連載小説
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狩人の家
国と国の間に横たわるように広がる鬱蒼とした大森林。
日中にも薄暗く、じめじめとした空気が流れるこの森に、周辺の住民は不気味がって近づかない。

「あの森には悪魔が住んでいる。」

身近に魔物が暮らす親魔物国家の人間がそう言っているのは、何とも可笑しな話だと思う。



そんな森を一人で歩く。
足取りは軽く、迷いがない。
もういちいち数えてられないほどに歩き慣れた道だ。


眼前の草と細木を鉈で切り払うと、住み慣れた我が家が見えた。
木々に囲まれ、隠れるようにひっそりと建つ家屋。
控えめに言っても小屋と呼んだ方がしっくりくるサイズの小さな家だが、不便に感じたことはない。
玄関には乱暴に書き殴られた表札。

「カーム・レストア」
「ブライアン・レストア」

こんな森の中に訪ねてくる客人など、今までに一人として居なかった。
それでもご丁寧に表札なんて掲げているのが昔から不思議でならなかった。

『なぁ、爺さん。なんで表札なんて飾ってるんだ?どうせ誰も来やしないだろ。』

爺さん―僕の育ての親であり唯一の肉親であるブライアンに訪ねたことがある。

『ガハハ、そりゃあなカーム。あれを見りゃあ、ここがワシ達の家だってすぐわかるだろう?』

何が面白いのか、爺さんは愉快そうに笑っていたのがとても印象に残っている。
大口を開けて豪快に笑う姿は活力に満ち満ちていたというのに、それから半年後に爺さんは眠るように逝ってしまった。
原因は分からない。単純に寿命だったのか、僕が気付かぬうちに病に冒されていたのか。


親代わりの存在を亡くし悲しみに暮れた時期もあったが、徐々にそれも薄れていき、今では爺さんから教わった狩りの技術で生計を立てている。
自分一人の家にもすっかり慣れてしまったが、この表札だけは未だに外せない。
これを外してしまえば、本当に一人になってしまった現実を突きつけられるような気がしたからだ。
爺さんは表札を我が家の証だと言っていた。
それはつまり、僕と爺さんが家族である証でもあった事に今更気づく。

「ただいま、爺さん。」

建てつけの悪い玄関を開け、小さく呟く。
返事が返ってくる訳もないが、習慣となった挨拶はなかなか無くせるものではない。
居間に上がり、近場の町から仕入れてきた生活物資を乱暴に置く。
基本的には自給自足の生活ではあるが、時折近場の町に狩りの獲物を売りに出ることもある。
丁寧に処理した獣の肉はそれなりに好評だと町の商人も言っていた。
わざわざ深い森の中に住む僕を奇異の目で見る輩も居るが、知った事ではない。
今日は鹿の肉がかなり高値で売れた。おかげで向こう一か月は町に行かずとも生活できるだろう。

「ふぅ…」

大きめの溜息を一つ吐き出し、どっしりと腰を据える。
近場の町とは言ってもそれなりの距離がある。大荷物を持って歩くのは骨が折れるし、最近は魔物も頻繁に出没するために歩いている途中は気が抜けなかった。
なによりも町は人が多すぎる。
小さな町なのだが周囲に常に人の目がある事はそれだけで大きなストレスだった。
これなら、弓矢を片手に獣を追っていた方が余程楽というものだ。
落ち着くと、思い出したように喉が渇きを訴える。
重たい体に鞭打ち、水瓶に向かう。

「あ」

水瓶を覗くと思わず声が漏れる。
瓶の中はほぼ空。
昨日、獲物の血を落とすのに大量に水を使ったのをすっかり忘れていた。
先ほどよりも深いため息をつき外を見る。
まだ日は高い。これなら、水を汲みに行っても日が落ちる前に帰れるだろう。
仕方ない。気は進まないが水汲み用の桶と護身用の装備を持ち外へ出ることにした。



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腰ほどの高さの草を踏みしめながら歩いていく。
最近は明らかに草木の成長が早い。
今までに見たことのないおどろおどろしい植物を見かけることも増えた。
町の商人は、周辺の魔界化が進んだ影響だと言っていたが迷惑な話である。
そのせいで通い慣れた道でも歩くのに一苦労だ。
辟易としながら進んでいくと、唐突に耳に入る音があった。

「う…ぁ…」

聞こえた瞬間に即座に体を低くし身を隠す。
かすれるような小さな声。獣の鳴き声とは違うようだ。

(魔物か…?)

念のため矢をつがえ、警戒体勢をとる。
比較的弱い魔物ならば弓矢を見て逃げてくれるはずだ。
一見綺麗な女性にしか見えない魔物娘に対し弓を向けることは少々良心が痛むが仕方ない。
強力な魔物の場合は全力で逃げよう。
正直逃げ切れる保証はないがこの辺りは僕にとっては庭のようなもの。逃げ切れる可能性はゼロではないと思う。


魔物が決して人を傷つけようとはしないことは知っているが、連れ去られて巣に軟禁状態なんてのは御免だ。
何よりも僕にはあの家がある。爺さんから譲り受けた家をそんなことで捨てる訳にはいかない。


息を潜めて周囲の様子を窺う。
十分ほど動かずにいるが、声の主は近づいてくるどころか動いている気配もない。
このままでは埒が明かない。
仕方がないのでこっそりと声の主を確かめることにした。
音を立てぬよう細心の注意を払いつつ、声の方向に進む。
木陰から少し顔を出して覗くと人のシルエットがうつ伏せに横たわっているのが見える。
どうやら意識が無いようだ。

(やっぱり魔物か…)


さて、どうしたものか。
声の主は分かったが、なぜあんなところで気を失っているのか。
まさか魔物が獣の類に敗れるとは思えない。
親魔物領であるこの付近に、魔物に害なす主神教の組織も存在しないはずだ。
頭の中を疑問符が埋め尽くし、次いで好奇心が沸き立つ。
危険だと分かりつつも、魔物に近寄っていく。
草に覆われて見えなかった魔物の姿が露わになった。


森の草木に溶け込むような緑。
細身のシルエットは硬質な緑の甲殻でところどころ守られている。
頭部には短めの触角。切れ長の目は固く閉じられているが、まるで彫刻のように均整がとれている。

何よりも特徴的なのは、その両腕から伸びる鋭い鎌。
木々の間から漏れて降りてくるわずかな光を反射して、波打つ刃がきらめく。
容易く人の体も切り裂くであろう凶悪な形だが、同時に聖女が手を組み祈っているかのような神々しい美しさ。


その鎌を見て、爺さんから聞いたある魔物の名を思い出す。
マンティスだ。
「森のアサシン」とも呼ばれる昆虫型の魔物。
恐ろしげな異名だが、魔物にしては珍しく人間の男に対して興味を示さないのだと爺さんは言っていた、気がする。
素早い身のこなしで狩りをおこなう種族らしいが、そのマンティスが何故こんなところで伸びているのか。

周囲を見渡すとちょうど真上の木の枝が不自然に折れている。

(まさか…落ちてきたのか?森のアサシンが?)

その状況を思い描き思わず笑いが出そうになる。
笑いを堪えつつマンティスをよく確認すると、所々に怪我をしているのが見て取れた。
上の枝から落ちてきたのだとすれば相当な高さだ。無理もない。
特に右足首の腫れが酷い。人間の常識がどの程度通じるのか不明だが、目が覚めたとしてもすぐに動くのは難しいだろう。


「…はぁ。」

今日何度目かの溜息。見捨てていくのが正解なのは重々承知しているが、危険な獣もうろつく森に放置しておくのはどうしても良心が痛んだ。
爺さんも安全な魔物だと言っていたし、目を覚まして即座に切り捨てられるような事はないはずだ。
彼女の腕を肩にまわし担ぎ上げると、想像以上の軽さに少し驚く。

「ぅ…」

耳元で小さく彼女の息が漏れる。吐息が頬を撫でる感覚にドギマギとしたが、頭を振って煩悩を振り払った。



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結局、家に帰ってこれたのは日がほとんど沈みかけた頃だった。
家に着いた後は、彼女をベッドの上に横にして怪我の手当てを施す。
そこまで深刻な怪我ではないようだ。
爺さんから教わった薬草の知識が思わぬ形で役に立った。
鮮やかな緑の甲殻の下から主張する控えめながら形の良い乳房に、甲殻の無い脚部のまぶしい白さ。
おまけにほのかに香る女性らしい甘い香りに、心臓の鼓動が早まる。
自慢ではないが、僕の女性に対する免疫はほぼゼロに等しい。
目の前にこんなに綺麗な女性が寝ていることを意識しないというのは無理な話なのだが、これは怪我人に対する治療だ。
邪な気持ちでやっては罰が当たる。時折深呼吸をしつつ高鳴る胸を抑える。

腫れの酷い右足に湿布を貼っている最中、彼女の瞼がピクリと動く。
そのまま目を開けた彼女は琥珀のように美しく輝く瞳でこちらを見つめる。
その顔には一切の感情らしい感情が込められておらず、思わず背中に冷たいものを感じた。

「あ、ああ良かった。目が覚めたんだね。」

「……」

彼女は一切口を利こうとしない。自分の発言が耳に届いているのかも疑わしいほどにじぃっとこちらを見つめる。

「え、えーと、森の中で倒れてる君を見つけたんだ。それで僕の家まで運んできたんだけど…」

「………」

…間が持たない。
確かに爺さんの言った通り、襲い掛かってくるような雰囲気はないが押し黙ったままの彼女からは妙な威圧感を感じて非常に居心地が悪い。

すると、彼女は突然腰を上げようとする。

「あ、ちょ、駄目だよ!結構ひどい怪我なんだから!」

「ッ……」

忠告にも耳を貸さず無理やり立ち上がろうとする彼女。
一瞬、苦悶の表情を浮かべると、そのままポスンと布団に倒れた。

「ほら、言わんこっちゃない…。暫くは動けないと思うからここで安静にしてなよ。」

「………」

相変わらず無言のままだが、彼女が小さくうなずく。
薄い反応だが、取りあえず意志疎通が出来たことに安心を隠せない。

「あぁ、分かってくれてよかった…。僕はカーム。狩人をやってるんだ。
 えっと、君の名前もよかったら教えてくれないかな…?」
 
駄目元で名前を尋ねてみる。
こちらを値踏みするようにじっくりと見つめた後で彼女は小さく呟く。

「……リズ…」

「うん、リズさんだね。よろしく。」

「……」

やはり返事はない。
なんともいえず寂しい気分になるが、話す気分では無いのかもしれない。
無理に話しかけるべきではないだろう。

「あー、じゃあ、何か食べるもの用意してくるよ。兎肉でいいかな?」

「…待て」

「ん?」

「…どうして、助けた。」

「はい?」

「…私を、助けて、お前に、何の得がある。
 無駄だろう。食糧も、場所も、時間も、無駄になる。」
 
相変わらず僕を捉えたまま放さない琥珀色の視線。
何の感情も浮かばない瞳。
リズが何を考えてるのかは全く分からないが、この問いには誠意をもって答えなければならない気がした。

「…えっと、得とか損とか、そういう問題じゃあないよ。
 助けないと、きっと僕は後悔したから。」
 
「……」

「…まぁ、だから、無駄とか考えずに今はゆっくり休んでよ。
 それが、僕のためだと思ってさ。」

上手くリズの質問に答えられたのかは分からないけれど、これは偽らざる僕の本心だ。
彼女を助けることに、難しい理屈や損得勘定が入り込む余地は無かった。

「…おかしな奴だ。」

一言だけ彼女は呟くと、それきり黙ってしまった。
納得のいく答えではなかったのだろうか。
とはいえ、これ以上考えても仕方ない。夕飯の用意に移ることにした。



今夜の夕飯は、干しておいた兎肉を使うことにする。
リズが普段何を食べているのかはよく知らないが、彼女が狩りをして生活しているなら兎肉も問題なく食べられる筈だ。

干し肉を水洗いして塩を落とし、近場で採れたハーブや町で仕入れた香辛料をまぶしてローストする。
手間がかからないしシンプルにおいしい。爺さんの好物でもあった。

「口に合うか分からないけど…」

おずおずとリズの前に皿を出す。
先ほど僕を見つめていたように皿の上の兎肉をじぃっと見つめる。

「ど、どうぞ…」

「……」

おそるおそる、といった感じでリズが兎肉のローストに手を伸ばす。
一応ナイフとフォークも用意したのだけど、リズは器用に自分の鎌を使って肉を口に運ぶ。

一口。リズの表情は変わらない。感想を口に出すでもない。
何を考えているのか分からない顔で肉を咀嚼する。
微妙な緊張感に包まれた食事風景。
爺さん以外に自分の料理を食べさせたことなんて一度もないので、リズからの評価は非常に気になる。


二口、三口。
やはり、リズの表情は変わらない。
あぁ、やっぱり美味しくなかったかな…。


四口、五口、六口、七口…

(あ、あれ?)

加速度的にリズの鎌の動きが早くなる。
相変わらずの無表情のままだが、見る見るうちに肉が消えていく。
あっという間に最後の一切れがリズの口内に収まると、彼女は小さくふぅ、と息を吐いた。

「…なぁ、カーム。」

「は、はい!?」

あまりの勢いにあっけにとられていると、リズが初めて僕の名前を呼んだ。
淡泊な口調からは、やはりなんの感情も読み取れない。
なんだろう、お気に召さないところがあっただろうか。


「……おかわりは、あるだろうか。」


「…へ?」

「…おかわりは、あるか?」

おかわりの、要求だった。
想定外の要求に、身体の緊張が一気に抜けた。
同時に、若干遠慮がちに言うリズが可笑しくなって、思わず吹き出してしまう。

「ぷっ、ふふふ」

「……なんだ。なにが可笑しい。」

不服そうに尋ねるリズだが、先ほどまでのような威圧感は微塵も感じない。
むしろ、虚勢を張る子供をみているような微笑ましさを感じる。

「ふふ、いやぁ、気に入ってくれたみたいでうれしくてさ。
 おかわりだね。すぐに用意するから待っててよ。」
 
「……分かった。」


(なんか、楽しいな)

リズのおかわりのために新しい兎肉を捌きながらふと思う。
爺さんが死んで以来、ずっと一人で生活してきた。
だいぶ一人にも慣れてきたつもりでいたが、どこかで寂しさが募っていた部分もあったのかもしれない。
無口で感情に乏しい同居人であるが、人の温度を感じる我が家に思わず僕は安堵していた。


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正直僕は、魔物娘という存在の持つポテンシャルを過小評価していたのかもしれない。
僕はリズの怪我の具合を見て、暫くは動けないと判断していた。
しかし、彼女を家に運んだ翌日には、痛みは激しいものの立って歩ける程度に回復していたのだ。

彼女と出会ってから四日目には、足の腫れも大分引き、見た目には怪我をしている事が分からないほどになっていた。

これで四度目になるリズとの夕飯。
今晩のメニューは近くに流れる沢でで捕ってきた小魚のかき揚げだ。
かき揚げを器用に鎌で小分けにして食べるリズは、相変わらず無表情のまま。
しかし、徐々に速くなっていく彼女の鎌の動きを見れば、今日のメニューも気に入ってくれているのが分かる。
やはり自分の作った料理をおいしく食べてくれるというのはうれしいものだ。
僕も森の中で生活する身としては、過剰な狩りは慎むべきなのだが、リズとの生活を始めてからはついつい大量に狩るようになってしまっていた。

「おいしい?」

思わず黙々と食べ進めるリズに尋ねてしまう。

「…食事に美味かどうかは関係ない。」

ぶっきらぼうにリズは答えるが、鎌の速さはますます速くなる。

「おかわりは要るかな?」

「もらおう。」

食事の度にしている問答なのだが、おかわりを尋ねたときだけはリズの返答はとても早い。
無表情で感情の読めない彼女であるが、こういった場面の行動の読みやすさに人間らしさのようなものを感じて安心する。

(…もう、怪我もほとんど治ってるみたいだな。)

改めてリズの様子を見て確認する。
彼女の怪我が治るのはとても喜ばしいことだ。
だが同時に、怪我の治癒はリズとの別れも意味している。
久方振りに他人の温もりのある我が家で過ごしたこの四日間は、掛け値なしに楽しかった。
狩りから戻り玄関に入るとただいまを告げるべき相手がいる。
当然というべきか、リズが「おかえり」と言ってくれる事はなかったが、それでも、家の中に待っている人が居る喜びというのはなかなか得難いものだ。
名残惜しい。

「…おい、おかわりはどうした。」

リズの不服そうな一言で一気に思考が現実に戻ってきた。

「あ、あぁ、ごめん。ちょっと待ってて。」

慌てて、多めに揚げておいたかき揚げをリズの皿に運ぶ。

(名残惜しいなんて、思っちゃいけないよな。)

リズにはリズの、あるべき生活というものがあるのだ。
今の二人の共同生活はあくまでもイレギュラー。
長く続くものではないのは最初から分かっていたじゃないか。
だから、仕方ない。別れは、必然だ。

(…また、一人になるのか。)

またしても暗い思考に呑みこまれていく。
一人の我が家。静かな食事。ほんの数日前まで当たり前だったそれらが急に虚しく感じられてしまう。

「…カーム。おい、聞いているのか。」

「え、あぁ、なに?」

「…どうした。おかしいぞ、お前。」

怪訝な目でこちらを見つめるリズ。
駄目だ。彼女にこんな詮無い思考を読まれる訳にはいかない。

「いや、なんでもないよ。それで、どうしたの?」

「…明日は、私も狩りに出る。もう、問題なく動けるはずだ。」

「…そっか、分かったよ。」

これは、仕方のないことだ。努めて明るく返答しようとしたが、やはり失意の念が混ざる。
彼女に悟られないように矢継ぎ早に言葉を繋ぐ。

「よし、じゃあ、今日は早めに寝るとしようか!それじゃ、おやすみ」

「……?」

それだけ言い残してさっさとベッドに潜り込む。
早く寝てしまおうと思ったが、やけに家の中が広く感じてしまい、なかなか寝付くことはできなかった。


____________________________________


翌日。朝早くに起きて僕とリズは狩りを開始する。
僕は少し寝不足気味だが、狩りに支障がでるほど深刻なものではない。
リズも怪我の痛みはもう無いようだ。

二人で狩りを行うのは初めてだが、段取りはすぐに決まった。
まずは僕が獣を追いやり、リズの潜む草陰に誘導、そして彼女が鎌で獲物を仕留めるという単純なものだ。

リズは別々に狩りを行うことを提案したが、怪我が心配だと理由をつけて僕が無理やり共同での狩りを行うことにきめた。
もし、別行動をとってしまえば、それきりリズが帰ってこないような気がしたからだ。
我ながら発想の浅ましさに呆れるが、少しでも彼女と長く一緒に居たかった。



一度狩りが始まってしまえば、後は流れるように進んだ。
最初に発見したのは小型の鹿。リズを先行させて草陰に潜ませて、僕は適度に矢を射って、徐々に鹿を追い込んでいく。
鹿は自分が誘導されているとは思うはずもなく、予定通りに草陰の周辺に逃げ込めば、僕はもう見ているだけでいい。


眼にも止まらぬ早業というのは、まさにこういったものを指すのだろう。
草陰から突如として現れた鈍く輝く大鎌は、鹿の首筋に向かい真っ直ぐに奔る。
凄まじい速さで繰り出される緑色の閃光は寸分違わず鹿の首に巻きつき、抱え込むように鹿を引き付けた。
最初は抵抗していた鹿も、首元に刃が食い込むにつれて動きが弱まり、ついに動かなくなる。

一分の無駄もない流麗な動きに、リズ自身が緑の光を纏っていたかのような錯覚を覚える。
彼女が纏うピリリとした緊張感は、周囲の空気ごと張りつめさせて、背筋がつい伸びてしまう。


「綺麗だ…」


思わず声が漏れる。僕の魂まで狩られてしまったかと思うほど、彼女の姿に見惚れてしまった。
声が漏れた瞬間、リズがチラリとこちらに目を向けた気がしたが、おそらくは気のせいだろう。




結局、この日は日が沈みかけるまでリズと獲物を追い続けた。
狩果は鹿が三頭、兎が八羽。狩りすぎだ。
狩人としては愚の骨頂と言える失態。
爺さんが見ていたら拳骨をくらっていたに違いない。

狩人の鉄則とも言える掟を破ってまで狩りを続けた原因は、やはりリズと少しでも長く過ごしたいという浅ましい欲求。
可能な限り続けようと思っていた狩りも、さすがに日が落ちては続けられない。
狩り採った獲物を肩に担ぎ、リズと我が家への帰路につく。
そう、「僕の家」への道だ。「彼女の家」ではない。
あるいは、昨日まではあの小さな家屋は彼女の家だったのかもしれないが。


何故、これ程に僕は彼女に執着をしているのだろう。
共に過ごしたのはたったの五日間。
始まりは、良心の呵責に苛まれ、溜息交じりに怪我の治療をしただけなのに。

少し前を歩くリズを見る。リズは歩くのが速い。徐々に広がる彼女との距離に、胸が締め付けられるようにキリリと痛む。
胸の痛みの正体が分からない。僕が彼女に抱くこの気持ちを、なんと言葉にすればいいのか。


「ねぇ、リズ…」

意図せず、彼女を呼び止める。

「……?」

リズは顔だけを半分こちらに向ける。
相変わらずの無表情を夕日が照らす。

「これから、どうするの?怪我が治って、狩りも出来るようになったよね。
 …やっぱり、森の住処へ帰るの?」
 
駄目だ。勝手に口が動く。
これ以上は言っても迷惑になるだけだ。どう考えてもこれはただの我儘だ。

「……そうだ、な」

「っ…」

重々予想していた返答に、胸の痛みが激しくなる。
どうにかして彼女を引き留めなくてはいけない。
さきほどまでは僅かに働いていた自制心も、リズの返答を聞いて働かなくなってしまった。
がむしゃらに僕は彼女に話しかける。

「リズ!その、君さえ良ければ、これからも、あの家で暮らさないか?
 あそこなら雨風もしのげるし、えっと、ほら、一緒に狩りも出来るし!」

必死に言葉を繋ぐ。
何か喋っていないと、うっかり泣いてしまいそうなほど、内心は取り乱している。

「……本気で言っているのか?」

「…うん。」

「何故だ。それでお前にどんな得がある?」

出会った時と同じ様にリズは問う。
あの時と同じように琥珀色の瞳が僕を射ぬく。
まるで、僕の我儘で浅ましい心を見透かされるようだ。

「…前に、言ったとおりだよ。損得勘定じゃないんだ。
 つまり、その、僕は君と離れたくないんだよ。
 もう、一人でいるのは、嫌なんだ。
 ここで君と別れたら、僕はきっと、凄く後悔する。」
 
誠心誠意の返答。
言葉を濁して誤魔化しそうになるが、寸でのところで踏みとどまる。
ありのままに内心を吐露するだけのことが、なぜこんなに気恥ずかしいのだろう。

「…やはりお前は、おかしな奴だ。」

ぼそりと彼女は言い放つと、踵を返して歩いていく。
あぁ、やっぱり駄目だったか。また、僕は一人になってしまうのか。
思わず僕はその場に立ち尽くす。

「…カーム、なにをしている。住処に帰るのだろう?」

「え?」

「お前が言い出したんだ。もう今更取り消せはしないぞ。」

「そ、それじゃあ、森の住処には帰らないの!?」

「だから、お前が言い出したんだろう。お前の住処は、もう私の住処だ。」

あっけらかんと言い放つリズ。
思わず全身の力が抜けてその場でへたり込んでしまう。

「…おい、どうした。もう日が暮れるぞ。」

怪訝な顔をしてこちらを見るリズに、僕は渇いた笑いを投げかけるしかない。

「はは、いや、なんだか力が抜けちゃってさ。」

「全く、早くしろ。夕飯の時間だ。
 ……そうだな、今日は兎肉だ。あの草を練りこんだヤツがいい。」

どうやら、初日に振舞った兎肉の香草焼きがご所望らしい。

「…やっぱり、気に入ったの?アレ。」

「…違う。食事に味は関係ない。昨日は魚だったからな。肉が良いだけだ。」

無理やり取り繕うリザを微笑ましく思いながら立ちあがり、少し小走りになって彼女の横に追いつく。



二人で並んで歩く家路は、普段よりずっと短く感じた。

15/07/04 13:54更新 / 小屋
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■作者メッセージ
カーム君の少女漫画ヒロインっぷりが止まらない。

え?マンティスちゃんとのイチャエロはどうしたって?
も、もう少しだけ、もう少しだけ待ってくだせぇ!
後編は当社比二倍の糖度でお送りする予定ですので…!


というわけで次回、リザさん繁殖期編。

えっちぃの書くぜー
めっちゃ書くぜー

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