連載小説
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Accident




茂みを掻き分けた時、

「い、いやあぁぁぁぁぁぁ!?」

「!?」

耳に突き刺さるような悲鳴。最初は何だか分からなかった。
一瞬の驚きの後に見たのは、白い影が脱兎の如く逃げていく姿だった。
木々の中へと消える直前、チラリと見えたその背中は、

「魔物っ…!?」

人間の胴体にニワトリの手足をくっつけたような姿に、臀部から伸びる長い尻尾。
写真やイラストでしか見た事のなかった「怪物」が、自分から逃げようとしている。

「ま、待てッ!!」

それを脳が認識した瞬間、彼の目と足は反射的にそれを追っていた。
他の全てが頭に入らない。

(追わないと……捕まえないと…!)

半ば強迫観念のような何かに思考を支配され、彼は森の奥深くへと駆けていった。




「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」

彼女は、突然現れた「悪魔」から必死に逃げていた。

頭の中では、これまでの間に幾度と無く聞いた話がぐるぐると駆け巡る。


彼らは黒い杖を振るい、敵に死の種を植え付ける。
巨大な鉄の怪物を操り、敵をゴミのように蹂躙する。

一度何かを敵と認識したら、皆殺しにするまで攻撃をやめない。

彼らは身体は人間。されども心は悪魔。


後ろからは、重い足音が聞こえてくる。
一瞬しか見なかったが、あの人間は自分よりずっと大きかった。

(捕まったら、やっぱり殺されるのかな…もしかして食べるのかな、それとも…!)
(まさか、追いかけてくるのって私のフェロモンのせい? 私のせいなの? でも今は逃げないと…!)
(そういえばアリが行列を作るのもフェロモンだったっけ)

恐怖心から逃れる為か思考が関係ない方向にずれていく。


その時、顔のそばを何かが通り過ぎていった。空を切る音が聞こえ、風で髪が微かに揺れる。
次の瞬間、正面の木に刃物が突き刺さっていた。それに気をとられ、一瞬足が止まる。

(あ、ナイフも黒いんだ…)

背中に衝撃が走った。




「よく燃えているな。確かに強めの魔法を撃たせたが」

教国の山岳部隊を率いるライルは巨大な篝火と化した「怪物」を遠巻きに眺めていた。

「思い知ったか異教徒共! これが裁きの炎だ!」
「デカいだけの羽虫を飛ばしていい気になりやがって!」
「次は俺たちの剣で八つ裂きにしてやるぞ、覚悟しておけ!」

怪物の周りでは兵士たちが思い思いに罵声を浴びせている。
炎が激しすぎて近寄れないから、落ちている石などを投げつけていた。

(噂は本当だったか…)


7年前に突然現れ、自国に接触してきた得体の知れない国。
邪教を崇め、魔法を持たず、剣や槍すら使わない未開の蛮族が対等の関係を求めてくるという厚顔無恥にも程がある振る舞いに、王が怒り使者を磔にしたのは有名な話で、その話を聞いた時は自分も含めた全ての国民が怒り狂い、またそんな要求をしておきながら丸腰でやって来る愚かさを嘲笑っていた。

王が礼儀を知らない蛮族に教育してやると奴らのいる大陸に艦隊を送り出した時も、すぐに終わると誰もが楽観していた。

しかしその僅か2週間後、港にやって来たのは自国ではなく奴らの艦隊だった。
灰色に塗られ、帆のない奇怪な形をした艦隊はボートに生き残りと見られる教国の将兵たちを乗せて寄越すと、さっさと港から出て行った。

港町の住民には緘口令が出された。国府は艦隊は嵐に遭って壊滅したと発表し、帰ってきた将兵のうち指揮官はその責を負わせて処刑、兵は牢獄に入れられ、過酷な労働に従事させられる事になった。

だが人の口には戸は立てられない。

艦隊はあの国にやられた。水平線の向こうから爆発する矢が飛んできた。
巨大な鳥や羽虫がブレスを吐いて船を焼き尽くした。こちらの魔法や大砲が届かない所から敵は大砲を撃ってきた。

もちろん、面白半分の都市伝説でしかなかったが、国府が憲兵まで動員してそれを取り締まろうとする必死さが、その荒唐無稽な噂にある意味で信憑性を与える事になった。

その間に奴らは大陸の南東部に進出してきた。南西部にいる魔物たちが軍を送り込んだがそれも退け、物凄い速さで壁を築いた。
陸続きになった事で海を越えるよりは攻めやすいと踏んだ王は失った戦力の回復に注力した。そしてようやく、今回の第2次教化が発動されたのだ。


(だが奴らも無敵ではない。現にこうやって殺せている)

本隊に先行して偵察していた自分たちが怪物に出くわしたのは、偶然だった。
的が大きかったうえに低空で停止していたので魔導師に攻撃させると、火を噴いて落ちていった。
怪物の身体からはロープが垂れており、人間がそれにしがみついていた。地面に下りようとしていたのだろう。

(この大きさなら兵士が10人は乗れる。空を飛べるならあの壁も簡単に越えられる。もしこれが何十体もいたら、山を越えて軍を運べる……)

壁を攻める時、自分たちは下からはしごを立てて上らなければならないが、敵はそれをどこからでも攻撃できる。それだけでも自分たちは不利になる。
たった1体の怪物の死骸を見るだけでも、敵は高度な軍隊を持っている事が分かった。


(勝てるのか?奴らに…)


「ライル様」

頭によぎった不穏な考えは、兵士の声によって打ち切られた。

「どうした?」

「見ていただきたい物が…」



兵士の先導で茂みに向かうと、兵士は地面を指さした。

「これです」

「これは…!」

土に変な模様があった。四角形と半円を歪めたような穴が、等間隔で刻まれている。そしてその模様の外縁は、靴裏の形をしていた。

「足跡だ…!」

「生き残りがいる可能性があります。どうされますか?」

「周囲には捜索隊をいくつか出している。まずは彼らの報告を待とう」

「了解」



「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

彼は息を切らしながら座り込んでいた。その下には、自分が追っていた魔物がうつぶせに押さえつけられている。
銃と装備に、本来の偵察観測に必要な道具を詰め込んだ大きなリュックがあったせいでなかなか追いつけなかったが、銃剣をかすめるように投げると驚いて足を止めた為、その背中にタックルを喰らわせて押さえ込む事に成功した。

魔物は手足をバタつかせて逃げようとするが、荷物を含めた自分が重いのか土を浅く掘るだけに終わる。
抵抗できないよう腕を捻り、関節を極めると、小さく悲鳴を上げて動きを止めた。

(ホントだこの羽、着ぐるみとかじゃねえや)

全速力で走って酸欠気味の頭でぼんやりそんな事を考える。
写真はリアル過ぎて逆に現実味が無かったから映画の特殊メイクじゃないかとも思っていたが、実際に触ってみると生物にしか有り得ない滑らかさと体温が感じられ、確かに本物だと実感する。

その羽の持ち主は荒い息を吐きながらこちらを見ている。

(怯えてるのか? まぁいい、どう思ってようが抵抗はできないし、これなら簡単に……)

片手で関節を極めたまま、もう片方の手で魔物が着ている服の襟を掴む。涙を浮かべながらキュッと目を閉じる魔物。
観念したかと少しの満足感を覚えながら思い切り引っ張ろうとした時、

(…あれ? 簡単に? 『簡単に』って……何が?)

頭に違和感がよぎり、手が止まった。

(『簡単に』何するんだ? …あれ? 俺これから何するんだ?)

考えている間に呼吸が落ち着き、酸素が循環し始めたのか思考が戻ってくる。

(何で服脱がそうとしてるんだ? こんな時に、何で? 早く壁に行かないといけないのに)
(そもそも何で追っかけてたんだ? コイツがいて、逃げて…逃げたから追っかけて……あれ?)

(何で俺、おっ立ててるんだ?)

魔物が目を開けて自分に恐る恐る視線を向ける。

(まさかコイツ…)


がさり。


「っ!!」

それは特殊部隊の訓練の賜物か、生物的な生存本能か。
銃を持ち、後ろを向いて構えたのは殆ど反射神経で行われた。

男が数人、すぐそこに迫っていた。
見つかったと分かると、手に持った剣を振り上げて走ってくる。


セレクターレバーを素早くセミオートに切り替え、引き金を引く。
5.56mm弾が、先頭の男の革鎧を貫いた。




彼女は混乱の極致にあった。

自分を取り押さえ、一度は服に手をかけまでした悪魔が突然自分から飛び退いて後ろを向いた。
そしていつの間にか近づいていた教団の兵士に黒い杖を向ける。

何かが破裂するような音が響いた。驚いて耳を塞ぎ後ずさる。
近くの木まで行って視線を向けると、


「やはり魔物と組ぐぉっ!」
「ハインツ! 貴様ぁ!」
「囲め! 囲ぁぐ!」

黒い杖が小さく火を噴き、兵士が1人また1人と倒れていく。
近づく事もできずにさっきまで叫んでいた兵士が次の瞬間には何も言わなくなる。

黒い杖を持った男は中腰で杖を構えたまま、その場から動かない。
杖を向けるだけで向けられた兵士は倒れて動かなくなる。

思わず目を閉じ、耳を塞ぐ手の力を強める。しかし兵士の怒号と悲鳴、そして杖が火を噴く度に出る破裂音は手を易々と通り越して鼓膜を揺さぶる。


不意に音が止んだ。兵士の声も、破裂音も。
恐る恐る目を開ける。そこには、

「……!」

教団の兵士は全員、倒れていた。
身体の下からは、赤い染みがゆっくりと広がっている。

「あ……あ、あぁ……っ…」

立っているのは、一人だけ。

半円で装飾の無い兜。周囲に擬態するような斑模様の服。手に持った黒い杖。



悪魔は、目の前にいた。



「は……ぅ」


全身から力が抜ける感覚と共に、彼女の意識は暗転した。





「……クリア」

もう敵が出てこない事を確認して、彼は銃を下ろした。
人数が少なかったおかげで、近づかれる前に全員排除する事ができた。

死体の革鎧に刻まれていたマークや首につけていたお守りなどからして、彼らはあの宗教国家の兵士だ。

「なんでこんなに早く見つかったんだ……?」

ここで自分の行動を振り返ってみる。すると、

「追っかけてた事しか覚えてねえ…!」

逃げる魔物の背中を見た瞬間、それを追いかける事だけに頭を支配され、他の事を何も考えられなくなってしまっていた。

「痕跡を消し忘れてたからか…? あっ」

そこまで考えて思い出し、その魔物の方を振り返る。


魔物は近くの木にもたれかかったまま気絶していた。

「おい、おーい」

頬を軽く叩いてみても反応はしない。

「……参ったな」

銃を撃った以上、ここからすぐに離れる必要がある。
だが、


「痕跡、消さねーと……」


彼女の下の地面には、透明の染みが広がっていた。



15/06/28 13:30更新 / 貧弱マン
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■作者メッセージ
台詞が少ない……
次からはちゃんとした会話をさせる予定です。

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