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小さいって素晴らしい

「んん〜、ふあぁ。今日もよく寝た」
 大きく伸びをしてから手の甲の毛づくろいをする。
 遠くの空と砂漠の境が白く、明るくなって来ている。
 毛づくろいを済ませた手で目を擦り、また大あくびをする。
 砂漠の夜は昼に比べてとても冷え込む。
 吐く息は白く、肌が露出している部分はひやりと冷たい。
「マミーたちは今日も夜通しか。ホント、こっちの身にもなって欲しいもんだよ」
 街のあちこちで動く気配がする。
 マミーはアンデッド。死者の魔物。
「昼夜を問わずってのはいいけど。見張るほうの身にもなれっての」
 魔力不足で女性に襲い掛かっているマミーを見つけると尻尾で屋根を叩く。
 両手両足をそろえて跳躍の準備、そして屋根を蹴る。

 夜明けの空。
 始まりを告げる者がいる。
 終わりを告げる物がいる。
 守護者がいる。


「こぉらぁあああ! 私の安眠を返せぇえええ!」

 砂漠猫が怒りを込めた声を上げながらマミーに飛び掛った。

















「マミーって聞くとさ、あーうー言いながら歩いているってイメージ持っていない?」
 全身に包帯を巻きつけた女性が腰に手を当て目を細める。
 話の相手は旅の行商人。
 もちろん若い男性だ。
「違うんですか?」
「違うわよ。そりゃ、私だってこうなる前はそう思っていたけどさ」
「では、彼女達はどうなんでしょう」
 行商人が視線を向けた先には、ちょうどマミーが男性に襲い掛かっていた。
「あー、うー」
「ひぃいぃい! 許してくれ! 俺にはまだ、獣っ子萌えという壮大な夢が、あひぃぃぃ!」
「あー、うー」
 男性を仰向けに押し倒して騎上位で腰を振っているマミー。
 ぼぅとした顔に感情は浮かんでいない。
 口から漏れる言葉も意味をなさず、音として響くだけ。
「……お腹が空いていたら頭が回らないでしょ? そういうもんよ」
「なるほど。そして私は何故押し倒されているんでしょう」
 気づけば行商人は砂地に押し倒されてしまっている。
 包帯が巻きつけられた掌でマミーが彼の頬を摩る。
「ふふ、どう? 気持ちいいでしょ。アラクネの糸を使った最高級の包帯だよ」
「はい。ところで、私は今日中にここを発たないと大変なのですよ」
「ここにずっと住めばいいじゃない。ほぉら、どう? どう?」
 絹よりも滑らかな包帯が肌を滑る。
 彼が来ている衣服の生地とは比べ物にならないほど柔らかく、巻きつけた包帯の厚みもあって女性の肌のようにさえ感じられる。
 頬や鎖骨を撫でられながら服を脱がされる。
「いい匂いがするでしょ。アラクネの糸はあま〜い匂いがするんだよ。匂い、嗅いでみる?」
「いえ、遠慮します」
 言いながらも行商人の目は蕩けてきている。
 包帯の甘い匂いと路上で襲われているという背徳感が彼の思考を麻痺させていく。
 しゅるしゅるとマミーが包帯を解いて、行商人の腕や首に包帯を絡める。
 特に腕には熱心に包帯を巻きつけていく。
「どう? 私の体」
 包帯を行商人に巻きつけるということは、マミーの包帯が減るという事。
 ショートボブの髪も、円弧を描く頬の紋様も。
 細い肩も、柔らかそうな二の腕も。
 包帯を解けば解くほど肌は露出されていく。
 柔らかそうな女性特有の体つき。
 マミーがキスをする度に行商人は声を漏らす。
「声上げていいんだよ? 私もそのほうが興奮するし」
 マミーの妖艶な笑みに行商人は唾を飲み込んだ。

 マミーが誰かと絡んでいる光景はどこでも見かけることが出来る。
 幼い少年のフェラをしているマミーも、自分と相手を包帯で巻きつけて座位で絡みつくマミーもいる。
 頻繁に男性を襲っているマミーだが、男性の精以外のものも食べる。
 魔界や他の魔物との交流が生まれてからはなおの事。
 それでも男性に襲い掛かる、男性とえっちしたがるマミーは後を絶えない。
 例えばこの少年とマミーの場合もその一つ。
 羞恥心も程ほどに少年はマミーのフェラに感じ入っている。

「ふぁぁ、また出ちゃうよぉ!」
「んふ、ふぁひへひいよ(うん、出していいよ)」
 硬くて小さいおちんちんを根元まで咥え込んで勢い良く吸い付く。
 技術も何もない力任せのバキュームフェラだったんだけど、でもその子はちゃんと感じてくれて、すぐに温かい精液が口いっぱいに広がった。
 管の中に残っている精液も吸い切ると、射精の脱力感に浸っている彼を抱き寄せる。
「買い物に行こうっか」
「うん」
 手を差し出すと喜んで手を繋いでくる。
 包帯のない掌で少年の柔らかさや温かさを感じ取る。
 小さな彼のひたむきな思いまで伝わってくるようで、うれしくて、気恥ずかしくて、少しだけ力を込めて手を握り返す。
「こんにちは。今日もお熱いわね」
「今日も元気にやってたわね、こーのショタコン娘!」
「こら。怒るよ?」
「あはは」
 馴染みのマミー達と挨拶を交わす。
 今でもちょっとだけこの年の差カップルに抵抗がある。
 魔物にとっては年の差なんて関係ない。
 親子でも関係ないって位だから、そもそも人間とは価値観が違うんだ。
「ねぇ、今日は何を買うの?」
 私の小さなパートナーはいつでも元気で、今日も好奇心いっぱいのくりくりと可愛らしい茶色の瞳で見つめてくる。
 朝昼晩と私の相手が出来るんだから、そっちの方も凄い元気なんだよね。
 もう少し慣れてきたら、今度は私が上に乗って、ああ、だめ、この子は小さいから乗ったら可哀想かな、それなら最初はちゃんとした体位で、ああでも後ろからってのも楽しみなんだよね。
「ねぇ、ねぇったら」
「どうかしたの?」
「あ、おねーさんこんにちは! あの、実は」
「わかってるって。まーたこの馬鹿娘は妄想の空に旅立っちゃってるんだよね。ほら、ジュースを飲みなって」
「ありがとう!」
 やだ、この子いつのまにそんなテクニックを覚えたのかしら、ああもう男の子って本当に成長が早いんだから、でもやっぱり私がお姉さんなんだからちゃんとリードしてあげないと。
「おう坊主! 相変わらずお姉さま方に人気でうらやましい限りだぜ」
「おじさんこんにちわ!」
「おう。あと、おれはおにーさんって言ってくれ」
 包帯フェチなのかな、ああでもそれならカラフルな包帯もいいかなって、え、白がいいって、ああ、こら、またぶっかけちゃって、ほんとうに君はかけるのが好きなんだから。
「今日もこの区画は異常なし!」
「あ、イリスちゃんこんにちわー」
「ああ、今日は。マミーと散歩か?」
「うん」
「しかし目が空ろで焦点が合っていないが大丈夫なのか?」
「うん。いつもの事なんだ」
「パートナーが一緒にいるなら問題はないな。うん、異常なし!」
「いじょうなし!」
「それではまたな」
「うん!」
「きゃぁああああ! だめ、そんなのだめぇえええええ!!」
「っっ!?」
「それは幾らなんでも無理! 無理よ!」
「ど、どうしたのだ!?」
「あー、おねーちゃん、しっかりして、ほら、僕はここだよ」
「ごめんなさい、私さすがにそれは……あれ?」
 ハタと気づくと私はいつもの街並みに立っていた。
 私を心配そうに見つめる可愛いパートナーと、私を怯えながら凝視しているアヌビスの女の子、そして「ああまたやったか」と温かい眼差しを向けている周辺の人たち。
「おまえ、なにか不味い病気でもあるのか? なんなら母様に相談してみるか?」
「あ、あの、えっと」
「おねがいします! ほら、おねーちゃんも」
「え、あ、ちょっ!?」
「さ、いこうよっ」
「う、うむ。ではついてくるがよい」
「あ、あの、私はまだ決めてな、ちょ、みんなどうして生暖かい視線なのー!?」
「これもマミー管理の為。これもマミー管理の為」
「ねぇ、この子ぶつぶつさっきから怖いんだけど!?」
「だいじょぶだよー。イリスちゃんはちょっと独り言が多いだけだから」
「なんで平然としてるの!?」
「なれてるから」
 妙に押しの強いパートナーに導かれるまま、私はイリスという女の子についていくのだった。 


「うむ。病気だな。不治の病ではないから訓練次第では治せる」
「ほんとう?」
「うむ。ただし根治は難しいと言わざるをえない。なにぶんこの手の病は個性の一種だ。気の長い治療になるが」
「だいじょうぶ! 僕が治してみせるから!」
「うむ、その意気や良し」
 何か大人のアヌビス(ナーリスというらしい)と彼が意気投合してる。
 私は蚊帳の外。
 というか私の病気って何?
「さて、ミマとか言ったな」
「あ、はい。何でしょう」
「パートナーの少年と共にしっかりと病を治すのだぞ」
「あのー」
「何だ」
「病って?」
「妄想癖だ」
 うわ、何それ!?
 この人突然何を言い出すんだろう。
「詳しい事は省く。後は他のマミーたちに聞くが良い」
「がんばろうね、おねーちゃん」
「う、うん」
 頑張れって言われても何を頑張るんだろう。
「それじゃイリスちゃん、またねー」
「うん。また学校で会おう」

「ところでさ。あのアヌビスの女の子、知ってるの?」
「うん。学校でよく見かけるよ」
「ふぅん。仲いいんだ?」
「うん!」
 うわぁすごいいい返事。
 この子、意外ともてるのかな。
「でもイリスちゃんっていっつも怒ってるみたいな顔をしてるから、あんまり話したことないんだ」
「あー、わかる気がする」
 真面目な子って嫌われているわけじゃないけど、とっつきにくいからね。
 私が頷くと、元気に頷き返してきた。
 この笑顔があれば私はご飯3倍食べられる。
「ねぇ。今日のご飯は何にする?」
「んー、そうだね。ヤックルは何がいい?」
「僕はねー、ライスが食べたい!」
「ライス? ああ、あの白いヤツね」
「あれでカレー食べたい!」
「うんと甘いやつ?」
「うん!」
「やれやれ。この砂漠のど真ん中じゃ随分と贅沢だね」
「だってー、好きだもん」
「はいはい。それじゃあ帰りにアップルフルーツでも買って帰ろうか」
「うん!」



 好かれている自信はあったのに。
 両思いだと思っていたのに。
 どうして私を選んでくれなかったのだろう。
 私を選んでくれたらよかったのに。
 どうして、どうして、どうして。
 あの女が悪いの?
 それなら、だったら、それでも、それなら。


「うぅっ!!」
「どうしたの? また病気?」
「いや違うよ。というか、またって、なに!?」
「気のせいだよ。どうしたの? 風邪でも引いちゃった?」
「それはないなぁ。私は風邪引いた事なんて一度もないし」
 風邪で寝込んだ友達の看病ならしたことがある。
 そういうと彼は納得したみたいに頷いた。
「わかるきがするなぁ」
「……何か含みのある言い方だね」
 じとーっと睨むけど効果なし。
 これだからお子様は、ああもう可愛いじゃない。
「気のせいだって。それじゃ、どうかしたの?」
「うーん。何かこう、ブルって来た」
「まだ夜じゃないのに変だね。何か思い当たる節はある?」
「思い当たる節が多すぎてわかんないや」
「それじゃわからないよ。何か無い?」
「むしろヤックルは何か無いの?」
「え、ぼく? う〜ん、やっぱりないよ」
「私もヤックルも見に覚えが無いなら、気のせいだね」
「おねーさんがそれでいいならいいけど」
 ヤックルが難しい顔をしているので、脇の下に手を差し込んでそのまま抱き上げる。
「うわわっ。ちょっと、恥ずかしいよぉ!」
「気にしないの。私は気にならないし」
 向かい合わせになる形でヤックルを抱きかかえる。
 街中でエッチをしてもあんまり恥ずかしがらないのに、抱っこで恥ずかしがるなんて変なの。
 離れようとヤックルが暴れるけど私の力には適わないし、恥ずかしそうな顔のヤックルも可愛いからこのまま見てよう、というかこのままシちゃってもいいよね?
「おねーさん?」
 どうせこの街はどこでしちゃってもいいんだし、むしろ見せ付けるほどじゃないと駄目だよね、うん、よししよう今しようすぐしよう、というかいましたいし!
「何だかいやな予感」
「ヤッ君、ご飯にしようか〜」
「うわぁあああ!!」



 どうも、ヤックルが暴れたから包帯があちこち解けちゃったみたいで、知らない内に発情しちゃっていたみたい。
 気づいた時には白目を向いてるヤックルが私の下にいたんだ。
「え〜っと」
 そして今の私は両足を揃えて熱い地面の上に座ってる。
 目の前にはアヌビスのナーリスさん。
「魔物と交わりすぎて死んだという例は無い。だが快楽のあまり気絶する事はある。特にこの少年はまだ幼いが故、過度な快楽は人格破壊を起こしかねない」
「それは言いすぎじゃあ」
「何だと?」
「ひっ、い、いえ、何でもないです!」
 怖いよこのアヌビスさん。
 幾ら私がやりすぎているからって、止める時には杖で思い切り頭を叩いてくるし、目は怖いし、前足の毛はふさふさだし。
 あぁ、あのふさふさの毛、触ってみたいなぁ。
「噂では妄想好きの魔物としてゴーストと呼ばれるアンデッドがいると聞くが。お前はゴーストに勝るとも劣らぬ妄想癖だな」
「えへへ、そうですか?」
「褒めてはおらんぞ」
「でもですね、これには語るも涙聞くも涙の過去が」
「過去が、どうしたと?」
「ひぃっ、な、何でもないですゴメンナサイ!」
 本当に怖いよこの人。
 三白眼ってこういうのを言うんだろうなぁ。
 アヌビスって生真面目だから、私には合わないなぁ。
「あのー」
「何だ」
「ヤッ君はどこなんでしょう」
「娘が施設に連れて行っている。暫くの間は様子見をせんとな」
「ええええ?! じゃ、じゃあ、私は何を食べたらいいんです?」
「水」
「いやぁああああああ!」
 それはそれは、とても大きな悲鳴が私の口から出て行きました。




「これでよし」
「イリスちゃんありがとねー。いつもいつも病人を連れて来てもらってさ」
「いいえ。これもアヌビスの仕事です!」
 ぐったりとベッドに横たわる少年にシーツを被せると、イリスは姿勢を正す。
 四角四面で生真面目な振る舞いにも、少女の年相応の愛らしさが溢れている。
 同じ部屋には白系統の服を着ている魔女いるが、彼女には愛らしさの他に見た目と不釣合いな落ち着きも備わっている。
「では、私は見回りに行って参ります!」
「うん。気をつけてね」
 魔女に見送られてイリスが外へと出て行く。
 施設の外は万物を焼き焦がす様な晴天の太陽に照らされ、周囲の光景は陽炎で歪んで見える。
 歩いているマミー達がみな舌を出して空ろな目をしているのは、暑さにも原因があるらしい。
「今日はまた一段と暑い。倒れている人がいると危ない」
 使命感溢れるイリスが杖を片手に歩き出す。
 右を見れば練り歩くマミー、左を見れば男性と交わっているマミー。
 前を向けばつまみ食いをしているアラクネ。
 男性の悲鳴に気づいて振り向けば、尾を楽しげに揺らしながら物陰へと入り込むギルタブリル。
 普段と変わらない、目に毒鼻に毒な日常が繰り広げられている。
 暑さと精液の匂いでぼぅとした表情のイリス。
 砂漠の暑さに適応したワーウルフ種と言えど、炎天下の中で日光に当たり続ければ暑さにやられる。
 先日訪れたばかりの幼いワーウルフも、裾が地を擦るほど大きなローブとその頭巾で直射日光を防いでいるが、それでも体温を下げようとだらしなく舌を出している。
「暑い」
「仕方が無いだろう。そういう地域なのだ」
「木陰はどこ」
「出来たばかりの街だ、植えてある木も育ちきっていない。少し屋内で休むとしよう」
 隣で歩いている彼女のパートナーらしい男性が少女を連れて建物の中へと入っていく。
 二人の行動を見ていたイリスは微かに目を細める。
「定期的に休憩を取ることは望ましい。あの二人は問題なさそうだ」
 しかし建物の看板を見て、深いため息をついた。

 『青山羊サバト-砂漠支店』

「休むに前に運動とは、健康的だな」
 余談だが、店に入った二人は看板の文字が読めなかったため、店内ではちょっとした騒ぎが発生したとか。
 その事を知らないイリスは自分と同じ年頃の娘が繰り広げる宴を想像し、毛並みの良い尻尾を力なく垂れ下げる。
 眼光の鋭さは変わらず、事件が発生してないか、倒れている人はいないかと探り続けている。
 振り上げた杖を太陽に向けて掲げ、石突で地面を叩く。
 杖飾りの金細工が軽やかな音色、とは程遠い耳障りな金属音を響かせる。
 元々ジパングの錫杖と違いアヌビスの杖は石突を打ち据えて飾り鳴らす形状ではない。
 杖の先端には「公平と審議」の天秤が付けられている場合が多く、イリスの杖もその例に外れず獣の目や鳥の絵が描かれている一対の黄金天秤が揺れている。
 ファラオが眠る前にはこの天秤はアヌビスが死者の罪科を測る道具だった。
 片方に鳥の羽を、もう片方には人間の内臓を乗せる。
 もしその人間が罪を犯していないならば、内臓は羽根よりも軽いのだという。
 審議の結果で罪がないとわかった人間だけがファラオと共に死者の眠りに付く事が出来るのだ。
 だがしかし、今の世に生まれた幼いアヌビスにはそんなことはお構いなし。
 ガシャン、ガチャン。
 イリスが石突で地面を叩くたびに、死者を測る神聖な飾りが悲鳴を上げる。
 地面には丸い陥没穴が少女の歩幅に合わせて穿たれている。
 少女の静かな怒りは止まらず、次第に声となって溢れていく。
「私にも出来る、きっと出来る」
 怒りは祈りに変わり、思いは呟きに変わり、踏みしめる足先に力が篭る。
「でも、本当に出来るのかな、私に出来るのかな」
 祈りは不安に変わり、呟きは弱気を呼び、次の一歩をそっと踏みしめる。
「大丈夫、私になら出来る、私にも出来る」
 希望を不安が波の様に寄せては引く。
 アヌビスは狼種の魔物。
 先陣を切り群れを導く誇り高き獣の化身。
 大丈夫。
 でもやっぱり。
 それでも私なら。
 それでも。
 自問を繰り返して答えを探す砂漠の先導者。
 弱音が弱気がそこかしこに見え隠れし、その全てを白く尖った牙で噛み砕く。
「ぁおぉぉぉおぉぉおん!!」
 喉が裂けるほど空気を震わせる遠吠えを響かせる。
 幼い狼はただ一人遠吠えの姿勢のまま空を仰ぐ。
 
「ああいたいた。ここに居たのか」
 親しげにかけられた声にイリスの耳がぴくりと反応する。
「おい、こっちだ。早く来いよ」
 仲間を呼ぶ声に続いて数人の足音。
 疑問と警戒心。
 杖を握り締めてイリスが振り向くと、建物の影から現れた男たちが笑いながら近付いてくる。
 普段は表情の変化に乏しいイリスが彼らを見て露骨に顔をしかめる。
 イリスにとって愛想のいい男性は嫌な事を思い出してしまう。
 半身に構えて杖を突き出すと、男たちは足を止める。
 男たちは変わらず妙に愛想のいい笑顔を浮かべている。
「何の用だ」
「用って言うほどじゃあないさ。ちょっと、協力して欲しいんだよ」
「もう一度問う。何の用だ」
 殊更硬い口調で問いかける。
 張り詰めた空気は少女の緊張を表す。
 毛は逆立ち、尾はゆらりと持ち上がり、瞳は鋭く尖る。
 だがその姿は旅慣れた冒険者から見れば、子犬が必死になって怯えを殺しているのだとわかってしまう。
 男たちはやはり、愛想のいい笑顔を浮かべる。
 自分達には害意がないのだと、両手を広げる。
 一番少女に近付いていた男が懐から何かを取り出す。
「実はこれを何だけど」
 男が取り出したものは質の悪い羊皮紙。
 無地の、何も描かれていないそれを男は広げる。
 続いて他の男たちも羊皮紙を次々と広げていく。
 足幅を広げ、何が起きても対処できるように少女が身構える。
 男が口を開く。





「――――――!」


 最初、イリスはその言葉が理解できなかった。
 男たちが一斉に叫んだ為、言葉の一つ一つが聞き取れなかった。
 緊張から来る思考の空白に聞いた言葉がかき消されてしまったという事もある。
 イリスは、もう一度男に尋ねた。
 聞こえなかった。
 もう一度訊ねる、何の用なのかと、震える声で問いかけた。
 今度は先頭に立っていた男が一人だけ、答えた。





「ここにサインを書いてくれ!!」

 



 イリスは反射的に男を殴りつけた。
























 後日、事の顛末を聞いたイリスの母が友人に語った。
「イリスが、イリスが、アヌビスとしてやっていけるのかと私に相談してきたんだ! どうしよう、私、なにを説明したらいいんだ!? 恋愛と仕事の両立も出来ないアヌビスにアヌビスを語る資格が無いだなんて、ああ、どうしたらいいんだ! 恋愛って、何をどう相談に乗ったら、ああ、違う、アヌビスの資格って考えたことが無くって、私、何をどう説明したら(以下省略)」
 余談だが、話を聞いていたその友人は入院したと言う。
 原因は「頭部を何度も揺さぶられた」事による脳震盪だとか。































 なおもう一つ余談だが。
 その日、「可愛らしいイリスちゃんにサインを書いてもらって宝物にするんだ」を合言葉に集まったファンクラブの男たちが全員、原因不明の打撲で入院したとか。

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「お父様。普通の恋愛はどうすれば出来るのでしょうか」
「普通の、ねぇ。人間の普通と魔物の普通はちょいと違うからな」
「では人間の普通の恋愛についてお聞かせください」
「いやイリスは魔物だろう。ああ、泣くなって、はぁ、わかったわかった。そうだなぁ、まずは話をしたり一緒に食事したり、とにかく相手と共に過ごす時間を増やす事が先決だろうな」
「お話……食事……、では、魔物の恋愛とは?」
「そりゃまぁ、直球勝負だろうけど。なんだ、誰か好きな男でも出来たのか?」
「な、ななななな、なにをおしゃりますですかおとととうさま!?」
「痛い痛い! ああもう、そういう所はナーリスそっくりだな」
「うぅ、顔が熱いのです」
「イリスの年頃で早いか遅いかは知らないが、好きならソレでいいだろう」
「そう、なのですか」
「ただし、イリスはアヌビスだろう。自己管理はしっかりするように」
「うぅ〜」
「ただ、ナーリスにも言える事だけど」
「?」
「無理なら誰かに頼るってのも一つの手だ。イリスもナーリスも、時々「自分が何とかしなくては!」って所があるからなぁ」
「む〜。アヌビスは管理者なのです! みんなのまとめ役なんですよ!」
「俺の旧い友人は「誰かを教える時は、自分が教わる時だと思っています」ってのが口癖でな。まー、そういうことだ」
「誰かを教える時は、自分が教わる時……」
「詳しく知りたいなら、今度家に招待しようか? この街に来てるって話だ」
「ほんとですか!? では、ぜひ!」
「おう任せとけ、ってもう行っちまった。それにしても、あいつ確か先生になりたいんだったよな。今は何してるんだか」

























おまけ

「イリスー」
「あ、おねーさん。今晩は、きゃふっ!?」
「うんうん、今日も可愛いね〜」
「ちょ、あの、離して下さい」
 恥ずかしそうに声を潜めるイリス。
 しかしスフィンクスのアフマウはお構い無しに、思い切り抱きしめてほお擦りをする。
 一層恥ずかしそうに顔を赤くするイリスは、たまらずアフマウの肩に噛み付く。
「わー、ちょ……おや?」
 アフマウは痛みに顔をしかめかけるが、少女の予想以上に噛む力がゆるい事に気づく。
 痛みに耐えようと強張らせていた体の力を抜く。
「う〜〜〜」
 噛み付いたと言っても肉を引き裂く訳でもなく、甘噛み。
 不器用な少女は、不器用な彼女なりに気を紛らわせようとして、本能的に動物の狼が行う愛情表現と同じ方法をとっているようだ。
 憎いわけでも恐れているわけでもない。
 自分の感情をどう扱っていいのかわからない。
 人間にもこの手の癖を持つ人は多いが、狼種の魔物は特に多い。
 しっかりと抱きつきながら噛み付いてくる少女の背を撫でながら、アフマウは昔を懐かしむように目を細める。
 
 イリスが噛み付きを止めると、アフマウも彼女を解放した。
 幾分か落ち着きを取り戻したイリスが恥ずかしさを隠すように眉をしかめる。
「おねーさん。本当に何をしに来たのですか?」
 ぷぅと頬を膨らませるイリスだが、アフマウが頭を撫でるとその表情はすぐに緩む。
「んー。私の妹にね、娘がいるんだけどさ。その子と今度遊んでみない?」
「はふぅ……へ? おねーさんのじゃなくて、おねーさんと妹さんの?」
「そう。これがまた可愛らしくってねぇ!」
「おねーさんにはいないんですか?」
「私はまだ気楽な立ち位置がいいんだよねー」
「……応援してるよ?」
 直後、アフマウの動きが止まった。
 石化した様にぴくりとも動かない。
「おねーさんならきっと、いい人に出会えるから」
「……うん、うん。ほんとうにありがとうねイリスちゃん」
 ぽふぽふ頭を撫でられて上機嫌のイリス。
 しかしアフマウの瞳孔は開いていたという。

 








----作者より
最近は本当に絶不調なので、書きたい時に書いていたらこうなりました(’’
おまけを書いている時が一番ノッていたってなにそれ。

いつも変わらない良質SSを書く他の作者の人、本当に尊敬します(。。



10/08/15 22:48 るーじ

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