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異世界勇者召喚計画
 このところ、主神教団は負け越していた。局地的な意味でも、大局的な意味でも、彼らは憎き魔物娘に対してなんの勝ち星も挙げることが出来ずにいた。特にレスカティエの陥落は、教団にとっては戦力面と精神面の両方において、途轍もないダメージとなった。
 
「このままでは、いずれ世界は魔物娘に犯され尽くしてしまうだろう。そうなってはもはや神の威光は地上には届かず、この世はただ暗黒が支配するばかりの、絶望の世界となってしまう。それだけは絶対に避けなければならない」

 レスカティエより遥か遠方、一地方の辺境に置かれたその主神教団支部の構成員達もまた、他の教団と同じく警戒心を抱いていた。彼らはこの世界の行く末――正確には、自分達教団の未来を激しく憂いていた。このままではこれまで教団の中で築いてきた地位と富が全て無に帰し、未来は闇に閉ざされてしまう。下賤の民と同じ釜の飯を食うなどまっぴら御免だ。
 
「それだけはなんとしても阻止しなくては。我ら教団は、絶対に悪に屈してはならないのだ。この世から邪を祓い、正義の光で満たさねばならないのだ!」

 そこの支部長は、扇動者としては二流もいいところだった。しかしその程度の演説でも、配下の教団員を勢いづかせるには十分な効力を発揮した。この時、利口な者は全員教団から離れるか、自分から魔物娘の側についていたからだ。
 残った面々からすれば、その場限りで自分の心が気持ち良くなれれば、後は何でもよかったのだ。
 
「そのためにも、まずは戦力の拡充が何より急務だ。しかし教団外の者を無造作に引き込むのはリスクが大きい。このご時世、どこに魔物が潜んでいるかわからないからな。奴らは狡猾だ。人間に成りすまして我々に近づくことくらい、造作もないからな」

 しかし支部長は、全くの愚鈍というわけでもなかった。彼はそれなりに頭を働かせ、少しでもリスクを減らしたうえで頭数を揃える必要があると判断していた。そして今この時、彼とその取り巻きは、最もそれに適した手段を取ろうとしていたのだった。
 
「故に我々は、今こうして召喚の準備を整えているのである。こことは違う世界、異世界より勇者の素質を持った者を呼び出し、我らが教団の尖兵として働かせるのである。そして今回の召喚が成功した暁には、二人目、三人目と続けて適合者を召喚し、戦力を増やしていくのだ!」

 支部長が高らかに宣言し、その狭く薄暗い部屋に集まった配下の教団員が声を上げてそれに答える。しかし実際のところは、彼らの行おうとしている召喚術はそれに参加した術者の魔力を食いつくし、再び同じ術を行使するのに一か月はかかるものであった。おまけにその術は彼らの擁する魔術師全員が束になって初めて実行できる代物であり、要するに濫用は出来なかったのだ。
 ついでに言うと彼らは、自分達が異世界から勇者を召喚することを教団本部に報告することすらしなかった。これは自ら呼び出した勇者たちを手元に置き、いずれは自分達が教団の頂点に立つことを画策していたからである。彼らにとって目下の敵は魔物ではなく、同じ教団であった。
 富と権力に取り憑かれた者達の末路である。
 
「では、さっそく実行するのだ。ロザリアよ、後は頼んだぞ」
「はい、仰せのままに」

 そんなことは露ほども考えることなく、支部長が一団の中に混ざっていた女性に声をかける。ロザリアと呼ばれたその女性は、はこの支部に身を置く魔術師たちの長であり、支部長に忠誠を誓う敬虔な信徒であった。
 しなやかな肢体と、煌びやかな金髪と青い瞳を持った、絶世の美女であった。その美しさたるや、彼女とすれ違う者は皆例外なくその美貌に目を奪われ、老若男女問わず通り過ぎていく彼女の姿を見返してしまうほどであった。
 
「お任せください、支部長様。必ずやご期待に応えてみせますわ」

 そしてそのロザリアは、支部長からの要請に応じて恭しく一礼してみせた。首を垂れるその仕草にすら、気品が漂っていた。それからロザリアは自分の周りにいた部下の魔術師達に目配せし、部下達もそれを受けて無言で頷いた。続けて同じローブを身に纏った魔術師達はそそくさと部屋の中央へ向かい、そこで遠巻きに円を作った。
 支部長と残りの面々が、魔術師達から距離を取る。その後魔術師達が手で印を結び、一斉に呪文を唱え始める。それに呼応するように、魔術師達によって囲まれた床の上に青白い光が生まれ、その光は独りでに蠢き、円と直線で作られた複雑な魔法陣へと姿を変えていく。
 
「おお……!」

 その青白く光り輝く魔法陣を見た支部長は、思わず感嘆の声を上げた。この輝きこそが、自分達の未来をまばゆく照らしてくれる栄光の光であると、彼は信じて疑わなかった。彼の周りにいた配下たちも支部長と同じように、その魔法陣とそれを取り囲む魔術師達を歓喜の眼差しで見つめていた。彼らの想いは一つであった。
 おめでたい連中だった。
 
「異界に住まう光の御子よ、我が声に応えよ。我が願いに応じ、我が前に顕現せよ……」

 ロザリアが淡々と呪文を唱える。それに呼応するように、魔法陣の輝きもまた強さを増していく。それからロザリアの呪文に続けて配下の魔術師達も同じように呪文を唱え始め、その魔術師達による呪文の輪唱は室内の空気を猛烈に圧迫していった。
 息が詰まり、汗が流れ落ちる。一秒ごとに容赦なく空気が張り詰めていく。それでも支部長は彼女達から目を離そうとせず、食い入るようにその光景を見つめていた。
 
「我が光よ! 我が光よ!」
「我が光よ! 我が光よ!」

 ロザリアが叫び、配下が続けて叫ぶ。次の瞬間、限界まで張り詰めていた空気が一気に萎み、同時に魔法陣から光の柱が派手な音を立てながら勢いよく噴き出した。それはまるで室内に満ちた空気を糧としたかのようであり、そうして誕生した光の柱は天井をぶち抜かんとする勢いで天高く噴き上がり続けた。
 
「勇者よ! 降臨せよ!」

 ロザリアが両手を振り上げ、叫ぶ。
 刹那、柱が内側から破裂し、大量の光が魔術師と教団員に降りかかった。それはまさに、ギラギラと輝きながら迫る光の壁であった。
 
「ぐわっ!」
「きゃあっ!
 
 支部長と彼の取り巻きは、その目を焼かんばかりの強烈な光の波を前にして咄嗟に目を瞑った。彼らよりも近い場所で光に襲われた魔術師達は、体を通過していくその壁の質量に耐え切れず、悲鳴を上げて尻餅をついた。
 
「……成功ね」
 
 その中にあって、ロザリアだけがただ一人、平然とその場に立ち尽くしていた。目を閉じることも、悲鳴を上げることもしなかった彼女は、代わりに弾け飛んだ光の柱の中に現れた「それ」を視認し、一人淡々と呟いた。
 
「あれ? あれ、え……?」

 そのうすぼんやりと輝く魔法陣の中心、かつてあった光の柱の中心点には、一人の少年がへたり込んでいた。あどけない顔だちと茶色い髪を備えたその少年は、状況が理解できないかのように呆然としながら、目を皿のようにして辺りを見回していた。
 
「お初にお目にかかります。我らが勇者よ」

 そんな少年を前にして、ロザリアが恭しく片膝をついて恭順の態度を示す。彼女の配下である魔術師達もそれを見てすぐに平静を取り戻し、慌てて少年に向かってロザリアと同じポーズを取る。最後に支部長と彼の部下が、大急ぎでロザリアたちと同じ体勢を取って従属の意志を見せる。
 
「な、何が? どうなってるの?」

 意味が分からなかった。少年は恐怖すら覚えながら、一斉に自分に向かって頭を下げた余所者連中を凝視した。
 そんな少年に対し、ロザリアはゆっくりと顔を上げながら声をかけた。
 
「あなたは希望の星として、この世界に召喚されたのですよ。我らが救世主よ」

 その声は柔らかく、聞く者の警戒心を解すだけの慈愛に満ち溢れていた。
 
 
 
 
 その後、何が起きたか戸惑う少年に対し、支部長が一同を代表して彼のおかれた状況について説明を始めた。自分は勇者の素質を持つ者としてこの世界に呼ばれたこと。この世界では魔物が侵略活動を行っており、人類は滅亡の淵に立たされていること。この状況を打破するために、救世主として魔物討伐に協力してほしいということ。支部長はそういった内容の言葉を、懇切丁寧に、かつ寒気がするほど柔らかい物腰で語って聞かせた。
 
「ですからどうか、お願いします。我々と共に、あの憎き怪物どもを抹殺しようではありませんか。あなたのその力でこの世から闇を打ち払い、世界に光をもたらそうではありませんか」

 言葉遣いこそ丁寧だったが、その言動の端々には憎しみや怒りが滲み出ていた。おまけに彼の語る情報は酷く教団よりに偏ったものであり、彼の取り巻きもまた支部長の主観に満ちた話に大きく同意してみせた。客観的に物事を見て、冷静に世の情勢を判断できるだけの観察眼と胆力を持った者は、この場には一人もいなかった。
 
「そ、そうなんですか……」
「そうですとも! ですから何卒、何卒あなたに勇者として立ち上がっていただきたいのです! あなた様のお力を、我々に貸していただきたいのです!」
 
 しかし他所の世界から無理矢理召喚させられたその少年は、そんなことなど知る由も無かった。そして支部長は、そんな彼の無知さに付け込んだのだ。彼とその配下は純真無垢な少年に嘘八百を吹き込み、この世界が本当にそうであると思わせようと企んだのである。
 
「どうか! どうか我らに力を! 悪魔を滅ぼす力を!」

 さらに支部長たちは泣き落としにかかった。支部長の悲痛な声を皮切りに、その場にいた全員が少年を取り囲んで一斉に跪いた。少年はただ唖然としながら、額に冷や汗を浮かべるばかりだった。そんなこといきなり言われても困る。
 
「お願いします! 我々に手を貸してくだされば、必ずあなたを元の世界にお戻しいたします! ですからどうか、我々をお助けいただきたい!」
「お願いします!」
「勇者様! お願いします!」

 支部長の要請は、もはや脅迫じみたものとなっていた。彼は是が非でも、この少年を仲間に引き入れたいと考えていた。手駒は一つでも多い方がいい。それに代わりはいくらでもいる。使えなくなったら切り捨てて、また別の世界から勇者候補を呼び出せばいいだけだ。
 そんな本心をおくびにも出すことなく、支部長は徹底して少年の良心を突き続けた。少年が逃げられないよう全員で取り囲み、その上で彼に勇者役を押し付けようとした。
 
「勇者様!」
「救世主様!」
「我らがセイバー!」

 壊れたラジオのように、同じ言葉ばかりを浴びせかける。終わりの見えない礼賛の嵐。もはや洗脳だった。彼らは少年が要請に応じるまで、同じことを何分も、何時間も続けるつもりでいた。
 そしてついに、耐性のない少年はそれに屈服した。教団員が勇者コールを始めてから一分後のことであった。
 
「……わかりました。引き受けます……」

 その彼の言葉は弱弱しかった。しかし支部長たちは耳聡くそれを聞きつけた。少年の首肯は使命感や善性から来るものではなく、これ以上黙っていたら殺されるという危機感から来るものであった。しかし支部長たちにとっては、そんなことはどうでも良かった。彼が勇者となってくれるのなら、他がどうなろうが知ったことでは無かったのだ。
 
「おお、では!」
「なっていただけるのですね! 我らが勇者に!」
「は、はい……」

 満面の笑みを浮かべながら教団員が詰め寄る。少年はただ頷くしかなかった。
 それ以外に選択肢が無かったからだ。
 
 
 
 
 その後はとんとん拍子に話が進んだ。支部長はまずこの少年を、ここの近くにある訓練所に送ることにした。そこで彼に訓練と教団の思想の植え付けを行い、勇者として相応しい姿に変えようとしたのだ。
 
「ではロザリアよ、勇者様を頼むぞ。このお方を、一日も早く勇者たるに相応しい存在に育て上げるのだ」
「かしこまりました。我が主よ」

 そして支部長はその勇者の育成を、ロザリアとその配下に一任していた。彼の取り巻きの中で、ロザリアの一派が最も高い忠誠心と剣術の腕を誇っていたからだ。魔術師であるロザリアがなぜ剣の腕も立つのか、それを疑問に思う者は一人もいなかった。
 何度も言うが、今の教団には無知な愚物の掃きだめと化していたのだ。彼らは強いと断じた者は、疑いもなくそれを重用したのである。
 
「では、我々が責任もってこの方をお連れします。後は我々にお任せを」
「うむ。頼んだぞ」

 それは支部長も同様だった。彼はロザリアとその取り巻きに関して、なんの疑念も抱いていなかった。支部長はただロザリアに全てを任せ、ロザリアもまた彼からの全権委任を快く受け入れた。少年は現実感のない、茫洋とした眼差しで、そんな二人のやり取りを見つめていた。ある意味当然の話であるが、彼はまだ自分の置かれた状況を飲み込めずにいた。
 
「では勇者様。私達が案内しますわ。こちらへどうぞ」

 そんな勇者に、ロザリアと彼女の配下二人が近づいてくる。そして少年の前に立ったロザリアは、そう言いながら自然な手つきで彼の手を優しく握った。ロザリアの手は細く、びっくりするほど冷たかった。
 そんな唐突な感触に少年が驚いていると、その少年に向かってロザリアが微笑みながら声をかけた。
 
「さ、行きましょう」

 思わず少年がロザリアを見つめる。そして次の瞬間、少年は自分の心臓が一瞬大きく飛び跳ねるのを感じた。
 それほどまでに、ロザリアは美しかった。そしてそのあまりの美貌故に、少年は彼女の顔を直視することが出来なかった。少年は咄嗟に視線を逸らし、そんな少年の初心な反応を見たロザリアはクスクス笑った。
 
「大丈夫。あなたを取って食ったりはしませんわ。私に任せて。ね?」

 それは聞く者の心に深く染み込み、そのささくれだった精神を落ち着かせるだけの優しさと柔らかさを持った言葉だった。少年も例外ではなく、彼はそんなロザリアに惚れ込んだように、ただ呆然と頷くだけだった。
 少なくとも、ここの他の連中よりは、ロザリアの方がずっと信用できる。少年はそう思い始めていた。
 
 
 
 
 それから少年とロザリア、そして彼女の部下二名は、一緒に同じ馬車に乗って支部を後にした。行先は支部長の言っていた訓練施設。そこで少年はみっちりと訓練を受け、完全に教団の思想に教化された勇者へと生まれ変わる予定であった。
 だがロザリアと彼女の部下、そして馬車を動かしていた御者の女は、誰もそれを望んではいなかった。
 
「はあ、猫被るのも一苦労ね。あれが馬鹿だから助かってるけど」

 馬車に揺られながら、唐突にロザリアが口を開く。心の底から嫌がっているような、そんな響きの言葉だった。そしてそれを聞いた少年は、こっちの世界にも派閥争いとかがあるのだろうかと、そんなことを考えたりしていた。彼はロザリアの嘆きをそう捉えていたのだった。
 しかし現実は違った。
 
「ねえ君、名前は?」

 ロザリアが興味津々とばかりに顔を近づけ、少年に問いかける。それは人懐っこく、疑心も警戒もない純粋な好奇に輝く表情だった。
 
「さすがに勇者様じゃ、味気ないでしょ? 君の本当の名前を聞かせてほしいな」
「ぼくの、ですか?」
「ええ、そうよ。私はロザリア。こっちの二人がアンナとカレン。それで、君の名前は?」
 
 未だ状況を整理しきれず、無意識に肩肘を張っていた少年の心を解すには、それは十分な威力を発揮した。若干気圧されながらも、少年は自分の名前を正直に告げた。
 
「僕は、安本幾人って言います」
「ヤスモト・イクト、か。イクト君ね。じゃあよろしく、イクト君」

 ロザリアが少年の名前を呼びながら、そっと手を差し出す。少年――幾人もまた、少し躊躇いがちにその手を握り返す。そうして少年と美女はしっかりと握手を交わし、それからしばらくして手を離したロザリアが、続けて幾人に声をかける。
 
「じゃあイクト君。今この世界がどうなっているのかについては、もう知ってるわよね?」
「は、はい。さっき聞きましたから」
「悪魔が跳梁跋扈して、人類が滅亡の淵に立たされているって話だったわよね?」
「そうです。そんな感じの話です」

 ロザリアからの問いに、幾人は小さく頷いた。支部長が熱心に語って聞かせたこの世界の「略歴」は、不運なことに、幾人の心にしっかり刻み込まれていた。するとそれを確認したロザリアは、彼の眼前で心底残念そうにため息を吐いた。
 
「あの人間、本当嘘つくのだけは上手なんだから。もう嫌になっちゃうわ」
「え? あの、それって……?」

 戸惑う幾人に、ロザリアが妖艶な微笑みを向ける。それだけで頬が紅潮し、下腹部が熱くなっていく。幾人はそれ以上何も言えずに生唾を飲み込み、そしてロザリアはそんな幾人を見て「あなた、可愛いわね」と言ってから言葉を続ける。
 
「ねえ幾人君。本当のことを知りたくないかしら?」
「本当のこと?」
「ええ、本当のこと。ここだけの話、支部長の言ってたことは全部嘘なの。あの人間、適当なこと言ってあなたを騙そうとしてたのよ」
「どうしてそんなことを?」
「あなたを自分の手駒に加えるためよ。勇者とか救世主とか都合のいいこと言って、あなたを担ぎ上げようとしてるのよ。まあ、あなたに光の勇者の素質があるのは事実なんだけどね」

 何十億と言う人間の中から素質のあるものとして幾人を選んだのは、他ならぬロザリアである。彼女がそのことも含めて幾人にそう説明すると、今度は幾人の方から彼女に食いついてきた。
 
「そんなこと言っていいんですか? あの人、ロザリアさんの上司なんでしょう?」
「まあ、上司と言えば上司になるわね。私としては、あの人間に忠誠を誓ったつもりは一度もないんだけど」
「そんな」
「ついでに言うと、教団にも忠誠を誓ったつもりは無いわ。あんな窮屈で性悪な場所、こっちからお断りよ」
「あなた、教団の人なんでしょ。そんなこと言ったら首が飛びますよ」
「あら? 私は別に教団関係者であると言った覚えは一つもないわよ? ただ単に、連中と同じ服を着てるだけ。何度も言うけど、私はあそこの連中に対して忠誠とかは欠片も抱いてないから」
「あなたは……」

 あなたは何者なんですか。幾人が不意に口走る。それを聞いたロザリアは、待ってましたとばかりに目を細めて幾人を見据える。
 
「知りたい?」

 ニヤニヤ笑いながら、ロザリアが問いかける。彼女の両脇にいた部下二人も、同じように興味深げな視線を幾人に送って来る。幾人は咄嗟に、自分が後戻りできない状況に追い込まれたことを察した。
 しかし幾人は結局、好奇心に任せて前へと進んだ。これ以上事態は悪化しないだろうという、捨て鉢な想いからの行動だった。
 
「はい。知りたいです」

 幾人が小さく、しかしはっきりと答える。それを聞いたロザリアと取り巻き二人は、互いに顔を見合わせてニヤリと笑う。
 
「わかった。じゃあ教えてあげる」

 そしてロザリアがそう言った直後、三人の体が紫色の光に包まれた。何事かと幾人が驚きその光景を見つめていると、やがて光が薄れていき、その膜の中から「何か」が姿を現した。
 
「ふう。やっぱりこの姿が一番落ち着くわね」
 
 露出の激しい煽情的な衣装。頭から生やした一対の角。背中に見える蝙蝠の翼。腰から伸びた長い尻尾。
 
「おまたせ」

 そんな明らかに人間離れした姿を持った三つの「何か」は、そう言って幾人に微笑みを投げかけた。幾人は何が何だかわからず、ただ目を白黒させるだけだった。
 
「あの、これって」
「こっちが私達の本当の姿。サキュバスよ」

 サキュバスの本性を現したロザリアがにこやかに答える。彼女の両隣にいたサキュバスも、ニコニコ笑ってこちらに手を振って来る。
 
「あと、あそこで私と一緒に召喚術を行った人たち、あれも全員サキュバスだから」
 
 ついでに言うと、この馬車を操っていた御者もいつの間にかサキュバスへと変じており、肩越しに幾人たちを見ながら手を振っていた。
 
「私達、魔物娘です♪」

 そうしてサキュバス四人組を代表して、ロザリアが明るい声で告げる。まだ教団の言葉を信じ切っていた幾人は咄嗟に身の危険を覚え、彼女から距離を離そうとするかのように、背もたれに背中を押し付けた。
 
「待って待って。そんなに怖がらないで。別に取って食おうってわけじゃないんだから」

 そうしてあからさまに怯える幾人を見て、ロザリアが慌てた調子で釈明する。悪魔と言うにはあまりにも人間臭い、愛嬌のある反応だった。
 それを見た幾人は、ほんの少しだけ警戒を緩めた。そんな彼に対して、ロザリアは努めて平静を保ちながら、自分達のことを懇切丁寧に説明し始めた。
 
「簡単に言うと、スパイってやつね」
「スパイ、ですか?」
「ええ。教団が妙な真似しないように見張るのが、私達の仕事。最近は大人しくなってきたんだけど、それでも教団連中はロクなこと考えないからね。それを未然に防いで、教団が勢いづくのを阻止しようってわけよ」
「なるほど……」

 幾人が思わず感心したように言葉を漏らす。その後幾人は何かを思い出したように、しかし逆襲を恐れてかとても控え目な調子で、ロザリアたちに向かって問いかけた。
 
「じゃあつまり、あなた達は人間の敵なんですか?」
「うん?」
「教団の人がそう言ってたじゃないですか。魔物は人類を滅ぼそうとしてるって。本当にそうなんですか?」

 この期に及んで、幾人は教団からもたらされた情報を信じていた。しかしこの世界に来たばかりの彼にとっては、それ以外に縋れるものが無かったのだ。故に彼のその態度は、ある意味では仕方のないことでもあった。
 そしてロザリアもまた、それ以外に頼れる情報を有していない彼の立場を理解していた。その上で彼女は、彼にもう一つの真実を教えようとしていた。
 
「真実っていうのはね、片一方からの視線だけじゃわからないものなのよ」
「つまり……?」
「教団側の教えだけじゃ、真実には辿り着けない。そういうことよ。あなたも嘘の情報を信じ込んで、奴隷めいたピエロになりたくはないでしょう?」

 ロザリアのその言葉には、挑発めいた響きが含まれていた。彼女は幾人を焚きつけ、こちらの目論見通りに誘導しようと試みていた。そして彼女の企みは成功し、幾人は彼女に声を投げかけた。
 
「あなたなら、本当のことを教えてくれるっていうんですか?」

 幾人は若かった。感情を制御できるほど成熟してはいなかった。それはロザリアにとっては願ったり叶ったりだった。
 しかし、そんな胸の内などおくびにも出さず、ロザリアとその両脇にいるサキュバスは、共に幾人を見ながらにこやかに微笑んだ。
 
「もちろん。絶対悪いようにはしない。約束よ」
「……本当に?」
「ええ。本当に」

 ロザリアが微笑む。幾人もそれを信用し始めていた。こんな柔和な笑みを見せるような人が敵のわけがないと、彼は勝手にそう思っていた。彼は若かったのだ。
 そしてロザリアが微笑むのと同時に、馬車もまた動きを止めた。馬車がゆっくりと停止するのを荷台越しに感じ取った幾人は、すぐさま窓越しに外の景色をみやった。そこには大きな石造りの建物があり、目の前にはその建物の中に続く木拵えの大きな扉があった。まるで中世の砦のような外見をした、見るからに堅固な建築物だった。
 
「ここが教団の言っていた訓練所よ」
「ここが?」
「そうよ。教団はここで、あなたを自分達好みの勇者に調教したかったのよ」

 ロザリアが嫌々と言った調子で言葉を紡ぐ。その一方で、目の前にある木製の大扉が、激しく軋みながら開かれていった。
 直後、扉の奥からバサバサと何かのはためく音が聞こえてくる。しかもその音は一つだけではなく、幾重にも重なって重層的な響きを持って、幾人の耳を容赦なく責め立てていった。
 
「あっ、ロザリアちゃんたちが帰ってきたのね!」

 音の主はすぐに正体を現した。それも何十人も、一斉に低空を飛びながら馬車に群がってきた。
 
「おかえりなさい! 大丈夫? バレてない?」
「追っ手とかの気配はなさそうだし、バレてる心配は無さそうね」
「ていうか、その子誰? 知り合い?」
「あ、もしかしてあれ? 異世界から人間引っ張り出そうとかいう計画で呼ばれた子?」

 それらは全員がロザリアと同じ姿をしていた。髪形や服装、目の色はそれぞれ微妙に異なっていたが、体の各所から生え備えた角と翼と尻尾は彼女のそれとほぼ同じものだった。何より全身から放つ妖艶な気配が、ロザリアの纏う気配と完全に一致していた。
 サキュバス。人を堕落させる「魔物娘」と呼ばれる存在が、寄ってたかって馬車を取り囲んでいたのだ。
 
「これって……」

 四方を囲まれた幾人は、恐怖よりも先に驚愕が顔に現れた。この時彼の関心は、ロザリアと同じ――であろう――サキュバスが大量に、教団の訓練所から飛び出してきた理由に大きく傾いていた。
 そしてそれに関する一つの推論が、既に幾人の頭の中で構築されていた。それはある意味恐ろしい予想であったが、彼は問い質さずにはいられなかった。
 
「もしかして、ここの訓練所ってもう……」
「ふふん」

 それに対して、ロザリアはただ愉快そうに笑うだけだった。彼女の両隣にいたサキュバスも、馬車を駆っていた御者も、同じようにニコニコ笑っていた。馬車を取り囲んでいたサキュバス達は、ただ何をするでもなく、じっと興味深そうに幾人を見つめていた。
 それだけで、聡明な幾人は答えを把握できた。背筋が寒くなるのを感じ、思わず引きつった笑みを浮かべる。
 その幾人の頬に、ロザリアがそっと手を添える。そしてその頑なな心を優しく暖めるように、柔らかな笑みと言葉で彼に語りかける。
 
「約束するわ。絶対悪いようにはしない。だからお願い、私と一緒に来てほしいの」

 そこには脅迫や恐喝の色は微塵も含まれていなかった。心からの、純粋な願いだった。そしてそれを聞いた幾人は、一度彼女から視線を離し、ちらりと馬車の外に目をやった。
 偶然サキュバスの一人と目が合う。そのサキュバスはこちらに気づくと、待ってましたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべて手を振って来る。それを見た幾人は、安堵の気持ちが胸の奥から滲み出て来るのをはっきりと感じた。
 心の底から「この人達にならついていきたい」と思っていた。教団の連中に対しては微塵も抱かなかった感情だった。
 
「……わかりました。ついていきます」

 だから幾人は、はっきりとそう答えた。彼の心は完全に、魔物娘の側へ傾いていた。
 それは洗脳ではない。単純に教団の求心力が衰え、サキュバスの包容力がそれに勝っただけである。
 
 
 
 
 それから二か月が過ぎた。支部長は現在の結果に、非常に満足していた。彼らはその後も異世界召喚を四回試み、その全てにおいて成功を収めた。彼はますます上機嫌になり、計画の責任者である魔術師長兼訓練所監督官のロザリアをでたらめに褒め讃えた。ロザリアは完璧な作り笑いを浮かべ、謹んでそれを拝領した。
 なお彼は、自分の目で直接「訓練所」を視察したことは一度も無かった。すんでの所でロザリアと彼女の配下である魔術師達にそれを止められ、押しに弱い支部長はそれを受けてあっさり引き下がったのだ。それにロザリアは定期的に「訓練所」で鍛えられた勇者候補達を引き連れ、その訓練成果を支部長に見せたりもしているので、彼は「訓練所」に対して特別猜疑心を抱いたりはしなかった。
 
「それでは、私達はこれで失礼します」
「うむ。今後も教団のために、よく働くのだぞ」
「御意」

 その日も例によって、支部長はロザリアの連れてきた勇者達の成長具合を観察した。剣や魔法といった各分野において、彼らはまったく予想以上の成長を遂げており、支部長は鼻高々だった。彼はこれが自分の功績であると信じて疑わなかった。
 だからこの日も、彼はお披露目を終えて「訓練所」へ帰るロザリア達を、何の疑いもなく見送った。ロザリアと勇者たちを載せ、颯爽と走り去っていく馬車の後ろ姿を見ながら、支部長は全てが己の考え通りに進んでいることを何より嬉しがった。
 
「やったぞ! このまま行けば、俺が頂点に立つ日も間近だ! 俺は神に愛されているんだ!」

 彼はどこまでも純真無垢だった。




「いつ頃あそこを攻め落とすんですか?」
「もう少し様子を見ましょう。あと二、三人勇者候補を呼んでからでもいいわね」

 同じ頃、馬車の中ではロザリアと件の勇者候補達が親しげに雑談を交わしていた。勇者の中には幾人も含まれており、他の勇者たちはどれも幾人と同じ年頃の少年ばかりであった。
 これは単に、ロザリアの趣味を反映させてのことであった。ショタ食いというやつである。ついでに言うと、彼女達が例の支部を襲わずにいるのも、彼らが試行錯誤を重ねてこちらの伴侶を増やしてくれるのがありがたいからである。
 
「それに、実際攻撃を仕掛けるとなると、色々忙しくなるでしょ? そうなったら、いつもみたいに気軽にイチャイチャ出来ないじゃない」

 ロザリアがそう答え、隣に座っていた幾人の頭を抱き寄せる。こめかみに乳房の柔らかい感触が当たり、愛する妻の抱擁を受けた幾人は悦びのままにだらしない表情を見せた。反対側の座席に座っていた他の勇者候補達――特にまだサキュバスと結ばれてない少年は、その光景を見て一様に頬を紅くし、瞳を潤ませて羨望の眼差しを向けた。
 そんな童貞勇者の視線に気づいたロザリアが、彼らに流し目を寄越しつつ言葉を続ける。
 
「そもそも、この子達の結婚相手だって決まってないんだから。まずはそっちが優先。教団を倒すのはその後。そうでしょ?」
「そうですね。まずはみんなで幸せにならないとですね」

 ロザリアの言葉に、幾人が澱みない言葉を返す。この二か月で、幾人は完全にサキュバスの虜になっていた。なおこの時、ロザリアは自身の魔力を使って無理矢理幾人を堕落させるのではなく、教団側の真実と魔物側の真実を等しく教え、その上で彼にどちらを進ませるかを選ばせていた。幾人だけでなく、他の勇者候補全員にも同じ手を使っていた。
 これは自分達の都合で他所の世界からこちらに呼び出してしまったことへの、彼女なりの配慮の表れであった。もちろん元の世界に帰すことも出来たし、ロザリア達もしっかりそれを説明した。
 しかし結局は、幾人たちはここに残ることを選択した。美人のお姉さんには勝てなかった。
 
「そういうわけだから、さっさと戻りましょう。私もあなたと運動したいしね」

 そんな幾人に優しく語り掛けながら、ロザリアが御者に「もっと飛ばして」と発破をかける。教団員に変装したサキュバスも快くそれに頷き、馬に鞭打って馬車のスピードを一層速めていく。そして前より増して揺れるようになった馬車の中では、新婚夫婦と未婚の少年たちが、共に幸せな未来を思い描いて笑みを見せていた。
 
 
 
 
 異世界召喚計画は、まだ始まったばかりだった。
17/01/01 19:54更新 / 黒尻尾

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