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餓竜再び .14

「・・・ラスティ、エル、大丈夫だったか」
傍らに二人が居る事を確認して、深く安堵のため息をつく。
それだけで事態が良い状況にある事をレオンは察した。
襲撃から三日目の朝。リッチの見立ての通りにレオンは無事に目を覚ましたのである。

「・・・まあ、大丈夫だね」
一通りレオンの診察を終えたリッチは、相も変わらないフラットな口調でそう告げた。
「ただし、しばらくは安静にね」
わざわざ一言付け加えたのは、レオンの頬や首筋がキスマークだらけだったからである。
騒ぎを聞き付けたリッチが二人を止めたので、とりあえずキスだけで終わったのだが。
「気持ちは分かるけど、病み上がりに襲うのは彼の身体に良くないから」
そう傍らの二人に釘を刺して、リッチは部屋を出ていった。

「すまない・・・あたしが腑甲斐無いばっかりに、酷い目に会わせちまったね」
一連の事態の責任を感じ続けていたピーニャは、レオンが無事であった事に心底安堵していた。
「いえ・・・俺の方も侮りすぎてましたから。俺こそ護衛失格でした」
結果的には無事で済んだものの、自分がラスティとエルを守りきれなかった事は、レオンにとって痛恨の失策であった。
「ラスティ、エル、すまなかっ・・・」
ボフッ!
レオンの言葉とほとんど同時に、鈍くて柔らかい音を立ててレオンの顔に枕が押し付けられる。
「あたしとママが、レオンを助けるのは当たり前でしょ・・・」
レオンが枕を退かすと、普段見せない様な真面目な顔で、エルが枕の端を持っていた。
「・・・心配したんだから〜」
そう言ってエルは枕を落としてポロポロと涙をこぼすと、レオンの肩口にしがみついて泣き出してしまった。

傍らに座っていたラスティが、レオンの右手を静かに両手で包む。
そこにはナイフが刺さった傷痕が鮮やかに残っていた。
「レオンが倒れたとき分かったの〜・・・何もしないでレオンが傷付くのは嫌だって」
まるで傷痕を擦って消そうとする様に、レオンの右手を優しく擦る。
「・・・今度何かあったら、最初からレオンを守るからね〜?」
いつもののんびりとした口調だが、そこには守られるだけなのは絶対に嫌だという響きが含まれていた。
レオンの手を擦る武骨なラスティの手は、左の薬指だけ爪を欠いている。
レオンの服を掴んでいるエルの指も、同じ様に爪を欠いていた。
思えば、二人はずっとレオンの事を守ろうとしていてくれたのだ。
レオンは自分の右手を擦るラスティの手に、静かに左手を重ねた。
欠いた爪の跡を指先で撫でる。
「・・・分かった」
自分を守ってくれた者を抱き締める様に、レオンは爪を欠いた薬指を柔らかく握り締めた。



「彼等も早まった事をしてくれたものだ」
ファビエン・ギャバンは腹の底から憂鬱を吐き出すかの様に、深いため息を漏らした。
「まさか、ジュリアン・エイナウディをあの様に使うとはな」
その顔は騙されて苦い薬を飲まされた子供の様に、腹立たしい理不尽に耐えている。
「彼は単なる元勇者候補だったのではないのですか?」
「あのレスカティエから無事に教団へ帰ってきた。それだけでも万金に値する価値があるとは思えないかね?ツァイス伯」
この老人の嘆息が何処にあるかを、エミールはようやく理解した。

エミールの対面に座っているファビエン・ギャバンは、教団穏健派の幹部の一人である。
二人は同じ理想を共有していた訳ではなかったが、現状維持という目的が似ているという理由から、互いに信用できる共犯者といった関係を持っていた。
ツァイス国境近くの山腹にある料理店の美しい山々を望むテラス席で、二人は刺客による襲撃の一件について、極秘に意見を交わしていたのである。

「取り返しがつかない失敗に対して出来る事は、同じ失敗を繰り返さない事だけなのだよ。なればこそ、その場に居た人間の経験は万金を積んでも得られぬ貴重な財産なのだ」
ギャバンはレスカティエの敗北を深刻に受け止めていたからこそ、何の反省もなく無為に人材を消費した今回の結末には、大きな失望を隠せなかった。
これでは底が抜けた壷へ熱心に水を注いでいる様な物だと、ギャバンは考えていたのである。

「多くの勇者を抱えていたレスカティエが、なんの抵抗も出来ずに崩壊した時点で、既存戦略が破綻している事に教団も気付くべきなのだが・・・」
『偉大な俗物』などという、付けた側の屈折した評価が窺える渾名を持つ、この肥満した老人は、今の魔族に対して複雑な思いを持っていた。
力に依らない敵に対しては、相応の戦い方があるのではないか。
いかに不道徳な形とは言え、人と共に暮らす魔物たちを剣で追い散らす事自体、既に限界が来ているのではないかと、彼は考えていたのである。
とはいえ、どんな形であれ、それを教団内部で公言する訳にはいかない。
それだけでも命を落とすのには十分すぎる。
したがって、今現在のギャバンは教団の被害を軽減する事に全力を注いでいた。

「・・・守旧派をけしかけた私も彼等と同罪ですかな」
エミールは守旧派がボロを出す事を期待して、彼等を密かに扇動していたのである。
しかし、ギャバンはエミールの言葉に顔を振った。
「教団が彼を赦す事が出来なかった事こそが問題だったのだ。・・・それでも彼を止める事は出来なかっただろうが」
守旧派の言葉に乗ってしまったジュリアンの心境を思う度に、ギャバンは強い後悔の念に駆られるのだった。

「教団内部でも非難の声が強くなっているよ。いくら勇者になれなかった者とは言え、一部の派閥のごく私的な野心の為に若者を犠牲にするとは何事か、とね」
事件の存在自体は内々で処理されたものの、それだけに内部での非難は強かった。
特に穏健派は「それ見たことか」と言わんばかりに指弾を強めていた。
この一件において教団は失った物ばかりが多く、得られた物は皆無であったが故に、その損失に対しては厳しい視線が向けられる事となったのである。

「刺客の全員がドラゴニアの手に落ちた事で、守旧派の面子は丸潰れになっている。厚顔な彼等も当分は騒ぐ元気も無いだろうな」
それだけが憂鬱なギャバンが得たささやかな慰めであった。
それはつまり、ラスティとエルを帰還させる準備が整ったという事でもあった。



その日の酒場『酔鯨呑竜』は、ひときわ盛況を呈していた。
元々は内々で行うレオンの快気と三人の帰国を祝う席であったのだが、命懸けで二人のドラゴンゾンビを庇った男の快気祝いを放っておくほど遠慮深い住人は、近所に皆無だった為である。

『酔鯨呑竜』の主であるピーニャの計らいでタダ酒となった事で樽単位でエールが空き、その頃には話を聞き付けた竜騎士団員や、三人の話を聞きたがる吟遊詩人達までやって来ていた。
かくして『酔鯨呑竜』は、表にまで客がはみ出して宴会をしているという、なかなかの様相を呈していたのである。

「で、彼とは上手く行ってるわけ?」
飲み干した大きな陶器のジョッキをテーブルにドカッと置いて、ピーニャがイリーナの核心へと斬り込む。
「・・・上手く行ってるとかそういうのは無いですよ?練習に付き合ってもらってるだけですから」
屈託の無い真っ直ぐさが持ち味のイリーナにしては、明らかに歯切れが悪いのが全てを物語っている。
「魔物娘がそんな建前論を話してどうすんのよ」
レオンからエールをジョッキに注いでもらいながら、ピーニャが更に追い込む。
「・・・だって、あの事件の犯人の一人ですよ?そんなすぐに『好きです!一緒になりましょう』なんて言える訳ないじゃないですか!」
「将来的にはそう言いたい、と」
やっと白状したな、と言わんばかりの笑顔でピーニャがその言葉を受ける。

「別に俺達に気を使わなくてもいいんですよ?」
レオンがジョッキを置きながらイリーナに話しかける。
魔物娘の出会いが場所を選ばないのは、レオンが一番よく知っている事なので、相手が敵であった事には特に拘っていない。
「・・・私が気にするんです」
赤くなった顔をごまかす様に、イリーナは蒸溜酒が入ったグラスを空けた。

「レオンさんこそ二人と上手く行ってるんですか?」
タン!という小気味いい音を立てて、空けたグラスをヤケクソ気味にテーブルに叩き置きながら、イリーナが反撃に出る。
「・・・二人にどうやって感謝を伝えればいいのか分からなくて」
「なんですか、それ。情けない」
飲み干した自分のグラスへ雑に酒を注ぎながら、少し逆上気味にイリーナが応える。
「結婚首輪はそういう意味で贈るものじゃないし、何かないか探している内に今日になっちゃって・・・」
「レオン君」
「はい」
「減点10」
「・・・随分と大きな減点が来ましたね」
互いにジョッキを傾けながら、レオンはピーニャの言葉を受け止める。
「仕事でずっと魔物娘を観察してきたんだから、ラスティとエルが何をされたら一番嬉しいか、あたしが言わなくても分かるでしょ?」
「・・・そうですね」
確かに、ピーニャが言いたい事は、レオンも分かっていたのだ。

18/02/11 18:01更新 / ドグスター
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