読切小説
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とある研究者の不運で幸せなTS
 
 ―夢の中なんて一種の別世界みたいなもんだ。
 
 脈絡も無く何かが登場し、脈絡も無しに話が進む。しかも、見ている最中はそれが別に違和感無く認識されてしまうのだ。それがある意味、もっとも性質が悪く…恐ろしい。
 
 「…どうしたよ?」
 「あー…いや、なんでもない」
 
 そんな世界から俺を揺り起こした張本人にパタパタと手を振りながら答える。その眉間は自覚するほどに寄っていた。別に不機嫌なわけじゃない。ただ、ちょっと夢見が悪かっただけだ。…いや、ある意味、良かったのか。…そんな事は無いな、うん。
 
 「風邪か?追い込みの最中だからって無茶すんなよ」
 「分かってるっての」
 
 そんな俺に向かって心配するような言葉を放ちながら、ソイツ――俺の親友でもあり、研究のパートナーでもあるルドガーは笑った。元々が人懐っこい顔をしているからだろうか。そんな風に笑うと子犬のようなイメージが強くなる。平均的な身長を持つ俺よりもさらに一回りほど大きいのに、何処か可愛らしいイメージが強い笑みを浮かべるのだから、反則だ。それで居て本人自体の性格も悪くない。
 
 ―だからモテるんだろうなぁ。
 
 妬みにも似た感情で親友を見れば、まず眼に入るのはキラキラと輝く金色の髪だ。邪魔にならない程度に短く切られているそれは窓から差し込む光を一杯に受けて煌いている。それで居て何処か暖かく、まるで向日葵のようだ。その下に埋め込まれた瞳は美しい碧眼である。新緑を煮込んで抽出したような美しい緑は、今も知的好奇心にキラキラと光っており、男の子供っぽい印象に拍車を掛けている。顔立ちはすっきりとしている印象が強いが、めまぐるしく変わる表情と常に何かに熱中しているような瞳がまるで子供のような印象を強めていた。俺たちのユニフォームとも言うべき白衣の下にはしっかりと引き締まった身体をしていて、衣服越しにも逞しさを見せ付けられているようにさえ感じる。
 
 ―対する俺は……。
 
 ジパングの血が混じっている所為か黒い髪には艶しかなく、何処か地味な印象が強い。墨を落としたような光沢の無い瞳は、常々、何を考えているのか分からないと言われるのだ。顔立ちは自分では悪くないと思っているものの、ルドガーに比べればどうしても見劣りしてしまうレベルだ。元々、感情を表に出すのが苦手な所為か、暗いとか根暗だと言われる印象もそれに拍車をかけているのだろう。身体的にも、俺はルドガーにはまるで及ばない。俺の身体は貧弱で、殆ど筋肉らしい筋肉が無いのだ。かつてはそれがコンプレックスで必死になって身体を鍛えていたが、結局それは実らなかったと言う事は体質なのだろう。
 
 「…はぁ…」
 「…リズ、どうした?マジで風邪じゃないだろうな?」
 
 ―加えてもってこの名前だ。
 
 リズと言うのは愛称でもなんでもない。俺の名前だ。両親が男でも女でも両方に着けられる様に、と考えたその名前はどちらかと言えば、女の子に相応しいものだろう。華奢であるとは言え、別に女顔というわけでもないのに、どうしてこんな名前をつけたのか。この街で暢気に暮らしている両親を問いただしたくなったのは一度や二度ではない。けれど、今更、名前を捨てるなんて出来ず、俺は胸中で溜め息を吐いた。
 
 「大丈夫だ。体調管理が得意なのは知ってるだろう?」
 「まぁ…そうだが……」
 
 ルドガーと出会って既に十年ほどにもなるだろうか。俺たちが今年25になるから、人生の大半はコイツを過ごしている事になる。しかし、その間、俺は風邪一つ引いたことが無かった。それだけが、俺がルドガーに誇れる唯一の点である。
 
 「お前は無理しがちだから心配なんだよ…」
 「ほっとけ。俺の勝手だ」
 
 ―思わず冷たい言葉を向けるのは俺がコイツを妬んでいる所為か。
 
 自分でもそんな所が素直ではないと思う。…いや、素直すぎるのか。もう少し言葉を考えれば、もっと友人も出来ただろう。もう少し愛想を良くすることを心がければ、もっと人と関われただろう。しかし、過去を振り返っても何の意味も無く、俺は無愛想で有名な男であることにも変わりは無い。
 
 「相変わらず手厳しいな」
 
 そんな俺の唯一の友人でもあるルドガーは、俺の冷たい言葉にまるでダメージを受けたように見えない。悪く言えば鈍感、良く言えばタフがコイツの特徴だ。その鈍感さを余す所無く発揮して、フラグをへし折り続けた男は、今もまたその持ち前のタフさで俺の言葉を受け流す。それが何処か腹立たしい反面、そうでなければこんな棘棘した男の相手を十年もやってられないだろうとも思う。
 
 「まぁ、無理すんなよ。倒れたら、後が大変になるんだからな」
 「…分かってる」
 
 ―ついさっきも実験の途中で居眠りした手前、強く出ることは出来ない。
 
 俺たちが居るのはある研究施設の一室だ。部屋の中にはそれを裏付けるように薬品の入ったフラスコや、様々な資料として集められた本が立ち並ぶ。見るからに怪しげな雰囲気が漂う場所だが、別に違法な研究をしているわけではない。俺たちは医者だ。それも…ただの医者ではなく、新薬を作り出す研究者にも近い立場の。その関係上、守秘義務やセキュリティなんかはしっかりとしているが、知られてまずい研究をしている訳ではない。
 
 ―まぁ…とは言っても危険が無い訳じゃないんだがな。
 
 新薬を作るという関係上、予期せぬ反応が出るとも限らない。薬の材料には劇薬も使っているし、爆発なんぞしてしまったらそれこそ大惨事になってしまう。その為、居眠りなんて持っての外なのだ。
 
 ―けれど…最近、眠れないんだよな…。
 
 その理由は分かっている。分かっているからこそ、腹立たしい。どうして自分がこの程度で眠れなくなるのか、と理不尽ささえ感じるくらいだ。しかし、どう憤っても、俺の不眠症は治らない。
 
 「…なぁ」
 「…うん?」
 「……これが終わったら此処を辞めるって本気か…?」
 「…あぁ」
 
 ―今、俺たちがやってるのは新薬のプロジェクトだ。
 
 入って数年経つとは言え、こんなものを若輩の若手二人にさせるなんて無謀にも程がある。しかし、それはお互いの才能と努力でカバーしてきた。認めたくは無いが、ルドガーは俺の最良のパートナーなのだろう。俺の嫌味にも屈せず、俺に接してくれる。それで居て頭も良く、俺の考えにも着いて来てくれるのだから。その関係を居心地が悪いと言ってしまえば嘘になる。
 
 「辞めて…どうするつもりだ…?」
 「…リズ。俺は医者になりたかったんだ」
 
 けれど、それはコイツにとっては不満なことだったらしい。……元々、在学時代からコイツは医者に…最前線で人を癒す仕事をしたがっていた。何の因果か本人は研究職に強い適正を発揮したお陰で、ズルズルとこっちに流れてきているが、今の状態は不本意だったのだろう。つい先日、辞表を提出したと噂に聞いた。
 
 「ここでだって人を治す仕事じゃないか…!!」
 「…リズ。俺は……」
 「ここで良いだろう!何が不満だって言うんだ…!!」
 
 国営の研究所である此処には研究費は莫大にあるのだ。そのお陰で比較的、好き勝手に研究する事が出来て、人の役に立てる。福利厚生も整っていて、休日だってしっかりしていた。勿論、研究職とは言え、給金も良い。俺が無駄遣いしない性格とは言え、今の時点で都心部の家額が買えるくらい貯金出来ている。…けれど、ルドガーはそんな場所から辞めるという。その気持ちが俺には分からない。…いや、分かりたくない。
 
 「…すまない」
 「…ッ!!」
 
 眼を伏せてすまなさそうに謝るルドガーの姿に次の言葉が紡げなくなる。なんでそんな顔をする?なんでそんな傷ついている顔をする?なんで大事なモノを置いていくような顔をする?人並み以上に優れているはずの俺の頭はその答えを導き出してはくれない。
 
 「……もう良い。勝手にしろ」
 
 混乱する頭でそう言い放って、俺はそっと手の中の記録に眼を落とした。そこは俺たち二人で打ち出した予想とほぼ一致したデータが揃っている。当然だ。二十年に一度の天才と呼ばれた俺とルドガーが作り上げた予想なのだから。後はこれを提出して、実験結果を待てば良い。そうすればこのプロジェクトも解散。晴れてルドガーは自由の身となって、医者になる。
 
 ―…それが何でこんなに胸が痛いんだよ……。
 
 ぎゅっと白衣の上から胸を掴んだ。胸板とも呼べないような薄い胸にはギリギリと捻られているような痛みが止まらない。それは別に今の始まったことじゃなかった。ルドガーがここからいなくなると、俺の前から居なくなると話を聞いたときからずっと続いている。それは寝る時も例外じゃなく、俺の不眠症は主にこの痛みが原因だった。
 
 「…リズ」
 「……」
 「リズ…」
 「うるさい。こっちはデータの纏めを考えているんだ。お前だって此処からとっと出たいだろう?邪魔をしないでくれないか?」
 
 そんな痛みの原因であろうルドガーにきっぱりと言い放ってやる。視界の端で珍しく傷ついた様子を見せるが、そんな事はどうでもいい。俺の味わっている痛みの半分でも知れば良いんだと、毒づいた。…それが八つ当たりであると理解していても、その気持ちは止まらない。
 
 ―結局の所…俺はルドガーに甘えているだけなんだろうな…。
 
 八つ当たりをしてもコイツなら受け止めてくれる。そんな甘えが俺の中にあるのだろう。それは何となく自覚していた。どれだけ悪態を吐いても、コイツは俺を見捨てない。そんな信頼が俺の中にあったのだろう。けれど、それは裏切られた。コイツは俺を捨てて、別の何処かへ行こうとしている。
 
 ―しかし、それは…俺の勝手な思い込みだ。
 
 元々、ルドガーは最前線で人を治す医者を志望していたのだ。そんな奴が研究職に来たのは…恐らく俺の為でもあるのだろう。今も、無意識的にも意識的にも人を遠ざけようとする俺の緩衝材となってくれているのだから。ルドガーが居なければ俺はここで孤立して、好きな研究一つ出来なかったかもしれない。それは感謝しなければいけない事だろう。それくらい俺にだって分かっている。
 
 ―だが…止まらない…止まらないんだ…!!
 
 裏切られた。その気持ちはどうしても止まってはくれない。本当は感謝しなければいけないのに、祝福の言葉の方が相応しいのに、俺から出てくるのは恨みと怨嗟の声だけだ。そんな自分が惨めで仕方が無いのに、俺は変わらない。どうしてもルドガーのようにはなれない。
 
 「……はぁ」
 
 気付かれないように小さく溜め息を吐いて、俺は書類から眼を離した。さっきから上手く考え事が纏まらない。頭はまるで熱に浮かされたように熱く、ふわふわとしている。まるで酒に酔っているかのような感覚が何処か不快だ。しかし、頭を振り払ってもそれはなくなってくれないどころか、寧ろどんどん強くなっている。
 
 ―なん…だ…?
 
 初めて感じる感覚に疑問を隠すことが出来ない。変な菌や薬品でも吸い込んだかと思ったが、まるで覚えが無い。ならば、何なのか、と脳裏を探るが初めての感覚にぴったりと現す言葉が見当たらなかった。そのまま熱に浮かされた頭はどんどんと重くなり、身体の軸さえ揺らし始めて――
 
 ―あ…やばい…倒れる……。
 
 そこまで分かっていても、俺の身体は動いてくれない。そして、衝撃。床に打ち付けた身体が痛みを伝えるが、それも鈍く、遠かった。自分に何が起こっているのか分からない俺の耳に「リズ!」と焦ったルドガーの声が聞こえる。それに「大丈夫だ」と返そうとしながらも、身体は動かなくて――俺の意識はそこで途切れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ―夢を見ていた。
 
 下らない仮定と、そこからなる幻想だ。そんなものは俺にだって分かっている。だからこそ、俺はそれから眼を背けなければいけなかった。こんな事はありえないと否定しなければいけなかった。しかし、俺の身体はソレを知って尚、釘付けにされたように動かない。
 
 ―そこでは俺は女になっていた。
 
 少し素直でないにせよ、俺はルドガーの腕に胸を押し当てる。最近、彼に揉まれて少しだけ大きくなった胸に奴が照れるように顔を紅く染める。そっと背ける視線は、まるで子供のようだ。毎夜、人の胸を好き勝手揉んでいる癖に、随分初心だとからかいながら、俺…いや、私の胸も高鳴っていた。それも当然だろう。だって、夢の中の俺―『私』とルドガーは何時までもラブラブだと評判なカップルなのだから。セーター越しとは言え、好きな相手と触れ合って、ときめかない女が何処にいよう。
 
 「あ、アレ良いな」
 「ん?あぁ、似合いそうだな」
 
 そんな私たちが歩いているのは秋の並木道。ガラスのウィンドゥと商店が立ち並ぶこの町の大動脈だ。ブティックも多く入っているこの通りには私達と同じように腕を組んで歩くカップルが多い。けれど、それは所詮、有象無象だ。私とルドガーが一番だと主張するように、私はさらに胸を押し当てた。
 
 「おいおい…」
 「別に恋人なんだから良いでしょ?」
 
 顔を紅くするルドガーを見上げながらクスリと私は微笑んだ。彼も別にそれを否定しない。別に私は間違った事は言っていないのだから。寧ろ間違っているといったら頬でも抓ってやる。
 
 ―いや、キスしてやるのも良いかな。
 
 それでルドガーが誰の物か他のみんなに見せつけてやるのだ。うん。きっとそれが良い。そんな事を思っていたら、私の顔が何時の間にか笑みの歪んでいた。
 
 「…随分と上機嫌だな」
 「好きな人と一緒なんだから、気分も上向くものじゃない?」
 「…そうじゃなくて、何か浮かれてるっていうかさ」
 
 空いている手で後頭部を掻く仕草は多分、照れているからだ。コイツは何だかんだで恥ずかしがり屋だから、こういうシチュエーションには弱い。けれど、恥ずかしいだけで別に本心から嫌がってないのは紅く染まった頬から何となく推察できた。
 
 「まぁ…そうかもね。だって、久しぶりに二人一緒の休日じゃない?」
 
 ここの所、研究が忙しくて一緒に休みを取る事が出来なかった。元々、共同研究者と言う形で働いているけれど、研究を効率よく進めるには両方とも休んではいられない。佳境にさえ入っていなければ割りと緩い計画を立てても許される場所ではあるけれど、つい最近、試薬が完成した私たちは二ヶ月近く予定が合わないままだったのだ。それに浮かれるなと言う方が難しいだろう。
 
 「その…悪い」
 「何が?」
 
 しかし、ルドガーにそこまで浮ついた様子は無く、何処か深刻そうな顔で謝ってきた。折角のデートなのに、そんな顔されるなんて、別れ話でもされるのだろうかと警戒してしまう。それが声に出て、ちょっと刺々しいものになってしまった。
 
 「…いや…俺がもう少しお前に合わせられるような仕事だったら…」
 「…もう」
 
 ―何を言い出すのかと思えばそんな事?
 
 彼は一度、落ち込むと中々、浮き上がっては来れない性質だ。普段はまるで太陽のように明るいのに、それが沈むと夜のように冷え込んだ心になる。その時のルドガーはこうしたように変にネガティブで、弱音を漏らす事もあった。普段は私の我侭全部を受け入れてくれる男が弱音を漏らす姿はとても庇護欲をそそられる。
 
 「それはお互い様でしょ?私だって…今の仕事を好きでしてるんだから」
 「だけど……」
 「私たちは仕事上でもプライベートでも最良のパートナー。それで良いんじゃないかしら?」
 
 もう十年来の付き合いになるルドガーは私が何も言わなくてもやろうとしていることを理解してくれる。それは逆も然りだ。そんな彼と助け合い、私たちは数年の間に幾つもの新薬を作り出すことが出来たのである。そして、それはプライベート上でも変わらない。何年も前からお互いの身体を弄りあっている私達は最高の感じる場所が分かる。家事もお互いに分担するのは決められていて、トラブルもまるで無い。
 
 「…それとも四六時中、私と一緒に居るのは疲れた?」
 「そういう訳じゃ無いんだ…ただ……」
 
 念のために聞いてみた言葉をはっきりと否定してくれた。それに内心、安堵の溜め息を吐きながら、私は彼の言葉を待った。俯いたその瞳がそっと浮き上がり、真剣な色を帯びていく。研究している時に良く見せるその眼はキリッとしていて何度も見ているはずの私の胸ときゅんと唸らせた。
 
 ―コイツのこういう表情に惚れたのよね…。
 
 最初から甘えてばっかりであったとは言え、その恋心を自覚したのは何時からだっただろうか。それさえも記憶の向こう側に追いやられて定かではない。ただ、ルドガーのこんな顔を見て、胸がときめいた瞬間だったのを良く覚えている。
 
 「いや、なんでもない。デートなのに、いきなり変な事言って悪いな」
 「気にしないで。私も気にしていないし」
 
 何を言おうとしていたのか気持ちを飲み込むようにして、ルドガーは小さく頭を振った。彼自身、何か迷っているのだろう。しかも、それは仕事関係だ。ただ、それは研究関連では決して無い。私たちが作っている試薬は順調で、無事、臨床試験も通過する事が出来たのだ。途中で予期せぬ副作用が出ない限り、それはそのまま販売されるだろう。そこまで順調に言っている研究がメインの仕事で、何を悩むのか私にはちょっと思いつかない。
 
 ―…本当は突っ込んであげたいけれど。
 
 だけど、ルドガーは「なんでもない」と言ったのだから、それは恋人として立ててあげるべきだ。勿論、深刻そうであれば突っ込むが、今はまだ大丈夫そうであるし、ここは退いてやるのが女の務めって奴だろう。頼ってくれない事に一抹の不満はあるが、ルドガーは私に負けないくらい頭が良い。本当に限界であれば言わなくても頼るだろうと、そんな信頼があった。
 
 ―…でも、何もしないのは癪よね。
 
 だって、私とルドガーは恋人なのだ。落ち込んでいる恋人に何もしないなんて考えられない。それは根底にさっきの不満があった事は否定しないが、一応は優しさだ。頭でも撫でてやろうかとそっと見上げた瞬間、彼の眼と私の視線がぶつかる。
 
 「……リズ…」
 「…ん」
 
 低い声で私を呼ぶ彼の声に誘われるように、私はそっと足裏を延ばした。すっと持ち上がったそれは私の身長を伸ばし、彼の唇と同じ高さにしてくれる。それを認識した瞬間、私はそっと眼を閉じて、彼の唇に吸い付いた。
 
 「ん……っ♪」
 
 ―そして別離。
 
 それは一瞬の悪戯だ。恐らく道行く通行人の殆どが見れなかったであろうくらい短い短い私の悪戯。けれど、効果はてきめんであったようで、私の目の前で恋人がさらに顔を真っ赤にしている。キスなんてもう数え切れないほどしてるのに、未だ初心なその様子に私はそっと微笑んだ。
 
 「ほら、行こう? お昼は私が奢ってあげるから」
 
 赤面して足を止めた恋人の腕を引っ張るように私は歩く。それに数瞬遅れて、彼も足を踏み出して…それから落ち葉が揺らぐ並木道を――
 
 「リズ!!」
 「……あ…?」
 
 ―こんなに顔を近づけて、何をやっているんだろう?もしかして、また夜這いにでも死に来たのか。この性欲魔人め。…まぁ、私もエッチなのは嫌いじゃないけどさ。
 
 「リズ…!おい!しっかりしろ…!」
 「…分かってる…聞こえてるってば…」
 
 ―夜這いしに来たにしてはやけに必死に呼ぶじゃないの。それだけシたかったのだろうか。私の恋人さんは随分と甘えたがりだ。それがまた可愛らしいんだけどね。
 
 ―いや…ちょっと待て…。恋人…?誰と誰が……?
 
 そこまで考えて『俺』の意識は覚醒した。半眼のままであった瞳をきっと開いて、一気に飛び起きる。周りを見渡すが、そこは一面、ベージュ色に染められた空間であった。俺が眠っていたのはベッドである事から、恐らくここは備え付けの医務室か何かなのだろう。仮眠するにしても研究室のソファーで寝ている俺にとって、一度も世話になった事が無いので確証は無いが。
 
 「リズ…大丈夫か?何処も痛くないか…?」
 「あー…少し肩が痛ぇ…」
 
 何故かズキズキと痛む肩を抑えると肌とは違うぶよぶよとした感覚が帰ってくる。恐らくは軟膏を塗った布でも巻いてあるのだろう。消毒液臭い部屋とは別に俺の肩からはあの独特の軟膏臭さが漂って来ていた。
 
 ―つーか…俺はどうしてこんな場所に居るんだ…?
 
 さっきまでルドガーと一緒にデートして――いや、違う。あれは夢だ。だから、その前……研究室で臨床試験前のデータを集めていた筈だ。それから一度、眠ってしまって…ルドガーに起こされて……喧嘩して……そして――倒れた。
 
 ―あぁ、この肩の痛みはその所為か。
 
 全身を叩きつける様に椅子から落ちたのだ。貧弱な俺の身体はそれだけで強い痛みを訴えてもおかしくは無い。それは勿論、偶然ではあるが、俺にとっては好都合だ。
 
 「お前が倒れてから運んだんだが…塗り替えるか?」
 「いや…構わない。寧ろ…俺なんかに構ってるんじゃねぇよ。今が大事だろうが」
 
 これから俺たち最後の薬は臨床試験を迎えることになる。それはまだ一ヶ月ほど先だが、人の身体に使う以上、何かがあってからでは遅い。その為、何度も何度もデータ取りをする必要があるのだ。人には様々な体質があり、アレルギーなども考慮しなければいけないのだから。どれだけデータをとっても、足りるはずがない。その為、臨床試験前の時期はどのプロジェクトも、データ取りに必死になる。
 
 「…データよりもお前の方が大事に決まってるだろ」
 「その俺を捨てて、外に行こうなんて言う奴に言われたって嬉しくもなんともねぇよ。偽善者」
 
 ついつい出てしまう憎まれ口に、ルドガーの顔が曇った。肩を縮こまらせ、しゅんと顔を落とすその姿は、まるで叱られた子供のように見える。それに内心、良心が疼くがここで止まってなんかいられない。別に俺は命に別状など無いのだ。しかし、俺たちの作った薬は今までと違ったアプローチをしている為、人が死ぬ可能性だって否定できない。それならば、より多くの人を救うために今の内に詳細なデータを集めるのが医者としての使命であろう。
 
 「……俺は…友人として…」
 「じゃあ、俺は医者として忠告してやる。今すぐ研究室に戻ってデータを集めろ。俺もすぐ行くから」
 「待て…!お前の身体は過労でボロボロなんだぞ…!当分は休むべきだ!!」
 
 ―必死になって傍についてたのはそれが理由か。
 
 確かにルドガーがここを辞めると聞いてから、マトモに眠れた事は無い。時折、意識が吹っ飛んで――そして、何故か常に俺が女としてコイツと恋人になっている夢を見る。それは自分でも起こる頻度がコントロール出来ない為、一時間も経たないうちに眼を覚ますか、起こされるかだ。そんな生活が一ヶ月近く続いている。ただでさえ忙しい時期であったので、身体も周りも必死で騙してきたが、もう限界だったらしい。
 
 「殆ど寝れていないんだろう…!?何で言わなかった!?」
 「言ってもどうにもなんねぇだろうがよ…」
 
 相談して眠れるのであれば俺だって眠りたい。けれど、原因は恐らくルドガーにあるのだ。コイツが辞めるなんて言い出さなければこんな醜態は晒さなかった。なら、俺が眠れるようになるにはどうするのか?その答えは子供でも分かるくらいに簡単だ。コイツが辞めなければ良い。
 
 ―お人好しのコイツはきっと言えば取り止めるだろうな。
 
 俺は我侭だ。自分に甘いとさえ言って良い。唯一、傍に居てくれるルドガーに何度、迷惑を掛けたか分からない。しかし、それでも…いや、だからこそ、コイツの道を阻んでやる権利は俺には無いのだ。ルドガーの夢を一度、諦めさせたのはきっと俺自身なのだから。二度もコイツの邪魔をしてやりたくはない。
 
 「だからって…どうして、あの薬を使ったんだ…!?」
 「…っ!!」
 
 ―問い詰められる言葉は決して知って欲しくなかった事。
 
 俺たちの作った新薬は、サキュバスの魔力を抽出して作り出したものだ。眠らずに三日三晩でも魔物娘と交尾出来るインキュバスの肉体に注目し、擬似的にその状態を作り出すのを目的としている。効果は傷と魔力の回復に、軽い興奮状態の維持。効いている間は眠気は起こらず、多少の傷では痛みにもならない。麻酔と回復を同時にこなすそれは画期的な薬のはずだった。…恒常的に服用すればサキュバス、或いはインキュバスになるという一点を除けば。どうあってもなくならないその副作用も、親魔物領のここではデメリットにはならない。だからこそ、俺たちはそれを実用段階として、臨床試験を申請した。
 
 「俺たちを騙す為に何度、あの薬を飲んだんだ…!?」
 「…覚えてねぇ」
 「リズ…!分かってるのか!?アレは人間を止める薬でもあるんだぞ!!」
 「そんなもの言われなくても知ってる!!」
 
 一方的に糾弾されるという立場にいい加減、俺の堪忍袋の尾が切れた。いや、寧ろ図星ばかりで逆切れしたと言った方が正しいだろう。この期に及んで何処か冷静な部分はそう言った。けれど、胸中に荒れ狂う感情は制御出来ない。今までずっと押し込んでいた感情が、言葉となって飛び出していく。
 
 「そもそも作った奴が飲めない薬なんて売れる訳がないだろうが!感謝して欲しいくらいだぜ!臨床試験前に、人体服用のデータが集まったんだからな!」
 「リズ…お前……」
 「それにお前一人で必要データ集められるのかよ!?二人でだってギリギリなんだぜ?一人で出来る訳が無いだろう!それなのになんで俺が怒られなきゃいけないんだよ!」
 
 ―何時の間にか俺の目から涙が溢れていた。
 
 自分でも制御出来ない気持ちが止まらない。本当はこんな事言いたくないのに、喧嘩なんてしたくないのに、ずっと溜め込んできた理不尽な怒りと八つ当たりしか出来ない自分への自己嫌悪が溢れ出て止まらない。胸の中はそれよりもずっと悲しいはずなのに、出てくるのは怒りと怨嗟の声だけなのだ。
 
 「俺を捨てて行くにも早い方が良いに決まってるだろ!?お前になんか俺の気持ちが分かるものか…!あぁ、利用されてやるよ!されてやるともさ!だから、もう何も言うんじゃねぇ!」
 「俺はお前を利用なんて考えたことも無い!」
 「はっ!そうかよ!でも、俺はそれしか考えた事が無いぜ?テメェみたいなお花畑野郎をどう効率的に利用してやろうかってな!そんな奴に手を噛まれたんだ。晴天の霹靂って奴だ!」
 「リズ……」
 
 ―言っている事は滅茶苦茶だ。そんな事、俺にだって分かってる。
 
 けれど、止まらない。涙も言葉も感情も。それが嫌で嫌で仕方が無いのに、普段はどんな答えでもすぐに出してくれる頭も言葉を止める方法を導き出してはくれない。きっと涙ながらに滅茶苦茶な言葉を叫ぶ今の俺は情けなくて、矮小で、惨めな姿をしているのだろう。
 
 「はぁ…はぁ………」
 
 叫びつかれて大きく肩で息をしながら、俺はそっと手で目元を拭った。どれだけの勢いで泣いたのか分からないが、それだけで白衣の裾が涙でべとべとになる。ゆっくりと染み込む涙に不快感を感じながら、俺は小さく溜め息を吐いた。
 
 「…だから、もう俺に構うな。仕事に戻れ」
 「……」
 
 何処か冷静さを取り戻した言葉にルドガーはそっと背を向けた。流石の奴も怒ったのだろう。…寧ろ怒らない方がどうかしてる。これだけ無茶苦茶な言葉を投げかけられたのだから。俺が逆の立場であればとっく昔にぶん殴っていただろう。けれど、優しいアイツは何もしない。それが何処か悲しく、嬉しかった。
 
 「…何をやってるんだ俺は…」
 
 ベージュ色のカーテンの向こうに消えて、バタンと扉が閉じる音がした後、俺はゆっくりとベッドに倒れこみながらそう呟いた。…本当は俺が周りを誤魔化す為に新薬を使っている事は一人だけ知っている。俺たちの直属の上司であるその男は、俺自身の体で臨床試験を行い、データを取る事に許可を出しているのだから。今の俺のデータは臨床試験時に回され、普段よりも速い速度でそれを終わらせる予定になっている。そうすれば、晴れてルドガーは自由の身だ。俺のような面倒くさい奴に振り回されることも無くなる。…それが俺に出来る唯一の恩返しだ。
 
 ―それを…知られなかったのは唯一の救いって奴かな。
 
 はっきりとした副作用がある薬を飲み続けたのは、少しでもアイツに恩返しをしたかったからだ。疲労を忘れさせる薬なんて、麻薬の類から何から何でもある。それに手を出さなかったのは副作用が怖かったからではなく、少しでも早く俺から解放してやりたかったからだ。…けれど、それを知れば、アイツは自分を責めるだろう。だからこそ、俺はアイツにだけは新薬を使っていることを知られたくなかった。
 
 ―にしても…身体が熱い…。
 
 そっと触れた体はじっとりと汗ばんでいた。額にも脂汗が幾つも浮んでいる。熱を測るのも億劫だが、恐らく結構な高熱だろう。今日、始めて出てきたこの症状が、薬の副作用なのか分からない。一応、データは取っておく必要はあるが、恐らく新薬とは関係は無いだろう。
 
 ―…関係と言えば…さっきの夢も…な。
 
 眠れない俺を時折、引きずり込む夢の世界は、まるで続きものの小説でも読まされているように、順序だって流れて行く。勿論、それは夢だけあって突っ込み所が満載だ。そもそも、俺が女でルドガーと恋人同士であるという時点でおかしい。けれど、夢の中の俺はまるでそれが当然であるかのように振る舞い、ルドガーもそれを受け入れている。…それが何処か羨ましいと思ったのはきっと気の迷いだろう。
 
 「……とにかく…まずは熱を測らないと…」
 
 関係無いとは思うものの、これも立派なデータだ。何かの役に立つだろうと俺は床に足を下ろす。しかし、どうにも重心が不安定で上手く歩くことが出来ない。そのままふらふらと右へ左へと揺れながら、ベージュ色の敷居から顔を出した。そこは俺以外には誰もおらず、怖いくらいの沈黙に支配されている。どうやら医務室の担当医は出かけているらしい。さっきの口喧嘩を聞かれなかった事に安堵すべきなのか、それとも一人で何もかもしれなければいけない事に運が悪いと嘆くべきなのか。二つの感情に揺られる俺は戸棚へと近づき、体温計を取り出した。
 
 ―確か…脇に挟んで図るんだったな…。
 
 今まで体調管理は完璧に行ってきたので自信は無いが、確かそのはずだ。うん。そのはず。と自分の背を押しながら、俺はそっと白衣の下に着込んだシャツのボタンを幾つか外した。そこはやっぱりぺらぺらの薄い胸板しかなく、男としての自信を失わせる。それに小さく溜め息を吐きながら、俺はそっと胸元に体温計を突っ込んだ。
 
 ―…あれ?
 
 その瞬間、何かふにょんと柔らかい感触が俺の手に触れた。なんだろうと自分の身体を見下ろしてみるが、特に何かあるようには見えない。精々、少しだけ胸が膨らんでいるような気がするくらいだ。しかし、俺の性別は間違いなく男であるし、最近は忙しくて殆ど食事も取っていないので、太ったなんて事も無いだろう。きっと気のせいだと結論付けて、近くの椅子に腰掛けた。
 
 ―…そう言えばこれ何分放置すれば良いんだ…?
 
 今まで熱なんて測ったことが無いので分からない。まぁ、五分も経てば十分だろうと、何となく結論付けて俺はそのままぼーと虚空を見つめ続ける。その頭の中には熱浮かされてるとは言え、実験のデータの事が浮んでいた。俺が倒れてからそう長い時間が経っているわけではないが、目標としていた数を取得するには少々、難しい。元々、二人でやるには強行軍であったのだ。もう一人くらいいれば、まだ何とかなるのに、と小さく溜め息を吐く。
 
 「…あ…もう五分か…」
 
 ふと時計を見ると脇に突っ込んでから既に五分が経っていた。熱に浮かされているとは言え、ここまで時間が速く進むのかとさえ思う。書物では分からないその感覚に、新しいものを見つけたように感じながら、俺は再び胸元に手を突っ込む。再びふにょんと柔らかい感触を感じる事に違和感を覚えながら、体温計を取り出すとそこには40度と表示されていた。
 
 「…まずい…な」
 
 高熱だとは分かっていたが、まさかここまで熱があがっているとは思ってなかった。真っ直ぐ歩くことも出来ない今となっては、研究室に戻っても、邪魔になるだけだろう。もし、風邪であればルドガーにも移す事になるかもしれない。そうなればデータを取るのは壊滅的だ。今あるデータで臨床試験までは進めるとは言え、不測の事態に備えるにはまだまだデータが足りないだろう。ここはアイツの言う通り、無理をしないほうが良いのかもしれない。
 
 ―…別に…顔を合わせづらいのは関係無いが。
 
 言い訳するように胸中でそう言いながら、俺はそっと立ち上がった。それだけで俺の視界がふらりと揺れて、倒れこみそうになってしまう。…どうやら俺が思っていたよりも重症だったらしい。これでは部屋に帰れるかどうかも怪しいだろう。
 
 ―どうする…かな……。
 
 誰かに頼るのが一番、良いのだろう。しかし、誰かに――いや、ルドガー以外に頼るのは癪だった。自慢じゃないが俺は人並み外れた知能を持っている。そんな俺が見下さなかったのは、ルドガー以外にはいない。それはこの研究所の職員と言っても例外じゃないのだ。そして、プライド高い俺は見下している相手に肩を借りるなんて醜態を許さない。
 
 「…まぁ、何とかなる…か」
 
 自分に言い聞かせるように言い放ちながら俺はそっと足を進めた。その動きはふらふらと左右に揺れている所為かおおなめくじのように遅い。しかし、それ以上に急ぐと倒れてしまいそうである。仕方なく、俺はそのままの動きで消毒液に近づき、体温計を消毒してから元の棚に戻した。
 
 ―これでもう…ここに用は無い…な。
 
 鈍い思考を補う為に、やるべき事を頭の中に浮かび上がらせるが、もうここでやるべきことは無くなった。ならば、帰るだけだと俺は入り口へと向かう。そのまま取っ手に手をかけて、左へと流す。それだけでさっと開いた扉を閉める余裕もなく、俺はそのまま廊下へと足を踏み出した。
 
 ―それからの記憶は殆ど無い。
 
 はぁはぁと喘ぎながら、壁に手を着き、ゆるゆると動く俺と擦違う奴は独りもいなかった。天の助けか何かか知らないが、内心、感謝したのを覚えている。そのままふらふらと同じ施設内の自室へと逃げ込み、俺の身体は力尽きたようにベッドへと飛び込んだ。汗だくになった服を脱ぎたいが、その余力さえない。そのまま何か黒い手が俺の意識に伸びるのを感じながら、俺はそっと目を閉じ――また夢に飲み込まれた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ―夢の中の俺はまた女だった。
 
 もうそれに驚きはしない。それに意識が引きずり込まれるのも何時もの事だ。正直、慣れたとさえ言っても良い。だが……ピンク色のシーツが被せられたベッドで抱き合っているのには流石に驚いた。
 
 「…もう…久しぶりだからってせっかち過ぎ」
 「…悪い。だけど…」
 
 『私』が拗ねるように言った言葉にルドガーは素直に謝った。彼自身、悪いとは思っているのだろう。でも、まぁ…それだけ必死に求められるのも女として悪い気分ではない。そもそも、私だって…ラブホテルに入ったのは期待しての事なのだから。ぎゅっと力強く抱き締められる私の胸も高鳴って止まらない。
 
 「良いけどね。アナタがケダモノなのは知っているし」
 
 そんな風にクスクス笑いながら、私の指はそっとルドガーの胸板を撫でた。インテリ系の職業に就いているとは思えないくらいしっかりと鍛えられているその胸板は、やっぱり硬く私の力じゃとても凹ませられない。そんな胸板に包まれているのに私の子宮がきゅんと唸る反面、何処か悔しくて、指先で文字を描くように弄ぶ。それに小さく呻き声を上げながら抵抗しないのは、こうして弄ばれるのがルドガーも好きだからなのか、或いは興奮でそれどころではないのか。
 
 ―まぁ…二ヶ月ぶりだものね。
 
 デートも二ヶ月ぶりであれば、セックスするのも二ヶ月ぶりだ。その間、彼がどうして過ごしていたのかまでは知らないが、変に義理堅い性格をしている彼はきっとオナニーすることなく、今日と言う日を待っていたのだろう。つまり今日はその二か月分の精液を私が受け止める日でもある。そう思うと、私の子宮の唸りがまた一つ強くなった。
 
 ―…やっぱ私って淫乱なのかな…。
 
 今すぐにでもルドガーに犯されたいと言う強い衝動。それに自己嫌悪にも似た色を伴った言葉が胸の底から浮んでくる。けれど…そんな私の恋人は私に負けず劣らずケダモノなのだ。私が気絶したって自分が満足するまで責めたてる様な鬼畜なのである。寧ろ淫乱な私だからこそ、彼のパートナーになれているのかもしれない。そう思うと淫らな私もそう悪くない気がする。
 
 「ほら…バンザイしなさい」
 「ん…」
 
 子供のようにずっと抱き締められるのも素敵だけど、それじゃあ服が皺になってしまう。私はともかく、部屋ならそれでも構わないが、ここはホテルだ。私は兎も角、彼は着替えなんて持ってきていないだろうから、帰り道の事を考えると着たままのセックスはちょっと難しい。…まぁ、ここは親魔物領であるし、セックスした後の匂いを撒き散らしていても言う程、特に気にされないと思うんだけど。ただ、やっぱり私にだって羞恥心というものはある。彼が自分の物だと見せ付けるのは嫌いじゃないけど、やっぱりセックスは秘めた物にしておきたい。
 
 「まったく…手間が掛かる子供なんだから」
 
 そんな風に笑いながら、私の手はそっとルドガーの服に掛かった。そして、若草色のシャツを一段一段、焦らすようにボタンを外していく。その下では彼が明らかにそわそわしているのが分かった。二ヶ月ぶりのセックスを目前に焦らされているんだから当然だろう。
 
 ―…ふふ…ホント、堪え性が無い男ね。
 
 その言葉を飲み込んだのは、寸前で私の子宮もきゅんと唸ったからだ。ドロドロの蜜もさっきから溢れて止まらない。それはもう私の膣から漏れ出して、肌にべたついていた。今の時点で明らかな不快感を訴える下着はもう交換しなければいけないだろう。まだ前戯にも入っていないのに、そこまで下着を濡らす自分の淫らな身体に私の背筋はゾクリと寒気を走らせる。
 
 ―…もう完全にスイッチ入っちゃった…♪
 
 背徳感にも似たその寒気が子宮へと突き刺さり、むずむずとした感覚を撒き散らす。身体中にじくりじくりと染み出したその熱は止まらない。その熱によって興奮を隠し切れなくなった私の口からはハァハァと熱い息が漏れ出ている。まるで飢えたケダモノが出すようなその吐息に自分の強い欲情を実感しながら、私は彼のボタンを全て外した。そして、そのままシャツを肌蹴させ、彼の肌着もあっという間に脱がして、その胸にしゃぶりつく。
 
 「く…あぁ…!!」
 
 ―美味しい…っ♪
 
 まだズボンも下ろしていないのに、先制攻撃されたルドガーが小さく苦悶の声を上げる。けれど、私はそれを止めるつもりは無い。じわじわと子宮の奥から染み出す衝動と熱はもう私に制御出来ない代物になっているのだ。さっきから興奮していた肢体はもう彼無しではどうしようもならない。身体中が愛する恋人を求めて止まらないのだ。
 
 ―しょっぱい…ね。でも…素敵よ…♪
 
 興奮の所為か既にじっとりと汗を滲ませていた彼の胸の谷間辺りを嘗め回すと、塩っぽい味がする。そしてそれと同時にツンと鼻を突くようなオス臭さも。苦いコーヒーにも似たその匂いは普通は忌避するべきモノなのだろう。しかし、彼の匂いだと思えば不思議と嫌ではない。ううん。寧ろ、ずっと嗅いでいたいとそう思ってしまう。
 
 「ん…ちゅぅ…♪」
 
 その感情を込めて彼の胸に吸い付くと、さらにはっきりと匂いが立ち上る。何時の事ながら、それが嬉しい。だって、この匂いはルドガーがそれだけ感じてくれている証拠なのだから。匂い自体も大好きな私にとって、こうして彼の胸を責める時間は彼に抱き締められるのとはまた違った意味で安らぐ時間だ。
 
 ―…今度、彼の匂いを使ったアロマを作る計画でも出してみようかしら?
 
 興奮に染まった思考が一瞬、そんな計画を持ち上げる。しかし、オス臭い匂いのアロマなんぞ誰が買うだろうか。ここは親魔物領だけあって魔物娘も多いが、その彼女らだって買わないだろう。……いや、未婚の子なら買うかな?――やっぱり駄目だ。
 
 ―…この匂いは私だけのものなんだから…♪
 
 「ちゅうぅぅぅぅっ♪…ちゅぱぁっ♪」
 
 独占したいような気持ちを込めて、私の唇はちゅぽんと離れた。そこには真っ赤な花が咲いている。吸い過ぎて鬱血した肌が変色したのだろう。それはただの生理現象だ。ただ、それが自分の唇によって作られ、自分の唇の形をしているというだけで何処か特別なモノに見えてしまうのは何故だろう?
 
 「…ふふ…♪」
 
 人差し指でキスマークをなぞりながら、そっと微笑む。これを見た他の子がどんな反応をするのか考えながら、そしてどんな風に彼が焦るのか考えながら。研究所では秘密である恋人関係である事をもしかしたら、カミングアウトしてくれるかもしれない。それはとても甘美な妄想だ。そう。妄想。だって、所詮はキスマークなのだ。肌着とシャツの二枚重ねをすれば殆ど見えなくなってしまう。
 
 ―残念ね…。
 
 別に彼を困らせるつもりは無いとは言え、私と彼の関係が秘密のままだというのに不満を覚えていないわけではないのだ。勿論、秘密にするには理由がある。だが、やっぱり私としては普段から大手を振って彼の恋人のように振舞いたいとそう考えてしまうのだ。
 
 「…リズ」
 「…ん?」
 
 そんな事を考えながら、キスマークをなぞっていると唐突に彼に呼ばれる。それに返事をしながら、そっと顔を上げるとそこにはもう理性の色を殆ど失ったケダモノがいた。恐らくずっと必死に我慢していたのだろう。ハァハァと荒い息をかみ殺すように歯の根までがっちりと噛み締めている。きっと開いた瞳は爛々と輝いていて、何時もの子供のような輝きとは対照的な不純の色を灯していた。もし、私以外の誰かがこの表情を見れば、すぐさま逃げ出そうとするであろう程、怖い表情である。
 
 ―ふふ…♪やっと本気になったのね…♪
 
 けれど、その恋人である私に去来するのは恐怖とはまったく逆の歓喜だ。身体中がようやくスイッチが入ったルドガーに悦び、寒気さえ感じる。ぶるぶると震える身体を押さえ込むようにぎゅっと両肘を両手で包み込むけど、まるで収まらない。それどころか、ゆっくりと私の肩に伸びる腕にさらに強くなっていく。
 
 「…リズ…リズ…!!」
 「きゃあっ♪」
 
 自分にも制御出来ない興奮のまま、彼の手が私の身体を押し倒した。そのままルドガーの手は乱暴に私の衣服を剥ぎ取っていく。彼の為にコーディネートした服装も、ケダモノと化した彼にとっては邪魔者でしかない。ボタンを引きちぎられ、剥ぎ取った衣服はベッドの脇に投げ捨てられる。まるでレイプされる寸前のようだ。…けれど、剥ぎ取られる私にとってはそれは想定済みの事で…勿論、着替えも用意してある。
 
 「はぁ…リズ…リズ…!!」
 
 熱に浮かされたように何度も何度も私の声を呼びながら、ついに彼の手は私の下着に掛かった。折角、外しやすいようにフロントホックを選んでいるのに、無理矢理、ブラを引き千切られた胸がふるふると空気の中で揺れる。大きくも無く小さくも無く、強いて言えば普通と言うのが唯一の特徴である胸がまるでルドガーを誘うように。それに目の前のケダモノはごくりと咽喉を鳴らしながらも、そこには手を出さない。――どうやら珍しく、本格的に限界だったらしく、そのまま彼の両手は私の勝負下着を無理矢理、引き摺り下ろした。
 
 「…もう強引…♪」
 
 拗ねるように言いながらも、その声には隠せない程の喜悦が混ざっていた。当然だろう。だって、私は乱暴に犯されるようなセックスが一番、好きなのだから。どうやら私にはマゾの素質があるようで、こうしてレイプのように私の都合なんてまったく考えないシチュエーションが一番、感じてしまう。けれど、それをルドガーに伝えても中々、乱暴には扱ってくれない。元々、優しい気質な彼には中々、難しいのだろう。なので、彼に薬を盛ったり、焦らしたりしながら、この状況に作り上げるのが私達のセックスの始まりであった。そして、それを見越しているからこそ、私の鞄にはデートのたびに着替えが準備されているわけである。
 
 ―まぁ、甘いだけのセックスも大好きなんだけれどね…♪
 
 ただ、それはケダモノ染みた犯され方をした後でも十分、味わえる。だって、ルドガーはインキュバスなのだ。無限にも近いといわれる精力や回復力を持つ今の彼ならば、正気に戻った後でも十二分な精液が残っている。後はそれを愛の言葉と優しい言葉と共に子宮に注いでもらえれば良い。それだけで私の女の部分は満足するだろう。
 
 「リ……ズ…!」
 
 搾り出すような言葉と共に彼の手は革ズボンに掛かった。ベルトを一気に取り外し、下着ごと一気に引き摺り下ろす。そのままビンッと跳ねるように私の目の前に現れたのは黒鋼の棒だ。何度も何度も私をセックスしている所為か、毒々しい黒に染まったそれは大きく、私の手首くらいの太さを持つ。長さも十二分にあり、反り返った亀頭がへそに着きそうな位だ。それだけでも凶器かと思うくらいなのに、亀頭の下の反り返りは膣肉を引きずり出されそうなくらい大きい。さらには既に精液の匂いを先端から立ち上らせて、今から犯すと宣言するような威圧感を感じる。
 
 ―あはぁ…♪
 
 そんな化け物のような男根を見て、私の心に浮かぶのはやっぱり喜悦でしかない。だって、肌が黒くなるまで何度も何度も私を犯したその味を、私のオマンコはもうとっくの昔に覚えているのだ。それがどう動いて、どう私を蹂躙するのかさえはっきりと妄想できるくらいに。彼専用のオマンコとして躾けられた今の私に、彼のオチンポに対する恐怖は無く、ただ、これから味わう快感への期待と喜悦だけがある。
 
 「リズ……!!!!」
 「きゃふぅ…っ♪」
 
 そのまま彼は私の股間に膝を置き、膝立ちの状態になった。そして、ぬるぬると先端のカウパーを擦りつけながら私の愛液をオチンポに塗りつけていく。まるで焦らすようなそれに私の子宮はきゅんと唸るが、これは彼の優しさなのだろう。それに胸を熱くさせながら、私は彼を迎え入れるように足をルドガーの腰に絡めた。
 
 「行く…ぞ…!!」
 「うん…♪」
 
 興奮の吐息によって途切れた声に小さく頷いた瞬間、彼の腰が進む。それはもう遠慮なんて何も無い。ただ、メスを犯すだけの、快感を得るためだけの動きだ。その動きは、愛液でふやけた陰唇で止められる訳が無い。そのままあっさりと突破して、膣の入り口の粘膜に触れ、そしてそのまま期待で蠢くオマンコへ――
 
 ―ジリリリリリリリッリリリリリリリリ!!!!
 
 「……あ?」
 
 その瞬間、私――いや、俺の耳につんざくような大きな音が聞こえた。ゆっくりと眼を開けて周りを見ると、そこはホテルの一室なんかじゃない。衣装棚以外には、本棚しかない殺風景な俺の部屋だ。脇を見ると魔力で動く時計が、必死で左右に揺れて自己主張をしている。そう言えば、目覚ましの設定そのままだっけか…などと思いつつ、何時もより強めに叩いて止めた。
 
 ―…やれやれ…ちょっと惜しかった…か。
 
 呟きながら胸中に浮かぶのはさっきの夢の事。ルドガーと共にラブホテルへと入って、、女として最高の快楽を味わおうとした瞬間にこの仕打ちだ。目覚ましに罪は無いとはいえ、八つ当たりしたくなる気持ちは否定出来ない。
 
 ―…いや、ちょっと待て。俺は何を考えていた?
 
 そもそもアレは悪夢も悪夢だ。俺が女でルドガーが俺の恋人だなんて吐き気がするような妄想じゃないか。それこそ朝一番からあんな夢を見て、憂鬱になるのが普通じゃないだろうか。それなのに…『惜しかった』…だって?
 
 ―…きっと熱の所為だな。
 
 そう言い訳するが、俺の身体にはもう熱っぽさなんてまるでなかった。身体はどこかすっきりしていて、昨日にアレだけ体調を崩したのが嘘のように感じる。珍しく眠れた所為か身体のダルさも余り無い。一晩、寝ただけでまるで生まれ変わったみたいだ。
 
 ―…まぁ、例え生まれ変わったとしても状況は何も変わらないんだけれどな。
 
 ルドガーがもうすぐ俺の元から居なくなってしまうのもそうだし、データがまだまだ足りていないのも現実だ。それだけは夢の中の自分が羨ましく思える。あっちの俺はルドガーの傍に何時も居る事が出来て、研究も一段落しているらしいのだから。
 
 ―…俺がもし、女だったらあんな未来があったのかな……?
 
 唐突に浮ぶ想像…いや、妄想と言った方が正しいか。過去へと馳せるもし、IFだなんて自慰と何も変わらない。結局は自分を慰め、傷つけるだけの行為でしかないのだから。そんな自慰・或いは自傷行為よりも、先のもしやIFを考えていた方がまだ幾つか建設的だろう。
 
 「とりあえず起きるか…」
 
 秋とは言えど、朝の寒さは骨身に響く。特に俺は脂肪なんて殆ど無いから尚更だ。未だ布団の中に惹かれる気持ちをすっぱりと断ち切って、ベッドの脇へと立ち上がる。瞬間、寒さに包まれた身体が震えるが、もう布団に戻るわけにはいかない。まだ幾らか時間の余裕はあるとは言え、二度寝をする余裕なんて俺には無いのだから。
 
 ―顔…は良いか。面倒だし。それより朝飯を喰ってとっとと出勤しよう。
 
 別に身だしなみを気にしなきゃいけないような相手がいるわけでもない。この部屋は研究室と同じ建物にあるだけあって、研究者ばかりなのだから。そして、大抵の連中が研究に熱中しだすと身だしなみは二の次三の次になるような連中ばかりである。そんな中で一人だけ良い子ちゃんをやっても仕方が無い。それよりも昨日の遅れを取り戻す為に少しでも早く研究室に顔を出した方が良いだろう。そう考えて俺は靴に足を突っ込んだ。しかし、サイズをしっかりと合わせた筈のそれは何故か何時もより大きい。ブカブカと言っても良いくらいだ。
 
 ―……あれ??
 
 ベッドに倒れこむ寸前まで履いていたが、こんなに大きかっただろうか。そう思ってサイズを確認してみるが、何時も履いているサイズと同じだった。首を傾げて戸棚からもう一足取り出して履きなおしてみるが、それもブカブカなのは変わらない。
 
 ―…???
 
 訳が分からない状況に頭がパニックになりそうだが、それに構っている余裕はそれほどない。昨日は熱に浮かされて思いつかなかったが、結局、戻るといいながらルドガーに何の連絡もしていなかったのだ。怒らせたとは言え、変な所で心配性でお人好しのアイツは、恐らく心配しているだろう。顔を出さなかったのは完全に俺の落ち度であるので、早く顔を見せて安心させてやらないといけない。そう考えて俺はテーブルの上で包み紙に包まれている白パンに手を伸ばした。
 
 ―…まぁ、気まずいんだけどさ。
 
 別に俺自身、アイツに会いたいと思っているわけじゃない。顔を見せてやらないといけないのは同僚としての最低限の心遣いだ。友人としての俺はまだ顔を合わせてからどうすればいいのか悶々としていて、会いたくない気持ちが残っている。しかし、俺は社会人であり、人命に携わる仕事をしているのだ。私情は可能な限り排除して、完璧な仕事をしなければいけない。
 
 「もぐもぐ……ん……?」
 
 そんな事を考えていると何時の間にか俺の手の中にあるパンが一切れなくなっていた。別にこの部屋には誰もいないし、俺が食べきったと言う事なのだろう。そんな事を考えながら、もう一度、パンに手を伸ばそうとするが、どうにも食欲が沸かない。元々、食が細いとは言え、昨日は何も食べていなかったのだ。もう少し食べられるだろうとは自分では思うものの、胃は確かに満足だと告げている。
 
 ―…まだ体調が戻ってないのか。
 
 昨日はあれだけの高熱を出したのだ。今は大分、マシとは言え、まだ本調子ではないのだろう。そんな風に納得させながら、俺は白パンを再び、包み紙に包んだ。そのままパンを戸棚に戻し、小さく息を吐いてから、部屋の扉を開ける。
 扉の先は何時もと変わらない日の光が差し込む明るい廊下だ。居住区は日光を多く取り入れる形をしているので、こうして秋でも暖かな感覚が身を包む。それに少しばかり眠気を擽られるのを感じながら、俺の足は馴染みの研究室へと向かった。
 
 ―…?なんだ…?
 
 しかし、その最中、チラチラとこちらに視線が送られるのを感じる。その発生源は、同じように俺と研究室に向かうか、或いはその研究室で徹夜して部屋に戻る最中の連中だ。普段は他人なんてまるで意にも介さないように研究熱心な連中が、どうして俺をチラチラと見ているのか、その理由が思いつかない。
 
 ―もしかして今の俺はよっぽど酷い顔をしているのか…?
 
 そもそも一日であれだけの高熱が治るなんておかしいのだ。もしかしたら俺は数日こん睡状態だったのかもしれない。その間、放って置かれたままの顔が変な髭の生やし方でもしているのか。そんな風に思って、俺の顎を撫でてみるが髭一本さえ見当たらない。それどころか今までに無い滑らかさで俺の手に吸い付いてくるようだ。
 
 ―…それじゃあ匂い…か?
 
 そんな風に脇の辺りを引き出して嗅いでみるものの、それほど汗臭い訳ではない。それどころか甘いミルクのような香りがするのだ。何の香りが移ったのかは知らないが、少なくともこんな風に見られるような悪い匂いではないだろう。
 
 ―……?
 
 本格的に訳が分からなくなって、俺は小さく首を傾げた。そんな俺に向かって周りがヒソヒソと話をし始める。まるで陰口を叩くようなその様子に、流石に俺の胸が怒りを覚えた。しかし、有象無象に構っている余裕は今は無い。理由が分からないなら、放っておこうと俺は再び脚を進め、そして『ソイツ』を見つけた。
 
 「げっ…」
 
 恐らく今、一番俺が会いたくないであろうソイツ――俺の共同研究者であるルドガーが、横道から俺の前へと入ってくる。その顔は疲れているのか何処か生気のようなものが見えなかった。寸前で怒らせたとは言え、やはり何の連絡もしなかったのはかなり心配を掛けたのかもしれない。何処か憔悴しきった様子に良心が痛んだ。
 
 ―どうする…声を掛けるか…?
 
 そもそも研究室にいけば否応無しに顔を合わせるとは言え、やっぱりどうしても気まずい。少なくともフレンドリーに声を掛けるのは難しいだろう。だが、さっきチラリと見えた横顔がどうしても脳裏にちらつく。声を掛けるべきだという自分と、このまま流されてしまおうとする自分。どちらも鬩ぎあって、中々、譲らない。
 
 ―…まぁ、別に声くらい掛けても罰は当たらない筈だ。
 
 そのまま数分ほど歩いたが、結局、前者に軍牌が上がる。そもそも、このまま流されたとしても、研究室でずっと一緒になるのだ。その空気が気まずいままと言うのも俺としては遠慮したい。それならば、少しでも早く問題を解決するべきだろうと、俺はそっとルドガーへと近寄ろうとした。
 
 ―…あれ?
 
 しかし、中々、奴の背に追いつくことが出来ない。普段はルドガーがゆっくりと歩いている所為か、すぐに追いつくことが出来るのに、どんどんと離されていく。歩幅も歩く速度もそれほど違う訳ではないだろうに、見知った背中に置いていかれる感覚に俺は何故か強い焦りを覚えた。
 
 ―ていうか…コイツこんなに大きかったっけ…?
 
 俺の記憶の中のルドガーは確かに大柄だが、『俺と比べて』あんなに肩幅が広くないし、身長ももっと低かったはずだ。離れて行く距離の錯覚を加味しても、今のルドガーは俺と比べて二周り以上、大きいようにしか見えない。たった一日…或いは数日でそこまで体格が変わるとも思えないし、一瞬、別人であるとさえ考えた。
 
 ―でも…俺がコイツを間違う筈ないしなぁ…。
 
 何だかんだで十年来の付き合いなのだ。顔を見たのは一瞬であるとは言え、それを見間違うとは思えない。数瞬、迷ったものの、俺は決心したように駆け出して、ルドガーの肩をぽんと叩いた。
 
 「…よ、よぅ」
 
 振り返ったルドガーの顔はやっぱり何処か憔悴していた。瞳は何処か虚ろで、焦点が合っているようには見えない。何時もは生気に満ち溢れているような顔は少し痩せこけていて、普段とのギャップが激しすぎる。戦場から蘇ったばかりだと言われても信じてしまうであろう程の様子に俺は内心、驚いた。
 
 「ど、どうしたよ?元気無いじゃないか」
 
 そんな奴を元気付けようと普段は絶対に言わないであろうフレンドリーな口調で接する。昨日の今日でこんな調子の良い事を言っても拒絶されるかも、と内心、思ったものの、ルドガーの反応は薄い。僅かに感情が見え隠れする瞳は、若干の困惑に包まれている。
 
 ―まぁ、いきなり話しかけたし仕方ないか。
 
 昨日の今日でこれなのだ。寧ろ、呆れられないで良かったかもしれない。そして、呆れられてないのであれば、今がチャンスだ。ドサクサに紛れて昨日の事を謝ってやろう。
 
 「昨日は悪かったな…連絡もしないで帰ってよ」
 
 気まずそうにガリガリと後頭部を掻きながら、はっきりと謝った。勿論、その前の口喧嘩の件には触れない。アレは俺としてもまだ納得できているわけではないのだから。ただ、社会人として最低限の礼儀だけは果たそうと、普段は決して言わないであろう謝罪の言葉を口にした。
 
 「昨日って…何だ…?」
 「は?」
 
 しかし、ルドガーは思ったより強情であったらしい。まだ怒っているのか、そんな言葉を口にする。お世辞にも温厚とは言えない俺はその言葉に怒りを灯らせた。
 
 ―あぁ、そうかい。それならこっちにも考えがあるぜ…!!
 
 珍しくこっちから歩み寄ってやったというのにとぼける様子は、俺が逆切れするのには十分すぎる。すっきりとした頭を一気に回転させて、どんな罵詈雑言を投げかけてやろうかと思考を開始した。浮かび上がる喧嘩の売り言葉を幾つかピックアップし、それを口に出そうとした瞬間、困惑をさらに強くしたルドガーが再び口を開く。
 
 「そもそも君は誰なんだ?どうしてサキュバスがここにいる?」
 
 ―…は?
 
 ルドガーの言葉が俺には納得できない。前者だけならば、まだ納得できる。それだけ怒らせるようなことをあの医務室で言った自覚は一応、あるのだから。まだ謝るつもりは無いけれど、それだけならばまだ喧嘩の売り言葉として捉えられただろう。だけど、コイツの言葉はそれで終わっていない。
 
 ―サキュバス…?俺が…?
 
 それは性質の悪い冗談にも程がある。確かのあの新薬は恒常的に服用すれば魔物化を招く代物だ。だが、サキュバスになれるのは女だけである。俺は生まれてこの方ずっと男だし、例え新薬で魔物になったとしてもサキュバスではなく、インキュバスになるはずだ。だから…これは冗談としか考えられない。いや、そのはずだ。
 
 「お、怒ってるのは分かるけどさ…そ、それはちょっと性質が悪い冗談なんじゃないか?」
 
 ―しかし、そう反論する俺の声は確かに震えていた。
 
 混乱する俺の頭の中に幾つかのキーワードが流れる。ブカブカの靴。普段より無い食欲。何故か注目を集める事。眠った後なのに髭一つ生えない滑らかな肌。汗の匂いの変わりに漂う甘い匂い。何時もよりも大きく見えるルドガーの身体。中々、追いつかないその背。それらは確かに『ソレ』が冗談でなければ説明できる。認めたくは無いが、俺の頭脳は、『ソレ』が確かであれば今までの違和感を全て繋げられると答えを導いた。
 
 ―でも…そんな事ありえない…!
 
 俺がサキュバスになるなんて…ありえるはずがない。だって、俺は男だ。インキュバスになるならまだしも、性別の壁を乗り越えてサキュバスになるだなんて、そんな話、聞いたことも無い。今まで色々とデータも集めてきたが、こんなケースなんて一度も無かったのだから。それどころか今まで参考にしたどんな文献にも載っていない。新薬の素になったサキュバスの秘薬も、精の精製能力を向上させるだけで、性転換する要素なんて何一つとしてないはずだ。
 
 ―けれど、ありえない筈のその現実を突きつけるように、困惑したルドガーにきっと強い意思が灯る。
 
 「性質の悪い冗談を言っているのはそっちだろう…?その白衣は何処で手に入れた?そのネームプレートは…リズのだぞ」
 
 敵意をその瞳に宿らせて、ルドガーの視線が俺を貫く。今までどんなに喧嘩をした時でも、見せなかった敵意の視線は『ソレ』が現実であると俺に教えるようだ。しかし、俺はその衝撃と重さに耐え切る事が出来ず、その場に膝を着くようにして倒れこんでしまう。
 
 「っ!お、おい…!!」
 
 黒く閉じて行く視界の中でルドガーが俺の身体を抱きとめた。それを背で…いや、その中ほどにある『翼』で感じながら、俺の意識は閉じて行く。まるで、認めたくない現実から逃避するように俺は暗い暗い意識の底へ堕ちていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「…つまりどう言う事ですか?」
 「レアケース中のレアケースと言う事だ。魔術によるスキャンも行ったが彼…いや、彼女は完全にサキュバスになっている」
 「男がサキュバスになるなんて……信じられない…」
 「だが、現に彼女の身体には子宮まで存在している。…実に興味深いな」
 「っ!!そんな眼でリズを見ないでくれますか!?」
 
 ―聞こえる。言い争うような声が。
 
 遠くにも近くにも聞こえるその声に俺の意識が掻き乱される。まるで強引に揺り起こされるような感覚を不快だが、一度、捕まってしまった俺を手放してくれるほど優しくは無い。もう少し眠っていたいが、半ば覚醒した意識が完全に眼を覚ますのはそう遠い先ではないだろう。
 
 「君は彼女が同僚だと分からなかったのだろう?敵意を丸出しにして彼女に接していたらしいじゃないか。それなのに今更、騎士気取りかね?」
 「彼、です。間違えないで下さい」
 「…これは失礼。…おっと、眠り姫が眼を覚ましたようだぞ」
 
 ―…あ…?
 
 そして覚醒。眼を開けるとそこはついこの間も見たはずのベージュの天井だった。柔らかい色使いのそれは俺の経験から察するに恐らく医務室なのだろう。二日連続――あくまで俺の体内感覚が正しければ、だが――医務室で眼を覚ますというシチュエーションに、何か薄ら寒いものを感じながら、俺はゆっくりと身体を起こした。
 
 「…リズ…」
 「気分はどうかね?」
 
 ルドガーとは違う声に眼を向けると、そこには顎鬚を蓄えた男が居た。既に老齢に差し掛かっているその髪は白く、オールバックに撫で上げられている。知性溢れる蒼の瞳は、こちらを気遣うような感情を見せているが、それが言葉通りの意味ではない事を俺は知っていた。俺たちと同じ白衣と白いシャツと言った装いのこの男は俺たちの直属の上司であり…そして、知る人ぞ知る変態でもある。
 
 「起き抜けにテメェの顔を見なけりゃ最高だったろうよ…」
 「ふむ、そこまで言えるのであれば問題は無さそうだね」
 
 紳士然として顎鬚を撫でる動作は妙に様になっている。全体的に落ち着いた装いだからだろうか。それだけ見ると、変態には決して見えない。だが、コイツが生命の誕生をやらを専門に研究している正真正銘のマッドだ。薬を作り出す為の研究所であるのに、なんでそんな研究を認められるのか分からないが、コイツはその研究の為に幾つものゴーレムを所有、或いは開発している。彼女らを研究・開発し、最高の女性を自らの手で作り上げるのが夢らしい。最近は彼女らの調教の為に特性の媚薬を作ってはヤり、研究室からは喘ぎ声が途切れる事が無いと聞く。
 
 ―それで有能なんだから性質が悪い…。
 
 それで無能であれば、幾らでも蹴落とす隙が見つかるだろう。しかし、コイツが研究の片手間に作った薬は完璧でケチのつけようがない。そして、自身が変態だからか部下への理解もあり、新薬を俺自身で実験する変わりに臨床試験を短くするという提案にも載ってくれた。正直、その研究テーマさえもう少しマトモな…いや、アプローチさえ普通ならば、尊敬できる上司だったかもしれないと最近、思う。
 
 「で……どうしてアンタまで此処に?」
 
 確か俺は廊下でルドガーとして話していたはずである。そして……自分がサキュバスになったという事実に目の前が真っ暗になって…倒れた。勿論、俺はコイツの部下であり、当事者の一人でもあるルドガーもまた部下ではあるが、自分のメイン研究以外に殆ど興味を向けないこの変態がただの優しさで俺の見舞いに来るなんて思えないのだ。
 
 「何、生命の神秘を探りに…ね」
 「っ!!」
 
 意味深な言葉とベタつくような視線。それに例えようの無い危機と寒気を感じて、俺の身体は後ずさった。しかし、後ろは壁であり、逃げ場なんて殆ど無い。訳の分からない恐怖に引きつった声を上げそうになった瞬間、ルドガーが庇うように間に割り込んだ。
 
 「……」
 「やれやれ…これじゃあまるで私が悪者のようではないかね」
 
 俺からは後姿しか見えないが、強く睨まれているのだろう。嘆くように言いながら、変態野朗は頭を振った。そのお陰で、視線が俺から外れて、危機感が薄れていく。しかし、警戒心と一瞬で身を包んだ寒気は止まらず、俺の腕はまだフルフルと震えていた。
 
 「まぁ、冗談を抜きにして言えば君の検査結果を相方を伝えに来ただけだよ。確かに君の身体には興味はあったが、我が娘たちが言うには既に完全にサキュバスそのもののようだ。それならば、非協力的な君よりも協力的なサキュバスを探して研究した方が早い」
 
 ―…いや、冗談には見えなかったんだけどな…。
 
 冗談めかして言っているが、恐らく何割かは本気だ。何せ俺の身体は男から、サキュバスに変わったという稀有なケースなのだから。生命の誕生をやらをテーマにしているこの変態がそれに興味をそそられない筈がない。俺だって逆の立場ならば、ちょっと興味が沸いて来るだろう。
 
 「…それより帰らなくて宜しいのですか?もう用件は終わったでしょう?」
 「手厳しいな。それだけ彼女が大事かね?」
 「彼、です。お間違えなく」
 「やけに拘るな君は。もう身体的には紛れも無く女性なのだから、彼女が正解だろう?」
 「っ!!」
 
 はっきりと自分が女性であると告げられた言葉に俺の肩が跳ねる。どうやら…冷静な様で、俺はまだまだ冷静ではなかったらしい。まるでスイッチが入ったように震えだす身体を自分で抱くが、襲い来る寒気は収まらなかった。如何すれば良いのか分からなくて、涙さえ浮びそうになった瞬間、暖かい何かが俺の肩を包む。
 
 「あっ…」
 「大丈夫だ…リズ…大丈夫だからな…」
 「やれやれ…熱い事だ」
 
 からかうような言葉も俺の心には殆ど届いていない。近づいたルドガーの両腕が、俺の肩を抱き締めて、暖めてくれていたからだ。まるで心ごと抱き締めるような力強いそれに俺の中の寒気が霧散して行く。眼を閉じて、それに身を委ねながら、俺は小さく、「うん…」と返事を返した。
 
 「それじゃあお邪魔にならない内に帰ろうかね…。伝えるべき事は全てルドガー君に伝えているので彼から聞きたまえ」
 
 そのままパタパタと手を振って、男が去っていく。そのままガチャリと扉を閉める音が聞こえて、俺の心は安堵のため息を漏らした。しかし、安心した所為だろうか。ぎゅっとルドガーに抱き締められているというシチュエーションが妙に気恥ずかしくて、顔が紅く染まる。それでも突き放す気にはなれず、俺はそのまま何も言わないで身を委ね続けた。
 
 「…悪かった」
 
 そんな俺の耳に届くのははっきりとした謝罪の言葉。思わず眼を見開くものの、その理由が俺には分からなかった。だって、あの変態の魔の手から守ってくれたのは紛れも無くルドガーなのだから。それに感謝こそすれ、謝罪される理由なんて無いだろう。
 
 「お前が…リズだなんて気付かなくて…すまなかった…」
 
 ―あぁ、そっちか……。
 
 そう言えば倒れる前にはそんな事もあったか。正直、あの変態のインパクトが強すぎて忘れていた。
 
 ―まぁ…そもそも怒ってる訳じゃないしな。
 
 確かにあの時は怒っていたが、それは事情が分からなかったからだ。自分が置かれた状況をしっかりと把握すれば、ルドガーの対応は決して非難されるようなものではない。何せいきなり友人のネームプレートをつけたサキュバスが、気軽に話しかけてきたのだから。俺が性転換した事を知らなかったコイツが警戒して敵意を見せるのは仕方ないことだろう。寧ろいきなり倒れこんだ得体の知れないサキュバスを抱きとめたり、恐らく看病までしてくれたのだから、コイツが自分を責める謂れなどないはずだ。
 
 「気にしてないっての。アレじゃ仕方ないって」
 「だけど……」
 
 ―…ったく、うじうじ悩みやがる。
 
 どうやら『スイッチ』が入ったらしい。折角、気にしていないと仕方ないと言ってやっているのに、その声には苦々しいものが混じっている。普段は鬱陶しいくらい陽気なのに、こうなると只管、面倒臭いのだ。放っておけば何時までもうじうじとしているのだから。
 
 ―まったく…悩みたいのはこっちだっての…。
 
 いきなりサキュバスに変わったなんていう状況をまだ上手く咀嚼できていないままなのだ。これからどうするのか、どうなるのか、そんな展望もまるで見えない。しかし、目の前で頭を抱えられてうじうじ出来るほど、俺は神経が図太くは無いのだ。小さく溜め息を吐いて、ルドガーの頬を右手でそっと撫でてやる。
 
 「…それじゃあ、昼飯奢れ。それでチャラにしてやるよ」
 
 冗談めかした言葉に共に、髭の剃り残しかゾリゾリと言う感触が掌から帰ってくる。何処か面白いその感覚に、俺は再び瞳を閉じた。抱き締められる暖かい感覚は、まるで春の日差しの中のように感じる。胸の奥まで暖まるような感覚に、紛れも無く心地良い。
 
 ―…ん……?
 
 そんな中で胸の中に別種の熱が灯った。それは一瞬だけ芽を出したようなモノで、俺自身にも形容しがたいものである。それが一体何なのか首を傾げて考えるが、ヒントも何も無い状況で答えは出ない。それよりも今のこの状況に身を委ねようと考えた。
 
 「……あぁ…分かった」
 「ん。宜しい」
 
 返ってきた返事はさっきよりもはっきりとしていた。それでも普段に比べれば、落ち込んでいる色が強いが、多少、気分も上向いたらしい。それに内心、安堵しながら、俺はコイツの頬から右手を外し、眼を開いた。
 
 「…あ……」
 「ん?」
 「…いや、何でもないぞ」
 
 外した右手に視線を送るように、そっとルドガーは目を背けた。何が言いたいのかは分からないが、何か不満らしい。首を傾げてその理由を考えてみるが、良く分からなかった。タイミング的にもっと触って欲しかったってのが一番の理由かもしれないが、今はサキュバスとは言え俺は男である。少なくともコイツはそう思っているはずだ。だからこそ、彼だと頑なに主張していたのだろうし。
 
 ―それに…きっと今の俺はとんでもなく微妙な顔をしているだろうからなぁ…。
 
 今の俺がどんな顔をしているのか分からないが、男であった頃の俺は細身ではあったものの、はっきりと男であることが分かる顔をしていたのだ。サキュバスになったとは言え、それが大幅に変わるとは思えない。つまり今の俺はとても微妙なサキュバスなのだろう。鏡は見えないが、きっとそうだ。そして、そんな奴に触れられて喜ぶ変態はそうはいないだろう。
 
 ―…そう思うと、なんかすげぇ申し訳ない気分になってきた…。
 
 ぎゅっと抱き締めてくれているのは勿論、嬉しいし、有難い。でも、もう震えは大体、収まってきているのだ。もうこれ以上、ルドガーを拘束するのは余りにも可哀想な気がする。俺だって身体はアレだが、心は男だ。不細工な女よりも、美しい女の方が抱き締めたいという気持ちは分かるのだから。
 
 「…あ、あのさ…。もう…良いぞ…」
 「え…あ…わ、悪い…」
 
 ポツリと漏らした声に反応して、パッとルドガーの身体が離れる。瞬間、訪れた秋の寒さに俺の身体がまた震えそうになった。さっきまでは平気だったのに、離れただけで寒さを感じる自分の軟弱な身体に自嘲めいた笑みが漏れる。けれど、それをコイツに見られたらまた心配させるだろう。それを感情の中に押し込めて、俺は自分の身体を見下ろした。
 
 ―朝は気付かなかったが…随分と小さくなってしまったなぁ…。
 
 元々、細身ではあったが、まだ男らしさを残しているフォルムであった。しかし、今の俺の身体はまるで違う。ところどころに丸みを帯びていて、完全に女の線を描いている。自分で触れた肩幅もびっくりするくらい狭く、ルドガーに本気で抱き締められたら壊れてしまいそうだ。それでいて、胸は殆ど無く小さな膨らみがわずかにシャツの上から確認出来るという悲しい有様である。
 
 ―…いや、悲しいってなんだよ。
 
 別に胸が無かったからといって悲しむ必要など無い。だって俺は男なのだから。寧ろ大きな胸があっても困惑するだけだろう。それなのに悲しいとはどう言う事なのか?
 
 ―…多分、まだ混乱してるんだろ。
 
 言い訳するようにそう結論付けながら、俺は小さく溜め息を吐いた。さっきからそうだが、何となくらしくない。何時もであればもっと気丈に振舞える筈なのだ。しかし、サキュバスになった影響か、自分でも何処か弱弱しい感じがする。…いや、もう少し正確に言えば素直と表現すべきか。
 
 ―…なんなんだろうな一体…。
 
 普段であればルドガーに抱き締められるなんて恥ずかしくてすぐ突き飛ばしていただろう。しかし、俺はそれを受け入れてしまった。それどころか暖かいそれに身を委ねてさえ居たのである。そんなのは昨日までの俺では考えられない。少なくとも抱き締められている間に気持ち悪いだの悪態を吐いていた事だろう。
 
 ―…サキュバス化した影響を受けて精神まで変わっているのか…?
 
 レッサーサキュバスになった女性は疼く身体に耐え切れず、好いた男、或いは近くにいた男を襲うと聞く。その精神はゆっくりではあるが、サキュバスのモノになっていくらしい。今の所、ルドガーの近くに居てもそんな感覚は無いが、既に影響を受けていてもおかしくはないだろう。
 
 ―それに…あの夢。
 
 サキュバス化する徴候だったのか寝る度に、意識を飛ばす為に見ていた穏やかな夢。ある意味、悪夢としか思えないそれに惹かれているのは否定出来ない。
 
 ―まぁ…全ては仮定でしか無いんだがな。…それより今は…
 
 「なぁ…ルドガー」
 「あ、あぁ、なんだ?」
 
 より現状を把握すべきだと際限なく広がりそうな思考を打ち切り、俺は顔を上げた。一瞬、気まずそうな顔をしたコイツと目が合ったが、ふいっと逸らされてしまう。普段は俺がどれだけ気恥ずかしくてもこっちの瞳を見つめてくるような馬鹿なのに、どうして女になった途端にそんな表情を見せるのかが分からない。…もしかして自分で思っていた以上に微妙なんだろうか、今の俺は。
 
 「鏡、持ってないか?今の自分の顔が知りたい」
 「あぁ…ちょっと待ってろ」
 
 その疑問を解決する為に俺は鏡を欲した。その言葉にルドガーが腰を上げて、仕切りの向こうへと消えていく。そして、ガチャガチャと戸棚を探るような音が聞こえ始めた。医務室だから探せばちょっとした鏡などあるだろうが、それでは小さすぎる。ちゃんと顔の全体が映る手鏡のようなものがあるかは多分、可能性が低いだろう。持ってないなら持ってないで言えば、トイレにでも行くのに、と思いつつ、俺の為に鏡を探してくれている様子に何処か微笑ましい感情が浮んできた。
 
 ―…つーか、トイレってどっちに入れば良いんだ俺…。
 
 ふと浮んだその疑問に応える相手はいない。今の身体は完全にサキュバス化――つまり女である。だが、俺の精神は間違いなく男だ。それは紛れも無く言い切れる。身体的には女子トイレに入る方が正解なのだろう。だが、俺の心はまるでそれを超えてはいけない一線の様に拒否していた。
 
 ―…どうしよ。
 
 厄介なことにトイレを利用する目的は殆ど排泄行為だ。それはサキュバスとなっても変わらない。それが生理現象である以上、いずれは俺に降りかかってくる。その時、どっちを利用するのか。覚悟が決まらないまま、俺は悶々とした気持ちでベットに腰掛続けた。
 
 「あったぞ」
 
 ―…まぁ、後回しでも構わないか。
 
 今は予想外な事に手鏡を見つけたルドガーの手柄を喜んでやるべきだろう。…別に逃避と言うわけじゃない。ただ、折角、俺の為に探してきてくれたコイツに落ち込んだ様子で言ってやるのも可哀想だ。ただ、それだけ。それだけである。
 
 「おぉ、ありがとう」
 
 再び仕切りの中に入ってきたルドガーにそう言いながら、俺はそっと微笑んで、受け取った。そんな俺の目の前で、ルドガーは大きく震えた後、まるでメドゥーサに石化させられたように止まる。…どうやら俺の笑顔と言う奴がよっぽど不気味だったらしい。折角、俺の為に動いてくれたのに、ピタリと止まるほど嫌な気分にさせた事に良心がズキリと疼いた。これからはコイツの前ではあまり笑わないようにしてやろう。
 
 ―……ってアレ?俺、コイツに今まで笑いかけたことなんてあったか?
 
 ふと記憶の中を探ってみるが、ルドガーに接する記憶の中の俺は何時も不機嫌そうに眉を寄せて谷間を作っていた。目つきも悪く根暗だと評判だった俺は、その性根を遺憾なく発揮し続けていたらしい。纏わり着いて来る面倒な友人相手に何時も顔を顰めて、機嫌の良い時も笑った記憶なんて殆ど無かった。
 
 ―冷静に考えると、かなり酷い奴だな俺は…。
 
 古い記憶が呼び覚まされると同時に当時の所業も蘇る。何度言ってもヘラヘラとした顔で近づいてくるルドガーが嫌で大小様々な嫌がらせをした回数は数え切れないくらいだ。子供っぽいものから比較的、洒落にならないものまでそれこそ目白押しである。しかし、何時しかそんな奴が逆にコイツに依存するくらいになるんだから分からないものだ。…まぁ、依存した結果、余計、口が悪くなっているような気もするが…そもそも、昨日の喧嘩の件もまだ謝ってないし…。
 
 ―あー!!止めだ!止め!!こんな事考えても落ち込むだけだ!!!
 
 そう胸中で叫んで思考の区切りをつけつつ、俺はコイツが持ってきてくれた手鏡を覗き込んだ。そこには普段の目つきの悪さは何処に言ったのか、ぱっちりと開いた黒い瞳でこっちを見返す女の姿がある。一瞬、あまりのギャップに訳が分からなくなり、思考が飛びそうになった。しかし、この短い期間にそう何度も気を飛ばす訳にはいかないと何とかソレを堪えた。俺は再び鏡の中を見返した。
 
 ―そこには間違いなく美しいと形容される中性的な少女が居た。
 
 綺麗に開いた眼は、その奥の濡れたような艶やかな黒い瞳を惜しげもなく晒している。まつげもピンと伸びて、男だったころとは比べ物にならない。元々、引きこもりがちで白かった肌は、健康的な美しいものになっている。鼻筋のしっかり通った鼻もすっと伸びて、綺麗なラインを描いている。やせぎすだった頬はふっくらと丸くなり、大人へのその過渡期にあるようだ。その上にある髪は、まるで艶を意図的に消したような真っ黒な色を晒している。何処か深みのある吸い込まれるようなその髪は、男であった時にはただ、適当に切られていただけなのに、今は美しく纏まっている。
 そんな顔からピンと突き出すエルフのような耳も俺の感情に合わせているのか、ピクピクと揺れる。一瞬、その様子が面白く感じたが、それが今、自分の身体に起こっていると考えるとどうしても笑えない。何せサキュバス種独特の毒々しい紫の角が頭に生えているのだ。それだけではなく、背中と腰の付け根辺りからはシャツを破いて突き出すように翼と尻尾まで生えていて、意識するときちんとその通りに動くのだから。現実逃避など出来る筈も無い。間違いなく、鏡に映るサキュバスは俺自身だ。
 
 「………あー……」
 
 ―どうコメントすればいいんだ…。
 
 てっきり微妙な顔つきをしていると思っていたが、鏡の中の俺はそう悪くない…と言うか紛れも無く可愛らしい姿だ。正直、今までで一番、信じられないかもしれない。根暗だなんだと陰口を叩かれ、服装や身なりにまったく気を使ってこなかった俺が、どうしてこんな姿をしているのか、今までで一番、分からないのだ。それこそ思考が停止して殆ど何も考えられないくらいである。
 
 ―…もしかしたら、今まで俺は心の何処かで全部、夢の延長だと思おうとしていたのかもしれない。
 
 だから、ある意味、冷静で居られたのだろう。だが、今のコレは紛れも無く、現実だ。目の前にある俺の姿は現実である。そう思った瞬間、固まった意識がまたふっと遠くなりそうになった。しかし、一日に何度もそんな感覚を味わえば、幾ら俺だって学習する。すんでの所で堪えて、俺はベッドに手を着いた。
 
 「っ!だ、大丈夫か!?」
 「あー…あぁ。大丈夫。大丈夫だ…」
 
 ついさっきまで固まっていたルドガーが、そんな俺を見て一気に近くに駆け寄ってくれる。それに心の何処かで安心感を感じながら、俺は短く応える。大丈夫、大丈夫とまるで自分に言い聞かせているように。…いや、恐らくそうだったのだろう。未だに俺の心は震えて、どうすればいいのかまるで分からないのだから。けれど、ここで変に落ち込んだらまたルドガーが気にするかもしれない。ここは精一杯虚勢を張ってやろうと、動かない頭がそんな結論を導いた。
 
 「…しかし、笑える話だな。俺がこんな女になってるなんてよ…」
 「リズ…」
 「てっきり不細工になったかと思えば、そこそこイケてるじゃないか。少し中性的だけど、コレなら女として生きて行くのも楽なんじゃねぇか」
 「リズ…!!」
 
 強い呼びかけと共に、再び俺の肩が掴まれた。予想外に強い力に俺の顔が痛みで歪みそうになる。しかし、今の俺はそれを必死に押し隠した。ここで我慢しなければ、何か色々なモノが漏れ出してしまいそうで…それに根本的な恐怖を感じた俺は我慢するしかなかったのである。
 
 「何だよ…そんなに叫ばなくても聞こえてるっての。…それとも何か?男の俺とヤりたいってのか?いや、今は女だっけか」
 「…っ!!」
 
 からかうような言葉にルドガーの顔に強い熱が灯る。恐らくそれは怒りだ。コイツは基本的には温厚だが、やっぱり男なのかホモ扱いされるのを嫌う。昔からどれだけ口汚く罵られても俺の傍に寄ってくる様子から、コイツを嫌う一部の連中からホモだなんだと言われていたのだ。それが陰口ならばまだマシだが、目の前でそんな事を言った途端に、キレたルドガーに殴りかかられて病院送りになった男もいる。…まぁ、俺も後でしっかり仕返ししておいたけれどな。
 
 ―つまりホモ扱いはルドガーにとっての逆鱗も同然な訳だ。
 
 その周辺に俺は触れた。触れてしまった。ならば、きっと俺は殴られるだろう。それで良い。精一杯の虚勢であったとは言え、それだけの事を俺は言ってしまったのだから。それくらいは受けてしかるべき罰だ。…そんな風に思って、コイツを見返したが、何故か拳は飛んでこない。
 
 「……そんなに自分を苛めるな、リズ」
 「っ…!!」
 
 代わりに俺の投げかけられたのは思いの外、優しい言葉だ。怒りを抑えているのか何処か震えるようなものだったけれど、その声音はとても優しい。酷い言葉を投げかけたというのに、まるで暖めるようなそれに俺は困惑を隠せなかった。
 
 「お前はお前だ。どんな姿になっても…俺の親友のリズだ」
 
 ―その言葉は俺の精一杯の虚勢を軽く吹き飛ばしてくれた。
 
 じっと真正面から見つめて言われた言葉の衝撃は例えようの無いものだった。必死で築いた虚勢の壁にあっという間に穴を作ってしまうのだから。正直、これならばまだ殴られた方がマシだったかもしれない。そんな馬鹿な事を考えてしまうくらい、その言葉は強く…そして暖かいものだった。そして、それは必死に壁の奥へと放り込んでいた様々な感情が溢れて止まらず、俺を飲み込もうとしている。
 
 「…あれ…?」
 
 その溢れ出た感情を俺の心は受け止めきることが出来ない。そして受け止めきれないその感情が氾濫して、俺の目尻から涙となって零れ落ちていく。一粒一粒、ボロボロと零れる様なそれは拭っても拭っても留まる事が無い。ゴシゴシと擦るように拭うが、少しずつ勢いを増すそれは何時の間にか線になり、目尻から流れ落ちていく。
 
 「リズ…」
 「馬鹿…!見るな…!見るんじゃない…!!」
 
 気恥ずかしくて、悲しくて、切なくて、辛くて、分からなくて、色んな感情が渦巻いた俺の心でもそれだけは言う事が出来た。それに応えて、ルドガーは再び俺の身体を抱き締める。お互いの肩に頭を乗せるようなそれはまるでコイツの体温を無理矢理、感じさせられるようだ。しかし、そんな強引な抱き締め方でも冷えた俺の芯はじわじわと暖かくなり、まるで心の中の整理できない感情が溶けていく。
 
 「くっそ…!な、泣いてない…!泣いてなんかいないからな…!!」
 
 何となく悔しくて、思わず強がった言葉を放つ。しかし、それは涙の所為か震えていた。誰が聞いても、泣いているであろうと分かるだろう。それが悔しいのに、ルドガーの前で泣きたくなんか無いのに、流れる涙が止まらず、コイツの服を穢していた。服を穢していることに何処か申し訳ない気持ちを感じながら、溶け出した気持ちがまるでルドガーを求めるように、俺の腕をコイツの背に回す。
 
 ―そのまま俺たちは数分ほど抱き合った。
 
 ひっくとしゃくりをあげる俺を慰めるように何度も何度もルドガーの掌が俺の背筋を撫でる。その度に、俺は暖かいモノを感じて、涙を漏らした。繋がりあったその輪は、俺の感情が収まると共に収縮していき、何時しか俺の目尻から涙が零れることは無くなる。けれど、未だ荒れる俺の心は何故かコイツの熱を欲していて、背に回った腕を解くことが出来ない。
 
 ―…何をやってるんだ俺は…。
 
 何処か冷静な俺がそんな言葉を漏らした。けれど、俺の身体はそれとは裏腹にルドガーを求め続けている。それに気恥ずかしさを感じながらも、身体は止まらない。寧ろ今、感じている暖かさをさっきみたいに手放したくなくて、縋るようにコイツの白衣を掴んだ。
 
 「……」
 「……」
 
 そのままお互いに沈黙したまま長い長い時間が流れる。俺が泣き止んだ所為か、或いは俺の心が落ち着いて気恥ずかしさを感じている所為か。その雰囲気はさっきまでとは違い、何処か甘酸っぱい気がする。男同士で抱きあっているのに、どうしてこんな雰囲気になるんだと困惑しながらも、それが嫌ではなかった。まるで初々しい恋人同士のような空気に身を委ねている所為か、胸の高鳴りさえ感じる。
 
 「……リズ」
 
 そんな空気を打ち破ったのはルドガーの方であった。俺の名前を小さく呼びながら、そっと身体を離す。それに一瞬、抵抗しようと俺の腕に力が入った。…けれど、これ以上、コイツを困らせることは出来ない。大人しくしたがおうと理性が叫び、皺になるくらい強く掴んでいた白衣から手を離した。勿論、引き剥がされた身体はそれに不平不満を訴えるが、それに耳を貸す訳にはいかない。
 
 「…どうした?」
 「…俺たちの…研究の事だ」
 
 ―搾り出すように言ったルドガーの様子に俺は次の言葉を悟った。
 
 しかし、それは考えなくとも分かることであったのかもしれない。今の俺の状態がどう新薬に関係しているのかは分からないが、それが深く関わっている可能性は高いのだ。考えていた副作用とは別の形で現れたソレは、申請していた臨床試験を却下されるには十分すぎる出来事だろう。最悪、研究自体の凍結と言う結果もありうるかもしれない。
 
 「…臨床試験は停止。研究も一時凍結だ」
 「…そう…か」
 
 予想していたとは言え、その言葉は俺の中に強く響いた。だって、今やっている研究は俺たちでする最後の大仕事だったのだから。それがこんな結果になるのは正直、悔しい。だが…命を扱う仕事に携わるものとして、これが俺以外の誰かに起こらなくて良かったとも思うのだ。魔物化は副作用の内とは言え、性転換はあまりにも大きすぎるリスクなのだから。もし、このまま臨床試験に進み、誰かの性別を変えてしまったらそれこそ取り返しのつかない事態になるところだった。
 
 ―…でも、コレで俺とルドガーのコンビも終わりか。
 
 研究が一時とは言え凍結されたと言う事は、よほどの理由が無ければ再開はされない。最低限、原因の究明、そしてそれをどうするのかまでを計画しなければ無理だろう。だが、それにこの研究所の資金を使うことは難しい。与えられる仕事の合間に身銭を切って研究し、それらを究明しなければいけないだろう。それは口で言うよりは難しい事だ。それこそ数年単位の時間が掛かるだろう。それにコイツが付き合ってくれるはずもない。
 
 「…じゃあ、お前も辞める事になるな…」
 「……」
 
 呟くような言葉にルドガーはそっと眼を伏せた。まるで何かの痛みを堪えているような様子にじくりと胸が疼く。別に責めているつもりはなかったのだ。昨日はアレだけ責めたが…少し冷静になった今ならば許せる。それを伝えようと口を開こうとした瞬間、先にコイツが言葉を紡いだ。
 
 「…辞めない。辞表は撤回してきた」
 「…は?」
 
 それは余りにも衝撃的過ぎる発言だった。だって、そうだろう。ついこの間まで、その一件でギクシャクしてきたのだ。それをあっさり撤回するなんてよほどの事がないと考えられない。…そして、その余程の事と言うのは俺の事なのだろう。それはさっき眼を伏せた様子からも分かった。
 
 ―な、舐めやがって…!!
 
 それは流石に俺の逆鱗に触れた。勿論、俺はルドガーと離れたくは無い。夢の中の話ではないが、俺はコイツの事を最高のパートナーだと思っている。そんな相手を誰が手放したいと思うものか。だが、俺にだって友人としてルドガーを大事に思う気持ちくらいはあるのだ。夢の為ならば許すしかない、これ以上引き止められないと自分を納得させていたのに、同情で残られるなんて俺への侮辱以外の何者でもないだろう。
 
 「ふっざけんな!そんな風に同情されて喜ぶとでも思ってんのかよ!!」
 「……」
 
 怒りのままに叩きつけた言葉にルドガーは応えない。しゅんと肩を縮こまらせて、素直に怒られている。だが、殊勝なその様子とは裏腹に、瞳には揺るがない色が浮んでいた。恐らくではあるが、コイツも怒られるのを理解していたのだろう。だが、どれだけ怒られても譲るつもりは無いらしい。俺がどれだけ酷い事をしてもヘラヘラと寄ってきた時のような強い意思を込めて、俺を見つめている。
 
 「…っ!クソが…!医者になるのがお前の夢だったんだろ!?」
 「…そうだ」
 「じゃあ、なんでだよ!!もうすぐそれに手が届くってのに、俺なんかの為に道を踏み外すんだ!!」
 「それ…は……」
 
 応えない。その様子が妙に俺の癪に障る。ただでさえ同情されているという事実に苛立った心が、まるで馬鹿にされているように感じるのだ。それを叩きつけようと睨みつけるが、俺よりも遥かに大きな存在になってしまったコイツはまるで揺らぐ様子は無い。その頑固な姿に、俺の怒りの矛先はゆっくりと変わっていく。
 
 「……なんでだよ…なんで………」
 
 ―なんで俺は何時もこうなんだ……。
 
 何かやろうとしても、どうしても裏目に出てしまう。それは別に今回だけの話じゃない。学生時代に何度かルドガーに優しくしてやろうとしてやった事があるのだ。だが、それはまるで運命に定められているかのようにコイツに迷惑が掛かる結果に終わる。今回の件だって、別にルドガーを引きとめようとしてやった訳じゃない。良かれと思って…早く俺から解放してやろうと思ってやった事なのだから。だが、結果としてそれは完全に裏目に出てしまった。まるでオセロのようにたった一打によって、ルドガーを解放してやる為の行為が縛り付ける為の行為に。それが悲しくて…悔しい。天才だと持て囃されて来たはずなのに、裏目に出てしまう自分が恨めしかった。
 
 「リズ……すまない…!」
 「っ!!!」
 
 謝るルドガーの言葉にまた怒りが爆発する。けれど、それが向かう先はコイツではない。自分だ。どうしようもない自分に苛立つ気持ちが治まらず、手近の壁を殴りつける。瞬間、胸へと突き刺さるような衝撃を感じた。人とは比べ物にならないくらい丈夫とは言え、サキュバスの肉体でも痛みを感じるのだろう。それは人であったときとまるで変わらない痛みであった。
 
 「っ……!クソ……!」
 
 口汚く罵りながら、俺はそっと叩きつけた拳を手で包んだ。真っ赤に晴れ上がったそこはじくじくと疼き、熱と痛みを訴えている。それでも自分を許す気にはなれず、もう一度、振り上げた瞬間、その手はルドガーの手によって止められた。
 
 「…止めてくれ…頼む…」
 「誰の所為だと思ってんだ!?誰の…!!」
 
 怒りのままにそう叫ぶが悲しそうに伏せるその眼にそれ以上、何も言えなくなってしまう。見せ付けるように舌打ちをしながら、俺はそっと手を下ろした。それでも、まだ不安なのかコイツの手はぎゅっと俺の拳を握りままである。痛みで火照る拳にルドガーの体温が加わる事で不快な反面、まるで慰められているように感じた。
 
 「…もうしないから離せよ」
 「あぁ…」
 
 だが、そんな慰めなんて今の俺には必要ない。本当に必要なのはルドガーの方なのだから。またコイツの足を引っ張った俺にはそんな風に慰められたり、癒される資格などあるはずもなかった。
 
 「……リズ…俺は……」
 
 そんな俺に何か言おうとしてルドガーが迷ったように口を開く。…でも、俺は聞きたくなかった。コイツは優しいから、きっと慰めようとしてくれているんだろう。けれど、今の俺はそれを素直に受け入れることが出来ない。きっとそれを怒りの糧にするだけだ。…そうしてコイツに八つ当たりをする羽目になるならば、いっそ一人の方が良い。
 
 「…出て行ってくれ」
 「……リズ…」
 「頼む…一人にしてくれ」
 
 視界の端でルドガーが何かを言いたそうにしていたが、それから視線を逸らしてベッドの倒れこむ。ぎしぎしとスプリングの効いたそれはしっかりと俺を受け止めてくれた。普段であればそれは喜ばしいことであったが、自分に怒りを滾らせる今の俺にとってはあまり歓迎したいモノではない。こんな所に金を使ってないで、もっと研究費用に回せよ、と八つ当たりのように思いつつ、目を閉じた。
 
 「…分かった」
 
 もう俺が話すつもりはないのが伝わったのだろう。大人しく立ち上がる音がする。そのままコツコツと地面を叩く音が響き、数秒後、ガラガラと扉が閉まった。
 
 「……はぁ…」
 
 そこまで感じて、俺は小さく溜め息を吐く。一人になったお陰か、さっきまでの感情の高ぶりはそこにはない。代わりに何処までも落ち込んでいくような思考の渦があるだけだ。考えても仕方ないと思いつつ、どうして?と言う問いかけが止まらない。
 
 ―…もっと上手く出来たハズなんだ…もっと……。
 
 考えていたのとはまるで違う結末にそんな気持ちが止まらない。それを抑えようと横なってぎゅっと身体を丸まらせるが、まるで効果は無かった。胸から走る痛みを抑えようとシャツの上から握り締めるが、今となっては忌々しい柔らかい感触が帰ってくるだけである。そのまま、どこまでも落ちていくような思考の渦に飲み込まれ、自責の気持ちを胸に俺の意識はそこでぷつりと途切れてしまった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「…あ…?」
 
 眼を開けると窓からは夕日が差し込んでいた。どうやら考え事をしてる間に、何時の間にか眠ってしまったらしい。これだけ大変な時期なのに何を暢気な、と思うが、最近寝ていなかった疲れが再び出たのだろう。少なくともさっきよりは身体が軽い。その気になれば飛べそうなくらいだ。
 
 ―…笑えない冗談だな…。
 
 思いついたそれに自嘲の念を抱きながら、俺はベッドから立ち上がった。すとんと久しぶりに味わう地上の感覚は悪くない。ひんやりと冷たいが、以前のように揺らいだりする事は無かった。それに少し安心しながら、俺は傍に置いてある靴に足を突っ込む。そのままつま先でコツンコツンと床を叩きながら、調整するが、やっぱり何処かブカブカだ。
 
 ―…そう言えばこの服もそうだよな。
 
 今まで気がつかなかったが、一回りほど小さくなった影響で裾なんかが余っている。今の姿では精一杯背伸びをしてお兄ちゃんの真似をしている妹にしか見えないだろう。そう考えると自然とため息が漏れ出た。
 
 ―服も靴も揃え直さないとなぁ…。
 
 別に身だしなみに気を使うようなタイプではないが、少しばかり今の身体には大きすぎる。バランスを崩して倒れかねないくらいだ。無意識の内に尻尾でバランスをとっていたのか、倒れこむことは無かったが、やっぱり気分的には余り宜しくは無い。別に女物の服を買わなくても良いが、今のサイズに合わせたスーツを二三着と靴くらいは必要だろう。
 
 「…はぁ」
 
 ため息が漏れるのは別にお金の心配をしているからではない。基本的に無趣味で本を買うくらいしか金の使い道の無い俺は数年の勤務で結構な額が貯まっているのだ。それは今更、幾つか服を揃えた位で減るようなものではない。問題は街中に出なければいけないという事だ。
 
 ―面倒な……。
 
 根暗であると言われ続けた最大の原因はこの出不精と人見知りのキツさだろう。だが、俺からすれば誰が他人ばかりの場所へ喜んでいくかと言いたい。周りには他人ばっかりなのに、外へ出る事が目的のような連中の気が知れないくらいだ。そんな俺がわざわざ街中に、しかも、ダラダラと眺めて過ごすのが目的のような連中ばかりが集まるであろう服屋に出かければいけない。それがどれだけの苦痛かは筆舌にしがたいと言えよう。
 
 ―だけど、やらないと…な。
 
 これから先、どれくらいこの身体と付き合っていくか分からない。それ所か一生治らないかもしれないのだ。今の身体を受け入れるようでもあり、気が進まないが、幾つか服や靴などを買わなければ日常生活に支障をきたすだろう。それは俺としても本意ではない。幸い、研究は凍結され、随分と暇が出来てしまった。明日にでも街へ出かけようと考えながら、俺は医務室の扉を潜る。
 
 「…あ…」
 「…おい」
 
 その先にはルドガーが居た。ずっと俺を待っていたのだろうか。医務室の脇にある簡素な椅子に座った身体を立ち上げて、何か言いたそうにこっちを見ている。窓からは既に夕日が差し込んでいると言う事は既に結構な時間が経っているのだろう。それでもまるで忠犬のように待ち続けた姿に、何となく笑みが漏れた。
 
 「…犬かお前は」
 「暇だったんだよ…」
 
 からかうように言った言葉にそっと眼を逸らす。恐らく自分でもその自覚はあったのだろう。何処か気恥ずかしそうにしている。まぁ、暇だったのであれば仕方が無い。俺も逆の立場だったのならば似たようなことをしているかもしれないのだ。それくらい俺を心配してくれていたってことだろうし、あんまりからかってやるのも可哀想だろう。
 
 「それにあの変態が何時、手を出してくるか分からなかったしな」
 「あー…」
 
 そこまで考えて、告げられた言葉に頭を抱えたくなってしまう。確かにあの変態ならばやりかねない。何せ今の俺はアイツの格好の餌なのだ。さっきは興味が無いと言っていたが、色々な意味で底が見えない人物である為、油断は禁物だろう。
 
 「…まぁ、有り難うな」
 「……」
 「…なんだよ」
 
 それだけ気を張っててくれた事に素直に感謝の言葉を述べると驚いたように、ルドガーが俺の顔を見つめてきた。まるで信じられないものを見たようなその顔に、俺は首を傾げる。礼を言っただけだし、別に変な事は何も言っていない筈だ。
 
 「…いや、まだ怒ってると思ってた」
 「…あ」
 
 そう言えばさっき喧嘩別れのような形で追い出していたのだったか。けれど、別に今、俺の胸に怒りの感情は無い。…そもそもルドガーは何も悪くないのだ。寝た所為か少し感情も落ち着いたし、八つ当たりをするような余裕の無さが解消されただけだろう。
 
 「…別にお前は悪くないだろ。悪いのは勝手に馬鹿やった俺だ」
 「リズ…それは…」
 「それにお前の頑固さは筋金入りだからな。出て行けつっても出て行かないんだろ?」
 「勿論だ」
 
 慰めの言葉が聞きたくなくて、からかうような言葉を放つ。それに決意の色をはっきりと浮ばせながら、コイツはコクンと頷いた。半ば冗談だってのに、覚悟を決めているようなその姿に溜め息が漏れそうになる。コイツの所為じゃないって言うのに、どれだけ気負っているのだか。これだからコイツにバレるのだけは回避したかったのだ。
 
 ―まぁ、仕方ない。
 
 別にルドガーのカウンセラーではないが、息抜きが必要なのは俺も同じだ。気負っているなら気負っているで、ついでにそれを解消させてやろう。そんな事を思いながら、俺は口を開いた。
 
 「じゃあ、明日、色々、買いに行くから付き合えよ」
 「え?」
 「…だから、買い物に行くから荷物持ちしろってんだよ。それともこの細い腕で当分の服を持ってひぃこら帰って来いってのか?」
 「い、いや…そういう訳じゃないんだが…」
 
 焦ったように否定するが、ルドガーの様子にからかうような笑みが漏れる。…まぁ、俺も今やサキュバスの末席に位置するのだ。多分、人間であったときより腕力は遥かに上がっているだろう。まだ一度も挑戦したことは無いが、飛べば移動も問題ないし、一人でも十二分に可能だ。だが、それを思いつかないくらい焦っている姿に、俺の中の子供っぽい嗜虐心が少しだけ満足の吐息を吐き出す。
 
 「…それってデートか?」
 「は、はぁ!?」
 
 しかし、恥ずかしそうに告げられたルドガーの言葉に今度は、俺の顔が真っ赤に染まってしまった。当然だろう。俺としては特に他意なく、誘っただけなのにデート扱いされたのだから。それは男であった時に時折、コイツに連れ出された時とそう変わらない感覚である。確かに俺は今、女であり、定義的にはそうなのかもしれないが、いきなりそんな事を言われるとやっぱりどうしても恥ずかしいというか、いや…別に嫌じゃないんだけど…。
 
 ―い、いや、何考えてるよ俺…!!
 
 一緒に出かけるだけでデートなんて定義されてしまったら、これから俺はどうすればいいのか。それこそ恥ずかしくてコイツと外を出歩けなくなってしまう。外を歩くのは嫌いだが、本などを探しにルドガーと古書屋を巡るのは嫌いではないのだ。それさえもデートになってしまうとこれからの俺の生活に支障が出るというか、あ、いや、でも、いっそデートだって開き直ってしまえば――
 
 ―だから、そうじゃない!!!
 
 際限なく広がっていきそうな思考を叱咤して押し留めながら、俺はゆっくりと息を吐き、肺の中の空気を送り出す。そのまま全て吐き出し終わった感覚の後、今度は一気に吸い込んだ。典型的な深呼吸。だが、それは良く使われるだけあって効果は覿面で、俺の思考を緩やかにクリアなモノへ戻してくれる。
 
 「…次、言ったらぶん殴るぞ」
 「すまん…」
 
 結局、雑多な思考の中から選んだのはそんな言葉だった。当然だろう。からかうにしてもちょっと冗談が過ぎる。感情は落ち着いたが、まるで女扱いされているような言葉には傷つくのだ。それに比べれば、デートかと言われて嬉しかったのは些細な問題である。うん。言い訳じゃないけれど、きっとそう。
 
 「ただのに・も・つ・も・ち・だ!間違えるなよ?」
 「あ、あぁ…」
 
 前屈みになって、人差し指を突きつけるように仕草を取りながら、何となく気恥ずかしくて念を押してしまう。それに一歩退きながら、答えるルドガーを見て、ようやく俺の心は落ち着いてきた。それを確認するように直立し、胸に触れると何故かそこはさっきからドキドキと五月蝿いくらいに高鳴っている。ただ、デートかと聞かれただけでそれだけの変調を訴える俺の身体がまるで理解できなかった。
 
 「それじゃあ待ち合わせはどうする?」
 「そ、そうだな。研究所の前で十時くらいで良いんじゃないか?」
 
 そんな俺に告げられた言葉にハッとしながら、俺はそう返した。明日は平日であるし、それくらいの時間であれば大体の店が開いているだろう。それに、十時くらいならば、服と靴を買った後に昼飯に雪崩れ込むには丁度、良い時間だ。ただの荷物持ちだけに始終させるのは可哀想だし、昼飯くらいは奢ってやろう。そんな風に考えての決定だった。
 
 「時間に異論は無いが…場所はお前の部屋の方が良いんじゃないか?」
 「なんでだよ?」
 「今のお前の姿はサキュバスだ。ネームプレート着けてても、『お前』が『お前』であるって分かる人間は少ないだろ?最悪、出る前に不審者扱いされるぞ」
 「あー…なるほど…」
 
 冷静なルドガーの言葉には流石に納得しなければならなかった。髪や瞳の色なんかで僅かに原型を残しているとは言え、俺の姿は最早、別人の域に達している。親でさえ今の俺が、息子であるだなんて分からないだろう。そんな人物が堂々と研究所を歩いていたらどうなるか。最悪、警備員を呼ばれてそのまま連行ってオチもあり得るだろう。ルドガーが一緒であれば、少なくとも説明して貰えるので、すぐに連行って事にはならないはずだ。
 
 ―…でも、俺の部屋に来るって言うのも…その…なんか…なぁ…。
 
 今まではそれほど感じなかったが、どうにも気恥ずかしい。別に物が散乱しているわけではないが…最近は眠るだけの部屋と成り果てているのだ。二ヶ月以上、何も掃除していないし、埃だって山ほど積もっているだろう。今まではそれで良いと思ってきたが、そんな部屋をコイツに見られるのは、俺としては避けたい。
 
 「…どうした?」
 「いや…なんでもない」
 
 けれど、特に代価案は浮ばず、俺は小さく溜め息を吐いた。結局、ルドガーの案が一番、確実なのは明らかだ。それに反論する材料を持たない俺は受け入れるしかない。幸い今は夕方であるし、今から掃除をすれば十分、間に合う筈だ。
 
 ―そうと決まれば、部屋に戻らないとな。
 
 時間の猶予はあるとは言え、あまり悠長に話している暇は無い。そんな風に思いながら、俺は気合を入れるように伸びをした。身体中の眠気を搾り出すようなそれに思わず声が漏れる。それを感じながら、ストンと足の裏を地の裏に着け、ぐるりと首を回した。それだけで俺の身体から眠気は消えていく。…まぁ、今日一日中、寝続けていたも同然なので当たり前なのかもしれない。
 
 「それじゃあ、俺は帰るな」
 「あ、ち、ちょっと待てって」
 
 そのまま踵を返して部屋へと戻ろうとした俺の横にルドガーが並んだ。さっき暇だと言っていたからコイツも帰るつもりなのだろうか?そんな考えが一瞬、浮んだが、今の俺は完全に不審者であることを思い出す。部屋に帰るにも一人では騒ぎになる可能性もある。俺がサキュバス化した事を知らない人間はまだまだ多いはずだ。そんな中を一人で堂々と歩いていればどうなるか…はさっき考えた通りだろう。
 
 ―やれやれ…一人で勤め先も満足に歩けないなんてなぁ…。
 
 思わず自嘲の笑みが零れてしまう。ただでさえルドガーのお荷物であったのに、それが縛り付ける鎖にまでなっているのだ。一体、何処まで成り下がるつもりなのだろうと、黒い感情が湧き出てくる。
 
 「送り狼にはなるなよ?」
 「…ならねぇよ」
 
 そんな風に冗談めかした会話をしながら、俺たちは部屋へと向かう。その胸に未だ解消できないしこりのようなモノを残しながら。けれど、何時ものような下らないやり取りが何処か楽しく、暖かい。こんな時間がもっと続けば良いのに。そんな下らないことを考えながら、俺たちは真っ赤に染まる廊下をゆっくりと歩いていったのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ―ジリリリリリリリリリリリリリリ
 
 音が聞こえる。耳障りだ。うるさい。黙れ。一瞬の油断が命取り。
 
 ―ズパン!
 
 空気読めよ。俺は眠いんだ。それくらい分かれよ。
 
 「ん……」
 
 ベッドは良いな。暖かい。大好きだ。愛してる。今ならキスしたっていい。この温もりの中に入れるなら、時間なんて安い代償だ。
 
 ―コンコン。
 
 「んぁ……?」
 
 部屋のドアを叩く音がする。一体、誰だ?誰が俺の睡眠の邪魔をする?だが、無駄なことだ。俺はこのまま寝るぞ。
 
 ―ドンドン!
 
 ………。
 
 ―ドンドン!!
 
 「あーーーー!分かったよ!分かったっての!!」
 
 しつこいノックにそう叫びながら、俺はバッと起き上がった。瞬間、秋の寒さが身体を包む。未だ眠りに引きずられようとしている意識がそれに叩き起こされるようだ。けれど、昨日、殆ど眠れなかった俺の眠気は筋金入りでそれでも中々、消えてはくれない。
 
 「うぅ…誰だよ……」
 
 恨みを込めてそう言いながら、俺の脚はノロノロと扉へと向かう。裸足で触れ合う床の冷たさが、俺の一歩ごとに俺の体力を奪うようだ。まるで毒の沼地を歩いているような感覚に、ベッドの中に引きこもりたくなってしまう。しかし、未だ続くノックの音がそれを許さず、俺は諦めて、扉の鍵を開けた。
 
 「もう十時だ……ぞ…」
 「…あー……ルドガーか…」
 
 扉の先にいたのは俺の友人であるルドガーだった。その言葉から察するにどうやら俺は何か約束をしていたらしい。……そう言えば、昨日、荷物持ちに付き合わせるという話をしていたような気がする。しっかりと私服に身を包んでいる姿から察するにどうやら俺は遅刻しているらしい。
 
 「悪かった…忘れてた訳じゃないんだが…」
 
 眠気にぼやける視界でそう謝りながら、俺はふぁと小さく欠伸をした。どうやらまだまだ身体は睡眠を欲しているようだ。…そう言えば昨日は掃除と今日の買い物に妙にドキドキして明け方過ぎまで眠れなかったんだっけか。…それ以前に朝から昼から意識を飛ばして眠っていたのも原因な気がするが。
 
 「おま…っ!おま……!!」
 「…んぁ…?」
 
 そんな俺に向かって、ルドガーはまるで信じられないようなものを見ている顔をする。確かに忘れていたのは悪かったが、別にそこまで嫌な顔をしなくても良いだろうに。そんな気持ちを込めながら、じっと睨むが、まるで効果が無かった。さっきから視線は俺の身体――特に胸元に注がれていて、離れない。
 
 ―と言っても何があるってわけじゃないと思うんだがなぁ…。
 
 そもそも寝る時はパンツ一丁が俺のジャスティスだ。裸族と言うわけではないが、高級シルクで作られたシーツの肌触りを感じられるのだから、そっちの方が眠りやすい。ルドガーに勧められて買ったワーシープの寝具ではあるが、なるほど。これは勧めるだけの事はあると感じる。
 
 「ふ、ふふふふ服を着ろ!!」
 「…あ?何を今更な事を言ってるんだ…?」
 
 俺がこうして下着だけで応対に出るのはそう珍しい話じゃない。まぁ、多い話でもないが、コイツにとってはここまで焦る理由なんて無い筈だ。今更、恥ずかしがるような仲でもないだろうに何を言っているのか。女の裸だったらまだしも、男の裸でそこまで反応する理由が――
 
 ―…いや、ちょっと待て。
 
 何か重要なことを忘れているような気がして、俺の思考はそこで止まった。そのままそれに導かれるようにして視線は下へと落ちていく。そこには俺とは思えない鮮やかな血色を示す健康的な肌と、そして僅かに自己主張する控えめな胸があって――
 
 「な、ななななななななな!!こ、この変態!!!!」
 
 ―その瞬間、燃え上がる恥ずかしさを感じて、俺の張り手は吸い込まれるようにルドガーの頬へと伸びたのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「…悪かった」
 「……」
 「すまなかった」
 「……」
 「反省してる。もう二度としない」
 
 ―それだけ反省の言葉を送っても、ルドガーの機嫌は直らない。
 
 当然だろう。起き抜けに寝惚けた俺に変態扱いされた挙句、張り手まで喰らったのだから。その頬には今も真っ赤に染まる紅葉が張り付いて痛々しい。一応、氷水で冷やしているが、当分、晴れは引かないだろう。
 
 ―はぁ……どうしてこうなった…。
 
 穏和なルドガーと言っても、まったく非が無い状態でそこまでやられて怒らないほど鈍感な奴ではない。今も何も言わずにその眼でじっと俺を――勿論、あの後、コイツを扉から締め出して若草色のシャツと灰色のスーツを着込んでいるが――を見ている。その視線は何処か痛く、はっきりと非難されるよりも辛い物があった。
 
 ―でも、悪いのは完全に俺の方だから何も言えないんだよなぁ…。
 
 遅刻をしたのも俺だし、寝惚けたのも俺だ。パンツだけで寝ていたのを忘れていたのも俺だし、今はサキュバス化しているのを忘れていたのも俺である。正直、これだけ揃うと、俺でさえ良心の呵責を感じてしまう。一応、俺も裸を見られたものの、理不尽さで言えばルドガーが味わったものの比ではないだろう。
 
 ―つーか…なんで俺はあんなに恥ずかしがったんだろう…。
 
 確かに身体こそ女そのものになっているものの、俺の精神は男だ。恥ずかしがる道理なんてそこにはないはずである。だが、実際、俺は明らかに羞恥を感じていた。いや、それどころか裸を見られた女のような反応まで見せていたのである。それは身体的に言えば正しい反応ではあるが、精神からすれば異常だ。
 
 ―…やっぱり何か影響でも受けてるのか…?
 
 昨日からずっと考え続けたソレは、ここまで来ると正しい気がする。肉体が精神の入れ物であるとするならば、そこから影響を受けるのは自明の理であろう。それはそう的外れな考えではあるまい。俺としては余り考えたくは無い事だが、このまま進めば精神も女のソレに近づいていく可能性もあるだろう。
 
 ―…そうなると…俺とルドガーはどうなるんだ…?
 
 ふと沸いた疑問。それはやはり夢の中で女である俺が、ルドガーと恋人であった所為だろう。だって、それは男であった時でさえ、とても甘美で羨ましい光景だったのだ。かつてはそれを否定した。男であるからと、IFでしかないと。だが、今の俺はサキュバスで女である。…そう思うとアレはそう遠くない希望のようにも感じられる。
 
 ―あんな風になれるだろうか?
 ―あんな風にキス出来るだろうか?
 ―あんな風に抱き締めてもらえるだろうか?
 ―あんな風に愛し合えるだろうか?
 ―あんな風にあんな風にあんな風に――
 
 「…リズ?」
 「ひ、ひゃあ!」
 
 何処かへと飛んでいく思考の最中に聞こえたルドガーの声に思わず変な声を上げてしまう。驚いてルドガーの方を見たが、相手もまた驚いた顔をしていた。まさか、俺がここまで変な声をあげるとは思っていなかったのだろう。おおなめくじが始めて塩を喰らった時のような顔をしている。
 
 「な、何だよ…」
 「いや…今までどう謝れば良いかずっと考えていたんだが…その…本当にすまなかった」
 「…別に怒ってなんか無いから謝らなくて良いぞ。そもそも悪いのは俺の方だしな」
 
 俺の部屋のテーブルに手を着きながら、そっとルドガーが頭を下げる。ソレを見て、少しだけ溜飲が下がるのを感じながら、俺はそう返した。しかし、コイツはやっぱり頑固なだけあって納得できないらしい。伏せるようにした頭を中々、上げやしなかった。どうせまた面倒な事を考えているんだろう。そう思うとその石頭をテーブルへと叩きつけてやりたくなる。
 
 ―まぁ、そこまでやらないにしても…溜め息の一つくらいは許されるだろう。
 
 「はぁ……もし、お前が俺の裸を見て責任を感じてる…とか言い出したら、縁を切るぞ」
 「…リズ…だけど…」
 
 ―やっぱりそんな下らないことを考えてたのか…。
 
 どうせそんな事だろうと思ったのだ。コイツは無駄に責任感が強いのだから。今まで取り巻き以外に女とマトモに付き合ったところを見たことが無いから、女の裸を見るのも恐らく始めてだと言うのもあるのだろう。だが、それは侮辱だ。俺に対するどんな侮蔑よりも酷い侮辱である。
 
 「…あのな、ルドガー。何度だって言うが、俺は『男』だ。…お前は男の裸を…いや、俺の裸を見て今までそんな大騒ぎしたことがあるか?」
 「…いや…」
 「なら、責任を感じる事はねぇよ。俺は『男』で、『何も変わっていない』んだからな」
 
 そう言葉を強調しながら、俺は伏したままのルドガーの頭にそっと手を伸ばした。まだ何か言えば叩きつけてやろうと冗談めかした思考を浮ばせつつ、その頭をポンポンと優しく触れてやる。それに少し気分が楽になったのだろうか。ゆっくりとコイツは顔を上げた。そこにはまだ苦渋の色が滲んでいるものの、とりあえずは納得したらしい。
 
 「それより変に時間を喰っちまったからな。早く出ないと昼飯に間に合わなくなる」
 「…あぁ。そうだな」
 
 無理矢理、話を切り上げつつ、俺は椅子から腰を上げた。それに倣うようにルドガーも腰を上げて、俺より先に扉へと向かう。そして、ルドガーは扉を開いて、そのまま部屋から出た。それに追従するように俺も脚を運び、しっかりと閉めた扉に鍵を掛ける。
 
 「んじゃ、行くか」
 「あぁ」
 
 そんな風に言い合いながら、俺たちの脚は研究所の入り口の方へと向かう。結構な時間になっているのでもう擦違う相手は殆ど居ない。時折、擦違う相手も研究の佳境に入っているのか死んだ魚のような眼をしてこっちに興味を向けなかった。昨日のように奇異の視線で見られるのは御免であったため、今の状況は少し有難い。そう考えるとアクシデントこそあったが、寝坊して正解だったような気もする。
 
 「あぁ、そうだ。これ新しいネームプレートだ」
 「ん?」
 
 下らないことを考えていた俺の横からルドガーはそっと懐から一枚のカードを取り出した。嫌味なくらい爽やかな青と白のストライプシャツから取り出す仕草はやけに様になっている。その上から羽織るフード着きの黒いジャケットもその印象を引き立てているのだろう。爽やかな中に落ち着いた大人の印象を両立させる姿は間違いなく格好良い。…正直、何の飾り気も無いぶかぶかのスーツ姿で横に立つのが少し辛い位だ。
 
 「リズ?」
 「あ、悪い」
 
 俺ではどう逆立ちしたって出せないであろう印象に落ち込みながら、そっと手渡されたネームプレートを受け取った。そこには写真こそ貼り付けられていないが、見覚えのある文字が羅列してある。今は外しているので確証は無いが、恐らく俺が使っていたネームプレートと殆ど同じなのだろう。
 
 「お前、コレ…」
 「警備部に話をつけておいた。それを見せれば、捕まる事は無いだろうさ」
 
 まぁ、騒がれるのは抑えきれないだろうけれどな、とすまなさそうにルドガーは言うが、これだけでも大変な労力だっただろう。一応、ここは最新鋭の薬を研究していると言う事で、セキュリティもそこそこ厳重である。その証拠にネームプレートの更新だけでも審査やら何からで結構な時間が掛かるのだ。それなのに、俺無しで、しかも、一日でこれを警備部からもぎ取って来たなんて正直、手品としか思えない。
 
 「…危ない橋とか渡ってないだろうな?」
 「そんな根性なんかねぇよ。それはお前が一番良く知ってるだろ?」
 
 悪戯っぽい笑みを浮かべる様子に、無理をしたようなものは見えない。無理矢理、押し込んで隠しているのかもしれないが、基本的に表情を押し隠すのが苦手なコイツには難しいだろう。…となれば、今のルドガーの言葉を信じるしかない。
 
 「……有り難うな」
 「まぁ、コレくらいは…な」
 
 礼の言葉に恥ずかしそうに、頬を掻きながらルドガーは視線を逸らした。かすかに横から見えるその頬は赤く染まっているような気がする。今の言葉にそれだけ照れる要素があったのかは分からないが、ともあれこれで一人で自由に歩けると言う事だ。送り迎えまでルドガーにやってもらわなければいけないという状態から抜け出して正直、ほっとする。
 
 「それじゃあ早速、使おうぜ」
 「だな」
 
 そんな風に言い合う俺たちの目の前には三人の警備員が並ぶ鋼鉄の扉があった。魔術に対する抵抗力を高めるルーンが山ほど刻んであるそれを突破するのは魔物娘でも難しいだろう。ドラゴンやバフォメットでもあれば話は別かもしれないが、力づくで通り過ぎるのはほぼ無理に近い。下手な城門よりもよっぽど頑丈で大きな扉が、この研究所と外界の境界であった。
 
 「カードをお見せいただけますか?」
 「あいよ」
 「はい」
 
 そんな扉を開けるために俺とルドガーは近づいてきた警備員にネームプレートを差し出す。それを確認して名簿にチェックをつけた後、警備員の手からネームプレートが返って来た。ここではこうしてネームプレートが鍵代わりになっている。これが無ければ研究室が立ち並ぶ研究棟への立ち入りも出来ない。また登録者以外の魔力を感知すると変色する効果を持ち、身分証明書としても使えるのだ。魔術についてはまるっきり門外漢なので分からないが、これ一枚でどれだけの技術を費やされているのか考えるだに恐ろしい。
 
 ―まぁ…それだけ金が余ってるんだろうけれどな。
 
 ちょっとした村一つくらいの大きさを持つ研究施設に、下手な城門よりもよっぽど頑丈な門。警備員は殆どが傭兵上がりで、下手な冒険者よりもよっぽど強いと聞く。研究には莫大な資金が投下され、研究費用に困ることは殆ど無い。研究員の福利厚生もしっかりしていて、給金も良い。正直、此処まで来ると何かの冗談のように感じるが、全部、現実だから性質が悪いのだ。
 
 ―…この施設を維持するのにどれだけ金が掛かってるんだろうなぁ…。
 
 それだけ優秀な薬を作っているとは言え、ちょっとした国家予算並みに資金が掛かっていても不思議ではない。そんな事を思う俺の目の前で、50cmは優にある鋼鉄の扉が開いていく。その先に見えるのは大通りであり、数多くの魔物娘や人間が、一人で、或いは手を組んで歩いていた。久しぶりに見る外界の景色に懐かしさを感じながらも、気後れするの気持ちがあるのは否定出来ない。
 
 「それではデート楽しんできてくださいね」
 「「なっ!!」」
 
 そんな俺たちに向かって、空気の読めない警備員はニコニコと笑って爆弾を投下してのけた。しかも、そのままさっと詰め所へと戻っていくのだから性質が悪い。否定する暇さえ与えず、誤解されたままという事実に羞恥が掻きたてられ、真っ赤に染まる。詰め所に乗り込んで怒鳴り込んでやろうかと足を一歩、前に出したが、それはルドガーの手に掴まれて阻まれた。
 
 「一々、否定しても面倒だから先に行こうぜ…」
 「あー……」
 
 その言葉に冷静になって周りを見るとにやにやという視線で警備員たちがこちらを見ている。どうやら誤解をしているのはさっきの警備員だけではなかったらしい。確かにサキュバスと一緒に男が外に出るなんて、デート以外の何者でもないだろう。…けれど、俺は男なのだ。身体はどうであっても…やっぱりその事実は受け入れがたい。
 
 ―…とは言え、ルドガーの言う事も正しいんだよな…。
 
 俺がどう否定しても身体はサキュバスなのだ。そんな俺と男が一緒に居るのだからデートだと邪推されるのはこれから何度もあるだろう。その度に一々、否定していては身が持たない。それよりも受け流す余裕を身に着けたほうがよっぽど建設的だろう。そんな事を考えて、俺はそっと溜め息を吐いた。
 
 「…行こうか」
 「あぁ」
 
 観念して呟いた言葉にコイツも答えて一緒に足を踏み出す。それは偶然か、それともコイツが合わせてくれたのか。まったくの同時で、何処と無く嬉しい。何となく離す機会が見当たらなくて繋いだままの手からはドキドキする感覚が伝わってくる。それが何なのか未だ俺には分からないけれど、そんなに悪いものじゃないような気がした。
 
 「うわぁ……」
 
 ―そうして出た街の雰囲気にはやっぱり馴染めそうにない。
 
 この街は早くから魔物娘を受け入れてきた所為か、こうして街中にも普通にサキュバスやらスライムが歩いている。勿論、その中の大半は恋人と腕を組んで、だ。仲睦まじい恋人同士の様子に恋愛に興味の無いはずの俺でさえ肩身の狭い思いを感じる。流石にセックスまでしてるカップルはいないが所構わずキスをするようなバカップルに溢れていた。
 
 ―…これだから街に出るのは嫌なんだよ…。
 
 右も左も殆どカップルだらけ。しかも、それも熱々で中てられるくらいだ。そんな中に男二人で出歩くのが、どれだけ寂しいかは筆舌にし難い。
 
 ―…まぁ、今の俺はサキュバスな訳だけれど。
 
 手も繋いでいるし、恋人に見えるかもしれないけれど。それでも、俺たちはカップルじゃない。そう。そうだ。今回のコレもただの買い物であって、デートなんかとはまるで違う。
 
 「リズ?」
 「ひゃあ!?」
 
 いきなり話しかけられた声にびっくりして、俺は肩を震わせる。そのまま見上げるように視線を送ると心配そうな眼で俺を見ているコイツと目が合った。優しそうな色に溢れた碧眼に俺の姿がそっと映る。瞳に映るくらい真摯に俺の事を心配してくれている事に俺の胸がきゅんと疼いた。
 
 「…どうした?早く行かないと昼過ぎるぞ」
 「あ、あぁ、そうだな…」
 
 どうやら町を出た途端、足を止めていたらしい。まるで意識しない身体の動きに俺は自嘲めいた笑みを浮かべた。普段は歩くのなんて殆ど意識しなくても出来るって言うのに、どれだけテンパっているのだか。それだけ緊張しているのは街へ出ている所為か、それともルドガーと一緒の所為か。……いや、後者は無いな。うん。絶対。
 
 「とりあえず何処行くよ?」
 「あー…まずはスーツだな。んで、それを着回す」
 
 そんな風に会話しながら、俺の脚もゆっくりと歩き出す。そして当然のように俺に歩幅を合わせながら、ルドガーが横を歩いてくれる。着かず離れず…二人の間で揺れる手が何となく嬉しかった。ぱっと伸びるわけでもなく、かといってお互いに密着するわけでもない。俺たちの関係のような距離に何となく胸が温かくなる。
 
 「私服は?」
 「要らないだろ。…つーか、お前、俺にスカート履けってのかよ」
 「いや、女の私服=スカートって訳じゃ…パンツ系だってあるぞ」
 「むぅ…」
 
 ルドガーと違って、まるで女と接してこなかったから分からないが、別に女はスカートだけを履く生き物じゃないらしい。言われてみれば、街の中を歩いている魔物娘の中には、ぴっちりと身体のラインを浮き出させるようなショートパンツを履いている奴もいる。今まで意識してなかったが、そのファッションは男なんぞよりも多彩だ。
 
 ―あ、アレ、可愛いかも。
 
 意識すると、ふと視界の中に入ってきたコーディネートに気を惹かれてしまう。あの娘の着こなしは素敵だ。あ、でも、あっちも良いかも。いや…あそこのジャケットも可愛いな。そんな風にあっちこっちに視線が行って定まらない。
 
 「興味出てきたのか?」
 「なっ!ち、違うっての!」
 
 そんな俺に何かを感じたのか、ルドガーは視線と共に言葉を送ってくる。心中を見抜かれていたという事実に羞恥を掻き立てられ、真っ赤に染まりながら、俺はそう言い放った。けれど、その響きは何処か弱く、ルドガーは信じていないように頭を振っただけである。まるで意地っ張りの子供を見るような様子に苛立つが、事実なだけに強く出ることが出来ない。
 
 「…まぁ…真面目な話。私服は持っておいたほうが良いぞ。別に女の子らしくなくても良い。だが…スーツだけじゃ日常生活が大変だろ?」
 「…むぅ」
 
 説得するようなルドガーの言葉に何も言えなくなってしまう。確かに研究職としてほぼ毎日をその姿で過ごすとは言え、こうして街に繰り出す時に着るものがないのは困る。今でさえカジュアルな格好をしているルドガーとスーツ姿の俺が横に並んでいるだけで違和感が凄いのだから。コイツに恥をかかさないためにも数着くらいは購入していいのかもしれない。
 
 ―…そう。コイツの為だ。コイツの。
 
 決して自分が着てみたいからではない。とそう言い聞かすように繰り返しながら、俺はすっと顔を上げた。そこにはもうある種の躊躇いは無い。半ば、自棄になった気持ちがあるだけだ。
 
 「じゃあ…私服も買うぞ。その代わり…そこまで言ったんだから見繕えよ」
 「お、俺が!?」
 「当たり前だ。俺に女のファッションなんか分かるわけ無いだろ。だけど、変なのを選んだら、殴るからな」
 
 そう言い放つ俺の目の前でルドガーは小さく溜め息を吐いた。どうやら流石にこれは予想外だったらしい。どうにも困惑している様子が見て取れる。それにさっき俺を驚かせた罰だ、なんて思いつつ、ぎゅっと手を握ってやった。
 
 「お、おい…!」
 「逃げないように、だ。勘違いするなよ?」
 
 さらに戸惑いを強くしたルドガーに自然と笑みが漏れる。それを見たコイツが視界の端で顔を紅く染めた。それにクックと意地の悪い笑みを漏らしながらも、俺の心は歓喜と羞恥に震えている。…もしかしたら、俺も似たような顔をしているのかもしれない。
 
 「それじゃ…まず私服からの方が良いか。とりあえず…あの店に入ろうぜ」
 「お、おう」
 
 ルドガーが指差したのは大きなガラスウィンドゥにカジュアルな格好の衣服が並ぶ服飾店だった。レディースだけでなく、メンズの衣服も立ち並ぶそのウィンドゥを見るに、そこまで女っぽさを前面に出している店ではないように見える。ここならば、そこまで女らしい格好を選ばれることは無いだろう。そんな風に思って俺は内心、安堵の溜め息を吐いた。私服を買うことは認めてもやっぱりまだ女らしい服を着るというのは抵抗が強い。ルドガーの事のだから、そこまで女の子らしい服を選ばないであろうと信用はしているものの、やっぱり不安と言えば不安だったのだ。
 
 ―カランカランっ♪
 
 そんな事を考えながら扉を開けると軽やかな鈴の音が俺たちを迎える。ちょっとした来客ベルの変わりなのだろう。扉の上の方には牧場で牛に使うような独特の形のベルが取り付けてあった。そして、それに反応して、何人かの店員がこちらに視線を送り、来客の挨拶を向ける。
 
 「うぉー…」
 
 けれど、俺は殆どそれが耳に入ってこない。圧倒されるくらいの服の量に心を奪われていたからだ。普段、俺が買うような一山幾らと言う衣服売り場とはまるで違い、そこはマネキンやらショーウィンドゥなんかが立ち並ぶ。少しでも商品を良く見せようと一着でも買わせようとする意欲がそこには満ち溢れていた。初めてソレを味わう俺にとって、それは完全に圧倒されるような力強いものだったのである。
 
 「入り口に突っ立ってると迷惑になるぞ。ほら、行こう」
 「お、おぉ…悪い」
 
 そっと手を引くようにして俺の気を現実へと引き戻すルドガーの後ろに着いて行きながらも右へ左に所狭しと並べられる服に気を取られそうになってしまう。精神が男の所為だろうか。メンズの服であっても欲しいデザインが結構ある。勿論、レディースも同様に、だ。以前まではまるでファッションに気を配らなかった俺が、どういう風の吹き回しなのだと思うくらい、俺の目はあっちにこっちにと忙しなく揺れる。
 
 「んー…コレにしようか」
 
 そんな俺の目の前でルドガーがそっと止まる。その視線は少しだけ上へと注がれていた。それを倣うように俺も視線を上げるとそこには一体のマネキンが衣服を着込みながら立っている。背筋をピンと伸ばして、角度をつけて振り向く姿はマネキンであるというのに妙に色っぽかった。それは着込んでいる衣服の魅力もあるのだろう。
 紅い布地の肌着の上から、胸元の大きく開いた白いブラウスを身に着けている。着易いようにという配慮なのか、或いはそれもファッションの一部なのか。ブラウスの胸元からは等間隔で五個のボタンが結び付けられていた。それを幾つか開いてわざと胸元を解放している姿は豊満な体型のマネキンに良く似合う。その下に着込むボトムはふわふわのファーが着いている可愛いらしいショートパンツだ。何かの毛皮を使っているのか鮮やかなこげ茶色の生地に、もこもことしたファーが意外なほど似合う。組合せとしてもそう悪くは無く、寧ろショーウィンドゥとしてははっきりと眼を引く仕上がりになっていた。
 
 「すみませーん」
 「え?ちょ…えぇ!?」
 
 そんな風に惚けてマネキンを見ていると俺の前でルドガーが声を出す。それに「はーい」と言う声が帰ってきて、一人の女店員がこちらに歩いてきた。その顔には営業スマイルとは別のにこにことしたものが浮んでいる。まるで微笑ましいものを見るような顔に俺の顔は自然と赤くなって俯いてしまった。
 
 「これ、纏めて試着出来ますか?」
 「はーい。少しお待ちを」
 
 ―え?し、試着…!?
 
 そう思ってばっと顔を上げたが、もう店員はその場を離れていた。ショーウィンドゥに着飾った商品の場所を完全に暗記しているのだろう。するすると動いては、その手に商品を積んで行く。手際の良いその仕事に関心さえ感じるのも束の間、思考を取り戻した俺はルドガーの耳に顔を近づけた。
 
 「お、おい…!試着なんて聞いてないぞ…!!」
 「…お前は何時もどうやって服を買ってたんだよ…試着しないとどんな風になるか分かんないだろ?」
 「い、いや…それはそうなんだけど…」
 
 そもそも着れれば良いを地で行ってた人間なので、試着なんて殆どしたことが無い。確認するのはサイズくらいなものだったのだから。しかし、それはどうやら普通とはちょっと違ったらしい。ルドガーはそう呆れたように言った。
 
 ―で、でも、試着とか…試着とか…ぁ!!
 
 恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだ。だって、あの服を着た俺をコイツが見るわけである。…いや、勿論、それを目的で服を買いに来ているわけだけれど、でも、まだ心の準備が出来てないというか、ここまで可愛いのを選ばれるなんて思ってなかったんで、もうちょっと時間が欲しいと言うか…!!
 
 「お待たせしました」
 「ぴゅい!?」
 
 そんな俺の後ろから店員の声が掛かる。肩を震わせてそっちを振り返るとそこには不思議そうに首を傾げて、俺の顔を見返す店員が居た。その手にはもうマネキンと同じ服が積まれている。
 
 「有り難うございます。…ってそう言えばサイズは…」
 「一応、Mで取り揃えてまいりました。お連れ様はスタイルが良いので、これが一番だと思って集めてきましたが、宜しければ別のサイズとも交換しますよ」
 「いえ、これで良いと思います。有り難うございますね」
 
 ―どうやらもう逃げ場は無いらしい。
 
 俺のまるで関与しない部分でさくさく進む話に着いていけない。俺が混乱して一歩進もうとするたびに、話は二歩も三歩も進むのだから。確かに見繕えとは言ったが、何もそこまでしなくても良いじゃないか。そんな逆恨みを込めてじっとルドガーを睨めあげたが、この鈍感は何も気づきはしない。それどころか笑みを浮かべて、受け取った服をこっちに手渡してくる。
 
 「じゃあ、試着して来いよ。俺、待ってるから」
 「…うぅ…し、しなきゃ駄目…か?」
 
 最後の悪あがきついでに希望を込めてそう言って見るが、ルドガーは無常にも首を左右に振った。どうやら許してくれるつもりは無いらしい。
 
 「駄目だ。ある程度、サイズが合ってるとは言え、着てみないとどうなるか分かんないだろ。それにその格好だけじゃ寒いから何か上着も買わないといけないし…どの道、合わせなきゃいけないから諦めろ」
 「ぬぐぐ…・・・」
 
 非の打ち所の無い正論に俺は最早、黙り込むしかなかった。ハァと一つ溜め息をついて、服を受け取る。そのまま自棄にも近い気持ちで試着室へと足を進め、力なくカーテンを閉めた。そのまま手に持つ服を棚のような部分において、肩を落とす。
 
 「…はぁ…どうしてこうなったんだろ…」
 
 最初はスーツと靴を買うだけの予定だったのに、それが私服を買う話になって、可愛らしい服を着込む話になった。何を言っているのか分からないが、俺もどうなっているのか分からない。正直、何かの冗談だと思い込みたい気持ちが強いのだ。けれど、サキュバス化から今までで何だかんだと驚きや衝撃を経験した俺の精神は多少は強靭になっているようで、それを現実だと受け入れている。こういう時に限って意識を飛ばさない自分に、もう一度、溜め息を漏らしながら、俺はそっとシャツに手を掛け、脱ぎ始める。
 
 「あー…やっぱり破れてるな」
 
 脱いだシャツをひっくり返すと、そこには大きな穴が一つ開いていた。間違いなく俺の背中から出る尻尾と翼の所為だろう。ルドガーを裸で出迎えてしまい、焦って着たので今の今まで忘れていたが、その時にもビリッと酷い音が聞こえたような気がする。これはもう使い物にならないだろうと溜め息を吐き、俺は脱いだ肌着と共にそれを横のハンガーに掛けた。
 
 ―次はズボンっと……。
 
 内臓がちゃんと入っているのか疑問に思うくらい細いウエストに合わせてぎりぎりまで締め付けたベルトを外し、一気に下ろす。それもそのまま無造作にハンガーへと掛け、俺はそっと目の前の鏡を見つめた。
 
 ―そこには男用の下着を来た裸の美少女が居て……。
 
 顔は中性的ではあるが、その体つきは間違いなく女のものだ。線が細く、すらりと伸びる肢体は男であれば誰しも劣情を催すだろう。さらに男にも女にも見える中性的な顔立ちが、背徳感を掻き立てて、興奮をさらに高める。実際、俺の男の心は、それに興奮の念さえ覚えていた。自分の身体に自分で興奮するなんて余りにも馬鹿らしいと思いつつも、鏡に映る少女は間違いなく美しかった。
 
 ―…ルドガーも綺麗だって言ってくれるかな…。
 
 ふと脳裏に浮んだその思考がストンと胸に落ちる。いや、堕ちる。それは本来であれば笑いものにするべきものであっただろう。だって、俺は男であるのだ。それを友人とは言え、男に見られて綺麗に思ってもらいたいだなんて笑うしかないのだから。けれど、俺はそれを笑うことが出来なかった。それよりも先に浮んだ様々な感情――夢の中で味わったアイツの興奮を思い返して、胸と下腹部をきゅんと唸らせている。
 
 ―俺…どうしたんだ…?
 
 自分の中で何かが分かっているのはわかる。けれど、それがどう変わっているのかが、俺には未だ見つからない。その答えはもうすぐ近くにあるような気がするのに、まるで目を背けているように分からないのだ。答えを見つけようとする自分と、それから眼を背けようとする自分。その二つが相反し、俺の心を大きく揺らす。そして、その二つの感情に導かれるように、俺の両手はそっと疼く二箇所へと伸びて行き――
 
 「…リズ?」
 「っひゃあ!!」
 
 唐突にかけられた声に俺の身体が跳ねる。今日だけで何回目になるであろうそれに痛いくらいの動機さえ感じながら、俺はゆっくりと振り返った。カーテンの下からはルドガーが着ていたズボンの裾が見えている。恐らく余りにも遅いので心配になってきたのだろう。その心遣いはありがたいが、もうちょっと気配を露にして欲しい。切実に。
 
 ―まぁ、別に消しているわけじゃないんだろうけれど。
 
 そもそもそんな必要なんて無いのだ。普通に考えて、特に何も考えず近寄ってきただけなんだろう。それを思考に没頭する俺が気付かなかっただけだ。そう分かっていても、今日だけで何度も何度も驚いただけに拗ねるような気持ちを捨てることが出来ない。
 
 「着方が分からなかったら店員を呼べよ。体調が悪いんだったら、今すぐ帰っても良いし」
 「だ、大丈夫だ。子供じゃないんだから着方くらい分かる!!」
 
 そんな風に強気に返しながら俺は、棚から赤い肌着を取り出した。上から何か着込むことを前提にしているのだろう。鮮やかで明るいそれは一枚だけで着るには少々、辛い。けれど、これを着なければ胸元を大きく晒した状態で、ルドガーの前に立つことになる。それだけはゴメンだと意気込んで、俺は着込む為にそれを後ろに向けた。
 
 ―…あれ?
 
 そこで感じるちょっとした違和感。それはどうにも形にならずに、霧散していく。まさかそんなはずはないという思い込みもあったのだろう。結局、違和感を追求しないまま、俺はそっとその肌着に手を通し、首を通した。するすると肌を滑る感覚が妙に艶かしい。高い素材でも使っているのか、シルクのような肌触りにちょっとゾクっとしてしまう。それを堪えながら、俺は下へと引っ張るように肌着を着込んだ。
 
 ―…あっるぇ…?
 
 そこで感じる違和感…いや、それはもう確信と言って良いだろう。さっきもそんなはずがないと思い込んでいたのだから。けれど、それは思い込みではなく、現実に俺の前に――より正確に言えば背中に現れている。
 
 「…なぁ、ルドガー」
 「どうした?」
 「…これ、背中に穴が開いてるんだけど」
 
 ―そう。さっきから凄い背中がすーすーするのだ。
 
 季節は秋とはいえ、夏に比べれば大分、肌寒い。そんな中、背中の大きく開いた肌着を着たらどうなるか。そりゃ寒いに決まっているだろう。別に俺は冷え性でもなんでもないが、はっきりとそう感じる事が出来るのだから。そして…それはさっき見た時に感じた穴が空いているような感覚を形にさせるには十分すぎるものであり…俺は困惑したようにその場に立ち止まってしまった。
 
 「…仕様だ」
 「は?」
 「だから、そういうデザインなんだってそれ」
 
 ―そして、説明するルドガーの言葉も俺には理解できない。
 
 強い困惑を覚えている所為だろうか。どうしてそんな服を選んだのかとか、お前も俺を女扱いするのかとか色んな感情が渦巻いて止まらない。ふらりと足元が揺れる感覚に思わず試着室の壁に手を着いて堪えながら、俺は小さく声を漏らした。
 
 「…どうしてだ…?」
 「…だって、お前…そういうデザインじゃねぇと服着れないだろ」
 「…あー…」
 
 苦々しそうに呟いたルドガーの声に、さっきまでの衝撃は何処へ行ったのかあっさりと俺は納得してしまった。ついさっき翼と羽の所為で破けたシャツを見ていたからというのもあるのだろう。確かにこうして背中が大きく開いてなければ、絶望的な存在感を持つ翼を羽が服を破ってしまうに違い無い。例え破かなくても、無理矢理押し込まれた翼と尻尾は否応無く窮屈だと訴えるだろう。そんな服を長い間、着こんでいられるはずがないのは誰の眼で見ても明らかだ。
 
 「つーか、入り口から背中見えてたんだが…見てなかったのか?」
 「…悪い…」
 
 まさか立ち並ぶ様々な衣服に心奪われていたなんて恥ずかしいことは言えず、俺は小さくそう返す。その心にはさっき晒した余りにも恥ずかしすぎる醜態が再生されていた。もうやめて!と言いたくなる勢いで繰り返されるそれらに肌着と変わらないくらい顔を赤く染めながら、俺は次のブラウスを手に取る。それも裏返して確認してみたが、確かに後ろが大きく開いていた。
 
 「元々、ここは魔物娘向けのカジュアル専門店でな。サキュバスにも良く利用されてるんだそうだ」
 「へぇ…良く知ってるな」
 「まぁ……な」
 
 言葉尻を濁すルドガーの言葉に妙な違和感を感じる。けれど、無理矢理、追求したってコイツはきっと答えないだろう。ならば、適当に口を割るまで待っていれば良い。そんな風に諦めにも近い気持ちを抱きながら、俺はそのままブラウスにも袖を通して、ボタンを下から二つだけ止める。そのお陰で胸元が大きく開けて見えるが、しっかりと肌着がガードしてくれていた。ただ、マネキンと比べると『ソコ』はどうしてもボリューム不足であり、妙に重苦しい感情が圧し掛かる。それを振り払おうと俺は努めて明るい声で言葉を紡いだ。
 
 「なぁ」
 「ん?」
 「カジュアルの意味って普段着だよな?」
 「…まぁ、そうだな」
 「…魔物娘にとっては逆なんじゃないか?」
 「…身も蓋もない事言うんじゃ無い」
 
 さっき街中で見ていたからこそ思うのだが、魔物娘専門と銘打っていても、この店のような一見、カジュアルっぽい服を着込んでいる魔物娘はそう多くない。殆どは男を誘惑する為の下着にも近いものだ。これだけ大きな店を維持できているのだから、人気が無いと言う訳ではないのだろうが、余所行きくらいに思われて本らの意味である普段着には使われていないのかもしれない。
 
 「それより早くしないとまだまだ服を買うんだからな」
 「あ、悪い」
 
 急かすようなルドガーの言葉に頷いて、次はショートパンツを履き始めた。きゅっとしまった感覚を感じながら、腰まで上げると丁度良い感じにフィットする。かなり細い感じではあるが、動いてもずり落ちたりする心配は無いらしい。これなら、ベルトなんかは買って貰わなくても良いだろうと結論付けて、俺は肌着やブラウスを巻き込んでいないかの最終チェックを始める。
 
 ―うし。おっけー。
 
 そんな風に笑みを浮かべる鏡の中の『少女』は間違いなく可愛らしかった。今まではだぼだぼのスーツを着込んでいた所為だろうか。何処か頼り無い感じが強かったものの、今では何処か明るいイメージが強い。服装だけでこれだけ変わるのかと内心驚きつつ、俺は何かに導かれるように胸にそっと手を当てた。
 
 ―大丈夫…これだけ可愛かったらルドガーだって褒めてくれる。
 
 その言葉の意味する所は意図的に考えないようにして、俺は鏡の自分に向かってそっと笑みを作った。それはやっぱりぎこちなく、さっき鏡に映っていた明るい少女とは程遠い。やっぱり俺はそんなキャラじゃないな、と何処か自分に苦笑しながら、俺は振り返ってカーテンを開けた。
 
 「待たせたな」
 「いや、初めてだし仕方ねぇよ」
 
 そんな風に言いながら、ルドガーは試着室前にある衣服からこちらに視線を向けた。その眼は一瞬、大きく見開かれて、そっと落ちる。そうそう見ないだろうその反応に何か悪いものでもあったのだろうかと自分の身体を見回すが特に違和感は無い。寧ろ鏡で確認した時は間違いなく美少女だったのだ。
 
 ―…褒めてくれたって良いだろうに。
 
 照れているのか何か知らないが、可愛いの一言もくれない友人相手に拗ねるような感情を抱いてしまう。流石にそれをぶつけるほど子供ではないにせよ、多少、不機嫌になったのは否めない。
 
 「…まずは下着を買わなきゃな」
 「…はぁ?」
 
 ―しかも、その上、下着だって?
 
 私服を買うことは認めたが、下着なんて買うつもりは無い。だって、それでは本当に女のようではないか。それに私服は必要だと認めるが、別に下着は無くても困らないだろう。別に見せる相手もいないのだから、男性用の下着だけでも十分なはずだ。だって、俺は男なのだから。
 
 「何で下着なんだよ…!」
 
 ―褒めもしないで…下着なんて…!!
 
 男として扱われたい自分。女として扱われたい自分。その二つがこの時、初めて真っ向からぶつかり合って、いがみ合いを始める。褒められたいと思う女の自分と、女の下着なんて着たくないと主張する男の自分。矛盾するそれらが、様々な感情を生み出して、止まらない。そして、その感情の矛先に丁度良い生贄がいるのだ。褒めてくれなかった上に、下着を買おうと言い出すその男――ルドガーに向けてそれら二つが八つ当たりのような感情を向ける。
 
 「別に良いじゃねぇか!必要無いだろ!!」
 「いや…その…そうかもしれないけど…」
 「なんだよ!?何か問題でもあるのか!?」
 
 怒りのままに叫んだ俺の言葉に店中から視線が送られる。けれど、それすら思考の片隅に押しやられるくらい、俺の感情がぐちゃぐちゃだった。それが八つ当たりであると分かっているはずなのに、如何しようもできない感情が渦巻く。
 
 「落ち着いて聞いて欲しいんだが……」
 「こ、これが落ち着いてられるか!!!」
 「あー…じゃあ、そのままで良いや。その…何ていうか…だな…さっきまではブカブカのシャツを肌着を着込んでた訳だ」
 
 ―…ん?
 
 まるで小出しにするようなルドガーの言葉に何となく違和感を覚える。まるで結論を気付いて欲しいと言わんばかりの口調に俺の中の何かが疑問を呈し、煮えたぎる感情が一瞬冷えた。しかし、具体的な答えまでにはたどり着かず、俺はそっと首を傾げて、頭を捻る。
 
 「で…今はぴっちり系を二枚着てる訳で身体の線が浮き出てだな……だから…その…えっと…」
 「…?…はっきり言えよ」
 「だ、だから…ち、乳首が浮き出てるんだよ…」
 「っ!!!!!」
 
 最後に小声で付け加えられたそれに俺の顔は一瞬、で真っ赤に染まった。それは勿論、さっきまでの怒りの色ではなく、羞恥の色で、だ。顔を真っ赤にして思わず胸元を腕で覆ってみる。触れたそこは確かに乳首が浮き出ていて、ピンと張った感触を俺の服越しに返してきた。
 
 「なっななななななな!!」
 「い、言っとくが不可抗力だからな!俺だって、まさかそんな風になるなんて思わなかったんだぞ」
 
 朝に胸を見られた事で未だその頬を腫らしているルドガーは言い訳するように言いながら一歩、後ろに下がった。その顔は俺に負けず劣らず、真っ赤に染まっている。元々、赤かったのが口に出して余計に羞恥をそそられたのだろうか。普段はその顔を見て、何かしら満足感を覚えるものの、痴女の様に乳首を浮き上がらせていた今ではそれも素直に喜べない。
 
 ―…ち、チェックしたはずなのに…!?
 
 試着室から出るときにしっかりチェックした筈なのに、どうして乳首が浮き出ているのか。勿論、出てから乳首が浮き出たなんてオチはない。俺もチェックの時にそれを見かけているはずだ。しかし、何故か俺はそれを『問題ない』事だと判断してしまったのである。それは俺の中で重要な何かまで変質している証拠なのかもしれない。
 
 ―で、でも、そんな事、言っても言い訳だよね…。
 
 自分でさえ半ば良い訳にしか聞こえないのだから。それは紛れも無く俺から引き出された事実であるとしても、こじつけ感が否めない。自分でさえそうなのだからルドガーからすれば、もっと良い訳がましく聞こえるだろう。
 
 「と、とりあえず店員呼んでくるぞ」
 「え、えぇ…!?」
 
 居た堪れないのか。まるで逃げるようにその場を立ち去ろうとするルドガーの手を俺は思わず掴んでしまった。それも当然だろう。だって、ルドガーに見られているだけで羞恥心が掻きたてられるのに、これ以上、見知らぬ店員にまで変に見られたらおかしくなってしまいそうだ。さっきの口喧嘩はもう店内に広がっていて、俺たちの状況は大体、知られてしまっているものの、これ以上の恥の上塗りはしたくない。
 
 「ちょ…や、止めろよ!は、恥ずかしいだろうが…!」
 「だからってお前…カップ測らないとブラも買えないぞ」
 
 ―ぶぶぶぶぶ、ブラって…!?
 
 その言葉に思わずきゅんと胸の先を疼かせてしまう。それは興奮か或いは羞恥の所為か。それさえも今の俺には分からない。ただ、ブラと言う単語が、妙に女らしくて、それを身につけなければいけないという想像に何かしらを感じたのは事実だろう。
 
 ―お、俺が着ける…?ブラを…!?
 
 脳裏に浮かび上がる妄想は妙に艶かしい。さっきまで鏡の向こうに映っていた美少女が慎ましやかな胸をフリルが沢山ついていて、乳輪まで透けているブラで胸を隠しているからだろうか。可愛らしいブラを身につける『女』としての妄想に、俺の胸はドキリと高鳴る。同時に、『男』である俺が、ブラを身に着けるという背徳的な感覚もしっかり味わっていた。
 
 「…どの道、ブラは避けては通れないだろ。これからずっとノーブラで生活とか、それこそ大変だろうし」
 「う、うぅぅ……」
 
 悔しいかな正論も正論過ぎた。気恥ずかしいし、認めたくは無いが、乳首が浮き出ている今の状況は余りにも情けなさ過ぎる。そして、気付いてしまった以上、ノーブラでスーツを着込む訳にもいかない。それこそ常に乳首の状況が気になって仕事にも集中できないだろう。それは流石に俺としても遠慮したい。
 
 ―ど、どうしてこんな事に……。
 
 スーツと靴だけ買おうと思ったら私服も買うことになり、その先でさらに下着まで買うことに。どこまでエスカレートするんだと胸中で乾いた笑いを浮かべながら、俺は観念してルドガーの手を離した。
 
 「お話がお決まりになられましたのであれば、そこの試着室でサイズを測りますわ」
 「あぁ、お願いします」
 
 騒ぎになっていたので、既に脇に待機していたのだろう。俺が手を離した瞬間を見計らって、さっきの女店員がこちらへと近寄ってくる。それに何処か恥ずかしそうな笑みを浮かべながら、ルドガーはそう返した。それに僅かな反発心を覚えてしまうのは仕方ないだろう。俺の服を買いにきたって言うのに、返事さえルドガーにまかせっきりなのだ。俺はただの着せ替え人形のようではないか。
 
 ―これはあくまでルドガーに対する正当な不満であり、別にコイツが俺にはなんの褒め言葉もくれないのに、店員には笑いかけたって事は無関係ではない。うん。絶対。
 
 そんな風に胸中に言い聞かせながらも、俺自身、それが尾を引いているのに何処か気付いていた。勿論、あの反応から察するに乳首が浮き出ているのに気付いてそれどころじゃなかったんだろう。けれど、それでも何か一言欲しかった。そう思うのはきっと当然の事だろう。
 
 「じゃあ、お客様。こちらへ」
 「あ、あぁ…」
 
 メジャーを手に持って試着室へと案内する店員の後に着いていきながら、一度だけそっとルドガーの方へと振り返る。そこにはさっきまでの興奮を若干、薄れさせた彼の姿があった。さっきまでは真っ赤だったその顔も今はその紅潮を抑えさせている。そんなルドガーを見ても、俺はわざわざ振り返って何がしたいのか、何か言いたいのかさえ分からない。結局、俺の視線に気付いて、コイツと俺の視線が交わった頃には、何も言わないままそっと前へと向いた。
 
 「…はぁ…」
 
 自分さえ分からない状況に小さく溜め息を吐きながら、俺は店員の後に試着室へと入った。そこは一人分程度の小さなスペースではあるが、二人程度ならば、入れない事も無い。元々は、『そう言う目的』もあるのかもしれないが、少なくとも二人で入ってメジャーで測定するには十分な広さがある。
 
 ―…そう言う目的…ねぇ…。
 
 俺も何時かルドガーと一緒にこういう場所で繋がってみたりするんだろうか。乳首が浮き出ていただけのシチュエーションにあれだけ真っ赤になっていたのだから、誘惑するのはそう難しくない事なのかもしれない。案外、サキュバスが着るような下着同然の服ならケダモノのように襲い掛かってくれて…奥の奥までいきなりズンズンって…♪
 
 ―ハッ…い、いやいやいやいや、何を考えてるんだよ俺は!?
 
 唐突に脳裏に浮かび上がった妄想を頭を振って振り払う。確かに俺とアイツは今や、男と女である。しかし、その関係はあくまで友人であり、恋人なんかじゃない。そんな相手とまるでサキュバスのように――いや、実際、今の俺はサキュバスな訳だけれど――繋がる淫らな妄想なんて気持ち悪いだけだ。そうに決まっている!!!
 
 ―…そのはずなのに…。
 
 胸が熱くなるのはどうしてだろうか。苦しくなるのはどうしてだろうか。御腹もちょっとだけれど、キュンってうずくのはどうしてなのだろうか。そんな簡単な答えさえも分からないまま、そっと溜め息を吐いた。
 
 「はい。終わりましたよ」
 「…え?」
 
 溜め息を吐いた瞬間、俺の耳に信じられない言葉が聞こえた。だって、そうだろう。何せこの試着室に入ってまだ殆ど時間が経っていないのだ。そもそも衣服さえ脱いでいない。もっと言えば、図られた記憶さえないのだ。それなのにサイズが分かったなんて嘘としか思えない。
 
 「サキュバスだけあって中々、美しいカップをしてられますね。羨ましいなぁ…」
 「あう…」
 
 しかし、しゅるしゅるとメジャーを引っ込めながら、ニヤニヤとした笑みを浮かべる姿は嘘には見えなかった。もしかしたら、俺が妄想している間にでも図ったのかもしれない。そんな風に自分を納得させつつも、からかうようなその視線に自然と顔が赤くなる。
 
 「ふふっ…♪じゃあ、彼氏さんと相談して、適当にブラを持ってきますね」
 「か、彼氏!?」
 「あら?違ったんですか?余りにも仲の良いご様子でしたからてっきり…」
 
 ―意外そうな店員の言葉に俺の顔はさらに強い熱が灯る。
 
 仲が良いといわれて悪い気はしない。アイツがどう思っているのかは知らないが、俺は一応、友人だと思っているのだ。そんな相手と仲が良いと言われて照れるような要素はまるでないだろう。だけど、問題は…問題は彼女が俺とルドガーを恋人同士だと思っている事で…。
 
 ―そ、そんなにそれっぽく見えるのかな…。
 
 研究所を出る時も恋人扱いされていたし、まさかここでもそんな扱いを受けるなんて。勿論、サキュバスと男が一緒に歩いているという時点でそういう妄想を掻き立てられるのは承知の上だけれど、やっぱり気恥ずかしさはなくならない。そして何故か…胸の何処かで感じる歓喜の感情も。
 
 「その様子じゃあ、まだみたいですね」
 「うぅ…」
 
 結局、何も言えないまま俯く俺の様子に何かを感じたのだろう。店員はクスクスと笑いながら、そう告げた。余りにも図星過ぎて何も言えないそれに俺はまた顔を赤くしてしまう。その背に掛かるのはからかわれているという馴染めない雰囲気だ。普段はどちらかと言えば、俺がルドガーを弄って遊ぶ側であるので、こういう雰囲気はとても居心地が悪い。内心まで見抜かれるように図星を言い当てられれば尚更だ。
 
 「では、ちょっと御節介ですが…アドバイスを。…あぁ言うタイプはガンガン押していかないと中々、自覚してくれないものですよ?」
 
 では、ごゆっくり、と笑いながら店員はそっとカーテンを閉めた。そうして、一人試着室に取り残された俺は最後の爆弾発言に内心、頭を抱える。だって、俺は別にアイツの事なんてそういう意味では意識していないのだから。つい一昨日まで俺は男で、歪ではあるが友人としての関係を築いてきたのだ。それはそう簡単に崩れるとは思えない。
 
 ―…なら…崩れたらどうなるのだろう?
 
 ふと浮んだ疑問に俺の胸は締め付けられるような痛みを訴えた。もし、俺が完全に女であると言う事を受け入れれば、或いは恋人になりたいと思えばそうなれるのか。…答えはきっと否だろう。アイツだって、俺のような元男よりもちゃんとした女と恋人に決まっている。幸い、この街には魔物娘が数多く生活していて、美女や美少女には事欠かない。何より俺たちと同じ薬学系に進む魔物娘はいなかったので縁はなかったが、在学中からずっと女にモテていたルドガーは女の理想も高いだろう。
 
 ―…どうあがいても『俺』じゃ無理だな。
 
 性格は意地っ張り。ルドガーをからかうのが好きで、一人じゃまともに服も買えない。完全に依存していて、面倒臭い奴。仕事上じゃ良い関係を築けていると思ったが、ソレも今や完全にお荷物と化している。…そんな女を誰が好きになるというのか。ルドガーじゃなければ、とっくに見放している頃だろう。
 
 「…はぁ…」
 
 結局の所、八方塞なのだ。男としても、女としても『俺』は行き詰まりにある。どっちを優先したとしても待っているのは破滅の未来だろう。そう思うと重苦しい気分になるのは仕方ない。
 
 「…遅いなぁ…」
 
 そのまま暗い気分を胸に数分待ってみたが、中々、カーテンは開かれない。それどころかこっちに近づく靴の音も聞こえないのだ。どうやらブラ選びに結構な時間が掛かっているらしい。或いは…違う話題で盛り上がっているのか。そんな風に思うとぎゅっとまた胸が痛む。
 
 ―くっそぉ…なんでなんだよ…!
 
 苦しさを苛立ちに変えて、胸中でそう叫んだ。その痛みの理由は勿論、分かっている。嫉妬だ。俺は、俺を置いて一人で楽しんでいるであろうルドガーに、そしてその横にいるであろうさっきの店員に嫉妬の感情を抱いている。勿論、あの二人がそんな関係になる事はまずないと言い切ってしまっても良いだろう。けれど、今の俺には自分では決して届かない場所にあの二人がいるような気がしてならなかった。
 
 ―…情緒不安定すぎだろ…まったく…。
 
 サキュバス化の衝撃もようやく落ち着いて来たと思ったのにコレか。そう思うと情けない自分の姿に溜め息を漏らしたくなる。しかし、幾ら溜め息を吐いても嫉妬の感情はさっきから収まらず、ぐるぐると胸中を渦巻いていた。余りの不安定すぎる今の感情を収める為に、研究所に帰ったら精神安定剤でも処方してみるのも良いかもしれない。
 
 ―コツコツ
 
 そんな事を考えているとこちらに近づいてくる靴音が聞こえた。足音は二つ。恐らくルドガーとさっきの女店員だろう。まったく…ようやく来たのか、と思いつつも内心の喜びは隠し切れなかった。結局の所、俺は子供のように放って置かれるのが嫌だっただけなのかもしれない。
 
 「リズ。開けるぞ」
 「あぁ」
 
 短く返した俺の言葉に答えて、ルドガーの手がさっとカーテンを取り払う。その手には色とりどりの下着が抱きかかえられていた。しかも、それらはどれもフリルが沢山着いていて、可愛らしいデザインである。色っぽさはそんなに感じないものの、見ていると何処か罪悪感のようなものを覚える無垢さがあった。
 
 「一応、女らしくないものを選んできたつもりだが…」
 
 ―…これが?
 
 勿論、飾り気のまるでないスポーツブラのようなものを期待したわけじゃないけれど、これだけフリフリな下着が女らしくないなんて信じられない。寧ろ、女らしいブラなんてどういうモノになるのだろうか?と興味が沸いてくるくらいだ。
 
 「後は殆ど乳首まで透ける奴とか、色々、見えそうなくらいきわどい奴ばっかりで…」
 「あー……」
 
 ―そう言えばここ魔物娘向けの服飾店だったっけ…。
 
 人間の基準で考えるともう誘惑してるだろうと言わんばかりの下着だが、サキュバスにとってはそれが普通。もしくは地味な部類に入る。そんな価値観に合わせたこの店の客層を考えればこれでも大人しい下着なのかもしれない。
 
 「つか、それならもっと別の下着専門店に行けば…」
 
 そもそもここは服飾店なのだ。下着の店ではない。確かに私服はここで買わなければ背中が破けてしまうだろうが、下着は元々上下に分かれているから別に人間用の物を買っても問題は無い筈だ。
 
 「…じゃあ、破れたスーツでそこまで歩くか?」
 「う…そ、それは…」
 
 思わず言葉に詰まってしまう。元々、それほど気にはしていなかったとは言え、やっぱり背中を破けて大きく露出させた状態で出歩くのは気恥ずかしさが強い。それに、横に並ぶルドガーとしてもあまり良い気持ちにはならないだろう。もしかしたら、露骨に私服を勧めていたのもそれが原因だったのかもしれない。
 
 「少なくとも一つはここで買わなきゃいけないし…どうせだったら一気に買ったほうが楽だろ」
 「そ、それは…そうだけれど…」
 
 ―でも、それはこの可愛らしいデザインのブラを日常的に身に着けるって事で…。
 
 それは正直、余り考えたくは無い想像だった。ブラを着けるってだけでも気恥ずかしさを覚えるのに、ここまで可愛いデザインだなんて。そりゃ…妄想の中ではもっと派手なのを着込んでいたが、それはそれ。これは現実である。やっぱりどうしても羞恥心が掻き立てられるし、女として扱われている感が否めない。
 
 ―……でも、もう逃げ道は無いんだよな…。
 
 そもそもこの店に入った時点で、この展開は運命付けられたも同然なのかもしれない。そう思うと少し諦めもついた。結局、俺は小さく溜め息を吐いて、ルドガーから下着を受け取る。その素材は一体何で出来ているのか、金具が仕込まれているとは思えないくらい軽い。服飾系の仕事をしているのであれば分かるかもしれないが、生憎と俺は薬学系だ。考えても無駄だろうと思考を打ち切り、備え付けの棚にブラを突っ込む。
 
 「じゃあ、店員さんも…」
 「えぇ。ブラの着け方を教えてあげれば宜しいのですね」
 「え?ちょ…き、聞いてないぞ!?」
 
 いきなり告げられる事実に俺は勿論、反発する。確かにブラを着けるのは仕方ないと認めたが、他人に裸を見られるなんて持っての他だ。ルドガーでさえ見られるのがあんなに恥ずかしかったのに、女に見られるなんて死にたくなるくらいに恥ずかしいに決まっている。
 
 「俺だってブラの着け方くらいは分かる!」
 「あら…貴女はブラを舐めているようですわね」
 
 ―俺の言葉に心の琴線に触れたのか、ルドガーの後ろからずずいっと前に出てきて店員は俺に指を突きつける。
 
 「良いですか。まず女性としてブラは最低限必要な礼儀です。何故ならば、ブラとは敏感な胸を保護するのと同時に、その形を整えてくれる物なのですから。勿論、そこには女としての魅力を引き立てるという強い副次効果もありますが、そんなものは二の次です次。つまり、どんな大きな胸も形が崩れてしまえば、ただの脂肪です。コラーゲンです。それを防ぐのが、ブラの役割なのですから。また、ブラには締め付けなどの刺激で胸が大きくなる効果もあるのですよ。幼い頃からブラを着ける子の方が巨乳になる傾向もあるのです。つまりブラとは一石三鳥どころか五鳥にも六鳥にもなる魅惑的な下着なのです!!」
 「は、はぁ…」
 「しかし、それもちゃんとした着け方をしなければ何の効果もありません。何事も順序や手順と言うものが大事なのです。それが分かりますか?今日までブラを着けて来なかった貴女には分からないでしょう?えぇ。勿論、それは仕方のない事です。別にそれを責めてはいません。しかし、この私の目の前でただ身に着けるだけのブラなど言語道断!!!絶対に許さない!!」
 
 ―え、えぇー…。
 
 許さないとまで言い切られて流石の俺もちょっと引いてしまう。しかし、あまりの迫力に反論する事もできず、助けを求めるようにルドガーの方へと視線を送った。しかし、当人は苦笑めいた笑みを浮かべて、傍観者を気取っている。…何処か疲れた色が見えるのはコイツもさっきそれを味わったからなのかもしれない。何となくそんな事を思った。
 
 「ともかく!!ブラの真髄を教えなければいけないのですよ!!」
 「そ、そうですか…」
 
 結局、ぐっと握り拳を作った店員に何も言えず、俺は毒にも薬にもならない言葉を吐き出した。しかし、それが肯定の意と受け取られたのだろう。そのままずずいと店員は乗り込んできてしまう。
 
 「じゃあ、彼氏さんは少しの間、店内を巡っててくださいね♪」
 「あ、あはは…お、お手柔らかにお願いしますね」
 
 ―た、助けろよ馬鹿ーーーーー!!!!
 
 最後の視線で訴えてみるも、ルドガーは我関せずを決め込んでいるらしい。そっと右手を振って、俺に背を向けた。そのまま視界が途切れるように、カーテンが閉まり店員が手をにぎにぎさせながら一歩一歩と近づいてくる。まるで人が変わったようなその様子に思わず足を後ろに送るが、狭い試着室の中では逃げ場は無い。
 
 「じゃあ、まずはそのブラウスから脱いでいきましょうねー♪」
 「うぅ…」
 
 結局、殆ど抵抗らしい抵抗もできないまま俺の衣服はどんどんと剥ぎ取られていく。と言っても、ブラウスと肌着だけだ。その手管は素晴らしく、人の着替えであるというのにスルスル進めていく。これがプロの技なのか、とそんな事を思ってしまうくらい、それは滑らかで自分一人で脱ぐよりも早いかも知れなかった。
 
 ―そして解放。
 
 上着を全部、剥ぎ取られた俺はその肌を店員の前に完全に晒していた。しかし、それは想像していたよりも恥ずかしくは無い。諦めの境地にでも達したのだろうか。少なくとも、さっきルドガーの乳首の事を指摘された時よりも恥ずかしくはなかった。
 
 「じゃあ、ブラを一つ借りますね…うーん…この白で良いかな。それで…肩紐を通してください」
 「こ、こう…?」
 
 そんな俺の横にある棚から白いブラを取り出して、手渡される。良くは分からないが、とりあえず腕を通せば良い様だ。とりあえず言われたとおりに腕を通すとそっと俺の肩に紐が掛かる。しかし、やっぱり重さは殆ど感じない。それどころか肩に掛かる肩紐の感触さえ忘れるくらいしっかりと馴染んでいた。
 
 「じゃあ、まずは少し前かがみになってくださいねー」
 
 狭い試着室の中で前屈みになれという指示に一瞬、俺は躊躇いを覚えた。こんな狭いスペースでそんな事をすれば、身体が触れかねないからである。しかし、結局は逃げ場もない、と諦め、大人しく前屈みになった。勿論、俺の身体が店員に接近するが、思ったより気にならない。さっきの大演説であくまでもプロとして接してくれていると分かっているからだろうか。ふわりと谷間から香る甘いフェロモンのような匂いが僅かに気になるだけだ。
 
 「そのままアンダー…つまり留め金が仕込んである紐を胸の下に当てて、ぎゅっと持ち上げるように。そのままアンダーを引っ張るように後ろへ向けてホックを止めてください」
 「…ん…んん…」
 
 その声にしたがって、アンダーを引き伸ばすが、中々、上手く止まらない。後ろ手で見えない部分を止めようとしている所為だろうか。どうにも上手く感覚がつかめない。そのまま数分ほど格闘していたが、結局、見かねた店員にブラを結んでもらう。
 
 「これは要練習ですね。慣れれば一人でもすぐに出来るようになりますよ」
 「そ、それは…」
 
 慰めるように言ってくれた言葉に喜んで良いのか悪いのか分からない。そもそも俺は未だサキュバスになった事を完全に受け入れたわけではないのだ。戻れるのであれば男に戻りたい。そして、店員の言葉が確かなら、そんな俺がブラの着け方に慣れるのはそう遠くないのだろう。確かに誰かの手を借りずにブラを着けられるというのは女としての必須技能であろうが、それを素直に喜べるはずもなかった。
 
 「じゃあ次はアンダーを持ち上げて、脇からお肉を集めてカップに詰めてくださいね」
 「…そ、それは良いのか…?」
 「当然です。だってそこもちゃんと胸なんですから。寧ろちゃんと詰め込まないと垂れちゃいますよ?」
 
 何か騙している感が否めなくてそう聞いてみるものの、はっきりとそう返されてしまう。どうやらこれは女としての当然の知識らしい。また一つ女としての知識が増えてしまったと内心、溜め息を吐きながら言われたとおりに左右から谷間を作るように胸を寄せていく。ぐにぐにと柔らかい胸の感触にじわじわと熱が広がるような感覚を感じるが、それから必死に眼を逸らしつつ、持ってきた肉をアンダーで閉じ込めた。
 
 「そのまま肩紐の根元を持って、胸に押し当てるように引き上げながらゆっくりと上体を起こしてくださいね。それからアンダーが真っ直ぐになるように調整すれば…完成です」
 「おぉ…」
 
 言われたとおりにして上体を起こし、アンダーの位置を調整するときゅっと引き締まった感がする。胸元を見れば、僅かながらしっかりと谷間が出来ていた。今までは普通よりも少し小さいくらいのサイズであったのに、はっきりと谷間が出来る感覚に内心、歓喜の念が溢れた。一瞬、アイツにも見せてやろうとそんな事を考えるが、このまま試着室から出て行くわけにもいかず、そっと足を止める。
 
 「うん。初めてにしては上出来ですね。後は一人でホックを止められるようになれば免許皆伝です」
 
 アンダーや肩紐の位置なんかを確認した後、店員がぐっと手を握った。どうやら、俺は合格点を貰える程度のつけ方が出来たらしい。また最初からやり直さなくて良いという事に安堵の感情を感じるが、同時にこういう分野でだけ手際の良さを発揮する自分に少しだけ嫌悪の感情が沸いた。
 
 「さぁ、後は肌着とブラウスを着けて、完成です」
 「あ、あり…がとう…」
 
 お礼の言葉は思ったより素直に出てきた。ポツリと漏らすようなものではあったものの、店員はそれをしっかり聞きつけ、にこりと笑みを浮かべる。見ているだけで妙な気恥ずかしさを覚えてしまうそれにそっと目を背けつつ、俺は剥ぎ取られた肌着とブラウスに袖を通した。そのまま一回転して鏡に映すが、さっきとは比べ物にならない胸の量にまったくイメージが異なっていた。心なしか、胸元もきゅっと引き締まってよりスリムに見えるし、さっきよりも魅力的に映るだろう。
 
 「じゃあ、行きましょうか」
 「あ、あぁ…」
 
 カーテンを開け、先導する店員に従って、俺の脚は試着室の外へと出た。そのまま左右を見渡すが、近くにルドガーはいない。恐らく別の服でも探しに行っているのだろう。…一番、最初に見て欲しかったのに、薄情な奴め。…そんな風に思ったのは仕方ない事だろう。
 
 「あ、お客様ー」
 「…ん?」
 
 そんな事を考えている間に店員がルドガーを見つけたらしい。するすると歩いて近づいていく。その背に着いていくと、さっきのマネキンの近くで服を手に取っているルドガーがこっちを向いた。
 
 「どうでしょう?私としてはかなりの出来だと思っているのですが」
 「あー……」
 
 胸を張って説明する辺り、よっぽどブラに思い入れがあるのだろう。確かにさっきよりもスマートに、さらに女らしくなったラインは中性的であったはずの顔のイメージを覆しかけていた。今の俺はどう転んでも、男に間違われることはあるまい。誰の眼から見ても少しボーイッシュな女の子、になっているはずだ。
 
 ―問題は…それをコイツが可愛いと思ってくれるかどうかってことで…。
 
 この際、もう私服がどうのこうのとか女の子らしいのがどうのこうのなんて言ってはいられない。それよりも重要なのはルドガーが可愛いといってくれるかどうかだ。そんな気持ちを込めながらじっと俺が見つめる先で、コイツは返答に困るように首を捻る。まるで言葉を選んでいるようなその様子に、俺の中にじわりじわりと不安が染み込んで来た。黒くて暗いその染みはゆっくりとだが確実に勢力を広めて、俺の心を蝕み始めている。
 
 ―…やっぱり…可愛くなかったのかな…。
 
 そもそもコイツにとって俺は、どう転んでも男で友人でしかない。今も可愛らしい服を着ているが、それもルドガーにとっては女装の延直線であるのかもしれない。…そう考えると何故か酷く悲しい気がした。それが不安を増長させ、俺の顔を何時の間にかゆっくりと俯くようなものへと変えて行く。
 
 「ほら、ちゃんと感想を言ってあげないと女の子に失礼ですよ」
 
 そんな俺の目の前で感想を引き出そうと店員に困ったように笑いながら、俯いた視界の端でルドガーは頭を掻いた。どうやら本当に困っているらしい。…別に俺はコイツを困らせるつもりは無かったのだ。…そこまで感想を嫌がるのであれば、私服なんか止めて、一生スーツで過ごそう。そんな事を考えた瞬間、ゆっくりとルドガーは口を開いた。
 
 「…参ったな…その…可愛い」
 「…え?」
 「…だから、思ったより似合ってて可愛いって言ってるんだよ。…言わせんな恥ずかしい」
 
 言い聞かせるようなゆっくりとした言葉に顔を上げる。けれど、視線はぶつかることは無く、気恥ずかしそうにそっぽを向いたルドガーの顔があるだけだった。その反応は良くは分からないが、とりあえず可愛いといってくれたのは事実である。そう思うと俺の胸の不安は一気に晴れて、暖かいものが満ちた。…だけど、もし、それが世辞だったら、と思うと、どうにも素直に喜ぶことが出来ない。
 
 「…世辞ならいらねぇぞ」
 「今更、お前相手に世辞なんか言うかって。…つか、今のお前が可愛くないはずないだろ」
 「…う…」
 
 ―可愛くない筈が無い…俺が…?
 
 その言葉に思わず顔がにやけてしまう。勿論、そんなバカップルめいた台詞をこんな衆人環視の前で言われたと言う事に対する羞恥心はある。俺は男なのに可愛いといわれて喜ぶ筈が無いという反発もある。けれど、それ以上にルドガーにそこまで言われた事に熱く激しい衝動を感じた。それは胸を一気に支配した歓喜の感情を結びつけ、俺の太股を擦り合わせるように内股にさせる。しかし、まるで女のような動作をしているのも、気にならないくらい俺の胸は今の言葉で完全に舞い上がってしまっていた。
 
 「…う…ぁ…あり…がとう…」
 「…あぁ。…じゃあ…次、こっちな」
 
 何となく場に満ちた初々しいカップルのような雰囲気を吹き飛ばそうとするように、ルドガーはその手に持った衣服を押し付けてきた。今度もまた日常で着込めるようなカジュアルなイメージの強い組み合わせである。勿論、確認するまでも無くカジュアルなイメージとは裏腹に背中が大きく開いたデザインをしているのだろう。
 
 「…まだまだ買わなきゃいけないからな。どんどん行くぞ」
 「あ、…うん」
 
 その衣服を受け取りながら、俺の脚もまた素直に試着室へと向かう。浮き上がりそうな気持ちを表しているように、その足取りは軽く、楽しい。空気を読んだのか何時の間にか居なくなった店員に心の中で感謝を抱きながら、俺はそのまま気分良く着せ替え人形になったのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「…ふぅ」
 
 ―そんな風に漏れ出る息は溜め息ではない。満足の吐息だ。
 
 時刻は昼を大きく回った辺り。結局、アレからお互いに熱が入ってしまい、服を十着選ぶだけでもかなりの時間を喰ってしまった。結果としてランチタイムは大きく過ぎてしまい、両手一杯に服を持ちながら、この店に雪崩れ込んだのがついさっき。それから料理を食べて、一息着いたのが今である。
 
 「お疲れ様」
 
 それを別の何かと勘違いしたのか、対面のルドガーがそんな言葉を投げかける。思わずそっちに眼をやると、そこには満足そうな顔をして、食後のブラックコーヒーを飲む姿があった。どうにも普段よりゆっくりと食べてしまう俺とは違い、食べ終わった後に頼んだブラックコーヒーも少し冷めている。…こうして女の立場に立ってみて初めて分かるが、男の食べる速度と量ってのは異常に見えるくらいだ。
 
 「別に…俺は何もしてねぇよ。…荷物も持ったのも殆どそっちだしな」
 
 そんな事を言う俺は最初に選んだあの組み合わせで着ていた。結局、あの店で買ったのは十着ほどだが、これが一番、気に入っている。勿論、全部、気に入っているからこそ買っているのだが、一揃えで並べて十種ほど買ってしまった。…それもこれもコイツが何を着ても「可愛い」だの「似合ってる」なんて台詞しか言わないからだろう。…かなり舞い上がってしまって、予定の予算を大きくオーバーした。…ついでにあの店員の営業トークに乗せられ、ブラも沢山、買わされてしまったのも痛い。
 
 ―お陰で財布の中がすっからかんになってしまった。
 
 家に帰れば金はあるとは言え、現金そのものをそこまで持ち歩く趣味は無い。それでも今日は多めに持ってきたが、完全に空である。これではランチは奢ってやれないと落ち込む俺を引きずって、ルドガーはこの店に入ったわけだけれど…それでも最初の予定と大きくズレ始めているのは確かだ。
 
 ―…なんだかな。
 
 だけど、そのズレが今は何となく楽しい。本当は計画通りにいかないなんて苦痛でしかない性格をしているのに、意外で素敵なこの買い物を俺は確かに楽しんでいた。それが自分自身かなり意外で…けれど、そんな俺も悪くないように思える。
 
 「それで…これからどうする?」
 「そうだなぁ…」
 
 問われる言葉に手元に手を送って考え込んでみる。確かに私服は揃ったが、まだまだ必需品は多い。靴やスーツなんかは確実に必要だ。今もぶかぶかのサイズの合わない靴を履いているし、スーツはなければ研究棟に出入りできない。
 
 ―…そう言えば、その二つを買いに出たんじゃなかったっけか…。
 
 そもそも私服を買うなんて当時の予定には全く無かったのだ。しかし、今の俺はその私服に全力を注ぎすぎて、完全に財布が空である。それに後悔はしていないとは言え、一度、研究所に戻らなければ買うことも出来ないだろう。
 
 「一度、戻るか。荷物も置かなきゃいけないしな」
 
 単純に上下セットの組み合わせに並べて十着とブラ。その量は結構な量になっている。ルドガーが殆ど持ってくれているとはいえ、余り身動きは取れないだろう。軍資金も完全に切れてしまったことだし、戻って荷物を置くのが一番良い気がする。
 
 「俺は大丈夫だし…それに金くらいなら貸してやっても良いんだぞ」
 「俺が嫌なんだっての。それに、友達同士の金の貸し借りも友情破壊の原因だろうが」
 
 俺は男にだけ荷物を持たせて自分の優位性を主張しなければいけないほど矮小な女ではない。荷物持ちという名目で連れて来たとは言え、ルドガーだけに荷物を持ってもらうのは流石に心が痛む。けれど、男のコイツと女の俺じゃ持てる量に大きな違いがあって…結局の所、殆どまかせっきりになってしまうのだ。
 
 ―まぁ…腕力は問題無いんだけどさ。
 
 寧ろもやしであった時よりも身体能力は遥かに上がっている。けれど、問題は体積だ。同じ荷物を持とうにも俺の身体は小さすぎて大袋二つが限界である。空を飛べば話は別かもしれないが、それだと一緒に出かけた意味があんまり無い気がするし…何より今まで空を飛んだ事も無いのでちょっと怖い。
 
 ―…ん?
 
 そんな事を考える俺の視界の端で、ルドガーが驚いたような顔をした。おおなめくじが塩を投げられた時のような姿に思わず首を傾げながら、俺はそっと尋ねる。
 
 「どうしたよ?」
 「いや、お前に素直に友達とか言われたのって殆ど無いから…さ」
 「…あれ?そうだっけ…?」
 
 ―…言われて思い返すとそんな記憶がまったくない。
 
 俺は確かにルドガーの事を友人だと思っていた。いや…寧ろ依存さえしていたのである。そんな俺がコイツを友人と、友達と呼んだ事があるかと言えば…正直、殆ど無いような気がする。胸の中では何度も何度も思っているが、今までは気恥ずかしすぎて口には出さなかったのだろう。
 
 「…まぁ、俺はそう思ってるよ」
 「…そう…か」
 
 けれど、今の俺はそれを気恥ずかしいとは余り思わず、ぽつりとだが肯定する。そんな俺の言葉を受けて、ルドガーの顔がくしゃっと歪んだ。まるで泣いている様な、喜んでいる様な、何とも言えない表情に。それはすぐに人懐っこそうな笑顔に上書きされたが、確かに俺の心に残った。
 
 ―…ルドガー…お前は……。
 
 俺は別に間違ったことは言っていない筈だ。寧ろコイツの性格ならば大喜びしても良い筈である。だが、浮かんだのはどちらとも言えない微妙な表情。ただ、友達であることを肯定しただけなのに、どうしてそんな解釈しがたい表情を見せるのか。それが俺には分からず、痛みを訴える胸を押さえた。
 
 「リズ。どうした?」
 「…いや、なんでもねぇ」
 
 ドクンドクンと脈打つ度に痛みを走らせるそこに手を当てても、結局、何も分からない。俺が一瞬だけ見せたコイツの表情に何を感じたのか、それさえも答えが出なかった。…けれど、そんなルドガーに何とかしてやりたいという気持ちは…はっきりとある。まだどうしてやれば良いのか分からないけれど…何時か相談に乗ってやろうと俺は口を開いた。
 
 「…お前こそ何か抱えてるんなら相談しろよ。…ただでさえ転職とか色々あったんだからさ」
 「…あぁ、ありがとう…」
 
 ―…まぁ、今はこれが限界か。
 
 何処か苦々しいものが混じった笑みにそれ以上、踏み込むことが出来なくなってしまう。…元々、コイツは頑固なのだ。下手に言い聞かせようとしても逆効果にしかならないだろう。それなら、俺という捌け口がある事をアピール出来ただけで今は良しとしておくべきなのかもしれない。
 
 ―ん…っ。
 
 そんな事を考えていると突然、尿意がやってきた。今日は比較的暖かく、食事も熱々のパスタだったので水を結婚飲んだからだろうか。下腹部から這い上がるむずむずとした感覚を感じながら、俺は内心、強い焦りを覚えた。
 
 ―うぅ…こ、これだから外は…!
 
 当然ではあるが、ここは俺の自室などではない。当然、そのトイレは女用と男用で別けられている。勿論、それに何か問題がある訳ではない。問題があるのは寧ろ、女用のトイレに入らないといけないという俺の方で――。
 
 ―どうする…?部屋まで我慢するか…?
 
 一瞬、そんな事を考えたが、どうにも我慢できそうに無い。ただでさえ大きな荷物を抱えて移動しなければいけないのだ。どうしても普段より移動速度が下がる。その上、俺が催しているのは…その…小さな方であって…我慢できる時間と言う奴もそう長くは無いだろう。
 
 ―…はぁ……無理だな。
 
 ちょっと計算してみたが、どう頑張っても部屋までも持ちそうには無い。ならば…公衆の面前で排泄プレイをする趣味なんぞあるはずがない俺は、この店でトイレを借りるのが一番だろう。しかし、そうは思っても中々、腰が上がらず、むずむずとした感覚に耐えるように身体を揺らし始めた。
 
 「どうした…?」
 「い、いや…なんでもない…!」
 
 いきなり身体を揺らし始めた俺に首を傾げながら、ルドガーはそう言った。それになんでもないと返しつつ、俺の焦りは加速度的に大きくなる。そもそも排泄欲求を堪えることなんて無理なのだ。そんな事は俺にも分かっている。しかし、昨日は自室のトイレだけを使用した俺にとって、女子トイレに入るのは初めての経験だ。出来ればあまりしたくない経験を先延ばし先延ばしにしてしまうのも、それが主な原因である。
 
 ―う、うぅぅ…ど、どうしよう…?
 
 如何しようも何も漏らしたくないのであれば行くしかない。まるで自分に言い聞かせるようにそう何度も胸中で呟きながら、俺は決心したように立ち上がった。力が入りすぎたのか俺の椅子が大きく揺れて、ガタッと大きな音が響き渡る。しかし、昼時を大きく過ぎた店内には殆ど客はおらず、俺に注がれる視線は目の前のコイツのモノだけだ。
 
 「ち、ちょっと待ってろ…!」
 「お、おう」
 
 何処か鬼気迫る俺の様子に一歩退くルドガーを見ながら、俺の脚は早歩きでトイレへと向かう。店の奥に備え付けられているそれはやっぱり女用と男用で分けられていた。まるでシンメトリーのようなピンク色の表札と青い表札を見比べながら…俺の脚はピタリと止まってしまう。
 
 ―…や、やっぱり恥ずかしい…!!
 
 この期に及んで尻込みするなんて、とは思いつつも、もじもじと内股を刷り合わせてしまう。その思考には「別に男用には言ってもバレないんじゃないか?」と言う不用意なモノまで混じり始めていた。しかし、客はいなくても店員は幾らでも働いている。もし、男用トイレから出るところを誰かに見られたら、それこそ恥ずかしくて生きてはいけない。
 
 「ぐ…ぐぬぅ…!」
 
 結局、プライドさえ捨てれば女用のトイレが無難である。そう言い訳のように考える俺の下腹部は、いい加減、限界だと訴えていた。我慢の限界を突破した俺は、顔を真っ赤に染めながら、ピンク色の札が掛かった側を開いて中へと入り込む。そのまま鍵を掛けて、一気にショートパンツとトランクスを引き下ろし、便座へと座った。
 
 「…はふぅ……」
 
 ちょろちょろと漏れる音が聞こえた瞬間、俺の身体に開放感が訪れる。思わず肩を落として安堵のため息を漏らしながら、しばしその感覚に浸った。…男も女もこの瞬間の無防備さは変わりが無い。ただ、排泄の仕方や感覚が違うのにはまだ慣れてはいなかった。
 
 ―…いや、慣れたら終わりか。
 
 慣れると言う事は女に近づいていると言う結果だろう。それは…まだ個人的には遠慮したい。今もこうして女用のトイレに駆け込んでいるので、また一つ女側へ近づいた感がするのだ。まだ男に戻る望みを捨てていない俺としては、それ以上、そっち側へと進むと男に戻れなくなってしまいそうで怖い。
 
 ―っと……。
 
 そんな事を考えていると排泄も終わったらしい。…とは言え、ここからがある意味、憂鬱だ。男と違って女の排泄は後に残りやすい。このままトランクスを履けば、さっき買ったばっかりのショートパンツも穢してしまうだろう。初めてルドガーに選んでもらった衣服であるし、かなりの思い入れがある。出来れば汚したくは無い。
 
 「…ふぅ…」
 
 小さく溜め息を吐きながら、俺は壁に備え付けられているロールを手に取った。そのまま手に巻きつけるようにして二三回、回して股間へと持って行く。そのままさっとその部分を吹いた瞬間、ピクンと俺の身体が跳ねた。
 
 「うぁ…♪」
 
 思わず呻き声を漏らしてしまう。けれど、それは苦痛や恥ずかしさの物ではなかった。それは甘い媚の混じった声である。サキュバスになった俺の身体は特に敏感で、こうして股間を拭くだけでも小さな疼きを走らせるのだ。まだ女の快楽になれていない――いや、慣れたいとも思っていないが――俺にとって、それは強い鮮烈さを持って脳に刻まれるようにも感じる。
 
 「う…ふぅ…っ♪」
 
 そのまま何度も何度もそこを拭きたい気持ちを必死に押さえつけながら、水気をふき取った俺はそれを便器の中へと捨てる。そのまま壁のルーンにそっと触れた。瞬間、トイレの中に刻み込まれたルーンが起動し、便器からゴゴゴと蠢くような音がする。恐らく排泄物ごと中に溜まっていた水を下水へと押し込んでいるのだろう。この街は早い内から魔物娘を受け入れてきた所為か、こうした上下水道を含めたインフラは普通に比べても遥かに整っている。
 
 ―これも魔物娘の恩恵って奴か…。
 
 もっとはっきり言えばウンディーネやサイクロプス、ドワーフなどの協力も大きいのだろう。魔物と協力体制を取る事が出来ると気付いたここの領主が最初にやったのがそうした新手のインフラ整備だったとは言え、数十年でここまで整っているのは凄いとしか言い様が無い。下水に関していえば水のエキスパートであるウンディーネや鍛冶方面に特化したサイクロプスやドワーフの協力があってこそだろう。他にも明かりや暖にも使われる炎もしっかりと整備されている。この店もそれほど大きくは無いとはいえ、ルーンを使った炎で調理しているのだ。それがどれだけ先進的かは生まれた頃から今の状況であった俺たちには余り実感が沸かない。しかし、当時を生きた人々は口々に、「この街は変わった」と呟くのだ。
 
 ―…まぁ、それは薬学の世界でも同じか。
 
 早くから魔物娘の恩恵にあずかることを考えていたここの領主は自前の研究所を作り、才能のある人間を集めた。ただ一つ。条件は魔物娘を敵視しない事。それでいて休日や給金がしっかりしているという破格の条件に集った研究者たちは多くの新薬を作り上げた。その数々は今までの価値観からは決して出来ないアプローチから始まっているものも多い。他の都市で似たような経緯で始まったものまで含めれば、それらの薬でどれだけの人命が救われたか分からないくらいだ。
 
 ―まぁ…俺はそれで失敗してしまった訳だけれどな。
 
 最後に自虐で締めながら、俺はゆっくりと立ち上がった。しっかりと水気を拭いた所為か、その股間からは水が漏れることはない。それに安堵しながら足元のショートパンツをそっと引き上げた。そのままきゅっとボタンを閉じて、鏡の下にある洗面台でさっと手を洗う。一応、身だしなみも確認しておこうと顔を上げたが…多分、問題は無い筈だ。…顔を赤く染めているのは多分、女用のトイレにいるって事が原因だろうし。
 
 ―と、とっととこんな所からは出よう…!!
 
 さっきまでは頭の中が別の事で一杯だったからか入ってからは気にならなかったが、意識するとやっぱり気恥ずかしい。そもそも本来、ここは俺が入って良い場所じゃないのだ。今はただ特別なシチュエーションであると言うだけで…その、なんというか…つまり例外である。居心地の悪さを感じるのが当然であろうと結論付けながら、俺は鍵を開けて逃げ出すように外へと飛び出した。
 
 「…うぅ…」
 
 しかし、未だ顔から熱は引かない。外へ出ても俺の過去が変わるわけではない。気恥ずかしさが溢れるような衝動を感じながら、俺は自分を落ち着かせようとするように胸に手を当てて深呼吸を繰り返す。
 
 ―落ち着け…大丈夫…大丈夫だ…。べ、別に…女用に入っても今は問題ない。今は…!
 
 そうやって自分に言い聞かせると少しずつ顔から熱が引いていく。言い聞かせたお陰で半ば、諦めにも似た気持ちが沸きあがってきたからだろうか。少しだけ思考はゆっくりとクリアなモノへと戻っていき、顔も健康的な色に戻るのが分かった。もうルドガーの前に出ても問題は無いだろう。そう判断した俺はゆっくりと脚をアイツの元へと進め始める。
 
 「すまん。待たせたな」
 「あぁ、おかえり」
 
 コーヒーカップを傾けるルドガーにそう言いながら、俺はさっきと同じ席に座った。…しかし、別に座った所で何かある訳でもない。そもそも次の計画はさっき話していたし、休憩もしっかり取った。寧ろすぐにこの店を出なければ色々と支障が出る。まだ混乱してるのかもな。そう自嘲しながら、飲み終わったカップをソーサーに戻すルドガーに口を開く。
 
 「それじゃあ行こうぜ。そろそろ夕方になりそうだしな」
 
 ガラスから差し込んでくる日は既に傾き始めていた。後、二時間も立てば綺麗な夕日が見られる事だろう。しかし、俺たちはそれまでに研究所に戻らなければいけない。外出はある程度、自由だが、門限を過ぎる以上の外出には許可が必要になるのだ。セキュリティ上の問題もあるのだろう。門限を過ぎて研究所に戻ろうとしたら警備部に何をしていたのか根掘り葉掘り聞かれる羽目になってしまう。それは時間的拘束もさる事ながら、この恥ずかしい買い物の内容を言わなければいけないという精神的苦痛も伴っているのだ。正直、そんな羞恥プレイは死んだって御免である。
 
 「だな。それじゃあここの会計は俺が持つわ」
 「…すまん。後で金を返すから…」
 
 荷物持ちの詫びに奢るつもりだったのに、脱線した先で白熱しすぎて逆に奢られてしまう。そんな自分の何と情けない事か。立ち上がるルドガーに倣いつつ、思わず肩を落とした。
 
 「良いって。このくらい」
 「嫌だ。奢らせろ。俺の精神的平穏の為に」
 
 きっぱりと言い放つものの、財布がすっからかんの今じゃ威厳も何も無いだろう。その証拠にルドガーは軽く笑いながら、本気で受け取っている様子を見せない。しかし、現実問題、財布がすっからかんな俺はそれに強気に出ることは出来なかった。
 
 「じゃあ、今度、一緒に出かける時にランチ奢ってくれよ。それでチャラだ」
 「…………いや、それじゃあプラスマイナス0なだけじゃねぇ?」
 
 流石にそんな論理で騙されるほど子供じゃない。ただ…次の約束にも繋がるそれに心が動いたのは確かだ。少しだけ返事が遅れたのはその表れであろう。しかし、一瞬、考え込んだものの、どの道、コイツは誘えば幾らでも来てくれる奴だ。次の約束なんぞしなくても、暇であれば幾らでも街へと繰り出してくれるだろう。それは今までの俺たちの友人関係からすれば容易に想像できる。
 
 「そんなもんだろ、友達ってさ」
 「……」
 
 けれど、それも軽いコイツの言葉に何も言えなくなってしまう。 でも−でも無い……どっちにも借りが無い状況。それは確かに友人関係そのものであると言えるのかも知れない。…悔しいがコイツは元々、頭が良い上に、こうして俺には決して出せない答えをあっさりと出すのだ。それに嫉妬した時期も勿論あるが、今はその言葉を素直に受け取れるような気がする。
 
 「…悪い。今回の詫びも含めて次は高いレストランで奢るわ」
 「おう。楽しみにしてる」
 
 そんな風に言葉を交わしている内に、ルドガーの準備は出来たようだ。両脇と両手に大袋を抱えて体積を跳ね上がらせている。ただでさえ筋肉質でしっかりとした体つきが横に膨れ上がって、他の客には迷惑だろう。しかし、何処かクマを思わせるその立ち姿に何処か微笑ましいものを感じてしまうのは俺だけではないはずだ。
 
 「それじゃあ行こうか。忘れ物はないな」
 「あぁ」
 
 答えながら俺も両手に大袋を掴んだ。中には服と下着しか入っていないというのに、量が量な所為か少し重い。しかし、その重さが今日の収穫だと思うと妙に嬉しくて、俺の脚は少しだけ軽くなった。そのまま足を踏み出して歩き出そうとした瞬間――
 
 ―…あれ?
 
 妙な違和感を感じる。まるで自分の意識と身体がズレているような、そんな感覚だ。しかし、それは形にならず、俺の中へと沈殿していく。ポツリポツリと積もっていくそれらに訳が分からず、首を傾げるが、その答えは出ない。
 
 ―…なんで俺、もう物足りなくなってるんだ…?
 
 ついさっき食べたばかりの食事をもう消化してしまったのか。…いや、そんな事は考えられない。完全にサキュバス化したのは昨日であったが、その時は普段よりも食欲が無いくらいだったのだから。しかし、俺の身体は急に物足りなさを主張して止まらない。さっきパスタを食べて御腹一杯になったはずなのに、どうしてここまでの飢餓感が俺を襲うのか。
 
 「…どうした?」
 「…あ、いや、なんでもない」
 
 先に進んだルドガーはもう会計を終わらせたらしい。財布を何時もの所へと仕舞い込みつつ、こっちへと振り向いた。それに返事を返して歩き出した瞬間、俺の鼻にとても美味しそうな匂いが届く。それは青臭くて…ツンと鼻に来る様なきつくて…何より甘い匂いだ。それに気を惹かれて左右を見渡してみるが、何も無い。既にアイドルタイムに入った店内には俺たちしかおらず、厨房も夜への仕込みへ忙しなく動いているだけだ。
 
 ―…あれ…?
 
 しかし、何処からか漂うその匂いはなくならない。寧ろルドガーに近づけば近づくほど強くなっているような気がする。どうしてだろうかと首を傾げるが、結局、答えは出ないまま、俺は友人へと近づいていった。
 
 「…大丈夫か?」
 「悪い。何か変な匂いがしてさ」
 
 そんな風に言葉を交わしながら、俺たちは店を出る。そのまま大通りを歩く時も、研究所に帰って時も。常にその匂いは俺たちの傍にあり…俺の下腹部にずきずきと疼きと飢餓感を走らせ続けたのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「…拙い」
 
 思わずそんな風に呟くのは、俺の手の中にある結果がかなり酷い数値を示していたからだ。…いや、ある意味、想定の範囲内だったというべきか。しかし、それは出来れば外れて欲しいと祈るような数値であり、結果だった。
 
 「…まさか…ここまで進行しているとはね…」
 
 思わず呟きながら、その資料を机の上に放り投げる。研究が凍結されたとは言え、上層部は意外と俺たちの薬に期待してくれていたらしい。俺が今、居る研究室も剥奪されず、そのまま原因究明を許された。俺としても元に戻りたい気持ちはあったので、喜んで自分の身体にアプローチを繰り返したが…その結果、あまり知りたくは無かった事実を知る事にもなったのである。
 
 「サキュバス化…か。ホント、言い得て妙だよ」
 
 あの変態の言葉を借りれば俺の身体はもう完全にサキュバスそのものになっているらしい。…それは文字通りの意味だったのだろう。別に角や尻尾、翼なんていうパーツだけではなく、その『肉体』そのものが、サキュバスになっている、と言う意味で。
 
 「…つまり……今のこれを何とかするには男の精液が必要なのか…」
 
 呟いてシャツと肌着越しに腰に手を当てるとそこにはずっと疼き続ける下腹部があった。あの日…初めて私服を買った日から、そこは常にズキズキと疼き続けている。痛みと飢餓感を伴ったそれを何とかしようと何度も何度も食事を取ったが、それは一向になくならない。当然だろう。それは普通の食事でどうこうできる代物ではない。男の精を糧とするサキュバスとしての飢餓感なのだから。
 
 「まったく……マジで人間止めてるな俺…」
 
 思わず自分自身に苦笑しながら、俺はそっと右手を離し、そのまま眼を覆った。ぎしりときしむ椅子に身体を押し付けるようにして、暗闇の世界に逃げ込む。現実に逃げ込むような動作ではあったが、下腹部に走る疼きがそれを許してはくれない。はっきりと現実を突きつけるように、じわじわと迫ってきていた。
 
 ―…ここにアイツが居なくて良かった…。
 
 外れて欲しい結果だけに、アイツの休日に合わさるように調整したとは言え、今の姿はルドガーには見せたくなかった。いや…見たくなかったというべきか。そろそろ俺の身体も限界に近づいてきている。あの日からずっと傍に居た所為か、ルドガーがとても美味しく見えるのだ。匂いなんて芳醇で、腰が届けそうなくらいで、わずむしゃぶりつきたくなる衝動を堪えるのに必死になっている。そんな状態で、アイツが居たら本当に襲いかねない。
 
 ―…襲う…?俺が…ルドガーを…?
 
 それは寒気にも似た感覚だった。確かにサキュバス化してから既に一週間近くが経過してきて…女であることを受け入れられるようにもなってきた。けれど、それとセックスは別である。…そもそも俺は男としての経験も無いのだ。漠然とそれがいやらしいことであるというイメージしかない。しかし…今のこの飢餓感を何とかするにはそのセックスが一番だ。キスして、胸も揉んでもらって……くちゅくちゅのオマンコも弄ってもらって…感じすぎちゃって何度も絶頂する私の奥まで太い太いオチンチンでぐりぐりと犯して…子宮に精液をたっぷりぃ…♪
 
 ―な、何を考えてるんだ俺は…!?
 
 思わず浮んだその妄想を頭を振って振り払おうとする。しかし、それでは根本的な解決にはならないのは明らかだった。何せ俺の身体はもう大分、サキュバスの魔力に侵されている。本来、男の身体にあるべき精はもう完全に消えて、後に残ったのはサキュバスの魔力だけなのだから。初日が大丈夫だったのは恐らく俺の身体にまだ精が残っていたお陰なのだろう。
 
 ―だけど…それはもう無い。
 
 だからこそ、俺の身体は今、精を求めて唸り続けているのだ。本能も俺の思考を侵そうとじわりじわりと近づいてきている。さっきの妄想もきっとその一環だ。これらは俺が精を補給するまで続くことだろう。
 
 ―…ルドガー……。
 
 ふと浮んだ唯一の友人の顔。俺に接してくれる奇特で穏和な人物で、ずっと一緒に過ごしてきた男。その顔を思い浮かべるだけで俺の胸はきゅんと唸った。下腹部も欲しいと…彼の精液が欲しいと叫び始めて、疼き始める。下腹部の奥にある子宮からはトロトロとした熱い何かが漏れ出て、きゅっと股間に甘い感覚を走らせた。
 
 ―…は…ぁ…♪
 
 そしてそれに導かれるように俺の手が胸に伸びる。ここ数日でまた一回り大きくなったそれは既に並程度のサイズになっていた。勿論、サイズが増えた分、柔らかさも強く感じられるようになり、衣服やブラ越しでも、もにゅもにゅとした感覚を掌に返す。男の身体には決して無いその感触に俺は夢中になって、胸に指を埋め始めた。
 
 「あ…っ♪」
 
 瞬間、ジワリと胸に熱が弾ける。トロトロとしたその熱はまるで身体の中を伝って下腹部へと流れ落ちるようだ。しかも、通った後を中心にじわじわとした間隔を広げるのだから、性質が悪い。疼くようなその感覚に甘く息を漏らして、俺はもっとその感覚を味わおうとブラのホックに手を延ばし――机の上にある山ほどの文献を床に落とした。
 
 ―…いや、何をやってるんだ…。
 
 文献が落ちてくれたお陰で、俺の頭は冷静に戻る。…最近は一人になると万事が万事こんな感じだ。ルドガーが居れば疼きを抑えるのに必死で自分を慰める余裕なんて無いが、部屋に戻ったりして少し落ち着くと手が伸びてしまう。今まではそれを何とか途中で制御する事が出来たが、頻度も増えてきて、衝動も大きくなってきていた。以前は胸に触れるだけで正気に戻っていたのに、今日なんてブラまで外そうとしていたのだから。
 
 ―…このままエスカレートしていったらどうなるんだろう…?
 
 ふと浮んだその疑問。…勿論、それはやっぱり一つしかないだろう。完全に快楽を求めるサキュバスの本能に飲み込まれてしまったら、ルドガーの目の前で自慰してみせるくらいはしてのけるはずだ。何せ、それを心の何処かで望む俺も居るのだから。
 
 「…ルドガー……」
 
 助けを求めるように友人の名を呟いても、答える者は誰も居ない。唯一、俺以外でこの部屋にはいるとしたらルドガーくらいなものだが、アイツは今、休日を謳歌している。何をやっているかまでは知らないが、今頃、存分に羽を伸ばしていることだろう。もしかしたら…街へ出て俺以外の女と一緒に遊んでいるのかもしれない。ルドガーは顔も良いし、性格も良いのだ。俺さえ脇に居なければ魔物娘に逆ナンパくらいはされるだろう。
 
 「……はぁ…」
 
 その想像は余り考えたくなかった事だった。けれど、一度浮んだそれは中々、消えてはくれない。それを吐き出そうとするように俺はもう一度、溜め息を吐き、椅子を軋ませながら立ち上がった。そのまま大きく伸びをして身体の中に溜まるような淫らな気を搾り出そうとするが、やっぱりそんなものじゃ消えてくれない。
 
 「…とりあえず片付けはしないとな」
 
 自分に言い聞かせるように呟きながら、俺はそっと沸きへと転がった書類を拾い始めた。それらは主に女が魔物娘になるプロセスとアプローチを纏めた類の物である。サキュバス化の参考資料になるかと思って集めたが、同じ人間と言っても男と女ではサキュバスの魔力に対抗できる精を生産できるという能力で大きな違いがあり、あまり参考にはならなかった。
 
 ―ん……?
 
 そんな中に紛れ込んだ一冊の資料。そこにはある薬の事が書かれていた。それは魔物娘に広く流通している薬である。この研究所でも作られているそれは、疑似的な精を供給するものだ。中々、相手を見つけられない魔物娘の為に開発されたそれは現状で唯一の精の代替品でもある。…勿論、本物の精と比べて、苦い不味い美味しくないと大評判であるが。
 
 「…そう言えばコレがあったか…」
 
 現在、この研究所でも味の改良に全力を注がれているその薬を使えば、今のこの疼きを抑えられるだろう。そうすれば別に今すぐルドガーを襲うことは無くなるはずだ。そう考えると少しだけ安堵の溜め息が漏れ出る。しかし、どんどんとその価値観が変わり始めている俺は何れアイツを襲ってしまうだろう。その前に根本的な解決を――例えば男に戻るなどの方法を見つけなければいけない。
 
 ―…と言ってもなぁ…。
 
 変化して一週間。色々な方面からのアプローチを試みてきたが、分かったのは俺の身体は本当にサキュバスになっていると言う事くらいだ。とは言え、なりたてのお陰かその魔力はそれほど多くない。魔物娘は人間の精を受ける事でそれを魔力に変換し、より強力な固体に進化する傾向にある。これから先は別かもしれないが、とりあえず、今の俺はそう強力なサキュバスと言うわけではないらしい。
 
 ―…そもそも魔物娘の魔力ってなんなんだ…?
 
 こうして新薬として扱っているのである程度の知識はあるが、身体が完全にサキュバスになってからは特にそう考えてしまう。そもそも大雑把に言ってしまえば、人間の持つ魔力と魔物娘の持つ魔力は異なる。前者は精と呼ばれ、人間の男はこれを自前で作り上げるが、人間の女はその能力が若干弱い。そして、これら二つは相反する属性を持ち、魔物化はこの精が人間の身体から駆逐され、魔物娘の魔力に侵された事で起こる。けれど、そんな現象を引き起こすその膨大な魔力は一体何なのかまでは、俺の知るどんな本でも説明されていない。
 
 ―…じゃあ…逆に精を過剰に供給すれば、魔物娘の魔力を追い出せるのか…?
 
 ふと沸いたそんな疑問。しかし、どうにもその仮説には信憑性が薄い。何故なら人間の精は魔物娘にとって、何よりのご馳走でもあるのだ。それを魔力に変換して力にする彼女達の魔力を、過剰供給によって追い出せる…と言うのは、中々、難しいだろう。例えそれが可能であったとしても今の俺は完全に魔力によって今の状態に保たれているわけではなく、完全に変質している状態だ。塩水に着けて酸化した鉄をそこから引き上げても元には戻らないように、完全に精の生産能力を失った今の俺から魔力が抜けたとしてもサキュバスの身体のままだろう。
 
 ―そもそも……俺は男に戻ってどうしたいんだ…?
 
 今のままで十分、俺は楽しい。最近はお洒落にも目覚めて、私服の着回しを考えるのが中々、興味深いことにも気付いていた。ルドガーとの関係も良好で、最近はそこまで棘のある発言を吐かない。女子トイレに入るのは未だに慣れないが、それも最初の頃に比べればかなり躊躇いがなくなってきた。以前よりアイツと一緒に居るのが楽しくて、傍に居てもホモ呼ばわりされないし…今のままでも特に問題は無いんじゃないのか。
 
 ―…………いやいやいやいや、問題多過ぎだろ…!?
 
 そりゃ…サキュバスでなく、ただの女性化であればそう言えるしれない。しかし、今、この瞬間にも俺の価値観は変貌しているのだ。魔物化した女は何より身近な異性を狙うというし、俺も代替品ではなく、ルドガーそのものを狙う可能性が高い。そうならない為にも早く何とかする方法を見つけなければ……!
 
 ―……でも…もし……もし…俺の研究が無駄で…間に合わなかったら……。
 
 今もじわりじわりと襲うこの衝動に負けてしまったのなら、甘い甘いその精を貪ってしまったのであれば、俺とルドガーは恋人になれるだろうか。今も街中に溢れる魔物娘たちのように、あの夢のように、甘い甘い恋人になれるのだろうか。もし…もし、そうなのであれば…負けてしまうのも…そう悪くない事かもしれない。
 
 「…止めよう」
 
 考えれば考えるほどズルズルと悪い方向へと向かってしまう。…いや、サキュバスの魔力に侵された今、悪くは無いのか。どちらにせよ、男としての自分が駆逐され始めているのは事実だ。早めに何とかしなければ、俺がそれらに飲み込まれるのもそう遠い先ではないだろう。
 
 ―とりあえず…あの薬の過剰摂取を試してみるか。
 
 仮にも医療に関わる人間としてオーバードーズは忌むべき行為だ。どんな薬でも取りすぎれば劇薬になる。元々、それを想定した作りなどしていないのだから当然だ。そして、誰かを助ける為に作った薬を悪しき事に使われるのは、開発に関わった人間にとってはもっとも辛い行為である。…しかし、そうと分かっていても今の俺は他に打開策を見つけられなかった。
 
 ―…とりあえず事情を説明して、こっちでも作ってる新しい薬を試してみるか。
 
 流石にオーバードーズの件は伏せるにしても、話くらいは聞いてみるべきだ。その上で新薬を試させてもらえるのであれば、それも良い。魔物娘の気分によって精の味が変わるという特性をどうにかする為に、彼らとしても新しいデータを欲している筈だ。その実験台になると言えば、多少は罪滅ぼしになるかもしれないし。
 
 「まぁ、何はともあれ善は急げってか」
 
 そんな風に呟きながら、拾い集めた資料を机の上に戻し、小さく溜め息を吐く。こんな姿で他の研究チームと接触するのは怖いし、一人で誰かと話をするのなんて久しぶりだ。けれど、ルドガーがいれば決してこんなアプローチは許してはもらえないだろう。ならば、アイツが休みの間に話を終わらせておかねばならない。
 
 「よし。行くか」
 
 今や手足のように扱えるようになった尻尾でビタンと床を叩きながら、俺の脚は扉へと向かう。これから向かう研究チームに一縷の望みを託しながら、俺はゆっくりと研究室の扉を開いたのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ―…頭が重い…身体が熱い……。
 
 痛みはないが、妙に身体が熱い。まるで熱に浮かされているようだ。けれど、身体が重いわけでは決して無い。まるで頭の中に夢見心地が続いているように重く、思考が鈍いだけだ。今、自分が何処を歩いているのかさえ定かではないまま、俺はノロノロと歩いている。
 
 ―アレ…?俺…何をしてたんだっけ……?
 
 確か薬はちゃんと貰えた筈だ。研究者の常だけあってどんな研究をしていたのかと言う情報も沢山くれたが、今の俺からは殆ど抜け落ちてしまっている。勿論、かなり重要な情報なので覚えている筈なのに妙に思考だけが緩慢で、その情報を取り出せない。それでいて感情だけは素早く動いているので、もう良いやとあっさり諦めてしまう。しかし、身体はまるで行く場所を知っているかのようにしっかりと目的地に向かっていた。
 
 ―あー……あれぇ……?
 
 熱い身体がまるで跳ねるように廊下を歩く。外はもう夕日が落ちていて夜の帳が下りていた。勿論、この研究所でもそれは同じで、廊下はルーンの明かりが灯っている。時間はどれくらいなのだろうか。それさえも分からないまま、俺の脚は軽やかに『ソコ』へと足を進める。まるで迷いの無い動作に感情が首を傾げた瞬間、俺はある事を思い出した。
 
 ―…あぁ、そうか。これは夢だ。
 
 確か薬を貰ってそれを試そうと部屋に戻ったのだ。それから薬を飲んで、大きな眠気がやってきて…そのままベッドに倒れこむように眠ったのが最後の記憶である。けれど、俺の脚はまるで夢見心地の気分で『ソコ』へと向かっていた。それならば、これはきっと夢なのだろう。『俺』ではなく『私』と言う個性の。
 
 ―あはぁ…っ♪
 
 そう思うとさらに身体と心が軽くなった。最近は色々あって、この夢を見ていなかったからだろうか。あれほど嫌悪していたこの夢が今ではとても有難く思える。最近、ずっと自分を戒めたり、抑えつけたりの連続だったのだ。夢の中くらいは思う存分、衝動を解放しても罰は当たらないだろう。
 
 「うふふ…♪」
 
 そんな風に思うだけで軽く笑みが漏れ出てきた。よっぽど感情も溜まっていたのだろう。何処か色欲の強いその笑みに私の背筋にゾクゾクとした感覚を走らせる。思わず翼を広げて、上機嫌に尻尾を揺らしてしまうくらいだ。一瞬、そんな自分をはしたないかと思ったが、夢の中であるし、私が歩く廊下にも誰もいないので問題は無い。
 
 ―それよりも…早く彼の所に行ってあげないと…♪
 
 夢の中ではあるものの最近はご無沙汰だったのだ。きっと彼も性欲を溜め込んでいるに違いない。夢の中ではあるが、私はルドガーの恋人であるし、その処理も任せられているのだ。そして妙に律儀な彼は私以外で射精しないように普段は禁欲生活を行っている。私も男としての時期があるから分かるが、それは案外、辛いものだ。だからこそ、私が彼の恋人としてその処理をして上げなければいけない。
 
 ―ふふ…♪つーいた…ぁ♪
 
 そんな事を考えていると彼の部屋の入り口に到着してしまった。そっと中の様子を伺うが、人の気配は確かにある。どうやらルドガーは部屋の中に居るらしい。出かけていてもおかしくはないのに、擦違いにならなかった幸運に私は運命さえ感じる。しっかりと運命の赤い糸が結ばれているような感覚に、私の心は小躍りしながら、扉をノックさせた。
 
 「はーい」
 
 扉の向こうから聞こえるのは勿論、甘い甘い彼の声だ。私の恋人である彼の声は低音ではあるものの、何処か甘い響きを持つ。心地良いその響きに身を任せたくなったのは一度や二度ではない。実際、私はその声で囁かれるだけで身体の力が抜けちゃって身も心も捧げたくなってしまうのだ。
 
 「誰…ってリズか」
 「リズかってのは…中々、ご挨拶じゃない?」
 
 扉を開けた第一声は響きとは裏腹にぞんざいな物だった。折角、恋人が夜中に尋ねて来てあげたって言うのになんていう仕打ちなんだと思う。まるで友人に接するような応対じゃなく、強く抱き締めて耳元で愛の言葉くらいは囁いて欲しいものだ。…まぁ、私達の関係は研究所では秘密ではあるので、誰かに聞かれるような場所だとこういう対応も仕方ないのかもしれない。何をしていたのかは知らないが私服ではなく何時ものスーツ姿ではあるし、もしかしたらついさっきまで誰かと話をしていた可能性もある。
 
 「いや、悪かった。他意はなかったんだが…謝るよ」
 「ふふ…♪許したげる。それより上がらせてもらうわね」
 
 素直に謝る愛しい人にそっと微笑みながら、私は一歩踏み出した。それに応えて一歩引くルドガーに合わせるように、そのまま一歩二歩と踏み込む。後ろでガチャンと扉が閉まる音を聞いた頃には、私の鼻にオスの匂いが飛び込んできていた。
 
 ―ふわぁ…♪
 
 オス臭くて何処かツンと感じるのに…甘い甘いその匂い。それがこの部屋の中には沢山、こべりついていた。ずっとこの部屋で彼が生活しているからだろうか。私の部屋とはまるで違うその匂いに私の頭の芯がじっくりと溶け出していく。元々、セックスする気満々だった思考と心に火が入り、それだけしか考えられなくなってしまった。
 
 「な、何だよ…部屋にまで上がりこむなんて珍しいな」
 「あら…そうだったかしら…?」
 
 確かに言われてみればそうなのかもしれない。基本的に急な用事が無い限り私はルドガーの部屋に立ち入ろうとはしなかった。一日待てば彼の休暇が終わるし、基本的に研究室で一緒なので急でなければ問題は無い。けれど…まぁ、そんな事はどうでも良いのだ。もう完全に火が着いちゃった私にとって最大の優先事項は私と彼の性欲処理なのだから。
 
 「ふふ…♪でも…私が部屋に来る理由なんて…一つしかないわよね…?」
 
 そっと流し目を一つ送ってやると私の目の前で彼の咽喉がゴクリと鳴った。やっぱり大分、性欲を溜め込んでいるらしい。流し目一つで興奮した色がその顔に灯る。それは彼が私をそれだけ魅力的だと、好きだと思っている証左だろう。そう思うと私の身体の熱は制御出来ないものになり、そっと固まる彼の背に手を回した。
 
 「リ…ズ…?」
 「あんまり女に恥を掻かさないで…♪」
 
 甘く囁きながら、私はそっと背伸びをする。それだけで二周りほど違う私達の身長差は殆ど埋まり、唇が届くようになる。最近は寝ていないのかささくれ立っているルドガーの唇を見ながらそっと眼を閉じて、そのまま唇を押し付けるように送った。
 
 「ん…っ♪ちゅっ…♪」
 
 何処か官能的なその音は私の口から聞こえた。私たちは子供でも、初々しい恋人でもないのだ。幾夜も閨を共にした熟練のカップルである。一度だけ子供のようなキスをした後は、激しいソレに変わったとしても不思議ではない。そもそも私の目的は彼をセックスする事であるので…加速度的にそれは激しくなっていく。
 
 ―あはぁ…♪
 
 彼の唇を唇の裏側に取り込むように吸い上げて、くちゅくちゅと唾液を塗す。そのまま舌先で撫で上げるように愛撫してあげると彼の股間に熱い熱が灯り始めた。やっぱり彼も強い興奮を覚えてくれている。そう思うと嬉しくて嬉しくて、もっと気持ち良くしてあげようと唇に割り込むように私の舌が潜り込んだ。彼の口腔はやっぱり甘くて何処までも青臭い。けれど、それが私にとっては大好物と言っても良いくらいで……夢中になって私は彼の粘膜を舐め上げた。
 
 「う…ふぅん…っ♪」
 
 鼻で必死に呼吸を繰り返しながら、くちゅくちゅと淫らな音を間でかき鳴らす。それは彼の口の中の唾液を舌先で舐め取り、自分の唾液を絡めて粘膜に押し付けている音だ。まるで子供が遊ぶような単純なソレでも、私の身体はさらに興奮の色を強くする。その音だけでもセックスを彷彿とさせるものなのに、愛しい人の粘膜と触れ合っているという状況がそれをさらに加速させるのだ。それはもう我慢できないくらいで下腹部にトロリとした感覚を残す。思わず我慢するようにもじもじと内股を刷り合わせるが、それも余り効果はなさそうだった。
 
 ―ううん…我慢なんてしなくても良いのよね…♪
 
 だって、ここでは私と彼は恋人同士なのだ。その二人がこうして夜中に抱きあってキスをしているというのに、我慢をする必要が何処にあると言うのだろう。そもそも彼もムスコを硬くして私に応えてくれているのだ。ここで終わるなんて生殺しな真似は彼の為にも出来ない。
 
 「ひゅ…ん…♪…ふ…ぁぁ…♪」
 
 そんな気持ちを込めて、私はさらに強く身体を押し当てた。服越しでもしっかりと分かる彼の熱にまるで溶かされてしまいそうである。私の太股辺りにある熱いソレは今にもズボンからはち切れそうになっていた。太股が貫かれそうなその硬く熱い感覚が愛しくて私はそのままするすると太股を動かす。ゆっくりと上下に…そして左右に。まるで男を足蹴にするような愛撫の仕方に何時もとは別種の興奮を灯しながら、私はさらにキスに没頭した。
 
 「う…くぁ…!!」
 「きゃあ…!」
 
 しかし、それがどうにも気に入らなかったらしい。小さく呻き声をあげながら、ルドガーは私をそっと押し出した。いきなりの行動に小さく悲鳴を上げながらも私は倒れこむようなことはない。尻尾で軽くバランスを取る事が出来るので当然だろう。人の手よりも遥かに力強い尻尾に掛かれば、私の体重を支えるくらい造作もない事である。
 
 ―けど…どうして…?
 
 私たちは恋人同士であるはずだ。勿論、その関係は秘密であるけれど、別にキスしたって御咎めのあるような関係ではない。寧ろもっとセックスしてお互いに愛を深め合うべきだ。無論、私も彼もお互いを強く想い合っているけれど、まだまだその愛は高める余地があるのだから。それなのに、どうしてキスを、愛撫を拒まれたのか私には分からず、裏切られた感情を込めて彼を見据えた。
 
 「お、お前…なんかおかしいぞ…!」
 「…おかしい?私が…?」
 
 首を傾げて考えてみるが、別におかしくともなんとも無い筈だ。確かにその仕事上、こうして彼の部屋でセックスする機会は殆ど無かったけれど、それはたまたまである。お互いの休日には街へと連れ出てラブホテルで絡み合うようにたっぷりと愛し合ってるではないか。それなのにおかしいと言われるのは私としては正直、心外だ。ただ、彼と愛を深めようとしていただけなのに、どうしてそこまで言われなければいけないのか、と怒りさえ沸いてくる。
 
 「そもそもリズは私なんて言わねぇよ…!」
 「…??」
 
 ―それは『現実』の話でしょう?
 
 確かに『現実』の私は『私』なんて一人称は決して使わない。本来、男でも女でも使える一人称だけれど、まるで女である事を受け入れるようなそれを頑なに拒絶しているのだ。最近はそれも薄れ始めてきたが、それでも頑なに男らしい言葉遣いを意識している。しかし、それはあくまで『現実』の話だ。ここは『夢』の中であるし、そんな理屈は通用しないだろう。
 
 「…何を言っているのか分からないけれど…私は私よ?アナタの恋人のリズだわ」
 「こ、こい…びと…?」
 
 ―…なんでそこでそんな反応をするのかしら…?
 
 別に気が短いというわけではないけれど、特に温厚といわれるような性格はしていない。そんな私がキスを拒まれ、恋人である事を疑問に思うような反応を見せられればどうなるか。火を見るよりも明らかだ。さっきまでの甘い感情を全部、吹き飛ばして、怒りに塗り替えた私はその視線を殊更強いものにして彼を睨めつける。
 
 「…そう。そんな事を言うのね…」
 
 ―その声は自分でも思ったより遥かに冷たかった。
 
 私だってルドガーの事は大好きだ。愛していると言っても良い。けれど、そんな相手から明確に拒絶の反応を見せられたら、ちょっとくらい憎く思っても仕方が無いだろう。それくらい恋人として当然の権利だ。別に危害は加えるつもりはない。ただ…ちょっと私が恋人であることをその身に教え込んでやるだけだ。そんな風に思って、私は一歩、彼に近づき、その身体を一気にベッドへと押し倒した。
 
 「うわっ!」
 
 焦ったように暴れるが今更だ。弱いとは言ってもサキュバスの拘束から逃れる術は殆ど無い。彼が暴れるのにあわせて右へ左へと体重を移動させ、巧みに反抗をかわす。そのまま足で彼の股間を広げるように固定し、尻尾もそれを補助するように彼の腰へと巻き付いた。無論、彼の腕はそんな私を押しのけようとこっちへと伸びるが、そんなものよりも私の方が遥かに強い。無防備に延ばされたそれを掴みながら、私はその手をベッドに押し当てた。
 
 「くぅ…っ!」
 「ふふ…♪無様なモノね…?女相手に何の抵抗も出来ないでいる気分はどう?」
 
 冷たい声を降らせてやると、彼の顔が屈辱と羞恥の色に染まった。当然だろう。穏和とは言えルドガーだって男なのだ。ここまで言われてプライドが傷つかない筈は無い。しかし、反抗し様にも何も出来ないのが現実だ。何せ人間よりも遥かに強靭なサキュバスがその腕を、そして足を押さえつけているのだ。成り立てとは言え、サキュバスを押し返すのは並の人間ではまず無理である。
 
 「は、離せ…!この…!!」
 「あら…でも、ここはそうは言ってないみたいじゃない…?」
 
 冷たいそれを甘い声音に変えながら、私の尻尾は彼の股間をそっと撫でた。そこはさっきのキスからギンギンに膨れ上がっていて、まるで収まる様子を見せない。それも当然だろう。私とてサキュバスであり、その身体からは微弱な魔力が漏れ出ている。それは弱弱しいものではあるがこうして密着している状態で、男を冷めさせるような真似を許すはずが無いのだ。無理矢理、搾り取られる趣味があろうとなかろうとサキュバスにとって密着した時点で結果は変わらない。
 
 「押し倒されてこんなに熱くしちゃって…こんなのが恋人だなんて私…恥ずかしい…♪」
 「くっ…そ…!リズの顔でそんな事言うんじゃねぇ…!!」
 
 ―あぁ…なるほど。私じゃないって思っているのね。
 
 さっきまでの反応はかなり意外だったが、どうやら勘違いをしているようだ。どうして勘違いをしているのかは分からないが、ともあれ好都合である。別に私に寝取られや寝取りの趣味は無いが、自分相手であれば別だ。私が私以外の何者でもないことをその身に『上書き』してあげるというのも中々、興奮するシチュエーションかもしれない。
 
 「そのリズと同じ顔をする女に…アナタはこれからたっぷり精液を搾られるのよぉ…♪」
 「う…ぁぁ…っ!」
 
 その声と共に彼の腰に巻き付いた私の尻尾をそのまま股間へと降ろしていく。すべすべのサキュバスの尻尾はそれ自体がある種の吸精器官だ。下手なメスのアソコよりも気持ち良い尻尾はそれだけでオスを虜にしかねない。そんな尻尾で焦らすようにズリズリとされた彼のムスコがズボンの中でさらに膨れ上がる。後ろを振り返ってみると窮屈そうな様子が眼に入り、ちょっと胸が痛むけれど、これは御仕置きでもあるのだ。酷い事を言われた仕返しでもあるし、そう簡単に許す気にはなれない。
 
 「ほらぁ…どうかしら…?ただの尻尾でズリズリされる気分はぁ…♪アナタみたいなマゾ男には贅沢すぎる刺激かしら?」
 「こ…のぉ…!!」
 
 憎しみに近い感情を叩き付ける様なルドガーの表情にゾクゾクする。今まで私にむけられたことの無いその表情は、勿論、悲しい。私が私であることを分かってくれていないのだから、恋人であると認めてくれないのだから当然だ。けれど、同時に私のメスの本能はそれにきゅんと唸りをあげている。その顔を今から私への愛情と欲情に蕩けさせるのだと、彼が私以外の誰のモノでもない事をその身に刻み込んであげるのだと、そう思うと身体が熱くなって仕方が無い。
 
 「ふぁ…ぁ♪」
 
 吐息として逃がさなければ、内側から燃え上がりかねないその熱を吐き出しながら、私はさらに笑みを強くする。それを見た彼の顔に悔しそうな色が灯った。何せ何も出来ずに一方的に弄られる立場である。私はマゾの気質も強いので、それも大好物だが、彼はそうではないようだ。心底辛いその表情に私の良心がさらに疼く。
 
 ―…反省してるなら許してあげても良いかな…?
 
 御仕置きとしてはかなり中途半端ではあるものの、そこまで辛い表情を見せられると私も躊躇ってしまう。こうして上乗りになって彼の股間をズリズリとするのはサドの気質も併せ持つ私にとっては楽しいことだ。今の生意気な表情をどう歪ませてやろうかと考えるだけで胸が躍る。が、やっぱり私はマゾの気質が強いのだろう。心底、辛そうその表情を見るだけで許してあげたい気持ちが顔を出した。
 
 「私の事を好きだって…愛してるって言うのであれば…何時でも止めてもっと気持ち良くしてあげるわよ…?」
 「だ、誰っがぁ…ぁ!」
 
 しかし、出した助け舟は素直に受け取っては貰えなかった。当然だろう。彼はまだ私の事をちゃんと私であると認識してくれていないのだから。その誤解が解けていない状態で、助け舟に乗ってくるはずがない。そう思うと私の内心は喜びと…そして溜め息に溢れた。
 
 ―…結局、徹底的に弄って刻み込んであげるしか無い訳ね…っ♪
 
 歓喜を伴ったその感情に私の胸が跳ねるように躍る。良心の呵責はもう無い。何せ最後の助け舟はもう出してしまったのだから。後はそれに乗るも乗らないのも彼次第。そこから先は彼自身の自己責任であるし、私が痛みを感じる必要は無い。そう思うと軽くなった私の心がサドへと傾く。そして、一気に振り切れた心のメーターに引っ張られるように、私の思考はルドガーを弄る言葉を幾つも紡ぎだした。
 
 「そう…♪やっぱりアナタはマゾ男なのねぇ…そんなに尻尾に扱き上げられたいのかしら…?」
 「ち、違っ…!」
 「違う…?こんなに大きくして何を言っているのかしら?ズボン越しでもはっきりと熱いのが分かるくらいなのに…♪」
 
 実際、彼のムスコはこうして弄られているというのに、まったく治まる気配を見せない。ソレは勿論、サキュバスの魔力の影響も強いのだろうが、彼自身の興奮もそこに混じっているのだろう。でなければこれだけ狼狽した様子を見せる事は無いはずだ。
 
 ―なぁんだ…アナタもこうして苛められたかったのね…♪
 
 今まではずっとケダモノ染みたセックスばかりをしてきたので分からなかった。けれど、私は今、彼の性癖の一つを理解したのである。それが彼を愛するメスとして、とても嬉しい。それを自分が理解して、尚且つ応えられる素質があることが、子宮が唸るくらい嬉しいのだ。
 
 ―あ…やばい…漏れて来ちゃった…♪
 
 尻尾にもしっかりと感覚が通っている為、彼のムスコを扱き上げる感覚は私にも伝わっている。それは勿論、セックスする気満々で熱が灯った私の子宮にも届き、さっきからドロドロと愛液を溢れさせている。さらに自分で自分から寝取るという背徳的なシチュエーションと、彼を上書きするという未来に期待を感じて、膣もきゅっと収縮していた。子宮から漏れ出た愛液が収縮する膣に収まりきらなくなり、私の下着にじくじくと染みを広げ始めている。今の私は寝た瞬間をそのまま引き継いだようなスーツ姿だ。その為、そう簡単には彼には伝わらないと思うが、ねばねばとした感覚が太股の付け根にまで広がっている辺り、何時バレてもおかしくはないだろう。
 
 「ふふ…ほぉら…♪ずぅりずぅり…♪」
 「う…あぁ…っ!」
 
 声に出してリズム良く扱いてあげると陶酔の色を強く混ぜて彼が私の下で呻いた。その顔色には欲情の色が強く混ざり始めている。どうやら表情に出るのを抑えきれるレベルではなくなってきたらしい。こうなると…男は早い。もう私の手に堕ちるのも時間の問題だろう。
 
 「あは…♪そんなに気持ち良さそうな顔して…そんなに尻尾にズリズリされるのが気に入ったのかしらぁ…?」
 「だ…誰が…!こんな…こんなの…でぇ…!!」
 
 ―それでもまだ反抗する気力はあるみたいね…♪
 
 欲情をその顔一杯に溢れさせているというのに未だ抵抗する気力を見せる彼に胸がきゅんと高鳴った。それだけ私の事を思ってくれていると思うと嬉しくて仕方が無い。そんな彼を私色に染め上げるのだと考えるだけで興奮して仕方ない。それだけの気力を見せる彼を私に寝取られると思うと子宮が疼いて仕方ない。そんな倒錯的な感情を抑えきれなくなった私は彼の腕から手を離し、自分のシャツのボタンを外し始める。もっと興奮させて私の虜にさせてやろうと、それだけを胸に私は真っ白なシャツを脱ぎ捨て薄緑色のブラと素肌を彼の眼に晒した。
 
 「ほらぁ…♪どうかしら…?アナタも大好きなやわらかぁいお胸よぉ…♪」
 「は…ぁぁ…」
 
 男としての性だろうか。顔一杯に興奮を表す彼の咽喉がゴクリと鳴る。毎度毎度、犯している最中にたっぷりと揉みまくっていたからかなり好きだと予想はしていた。けれど、反論も無いくらい見入ってくれる程とまでは想像していなかったのである。予想していたよりも遥かに大きな効果に私の胸はきゅんきゅんと唸って止まらない。視線の先ではむくむくと起き上がった乳首がブラの中で窮屈さを訴えているくらいで、今すぐにでも彼の揉んで欲しいと思うくらいだった。
 
 ―でも…それじゃあ御仕置きにならないわよね…。
 
 あくまでこれは御仕置きであるのだ。大好きな彼の胸を手を出させてしまえば、それは御仕置きにはならない。勿論、私はそれを望んでいるけれど、目的と言う奴を見失ってしまっては本末転倒だ。彼が素直になってくれれば幾らでも愛撫して貰えるし、今は我慢するべきだろう。
 
 「ふふ…♪そんなに見つめちゃって……そんなに恋人の胸が気になるかしら…?」
 「う…あ……そ、そんな訳あるか…!!」
 
 ―ふふ…もう恋人って部分は否定しなくなってきたのね…♪
 
 まだまだ素直じゃないとは言え、興奮は冷静な思考能力を奪っているようだ。否定しないどころか自由になった腕で私を突き飛ばしたりもしない。流石にまだ私が恋人であると言う事を受け入れてくれたわけじゃないだろうけれど、その様子に手応えを感じて思わず微笑んでしまった。けれど、彼はそんな私を見ていられないと言わんばかりにそっと目を背けた。別に眼を背けられるほど酷い顔はしていないと思うのに…失礼な男である。
 
 ―まぁ、それなら…こっちを見させるだけよ…♪
 
 元男だけあって男の心理はある程度、把握しているのだ。彼がどう思っているかまでは詳しく知る事は出来ないけれど、その衝動くらいは理解できる。まして相手は長年連れ添った恋人であるのだ。全てとは言わなくとも、その心の動きのほとんどは私には手に取るように分かる。そんな事を考えながら私の手はそっと後ろ手に回り、そっとブラのホックを外した。薄緑の拘束具から解放された私の胸はふるんと小さく揺れて、彼の目の前にその全容を晒す。
 
 「…っ!!」
 
 それを視界の端に捉えたのか驚いたような眼で彼がこっちを見てきた。しかし、その視線には驚愕よりも欲情が色濃い。まるで突き刺すようなそれに背筋にゾクゾクとした感覚が走った。他の男ならば死んでも御免であるが、愛する男の欲情の視線はたまらなく気持ち良い。思わず熱の篭った溜め息を漏らしながら、私は谷間を作るようにその胸を小さく寄せた。
 
 「どうかしら…?最近、結構大きくなってきたのだと思うんだけれど…♪」
 「う…あぁ…」
 
 その光景に圧倒されたのか小さく呻き声を上げるだけで彼は応えてはくれない。それがちょっと不満だったけれど、どうやら興奮してくれているのは確かのようだ。脱いでいる最中も常に動いている尻尾から感じる感覚はさらに熱く、逞しいものに変わっている。はっきりとした怒張に変貌していたはずのそれは、まるで射精前のようにさらに一回り大きくなっているのだ。
 
 「私の事を愛してるって言ってくれたら…これも思う存分触れるのに…残念ねぇ♪」
 
 からかうように言いながら、目の前で軽く自分の胸を揉みしだいた。今や並程度の大きさになったそれがふにふにと私の掌の中で形を変えて揺れる。その愛撫にビリリとした快感を感じるがここで負けるわけにはいかないのだ。別に私は快感を感じるのが目的ではない。彼がそれを手に入れたくなるように、私を愛していると言ってくれるように、その魅力を余す所無く伝えるのが今の目的であるのだから。
 
 「柔らかくて…ぷにぷにの胸…♪勿論、サキュバスだから肌もすべすべで…とっても気持ち良いのにねぇ…♪」
 「…う…うぅ……」
 
 きゅっと乳首を指の合間から突き出すように強く押し込む。それだけでビリビリとした感覚が跳ねて、私の思考が快楽に染まりそうになってしまう。今まで何度も味わってきた筈なのにまるで初めて味わうような感覚に、私は一瞬、戸惑いを覚えた。しかし、それも溢れ出る興奮と倒錯感に飲み込まれてすぐに消えてしまう。
 
 「どう…?この胸…触りたくないかしら…?」
 「さ…触り…たい…!」
 
 ―うふふ…堕ちちゃった…ぁ♪
 
 ついに歩み寄ってきてくれた彼の様子に今までとは比べ物にならない寒気が身体を襲った。彼を手に入れるという感覚に私の背筋どころか全身が泡立って止まらない。まるで全身が興奮しているような様子に一瞬、その思考を本能に委ねようとしてしまうが、何とかギリギリの所で手綱を繋いだ。ほぼ堕ちたも同然だが、ここで終わるわけにはいかない。ちゃんと締めてこそ、御仕置きは完遂する。それまでは欲情や本能だけに身を任せ、セックスする訳にはいかないのだ。
 
 「それなら…何を言うべきか分かるわよね…?」
 「う………くぅ…!!」
 
 甘く囁くような声に彼はまだ迷うような色を見せた。触りたいと欲望を露にした時点でもはや負けているも同然だというのに、往生際の悪い。けれど、そんなギリギリまで諦めない彼に、じわりと愛情が沸き上がってくる。それは嗜虐的な色を含んでいる歪んだものだったけれど、私の胸を包んで暖めてくれた。
 
 ―…仕方ない。後押しをしてあげましょうか…♪
 
 このまま堕ちるのを待ってあげるのも良いけれど、私もちょっと我慢できなくなってきてしまった。さっき湧き上がった愛情が今すぐ彼に好きだと言わせろと叫び続けている。子宮ももう我慢できないようでさっきから愛液を垂れ流しだ。今や下着はもはや濡れた布であり、愛液を抑えるのに何の役にも立っていない。彼がもう限界のように…私自身ももはや限界に達しているのだ。
 
 ―似たもの同士って考えるとそれも悪くないかな…♪
 
 限界を迎えるのも一緒であるという事に再び運命を感じながら、私はそっと上体を倒した。未だベッドに横たわる彼に胸を押し付けるように近づいてく。それにルドガーは困惑した色を浮かべたが、拒絶するつもりは無いらしい。腕は未だにベットに伸ばされたままで微動だにしていなかった。
 
 ―ふふ…可愛い人…♪
 
 消極的ではあるが私を受け入れる様子を見せる彼に思わずそんな事を思ってしまう。男のプライドとしては、それが限界なのだろう。嗜虐的な私の部分はそんな下らないプライドごと砕いてしまえと言うが…それは流石に可愛そうだ。それに私としては女王に仕える奴隷のような男よりも、メスを貪る誇り高いケダモノのような男の方が良い。その為にもプライドを多少傷つけても、それを砕くような真似はするべきではないだろう。
 
 「ふぅぅぅ…♪」
 「うわぁぁ…!」
 
 そのまま状態を倒して密着した状態で彼の耳に甘く息を吹き込んでやる。私の興奮の色がたっぷり詰まったそれを敏感な耳に受けて、彼の腕がびくっと反応した。けれど、やっぱり私を跳ね除けたりはしない。そんな彼に小さく微笑みながら、私は甘い甘い…まるで蕩けるような声で彼の耳元に囁き始める。
 
 「私…アナタの事好きよ…愛してる…♪」
 「う……」
 「ずっと恋人同士だったんだもの…当然でしょ…?」
 「こい…びと…?」
 「そう…♪私たちはずっとずっと愛し合ってきたのよ…?だから…愛してるって言っても問題無いの…♪」
 
 ―甘い甘い魔性の囁き。
 
 彼に最後の良い訳を与える為のそれだが…別に嘘ではない。『私』はずっと彼と愛し合ってきた恋人であるし、たっぷり愛を囁き合ってきたのだ。それを今更、遠慮する方がどうかしている。そう。間違っているのは私じゃなく、彼の方だ。
 
 「リズ…俺は……」
 「なぁに…?」
 
 甘い声で囁きながら、つぅっと逞しい胸板を指先で撫でてやる。もう限界だったのだろう。それだけでビクンと身体を大きく揺らせて反応する。そんな彼が愛しくて、トロトロで粘つくような熱いため息が漏れ出た。
 
 「――す、好きだ…!愛してる……!」
 「ふふ…♪良く出来ましたぁ…♪」
 
 やっと堕ちてくれた私の恋人に微笑みかけながら、その髪をそっと撫でてあげる。何処か固いその感触はチクチクと手先を突くようだ。けれど、それが今は愛おしい。いや…彼の全てが愛しくて仕方が無い。
 
 ―あぁ…何度味わっても…この感覚は素敵…♪
 
 私の手の中に大好きな大好きな彼が堕ちてきてくれる感覚。それはまるで初めてのような鮮烈さを伴って、私の胸に刻み込まれる。全身が喜んで、愛しくて…苦しくて、切なくて…悦んで、溶けていく感覚。ようやく自分の事を認めてくれたという女の歓喜と、自分自身に彼を奪われてしまったという恋人としての苦しみと、アレだけ抵抗した彼を私自身で上書きしたというメスの喜悦が交じり合ったそれは私の頭の芯をドロリと溶かし始める。溶け出すそれが何なのか私自身にも分からないまま、私の手は彼の腹筋をなぞるようにして下腹部へと降りていった。
 
 「さぁ…脱ぎ脱ぎしましょうねぇ…♪」
 「ぬ、脱ぐのは自分でやるから…!」
 
 けれど、ベルトに手をかけようとした辺りで彼の手に止められてしまう。流石にそこまでは気恥ずかしいようだ。…別にこのままズボンを無理矢理引き摺り下ろしてあげてもいいのだけれど、折角愛してるといってくれたのだし、怒っていたのはそれでチャラになっている。これ以上、プライドを刺激してあげるのも可哀想だし、ズボンを脱ぐ権利くらいは譲ってあげるべきなのかもしれない。
 
 ―それに…私も早くしたいし…♪
 
 どの道、私もまだ下半身はスーツを着込んだままだ。セックスするには私も服を脱がなきゃいけない。けれど、私はもうさっきから期待と興奮で今すぐにでも襲われたいくらいなのだ。その欲情はもう一分の遅れさえ許せないような激しく、強いモノになっている。ここで変に意地を張って二人分の時間をかけるより、一人ずつの時間の方がよっぽど良い。
 
 「じゃあ…お願いね…♪」
 「あ、あぁ…」
 
 顔を赤くしながらルドガーはそっと目を背けた。どうやら脱がされるのはよっぽど恥ずかしかったらしい。夢の中ではもう何度もやっているというのに初心な人。…まぁ、そんな所が可愛らしいのだけれど…♪そんな事を考えながら、私はそっと腰を浮かせて、彼の身体を尻尾からも解放する。そのまま自分のズボンにベルトに手をかけて解き、中の下着ごと一気に下へと降ろした。
 
 「う…あ……」
 「うふふ…♪」
 
 一気に露になった私の股間にルドガーの視線が集中する。幼い少女のように一本の恥毛の生えていない艶やかな恥丘が、それを感じてぴくぴくと震えた。ぴっちりと閉じている陰唇の奥ではまたドロリと愛液が溢れて、粘膜の中に納まりきらないソレらが陰唇の隙間から糸を引くように零れ落ちる。それは、とてもとても…淫らな光景なのだろう。さっきまで視線を背けていた彼がまるで何かの病気のようにそこを見つめて、腕も動かさないのだから。ただ、ハァハァと熱い息を吐き出しながら、私のメスの部分に執着を見せるその様子は何処かケダモノ染みた色をしていた。
 
 ―でも……ね♪
 
 何度も言うが、私はもう限界だ。さっきからずっと疼きっ放しの私のオマンコをゴリゴリと逞しいモノで責め立てて欲しい。そして、その甘くて苦いオスの精液を子宮で一杯、味あわせて欲しい。その為にはもう数秒の遅れさえ致命的なのだ。そこまで私の身体に熱中してくれるのは嬉しいけれど、今はそれが辛くて仕方が無い。そんな事よりも早くズボンを脱いで、私を心行くまで交わって欲しいのだ。
 
 「…オジャマしまぁす…♪」
 「う…り、リズ…!?」
 
 動かない彼に痺れを切らした私はそのままズボンを投げ捨てるように脇へと飛ばしながら、再び彼の上へと馬乗りになる。そのまま尻尾を彼の腰に巻きつけるようにしながら、その腰を浮かせて彼のベルトに手を掛けた。この期に及んでまだ抵抗しようとするルドガーの主張からは目を背けつつ、私はそのままズボンを解放して同じように一気に引きずり降ろす。
 
 「ふわぁぁ…♪」
 
 瞬間、私の鼻先に一際強いオスの匂いが突き刺さる。嗅いでいるだけでメスの本能を刺激されるようなそれに思わず視界が蕩けた。ズボンの中で熟成され、射精する寸前なのか先走りを漏らし続けるそれに私はもう興奮した身体が抑えきれなくなる。ハァハァとケダモノのような吐息を吐き出しながら腰を進めて、天を突くようなそれに向かって一気に腰を下ろした。
 
 「〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!」
 「うあぁぁ…!!」
 
 ―そして衝撃。
 
 あんなに濡れていたのにどう言う事なのだろうか。私の膣はまるで初めてのようにゴリゴリと押し広げられて、鮮烈な痛みさえ感じさせる。長い間、してなかったから少し狭くなってしまったのだろうか。けれど、そこまで期間をおいたはずはない。そもそもこれは夢であって…痛みとは無関係の筈なのだ。
 
 ―で、でもぉ…っ♪
 
 黒光りした太い幹にゴリゴリと押し広げられる感覚は確かに苦痛だ。だけど、それ以上にとてつもなく気持ち良い。やっぱり私はマゾ寄りなのだろう。まるで処女穴を無理矢理、蹂躙されるような感覚に電撃にも似た寒気を背筋に走らせる。視界は溢れる快感に揺れて、焦点が定まらない。あまりに激しい快感に腰を止めようとしても、あっさりと抜けてしまった腰がそれを許さない。私の自重を思いっきり使ってズルズルと愛液塗れのオマンコに彼のオスを銜え込み続けるのだ。
 
 「あぁぁぁ…っ♪ふわぁぁ…っ♪」
 
 無慈悲で甘いその蹂躙に快楽の吐息を吐く私の下で、ルドガーが苦悶の表情を浮かべた。私自身、これだけ押し広げられるような感覚を味わっているのだから彼の味わう締め付けも相当なものだろう。今すぐにでも射精してもおかしくはないくらいの怒張であってし、もしかしたら射精でも堪えているのかもしれない。
 
 ―ふふ…無駄なのに…♪
 
 どれだけ快楽を堪えてもサキュバスのオマンコから逃げられるはずが無い。一度味わえばオスを虜にして一生手放さない魔性の膣なのだから。そんな中で必死に快感を堪えたとしても結末を――私に精液を一滴残らず搾り取られるという結果は何も変わらない。
 
 ―でも…私…もぉ…♪
 
 ゾクゾクと湧き上がる快感はもう堪えきれないものになっていた。まだ不器用な挿入の途中だって言うのに子宮がきゅんきゅんと唸って、ドロドロの熱を吹き上げる。まるでマグマのようなそれはあっさりと私の身体中に波及して、私の視界を真っ白に染め始めた。それを意識した瞬間、電撃のような快楽が身体中に走って私の意識をふわりと浮き上がらせる。
 
 「んぁああああああああっ♪」
 
 ―イッてるぅ…♪私、ゴリゴリされてるだけでイッてるよぉ…ぉっ♪
 
 それは紛れも無くメスの絶頂であった。だけど、それもまるで初めて受け止めるように私の脳裏に刻み込まれていく。オスとは違って何処までも際限なく上がっていくようなメスの快楽。それに甘い叫び声を上げながら、二度と忘れないように何度も何度も波が寄せてくる。それに流されるように子宮もズルズルと降りて、オチンポに陵辱される瞬間を心待ちにしているようだ。
 
 「きゅふぅ…♪」
 
 そして、何度も何度も押し上げられるような絶頂感に私の腰がガクガクと震える。前後左右と軸をずらし続ける様なそれに私の膣がさらに蹂躙されるのだ。真っ赤な熱を灯す亀頭が処女穴のような不器用なオマンコの壁に押し付けられ、ゾリゾリとそこを削り取っていくよう。その感覚に甘く唾液を漏らしながら、私の腰はついに最奥まで降りきり…子宮口と亀頭がぶつかってコツンと言う音を立てた。
 
 「ひっ♪♪♪」
 
 それは今までとはまるで隔絶した感覚だった。ボルチオ。メスとしてクリトリス、Gスポットと並んでもっとも敏感なメスの部分。その知識は私にだってある。けれど、それは余りにも今までと異なっていた。今までは純粋な快楽だけの快楽だとすれば、それは身体を溶かしだす熱の篭った蕩悦だろうか。身体中が溶けてしまいそうなその熱と快楽がそのまま筋肉の口を通って、子宮に注がれていくのだ。それは勿論、私のアクメに新たな色をつけ、私の意識をさらなる高みへと押し上げていく。
 
 「ひぅぅぅぅぅぅっ♪ひゃああああああああぁぁぁっ♪」
 
 ―止まらない止まらない止まらないぃぃぃっ♪
 
 アクメが絶頂が止まらない。今までのような途切れ途切れのものではなく、本当に終わらない。止まらない。絶頂の中で絶頂を迎えて、まるでそらに浮かび上がっているようだ。あまりの快楽に霞がかった意識が身体からドンドンと離れていく。しかし、感覚だけは確かに繋がっていて思い通りにならない身体からアクメの波を叩き付けられ続けていた。
 
 ―あぁぁぁっ♪来るぅ…っ♪またアクメ来るぅぅぅぅっ♪
 
 身体中が溶け出すようなその熱は私の身体からさらに力を奪って止まらない。今の私は腰を痙攣させるだけの力しか残っていなかった。けれど、それで私の身体は十分すぎるほど感じている。コリコリと何処か不慣れだった子宮口もその熱に炙られ、まるで唇そのもののような柔らかい部位へと変貌していた。そこはもう快楽を感じ、精液を引き出すための器官となっているようにちゅるちゅると亀頭に吸い付いてオネダリを開始している。そして柔らかくなったボルチオから感じる快楽がまた私を絶頂へと引き上げ、閉じることも出来ない口から唾液を零れさせた。
 
 「う…ああああああっ!!」
 「ふあぁぁぁぁっ♪…や…ぁ…っ♪また大きくぅぅぅっ♪」
 
 そんな私の中でさらにオチンポが大きくなった。何度もアクメを迎える中でようやく慣れ始めたオマンコが、彼に大きな快楽を与えているのだろう。絶頂の締め付けとの相乗効果もあるのかさらに一回り大きくなった。今や私の手よりも遥かに敏感なオマンコは膨れ上がった亀頭の凶悪的なカリ首が分かる。そんな凶悪な代物にもし、犯されたらどうなるのか。そんな期待が私の胸に過ぎる。
 
 ―お、犯されたい…っ♪思いっきり…ケダモノのように犯されたいぃ…っ♪
 
 そう思った瞬間、ドクンと大きくオチンポが跳ねた。壊れたのかと思うほどの脈動の後に、私の子宮口に向かって熱い何かが送り込まれ始める。無防備にそれを受け入れる子宮が火傷しそうなくらい熱の篭った悦ぶようにじゅるじゅると吸い上げた瞬間、私はそれがルドガーの精液であることに気付いた。
 
 ―ふぁぁぁ…♪精液ぃぃぃぃっ♪
 
 子宮に注がれるその白くてドロドロの液体はやっぱり他の何物と比べ物にならないくらい美味しい。私がそれを主な食料とするサキュバスであると言う事も関係しているのだろう。今まで食べたどんな食べ物よりも芳醇で甘い愛しい彼の精液の前では、どんな食事も味気なくなってしまうに違いない。
 
 ―美味しいっ♪それに気持ち良いぃぃっ♪
 
 勿論、そんな精液を吸い上げる子宮口は敏感な性感帯だ。大きい彼のオチンポでは決して届かないその内部をじゅるじゅると精液が駆け上がっていく感覚はさっきとは比べ物にならないくらい気持ち良い。子宮がようやく精液を手に入れたという充足感も相まって、私の身体は強い幸福感に満ちた絶頂を感じていた。そしてそれを受ける私の身体は快楽を感じる以外の機能を捨て去ったようにして、子宮から送られる絶頂を享受している。
 
 「ふ…あぁぁ…♪」
 
 けれど、そんな瞬間はそう長くは続かない。何せ彼はインキュバスでもなんでもないただの人間なのだ。その射精は長くて一分程度が限度だろう。そして、それが終わってしまえば少しの間のインターバルが必要だ。
 
 ―でも…ぉ…♪
 
 そのインターバルさえ今の私には惜しい。だって、私はまだまだ満足してはいないのだ。ようやく手に入れた精液の味を覚えたばかりなのだから。子宮は愛しいオスの精液をもっと寄越せとさっきからうるさいくらいに主張している。けれど、快楽で腰が抜けてしまった今の私には腰を動かすことも出来ず、快楽の余韻できゅっきゅとオマンコを締め付けて精管に残る精液を搾るくらいしか出来ない。それでもしっかり快楽を感じてくれているのかピクピクと震えるけれど、やっぱり絶頂に至るには足りないようだ。
 
 ―あぁ…足りない…っ♪足りない足りない足りない足りないっ♪♪
 
 飢えにも似た感覚を感じるのは仕方ないだろう。だって、私はもう世界で一番、美味しいものを味わってしまったのだ。これ以上無い最高のモノを知ってしまったのである。それが手が届くほどの近くに存在するというのにどうして我慢できるだろうか。ただでさえ私はここ一週間ほどずっと飢え続けてきたのだ。一度や二度の射精程度で我慢出来るはずが無い。
 
 「犯し…てぇ…♪ルドガーぁ…私をぉ…たっぷり犯して…ぇ♪」
 「リ…ズ……?」
 「良いからぁ…♪どんな激しくしても良いからぁぁっ♪壊れるくらいたっぷりぃ…犯してっ♪子宮で精液飲ませてぇぇぇっ♪」
 
 そして我慢できなくなってしまった私はついに彼に向かってオネダリを開始する。犯して欲しいと激しくしてと壊れるくらい犯してと不器用なまでに淫らな言葉だけを並べて求め続ける。けれど、思考が快楽で上手く働かない今の私には駆け引きなんて出来る筈も無い。まるで子供がダダをこねるように犯して欲しいと叫ぶしか方法は残されていなかった。
 
 「リズ…リズ…!!」
 「ひゃんっ♪」
 
 そんな私に応えてくれるように、下から彼が思いっきり突き上げてくれる。力強い腰捌きでズンズンと跳ねさせるようなそれに私のボルチオと亀頭がぶつかり合った。けれど、諦めの悪い子宮口はその動きに対抗するようにずっと彼の鈴口周辺に吸い付いている。じゅるじゅるとまるで蛸の吸盤のように甘えながら、恥骨との間で衝撃が震えるような感覚に私はまた絶頂の波へと浚われた。
 
 「ひぅっ♪ひゃあああんっ♪」
 「リズ…リズ…!なんてエロい…エロいんだ…!!」
 「あはぁ…♪だって…だって仕方ないじゃない…っ♪こんな美味しいの知っちゃったら…気持ち良いの知っちゃったらぁぁ♪誰だってエロくなっちゃうぅ…っ♪」
 
 甘く囁くそれは紛れも無い私の本心だった。何度も何度もこれらの感覚は味わっているはずなのに、まるで初めて味わったように新鮮で止まらない。快楽で痺れるような脳髄にももうしっかりとこの感覚は刻み込まれている。もうこれ無しでは生きていけない。そんな事を思うくらい、それらは余りにも甘美で…かつ高い中毒性を持っていた。
 
 「それともイヤ…?えっちな私はぁふわぁっ♪…嫌いぃ…?」
 「そんな訳…あるかよ…!」
 「嬉しい…っ♪♪」
 
 媚びるような私の言葉を否定しつつ、ガンガンと彼が突き上げてくれる。それが身体ごと蕩けてしまいそうなくらい嬉しい。こんな淫乱な私もちゃんとルドガーは受け止めてくれる。愛してくれる。その感覚が胸の中から暖かい感情を湧き上がらせて止まらない。愛情と歓喜が混ぜこぜになったそれは身体が溶ける様な会館の中でも確固として私の中に残り、快楽とは別種の癒すような暖かさを身体中に伝えてくれる。
 
 ―ふ…わぁぁ…♪
 
 強い快楽にささくれ立つような神経がその優しい熱で癒されていくようだ。けれど、それは快感が減っているというわけではない。逆に私の身体を襲う快楽は加速度的に増えていっていた。全身に波及する熱が快楽神経の補助でもしているのだろうか。より鋭敏になった全身が、まるで貪るように快楽を受け止めている。
 
 ―もぉ…♪限界ぃ…っ♪
 
 さらに膨れ上がる悦楽にもう我慢できなくなってしまい、私の状態は彼に向かってそっと倒れた。今までは何とかバランスが取れていたが、子宮口で感じる衝撃と胸から溢れる感情がそれさえも許さない。勿論、上体を起こす体力はもはや私には無く、ルドガーに身体を預けてその力強い突き上げを受け止めるだけだ。
 
 「んぁぁ…♪るど…がぁ♪るどがぁぁ…っ♪胸もぉ…胸も弄ってぇぇ…っ♪」
 
 甘い声で彼の名前を呼びながら、そうオネダリする。勿論、彼に倒れこんだ上体では胸を弄れる筈もない。けれど、さっきからきゅんきゅんと乳首の先が疼いて仕方なかったのだ。さっきのオナニーシーンでも、触ってもらえなかったソコは今も不満そうにズキズキとした疼きを主張している。けれど、それを身体の動かない私に止められる術は無く、淫らな言葉でオネダリするしかない。
 
 「あぁ…!触る…ぞ!リズの胸…!俺の恋人の胸ぇ…!!」
 「あはぁ♪うんっ♪触ってね揉みくちゃにしてねっ♪アナタの手で一杯、育ててぇぇっ♪」
 
 そのオネダリに応えてケダモノ染みた言葉と共に彼は強引に私の身体を持ち上げた。そのままぎゅっと力を込めるようにして私の胸を揉んでいく。もはや理性は飛んでいるのか乱暴なその愛撫に遠慮はない。ただ胸の感覚を味わおうとするだけのケダモノのような愛撫だ。けれど、今の私にはそれが嬉しい。愛おしい。それだけ私の事を求めてくれているのだと愛してくれているのだと、そう思うだけで私の胸から溢れる熱はさらに加速するのだ。
 
 「ふぁぁっ♪熱いぃ…っ♪もっと…もっとぉ…っ♪」
 「あぁ…!あぁ…!!」
 
 そう頷きながら彼の手がさらに強く私の胸に食い込む。中央に寄せて何度も何度も谷間を作るような愛撫。それでいて乳首も両手の指で押しつぶすようにぎゅっと苛めてくれる。僅かな痛みさえ感じるそれに一瞬、眉を顰めるが、それも胸から溢れ出る熱と快楽にあっさりと飲み込まれてしまった。勿論、こうして胸を触っている間もルドガーの腰は止まってはいない。私の身体を浮き上がらせるように下から何度も何度も突いている。
 
 「ひぅぅぅっ♪んきゅぅ…っ♪」
 
 子宮と胸。その二つから味わう感覚に私は何度も甘い言葉を漏らす。それを止めるどころか、口の端から零れ落ちる唾液さえ止める余裕が無かった。興奮の所為か愛液にも負けない粘性を伴った唾液が零れ落ちて、彼の身体を染めていく。ルドガーの身体を穢すような光景にさえ私は強い興奮を覚えていた。
 
 ―…あ、いや…涎だけじゃなくてぇ…♪
 
 彼の上で脱力した身体を晒す私の目尻からは何時の間にか涙が溢れていた。それが興奮と欲情で赤く染まった頬を伝い、唾液と共にぽつぽつと落ちていく。何故、私は泣いているのか。気持ち良いのに、嬉しいのに、その中で失われている何かがそのまま涙になっているようにそれは止まらない。けれど…今の私にはそれさえも快楽の燃料でしかなかった。
 
 ―ふぁぁんっ♪私…変わるぅ…っ♪彼に染まっちゃう…ぅっ♪
 
 夢の中の出来事の筈なのに、私の譲ってはいけなかったはずの何かが変わる。けれど、その何かさえもう私には分からず、背徳感に置き換わるだけだ。ゾクゾクと背筋に寒気にも似た感覚が走り、きゅんきゅんと唸る子宮に新たな熱が篭る。これまたさっきから止まらない愛液が私のオマンコから漏れ出して白濁したその身を結合部から漏らした。その度にぐちゅぐちゅとぱちゅぱちゅと淫らな音が響き、私達の交わりにさらなる色をつけてくれる。
 
 「あはぁ…♪気持ち良い…っ?アナタもぉ…ルドガーも気持ち良い…っ?」
 「あぁ…あぁぁ…!!」
 「ひゃあああああああっ♪もぅっ♪激しっ…いぃっ♪」
 
 もはや言葉にもならない呻き声を上げながら、彼の腰が加速する。まるで射精最後のラストスパートをたたきつけるようなそれに、私の身体もさらに燃え上がっていく。その射精をより良い物にしてあげようと、膣肉が絡みつき、敏感な亀頭周辺をぐにぐにと包み込んだ。オマンコの入り口は他よりもさらに締まって、まるでオチンポを逃がさないようにしている。勿論、それ以外の部分もぎゅぅぅっとしがみつくように彼のオチンポを強く刺激していた。
 
 「うぁ…ぁ…!射精る…っ射精るっ…射精るぅ…!!」
 
 その言葉の通り、彼のオチンポは射精寸前の硬さと大きさ、そして熱を取り戻していた。どれだけその精を溜め込んでいたのだろう。それは一度目と比べてもまるで見落としがしない。
 そして、どれだけオマンコを締め付けてもびくともしない硬さと、まだ不慣れな肉壁を押し広げるどころか削り取るような大きさ、そして触れる部分が溶けてしまいそうな熱を併せ持つそれに私の思考もさらに真っ白に染まっていく。まるでそれに応えるように身体も白に染まり、快楽以外の感覚がさらに遠のいていった。身体中があの瞬間を待ちわびている感覚に期待を胸に灯した瞬間、ぐんっとさらに一段大きくなったオチンポが私の奥で一気に射精を開始する。
 
 「きゅぅぅ――――――ッッッ♪♪♪」
 
 二度目のそれはやはり一度目と同じくらいの勢いで私の子宮口へと一気に吐き出される。オチンポそのものと比べてもさらに熱さも変わらない。勿論、その美味しさと香りもまるで見劣りせず、さっきと同じ絶頂へと私と誘う。真っ白に染まって何の役にも立たない視界を捨てるように眼を閉じると、下腹部で狂喜する子宮の感覚までも分かるようだ。
 
 「あ―――…ひゅぅぅぅぅんっ♪♪」
 
 ようやく声を出せるくらいに感覚が追いついた頃には私の身体はもう射精以外の事を考えられなくなってしまっていた。私の脳はもう射精に夢中で、その全てを味わう事に必死になっている。精液の味、熱、匂い。その三つだけで頭が一杯で他はもう快楽を感じる部分に成り下がってしまっていたのだ。
 
 「あは…ぁ…♪」
 
 でも、それが良い。気持ち良い。愛しい。まるで愛しいオスを全身で感じるような感覚を誰が嫌いになれるというのだろう。増してや私はサキュバスだ。この為だけに生きているも同然の種族である。普通は感じられないであろう味や匂いまで子宮でしっかりと感じる事が出来るくらいなのだ。そんな私がこの瞬間を嫌えるハズなんてなかった。
 
 ―良かった…ぁ…♪
 
 そんな私の胸に宿るのはある諦念と歓喜だ。これだけ気持ち良い事が味わえるのであればサキュバスになってよかったと、ルドガーとこんな事が出来るなんて夢みたいだと、そんな何処か歪んだ言葉の込められた諦念と歓喜の混合。それを味わいながら、私はビクビクと震えるオマンコの中で彼の射精が終わってしまったのを悟った。
 
 「ん…ぁぁ…♪」
 
 絶頂が一段落して身体から力が抜けたのだろうか。彼の腕がそっと落ちて、前屈みになった私の上体が再び彼へと覆い被さる。お互いに胸を上気させて胸を合わせあうこの瞬間も私は好きだ。今も尚、蠢く私の膣肉が射精を強請るように彼のオチンポに纏わり着いているけれど、ただ甘いだけの雰囲気に身を任せるような今の時間。身体を預けあい、心も触れ合わせるような幸せな時間を私は目を閉じながらゆっくりと享受していた。
 
 「るど…がぁ…♪」
 「ん……?」
 「…好き…♪」
 「…俺もだよ」
 
 その甘い雰囲気に後押しされるように私の言葉からは好きだと言う言葉が溢れ出る。けれど、それじゃあ足りない。例え愛してると言っても、今の私の幸福感や愛情は半分も伝わらないだろう。上手いこと表現する言葉が見当たらず、どうにももどかしい感情が顔を出した。その感情が導くままに、私はもっと今の気持ちを表現しようと珠の汗を浮かべた彼の胸板にそっとキスを落とす。
 
 「ん…っ♪」
 
 勿論、それは一回や二回じゃない。何度も何度も私の証を着ける様に鬱血した唇の跡を残していく。それは一番適切な言葉を選べば、きっとキスマークなんだろう。けれど、この男が自分の物であると主張するような証は幾らつけても満足できない。そもそも私は彼を自分の物だと主張するつもりは無い。だって、私とルドガーは恋人同士なのだから。彼はそんな私を決して裏切らないと信頼している。だから、キスマークだなんて本来は必要なく、これはただの私の感情の表現行為でしかない。
 
 「んちゅ…♪…ふふ…♪」
 
 けれど、目蓋を開けて彼の胸板に真っ赤な唇の跡が幾つも咲いているのを見るとやっぱり強い満足感を感じてしまう。私もやっぱり普通の女とそれほど変わっているというわけではないのだろう。そんな自分があんまり嫌じゃない。寧ろ何処か嬉しくて、私はそっと彼の胸の上で微笑んだ。
 
 「…リズ…」
 「…ん?」
 
 そんな私を見てまた興奮してきたのか彼のオチンポが私の膣の中で再び力を取り戻す。二度の射精を経て、大分、柔らかくなっていた筈なのに、まだまだたっぷりと愛してくれそうだ。きっと彼の言葉もそんな類の内容なのだろう。けれど、どうせなら彼の言葉で私を求めて欲しくて、私は微笑みながら先を促した。
 
 「…したい…まだ…足りない」
 「…ふふ…♪私も…まだまだみたい…♪」
 
 脱力した下腹部に意識を向けると、大分、大人しくなったものの子宮はまだまだ疼いていた。どうやらサキュバスの本能と言うやつは私が思っていたよりも遥かに貪欲らしく、彼から一滴残らず精液を搾り取れと言っている。私の身体もそれが吝かではないらしく、再び熱と硬さを取り戻したオチンポから快楽を引き出そうとしていた。
 
 「ん…♪でも…次はどうせだから別の体位で…ね…♪」
 
 別に今の騎乗位の状態に飽きたわけじゃないけれど、どうせだからもっと別の体位も感じてみたい。サキュバスの本能か、或いは変質した私の思考か。どちらとも分からない考えに誘導されるように私はちゅっと最後の口付けを彼の胸に落とす。それに小さく頷いて、ルドガーの身体は一気に跳ね上がった。そのままベッドに押し付けられるように上下が入れ替わり、一般に正常位と呼ばれる形になる。
 
 「じゃあ…するぞ…!」
 「うん…♪一杯してね…ぇ♪」
 
 甘い甘い媚をその声に浮ばせながら私は少しだけ力を取り戻した腕をそっと彼の背中に回す。受け入れるようなその仕草に満足したのか、彼は最初から力強い抽送を私に叩きつけて――そして再び私たちは快楽の渦の中にその身を投げ込んでいった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ―最近は妙に体が軽い。
 
 そんな風に思うのはやはりずっと俺を襲い続けた飢餓感が嘘の様に消えたからだろうか。或いはようやくこのサキュバスの身体にもなれ始めたのかもしれない。しかし、何はともあれあの新薬を貰ってから俺の体調がすこぶる良いのは紛れもない事実だった。
 
 ―いやぁ…最初は眉唾ものだと思ってたんだけどなぁ…。
 
 そもそも、魔物娘が精を味わうプロセスにはその気分が強く関わっている。今までの市販の薬を飲んでも美味しく感じなかったのも主にそれが原因だ。逆に言えば余り無い仮定ではあるものの、魔物娘を無理矢理レイプした所でその精はとても不味いものだと感じられるだろう。…まぁ、内心、それを受け入れていれば話は別だが。
 
 ―つまりあの新薬は早い話、『良い気分』にさせる訳だ。
 
 睡眠導入剤を始めとする他様々な薬を混ぜ合わせたそれは服用者に軽い夢を見せる。軽い興奮状態と相まったそれは早い話が、淫夢を見せるのだ。そしてじわりじわりと内部から広がる精が『良い気分』になった最中に溶け出して精の補給を行う。使っている薬や成分はちょっとグレーゾーンに片足を突っ込んでいるが、その効果と実用性は服用する俺が良く知っている。
 
 ―まさかアレだけ美味しいだなんてなぁ……。
 
 一粒だとそれほどでもないが、通常の数倍の量を服用すればそれはまさに天にも昇る心地に誘われる。俺は本物の精液なんて呑んだことが無いから分からないが、本物そのものだと言われてもきっと信じるだろう。元々の目的であったサキュバスの魔力を追い出す…と言うのは無理であったが、それに負けないくらいの価値はあった。最近では寝る前に何錠も纏めて飲んで、夢を心待ちにしているくらいなのだから。
 
 ―それに…まるで小説を見ているように面白い。
 
 夢の中での相手は常に彼であり、何故かストーリー仕立てで進んでいくのだ。まるで俺の日常生活に即しているようにルドガーの反応も少しずつ変わる。勿論、基本的には話が続いていて、最近はフェラチオの上手さも褒めてもらった。頭を撫で撫でしてもらった感覚が嬉しくて、そのまま射精するまでしゃぶっていたのは一昨日の事だったか。ともあれ。夢の中の俺は本当に淫らなサキュバスとして彼に接していた。
 
 ―けれど……。
 
 「…なぁ、ルドガー」
 
 何時もの研究室で資料を読んでいる彼を呼ぶとその肩がびくりと大きく震えた。そのままぎこちない動作で俺の方に視線を向ける。まるで油を差し忘れた老朽化したドアのような動きに、俺は内心、溜め息を漏らした。
 
 「そっちはどうだ?何か見つかったか?」
 「い、いや……特に…何も……な」
 「…そうか」
 
 ―最近はずっとこんな感じだ。
 
 視線は送っても目線を合わせる事はない。何処か俺の向こうの何かを見ているように焦点があっていないのだ。他にも最近は体調が気だるいらしく、足取りも重い物に変わっている。毎日、夜中まで起きているのか目の下には隈さえ浮んでいた。まるで何日も寝ていないような様子に何かあるのかと思うものの、ずっと話してはくれない。
 
 ―…なんだよ…まったく…。
 
 確かに今まで俺はおんぶ抱っこの状態ではあったが、少しくらい頼ってくれてもいいんじゃないだろうか。そう思うのはそれほど悪い事ではないだろう。何せもう二週間近くずっとこんな様子なのだから。正直、眼も合わせない状態では一緒に居る俺だってあんまり良い気分にはならない。
 
 ―…この前だって気晴らしに買い物に誘ったら断るし…。
 
 久しぶりに休日が被ったので最近、またきつくなってきたブラの新調とこの前の奢りの約束を果たす為に誘ったのだがあっさりと袖にされてしまった。それ自体は別に良い。隈さえ浮ばせた状態では眠りたい気持ちもあるのだろう。…けれど、次の日に会った時に、さらにその隈を暗く染めている時にはもう何も言えなかった。
 
 ―…ホント、毎日何をしてるんだろ…。
 
 元々、彼は何でも出来るタイプだ。俺のように努力して今の地位を確立したタイプではなく、閃き型の天才である。功績だけを見て人々は俺とルドガーを並べたがるが、俺は死ぬほどの努力を重ねてそれに追いついて来たに過ぎない。無論、才能は自分でもあると思うが、決して彼と並び称される程ではないだろう。プライド高い俺でさえそう認める彼が、夜中に寝る暇を惜しんでまで何をやっているのか。俺にはそれがまったく分からなかった。
 
 「…ふぅ…」
 
 小さく溜め息をついて、そっと椅子から立ち上がる。ずっと考え事をしながら資料を読んでいた所為だろうか。身体の節々に疲労と緊張が溜まっている。それを吐き出そうと大きく背伸びをして、俺は搾り出すように声を出した。身体の中の血流が活性化し、鈍い音を立てるのを聞きながら俺はストンと地に足を着ける。そのままふと時計を見ると時刻はもう昼過ぎを指していた。
 
 ―っと…もう昼か。
 
 サキュバスになった今となっては人間の食事は余り意味の無い行為だ。その栄養の補給は殆ど精によって行われ、その味もまた普通の食事とは比べ物にならないくらい美味しいのだから。しかし、やっぱり習慣というものは抜け切らないのか俺は食事を完全に絶つことが出来なかった。新薬を手に入れて二週間近く経っているが、その間も俺は食事を欠かしたことは無い。
 
 ―…でも…なぁ…。
 
 「なぁ、そろそろ昼だから昼飯食べに行かないか?」
 「い、いや…俺は…その…腹が減ってないから良い」
 「…そう…か」
 
 ―…まったく…どうなってるんだか……。
 
 ルドガーの調子がおかしくなってからはずっとこんな風に食事も断られている。何時もは彼の方から言い出してくれるのに最近は俺の方からばかりだ。さらに断った上に、理由も何も言わないから困る。本当は腹が減ってないなんて嘘に決まっているのだ。何せこっそり購買でパンを買っている姿を俺は何度も目撃しているのだから。
 
 ―……そこまで俺と一緒が嫌なのかな…。
 
 最近、良く浮かぶその考えを俺は否定する材料を持たなかった。そもそも嫌われても仕方が無い要素は山ほどあるのだ。今までに数え切れないほど俺はルドガーに迷惑を掛けてきたし、最近では彼の夢を再び絶たせたのも俺である。その上、意地っ張りで面倒臭い女だ。サキュバス化してからはその傾向が大分、マシになってきたけれど、それでも今まで溜まりに溜まった鬱憤と言うやつがあるだろう。それが今、噴出していてもおかしくはない。
 
 ―…夢の中ではあんなに仲良しなのになぁ…。
 
 最近では口移しで夕飯を食べさせてあげることも多いのだ。最初は恥ずかしがっていたけれど、今では悦んで『私』の唾液たっぷりの食事を食べてくれる。勿論、それが終わったら、今度は私の食事の時間だ。その美味しい精液をたっぷりと貰って、気持ち良い時間を過ごすのが常である。
 
 ―…はぁ…末期だな。
 
 起きている最中に夢の中にまで意識を飛ばすとか末期にも程がある。よっぽど俺はあの薬と相性が良かったのだろう。…いや、良すぎたのか。普段飲んでいる分も通常の数倍のオーバードーズであるし、少しは控えるべきなのかもしれない。仮にも薬に携わる医者がその薬で中毒になりましたとか笑えない冗談にもほどがある。
 
 ―…実際、今の俺の状態が笑えないにも程があるからなぁ…。
 
 自分の新薬を恒常的に服用して性別が変わりました、なんて笑い話にもならない。最近はようやく色々な事が落ち着いて、かなり慣れてきたがそれでも未だ打開策が見つからないのだ。俺たちが作った新薬を何度も研究してみたが特に変わった様子はないし、俺の身体は完全にサキュバス化している。上もまったく進展の見えないこの研究に金を注ぎ込むつもりは無いのか、かなり圧力を掛けてきていた。そう遠くない内に、俺が男に戻るための研究は幕を閉じることになるだろう。
 
 ―…まぁ、別にサキュバスのままでも…そんなに悪い訳じゃないし…。
 
 新薬さえ飲んでいれば人間だった時よりも健康であるし、お洒落も楽しい。最近は胸がどんどんと大きくなるのでブラの新調が大変だが、それに応えるようにくっきりと浮んだ括れと大きくなったお尻が俺の身体に女性らしさを加えていた。顔も中性的なモノから女らしいモノへと変わり、似合う服も随分、増えたのである。お陰であの魔物娘専門店に足を向けるのが楽しみで、顔馴染みとなったあの店員と数時間掛けて服を選んだりもしていた。それに合わせてパンツもトランクスからショーツへと変えたがソレも中々、奥が深くて興味深い。
 
 ―何より…あの夢を手放すのが惜しい…かな。
 
 男に戻れば今の薬も必要なくなってしまう。そうなれば、きっとあの夢も見られなくなってしまうだろう。ただでさえルドガーとギクシャクしている今、あの夢を手放すのはあまりにも残念すぎる。今の俺にとってあの夢が毎日の楽しみであり、こうして彼と顔を合わせても避けられてしまうという状況の支えでもあるのだから。
 
 「ふぅ……」
 
 そんな状況に小さく溜め息をつきながら、俺は再び身体を椅子に預ける。スプリングのしっかり効いた椅子が俺の身体を受け止めて、しっかりと包み込んでくれた。そのままスカートから出る足をそっと組んで、俺もまた資料に目を通し始める。余りにも憂鬱すぎて飯を食べるという気分じゃなくなってしまったのだ。
 
 「…なぁ…」
 「…ん?」
 
 そんな俺に向かって珍しくルドガーから声を掛けてきた。驚きにも近い感情で彼を見るが、やっぱり視線は何処か泳いでいる。しかし、それでも話しかけてきてくれたこと自体が最近では殆ど無くて、俺は内心、喜びながら次の言葉を待った。
 
 「…なんでスカートなんだ?」
 「…?」
 
 主語が無くて今一、分かりにくいが、恐らく今の俺の格好の事を指しているのだろう。それくらいは俺にも分かる。けれど、どうしてそんな事を聞くのかが俺には理解できなかった。
 
 「仕方ないだろ。今の俺は『女』なんだから」
 「女だからって…お前…」
 
 ―あれ…?
 
 はっきりと答えたそれが彼は気に入らなかったらしい。何処か苦々しいものを浮かべて俺を見ている。しかし、その理由が俺には分からない。だって、今の俺はどうあがいてもサキュバスだ。それは変わらない。ならば、今のこの状況を少しでも楽しむのが建設的じゃないだろうか。それに男用のシャツやズボンを着て奇異の眼で見られるのもいい加減、飽きたのだ。開き直って女性らしい格好をした方がまだ世間の眼も優しい。
 
 「それにスカートってのも案外良いもんだぞ。最初はヒラヒラして慣れなかったけど、割と動きやすいし。まぁ、見えないように気を配らなきゃいけないのがネックだけどな」
 「っ!!」
 
 冗談めかしてそんな事を言うと、彼はあからさまに傷ついた様子を浮かべた。…どうやら俺は今、地雷を踏んでしまったらしい。それも並の物ではなく特大級の。今にも泣き出しそうなルドガーの様子に俺は内心、慌てた。今までどんな酷い言葉を投げかけても泣く様子なんて見せなかった彼の目尻が濡れている。その先にはじわりと潤んだ瞳が埋め込まれていて俺の胸を掻き立てる様な痛みを走らせた。
 
 「わ、悪い。な、泣かせるつもりは無かったんだ…」
 
 思わず立ち上がって近づきながらそう弁明するが、ついに決壊したようにルドガーの目尻から涙が溢れる。ソレを見る俺は懐に入れたハンカチを取り出して拭うが、後から後から漏れ出るそれにまるで追いつく事が出来ない。どれだけ拭っても湧き出る涙に困惑しながら、慰めるように涙で濡れる彼の頬をハンカチとは別の手で撫でた。
 
 「分からないんだ…俺…お前…が」
 「…俺が…?」
 
 ―…俺が分からないって…どう言う事だ…?
 
 確かに姿形こそ大きく変わったが、別に心まで、関係まで変質したわけじゃない。確かにスカートを躊躇い無く身に着ける様になったり、お洒落を楽しむようになった。けれど、その本質まではブレちゃいない。俺たちは相変わらず友達のはずだし、仕事上のパートナーでもある。それなのに…俺が分からないとはどう言う事なのだろう?
 
 「今のお前は…どっちなんだ…?俺の友人なのか…それとも――」
 
 万感の感情を込めたその言葉に俺は耳を傾けた。けれど、その先は何時まで経っても告げられることは無い。まるで迷っているように何度も口を開いては閉じて、顔を俯かせる。けれど、その姿は何処かとても辛そうで…俺はもう見てられなかった。
 
 「…あ…」
 「大丈夫…大丈夫だから…な」
 
 言い聞かせるようにそっと背中を撫でながら、何度も優しく言葉を紡ぐ。まるで俺の熱を分け与えるようにハンカチを持った手でそっと抱き締めながら、優しく優しく暖めるように。子供をあやすってのはきっとこんな事なのだろう。そんな事を頭の何処かで考えながら、俺の手は何度も彼の背中を往復した。
 
 「俺は確かに変わったかもしれない。でも…俺たちの関係は何も変わらない。…そうだろ?」
 「変わらない…?」
 「あぁ」
 「…そう…か。…じゃあ、お前はやっぱり…『そっち』なんだな…」
 
 ―…ん?
 
 納得したような彼の言葉に聞き慣れた…けれど、この場では余り相応しくないであろう言葉が出ていた。『そっち』とはどう言う事なのだろう?まるで『こっち』や『あっち』があるような言葉に、俺は内心、首を傾げた。けれど、今はそれは重要ではない。それよりも彼の気持ちを少しでも解きほぐしてやるのが先だと俺は細い腕でぎゅっと大きな身体を抱き締めてやった。
 
 「…ともあれ…俺で良ければ話を聞くぞ。…いや、聞かせて欲しい。お前がそんな風に辛い顔をすると…俺だって辛いんだ…」
 
 何時の間にか大きく開いた身長差。それを見ながら俺はそっとルドガーの胸に顔を預ける。一瞬、まるで夢の中の出来事のような甘い雰囲気に羞恥心が湧き上がってくるが、今はそんな状況ではないと必死に押さえつけた。しかし、夢と言うキーワードがいけなかったのか俺の身体はあっさりと燃え上がり、子宮が疼きを訴え始めた。
 
 「…悪い…今は…一人にしておいてくれ」
 「…そうか」
 
 勇気を持って踏み込んだ言葉は、しかし、彼に断られてしまった。けれど、顔を上げて見たその顔はさっきまでの辛そうな色は余り無い。どうやら少しは元気を出してくれたようだ。それに安堵の溜め息を漏らしながらも、相変わらず踏み込ませてくれない事に胸の痛みを感じる。じくりと滲むようなそれを堪えながら、俺はそっと彼の身体から離れた。
 
 「…もし、整理できたらちゃんと言うから…待っててくれ」
 「…あぁ。待ってる」
 
 そんな風に言葉を交わして、俺はそっと微笑んだ。言ってくれると言うのであればそれを信じるしかない。もう少し…もう少し受け入れて欲しかったけれど、それは贅沢な悩みだ。少なくともその一端さえ吐露してくれなかった事を考えれば、確かに前進しているのだから。少しだけでも進んでいれば…何時かはその内心を晒してくれる日も来るだろう。サキュバスになった所為で莫大な寿命を得た所為か、今は何となくそう思える。
 
 「…悪い。…俺…今日は帰る…な」
 「あぁ。体調も悪そうだし…な」
 
 涙を止めたルドガーの目尻を最後にそっとハンカチで拭ってやりながら彼の言葉に答える。そもそもこうして研究室に居る事を証明するのは俺くらいしか居ないのだ。別に誰かに監視されていたりする訳ではない。早退した所で俺さえ黙っていれば殆ど分からないも同然だ。流石にサボり続けていたりすれば問題になり、クビにまで発展するだろうが一度や二度程度であれば許容範囲だろう。実際、他の研究チームは暇な時にさっさと解散している姿も見る。
 
 ―それに…そもそも俺たちの研究まったく進んでいないしなぁ…。
 
 どうして俺がサキュバスに変化してしまったのか…その原因を見つけ出そうとする研究は完全に行き詰っている。忙しい時であればまた別かもしれないが、粗方、手を尽くした上での行き詰まりだ。俺ももう半ば諦めてしまっている。そんな中、大切なパートナーが体調の不良を訴えているのだ。進まない研究よりは彼の体調の方が大事であると考えるのは当然だろう。
 
 「ついでに明日も休め。そのままゆっくり疲れを取れよ」
 「…あぁ。そうする」
 
 久しぶりに微笑む彼の姿を見ながら、俺はそっと背を向けた。ルドガーの気分が上向いたことがよっぽど嬉しかったのだろう。俺の胸は温かいもので満ちて、ぽかぽかとしている。はっきりとした歓喜を感じながら、俺はそのまま進路を譲るように元の椅子へと腰を下ろした。
 
 「じゃあ…な」
 「おう。ちゃんと休めよ」
 
 最後にそれだけ釘を刺して扉の向こうへと消えて行く彼を見送った。バタンと扉が閉まり、完全に彼が研究室から居なくなった後、安心したのだろうか。ぎゅるると下腹部が空腹を訴える。どうやら昨日補給した精がそろそろ切れるらしい。アレだけ薬を纏めて使っているのに、と思うが、サキュバスの本能自体が貪欲過ぎる可能性もある。多少、他の食べ物で代用できるとは言え、やっぱり主食は精なのだ。昨日は五発分を口やアソコで味わったけれど、まだまだ足りていないのかもしれない。
 
 ―…でも…なぁ…。
 
 友人がアレだけ悩んでいるというのに、薬で良い気分になるのは不謹慎じゃないだろうか。しかも、その悩みはどうやら俺に強く関係していることらしい。そう思うと薬を飲もうという気が萎えてくる。夢の中で恋人のように触れ合う甘い時間は勿論、魅力的だけれど、今はどうしても素直に楽しむ気分にはなれない。それならばまだこの空腹を我慢する方がマシな気がする。
 
 ―まぁ…願掛けみたいなもんかな。
 
 彼が自分の悩みを俺にぶつけてくれるその日まで精は我慢しよう。どの道、今の状況であの夢を見ても楽しめないし、問題は無い。我慢できるかどうかは分からないが…まぁ、以前、一週間ほど押さえ込んだ実績がある。ある程度は今までの食事でも代用できるし、我慢が続く限り我慢し続けよう。
 そんな事を考えながら、俺はそっと立ち上がった。そのままルドガーが消えた扉に近づき、研究室から出る。向かう先はこの研究所の食堂。少しでも今の空腹を紛らわす為に俺の脚はゆっくりと歩き始めたのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ―…腹減った……。
 
 そんな日から二日後、研究を終え、自室に帰った俺はもう我慢の限界に達していた。自分でも早いと思うものの、内から沸き起こるサキュバスの本能は俺自身も知らない間に強くなっていたらしい。今や肌をチリチリと焦がされているような衝動にまで発展していた。気を抜けばすぐさま薬に手を延ばしそうになってしまう。気がついたら手に錠剤を取り、飲もうとしている瞬間だったりするのだ。抑えきれない衝動を誤魔化す為、今はそれを研究チームに返したが、気を抜けば彼らの所に忍び込もうとしている自分が居る。
 
 ―まるで中毒だな…。
 
 今の俺は完全に中毒患者そのものだろう。正確にはその薬が齎してくれる精の味が忘れられない訳だけれど、これだけの衝動を伴っているのだから。しかし、普通の麻薬とは違い、俺の場合は食欲と直結している。どれだけ堪えてもそれが収まるわけが無いのは自明の理だった。
 
 ―パンは…あぁ…もう切れちゃったか…。
 
 空腹を誤魔化す為に大量に買い込んだ白パンはもう底を尽きてしまった。両手で抱えきれない程の量を買い込んで、自分でも失敗したかと思ったが、寧ろ足りなかったらしい。今日の朝には底を尽きて、帰る前に買い込まなければいけないのをすっかり忘れていた。
 
 ―外に…でも…面倒だ。
 
 別に外に出る事そのものが面倒なわけじゃない。外に出るとさらに衝動が増すのだ。女性がそこそこ多い職場だが、この研究所はやっぱり男の方が多い。今の飢えている状態ではそんな連中の匂いが鼻に突くのだ。どうにも俺の欲しい匂いとは違っていて連中を襲いたくなる訳じゃないけれど、今すぐあの薬を飲んで夢の中であの美味しい匂いを嗅ぎたくなるくらいにはサキュバスの本能を擽る。
 
 ―明日にしよう…。
 
 今、外に出れば、それこそ、この衝動に負けかねない。別に負けても俺に何かデメリットがある訳じゃないが、何となく悔しいし…それに何より折角の願掛けだ。友人が俺に相談してくれるまで薬を絶つと決めたのであればせめてもう少し保ちたい。別に俺が薬を絶った所で何かが変わる訳じゃないけれど…俺だってルドガーに何かしてやりたいのだ。
 
 ―…そう言えば彼…今日は来なかったな…。
 
 何があったのかは知らないが、休みを明けてもルドガーは顔を出さなかった。俺としては顔を見合わせるとあの独特のオスの匂いを感じて襲ってしまいたくなるので良かったといえるかもしれないが…やっぱり心配である。彼に限って何かあるとは思わないものの、現実に絶対など存在しない。ただ俺と顔を合わせたくないだけかもしれないが…明日は様子を見に行こう。
 
 ―…とりあえず…今は寝よう。
 
 寝ている間はこの衝動を抑えられる。そう思って俺はベッドに倒れこんだ。そのまま乱暴にシャツやスカートを脱ぎ捨て、下着姿になる。そして、まだ新しいサイズが買えずに窮屈なブラも外して、ピンク色で脇にレースをあしらったショーツだけに。流石にそこまで脱ぐと秋の寒さが襲ってくるが、布団を被れば問題は無い。寧ろワーシープの布団独特の暖かさを感じるにはここまで脱いだ方がいいくらいだ。
 
 ―ふぅ…この布団が無かったらもしかしたら眠れていないかもな…。
 
 胃酸で御腹自体が溶ける様な焼け付く感覚は今も俺を襲っている。そんな状態では中々、安眠することは出来ないだろう。しかし、このワーシープの布団はそんな俺でもしっかりと眠気へと誘ってくれるのだ。彼と離れ離れになると考えていた頃は不眠症に悩まされていたものの、この程度の衝動ならば問題は無い。布団に入った俺がそのまま枕元のルーンをそっと撫でて証明を落とすと、すぐ眠気がやって来た。
 
 ―トントン…
 
 俺がその眠気に飲み込まれようとした瞬間、控えめに扉をノックする音が届いた。ふと眼を開けて暗闇の中で眼を凝らすがどうやら誰か来ている様だ。夜更けとは言わないが、こんな時間に一体、誰だろうか。そもそも俺の部屋に来る人間自体殆どいないだろうに。そんな事を考えながら、暖まった身体をベッドから起こし、証明を再び灯した後、乱暴に投げ捨てたシャツとスカートを身に着けた。
 
 ―トントン…
 
 「はいはい。今出ますよ」
 
 再びノックする音にそう応えながら、俺はノロノロと脚を扉へと向かわせる。下らない用事だったらどうしてやろうか、とそんな事も考えながら俺は鍵を外し、扉を開いた。
 
 「…リズ…」
 「…ルドガーか」
 
 扉の向こうに居たのは今日、研究室に顔を出さなかった俺のパートナーだった。しかし、それは居た堪れないくらい憔悴している。元々濃かった隈は鬱血し始めているのか薄い紫にも近くなっているし、髪もぼさぼさだ。食事さえ取っていないのかその頬は痩せこけている。たった二日間。二日間会わなかっただけで俺の友人はまるで別人にも見えるくらいにまで変貌していた。
 
 「まぁ、まずは上がれよ。後…パンも…ってないのか。用件が終わったらで良いから後で一緒に飯でも――」
 
 ―心配してそこまで言った瞬間、俺の身体は彼によって抱き締められてしまった。
 
 まるで逃がさないと言わんばかりの力強い抱擁に俺の意識が一瞬ふっと飛んでしまう。これだけ美味しい匂いを纏わりつかせて、ぎゅっと抱き締めてくるのだから。普段ならばまだ何とかなったかもしれないけれど、残念なことに俺は禁欲中だったのだ。その匂いだけで身体が燃え上がって子宮がきゅんと強く唸る。間近で感じるオスの匂いに我慢できなくなった身体が俺の唇を彼の顔へと近づけようとしていた。
 
 ―だ…駄目だ駄目だ…!!
 
 夢の中ならばいざ知らず、現実の俺たちはあくまでもただの友人でしかない。抱き合うならばまだしもキスなんてしたら彼に嫌がられてしまう。この前の会話でも分かったが、ルドガーはまだ俺を男として捉えているのだ。そんな奴にキスされても嬉しくもなんともないだろう。
 
 ―そんな風に我慢した瞬間、彼の唇が俺へと押し当てられた。
 
 くちゅりと粘り気を含んだ水気と共にそのまま舌が俺の唇を蹂躙する。まるで唾液を塗りこむようなそれに俺はもう自分を押さえ切れなくなってしまった。混乱する間もなく、俺の身体は舌を突き出して彼を歓迎する。お互いの間でピンク色の粘膜が踊るのを見ながら、俺はそっと目を閉じた。
 
 ―あぁ…♪美味しい…っ♪
 
 精は別に精液だけしか摂取出来ない訳じゃない。少量ではあるが唾液からでも十分、手に入れることが可能だ。勿論、その味は精液に比べればかなり薄いけれど、空腹の俺にその味を思い出させるには十分過ぎる。必死で抑えようとした衝動も抑える暇もなく、俺の身体中はもうキスに没頭していた。
 
 「ん…っ…ふぁ…っ♪」
 
 くるくるとワルツを踊るようにお互いの舌を絡ませあいながら、時折、唇に吸い付く。それが一定のリズムで交わる舌に別のモノを加えて、俺たちの興奮をさらに掻きたてた。ちゅるちゅるとお互いの間で唾液を絡ませあって胸を穢す感覚さえも今は愛おしい。寧ろもっと俺を穢して欲しいと俺の唾液は分泌量を増して彼に捧げるように舌へと這い出した。
 
 「ひゅ…っぅ…っ♪」
 
 そんな俺に向かって、彼もまたドロドロの唾液を一杯くれる。未だに色褪せないそれを舌でたっぷりと味わいながら、俺は無防備にそれを嚥下した。ゴクリゴクリと咽喉を鳴らしながら飲み込むと、御腹を通り抜けて子宮まで降りていくようだ。そのまま燃え上がった子宮がじんわりと広がる熱を発し、まるで彼の唾液に染め上げられているようにも感じる。
 
 「うひゅぅ……む…ちゅぅ…っ♪」
 
 そんな感覚が愛おしくて、俺はまるでオネダリするように唇に吸い付いた。それからは完全にインファイトだ。彼の口腔内で舌を暴れまわらせ、俺が唾液をもぎ取ったと思ったら今度はルドガーの舌が責めてきて俺の口を蹂躙する。その間、俺は攻める時も守る時も常に彼の舌と踊り、片時も離れない。ドロドロの粘液に塗れた粘膜でセックスするような感覚に俺の脳髄がじわじわと刺激され、何かが溶け出すのを感じた。
 
 ―あぁ…素敵ぃ…♪
 
 夢の中で何度も何度も味わったとは言え、やっぱりそのキスは最高だった。美味しくて甘くて…愛おしい。舌が触れ合う度に心も身体も暖かくなる感覚はそう味わえるものではないだろう。まして、今の俺たちがしているのはまるで熟練の夫婦のようにお互いのしたい事を常に分かっているようなキスなのだ。舌が疲れた時には引き、また回復すれば押し込む。そんな相手のリズムさえ熟知しているようなキスに心を蕩かせない訳がなかった。
 
 ―ふ…あぁ…るどがぁ…♪
 
 胸中で甘くその名を呼びながら、俺の舌はつんつんと舌先で彼の舌を突く。まるで悪戯に誘うようなそれに彼も応えて、思いっきり俺の口を吸い上げてくれる。一片の隙間さえ許さないような密着と共に俺の唾液と舌は吸い上げられ、じゅるじゅると淫らな音が掻き鳴らされた。けれど、その激しい音は俺と彼の興奮を掻き立てる結果にしかならない。その証拠に俺の胸は今も自分の中の何もかもを奪われる感覚に身を委ねている。
 
 ―あぁ…っ♪唾液も舌もぉ…全部奪われちゃうぅ…♪
 
 思いっきり吸い上げられたそれに引き上げられるように私の舌は彼の口腔へと入っている。しかし、それは侵入ではない。ただ、彼に引きずり込まれただけだ。そして無抵抗な私の舌を歯で押しつぶしたり、舌で苛めたりと弄んでくれる。普通のキスとはまるで異なる被虐的な快感に俺の背筋はゾクゾクとした寒気を走らせた。やっぱり俺にはマゾの気があるのだろう。強引なそのキスが俺は大好きで…毎日、夢の中でオネダリしていたのだ。
 
 ―…あ…れぇ…?
 
 そう。それは夢の中のはずだ。それなのにどうして現実のルドガーが、俺の一番好きなキスの仕方を知っているのか。そんな疑問が俺の胸にそっと浮かんだ。けれど、それに答えを出すには何もかも奪われるようなキスは気持ち良すぎる。被虐的な快楽に身を委ねている今、思考など働かせられる筈が無かった。
 
 ―でも…良いっ♪それが良い…っ♪
 
 思考を働かせられないくらい今の俺は弄ばれている。それが俺の身体をさらに燃え上がらせていた。そこにはこの期に及んで快楽を優先する自分に対する嫌悪などは存在しない。サキュバスの本能に支配された一匹のメスが、自分のオスに支配される感覚に悦びを感じているだけなのだから。
 
 「ちゅ…ぷぁ……ぁ♪」
 
 けれど、そんなキスは長くは続かなかった。元々、大きく肺活量を使うキスである。長々としていれば彼が酸素不足で倒れかねない。しかし、そうは思いつつも俺の心はもっとそのキスをして欲しかった。元々、薬を飲まずに精不足だったからだろうか。まだまだ足りないという感情が強い。
 
 「…あ…あれ…ぇ…」
 
 けれど、もう一度、キスしようにも俺の腰は完全に砕けてしまった。ストンと入り口に腰を下ろして立てなくなってしまう。そんな俺のショーツからジワリと愛液が漏れ出して床に染みを作ったが、そんな事を考えている暇は無い。それよりも、もっとキスをして欲しいと、俺はルドガーを受け入れるように手を伸ばした。
 
 ―……いや、ちょっと待て。
 
 そこで一瞬、冷静に戻ったのはこっちを訝しげに見ている奴と目が合ったからだろう。よく見ればここは俺の部屋の入り口であり、廊下との境界線に位置するのだ。そして、俺はさっき帰ってきたばかりで廊下には今も自室へ足を進める研究者達の姿がある。そんな所であんなキスをしていればどうなるか。…勿論、注目の的にしかならない。
 
 ―あ、あばばばばばばばばっ!!
 
 そこでようやく事態の大きさを理解した俺は腰を必死に動かそうとする。しかし、さっきのキスで完全に腰砕けになった俺の身体は全くと言って良い程、動いてはくれなかった。それにパニックと言っていいくらい思考を混乱させながら、俺は縋るようにしてルドガーの脚を掴む。
 
 「と、とにかく入れ!入ってくれ!!」
 「あぁ…」
 
 何処か暗い顔のままそう言いながら、ルドガーはそっと足を進めた。そのまま扉をがちゃりと締めてご丁寧に鍵まで閉めてくれる。それは勿論、有難い。有難いが……。
 
 「ど、どうしてお前…き、きききききキスなんか…!!」
 
 そもそも彼が玄関でキスさえしなければこんな風に注目される事は無かったのだ。い、いや、別にそれ自体、嫌な訳じゃない。寧ろ…その…気持ち良かったし。あの薬で相手役にルドガーが出てくる辺り、俺も彼を憎からず思っているのだろう。いや…サキュバスの本能が一番強く彼の匂いに反応する辺り、もしかしたら異性として好いている可能性も高い。
 
 ―い、いや…そうじゃなくって…!!
 
 問題はいきなりキスされた事だ。顔を見たときから様子がおかしいとは思っていたが、俺にキスするだなんて本格的におかしい。だって、彼は俺をまだ男としか思っていないはずだ。それは二日前のやりとりで分かっている。そんな相手にキスするだなんて、かなりの事があったとか思えないだろう。
 
 「な、何かあったのか…?もし、何かあったのなら相談に…」
 「何も無かったんだ…」
 
 ―…え?
 
 しかし、俺の予想を裏切って彼の口から出た言葉はまるで真逆のモノであった。それを反芻するように心の中で繰り返してみるが意味が分からない。何も無かったのであればどうしてそこまで様子がおかしいのか。ゆっくり休めたのではないのか。そんな疑問が繰り返し頭の中に浮かんでは消えて行く。
 
 「どうして…どうして来なかったんだ…?」
 「…え?」
 
 さらに紡がれる彼の言葉に俺はもう混乱にも近い域に達していた。だって、当然だろう。研究室に顔を出さなかった同僚がいきなり来なかったと告げているのだから。それはそっちの方じゃないのかと俺としては言いたくなる。しかし、真剣な表情で…そしてその表情の奥で悲しみの色を確かに浮かべている彼に俺は何も言えなくなってしまった。
 
 「…もう…俺の事は飽きたのか…?」
 「飽きたってお前…」
 
 ―まるでそんな恋人みたいな事を…。
 
 冗談みたいな彼の台詞にそんな言葉が漏れそうになる。しかし、真剣なそのものな表情がそれが冗談や嘘の類ではないと伺わせた。
 
 ―…え?じゃあ嘘じゃないなら…何が…どうなっているんだ…?
 
 さっきから何かがズレている。多分…まるでボタンの掛け違いのように俺の認識が。そのヒントは確かにあるのに、俺はそれに気づけないのだ。それが悔しくて必死に思考を回すが、未だじんじんと脳髄を痺れさせるような余韻が俺の中には残っている。普段とは比べ物にならない速度でしか考える事が出来ず、中々、答えが出ては来なかった。
 
 「…もう良い」
 「良いってお前…きゃあっ!」
 
 諦めたように言い放ちながら、彼の腕が俺を抱きかかえる。しかも、普通の抱き方ではない。脇と膝の裏に腕を通して持ち上げる所謂お姫様抱っこと言う奴だ。誰も見ていないとは言え、そんな風に抱きかかえられると恥ずかしい。けれど、どうにも嫌ではないのは…それだけ俺がルドガーの事を好いている証拠なのかもしれなかった。
 
 「まるで女みたいな悲鳴をあげるな」
 「そ、そりゃあ…今の俺は女なんだから…別に良いだろ?」
 
 からかうようなそれにそっと視線を背けてしまう。わざわざ言われなくても、らしくないなんてことは俺にだって分かっているのだ。そもそも翼がある時点で幾らでも飛べる訳だからいきなり襲い掛かる浮遊感に悲鳴をあげる必要も無い。が、自分で飛ぶならまだしも誰かに抱きかかえられて浮遊感を味わわされるのは初めてなのだ。それに急だったし…思ったより力強かったし…その…。
 
 「そうだな。可愛かったし」
 「なぁっ!?」
 
 今までは服を選ぶ時くらいしか言ってくれなかった『女性向け』であろう言葉に俺の顔が一気に真っ赤に染まる。どんな表情をしているのかとその顔を見上げれば、まるで微笑ましいものを見ているようなモノだった。さっきまでは辛そうな顔をしていたのに、どれだけ現金なんだよ。そんな風に思いながらも、彼に向かって文句の言葉一つ浮かばなかった。
 
 「よいっしょ…と」
 「う…」
 
 そのまま顔を真っ赤にしながら俺の身体は優しくベットに横たえられた。まるで子供のような扱いに情けなくなるが、未だに足に力が入らない。キス一つでどこまでだらしないんだと思いつつも、腰から下はまるで俺のモノじゃないように言う事を聞いてくれないのだ。
 
 「あ、有りが―」
 
 とりあえずベッドまで運んでくれたことにお礼を言おうとした瞬間、俺の上にルドガーの身体が覆いかぶさった。まるで証明から俺を守ろうとするようにその影が俺の身体に差し込む。逆光になった彼の表情はさっきとは違って何処か固い。まるで何かを覚悟しているような様子に俺の胸がトクンと脈打った。
 
 「…リズ」
 「な、なんだよ…?」
 
 しかし、その瞳の裏にはケダモノめいた炎が確かに灯っていた。まるで夢の中のコイツのように、その欲情の炎は轟々と唸りを上げて猛々しく燃え上がっている。今は理性が勝っているが、それが負けてしまえばどうなるのか。マゾの俺がそう胸を高鳴らせてしまうくらい、それは強く激しかった。
 
 ―犯される…♪
 
 何処か媚びた色を伴った気持ちでそう思う反面、やっぱりどうしても恐怖というモノを感じてしまう。何せ現実でそんな事をするのは初めてなのだ。勿論、彼の事は憎からず思っているが、やっぱり怖いものは怖い。サキュバスであるとは言え、一応、俺も一人の女性であるし、やっぱり初めては優しくが良いのだ。
 
 「お前が俺を捨てるって言うのなら…捨てられないくらい…俺をお前に刻み付けてやる…!」
 「何を――きゃあ!」
 
 ―言ってるんだ…?
 
 そう繋がる筈の言葉は結局、悲鳴に上書きされる。彼の腕が俺のシャツを手に掛け、乱暴にボタンを外し始めたからだ。ぶちぶちと引き千切られるそれは今まで決してルドガーが見せなかった姿と言えるだろう。夢の中でだってここまで乱暴にされたことは一度だって無い。一体、何が彼をそれだけ追い詰めているのか、それさえ分からないまま、俺はその胸をルドガーの前に晒すことになる。それを思わず両腕で隠そうとするが、夢の中とは違って彼の腕力に勝てず、片手でベッドに縫い付けられてしまった。
 
 「やめろ…!そもそも…捨てるって何の話だ…!!」
 「どうせ…今のお前に言っても分からない」
 
 止めろと言い放ちつつも、俺の胸は確かに期待に泡立っていた。当然だろう。あの夢の中で何度も味わったそれを現実でも味わえるかも知れないのだ。その魅力は正直、抗いがたい。それでも止めろと言うのはルドガーが何かを誤解しているからだ。俺には彼を捨てるつもりなんざ全く無いどころか、逆に捨てられるんじゃないかとビクビクしているくらいなのだから。
 
 ―せめて…その誤解だけでも解いてやらないと…!
 
 ここまで追い詰められるというのはきっとよっぽどの事なのだろう。元々の彼はとても温厚な人間なのだ。間違っても現実でこんなレイプ紛いの事をするような男じゃない。きっとその原因があるはずだ。ならば、その原因さえ解消してやれば…きっと彼は元通りになってくれる。
 
 「ふぁぁっ♪」
 
 けれど、そこから先は言葉にならなかった。乱暴に鷲掴みにされた胸が強い快楽を俺に返したからだ。ぐにぐにと指をめり込ませるようなそれに俺の身体はビリビリとした快感を得ている。そこには勿論、若干の痛みがあった。男の腕力で無遠慮に胸を揉まれているのだから当然だろう。だが、それ以上の快感が俺の脳髄へと突き刺さり、抵抗しようと言う気力を奪っていく。
 
 ―あぁ…こんな時にサキュバスの身体が恨めしくなるなんて…!!
 
 普通の女であればその愛撫は痛みしか感じないくらい乱暴なものであった。まだそっちであれば抵抗する気力が残ったのかもしれない。けれど、残念なことに俺はマゾな気質の強いサキュバスである。痛みは快楽にも近く、抑えつけられている状況が興奮を加速させていた。本来であれば身体能力はこっちの方が上であるのにルドガーの腕を振りほどけないのもそれが原因だろう。二日間、精を摂取していないサキュバスの本能は理性をあっさり捻じ伏せて、愛しいオスなのだからこのまま犯されても構わないだろう、と言っているのだ。
 
 「やめっんぁ♪」
 「リズのおっぱい柔らかいぞ…もう…乳首も立ってる」
 「い、言うな馬鹿ぁぁ!!」
 
 ここ一ヶ月で最早巨乳と言っていいくらいにまで変貌した俺の胸は彼の言う通り乳首を勃起させてしまっていた。まるで堪え性の無い俺の身体を象徴しているように、それはもうルドガーの掌を押しかえるような硬さにまでなっている。揉まれる度に触れ合った乳首からびりびりと響く快感は勿論、胸単体で感じるよりも遥かに大きい。それに身を捩るように身体を揺らしても、快感が大きくなるだけで彼の手はまるで離れる気配が無かった。
 
 「ハァ…ハァ…リズの…リズのおっぱい……!」
 「くぅ…ぅ♪」
 
 熱に浮かされたように恥ずかしい言葉を漏らすその顔をひっぱたいてやりたくなるのに、俺の身体は完全に弛緩しきっていた。その背筋にさっきからゾクゾクと走る感覚が止まらない。悶えるくらい恥ずかしいようなシチュエーションなのに、その恥ずかしさがとても気持ち良いのだ。
 
 「ここも…こんな…こんなに…柔らかい…っ」
 「きゅふぅ…♪」
 
 俺の胸に指を埋め込ませる手にさらなる力が篭る。ぎゅっとまるで握りこむようなそれはさっきよりも遥かに強い。ふと下を見ればちょっとしたボールくらいの大きさを持つ俺の胸に指が完全に飲み込まれている。まるで触れる指を貪欲に飲み込もうとしているような柔肉はさっきからビリビリとした感覚を伝えて止まらない。胸の芯まで掴もうとするくらい激しいモノなのに、それを全て快感にしてしまうのだ。
 
 「う…あぁ…♪」
 
 そのまま彼の指が左右に揺れて私の胸を弄ぶ。隣の胸にぶつけるようなそれは勿論、乱暴というほかは無いだろう。しかし、そのお陰で乳首が揺れて彼の手と強く触れ合う。乳房に押し込まれるようにまでなっているその乳首はその度に悦んで下腹部にどろどろの熱を灯すのだ。逆にぶつかっている方の胸も大きく跳ねて、被虐的な感覚を齎す。快感にこそ直結はしないものの、背筋を浮かせてしまいたくなるほどのそれに私の心はもう折れかけてしまっていた。
 
 ―あぁ…もう…!せめて…誤解だけでも解いてあげたいのに…!!
 
 サキュバスの本能に支配された身体でレイプに抗うのはもう諦めた。確かに怖いが…別に彼であれば良いとさえ思っている。でも、興奮の中で自分を追い詰めて行っているような彼の様子には心が痛いのだ。何が原因でこんな事をしたのかは知らないがきっと誤解だって言うのに、嬌声を漏らすしかできない自分の身体がとても恨めしい。
 
 「感じて…るんだな…。こんな…乱暴な愛撫で…!!」
 
 そしてその声に熱を帯びてケダモノ染みた彼の身体がさらなる興奮を見せる。俺に馬乗りになるその下腹部ではもう痛々しいくらい股間が膨れ上がっていた。今にもはちきれそうなそれを見るだけで、禁欲し続けてきた俺の咽喉がゴクリと大きな音を鳴らしてしまう。その脳裏では夢の中で何度も何度も味わったあの濃厚な味が再生され、それを味わいたくて仕方なくなってしまっていた。
 
 「太股ももじもじして…ホント、淫乱だな…!」
 「う…ふぅ…っ♪」
 
 叩きつけるような彼の言葉通り、俺の太股は自然とお互いを摺り合わせていた。どうやら何時の間にか腰砕けが治ったらしい。けれど、馬乗りになられた今の状態では幾ら足が動くようになってもマトモに抵抗できないだろう。そもそも俺に抵抗する気力も殆ど無く、彼から与えられる乱暴な悦楽に浸るくらいしか出来ないのだが。
 
 「そんな淫乱なリズを受け止められるなんて…俺くらいのモノだ…俺だけなんだぞ…!」
 
 ―なんで…そんな…!?
 
 独占欲を丸出しにする彼の言葉にそう思ってしまう。別に…彼のモノであることに特に異論は無い。寧ろこんな状況とは言え、プロポーズのような言葉に俺の胸は歓喜に躍り、猛っていた。出来ればもうちょっとロマンチックなムードの時に言って欲しかったと思うけれど、それはまぁ、贅沢な悩みだろう。そう言ってくれただけで俺の胸の奥からは暖かい感情が溢れ出して、まるで夢の中のように俺を包んでくれているのだから。
 
 ―問題は…それがどうして今かって事で…。
 
 彼は何も無かったからここに来たと言った。『俺』では分からないと言った。その意味が未だに分からない。ヒントは山ほど送られていて、そろそろ気付いても良い筈だ。なのに、まるで俺の中に小さく残った欠片にも似た『何か』がそれを必死に認めさせまいと目を背けているような気がする。
 
 「だから…何処もかしこも刻み込んでやる…俺の物だって…俺だけの物なんだって…!」
 
 ―るど…がぁ…っ♪
 
 再び紡がれるケダモノ染みた言葉に胸を躍らせる俺の胸にルドガーの唇がそっと降りる。さっきから放置され続けた左側の乳首はもう痛々しいくらい敏感で空気の僅かな震えにさえ感じてしまっていた。そんな状態の乳首に近づくなんて…目的は一つしかないだろう。
 
 「ひあぁぁ…っ♪」
 
 優しく唇の裏側に取り込まれたその乳首がじくじくとした熱を漏らす。何処か優しいその熱は右側から走るドロドロとした熱とはまるで対照的だ。優しく愛するような本当の意味での愛撫。勿論、それは優しい反面、強烈な快楽など無い筈だった。だが、今の俺は乱暴に鷲掴みにされている側と同じくらい強烈な痺れをそこから感じている。勿論、被虐的な背徳感は無いが、その差分を湧き出る暖かい感情がカバーしているようだ。
 
 「ひぅ…っひぁんっ♪」
 
 そのままぐちゅぐちゅと唾液を塗りこむように唇の裏側で愛撫される。優しく丹念に。溶かすように。そのまま舌で唾液を広げるように舐め上げられ、硬くシコったそこが歓喜に震える。前戯の前の前戯とも言えるような優しいだけのそれに俺は今、完全に翻弄されるだけになってしまっていた。
 
 ―あぁ…胸がぁ…♪左もぉ…右もぉ…っ♪
 
 対照的な二つの快感に俺の全てが左右に揺れていた。被虐的な快感に鳥肌を浮かべたかと思えば、優しい愛撫に肌を落ち着かせる。被虐感に胸を振るわせたと思えば、愛情がそれを優しく包む。ドロドロの淫らな熱が子宮に降り注いだと思ったら、奥からじんわりと暖まるような優しい熱が灯る。まるで全身が双丘に支配されているような感覚に、俺の脳髄はもう痺れっぱなしで止まらない。
 
 ―ううん…っ♪違う…っ♪
 
 支配されてるのは胸にじゃない。その先にいる。彼にだ。乱暴に私の胸に指を食い込ませて引っ張ったと思ったら、逆の胸を唇の間で優しく扱く。そんな相反する愛撫を繰り返す彼にだ。そう思うと爆破的に被虐感が大きくなった。まるで胸の中で弾ける様にして、一気に広がったそれは私の視界を薄っすらと染め上げ、今日一番の痺れを全身へと波及させる。
 
 「う…あぁぁっ♪」
 
 ―…これ…知ってるぅ…♪
 
 夢の中で何度も味わったその痺れは多分、絶頂だ。勿論、ゴツゴツと子宮口周辺を逞しいオスで突かれつつ何度も何度も無理矢理アクメさせられるそれには程遠い。けれど、それでも絶頂は絶頂だ。一気に子宮から弾けたそれはやっぱり気持ち良いと形容するしかないもので…俺の身体を震わせる。
 
 「ちゅぱぁ…はは…もうイッたんだなリズ…」
 「ひゅ…ぅぅ…♪」
 
 乳首から唇を離して甘く言葉を漏らす彼に反抗する言葉も無い。ただでさえさっきから嬌声しか漏らさなかった口なのだ。今更、マトモな言葉を発することが出来る筈もない。そして、それは勿論、俺の中の被虐感へとつながり、ピクピクと全身を震わせる快楽の燃料となった。
 
 「やっぱり…おっぱい敏感なんだな…乳首苛めるだけですぐイッちゃうもんな…」
 
 ―な…何の話…をぉ…♪
 
 俺と彼の認識のズレの確信に近い言葉が放たれた気がするが、軽いアクメを迎えて痺れた俺の頭ではそれを上手く理解する事が出来ない。それを理解すれば何か解決できる気がするのに、結局、素通りしていった言葉を恨めしく思いながらも、俺はマトモに思考を働かせることが出来なかった。
 
 「こんな敏感な身体を…俺以外の誰かに…!」
 「きゅふぅぅぅぅっ♪」
 
 そして再び独占欲を丸出しにしてルドガーが俺の胸へと吸い付く。しかし、それはさっきのような優しいモノではない。まるで彼の焦りを象徴しているように激しく強いモノだ。口の中へと取り込んで四方八方から舐め上げ、乳輪ごと吸い込むように唇で刺激する。彼自身が空気を取り込む度に、きゅぽんと間抜けな音を立てて解放されるそこはあっという間に真っ赤に晴れ上がってしまった。
 
 ―あはぁ…♪なんて…エッチなぁ…♪
 
 薄い桃色であった筈の乳輪と乳首が真っ赤に染まる光景はまるで、オスを誘っているようだ。はっきりと立ち上がり、硬いその身を晒す乳首がそのイメージを加速させているのだろう。自分の身体の事とは言え、欲情しきったメスの身体にドロドロと熱い熱が俺の支給に灯った。
 
 「じゅる…ちゅぱぁ…ぢゅるるぅ…!」
 「ひぅぅぅ…っ♪や…ぁぁぁぁっ♪」
 
 そして吸い込まれる度に被虐的な快楽が俺を襲う。勿論、その間も鷲掴みにされた方も愛撫され続けているのだ。単純で二倍の被虐感。それに俺の身体は再び絶頂へと浮き上がろうとしていた。アクメの直後で敏感だというのもあるのだろう。夢の中とはまるで変わらない敏感さと貪欲さを余す所なく発揮した淫らな肢体とは言え、普段であれば胸だけでここまであっさりとイくはずはないのだ。
 
 ―普段…?…あれ…?…夢の話…だよね…?
 
 親友が、いや、『私』の愛しい人がこうして胸を赤ん坊のように愛撫してくれている。左側は不器用ながらも『私』の癖をしっかりと知って鷲掴みながらも丁寧に快楽をくれていた。どうやらケダモノになっても、『私』が教えた事はちゃんと護っているみたい。ふふ…ホント、可愛い人…♪
 
 ―…待て…何の話…だ…?
 
 おかしい。さっきから何かがおかしい。今の浮かび上がってきた思考は何なのか。まるで夢の中の俺のような淫らで甘く蕩けるような…俺のイメージする『女らしい女性』を形にしたようなそれは――。
 
 ―ぐちゅっ
 
 「ひっ―――――――♪」
 
 そこまで考えた瞬間、彼の歯がついに俺の乳首を押さえ込んだ唾液塗れの口腔内で優しく挟み込まれる感覚は、柔らかい舌で弄ばれるのとは比べ物にならない。人間の中でもっとも硬く、もっとも強靭な筋肉で包まれた乳首が被虐感と快楽を伴った信号を何度も何度も弾けさせる。鷲掴みにされた逆側をあっさり超えたその感覚はただでさえ瀬戸際であった俺の身体を絶頂に押し上げるには十分すぎた。
 
 「にゃあっな…っあぁぁぁっ♪」
 
 発情した猫の様な嬌声をあげながら、再び弾けようとする絶頂感に身を捩ろうとした。しかし、馬乗りになった彼の身体と完全に押さえ込まれている俺の胸がそれを許さない。それは別に抵抗の意思を見せたものではなく、ただの身体の反応であったものの、それさえ許されないという被虐感がトドメとなった。自分が無力で彼に貪られるしかないメスに堕ちたことを感じながら、俺の腰はガクガクと揺れて、さっきよりも深い絶頂へと誘う。
 
 「ひあぁっ♪ひぅぅぅっ♪」
 
 しかし、一目で分かるほどはっきりとアクメを迎えているというのに彼の愛撫は止まらない。それどころか今感じている私のソレをもっと強いものにしようと言わんばかりにより激しく責め立てて来る。何処もかしこもバチバチと快楽が弾けていると言うのに、与えられる快楽を燃料にしているのか何時までも終わらないような気さえした。
 
 「あ…ふぁ…ぁ…♪
 
 ようやくその波が途切れた頃には完全に俺の身体からは力が抜けてしまっていた。勿論、僅かに残っていた抵抗する気力も。今は誤解云々よりももっとこの快楽を味わいたい気持ちが大きくなってしまっている。そんな自分に僅かに嫌気が指すがもう完全に火が吐いた本能は止まらない。夢の中と変わらない貪欲さを発揮して、そろそろ子宮に精液が欲しいと叫び始めていた。
 
 「はは…イッてるリズも可愛いよ…」
 「あはぁ…♪」
 
 ―嬉しい…っ♪
 
 長く長く続いた絶頂の所為でふやけた俺の頭はもう何を考えているのか自覚する事が出来ない。ただ湧き上がる感情のまま淫らな言葉と拙い感情を漏らすだけの器官に堕ちてしまっていた。もうそこにはさっきまでの違和感や誤解を解こうなんてつもりはなんて何処にも存在しない。ただ、快楽を貪ろうとする一匹のメスとなって彼に身を委ねようとしていた。
 
 「るどがぁ…ぁ♪触ってぇ…下も…触ってぇ…♪」
 
 まるで夢の中のように甘くオネダリしながら、力の抜けた腰を必死に動かす。ふるふると左右に揺れるそれは勿論、上に彼が馬乗りになっているので弱弱しい。しかし、彼の興奮の色を高めさせるのには十分過ぎるモノだったのだろう。その顔に浮かべるケダモノのような色を濃くしてそっとルドガーは俺の腰から降りた。
 
 「胸だけでこんなに濡れてる…やっぱりやらしいなリズは」
 
 そのままそっと俺の脚を開かせた彼がそう言った。それは多分、間違いじゃないのだろう。既に二度もイっているのだ。濡れやすいサキュバスの身体が愛液を外に垂れ流さないはずがない。今までは胸の感覚に一派一杯で気付かなかったが、愛液が内股を濡らしてベタついた感覚を広げている。しかし、普通であれば不快な感覚も夢の中と同じようにそれほど嫌ではなかった。
 
 ―ぐちゅ♪
 
 「ひぁっ♪」
 
 既に愛液で薄黒い色に染まり、下着の役目も果たせなくなったショーツに彼の指が突き刺さった。もうそれだけで俺のショーツはゴポリと愛液を染み出させる。そして快感。胸よりも子宮に近い所為かより鮮烈に感じられる強い悦楽に力が抜けている筈の俺の腰はビクリと跳ねた。けれど、それはあくまで生理的な反応でしかないのだろう。自分で何かをする気にはなれず、そのまま何度も突く彼の指に翻弄され続けるだけだ。
 
 「あぁっ♪あっ♪あぁぁっ♪」
 
 突かれる度にぐちゅぐちゅと淫らな水音と嬌声を上げて、それを受け入れてしまう。それは俺にコレから先にあるであろうセックスを髣髴とさせた。無論、突いているのは指であるし、そもそもオマンコとも直接は触れ合っていない。しかし、ルドガーに突かれていると言う事実だけで俺はもう興奮するような身体になっているのだ。背徳感と快楽を燃料にして、俺の子宮はさらに強く燃え上がる。
 
 「ショーツ越しに突いているだけでこんなに…俺の指もリズの愛液でぐちょぐちょだぞ」
 「ひぅ…♪ご、ごめ…あふぁぁっ♪」
 
 責めるような言葉にせめて謝るだけでもしようと口を開いたが、それもあっさり中断させられてしまう。気持ち良いのが子宮から頭に突き刺さってビリビリ来るのだ。そもそもサキュバスの身体は嬌声を堪えるようには出来ていないのか、何より優先してオスに媚びた甘い声をあげてしまう。そして、そんな惨めな自分に被虐感を増してまた背筋にも電流が走った。
 
 「はは…糸も引いてる…そんなに気持ち良いのか?」
 「うんっ♪うんっ♪うんっ♪」
 
 からかうように言うルドガーの言葉に何度も何度も頷くとそのケダモノの顔に僅かに嬉しそうな色を浮かべた。俺も夢の中で彼にフェラチオしている時はきっと似た顔をしているのだろう。快楽の奉仕者として愛するオスを、或いはメスを、満足させているという独特の喜悦。普通の興奮とはまた気色の違うそれは経験してみなければ分かりにくいことなのかもしれない。
 
 「じゃあ…これで指を上下させたら…どれだけ気持ち良くなるんだろうな…!?」
 「ひああああっ♪♪」
 
 そのままショーツ越しに彼の指が上下運動を始める。しかし、上下運動と言っても指にそれほど力が入っているわけじゃない。触れるよりも少しだけ強い程度の力だ。けれど、それだけでも俺は十分だった。敏感な粘膜を直接触られているわけでもないのに、それほど力が入っているわけじゃないというのに、俺の腰はさっきよりも激しい快楽に身悶えするように跳ねる。
 
 「ホント…ここも感じやすいなリズは」
 「ひぅぅぅぅっ♪」
 
 女性の身体の中で最も敏感だとされるクリトリスはまだ触られていない。ただ入り口周辺を上下に擦るだけの動きなのだから。しかし、それだけでも俺の身体はどんどんと絶頂へと押し上げられていく。しかも…胸とはまた比べ物にならないアクメへ。
 
 「ひぁ…っ♪んぁぁぁああっ♪」
 
 じわじわと子宮から溢れるようなアクメはその余波だけで腰を蕩けさせるようだ。まるで爆発する前の火山のように熱いマグマをその内に溜め込んでいる。その所為か確かに絶頂へと足を進めている筈なのに、中々、それは爆発しない。勿論、それは胸と違ってオマンコが敏感では無いという訳ではないのだ。一口にアクメと言っても、胸とオマンコで味わう感覚はまるで異なる。胸は意識を飛ばす様な事は決して無いが手早く絶頂する事が出来、オマンコの方は快楽を貪欲に溜め込んで一気に暴発するようなアクメである。その衝撃は身体中をボロボロにするような激しいもので、俺の意識を絶頂の果てへと吹き飛ばす事も少なくない。
 
 ―ううん…っ♪寧ろ…そっちの方が多いかも…♪
 
 抵抗できないようにと俺の両足を肩に乗せ、ガンガンと突かれるだけで俺はその迎えにくいはずのオマンコの絶頂を何度も何度も味わってしまう。その途中に意識を飛ばしたことなんて一度や二度ではない。無論、これらは夢の中の話だけれど、これだけ現実と感覚が似通っているのだからきっとそれも同じなのだろう。
 
 ―は…ぁ…っ♪早く欲しい…っ♪犯して欲しい…っ♪
 
 現実でもあの何もかも蕩けだすようなメスの快感が味わえる。そう思っただけで俺の身体はさらなる熱を灯した。見れば彼の股間も大きく膨らんで苦しそうである。それなら一緒に気持ち良くなるなるのも素敵じゃないだろうか――
 
 「そんなに熱っぽい目で見つめるなんて、もう我慢できなくなったのか?」
 「っ!」
 
 その視線に気付いたのだろう。からかうような色を強く浮かべて、彼はそんな風に言った。それに少しの驚きとちょっぴりの羞恥。そしてそれらとは比べ物にならない期待を瞳に浮かばせて、俺はコクリと頷く。
 
 「そうか。でも…まだお預けだ」
 「そん…っ♪ひぃんっ♪」
 
 その期待をあっさり裏切りながら、彼の指がぐりぐりと回る。位置と言い角度と言い、まるでオマンコの上にある排泄口を抉るようだ。勿論、サキュバスの肢体は普通は弄られないようなそんな場所でさえはっきりとした快楽を感じて俺の視界を瞬かせる。しかし、犯してもらえるかもしれないと一瞬でも思ったサキュバスの身体は貪欲だった。さっきまでは満足できていたその快感をまるで違うと一蹴し、気持ち良いハズなのにまるで絶頂へと進んでいる気がしない。
 
 「安心しろよ。ちゃんと気持ち良くしてやるから」
 
 ―ち、違う…っ♪違う…のぉ…っ♪
 
 いや、多分、分かって言っているんだろう。意地悪なその顔の色を見れば良く分かる。夢の中でも俺を責め立てる時に良く見せるその表情は俺がもう我慢できないと分かっていて焦らすつもりだ。それが不満な反面、被虐的嗜好を持つ俺の身体は背筋を浮かせる。二度の絶頂を経てじっとりと汗ばんだそこに鳥肌さえ浮かばせながら俺の身体は満足できない快楽に身悶えした。
 
 「ひぁぁ…っ♪きゅ…ふぅ…っ♪」
 
 そのまま彼の指がまた上下運動を再開する。けれど、それは彼の言葉通り、さっきよりも早く、力強いものであった。上下した後に尿道をぐりぐりと弄る被虐的な快感を含めるまでも無く、それは確かに気持ち良い。けれど、今の身体が欲しているものとは微妙にズレている感覚が止まらないのだ。
 
 ―イきたい…っイきたいイきたいイきたいイきたいぃぃぃっ♪
 
 既に子宮に溜まる熱は何時、アクメに達してもおかしくないほどの量になっている。けれど、さっきの期待が俺の身体の歯車をズレさせているのだろうか。普段であれば何時イってもおかしくないくらいなのに、道半ばで止まっている。それが不満で抗議するように身悶えするけれど、彼は分かっているくせにそれを受け入れてはくれない。きっと私がおかしくなるまで焦らすつもりなのだろう。
 
 ―ひぅ…ぅ…そんにゃぁ…♪そこまで…焦らされた…らぁ…♪
 
 夢の中での俺はどんな責め苦も受け入れていたが焦らされると特に弱い。ソレこそ犯される為であればどんな淫らな言葉でも叫んでいたような気がする。いや、淫らな言葉でのオネダリは可愛いもので、力の入らない身体に鞭打って彼が満足するまで目の前でオマンコを開きながら、腰を振って誘惑させられた事もあるのだ。もし、現実でもそこまで焦らされてしまったらどうなるのか。怖い反面、被虐的な俺の身体はビクビクと悦楽に震えた。
 
 「はは…もう我慢できそうな顔をしてるな」
 「はぅぅん…っ♪…ひ…う…っ♪」
 
 ―うんっ♪うんっ♪もう…我慢出来ないのっ♪これ以上焦らされたら…おかしくなっちゃうぅ…っ♪
 
 いや、もうおかしくなっているのかもしれない。甘い吐息はさっきから止まらず、じくじくとした感覚ばかりが先行している。子宮の熱は未だ温度と量を高めるだけで一向に爆発する気配が無かった。もうこれ以上は本当におかしくなってしまう。今でさえ殆ど理性はないけれど、これ以上、焦らされれば本当に彼に犯されるためであれば何でもするメスと化してしまうのは確実だ。
 
 「じゃあ…そろそろご褒美をやろうか」
 「やたぁぁ…♪ご褒美ぃ…♪」
 
 彼の指が遠ざかったお陰で少しだけ余裕が出来た口からそんな舌足らずの甘い声が漏れ出る。まるで子供が甘えるようなそれはもう俺が限界に達しているという証左だろう。最近は丸くなったとは言え、普段であれば決して言わないソレに俺自身にまたマゾな快感を齎す。
 
 「じゃあ…脱がすぞ」
 「はぁい…♪」
 
 宣言するようにショーツの紐に手を掛ける彼に応えながら、俺の腰は必死に浮かせた。そのままそっと彼の手が足の方へ降りて行き、ぐちょぐちょの粘膜からショーツが引き離される。完全に愛液を留める場が無くなった事で、ゴポリと粘液が零れ、ベッドの上に幾つか染みを作った。けれど、もうそれを気にする余裕さえ俺には無く、期待と興奮だけが心の中に詰まっている。
 
 「見ろよリズ。お前の下着もうこんなに濡れてるぜ?」
 
 けれどもそんな俺をまだ焦らすつもりなのか、既にショーツとも呼べないような濡れた布を俺の前の広げた。自分の愛液で染みを沢山つけたお気に入りのショーツの成れの果てにきゅんと子宮が疼いてしまう。もう濡れてない部分を探す方が難しいくらいのそれは見ているだけでも俺の興奮が分かるくらいだ。
 
 ―でも…でも、そんなのはどうでも良い…っ♪
 
 そんなのよりも今は犯して欲しい。意地悪しないで欲しい。そんな感情を込めて彼の顔をじっと見つめた。それが伝わったのだろう。彼はそっと微笑んで、口を開いた。
 
 「じゃあ――今度は直接、弄ってやるからな」
 「え…?」
 
 宣言された言葉が俺には一瞬、理解できなかった。数瞬のタイムラグの後も、ご褒美をくれるって言ったではないか、これ以上焦らされたら本当におかしくなっちゃう、焦らされるのは好きだけれど、どうしてここまで…、そんな風な考えが脳裏をぐるぐるとめぐり答えが出ない。そして、そんな風に呆然としている間に彼は俺の下腹部に顔を埋めるようにしてスンスンとそこの匂いを嗅いだ。
 
 「リズ…もう甘い匂いが立ち上ってるぞ。発情した…メスの匂いだ」
 「わ、分かってるなら――ひゃんっ♪」
 
 そこまで言ってオマンコから――既に彼の目の前に晒されている女性器から感じる感覚に身を震わせる。ビラビラを大きく広げてオスを誘っているようなソレは、最初は初心な少女のようにぴっちりと閉じていた。しかし、夢の中で彼の手によって開発される度にそこはより淫らに変わっていっている。そう。『変わっている』のだ。もう既に陰唇をビラビラとしか形容できない淫らなものに変えて、興奮に応じてぱっくりと粘膜を晒すそこは未だ尚、発展途上にある。
 
 「相変わらず淫らな形をしてるな。ビラビラを大きく広げて…膣の入り口なんて物欲しそうに引きついてるじゃないか。それにくぱくぱってまるで呼吸するように動く度に、奥から本気汁まで垂れ流してるぞ?どれだけ感じてるんだよ」
 「きゅふぅぅっ♪」
 
 そして、ぐちょぐちょとオマンコの入り口を撫で回すような彼の指に強い快感を感じてしまう。あの夢が始まってから一ヶ月。その最中に開発されたのかドンドンと敏感になっていくその周辺は、直接撫でられるだけでさっきとは比べ物にならないくらいの悦楽を走らせていた。腰もさっきからガクガク震えて止まらない。視界もチカチカ瞬いているというのに、絶頂だけが一向に始まらず、俺は満足できない感覚に不満を込めた甘い吐息を漏らした。
 
 「ひ…っぅぅぅぅっ♪」
 「可愛いな…リズ…可愛いぞ…」
 
 そんな俺に向かって可愛いとルドガーが繰り返す。しかし、それにさっきほどの歓喜は感じない。勿論、それは俺が彼を嫌いになったとかそういう意味ではなく、それを感じるだけの余裕が俺には無いからだ。期待を二度とも裏切られ、今もこうして気持ち良いのに絶頂出来ない感覚が続く俺はそれでも溢れる期待と深い失望で胸が一杯であったのだから。
 
 「ほら…直接、尿道もグリグリしてやる…これ、好きだろ?」
 「ふああああああぁぁっ♪」
 
 そして、俺をさらに追い詰めようとオマンコの入り口だけでなく、尿道にも彼の指が掛かる。オマンコと同じように夢の中で開発されきったそこは穿られるように指を動かされただけで叫び声を上げてしまうくらい気持ち良い。さらに、その先にある膀胱も刺激される事になるのだ。うずうずとした排泄欲求が刺激される感覚に刺激されたマゾの本能が、俺が受け取る快楽をさらに一段階強いものへと引き上げる。
 
 ―あぁぁっ♪気持ち良い…のにぃ…ぃっ♪
 
 それらは間違いなく今日味わった中で最高の快楽だった。まるで俺の感じる場所を全て把握しているような愛撫なのだから。敏感なサキュバスであると言うのを差し引いても見事としか言い様がないだろう。しかし、それでも頑固な俺の身体は絶頂には至らない。まるでオチンポを貰うまではアクメしないと硬く決めているようにその足を進めないのだ。そうなると強い快楽は苦痛と同義となってしまう。子宮に溜まる熱を渦巻かせながらも、それを解放する術を与えられないのだから当然だ。まるで射精を禁じられているかのようなそれに俺の脳髄はじりじりと焼け付くような衝動を感じ始めている。
 
 「後はこの可愛いクリトリスを剥いてやったら…どうなるんだろうな?」
 
 その言葉を聞いて俺の全身にゾクリと寒気が走った。無論、それは被虐的なものを多分に含んでいる。しかし…同時に恐怖も。ただでさえ尿道とオマンコの入り口の刺激で苦痛に近いほど気持ち良いのに、これで陰核まで加わったらどうなるのか。絶頂に至れれば良いが、溢れかえる欲求不満に壊れてしまうんじゃないかとさえ思う。けれど…俺の心の何処かにはマゾの終着としてそれを望む『何か』も居て――
 
 「や…ぁぁっ♪」
 
 結局、俺はその誘惑に屈さず、拒絶の意を示した。力なく首を左右に振りながら、甘い声で嫌と主張する。それが伝わったのだろう。彼はそっと安心させるような笑みを浮かべて、オマンコを触っているのとは別の手でそっと下腹部を撫でてくれた。
 
 「そうか…そんなに嫌なら――たっぷりと感じさせてやる」
 
 ―え…そ、そんな…ぁっ♪
 
 それを思考に浮かばせた瞬間、それはぶつりと途切れた。下腹部を撫でた手が陰核に触ったのだろう。途切れる瞬間に触れた感覚があったからそれは分かる。しかし、中々、感覚が追いつかない。意識ははっきりとしているのに思考も途切れ快感が遠ざかったと思った瞬間――押しつぶすような快楽の波が俺の方へと襲い掛かってきた。
 
 「ひ…ぁぁぁぁっ♪きゅあああああああんっ♪」
 
 叫んでも叫んでも叫び足りない。気持ち良い。ううん。気持ち良すぎる。まるで右から左から殴られているように思考が揺れて止まらない。強すぎる快楽に途切れた思考が、何度もたたき起こされるような快感の群れ。気持ち良い。ただ、純粋にそれだけに特化させた感覚が俺の身体を襲っている。それは電流と言うよりイナゴの群れに食いつぶされる感覚と例えた方が近いのかもしれない。
 
 ―でも、でもでもでもでもでもぉぉぉっ♪
 
 それは絶頂じゃない。確かに気持ち良い。気持ち良いのだけれど、あくまでそれだけは浮き上がるような感覚は無く、身体中に波及していく感覚も無い。あくまで脳と子宮だけに届いているだけだ。快楽の総量だけで言えば胸の絶頂と大差ないのに、どうしてもアクメとは結びつかない。子宮の中にあるドロドロの熱を解放してくれず、ただそこに溜まっていくだけなのだ。
 
 「やぁぁぁっ♪やぁぁぁぁっ♪」
 
 しかし、どれだけ叫んでも彼は止めてはくれない。きゅっと掴んでクリクリと指の間で転がすように苛めてくる。それは普通の女性にとっては敏感過ぎて苦痛すら感じるような愛撫だろう。しかし、サキュバスがそれに苦痛を感じる筈もなかった。夢の中でも何度か味わった感覚であるというのもそれを助けているのだろう。強すぎる快楽に辛いとは思うものの、苦痛とはまるで結び付けない。
 
 「やらぁぁっ♪ひ…っあぁぁぁぁぁっ♪」
 
 オマンコの入り口。尿道。そしてクリトリス。屈指の敏感なスポットを苛められ、俺の身体がビクビクと跳ねる。まるでまな板の上で必死に魚が抵抗しているようなその動きは、その例えと同じくまるで抵抗にもならなかった。力が殆ど抜けきって生理現象くらいでしか動けないサキュバスの身体よりも彼の方が遥かに力強い。どれだけ暴れたとしても彼がぎゅっと押さえ込めばそれだけで何の抵抗も出来なくなってしまう。
 
 「はは…そんなに跳ねて…悦んでくれてるんだな」
 「違っ…♪あぁぁっ♪」
 
 分かっているだろうに意地悪な色を灯して彼は俺を何度も何度も責め立てて来る。その度に俺の身体は震えて止まらない。それどころかさっきから刺激された膀胱が排泄欲求を高めているのだ。このまま刺激され続ければ、失禁してしまうかもしれない。マゾではあると自覚しているが、後始末が面倒な場所での失禁は出来ればそれは遠慮したい事だ。しかし、グリグリと尿道を刺激する動きは止まってくれず、それに牽かれる排泄欲求も止まらない。
 
 「ひゅふぅっ♪やめ…てぇ…♪」
 「今更…止めると思ってるのか?」
 「でも、これじゃあぁあきゅぅぅぅんっ♪」
 
 止めようと必死で漏らす声も彼には受け入れてもらえない。それどころか俺の心を折ろうと愛撫する指先に余計に力さえ籠めてきている。自然、膨れ上がった快楽にまたチカチカと視界が瞬いた。けれど、やっぱり絶頂には至らず、俺の不満度を高めるだけの結果に終わる。
 
 「やぁぁ♪おしっこ出るぅ♪出ちゃうからぁぁ♪」
 「へぇ…出せば良いじゃないか。何度もしてるだろ?」
 「違っ…あぁぁっ♪」
 
 彼の言葉通り確かに何度も失禁している。けれど、それは夢の中であり、何よりベッドの上なんかじゃなく後片付けのしやすいお風呂くらいだ。そもそも夢の中でさえ、「お風呂場以外ではあんまり尿道は責めないでね♪」って言ったじゃないか…!
 
 「後片付けは俺がしてやるから遠慮なく漏らせよ」
 「そん…にゃあっ♪」
 
 無慈悲な彼の言葉に絶望にも近い背徳感を感じるが、もはや俺に成す術は無い。寒気をも伴った排泄欲求はもう抑えきれないところにまで達している。
 
 ―もう…無理ぃ…っ♪
 
 抑えきれないゾクゾク感。それに脳裏が痺れた瞬間、ぐちょりと今まで以上の水音がした。そして同時に何かぬるぬるしたモノが膣の中に入り込んでいる感覚が走る。それは快楽でひくつくオマンコの中に入るくらい硬い。そして同時に柔らかく、何より生暖かい。まるで人肌ほどの暖かさのソレが彼の『舌』であると気付いた瞬間、俺の我慢は完全に決壊した。
 
 「ひ…っぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ♪」
 
 決壊した尿道から何か暖かいモノを漏らす感覚。それはトイレであれば安心感を伴ったものであっただろう。けれど、俺が横たわっているのは自分のベッドであり、それも自発的に漏らしたものではない。安心感よりも背徳感と被虐心で脳髄が痺れてどうにかなってしまいそうだ。
 
 「ひぁ…っ♪ひゅぅぅぅんっ♪」
 
 そして漏れるソレを気にしていないように彼の舌が私の膣内を舐め上げる。ぐちょぐちょとぬるぬると。失禁の音に負けないように舌を激しく暴れさせていた。ようやく感じる膣内の快感とクリトリスの刺激。そして愛しい人の顔を穢しながらも、止められないという尋常じゃないシチュエーションが俺の興奮を加速させた。
 
 「は…ふ…あぁ…♪」
 
 失禁が収まった頃にはもう俺の思考はもうボロボロになってしまっていた。別に彼の目の前で失禁するのは一度や二度ではないし…無理矢理させれたのもまぁ…同じくらいある。全部、夢の中の話だが。だけど…こんな風にベッドの上で…しかも、彼の顔を穢しながらなんて夢の中でだって経験は無い。被虐と嗜虐。無理矢理、その二つの嗜好を満たされた俺の思考はもう考えるのを半ば放棄していて、排泄物で汚れたベッドに身を委ねるだけだ。勿論、そんな俺の股間では未だじゅるじゅると啜る音が聞こえて、ビリビリとした快楽を子宮に植えつけられてしまう。
 
 「ちゅ…ぱぁ…はは…随分、派手に漏らしたもんだな」
 「あ……♪くふ…♪」
 
 思う存分味わったのか舌をオマンコから引き抜いて言うその頬を思いっきり引っ叩いてやろうかとさえ思う。例えマゾでもやって良い事と悪い事があるのだ。そしてこれは間違いなく後者だろう。別に彼であればレイプされるのに異論は無いが、正直、ここまでされると悦びよりも怒りが先に立つ。…まぁ、気持ち良かったのは否定しないけど。
 
 ―くそぉ…ぉ♪それなのに…ぃ…♪
 
 さっきの失禁でさえ結局、俺の身体はイけなかった。やっぱりもう完全にスイッチが入ってしまっているのだろう。子宮もさっきから熱いオスを求めて止まらない。きゅんきゅんと唸りながら、熱を溜め込むそこはもう限界だと主張していた。多分、身体さえ動いていれば自分から襲い掛かっていたことだろう。それくらいの欲情と興奮が未だ冷める様子を見せないまま、俺の御腹の奥で滾っている。
 
 「…もうホントに限界そうだな…」
 
 そんな俺を見てぽつりと漏らしながら、ルドガーの身体が離れた。そのまま一気に服を脱ぎ捨てて裸へとなっていく。それは勿論、パンツさえ例外じゃない。真っ赤なボクサーパンツも勢い良く脱ぎ捨てる。そして…その先から現れたオスの象徴を、まるで見せ付けるようにひくつかせていた。
 
 ―は…ぁ…♪
 
 それは夢の中で見たのとまったく同じ形状をしていた。太さにして俺の指の三本分くらいはあるだろうか。俺のオマンコを何度も抉った太さは現実でも同じで、見ているだけで子宮がきゅんきゅんと唸るくらいだ。また長さも手扱きの際に両手を使えるくらいは持っている。色もどす黒く染まっていて、その中で浮き出た青い血管が凶悪なイメージをさらに加速させていた。
 
 ―そして…何より匂い…がぁ…♪
 
 既に先端からドロドロと先走り汁を零すオチンポからは生臭いオスの香りが立ち上っていた。よっぽど我慢していたのだろう。先端から漏れるそれは零れ落ちてオチンポの全体をテカテカと光らせていた。そんな美味しそうなオチンポが俺の目の前でピクピクとひくつくのだから、我慢なんて出来る筈もない。さっき感じていた怒りをあっさりと投げ捨てて、俺はもう目の前のオチンポの事しか考えられなくなってしまっていた。
 
 ―欲しい…っ♪オチンポ欲しい…っ♪
 
 もう頭の中はソレ一色で他の物なんてまるで見えない。唯一、他に感じるのはさっきから痛いくらいになってきた子宮の疼きくらいだ。後は目も鼻も全部、オチンポに惹き付けられてしまっている。
 
 「これが欲しいか?」
 「うんっ♪欲しいっ♪るどがぁのおちんぽ欲しいよぉ♪」
 
 反射的に舌足らずに応えながら、きゅっと腰を浮かせた。まるでオネダリするようなそれに彼はそっと微笑んでくれる。それに何度も何度も裏切られている俺に一抹の不安が過ぎった。けれど、今度ばかりは嘘じゃないらしく、ルドガーの手はそっと腰に触れて、力の入らない俺の身体をぐるんと反転させる。一瞬で上下が反転した感覚に戸惑ったものの、それ以上に下腹部で弾ける期待が強い。
 
 ―ふ…ぁ♪メス犬みたい…♪
 
 力なく頭をベッドに伏せさせて、彼の手できゅっと上げられた腰。それは他から見ればメス犬にしか見えないだろう。実際、その通りだ。さっきまでじゅるじゅると啜られていたオマンコはその口をくぱくぱと開閉させて愛液を漏らしている。自然と動く腰もさっきから左右に揺れていて、オス――ルドガーを誘っていた。
 
 「してぇ…♪早く…っ♪早くオチンポ頂戴ぃ…♪」
 「あぁ。だけど…これに答えてからな」
 「な…何ぃ…♪」
 
 もう快楽に染まりきった思考は停止しているも同然だ。快楽を得る為であればなんだって言ってしまうであろう。どんな恥ずかしい淫語でも、今の俺にとっては興奮の燃料でしかない。そして、淫語を口走るだけで犯してもらえるのであれば…マゾな俺にとってそれほど幸せな事はないだろう。
 
 「――俺の事を好きだと…愛していると言ってくれ」
 
 ―けれど、告げられた言葉は淫語とは程遠い愛の言葉であった。
 
 レイプしておいて、好きと言えだなんて笑い話でしかないだろう。けれど、今の俺はそれを笑えなかった。勿論、欲情で頭が燃え上がって上手く働かなかったというのもある。だけど…それより大きいのはそれを『聞き覚えがある』と言う事で――
 
 ―ふと脳裏に浮かんだ推測。
 
 それはあくまで推測だ。証拠なんてまったくない。…いや、あるか。今まで思い浮かべた俺の様々な感情、思考がその証拠になるだろう。いきなり襲い掛かった彼にキスされても嫌がらなかったのも、レイプされること自体はそれほど嫌でなかったのも、彼が的確に俺を感じるように責め立てるのも。それは全てが俺の推測の証拠であり…俺の推測はそれらを繋ぐ糸となる。
 
 「…リズ…」
 
 ―…あは…ぁ♪
 
 少し冷静になった俺の――いや、私の耳に彼の声が届く。それはもう欲情塗れで、搾り出すようなものになっている。もしかしたらその口から漏れ出る荒いと息の方が強いかもしれない。この人は…俺からその一言を引き出すためにここまで自分を抑え込んだ。なら…私はそれに応えてあげなければいけないだろう。
 
 「ルドガー…愛してるわ…♪誰よりも…世界で一番…♪だって…私はアナタの『恋人』なんですもの♪」
 「リズ…!!」
 「ひゃああああああんっ♪」
 
 私の告白と共に彼の手が私の腰を掴み、一気にオマンコにオスを割り入れてくる。ゴリゴリとそんな音を立てながら陵辱されるようなそれもいい加減、慣れた。もう今では痛みを感じる事は無く、得られるのはただ果てしなく広がる快楽だけ。それはクリトリスからの刺激に比べれば明らかに愚鈍なモノであったのだろう。しかし、俺の絶頂を押さえ込んでいた扉を開く鍵は別に鮮烈なものではなくとも構わなかったらしい。熱い亀頭がつぷんと音を立てて入り込んだのを感じた瞬間、私の身体は一気にアクメを迎える。
 
 「にゃあああっ♪ふあぁぁぁっ♪」
 
 オマンコを弄られるようになってからずっと押さえ込まれていた悦楽の奔流は留まる所を知らない。まるで私の身体をバラバラにするように、渦巻き続けている。それに俺は抗う事も出来ない。あっさりと身体中の感覚を千切れさせ、快感神経以外を遮断する。まるで身体中が快楽を感じるだけの器官に成り下がったようだ。しかし、それでもまだそのアクメは暴れたり無いのか、俺の腰をガクガクと震わせながら潮を吹かせる。
 
 ―そして、その絶頂が俺の最後の砦を壊していく。
 
 理想の女性を演じ、彼を襲った事を『夢』として処理していた一線が、今の今までその事実から俺の目を背けさせていた一線が、絶頂の中で消えていってしまう。『夢』と『現実』として処理されていた二つのパーソナリティが、激しい悦楽の中で混ざり合い、一つになっていくのだ。お互いに飲まれ飲み込まれ、ゆっくりと新しい自分になる感覚は悪くはない。まるで生まれ変わっているような感覚に私は目を閉じて浸った。
 
 ―私…変わる…ぅ♪変わっちゃうぅ…っ♪
 
 『俺』でも『私』でもない新しいパーソナリティ。両方を兼ね備えたその誕生に私は背筋を振るわせた。…いや、それはさきから終わらないアクメの所為であるのかもしれない。未だゴリゴリと私の膣肉を掘り進む愛しいオスが、新しい快楽をくれているのだから。ここ最近の交わりでしっかりと調教された私は膣肉の一片までしっかりと感じる事が出来る。彼にむしゃぶりついている無数の突起の一本一本から蹂躙される快感を感じて、私は次の絶頂へと押し上げられた。
 
 「あきゅぅぅっ♪美味しいっ♪るどがぁのオチンポ最高だよぉっ♪」
 
 新しく生まれたパーソナリティは絶頂の中で甘く叫ぶことが出来る程度には強靭さを持っているのか。されさえも自覚する余裕が無いまま、私の咽喉は淫らな言葉を漏らす。それは勿論、『私』がそうするとより気持ちよくなっている事を知っているからだ。快楽の中で生まれた所為か『私』よりも貪欲な私がそれを見逃す筈がない。もっとこの交わりで気持ち良くなろうと脳裏に浮かぶ淫語を片っ端から口叫ぶ。
 
 「太くてぇ大きくてぇぇ♪熱くてくしゃいぃ♪るどがぁのオチンポ大好きぃ…♪」
 「はぁ…っ…り…リズ…!!」
 
 そして私の淫語に興奮をそそられた彼が一気に腰まで突き進める。そこはもう愛液の源泉としか表現することの出来ないような場所になっていた。さっきから終わらないアクメの所為で子宮が愛液を垂れ流すように作り続けている。勿論それは私の子宮口からオマンコへと流れ落ち、突起に溢れた膣奥に溜まっていた。その出来立てほやほやの熱い粘液の群れの中に亀頭が突っ込んだのである。その快楽は一入であろう。何時もであればその時点で射精してもおかしくはない。
 
 「くぅ…!」
 
 けれど、彼はそれを歯を食いしばるように堪えて、ぐりぐりと亀頭を子宮口に擦り合わせる。まるで自分の味を必死に覚えこませようとしているような仕草に歓喜と興奮を覚えた。それに応えた膣がきゅっと締まって、ボルチオ周辺の突起の群れを亀頭に絡み合わせる。何十回にも及ぶ性交の果てに彼専用のオマンコと化しているソコは何時ものようにカリ首を撫で上げ、亀頭の皺を一本一本解すように優しく舐めていった。
 
 「う…わぁ…!」
 「ひゃんっ♪もっとぉ…もっとこつこちゅしてぇ♪」
 
 勿論、それは彼だけではなく私にも大きな快楽として跳ね返ってくる。ルドガー専用のオマンコと言う事は、即ち彼で最高に感じる事が出来るという事でもあるのだから。膣肉の一片までその味を覚えこまされた私は慣れるどころかより貪欲な亡者となって快楽を貪っている。それはもう他の誰かでは満足できないレベルにまで進んでいる。例えどれだけ欲求不満であっても彼以外のオスと交わるなんて本能でさえ思わない。それくらい私はもう身も心も彼にぞっこんだ。
 
 「ひゃぅぅぅんっ♪」
 
 強い喘ぎ声を上げながら、私の背筋は弾ける感覚に震えた。下腹部から激しい感覚が今までに無いゾクゾクとした感覚となって襲い掛かってきたからである。それは私の要望に応えて彼が子宮口を叩いている快楽なのだろう。こつこつと深い場所で小さく腰を振って、亀頭を子宮口がぶつかり合うたびに私の視界が真っ白なモノとピンク色のもやのようなもので瞬く。数ある責められ方の中でも一番大好きなボルチオを責めてくれる彼に愛情を溢れさせながら、感謝の言葉と淫語が結びついていった。
 
 「あはぁ♪これしゅきぃ♪ボルチオ責められるの大好きぃぃっ♪しゅてきで美味しいオチンポでこつこちゅさいこぉぉっ♪」
 「リズ…!…俺は…」
 「るどがぁも好きぃっ♪愛してりゅぅっ♪わたひ…じぇんぶアナタのモノだよぉっ♪」
 
 舌足らずの声で不安がる彼に愛していると伝えてあげる。勿論、詳しい説明なんて今は出来ない。一致したパーソナリティのお陰かさっきより多少、思考は回るけれどそれだけだ。思考の大半はまだ悦楽に支配されて痺れている。その支配域はどんどん広がっており、何れ私も飲み込まれてしまうだろう。それに逆らうことは出来ない。何故なら…私自身、そうありたいと望んでいるからだ。
 
 ―それにぃ…別に…終わった後でもぉ…♪
 
 勿論、彼が誤解したままと言うのは心苦しいが普段は決してしないであろう責め苦をし今も何時も以上の興奮を叩きつけるように腰を振っているのだ。執拗に自分を刻み込もうとする彼が、今の私にはとても愛おしい。別に刹那主義というわけではないが、今はとても気持ち良いし…後からでもリカバリー出来る問題だ。それならば、今は快楽に浸っていたい。そう考えた私の腰がまるで自分から彼へと押し付けるように動いていく。
 
 「ひゃああっ♪きゅうううんっ♪」
 
 それはもうコツコツなんて甘いレベルではなかった。お互いに動き出し、興奮を押し付けあうケダモノの動き。ぶつかりあう二つの肉はもうゴツゴツと言う音を私の恥骨に響かせている。そして、それとは対照的に激しくぶつかり合う私のお尻と彼の腹筋がぱちゅぱちゅと肉を弾けさせていた。一ヶ月近くの交わりの中でその豊満さを大きく増したそこは、一回一回のぶつかりあいで柔肉を歪めさせふるふると震えている。勿論、それを感じる私に被虐的な感覚を伝えながら、だ。
 
 「ふわぁ…っ♪ぱちゅぱちゅって音凄いぃっ♪えっちだよぉっ♪えっちすぎて私ぃぃっ♪」
 
 何度目か分からないアクメとソレに伴う締め付けを繰り返す。膣の入り口からぎゅぅっとしがみついて、子宮口へとゆっくりと伸びていくようなそれにルドガーのオチンポはビクビクして震えて大きくなってくれる。もうきっと限界なのだろう。それはもう射精寸前の大きさだ。煮え滾るような熱も収まらずどんどんと高まっていく。ぶるぶると全身が震えるオチンポからは精の混じった先走りの味も感じる事が出来た。
 
 「あはぁっ♪イきゅのっ♪イくのねぇっ♪らしてぇぇ…オマンコの奥に一杯しゃせーしてねっ♪」
 「リズ…!!」
 
 甘い声でオネダリした瞬間、ゴツンと今まで以上に激しく亀頭と子宮口がぶつかる。その衝撃に私の子宮がまた絶頂へと押し上げられた瞬間、一分の隙も無い位に子宮口と密着した亀頭から精液が吐き出された。
 
 「はぁぁっ♪きゅううんっ♪ひゅぅぅぅんっ♪」
 
 それは先走りや唾液とは比べ物にならないくらい濃厚だ。精の原液とも言える白濁した熱いマグマは一気に私の子宮口を通り抜け、子宮の中へと侵入してくる。それにサキュバスの身体は例えようもない美味しさを感じて震えた。何度、味わっても色褪せないどころかもっと欲しくなるそれは麻薬にも近いのかもしれない。…いや、そうなのだろう。だって、私はもうそれなしの生活を、ルドガーという愛するオスの精液無しでの生活なんて考えられないのだから。
 
 「ひ…っあああああああぁぁぁぁっ♪」
 
 そして勿論、ただ美味しくて中毒性があるだけじゃない。普通は決して届かないであろう敏感な子宮口の通り道。そこをドクドクと熱いマグマが通り過ぎていくのだ。その感覚は電流や電撃と表現するよりも、快楽神経を鑢で磨き上げられていると表現した方が近い。まるで直接弄ばれているような激しすぎる快感に私の腰が何度も跳ねる。しかし、貪欲な子宮はそれを余す所なく受け止めて、全てアクメの燃料へと変換するのだ。
 
 「はきゅうぅぅっ♪」
 
 しかも、それが終わらない。インキュバスでもなんでもない彼は何時もであれば一分も掛からず、その射精を終わらせる筈なのに、もう数分近く続いている。勿論、最初ほどの勢いはそこにはないけれど、漏れ出すようなモノではなく未だ撃ち出すような『射精』を繰り返していた。必死にじゅるじゅると吸い上げる子宮口の出番も無いくらいの射精に私の絶頂は際限なく上がり続ける。既に切り離された意識が嵐に巻き込まれているように快楽で震えるくらい、アクメは激しく高まっていった。
 
 「あは…ぁ…は…ふゅ…ぅ……♪」
 
 結局、私が射精から解放されたのはそれから数分後くらいの出来事だった。しかし、激しすぎる快感に翻弄され続けた私には一時間近くにも感じる。勿論…それは幸せで仕方ない時間であったわけだけれど。
 
 ―でも…こんなに長く続くなん…てぇ…♪
 
 既に私の子宮は注ぎ込まれた精液でたぷたぷと音を鳴らしていた。正確に測ったことは無いが、そこにはもう普段の一日分の精液が注ぎ込まれているだろう。しかし、それで精力を使い果たしたかと言えば決してそうではない。子宮口に未だオネダリされるように吸い付かれているオチンポは射精寸前の硬さや熱は失ったものの、挿入当時と殆ど変わらない力強さを保っている。それにメスとして悦びを感じる反面、精力剤では到底、説明がつかない彼の精力に胸が痛んだ。
 
 「にゃん…でぇ…♪」
 
 未だ続くアクメにびくびくと四肢を振るわせながら言葉を紡ぐ。けれど、彼はそれに答えるつもりは無いらしい。未だ興奮の熱を灯すオスの象徴を大きく引きながら、彼の手は私の腰からお尻へと移動する。そのまま尻たぶを開くようにして掴み、ひくつくアナルを彼の目の前に晒した。誰だって決して見られたくは無い不浄の穴を愛するオスに見られている。そのシチュエーションにまたゾクゾクと背筋に被虐的な快楽が走った瞬間、彼は浅い部分に亀頭を押し付けるように腰を動かした。
 
 「にゃあああっ♪」
 
 勿論、私の弱点を知っている彼が何の意味も無くそんな事をする訳が無い。浅い部分を前後する亀頭は、私のザラザラとした性感帯――Gスポットを擦りあげていた。一説にはオスの前立腺が退化して出来たとも言われるソコはボルチオとなんら変わらない激しい快楽を私に齎す。…けれど、そこは気持ち良い反面、苦手だ。苦手なのだ。
 
 「やぁぁ…っ♪またぁ…っおしっこ出るぅ出ちゃうぅっ♪」
 
 尿道をグリグリされたのとは比べ物にならない排泄欲求が私の背筋を暴れまわる。まるで意思を持っているようなそれはゾクゾクと言う事場では最早、説明がつかない。それ自体がまるで一つの絶頂のように私の背筋を全身を暴れまわっている。そんなものにただでさえ堪え性の無い私の身体が我慢できるはずが無かった。あっさりと決壊した私の下腹部からは透明な液体が噴出す。
 
 「ひぁぁぁっ♪出りゅぅっ♪出ちゃってるぅっ♪」
 
 さっき失禁していなければ、潮を吹くと同時に失禁もしていた事だろう。それくらいの衝動が私を襲っていた。しかも、それがまるで収まる様子が無い。彼にGスポットを擦り上げられるたびに絶頂と共に排泄欲求が復活し、また私の下腹部から無理矢理、潮を吹かせられる。それはもうタオルか何かでリカバリーすることは不可能な量になっている事だろう。正直、後ろを振り向くのが怖い、
 
 「ここも…此処も大好きだろうリズ…!お前が…お前が教えてくれたんだからな…!」
 「やぁぁっ♪好きぃっ♪好きだけどおぉっ♪」
 
 確かにGスポットの責め方を教えたのは『私』だ。でも、それはお風呂場でと言う限定条件だったはずである。世の中にはどれだけ体液を漏らしても全て吸収してすぐに乾くベッドもあるし、それを買うまでは後片付けが大変だからね、と約束した筈だ。事実、そんな加工をまったくされていない私のベッドは最早寝られない状況になっているだろう。けれど、それが分かっていても、彼は私を責め立てるのを止めない。何度も何度も亀頭をこすりつけて、私に潮を吹かせ続ける。
 
 「いきゅぅ…っ♪また潮出りゅぅっ♪」
 「はは…!リズの事は…俺が一番良く知ってるんだ…!俺が…俺がぁ…!!」
 
 ビクビクと全身を震わせて潮を吹く私の上で独占欲に満ちた言葉が投げかけられた。何処か苦汁にも似たそれは彼も苦しんでいると言う事の証なのかもしれない。けれど、Gスポットを責められ続けて、ボロボロになっている私にはそれに気を割く余裕は殆ど無かった。
 
 ―あはぁ…♪無理矢理ぃ…♪潮吹きさせりゃれるのしゅてきぃ…っ♪
 
 マゾの気質の強い私の身体は無理矢理、排泄させられるというシチュエーションに強い興奮を感じていた。自分の意思とは裏腹に自分の大事な機能が握られる。その被支配感とも言うべき感覚にマゾの私が心躍らせない筈も無かった。そして、それが段々と私の中に受け入れられて、定着を始める。あっという間に根を張ったそれは私の中に背徳感と強い快感を齎す木へと成長していった。
 
 「あはぁっ♪してぇ♪もっとしてぇ♪ぐりぐりって犯してぇぇ♪」
 
 ゾワリと思考が弾ける。快楽でドロドロに溶けた脳髄から大きな木へと成長したそれは子宮から湧き上がり続けるアクメとは別種の快楽だ。例えるならマゾの絶頂とでも言うべきか。尻たぶを開かれ、ひくつくアナルを見られる上に…無理矢理、潮吹きさせられる。そんな被虐的なシチュエーションに一定の線を越えた私の被虐感がアクメとはまた別の志向性を伴って私の身体を走り回る。全身に鳥肌を立てさせるようなそれは『私』だって今まで感じたことの無いものだった。
 
 ―けど、良いっ♪これ気持ち良いのぉっ♪
 
 アクメとはまるで別種の快楽を私はあっさりと受け入れて、その身を震わせる。そこにまた子宮からうねる絶頂が飛び出して、新たな痺れを加えた。快感と被虐。両立するそれらはお互いに棲み分けをしているように被らず、双方に熱い熱を灯す。それに私の悦楽がまた一段階、上がり、思考をその二つの一色に染め上げた。
 
 「犯されりゅの良いっ♪しゅてきぃ…っ♪るどがぁに犯されるの最高だよぉっ♪」
 「じゃあ…他の誰の場所にも行かないな…!俺だけのモノになるんだな…!」
 「うんっ♪なるよぉっ♪私るどがぁだけのものになりゅぅ…っ♪アナタだけのお嫁しゃんになるぅっ♪」
 
 『お嫁さん』――自分で口走ったそれに私の思考は大きく揺れる。それは結婚した女性に送られる言葉だ。しかし、私は『俺』であり、元男だ。勿論、その戸籍も男のままで登録されている。それなのに、彼と結婚できるだろうか。いや…そもそもサキュバスの私が彼を幸せにして上げられるだろうか。そんな不安が脳裏を過ぎる。
 
 「あぁ…!お嫁さんだ…!リズは俺の…俺の妻になるんだ…!他の誰にも渡さない…!」
 
 ―あぁ…っ♪ルドガーっ♪
 
 けれど、そんな不安を吹き飛ばすように力強く彼が言ってくれる。それは興奮で気が大きくなっている事で飛び出た言葉なのかもしれない。けれど、それだけで私は十分だった。渦巻く不安を吹き飛ばし、『恋人』から『お嫁さん』になるには、十分過ぎる言葉だったのである。
 
 「うんっ♪渡さないでねぇっ♪一杯一杯しゃせーしてぇるどがぁの匂いたっぷりつけてぇっ♪他のオスが近寄らないようにしてぇっ♪」
 「当然だ…!その子宮も…何もかも俺のモノなんだから…!ずっと孕ませてやる…!ずっとずっとぉ…!」
 
 その言葉と共に彼の抽送が浅い部分に亀頭を押し付けるものから、子宮口へとたたきつけるようなものへと変わる。元々、Gスポットを責めても彼に余り快感は返ってこない。それを奥までの抽送に切り替えたと言う事は最早、興奮も限界であったのだろう。恐らく…インキュバスに変わっている彼の身体は未だ強い欲情に見舞われているはずなのだから。
 
 「嬉しいぃっ♪はりゃませてねっ♪アナタのせーえきでぇ…一杯、子供産ませてぇっ♪」
 
 そして燃え上がる私の本能もまた止まらない。勿論、Gスポット責めはとてつもなく気持ち良かった。けれど、強い排泄欲求を伴ったそれでも孕ませるとはっきりと告げたオスの言葉には敵わない。愛するオス孕ませて欲しいと告げるメスの本能には敵わない。今の私にとってゴリゴリとオマンコを蹂躙され、子宮まで亀頭を叩きつけられるような激しいそれが待ち望んでいるモノで…そして彼はそれをくれているのだから。
 
 「あぁ…!作るぞ…リズと子供…俺のお嫁さんと子供…をぉ……!!」
 
 もう正常な判断も出来ないのか途切れ途切れの言葉で彼が応える。それが嬉しくて私の子宮はまた燃え上がり、ぎゅうっとオマンコを締め付ける。まるで射精を強請るように突起の一本一本まで彼のオチンポに絡みつくのだ。愛液でじゅるじゅるになっているそれら一本一本が、愛液を塗りこむように蠢き、扱いていく。
 
 「う…あぁぁ…!!」
 
 それを受けるルドガーの口から堪えきれないと言う様に言葉が漏れた。それらの膣肉の蠢きがよっぽど気持ち良いのだろう。時折、ぎゅっと強く尻たぶを掴むその様子からも良く分かる。それがまた嬉しくて、私の本能は突起の一本一本で彼のオチンポをまるで洗うように蠢かせるのだ。
 
 「あくぅ…っ!!」
 
 それに必死に堪えながら彼が腰を動かすが、本気になったサキュバスの膣に勝てるオスなんて中々いないだろう。古の魔王の時代から男を襲い続けたサキュバスの本能は伊達ではないのだ。膣肉の一本一本まで動かせるのだから、オスに堪えられる道理は無い。まして私のオマンコは彼専用…ううん。夫専用なのだ。本能が本気で搾り取る気になれば腰を砕けさせるのなんて容易である。
 
 「あぁぁ…っ!」
 
 それでも震える四肢で自分を支えながら腰を動かす彼のなんと強靭な事か。それだけのオスが私を妻にしてくれると言ってくれたことに否応無く本能が悦ぶ。けれど、私の本能はもう限界だった。早く精液が欲しいと孕ませてほしいとそれだけに腐心している。それに応えたオマンコが一斉に膣肉を震わせた。彼のオチンポに絡みつく突起の一本一本まで一気に震えたそれは彼から最後の力を奪い、膣奥にオチンポを突っ込んだまま、その身体をぐったりとさせる。
 
 ―うふふ…っ♪可愛い…っ♪
 
 後背位の状態で犯しているというのに、腰砕けになってしまった夫。それでも男のプライドか私への愛情か必死に腰を動かそうとする彼にそんな感情が浮かんできてしまう。けれど、それは口に出すわけにはいかない。以前、男であるだけあって私は男がどんな言葉で容易く傷つくかも知っているのだ。私をケダモノのように犯す彼も大好きなだけに、ここでプライドに傷をつけてあげる訳にもいかない。
 
 ―代わりに…たっぷり気持ち良くしてあげる…♪
 
 今までの仕返しかはっきりとした嗜虐性を伴った感情に応えて、私の膣肉が奥へ奥へと誘う。けれど、それは幹の部分だけだ。カリ首は膣肉を左右に蠢かせて、まるで舐め上げるようにしてあげる。そしてボルチオ周辺の突起がたっぷりと並び立つエリアに入り込んだ亀頭はぎゅっと押しつぶすように締め上げた。勿論、それで終わりじゃなく一本一本が舌のような柔らかさを持つ突起でぐちゅぐちゅと洗い上げてあげる。その先にある鈴口は密着した子宮口で吸い上げ、快感をさらに増幅させている筈だ。
 
 「くあああああっ!」
 
 余りに強い快楽に彼が大声を挙げて腰を震わせる。それも当然だろう。ここまで凄い事をしたのは初めてなのだから。一ヶ月近い交わりの中でも、ここまで本能が強く彼を求めたことは無かった。嗜虐、被虐の両者の性癖を持つが、どちらかと言えば今までは後者ガ強くもっぱら犯される側であったのだから。しかし、その経験をあっさり超えて、夫を求め始める自分に私自身、戸惑いすら感じていた。けれど、それも悪くない。元々、嗜虐的な性癖を併せ持つからだろうか。自分の上で男が喘ぐ姿を見て、別種の興奮を覚えているのも事実だった。
 
 ―あはぁ…♪もっと感じてぇ…っ♪精液頂戴…っ♪
 
 「う…うぅう…!」
 
 その気持ちを込めて、きゅっと膣を締め付けてあげるだけで彼が小さく呻く。それに応えるようにオチンポはぐんっと一回り大きくなった。同時に射精寸前のあのドクドクとした律動を始める。元々、熱かったその身体もさらに燃え上がらせて触れる突起が火傷しそうなくらいだ。けれど、私は今更そんなものでは怯まない。寧ろその熱に惹かれるようにして、膣肉の突起をより激しく蠢かせた。
 
 「は…あああああああっ!!」
 「きゅううううううんっ♪」
 
 ―そして射精。
 
 決壊した彼のオチンポから最初のそれとまるで遜色ない勢いで精液が吐き出される。勿論、その濃厚さも同じだ。吸い上げなければ子宮のお口にべったりとくっついて離れないような粘性さもそのままに再び私の子宮へと美味しい美味しい精液が飛び込んでくる。それに身悶えした瞬間、私も絶頂もまた激しいものになっていった。まるで精液そのものを燃料にしているかのようなそれに私の視界が完全に真っ白に染まる。間違いなく今まででで最高の絶頂。それを感じる私の身体はどんどんとその感覚を希薄にしていった。
 
 「ひぅぅっ♪しゃせーっ♪せいえきぃぃぃきたぁぁぁ♪」
 
 悦びをそのまま口走る私の口以外の器官はまるで切り離されたように感覚が無い。走るのはただ身体中で感じるような美味しさとアクメだけ。再び味わう身体中が快楽の為の器官に成り下がる感覚にマゾの絶頂が呼び起こされ、ゾクゾクとした感覚を走らせる。それら二つが絡み合い、収まらず、私の身体中を荒らしまわっていた。
 
 「う…おぉぉ…!」
 「まだぁぁっ♪まだどぴゅどぴゅしりゅぅっ♪どぴゅどぴゅ来るのぉぉっ♪」
 
 そして勿論、それは彼の射精が終わるまで止まらない。けれど、インキュバスと化した彼の射精がそう簡単に終わる筈もなかった。まるでその小さな玉袋の中身を全部吐き出すまでは終わらないというかのように何度も何度もその身体を律動させる。それに私のアクメもさらに引き上げられ、ついに感覚の失せた私の頭は自分の唾液塗れのベッドに崩れ落ちた。
 
 ―あはぁ…べちょべちょだぁ…♪
 
 けれど、その屈辱感がマゾの私には溜まらない。自分の唾液に顔を汚しているというのにそれが気持ち良い。そんな自分に嫌気が指す事さえなく、私は与えられる快楽と屈辱感にその身を震わせ、今まで味わったどんなものよりも気持ちの良い感覚にその全てを蕩けさせていた。
 
 「あ…ふ…ぁ…♪」
 
 そうして射精が終わった後も、私の身体は中々、力を取り戻すことは無かった。唯一、動いているのは内臓と最後の一滴まで搾り取ろうとする膣くらいなものである。その他の感覚は未だ絶頂の遠い果てに消えて戻ってこない。けれど、それが妙に嬉しい。マゾの私には快感を感じるだけの肉便器のような今のシチュエーションがたまらなく気持ち良いからだろうか。
 
 「リズ…」
 
 そんな私に向かって夫から言葉が向けられる。二度の射精で少しは冷静さを取り戻したのだろうか。その声は思ったよりも優しく、暖かい。それに胸が愛情で暖かく染まるのを感じるものの、それに返事をする事は出来なかった。舌はもうさっきの快楽で蕩けて、思い通りに動かすことも出来ないのだから。
 
 「まだ…足りないんだ…」
 
 ―あはぁ…♪
 
 そんな私に向かって告げられた次の言葉はある意味、予想通りではあった。だって、今も私のオマンコの中では不満げにびくびくとオチンポが震えているのだ。まるで底無しの精力を持つようなそれに最も敏感な部分で感じてこれで終わりだなんて思うはずが無い。…いや、寧ろここからが本当の始まりなのかもしれない。
 
 ―またぁ…犯されちゃう…♪
 
 膣肉を思い通りに動かそうとすれば、それだけそこに気を配ることになる。逆に言えばそれは跳ね返ってくる快感も大きいのだ。それを浴びた私の本能は当分、回復はしないだろう。つまり…ここからが本当の無防備だ。夫に何をされても抵抗する事が出来ず、ただ貪られるだけの肉便器と化す。…その未来が待ち遠しくて、私の胸が大きく脈打った。
 
 「リズ…俺は…!」
 
 その言葉と共に彼の腰が動き出す。再びじゅぷじゅぷと私を屈服させる為に。激しく強く自分自身を刻み込む為に。もう私が身も心も彼に捧げて、完全に屈服していると言う事に気付いてくれない鈍感な夫に何処か微笑ましいものを感じたのもつかの間、それもまた快楽の中へと投げ捨てられていく。
 
 「あきゅぅんっ♪」
 
 そして、その快楽に嬌声を上げるだけの夫専用の肉便器となりながら、最後に残った私自身も薄れ始め…私たちはまたお互いに絡み合うように終わらない悦楽の宴へと堕ちていったのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「とりあえず其処に座りなさい」
 「…はい」
 
 はっきりと命令口調で床を指差しても、夫はそれに逆らわない。自分のやったことの重大さは重々承知しているのだろう。その大きな身体をしゅんと縮めながら、言われたとおりに床の上に正座をした。何処か傷ついたその様子に許してあげたい気持ちが鎌首を擡げるが、それとこれとは話が別である。
 
 「…で、どうしてこんな事をしたのか『一応』聞いてあげる」
 
 『一応』の部分に強いアクセントを置いたのは、ある程度、その理由が分かっているからだ。しかし、それは夫には別の意味に聞こえたのだろう。来た時から血色が良いとは言えなかったその顔から血の気を失せさせながら、びくりと肩を震わせた。
 
 「えっと…夜に俺の所に夜這いに来るリズと普段のリズは別物だって気付いてたんだが…やっぱりその…簡単に割り切れなくて」
 「ほほぅ」
 「で…あの日、友人って言われて凄い傷ついた自分が居てだな…やっぱり俺はリズを恋人として好きになっているんだって気付いて……でも、次の日からその『恋人』としてのリズも来てくれなくなって…サキュバスのお前が来ないなんて別に男を作ったとしか思えなくて…だな…」
 「…で、わざわざ材料としてストックしてあるサキュバスの秘薬を飲んでインキュバスになった挙句にレイプしに来たと?」
 「…うん」
 
 ―つまり事の次第はそう言う事だ。
 
 結局の所、全ての原因は『俺』に、そして『私』にあるのだろう。幾らアイデンティティを護る為とは言え、夫に夜這いした事を全て『夢』としてずっと受け止めなかった『俺』と、そしてどんどんとエスカレートしていき、彼の心を完全に奪い取ってしまった『私』に。そして、彼の為の願掛けと称して、薬を絶ったのが根本的な誤解の原因だったのだ。もっと早く『俺』と『私』が一つになっていれば、こんなことは起こらなかったのだろう。
 
 ―結局…また良かれとやったことが裏目に出た訳か。
 
 そんな風に小さく自嘲を浮かべながら、私は小さく溜め息を吐いた。それはまた別の意味に捉えたのだろう。びくりとその身体を震わせて脅えた顔で夫が見上げてくる。
 
 ―そもそも…彼がもう少し自信を持ってくれたらこんな事にはならなかったのよね…。
 
 それは第三者から見れば八つ当たりにも近いものかもしれない。けれど、私としては正当な怒りであると主張したかった。だって、彼が『私』を疑ったと言う事はそれだけ『私』を尻軽に見ていたと言う事なのだから。アレだけ何度も好きだと愛していると言ったのに、どうして疑ったのかと思えば、そりゃあ我慢なんて出来る筈もない。
 
 「…とりあえず浮気なんかしてないから。まったくの誤解よ」
 「でも…」
 「まぁ…信じられないかもしれないけれど、ややこしいのよ…こっちの事情も」
 
 小さく溜め息を吐きながら、一つ一つ説明していく。服用していた薬の効果。それから伴う現在までの心の動き。それは自分の内心を吐露するのにも似ていて少し恥ずかしかったけれど、そのまま放置する事は出来ない。何度も心が折れそうだったけれど、その精神力で何とか納得してもらえるまで説明は出来た。まぁ…心が折れそうになる部分は私以上に顔を真っ赤に染める夫の顔があったからというのも大きいのだろうけど。
 
 「つまり…俺は…勝手な独占欲で襲った挙句…自爆した大馬鹿に…」
 「そう言う事になるかしらね」
 
 努めて冷たく言い放ってやるとまたその顔から血の気がさっと失せる。さっきまで真っ赤に染まっていたくせに、何と言う早業だろうか。そして、少し関心してしまった私の目の前でさっと夫が頭を下げて床に擦りつける様にして伏せた。
 
 「す、すみませんでした」
 「…ふぅ…」
 
 土下座と言う形で謝意を示されてしまったら何も言えなくなってしまう。基本的にプライド高い男としてはソレは余りしたくない行為だ。それは元々、男であるから良く分かる。けれど、夫はそれを進んで行うくらいには悪いと感じてくれているし…許してあげても良いのかもしれない。
 
 ―それに…プロポーズもしてもらったしね。
 
 色々、強引で恥ずかしい交わりであったが、まぁ、進展が無かった訳ではないのだ。これがただレイプして終わり…と言うだけであればまぁまた別の反応であったかもしれないが、雨降って地が固まったのであればそれほど攻めてあげるのも可哀想かもしれない。…まぁ、レイプそのものも嫌じゃなかったし、結果は変わらなかったかもしれないけれど。
 
 「仕方ないわね…次は無いわよ?」
 「あぁ!」
 
 しっかりと念押ししてやるが、聞こえているのかいないのか顔を上げた夫は明るい表情を浮かべていた。何処か能天気なその様子に微笑ましいものを感じて、私の顔が笑顔に染まる。それを見た夫もまた微笑んで、二人の間には甘い雰囲気が流れ始めた。
 
 ―あぁ…でも――
 
 もう一つだけ言わなければいけない事が残っていた。それは……とてもとてもとてもとてもとても大事なことだ。
 
 「あぁ、そうだ……『約束』を破った件だけどね」
 「ひゃい!?」
 
 いきなり冷たい顔になった私を見た所為か、夫の顔がぴしりと固まる。何処か間抜けなその顔の下――正座したままの膝にそっと足を置いた。けれど、そのままで終わらずはずはない。そのままぎりぎりとつぶれない程度に力を込めて、圧迫する。
 
 「私…『アレ』は後片付けが大変だから片づけがしやすい場所以外ではしないでって言わなかったっけ…?」
 「い、イタイイタイイタイイタイ!!言いました!!言いましたぁぁ!!」
 
 割と強めに力を込めてやった所為かあっさりと夫は屈服する。けれど、その姿を見ても早々、簡単に私の怒りは収まらない。何せ高いお金を出して買ったお気に入りのベッドは体液でぐちょぐちょで使い物にならなくなってしまったのだ。どう考えても寝れるような状況じゃない。それどころかベッドにたっぷりと私のその…アレな匂いが染み付いて、買い換えた方が早いかもしれないくらいだった。
 
 「見なさいよこれ…!どうしてくれるの…!!」
 「いた…!いや、ホント、悪い…悪かったって思ってるからぁぁ!!」
 
 怒りを込めて足の先でぐりぐりしてやってもまだまだ怒りが収まらない。それが可愛い嫉妬だと分かっていても、元々の原因は私の側にあると分かっていても、だ。それ以外に方法が無かったなら別だが、絶対にしなきゃいけなかった行為でもないじゃないか、とふつふつと沸き続ける。
 
 「な、何でもする…!何でもするから許してくれぇ!!」
 
 流石にもう限界なのだろう。はっきりとした苦悶を浮かべて夫は哀願してくる。私は確かに怒ってはいるが、別に苛めたいわけではない。このままでは話も進まないし、仕方なく足を上げる。私が彼を苛めていたのはほんの数秒であったが、足の跡はもう真っ赤に晴れ上がっていて、痛々しいくらいになっていた。
 
 「なんでも…ねぇ…」
 
 反芻するように呟いてみたが、別に何かして欲しいものがある訳じゃない。インキュバス化した夫がたっぷりと精液をくれたお陰で御腹も一杯だし、お金だってまだまだ余裕はある。それにわざわざそんな言葉を盾に取らなくても何だかんだ言って私に甘い夫は何でもしてくれるだろう。
 
 ―んー…じゃあ…アレでいっか。
 
 確かに怒ってはいるが絶対に許さないと思っているわけじゃない。決して安い買い物ではなかったとは言え、それ以上に夫の方が大事なのだ。そんなルドガーを怒りのままに責め抜いて壊しても、私には何のメリットも無い。それだったら適当に高い買い物でもさせて手打ちにしてやる方がまだマシだ。
 
 「…代わりのベッド…あ、勿論、ワーシープの体毛100%かつ新しい奴ね。それを買いなさい」
 「はい」
 「後、前回の借りは無し。高級レストランにランチとディナーを奢りなさい」
 「はい…」
 「最後に…ホテルでたっぷり愛してくれたら許してあげる」
 
 最後に少しだけ微笑んで、私は正座する彼の頬をそっと撫でた。それで許されたのが分かったのだろう。照れくさそうに頬を染めながら、そっと立ち上がった。一気に私よりも大きくなったその身体がぎゅっと私を抱き締めてくれる。秋の寒さの中でもはっきりと感じる暖かさ身を委ねながらも…私は最後に口を開いた。
 
 「…次やったらコレで掘るからね」
 
 釘を刺すように言いつつ私が差し出したのは、大人の男性の握り拳よりも一周りほど大きい尻尾だ。男性器でも模しているのかはっきりと剃り返しのついているそれで掘られたら、文字通り彼のお尻は壊れてしまうかもしれない。まぁ…でもそうなったときはそうなった時だろう。最悪、治癒魔法でも覚えて治してあげれば良い。
 
 「ヒィ…!」
 
 ―まぁ…多分、ここまで言えばしないと思うけど。
 
 その光景でも想像したのだろう。夫は小さく悲鳴を上げながらその顔を青白く染めた。その様子を見るに、多分、もう二度としないはずだ。だって、普通の男性にとってお尻を掘られるのは何よりも回避したい出来事に違いないのだから。これでも一応、元男性なのだ。掘られたくないというその気持ちは良く分かる。私だって逆の立場であれば二度としないと誓うだろう。
 
 ―それじゃあ…釘も刺し終った事だし。
 
 「ここじゃ寝られないから…服を着てアナタの部屋に行きましょうか」
 「あ、あぁ…」
 
 まだその恐怖が終わらないのか、声を震わせながらポツリと夫が応えた。そんな様子にくすりと微笑みながら、逞しい胸板にちゅっとキスを落としてあげる。初めて出会った日のように強く吸い付いたそれは私が離れた後にも鬱血した花を咲かせた。
 
 「その後…ゆっくり休んで…あ、疲れているし、セックスは無しね?」
 
 窓の外に目をやるとそこからもう月の光が入り込んでいた。そう。『もう』夜だ。結局、アレから一日中セックスし続けていた私たちは日を跨いで、また夜を迎えてしまったのである。何をやっているんだと自分でも思うが…まぁ、サキュバスとインキュバスなんだし仕方ない。今はまだ彼が成り立てなのでこんなもので済んだが…資料には七日七晩ヤりっぱなしの夫婦の話なども載っているのだ。間違いなくコレは短く済んだ方だろう。
 
 「それから……それから、二人で辞表出しに行きましょ」
 「リズ…」
 
 ―それは私が男であった時からずっと考えていたことだった。
 
 確かに『俺』は今の仕事に憧れて、その道をずっと志してきた。夢…と言えるほどはっきりとしたモノではなかったけれど、漠然となりたいイメージとしてあったものを叶えたのである。勿論、今の仕事はやりがいもあって、待遇も良い。だけど…私は夫ほど今の仕事に執着していないのも事実だった。それが出来なかったのは…一緒に辞めても夫が自分を責めるからだと知っていたからである。
 
 ―それから…今の身体になって…。
 
 辞めるに辞めるに辞められない状況が続いた。それは元の身体に戻りたい、と言う意識がそこにあったからだろう。しかし、もう完全に今の身体を受け入れ、ルドガーの妻となった私に男性の身体に戻る意思はない。それならば…別に今の職業に拘る必要も消えてしまうのだ。
 
 「…良いのか?」
 「当たり前でしょ。夫の夢をこれ以上、邪魔出来る訳、無いじゃない」
 
 確認するような夫の言葉に微笑みながら返す。それはきっと吹っ切れた微笑みだったのだろう。その証拠に夫は何も言わずにそっと私の身体を抱き寄せてくれた。けれど…それはお互い裸の身体を触れ合わせると言う事で……。
 
 「また大きくしてる…♪」
 「…すまない」
 
 からかうような私の言葉通り夫の前は完全に膨らんでいた。一日かけて数え切れないほど搾り取ったというのにまだまだ元気なその様子に私の胸も疼いてしまう。…やっぱり私の身体は完全にサキュバスなのだろう。勃起したオチンポに触れているだけで、身体中に熱が灯り始めた。
 
 「…もう仕方ないわね…♪…もう一回だけよ?」
 「っ! あぁ…!」
 
 勿論、一回で済む筈はない。そんな事は私にだって分かっている。…けれど、お互いに言い訳しやすいようにそんな風に前置きしながら、私は指で陰唇を広げる。もう私の身体は臨戦態勢に入っているのか、ビラビラと言っても良いくらい陰唇を広げるだけで愛液がぽとりぽとりと床へと落ちた。そんな淫らな自分に興奮を抱いた私をそっと抱きかかえ、硬くなった夫のオスが一気に私の柔肉を蹂躙する。
 
 「きゅふぅぅっ♪」
 
 浮き上がらせられた私の体重が一点に掛かり、一気にその思考が快楽に染め上げられていく。きっと数分後には私はまたメス犬となって、彼に与えられる悦楽だけを感じているのだろう。それは予感ではない。確定した未来だ。夫専用のオマンコを持つメス奴隷が…夫のオチンポに耐え切れるはずが無いのだから。
 
 ―でも…それが素敵ぃっ♪
 
 既に確定した未来。そして、これから私達が歩むであろう淫らで幸せな日々を思うと胸が踊って止まらない。けれど、その歓喜もゴツゴツと私の身体を強引に犯す夫の前では無力で…ゆっくりと快楽に上書きされて行き――
 
 ―そして私たちはこれからも数え切れないほど続いていくであろう夫婦の営みに没頭して行ったのだった。
 
 
 
 
 
 
 
12/08/13 12:56更新 / デュラハンの婿

■作者メッセージ
 アルプきゅん可愛いよアルプきゅん^q^
 そんな訳でこんばんは。デュラハンの婿です。
 アルプきゅんが実装されたと聞いて、wktkしすぎて
 「私の好きな展開が投稿されるとも限らねぇ…!
 なら、拙い文章力でもアルプきゅんSS書いて満足するしかねぇ!!!」とばかりに書き上げてしまいました。
 総文字数15万超え。
 何かがおかしい気がするけれど、普通です。ううん。知らないけど、きっとそう。
 また私の本業は医療関係とは全く異なっていますので臨床試験などの設定がもし、おかしかったら申し訳ありません…orz
 
 本当はこの二人が結婚して田舎の村で子供達と幸せに暮らす後日談まで書こうと思ったのですが、ぶっちゃけエロシーンもないし、ただでさえ長い感じなのでばっさりカットしますた。
 
 ちなみにサキュバスさんが本気になるとインキュバスでさえ腰砕けになると思うんだ。
 きっと突起一本一本まで自由自在に操って腰を動かせなくとも精液を搾り取るんだお。
 でも、そこまで集中するってことは逆に発生する快楽の反射ダメージが多すぎて無防備になってしまう罠。
 全力を出した後は逆に無限の再生力を持つインキュバスに無防備なまま犯されるサキュバスさんがですね(ry
 
 まぁ、何が言いたいかと言うとこのSSの展開のままなのですが^q^
 
 TS物の真髄は段々と女性らしくなっていくことに戸惑いつつも、男の友人や親友に惹かれていくいわば成長性だと思います。
 けれど、今回は後半、かなり急ぎ足になってしまった感が否めないので、その辺、ちょっと描写不足かなぁと自分でも思わないでもなかったり。
 もしかしたら加筆か或いは別のアルプきゅんでまた一本書き上げる事になるかもしれません。
 もし、そうなった時は、またよろしくお願いします
 

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