読切小説
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あの約束を果たすために……


あるサバトが隠れ蓑として使っている巨大な古城の前に一人の男――手には飾り気の少ない金属の杖を持ち、頭から足先まではスッポリと真っ黒な外套で覆い、体型や顔の形さえ周りからは伺い知る事の出来ないという、ある一種異様な雰囲気を周りに与えていた。
彼の名前はシェイド・マグドゥエル――むしろ彼を語る上では『天才魔法使い』や『大魔導師』という通り名の方が有名であろう。
その魔法の腕で方々にふらりと現れては旅人を襲う盗賊や魔物を退け続け、そして数年前の魔物との大戦で敗走する国王軍にふらりと現れ、ただ一人で殿を見事に勤め上げて国王を国へと帰す事に多大な貢献をしていた。
それ故にその国で彼は英雄として向かい入れられ、彼が国に寄る度に盛大な持て成しを受け、その度にこの国の勇者に成ってくれと懇願されるほどである。
しかしシェイドは頑なに『ただの人間』で居る事に拘り、主神の加護を受け入れる事を頑なに拒んでいた。
それは彼が幼い頃にと交わしたあの約束――シェイドの人生を決めたあの誓いを守るためだった。
「随分と時間が掛かった……」
シェイドの口から漏れたのは、その約束を結んだ日から三十半ばまで歩んできた人生の苦難と、この年に成るまでその約束を果たす目処が出来なかった自分の不甲斐無さの混ざった、苦々しい吐息交じりの重々しいバリトンの呟き。
その一息の後に、彼は古城の門を開け広げて中に入る。
この古城に居るはずの、あのバフォメットを倒すために。


かつり、かつり、とシェイドが玉座の間へと向かう石畳の廊下を歩いていると、廊下の角から一人の少女――小さい魔女が飛び出で手に持った山羊の頭骨の付いた杖をシェイドへと向ける。
「私たちのサバトに入信希望の方ですか?」
その声は明らかにシェイドを敵だと認識している声色だったが、念の為なのかそうシェイドに疑問を投げかけていた。
「メルノールという、バフォメットは在宅か?」
「我が主に何の用ですか?」
疑問に大して疑問を重ねる不毛な会話の中で、魔女の杖に魔力の光が溜め込まれ攻撃の意思を示しているが、シェイドはそれを気にする風では無い。
「そうか、やはり此処に居るのか」
相変わらずに苦難と不甲斐なさにさび付いた声色のシェイドだったが、その声の中に一抹の喜色の色が含まれていた事に対峙する魔女は気が付いただろうか。
「排除します!」
『砂掛け男よ、この可愛らしい女性の目に砂を掛けてくれ』
シェイドの口から滑り出た祈りや歌に似た響きの呟きは、下位古代語呪文である『眠りの砂(スリプルサンド)』。
本来ならば、魔力抵抗の弱いゴブリンやジャイアントアントなど位にしか効かない弱い魔法なのだが、シェイドの丁寧で緻密な――それこそ織り機で絹布を編むかのような芸術的なまでの魔力行使により、魔力に対して耐性のあるはずの魔女の意識を眠りによって刈り取ってしまう。
一瞬にして意識を失った魔女が地面へと崩れ落ちる前に、シェイドはその小さな背に手を回して抱えると、そのままゆっくりとガラス細工を扱うかの慎重さで床の上に横たえた。
「それで、君らはどうするんだ?」
横たえた魔女から数歩離れて振り返るシェイドの視線の先、そこには魔女特有の格好をした幼い見た目の女性と、その伴侶と思わしき武器を手に構え鎧を身に着けた男たちで出来た人集り。全員が全員、シェイドに対して敵意を隠そうとはしていない。
「余り、メルノールに会う前に、魔力を消費したくは、無いが……」
致し方在るまいとシェイドは言外に呟いて静々と杖を構えると、それが合図であるかのように男たちはシェイドに向かいかかり、魔女たちは杖に魔力を込めて男たちの援護の姿勢を見せる。
『電光よ』
大上段に剣を構えて突っ込んできた大男に指を突きつけつつ呟いたのは、詠唱を簡略化した魔法の呪文。空気を切り裂く眩い稲光が指先から走り、鎧を通り抜け男の体を硬直させて止めると、更には意識まで略奪する。
だがその大男の影から左右に飛び出てくる二人の男。それを目に止めたシェイドは一歩だけ向かって右の男に寄ると、剣の根元に金属製の杖を叩きつけて止め、視線と掌を左の男へと向ける。
『吹き荒べ』
シェイドの手から打ち出された圧縮された空気が男の腹に直撃し、吹き飛ばされた男は石柱に叩きつけられ、背中に走るあまりの激痛に蹲って剣を手放してしまう。しかし男のそんな様子を最後まで見ることなく、鍔迫り合いをしていた男に対して手に入れていた力を抜くことで体勢を崩させたシェイドは、その後頭部に肘を打ち下ろして昏倒させる。
「放て!」
斬りかかった男たちが打ち負けたのを見たからか、魔女の一人が大声で号令を掛けると男たちの群れが左右に割れ、見えたのは魔女の一団。それも杖の先から炎弾と氷刃や稲妻などの魔法――それ一つ一つが人の身で直撃すれば戦意を奪うに申し分ない威力を含んだそれらが杖から放たれ、シェイドに向かって野犬の群れの如くに押し寄せる。
シェイドはその魔法群から逃れるように付近にある石柱へと走り寄り、その影に自分の体を滑り込ませた。
「石柱の一本ぐらいは構いません、そのまま攻撃を続行してください!」
その魔女の言葉に忠実に、数多の魔法が石柱へと降り注ぎ、石柱を溶かし、削り、砕き、穿っていく。このままでは石柱に隠れているシェイドの未来はボロ布と化すのが確定であるというのに、その石柱からは魔法の一つも反撃はなかった。
『炎の中で雄たけびを上げる魔神、その業火を私に貸しなさい!』
今まで命令を下していた魔女の杖に魔法行使で灯る魔力光――周りの魔女と比べて二段階以上明るさが違い、それはこの魔女の中でも別格の強さを持っている事の証。
その実力を示すかのように、その魔女が放った火球は石柱に突き刺さるや否や、石柱を一瞬にして爆散させて当たりに砂煙を撒き散らした。
「これで無力化できたはず」
「それは、どうかな?」
唐突に近くに聞こえたバリトンの低いその声に釣られるように、魔女達が一斉に顔を天井に向けると、そこにはシェイドが頭から覆っている外套が翻る事も無く重力に逆らって天井に立ち、魔女たちを見下ろしていた。
「これでも――」
詠唱無しの魔力の塊を打ちつけようとした先ほど火球を放った魔女の背後に、音も無くシェイドが天井から素早く降り立つと、その魅力的な細首にシェイドの杖を持った手が巻きつく。
一秒。魔女は咄嗟に両手でシェイドを外そうと引っかき、宙に浮いた足をばたつかせてもがき、その手から放たれた捻じれた杖の魔力光が消失する。
二秒。魔女の手足の動きが緩慢になり、段々とその瞳に意識の色が消えうせ始め、口から漏れるのは空気を伴わない喘ぎ声。
三秒。抵抗むなしく絞め落としされ意識を失った魔女の股間から、黄みが掛かった液体が漏れ出し、石畳の廊下に水溜りを作った。
「このぉ!」
咄嗟の出来事に竦んでいた魔女の中から勇気ある一人が、シェイドの腕から意識を失った魔女を奪い返そうと杖を振り上げて飛び掛り、その動きに呼応した拳闘士風の男がシェイドの視界の影から打ちかかる。
シェイドは右手に持っていた金属製の杖を放すと、捻じれた木の杖を振り上げた魔女に素早く近づき、その小さな体躯を小脇に抱えた。
「仲間を助けようとする、勇気は認めるが、杖で殴りかかるのではなく、せめて非殺傷系の魔法を使用しろ」
そう一声勇気ある少女に声を掛けて、意識を失った魔女と共に後ろに居た拳闘士男に投げつけた。投げつけられた男は咄嗟に二人の魔女を全身に力を入れて受け止める。そうして動きが止まり魔女二人を抱えて次の動作移行し辛くなった拳闘師の顎下に、近づいていたシェイドの振り下ろした拳が突き刺さり、脳を揺すられた男は地に膝を折った。しかし手に抱えた二人の少女を床に落とさなかったのは、見上げた根性だった。
「さて、まだやるとなると、もう少々痛い目を、見てもらう事になるぞ」
事実をありのままに伝えるかのようなシェイドの言葉に、明らかに対峙している全員が怯んだ様子だった。しかしシェイドのその手に握られていた杖が、床に転がっているままな事に気が付いた数人がヒソヒソと回りに伝えると、全員がこれは好機なのではと思い直したのか、殆どが手にある得物を握り直す。
そんな相手の様子を見たシェイドはため息を吐く。それは思い違いをしている相手に対しての哀れみが大半と、目当てのバフォメットの前に足踏みせざるをえないという事に対しての少しの怒りが含まれていた。
「降伏する意思は、無いと判断する。『来い』」
床に転がっていた杖がシェイドの手招きと古代語に反応し、床から飛び上がり宙を舞うと、回転しながらシェイドの手に自ら収まった。
一抹の望みを打ち砕かれた一団に、さらにシェイドは追い討ちを掛ける。
『地の深くに眠る炎の魔神よ、その一抹の力を俺に貸し与えてほしい。敵を無力化するために』
魔女の一団に向けて初めてシェイドが詠唱を加えた攻撃魔法を用意する。それは奇しくも先ほど絞め落とした魔女の放った火球と同じ系統の呪文だったが、明らかに桁違いの熱気が肌で感じられる。
しかしシェイドの杖の先に灯り、打ち出されるのを今か今かと待ちわびていた火球は、廊下の遥か先から投げつけられた一陣の光に掻き消える事になった。
何が起きたのか分からない魔女とその配偶者の集団に向かって、シェイドの背後に突き刺ささり光りを照り返すのは、一振りの大鎌――湾曲した刃の部分は歪に捻じれ、柄の部分には魔術文字を刻まれたそれを持つのは、このサバトにただ一人。
「随分と、我(われ)の手下を甚振ってくれた様じゃの」
廊下の影からそう声を掛けて現れたのは、見た目だけならば対峙している魔女とは大差が無い少女――頭には山羊のような角を生やし、動物の頭骨を模した髪飾りで一纏めにした髪を後頭部から馬の尻尾のように生やし、顔には自身に裏打ちされた不敵な笑み。肉球の付いた灰色の毛で覆われた手を持ち、薄い胸と薄い尻の大事な部分だけを隠す布を身に纏い、蹄足で大地を踏みしめている。しかしそんな外見的な特徴よりも、その体から発せられる言いようの無い威圧感と圧倒的な魔力こそが、彼女の代名詞であろう。
そうこの彼女こそがこのサバトを統べる長であり、魔物の中でも最も魔法に秀でた種族であるバフォメットの中でも選りすぐられた猛者である、メルノール・ファウンホーフその人だった。
「気を悪くしたのなら、謝ろう。だが此方はただの人だ、身を守らねば成らない」
「魔女とその伴侶を相手に大立ち回りを演じ、一方的に打ち据えた人物が唯の人とは片腹痛い。どこぞの勇者じゃ御主は」
「もう一度言う。俺はただの人だ。神の加護は得ていない」
そのシェイドの言葉にメルノールは暫しその真偽を考えていたようだったが、勇者と対峙した時に感じる世界に守られているかのような違和感をシェイドからは受け取る事が無いため、シェイドの言葉を真実だと受け取ると共に、それはそれで凄い事だとメルノールは感じていた。
ただの人の身――斬られれば死に、病気になれば死に、老いれば死に、空腹になれば死に、水が無ければ死ぬという死に易い体で魔女よりも強い魔力を手に入れ、指が折れれば動きが鈍り、腕が折れれば攻撃手段が半減し、足が折れれば動く事すらままならないその体で、猛者ぞろいの魔女の伴侶に対して体術で圧倒する術を身に着けたシェイドに対し、メルノールは尊敬の念さえ覚えるほどの感心を感じていた。
「何をしにここに来たのじゃ、人よ」
そのメルノールの口調には、どこか敬いの情のようなものをシェイドに感じているような雰囲気が混ざっていた。
「約束を、果たしに――メルノール、貴女を討ち果たしにきた」
だがシェイドのそう告げた言葉にメルノールの彼への情は消え去り、代わりに敵に向かう突き刺すほどの敵意を向けてきた。それは神の補助の無い脆弱な人の体で、自他共に認める魔法使いの最高峰であり最終地点であるバフォメットに対して、人の魔法使いが魔法勝負で勝てると思い上がっているという事実に対しての、純粋的な怒りの感情だった。
だがそれが魔女を圧倒してまだ余力を残しているシェイドの力量へと、メルノールの意識が移ることにさほど時間が掛からなかった。
「それは人の身としては過ぎた願い――が、特別に相手をしてやるのじゃ。付いて参れ」
そうシェイドに言い放ったメルノールは、自分の実力の一片を見せるかのように腕を振るうと、何時の間にやらその腕の中にはシェイドの後ろにある廊下の床石に突き刺さっていたはずの大鎌が握られていた。
魔力行使の片鱗さえも見えないその早業に、シェイドは外套の中で人知れず冷や汗をかいていた。




メルノールに案内されたのは古城の中庭――といっても、普通の家屋なら四軒ほど建てられるほどの広い荒れた広場だった。
「此処ならば存分に力を振るう事が出来るじゃろ。我も、お主も」
「シェイドだ。俺の名は」
メルノールの言葉を杖の一振りで打ち払ったシェイドは、そのまま杖を構えて臨戦態勢へと移行する。
そんなシェイドの行動に暫し面食らっていた様子のメルノールだったが、何かに思い至ったようで口の中だけでくつくつと笑う。
「決闘の作法にある名乗りのつもりかの?古風じゃな。まあ良い……我が名はメルノール・ファウンホーフ、このサバトを束ねる古から覇を称える魔獣であり、深遠なる知識をも操る魔物である。さぁ人よ、見事我を討ち果たしてみよ!」
大鎌を一振りして古の時代――前魔王の時代に勇者に対しする前口上をシェイドに放ち、それによって会戦の合図とした。
広場の周りにはサバト所属の魔女全員で建物を保護する障壁と、戦闘によって巻き起こる音で周りにサバトの存在を悟られないように防音の呪文が紡がれ、さながらミサで聖歌隊が合唱しているかのような荘厳な様相を広場に産み落とす。
そして魔女の魔法が完成するのを合図に、シェイドとメルノールはお互いに得物を向け合い、そして古代語の呪文を紡いでいく。
『空に浮ぶ太陽よ、その身を焦がす焔を我が手元に貸し与えたまえ』
『夜よりも深き漆黒の闇、我に使われる事を嬉しく思うのじゃ』
二人が紡ぎ始めたのは、対戦の初っ端であるのにもかかわらず、勝負を決めるかのような同じ大魔法に分類されるものだったが、二人の魔法の紡ぎ方は正反対だった。シェイドは持ち前の織り機のような緻密で精巧な魔力運用で最小魔力で最大効力を得る方法に対し、メルノールの方法は持ち前の強大な魔力で無理やり魔法の破綻や綻びを埋めるという魔物らしい強引なもの。
『俺の思うものを焼き尽くし、俺の望むものを塵と化し、敵の希望を溶かす光を杖に灯らせて欲しい』
『さぁ闇よ、我が敵を噛み砕き、丸呑みし、胃で溶かせ。再度言う、噛み砕き、丸呑みし、胃で溶かせ』
二人のこの違いは多少の魔力差ならば――人間同士ならばシェイドの勝ちで決定するような違いだが、事が対バフォメットになるとそうも行かない。
破綻するならばそれ以上に魔力で補強し、理論の綻びを繕うのは魔力の糸でなく魔法の当て布、威力が足りないのならば追加詠唱で底上げをする。それが強大な魔力を持つバフォメットの強み。それは人の限られた魔力では出来ない芸当。
『さあ放たれよ、真珠色の淡光を!』
『殺到せよ、全てを包んで引きずり込むのじゃ!』
シェイドの杖の先から目を潰さんばかりに放たれた光と熱に、メルノールの鎌の刃から振るわれ出でた闇と冷が絡み合う。広場の中央にあった壊れた噴水が一瞬にして蒸発して溶け、二人の魔法の余波に堅牢なはずの魔法障壁の掛けられた古城が身震いする。
同じ大魔法であった両者だったが、軍配が上がったのはメルノールの方。最初は拮抗していたものの、やがてじりじりと闇が光を飲み込み始めると、後はその侵食の速度が加速する一方だった。
『抱きかかえて飛び上がれ、空の遥か彼方まで』
シェイドの追加詠唱による防御魔法。それを見て聞いたメルノールには笑みが浮ぶ。
『我が鎌に集まれ闇の残滓』
メルノールの詠唱は追加ではなく、新たな攻撃呪文。それに答えるかのように振り上げられた大鎌の刃は黒く染まり、主の命令を待つ狩猟犬のように静かに佇んでいる。
自分の魔法選択に失敗した事を理解したシェイドだったが、もうすでに遅い。シェイドの魔法は彼が追加で命令したとおりに、メルノールの魔法を引きずり上げるかのように空へと上ろうとしていた。そして新たな魔法を詠唱する時間は無い。
「それでは、打ち出すとするのじゃ」
勢い良く振り下ろされたメルノールの鎌の刃から、ツバメのように黒い刃線がシェイドに向かって突き進む。
『天楼壁!』
「そんな簡略詠唱の魔法で我が魔法が止められるかのう?」
咄嗟に障壁を張ったシェイドにメルノールが笑いかける。矮小な存在の無駄な努力をあざ笑うかのように。
そしてメルノールの笑みに答えるかのように、シェイドの咄嗟に張った防壁を易々と突破した黒刃は彼の外套を袈裟に裂き、シェイドを後方へと吹き飛ばした。
「ぐぅ……」
後方へ一回転して体勢を起こしたシェイドは、斬られた場所に手を当てながら杖をメルノールに向ける。体に当てた手の端から地面に何かが落ち、日の光がそれに反射した。
「魔法護符(アミュレット)じゃなそれは。ふふっ、中々に古風な男なのじゃな御主は。実に面白い」
地面に在るのは砕けた金属。それは身に着けた者の災いを吸収し砕け散る護符を、魔法を吸収して砕ける様に改造した物――今では余り見かけない類の防具だった。それをシェイドは二十用意し、外套で隠した体のあちら此方に分散させて配置している。
それでもメルノールにとってはお遊び程度の黒刃で、シェイドの身に着けた中で五つの魔法護符は砕けて砂と化して地面の上に落ちてしまっていた。
「外套で隠し存在を悟られない様にするのは良い作戦じゃったが、たったそれっぽっちの護符で、我に対抗する手段が見つかるとは思わぬ方が良いぞ」
「それでも俺は人間らしく、諦念を捨て、勝ちを拾う事に、砕身する」
隠していた魔法護符を見つけられたからか、シェイドは袈裟に切り裂かれた外套を手で跳ね上げ、次いで顔を覆っていたフードも外す。すると現れたのは骨太の体には引き締まった筋肉を纏い、人生に苦難を重ねたもの特有の渋みが走っている顔だった。
しかしながらメルノールの目を引いたのは、そのシェイドの人間的な特徴ではなく、彼が体に巻いている皮ベルトに括られ、硝子の管に入れられた極彩色の粉。
「賢者の石――否、そこまで上等なものではなさそうじゃが……」
しかしながら賢者の石の様に、術者の魔力を補強する類のモノだと予測したメルノールは、先ほどの様な大魔法による力比べをする事を忌避する。もしもメルノールの予想通りにあの粉が賢者の石に類するものならば、シェイドの体に括られている全ての粉で魔力を補強された場合、メルノールの方が打ち負ける可能性が飛躍的に増大するからだ。
「本当に御主は古風な奴じゃ。それも前魔王の時代の英雄のような」
「褒められても、魔法しか出せん」
メルノールの言葉を冗談だと受け取ったのか、シェイドはそう返答をするとベルトに括られた硝子管を一本取り出して、そのコルク蓋を片手で開けた。
「もろもろ用意した御主には悪いが、我がそれを使わせると思うのか?」
手に握った大鎌を振るって打ち出したのは、呪文詠唱なしの単純な魔力塊――しかしそれ一つ一つがオークの大槌よりも破壊力を秘めた威力を持つのが、それこそ雨霰とシェイドに降り注ぐ。
これには流石のシェイドも驚いたのか、手に持っていた硝子管を手放してまで、咄嗟にその場から広場の端へと向けて走り始める。地面に落ちた硝子管は粉々に砕け散り、折角の極彩色の粉も護符の砂共々地面に撒き散らされる。
「どうしたのじゃ、まだまだ御代わりはたくさんあるのじゃよ?」
メルノールが大鎌を翻すたびに生み出される魔力の飛礫は、大多数が地面に触れて爆発を巻き起こしているが時折シェイドに掠り、その魔力を吸った魔法護符が粉となって地面に降り注ぐ。
右へ左へとメルノールの予想を外すように動き、どうにかこうにか避け続けていたシェイドだったが、ここは大きな古城の中庭。このままではやがて魔女たちが障壁を張っている壁へと突き当たり、逃げ場を失うのは明白。
「さぁどうするのじゃ、古風な魔法使い殿。このままでは、悪いバフォメットの餌食になってしまうぞ?」
シェイドの退路を確実に奪いながら、どんどんと壁へと追い詰めていく。
『雷蛇の舌よ、彼の者の頬を舐めてくれ』
もうすぐ目の前が壁と言う段になって、ようやくシェイドがメルノールに向かって呪文を紡いだ。そんな破れかぶれとも取れるその反撃は、しかし逃げ回っているために狙いがそれたのか、シェイドの雷の光はメルノールの横にあった大きめな岩を砕くだけに留まった。
「もう逃げ場は無いぞ、人間」
チェックメイトの構図を得たメルノールはゾッとするほどの冷たい声色を放ち、シェイドに向かって今までで一番多くの魔力塊を作り出し、それを夕立の豪雨であるかのようにシェイドに向かって放つ。突き刺さった魔力は炸裂して轟々と音を立て、爆裂した地面が黒々とした砂煙を辺りに生み出した。
これはもうシェイドの命は無いかもしれないと、観戦していた魔女とその配偶者の誰もが思う中、メルノールだけが一つ高い場所へ目を向けていた。
「『壁歩き』……今では魔法使いどころか、盗賊すら学んでいるものは居らぬその魔法を使うとは、盲点じゃった」
城の壁の上、そこにメルノールの放った全ての魔力塊を避けて退けたシェイドが立っていた。しかし防御に使用したのか、体にあった魔力護符の数が十三に減り、硝子管も数本無くなっていた。
「使える魔法(モノ)は、全て使う。そうしなければ、メルノールには届かない。そう、だろう?」
「本当に、御主は我を楽しませてくれるのぅ」
本当に楽しそうに三日月型に引き裂かれたかのような笑みを浮かべたメルノールは、大鎌の具合を確かめる様に両手で体の周りを旋回させた後で腰溜めに構えた。そして身体強化の魔力がメルノールの体を眩しく包み込む。
どうやらシェイドを魔力合戦だけでは仕留められないと思ったのか、メルノールは明らかに肉弾戦をも考慮に含めた手を見せていた。
それを見たシェイドの表情がより一層硬くなる。それは魔法の打ち合いだけでも遅れを取る相手だと言うのに、それに体術の攻防が加わるとなれば、これはもう種族的に優位に立つメルノールの独壇場に成り得ると理解したためだろう。
「確りと防御するのじゃぞ。でなければ、真っ二つじゃ!」
「ぐぅッ……!!」
十メートルは離れていたはずのメルノールが、突然目の前に現れて大鎌を振り下ろそうとするのを察知したシェイドは、手に持った杖で大鎌をいなしつつ壁歩きの魔法を打ち切り、地面に向けて急降下を始める。シェイドという得物を逃したメルノールの鎌は、魔法障壁で守られているはずの壁に易々と突き刺さり、メルノールを中空へと縫いとめた。
『古の巨人よ、満たせ満たせ……』
これは好機だと判断したシェイドは自分の体に強化の魔法を掛けようとし、そしてありえないものを見る。メルノールの鎌が石壁が薄布であるかのように、刺さった場所からするすると地上へと向けて切り裂き始めたのだ。
『比類なき膂力と、堅牢な筋肉を、俺の体に!』
地面に降り立ったメルノールが大地を蹴りシェイドを袈裟斬りにしようとするのと、シェイドが強化の魔法を掛け終わり迎撃するのは同時だった。
がっちりと噛み合わさったメルノールの鎌とシェイドの金属製の杖。その二つの間に挟まれた魔力の煌きが軋みを上げ、雷光のような光を回りに放ち、飛礫が壁に当たるような音を発して、二人の鍔迫り合いに華を添える。
「鎌ばかりに気を取られて良いのかな?」
そのメルノールの余裕な声にはっとなったシェイドは、彼女の獣の手に魔力の光が握られているのに遅まきながらに気が付いた。
『吹き飛べ下郎』
『盾よ、顕現せッ……』
メルノールが選択したのは暴風の魔法。それが防御魔法が発動する前に腹に直撃したシェイドは、誰かに引っ張られるかのように後方へと吹き飛ぶと、地面の上を五回転した後にうつ伏せに倒れてしまう。
「これで終わりじゃな。まぁ人間にしてみれば良くやった、」
「まだだ……」
上体を起こしたシェイドの体から零れ落ちるのは、役目を終えた七つの魔法護符が変じた砂と、体に巻かれた硝子管が砕けて漏れ出した極彩色の粉、そして口からは護符で防御しきれ無かった魔法の衝撃による吐血。
すでに満身創痍のその状況でも戦意を失わないシェイドに、最近では余り見なくなった骨のある奴だと溜息混じりに感嘆するメルノール。
「御主ほどの腕ならば、サバトの魔女どもも喜んで兄として受け入れよう。まぁ、我の兄上に成りたいと言うのならば、いま少し実力が足らないので諦めてもらう他は無いのじゃが」
「それは、御免被る」
シェイドはどこかこうなる展開を見通していたのか、杖に縋りついて立ち上がったというのに、その顔には笑みが浮んでいた。
その笑みを訝しげに見ていたメルノールだったが、次にシェイドの口から出てきた呪文に、その顔色が青ざめた。
『出でよ、異でよ、イデよ。汝は封じられた獣、禁じられた力、沈められた知識……』
「その出だしは、まさか!?」
それは勇者を居る街諸共に殲滅するために生まれた古の破滅の魔法。全てを消すためだけに前魔王の時代に生み出され、現魔王によって徹底的に秘匿され、人で知る者が居ないはずの禁じられた遺物。
それをシェイドが知っているというだけでも驚きだが、本来ならば魔法使い数十人で分担しなければ発動する事すら出来ないその魔法を、シェイドが放つ魔力の放出とあの極彩色の粉で魔力を底上げするのならば、それこそ話にしか聞いたこと無いその魔法であろうと、一度だけ発動する事が可能になるだろう事をメルノールには予想する事が出来た。
『奈落の底の焔、暗き海底の水、遥か彼方の風、未踏地の土……』
「止めるのじゃ!」
もしそれをこの場に向けて放てば、サバトの全員どころか放ったシェイドごとこの世から消し飛ぶであろうその呪文。
それを完成させてはならないと、メルノールは手から魔力の塊を放ちながらシェイドに突進する。
シェイドの体に魔力の固まりが当たり、バキリと護符が砕ける。残った魔法護符の残りは五つ。
『合わされ、混ざれ、在りし日のあの姿へと……』
「諸共に死ぬつもりか!」
意識を失わせようとしたのか、メルノールは魔力を含んだ獣の手でシェイドの頬を打ち据えるが、強化の魔法を掛けたシェイドを昏倒させるには至らない。
護符と共にシェイドの奥歯が砕け、口の中に血が溢れる。残り四つ。
『其は神を生み出す混沌、其は魔を生み出す純真、其は明るい闇……』
ぐらりと体を揺らしながらも、口の端から血を滴らせて言葉を紡ぎ続けるシェイドに、いい知れない怖さを感じたメルノールは、もう一度恐怖に駆られてシェイドを殴りつける。
こめかみに打撃を喰らい、意識が半ば混濁しようともシェイドの呪文は止まらない。残り三つ。
『さぁ、現れ出でよ。汝の名前はッ!』
「やらせるか!」
人を殺そうとはしないという今の魔王が作った魔物娘の性など、創造された瞬間に根底に刻まれる生存本能の前に打ち消え去り、メルノールはシェイドを殺すつもりで編み上げた魔力がシェイドの腹に突き刺さり、胃から逆流した血反吐を吐いてシェイドはその場に倒れこんだ。残っていた全ての護符は砕けて砂となる。
シェイドが地面に倒れるのと同時に、その体から放たれていた魔力も消え去り、呪文を再度紡ぐにはシェイドの体から感じられる魔力の残りは余りにも少ない。
「放出されていた魔力も消失しおったし、これで一安心じゃな……」
「安心するのは、まだ早い」
肩の力をメルノールが抜いた瞬間、足元に倒れていたシェイドの外套が翻り、メルノールを包み上げる。
突然の事態にあっけに取られるメルノールの手から、起き上がったシェイドが大鎌を蹴り飛ばすと、その場にメルノールを倒して、外套の四隅を呪文が刻まれたナイフで縫いとめた。
「外套のこの紋様……もしやジパングの封印術式!?」
「油断、大敵だな。メルノール」
口から流れる血を袖で拭いつつ、そう見下げて言い放つシェイド。しかしメルノールは冷静を取り戻すと、意味深にシェイドに笑い返す。
「確かにジパングのこの術式、解くには時間が掛かる……じゃが御主の残りの魔力で、我が封じ込めると思わない事じゃ!」
メルノールの体から魔力が奔流となって流れ出る。どうやら無理やり術式に魔力を送り込んで、術式破綻を起こさせる気のようだ。
しかしシェイドはそんなメルノールの様子を見た後、懐に一本だけ残っていたあの極彩色の粉が入った硝子管を取り出しコルク栓を抜くと、中身を砕けて砂となった護符へと振り掛け始めた。
「そんな思い上がりは、していない。そして、俺の魔力が十全だとしても、その外套だけで、メルノールを封じられるとも、思っていない」
独白するようなそんなシェイドの態度は、チェスで投了を確信する棋士の用であり、決められた運命を読み解く星読み師の様でもあった。
だがメルノールはその言葉に耳を傾ける事無く外套へと魔力を注ぎ続け、程なくして右足を拘束していた外套が弾けて自由になった。
「だらか俺は考えた。メルノール、君自身で君を封じてもらおうと」
空になった硝子管を砂の上に落とすと、それをシェイドは杖で砕いて混ぜる。外套が弾けてメルノールの右腕が自由になる。
「これが俺の、最後の一手――『風と戯れる幼子よ、俺の思い描く図式を、この場に描いておくれ』」
シェイドの呪文が完成し一陣の風が二人の間を駆け巡るのと、メルノールが右腕に鎌を呼び出しシェイドに向かって斬り上げるのは同時。
しかし鎌はシェイドの喉元数ミリの距離を残して止まる。それはメルノールの体を、地面から光り輝く鎖が現れ出でて、一分の隙も無いほどに地面に縫い付けてしまったためだった。
そしてその鎖はメルノールの下――何時の間にか描かれていた、メルノールを中心として、広場の四分の一を占領するほどに大きい魔方陣に繋がっている。
「何時の間に巨大な魔方陣を――いや、どうやってこれほどの魔力を得たのじゃ?」
悔しげに呟くメルノールの疑問もいたし方の無いこと。
この魔方陣に込められているのは、明らかにシェイドの持ちえるモノを超え、それこそメルノールに匹敵するほどのものだったからだ。
「さて、俺が教えるとでも?」
敵に決め手を漏らす馬鹿は居ないだろうと言いたげなシェイドの態度に、メルノールは唇を噛み締める。
そしてふとメルノールの目に魔方陣を描いている線が目に入る。それは大半の金属の砂に光を照り返す硝子と少量の極彩色の粉が混ざったもの。
それを見たメルノールの脳は、するすると状況を理解していく。魔法で打ち砕かれる魔方陣を描くのに邪魔になる物体、護符が変じた金属の砂、いつの間にか減っていた極彩色の粉。
「もしや、あの管に入っていた粉は賢者の石などではなく、魔法護符の砂を意のままに操るためのモノじゃったのか!?」
メルノールの予想通りにシェイドのこの魔方陣の要は、シェイドの意思に反応する極彩色の粉で砕けた魔法護符――たっぷりとメルノールの魔力を吸い溜め込んだ触媒を操る事。
あえてメルノールの絨毯爆撃のような魔法の中でも、シェイドがむやみやたらと反撃しなかったのは、魔法護符にメルノールの魔力を吸収させるためと、砕けて出来た護符の砂に極彩色の粉を混ぜることを感づかせないためでもあったのだ。
もしかしたらあの殲滅魔法は、メルノールが肉弾戦に移行したために魔法攻撃の頻度が下がると予想したシェイドの、命を賭けたハッタリだったのかもしれない。
「流石はメルノール、ご明察だ。それでこれが、どういうことか、判るよな?」
「我のチェックメイトと云うことじゃな……」
この魔方陣はメルノールの魔力で起動した魔法――つまりはメルノールがいま現在体から生み出している魔力すらも動力源に、メルノール自身を縛り付ける鎖を出現する魔法。
そしてこれ程に綿密に組まれた魔方陣では、魔力を注ぎ込んで破綻させる手も使えず、もうメルノールには手段が無いと判断し、鎌を手離して一切の抵抗を止める。もうメルノールの生殺与奪の権利はシェイドの手に握られているのも同然だからだった。
「では、あの日の約束を、果たさせてもらおう」
メルノールに歩み寄りながら、シェイドは懐から何かを取り出し、そして無造作にメルノールの真っ平な胸の上に置いた。
それは短剣でも呪いの石像でもなく、ただの所々欠けてくすんだ色をした獣の骨を象った髪留め――古ぼけてはいるが、メルノールの後ろ髪を馬の尻尾の形にまとめているのとまったく同じものだった。
「あとは、これだ」
困惑するメルノールの額に掛かった髪をかき上げ、シェイドは静かに口付けをした。触れるだけの、挨拶のような口付けを。
てっきり命を奪われると思っていたメルノールは、シェイドのその行為に目を白黒させていたが、胸に置かれた髪留めと額への口付けで喚起された、遠き昔に交わしたとある約束を思い出した。
「……もしや、あの時助けた小僧か御主?」
「『我を倒せるほど強くなり、髪留めを返しに来い』という、メルノールとの約束は果たした。これで俺の用件は済んだ。さらばだ」
重傷を負った腹に手を当てて何処か痛がりながらも、もう用は無いとばかりに歩みを止めず、この場を後にしようとするシェイド。
「何処に行く。ちょっと待たぬか!」
ギッタンバッタンと体を捩りながら封印を解こうとするも、がっちりと封印術式で地面に縫い付けられたメルノールの体は自由になることは無く、そしてシェイドも歩みを止めようとはしない。
そして遠巻きに見ていた魔女やその伴侶は、バフォメットであるメルノールを倒したシェイドに萎縮しているのか、シェイドを押し留めようとする者はおろか、メルノールの封印を解く手伝いをしようとする者も現れない。
「いつか必ず御主――シェイドを見つけて、下僕(兄上)にしてやるのじゃ!いいか、覚えておれ!!」
体は自由にならずとも声は出せると、喉が堪えられる限りに叫んだメルノールの声が届いたのか、シェイドは歩みを止めてメルノールに振り返った。
「その約束が、果たされるのを、楽しみにしている」
そう微笑しながらメルノールに告げたシェイドは、もう振り返る事も無くそのままこの古城を後にし、何処かへと消えていった。



この戦いの数年後、親魔物領や反魔物領に問わず、とある噂が流れる。
バフォメットと男の二人連れが諸国を旅し、方々で人の手助けをしていると。
それはこの二人の事なのか、それともそうではないのか。
其れを確認できたものは、いまだ誰も居ない。




11/10/06 20:48更新 / 中文字

■作者メッセージ
はい、というわけで、前回予告したとおりにテーマは『最強主人公(人間)』でございます。
いかがだったでしょうか?

本当はもっと強い主人公で書いてもいいかなと思いましたが、書いていてまったく面白くなかったので、こんな風になりました。

ちなみに『最強主人公(勇者)』『最強主人公(インキュバス)』は世界観から察するに、魔王の夫で確定しているので、あくまでも『僕の考えた最強主人公(人間)』であります。

次は、皆様が白蛇さんに現を抜かしている間を利用して、あんまりSSを書かれていない青鬼さんにスポットを当ててみようかと思います。甘エロかなぁ?

そいでは中文字でした!

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