手に入るならば男なら誰もが欲しがりそうな称号も、エンペラにとっては別段取るに足らないものだった。故に、エドワードの望みは実にくだらぬものだと吐き捨てる。

「勿体無い」

 誰もが夢見ながら手に入らず、彼しか持ち得ないものを持ちながら、当人は大した価値は無いと言う。そんな物言いに、エドワードは不満を覚えるが…

「ならば、ついでではあるが、遠慮無くいただくとしよう」

 それならば奪い取られても文句はあるまいと思い直し、彼らしくないニンマリとした悪い笑みを浮かべる。

『欲しければくれてやる。ただし……』

 そんな不遜極まる勇者の態度を不愉快に感じたエンペラ。

『オ゛オ゛……オ゛オ゛………………』

 主に応えるかの如く、“アーマードダークネス”は各部を軋ませると、濁流の如き赤黒い魔力を全身より噴き出す。それらは瞬く間に二人の周囲、さらにはその一帯の空間をも満たしていく。

『余を倒せたらな』
「出来るさ。そのためにやって来た」

 その自信を示すかの如く目を細め、不敵な笑みを浮かべるエドワード。

『ならば、どうしようもない“現実”というものを教えてやるとしよう』

 皇帝の方もまた邪悪な冷笑を浮かべると槍を天に向け、その穂先より光線を三発放つ。それから十秒ほど経ったところで光線は爆発し、ダークネスフィア一帯に鳴り響くほどの大きさの破裂音を鳴らした。





『ん!? あれは!』

 一方、激戦の続くレスカティエ軍とエンペラ帝国軍だったが、その渦中でも鳴り響く音は遥か離れた距離まで届き、エンペラ帝国の兵士達に伝わった。

『合図だ!!』

 その意図を即座に読み取った帝国軍の兵士達は例え優勢、とどめを刺す直前でも戦闘を放棄、一斉に逃げ支度を始める。

『グルルルル! いいとこだったが仕方ねぇ!』
『パゴオー! 氷刃軍団、退くぞ!』

 それから三分もしない内に、エンペラ帝国軍の兵士は無傷の者も重傷者も皆ダークネスフィアより消失する。空間転移の際に使う術の特異さもあるが、それ以上になりふり構わぬ逃げ足の早さには、さしものレスカティエ軍でさえ逃亡先の捕捉すら出来なかった。

「……なんで全員逃げたの? 向こうの方が優勢だったぐらいなのに」

 地面に引き倒され、危うく首を取られかかったものの何故か助かったデビル。しかし、事態が呑み込めず呆気にとられた様子で呟くも、その疑問に答えられる者は誰もいなかった。





「なんだ、存外に優しいんだな」

 感心した様子でエドワードは呟く。

「巻き添えにならぬよう、予め部下へ逃げるように知らせるとは」
『エンペラ帝国軍は誰もが皆、忠勇共に備えた精鋭。例え雑兵一人であろうと、失うには惜しい者どもでな』
「そこだけは感心するよ。無いものねだりをしても仕方ないが、教団のお偉方も貴方のように部下思いだと良かったのだが」

 エドワードが嘆息する通り、主神教団は人使いの荒さに定評がある。今でこそ死ぬような事態は無くなってきたものの、かつてはその高い戦闘能力故に激戦地や危険な任務に優先して投入されたが故、死亡率は低くはなかった。
 かくいうエドワードも勇者時代はそんな実状を嫌がったが故、教団上層部と折り合いが悪く、頻繁に衝突したものである。
 王魔界に攻め込んだ結果、妻と出会う事が出来たものの、それが無ければ既に生きてはいなかったやもしれない。

「では貴方にならって、うちの娘と部下達も逃がすとしよう」
『させると思うか?』
「…そうだよなぁ」

 しかし、ここはエンペラ一世の創りし異界ダークネスフィア。そう容易く逃げられるはずもないのをエドワードは実感する。

『案ずるな。すぐに貴様の後を追わせてやる。もちろん、貴様の娘とオオトカゲも一緒にな。
 ――さぁ、目覚めろアーマードダークネス!!!! その力の全てを解き放て!!』
『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!!』

 そうして兜と外套に加え、エンペラはついに“戒め”まで解く。あまりの強大さ故に自身でも制御しきれなかった己の力と、眠らせていた暗黒の鎧の力の両方を解き放ったのだ。

『では、お互い悔いの残らぬよう、己の全てをかけて存分に殺し合おう』
「こちらは殺す気ないんだけどなァ…」

 それが第二回戦の合図にして、最後に交わした言葉だった。次いで二人が交わしたのはお互いの体躯。

『ぬぅ!』

 両者は正面から突っ込み、傍から見ればお互いの体がすり抜け、互いの位置が入れ替わったようにさえ見えた。そして、その間に攻撃を加え合っていた。

「くっ!」

 その一瞬において、繰り返した攻防は六十二。エドワードの斬撃の嵐を、エンペラは己の生涯で積み上げた“直観”を駆使して迎撃・防御・回避し、せいぜい鎧の上を掠めるだけにまで弱める腕を見せる。

「サーキュラー…」

 このように両者凄まじい腕を披露するが、別に己の武芸だけで戦い抜く必要は無いとばかりに、振り返ったエドワードの剣の切っ先に魔力が収束する。

「スラッシャー!」

 そのまま彼が右斜め、左斜めの二種類の魔力の斬撃を放ち、さらにそれらが射線上で融合。X字型の斬撃となってエンペラに突き進むも――

『“――――我が背負うは現世(うつしよ)全ての憤怒、憎悪、怨嗟、絶望。それらを糧とし喰らい、ただ世の太平を願う。
 なれども人の受難は続き、絶える事は無し。神は驕り、魔は嗤い、人は嘆くを我は永久(とわ)に見続ける。”』

 彼は動じずに詠唱を始める。

『“されど我は祈り願う。人々がその生に幸あり、その心が報われしを。
 なればこそ欲す。神の怠慢、魔の非道が蔓延りし世を打ち砕かんと。人々の無念、我が晴らさんと。”』
「……っ!」

 勇者としての異能故か、はたまた長い戦歴によるものか。皇帝の紡ぐ呪言、それに秘められたあまりに強い言霊を感じ取ったエドワードは言い知れぬ不安、今まで感じた事の無いほどの危機感を覚えた。
 そんな己の第六感に従い、勇者は技の直撃を待たずして上空へ飛び上がり、さらにはそこで全身全霊を傾けて作り上げた防護結界を展開する。

『“故に人々よ、心安らかであれ。汝らの祈りは大いなる熱となりて我が右腕が帯び、不浄なる大地大海を裂く。汝らの願いは心強き星光となりて我が右腕が纏い、曇天を穿つ。”』

 エンペラはそんな勇者を気にせず詠唱を続けるも、先ほどとは逆に防御も回避もしていないため、飛んで来た斬撃がそのまま彼の胴体へ直撃。甲高い金属音をあげる――

「なっ!?」

 ――も、アーマードダークネスには傷一つ付いていない。そのありえぬ事態にはさしものエドワードも驚愕の表情を浮かべた。

『“そして汝らが望む限り、我は神と魔に立ちはだかり、我が右腕は愚者を燃し、魔を砕き、神を弑そう。”』

 そんな些事などお構いなしに詠唱が続く中、最早形容出来ぬ量の魔力がその右腕に収束し始め、さらにはその熱で周囲を陽炎で歪めていく。

「うっ…うおぉぁ!! ナイトブレイブシュートォォォォォォ!!」

 勇者は慌てて次の攻撃を行うべく愛刀に魔力を注ぎこみ、それを光線として放つも、時既に遅し。

『さぁ、万物を滅ぼし尽くせ――【アルティメット・レゾリューム】!!!!』
「!!〜〜〜〜――――――………………」

 エドワードが目にした光景はそこまでであり、後は意識が途切れた。ただ、周りの土が何故か黒く変色していくのだけは一瞬だけ見えた気はするし、自分も何故か高速で吹っ飛んでいくのだけはなんとなく憶えていた。










「う、うぅ…」

 エンペラ帝国軍が逃げてよりすぐ、何が起きたかは分からない。しかし、何故か魔物娘達は苦しみ出し、デーモンだろうがバフォメットだろうが関係なく皆バタバタと倒れていった。

「く、くるしい…」

 圧倒的な魔力の発生を感じた瞬間、凄まじい“熱”が遠方より一瞬で伝わった。彼女等はそれに巻き込まれ、人間よりも遥かに頑丈にもかかわらず全く動けなくなったのだ。
 しかし、不幸中の幸いにも“発生源”からは100kmほど離れた位置にいたため、それだけで済んだのである。

(な…なにが…おきた…の)

 死地に赴いても尚、彼女等は死ぬ運命ではなかったのだろう。だから運良く離れた場所におり、そのおかげで生き延びられたのやもしれない。
 もし仮に皇帝と勇者より7km圏内にいれば、彼女等は全身の水分が沸騰して内臓が爆発していた。そして半径390m圏内にいれば、灼熱に焼き焦がされて文字通り“炭”と化していただろう。
 いずれにせよ、その美しい姿は醜く焼け爛れ、あるいは最早ただの炭素化合物と化していたには違いなかった。
17/01/07 16:23更新 / フルメタル・ミサイル
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■作者メッセージ
備考:アーマードダークネス

 エンペラの愛用した鎧と双刃槍“メサイア”が、いつしか纏った彼自身の圧倒的な闇の力を帯び、呪いの武具へと変化したもの。世界各地に存在する伝説の防具の中でも最高峰の力を持ち、装着すれば世界を支配出来るほどの絶大な力を得られるという噂が流布しているが、実際には最後まで鎧の力に耐えられるのはエンペラ一世本人のみ。事実、実力や精神の弱い者が装着したところで、遅かれ早かれ鎧に吸収されてしまう。
 ちなみにその成立自体は意外に遅く、帝国へヤプールが加入した際に齎された冶金技術によって完成した。そのおかげで並の鎧の倍近い厚みを持ちながら、そうとは思えぬほどに軽量である。また、装着者の体型とサイズに合わせて鎧が自動的に伸縮し、形状を調節するなど、結果はどうであれ装着自体は男女問わず容易。さらには物理や魔術問わず、魔王級の攻撃ですら大幅に軽減するなど、築き上げた伝説に恥じぬ多彩な能力を有する。
 完成自体は遅かったものの、人類最強と謳われたエンペラ一世、史上最強の軍隊と恐れられたエンペラ帝国軍と並び、帝国の恐怖の象徴となるのに時間はかからなかった。
 ただでさえ次元違いの力を持ったエンペラ一世が、同じく凄まじい力を持った異形の甲冑を纏って戦場を闊歩する姿は生前人にも魔物にも恐れられ、さらにその死後は神格化されたほどである。

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