連載小説
[TOP][目次]
夜の闇にまぎれ
炎が辺りを覆い尽くし風に煽られて煌く光景が目を焼き、それに紛れてたくさんの悲鳴が痛いほどに耳を貫く。
雪国の夜は光も音もなく真っ暗だというのに、ここだけは夕焼けを何倍も濃くした様な真っ赤に真っ赤に染まっていた。
ついさっきまで寒さを堪えながら睡眠を取っていた場所は炎に包まれ、ただそれを呆然と見ているしかない少年。

年の頃は十歳くらいだろうか。
声も上げず、両目から大粒の涙をこぼし、ただただ呆然と見つめる先には生まれてから今日まで自分を迎えてくれた我が家。
周りの声も耳に届かず、両膝を雪に突いたまま絶望に黒く塗りつぶされた瞳に炎を映す。

『も、燃える・・・うちが・・・燃える・・・』

うわ言の様に、「燃える、燃える」と繰り返す少年に向かって炎に弾かれた、我が家だったものの破片が飛んでくる。
それは頬を掠めて闇に消え、少年の顔に薄い傷をつけた。

そして、また火の弾ける音とともに少年の足元に何かが飛んできた。
それは少しの煙を上げながら、それでもそれが何なのか少年に気付かせる程度には形を保っていた。


赤いワンピースを着た金髪の少女を模したお人形。
少年の暗く炎を反射している瞳がそれに向けられ、無意識のうちに小さな手で拾い上げる。
幼い子どもの手からは少しはみ出てしまうほどのそれを見た少年の体が震え始め、前屈みに倒れこんで激しい嗚咽を漏らす。



しかし、次の瞬間には「ハッ」としたような表情で顔を上げると、人形を握り締めたまま炎の中に覚束ない足取りで近づく。
その行動に周りの人間が止めるように立ちはだかるが、まるで意味を成さない声を上げながら腕を振り上げ、血走らせた目で大人を睨みつける。
少年から一歩、また一歩と離れる大人を尻目に少年は足を踏み出し、炎に包まれ今ではすっかり炎の塊になってしまった我が家に手を伸ばす。

玄関だったところはすでに燃え落ち、生まれて初めて感じる温度に涙で濡れていた頬は一瞬で乾いた。
ボロの服や少年の黒髪は炎に中てられ、燻すような臭いとともに徐々に壊れていく。
それでも少年は足を止めず何事かを叫びながら慣れ親しんだ我が家の中を一歩、また一歩と奥へ進む。


怒りっぽいが何かとみんなの世話を焼いて、いつも家族のことを第一に考えてくれた母。
そんな母とは反対にいつもにこやかに笑い、家族みんなを大切にしてくれた父。
そして、自分とは5つ離れた幼い妹。



長く続く人間同士の戦争に駆り出された父。
そんな父を泣きながら引き止めた母。
事情の分からない僕と妹。
父は別れ際、まだ幼かった僕に母と妹を託した。


子どもの前では二度と涙を見せず、貧しくなった暮らしを少しでも良くしようと朝から晩まで働き続けた母。
一年も経たずに我が家を訪ねた知らない男が母に手渡した物は、一枚の手紙と僅かばかりの銀貨。
母はそれを握り締め、二度目の涙を流した。


それまで以上に仕事を増やし、文字通り寝る間を惜しんで働くようになった母。
この頃になると僕も村の手伝いをして僅かばかりのお金を稼ぐようになった。
同じ年代の子どもはいない小さな村では大人はみな優しく、僕たちを支えようとしてくれた。


ある時、いつものように少し離れた街に物売りに出かけた母が帰ってきたのは冷たい体になってからだった。
誰にも弱音を吐かず、子どもの世話と仕事に酷使された体は2年もせずに限界を超えて、それ以上生きていることができなくなった。


そうなってしまった理由もそうなってしまった原因も分からない幼い妹。

そうなってしまった理由とそうなってしまった原因を教えてもらった僕。



次の日から僕と妹は村の大人みんなの子どもになった。





父から託された母は守れなかった。
父から託された妹も守れなかった。


でも、今ならまだ間に合うかもしれない。
そんな想いで焼ける炎も忘れ、薄くなる空気にも気付かず、その場所を目指す。
奥から二番目の部屋には妹がかくれんぼで必ず使う“とっておきの場所”があった。


部屋の隅に据えられたそれには母のお気に入りの地味なドレスが大事にしまってある。
結婚にあたり、父が少ない貯金を切り崩して母にプレゼントしたものだそうだ。

そして母とお揃いの父のジャケットも大切にしまってある。
僕が生まれる前に二人で旅行に出かけた先で母が父にプレゼントした品。

最後の最後まで手放すことができなかった家族の絆。
その暗くて狭くて子ども一人がやっと入り込めるそこにいる時だけは父と母に抱かれている夢を見れた。



そっと扉を開けると中には泣き疲れて眠る妹。
僕は小さく息を漏らし、声をかけて体を揺する。
妹は薄っすらと目を開け、しかしすぐに嗚咽を漏らし泣き出してしまう。


今まで見たこともないであろう光景に感情の全てが恐怖へ塗りつぶされ僕の言葉も耳には届かない。
咄嗟に右手に握り締めていた人形を手渡し、妹の震える体を抱きしめて僕と同じ色の妹の黒髪をゆっくり撫でる。

「だいじょうぶ、こわくないよ。にいちゃんにまかせとけ」

5つしか歳の変わらない子どもではあったが精一杯の強がりをして、僕よりももっともっと小さい妹の手を握る。
妹は溢れんばかりの涙を溜めた泣き顔で小さく「うん」と頷くと僕の手を握り返す。

いつもなら数秒で歩ききってしまう廊下でさえ僕たちの足を掴み、歩けども歩けども出口にたどり着くことができない。
焦りと恐怖から体が震え、繋いだ手を通して伝わってしまったのか妹の足が止まってしまう。
声をかけようと後ろを振り向くと、妹の後ろから倒れてくる燃える柱が目に入った。

繋いでいた右手を離し、とっさに柱を突き飛ばす。

触れた時間は一瞬だった筈なのに、掌は縫い針をいくつも突き刺したかのように激しく痛んだ。
時間がないことを子どもながらに理解し、また泣き出し始めてしまった妹の手を痛む右手で握り締め、先ほどよりも早足で進む。
ようやく出口のすぐ目の前までたどり着き、妹の手を握る右手に力が篭る。


「もう、だいじょうぶだぞ」

妹を安心させようと後ろを振り向き、僕はそう言った。





『あー・・・最悪の目覚めだわ、こりゃ』

青年はベッドから体を起こすと、汗の染み込んだ下着を脱ぎ捨て、干しっぱなしになっている替えの下着を適当に引っ手繰る。
幼かった体つきは遠い過去に、動かすたびに筋肉の浮き出る四肢と多数の傷が刻まれた身体。
簡単に着替えを済ませるとベッドに腰掛け眉間を押さえる。

さっきまでの映像は青年が子どもの頃に体験した出来事。
振り向いたところで途切れたのは、その先の事を覚えていないから。

その場にいた村の人間に話を聞くと、爆発音の直後に少年の体だけが外へ投げ出されたのだそうだ。
少年がその事実を知ったのは、その出来事から二週間後の事だった。


確かに掴んでいた妹の小さな手。

自分の右掌に残る火傷の痕。


しかし、結局助かったのは自分一人だけで生まれ育った家も大好きだった両親も、最後に残された妹ももう居ない。
あの日の出来事はたまたま近くで起きた魔物と教団の戦いに巻き込まれ、魔物の手によって業火に焼かれたのだと教えられた。
そして生活する場所を失った少年はその後、教団に雇われていた傭兵の一団に引き取られた。


『・・・行くか』

青年は大きく息を吐くとそう呟き、ベッドから腰を上げると装備を身につける。
部屋を出ると雑に作られた急ごしらえの砦の中を歩いて目的の場所へと向かう。

時間は月と星が支配する真夜中。

『交代の時間だ』

青年は見張り台から砦の周囲を警戒している他の傭兵団の男へ声を掛ける。
ここは教団の管理している砦。
親魔物国との小競り合いが絶えない国境付近で、まさに前線基地として機能している。
しかし、各地で起きる魔物やその他の国との戦争で教団側の人手も不足しており、こうやって親魔物ではない傭兵団を雇って夜の見張りなどをやらせている。

青年の属する傭兵団は親魔物派でも反魔物派でもなく、あくまでも生活のために戦いに参加している立場。
個人的には妹や村の敵である魔物に対して好ましい感情は持っていなかったが、だからと言って戦場の最前線に立って魔物を滅ぼそうと思うほど憎悪してもいなかった。

『んじゃ、あとは頼んだぜ兄ちゃん』

それだけ言うと、今まで見張りをしていた男は欠伸をしながら自分の部屋へと向かっていくようだった。
『お疲れさん』
その背中に聞こえないくらい小さな声で青年は労いの言葉を掛けると、真剣な眼差しで砦の周囲へ目を向けた。
見張り台は東西南北へ一箇所ずつ、地上から5mほどの高さの櫓を組んだ作りになっている。
吐く息は白く濁る冬の季節。
真夜中となれば寒さは特に厳しくなり、普通の人間であれば手足が悴んで見張りどころではないだろう。

『なつかしいなぁ・・・』

しかし、雪国育ちの青年にはむしろ子どもの頃を思い出す懐かしい空気。
冬の夜は空気も澄んでいて夜空に浮かぶ小さな星まで見渡せるほどだった。



『ガンッガンッガンッガンッガンッガン!!!!!!』



しかし、突如としてその静寂を壊したのは金属同士を激しく叩きつける音。
それは4箇所の見張り台に吊るされている鐘が鳴っている音に違いなかった。
敵の接近を確認した際に砦に警戒態勢を伝えるためのもので、まさに砦に異常事態が発生する前触れだった。

鐘が鳴らされたのは青年のいる見張り台の右手側。
青年はすぐさま見張り台から飛び降りると警鐘の鳴らされた方へ走り出す。
目的の見張り台へ辿り着くとすでに2〜3人の傭兵が集まっており、青年は見張り台へ上がると遠くの空へ目を凝らした。


漆黒の夜空に浮かぶいくつもの影。
それらは左右に揺れることもぶれることもなく、スーッと星の隙間を通り抜けるようにしてこちらへ近づいてくる。


『あ、あれは・・・』

そこにあったのは編隊を組んで飛んでいる無数の影だった。
空を飛んでいることからして、普通の人間ではないだろう。
鳥にしては大きすぎるし、飛んでいる速度も早い。
そうなると、考えられるのは魔物。

あまり夜目の利かない人間と、人間以上の鋭い感覚を持っている魔物とでは圧倒的にこちらが不利なことはすぐに理解できた。
かといって、雇われている以上おいそれと逃げ出すわけにもいかない。
せめて、教団側が機能するまでこの場を死守しなくては総崩れになってしまう。

『おい、あんたとあんた!悪いんだが急いで教団の連中を叩き起こしてくれ。あとついでに、他の傭兵たちも!』

青年は見張り台の下に集まっていた傭兵の内、2人を指差してそう告げると背中に担いでいる装備の中から弓を選ぶと弦の張りを確かめて矢を準備する。

『俺たちはそれまでここを死守する。だから、できるだけ急いでほしい』

自分から危険な役割を買って出た青年に対して反論するわけもなく、指名された二人は二手に分かれると砦の方へ大声を上げながら走り出した。

『悪いが、あんたらも俺に付き合ってもらうぜ』

そう言って最初に鐘を鳴らしたであろう傭兵と、見張り台の下に残っている男達に声を掛ける。
腐っても傭兵。
血の気が多い男が多いのが当たり前で、青年の言葉に返ってきたのは夜空へ響き渡る雄たけびだった。


魔物発見からの行動が早かったお陰か、砦の人員はすぐに動き出し、砦中の傭兵や教団戦闘員が駆けつけた。
それまでの間、敵は攻撃してくることもなく、頭上を旋回しているだけだったのは奇跡であろう。
敵の姿を確認した教団の人間は敵の正体がワイバーンと呼ばれる魔物であることに気付くと、それを全戦闘員へ伝え各々の持ち場へ着くように檄を飛ばす。
そして教団の「放て」の声とともに無数の矢が放たれ、それに混ざって神父の放ったであろう魔術の火球が空に赤い筋をいくつも作った。

それまで敵ながら見事な編隊を組んでいた影が一瞬で弾け、散り散りに飛び交う。
そうなってしまうと高速で飛行する一つの影を人間の反射神経で狙いを定めることなどできる筈もなく、ただ同士討ちを避けるように闇雲に矢を射るしかなかった。
しかし、奇跡的に敵に当たりそうな矢でもワイバーンの口から放たれる炎のブレスで燃やし尽くされてしまう。

『ブレスに気をつけろ!あれに当たると鎧ごと燃やし尽くされるぞ!』

それは人間如きの放つ矢など形も残さず燃やし尽くしてしまうもので、いくら数を射ろうと空のあちこちで炎が生まれては力の差を思い知らされる。
矢だけではなく、教団の放つ魔術の火球もより大きな炎でかき消されてしまい、文字通り手も足も出ない。


『例のものを出せ!!!』


一際大きい声で教団の神父が指示を出すと、数名の傭兵が砦の一角から巨大な装置を運び出してくる。
今の危機的状況を打開すべく、引っ張り出されたのは巨大な投石器。
それもただの投石器ではなく、魔物の魔力を打ち消す銀を練りこまれた弾を打ち出す対魔物用の拠点兵器だった。

数こそ4基しかないが弓矢と火球での威嚇に加えて、投石器での攻撃。
さすがに打ち出す弾が大きい投石器の攻撃はブレスで燃やし尽くすことはできないようで、弾を避ける様に夜空を縦横無尽に飛び交う。

青年も近くに設置された投石器に駆け寄ると、弾を装填して一つの影に狙いを定める。
それは敵の編隊が散り散りになった今も、別のワイバーンにぴったりと張り付いて飛んでいるワイバーンだった。
他の影からすると大きさも一回り小さく、飛び方もどこか安定していない。

爆発しそうなほどに脈打つ心臓と緊張から震える手を押さえつけ、狙いを定め動きを予測し息を止めた。
空気を切り裂く音とともに放たれた弾は、影に吸い込まれるようにして夜空を切り裂いていく。

気を逸らせようと周りの傭兵が一斉に矢を放ち援護する。
それが功を奏したのか、無数の矢に気を取られたワイバーンは一瞬動きが止まり、その翼に弾が掠った。
その場で歓声が上がり、他の投石器周辺でも一気に空気が熱くなっているようだった。
輪の中心で狙った敵の動きを注視している青年の視線の先で、翼に弾を掠めたワイバーンは紙飛行機のように地面に向かって急降下していく。


『あとは任せた!』


青年はそれだけ言って他の傭兵に投石器の操作を任せると、腰に剣を携えてワイバーンの落ちていった方向へ走り出した。
そんな青年のあとを追って来た他の傭兵と手分けして地面に落ちたであろう敵を探す。
急ごしらえとは言え、国境付近を守る拠点であるこの砦は大きく、また外敵の侵入を容易にさせないために道も入り組んでいた。

小さな道を右に左に目を向けながら駆け抜ける青年はついにその姿を目の前にした。
それは崩れた小屋の中で背中を向けるような体勢で倒れており、青年が鞘から剣を抜く音にもピクリとも反応を示すことはなかった。
大声で仲間を呼ぼうにも相手を起こしてしまう危険を考えると、何とか早いこと味方に気付いてもらうことを期待するしかなかった青年は相手の動向に注意しながら忍び足で近づく。

ワイバーン・・・「飛竜」と言うだけあって巨大な翼を2枚持ったその姿はまさに魔物。
人間の爪よりも巨大な鱗が並んだその身体は青年の持つ安物の剣で傷つけられるか自信はなかったが、動かれる前に一突きで止めを刺すべく両手で剣を振り上げた。



『ッ!!!!!!』



しかし、いくら時間が流れようとも振り上げた剣が突き下ろされることはなく、剣を構えた青年は顔面蒼白になって呼吸すら止まっていた。

目の前で意識を失っている飛竜。
今の今まで背中を向けていたそれは、崩れた小屋の傾きのせいで寝返りを打つように体勢を変え、今では青年に正面を向くような格好になっていた。

魔物は人の血肉を啜る恐ろしい存在。
村を焼き、生まれた家を焦がし、妹を殺した元凶。



それなのに、その顔は幼い少女の寝顔だった。
14/11/19 16:44更新 / みな犬
戻る 次へ

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33