連載小説
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幸せ、妊娠、不安

 あれから時は流れた。

 そう、ヴァンパイアの彼女が、いつも寄り添って、世話を焼き、我が儘を叶えてくれていた男の存在の大きさ、そして彼に対する自分の気持ちに気づいたあの時から。
 二人はあの後婚礼の儀を挙げた。しかし、彼や彼女の行動が全く変わったということでもない。
 彼女、ロザリアは未だにウィリアムを呼びつけ、車椅子を押させたり、身の回りの世話をさせていた。ウィリアムの方はというと、夫兼執事兼使用人という今の立ち位置を気に入っている。
 彼からすればロザリアに『させられている』というよりかは自ら『している』という意識だ。実際、足の全く動かないロザリアが一人で出来ることにも限界があり、ウィリアムのことを必要としているし、彼女のキツい言い方の裏に全て感謝と、こんな言い方しかできないという申し訳なさがあることを、ウィリアムは分かっていた。

 今日も今日で、ロザリアがウィリアムを呼びつけている。
「ウィル、ウィルーッ」
「ロザリア。ここに」
 彼は相変わらず燕尾服を着て、彼女の執事兼使用人の位置にとどまっていた。しかし、以前とは違い彼女を『お嬢様』ではなく『ロザリア』と名前で呼んでいる。それが彼女との関係性の変化を現していた。
「車椅子に移して」
「はい」
 ウィリアムは快く応え、ロザリアを抱き上げた。そして車椅子に座らせ、身なりを整えた。彼女は夫婦になってから、以前にも増して我が儘を言うようになった。それも小さな我が儘。
 今のように、以前は言わなかった「車椅子に移して」や、他にも多々。
「ご飯、何?」
「ハムエッグだよ」
「そう」
 その会話の間に部屋を出て、二人はスロープを下っていた。

 食堂で朝食(ただいま22:00)を済ませた後、二人はロザリアの部屋にいた。並んだディスクに揃って座り、書類に目を通している。
「こっちの件は保留で構わないよね?」
 そう言いながらウィリアムはロザリアに書類を見せた。ウィリアムは結婚してから事業に関わるようになり、手腕を振るっていた。
 そうしてからは、ミューラシカ家がスポンサーになっている企業は大きくなっているのは目に見えた事実だった。
 ロザリアは書類を一目見て、自分の目の前の書類に目を戻した。
「ええ、そうね。あ、そういえば南部支社への輸送路…」
と、彼女は思いだした様に言った。
「あれはマフリ海を通らない別ルートを考えれば良いんだよね?」
 ウィリアムはそう言いながら書類を脇に置き、別の書類を取った。
「え、うん」
「それで相談なんだけど、ちょっと良いかな?」
「なに?」
 そう言って彼は地図を取り出した。
「今、マフリ海は海賊が多くて時間的にロスになるし、リスクも高い。別航路にしても荒れることが多い所ばっかりだし、陸路も悪路ばかりだ」
 ウィリアムは地図の海や陸の所を指さしながら言った。
「ええ、確かにそうね。だからマフリ海がダメになるともう八方塞がりよ」
「なら空路でならどうだ?」
「空路?」
 ロザリアはそう言った後、思いついたように言った。
「ハーピーたちね?」
「ああ、彼女たちはよく運送業で生計を立てているし、それに仕事上、少量の荷物をすぐに運んでもらうことがこれまでもあった。けど船だと、その都度船を動かすのに人手も要った」
「ええ、確かに船はそう言う時、効率は良くなかったわね。彼女たちに頼めば少量でも運んでもらうことがすぐ出来るわ」
「経済的にも出費は少なくなるし、時間も短縮できる」
「そうね。なら、この件はあなたに一任するわ」
「町に心当たりがあるんだ、明日行って来るよ」
「ええ」
 ウィリアムは地図を戻し、置いてあった書類をトントンとまとめ、引き出しに仕舞った。
「さぁーて…」
 ウィリアムは伸びをして、「ふぅ」とため息を吐いた。
「そろそろ切り上げる?」
「…ん〜〜っ…はぁ、そうね…」
 ロザリアも伸びをして答えた。

 ウィリアムは立ち上がると車椅子を押して廊下に出て、スロープを下りると屋敷の外に出た。
 庭は相変わらずきれいに手入れされ、ゴミ一つ無かった。月明かりもあるが、等間隔で置かれたモニュメントを兼ねた明かりが柔らかに庭を照らしている。
 ランプで照らし出された庭の道を歩き、屋敷の角を一度曲がった。そこは彼女の部屋から見える魔界の植物『サキュバスクラウン』のアーチで、ウィリアムはその中で足を止めた。
 サキュバスクラウンは青と白の花弁が交互に並んだ薔薇の様な花を付け、花のすぐ下からの茎が一周ぐるりと輪を描き、その輪になった茎の部分からは孤を描いた棘が伸びている。花は淡く光と良い香りを放っている。
 そしてその形は王冠であり、そこからその名前が来ているのだ。

 ウィリアムはその内の一つを摘んで、ロザリアの頭に優しく乗せた。
「ウィリアム…」
 ロザリアは柔らかい溶けるような声で、見つめながら彼を呼んだ。彼女の、青みを含む銀の髪を、その花の光がきれいに包んだ。
 ウィリアムは頬笑んで、彼女の左頬に手を添えた。
「…似合ってるよ、ロザリア」
 ロザリアは一瞬戸惑うように目を泳がせ、顔を赤くして俯き目を背けた。そして、一度、二度ウィリアムを目で見上げ、恥ずかしそうに頬笑んだ。
「ねぇ、もう一輪摘んできて」
「はい」
 ウィリアムは言われたとおり、もう一輪サキュバスクラウンの花を摘み、ロザリアに渡した。
 ロザリアはそれを受け取って、ウィリアムの顔を見つめた。彼は返事をするように少しゆっくりとした瞬きをして、彼女の前に跪いた。
 自分より目線が低くなった、目を閉じているウィリアムの頭に、ロザリアは王冠を乗せた。
 ウィリアムは目をゆっくりと開け、ロザリアを見つめた。
 ロザリアは照れくさそうに笑って、ウィリアムも嬉しそうに笑った。
「そろそろ戻ろうか」
「うん…」
 ウィリアムは車椅子を押し、庭をぐるりと一周して屋敷へ入った。
「お昼にしようか」
「ええ、お腹ぺこぺこ」
 ロザリアは戯けるように言った。
「ふふふ…」
 ウィリアムは笑って、ロザリアと共に食堂へ行き、彼女をテーブルの前に付かせて厨房へ消えた。
 すぐにワゴンの上に二人分の料理を乗せて戻って来ると、料理を彼女の前に並べ、自分の席の前にも置いた。
 この料理は作り置きだったが、術を施した戸棚の中に入れていたため、作りたての味と暖かさを保っていた。何よりウィリアムの手料理であることに変わりなかった。
 ウィリアムはロザリアの左前に座った。
 テーブルは細長い長方形で、向かい合うと端と端になって遠く、ロザリアが嫌がった。また、長い辺の方に向かい合うと、ウィリアムがすぐに動けない。なのでこの今のポジションに落ち着いたのだ。
 ロザリアも、ウィリアムを近くに感じられ、顔を上げれば彼の姿が視界に入るこの座り方が好きだった。


 食事を終え、ウィリアムが食器を厨房に持っていって戻ってきた。
「ねぇ、お風呂入りたい」
「はい、ロザリア」
 車椅子を押して二階へ上がり、バスルームに入ると、ウィリアムはロザリアの服を脱がせ始めた。ドレスを脱がせ、アンダードレスやパンツなどの下着も取り払った。
 寒くないようにバスタオルを掛けてから、ウィリアムも服を脱いだ。
 ロザリアをタオルごと抱きかかえ、風呂に入って椅子に座らせた。タオルを取り浴室の外の棚の上に置き、防水のカーテンを閉め、お湯を出してロザリアの髪を洗った。
「加減はいい?」
「ええ、ちょうどいいわ」
 シャンプーを流し、ロザリアの髪をタオルで束ねると、泡の浮いた湯船に彼女を抱きかかえたままウィリアムは浸かった。
 スポンジを手に取り、膝の上に座っているロザリアの体を優しく洗う。
 首筋、肩、背中。
「………」
 胸と腹。
「…………」
 尻、内股。
 足を洗い終わって、スポンジを水ですすぎ定位置に戻した。
 お湯は温めで、長く入っていてものぼせない。だからというわけではないが、ウィリアムはロザリアを後ろから抱き締めて、二人ともぼぉっとしていた。
 不意にウィリアムがロザリアのうなじにキスをした。
「ひゃうッ?!な、ウィル?!」
 吃驚したのと少しくすぐったかったのと+αで、ロザリアは声を上げた。
「驚いた?」
 涼しい顔でウィリアムはそう訊いた。
 ロザリアは少し目をキツくして、顔を赤くしながら言った。
「あ、当たり前でしょッ、もうッ!」
「あはははは、ごめんごめん」
「なにが『あはははは』よ…ウィルのバカ…」
 拗ねたような口調でそう言うロザリアは、胸の前で手の指同士を軽く押し合わせている。
「そろそろ上がろうか?」
「え、ええ…そうね」
 湯船からすくい上げる様にロザリアを椅子に移し、体に付いた泡を流してタオルで拭いた。
 浴室から出ると、バスローブを取り出し、ロザリアに着せて車椅子に座らせた。ウィリアムは下着とズボンを履き、ワイシャツを若干ルーズに着こなして、車椅子を押してロザリアの部屋へと向かった。


 部屋に入ったウィリアムは、車椅子をマッサージ用のベッドの横に付けると、ベッドの上にロザリアを寝かせた。
「あ、ウィル?」
 ロザリアはもうマッサージをするのかと思った。
 いつも寝る前にするのだから、いくら何でも早すぎる。
 そんな事を思っているとウィリアムは、ロザリアの来たバスローブの紐を解いて、大きくバスローブを開いた。
「あっ…」
 ロザリアは驚いて声を上げた。
 きめの細かい艶やかな白い躰。細い腰に少し小さめのお尻、胸は決して巨乳ではないが、十分な弾力と大きさを有している。
 白かったロザリアの顔が赤みを帯びていく。
 ウィリアムはワイシャツを脱ぎ、覆い被さるようにロザリアの上に重なると、彼女の唇に唇を重ね、長く深く濃いキスをした。
 唇が離れると、窓から入った月明かりが、互いの唇の間に伸びた糸に反射した。
 ウィリアムは腕を脇の下から背中側に回し、胸の膨らみに口を付けた。ロザリアから色めいた声が漏れる。
「あッ…」
 右の胸の内側にキスマークを残し、唾液を纏った舌が渦を描くように胸を舐め回す。呼吸で大きく胸が上下し、声が出るたびにガクンと震えた。
「あッ、やンッ、あッ…あンッ、あァンッ―」
 先端に舌が達すると、カプッと唇が乳輪を咥え込んだ。
「んあンッ」
 生暖かい空気が右の乳首を取り巻き、次の瞬間、柔らかく少しざらついた感触が乳首を擦った。
「あァンッ、あッ、くァンッ、あゥッ―」
 時に撫でるように、時に弾くように、まるで別の生き物のような動きをするウィリアムの舌が、ロザリアの胸を刺激する。
 いつの間にか、左の胸も片方の手が指先でくすぐるように愛撫し、やがて乳首を摘むようにいじっていた。胸から伝わる感覚はロザリアの頭に駆け抜け、快感に引き込んでゆく。
 胸を十分愛撫したところで、ウィリアムは口を離した。ロザリアの右の乳房はウィリアムの唾液でキラキラと月明かりを反射していた。
 体を起こして膝立ちになったウィリアムがロザリアの足を開くと、股間あたりの内股は愛液で濡れて煌めき、バスローブにまで垂れていた。
 ウィリアムは意地悪げな笑みを浮かべた。
「胸、そんなに良かった?」
「ッ…、やだッ………」
 恥ずかしさのあまり顔を背けたロザリアの顔をその、意地悪げな顔で見つめたウィリアムはまた彼女に覆い被さり、唇を彼女の首筋に、左手を彼女の濡れた割れ目へと付けた。
 耳たぶの後ろを少し出した舌でくすぐり、潤滑な秘部を指の腹で往復した。
「ふぁッ………んッ…………あッ………やッ………」
 淫靡な声を零し、ロザリアは目を瞑りシーツとウィリアムの腕を握りしめている。
 ウィリアムの舌は首筋に沿って、やがて彼女の左の鎖骨を唇で挟むようにして舐め上げた。
 秘部を責める指からは、首筋や鎖骨を愛撫するのに従って、ヒクヒクと動く感覚が伝わってくる。
 ウィリアムは口と指を離し、膝立ちになってズボンと下着を下ろした。
 口と指が触れていなくても、大きく呼吸するロザリアの秘部はヒクヒクと震えていた。
 ウィリアムの陰茎は硬化し、堂々と反り立っている。初めての時はあれほど身じろぎしたコレを、ロザリアの体は今では程良い抵抗を与えて咥え込んだ。
 先ほどよりも足を少し大きく開かせて、手でそれを持ちながら亀頭をロザリアの膣に挿入した。
「あぁあンッ…」
 ウィリアムは三度、彼女に被さるように体を倒し、それと共に奥まで挿入した。
 ロザリアは腕をウィリアムの背中に回し、強く抱きついた。ウィリアムもロザリアの背中に腕を回した。
 ウィリアムはゆっくりと腰を動かし始めた。
「ひゃあゥ…、あンッ…、あンッ…、あッ…、んンッ…、あアッ…」
 動き出しはゆっくりと優しかった。しかし、徐々に激しく奥まで突き上げるように強くなっていった。
 激しいピストン運動にベッドが軋んだが、その音を掻き消すほど大きな声をロザリアは上げていた。
「あッ…、イッ…、イッちゃ…、イッちゃぁァッ―」
 ロザリアの膣が躍動し、ウィリアムの陰茎を締め付けた。ロザリアは絶頂の快楽の中で、無我夢中で顔をウィリアムの胸に押しつけ、しがみついていた。
「―あッ―――ンッ―」
 実は、それがウィリアムがさらに欲情するためのスイッチだった。こうなると、ウィリアムのオーガズムが近づくのだ。
 だがロザリアはそのことも、その時のロザリアをいつにも増して愛しく思うウィリアムの気持ちにも気付いてはいなかった。
 まだ締め付けが続いている間に、ウィリアムのオーガズムが近づいてきた。
「出すよ…」
「うッ、んッ――」
 ドクドクと脈打つ陰茎から放たれた大量の精液が、ロザリアの子宮の天井に当たった。
「ふぁ…あつ…」
 下腹部に熱いものが広がっていくのをロザリアは感じた。
 だがそれでもウィリアムの腰の動きは止まらなかった。
 荒く息をするロザリアの体を抱きかかえて、ベッドの縁に腰かけてベッドの反発を浸かって強く突き上げた。
「あぁンッ、あァッ、ダメっ、これッ、だめぇーッ―」
 ウィリアムが下から突き上げるのとは逆に、ロザリアは重力に従って下に向かって落ちる。すると先ほどよりも自分が落下する分、突きが強くなるのだ。
「あぐッ―」
 ロザリアはウィリアムの首筋に噛み付いた。
 さらに二人を快感が駆けめぐり、飲み込めきれなかった血がロザリアの口から零れた。
「やぁ―、またイくぅぅッ、あァッッ―!」
 体が小刻みに震えて、また膣が収縮する。
「僕も…また…ッ」
 陰茎が脈打ち、ロザリアの体の痙攣がさらに激しくなった。
 ロザリアの体が落ち着き始めた時、またピストン運動が再開された。ロザリアの銀色の髪が振り乱れ、ウィリアムの体に爪痕を残すほどにきつく抱き締めた。
 口元からは涎が滴り、秘部からは愛液と精液が混じって溢れ、歓喜の涙が零れた。

   やあッ―      イくッ―       くぁうッ―
      気持ちいいんだろ…?  あぁ、僕も…    
   もう―ダメェェッ―!
               まだイけるだろ…?
          おかしく――  なっちゃうぅぅッ―!
      もっとぉォッ――
               そんなに欲しいの?   欲張りだね… 
            イっちゃぁァッ――!!

 二人はあの後も交わり続けた。
「ハァ…ハァ…ハァ…ンッ…」
「…ゼェ…ハァ…ゼェ…ハァ…」
 二人はベッドの上に倒れ込んで肩で息をしていた。
 俯せのロザリアの膣口から精液が流れていて、口元から垂れた涎がシーツにシミを作っていた。
「ウィリアムぅ……ンッ……激しすぎるよぉ…」
 彼女は甘えるような、朦朧としたような声でそう言った。
 ロザリアの体はまだ落ち着き切っておらず、時折子宮が収縮し、その快感が声を漏らさせていた。
 ウィリアムはもう落ち着いた様子で、目を閉じてロザリアにおとなしく手を握られていた。
「…だって、やりたかったんだろ?」
「エッ…やッ…あのッ…な、なんで…?!」
 それは図星だった。
 ロザリアは気付いていないようだが、彼女はやりたくなるとある仕草をする。
「まぁなんで分かったかは秘密。可愛かったよ…」
「うぅ…」
 ロザリアは恥ずかしそうにベッドに顔を埋めた。
 ウィリアムは楽しげに笑った。
「ハハハ……少し休みなよ。夕食になったらまた起こすから…」
 ウィリアムはベッドから立ち上がって下着とズボンを履きかけた。
「うん。………………ねぇ、ウィル…」
 ズボンのボタンを止め終わったウィリアムをロザリアが呼んだ。
「なに?」
「…今日…一緒に寝て…」
 体育座りで、恥ずかしそうにシーツで口元まで隠しながら上目遣いで言った。
 ウィリアムは言葉と恰好にドキッとしながらシャツを拾いながら言った。
「…いいけど、僕は昼間には起きないと…」
「いいのッ…あ…その…私が寝るまでは…一緒にいて」
「…うん、わかった」
 ウィリアムは笑顔で答えると、ロザリアの部屋から出ていった。
 ロザリアはコロッとベッドに寝転がると、自分の言ったことを思い出し、恥ずかしさが一気にこみ上げてきた。
(あ〜、何言っちゃったんだろ〜)
 ロザリアはシーツを頭まで被って、少しも経たない間に頭をヒョッコリ出した。
「ンフフ…」
 ロザリアは嬉しそうに笑った。


 そのころ外に出たウィリアムはドアの横の壁にもたれ掛かって顔を赤くしていた。

 ―今日…一緒に寝て…

 ―あ…その…私が寝るまでは…一緒にいて…

(なんていう顔でなんていうことを…)
 ウィリアムは思い出して顔を両手で覆った。
「破壊力、パねぇわ…」
 ウィリアムは厨房へ向かった。


 夕食を終え、二人はシーツを新しい物に換えたベッドに寝転がっていた。
 ロザリアはウィリアムの二の腕に頭を乗せ、腕を曲げて、まるで巣穴に入った小動物の様に収まっていた。
 ウィリアムもリラックスした様子で目を閉じていた。
 もちろん眠ってしまった訳ではない、ただ、この自分の右側で眠り掛けている女性の温かみを満喫しているのだ。
 ふと、ウィリアムが視線を感じて目を開けてロザリアの方を見ると、ロザリアは慌てた様に目を泳がせて睨んだ。
「な、なによ?」
「…いや、なんか視線を感じたから…」
 ロザリアは視線を逸らした。
「別に見てないわよ…」
「え?でもいま…」
「うるさいわね、ウィルは黙って私に腕枕をしてればいいのッ」
 ロザリアは〈むすっ〉として目を閉じて、身をさらにウィリアムに寄せた。
「はい」
 ウィリアムは澄ました笑みを浮かべ返事をした。

 しばらくしてロザリアを見ると、すやすやと寝息を立てていた。
(寝ちゃったか…)
 そう思ってウィリアムが起きあがろうとすると、バッとロザリアがウィリアムの服を掴んだ。
「!?」
「…スー…スー……ムニャムニャ…ムニャ…スー…スー…」
 ハッとして、ロザリアを見ると彼女は変わらず寝息を立てている。
(状景反射?)
 と思ってしばらくじっとしていたが、ウィリアムはフッ…と笑った。
「もう少し…ですか…?」
 彼はそう、眠っているロザリアに言うと、彼女は「ン〜…」と寝言を言いながら笑った。
 そっと彼女の隣に体を戻し、フゥ〜と呼吸をした。

 そしてそろそろ用事をしようと思うと、気が付けばロザリアががっちりとウィリアムの体にしがみつき、身動きがとれなくなっていた。
(…さっき起きておくんだった………、………ま、いいか…)




 それから数週間後、ロザリアのお腹は膨らんでいた。
 まだぽっこり程度だが、二人にはとても嬉しい事だった。
「体調はどうだい?」
「いいわ、仕事も少しなら…」
 ロザリアはどことなく優しい顔つきになっているように、ウィリアムは感じていた。
「そう。あ、でも無理はダメだよ」
「ええ、分かってるわ」
 彼女は微笑みながら答えた。
「まぁたぶんロザリアが不安になるようなことは、ひとまず仕事面では無いと思うよ。ハーピーのみんなも上手くしてくれているし、その他でも。もし何かあれば君に相談するかも知れないけど、出来る限りの対応は僕がするから」
「ええ…ありがとう」

 確かに、彼女が妊娠している間には大きな問題は起こらなかった。ひとまず世間では。
 ただ、臨月を迎えて、ロザリアに少し異変が見られるようになった。
 時々、思い詰めたような顔をするのだ。
 結婚する前のあの日までは、ロザリアが両親を想って悲しげな顔をすることはあった。しかし、いま時折見せる表情は、それとは全く別のものだと感じていた。
 ウィリアムは気遣って、理由をそれとなく聞いてみたが、「なんでもないわ」とはぐらかされることが続いた。彼もそれからはもう追及しようとはしなかった。

 そしてある日のことだった。
 ウィリアムはいつもと同じように、彼女の部屋で書類に目を通し、企業に方針や予算などの指示を与える手紙をまとめていた。ロザリアは車椅子に座って、窓際で本を読んでいた。
 何気なく彼女を見たウィリアムは、本を持ったまま月に照らされる窓の外を眺め、あの思い詰めたような表情をしているのを見た。
(また…あんな顔を…)
 彼女に理由を聞きたかったが、またはぐらかされて終わりだろうと思った。事実、そうなることが見えていた。
 だがウィリアムは何か声を掛けたかった。彼は意を決して言葉を掛けた。
「…なにか…飲むか?」
 こんな何もないような言葉を掛けるのが、今のウィリアムには精一杯だった。
 いつも二人で散歩したり、食事をしたりというときはとても楽しい。それは事実であり、二人とも心から楽しんでいた。
 だが、今の彼女に掛ける言葉を彼はそれくらいのものしか見つけられなかった。
 ロザリアは我に返ったように、立ち上がってワゴンの傍に立つウィリアムを見た。
 少し考えたような間の後、彼女は頬笑んで言った。
「じゃあ、今日おすすめの紅茶をいただくわ」
 ウィリアムは、少しぎこちなく微笑みを返して返事をした。
「わかった…」
 ウィリアムは注文通りにその日一番の茶葉を使って紅茶を入れた。
 良い香りを放っているそれをロザリアに渡すと、彼女は一口飲んだ。
「…どうかな?」
「おいしいわ、ありがとう」
「そう…よかった」
 ウィリアムはそう言うと、椅子に座って自分も紅茶を口にした。確かに、その紅茶はとてもおいしかった。十年近く紅茶を入れ続けているのだから、腕前は確かだ。
 だが、いつものように落ち着きはしなかった。
 二人の間に流れている、この気まずい空気の所為だというのは明らかだ。
 ウィリアムはロザリアに、何がそんな顔をさせるのかと訊ねたかった。ロザリアもまた、彼が何かを言いたげにしているのを感じていた。
 だがウィリアムは、例えロザリアにどう訊ねても、彼女はどうせ答えてはくれないだろうと思い何も言わなかった。
 彼女も彼女で、何か言いたげにしているにも関わらず何も言ってこないウィリアムをもどかしく思っていた。

 そんな二人とも動かないままの時間がしばらく続いたが、とうとうロザリアの方が痺れを切らした。
「ウィル…どうかしたの?」
「え?」
 ウィリアムは唐突なロザリアの言葉に戸惑いつつ、彼女に聞き返した。
「どうかしたって…なんで?」
「だって何か言いたそうだったから…」
 もちろん心当たりはあった。ウィリアムは、ここで誤魔化しても進展しないと思い、何日かぶりに彼女に訊くことにした。
「…いや、君がまた何か悩んでいるようだったから、良かったら話してくれないか?」
「そう…いいの、なんでもないわ…」
 ロザリアは少しぎこちない笑顔で言った。やっぱり、と思いながらウィリアムは続けた。
「何もない分けないだろ?あんな顔、何もないやつはしないよ!」
「ホントに何でもないのよッ!!」
「…ッ」
 ロザリアはウィリアムの言葉を掻き消すようにキツい声で言った。ウィリアムは言葉を詰まらせた。
 彼女の顔が、もう泣きそうな表情だったからだ。
 ウィリアムは立ち上がって早足気味でロザリアに近づき、追いつめたように肩に手を乗せた。
「一体どうしたんだよロザリアッ?!何か悩んでるなら相談してくれたって良いじゃないかッ、僕たちは夫婦だろ?!家族だろッ?!」
 ロザリアはウィリアムの気に押されて、怯えた表情で瞼を振るわせた。
「なぁ、どうなんだよッ?!」
 ウィリアムは肩を揺らして答えを求めた。
 ロザリアは目を閉じて下唇を噛んだ。
「だって…無駄だもの…」
「えッ…?」
 ロザリアは静かにそう言った。
 そしてウィリアムがその言葉に戸惑う中、彼女は今までの憤りを爆発させたように畳みかけた。
「だって無駄じゃないッ!私の悩みはウィルには絶対わかんないッ!分かりっこないッ! だってあなたは妊娠もしなければ子供も産まないじゃないッ!! 気休めなんて言わないでッ!!」
「―ッ………」
 ウィリアムは肩から手を離した。そして数歩トボトボと後ずさりし、机の上に座った。
「あっ……」
 ロザリアはウィリアムの顔を見たとたん、ハッとして目尻を下げた。
「あ、あの…ウィル………ごめんなさい…そんな顔をさせるつもりじゃなかったの…ホント………」
「いや、いいんだ…僕の方こそ、ゴメン…」
 ウィリアムは立ち上がり、椅子に座り直した。
「僕は…舞い上がってたんだよ、たぶん…ううん、きっとそうなんだよ………」
「ウィル…」
「ロザリアと結婚して夫婦になって、仕事を手伝うようになって…力になってると思ってたんだ…ロザリアを、守ってやれるのは僕だけだって…僕は君を支えてあげれるって…でも、ゴメン。…確かに僕は男で、妊娠も出産もしない…だから、君の悩みを分かってあげるなんて、無理だったんだ。そんなことも分からないで、僕は…」
「あの、ウィル…違うの…」
 ロザリアは何とか取り繕おうとした。だが、彼女自身も動揺していて、言葉が出てこない。
 ウィリアムは、彼女の途切れ途切れの言葉に首を振った。
「…僕は何も分かってないんだ…ロザリアが義父(おとう)さんや義母(おかあ)さんと分かれた辛さだってわからない。生まれた時から親の顔を知らないより、知っていながら無理矢理離れなきゃならない方が辛いんだよきっとッ…僕は何も出来ない、無力なんだッ………」
「そんなこと無いッ!」
「っ…!」
 ロザリアは泣きそうになりながら叫んだ。
 ウィリアムは驚いて顔を上げた。
「そんなこと無いよ…親の顔を知らないより私みたいな方が辛いなんて、そんなの絶対嘘ッ…あなたが辛くない訳ないよ………、それにウィルは、ウィリアムは…ちゃんと力になってくれてるわ………」
「だけど…」
 二人の間に沈黙が続いた。
 どのぐらい経ったのだろうか、おそらくほんの数十秒程度だ。だが二人には長い時だった。
「こわいの…」
「えっ…?」
 ロザリアがぼそっと呟いた。
「私…こわいの……」
「ロザリア…」
「だって…魔物でも子供を産む時に死んじゃうかも知れないんだよ………?」
「なっ………」
 ウィリアムは、出産時に母胎が危険な状態に陥るということを知らなかったわけではない。ただ、よく誰にでもあることだ。自分は、自分の回りだけは大丈夫だと、そう思いこんでしまっていた。
 だがいざとなると、そんなことは本当にただの思いこみだと思い知らされる。
 ウィリアムはそんな事にも気付かなかったのか、と自己嫌悪した。
「…それに、生まれてくる子が無事に生まれてくるか分からないし…私、足が動かないから、大きくなっても一緒に遊んであげられないかもしれないし……それに…それに………」
 心配な事を挙げればまだまだあるだろう。
 臨月が近づくに連れ、様々な不安がロザリアの頭の中に渦巻いてきていた。出産のとき、出産直後、もっと先の将来の事。不安で不安で堪らない、それが彼女のあの顔の原因。
 ロザリアの目からとうとう涙が零れ落ち始めた。
「ロザリア…」
 ウィリアムは静かに立ち上がりロザリアの傍に立った。
「すまない、君がこんな思いをしているのに…僕は…」
「…あなたは悪くないの…私が弱いから………」
 少し高い音域の声で、彼女はそう言った。
「そんなことないよっ…」
「……ウィリアム…」
 ウィリアムは彼女の前に跪いて慰めようとした。
 ロザリアは涙の流れる顔を上げた。
「…ッ……ロザリア…」
「ウィリアム、お願い………私…やっぱり弱いから―」
 ロザリアはウィリアムに抱きついてそう呟いた。ウィリアムの燕尾服の背中をシワくちゃにするほど強く握って、強く抱きついた。
 ウィリアムはそっと抱きしめて、彼女の頭を撫でた。
 彼女の中の不安は、その時だけ、こうしている時だけ、そっと和らいだ。


 −−−−−−−−−−◇−−−−−−−−−−


 二人の住む屋敷のロビーに多くの荷物があった。どれもミューラシカ家の分家や、他の貴族や知り合いたちから届いたものだった。
 ロザリアの部屋を覘けば、小さなベッドがあり、揺り籠に寝かされた、ロザリアと同じ銀色をした癖っ毛の赤ん坊がいた。
「…よく寝てるね」
「ええ、そうね…」
 ロザリアは隣のマッサージ用のベッドに、ウィリアムに支えられながら座っていた。

 ロザリアは無事出産した。生まれた女の子はとても元気で、問題もなかった。
 彼女の出産は三時間半を掛けた。ウィリアムは出産後の彼女に血を飲ませて、体力の回復を図った。
 母子ともに健康。ウィリアムはそっと胸を撫で下ろしていた。

 月光の差し込む窓際の揺り籠に寝ている子は、静かな寝息を立てて何も不安を感じさせない。
「ねぇ、ウィル…この子の名前、考えてくれた?」
「ああ、一応考えてみたよ」
「どんなのか聞かせて…」
 ウィリアムは、そっと自分の膝の上に彼女を寝かせた。そしてそっと窓の外を眺めた。
「ロゼッタ…ロゼッタ・ルナ・ミューラシカ」
「…んふふっ」
 ロザリアは急に笑い出した。
「どうしたの?おかしいかな?」
 ウィリアムは戸惑った声で訊いた。
「ううん、違うの…おんなじこと考えてたんだなって…」
「じゃあロザリアも…?」
「ええ、たぶん由来も…ね」
 ロザリアは体を起こして窓の外を見つめた。
 二人の見る先にあるのは淡く光を放つ王冠のような花。『サキュバスクラウン』や『モンスターズクラウン』と呼ばれる花だが、あの花にはもうひとつの呼び名があった。
『Flower for rosetta(フラワー フォー ロゼッタ)』―直訳して〈ロゼッタのための花〉
 そう呼ばれる所以(ゆえん)は、発見者である男がこの花をプレゼントした女性、彼女の名前がロゼッタだったから。そしてロゼッタとは、この花が酷似した花の名前、薔薇の事を意味する名前だ。

 ウィリアムとロザリアは、揺り籠で眠るロゼッタに、そっと王冠を添えた。



 
11/04/05 01:29更新 / アバロンU世
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■作者メッセージ
プロローグ的な章です。

続きはまたその内に

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