連載小説
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追憶とプロローグ
私は並木道を歩いていた。

春の心地良い風が肌を撫で上げ、思わず頬を緩ませる。
左右に連なっている樹木には鮮やかな花が咲いている。薄紅色の5枚の花弁を目一杯に開き、枝いっぱいに咲き誇っていた。聞いたところによれば、この樹はジパング産の『桜』という種類らしい。

淡い色彩に彩られた並木道を私は歩いていた。

時折、どこからか聞こえてくるのは『ウグイス』という鳥の囀り。これもジパングの固有種だとか。
並木道の右手には小川が静かに流れ、左手には『田んぼ』と呼ばれる稲穂の畑が広がっている。

私はのどかな風景ののどかな空気を、目一杯に吸い込んだ。

「…はぁ、やはりジパングの空気は心地いい。故郷には無い心地よさがここの空気にはある。」

吐き出すと共に感嘆の言葉を漏らす。
どうせここには私しかいないのだ。敢えて独り言を呟いても誰も何も反応してこない。

「……それはそれで悲しいがな。」

ぼそり、と不満を漏らしてみる。当然、誰も反応しない。誰もいないのだから当然だ。
だが、やはり虚しい。

言いようのない心の穴を彼女、サルガタナスは感じていた。


『そろそろいいかしら?あと数分ほどで復元限界よ。』

そこに割って入ってきたのは、幼くも冷たい声。
その声に一瞬にして現実に引き戻されたような感覚に陥る。

…まあ、頼んでいるのはこちらなのだし、不満を漏らすのは筋違いだな。

適当に自分に言い聞かせ、サルガタナスはいつもの冷静な表情で先の声の主に応えた。

「…ああ、もうすぐ帰還する。ゲートの解放を頼む」

『OK………はい、開いたわ。』

その言葉と共に、サルガタナスの目の前の空間がグニャリと歪み切り開かれる。
中は漆黒に閉ざされ、こちらからでは何も見えない。

…相変わらず仕事が早い。

サルガタナスはその歪みの中に躊躇なく足を踏み入れた。
















「どうだった?」

回転式の椅子に腰掛けた青白い顔の少女が声をかける。

「相変わらず文句無しの出来だったよ。…やはりお前は最高の幻術師だな。」

サルガタナスは笑みを浮かべて答えた。

その言葉に「そう…」とだけ応えて少女はくるりと椅子をデスク前に回転させた。
無表情から放たれる彼女の言葉は一見、冷めたように見えるが、彼女と付き合いの長いサルガタナスからすれば見慣れた光景であり、それが決して無関心から来るものではないと分かっていた。
だから、特に気にすることもなく話を続けた。

「いつも悪いな、お前とて多忙な身であるだろうに。」

「別に。私も趣味でやってるだけだし、それにあのくらいなら寝てたって作れるわ。」

「くくっ、お前ならやりかねんな。」

「…フフッ。」

冗談めかした物言いに無表情の少女が僅かに口元を緩ませた。

これも2人が親密な関係にある証であり、普段の彼女は、部下や上司の前でさえ笑みを浮かべることはない、無愛想な子なのだ。
そんな子が僅かでも笑む姿は、おそらくこの悪魔を含めてほんの一握りしか存在しないだろう。

少女はボロボロになった薄いローブ一枚で殆ど裸体に近い服装(?)をしていた。
足を組み替える度に、不健康な色合いながら張りのある美しい太腿が交互に露わになる。つま先まですべすべのモチモチだ。

「…。」

…アンデッドのくせに、どうしてあそこまでお肌に張りが持てるのか。同じ女として、とてつもない敗北感を感じる。

自分のほっぺたを擦りながら、自虐気味にサルガタナスは思った。
…とはいえ、彼女もそこいらの人間に比べればかなり美肌だということに、己自身で気付いていないのが残念なところである。


彼女が密かに傷心している間に、裸族の少女は何やらPCに向かって熱心に打ち込みをしていた。

「…何してるんだ?」

気付いたサルガタナスがPCを覗き込む。

そこに写っていたのは…


「…なんだこれは。」

画面の中で微笑んでいるのはおよそこの世のものとは思えない可愛さを持った女の子。裸族が画面をクリックするとしゃべりだした。

『あ、リッチ君!こんなところで会うなんて奇遇だね!』

「おい、ネビュラ。なんだこれは?」

「見てわからない?ギャルゲーよ。」

ギャルゲー。
PCの中の女の子とイチャイチャする…あれか。以前、あの世界に降りた時に見たことがあったから、知識としては知っているのだが…。
プレイを見るのは初めてだ。

普段から生真面目なことが多い彼女は、物珍しさからか、つい見入ってしまう。

それを見てほくそ笑んだネビュラは、マウスをクリックし続ける。

主人公目線の画面の中では、ヒロインであろう女の子が主人公と楽しげに会話していた。

「…。」

…私も、こんな風に素直になれたらー





そうして順調にゲームは進んでいき、やがて、二つの選択肢が画面に表示された。

「ほぅ、これが噂に聞く『選択肢」か。…ほら、早く押してみてくれ。」

「…ちょっと待ちなさい。…多くのギャルゲーにおいて選択肢は非常に重要な役割を持つのよ。この作品にはバッドエンドも少なからずあるんだから。」

続けて語ってくれた話によると、この作品はギャルゲーの中でも中級者向けのものらしいとのことだった。

…一度もやったことがないサルガタナスにとってはそれがどのくらいのものなのかはよくわからなかったが、とにかく静かに見守ることにした。


彼女の眼前では、ネビュラが顎に手を当てて神妙な面持ちでなにやら考え込んでいる様子だった。

「さっきの麗奈が、こっちの話だったから…となるとやはり……いや、待て。流石にここまでありきたりな展開は…はっ!もしやこれは罠!?」

「…。」

…なにやらブツブツと。まったくついていけんのだが。

それにしても、この明日菜とかいう女は何を考えているのだろう?さっきまで公園で楽しく談笑していたと思ったら、今度はいきなりホテルでベッドインなんて。
節操のないやつだ。…まあ、その後他の女の子とベッドインを繰り返すこの主人公よりはまだマシか。

「うほぉぉぉぉ!!!!ついにリナたんのフラグ立ったーーー!!」

「っ!?」

な、なにが起きたというのだろう。先ほどまでの、あの冷静さからは考えられないほどネビュラが発狂している。

「うひょー!やっとリナたんルートやー!!これは燃えてきたでぇ!!」

…。

…うん、今日見たことは忘れておこう。

親友の意外な一面を目撃してしまったサルガタナスは遠い眼差しで、壊れていく友の姿をジッと眺めていた。







◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆







「腹減った〜、良平ーなんか作ってー!」

怠惰に満ちた声で俺は目を覚ました。

床に倒れこんでいた俺は、ゆっくりと上体を起こし未だ眠気の濃い眼を軽く擦る。

「んぁ?…あ、俺、寝ちゃってたか?」

なんとか鮮明になってきた視界で捉えたのは、壁にかけられた時計だった。
短い針が5、長い針が6を刺しており、外の夕焼けを鑑みるに時刻は17:30であることがわかる。

「…って、待てよ!?じゃあ、俺半日も眠ってたのか!?」

慌てて飛び起きた俺は、ソファの背もたれからひょっこりと顔を出したネビロスが、頬をぷっくり膨らませてむくれていることに気付いた。

「…ご飯。お腹減った。」

「あ、ああ、すまん!すっかり寝入っちゃったみたいで…!今、作ってやるからな!」

俺は急いでキッチンに向かい冷蔵庫を漁った。

あの食いしん坊なネビロスが半日もお預けを喰らっていたのだ!一刻も早く食事を与えねば俺が食われかねん!

我が身恋しさに俺は冷蔵庫にあった余り物の数々を大急ぎでかき出して、調理を始める。
こんなとき、今までの一人暮らしで培ってきた料理の腕が役に立つ。食事を作る際に、1人ではどうしても余ってしまう時が稀にあった。当然、余りを捨てることなど言語道断…というか日切れでもなんでも食わねば餓死してしまう俺は、余り物を如何に効率よく消費するかという点で日々、研究を重ねてきた。
そんな俺だからこそ、寝起きでも的確に食事を用意できてしまうわけだ。

…と、そうこうしているうちに何品かが出来上がった。

「ほい、野菜炒め、と味噌汁な。あ、具はワカメね。」

とりあえずこの2品をテーブルに置く。

「おぉ!これが噂に聞く味噌汁とやらね!…う〜ん、いい香り!」

「ふ、食べてみれば美味しさも分かるぞ。」

「え、いいの?」

「?腹減ってるんだろ?」

「ううむ…でも、つまみ食いはお行儀が悪いっていつもサルガっちが言ってるし。」

おおう…こいつ意外に礼儀正しい。だが、そこが萌える。

…とまあ、さっそく一萌え頂いたところで俺は我に返る。

「…いいんじゃないか?今、あいつ居ないんだし。俺は別に気にしないぜ。」

そう、俺はそういうのは気にしない主義なのだ。確かに、常識的に考えれば品が全て揃っていないのに食い始めるのはタブーだとは思うが、そんなことを言っていたら空きっ腹にはかえって身体に悪いというものだ。ぶっちゃけ俺はどうでもいい。

だから、心配するなと言いたかったのだが…

「…ううん、やっぱ待ってる。」

と、断られてしまった。

「??…どうした?熱でもあるのか?」

昨夜、家の1年分の菓子類を平らげてしまったコイツが食べ物を前にして『待て』をするだと!?
これは熱があるに違いない。

ピト…

「な、なによ…急におでこひっつけたりして…。」

「…いや、熱はないようだな。となると、吐き気は?あ、それとも下痢ー」

言いかけたところで拳が飛んできた。当然、一般人である俺は派手にキッチンまで飛ばされる。

ドンガラガッシャーン!

幸い、ご飯達には被害はなかったが、代わりに上の棚から食器類、主に刃物たちが降り注いでくる。

「いてて……のわっ!?わっ!」

多種多様な包丁が的確に俺の元へ降ってくる。俺は間一髪でそれらを避け、リビングまで必死に這い出た。

「はぁ………殺す気か!!」

「ご、ごめん…まさか包丁が降ってくるとは思わなくて。」

思わず怒鳴りつけると、ネビロスは申し訳なさそうに俯いてしまう。

…反則だ。これは反則だ。

自分で甘いとは思いつつも、俺は溜め息一つ吐いて優しく笑みを浮かべる。

「はぁ、もういいよ。まだ2日目だが、お前の性質は大体分かってきたからな。」

…要はツンデレなのだ。それ以外の何者でもない。そして俺はツンデレが大好物だ。だから許さざるを得ない。

言ってしまえば単純な理屈である。

依然、俯くネビロスの頭を優しく撫でながら俺は言った。

「…よし、残りの料理も運んでくるわ。ちょっと待ってな。」

俺は急いでキッチンに戻り料理を再会した。



















「…ここか。」

都会の中心部、建ち並ぶ高層ビルの屋上に私はいた。
空は既に闇に落ち、眼下にはそんな闇をかき消す人工灯の眩い輝きが広がっている。

「眩しい…。」

その光に私は不快感を覚えた。

ちょっと目を凝らせば、流れる車のライトやらネオンの光やらが無神経にも視界に入り込んでくる。ちょっと耳を澄ませば車のクラクションやら人々の喧騒がいやでも耳に入り込んでくる。

この街は私には合わない。

それでも私がここにいるのは、他でもない。任務のためだ。



私は、帰り際にネビュラから渡されたスマホを取り出した。

「…このタッチパネルというのはいつまで経っても慣れんな。力を入れすぎるとすぐに画面が割れてしまう。」

デーモンとして鋭い爪を持つ彼女にはスマホは難儀せざるを得ない難敵だった。

それでもなんとか目的の画面まで移動する。

「…『都内○○区B地点にて主神の魔力を感知、至急調査を行われたし。』か。」

不躾にも程がある。第一私は食事中だったのだ。それを緊急事態だからと呼ばれてみれば…

調査だと?この私が?ふざけるな。私は大悪魔サルガタナスだぞ。そんなものはハーピーとかにでも任せておけばいいのだ。私のような大物に頼むのは筋違いというものだろう。

「…ふ。」

自分で言っていて馬鹿らしくなる。こんな小さなことにも憤慨するようになるとはな、これではサタン卿のことを言えないな。

ぼんやりと夜空を見上げる。当然、都内の夜空に星を見ることなど出来ず直ぐに顔を下ろした。

…まったく、私はいつからこんなにも小さな器になってしまったのか。

「…考えても始まらん。とにかく、その異常地点まで行くとするか。」

バッ、ビルの屋上から身を投げ出した彼女は、腰に生えた翼を巨大化させ騒がしい夜空へと飛び去っていった。







都内某所ー

薄暗い夜道に小さな影が揺らめく。

狭い道の端々には、生ゴミやらが散乱し刺激的な臭いを放っている。
ネオン街の路地裏には多くのゴミ袋が放置され、異臭を路地裏全体に広めていた。

「…ひー、ふー、みー。…あれ?一個足りないぞ?」

小さな影は何やら丸い物体を指差しで数えた後、はて、と首を傾げた。

「オースタンデッド卿、その辺にしてくれませんか?…ここの臭いは私には少々キツい…。」

その背後に長身の男が立っている。声色からまだ若い年頃である。

オースタンデッド卿と呼ばれた男は、暗闇でも分かるほどに口元をニヤリと歪めた。

「なってないなぁ、最近の若いのは。…これくらい、寧ろ心地良いと感じられるくらいにならねば。」

「…その形で若いとか言われたくありません。…それにこの臭いを好むのは貴方くらいなものでしょうから。」

「クカカカッ!言いよるわ、青二才が。」

どこか異常な雰囲気を醸し出す路地裏に、夜空から新たな参入者が降り立った。

高層ビルより遥か上空から降り立ったにも関わらず、その影は驚くほど静かに着地した。

「…貴様らが報告にあった魔力源か。…ほぅ、これはよくよく主神に似た魔力を放っているな。」

その時、不意に注ぎ込んだ車のライトがその影を照らし出した。

艶やかな黒髪に、歪曲した二本の角、夕闇でも輝く青肌に極めつけは妖しく光る紅い双眼。

不意の珍入者にも、先の2人はまったく動揺を見せずに相対した。

「やっと来たか…待ちくたびれたぜ、悪魔。」

「おや、私を知っているか。」

「知らぬほうが可笑しいでしょう、貴女は仮にもあの悪魔王の配下であったお方なのだから。」

…尊大な物言いだ。私の正体を知っていてなお、この余裕…かなりの実力者か、或いはただの身の程知らずか。

「いずれにせよ、私はお前らを生け捕りにしなければなるまい。本来居るはずのない『勇者』どもが、それも二体存在しているとなればな。」

静かに、だが、圧倒的な魔力を身に纏う。さながらデーモンの名にふさわしいオーラがサルガタナスの周囲を包み込んでいく。

だが、2人の『勇者』は動じなかった。

「…無用心な、その様にただ魔力を放つだけが悪魔の戦いなのですか?」

「…なんだと?」

「カカッ!いや、いいぞ!その魔力量…唆るわ!!」

至って冷静な長身の男に比べ、小さな影の方は興奮した様子で身を屈めた。

「…魔力量だけでもこの歴然とした実力差…唆るわ、唆るわ!『勇者』とは、強大な難敵を相手にしてこそその真価を発揮する。」

「その意見には同感です。…どれ、そろそろ仕掛けて見ますか。」

「!!」

不意に腕を振り上げた長身の男に、サルガタナスは身構える。

「遅い!“溢れ出る魔力の帰結(レポール・アポステンテリ)”」

「っ!?」

短い詠唱の後、突然、サルガタナスの放っていた魔力が彼女自身の身体に凝縮させていく。

乱れた魔力は制御するのに多少の時間を要する。それは大悪魔であっても変わらず、ましてや、ここ数百年、強敵と戦ってこなかったブランクが生んだ油断により、大きな隙が生じてしまう。
それをもう片方の『勇者』は見逃さなかった。否、見逃す理由がなかった。

「…キヒヒッ!!」

「しまっ…!?」

不気味な笑い声を溢したと思った次の瞬間には、小さな『勇者』はサルガタナスの懐まで入り込んでいた。

またしても不意に車のライトがその顔を照らし出した。

「!!お前っ…!?」

「もらったぞ、サルガタナス…。」

チャキッ…

「え…?」

小さな『勇者』の素顔に驚いて直ぐ、彼女はまた驚かされた。

腹部に突きつけられたのは剣ではなく、銃だったのだ。

理解が早いか、その引き金が問答無用で引かれる。

チュドドドド…!!

「ヒャハハハ…!!!!」

腹部ゼロ距離から放たれたサブマシンガンの銃撃は容赦なくサルガタナスの身体を貫いていく。

ドドドドドド…!!

「ヒッハー、ヒャハ、ヒーッハハハハハハ!!!!」

1分にもわたる銃撃の後、腹部を蜂の巣にされたサルガタナスはゆっくりと地面に崩れ落ちた。

小さな『勇者』、オースタンデッド卿はまるでゴミでも見るようにその血溜まりを眺めていた。

「…くだらん。この程度が大悪魔だと?…実にくだらんぞ!サーティス!!!!」

「私に怒鳴られても困ります。…これで死んだのであれば、その程度の雑兵であったということでしょう。是非もありません。」

同じく空虚な眼差しで長身の『勇者』サーティスも、彼女を見下ろした。



「はっ!興醒めだ!!…帰るぞ、サーティス。」

やがて、吐き捨てるように叫んだオースタンデッドは踵を返しどこかへと歩き始める。

「いいのですか?我々の任務は新たなに反応を示した“2体”の悪魔の抹殺だったはずですが?」

その背に、サーティスは声をかけた。オースタンデッドは振り返ることなく手を振り、転移魔法でどこかへと消えてしまう。

1人残されたサーティスは、やれやれと肩をすくめた後、同じく転移魔法でこの場を去っていった。







「ぐっ…くくっ!」

血溜まりの中で、サルガタナスは最後の力を振り絞って壁伝いになんとか立ち上がる。

「…く、くそっ…魔力を乱されたせいで、上手く治療魔法が使えん……このまま…では…。」

よろよろと壁を伝って、彼女はネオン街の方へ歩いて行った。


















「おーい!!待ってくれよーーー!!」

夜も更けた頃合い、俺は何故か猛ダッシュするネビロスを追いかけていた。

「遅い!もっと早く走れないの!?」

遥か前方、小さくなりかけたネビロスが大声で叫ぶ。

…無茶を言うな。人間の俺が魔物の速度に追いつけるとでも思ってるのか?



あの後、食事を終えた俺たちは部屋でゴロゴロしていた。

すると、突然ネビロスが

「っ!!サルガっち!?」

と言って家を飛び出してしまい、それを追った俺は実に2時間もの間こうして走らされて今に至るわけである。

…分かる、自分で言ってて意味がわからんことくらい。でもこれは事実なのだ。

俺はひたすらに走る。
ネビロスの方も加減して走っているのか、姿が見えなくなりそうになると速度を落として俺に合わせてくる。

…素直じゃない奴。

わかってはいるけど、なんだかもどかしい。




そんなことを考えていると、あたりはネオン街になっていた。

「お、おい、ここ…。」

「…。」

声をかけてみるが、どうやら届いていない。

普段のあいつなら顔を真っ赤にして慌てふためくだろうに…それくらい焦っているということなのか?

何の説明も受けていない俺には、追いかける以外に選択肢はなかった。




やがて、奴はある路地裏の手前で立ち止まった。

それから数秒遅れて俺も到着する。

「ハァ…ハァ…!こ、ここに…何か…あるのか?」

「…。」

おいおい、無視か。

「ネビロス?…おいってば!」

「…ねぇ、この光景…貴方にはどう見える?」

路地裏から一時も目を離さずにネビロスが尋ねてきた。
俺は身を乗り出してその視線の先を追う。

そこで俺が見たのはー














ここは…どこだろう?

天国だろうか?

…いや、私は悪魔なのだから地獄が妥当なところだろう。地獄こそ相応しい。


ふむ、それにしては生暖かいな。…火炎地獄か?死後間もないから感覚が鈍っているのかもしれない。

…ん?そもそも死んでから感覚とかって残るのか?でも、それでは地獄として成り立たない。やはり、私は生きて…?

「…?ここ…は。」

天井だ。
1番に視界に飛び込んできたのは古びてカビの生えた汚らしい天井。…どこか見覚えのある天井だが…?

「おっ!気が付いたのか?」

「っ!ま、マスター?」

不意に声をかけてきたのは、あの男だった。

驚いて身体を起こそうと力を入れる。

「?…身体に何か乗ってー」

違和感を感じた胸部に乗っかっていたのは、ネビロスだった。

「ネビ…ロス。」

「すぅ…すぅ…」

上体をサルガタナスに預けた彼女はそのままスヤスヤと眠りこけていた。

「な、なんで…あんなにも私のこと嫌ってたのに。」

…意味が分からない。彼女は悪魔時代から私に対して嫌っているような態度を取ってきた。だから私もいつしか彼女に対して厳しく当たるようになって…

「なのに…なんで?」

「んー、ツンデレだからじゃね?」

あの男が不意に口を挟んできた。

「つん…でれ?」

それは一体なんなのだろう?

「…要するに天邪鬼ってやつだな。素直になれないやつなんだよ、こいつは。」

バカな…そんな簡単なことで、こいつは私に冷たく接していたというのか?

「あ、バカらしいって思ったろ?」

「!…い、いえ、そのようなことはー」

「現にこいつは、一日中ぶっ通しで治療魔法を掛けてくれてたんだぞ?」

「!!」

…あのネビロスが…私の…私なんかのために。

ポロポロ。

「あ…あれ?」

何故だろう…涙が溢れて止まらない。

「…サルガタナス。」

「私…なに1人で粋がってたんだろ…今も昔も、この子に支えられて生きてきたっていうのに。」

訳も分からず涙を零す。…いや、訳ならとっくに気づいてた。或いは、とうの昔に気づいてたのかもしれない。それでも、私は矮小なプライドのためにそれを押し殺して、気づかない振りをしていたんだ。

「なんて…バカな女。私…なんて。」

「サルガタナス…。」

ポス、とマスターの手が頭に乗せられた。そのままわしわしと撫で回される。

「な、なにを…?」

「ん?撫でてる。」

「わ、わかってます!それは!…だから、どうしてそんなことを?」

戸惑うばかりの私に、マスターはそれでもニッコリ微笑んできた。

「俺はお前のマスターだぞ?お前らと俺は一心同体。痛みも悲しみも喜びだって、俺はお前らと分け合いたい。…それは傲慢か?」

…何の恥じらいもなく、この男は…まったく。人の気も知らないで。

理由も理屈もへったくれもない。まったくの無根拠からくる自信。…私には無いものだ。
…でも、だから私はー

「…ええ、傲慢です。貴方ごときが私たちと全てを分け合おうなどと…そんな傲慢なことを言うあなたはー」

…だから、私はこんなにも信頼してしまいたくなるんだろう。

これまでのどの君主に対しても、私は何らかの条件を設けていた。否、理由を求めてきた。だが、だからこそ…!
無条件の信頼を抱ける相手を、ずっと探していたのだろう。そしてやっと…

「私は…貴方に会えたのだな。」

…そして、この子とも。

「?…おう!」

…またそんな分かってもいないのに、分かったようなフリをして。相も変わらず無責任な男である。

「…だから、私が守らねばな。」

「…え?」

私は自然と笑みをこぼしていた。

勇者とか…任務とかもうどうでもいい。私は…サルガタナスはこの男を主人であると改めて誓うことこそ今最優先すべき事柄だ。

だから精一杯の笑みでこの男を…マスターを見つめた。

「私、サルガタナスは貴方をマスターとして認め…生涯この身を捧げることをここに誓います。」

…だからここに誓おう、私は…今後、決してマスターを疑わない。一生、側でお仕えすると。










「…ところで、さ。こいつら…どうにかしてくんない?」

「?こいつら?」

マスターが指差す先に居たのはー

「あぅ〜…人間…に…やられた。身体…バラバラ。」

ウネウネと五体バラバラのままで蠢めくゾンビだった。

「あ!まさか…あの路地裏に転がっていたのは…貴女だったの?!」

マスターが苦笑しながら指差す先には、体がバラバラになった5体分のゾンビ片達が蠢いていた。

「いやー、お前を連れてこうとしたらいきなり足掴まれてさ、めっちゃビビったぜ。」

「うー…人間、あたしたち、切り刻んだ。…だから、警戒…。」

「でも…あなた…いい人。わたしたち、助けた。」

「うー…。」

ゾンビ娘たちは、それぞれにたどたどしいながらも喋ることは出来るようだった。…うーん、俺の知ってるゾンビよりちょっとばかし利口なようだな。よく見ると可愛らしいし。



「…。」

サルガタナスは顎に手を当てて考え込むような仕草を見せた。
見たところ、この娘たちも『魔物娘』とやらに見える。同じ存在として何か事情を知っているのかも知れない。

時折、呻るような声を出しながらしばらく考え込んでいた彼女は不意に口を開いた。

「お前達、主人とする者はいるのか?」

突然の問い掛けにも、ゾンビたちは先ほどと変わらずぼー、としながらも答えた。…やはり、見かけによらず彼女たちは人並みの知能を有しているらしい。

「いないよ〜…わたしたち、いきなりこの世界に呼ばれてから、あんまり人間とも会ってないし…。」

「そーそー…森でのんびり…してたら…いきなり目の前が、パー…って光って。」

「気がついたら、ここに来てたのー。」

おっとり、というかかなりスローで語ってくれたゾンビ娘たちの話にサルガタナスはふむふむ、と頷いてからこちらに向き直った。

「マスター、この者たちは何らかの事故でこちらの世界に来てしまったようです。…見たところ、頼れる者もこの世界には居ないようですし。
我々で保護するというのはダメでしょうか?」

「え?」

真剣な眼差しでこちらを、俺の眼を見つめて提案してくる。

…正直驚いた。だって、俺の勝手な印象ながらこいつは慈善活動とかそういう類に関してあまり興味を持たない奴だとばかり思っていたからだ。
そんな彼女が、真っ直ぐ、俺の目を見て訴えかけている。

「…となれば、頷くほかにないな。」

「!それでは、マスター!!」

「ああ、ゾンビっ娘は俺らで保護しよう。」

「ありがとうございます!!」

ぺこりと頭を下げるサルガタナス。…いや、なんだかこいつも可愛らしいとこあるじょないか。

「…んで?しばらくはウチに置いとくとしても、どっかに引き取ってもらうんだろ?」

長くても一月くらいならなんとか大丈夫そうだけど、ずっとは流石に無理だ。…俺の家に8人を養うだけの備蓄は無い。

「ご安心を、既に魔界のほうに伝令を出しました。3日もすれば魔王軍が引き取りに来るでしょう。」

「やけに時間が掛かるな。どうしてだ?」

「私やネビロスなんかは、マスターとの契約で自由に行き来できるのですが…それ以外の者たちは、この世界に入るには少々手続きが必要なのです。」

「?手続き?」

「はい…現在、この世界と私たちの世界のコンタクトはかなり難しい状況にあるのです。本来、我々の力を持ってすれば異世界へのコンタクトなど造作もないことなのですが、なぜか、この世界とだけは妙なバグの所為で上手く繋げることが出来ないのです。」

「ふーん…ま、何はともあれ3日すれば引き取ってくれるんだな?」

「ええ、それだけあれば大人数でもゲートを潜ることが出来るでしょう。」

それなら特に問題はない。
俺としても身寄りのない女の子たちを叩き出すのは忍びないからな。とりあえずはウチで保護しよう。

「…それに。」

ちらり。

俺はゾンビ娘たちに目を向けた。
今はまだ、五体バラバラだがそれでも、なんとなくこの娘たちが結構レベルの高い美しさを持っているのは明白だった。
…ああ、あの太腿とか触りてぇ。

「マスター。」

「っ!な、なんだよ。」

いきなり声をかけられたので一瞬、挙動不審になってしまった。

「ジー…。」

「…な、なんだよ。自分で効果音付けながらこっち見て。」

…我が使い魔がこちらを見ている。怪しげに見ている。

だが大丈夫、堂々としていればバレたりはしない。

「お、おお俺に、な、なんか、よよよ用、か?」

…。だめだ。失敗だ。

いよいよ怪しさMAXになってきた俺に、サルガタナスは無言でジリジリと詰め寄ってくる。
そして俺の顔の真ん前まできたところで口を開いた。

「…今、ゾンビの脚見てましたよね?」

うあ、やっぱバレてた。

「な、なに言ってるんだ。誰も…足なんか……チラッ。」

「あっ!ほら、見た!!今見た!!」

仏頂面がこちらを指差しながら叫んでくる。その顔は必死そのものだ。

「み、見てねぇし!言いがかりつけんのも大概にしろよ。…チラッ。」

「あ、ほら!見てるじゃないですか!!嘘つき!!」

「み、見てない!!」

「見てた!!」

「見てない!!」

…いや、待て。このやりとりいつまで続けるつもりだ?

俺は迫るサルガタナスの肩を掴み強引に押し戻した。

「ちょっと待て、仮にお前の言う通り俺がゾンビ娘たちの足を見ていたとして。お前にどんな迷惑があるというのだ?」

「!!そ、それは…」

サルガタナスは言い難そうにもじもじとしている。

「ほれみろ、無いんじゃないか。」

「あ、あああります!!ありますとも!!」

必死に訴えかけてくるサルガタナス。その顔は必死を通り越して焦りに満ちていた。
…うーん、あのサルガタナスがあたふたとしている様は、なんだか見応えがあるな。実に可愛らしい。…もう少しいじめたくなる。

「ほう…言ってみろ。」

「っ!そ、それ…は。その…。」

直接の回答を求められるとこいつは途端に言い淀む。…理由はなにか知らんが、なんとなく面白い。

「ん?はっきり言ってみな。ほれほれ。」

煽るような俺の口調に彼女は顔を赤らめながらキッと睨みつけてきた。…お、怒ってる?

そして、必死にすぼめていた唇をゆっくりと開いた。

「ううっ…だって、悔しいから。」

………え?

「??ん?んん?ど、どいうこと?」

「もう!貴方、本当に鈍感なのですね!」

ど、鈍感…?

俺が訳も分からず惚けていると、なんと彼女は自分のスカートをつまみ上げてチラリとこちらに太腿を見せつけてきた。

「ぶーー!!!?な、なにしてんだお前!!」

驚く俺に対して、サルガタナスは恥じらいながらも更にスカートを上げていく。
…や、やめろ!それ以上捲ったら!俺は死ぬ!!…ああ!でもみたい!続けて!!

「ハァ…ハァ…ま、マスター、私だって…自信あるんですよ?」

「うおぉぉぉ!?」

あっ…あっ!もう少し…!もう少しで、露わに…!!!!


「ねぇ…何やってるの、あなた達?」

「!!」

「!!」

ゾクリ…。背中に悪寒が走った。

不意に声をかけてきたのは先ほどまでベッドでスヤスヤと眠っていたネビロスだ。なんだか冷酷な眼差しで俺たちを見下ろしている。

「サルガタナス?」

「ひっ!?な、なんですか?」

ジロリと睨むようにサルガタナスの方を向いたネビロスはドスの聞いた声で名前を呼んだ。…呼んだだけなのに、なんでこうも恐ろしげに感じるのだろう。
呼ばれた本人もビクリと身体を震わせて反応した。

「…貴女、私が眠っている間に抜け駆けしようだなんて。…いい度胸ね。」

「ち、違います!そういうことをしようとした訳ではなくて!なんというか…そう!テスト、みたいな…?」

…なんのテストだ。少なくとも俺はおいしい思いしかしてないぞ。

苦し紛れの意味不明な言い訳が、お怒りモードのネビロスに通じるわけもなく…

「…あたしが…あたしが、せっかく看病してあげたっていうのに…!貴女はこんな時まであたしを…!!」

ネビロスの周りには見るも恐ろしい魔力流が渦を巻いていた。
流石のサルガタナスもこれにはたじろいでしまう。

「マスター…この場から離脱しましょう。」

「え?」

…と、次の瞬間には俺をひょいとお姫様抱っこしてしまう。…やめてくれ。俺も一応男の子として、女の子に抱っこされるのは流石に恥ずかしい。

「…サルガタナス、一応聞いておくがこのまま外に出るつもりなのか?」

「無論、脱出します。」

…ああ、そんなはっきりと。

俺は誰の目にも触れない事を切に願いつつ、一蹴りで窓の外へ飛び出したこの使い魔に身を委ねることにした。
















私は、夢を見た。



遠い記憶…その彼方に微かに残る“悪魔”として存在していた頃の情景を、思い出していた。


真っ赤に燃える世界。それを眼下に眺めつつ、私は小高い丘の上に佇んでいた。


『世界が見えるか、我が同胞よ。』


不意に、隣に立つ有翼の男が声をかけてきた。
私は振り返りその姿を眼孔に焼き付ける。

漆黒の身体を持ちながら、輝く一対の翼を持ち美しい金髪を備えた整った顔立ちの男。堕天使を統べる大いなる王…


『ここはゲヘナの一端…全てを見ることは叶いません。少なくとも私には。』


『…左様、この場から見えるのはこの世界の一部に過ぎぬ。ましてや、すべての世界から見ればほんの一握りの小さな野原でしかない。』


野原…煌々と燃ゆる眼下の地獄を野原と述べた彼は次に人差し指を立てて真っ直ぐ天を指し示す。


『この暗黒の天蓋を抜ければそこは世界よ…地下であろうと洞窟の中であろうとも、そこは紛れもなく世界だ。…この果てしなき地獄とはかけ離れた世界よ。』


『恐れながら陛下、地上もこのゲヘナも、さして大差はありませぬ。…愚かにも地上の生物たちは無意味な争いに日々を費やし、美しい世界を汚す毎日です。愚者共に穢された無垢なる世界は、このゲヘナに相当する地獄絵図であります。』


…そうだ。私はこの目で何度も見てきた。

出向く度に、浅ましい思惑で殺戮を、破壊を繰り返す知性生物共の蛮行を。だから、私は世界に絶望していた。



『…あげく、彼らは自らが起こした災禍を我ら悪魔の所為だと述べているとか。…なかなかどうして救いようのない者達です。』


私の話を聞いているのかどうか、彼は天蓋を見つめたまましばらく動かなかった。





『…サルガタナスよ。』


『?何でしょう。』


『お前は、その程度で世界に絶望しているのか?』


『…。』


『だとすれば、お前はまだ青いな。…お前は世界を知らな過ぎる。もっと、世界を見るべきだ。』


有翼の王、悪魔の王はゆっくりと振り返りその白銀の眼孔に私の姿を写し込む。


『…地上へ、かの森へ向かえ。そこにお前が会うべき者がいる。』


『…?陛下?』


…当時の私にはそれが何の意味を持つのか、理解することはできなかった。普段から道楽を好む方ではなかったために、その言葉が意図することにはてんで心当たりが無かった。

我が王はそれでも優しく微笑み繰り返した。


『行け、サルガタナス。お前ならば彼女との邂逅も果たせよう。…うまくやっていけるに違いない。』


『なにを…なにをお考えなのですか、陛下。』


『ふ…最後の最後にとんだ酔狂に走ったものよ。…だが、私ではダメなのだ。かつて、大義名分を翳しながらも、争いによって世界を変革しようとした私ではな。』


そして、かぶりを振った王はさらに続ける。


『…いや、それも今は過ぎたること。今はただ、すべての罪を背負い、討たれるべきに討たれるのみだ。…さあ、行け。サルガタナスよ。じきにここにも、あの“影の英雄”が来る。私は彼と戦わねばならない。』


『な!?それならば私も…!!』


『ならぬと言った!!…お前たち若い世代にはまだ選べる選択肢が残っている。…幸い、お前のその心はまだ悪に染まっていない。それならば奴に快く受け入れられよう。…いや、それでも受け止めるのがあの夫妻な訳だが。…クク。』


『陛下…。』


その眼は哀愁に満ちていた。…いや、それだけではない。怒りや悲しみ、喜びに怠惰に…どす黒く直視できぬほどの憎しみも伴っている。あらゆる感情をその瞳に秘めた彼はこの時何を思っていたんだろう。



…今の私に、それを知る術はない。





















「…。」

瞼が開き、視界が開ける。

「夢…か。」

なんとも懐かしい夢だった。私が魔物娘になる前、かつての主君と交わした最後の言葉。

「あれからもう…随分と長い年月が過ぎたのだな。」

「おはよう、サルガタナス。お前が寝てるとこ初めて見たぜ。」

不意に掛けられた声に、物思いに耽っていた私は我に返った。
腰掛けた椅子の肘置きに手を掛けて、ゆっくりと立ち上がる。

「…おはようございます、マスター。どうやら寝入ってしまったようで…ところで今は何時ですか?」

マスターはポケットをごそごそと漁ってタブレット端末を取り出した。

「ええっと…7時、かな。朝の。」

「ええ!?もうそんな時間なのですか!も、申し訳ありません!すぐに食事の用意を…!」

「あ、いや、いいって。今朝はパンで済ますことにしたから。…それにそろそろ学校に遅刻してしまうからね。」

「?学校??」

その言葉に私ははてなマークが浮かんでしまう。

「あれ、言ってなかったっけ?俺、今、隣の市の高校通っててさ、だから急がないと遅刻しちまうんだ。」

こ、高校生!?

「初耳です!ならせめて、学校まで私が転移させて…」

「いやいや、いいよ。転移なんかして高校のやつにバレたら大変だし。」

「なにを仰います!私になら、一般人を欺くことなど造作もありませぬ。」

「いや、ほんといいって!…それに、一般人には…だろ?」

その言葉に私は反射的に反応してしまう。…まさか、昨夜のことを知って?
…思えば当然か。あれだけの傷を負っていて、何もなかったと言えるはずがない。大方、ネビロスのやつが何か事情を掴んで…

「…ネビロスに聞いたよ。昨日のこと。」

…やはりな。

「あのお喋りめ…」

「そう言ってやるなよ、あれでもあいつなりに心配してのことだと思うぜ。」

…それは嬉しいけど。

「…むぅ。」

「はは!そうやって赤くなるとこ、俺は可愛いと思うな。」

「か、かわっ…!?」

何をいきなり言い出すんだ、このマスターは!!

「…ま、それはそれとして。今、外を出歩くのは危険だって話だな。とにかく。」

「…。」

…反論は、ない。確かに、奴らは悪魔を2体と言っていた。おそらく私とネビロスのことに違いない。この閉ざされた世界で、悪魔のコンビと言ったら私らをおいて他にいないからな。…お優しいマスターが心配しないはずがない。

「…ですが、マスター。その言葉はネビロスにこそ言ってあげたほうがいいのでは?」

「?ネビロスになら昨日伝えておいたぞ。…なぁ?ネビロ…ス?」

窓の方を見たマスターがそのまま硬直してしまう。その視線の先を見てみるとー


「ん…しょ。よい…しょ。」

ベランダから逃走を図るネビロスの姿があった。

「うおぉぉぉい!!なに、言ってるそばから抜け出そうとしてんだ!?」

慌ててマスターが止めに行く。
羽交い締めにされたネビロスは、手足をバタつかせて悪足掻きを見せた。

「は、離しなさい!!私はこれからショッピングに行くの!」

「はぁ!?この状況でショッピングとか…!何考えてんだ!!」

「いいじゃない!魔法で変装しておくから問題ないでしょー!」

「そういう問題じゃないし!それにそれならなんでベランダから飛び降りようとしてんだよ!?ここ8階だぞ!?」

「だって、素直に玄関から出してくんないかでしょ!?貴方!だから飛んで行こうと思ったの!」

「隠れる気ゼロじゃねーか!!こんな真っ昼間から空飛んでたら一発でバレるぞ!!」

「平気よ!上手くごまかして飛ぶから!!」

「だからそういう問題では…!!」


ワイワイ、ガヤガヤ。

「…。」

…なんとも仲がいいことで。


目の前で仲よさげに騒ぐ主と同僚を眺めながら私は深い溜め息を吐いた。

「ネビロス、マスターの言う通りだぞ。…連中は私たちがこの世界に来たのを既に感知していた。その上で正体まで看破して見せた。…この意味、お前ならわかるだろう?」

実に冷静なサルガタナスの言葉に、ネビロスは大人しくなった。そして、苦々しい顔で答える。

「…高位の探知能力。連中は手練れの勇者で間違いないわ。」

「そうだ、だから私たちの変装だってどこまで見破られるか分かったもんじゃない。」

「それでも!…元悪魔の私達なら!」

「無理だ。…現役ならいざ知らず、今の私らに対魔の存在である勇者の、それも熟練のベテラン勇者を欺くのは恐らく不可能だ。それに連中の中に高名な魔導師がいる可能性だってあるんだぞ。」

重く、厳しい口調で語るサルガタナスに、ネビロスも観念したのか項垂れてしまった。

俺はそれを見てほっ、と胸を撫でおろした。

「…ふぅ、んじゃ行ってくるけど、くれぐれもネビロスのことを頼んだぜ。」

「あ、はい!…申し訳ありません、お忙しいなかお手を煩わせてしまって。」

「気にすんな、俺だって2人が心配なんだからな。好きで世話焼いただけだ。」

そう言って俺はサルガタナスの頭に手を乗せて優しく撫でてやる。

すると、彼女は途端に顔を真っ赤にして俯いてしまった。

「…きゅぅぅぅ。」

「お?」

…こいつ、頭撫でんとおとなしくなるな。…有事の際はこれで乗り切ろう。

「じゃ、行ってくるぜ!」

「あっ…!」

マスターの手が離れる。

私は思わず声を上げてしまった。

「じゃなー!!」

幸い、マスターには気付かれず、そのまま走り去ってしまった。

「い、いってらっしゃいませ…。」

…ふぅ。

マスターを見送った後、玄関の扉を閉める。

そしてリビングへと戻ると、未だ項垂れたネビロスがいた。

「…いつまでそうしてるつもりだ。」

「…。」

…応えない、か。あれでもソフトに言ったつもりだったんだがな。

「そう気を落とすな。あくまで可能性の話をしただけだ。…悪魔だけにな。」

「…。」

…おい、ここは反応すべきだろ。ただの寒いオヤジギャクになってしまったじゃないか。


腰に手を当て、また溜め息を吐いてしまう。…最近、癖になってきたな。

「…奴らと戦って気付いたことを教えてやる。よく聞け。」
「先ず、奴らはこの世界に来てかなりの時間が経っている。先の戦闘で1人がこの世界の銃器の扱いに随分と手慣れていたからな。まあ、予想だが。
…次に奴らの戦闘力…というか力量のようなものだが。…純粋な魔力量では私たちに武がある。…しかし、技術、その他総合的な実力からみれば…

…おそらく今までで最強の相手だ。」


「!!!!」

「そう驚くことでもないだろう、勇者相手とはいえ、私がたかが2人に負けたんだ。…それに昨夜の2人はおそらく斥候。後ろにどんなバケモンが潜んでいるのやら…。」

ネビロスは俯いたまま、何も答えない。それでもサルガタナスは話を続けた。


「…私は陛下に相談すべきだと思う。」

「!待ちなさいよ、そんなことで魔王の手を煩わせていいわけが…」

「そんなことも言ってられんのだ…現に彼らは既にこの世界に入ってきた魔物娘たちを次々に…。」

「!!そ、そんな…じゃあ、ここ最近行方不明になっている子達って…」

「…ああ。多分、奴らの手にかかって。」

ようやく顔を上げたネビロスは怒りに満ちた表情で拳をバスン、と掌に打ちつける。

「許さない…あの子らに何の罪があるっていうの?」

「怒りはもっともだが、先走るなよ。…先ずは陛下への報告が先だ。」

ネビロスも納得したのか、静かに頷く。
それを確認したサルガタナスは短く詠唱をして空間に小さな歪みを作り出した。その中心に丸い鏡のようなものが形成され中にネビュラが映し出される。

『あら、サルガタナス。何の用?』

「至急、陛下に繋いで欲しい。…例の勇者の件だ。」

『!!…それで?』

「…援軍を、要請したい。事は我らだけの手には負いきれないほど大事になりつつある。」

『根拠は…?』

「先ほど、調査に出向いていたデビルから報告があった。奴らはこの世界の遺跡を荒らして回っているようだ。つまり……例のアルカナが、関係しているかも知れん。」

『な、なんですって!?で、でもアレの存在は勇者にとってはなんの価値もないはずなのに…。』

「あるいは…奴らの背後についているものに関連しているのかもな。」

『背後?…それって…つまり。』




「…神だよ。」





15/12/24 10:19更新 / King Arthur
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