連載小説
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魔方陣
――カンッ、キンッ

乾いた金属音が春風と一緒に三階の私の部屋の中へと流れて来る。
眼下に広がる屋外修練場ではデュラハン達が剣の稽古に勤しんでいる。
私と同じ位の年齢の子が必死に剣を振っているのが見えた。

私は窓辺に持ってきた椅子に座り肘をついてその様子を眺めている。風になびくレース地のカーテンが時折顔に掛かり若干鬱陶しい。
「………ふふっ」
見ていたらなんだか笑えてきた。

ここは魔界。魔界と言ったら魔界だ。世界がどうなっていて、ここがどの辺なのかは知らない。
他の魔界がどこにあるのかも知らない。
生まれてこの方この魔界から出た事が無い。
そして今私がいるのは20年ほど前に出来たという魔王軍の訓練施設。
多くの将来有望な魔物がここで修練を積んでいる。
私の部屋の窓からは弓から魔法まで遠距離攻撃なら何でも練習できる射撃訓練場や、様々な状況での戦闘訓練の出来る疑似戦闘訓練棟など、広い施設全体が一望できる。建物が丘の上にあるので魔界も一望できる。お得だ。
私の親がこの訓練施設の最高責任者をやっているので訓練生寄宿棟の、こんなに眺めの良い部屋を宛がって貰っている。
広過ぎず狭過ぎないこの部屋は、落ちこぼれの私にとって唯一の居場所だ。

剣は毎日毎日振り続けたがチャンバラにすらならず、それならと魔法を習ってみたものの体質的に魔法の行使は不可能。
騎馬には騎乗を拒まれた挙句、後ろ脚で頭を蹴っ飛ばされ、もの凄い勢いで飛んでいった私の頭は大砲の弾と化し、飛んでいたハーピーを撃墜してしまった。死ぬかと思った。
デュラハン、ましてや『天災』の娘だと言うのに、私には決定的に戦う為の何かが欠落していたようだ。
一通り自分の駄目さ加減を味わった私は沢山の気力を無くし、一日中窓の外を眺めて意味の無い日常を過ごしている。


――べちゃんべちょん

粘性の高い液体が乱暴にドアにぶつかる音。また彼女が来たようだ。
「イルティネさん、失礼します」
ドアの方を見やるが、いつもと同じ光景だ。
部屋主である私がなんの返事もしていないのにドアの隙間を通って蒼い半液状生物が容赦無く入って来る。
かけている鍵も彼女に対してはなんのセキュリティ効果も期待できない。
「…勝手に入らないでよ」
「いつもの事じゃないですか。それに、イルティネさんとワタシの仲じゃないですか」
「どんな仲よ」
ドアの向こうから伸びてきている水たまりは私の前まで来るとそのままの勢で盛り上がり、少女の体をかたどった。
ボブカットの頭の上にはスライムで象られたヘッドドレスが揺れている。
彼女はクイーンスライムである女王マーレの召使いユニッセ。マーレはこの寄宿棟と訓練施設全体に召使いを巡らせ、事務仕事や掃除、整備などをしている。
本来、女王と召使いは意思も記憶も共通のハズなのだけど、彼女達はそれぞれが独立した個体の様に過ごしている。
召使いそれぞれに名前があるのはもちろん、仕事の合間に召使い同士が立ち話をしている事もある。
何でも、マーレが個々の召使いの得た記憶や感覚を統括管理し、他の召使いが共有しない様にしていると言う。
事務仕事をするなら情報を共有した方が楽だと思うのだが。
本当に彼女達が個体になっているか分からないが、ユニッセは他の召使い達と違い良く私の部屋に浸入してくる。
寝ている所を(性的に)襲われそうになったことも多々あった。
「そんな仲のイルティネさんに今日は面白い話をもってきました」
「そんな仲なのね…で、話って何よ」
「気になりますか?気になりますか?…教えて欲しいですか?」
なんだその無駄な焦らしは。
「ならいい」
「ああっ、き、聞いてください……日頃イルティネさんは部屋にこもりっぱなしじゃないですか。そんなアナタに良い話です。イルティネさんはデュラハンとしてかなり落ちこぼれじゃないですか」
「……あんたカワイイ顔して良い性格してるよね」
「いやぁ、それほどでもないですよ」
「皮肉なんだけど」
「で、そんな引きこもり生活ではもういろいろ腐っちまう訳ですよ。で、ワタシはそんな腐りゆくアナタに外の空気を吸って貰いたい訳ですよ。あ、窓から顔出して外の空気ー、とかダメですよ?白日のもとにその身を晒すのです。でも、この魔界ではイルティネさんはいろんな意味で有名なので他人の目が気になるでしょう。しかし、それを気にせず気分転換出来るのがこれ!!」
そう言って握った右手を突き出す。
「………どれ?」
『これ』と言われたが右手には何も握られていない。
「…はっ!無い!」
どうやらドアの隙間を通る時に物を廊下に置いてきてしまったようだ。あほだな。
今度はドアを開けて何やら持って入って来た。
「こ、これです。アナタを知る者が居ない所にお出かけすればいいんです」
ユニッセが巻いて棒の様になった布を渡してきた。開いてみるとそれは1m四方の布で、魔法陣が書いてあった。どうやら転移魔法陣のようだ。が、
「…あなたが染みているんだけど」
蒼い染みが出来ていて、少し陣が滲んでいる。
「……大丈夫、です。たぶん」
どこか不安なのだけど…。
「どこに飛ぶの?」
「この魔界じゃないどこかですね」
「どこよ」
「…そこは行ってみてのお楽しみということでひとつ」
「本当に分からないの?」
「一昨年の新年びんご大会で貰った物なんでちょっと良く解んないです」
「…………人間に合ったらどうするのよ」
魔王様が代替わりしてから結構たつが、未だに多くの人間達が魔物を恐れ、魔物は狩りの対象になってしまっている。
殺されそうになった時、戦えない私はどうしようもない。
「大丈夫です。変装すれば大丈夫です」
ユニッセは自身満々に右手をのばし親指を立てる。
「是非、楽しんで来ちゃってくださいね!」













「ユニッセめ……」
私は緑が生い茂る森の、少し開けた場所にある小さい泉のほとりでそう呟いた。小さく。
「ん?どうしたの?」
「あ、いや、なんでもない…」
貰った魔法陣で自分の部屋から飛びだしたあと、運悪く人間の男に会ってしまったのだ。
別にユニッセの所為じゃないんだけど、いや、ユニッセの所為か?彼女には自らの体が液体と言うことを自覚し、魔法陣の描かれた布を蒼く染色しない様に気を付けて欲しかった。
魔法陣の布は染み抜きしようとするとどうしても陣まで更に消えてしまう。
あの魔法陣は描き順にも魔法発動の要素があるみたいなので私が書き直す訳にはいかなかった。
インクが滲んでいたが効果は消えてないみたいだったので思い切って使ってみた(私は魔法が使え無いので転移魔法の発動はユニッセが行った。取り敢えず二時間ほど経ったらユニッセがまた発動させ道を繋いで帰る手筈)のだけど、転移した瞬間衝撃で気を失ってしまったのだ。
多分、陣が滲んで着地地点の座標がぶれた所為だろう。
そして今目の前にいる少年、コトラに発見されてしまったと言う訳。
飛ぶ前にユニッセの魔法で人間の姿に化けた(目立つ蒼い髪と赤い目の色を変えて耳も短くし、首も簡単に落ちない様にした)ので魔物だとはばれていないようだが、まずい事になった。
コトラは私と同じ位の年だろうか?茶色い髪は乱暴に短くそろえ、ユニッセみたいな蒼い眼をしていて背丈は私より高い。
彼は森を西に出た所にある村に住んでいて、森では腰に帯びた剣で狩りをしていると言う。
『狩りをしている』と聞いた瞬間は血の気が引いたが、獲物は鹿や猪等の野生動物らしい。
「イルティネはどうしてこんな所に倒れてたの?」
向かい合って座っているコトラに聞かれる。と言うか向かい合っているとなんか変な感じがする。
魔界にも魔物の伴侶となった人間は幾らかいるが、父様以外の人間とまじまじと話をするのなんて初めてだ。
しかし何故倒れていたのか聞かれると難しい。
正直に転移魔法が失敗しましたー…と言った方が良いのだろうか。下手に嘘をつかない方が…。
「転移魔法しくじっちゃったんだ…」
「えっ……なんで?」
こ、心を読まれた!?
「なにって、今自分で喋ってたよ」
「口に、出てた…?」
「少し」
恥ずかしい…。だが、結果的には良いだろう。こんな所で一人で倒れていた状態を一番怪しまれずに説明出来ているハズだ。
下手な事を言うと怪しまれてしまう。帯剣したこいつが反魔物派だった場合かなりマズイ。
「そう言えばさっきもユニッセがどうのこうの言ってたけど…友達?」
それも聞かれていたとは。人間恐るべし…。
「ま、まぁ、そんな仲よ」
とっさに答えたが、私とユニッセは友達か?何をもって友達なんだ?
「友達かぁ…いいな、そう言う人が居るのって」
コトラが呟く。
「……友達、居ないの?」
言えた身分ではないけれど、聞いてみた。
「え?…うん」
「村は大人ばかり?」
「いや、同じ位の子も居るには居るんだけどね…」
少し声に元気が無くなった。なにやら訳ありのようだ。
「なんだか、ねぇ…?……なじめて無いっていうか…ははは…」
コトラが笑う。
「…じゃあ、私が友達になってあげるよ」
…何を言っているんだ私は。友達がどういうものなのか良く解ってないのに。
「えっ?君が?」
「不満?」
「い、いや、全然不満じゃない!ありがとう!!」
「じゃあ、友達ね」

――ヴゥン

突然低い音がして私の後ろの地面に光る魔法陣が浮かび上がった。
私がここに来るのに使った陣と同じ物だ。もう二時間経ったのか…と言うか、気絶していたしな。
「あ、私帰るね」
そう言って立ち上がり魔法陣に向かって歩き出した。
「イ、イルティネ!」
魔法陣まであと一歩と言う所でコトラから声が掛かった。なんの用だろう。
「何?」
「あ、その……またね!」
そうか、別れの挨拶か。律義なやつだ。
「うん、じゃあ」
コトラにそう言って私は魔法陣を踏み、私の部屋へと帰った。





「おかえりなさい、イルティネさん」
声はするが少女の姿は無く、部屋には蒼い水溜りが広がっていた。
「…ただいま」
こいつ、ずっと私の部屋でくつろいでやがったな。せめてヒト型でいるべきだ。
「この部屋中々居心地良いですね。眺めはいいし風も心地よいです」
「取りあえずこれ以上部屋に広がらないで。足の踏み場が無い」
「広がっていた方がなにかと楽なんです。このぴちぴちの体を保つにはメリハリが必要なんです」
そう言いながらユニッセは広がっていた体を寄せ集めいつもの少女の姿になった。いらっ、とするポーズ付きで。
「ぴちぴちって…もう死語じゃない?」
「ワタシが使ってるので死んでません。瀕死ですね。でも、もう飽きてきたのでそろそろ死にます」
「結局死ぬんじゃない」
「それより、お出かけはどうでした?魔法陣を渡した身としては感想が気になります」
面倒くさい、と断ったら押し倒されそうになったので話すことにした。面倒くさいやつだ。

「なるほど。考え事を口に出すとは中々のおバカですね。ぷぷー」
眼の前でわざとらしく笑いを堪えるこいつを是非とも干乾びさせたい。
「で、その後コトラさんを押し倒した、と」
「押し倒してない」
「そうですか。少し期待したんですけど…他は何もなかったんですか?」
「ん?…あー………何も無いわよ」
あったとすれば友達の件だが、ユニッセに言う事ではないし。
「今の間、気になります」
「何も無いってば」
「…ワタシ…急に体が…はぁ、はぁ…んっ…ガマン、出来ないかも…(チラっ」
「言うわよ言えばいいんでしょはぁはぁ言うな」
「別にワタシはどちらでも良いですけどね」
……本当に面倒くさい。
「はぁ……コトラが友達居ないと言ったから、友達になってやっただけ」
「………」
そう言った直後に唖然とした顔でユニッセが固まる。凍った?
「イ、イルティネさんから『友達』と言う単語が出てくるとは…」
「バカにしてるの?」
「とても驚いています…………そっか、良かったぁ」
「なんか言った?」
「いいえ、何も」
絶対何か言ったハズだが。コトラなら聞き取れたか?
「では明日、お昼過ぎ位に来ますね」
「なんでよ?」
「コトラさんとお友達になったんでしょう?なら、会いに行くのは当たり前です。」
「友達になったら会いに行かなくちゃいけないの?」
「きっと、コトラさんはアナタに惚れてしまっていますよ」
「はぁ?」
何を言っているんだこいつは。そして質問に答えてない。
「ゾンビ並にやる気の感じられない整った顔つき。引きこもりによるユニコーンの毛の様に白い肌。腐ったバブルスライムなだらけた生活をしているのに無駄に出るとこは出て締まるとこは締まっている体。それを包む、作ったアラクネがあまりの使われなさに泣きだしそうなほど新品なお出かけ用の白いワンピース…人間の少年が心を奪われない訳無いですよ」
「褒めてるの?貶してるの?」
「褒めていますよ?」
「あっそう」
「きっと今夜はイルティネさんをおかずに自慰ってますよ」
「余計行きたくないんだけど」
「そんなこと言ってないで、どうせにぃとなんですから出かけた方が良いですよ。コトラさんが毎日そこに来るとは限りませんし」
「えー」
「とにかく、明日はまたその泉に行くかワタシとお楽しみのどちらかです。これからは暫く毎日その二択です」
「勝手にいってろ」
「お。今のは喋る『言う』と、泉に向かう『行く』と、お楽しみでの絶頂による『イく』を掛けたんですね。スバラシイです。ザブトン欲しいですか?」
「………おまえ…」
「では、また」
そう言ってユニッセは部屋から出て行った。
私は取りあえずベッドの上にひっくりかえる。
「『では、また』って。『また』って本当に来るのか…」
……――またね!
不意にコトラの言葉が脳裏によみがえる。
再開の為の挨拶か。
まぁ、あいつならまた会ってみてもいいかな…。

11/03/15 23:51更新 / チトセミドリ
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■作者メッセージ
「何これ」
「ザブトンです。なんでもジパングという国では上手い事を言って10枚集めると、紅き衣を纏った『ヤマダクン』なる者が現れ『カシコマリマシター!』の掛け声で願いを一つだけ叶えてくれるらしいです」
「……多分だけど、それきっと違う」



気付いたら字数がすごいことになってしまったので分けました。

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