出会い〜その2だ〜
一人の小さな男は改札を出た辺りで人を待っていた。
すると、遠くから手を振ってくる自分より大きなヘルハウンド。
「おっ、いたいた。幸谷、待ったか?」
「いえ、今来たところです。」
ベタベタな恋人の待ち合わせ会話モドキ。
今日は例の泰華が約束を取り付けた、その翌日だ。
あの後少し話していくと茜華が住んでいるところはあの路地近くではなく、同僚がいるところに向かっていただけのようであった。
それでも最寄りの駅は同じで、利用する公共交通機関もなじみがある程度には近いところに住んでいた。
今は話し合いで決まったとおり、あの日の翌日二人の仕事終わりから時間を決め、午後8時に駅前に集合と言うことだった。
「あたしの行き着けで良いかな?幸谷はなんか食べたいものあるか?」
「無いです!名里籐さんへのお礼ですから全く気にしないで好きなところへどうぞ!」
妙に嬉しそうな男は元気良く返してくる。茜華も、昨日話した感じから既に慣れていた。
二人は、いや茜華が動き出し泰華はそれを追いかけ歩き出す。
「幸谷は昨日たまたまあそこにいたのか?」
純粋に思っていたことを質問するが答えを聞くと驚く茜華。
「い、いえ、鍵を見つけてもらったあの日から…えっと五日目?でしたかね。」
運が良かったです、と照れたように笑うが茜華には理解できなかった。
「ただあたしにお礼を言いたかったために?通るかも分からないところで?」
「そう言われちゃうと頭が悪いですね僕。でも信じてましたから。」
「何を?」
少し前に歩き出て、ここぞと思ったので欠かさず茜華の目を見て言う。
いや、言い放つ。
「名里籐さんが運が良かったと思えって言ってくれたからですよ!」
「…」
そんなに純粋に受け止められていると思っていなかったので少し照れてしまった。
だが、疑問は残っており引き続き茜華が話す。
「なんで、わざわざ食事なんだ?あたしが言うのもなんだがずっとペコペコしなきゃいけないだろう?そんな、面倒なことより、まぁ…本当にお礼がしたいとするならば菓子折りの一つで良いじゃないか。」
合理。
まず、普通の人間は仕事で疲れているのに未知数のことに五日もかけないだろう。
そして何よりこんな面倒な時間の掛け方をする意味が、これも茜華には理解できなかったのである。
「え、えっと、その…。」
急に口ごもる泰華にまっすぐに目を向ける茜華。
なんで、こいつは赤くなっているのだろう。
「き、綺麗だったからです。」
「…はっ?」
「す、すみませんすみません!言うまでもなくお礼の気持ちが99割ですが。す、少しお話ししたいなぁと思いまして…。」
「…99割って、さては幸谷そんなに頭よくないな?」
なんだか可笑しくて泰華へツッコミを入れてしまったが本当に恥ずかしそうにする相手を見ると素で間違ったようだ。
「もう!99割ですよ!それだけ感謝はしています!!」
「分かった分かった。というか見た目に寄らず軟派なんだな。」
「そんなこと無いです!こんな事初めてですし、そもそも最近人とまともに話してないのも…」
ガクッとこれまた分かりやすく落ち込む男。
あまり触れてほしくない事だろうなぁと思い茜華は即座に話題を変える。
「っても、よりにもよってあたしを誘ったな。他に選択肢なら死ぬほどあったろうに。」
ナンパをするという話ではない。
感謝というだけで五日も水の泡になるような事をできるくらいの純粋、同じ意味では阿呆、なら好きな人さえいればどんな事でもするだろうと、そういう話だ。
「な、名里籐さんが初めてピンときたというか…。いえ、その…なんというか、カッコ良かったんですよ。」
先ほどとは別の照れを感じつつ泰華は続ける。
「困っているのが分かったとは言え素通りする人が多い中、声をかけてくれて。それだけじゃなくてヒーローみたいに瞬時に見つけてくれて本当にカッコ良かったです!」
推理も凄かったですし!
違う、あれは単に論理を詰めれた結果の可能性であって。
「論理を詰めてその結果、鍵はあってしまったんですから!」
ヒー…ヒロイン?
…ヒーローです!
「さい、ですか。」
ヒーローがゲシュタルト崩壊してしまった。
もうこれは何をいっても聞かないと茜華は察し受け入れることにした。
「でも無理矢理誘ってしまって…名里籐さんは男と二人でご飯なんて怒られませんか?」
「誰にだよ。」
「それは、旦那さんか…彼氏さんか…恋人さんか、ボーイフレンドさんか…連れ添いさんか…」
成分表に示すとだいたい同じような要素で出来上がっているものを羅列していく。
「そんなもん、いるように見えるのか?」
「えっ!!!?いないんですか!!?」
なんでそんなにキラキラした目なんだよ。
思わず駆け寄ってきた泰華にのけぞってつっこむがそれでは止まらない。
「あっ、そっか…。名里籐さん好きな方がおられるんですよね…?」
茜華はある程度、人・物事を観察し、対応する能力には優れていると自負している。
今の泰華は明らかに緊張しているが、それがなぜか。
思い当たる可能性を考えると少しむず痒いが素っ気なく答えた。
「いないって。今のアパートにきたのは少し前だから生活を確立しないとなんだよ。」
なんでこいつはプルプルしながらあたしに隠れて、全く一切隠れていない、ガッツポーズをしているのだろう。
いや、何となく想像はつくんだが。
「おーい、幸谷、大丈夫か?」
「やった!…いえ、何でもありません。大丈夫です。」
せわしない動きは体の大きさも含めハムスターかハリネズミを彷彿とさせた。
話していると年下ではあるが一応、成人男性なので口には出さないでおこう。
困ったなぁ、言い寄ってくる男はいても結局のところ、詰まらん相手ばかりだからなぁ。
まぁ、今のところは別に悪くないが。
「名里籐さんはなんのお仕事を…あっ!人様のを聞く前に自分のを言わないとですよね!僕は医療器具の営業です。」
「うわっマジか…あっ、と…すまん。知り合い程度のやつだが鬱になったやつがいたからな…。」
「ですよね〜…。分かりそうです。」
やっぱり泰華の仕事の話はアレっぽいと考え茜華は自分の就いている所を話す。
「あたしは言っちまえば警備だがそんじょそこらの会社とは違うぞ!魔物娘しかいない特殊警備専門であたしはその中でも用心棒的役割だな。」
「用心棒!?特殊なんてカッコいいですね…」
全くの適当な説明だがお世辞を言ったとは思えない反応にくすぐったくなる茜華。
嘘をついているようには見えないし、ここまでの会話でそんな奴だとは思えなかった。
「前に外国のヴァンパイアの皇室一家が来たのって知ってるか?」
「大々的にニュースになってましたよね。…まさか!?」
いや、そんなべたな振りをされると逆に困ってしまうがその発言の出先は恐ろしく真面目なため続けるしかない。
「あれはあたしのいる会社で直近の警備を請け負ったんだ。あたしを含めた三人が一番近くで護衛してた。」
はえぇ〜、と心から感心している泰華。
なんでここまで信用できるのだろうと思う。
もちろん、ここまでの話はすべて本当だがどこか盛っていたり嘘であっても可笑しくない。
少なくとも茜華ならば口には出さないまでも疑うだろう。
「それは重大な仕事ですねぇ。」
うんうんと腕組みしながら納得していた。
なんだこいつ。
「おっ、着いたぞ。」
そんなこんなで15分も歩かないうちに居酒屋についた。
いちいち泰華は驚く。
「名里籐さん!こんな居酒屋で良いんですか!?」
おおかたなんでも奢る、奢らせてくれと言っているのに居酒屋を選んだことに驚いているのだろう。
別に好きだから良いじゃないか。
「何でもって言ったのに居酒屋さんなんですね。いえ、それだけ好きって事ですか?」
「…そ、そうだな。」
考えていることをほぼそのまま言われ少し動揺する。
「ほら、入ろう。」
「はい!」
こうして二人だけの奇妙な飲み会は始まった。
ーーーーー☆ーーーーー
二人は広い店内の中でも端の方、厨房に近いテーブル席に腰掛ける。
店員が注文を聞き、戻ってくるまで手を振いたり、ここはよくくるのかなど雑談で暇をつぶしていた。
すると元気の良い人間が料理を、レンシュンマオがビールを持ってきてくれた。
「どうも茜華さん!はい、生ビールお二つお待たせいたしましたぁ。ご注文以上でお揃いでしょうか?」
「どーも」
どうやらレンシュンマオの方は茜華を知っているらしい。だが、かなり盛況なため挨拶程度だ。
「はい、大丈夫です!」
「では、ごゆっくりどうぞぉ!」
店員は下がるとテーブルの上には牛タンの鉄板焼き、焼き鳥と刺身それぞれの盛り合わせに炙り明太子が並んでいた。
「とりあえず乾杯するか?」
「良いんですか!?」
「ま、明日は休みだし。ほら、乾杯。」
「かんぱぁい!」
キンッとジョッキをあわせそれぞれ中、大の入れ物を傾ける。
ゴクゴクと黄色液体が流れ込み二人の渇いたのどを潤していく。
「ふぅ…」
「美味しいです。名里籐さん!どんどん頼んで下さい!!」
「まずは食べてみ。ここの肉はうまいから。」
牛タンを箸で取り上げる。
いや、泰華は一旦停止しているのだ。なぜなら箸は自身のものでもなければ取り上げたのが目の前のヘルハウンドさんだったから。
「良いんですか!?」
先程と同じリアクションだ。
「ほれほれ。あーん。」
「あ、あーん!」
何回か突き出させるので泰華も前に倒れ迷わず口をあける。
散々美人だと感じ、もう礼をしたいというのを超えた感情からのこれは舞い上がるようなこと。
しかし、あと二センチで口に入り旨味を感じられるところで牛タンはすっと姿を消す。
茜華の口の中へと。
「うん、うまい。ククッ…すまん。ついやってしまった。」
単純にからかい。まぁ、出会って合計まだ二時間もたってない。
流石にあーんなどはイコールいたずらだった。
「あっ…あっ…」
開いていた口はだんだん閉じていくが完全に閉まってはない。
泰華は傷ついた顔であるが成人男性のそれではなく。
しかし塩味を含んだ水が水晶体より外側へと溢れ、雫を作り始めると茜華も慌てる。
「おいおい、分かった!分かったから泣くな!」
愉快愉快という表情が抜けないが、とりあえずもう一回タンを取り再び口へ運んでやる。
泰華も今度は問題なく肉汁を味わえた。
「…おいしいです。」
「そりゃ良かった。」
目の前の男が完璧にハメられ、期待通りのリアクションをしてくれたので茜華は正直にニヤニヤが止められなかった。
「名里籐さん酷いですよぉ。」
「悪かったって。でもうまいだろ?ここのは女将の仕入れてるルートが特殊でうまいのが安く食べられるんだ。」
「えっ?こんなに安いんですね!」
茜華がパッパッと注文し、飲み物もビールだったため全く見ていなかったメニューに目を通し驚く。
単純。
全くの単純な思考回路に苦笑すると共になんだか胸が擽られる茜華。
力比べをしてくる男、頭の良さを押してくる男、自分は面白いだろうとアピールしてくる男。
茜華からすれば本当にしょうもないこと。
どんな男も泰華には力でかなわない。
だからねじ伏せられた。
方向性はあるが自分が完全に負けていると思った頭の男はいなかった。
別に何も惹かれることはない。
面白さを押しつけてくる、自分の話で全てを埋めてくる男は詰まらなかった。
嫌悪する部類ですらある。
目の前の男。
明らかに好意を持ってくれているが見ていると何一つ特殊なことはない。
しかし、今ほぼ初対面の男に、普通ではしないことをしてしまったの自分へ違和感を覚える。
「名里籐さん?」
「ん?どうした?」
考え事で声が届いていなかったところから現実に戻る。
「飲み物追加しますよね?」
「あぁ、なら芋のロックで。」
「僕は…カルピスサワーで。」
「幸谷ぃ、良いのか?そんなジュースで。」
「ぼ、僕お酒強くないんですよ…」
泰華は恥ずかしそうに言い訳をする。
「そっか、なら仕方ない。ここは食い物がうまいんだから存分に食べよう。」
「…はい!」
泰華は基本いじられると思っていたが普通にスルーされ安心する。
そんな事より、と茜華はふりそでを、泰華はせせりの串をそれぞれ皿から取り味わう。
口の中の油を酒で流すともう何ともいえない幸福感だ。
「ぷはっ…それにしても男で華がつく名前は始めてみた。」
「まぁ、珍しいでよね。名里籐さんの字はなんて書くんですか?せんかさんって。」
「あかねに幸谷と同じ華だよ」
「そうなんですか!?」
露骨に驚いた後、運命ですね〜という言葉に、普通なら軟派さを感じるのだが目の前の男は既に顔が赤く声が若干高くなっている。
もう酔っているのか。
しかし、本気で言っているようだ。
「茜華、茜華さんって凄く良いですね。まさに茜華さんって感じで。」
「よく分からんが。」
ダメだ、いつもなら少しイラつくはずの発言もこいつは本気で言ってるようにしか聞こえない。
茜華はその観察能力と論理思考によって無意識レベルで相手の感情、言動の意図を考えてしまう。
男なら目線が胸にいっていたり、女なら興味がなさそうにしていたり。
生まれつきそういうことに非常に鋭いため生きにくさを感じていた。
「…幸谷さ、お前彼女とかいるの?」
「ぶほっ!!」
なんだか自身のよく分からない感情についていけず、押してダメなら引いて見ろとでも言うように同じく、よく分からない質問をぶっこんだ。
のほほんとしていた泰華は当然吹き出す。
「ぼ、僕にいるように、み、見えますか?」
とちりにとっちた返しに茜華はまた少し悪戯心が擽られる。
「そういう奴ほどいるよなぁ。ちなみに人間か?魔物娘か?どんな奴だ?写真はあるか?」
まるで乙女のように恋愛マシンガントークを炸裂する茜華へぶんぶんと手を振り慌てて話題を押さえ込む泰華。
「すみません、いません!」
「…なんだ、そうなのか。」
まぁ、分かってたけど。
「ぼ、僕小さいですし、話つまらないですし。別に趣味と言った物ものなくて。せん…名里籐さんは美人ですし困らないそうですが。」
「…まぁ、オモシロい奴が居ればいいんだけどなぁ。 」
「そうなんですか?凄く勿体ないです…」
「これが中々な。 あと茜華で良いよ。あたしも泰華って呼ぶから。 」
「そ、そんな馴れ馴れしく呼べません!あっ、僕のことは何とでも読んで下さい。」
「そ、そうか?」
話しすぎていたため一旦黙り込み料理を食べ、グラスを傾ける。
少しの間、そこに流れる微妙な空気だが二人の思いはそれぞれ違っていた。
「名里さ…」
「幸た…」
僕ってどうですか?
これからどうする気だ?
どちらが誰の質問かは瞭然であろう。だが話し始めのタイミングが被り虚空が二人の間に駆け抜ける。
「…名里籐さんどうぞ!」
「んっ、いや大したことじゃないからな。」
「そう、ですか。」
「幸谷は?今なんか言おうとしなかったか?」
「わ、忘れちゃいました!いけませんね、ド忘れです。」
…どうすれば。
またも同じ疑問が頭に浮かび沈黙の振り出しへと戻されてしまった。
泰華は純粋に空気をリセット出きるような話題を探し、茜華は未だ自分のよく分からないモヤモヤした感情と闘っている。
しかし次に沈黙を破ったのは泰華でも、茜華でもなかった。
「どっしたの!?黒いわんこちゃん!元気良くいかにゃなぁ!!その耳はピンと立たせとかんとだぞぉ!!」
酔っ払いが座敷から出て会計に向かう途中、茜華を見つけ大声で絡んできたのだ。
現代での魔物娘のポジションは人間の男でも女でもなく、しかしてそれらと平等に安全を確立されている。
もちろん、人権も持っていればそれに付随する権利は人間となんら変わることはない。
今は単純に漆黒の見た目に朱い目、獣耳が垂れ下がっていた茜華がたまたま絡まれただけ。
魔物娘が珍しくない現代でも目立つことに変わりはなかった。
もちろん、茜華も稀にからかわれることはあるが一切気にしない。
下らない奴の相手はしない、絡んだのがあたしで良かったな、と。
侮辱されるのが嫌いな種族に立ち会ったら人間には持ちえない特殊な能力や超人的なパワーでどんな目に遭わされるか予測できない阿呆が絡んだのが無害なあたしで良かったな。
それのみであった。
当然、感に障るが相手にしてもなんら良いことはないと分かっているため見逃してやろうという心持ちで居たのだが…。
「待って下さい!!!」
「んぁ?」
おいっ、泰華。お前腕は立つのか?何も出来ないなら出しゃばらん方が良いに決まっているだろう。
「名里籐さんに…茜華さんに謝って下さいっ!」
「あっ?別に何言ったわけでもねぇだろう?なんなんだ?」
「種族の特徴を気にする人もいるんですよ!ちゃんと考えて下さい!」
「んなこと言ったってお前はチビ、それは変わらん事実だろう?なら今のうちに言われなれといた方が良いぞ。」
確実に逆ギレな論調で泰華に攻め寄る。
拳を上げる気はないだろうが相手は素面ではない。
次の瞬間にはどうなっているのか不明な相手を、自分より年上で体格差もある相手を敵に回すのはどれだけ怖いことだろうか。
茜華には分からない。というか、正直展開は見えていた。
こいつは、泰華は元々自分が原因である茜華が出てきてくれることを願って、確信して大声を上げたのだと。
勝手にしろ、別にあたしは無視して終わるつもりだったんだから。
だいたい、人のためにそこまで本気になる奴なんて…。
「別に僕の身長が165にいってるかどうかなんてのはどうでも良いことです!茜華さんに謝って下さい!!」
「チッ、おいチビ、表に出ろや!」
ほら、きたきた。
クソ面白くもない酔っ払いのケンカだ。
「わかりました!茜華さん、ここで待ってて下さい!!!」
「おう…はっ?」
ちょっと待てって。お前どうする気なんだよ?
「茜華さんをバカにしたことを謝ってもらうだけです!」
いや、確実にボコされるぞ?
「でしょうね!でもしがみついてでもここに連れ戻します!」
茜華は種族に従った整っている顔立ちとルックスで一目惚れかどうかは知らないが何も考えず下半身直結で話しかける男なんてのは腐るとほどいた。
泰華も茜華には見えないことがあるが少し掘れば結局ボロを出す。
そう思ってこの誘いを受けたのだが。
「はぁ…。待ってなおっさん。」
「あ゙っ?」
なんだこいつ。
全然分からない、分からないが一つだけ貫徹していることは今までの言葉すべてを本気で言っているのだ。
裏表がない人間なんていない。
現にこいつもお礼だと言い張っていたが明らかにあたしに好意を持っていた。しかし、目の前の男には茜華の観察眼ではっきりと恐怖が、今からケンカになると分かっていることへの恐れが、痛みへの怖さがはっきりと滲み出ているのに。
引き下がらないこいつ、泰華が分からない。
しかし、そこだ。
分からないことへ興味が沸いてくる。
自分に分からないことは世の中死ぬほどあることも理解しているが、それなりに、少なくとも常人以上には考えて生きてきたつもりだ。
だが、全く分からない。
…なんだ、面白いじゃんか。
「よく、見ててな。」
「茜華さん!いけません!!」
その大きな手で拳を作ると成人男性の顔ほどもある。それを暴力的ではなく、あくまで軽く振り下ろす。
テーブルに向かってであり、泰華も酔っ払いもポカンとするが。
先ほどまでタンが乗っていた鉄板に当たるとそれまでの役割をこなせなくなると明確に分かる音が響いた。
茜華の手は無傷。
「すまんな、帰ってくれ。ここの女将は知ってるだろう?あんたも出禁になりたくないと思うから。」
酔っ払いは目を見開いていたが茜華の言葉で我に返った途端、レジへと一直線に向かい万札を一枚放って、釣銭も受け取らずに帰ってしまった。
刹那、爆発したような拍手。
いつの間にか居酒屋にいた客が注目してみていたようだ。
「ねーちゃん!すげぇ!」
「男のほうしっかりせぇよ!」
「てか、鉄板粉々じゃん。」
様々な野次がそこらから降りかかってくる。
レンシュンマオの店員が来て茜華に話しかけた。
「茜華さん、大丈夫ですか?」
「何とも無いことくらい分かってるだろう?魅宴のやつは忙しいだろうからあとで別に連絡しておく。鉄板代は払うからな。」
泰華には、みえん、という人名が分からなかったがおそらくここの女将だろうと察しはついた。
すると今度は人間の店員が酒を持ってきた。
升の中央にグラスがたっておりテーブルに置かれるとそこへ並々と純米吟醸が注がれた。
「おいおい、頼んでないが。」
「あちらのお客さんからですよ!」
店員の手が向いている方に目をやると男女四人組が手を振ってくれていた。
「はい、こちらジャスミンティーのデカンタになります!」
「えっ?頼んでないですけど。」
「あちらのお客様からです!」
そちらを向けば中年の男3人がこちら見て手を挙げて話しかけてきた。
「未成年はいっぱい食べろよー!」
「僕は成人してますよー!!」
プンプンと怒るがどう好意的に見ても成人男性が怒りにふるえる姿ではなかった。
奢ってくれた方へお礼をした泰華が、ふっと茜華の方を見ると微笑みながら彼女もこちらを見ていた。
「まあ、仕方ないな!飲むぞ…」
“泰華!”
泰華には断る理由もなければ、意識せずともみるみる笑顔になっていく。
「はい!!」
“茜華さん!”
17/12/13 17:58更新 / J DER
戻る
次へ