連載小説
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中立の都 1
「う、……ん」

目が覚める。
そう広くはない宿屋の一室。
朝の日差しが部屋を差す。

「くぁ〜、もう朝か……」

ベッドから身を起こす。
この部屋を借りておよそ一ヶ月が経とうとしていた。
それは彼がこの国に滞在した期間とほぼ等しい。

中立の都エルゼム。
教会にも魔界にも属さない完全中立の国。
この王都のみが国であり、結界に囲まれた不可侵の土地である。



「おはようございます」

「おう、おはようあんちゃん。今日も街の散策かい?」

「いえ、今日は少しばかり仕事でもしようかと」

「今日は労働か。よし、じゃあしっかり働けるように朝飯用意してやるよ。」

「それではいただきます。差し入れ、期待しててください」

「ガハハ、悪いねぇ。あんたの舌は信頼してるからよ、いいもん期待して待ってるぜ」

すっかり慣れた宿の主との会話。
ここまで滞在する“お得意さん”となれば気前も良くなるだろうが、おそらくは生来の気質だろう。
気兼ねなく話せる店主は料理の腕もいい。
自らの旅路の中でも上位に食い込む味だ。
ここの夕食こそが、宿を取った決め手でもある。

「そういや、捜し物してるんだってな。見つかったかい?」

「……いえ、それはまだです。なかなかにレアなものなので」

「ほぉ、探し物っていうか掘り出し物狙い、ってか?」

「そのニュアンスで間違いないですね」

「そうかそうか、時たまの仕事は路銀稼ぎだけじゃなかったていうわけだ。っと、できたぜ。有り合わせのものですまねぇがな」

「……いえ、これだけあれば十分ですよ。っていうか、多くないですか?」

出された朝食。
食料豊富なこの国では日々の食事にはあまり困らない。
安定供給されている玉子に燻製肉、パンにサラダ。
しかし、その量は決して一般的な一人前では無かったわけで。

「何言ってんだ!働く男のメシだぞ、これぐらい食わなきゃどうするんだよ」

ゴリ押しされた。
だが、悪い気はしない。

「……まぁ、ありがたく。―――いただきます」

「おう、たんと食いな」

では、まずこの結構な難敵を切り崩すことにしようか。





――――――――――





「ふぅ、なんとか食べれたな。」

先ほどの強敵は全て胃の中に収まった。
なかなかに多かったが、食べ盛りの男なら食べきれないこともないだろう。
腹十一分目といったところだ。
朝から詰め込むには、ギリギリでもあったが。



「おはよう、セーヤ」
「セーヤ、おはー」
「おす、セーヤ」
「おはよう、今日は仕事?」
「おう、今日の昼は?どうせならうちで食べてきなよ」



街の人たちが話しかけてくる。
その人たちに対して、一人一人に返事をしていく。
この街、いや、国では人と人との距離が近い。
新魔物領でない土地としては珍しい部類だ。

ただ、“魔物が全く関わっていないというわけでもない”のだが。



「おはよう、セーヤさん」

「今日はよろしくお願いしますね」

「おはよう、アスラ、チア。こっちこそよろしく」

同世代相手だからかへりくだらず、少し気安い口調になる。
セーヤの口調に対して、やや丁寧が目立つ口調の男女。
彼ら三人が揃う三階建て程に見える建造物が、アスラとチアの若夫婦が経営する所。
収穫の時期を控えた、“屋内”農場施設である。

セーヤが行っているのはいわば何でも屋である。
とりわけ高い身体能力を活かし、肉体労働で行う仕事が多い。
ここエルゼムは土地の割には人口密度が高く、仕事に関しては様々な需要がある。
活気もあり、技術は発展し、貧民層も存在しない。
その中でセーヤのような、かゆいところに手が届く人材は引く手あまたでもある。
バイトと言ってしまえばそれまでだが、今までの旅の経験など、自ら培ってきたものが多いため様々なところを掛け持ちしている。

ここの屋内農場施設もその一つである。

「今日は収穫と清掃でしたね。次の作物の下準備は後日ですか?」

「ええ、といってもセーヤさんがいなかったら清掃は今日中にやろうとは思いませんよ」

「ほんとによく働いてくれてます。このままわたしたちの所で雇いたいくらいですよ」

「ありがたい話だけど、俺は元々旅人だから。用が済めばエルゼムをあとにする」

「わかってるよ。だから思うんだ、もったいない!ってね」

現状、セーヤがエルゼムから出る目処は立っていない。
“彼の目的”が達せられていない以上はそれまで滞在するだろう。
しかし、それは数日か十数日か数十日かもわからない。
これ以上長居するつもりはないが、この心地いい国を出なければならなくなるのは少しさみしい。

「さて、それじゃあ仕事をしようか」

「そうね、今日はせっかくの収穫日ですもの。晩御飯に美味しい採れたて野菜を街のみんなにご馳走しなきゃね」

「気持ちはわかるが、少し気が早くないか?」

「今日は結構予約が入ってるんだよ。とれたてを今日のうちに出したい、って店から」

「気が早いのは店側だったわけか」

「期待には答えなくちゃ、ですね」

農場に入る。
そこは魔力でシステム化されており、農場というよりかは工場に近い。
二人で効率よく、そしてより多くの野菜を作れるように工夫されていた。
このシステムはアスラが考案し、チアが制御を行っている。
チアのように魔術を駆使するものはこの国ではそこまで珍しくない。
それもまた、発展を続けている理由の一つだろう。
ただこのシステム。
作物の成長には効率がいいのだが、種植え、収穫に関してはほとんどが手作業である。
だからこそ、セーヤのような臨時の手伝いは彼ら夫婦にとってありがたい。

「さあ収穫だ。しっかりやっていきましょう」

「腕がなりますね。セーヤさんもよろしくお願いします」

「作物を傷つけないように気をつけるよ」

今日の何でも屋への依頼は野菜の収穫。
報酬は、ある程度の賃金と採れたて野菜。
今日のおやっさんへの差し入れは決まったかな、と考えながら作業をはじめる

大量の作物との格闘が始まった。





――――――――――





「結構貰ったな。少し多い気もするけど」

日は傾き夕方。農場からの帰り道、大きめの箱を抱えて通りを歩く。
重さは別に問題ないが、大きいため少し抱えるのが難しい。
持ち上げたほうが楽だが、それで落としてほかの人にぶつけても大事だ。
今日の報酬、たくさんの野菜は普通の人にとってはそれなりに重いのである。

「確かに早めに終わったけど、それにしても大盤振る舞いだよなぁ……」

セーヤが手伝ったためか、作業は予定よりもかなり早めに終わった。
そうしたら案の定、報酬は色をつけるとも言ってくれた。
もちろんありがたいのだが、金銭はともかく野菜も多めにくれたのである。
おそらく、セーヤの泊まる宿への差し入れだと気を利かせてくれたと考えるべきだろう。

「ほんと、いい人たちだよなぁ……」

それは彼ら二人に限らない。
この街に滞在した中で、自らが出会ってきた人々全てに向けての言葉だった。





――――――――――





「今日の飯は期待しとけ、採れたて野菜のフルコースだ!」

「いよっ!大将太っ腹!」

「いーねぇ!期待してるぜ!」

「テメーらはとっととツケ払え!じゃねぇと今日の飯は出さねぇぞ!」

「「勘弁してくれ〜」」

気兼ねない声が交わされる。
宿屋は夜には酒場も経営している。
宿泊客に限らず、この“店”を気に入ったリピーターがこぞって集まり出す。

「あら、今日のお野菜おいしい」

「くぅ〜、酒に合う。大将もいい腕してるぜ」

「おっ、今日は採れたて野菜がオススメか」

「わたしもそれがいい」

「たいしょ〜。野菜炒め追加で〜」

賑やかな声が響く。
それを夕食をとりながら眺めていく。
酒場のなかの男女比は、ほぼ等しい。

セーヤはふと思う。



“この中の何人が魔物なんだろう”と。



中立国エルゼム。
魔界にも教会にも属さない国。
魔界からの侵略を許さず、教会による支配を認めない。
同時にそれは、双方の巨大勢力を敵に回しているとも取れてしまう。
事実、教会からの圧力も魔界からの侵略もはねのけている。
それの中核を担っているのが、この都を囲う“結界”だ。
この国の大通りでも、どこの民家でも、この酒場の中にも異形な魔物は誰ひとりとして存在していない。

だが、決して“魔物がこの場に存在しないとは限らない”。

それが結界の特性。
魔物そのものをはねのけるのではなく、彼女たちの力の素となる魔物の魔力を不活性化させるのだ。
ただあくまで魔物の本能はそのまま。
ゆえに、この結界内においても魔物は一途であり、多少性欲が強く、かつ殺害を忌避する。
ただ、彼女たちの特性が封じられる。
たとえどんな魔物でも“この結界内においては人間の女性の姿にしかなれない”のである。



「…………。」



手に光が集まる。
主神からの加護を示す聖なる光。
それすらも、すぐさま霧散してしまう。

そう、それは教会側も例外ではない。
この結界内では単純な魔術ならば問題ない。
しかし大規模な魔術、もしくは勇者特有の“主神からの加護でさえ霧散してしまう”。

どちらかといえば、魔物側の方がこの影響は大きい。
人間側にしてみれば、主神の加護を持つ人間自体が少ない。
大規模な魔術が行使できる人間も同様だ。
しかし、魔物はその身そのものが魔力を帯びていており、かつ影響を受けている。
身体能力は制限され、他者の魔物化は不可能。
しかも、結界内では“男性からの精だけでは生きられない”のである。
ただ、この国の中ではほぼ問題がない。
潜在的な魔物がいるためか、治安がよく危険も少ない。
男性の精に限らずとも、食料は豊富にある。
この国に生まれた人の中には“自身が魔物であることを自覚していない”者すらいるのだ。
そういったものは、この街から出ることで初めて自身の本当の姿を認識するのである。

結界内において他者の魔物化は不可能だが、ひとつだけ例外が存在する。
自身の子供である。
魔物がこの結界内に入っても、女児しか産めないこと、多少マシだが妊娠の確率が低いことは同じだ。
ただ長く結界内で暮らすと、“女児限定で魔物から人間が生まれる”場合がある。
人間の女性のため、子を成せば必然男性も生まれる。
この特性があるからこそ、エルゼムは“中立”の姿勢を崩さない。

魔物でも人間でも、国民としてこの国で暮らすことを否定しない。
共に暮らしても、この国が魔界に染まることは認めない。
教会の起こす、争いごとにも介入しない。
それがこの国の根本的な考え方である。



「すべてを許容“は”する国……ね……」



ふと聞こえた澄んだ声。
隣のカウンター席を見れば、野菜炒めを肴に酒を嗜む若い女性。
黒い髪と青い瞳。
結界内なので魔物か人間かは判別できない。
どちらにしろ、この言い方だとこの国に入って数日といったところだろう。
見かけない女性は、そのまま自分に話しかける。

「あなたはどう思うかしら?」

「どう、とは?」

「あなたも元々この国の住人ではないのでしょう?」

「……なぜ、そう思いますか?」

「さっきのよ」

「さっき?」

「手に光を集めてたでしょ。ソレ、加護なんでしょう?」

「……ああ、見られてたのか」

エルゼムに勇者はいない。
ならば必然的に勇者であるものは他所からの入国者ということになる。
先ほどの光。それは確かに加護の魔力。
主神の強い加護を持ってしても、結界内では光る以上のことはない。
だがしかし、彼女はそれを“通常の魔術ではなく主神の加護とひと目で見抜いた”。
彼女自身も実力者。
女性であるため、魔物か勇者かはわからない。

(少し、きな臭い相手だな……)

おそらく、彼女は自らの力を隠す気がない。
ただ、あくまで対等に自分と話す気だろう。
少なくとも、この国内では。

「さっきの質問だがな」

「うん」

「この国のことをどう思うか、という意味なら、……俺は好きだよ、この国のこと」

「へぇ、ちょっと意外」

「そう思うか?」

「ええ、あなたは勇者だけど、魔物の真実を知っている。その上で、“魔物らしさを奪う”この国のことはいい印象を持っていないと思ってたわ」

「……そこまでのことは思っていなかったな」

「で、この国のどこが好きなの?」

「どこ、か……」

「そう、ありがちな考え方な『人と魔物の共存』なら親魔物領ならよく見られる光景よ。なら、理由はそれ以外の“何か”じゃないかな?」

「うん、何か、と言うとな……



似てるんだ、故郷に」



「故郷……ね……」

「ああ、今思うと、だけどな」

「ふぅん、……そんな感じなのね」

「ああ、人が何かを好ましく思うのは『何となく』でもありだろうさ。雰囲気が好きだとか、何かに似てるだとか、な」

それで会話は途切れる。
赤の他人の者同士。
会話の種はそう多くはない。
もとより二人は会話を弾ませるような気性がない。

ガタッ。

「ごちそうさま。店長さん、お勘定はここに置いとくわよ」

「ちょいと待ってな、……はいよ、代金ぴったりだ、まいどあり」

「ええ、美味しかったわ。“今度”また来るわね」

「ありがとよ、今後ともご贔屓にな」

席を立ち、店を発ってゆく女性。
彼女が立ち去るさまを見てふと思う。

よからぬことの前触れだろう、と。





――――――――――





夜の街を女は歩く。人通りは皆無ではないが多くもない。
酔った帰りの人やそんな人を確保しようとする屋台や酒場。
だがそれも、大通りを外れればどんどん少なくなる。

カツカツカツ

次第に人通りのないところまで出る。
国境たる城壁が近い。
結界にやや沿って作られた城壁は高く、生半可なものではビクともしない。
上部には見張りもうろついている。

ジャラ

手元から出すは城壁の“カギ”。
結界内では強力なマジックアイテムや魔術には頼れない。
ゆえに、攻略の“カギ”は原始的な登るための道具。
魔力を帯びない技術のみの一品だ。

城壁が攻略されていく。

やがて頂上へと着く。
見張りの合間を縫って今度は外へと降りていく。
その間も、息を潜めながらに息を切らすこともない。
見かけにそぐわぬ体力。軽々と城壁を攻略する技術。

その正体は城壁を降り、結界の外に出ることで顕在化する。



髪は黒から美しい白髪へ。
瞳は青から妖しい紅眼へ。



彼女はリリム。
数多の魔物の中でもとりわけ強力。
魔王の娘たちの一人である。





――――――――――





「ただいま」

「おかえり。偵察、おつかれさまなのじゃ。……成果の方はどうじゃ?」

「……まるでダメ」

「そこまでか……」

「本当に無理ね、あの“結界”は攻略できそうもないわ」

「ううむ、姫様でも無理なら妾たちではどうしようもないのう」

「ええ、中に入って調べたけど弱点どころか結界の核ですら見つけられなかった」

「結界の効果は?どこまで力を抑制されるのじゃ?」

「全部」

「……今、なんと?」

「だから全部。単純な魅了の力も、持ち込んだ魔界産の品物たちも、まるで効果がなかったわ」



結界内に満ちる安定した“何か”。
安定しているがゆえに、何物にも変化せず、何物にも変化させない。
その“何か”ですら、魔力なのか加護なのか、はたまた別の何かであるのかすらわからない。
魔物が人間の姿しかとれず、精のみで生きられず、人間の子を成すこともあるというのも異常だ。
通常、魔王の影響はかなり大きい。
そもそも、魔王と主神はほぼ同格の存在なのだ。
魔王の干渉をはねのける。
それはもはや“現実の書き換え”に等しい。
単体、または儀式程度で行使できる魔術の域を超えている。
だからこそ、その中核を調べてきた。
結果は芳しくなかったが。



「……まさかとは思うが、“アレ”ではないじゃろうな?」

「……私もそれは考えた。けど、それすらもわからない」

それにそんなものは考えたくもない。
話はしないが互いに共通するのはそれだ。



旧魔王時代の忌まわしき残滓。
未だ現魔王の影響を受けない『魔王の遺産』。



魔物たちは人の死を嫌う。
魔物でも人間でも、愛する者が死ぬことが我慢ならない。
愛情深い彼女たちはその範囲も広い。
親愛、友愛、とりわけ恋愛。
それらを台無しにする忌むべき系譜。
かの結界には『魔王の遺産』が使われているのではないか?
二人は静かに予想した。



「わからないならそれでも良い。作戦はメインプランのまま実行じゃな」

「そうね、この方法ならあの国も『魔界』の仲間入り、ね」



魔王の配下の中でも、とりわけ過激な侵略を行うものがいる。
このリリムとバフォメットもまた、その一角を率いる者たち。
『過激派』によるエルゼム魔界化作戦。
エルゼムが経験した中でも最大規模の侵略が迫っていた。





――――――――――





余談だが、エルゼムは『魔王の遺産』を所持していない。
かの結界の中核は『遺産』ではない。
だがまあ、彼女たちには関係のないことである。
16/03/15 23:56更新 / チーズ
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