連載小説
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オウルメイジさんと一緒 その1

 巷では近頃、『魔物カフェ』という物が流行を博している。
 いわゆる色物喫茶に該当するそれは、魔物娘の個性的な容姿や雰囲気を活用するものであり、そこでは文字通り、多種多様な魔物娘たちが己の個性を生かして働いている。
 店のメインターゲットはもちろん若い男性客ではあるが、凛々しい外見を持つ魔物娘たちは意外にも多くの女性客の心も掴んでおり、今では常連を持っている店員も少なくない。
 この岬町の一角に居を構える『喫茶・万里庵』も、そんな魔物カフェの一つであった。
 
「――ようこそいらっしゃいました。お嬢様がた」

 入口から新たに訪れた二人組の女性客を、瀟洒なスーツに身を包んだマッドハッターが出迎えた。麗しい見た目と女性のツボを抑えたソツのない雰囲気は、何人ものリピーターを獲得しているベテラン店員の証だ。
 そんな彼女に一瞬どきりとしたのだろう。しばらく客人たちはその姿を見つめながらテーブルに案内されたが、やがておずおずと本来の目的を切り出した。

「えっと、ケイさんをお願いします」

 彼女たちが口にした名前は、万里庵の中でもナンバーワンの常連数を誇る魔物娘のものだった。
 ケイは美しい外見とは裏腹に親しみやすいのがウリのオウルメイジで、特に女性客から圧倒的な支持を受けている。彼女たちもそんな評判を誰かから聞きつけ、ものの試しにとやって来たのだろう。
 自分が客の心を掴めなかったことに一瞬だけ残念そうな顔を浮かべた彼女だったが、すぐに接客用の笑みに変えると、明るい口調で告げた。

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

 ◇

「いらっしゃいませ。私はオウルメイジのケイ。よろしく」

 しばらくしてやって来たのは、噂通りの人物だった。
 ハーピーの一種であるオウルメイジは、体中にたっぷり羽毛を蓄えている関係で、本来の体格に関係なく丸く膨れたシルエットになるのが普通だ。だが彼女はどういう手法か、腕以外の羽根を雅なスーツの下に収納し、ほっそりとした本来のボディラインを見せつけている
 人間に近い作りの顔も羽を畳んだ事でシャープになり、一見してオウルメイジだと言われても気が付く者は少ないだろう。
 一般的のオウルメイジのイメージが“愛くるしい”だとするならば、今の彼女は“凛々しい”という表現がぴたりと当てはまる。
 噂に違わぬ彼女の容姿に圧倒されたのか、女性客たちは息の呑んでばかりで声も出ない。
 そんな彼女たちを宥めるようにケイは優しく二人の手に己の羽根を当てると、僅かに魔力のこもった瞳を向けた。

「そんなに緊張しないで。今日は一緒に、幸せな時間を過ごしましょうね」

 甘く囁くような魔物娘の声音に、女性たちはただただ熱っぽい顔で頷くばかりだった。

 ◇

 一方その頃、混雑時を迎えた裏の厨房では、さながら戦場のような忙しさを迎えていた。

 もともと街角の小さな喫茶店に過ぎなかった万里庵の厨房は、店の人気に対してそれほど広くなく、一度に作れるメニューの数もたかが知れている。にもかかわらず魔物喫茶として大成功してしまったせいで、注文されるドリンクやフードの提供がまるで追いつかないのだ。

「はぁ……なんでこんな事になっちまうのかねえ……」

 厨房の装置でいくつもの豆を同時に挽き、せっせと注文のコーヒーを淹れていた須藤雅樹がいつもの愚痴を漏らした。最早それが彼の口癖になっていた。

 この店一番のキャストであるケイこと早見慧は彼の恋人だ。それは彼女がこの店に入るよりも前からの付き合いで、もう二年になる。
 売り上げも人気もパっとしなかった万里庵が、魔物カフェに鞍替えしたのは実に半年前。その際、店員の雅樹を迎えに来た彼女をここの店長がスカウトしたのが全ての始まりだった。

 最初は簡単な衣装を着て接客してもらうだけの簡単なサービスだったのだが、魔物娘を接客に使う物珍しさと、看板娘とも言える彼女の人当たりの良さによって店は一気に繁盛していき、今では万里庵の売り上げはかつての数倍以上にアップしていた。

「いやー。マサちゃんにはいつも悪いと思ってるよ。でもあの子の才能を見抜いた俺の目は間違ってなかったわけだな」

 と、隣で注文された食事を作っていた店主が言った。口調の軽さからして、これも何度と無く繰り返されたやりとりなのだろう。

「人の彼女をなんだと思ってるんですか。……まあ、確かにすごい適役だとは思いますけど」

 メイクを施し、スーツを身に纏った慧はまさに男装の麗人と言う言葉がぴったりと当てはまるし、気配り上手な性格も接客業には向いている。同姓のリピーターがかなり多いのも、彼女のそういう面が一役買っているからだろう。
 しかし彼氏という立場からして見れば、面白い訳がない。

「まあまあ。今度一緒の休み取らせてあげるから機嫌直してよ。……はーい、特製オムライス上がりぃ!」

「……約束ですからね。こっちもブレンド3つとアメリカン、それにオレンジジュースできましたぁ!」

 そう言って二人はフロアスタッフの魔物娘たちに注問の品ができあがった事を告げたのだった。

 ◇

「こんな事をいきなり聞いちゃって失礼かもですけど、ケイさんって、普段はどんな事して過ごしてるんですか?」

 注文したコーヒーを飲みながら二人の女性客のうち、比較的大人びた顔立ちの女性が尋ねた。やはり一番人気の店員という事で、色々気になる所があるのだろう。

「そうだね……寝てる、かな?」

 わずかに照れの混じった微笑みと共にケイが答えた。ついに聞かれてしまったか、というような表情だ。

「オウルメイジはもともと夜行性の種族だからね。休日や仕事まで間は、家でのんびり過ごしてるコトが多いんだ。ありきたりな答えで申し訳ないけれど」

「いえそんな」彼女は慌てて首を振った。「ケイさんみたいな人は、私たちとは違う世界に住んでるものだとばかり思ってました」

「魔物娘といっても、普段の暮らしぶりは他のヒトとあんまり変わらないよ。身体のつくりがちょっと違うだけさ」

「やっぱり彼氏とかも居るんですか?」

 と、横合いから幼い顔立ちの女性客が興味津々といった表情で聞いてきた。
 本来、店員に粉を掛けるような行為は店側が禁止を出している。しかしそれはあくまで男性客相手に限っての話であり、こと女子同士の話題においては、色恋沙汰は避けられない
 そういうわけで、女性客がそういった事をキャストに聞く事は、原則として特に禁止されてはいなかった。

「それはまだ秘密」すっ、とケイが右手の羽根を自らの唇に当てた。「今はこうして三人で過ごしてるんだし、他の人に気を回して欲しくないかな。それに私としては、二人の事をもっと知りたいって思っているんだけど」

 ケイの鮮やかな返しは女性客たちの心を見事に掴んだ。
 恋人のようなある程度踏み込んだ質問については、あえて回答を先延ばしにする事で興味を長続きさせ、リピーターになるよう仕向ける事も、キャストとして重要なテクニックの一つである。
 加えて客に自身の事を話させる事でより多くの情報を引き出し、今後のコミュニケーションを円滑にすると共にイニシアチブを握るという意図もある。
 それに何より、彼女の茶目っ気を含んだ仕草は、怜悧な外見とは裏腹に強い親しみやすさを感じさせ、あっという間にその心を鷲掴みにしてしまうのだ。
 
 彼女の魅力に圧倒された女性客たちは最初と同じように顔を赤く染めると、促された通りに自分たちの事についてぽつりぽつりと話し始めるのだった。

 ◇

「相変わらずケイさんはモテモテっすねぇ。今日も新しい女の子が付いてましたよ? あの子たちもきっと、あの人の虜になっちゃうんだろうなぁ……」

 ドリンクを受け取りに来たゴブリンが、フロアの様子を見ながら厨房の雅樹にそう言った。蓮っ葉な口調がウリの娘で、特に年配の男性に人気のキャストだ。

「みたいだね」

 新しく淹れたコーヒーをカップに注ぎながら雅樹が答えた。作業に集中しているせいもあってか、声の調子は平坦だ。

「いつも思うんすけど、雅樹さんは彼女があんなに人気で妬いたりとかしないんすか?」

「妬かないかと言えば嘘になるけど、もう慣れたよ。相手が男じゃなけりゃ、かわいいもんさ」

 いくら面白くないと言っても、やってくる客にいちいち目くじらを立てていたらキリがない。幸いにしてケイの元にやってくる相手はほとんどが女性客ばかりなので、相手になびく心配は無かった。

「彼女を信頼してるってコトっすか? いやー熱いっすねえー」

 二人の関係をからかうように、ケラケラ笑いながらゴブリン娘がヤジを飛ばす。二人が恋人同士なのは、キャストならば皆が知っていることだ。
 そんな彼女を振り払うように雅樹が言った。

「ほら。余計なコト言ってないで、さっさと出来上がった注文持って行きな」

 ひとしきり楽しんだという風に彼女は肩をすくめると、手慣れた調子で出来上がったドリンクをトレイに乗せてフロアに向かって行くのだった。

 ◇

 女性客は二人とも近くの大学に通う学生で、同じサークルの仲間らしかった。
 大人びた顔立ちの方はリサと言い、心理学を専攻していると告げた。大学ではなんでも魔物娘の心を研究しているだとかで、ここには一応、学業も兼ねて訪れているそうだ。
 一方でアカリと名乗った子供っぽい顔立ちの女性は、見かけによらず経済学を学んでいるらしく、近頃急成長している魔物喫茶の事を知りたいと語った。

「凄いんだね二人とも。私なんか大学でも遊んでばっかりだったよ」

 二人の自己紹介を一通り聞いたケイが興味深そうに言った。少し遠くに向けた視線はまるで昔を懐かしんでいるかのようだ。

「いえいえ……私たちもそんな大それた事をしてるわけじゃありませんから」
 
 コーヒーを一口すすり、謙遜気味に答えたのは真理の方だった。
 彼女の言葉に再びアカリが水を差す。

「そうそう。一応そういう建前作ってますけど、ホントはリサが気になってるっていうから誘われて来てみただけなんで」

「ちょっとアカリ!」

「あはは……あ、もうそろそろ時間みたいだね」

 時計を一瞥したケイは終わりを告げると、彼女たちに改めて極上の笑みを贈った。

「今日はありがとう。また来てくれると嬉しいな」

 楽しい一時が終わってしまうことに二人は至極残念そうな表情を浮かべたが、やがてまた来店するという旨を告げると、そのまま彼女に見送られて出口に向かって行った。

 ◇

 あっという間に時は過ぎて夕暮れ。午後の勤務時間を終えた雅樹は厨房で淹れた自作のコーヒーを片手に休憩室でゆったりと寛いでいた。
 イヤホンでお気に入りの音楽を聴きながら、古い文庫本を黙々と読んで時間を潰している。着替えも済ませていつでも出れる状態なのに帰らないのは、慧が終わるのを待っているからだ。

「雅ちゃんお疲れ〜♪ あたしお腹すいちゃったよー」

 出し抜けに休憩室のドアが勢いよく開き、中から私服姿の慧が出てきた。
 仕事着であるスーツを脱いだ彼女の印象は、本人の明るい性格も相まってガラリと変わる。瀟洒で垢抜けた雰囲気は少し野暮ったいオーバーオールによって愛くるしいオウルメイジ本来の空気に戻り、一見しただけではこの店一番のイケメン女性店員にはとても見えない。

 加えて顔の印象を隠すために被っているキャスケットも、彼女のカジュアルさを引き立たせるのに一役買っている。最初は店外でも会おうとする厄介な客を撒くためにしていたファッションだったが、今ではすっかり板に付いていた。

「あ〜! 雅ちゃんまた勝手にお店のコーヒー淹れる飲んでるでしょ! ダメっていつも言われてるじゃん!」

 テーブルの上に置いてあったコーヒーカップを目ざとく見つけた彼女が言った。声も女性向けを意識した低めのものではなく、彼女本来の高さに戻っている。

「これはいいんだよ。それより慧も飲むか? まだ仕入れたばっかりのお試し品なんだけど」

 耳に着けていたイヤホンを外しながら彼が言った。既に読んでいた本は鞄に仕舞われており、帰り支度は済んでいる。

「あたし熱いのダメだってば」

 湯気が立ち上るカップを一瞥した慧がべー、っといたずらっぽく舌を出す。店では決して見られない彼女のこんな仕草を独り占めできるのは、彼氏である自分の特権だ。

「そりゃ残念」

 誰と比べるわけでもない優越感に浸りながら残りのコーヒーを飲み干すと、カップを部屋の流しに置いた雅樹が鞄を手に取った。

「んじゃ、ぼちぼち帰るか。俺も腹減ったし」

「うん。帰ろ帰ろ♪」

 空いたもう片方の腕に慧が腕を絡ませると、恋人よろしく二人は休憩室を後にした。

 ◇

 夕暮れ時の岬町は少し昭和チックな、どこか古めかしい雰囲気を放っている。
 昔ながらの商店街が未だに活気を保っているこの街では、今でもアーケード通りに多くの人が行き交い、めいめいに猥雑な活気を見せている。大型のスーパーやショッピングモールに顧客を奪われがちな昨今だが、ここでは無縁の話だった。

「ねえねえ、今日の晩ご飯、何しよっか?」

 並び立つ店舗を小鳥のようにキョロキョロと眺めながら慧が聞いた。無邪気に笑いながらペタペタとアーケードを練り歩く姿は、怜悧な面影を持つスーツ姿の時とはまるで別人だ。

「何でも……は禁句だったか」

 人を困らせる一番の定型句を口にしかけた所で、雅樹はいったん言葉を取り消し、真剣に今日の献立を考えた。
 数日前まで記憶を遡らせ、今まで食べてきた献立を思い出す。その中にある料理を比較しながら、今日の食べたいものを脳内でピックアップしていく。
 やがて一つのメニューに行き当たった彼が呟いた。

「……ハンバーグ、なんてどうだ?」

「おー。ハンバーグ」

 二人ともどちらかと言えば和食を好む方なので、洋食はあまり食べる機会がない。それにハンバーグは肉料理の中ではポピュラーな方ではあるが、一から作るとなると中々に手間がかかる一品だ。
 珍しい提案にちょっと目を張る彼女だったが、ややあってから頷いた。

「うん。いいかも。じゃあ買って帰るのは挽き肉だね。お肉屋さんにゴー!」

 ◇

 目的の食材を手に入れた二人は、程なくして自宅である古い木造アパートに帰り着いた。

「たっだいまー!」

 一足先に古ぼけた木造の扉を潜った慧が楽しげに声を上げる。
 そんな彼女の子供っぽい仕草に小さな笑みを浮かべながら雅樹が続いて中に入ると、不意に慧がこちらに振り返ってきた。

「ん」

 金色の瞳は何かをせがんでいる様子だが、突然の事で雅樹には全く心当たりがない。

「……なに?」

 仕方なく尋ねてみると、ちょっとムッとした表情で彼女は言った。

「ただいま、は?」

 どうやら先に自分が帰ったのだから挨拶しろと言うことらしい。
 付き合ってすぐのカップルでもあるまいに――と少しだけ思う雅樹だったが、こうしたやりとりは今に始まった事ではない。
 しかたないと再び肩をすくめながら彼が言った。

「ただいま」

「おかえり。んー……ちゅ♪」

 こちらの言葉に満足したように彼女はにっこりと微笑むと、両手の塞がっている雅樹に向かって顔を寄せ、そっと唇を重ねた。

「ちゅ、ちゅっ……ちゅる……」

 小鳥が啄むような口づけ。愛欲のためというよりも恋人同士がスキンシップを楽しむためのものだ。
 寄せてきた身体を通して甘い香りが鼻をくすぐる。羽毛の中に焚きしめた香と、彼女自身が放つ女の匂い。
 愛おしさのあまりその場で抱きしめてやりたかったが、生憎と今は両手が塞がっているため、唇で受け止めることしかできない。
 ちゅっちゅ、ちゅっちゅ、としばらく口元に寄せていた彼女だったが、やがて満足したのか、雅樹の身体からすっと離れた。

「うん。帰ってきたらまずは雅ちゃん成分を補給しないとね♪」

 にっこり笑顔でそのまま踵を返すと、自らの足を備え付けの塗れ雑巾で拭いて家の中へと上がっていく。

「それじゃあそっちは晩ご飯をお願い。あたし、着替えてお風呂沸かしてくるから」

 マイペースな彼女に踊らされるのもすっかり慣れたという風に雅樹は再び肩を竦めると、自らも靴を脱いで家の中へと入っていった。

 ◇

 買ってきた食材を一通り台所に並べると、まずはハンバーグのタネを作る作業から始めた。

 最初に挽き肉をボウルに開け、続いてつなぎとなるタマネギと卵、ついでにパン粉と塩コショウを入れてよく混ぜる。肉だけのハンバーグも悪くはないが、焼く時にどうしても旨味が外へ逃げてしまうし、かなりの量を用意しないと小さくなってイマイチ食べ応えがない。
 材料をかき混ぜていくと次第に粘り気が出てくるので、ここで更に片栗粉を少し加える。こうする事で片栗粉のデンプンが水分を含んで糊状になり、肉汁を閉じ込めてくれるという訳だ。

 そうして出来上がった大きな二つの肉玉を、今度は両手で叩いて空気を抜く。左右の手に肉玉を叩きつける事で、中に含まれた空気を外へと逃がしていく。
 バチバチ、バチバチーー静かなキッチンの中に肉玉が転がる音が響く。今はまだ退屈な音色だが、これが後になって効いてくるのだ。
 きちんと空気が抜けきったのを確認したら、最後に小判型に形を整えて真ん中を凹ませ、中火で焼く。大きさにもよるが、いい感じに焼き色がつくのは大体三分程度が目安だろう。

 熱したフライパンに肉を乗せた途端、ジュワっと何とも言えない小気味のいい音が聞こえてくる。食べるのとは違う、料理のもう一つの醍醐味という奴だった。

「……いい感じだな」

 片面が焼き上がるまでのちょっとした時間の間を利用して、今度は汁物制作に取りかかった。材料は使い残しておいたタマネギと冷蔵庫に残っていた使いかけのモヤシだ。
 水で薄めた白出汁を火にかけ、ある程度暖まったらモヤシを入れてひと煮立ち。沸騰寸前まで熱してきたら、今度は刻んだタマネギを入れて中火で煮つめていく。

 そうしている間に肉の方がいい感じで焼けてきた。崩れないようにそっとひっくり返し、蓋を被せて再び三分焼き目をつける。

 再び味噌汁に戻ると、今度は煮えたダシ汁に味噌を加える。ハンバーグは味が強い食べ物なので、その風味を崩さないよう少しだけ薄目になるように作っておくのがいい。
 オタマに入れた味噌を箸でかき回して徐々に溶かしていく。きちんと形がなくなるまで溶かし込んだら、蓋をして弱火で少し煮詰めればこちらは完成だ。

 汁物が出来上がってきた所でハンバーグのフライパンを開けると、両面に香ばしい焼き色がついていた。こちらも後は弱火で中までじっくりと火が通るまで熱を加えていくだけでいい。
 
 静かな夕暮れの台所にただ肉の焼ける音だけが響き渡る。熱せられた脂の香ばしい匂いが、それだけでも食欲をそそった。
 すぐにでも蓋を開けてしまいたい衝動に駆られる雅樹だったが、ぐっとこらえた。ここで焦ってしまっては全てが台無しだ。
 
 フライパンの前で時計を見ながらさらに焼けるのをじっと待つ。ここまで来たら最高の焼き具合で食べたいと思うのが人情だろう。
 待つこと更に数分。熱い蒸気がフライパンから細々と漏れる中、ついにその時が訪れた。

 ゆっくりと蓋を開けて中の具合を確かめる。細目の箸を肉の中央に差し込むと、澄み切った肉汁が穴から一筋浮かび上がって垂れこぼれた。

「よし。完成だ」

 出来上がった肉を皿に移すと、雅樹は最後に残った脂でソースを作り始めた。
 まだ熱の残っているフライパンにケチャップとソース、そしてほんの少しだけバターと砂糖を加えてよく混ぜる。
 全部が程良く混ざったところで焦げない程度に余熱で回していけば出来上がりだ。
 先に盛りつけてあったハンバーグに垂らすと、肉の匂いとソースの香りが絡み合い、何とも食欲を掻き立てる。
 
 全てのメニューが出来上がった所で、エプロンを外した雅樹が慧を呼びに隣の部屋へと入っていく。
 
「慧ー。メシ出来たぞ〜……って、寝てるのか」

 すると、部屋の中では服を脱いだ慧が隅にある布団の上で丸くなっていた。
 オウルメイジはもともと夜行性の魔物で、普段は夜まで巣の中で眠り、暗くなってから活動するのが常識だ。

 しかしバイトが昼シフトの時はそういう訳にもいかず、仕事を終えて帰って来ると、こうして家の中で眠っていることが多い。
 服を脱いだ彼女はまさに大きなフクロウそのもので、寝ている時の姿はまるで大きな毛玉が転がっているようにも見える。
 一応、この状態は彼女にとってほぼ全裸に当たるのだろうが、たっぷりの羽毛が身体を隙間無く覆っているため、目の毒になることはあまりない。

「ほら慧、起きろ。飯だぞ」

 雅樹が身体を揺すると、羽毛の中から眠たげな返事が聞こえてきた。

「……ん、もうご飯できた?」

「いい感じで焼き上がってる。眠いのはわかるが、食べないと体に悪いぞ」

「わかったぁ、今起きるぅ……」

 気怠げに慧が身体を起こし、翼を広げて伸びをする。アパートの狭い部屋の中は家具や雑貨品で溢れているが、どこにもぶつからずに羽を広げられるのは、フクロウ由来のバランス感覚のおかげだろうか。

「ふぁーあ。おはよ」

 蜂蜜色の瞳を眠たげに何度か羽根で擦りながら彼女が言った。あくびから出た涙で瞳が少し濡れている。
 手の無い彼女の代わりにティッシュで顔を拭きながら雅樹が言った。
 
「ほら、冷めないうちにさっさと食べようぜ」

「わかったぁ」

 顔を拭ってもらった彼女はそのまますっと立ち上がると、あとから立ち上がった雅樹と一緒にキッチンの方へと歩き出していった。

 ◇

「……うわ、すご」

 出来上がったハンバーグを見た慧が、開口一番にそう呟いた。
 皿に盛りつけられた大きな肉の塊は確かにとてつもないインパクトだろう。加えてそこに特製のソースまで掛かっているのだ。目を引かない訳がない。
 他のメニューは簡単な付け合わせのサラダと味噌汁だけだったが、逆にそれがメインの強さを引き立たせる絶妙な配役になっている。
 先ほどまでの眠たげな仕草などどこへやら、二人はそそくさとテーブルに付くと、どちらともなく声を合わせた。
 
「「いただきます!」」

 食事が始まったと同時に慧が腕の羽根を杖のように軽く振る。すると、箸と茶碗がふわりとひとりでに宙に浮かび上がった。
 これは簡易的な操作の魔法で、指や手を持たない魔物娘が好んでよく使うものだった。彼女たちはこうして食器を魔法で操ることで人間と同じ食事を取るのだ。

 宙に浮かんだ箸が器用に切り分けた肉を掴み、茶碗を受け皿にして彼女の口へと運んでいく。端から見れば不思議な光景であるが、二人の間ではとっくに見慣れた光景だった。
 
「うわ、これ美味しい!!」
 
 ハンバーグを口に入れた彼女が感嘆の声を上げた。声に追従して耳の羽がピンと逆立ち、金色の瞳が見開かれる。
 
「結構気合い入れて作ったからな。そう言ってもらえると嬉しいね」

 彼女の反応に満足したように頷きながら、雅樹も自分のハンバーグを口にする。噛むたびに肉の中に閉じ込められた旨味が口の中でじわりと広がり、なんとも言えない調和を奏でている。
 大満足の出来に思わずご飯をかき込むと、向かいの彼女も同じように白米をしきりに頬張っていた。

「……弁当付いてるぞ」

 雅樹が茶碗と箸を置いて慧に向かって手を伸ばし、頬に付いていた米粒を取ってやる。すると、彼女がはにかみながら礼を言った。
 
「ん。ありがと」

 私生活での彼女はやはりどこか抜けていて、見ていて飽きない。オウルメイジは冷静沈着な魔物娘だと人は言うが、雅樹にはあまり実感がなかった。
 と、箸で切り分けた肉を見つめながら慧が尋ねた。

「それにしても、これ結構手が込んでるよね。お肉の他に何が入ってるの?」

「タマネギと卵、それにパン粉と片栗粉が少し」

「片栗粉なんて入ってるんだ」

 へー、という顔で彼女がハンバーグに齧り付く。目を瞑りながら肉を味わっているのは、味から出来上がりまでを推測しているからか。

「入れると肉が纏まりやすくなるし、旨味が外に逃げないからいいんだ」

「知らなかったー。ねえ、あとで作り方教えてよ」

「また今度な」麦茶を一口飲んでから今度は彼が聞いた。「そういえば明日のシフト、お前どっちだっけ?」

「あたしは遅番。雅ちゃんは?」

「俺は早番だ」

「そっか。じゃあ明日は入れ違いだね。残念」

「起きれたらでいいから仕事の前に洗濯物を干しておいてくれ。少し溜まってるんだ」

「りょーかい」

 そんな何気ないやりとりを交わしながら、夕飯はゆったりと進んでいく。
 ふと、雅樹は心の内に暖かいものが宿るのを感じた。
 彼女と出会う前は、こうした夕飯すらまともに食べていなかった
 朝起きて、仕事をこなし、そして帰って眠るだけの毎日。まるで機械だと思ったことも一度や二度ではない。
 それが今では、一風変わった恋人との会話を楽しんでいる。
 人生、変われば変わるものだ。
 
「……どうしたの? お箸止まってるけど」

 不意に彼女が声を上げた。どうやら感傷に浸っているのを、何かあったと誤解したらしい

「いや……何でもない」

 彼は首を振って食事に戻った。
 『ありがとう』とは言えなかった。

 ◇

 食事が終わると、揃って風呂に入るのが二人の日常だった。
 と言っても、オウルメイジである彼女は湯船に浸からず、もっぱら温かいシャワーを浴びるばかりだったが。

「ん〜〜。効くぅ……」

 いつものように頭から湯をバシャバシャと浴びながら、慧が大きく息を吐いた。喉の奥から絞り出た声は、まるでくたびれたサラリーマンのようだ。

「そんな声、間違ってもバイト中に出すなよ? イメージが崩れるぞ」

 そんな様子を見かねた雅樹が、湯船の中からヤジを飛ばす。

「出しませんよーだ。これでもケイさんは万里庵イチのクールビューティーで通ってるんですからね」再びイタズラっぽく舌を出した慧が、雅樹に向かって背中を見せる。「それよりいつもの、おねがいしまーす」

「へいへい……」

 ざぶりと湯船から上がった雅樹が彼女の後ろに回ると、シャンプーを押して手に溜めた。
 そうして手のひらに集まった洗剤を何度か擦って泡立てると、それを彼女の髪へと軽く塗り込んでいった。

「うーん、気持ちいい〜♪」

 軽く首を振りながら雅樹の手を進んで受け入れる慧。指のない彼女の髪や羽毛を洗うのは、いつしか彼の日常的な役割となっていた。

「お客さん。どこかかゆい所はございませんかぁ?」

 おどけて雅樹が尋ねると、慧が調子を合わせて言った。

「背中がかゆいでーす。店員さん。かいてくださーい」

「この辺か?」

「ん、もうちょい上……そこそこ」

「ここか」

 彼女の背中ーーちょうど肩の中央あたりにある羽の中に手を突っ込む。手探りで隠れた背中をかいてやると、感嘆の声を彼女はこぼした。

「ぅん……いいよぉ……」

「だから声をどうにかしろって」

「いまは二人っきりだからいいんです〜!」

 むくれる彼女に呆れる雅樹だったが、背中をひとしきり掻いたところで再び洗髪作業に戻った。
 オウルメイジの髪は羽が変化した物なので、ツヤがあって鮮やかな分、しっかり洗うには骨が折れる。今ではすっかり慣れた物だが、最初の頃は手間取ったものだ。
 とは言え、こういった体のケアに手間をかけるのも、魔物娘と付き合う時には重要なアプローチとなり得る。
 洗い終わった髪をシャワーで流し、今度は身体の方に石けんをつけた。こちらは面積が広い分、作業は彼女との分担作業だ。
 前の方は彼女が自分で身体を洗い、背中など、文字通り手が回らない部分では自分が担当する。
 かいてやった時と同じ要領で今度は羽根と背中を擦っていく。大して汚れているというわけではないが、羽根の中はどうしても蒸れて汗をかくし、香の匂いをつけたままでいるわけにもいかない。
 せっせと身体を擦っていくと、不意に彼女が声を上げた。

「ねえ、雅ちゃん」

「何だ?」

「いつも身体洗ってくれてるけどさ、大変じゃないの?」

「別に。もう慣れたよ」こともなげに彼は言った。「なんだかんだで始めてから1年くらい経ってるしな」

「そっか……ねえ。こういう時って、雅ちゃんも興奮とかするの?」

「ちょっとはな。でも見てるだけならお前って、ただの茶色い塊だし、正直慣れてくると割とどうでもよくなるぞ」

「あー!ひっど!自分の彼女に向かってそういうコト言っちゃう!?」

「お前が変なこと聞くからだろ」あらかた洗い終わったことを教えるために、彼女の背中を軽くたたく。「いいから目つぶれ、シャワー流すぞ」

 少し間を置いてからシャワーをかける。石けんが洗い流され、泡が幾筋かに分かれて消える。

「おし、綺麗になったぞ」

 自分にかかった石けんを流して、雅樹は再び浴室に浸かった。暖かい湯が身体をくまなく暖める。
 顔を濡れた羽根で拭いながら彼女が言った。

「じゃああたし、先に上がって身体拭いてるから。雅ちゃんはゆっくりしててね」

 そう言い残して風呂椅子から立ち上がると、魔法でドアを開けて脱衣所に向かっていく。濡れた身体は羽根の丸いフォルムを取り払い、年ごとの娘らしい色気を見せている。
 その姿に少しだけ興奮しながら、雅樹は一人静かな入浴を楽しんだ。

 ◇

 風呂から出ると、台所では身体を乾かし終えた慧が冷えた麦茶を飲んでいる所だった。

「やっぱりお風呂の後は、冷たい麦茶だよねぇ」

 彼女が軽く手を振ると、浮かんでいたグラスがテーブルの上に着地する。かわりに雅樹がそれを掴み、新しい麦茶を注いで口に入れた。
 冷えた液体が爽やかな香ばしさを運ぶ。風呂で火照った身体には心地いい一杯。
 頭が少し冴えた所で、時計を見た。午後九時を過ぎ。寝るにはまだ少し早い時間。
 何かするべきか少し悩むーーそう思った所で、慧が何やらスマホをいじっているのが見えた。

「なに見てるんだ?」

「今日新しく来た女の子さ、二人とも大学生だったんだよね」タッチペンでスマホをつつきながら彼女が呟いた。「それ見てなんかすごいなーって思ってさ。あたしも一応大学は行ってたけど、魔法の勉強ばっかりだったし。だから新しく資格でも取ってみようかなーって思ったの」

「資格か」

 身につけた資格や技術は裏切らない。この先何かを始めるにしろ、邪魔になることはないだろう。堅実な発想だ。

「そうだな……簿記とかいいんじゃないか? 仕事でも家でも使い道はある」

「あー簿記。いいかもね」

 乗り気な声を上げると、彼女はスマホに文字を打ちこみ、資格のページを漁り始める。
 その様子を向かいで眺めながら、雅樹はもう一杯麦茶を注いだ。
 熟考しながら画面を見るつめる彼女の顔は、傍目から見ても綺麗だ。働いてる時の整えられた美貌とは違う。ごく自然な美しさ。
 平凡な自分にはあまりにも不釣り合いな存在だ。
 
「? どしたの?」

 視線に気がついたのか、慧が首をかしげて尋ねてくる。
 彼は咄嗟に首を振った。

「いつも思うが、お前ってバイトしてる時と普段は全く違うよな」

「そりゃそうだよ。あっちはお仕事だもん。こっちが本当の早見慧。それとも雅ちゃんは、“ケイ”さんの方が好きなの?」

 そういう意図で聞いたつもりは無かったので、思わず面食らった。

「……どっちが好きとか無いだろ。強いて言うなら、両方好きだ」

 ケイと慧ーーどちらも同じ人物ではあるが、それぞれに違った良さがある。それは比較するような事ではないし、どちらがより優れているということでもない。
 それとも以前誰かに違うことを言われたのだろうか?
 
 しばらく言葉を噛みしめるように黙っていた彼女だったが、やがて声を上げた。
 
「ありがと。あたしも雅ちゃんのそう言う所、大好き」

「やめろやめろ。照れくさい」雅樹が手を振った。こういう湿っぽい空気はどうにも苦手だった。「それより明日もバイトだろ。考えるのはまた今度にして、さっさと寝ようぜ」

「うん、そうしよっか」

 スマホのネット画面を消し、慧が立ち上がる。
 少しだけ赤くなった彼女の顔はやけに色っぽく見えた。
 
「それじゃ……おふとんいこ?」

 ◇

 二人の部屋には敷き布団はあるが毛布はない。
 なぜなら雅樹にとっては彼女自身が上質な寝具であり、抱き合って眠ることで極上の睡眠を与えてくれる存在だからだ。
 先に布団に寝転がった慧が大きく両腕を開ける。続いて雅樹が広げられた翼の中にゆっくりと身体を沈み込ませていった。
 女の柔らかい身体に包まれる。胸のあたりにはチューブトップの巻かれた双丘が押し当てられた。ふくよかな弾力は男にとっては魅力的な刺激だ。
 
「はぁ……雅ちゃんの身体、あったかい……」

 身体を抱きとめながら慧が恍惚の声音をあげる。腰に手を回してやると、嬉しそうに身体をくねらせた。

「あったかいのはお前の方だよ」雅樹はあくびをかみ殺した。柔らかさと暖かさで意識がぐらつく。「それにしても気持ちいいな……目をつぶるとすぐに眠っちまいそうだ」

「いーよ。寝ちゃお寝ちゃお?」耳元に甘い言葉を囁かれる。母性を感じさせる声音。「おやすみ雅ちゃん。今日も一日、ありがとね」

 彼女の言葉に甘えて雅樹は目を瞑った。
 全身を包む人肌の温もりは、彼をすぐさま眠りに突き落した。
20/07/09 22:53更新 / 引退小林
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シーンを少し増やしました。

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