読切小説
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A grin without a cat!
 笑わない猫ならぬ。
 猫のない笑い。
 誰でも一度は見聞きした覚えがあるであろう、有名な文学作品「不思議の国のアリス」の第三章だったか、二章だったか、それは忘れてしまったけど。兎も角、その作品中に出てくる不思議なお茶会だったか宴会だったかそれとも猫の去り際の言葉だったか、その辺りの言葉だった気がする。
 どうしてそんなことを今さら、高校生にもなって思い出しているのかと言えば、それは十中八九まず間違いなく確実に転校生が原因だろう。
 回想。
 転校生。
 ドラマやアニメではよくありがちなイベントだが、実際にそのイベントに出くわすことなくモラトリアム高校生活を終える学生が大半の中、どうやら僕はそのイベントに縁があったらしく、クラスでも早くも転校生の話題で持ちきりだった。
 それも、魔物娘らしいとくれば、男子の興奮度は女子が軽く引いてしまうほどのものだった。
 魔物娘。
 好きになった男性に尽くし、決して浮気をしない。昼は淑女、夜は娼婦。男性の理想の女性像が顕現したような存在。夢のような話が現実に。そんな相手がひょっとすれば、自分を好きになってくれるかもしれない。そう淡い希望を抱かずにはいられないのだろうから、まあ、盛り上がるのも無理はない話しだった。
 で、生物学上そんな男子に分類される僕はといえば、自分の机で一人黙々と好物のロールケーキを頬張っていた。
 別に興味がない自分カッコイイとか、そんな訳じゃなくて。ただ、自分は選ばれないだろうと思っていただけだった。
 当然だろう。
 クラスにいる数多くの男子から、自分が都合よく選ばれるなんて妄想は、していても虚しくなってしまうだけだ。先の虚しいよりは、目先の美味しいの方が僕はよっぽどいい。
 そうやって適度に自分の中で諦めをつけながら、僕はロールケーキの上品な甘みを堪能して、食欲を満たした。丁度、その頃には朝のショートホームルームの時間になり、猫背の教師が教室に入ってきたことで、熱せられていたかのように騒がしかった教室も静まり返った。
 やがて、入りなさいという教師の声に従い、その転校生は姿を現した。
 一言で表すなら、それは猫だった。それはもう、わかりやすいくらいの猫。肉球があるあの特徴的な手をそのまま人間サイズにした手に、頭部に生えた獣耳。そして尻尾。どれをどうとっても猫としか言えない転校生だった。
 腰まで伸びた髪の毛とぴくぴくと動いている耳は、手入れをしているのかそれとも天然なのか判別はつかないけれど、縦半分で、耳は左右がそれぞれくっきりと、そう、オッドアイのように綺麗に色分けがされていた。黒と紫、映える色だ。
 チェシャ猫。
 それが転校生――色分いろは――の種族だった。
 なんでも、不思議の国からやってきて、そのままこちらへと住み着いたらしい。いわゆる、逆輸入とか、そんな感じだ。
 自己紹介もそこそこに、やがて転校生は空いている席、つまりは、僕の隣の席にずんずんと歩み寄り、そして。
 目が合った。
 目が合ったというよりは、転校生の方から目を合わせてきた。そして、にんまりと鋭い歯を覗かせる、あの不思議の国のアリスの挿絵にあったチェシャ猫そのままの笑みを浮かべると、

「お前に決めたにゃ」

 そう言ってのけ、ずいっと顔を近づけると、そのまま僕の唇を奪った。
 平たく言えば、キスされた。

「......は!?」

 事態の把握にたっぷり数秒は要しただろうか。いきなりの出来事にクラスも静まり返っていたが、やがて女子の黄色い声と、男子の罵詈雑言や嘆きの声で教室が満たされた。大胆、羨ましい、死んでしまえ、もげろ、そんな声が次々と僕に飛ばされるが、僕としてはそんなところではなかった。
 突然キスされて、冷静になれるわけもなく、ついでに白状してしまえばファーストキスを奪われて落ち着いていられるわけもなく、僕は頭の中がこんがらがって、脳内で矢印をあちらこちらへと乱舞させるしかない。疑問符が次々と湧き水のように溢れては消えていく。完全にこの時の僕にとっては許容量を越えた出来事は、回路をショートさせていた。
 そんな僕にかまうことなく、彼女、いろはが次にとった行動は、

「んにゃ♪」

 ハグだった。
 それも、体重を全てこちらに預けるような、重いハグ。
 重心が傾き、バランスを取ることに失敗した僕が椅子から転げ落ちても、驚くことに彼女は僕に抱きついたままだった。それどころか、その豊満な胸をあからさまに僕の胸板に、ぎゅぅっと押し付けてきていた。制服越しに、柔らかくてどうしようもなく女性のものだとわかる感覚が伝わり、乳房がぐにゃりと音がしそうなほどに形を変え、つぶれた鞠のような形になっていく過程をこれでもかと見せ付けられた。

「なっ、ちょ、ちょ、まっ」

 未だ狼狽えることしかできない僕を、しかし彼女はがっちりとホールドし、続いて首筋に顔を埋めてきた。そして、そこで大きく深呼吸。耳元で、「いい匂いだにゃあ」という声が聞こえたのもつかの間、僕は首筋に伝わったざらりとした感触に悲鳴を上げていた。

「ぺろっ、ちゅ、ちゅっ」

 まるで恋人にするような、労わるような優しい首筋へのキスと愛撫。それらがもどかしい快感を与え、脳髄をぴりぴりと焦がす。それと同時に、股間にどうしようもない獣欲が集まってくるのがわかり、僕は薄れかかっていた理性をなんとか振り絞り、彼女を振りほどいた。
 ぜえはあと肩で息をしながらなんとか立ち上がり、辺りを見回すと、教師は言葉も出ないのか、呆然としており、女子はというとある人は顔を覆い、ある人は顔を赤らめながらもしっかりと視線を注いでいた。
 男子はといえば誰もが血の涙を流しそうな形相で僕を見つめ、いや、睨みつけていた。まるで親の仇に対面した時のような、そんな悪鬼羅刹も裸足で逃げ出してしまいそうな顔だった。正直に言えば、僕はもう裸足でもなんでもいいから逃げ出してしまいたかった。
 生憎と、僕はこんな大人数の前で公開羞恥プレイをされた後に、平然とその場にいられるほど、図太い神経は持ち合わせていないのだから。
 そんな気分にさせた張本人はというと、

「にゃ?」

 何かあったのかと言いたげな顔で、首を傾げていた。
 これが、僕と彼女のファーストコンタクトになる。トラウマ確定だ。どこの世界に出会って十分もしない内にキスしてくる転校生がいるんだ。自制心を失った婦人でもきっと三十分は自制できる。
 以上、異常な回想終了。



 そして現在。
 下校中。

「どうしたもんかな…」
「どう強いたもんかにゃあ…」
「強いないでくれ!僕の平凡だった日々を返せ!」

 クラスの僕と彼女を除く全員から満場一致でカップル認定をくらった僕は、彼女と登下校を共にすることを強いられていた。周りの環境と、彼女に。

「猫を思い通りに動かせると思ったら大間違いにゃ」
「大体さあ、どうして僕なんだよ。もっといいやつがいただろ」
「さあにゃあ?その博学の頭で考えてみるといいにゃ」
「ああ薄学だともさ!」

 彼女はまんざらでもないどころかその雰囲気を大歓迎のようだったが、僕は違う。どうにかして諦めてもらえないかと無駄な足掻きを続けていた。餓鬼のように。
 魔物娘にも相手を選ぶ権利がきちんとあるように、僕にだって相手を選ぶ権利があるはずだ。それは彼女が不満ということではなくても、だ。
 言わずもがな、彼女は魔物娘である以上、その肢体は十二分に魅力的なものだし、その纏った男を惑わす色香は到底、人間が背伸びをしたところで、棒高跳びをしたところでとどくはずもない。
 そこは認めた上で。
 これは僕個人の願望になるが、僕は望むなら、至って普通の恋がしたかった。
 あんなファーストコンタクトの上でのカップル成立だなんて、受け入れられるはずもない。無駄なことだと頭の隅では理解しつつも、だ。
 せめてもの意地というか、くだらない矜持というか。ともかく、そんなちっぽけなもので僕は彼女を拒否していた。
 いや、実際には拒否すらできていないのが、きっと現状だけれども。

「せめて納得のいく理由を教えてくれないと、僕としてはどうにもしっくりこないんだよ」
「そうだにゃあ、見事なまでの上海の振りに惚れこんだにゃ」
「そんな大規模なものを振った覚えはないぞ!?」
「采配だったにゃ」
「尚更覚えがない!」
「安牌だったかにゃ?」
「僕は麻雀なんてしない!」

 と、まあこんな感じに軽くあしらわれるのが現実だ。それでもなんとかふんばるのが、僕。

「天縫無衣なところかにゃ?」
「それじゃあただの変態だ!」

 ふんばれてはいても、結局粘れてはいないのだろう。こうして、くだらない会話をすることが、少しずつだけど、楽しいと感じ始めているのだから。
 どこか滑稽で、それが嫌じゃない。こんな感情を自然に相手に抱かせるのだとすれば、なるほどきっと魔物娘は素晴らしい存在なんだろう。
 少なくとも、雁字搦めになった日常の殺風景さを、色鮮やかな色彩があったことに気づかせてくれる程度には。
 モラトリアムをインモラルに変えるくらいには。
 あれ、待てよ。それっていいのか?

「まあ嫌よ嫌よも好きのうちって言うし、そのうちハッピーエンドを迎えるにゃ」
「そんな大団円ごめんだ!」
「大団円っていくらだにゃ?」
「価値の方の円じゃないからな」
「にゃは」

 そう言って彼女は不意に僕に抱きついてきた。遠慮のないハグ。突然の会話の中断も、彼女にとっては当たり前のことだった。これも何度目になるだろうか。後ろから抱きつかれ、背中にまたあの時の感触がする。大きなマシュマロでも押し付けられたかのような、官能の渦を起こすには十分なあの感触。
 そして彼女の腕が僕に回り、愛しげにきゅっと力を込めると、

「話は飽きたにゃ」

 そう言って、彼女の腕は僕の身体を這うように動き、下腹部を擽るように撫でた。甘く、脳内を攪拌させそうな香りが僕の鼻腔を満たし、どくん、と心臓を一際強く鳴らす。濃厚で、精神を犯すような香り。
 彼女の手が、下腹部よりさらに下に降りていく。
 男という生き物は、つくづく嫌なものだと思う。身体は正直じゃないかなんて悪役が吐くような台詞が、自分に返ってくるから。
 弄ぶようにうなじに頬擦りをされ、擽ったさで身を捩じらせる。制服同士が擦れあう音が、やけに鮮明に鼓膜に響いた。
 彼女の吐息が、すぐ傍で感じる。体温も、感触も、匂いも。何もかもがすぐ傍にある。意識を逸らすことなどできるはずもなく、縫い付けられたかのようにその場から動けなくなる。
 内腿を撫でられ、緊張のせいか萎えているそれをズボン越しにさすられ、もどかしい快感が一瞬、身体を突き抜けた。
 血液が、どんどん一点へと集まっていく。まずい。まずい。
 思わず目を閉じた次の瞬間には、彼女の感触はなくなっていた。

「にゃあんてにゃ」
「……」
「期待したかにゃ?期待したにゃ?」

 いったい、どれほど彼女の手中で踊ればいいのだろうか。
 麻痺しかけた頭の数多の機能が唯一した思考は、それだけだった。とてもじゃないが、後ろを向いて彼女の顔を見ることなんてできずに、僕はただ前に歩くしかなかった。振り向いてしまえば、精神衛生上、きっと僕は大きな損害を被るだろうから。
 できるだけ彼女と距離をとりたくて、なるべく早歩きで僕はその場を後にした。
 からかうように耳元や、時には遠くでする彼女の声がいちいち明瞭で、壊れそうだった。



 ファーストコンタクトでの出来事の一件以来、僕に対するクラスメートの態度が変わったことは言うまでもないことだけど、特にその態度の変わりようが顕著に面に出てきたのは、これまた言うまでもないかもしれないが、男子だった。
 それなりに。
 それなりにだけれど、クラスに上手く溶け込むことができていた僕は、かと言って特定の派閥に属していたわけでもなかったが、だからと言って無頼とまではいかなかった。忘れ物をした時には誰かの助けを借りていたし、逆に頼られた時には僕も進んで救いの手を差し伸べていた。そんな行動が僕をクラスに溶け込ませていた要因だったと自覚しているのだけれど。
 ここまでは過去の話だ。
 現在は、それはもうあからさまに敵意の視線が突き刺さる学生生活を送るハメになっていた。購買、教室移動、日常にこれでもかと背中に突き刺さる、あわよくば本当に刺す機会を狙っているかのような視線を浴びせられる学生生活。
 灰色どころか真っ黒になりそうだった。
 そんな学生生活の、教室移動の真っ最中。

「沈んだ顔してるにゃ」

 いつの間にか、そこにいることが当然のように彼女は僕の隣にいた。曰く、神出鬼没なのがチェシャ猫らしい。

「もう少し言葉を選んでくれ。僕のセンチメンタルな心はもうズタボロだ」
「浮かない顔してるにゃ」
「同義だ!」
「にゃにゃにゃ♪」

 実に楽しそうに笑う彼女。
 だが、僕としてはこの状況は楽しくない。彼女と並ぶだけで、殺意の秋波がこれでもかと僕に送られてくる。そんな立場の僕は、なるべく素っ気無く彼女の会話を捌くことでなんとかそんな現状を打破しようとしていた。
 これも、無駄な努力だ。
 でもしないよりはずっといいだろう。いつまでもこいつに手綱を取られてたんじゃ、悔しいじゃないか。既にそれじゃあ上に乗られているという前提が、既に僕の頭の中に刷り込まれていて、既にもう無意識にそれが違和感なく溶け込んでいることは、置いておいて。

「あのな、そっは楽しいかもしれないけど、僕はこの数日、命の危機に晒されてるんだぞ。少しはこう、配慮をしてくれたっていいんじゃないのか?」
「例えばどんな配慮にゃ?」
「例えば……そうだな」

 僕は一応考える。
 配慮。自分で言っておきながらこれが中々難しい問題だった。いちゃいちゃとしていればそれは命の危険が迫ることに変わりはない。だからと素っ気無く、僕が冷たくしているとそれはそれで外野の怒りがこみ上げ、同じことになるだろう。

「……友達以上、恋人未満の距離を取るとか?」
「ふ、不審者が学校にいるにゃ!」
「いや、距離が離れすぎだろ、他人以下じゃねえか」
「アタシとの中にゃ。隠し事するなんて汗臭いにゃ」
「接近しすぎだ。ついでに多分、それを言うなら水臭いだ」
「突っ込みどころがもう一つあるにゃ。中じゃなくて仲にゃ」
「会話でわかるか!」
「にゃはは。楽しそうだにゃ」

 言われて、自分の顔が少し綻んでいることに気づき、慌てて口元を引き締める。
 実際、どう足掻こうと無駄だよなもう。実際には目をつけられた時点で終わりだし。考えてみれば、案外悪くないのかもしれない。彼女が献身的に僕に尽くしてくれる姿を想像するのはちょっと、容易ではないが。そのぶん、笑いながら過ごす日々だったら、容易に想像できる。……性的な意味で尻に敷かれている未来も鮮明に見える。淫蕩で退廃的な日々。う〜ん、ちょっと社会的に危なくないだろうか。
 まあ、魔物娘なんている時点で、社会的にとか言ってられない気もするけど。
 そんなことを考えている内に、授業開始のチャイムが鳴り響き、実に機械的に自らの役割を果たす。
 現在、僕と彼女はまだ目的の教室にはたどり着いていない。

「うわ、遅刻だけは勘弁したいな」

 ただでさえ目をつけられているのに、ここから更に自分から目立つのは避けたい。全力ダッシュをすれば、なんとか間に合うだろう。
 そう目論んで思いっきり走ろうとした瞬間に、

「にゃ」
「うわっ!」

 僕は腕を掴まれ、空き教室に彼女によって放り込まれた。さすが魔物娘。力だけでも敵いっこないことが、床にしたたかに打ちつけられたその身で実によくわかった。
 幸いどこも捻ったり打身をしていないあたり、ちゃんと手加減はしていたのだろう。いや、そんなことに感心している場合じゃなくて、授業に遅れる。
 慌てて起き上がろうとしたが、それは彼女が僕の上に馬乗りになることで叶わなかった。激しく、途轍もなく嫌な予感がする。
 僕に跨っているのは、紛れもなく彼女だろう。その目に淀んだ炎を宿らせて、心なしか息が荒いこと以外は、彼女に間違いがないだろう。

「じゅ、授業に遅れ、んん!?」
「♪」

 せめて抗議の声をあげようとしたが、それも中途半端なところでキスによって遮られた。誰もいない教室の中で、狂ってしまいそうなほどに淫猥な水音が響く。僕の身体にのしかかる、彼女の重さ。柔らかな肢体。心地いいと感じてしまうような重みが、じわりじわりと、風紀とかそんなことを溶かしていく。重みで、沈めてく。
 彼女の舌で口内を蹂躙されながら、僕はそっとその身体を抱きしめてみた。抱きしめられることはあっても、抱きしめることは、意外にもこれが初めてだった。
 抱きしめて、わかったことがある。彼女の身体は、案外、罅割れてしまいそうなほどに、女の子の身体そのものだった。ぴくりと身体を震わせたのも一瞬、さらに身体を預けるように、重みが僕にかかるのがわかる。
 自分でもわからないけど、なぜかそれがとても微笑ましく思えてしまって。
 僕はもっと強く、彼女を抱きしめた。
 やがて、どれほど続いていたのか把握もできない長いキスが終わり、だらりと銀色のアーチが垂れ落ちた。唇がふやふやになってしまっても尚、艶やかな光を放つ彼女の口元は、それだけで魅力的だった。
 情けない話じゃないか。
 無駄な足掻きがここまで無意味なことだと知ったのだから。

「にゃぁ♪」

 彼女は挑発的な笑みを浮かべると、一旦僕を解放し、身につけていたものを全て脱ぎ捨てた。いや、違う。なぜかスカートだけは履いていた。ただしパンツは穿かずに。
 いやいやマニアックすぎるだろ。
 そんな悪態を吐くこともできないくらいに、彼女の肌はきめ細やかで、美しいと形容していいほどだった。彼女は挑発的な笑みはそのままに、その両手で自分の乳房を覆い隠す。それだけで妖しく形を変えるその双丘に、僕は釘付けになった。
 いや、確かに彼女のその胸の破壊力は凄まじいと思ってはいたけれど。
 まるで制服が拘束具であったかのように、解放されたその胸は大きかった。まず形がすばらしい。きっとそれは砲丸と例えるべき大きさなのに、重力に逆らうほどの張りが見受けられる。そしてそれと同時に柔らかさという要素が反発することなく共存しているのが信じられない。
 ここまで感動を覚えるのは、きっと男子高校生の悲しい性だった。

「触りたいかにゃ?」

 机に行儀悪く腰掛け(こんなシチュエーションで行儀に良いも悪いもあったもんじゃないけれど)、そんな僕をからかうように聞く彼女。答えはもうわかりきっているだろうに、あえて聞く辺り、猫だ。
 返事をする暇も、惜しかった。
 まるで何かにとり憑かれたかのように僕は彼女の胸に指を埋めた。
 改めて、感動を覚える。しっとりとした滑らかな肌は驚くほどに触り心地がよく、自分の指の動きに連動して目まぐるしく変形する乳房は、虜にするにはじゅうぶんなものだ。
 既に固くなっていた乳首を摘み、こりこりと抓るようにして弄ると、彼女の唇から色っぽい声が漏れ出し、それがまた血流を加速させる。
 この身体を、今、僕だけが触れている。
 その事実だけで、卒倒しそうな興奮が僕を襲い、同時にもっと彼女の身体を堪能したいという欲求が、首をもたげた。

「……♪」

 それを敏感に感じ取ったのか、彼女は机から下りると、こちらに背中を向け、机に手をつけてお尻を突き出した。肝心な部分は、なぜかつけているスカートで見えない。それが逆に扇情的で、思わず生唾を飲み込む。長い髪の毛が背中の肌を隠すようで、それすらいやらしい。
 彼女は首だけを動かしてこちらを振り向くと、にやっと全て見透かしているような笑みを浮かべた。
 ああ、もう、敵わないな。僕が浅ましいやつだってことも、情けないってことも、畢竟するに僕の欠点全て、お見通しじゃないか。そんな僕を好きになってくれた彼女が、ここまでの行動をとっていて、僕は。

「躊躇ってるにゃ?」
「そんなことないよ」

 軽口に軽口で返し、スカートを捲る。
 彼女の秘所は既に愛液を垂らし、まだかまだかと自分を満たしてくれるものを待ち焦がれていた。僕はファスナーを下ろすことすらまどろっこしく感じ、ズボンをパンツごと下ろす。
 既に限界にまで張りつめていた自分の性器が外気に晒され、びくんと獣のように奮えた。自分でも信じられないくらいに肥大化したそれは、先走りの汁をたらたらと流し、獲物を求めているように見えた。
 右手でしっかりと愚息を掴み、彼女のそこにそっと密着させる。とろりとした愛液を亀頭に塗し、なるべく滑りをよくさせてから、入るべき場所を探り当てた。あとは、進むだけだ。

「挿れる、よ」

 返事はなかった。
 無言を肯定の意として、僕は一気に腰を押し進めた。

「ッツ!!!」

 お互いの境界線があやふやになってしまいそうなくらいの熱に包まれ、危うく射精しそうになる。僕の精魂を搾りとろうとする彼女の膣は、言葉にできないほど気持ちがよかった。まだ入れているだけなのに、きつく僕のものを締め付け、緩やかな刺激を与えてくる。それだけに留まらず、カリを舐るように肉襞が蠢いて、絶え間なく快楽が僕を苛む、蝕む。
 これだけでも十分満足してしまいそうだけど、それでは彼女が堪らないだろう。
 そう思って、歯を食いしばって快感に耐えながら、腰を動かす。

「にゃ、やっ、それぇ」

 動かす度に快楽の奔流が僕を攫い、理性がぐずぐずに腐敗していく音がする。骨盤がぶつかるほどに勢いよく突き入れると、彼女の乳房が揺れ、視覚でも愉しませてくれる。どうしようもない原始的な快楽と、ぱんぱんと乾いた音だけで世界が満たされていく気がした。
 うねり、搾り、求める彼女の膣の動きにぎりぎり一歩手前で耐えながら、なんとか彼女も気持ちよくなれるようにとがむしゃらに腰を振る。
 そんな動きでも、彼女は感じてくれているようで、あっあっと洩れる嬌声が可愛らしくてたまらなかった。
 やがて、ごつごつと亀頭の先端が何かに当たる感覚がする。

「!?にゃ、そ、そこっ…」

 一際甲高い喜悦の声を上げた彼女は、背筋を弓のようにしならせ、ぴくぴくと身体を震わせた。

「ここ?ここがいいの……か?」

 振り向く余裕すらないらしく、こくこくと頷く彼女。その追い込まれたような必死の動きが、僕の残り僅かだった理性を弾き飛ばした。彼女の背中に覆いかぶさり、両手で乱暴に彼女の豊満な胸を掴んで揉みながら、腰をぴったりと密着させて、深く深く彼女が反応した場所を抉るようにして突く。
 リズミカルに彼女の口から発せられる声に、いよいよ余裕がなくなり、文字通り、獣のような声が洩れだす。
 隙間なく埋められた膣は僕の乱暴な腰の動きでもしっかりと肉棒全体をくまなく愛撫し、食い締めるような感覚をひたすらに僕に与え続けていた。
 結合部からは蜜があふれ、その蜜は乱暴な律動でもしっかりとその役目を果たしていた。
 やがて、膣が痙攣するように収縮し、僕の肉棒に吸い付き、絡めとるように蠢く。
 限界が近かった僕は耐えられるはずもなく、ただひたすらに律動を送り込み、深く腰を突きいれて、子宮口に向かって精液を放った。
 どくどく。
 尿道を精液が迸る快感が、電流のような刺激で細胞を壊し、単なる獣へと成り下がらせるのを自覚しながら、僕はただ目の前の彼女に種付けた事実だけで心が満たされていた。
 退廃的で、荒廃していて、淫猥で、淫靡で、乱れていて。
 僕はただ、何かを求めるようにして、彼女を掻き毟るくらいに強く、繋がったまま抱きしめた。



 事後。
 結局あの後、お互いに完全に灯ってしまった火が一度の絶頂で満たされるはずもなく、馬鹿みたいに交わった。口で、胸で、彼女の奉仕を受け、全身で彼女の体温を味わった。
 つまるところ、授業に出られなかったどころかその日のほとんどの授業をサボってしまった。
 そんな日の帰り道。
 お互いに何を言うでもなく、ただ黙って歩いていた。そんな沈黙に耐えかねたのは、どうやら彼女が先らしい。

「激しかったにゃあ」
「うっ」
「大人しい顔した人の方が云々の俗説は本当だったわけだにゃ」
「うっ」

 否定できないので僕としてはただ言われるがままだ。
 言われるがまま。なされるがまま。

「むっつりだったわけだにゃ」
「うっ」
「ぽっくりだったわけだにゃ」
「待てそれは違う!」

 ぽっくりは違う。それを適用した場合、とんでもない意味になる。

「縁起が悪いことは言わないでくれ」
「にゃ?大根役者だったのかにゃ?」
「いや演技じゃない!縁起だ縁起!」
「ややこしいにゃあ」

 わざとらしく首を傾げて見せる彼女。絶対にわかっててやっていることは明らかだが、それを追求したところで、またのらりくらりと避けられるだけだろう。嘯くというか、はぐらかすというか、言葉遊びの好きな彼女だ。
 まあ、不思議の国の物語から飛び出してきたのなら、それも納得ができるが。実際には彼女は淫らな方の不思議の国からやってきたので、それが当て嵌まらなくても納得できる。どちらにせよ、どっちにせよ。

「もう少し早く歩けないのか?」
「猫は気まぐれなのにゃ」

 そう言って、尻尾を揺らす彼女。
 そんな態度も、まあ許せてしまう。彼女には、敵わない。
 まあ、そうだろうさ。
 どうせ僕は勝てっこないんだ。でも、それならせめて。負けても楽しく過ごしたい。
 この場合の負けっていうのは――

「そういえば」
「ん?どうした」
「今さらだけど、まだ名前すら聞いてなかったにゃ」
「本当にすげえ今さらだな!」
「仕方ないにゃ、一目みてビビっときたんだからにゃ」
「今確信した、お前はもう少し奥ゆかしさを持つべきだ!」
「そんなものウミガメに食べさせてきちゃったにゃ」
「ウミガメの主食は奥ゆかしさなのか!?」
「そうでないと人目を忍んで卵なんて産まないにゃ」
「思いつきでいっただけだろ!そうだろ!」

 そうに違いない。ウミガメほどいい加減な生き物がいるものか。そうでなければ、絵画をだらけ方にするはずがないだろう。

「読み方を這い方と教わった時にはびっくりしたにゃあ」

 思わず絶句した。知ってるんじゃないか。本家の不思議の国も。
 相変わらず心の底を見透かしているような笑みを浮かべる彼女を見ると、童話の一節は嘘に思えてくる。
A grin without a cat. 
 猫のない笑い。ルイスキャロルの言葉遊びの一つ。笑わない猫ならぬ、とあれはそういう感じの言葉遊びだったけど、だったと思うけど、なら、悪いが僕は巨匠に文句を言いたい。
 笑わない猫も猫のない笑いも有り得ない。
 だってそうだろう。目の前にこんなにいい笑顔を浮かべるチェシャ猫がいて、僕はそれにつられて笑っている。そう、僕は笑ってる。
 そして消えもしない。ずっとここにいる。

「話を戻すと、名前を知らないと色々不便だにゃ。名前も呼べないともどかしくてたまらないにゃ」

 どうやらこれは本当らしく、彼女は珍しく頬を膨らませて不機嫌そうだった。だが、まだ暫く教えるつもりはない。
有栖川なんて苗字の僕が、チェシャ猫の彼女と結ばれるなんて、出来すぎてて、誰かに踊らされてるようで、具体的には彼女に踊らされているようで、癪じゃないか。

「名前はまた今度でいいだろ。今日は流石にもう疲れたよ」

 主に腰が痛い。
 彼女は不満そうにしていたが、やがて何かを思いついたのかまた笑みを浮かべた。本当に、よく笑うやつだ。
 どうせ口を開けば、僕を惑わす何かが飛び出してくるんだろう。玩具箱みたいな口め。いいさ、何だって聞いて、付き合ってやろうじゃないか。惑わされるのはアリスの役目だ。

「なら、今度はもっと搾り取るにゃ♪」
「有栖川だよ。いまさらだけどよろしくな」

 惑わされるどころか一瞬で僕は白旗を揚げた。
 ったく。
 ここまでいいようにされていると、負けを認めても、少しくらい何かをやり返したくなる。そう思った矢先、ふと思い出す。今丁度僕らが歩いている場所は、そう、以前彼女が僕を。

「アリス……にゃは、おかしな名前だにゃ」

 心底おかしそうにぷくくと笑う彼女。
 そんな彼女を他所に、僕の中にはとある計画が浮かんでいた。翻弄されっぱなしの僕が、彼女に一矢報いることができるかもしれない計画。
 実に浅ましいことだが、その浅ましさに今回は従い、僕はすっかり油断していた彼女の手を掴んだ。

「にゃ?……にゃっ!?」

 そのまま彼女を自分の身体へと引き寄せ、両腕でしっかりと抱きしめる。案の定、予想した通り、彼女は突然の出来事に目を白黒させながら明らかに戸惑っていた。普段、道化のような彼女がこんなに動揺する姿を見れただけでもじゅうぶんなのだが、そこは日頃の恨み。
 そう簡単には終わらない。
 ぎゅっと彼女を抱きしめたまま、彼女の名前を呼ぶ。
 今まで、一度も呼んだことのなかった彼女の名前。

「いろは」

 それだけで、彼女の身体は硬直し、そして力が抜けたかのように弛緩する。腕の中で、にゃ、にゃという声が聞こえた気がした。

「好きだ」

 彼女の耳が少しだけ動き、次に尻尾がぴんと天を衝く。そして魂がぬけたようにがっくりと身体の力が抜けたので、僕はやりすぎたかと慌てて彼女を引き剥がして様子を見ようとするが、それは叶わなかった。
 またしても、敵わなかった。
 彼女は僕の胸板に顔を押し付けると、大きく深呼吸をして、そして顔を上げた。
 そこにあったのは、いつものような笑みではなくて、おかしな物言いになるかもしれないけれど、年相応の女子が笑うような、そんな屈託のない笑みだった。
 そういえば、不思議の国のアリスにあった、チェシャ猫の挿絵。あの猫は……笑っていた。
 ああ、笑わない猫でも、猫のない笑いでもない。
 というか、僕がそのことをすっかり忘れていただけじゃないか。回想でしっかりと述べておきながら。つまりは、全部、遊び。騙される遊び。
 巨匠にも、目の前の愛しすぎる少女にも自分自身にも誑かされた僕は、心の中で二度目になる白旗を揚げた。
 夕焼けが彼女の顔を彩る。けど、彼女の頬が赤いのはそのせいではないだろう。
 ゆっくりとお互いに顔を近づけ、そして。
 腕の中で、一人の少女の息遣いが鳴動した。
 どうにも愛くるしいという気持ちを覚えてないのを、確かに覚えていたのは紛れも無い僕だった。
 結局、やっと胸のうちを明かせた僕はまた負けてしまって、彼女に勝てなかった。何を勝ち負けの基準としていたかなんて、僕も彼女もわかってなんていなかったけれど。
 それでもいいかな、と。
 甘い香りで鼻腔を満たされながら。
 唇の柔らかい感触を味わいながら。
 僕はそんなことを考えた。
15/11/11 22:07更新 /

■作者メッセージ
そんなお話でした。楽しんでいただければ幸いです。
いつにも増して言葉遊びやらパロディやらが多いですが、特に意味はありません。

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