連載小説
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その2 『始業から〜』
 「今日はギリギリですね」
 僕は彼女に言った。
 つまらない世間話だけでも僕の心はまた浮き足立ってしまう。
 「寝るのが遅かった」
 素っ気無く言い放つと、手を自分の首の後ろに回して組んで眠気を叩き出すかのように伸ばした。
 目を閉じて少し気持ちの良いような表情を見せているのは、僕の妄想であろうか
 「美容に悪いですよ」
 「うるせぇ」
 僕がそう言うと、彼女は少しムっとして僕の頭を勢い良く叩いた。
 乾いた音が教室に響いたが、クラスメイトは皆慣れていて誰も気にしなかった。
 この前は僕以外の男子生徒にしたら、彼はぶっ倒れて病院送りになったというのに、何故か僕は他の皆より少しだけ丈夫なのかもしれない
 「痛いじゃないですか」
 「うるせぇ」
 一応痛いので言うが、彼女はまた同じ言葉で一蹴してまた気持ちよさそうに伸びをした。
 一度何故そんな事ある度に僕を叩くのかと彼女に聞いたことがあったが、その時も今のような調子で『うるせぇ』と言ってまた叩いてくる。
 それ以来僕はこの事について質問する事はやめた。

 そんなやり取りを続けているとチャイムが鳴った。
 毎日聞いていても嫌にならない音の一つかもしれない。
 その単調なリズムは人を正確に動かしてくれる。
 まぁ彼女にとっては全く関係ないだろうが。
 チャイムが鳴ってしばらくすると担任が教室に入ってくる、いやしばらくするとってのは間違いでなり終わった直後だ。
 きっとスタンバイしていたに違いない、このクラスの担任は本当に時間と規則に厳しい『アヌビス』だ。
 「皆さん、おはよう」
 声は柔らかく優しげな雰囲気が漂うが顔はまるでドーベルマンの様な犬のそれだ。
 未だにこの担任の異様な厳格さには慣れないが、悪い女性で無い事だけはわかっている。
 「...荒川。またお前、制服を着てこなかったな?」
 さっそくドスの利いた低い声で担任が唸るように彼女に聞いた。
 僕は改めて彼女の服装を見てみると確かに女子生徒の制服を着ていない、裾の長いスカートは色だけを似せたデニムパンツであったし、上着のワイシャツに校章は一切見られなかった。
 きっとこれも色だけ同じ奴だろう。
 「あんなモン着てられるかよ」
 彼女はそうまた素っ気無く返すとバツが悪そうに窓に視線を逸した。
 するといきなり担任は彼女に向かって何か物を投げつける、早過ぎてよくわからなかったが一瞬白い物に見えたのできっとチョークだろう
 「てっ!?」
 チョークは見事に彼女の頭部の勇ましい角にぶつかって砕け散った。
 すぐさま彼女は窓から投げた本人である担任に視線を戻す。
 「何しやがんだよっ」
 と彼女は吠えて席を勢い良く立って担任と口論を始める、聞くに耐えない暴言の嵐は僕をその口論の内容よりも、チョークが砕けるスピードと彼女の角の強度は果たしてどのくらいなものかという方に意識を向かわせていた。
 まぁそのことについては口論が終わっても考えがつかなかった。

 「畜生...」
 と彼女はしばらくすると渋い顔をして席に戻ってきた。
 喧嘩なら負け知らずな彼女でも、さすがに口喧嘩では担任に勝てなかったようだ。
 「大丈夫ですか?」
彼女が戻ってきたことに気付いてどうでもいい考えを終えると、僕は直ぐ様声を掛けるが、やっぱり彼女の返答は「うるせぇ」だった。
 ブスっとして座って窓を眺める彼女を見ると、角だけではなく顔と身体にも少々チョークの砕け散った跡が残っていた。
 意外に担任は平和的解決を求めない女性のようだ。
 結局彼女は、HR中もずっとバツ悪く窓の外を眺めていた。
 僕はその横で彼女を真っ白けにした担任の説明やら連絡を聞いていたが、横にいる彼女のことを考えるとさほど頭に入ってこなかった。
 早く白い粉を拭くことしか頭になかった。
 しかし、どう言って彼女の身体を拭けばいいんだろうか?
 いきなりハンカチで拭こうとしてきっと嫌がられるだろうし、最初に断っても普通嫌がるのではないだろうか?
 どちらにしろ失敗すれば彼女の鉄拳が飛ぶことになるだろう。
 そう悩んでいる内にHRは終わっていた。
 自然と他の生徒達が席を立って騒がしくなる、喧騒の中に紛れて北里が彼女の席に寄ってきていた
 「姉御!大丈夫っすか?」
 先ほどの口調とは打って変わっていた。
 北里は彼女のことを姉御分として慕っている、いつからだったかは覚えていないが昔助けられたやらなんやら北里自身が語っていたのを覚えていた。
 「うるせぇ」
 たとえ妹分でもそう素っ気無く言う彼女はある意味誰に対しても平等だ
 「とりあえず、お拭きいたします!」
 そうぶっきらぼうに言い捨てられても懲りない根性が北里の魅力だと思う、きっと彼氏もそこに惚れたに違いない。
 そして、北里は直ぐ様ポケットからハンカチを取り出すと彼女の白く汚れた部分を拭こうとする、ハンカチは既に濡れているようで準備がよかった。
 「やめろ」
 しかし、彼女は北里の手を乱暴に振り払った。
 「だけど...「やめろ」
 食い下がろうとする北里を振り払い、彼女は突然席を立った。
 不快だったのであろうか?僕はよくわからずに彼女と北里をポカンと見ていた。
 北里の方はこれ以上食い下がるのは不味いと見て、すごすごと席を離れていった。
 きっと彼氏に慰めてもらうのだろう。
 何もああも追い払わなくたってよかったではないかと彼女を見る。
 確かに鬱陶しかったかもしれないが、彼女は善意というか忠義心でやっているわけなのだからそれなりに応えてやってもいい気がした。
 その本人である彼女は、別に北里を追い払ったことに罪悪感に囚われるわけでもなく優越感に浸るわけでもなく、ただバツが悪そうに虚空を眺めていた。
 そして、またすぐ席に乱暴に座って窓の外を眺めるだろうと僕は思っていたが、彼女は突然僕の方に振り向いた
 「おい」
 そして、声を掛けてきた、彼女から掛けてくるなんて珍しい
 「はい?」
 僕は間の抜けた声で答えた
 「ちょっと来い」
 そう言って彼女は少しムスっとした顔で手招きした。
 なんだろうか、さっきの口論の腹いせに叩いてくるのだろうか?僕はMって訳じゃないから痛いのは嫌いだ
 「なんです?」
 そう思いつつもすくっと立っている自分は間抜けだと自分の事思った
 「...拭いてくれ」
 そうギリギリ聞き取れるような声で彼女は呟いた。
 「拭くんですか?」
 つい、また間の抜けた声が出た。
 この声に彼女は怒ると思ったが意外に今朝の彼女は忍耐強い様で
 「...あぁ」
 そうゆっくり周りのクラスメイトにはわからないように小さく頷いた。


 結局、教室の中でやる訳にはいかなかったので(彼女はプライドが高い)僕と彼女は教室をこっそりと抜け出して、障害者用トイレがある一階までわざわざ入っていった。
 いつもならば障害者用トイレにはいつも先客がいるのだが(本来の使用に使われたことはあまりないだろう)今日は珍しく誰も入っていなかった。
 そして、入ると僕は早速蛇口を捻り、ハンカチを少し濡らして絞って彼女の身体を拭き始めた。
 もうすぐ1時限目が始まってしまうので、少し急がなければならなかった。
 「...済まない」
 そう一言小さい声が僕の上から聞こえてきた。
 僕は直ぐ様見上げて、彼女の顔を見たが先程と変わらないムスっとした顔だった。
 きっと今のも僕の妄想なのかもしれない、きっと僕はそんな言葉を言って欲しいんだと胸の奥で願っているんだろう。
 それが頭の中で響いている、きっとそれだけだ。
 「いえいえ」
 そう僕は妄想の言葉に返した。
 聞こえたかもしれない、彼女は不快に思ったかもしれない。
 その言葉に対して彼女は何かを言おうとして唇を動かしていたが、その音は一時限目のチャイムにかき消された。
 やはり間に合わなかったか



14/03/26 11:59更新 / mo56
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■作者メッセージ
そういえば私 実る恋話って書いたことなかったね

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