連載小説
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卑劣なる宇宙恐竜 救世主と呼ばれし者
 ――ダークネスフィア――

 デルエラがエンペラ一世の放った光線に呑み込まれてより既に二十分以上が経過した。しかし、リリムは一向に戻って来る気配はなく、ただ時間ばかりが過ぎていく。

(……しばらく待ってやったが、戻って来る気配がない。しかし、奴の所まで向かうのも面倒だ)

 デルエラは墜落後、転移魔術でここよりも遥か遠くの地点に逃げ去っていたが、エンペラはそれをわざわざ追いかけるのは手間だと考え、放置していた。
 もっとも、何処にいるかは把握しており、怪我の程度もまた知り得ている。とはいえ、女を追いかけ回すというのも皇帝の沽券に関わるため、あくまで向こうから向かってくるのを待たなければならないのが難儀なところである。
 だが、あくまで追いかけ回すのが面倒というだけであって、あのリリムを見逃す気はない。口には出さなかったが、皇帝はデルエラの実力を高く評価しており、それ故に自ら仕留めるに足る獲物だとは考えていた。

(早くあの女が絶望に慄き、その美しい顔を苦痛で歪めるのを見たいというのにな)

 待たされつつも皇帝は愉しげではあった。なにせ、相手は女といえども魔物。人間の女ならば手加減の一つや二つしようが、相手が魔物ならば一切その必要はない。
 正直、皇帝はデルエラの容姿を『けばけばしくはあるが、美しい部類には入る』と思っており、だからこそいたぶる価値があるとも思っていた。死した姿は魔物といえども美しいであろうし、その過程を愉しむことも出来よう。
 白い肌をさらに蒼白とさせるのも良い。もしくは朱に染めるのも良い。
 美しい顔を苦痛と絶望で歪ませ、豊満で淫らな肢体を引き裂き、もしくは折り曲げるのも良い。
 そして最期に上げるであろう断末魔はさぞや痛々しくも艶めかしいものであろう。魔物とは生きる価値の無いゴミであるが、あのリリムの死にゆく様は例外的に鑑賞する価値のあるものに違いない。

『…ん? またお客人のようだな』

 そんな風に極めて悪趣味な妄想にふけっていたところへ、急速に接近する魔物の気配を皇帝は感知する。

(ほう…これはこれは…)

 強い。とてつもなく強い。それは皇帝の血塗られた生涯においても稀なほどで、デルエラに匹敵すると言っても過言ではない。
 ダークネスフィアへの侵入自体は先ほどの戦いの最中に既に感知してはいたが、彼女はデルエラを手助けするつもりは無かったようなので捨て置いていた。だが、デルエラも逃げ出した今、今度は自らがこのエンペラ一世に刃向かってくるつもりらしい。

『さて…』

 やがて、それはすぐにやって来た。恐ろしい速さで飛んできた女は皇帝のすぐ目の前で急停止すると、まっすぐにエンペラ一世を見据えたのだ。

『何者かは知らぬが、なかなか強そうだな』
「………………」

 皇帝が馴れ馴れしく声をかけるも、現れた女は黙るばかり。
 しかし、その橙色の瞳には目の前の男に対する明確な殺意が宿り、その全身からは憎悪とも怨念ともつかぬ、魔物娘らしからぬ負の念が溢れ出している。

『しかし、意外であるな。魔物娘にも、このように邪悪な念の持ち主がいるとは思わなんだ』

 現れた女の異常さを感じ取り、エンペラ一世は興味津々といった様子で呟く。
 皇帝は現代の魔物と戦うに当たり、メフィラスから魔物娘の大まかな知識を与えられている。それに照らし合わせると、目の前の女が『甲殻の色と材質が違うのを除けば』ドラゴンが変化した魔物娘であるというのはおおよそ判断出来た。
 だが、この女は皇帝が聞き及んだ一般的な魔物娘の印象からは大きく異なる。なにせ、この魔物娘からはおよそ人間に対する情愛や性欲など微塵も感じられず、ただただ禍々しさばかりが目立つからだ。もっとも、デルエラと同じく誰の目から見ても美女と言える部類には違いなく、それは皇帝も認めるところである。
 ちなみに彼女本来の見た目の特徴としては、全身を覆う鱗と甲殻は薄い桃色の水晶を思わせる物質に置き換えられており、本来は緑色であるはずの一般的な個体と全く異なる。
 しかし、それが生まれついてのものなのか、はたまた彼女より発せられる負の念を反映によるものなのかは分からない。

「……普段の私はこうではない。エンペラ一世……貴様が相手故、これほどの怒りと殺意が滾るのだ…!」

 ドラゴンの告げるところによると、エンペラ一世に対して何か尋常でない恨みがある模様である。だが、皇帝は特に原因が思い浮かばず、困惑した様子で首を傾げたのだった。

『余は恨みを買い過ぎているのでな。思い当たることが多過ぎて分からぬ』

 かつて世界の七割を支配した大帝国の支配者。当然、そこまでの道のりが安穏としたものであるはずもなく、起きた戦は大小合わせれば数百余り、その度に人だろうと魔物だろうと大勢が死んだ。
 そして、その中でも特に魔物相手の戦は苛烈、凄惨の言葉に尽きる。皇帝が思うに、恐らくはそのいずれかの戦いでこのドラゴンの親族がおり、惨たらしく殺されでもしたのだろう。

「やはり覚えておらぬか。ならば教えてやろう!
 ――我が名はバーバラ! バーバラ・ヴェルザー!
 貴様がかつて滅ぼしたヴェルザー一族最後の末裔にして、今代の竜王なり!」

 案の定、エンペラ一世はバーバラとその一族のことなどすっかり忘れ去っていたため、バーバラは仇敵に自らの素性を名乗り上げた。

『…あぁ、そんな事もあった。今となっては懐かしい思い出だがな』
「…!」

 しかし、怒りに燃えるバーバラの感情を逆撫でするかの如く、皇帝はヴェルザー一族の殲滅の事実をたった一言で片付けてしまった。
 懐かしむように目を細めてはいるが、全ては遠い昔に過ぎ去った事らしい。それを悔いもせず、恥じもしないとでも言わんばかりであった。

「貴様…!」
『それは仕方あるまい。なにせ、五百年も前の出来事だ。
 悠久の時を生きる貴様等にとってはつい昨日の事かもしれぬが、残念ながら余も人間。時の流れの感じ方が貴様等と根本から異なる』

 エンペラ一世が如何な超人であろうと、その精神はあくまで人間の範疇にある。故に魔物と違い、五百年も前の出来事を未だ瑞々しく感じる事は出来ない。

「…忘れているなら仕方ない」
『ほう、魔物にしては寛大だな』
 
 皇帝が皮肉で返すが、言い切ったところでバーバラは目を見開くと、やにわに左腕を振り上げ、その鉄をも引き裂く剛爪を皇帝目がけて叩きつける。

『……』

 皇帝も右前腕部の籠手を水平に構え、それを受け止める。すると辺りには重厚な金属音が響き渡り、さらにはガチガチとせめぎ合う音が続く。

「ならば、思い出させてやる…!」
『別に忘れているわけではないのだが…』

 勘違いされていると考えたのか皇帝は不本意そうだが、バーバラはかまわず籠手に爪を突き立て続ける。こうして無機質な音を立てながら爪と籠手はせめぎ合うが、頃合いと見て二人はお互い後ろに跳び、3mほどの間合いを開けた。

『まぁ、よかろう。存分にかかってくるがよい』
「ならば、お言葉に甘えさせていただくとしよう…!」

 堂々とした態度で迎え撃つエンペラ一世に、バーバラは遠慮無く挑むことにし、ついにその真の姿を解放させる。

『成程、姿は美しく取り繕っていても、その本性はやはり醜いようだな』

 皇帝が嫌悪に満ちた表情で語る通り、眼前では恐ろしい光景が繰り広げられていた。
 バーバラの口は大きく裂け、その顔は醜悪なかつての姿に変わってゆく。露わになっていたきめ細かな美しい肌まで甲殻が覆われ始めると共に、その全身は圧縮していたものを解放するかの如く膨張、体積と質量を急激に増大させてゆく。

『! 此奴…!』

 『ただのドラゴンではない』――この変異の過程を観察する中で、やがてエンペラ一世はその異常性に気がつく。
 初めこそたかをくくって見ていたが、実際に起きた変化は皇帝の想像を遥かに超えていたのだ。

「グルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル………………!!!!」

 唸り声をあげる巨体。エンペラ一世はそれに呑み込まれるのを防ぐべく、遥か天空まで逃げ去るを得なかったのである。





『……成程。奴はヴェルザー最後の竜であり、今代の竜王。
 当然、凡百の竜のはずもあるまいか』

 呆然と呟くエンペラ一世。天空に浮かぶ彼の眼下にあるのは連なる山々――――否、桁外れに大きいには違いないが、そうではない。

「グルルルルルルルルルルルルルルルル………………!!!!」

 現れたのは辺り一面に広がった、薄桃色に煌めく巨大な水晶。これら超硬質の水晶が分厚い層を成し、鉱脈を思わせる幻想的な景観を作り出しているが、あくまで『背甲』に過ぎない。
 まことに信じ難いが、この水晶の大鉱脈を背負っているのは、それらを遥かに上回る大きさのドラゴンなのだ。

『全くの予想外だ。まさか、ここまで大きい生物がおるとはな…!』

 見た者は誰もが間違いなく圧倒され、声を失うに違いない。現存する魔物の中では間違いなく最大の個体であり、まるで神話に登場するという巨大な怪物そのものであった。
 そして、それだけの巨躯を誇る故、ただの唸り声が地を揺るがし、大気をも震わせている。ただ呼吸するだけでこれなのだから、もし『彼女』が動き回りでもしたら、それだけで甚大な被害を齎すであろうことは想像に難くない。
 エンペラ帝国皇帝である彼も、その馬鹿げた巨体には好奇を通り越して、呆れしか出てこない。
 通常のドラゴンは大型の個体とて、せいぜい全長40m程度。しかし、あれはゆうにその数十倍はある。体重にいたっては最早測定も出来ないだろう。
 一体何故これほどの大きさにまで育ったのかは考察の余地があるが、残念ながらこの場では不可能だ。皇帝はこう見えて好奇心旺盛ではあるが、さすがに優先順位というものを間違えることはない。

『生物学的観点からは大いに気になるが、仕方あるまい。さすがに野放しには出来ぬ』

 皇帝はバーバラを排除することを決意する。例え特殊な力など無かろうとも、あの巨体が動き回ることとなれば、それだけで人類に対する大いなる脅威となるからだ。

『速やかに親の下へ送ってやるとしよう!』

 血湧き肉躍る――エンペラ一世は再び残忍な笑みを浮かべると、全身より瀑流の如き莫大な量の魔力を迸らせ、辺りの空間を禍々しい赤色に染めていく。

「ギュイイイイイイアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」

 一方、それに呼応するかの如く、バーバラは破壊的な咆哮をあげると、ついに四本足で立ち上がってその山脈の如き巨躯を起こし、皇帝の方へ頭を向けた。
 このように体を起こし、方向転換しただけでも大きな地響きが起き、砂埃と大風が吹き荒ぶ。その様は天変地異の前触れ、あるいは世界滅亡の始まりを思わせ、この竜の持つ破壊的な力の一端を垣間見せるようだった。

『成程成程、そちらのやる気も十分なようだ』

 しかし、その様を見てもエンペラは全く怯まない。山と見紛うばかりの巨躯が己に殺意を向けて尚、凝り固まるは傲岸不遜さ、殺戮への喜び。
 微塵も己の罪業を悔いもせず、恥じもせず、むしろ目の前の竜を屠ることへの喜びは増すばかりである。

『だからこそ愉しみだ。貴様が踏み潰される虫ケラにも劣る無惨な最期を遂げるのを余に見せてくれることがな』
「ギュイイイイイイアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」

 そして、怒りに燃える竜王の咆哮が開戦の合図となった。
 彼女はその洞穴の如き巨大な口より煌めく断罪の閃光を、怨敵目がけて放ったのである。










 ――魔王城・ガラテアの部屋――

 エンペラ一世がその破壊的な力を振るっていた頃、その余波は遠く離れた王魔界に届いていた。

「ぬわぁあぁあがああぁぁおぐぁぁああっ!!!!」

 苦痛の余り、頭を抱えて絶叫するゼットン青年。脳髄を錐でほじくられたかの如き激痛は最早筆舌に尽くし難く、この哀れな男はベッドの上でのたうち回った。

「……!」

 そして、その隣に侍っていたガラテアは目を瞑って己が力を注ぎ、青年の中で暴れ狂う力を一心不乱に抑えこむ。しかし、彼の中に漏れ出すそれは、魔王の娘たる彼女の力ですら上回りかねないものであった。

「がああああぁぁぁぁぁぁ………………っっ!!」

 痛みで死んでしまいそうだ。いや、死ねば楽になるやもしれぬ――だが、それでもゼットンは屈せず、耐え続けた。
 もっとも、それに別段深い理由はない。あえて言うなら『痛みに負けて死ぬなど恥ずかしい』と、意地を張ったとでも言うべきか。
 しかし、そのくだらない意地が彼の精神を尚狂わせず、正気に保っていた要因でもあった。

(くっそ、どいつもこいつも心配そうなツラしやがって……っ!)

 絶え間なく続く激痛の中、脳裏には時折女どもの顔がちらつく。そしてベルゼブブも、サキュバスも、ワーキャットも、オーガも、デュラハンも、妖狐も、皆一様に夫を案じているのかその顔を曇らせていた。

(バーカ、まだ狂ってたまるか! テメェらをまだ誰一人孕ませてねぇのによ!)

 青年は女達へ向かって毒づくが、意識を保てたのは結局ここまでである。襲い来る痛みへ耐えかね、青年は奮闘虚しく失神してしまったのだ。





 ――魔王城・玉座の間――

「お母様! お願い、彼を助けてあげて!」

 倒れた夫を担ぎ上げ、ガラテアは玉座の間へと駆け込むと、切羽詰まった必死な表情で魔王である母に助力を乞うた。

「もちろんよ、ガラテア。あなたの夫である以上は、彼もまた我が子。絶対に死なせはしない」

 出迎えた母は柔和な笑みを浮かべ、取り乱す娘をなだめるように穏やかな声で語りかける。

「ではまず、彼をそこに寝かせて頂戴」
「わ、わかったわ」

 母の指示を受け、ガラテアは意識の無い青年を玉座の前の床に仰向けで寝かせると、魔王は右手を彼の頭に、左手を彼の胸へと置いた。

「……これはひどいわね」

 ぐったりする義理の息子を見て、また自身の両手に伝わる暴れ狂う力に困惑して、母はその絶世の美貌を曇らせる。

「私の想定以上に漏れ出した力が多い。幸い今はこの子の精神力で保っているけど、多少進行を遅らせただけで抑えこむには至っていない。
 この力は刻一刻と着実に、この子の体を蝕んでいるわ」
「なんとか出来ないの?」
「症状を抑えるのに一番簡単かつ確実な方法は、この子の中に巣食う悪しき魔力を吸い出し、すぐに魂の傷を塞ぐことね。ただし、吸い出した魔力が猛毒の如く術者を襲うから、出来る者は極限られる。
 そして、それを今のところ一番確実に出来るのは…」

 そこまで語ったところで、魔王の両手を赤黒い瘴気が覆い、やがて彼女の体に吸収されていく。

「魔王である私」
「お母様…」

 それから一分ほど続けたところで吸いきったのか、母は立ち上がるが、その麗しい顔は僅かに蒼白くなっていた。

「ご、ごめんなさい。私の我儘で…」
 
 母の様子を見て驚くと共に、申し訳なさそうに詫びるガラテア。しかし、娘を慰めるかのように、魔王は優しい微笑みを崩さない。

「気にしないでいいわ。この子を見殺しにして、後悔なんてしたくないもの」
「お母様…」

 続けて、魔王の両手より黄金色の光が放たれ、ゼットン青年の体全体を照らしていく。すると、苦悶の表情を浮かべていた彼の顔はようやく穏やかなものへと戻ったのだった。

「これでよし。この出来なら、後数ヶ月は治療はいらないわね」
「ありがとう、お母様」
「いいのよ、息子のためだもの。それに収穫もあったしね」
「収穫?」
「あの男の力がどのようなものか分かったのは大きいわ」

 魔王は大きく溜息をつくと、玉座に再び座る。

「あの男が生きていた頃、私は既に魔王軍の幹部として従軍していたけれども、彼との交戦経験自体は無くてね。だから、あくまで伝聞でしかその能力を知らなかったのよ」
「…勝てそう?」
 
 能力が分かったという魔王の言葉。それを機とし、今までずっと気にしていたことをガラテアは単刀直入に母へ尋ねた。

「えぇ」
「…その顔なら、簡単にはいかなそうね」

 ガラテアの指摘する通り、返答した母の顔は美しくも無表情なものだった。

「当然よ。あれは“救世主”だもの」
「救世主?」
「あぁ、そういえばまだあなたには教えてなかったわね。まぁ、別に知らなければ戦いの際不利になるというものでもないけど」

 その力の性質と違い、実践的な知識ではないらしい。とはいえ、ガラテアには何やら気になる単語ではある。

「…一応聞かせてもらおうかしら」
「そうね。それなら話しておこうかしら。
 ……救世主というのはね、人類が外敵の攻撃による滅亡の危機に瀕した時、つまりはその原因たる魔物や神の存在を排除するために“必ず”生まれる特別な人間のことよ」
「……必ず?」
「えぇ、そうよ。人類全体が自らの死や種の滅亡に対する強い恐怖やストレスに何十年もさらされた時、彼等が生まれることが分かっている。
 そして、そこには毎回、魔物の大規模な侵攻が絡んでいた」
「!」

 それではエンペラ一世の誕生は、魔物のせいだという事ではないか。

「そう、エンペラ一世の誕生もまた、原因はかつての魔物による大規模かつ長期間にも及ぶ暴虐が原因。
 そして、人類はその時も自らの滅亡を回避するための防衛反応として、あの男を生み出したのよ」
「でも、だからって魔王と比肩するほどの戦闘力を持った個体がそう毎回生まれるものなの?」
「生まれるわよ。勇者と違って、彼等はその時代に常に一人しか生まれない。だからこそ、その分戦闘力が極限まで集約された最強の個体が生み出される。
 それこそ、勇者など比較にならぬほど強く、かつその戦闘力を十全に活かせるよう、この上なく狡猾で凶悪、冷酷で、その上神々と魔物を異常に憎悪する人間がね」

 そう語る魔王の顔は暗いものだった。そこからガラテアが察するに、恐らく母はエンペラ一世以外の救世主の存在も知っており、かつ彼等のその暴虐ぶりを知っているのだろう。

「ちなみに、私が魔王を襲名する前に確認された救世主は九人。つまり外敵の攻撃による滅亡の危機を九度人類は迎えたけど、その度に彼等によってそれは回避されてきた。
 一人目は“究極の魔術師”レイブラッド・マイラクリオン。
 二人目は“憤怒の凶王”ジュダ・スペクター。
 三人目は“神殺獣”ジャッカル・ベーオウルフ。
 四人目は“異形進化帝王”メンシュハイト・ケイオス。
 五人目は“全てを呑み込む者”グランスフィア・ガルガリム。
 六人目は“虐殺の天使”ゾグ・アウローラ。
 七人目は“悪辣なる征服者”サンドロス・シュヴァルツヴァルト。
 八人目は“狂える破壊神”ザギ・サタナイル。
 そして最後は現代に蘇りし“暗黒の支配者”エンペラ一世ことエンペラ・ヤルダバオート。
 いずれも魔王や神々をも退けた怪物。最強にして最悪の英雄達よ」
「……!」

 母の口より淡々と語られる闇の歴史、それに衝撃を受けるガラテア。エンペラ一世にも並ぶ怪物が今まで八度も生まれていたのは、この若いリリムには十分な衝撃的な事実であった。

「彼等はいつも魔物の前に立ちはだかった。それは今回もそう。
 エンペラ一世を倒さぬ限り、私の『人類と魔物の統合』という夢は果たされない」
「でも、あの男を倒したところで、結局別の救世主が生まれるんじゃ…」
「そこはまぁ、大丈夫よ」

 娘の疑問に対し、何故か魔王はくすりと笑った。

「生まれるかもしれないけど、それでも確率は大幅に減ってくるわ」
「なんで分かるの?」
「簡単よ。インキュバスがどんどん増えているもの。
 まぁ、これは私も狙ってやったわけではなくて、あくまで偶然生まれた副産物みたいなものなのだけれど」
「? インキュバスが?」

 首を傾げるガラテア。何故インキュバスの存在が救世主の誕生を妨げるのか、彼女には分からなかったのだ。

「人類全体の抱く、人間という種の滅亡への恐怖が、救世主誕生への引き金となる。
 でもね、人類全体で共有する“集合的無意識”というものには、いつしか“異物”が混ざるようになった」
「あ…」

 そこまで言われ、ガラテアはようやく母の意図を理解する。

「インキュバスは魔物の魔力を帯びているけど、ほとんど人間。魔物娘と違い、その共有する無意識にアクセスすることが今まで通り出来る。
 『滅びたくない! 魔物にされたくない!』という恐怖から、『魔物を愛し、交わるのは素晴らしいことだ』という喜びへとね。ようは、インキュバス達によって、『魔物は人間を殺す、人類の天敵』という旧来の考え方を改めてもらっているようなものよ。
 そして、後はその数だけ。インキュバスの数が一定数を超えたところで、私は神の定めたルールを書き換えることが出来、同時に救世主が生まれることもまた無くなるのよ」

 ようは魔物娘だけでなく、インキュバスの数もまた相応に増やしていかねばならないという事だ。もっとも、それは別に難しい事ではないが。

「さて、講義はそれぐらいにしておきましょう。もうすぐあなたの旦那様も目覚めると思うしね」

 言われるが早いか、『ムラムラした』ガラテアは早速ゼットン青年を担ぎ上げ、部屋を出ていこうとする。

「ありがとう、お母様」
「いいのよ、気にしなくて。それより旦那様とお風呂で愉しんでらっしゃい」

 そして、娘がドアノブに手をかけたところで、風呂でのプレイを愉しむよう勧める母。それは義理の息子が汗だくなのを気にかけたのもあるが、魔王夫婦が最近それでいたすことが多いのもある。

「私の分までね」
「……そう言われると、申し訳ないわね」

 母の現況を思い出し、再び申し訳なさそうな顔となるガラテア。
 デルエラが命懸けで戦っている今、母である自分が性交へ耽るわけにはいかないため、今は素直に魔王城で待っている……のだが、夫はデルエラの代理として今レスカティエで留守を預かっており、今この場にいないために元々不可能だった。
 しかし、ガラテアの場合は夫の治療、そしてエンペラの呪いに負けないようその強さの底上げをしてやるため、むしろ性交をさせてやらねばならない。

「ともかく、しっかりヤりなさい」
「分かったわ、お母様」

 故に邪魔をするつもりはない。だからこそ母は娘の背中を押してやったのだった。





 ――ダークネスフィア――

「ガァァァァ!!!!」

 その巨大な口より放たれるは黄金の閃光。秘めた魔力は莫大であり、それに裏打ちされた威力は高性能爆薬などの比ではない。
 しかし、それでも。それでも尚――

「!?」

 ――――この男には通じない。

『万物を滅ぼし尽くせ【ギガレゾリューム・レイ】!!』

 槍の穂先より放たれし、赤黒き誅滅の極光。恐るべき直径と威力を誇るそれはバーバラの放つ光線と衝突するも簡単に押し返し、やがてはぶち抜いて彼女の顔面へと直撃する。

「ギィィアァァァァァァ………………ッッ!!」

 今までの狂暴さが嘘のような悲鳴を上げるバーバラ。その顔からはもうもうと煙を燻らせると共に、甲殻には痛々しい火傷が出来、痛みの余り顔を下に向けてしまう。

『どうした、かかってこい! そのでかい図体は飾りか!?』
「ッ!……ギュイイイイアアアアアアアアアアアア!!!!」

 だが、それを嘲笑う皇帝の挑発に激昂し、バーバラはすぐさま痛みを忘れて襲いかかる。

『単細胞の馬鹿め。あれだけ頭蓋が大きいなら脳も大きいはずだが、必ずしもそれが知能の高さと直結するわけではないらしいな』

 尚も嘲るエンペラを叩き殺そうと、勢い良く振り下ろされる巨大な右前足。それだけで数十mの大きさがあり、かつ巨体に似合わぬ俊敏さで繰り出される。

『ぬんっ!』

 しかし皇帝はそれを躱すと、次いで両腕で抱きかかえる。

『りゃあ!』

 そして次の瞬間には、なんとバーバラの山脈の如き巨体を一本背負いで投げ飛ばしたのである。

「!?!?!?!?」

 何故世界が逆さまになった? 何故翼も使っていないのに飛んでいる? 奴が投げ飛ばした? 山と同じぐらい大きい私の体を?
 …このように巡る疑問に彼女の頭は冷静さを失い、状況の把握が一切出来ていなかった。そして受け身すら取れず、彼女は背中から大地に激突したのである。

「……ッッ!!」

 ドラゴンのタフネスは、この程度の衝撃など余裕で耐えられる。しかし、羽虫の如き小さな男の攻撃に自らが対応出来ていないことに、バーバラは焦りを感じ始めていた。

『貴様の巨体を投げたことを不思議に思うか?』
「!」

 加えて腹立たしいことに、この男はバーバラの心の内をまるで見抜いているかのように振る舞う。

『これは“柔(ヤワラ)”、あるいは“合気(アイキ)”と呼ばれるジパングの古武術でな。簡単に言えば相手の力を利用して投げたり組み伏せるというものだ。
 これを極めれば、貴様のような常識外れの巨躯だろうと、掴みさえすれば投げられるようになる』

 さらには全く理解の追いついていないバーバラへ、ご丁寧にも分かりやすく技の解説までしてくれるのだ。

『さて、お次はどうする?』

 右手人差し指をクイクイと曲げ、皇帝はバーバラに早く戦うよう催促する。

「ギュイイイイアアアアアアアアアアアア!!!!」
『そう来なくては面白くない』

 そんな皇帝の挑発に答えるようにバーバラは身震いをすると、背中に生える水晶が辺りにバラ撒かれる。

『?』

 バーバラの意図は分からない。しかし、これがただ不燃ゴミを撒き散らしているわけでないのは分かる。

「オオオオオオアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」

 ひとしきり撒き終わったところで、バーバラは口から一条の光線を発射する。

『芸の無い…』

 最早先ほどのように光線で相殺するような真似をする気もないのか、皇帝は濃密な魔力を纏った槍先を光線に当て、軸をずらして回避する。

『!? 跳ね返った!?』

 しかし、思いもよらぬ事態がその後起きる。ずらされた光線が地面に撒かれた水晶の破片に当たった瞬間、なんと皇帝の方に光線が跳ね返ったのである。

『フン!』

 皇帝は先ほど同様に光線をはたき落とすが、今度は地面でなく上空へ飛ばしたのだった。

「ギュイイイイイイイイイイイイ!!!!」

 これを勝機と見たのか、バーバラは光線を乱射。それらを全て、地面に散らばる水晶の破片に当て、乱反射を起こさせる。

『竜王という大層な称号の割には、くだらぬ小細工を好むのだな』

 一方、四方八方から飛来しまくる攻撃を見ても尚怯まず、皇帝はバーバラを嘲笑い続ける。

『ぬぅりゃあ!』

 しかし、その攻撃に脅威は感じたのだろうか。これに対処すべく、皇帝は辺りの大地が陥没するほどの衝撃波を自身の真下目がけて放出する。

「ッ!?」

 それにより、水晶の破片の多数は上空に勢い良く舞い上げられてしまい、光線の軌道をバーバラにも予測出来ない形に変えてしまう。さらには砂塵まで舞い上げられ、目視まで妨げられたのだった。

「ガァァァァァァ!!!!」

 そこへ再び皇帝の光線が発射されようとしているのを察知したバーバラは、最大出力でこちらも光線を放つ。
 そして衝突する赤黒き光と黄金の光。その威力は互角で、一歩も譲り合わない。
 だが、しかし――

「…!?」

 砂塵が吹き飛ばされる中、バーバラは皇帝が右手より光線を放っていることにやがて気づく。彼が持っていたはずの双刃槍が、何故かその手に無いのである。

『ちなみに余の槍は今貴様の後ろに浮かんでいる。さらには遠隔操作により、槍単体で光線も撃てるぞ』
「!!」

 しかし、皇帝はわざわざその在処を教えてやったところで、

『【レゾリューム・クロスライン】!!』

 右手と背後より光線で挟み撃ちにする。さらにはその光線同士の衝突によって起きた大爆発にバーバラを巻き込んだのであった。
15/10/15 00:21更新 / フルメタル・ミサイル
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■作者メッセージ
備考:救世主

 かつて魔物や神の攻撃による人類滅亡の危機の際に出現し、それらを撃退して人の世を救った最強の英雄達のこと。勇者はおろか、魔王と比肩するほどの戦闘力を持ち、その存在には神々ですら脅威を覚えたという。
 その誕生の仕組みには諸説あるが、一番有力なのは『他種族の激しい攻撃によって絶滅の危機に追い込まれた人類全体が、自らの死及び種の絶滅への恐怖に非常に長期間さらされる事』だと言われている。
 そして、それらの事態を回避すべく生まれた彼等は、滅亡の要因たる他種族の侵攻をも退ける強さ、即ち神や魔王と比肩するほどの戦闘力を持つ。また、勇者と違い、その時代には常に一人しか存在しないが、その分戦闘力が極限まで集約された人類最強の個体となっている。
 また、その使命及び目的は勇者と酷似した部分も多いが、その性質は正反対である。勇者が勇敢にして清廉潔白の士であるのに対し、救世主は狡猾にして残忍冷酷、非情な者が多い。しかし、善である勇者より、悪である救世主の方が外敵の侵攻を食い止め、結果的に人類や人の世を救っていたのは皮肉と言える。

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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33