連載小説
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リリムと多忙な余暇(前編)
暇だった。
朝食をすませ、ソファに座っているとあくびが出てきた。
睡眠は十分にとったはずなのに、暇を持て余した途端にこれだ。
最近ルカとばかり行動していたせいか、他の友達から最近遊びに来てくれなくて寂しいなんて内容の手紙を何通ももらい、昨日まであちこちに顔見せという変に忙しい過ごし方をしていた。
そんな日程も昨日でようやく終わり、今日は完全に暇。
こんな時に気軽に遊びに行ける先がルカの家だが、ルカもルカで仕事があるらしく、今日は予定があるとのことだった。
「暇ね……」
こういう時に夫婦なら色々と楽しく過ごせるのだろうが、私にその相手はいない。
それなのに、そこまで欲しいと思わないから不思議だ。
とはいえ、このまま家にいてもだらだらするだけなのは目に見えているし、散歩ついでに夫探しでもすればいいかもしれない。
そうと決まればさっそく実行とばかりに世界地図を取り出し、行き先をどこにするか眺めてみる。
反魔物領に出向いて、魔物につんつんな男を弄るのもおもしろそうだが、今回は気楽な親魔物領にしよう。
「親魔物領はと……」
地図を指でなぞり、適当に止めた場所に決定。
なげやりな決め方だが、私は気にすることなくそこへ向かうことにしたのだった。


「あら、意外といい感じね」
気ままに赴いた街は人や魔物が盛んに動いているにもかかわらず、雑多な感じは一切なく、どこかのんびりとした雰囲気が漂っていた。
だからか、ところどころに並んだ露店も熱心に呼び込みをかけてはおらず、どの店も淡々と営業しているようだ。
それらを横目で眺めているとつい本来の目的を忘れそうになり、小さく笑って視線を街行く人々に向ける。
その中の男は四割といったところだろうか。
比率としてみればまあまあな気もするが、残念なことに私の目には景色にしか映らない。
まあ、まだ入り口だし、歩いているうちに男と認識できる人が見つかるかもしれない。
そう思いつつも、大して期待はせずに街を歩きだす。
そして十分後、ものの見事に街にばかり気を取られていた。
その間にも男は視界に映るのだが、やはり景色でしかなく、あっさり流れていく。
「まあ、そう簡単に夫候補が見つかれば苦労はしないわね……」
こうなったら、姉みたいに向こうから来てくれるのを待とうか?
しかし、そうなると今度はローブを脱がなければならない。
そうすると人目を惹いてあれこれ面倒になるわけで。
昨日まで多忙な日々を過ごしてきたせいか、そこまでする気力は私にはなく、呆れるようにため息がもれた。
そもそも、渇望するほど欲しているわけでもないし、結果は芳しくないのだから今回は潮時かもしれない。
そんなことを考えながらふと視線を別方向へと向けた瞬間だった。
私は足を止め、それに見入っていた。
男にではない。
私が目を止めたのは、街のところどころに設置された掲示板だ。
それだけなら、ちらりと見るだけだったかもしれない。
そこに掲示された一枚の張り紙。
失せ物探しと大きく書かれたそれには、見覚えのある本の絵が描かれていた。
「これは……」
ルカはこの世に存在するべきではないと言った。
掲示板に書かれた本は旧き時代の残滓とも言えるもの。
それを探している者がいる。
面倒な事態になりつつある現実にため息をつくと、私はそっとその場を後にしたのだった。


「それ、本当なの?」
「私の見間違いでなければね」
翌日、昨日私が見た張り紙について伝えると、眠そうだったルカは瞬時に目が覚めたようだ。
「調べる価値はあり、か」
すっくと立ち上がり、ルカは出かける支度を始めた。
「仕事はいいの?」
「納付期日は当分先だから、問題ないわ。仮に期日が迫っていても、禁書より優先することなんてない」
きっぱりと言い放つ様子に迷いは一切ない。
それは見ていて気持ちがいい。
「なら行きましょ。最後の一冊の手がかりだしね」
残り一冊だからそう簡単に見つからないと思っていたが、こういう形でその痕跡を見つけることになるのだから、世の中わけがわからない。
そんなことを思いながら、ルカを連れて昨日訪れた街へと転移魔法を使う。
「この街?」
「ええ」
昨日と変わらない様子の街並みを眺めつつうなずいてみせると、そのまま掲示板へと案内する。
張り紙は変わらず貼ってあり、それを見たルカの表情が曇った。
「間違いないわね。連絡はカロンまで、か」
禁書を探しているのはカロンという人物らしく、張り紙には連絡先も書かれている。
それを眺めていたルカの目が不意に私へと向いた。
「これもあんたの知り合いだったりする?」
「もし知り合いなら、直接本人の前に連れて行ってるわ」
前回は私の知り合いが禁書の所持者だった。
しかし、今回は違う。
「となると、直接会って話を聞いてみるしかないか」
「まあ、それしかないわね。カロンが単なる収集家ならいいのだけど」
禁書を求める理由が単なる収集なら、まだこちらも穏やかでいられる。
だが、利用しようと思っているなら話は大きく変わる。
「ここで考えても仕方ないし、とにかく行ってみましょ。禁書の行方について、なにか知っているかもしれないし」
気が急いているのか、ルカはさっさと歩きそうとする。
そこへ待ったをかけるように、私は口を挟んだ。
「私は行かないわ」
「は?あんた、ここに来てなに言ってんのよ?」
ルカは戸惑ったような顔で振り向く。
私がついて行かないのがそんなに意外かとつい笑ってしまうが、あまり笑みを浮かべていると怒られそうだ。
「行かないほうがいい、と言うべきかしら。相手は禁書を求めている以上、それなりの情報を持っているはず。そこへ私が話を聞きに行けば、カロンはどう思うかしら?」
ルカ一人が話を聞きに行く分には、それほど問題はないだろう。
だが、私まで一緒に行けば、カロンは口を閉ざしかねない。
何人もいるとはいえ、私もリリムであり、王女の一人だ。
カロンから見れば、私は権力者であり、それを振りかざして強引に話を聞きに来たと思われてもおかしくない。
聡いルカもすぐに私の言いたいことに気づいたらしい。
「あー……」と呻いて、どこかバツが悪そうに顔を逸らした。
「確かにそうね。じゃ、今回はアタシ一人で行ってくるわ」
うなずく私に「後で広場に行くわ」と言ってルカは去って行く。
それを見送ると、私は当てもなく歩き出した。
広場で待ち合わせはいいが、話がすぐに終わるとは限らないし、時間を潰さないといけない。
またしても暇になった私だが、今日は夫探しなんて気分にはなれず、目に入った喫茶店へと足を向ける。
湯気の立ち上るカップが描かれたその店はきちんと営業しているようで、近づいてみると紅茶やコーヒーといった飲み物と、甘い焼き菓子とが混ざったような匂いがした。
それに軽く笑いつつ店の扉を引くと、目の前に積み重なった本があった。
「?」
予想すらしてなかったので、ちょっと呆気にとられてしまう。
「む?扉が勝手に……」
本がしゃべったというわけではなく、私が視線を積み重なった本から下へ向けると、それを抱えるバフォメットの顔がこちらを見ていた。
「おお、すまんのぉ。ちょっと通してくれんか」
幼さが最大の魅力であるバフォメットなだけに、こちらを見上げる顔は無垢な少女のようで可愛らしい。
通せんぼをしたくなる悪戯心が少し湧いてくるが、大人しく道を譲るとそのバフォメットはとことこと店から出てきた。
すれ違いざま、『難解文の解き方』だの、『暗号全書』といったタイトルの本が目につく。
それだけなら、特に気にせず店内に入っていただろう。
だが、続けて出てきた魔女の言葉に足を止めていた。
「もう、カロン様!お客さんが来てるんですから、早くして下さいよ!」
カロン?
カロンといえば、ルカが会いに行った人物ではないだろうか。
単なる偶然とも考えられるが、客が来ているという言葉から、本人である可能性が高い。
それがここにいるということは……。
「そう言うなら、この本を少し持ってくれんかの。前が見えん」
「あーもう!なんでこんなに持ち出したんですか!ほら、さっさと行きますよ!」
まじまじと見つめる私に構わず、焦れる魔女はカロンから積み重なった本を奪い取る。
「おお、これならよく見える。道、譲ってくれてありがとうなのじゃ」
本を大分持ってもらって視界を確保したカロンは振り向き、にぱっと笑って頭を下げた。
その拍子に隣りの魔女とぶつかり、彼女が持っていた何冊もの本をばら撒く事態になったのは見なかったことにして、私は軽く手を上げて挨拶をするに留めた。
そのまま店内に入り、紅茶とアップルパイを注文。
運ばれてきたそれらを食しつつ、カロンについて考えてみる。
見たところ、禁書を利用したいという感じではなかった。
バフォメットのことだから単なる知識欲かもしれないが、例えそうだとしても見過ごすわけにはいかない。
「きちんと話を聞けているといいのだけど……」
言ってみたものの、手がかりがない以上、ルカもいきなり喧嘩腰にはならないはずだ。
それでも不機嫌にはなるかもしれない。
その後、喫茶店で時間を潰した私は適当にふらついた後に早めに広場へと向かったのだが、ルカは既に待っていて、言うまでもなく不機嫌なのだった。


「まったく、どうしてバフォメットはどいつもこいつものん気なのよ!」
適当に入った酒場で席に着くなり、ルカはそう愚痴った。
「まあ、そう言わずに。話は聞けたんでしょ?」
なだめるように言うと、ルカは一枚の紙をテーブルの上へと乱暴に置いた。
「向こうも完全には把握してないみたい。ただ、この街にあることは確実だって。その理由がこれ」
苛立ちをぶつけるように、ルカは置いた紙を穴を空けんばかりにぐりぐりと弄る。
どうやら、機嫌の悪い理由は色々あるらしい。
「最後の一冊は物好きな人が持ってたらしいわ。で、そいつがかなりの変人で、こんな文を残してこの世を去ったんだって」
ため息をつくルカから目を紙に落とす。
そこには禁書の説明から始まり、それをどうにかしてこの世から滅ぼそうとした経緯までが書かれていた。
そして、その最後に不可解な文が綴ってあった。


私は何度もこの本を滅ぼそうとしたが、結局は無理だった。だから、この手紙を読んだ者に託したい。
願わくば、これを読んだ人が私の意思を継いでくれますように。
悪しき者が手にしないよう、この街に本を隠す。
彼女達だけがそれを知っている。


『リリム』『龍』『妖狐』『ナイトメア』『アントアラクネ』『マーメイド』

『ユニコーン』『バイコーン』『ラニア』『ドリアード』『アルプ』


その御心の許しが得られますように。 トーマス


「とりあえず、私は知らないと言っておくわ」
リリムの名が書いてあったので、一応そう言ってみた。
「そんなのわかってるわよ。大体、それは向こうも確認済みで、この街に住んでるリリムはいない。龍もマーメイドもね」
紙に書かれた種族がこの街にいて、禁書の在り処を知っているわけではないらしい。
つまり、これは暗号で、解かないと禁書へは辿り着けないというわけだ。
これでカロンが暗号関連の本ばかりを持っていたことにも納得がいく。
「つまり、これを解かないといけないわけね」
「これを解くだけで禁書が見つかるならいいけどね。最悪、禁書とは関係ない可能性もあるわ」
忌々しそうにルカは紙に目を落とし、私もそれに習う。
「ところで、ラニアではなくてラミアの間違いよね?」
「それはアタシも思ったの。だからカロンに言ってみたんだけど、これ、どうも間違いじゃないみたいなのよ。ちなみに、この紙はカロンが作った写しだけど、原本も同じだったわ」
「つまり、この部分はわざと?」
「そうなるわ。まったく、どうせなら暗号じゃなくて、強力な封印でもしてくれればよかったのに」
確かにそっちの方が楽だったかもしれない。
「愚痴っても仕方ないわ。それより、カロンの目的は?」
ルカがにっこりと笑った。
「当ててみるとよい」
恐らくはカロンにそう言われたのだろう。
そう言ったルカは目が笑っていない。
「目的はわからないけど、禁書を探している、か。さすがに放置はできないわね」
「当然よ。あれはさっさと消すべきだもの。相手がバフォメットだろうと、そこは譲れないわ」
「そうなると、向こうより先に暗号を解いて禁書を奪取するしかないわね」
「そういうこと。あんたも使える頭を持ってるんだから、ちゃんと考えなさいよ?」
そう言われても、こういった暗号の類は発想と閃きによるところが大きい。
「もちろん考えるわ。でも、まずは宿を取りに行かない?この街に禁書がある以上、拠点は必要でしょ?」
ルカもきちんと考えられる子だ。
だから、現実的な提案にはすぐにうなずいたのだった。


私が風呂から上がると、ルカはベッドの上で腕を組み、紙を睨んでいた。
「ルカ、上がったわよ。とりあえず入ったら?」
「ん。もう少し考えたら」
こちらを見向きもせずに思案しているルカの表情は真剣だ。
そろそろ日付が変わりそうな時刻だというのに、集中力が落ちている様子は一切ない。
徹夜で薬の調合をすることもままあるそうだから、大したものだと思う。
だが、どんなに集中できようと休憩は必要だ。
だから、無言でルカの傍に歩み寄ると、そっと耳に息を吹きかけた。
「にゃっ!?」
肩をびくつかせ、驚いた顔のルカはどこか間抜けで可愛らしい。
だが、それは一瞬のことですぐに睨んでくる。
「ちょっと!考え事してるんだから、変な真似すんじゃないわよ!」
「あら、これでも抑えたほうよ?本当なら頬にキスしようかと思ったから」
軽く唇を突き出して見せると、顔を赤くしたルカは逃げるようにベッドの反対側に降りる。
「っ〜!わかったわよっ!入ればいいんでしょ!入れば!」
そう言って、ぷんぷんしながら行ってしまった。
本当にいつ見ても飽きない子だ。
とはいえ、あまりふざけていると怒られるので、ベッドの上の紙に目を向ける。
「さてと」
ルカに任せっきりというわけにもいかないので、私も真面目に暗号と向きあい、あれこれと考えてみる。
やはり、ここからなにか読みとれるのだろうか。
それとも、文字を組み換えれば在り処を示すのかもしれない。
もちろんそれ以外の可能性もあるわけだし、とにかく手探りでやるしかない。
あらかじめ用意しておいた紙に色々と書いていると、やがてルカが風呂から上がってきた。
「首尾はどう?」
「芳しくないわね。色々と試しているけど、手応えはなし」
降参するように両手を上げると、ルカは小さくため息をついた。
「アタシも風呂に入りながら考えてたけど、そう簡単には解けそうもないわ」
「じゃあ、今日はこの辺にしましょ」
そう言って紙を放り出すと、自分のベッドに寝転がる。
「ちょっとあんた。禁書がかかってるんだから、もう少しやる気を見せなさいよ」
「残念だけど、ルカと違って私の頭は眠くなると使い物にならなくなるのよ。そういうわけだから、私は明日頑張るわ」
「はいはい。要するに眠いから、今日は終わりってことね。あんたらしいわ」
呆れるルカはそれ以上なにかを言うつもりはないらしく、ベッドに上がって紙に顔を向ける。
本人は真面目に考察しているはずなのに、その様子がなぜか可愛らしく、つい笑ってしまった。
「ふふっ」
「なによ、変な声出して」
「ねぇルカ、一緒に寝る?」
「っ!あ、あんた、考える気がないなら、余計なこと言ってないでさっさと寝なさいよ!!」
弄りたい誘惑に負けてからかいの言葉を口にすると、期待通りの反応が返ってきた。
風呂上がりで血色の良い頬は文字通り赤くなり、ルカは忌々しそうに顔を逸らす。
「あら残念。じゃあ、私は一人寂しく寝ることにするわ。おやすみ、ルカ」
明かりは付いているが、横になって目を閉じれば眠れるだろう。
そう思って枕に頭を預けると、ふと部屋が暗くなった。
「あんたのせいで集中力が切れたから、今夜はアタシも寝るわ」
続いて少し上ずったルカの声。
言葉自体は私を避難しているようだったが、それが建て前だということはすぐにわかった。
なんだかんだ言って、寝るという私を気遣ってくれたのだ。
隣りのベッドにいるルカはまだ目が闇に慣れないせいで見えないが、きっと照れたような表情をしているに違いない。
それを想像し、つい口元に笑みが浮かぶ。
「そう。じゃあ、おやすみ、ルカ」
「……ええ」
消え入りそうなルカの返事が耳に届き、私はそのまま目を閉じる。
そしてすぐにまどろみの中へと意識が沈んでいった。


翌朝。
屋根を打つ雨音で私は目が覚めた。
目を擦りながらベッドから降り、そっとカーテンを開けてみるとなかなかの勢いで雨が降っていた。
この様子だと、今日一日は雨かもしれない。
「んぅ……」
妙に色っぽい声がしたので振り向くと、ルカがゆっくりと体を起こしているところだった。
寝起きなだけあってその姿は無防備で、無垢な少女のよう。
「なに、雨……?」
「ええ。今日は一日雨かもしれないわね」
「ふーん……」
眠そうな顔のまま、ルカはすぐに暗号の紙を手に取る。
寝起きから即座に取りかかるつもりなのだろうか。
「涎は垂らさないようにね」
その一言でルカは目が覚めたようだ。
「するわけないでしょ」
不機嫌そうに言い、ぷいとそっぽを向いた。
まあ、写しは作ってあるので涎を垂らしたところで問題はないのだけど。
「それにしても、雨か。今日は落ち着いて考えられそうね」
なんだかんだで私は雪や雨は好きだったりする。
両者とも、普段とは違った景色を見せてくれるから。
しかし、ルカはそうでもないらしい。
「どこがよ。こんだけ強く降ってると、逆にうるさいでしょ」
鬱陶しそうに窓の外を眺め、そのままベッドに倒れ込む。
二度寝でもしそうな勢いだが、そのまま寝返りをうってうつ伏せになると頬杖をつき、紙に目を落とした。
ルカの関心は早くも暗号にしかないらしい。
「この程度なら、まだうるさいとは思わないわね。そういうわけだから、少し散歩してこようと思うのだけど」
「は?散歩って、この雨のなか?そんなことする暇があるなら、あんたも暗号について考えなさいよ」
呆れるような顔を向けてられてしまった。
「もちろん考えるわ。ただ、この部屋に引きこもっていても、気が滅入るもの。だから、外をぶらつきながら考えてみるわ」
雨が降る景色を眺めながら歩くのは意外と落ち着くのだ。
ひょっとしたら、暗号に関する考えだって思いつくかもしれない。
「ふーん。ま、あんたがそれでいいならアタシは構わないけど」
「ルカも一緒に行く?」
「パス。アタシは静かな部屋でじっくり考える方が合ってるから」
ルカの性格を考えればさもありなん。
雨のなかの散歩に一緒に行けないのは少し残念だが、目的が目的なだけに仕方ない。
「そう。じゃあ、私一人で行ってくるわ。昼までには戻ると思うから」
「ん」
やり取りの最中、ルカは一切こちらを見ない。
目を紙に向けたまま、全力で頭を働かせているようだ。
私との会話は暗号文よりつまらない?なんて意地悪な問いが思い浮かぶが、からかって邪魔をするのもよくない。
ついからかいたくなる衝動を口元に笑みを浮かべることで抑え込むと、静かに部屋を後にする。
雨のせいで他の宿泊客はまだ寝ているのか、もしくは部屋で大人しくしているようで、廊下に人の姿はなく静かだ。
カウンターで早くも仕事に精を出している店主に外出する旨を告げ、雨が降る外へと繰り出す。
途端に湿気混じりの微風が頬を撫で、思わず目を細める。
人によっては不快に感じるそれも、雨の日しか体験できないと思えば笑って流せる。
空を見上げ、そのまま右手をかざして雨を遮断する透明の膜を作りだすと、愛用のローブを取り出して身に纏う。
準備が整ったところで行動開始だ。
宿に面した通りをとりあえず西へと歩き出す。
本来なら人が行き交う通りも今日は寂しいもので、数人の人が傘を差しつつ歩いているだけだ。
おかげですれ違いに困ることもなく、実に軽快に歩いていける。
一歩踏み出す度に敷き詰められた石畳を濡らした雨がぴちゃぴちゃと音を立て、ただ歩いているだけでも不思議と退屈しない。
特に行く当てもないまま歩き続けた頃だ。
ふと妙な場所に行き着いた。
その通りには、それ以上の侵入を阻むように長いロープが張られていた。
「?」
これはどういうことだろう。
見たところロープの先にも街は広がっているのだが、人の姿もなければ活気もない。
目につく建物はどれも灯りがついておらず、どこかくたびれたような雰囲気がある。
言ってしまえばゴーストタウン。
静かな場所は嫌いではないが、こうも寂しいと面白みもない。
ここがどういう場所なのか少し興味もあるが、今私がすべきは街の詳細を知ることではなく、暗号の解読だ。
軽く吐息をもらすと、静かにその場を後にする。
それからどこをどう歩いたかはいまいち覚えていない。
暗号についてあれこれと考えているうちに、いつの間にか昨日訪れた喫茶店の近くに来ていた。
店は今日も営業中のようで、この雨でも良い香りが漂ってきている。
香ばしい匂いが鼻についたからか、朝食を食べていなかったお腹が空腹を訴えてくる。
「なにかお腹に入れておこうかしら……」
集中力も切れてきたことだし、このあたりで気分転換にいいかもしれない。
頭が素早く結論を出し、喫茶店へと足を向ける。
前回のように扉を開けて本の山と対面ということにはならず、すんなりと店に入ると適当な席につく。
天気のせいで気だるそうな店員にとりあえずコーヒーを注文し、暗号を写してきた紙を取り出した。
ここに記された種族に、なにか意味があったりするのだろうか。
そうだとするなら、偶然か、それとも故意に変更されたと思われるラニアという単語も意味があるように感じる。
「姉さんに聞こうかしら?」
頭の回転が尋常ではないあの姉なら、意外とあっさり解いてくれるかもしれない。
そんな冗談混じりの独り言を言った時だ。
いきなり声をかけられた。
「ここ、空いているかのう?」
口調だけなら、老人が発したと思われる言葉。
だが、声は妙に可愛らしい。
それを疑問にも思わずに横を見ると、昨日よりは少ない本を抱えたカロンが立っていた。
「見ての通り空いてるけど、私の目が正常なら空席は他にもあるわね」
「リリムが細かいこと言うでない」
本をテーブルに置き、そのままカロンは向かいの席に座る。
「そうね。ちょっとあなたとは話してみたいと思ってたわ、カロン」
いきなり名前を呼ばれても、カロンは驚きもしない。
それどころか、納得したようにうなずいた。
「やはり、あのサキュバスの小娘の連れはお主じゃったか。その紙も、あやつから受け取ったのじゃろう?」
「これは写しだけどね」
「ふむ、お主達の関係が見えてこないのう……。主従というわけではないんじゃろう?」
ちょっと笑ってしまった。
ただ、それがカロンの発言が見当外れだったからではなく、ルカを従えられる者などいない気がしたからだ。
それがわからないカロンは少しムッとした顔になったが、わざわざ説明するつもりもない。
「残念だけど、そういう関係ではないわ。あの子は私の大切な友。そこに上下関係はないわ」
そう言いきったところへ、注文したコーヒーが運ばれてきた。
ついでということでフルーツサンドを追加注文し、カロンへと目を向ける。
「あなたはなにか頼む?」
ところが、カロンはなんともいえない表情になって顔を背けた。
「……実は、ワシは無駄遣いがすぎるとかで、部下に財布を没収されてしまったのじゃ……」
なんというか、反応に困る。
しかし、カロンのしょんぼりとした横顔を眺めているわけにもいかないので、私はこう言った。
「じゃあ、私がおごるわ。好きなものを頼んで」
「……なにを企んでおる?」
おごると言っただけなのに、酷い言われようだ。
「食事の最中に物欲しそうな目で見られてはたまらないから、かしら。それに」
一旦言葉を区切り、カロンを見つめる。
「色々と話したいこともあるしね」
「……ふむ、では素直に好意に甘えるとしよう。ショートケーキとミルクティーを頼む」
見かけが可愛らしい幼女であっても、その中身までもがそうとは限らない。
カロンも例外ではないらしく、見かけに反して実に思慮深い表情を浮かべ、うなずいてみせる。
店員が去り、待つこと五分。
注文の品が運ばれてきてテーブルに置かれると、カロンはさっそくとばかりにケーキを口に運ぶ。
だが、店員がテーブルから離れると、途端に真面目な顔になった。
「さて、こうしておごってもらったことだし、多少なら質問に答えるぞ?」
「そうね、じゃあ、あなたの目的は?」
「禁書に決まっているじゃろう。だからこうして、暗号解読に精を出しておる」
フォークが指し示す先には積まれた数冊の本。
「質問が悪かったわね。禁書を手に入れて、それをどうするつもり?」
「あれがただの参考書ではないことはお主もわかっておろう。ならば、必然的にワシがどうしたいかもわかるはずじゃ」
カロンはすんなりと私の問いに答えていく。
しかし、肝心なことについては煙に巻くだけで語ろうとしない。
まあ、それは予想できていたことだから別にいい。
「そうね。あなたの目的がどうであれ、この暗号を解かないことには始まらないわね」
テーブルの中央に置かれた紙を見て嘆息しつつ、フルーツサンドを一口食べる。
一口大のフルーツとクリームを挟んだそれは、果物の自然な甘さとクリームの人工的な甘さが絶妙にマッチし、ついもう一口食べたくなる味だ。
「質問は終わりか?ならば、ワシも聞いていいかのう」
「どうぞ」
私がコーヒーを一口飲むのを見計らって、カロンは言った。
「お主がここにいるのは、魔王様の意向か?」
真剣な目が私を見つめている。
私が個人的に動いているのか、それとも母様の命によるものかはカロンにとって最も聞きたいことだろう。
単刀直入に聞いてくるとは思わなかったが、それでもいつか聞かれるとわかっていれば慌てたりもしない。
だから、カップをテーブルに置くと余裕たっぷりに言ってあげた。
「当ててみるとよい」
自分が言ったであろう台詞を言われ、カロンの口がへの字になる。
毛に覆われた手がカップに伸び、感じた苦いものを飲み下すようにミルクティーを口に含んだ。
「食えんヤツじゃ」
「褒め言葉と受け取っておくわ。ところで」
つい先程カロンがそうしたように、彼女がカップから口を離したところである質問を投げかけた。
「あなたは誰のために動いているの?」
直後、カロンの動きが止まった。
それだけでなく、少し恨めしそうな目で見つめてくる。
単なる想像から放った言葉は、思った以上に効果があったようだ。
「……本当に食えないのぅ……」
そう言って、カロンは悔しそうにしつつも、楽しそうに笑った。
反応から察するに、当たらずとも遠からずといったところだろうか。
「ふむ、そうじゃな。お主がワシの先程の問いに答えるなら、ワシもその問いに答えるというのはどうじゃ?」
「ええ、いいわよ」
わざとらしく即答すると、カロンの返事の内容をきっちり判断すべく意識を集中する。
だが、私のそんな行為は無駄に終わった。
「交渉成立じゃな。では、また明日会った時に、互いに望む答えを言うとしよう。朝の十時に、この店の近くにある本屋で待ち合わせということでどうじゃ?」
今日ではないところになんとなく肩すかしを食らった気分だ。
それでも表情には出さず、うなずいてみせる。
「わかったわ。明日の十時に本屋ね」
「うむ。では、ワシはこのあたりで帰るとするかのう。なにも頼まずに喫茶店にいたせいか、店員さんの目が怖いのじゃ」
それは自業自得ではないだろうか。
そう思うも声には出さず、見送るだけに留める。
カロンは残りのケーキを一口で食べると、ミルクティーを飲み干し、席を立った。
「ご馳走してくれてありがとうなのじゃ。ではの」
律儀に一礼し、カロンは店から出て行く。
そして店の扉が閉まると私は短く息を吐いた。
「食えないのはあなたも同じよ」
理由はわからないが、禁書を求めている。
その時点でカロンに渡してはならないと思った。
悪用されてはどんな結果になるかわからないから。
しかし、実際に会ってみて、カロンは禁書を悪用するつもりではないように思えるのだ。
バフォメットである以上、そう見えるように演技していた可能性はあるが、対談した限りではそんな雰囲気はなかった。
だからこそ苦笑してしまう。
禁書の最後の一冊を求める者が、渡してはならないと思えるような悪人だったらよかったのに。
「ままならないわね……」
そう呟いて残りのサンドイッチを口に入れると、浮かない気分で宿へと戻ったのだった。


「面倒くさいわね……」
宿に戻り、カロンとのやり取りを聞いたルカの第一声がそれだった。
「まあそう言わずに。明日会ってみれば、少しは向こうのことがわかるかもしれないんだし」
同じ禁書を追う者として、カロンについては少しでも知っておきたい。
それはルカも同じはずだ。
「会うこと自体はアタシも賛成よ。ただ、明日はあんた一人で行くべきね」
意外な返事だった。
ルカのことだから、一緒に行くと思っていたのだ。
「あら、ルカは来ないの?」
「ええ。カロンについては二の次だもの。アタシ達もカロンも目的は禁書よ。なら、優先すべきは暗号の解読。向こうの思惑がどうであろうと、アタシ達が先に禁書を手に入れれば問題ないもの。だったら、アタシは暗号の解読に専念した方が効率いいでしょ?」
いかにもルカらしい合理的な考えだ。
もっとも、私としてもそう言うつもりだったので説明の手間が省けたと言っていい。
ルカが来ると話がこじれるという心配もあったが、それは言わないでおく。
「反論の余地のない、完璧な考えだと思うわ。さすがルカね」
笑顔で両手を肩の高さに上げてみせると、ルカは不満そうにむくれる。
「なんか、馬鹿にされてる気がする……」
「そんなことするわけないじゃない。でもそうね、気晴らしに少し弄っていいかしら?」
意地悪な笑顔を浮かべてそう言うと、ルカは目を細めて睨んできた。
「いいわけないでしょ。馬鹿なこと言ってないで、あんたも考えなさいよ」
ベッドの上でうつ伏せになって頬杖をつくルカは、これで話は終わりだとばかりに視線を紙に落としてしまう。
その横顔は真剣で、なにも知らない他人であれば、話しかけるのをためらってしまうかもしれない。
そんなルカを見ていると、つい困らせたい衝動が湧いてきてしまう。
結果、私はベッドに寝そべるルカの上に倒れこんでみた。
「ふぎゃっ!?」
いきなりの衝撃に、私の下でルカの身体がビクつく。
そして真っ赤な顔で睨まれた。
「あ、あんたっ!!いきなり、なにすんのよ!?」
さっきまでの真剣な様子は消し飛び、驚きと恥ずかしさが混ざった顔は実に可愛い。
そこへ追い討ちをかけるように、口の端をつり上げて言った。
「あなたが構ってくれないと、寂しくて死んじゃうのよ?私」
「あ、あんたねぇ……!いい加減にしないと怒るわよ……!」
腹立たしさがこみ上げてきたのか、密着しているルカの身体がぷるぷると震えてきたのが感じられた。
とはいえ、この程度ではルカのガス抜きには程遠い。
放っておくと食事も取らずに延々と考え続けそうなことだし、もう少し弄るとしよう。
そう思った私は、ルカの脇腹に手を当てる。
「ひうっ!?ちょ、ちょっと、やめ、きゃっ!」
脇下へと手を移動させると、ルカはいい声で鳴いた。
「じゃあ、ルカが五分間声を出さずに耐えられたらやめるわ」
「ちょっと!なんでそんな馬鹿なことをアタシが、っ〜〜〜〜!」
言い終わると同時に、手をルカのお腹へと滑らせると、ルカは悲鳴をこらえながら身体をビクつかせる。
そこから一時間、宿の部屋にはルカの悶絶するような声が響いたのだった。
「はあ……はあ……うぅ……」
ルカはぐったりした様子で荒い息を吐いていた。
ふざけているうちに感情が高ぶり、つい一線を越えた……というわけではなく、意地になって声を出すのをこらえた結果である。
そんなルカの様子に満足し、私は身体を起こして押さえ込んでいたルカの身体を解放する。
「あ、あんたねぇ……」
私という重しがなくなったからか、睨んでくるルカ。
しかし、その目に力はなく、声にも怒りは感じられない。
「楽しかった?」
「そんなわけないでしょ。あんた、なにがしたいのよ」
こちらを見上げる目には少し困惑した色がある。
その目をしっかりと見つめ返しながら、私はルカの身体の横に腰を下ろした。
「あなたは根を詰めすぎよ。もっと肩の力を抜いたほうがいいわ」
そう言ってルカの頭に手を置くと、ルカは鬱陶しそうに手をを払う。
「あんたが抜きすぎなのよ。最後の一冊よ?これさえ消せば、全て終わるんだから、根を詰めもするわ」
どこか悲愴な決意のようなものが感じられたのは、私の気のせいだろうか。
「そうね。確かに最後の一冊だわ。だからこそ、慎重に取り組むべきだと思うの。私には、あなたが必要以上に急いでいるように見えるわ。なぜ、そこまで焦っているの?」
禁書をこの世から消したいという気持ちはわかる。
だが、今のルカは焦りにも似た気配を感じるのだ。
それは間違いではなかったらしく、ルカは言われた途端に嫌そうな顔になり、枕に顔を埋めた。
「失いたくないからよ……」
それは本当に小さな声で呟かれた言葉。
「え?なにか言った?」
「なんでもないわよ。それより、あんたのせいでどっと疲れたから、アタシは少し寝るわ。アタシの代わりに、あんたはきちんと暗号解読してなさい」
ころんと身体を傾けてこちらに背を向けたルカからは、これ以上話すつもりはないという空気が感じ取れた。
なんとなく横暴にも感じられる言い方だが、休んでくれるなら、それを邪魔するつもりもない。
「ええ、わかったわ」
気難しい貴族の従者にでもなった気分だ。
つい口元に笑みが浮かんでしまうのを誤魔化すようにルカのベッドから腰を上げると、自分のベッドに座る。
そして、そのまま手元の紙へと視線を落としたのだった。
12/09/17 23:52更新 / エンプティ
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■作者メッセージ
お久しぶりです。エンプティです。
最新作の前編をお送りします。
今回は思いっきり推理ものとなっていますが、肝心の暗号は頭の悪い作者が考えたものなので、すぐに解けてしまい、こんなの難しくねーよと思っても口にはしないようお願いしますw
逆にわからない方は次回をお楽しみに。
今回も頑張って嬉しい?一週間更新としますので、来週には後編を公開いたします。
それでは、また次回で。

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