連載小説
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吸血鬼の過ごした半月。
私は旅のヴァンパイア。
ヴァンパイアが旅をするなど、奇妙なことだと思われるかもしれないが私はそうだ。
私は自分にぴったりの屋敷を探していた。これは、お母様の命令だ。

『貴女に似合う屋敷と、旦那を探してきなさい』

そう言われて、私は生まれ育った家を出たのだ。


だが私は追われていた。下劣な教団の犬に。
興味本位で反魔物領に立ち入ろうとした時、運悪く遠征帰りの教団の勇者に見つかってしまった。
迂闊だった。完璧な変装だと思ったのに、最近の犬はどうやら鼻が利くようだ。
戦闘を試みたが、相手は恐ろしく強かった。もう少し戦っていたら、私は今頃・・・
何とか山に登り、追っ手を撒くことはできたようだが・・・
くっ・・・体が悲鳴を上げている。
もう、動きそうにない。陽も昇ってきたようだ。
私の旅は、これまでなのか・・・





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





目が覚めると、目の前には天井。
気を失っている間に、私は何処かへ運ばれていた。
そして私は縛られていた。
どうやら私は目の前の男に捕らえられたらしい。

奴は呑気に、おはようさん、随分眠ってやがったなぁ、などとのたまわった。
何とか縛られている手を解こうとするが、縄は一向にちぎれてはくれない。
うまく力も入らない。奴が何か、私に手を加えたのか?


奴は、この縄が銀の縄だという。
熊が引っ張っても引きちぎれないというが、別に私は熊より強い。
やはりこの怪我が原因か・・・
ふと、体の方へ目を向けると。


私は服を着ていなかった。
おそらく、この男に脱がされたのだろう。何と下劣な男だ。
私をどうするつもりだと言うと、下衆な笑みを浮かべ、私の身体をなでるように触っていく。
やはり中身まで卑劣なようだ。傷が染みる・・・






染みる?どうやら何かを塗られているようだった。

一体貴様は何をしている?
私はそう尋ねずにはいられなかった。
聞けば、私の体はボロボロで、ただ薬を塗ってるだけだという。
ふん。表面ではそんなことを言っているが、本心ではどうだかな。
体も何やら熱くなっていく。媚薬か何かじゃないのか?


・・・普通の傷薬だそうだ。
いや、奴の言うことを鵜呑みにしてはいけない。嘘を言っている可能性だってあるのだ。
現に手を縛ってまで私を治療しようとする義理なんてないはず。
きっとこの男には裏がある。
そう思った私は、本来ならば口も聞きたくない男と何度か問答をする。


しかし、帰ってくる答えは文句と正論が入り混じったものであった。
服を脱がしたのは傷に薬を塗るため。
手を縛ったのは私がこの男に襲いかかることを危惧したため。
放っておかなかったのは、私が教団に見つかる方が面倒であるため。
男の目は真剣そのもの。巫山戯た様子は一切無い。
私は男の答えに返すことができなかった。


そうこうしているうちに、どうやら薬が塗り終わったようだ。
最初は染みたが、徐々に痛みが楽になっていく。
本当に良い薬のようだな。
だが問題はまだある。
この男は一体この状態でどうやって私に服を着させるつもりだろうか?
私は着替えが一人でできない歳ではない。服さえ貰えれば勝手に着る。
・・・手さえ縛られてなかったらな。
しかし、ここまでして貰ってこの男を襲うなど、ありはしない。


私はそこらの発情魔物とは違う。襲うなど、こちらから願い下げだ。
それにこの状態では着させることも無理だろう?
そう伝えても、男は翼をどかしてじっとしていろ、と言う。
全く、一体何だというのだ。


すると、私の体が光で包まれ、一瞬にして私は服を着させられていた。
何が起こったのか全く分からなかった。
服の内側には、ご丁寧に包帯まで巻いてある状態だった。
・・・マミーにでもなった気分だな。


今、何をした?
尋ねると、ただの魔法だという。
馬鹿な。転移魔法は最上級魔法。
それにこんな正確で繊細な操作ができるとは。
ただの猟師にできる芸当を遥かに超えている。


問い詰めても、余計な詮索はするなと一言で締められてしまった。
・・・そんなことを言われると、尚更気になってしまうじゃないか。
私はこの男に、僅かながら興味が湧いた。
だがもう少し寝ていろ、とブランケットをかけられてしまい、それ以上は何も聞けなかった。
油断してはいけない。
そう警戒しつつも、私はブランケットの暖かさに目蓋を重くし、そのまま深い眠りへとついていった。





・・・・・





起きろ、と声をかけられ目が覚める。
折角気持ちよく寝ていたというのに。
私の睡眠の邪魔をするとは、全くもって許しがたい男だ。


聞くと、食事の用意ができたようだ。
今の私は寝起きの状態でも分かるほどの空腹を覚えている。
だが今気を許してしまえば、この男に何をされるか分かったものではない。
私は上位種たる品格をもって、下等な人間が作ったものなどいらん、と言い切ってやった。
ふん、この私を食料でどうにかできようなど、甚だしいにも程が・・・




・・・。
無情にも、私のお腹から空腹音が鳴り響く。
あれほどの啖呵をきった手前、恥ずかしくて仕方がない。
鏡を見ずとも顔が赤くなっていることが分かるほどに。
くそう、この男に言い様にされているのが悔しい。


食事をするのであれば、縄を外せ。私はそう伝えた。
少しでも優位に立たなければ、私の立つ瀬がない。
だが、まだ信用に足るという。それに痛みも相当なものだそうだ。
ふん、馬鹿にするな。これしきの怪我で食事ができないわけがなかろうが。
だ、だから、その・・・『あーん』は止めてくれ。その・・・恥ずかしいじゃないか・・・///
まあそんなこと、この男の前では口が裂けても言えんがなっ!///


そ、それに!そのパンやスープに毒が入っていることも否定できまい!
・・・そんな面倒くさいことするわけないだろ、と一言で片付けられてしまった。
さらに毒見でもしてやろうか?と言い、目の前のパンを齧り、スープを飲む。
あぁ・・・そんな美味そうに・・・それも私の目の前で・・・
うぅ・・・






あ、すごく美味しい・・・






この時、口を付けた物がこの男と間接キスをしているという事実に気付くのは。
数日後の話であった。





・・・・・





まずい。非常にまずい。
今私は尿意を催している。
だがこの状況、自力でトイレに行くことなど不可能に近い。
・・・私は、恥を忍んで男に頼む。


どうやら、縄を外してもらえるようだ。
・・・こんなに簡単なことだったのか。
縄を外してもらうよう色々と模索していた苦労は一体何だったのだ。
しかし、ようやくベットから立ち上って・・・!?


痛い!?なんだこの激痛は!?
まるで全身が軋むような痛み!!
鋭いような鈍いような頭でも理解できない痛みが全身を駆け巡っている!!
わ、私はここまでひどい状態だったのか・・・
男は私の身体を優しく支え、床への転倒を防いでくれた。
おかげで足に力が・・・




あ、あああ、あああぁぁぁ・・・
そんな、止まれ、止まってくれ。
私とも、あろう者が。
人間を前にして、失禁など・・・
こんな、みっともない姿を、晒すなど・・・




もう、お嫁にいけないよぉ・・・





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男に監禁されてから五日が経過した。
しかし、まだ満足に動けそうにない。
せめて縄くらい外して欲しいものだが、少し動くだけであれだけの痛みなのだ。
変に動く危険性がない分、気は楽なのかもしれない。
ふん、この男がそれ程の気を私にかけているとは到底思えんがな。


どうやら今日は外へ狩猟に行くようだ。
これは私にとって好都合。この男の顔を見なくて済むからだ。
最近になって、この男を見ていると何やら顔が熱くなるような気がする。
さっさと傷を治し、早くこの家から出ていきたいものだ。


・・・ん?ちょっと待て。
ということはだ。この男が外に出るなら、家にいるのは私一人だけになるのか?
こ、この男は私を一人にするつもりなのか?


だったら誰が狩りに行くんだ、と返されてしまった。
それもそうだ。流石に食料は確保せねば、この男も今の私も生きてはいけないだろう。
そうだと分かっているのだが・・・何だろう、胸が少し寒いような・・・
そんな私の表情を察したのか、こともあろうかこの男は「俺がいなくなると寂しいのか?」などとのたまわる。


巫山戯た事を言うな!私がお前がいなくなるくらいで寂しいなどと思うわけがない!
そう言い切った。
すると男は悪かった、と平謝りをしながら外へ出ていった。




この時、私が寂しいと言ったなら。お前はどんな顔をしたんだろうな?





・・・・・





何もすることが無い私は眠るしかなかった。
男が出て行ったのは昼頃。普段は夜に活動する私にとって、寝るには丁度良い時間だった。
だが、目を覚ました今、窓の景色は暗い。すっかり夜である。
まだ帰ってきていないのか・・・


そう言えば、出発する前に早く帰ってくる、と言ってなかったか。
だとしたら、帰ってくるのが遅いのではないだろうか。

・・・もしかしたら、何かあったのではないだろうか。

そんな考えが、私の頭の中を巡る。

何かあったのではないだろうか。
ここは山中、しかも夜だ。人間が夜中、山奥を歩き回るなんて危険すぎる。
もしかしたら、道に迷って倒れているのではないか。
もしかしたら、道中で獣に襲われているのではないか。
もしかしたら、足を踏み外して崖から落ちたのではないか。

もしかしたら、私は、ずっとここで一人寂しくいるのではないか。


どんどん不安になっていく。目頭が熱くなっていくのが分かる。
私は高貴なヴァンパイアだぞ!泣いてはいけないのに、涙を流すことを止められない。
ひとり静かに、私は泣いていた。




ドアが開く。
そこには何食わぬ顔で帰って来たあの男が立っている。
その姿に、私は安心感と怒りを覚えた。


帰ってくるのが遅い!
思わず、そう叫んでしまった。
しかし、そんなことを気にせずに狩猟の成果を話す男。
・・・私がどんな思いで待っていたかも知らずにこの男は・・・!
私は何とか動く足で、男の脇腹を小突く。


何怒っているんだ。
そう言われたが、自分で考えろ、と私は返した。
男は相変わらず悪態をつき、やれやれといった調子で調理場へ向かってしまった。
人の気持ちを踏み躙るこの男。益々もって許しがたい。
いずれ分からせてやると、そう心の中で決めていた。




そういえば、足。結構動くようになっていたのだな。





・・・・・





体が重い。
何とも言えぬ怠さを感じる。
原因は分かっている。血だ。血が足りないのだ。
普段私は人間の血を小瓶の中に入れて持ち歩き、それを飲んでいる。
別に襲って手に入れたものではない。
親魔物領でヴァンパイアに売られている、いわば献血されたものだ。
私達ヴァンパイアは本来、血から精を摂取する。
普通の食事をせずとも、血を飲めば生きながらえる事だって可能なのだ。


だが、今はこの状態だ。
小瓶の血は切らしているし、何より久しく血を飲んでいない。
今の不調は、一時的な貧血状態という事だろう。
食事を怠っていない現時点では、死ぬことはない。
前の街で、血を補給すべきだったな・・・
反魔物領の街を少しだけ見てから、別の街で補給しようという考えが仇となったか。


そんな時、男が私の様子を確認してきた。
どくんっ、と私の心臓が跳ね上がるのを感じた。
呼吸も少し荒くなり、汗が吹き出しているのが分かる。
まさか、目の前の男の血でも欲しているとでも言うのか。
私も、ヤキが回ったものだな。


今の状況を説明してやると、私がヴァンパイアであることに驚いていた。
そう言えば、今まで説明したことがなかったな。何だか今更すぎるような気もするが。
旅に対する不備を指摘されたが、返す言葉も気力もない。
早く離れてくれ。こんな私の姿を、長々と晒したくはない。
黙って願っていると、少し待っていろと言い、調理場の方へ向かってしまった。








男が持ってきたのは、赤い液体。私が欲している血であった。
ご丁寧にワイングラスに注がれている。
・・・こんな家に、そのようなグラスがあるとはな。


一応尋ねてみると、正しくその通り。
だが、これは今日男が獲ってきた大猪の血であるという。
そんな馬鹿な。明らかに人間の血の香りがするぞ。
でも、私がまず驚いたのはそっちではなく。


わざわざ血を持ってきてくれたのか?
そう言わずにはいられなかった。
今までの態度からして、私は厄介者だと思っていた。
だから、別に死ななければ十分だろうという扱いを覚悟していた。
しかし、目の前のこの男は、私の為に血を持ってきてくれたのだ。


ふと、左手首に巻いてある包帯のことが気になった。
血が滲んでいるその包帯は、ワイングラスに注がれている血と、同じ香りがした。


左手首のことを指摘すると、単に手を滑らせて切ってしまったそうだが。
本当にそうだろうか。
そんな私を見かねた男は、さっさと飲まないのなら捨ててしまうというのだ。
それを捨てるなんて勿体無い。
私はワイングラスに口を付け、中身を一口啜る。




・・・美味しい。

何だ、この血は。
今までに飲んだ血の中で、一番美味ではないか。
こんな美味しいモノに、私は出会った事がない。


感慨に耽っていると、早く飲めと急かす男。
何でもない、早く飲ませろ。それだけ伝えて私は一気に血を飲み干した。


あぁ・・・何て美味しい血だ・・・♥


そんなに猪の血がお気に召したのか?そう言ってくるが、これは人間の血だ。
だが、どうしても隠したいといった様子なので、乗ってやることにした。
反応がつまらないと言われたが、一矢報いたような気がして、いい気味だ。


ありがとう。
ふと、そんな言葉が口から零れる。
しまったと思ったが、男は感謝の言葉よりも私に早く元気になってもらいたいそうだ。
早く追い出したいのか、それとも私の元気な顔が見たいのか。
よく分からない返事だが、十分な暖かさを感じた。


さり気なくおかわりを要求すると、明日まで待て、と怒られた。
それは、猪の血ではなかったのか?なら、まだあるだろう?
そんな矛盾を可笑しく思ったが、怒った拍子に男がふらつく。


疲れが原因のようだが、そうは見えない。
まるで、急に血を抜いたかのようなその様子。
仮に、このグラスに入っていた血がこの男の物だとしたら。
ワイングラス一杯分の血を抜いたのだ。無理もないだろう。
心配した様子を私が見せても、そっけない態度をとり、私の事を気遣った。
私は何も言わず、男の言う通りもうしばらく休むことにした。




この時私は、申し訳なさと男の優しさで、胸とお腹がいっぱいになったのだった。





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男との生活も早いもので十日目。
私もこの生活に慣れ始め、男の態度にも慣れてきた。
どうだ参ったか。
・・・しかし、それは同時に、この男との別れも近づいていることを意味する。
私は、一人になれるだろうか。




男の提案で、今日は街に行くようだ。
獲物の換金をするようだが、何と私も街に連れて行くという。
意外な申し出だが、私は不安になった。
もしや、私を教団へ引き渡すのではないだろうか・・・


だが、そんな心配は杞憂に終わった。
どうせまた旅に出るのだろうから、長距離を歩かせて慣らせようというだけだった。
そんな顔をするなとまで指摘されてしまった。顔に、出ていたのだろうか。
そんなことを考えていると、何度も襲うんじゃないぞ、と念を押して言ってくる男。


・・・フリか?フリなのか?
そんなに何回も言わなくたっていいだろう。
たかが十日では、大した信用は勝ち取れてないようだな。
・・・私の方は、昨日思わず自分の旅の目的まで語ってしまったというのに。


私は誇り高きヴァンパイア。
高貴なるヴァンパイアのその誇りに懸けて、そんなことはしない。
そうは言っても、今の私には気品も優雅さもないだろう、と男は言う。
だが、こういうことは心構えが大事なのだ。


縄を外し、ふらつく足元に力をいれて。
私は久しぶりに地に足をつけた。
食事の時は身体を起こしていたし、補助付きで多少歩いたりはしていた甲斐もあって。
割とすんなりと立つことができた。
自由に動けることが、これほど嬉しいこととはな。


男から、黒いローブを手渡された。
遮光性で、姿を隠す意味もあるらしい。見つかったら処刑だと脅された。
街がそんなに危険な場所なら、なぜ今になって街に行くのだろうか。
それとなく聞いてみると、私が昨日街に行ってみたいと言ったかららしい。


そういえば昨日そんなことも話していたな。
まさか、聞き入れてくれるとは願ってもみなかった。
他意は無い、などとは言っているけれど。
ふふっ・・・そうかそうか。連れて行ってくれるのか。




私は顔から笑みが零れるのを、止めることはできなかった。





・・・・・





街へ来たが特に問題はなく、無事に目的の換金を果たすことができた。
男はひやひやした、などと言っているが私は目立ったことなどしていない。
街に入った時から、内心ずっとウキウキしっぱなしではあったが・・・
この男にそんなことが分かるわけが・・・


・・・目を輝かせた子供のようだと言われた。
そ、そんなことあるわけないだろ!///
と、つい声を荒げてしまったが、注意されてしまった。
・・・この男には何でもお見通し、というわけなのだろうか。


男は、もう帰ると言い出した。
・・・折角街に来たというのに、もう帰らなければならないのか。
街で見かけたお店の料理、とても美味しそうだったなぁ。
私に似合いそうな服、あったのになぁ。
そんなこと思っても仕方ないか。帰るのなら、さっさと帰ろうではないか。


・・・え?街を見て回るのか?ちょっとだけ?
ふふっ。やっぱり、お前は優しいのだな。





・・・・・





ふと、露天商の品が目に付いた。
白い液体の入った瓶や、怪しげな道具が並べられているが、私の目に入ったのは二つの小さな指輪だった。
不思議な魔力が感じられる品だ。


男に品を見ていたことに気付かれ、まさか欲しいんじゃないだろうな、と言われてしまった。
べ、別にそんなことはないぞ。うむ。
目が泳いでる?き、気のせいではないかなー・・・


見かねた男は、露天商に話しかける。
聞けば、これは『魔法の指輪』でこの二つの指輪をそれぞれの人物がつけていれば、離れていても居場所が分かるという。
そんな便利で高度なアイテム、聞いたことがないが。
謎の多い小人・・・いや商人だな。



商人は、売ってやるが名前を教えろ、と言ってきた。
どうやら指輪の効果に関係があるようだ。
おそらく、名前を入れて初めて効果が発揮されるものなのだろう。
・・・・・・ふむ。


私の名前は『テナサ・マザーシア』!
由緒正しき高貴なる血族!マザーシアの血を引くものだ!!


私の家は貴族の中でも有名な名家。
ヴァンパイアに精通している者であれば、聞いたことがない者の方が少ないくらいだろう。
露天商は少々驚いているようだったが、男はいつもと変わらない。
・・・それはそうか。男が知るはずもない。
別に何か期待していたわけでもないが、幾分かショックだ。


これを機に、名前で呼んでも構わんぞ?
そう強気に出ても相も変わらず悪態をつき、『テメェ』で十分だと言うばかり。

なら、お前の名は何という?
そういえば、今まで聞いたことがなかった。
聞かなくとも何も不便はないし、最初の頃は名前も知りたくないような男だったからな・・・
だが、男は言葉を濁し、ただの猟師と言うだけだった。


理由を聞こうとしたその時、露天商が彼女と仲良くしろ、などと言ってくる。
わ、私はこの男と交際関係を持っているわけでは・・・!///
そう伝えたかったのだが、言葉が出なかった。
それどころか、心臓の鼓動も急激に速まる始末。
男にさえ、そう思っているのでは?と思わせてしまう。


そんなわけないだろ!///
やっと言葉が出てきたが、胸の奥でチクリと痛むのを感じた。


やはり、そうなのかな。
何でもないと思っていたのに。
私は、この男のことが・・・





・・・・・





その日の夜。
私は再び男に名前を聞こうとした。
だが、貴族様に名乗るほどの名は持ち合わせてない、の一点張り。
どうしても、名を聞くことができなかった。


ならば代わりにこれを受け取れ。
私は今日買ってもらった二つの指輪の一つを男に手渡した。


もし、気が変わったら。
私が名を教えると値した者になれたなら。
それに名前を入れて、渡してくれ。
お前に私を認めさせてやる。


やれるもんならやってみろ。
なんなら、俺が死ぬときにでも渡してやんよ。
男はそう言って、指輪を受け取った。




いつかきっと。
お前の名前を聞いてやる。
私をここまで本気にさせるとはな。
覚悟するんだぞ?

ふふっ・・・♥





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男と出会って、既に半月が経過していた。
保護された当時は何とも憎たらしい男だったが、今は別の意味に変わってきている。
だが、私は今日。この家を出る。再び旅に出るためだ。
色々とあったが、この生活は中々に楽しかった。
だからこそ、この家を出るのを。この男から離れることを。
・・・正直、寂しく思う。


だが、私には目標がある。
この男に私を認めさせるという目標がある。
元々の目標であった自分の屋敷を見つけるのは、その最中でも良いだろう。
他の女の匂いがつかぬよう、度々ここを訪れるのも良いかもしれんな・・・///


ここを離れる寂しさと、これからの未来ににやける顔を誤魔化す為に、私は今ベットで寝ている。
今、私はどんな顔をしているだろうか。
どうやら私は顔に出やすいようだから、今の顔を男にみせることなどできない。


ドアの叩く音が聞こえる。
こんな山奥に客人のようだ。
男が扉を開き、何やら話をしているようだが。
私の意識は睡魔に負けてしまっていた。





・・・・・





気がつくと、窓の景色は暗くなっていた。
まさか本当に寝入ってしまうなんてな。勿体無い・・・


おはようさん。随分眠ってやがったなぁ。
私がここに初めて来た時と同じ台詞で、男は私の顔を見る。
私は思わず笑ってしまった。
変な奴だとでも言いたそうな顔をされたが、こればかりは仕方ないだろう。


男から話を切り出される。
私がここから出て行けて良かったな、などと言っているが、そう言っていられるのも今の内だ。
いずれ、ここにいてくれと言わせてやる。


だが、男にはまだ話があるようだった。
どうやら私に良い話らしい。


・・・えっ?私に屋敷をくれる?あの商人が?
信じられないことだったが、ある親魔物領に屋敷が余っており、それを譲ってくれるという。
私が気に入らなかったら破棄しても良いらしいが、願ってもないことだった。
もし屋敷が決まってしまえば、私はこの男を認めさせることに専念できるからな。


今までありがとう、世話になった。
私は感謝を告げた。うっかりではなくはっきりと。
だが、男は私を出て行かせることを急かす。
・・・そんなに早く出て行かせたいのか。
もう少し、ここに居れないか?
食い下がっても、言葉は変わらない。
何で、そこまで・・・




突然、ドアの方から轟音が響く。
明らかに、確実に異質な爆裂音。


一体何だ!?
私が驚くも、男は至って冷静だった。
すると男は何気なく、ここに教団が攻めてきている事を、さらりと私に伝えたのだった。


もしかして、私のせいではないだろうか。
私が、前に街を歩きたいなどと言ったばかりに・・・


思いつめていると、自惚れるなと男は言った。
だが、他に理由が分からない。
何故教団がこんな山中のこの家に出張る理由があるのだろうか?
魔物である私が、ここにいるからではないのか!?


いずれこうなっていた。
そんな意味深き言葉だけ残し、私に荷物を持たせるように指示をする。
だが、もたついている間に裏口にまで回り込まれてしまっている。


何をするつもりだ!!
そう強く言っても、男は屋敷に送ってやるなどと巫山戯た事を言う。
この家は教団に囲まれているんだぞ!そんなの無理に決まっているじゃないか!!
どうやって!?


慌てる私を、男は鼻で笑い。
男は静かに手をかざし。








私に転移魔法をかけたのだった。








私の姿が光に包まれていく。
男から、最後に。


楽しかった、という言葉だけ、静かに聞こえた。





・・・・・





気がつくと、私は見慣れない建物の中にいた。
おそらく、ここが男の言っていた屋敷なのだろう。
随分と埃が溜まっているようだが、内装は中々私好みであった。


私はただ、呆然としていた。
今起きたことが、純粋に信じられなかったのだ。


魔法陣も無しに生命を運ぶ転移魔法、だと?
魔力で多少の火や水を生成する事や魔力で物を目に見えるよう動かす事だけなら、まだ可能だ。
この程度でなら、魔術の扱いを心得ている者であれば、難しいことではない。
だが、魔法陣も無しに、行ったこともない『遠方の地』へ『正確』に、『生命をもつモノ』を『瞬時』に移動させるとなると、話は別だ。


次元が違う。
それこそ、名の知れた勇者や大魔導師でなければ・・・




・・・。




名の・・・知れた・・・・・・?






私は、知りたいと思ってやまない男のことを、何一つ知らない。
あの男の、名前すら知らないのだ。


前に、自己の名前を口篭ることがあった。
私のことを、ただ認めていないからだと、あの時は思ったが。

名を知られると、何か困ることでもあったのではないだろうか?


例えば。そう、例えばだ。
もし、あの男が、生命転移さえも容易にこなせる勇者であったなら。
もし、あの男が、何からの理由であの地へ留まっていたのなら。

もし、彼が、私を教団から逃がし、かつ自分の抱える問題に巻き込まないようにしたのなら。


私は一体、どうしたら良いんだ・・・








・・・。








私は、一つの答えを出した。








会いたい。








もう一度、会いたい。

会って、名前が知りたい。

彼の好きな物が知りたい。

今までの生き様が知りたい。


彼の、全てが知りたい。




気付けば、私は屋敷を飛び出していた。
翼をはためかせ、空を切る。

もう一度、会うんだ。

たくさん、話をするんだ。

今更一人になるなんて。
今更一人にするなんて。

絶対、許さないからな。





・・・・・





静かな夜空を、私は翔ける。
急げ。急げ。急げ。
場所が、何故か手に取るように分かる。
指輪が何故か輝いている。あの、露天商から買った指輪だ。
原理は分からないが、今は感謝しなくては。
だが、今は急ぐんだ。
指輪の光が、さっきから弱まってきている。
まるで、彼の生命が、弱まっていくかのように。


巫山戯るな。消えるんじゃない。
そう願っても、光はどんどん弱くなる。


止めろ。止めてくれ。
そう思っても、弱ることを止めない。


光はもう、輝きがあるのかさえすら分からない状態になっていた。
彼の場所も、ぼんやりとすら分からない。


だが、まだ探せる。
私は魔物だ。その気になれば、好きな男の匂いや音で探してみせよう。
何より、既に近くまできていたようだった。
眼前に広がるのは、あの山だ。絶対に見つけ出す。
だから私。泣くんじゃない。


目の前に、突如光が現れる。
私を転移させた時と同じ、優しい光だ。
手を差し出すと、光は私の手の中に収まり。
中から、あの指輪が出てきたのだった。




『デュオス・フェイター』。

指輪には、その名前が刻まれていた。

私は指輪を握り締め、頬を伝う雫を一人静かに感じていた。





・・・・・





はぁっ、はぁっ!
分かる。彼が、この近くにいる!
だが、他の魔物の魔力も感じる。
現に、道中教団兵とヤりあってる魔物の姿が何人も見られた。
おそらく、あの商人が手を引いたのだろう。
色んな意味で彼が危ない・・・急がねば。


ここだと思った場所には、人集り・・・いや魔物集りができていた。
だが様子がおかしい。皆、決死の表情だ。

何故だ?
何故、彼の匂いがする場所に。


大量の、彼の血の匂いがするのだ?



何故、彼が。



その血だまりの中で、倒れているのだ?




嘘、だよな・・・?そうやって、私を・・・からかって、いるのだろう・・・?
そうだと、言ってくれ・・・・・・そうじゃないと、私は・・・わたしはぁ・・・っ・・・








嫌だ。

嫌だ、嫌だ・・・

嫌だっ、嫌だっ!いやだっ!

死んじゃいやだっ!死ぬんじゃないデュオス・・・!
何でお前が死ななくてはならないんだ!!
起きろ!起きてくれ!!

デュオス!お前私をまた一人にするつもりなのか!?
そんなこと!絶対に許さないぞ!!
私はなぁ!もう一人にはなれないんだ!!
もうお前がいなくては生きていけないんだよ!!
だから責任を取れっ!!私を一人残していくんじゃない・・・!!
私を拾っておいて!勝手にいなくなるなんて!!
無責任にも程があるだろうっ!!!

頼む・・・生きてよ・・・
私と一緒に、生きて欲しいんだ・・・!
お願いだから、生きて・・・・・・!




目をっ!!開けてくれぇぇぇぇっ!!!!












・・・・・ ・・・・・






・・・・・・・ ・・・・・・・






・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・












あれから、さらに半月が経過した。
事実から先に述べると、彼はまだ生きていた。
駆けつけてくれた商人とその仲間の魔物たちが、ありったけの回復魔法をかけ続けてくれたからだ。
おかげで、何とか一命を取り留めることができた。
本当に、感謝している・・・


だが、彼は目を開けてはいない。
未だに意識が戻らないのだ。

もう一生、このままかもしれない。
ある意味『死んでいる』と言ってもいい、この状態が続くかもしれない
そう医者にも告げられた。


話しかけても、もうあの『クソッタレ』を聞くこともない。
呼びかけても、面倒くさそうな表情をすることもない。


でも、私は信じている。
この屋敷で、彼を世話していれば。
彼が目を開けて、いつも通りに悪態をつくんだ。
そうした日々がきっと・・・
あの半月が戻ってくることを信じて・・・




さて、今日は何の話をしようか。
私は彼の前で一日の出来事を話すことが日課になっていた。
返事をすることはないけれど、きっと私の声が届いていると。
ずっと、信じているから。


ふと、外を見ると夜空に月が浮かんでいる。
今宵は満月。そういえば、彼と初めて会ったあの夜も、満月だったなぁ。
もう一ヶ月か・・・早いものだなぁ・・・
今日は、一緒に月を見ても良いかもしれんな。


いつものようにドアを開く。

いつもと違う違和感を覚える。

そこには。


あの半月を過ごした男の顔が。
この半月、一度も起きなかった男の体が。




デュオスが起きている姿が、私には見えた。




本当に。
本当にデュオスなのか・・・?
痛くないか?どこにも異常はないか!?
つらかったり苦しかったりしないか!?

本当に・・・『生きて』いるのか・・・?




あぁ・・・その憎まれ口。
どうやら本物のようだな・・・
本当に、お前なのだな。
デュオス・・・デュオスぅ・・・!


私が無言で抱きつくと、暑いと言いつつもしっかりと抱き返してくれた。
あの聞き慣れた言葉が、今まで枯れ果てていた私の心へ染み込んだ。




生きてて良かった・・・
愛しいお前に、また会えて良かった・・・


そう伝えると、彼は相変わらず悪態をつきつつも。




初めて私の名を呼んだのだった。
13/10/11 20:06更新 / 群青さん
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■作者メッセージ
半月と半月。
二つ合わされば、満月に。
彼女らはようやく満月になれました。
月は欠けたままでは、いけませんから。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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