連載小説
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乖離あるいは選択


地に足がつかないとは、まさに今の私のような状態を言うのだろう。

とにかく、ウィルの居るあの場所から離れたかった。
ただそれだけで、何も考えずにフラフラと進めていた足は、自然とこの洞穴へと向かっていたのだ。
いつの間にか、周囲は日も落ちて暗くなっている。
鬱蒼とした森林は夜の闇を一層濃くしていた。
しかし、目前に大口を開けた洞穴は、森の闇すらぬるく見える程に深く果てない闇を湛えている。

いっそ、私もこのまま闇に溶けてなくなってしまえばいいのに。

こんな無意味で詮無い思考で埋め尽くされる。
この洞穴の闇ならば、それも不可能ではないような、そんな気がした。
それで、脳裏に刻み込まれたウィルの怯える表情や、この絶望感を忘れられるならば、それも悪くない。

一瞬立ち止まり、辺りを見回した後、洞穴の中に足を踏み入れる。
足を踏み入れた瞬間、身体を包むひんやりとした空気。
まるで、巨大な怪物の口内に呑みこまれるように、私の身体が闇に溶けていく。
恐ろしくも、妙に心地の良い感覚。
戻るべきところに戻ってきたという安心感。


「あら、驚いたわね。今日はもう来ないかと思ったのに。」


じめじめとした空気をピンと張りつめるような凛とした声。
涼やかな声だというのに、奥に潜む蕩ける様な甘さ。

ズチュリ……ズチュリ……

重い水音が、声に遅れるようにして響く。
腹の底を舐めとられるような感覚に身が震える。
暗く淀んだ洞穴の闇の奥、まるで浮かび上がるかのように、『彼女』の姿が現れる。

「いらっしゃい、エスティアちゃん。」

「っ……!」

艶めかしい彼女の姿を見た時に、私が感じたのはどんな感情だったのか。
自分でもよく分からないが、例えるなら安心感のようなものだったのではないかと思う。

「フラウ、様……」

意図せず彼女の名を呼ぶ。
ようやく、此処に来て彼女の名を口に出すことが出来た。
彼女の名前を口に出した瞬間、今まで抑えてきた感情が溢れて止まらなくなる。
どうやって今まで感情の発露を抑えてきたのか分からない。

「え、ちょっと、どうしたのエスティアちゃん?
 あ、ほら、あなたは少し奥に居て?」

珍しく気の抜けた声を上げるフラウ様。
同時に腰の辺りの触手の塊に声をかけ、洞窟の奥に向かわせる。
少し慌てる様に、彼女の旦那が器用に歩いて洞窟の奥へと消えていった。

「うぐ、うぅう……っ」

必死で抑えようとした嗚咽が、口の端から漏れる。
浮かぶ涙を見られたくなくて、少しだけ顔を伏せた。
どれだけ身体に力を込めても込み上げる涙が抑えきれず、身体を小刻みに震わせるだけ。。

「ああ、よしよし。どうしたのエスティアちゃん。
 ほら、大丈夫だから……」

底なしに優しい声音で、フラウ様が近寄ってくる。
そのまま子をあやす母のように、触手で私を抱きしめた。
ひんやりとした温度とぬめりとした感触。
恐怖を感じるのが自然なのだろうが、私が感じるのは強烈な安堵だった。
例えば、昔、母に抱きしめられた時のような、そんな感覚。

「う゛うぅ……ぐずっ……」

恥も外聞もなく嗚咽を漏らすと、抱擁がいっそう強くなる。
フラウ様の肌の柔らかさと、奥に感じる体温に心が溶ける。

「ほら、大丈夫よ。
 一体どうしたの?昨日は元気だったじゃない。話してごらんなさいな。」

薄紫の綺麗な手が、私の頭を優しく撫でる。
あるいは、彼女ならば私に聞かずとも私の悩みは分かるのかもしれないが、そうはしない優しさが嬉しい。

「わ、わたし、ウィルに、嫌われて……っ、えぐっ……
 あの子は、嫌がってたのに、私を、先生としか見てないのに……!
 なのに、私、ひどい事を……」

言葉を塊にして吐き出すように、ゆっくりと吐露する。
一度言葉に出してしまうと、もう止まらなかった。

「どうすればいいのか、分からなくて、こんな気持ちになるのも、初めてで……!
 うぅ、私、どうすればいいんですかぁっ……!」

情けない話である。
フラウ様からしたら、こんな事言われてもどうしようもないだろうに。
それでも、頭を撫でる手や私を包む触手が妙に優しくて、甘えるような事まで口に出してしまう。

「よしよし、そう、辛かったわねぇ……。
 うん、ごめんなさい。私が少し急ぎ過ぎたわね。
 もっとゆっくり色々と教えてあげるべきだったかしら。」

「え……?」

言葉の意味を分かりかねて、少し顔を上げると、更に抱擁の力が強くなった。
優しい感触に、思わず私も彼女の細い腰に腕を回してしまう。

「……エスティアちゃんが私の想像以上にいい子過ぎたわ。
 普通の娘なら、そんな風になるまで気にする事も無いでしょうに。
 本当に、優しい娘ね。ウィルくんも幸せ者だわ。」

「うぁ……フラウ様……?」

「私なら、あなたの悩みの種をきれいさっぱり消してあげる事も出来る。
 だけどね、それじゃダメなの。
 エスティアちゃんがしっかり悩んで、考えないとね。」

いつもよりもずっと優しい声が、耳元から響く。

「エスティアちゃんとウィルくんの恋だもの。
 私が全部用意したんじゃ、きっと後悔するわ。」

「こ、い……?」

昼のおばさんとの会話を思い出す。
おばさんも、これは恋だと言っていた。
やはり、私のこの不安定な感情は恋愛感情なのか。
しかし、これが本当に「私」の感情なのか確信が持てない。
この感情がフラウ様の異能によるものだとしたら、私は一体どうしたらいいのか。

「だ、だって、これは、フラウ様が私を変えた影響じゃ……」

「あら、私はあなたに女の幸せを『教えた』だけよ。
 エスティアちゃんが、ウィルくんを選んだのも、こんな風に悩んでるのも、あなたの感情。
 自信をお持ちなさいな。あなたの恋は、あなたのものだから。」

「え、あ……」

さらりと言い放たれた言葉が、すらりと頭に入ってこない。
ウィルを選んだのが、私?

「……ごめんなさいね。私も未熟なのよ。
 こういう時に、女の子をどうやって慰めたら良いのか分からないの。
 だから、ここは魔物流でいきましょう。」

……クチュクチュ……クチュクチュ……

「あ……♥」

身体を優しく包んでいた触手が、一斉に淫靡な水音を奏でる。
もう何度も聞いてきた音に、絶望に沈んでいた心すら喜色が混じった。
しゅるしゅると、蛇が獲物を捕らえるかのように触手が頭に巻き付いていく。
痛みは一切ない。
頭の奥の方を優しく包むようなぼんやりとした感触。

「総仕上げよ、エスティアちゃん。
 あなたのその感情が、とてもとても素晴らしい物だってしっかり教えてあげる。」

「あ゛っ……うあ゛……っ♥」

徐々に、フラウ様の声が遠くなっていく。
身体とそれ以外の境界が曖昧になって、彼女の身体に溶け込んでいくような感覚。
抗いようのない、抗う必要性も感じない、甘い恍惚。

……クチュクチュ……クチュクチュ……

「きっと、忘れられない夜になるわ。
 ふふ、楽しみね?」
 
そう言って、ふわりとフラウ様が笑うと、額に巻き付いた触手がぎゅっと締まった。
瞬間に、身体の力が入らなくなる。
身体の芯を、そっくりそのまま抜き取られたかの様な脱力。
身体の力が緩み、表情がだらしなく蕩け、それを追いかける様に精神が堕ちていく。

「あぁぁぁ……♥」

魂ごと抜け落ちていくように、口から情けない声が漏れた。
止めようと思っても止められないし、止めるつもりも既にない。
彼女に抱き留められていた私の身体が弛緩し、全体重をかけて寄りかかる。
柔らかでひんやりとした身体に埋もれていく。

「よしよし、いい子ね。
 もっと、力を抜いて、トロトロになっちゃいましょう?」

……クチュクチュ……クチュクチュ……

「う……あ……あぁ……♥」

どろどろに、溶けていく。蕩けていく。
渦巻くどろどろとした快感に、身体が溶けて消えていく。
私の身体は、既に快感と恍惚のスープの中。

……クチュクチュ……クチュクチュ……

「ふふ……♥
 エスティアちゃん、すっかり虜ね?
 すこし撫でてあげただけでこんなに蕩けちゃって。
 トロトロになっちゃうの、好き?」

なにもかもが胡乱な世界で、唯一明確に聞こえるフラウ様の声。
投げかけられた問いに、反射的に返答する。

「は、はいぃ……すき、好きぃ……♥
 くちゅくちゅ……すきぃ……♥」

呂律の回らない声で叫ぶと、嬉しそうにフラウ様が笑った。

「可愛い……♥
 大丈夫よ。私が、あなたの不安も後悔も今は忘れさせて上げる。
 あなたは、幸せにならないといけないのよ。絶対に。
 だから、今は、その快感にに全て委ねて?
 ほら、キモチイイ。キモチいい。キモチイイ。」

……クチュクチュ……クチュクチュ……

「あ゛ああ……う゛あ゛ぁぁぁああ……♥」

声に導かれるまま、快感に身を任せていく。
目は開いているのに、自分が何を見ているのか分からない。
ドロドロとした快感が、時折電流のように鋭く体を隅々まで走っていく。
なんとか、認識できた自分の秘所に、柔らかな肉の感触。
これが自分の指だと、数刻遅れてから気付いた。
無意識で、手を股間に動かしていたらしい。
はしたない。
いやらしい。
気持ちいい。

「はは、あはっ♥きもち、いい。キモチイイ……♥」

……クチュクチュ……クチュクチュ……

誰に言う訳でもなく、快楽を叫ぶ。
歪んだ口元から涎が垂れる。

「あらあら、もうすっかりオナニーも上手になっちゃって。
 毎日のようにオナニーしちゃってたんだ?」

少し嗜虐的な声でフラウ様が尋ねる。
羞恥を感じる余裕も無く、私は遮二無二肯定するしかない。

「はい、はいぃ♥
 すき、すきぃ、おなにぃ、すきぃっ!」

大声で返答すると、更に指の動きが早く激しくなる。
高まる快楽に抗う気もおきない。
決壊寸前の快感が身体を走り回って、そこらじゅうの筋肉がビクビクと跳ねる。

「すごい痙攣……
 エスティアちゃん、もうイッちゃいそうなの?」

「あ゛っ♥
 イク、はい、イキます、い、クっ……♥」

いつでも絶頂に達せるように、身体を強張らせる。
もう、何度も体験してきたあの感覚を目指して一心不乱に貪った。
しかし、

「だめよ。」

……クチュクチュ……クチュクチュ……

彼女の甘く厳しい声と、水音で、あれだけすぐ傍に感じた絶頂が遥か遠くに行ってしまった。

「え……?
 あ、なんで……?
 なんでっ?なんでぇっ!?」

確かに、快感は感じるのに、決定的な何かが足りない。
激しく指を動かせば身体は跳ねるのに、あと一歩の所で快感が止まってしまう。
あと少しなのに、もう一歩なのに。
最高の快感をおあずけにされてしまい、半狂乱になって叫ぶ。

「だーめ♥
 まだイっちゃ駄目よ?
 一人でするのも気持ちいいだろうけど、勿体ないわ。
 あなたには、大事な人が居るじゃない。
 女の子だもの。好きな人と一緒に気持ちよくならないとね?」

クリアに響くフラウ様の声だが、その真意が分からない。
大事な人というのは、ウィルの事だろうか。
しかし、彼が此処に居る訳もなく、おまけについさっきあんな別れ方をしてしまった直後だ。

「ふふふ、不思議そうな顔しちゃって可愛いんだから。
 もちろん、本物のウィルくんは連れてこられないけれど、こういう事なら出来ちゃうのよ?」

そう言うなり、フラウ様の触腕が私の両眼を覆う。
完全に視界を遮られ、更に今までにない程に甲高く水音が鳴った。

……クチュクチュ……クチュクチュ……

「う、あ……?」

頭の奥を、水音が這い回るような奇妙な感覚。
視界は完全にふさがれて、暗闇の中に居るというのに、視界の端で「何か」が徐々に像を結んでいく。
この奇妙な現象への違和感も水音でかき消され、徐々に鮮明になっていく像にくぎ付けになってしまう。
確かに、そこに、なにか、誰かが、居る。
深い暗闇に浮かび上がるようにして、その誰かが鮮明になっていくのだ。

「ウィ、ル……?」

彼が何者か、薄々気づいてはいたが、それでも信じられなくて、愛しい彼の名を呼ぶ。
まだ幼さの残る顔立ち、猫のように細く柔らかそうな短髪、きらきらと汚れを知らぬ瞳。
そんな馬鹿な、彼が此処に居るはずがない。
最初は、わずかに残った理性がそう叫んでいた。
しかし、響く水音に理性はかき消され、目の前に彼が居る事に徐々に疑いが持てなくなっていく。
ウィルが、確かにそこに居る。

「あぁ……ウィル……」

細い声で呼びつつ、ゆっくりと彼に向けて手を伸ばす。
遠くに感じた彼は、意外なほど近くに居て、指先に暖かな体温を感じた。
指先が頬に触れると、ウィルが少し恥ずかしそうに微笑んだ。
ああ、いつものウィルだ。
指先で感じる温度も、あの微笑みも、間違いなく本物だ。
細かい事を考えることも出来ず、私の直感がそう結論付けた。

本物のウィルを目の前にして、私の心に浮かぶのは、どうしようもないほどの悔恨だ。

「ウィル、ウィル……!
 す、すまない、私は、君を傷つけてしまった。
 どうしても、身体が抑えきれなかったんだ。
 謝ってすむとも、思ってないが……」

しどろもどろになりつつも、必死で言葉を紡ぐ。
つい先ほどまであれだけ体中を暴れていた快感も、どこかにいってしまったかのようだ。

「……ホント、真面目な娘よねぇ。」

すると、しばらく聞こえていなかったフラウ様の声が近くで聞こえてくる。
暗闇のなかでもはっきり聞こえるけれど、彼女の姿はどこにも見当たらない。

「エスティアちゃん。
 ウィル君と、どんな事がしたい?
 今なら、あなたの望みはなんだって叶うわよ?」

「わ、私が、ウィルとしたい事?」

「そう、ほら、見てごらんなさいな。
 そこには、あなたとウィル君の二人きりよ?
 今だったら、なんだって出来ちゃうわ。
 知っているでしょう?明日には、今日の事は『なかった事』になるの。
 だから、今夜だけは、ウィル君となんだって出来るわよ?」

ゴクリ、と唾を飲み込む。
ウィルはフラウ様の声が聞こえていないのか、私に向けて微笑んだままだ。
少年らしいしなやかな筋肉のついたウィルの身体を見る。
毎晩のように私を苛んできた淫夢と、目の前のウィルの身体が重なって、どうしようもない程の熱を下腹に感じた。
今なら、あの淫夢を、甘い幻を、現実のものに出来る。
とても、幸せで、キモチイイのだろう。

しかし、ギュッと、拳を握る。

「わ、私は!
 ウィルと、一緒にいたい。」

この渦巻く欲望を全てのみこんで、私が心から望む事を口にする。
ずっと、一緒に居たい。
これだけ。
これだけでいいんだ。

「けど、ウィルは、そう思わないかもしれない……。
 私は、剣と仕事しかしてこなかったから、きっと彼は私に魅力を感じてはくれない!
 ウィルを、傷つけたくない!
 私は、彼の師だ!
 彼を、失望させたくない!
 だから、だから、私は、これで、いいんだ。
 こうやって、触れるだけで、充分なんだ……」

まるで、自分に言い聞かせているようだな、と他人事のように思う。
もっと触れたい。もっと繋がりたい。
指先から感じる彼の体温を、身体全部で感じたい。
だけど、それは出来ない。してはいけない。
唇をキュッと噛んだ。

「……あぁ、本当に、良い娘よねエスティアちゃん。」

呆れたようにも、優しさが込められたようにも感じるフラウ様の声。

「けど、それで、あなたは幸せになれるの?」

「……」

響く彼女の声に、返答する事は出来ない。
私が幸せに、なんてことは最初から度外視した感情なのだから。

「本当に、どうして人間の良い子たちは、自分の幸せを二の次にしちゃうのかしらねぇ。
 駄目なのよ、エスティアちゃん。
 自分が幸せになろうと出来ない子は、誰かを不幸にするだけよ。
 ……まあ、そこが人間の愛しい所なんだけどね。」

まるで母のように、慈愛に満ち満ちた声。
しかし、言葉の端に混ざる悲しそうな色。
彼女の真意が分からない。

「あなたは、幸せにならないといけないの。
 ウィル君が、あなたの幸せを祈っていないとでも思うのかしら?」

「そ、それは……」

言い返せない。

「あなたは、絶対に幸せにならないといけないの。
 私の妹のようなものなのよ。私は、あなたの幸せを祈っている。
 あなたが幸せになるためだったら力を尽くしてあげる。
 あなたみたいな良い娘がね、幸せになれないだなんて、魔物として見逃すわけにはいかないの。」
 
有無を言わせぬようにして、彼女は言い切った。
妙な迫力に、私は何も言えない。

「押し付けがましいと思うかしら?
 ごめんなさいね、私は我儘なのよ。
 私の周りの、全ての人を幸せにしたくて仕方がないの。」

ふと、身体が暖かい感触に包まれる。
甘い匂いが鼻孔を満たす。
暗闇の中に居ても、フラウ様に抱きしめられたのだと分かった。

「ねえ、エスティアちゃん。
 幸せになりましょう?
 ウィル君と、あなた二人で幸せになるの。
 大丈夫よ。私に任せなさいな。」

水音は、聞こえない。
頭の中の違和感もない。
身体の自由も効くし、思考も鮮明だ。
私の身体は、全て私の支配下にある。
彼女の能力は、今は全く発揮されていない。

彼女を否定する事も、誘いを跳ね除ける事も出来る。
出来るはずだった。

「……なれるのでしょうか。
 ウィルと、私で、幸せに。」

彼女の胸に顔を埋めたまま、ぼそりと呟く。

「エスティアちゃんが、勇気を持てれば、きっとなれるわ。」

「私は、フラウ様のような魅力はありません。
 ウィルが、私をどう思ってるのかも分かりません。
 それでも、幸せになれますか?」
 
「自信を持ちなさいな。
 エスティアちゃんが、そんなに好きなオトコの子が、あなたの魅力に気づかない訳がないもの。」

私の頭を、触手が優しく撫でる。
優しい感触に、必死で堪えてきた涙が漏れる。
どうにも、彼女に抱きしめられると涙もろくなって仕方がない。

「ぅぐ、うぅ……
 私は、ウィルとずっと一緒に居たいのです。
 本当に、ぐずっ、それだけでいいのです。」

「うん。」

短い言葉に込められた慈愛。
敵わないなと思う。

「……フラウ様、助けて下さい。」

「ふふふ、もちろん。お姉さんに任せなさいな。」

嬉しそうにフラウ様が言うと、私を抱く腕に力が入る。
柔らかな感触に埋もれるようだ。
このまま、眠ってしまいたくなるような安心感を感じた。

……クチュクチュ……クチュクチュ……

「あうっ……!?」

しばらく聞こえてこなかった水音が、再び頭の奥で響く。
情けない声を上げて、フラウ様の胸に顔を押し付ける。

「……やぁね。思わずしんみりしちゃったわ。
 もう、たっぷり気持ちよくしてあげるはずだったのに。
 意地悪してごめんなさいね。とりあえず今は、快楽に溺れちゃいなさいな。」

「あっ♥ひゃっ!?」

……クチュクチュ……クチュクチュ……

どこかに消えてしまったと思っていた快感が、突如として湧き上がる。
甘い熱で、身体が爛れていく錯覚。

「勇気出したご褒美あげる。
 ほら、目を瞑ってごらん。」

言われるがまま、目を固く瞑る。
先程と同じ暗闇に包まれて、身体の感覚が更に鋭敏になったような気がした。

「そう、いい子ね。
 ほら、想像してごらん?
 愛しい彼が、目の前であなたを見ている。」

「っ……♥」

フラウ様が言葉を紡いだ瞬間、暗闇のなかに一瞬で彼の姿が現れる。
息がかかりそうな距離、目を逸らしたくなるほどに近い。
しかし、私の身体は頑として動いてくれず、目を瞑ったままなのに彼と見つめあう。

「や、ぁっ……♥まって、みないで、ウィルぅ……♥」

なんとか口に出しても、彼は変わらず微笑みを崩さない。
爛れる様な快楽の熱に、燃え上る様な羞恥の熱が加わる。
恥ずかしい。
気持ちいい。
恥ずかしい。
見ないで。
見られると、熱くて仕方がない。
恥ずかしいのか、気持ちいいのか分からない。
ごちゃごちゃに混ざった熱が私を焦がす。

「あぁ……♥ウィル、ウィルぅっ!!」

……クチュクチュ……クチュクチュ……

頭の奥で響く水音と、私の股座で鳴る水音。
もはや判別もつかない。
快感で腰が引け、自然と目の前の彼との距離が近くなる。
彼の大きな瞳の中に、快感にいやらしく歪む私の顔が映りこんでいる。
媚びる様に垂れた目尻も、だらしなく半開きになった口も分かってしまう。
私は、こんな顔をして快楽を叫んでいたのか。

それを認識すると、なんとか堪えていた快楽の堰が容易く切れた。

「あ゛ぁっ!?だ、め、ぃやぁ……♥
 っグ……く、うぅぅぅぅうううううっ♥」

堰を切って流れ出す快感の瀑布。
最後の意地とでも言うべきか、歯をガチリと噛み締めて声を抑える。
声に出して発散する事も出来ず、腰が激しく上下に揺れる。
チカチカと視界が白く染まっては意識が遠のく。

「あらあら、我慢は身体に毒よ?
 ほら、お口開けて?」

フラウ様の言葉を理解した瞬間、これでもかという程に力を込めていた顎からフッと力が抜ける。
最後の意地すら張れなくなって、生々しくあられもない嬌声がダダ漏れになる。

「うっ!?
 あ……あぁっ!?なんれ?ああ゛っ♥うあぁぁああっ♥」

ウィルの耳元で、はしたなく絶叫する。
恥ずかしいのか気持ちいいのか分からない。
恥ずかしいから気持ちいいのか。

「らめ、らめぇっ♥きもひいいっ♥やあっ……!」

顎に力が入らないせいで、まともに呂律も回らない。

「まだまだ。
 こんなんじゃ満足できないでしょう?
 エスティアちゃん、幸せよね?こんな気持ちいいんだもの。」

「うあああああぁぁっ♥
 あぁぁぁあ……あ゛ああうぅぁぁあ♥」
 
処理しきれない刺激が、涙となって溢れ出す。
今の私は、ドロドロに溶けきった肉の塊。
感じるのは、羞恥心と多幸感。
しあわせで仕方がない。
気持ちよくて仕方がない。
しあわせでしあわせでしあわせでしかたがない!

「うぃ、るぅっ♥
 ウィル、うぃる、うぃるぅっ!!
 あ、がっ♥あ゛あぁぁぁぁあああッ♥♥♥」

絶頂。
自分が目を開いているかも、閉じているかも分からないけれど、確かに今も目の前にウィルが居る。
目の前の彼にぶつけるように快楽を叫ぶ。

「だめよ。まだまだ。
 こんなもんじゃ、ないんだから。
 あなたはもっと幸せにならなきゃならないの。
 ほら、これ、幸せでしょう?」

今まで微笑むだけだったウィルが、ゆっくりと私の身体を抱き寄せた。
まだ若いウィルは、私と背の高さも変わらない。
私の顔のすぐ右に、愛しい彼の顔がある。
密着した身体で感じる体温。
今までにない程濃く感じる彼の匂い。
多幸感なんて言葉じゃ足りない。
天にも昇るような幸福。
ドロドロに溶けた身体が、柔らかく解れて消え去ってしまいそう。
しあわせすぎて、なにがなんだかもうわからない。

「あッ……♥♥♥」

嬌声を上げる余裕も無かった。
この異様な幸福感を感じた瞬間、一気に絶頂の遥か彼方に跳ね上げられる。
眼球がぐりんと上を向き、ただただ激しく体を痙攣させる。

痙攣する身体を抑え込むように、ウィルの腕に力が入る。
強く締めつけられた身体が、遮二無二幸福感を叫んだ。

「ひっ……♥ぅぁ♥ァぁ……♥」

蚊の鳴くような小さな声が、口の端から漏れる。
全く力が入らない。
糸の切れた人形のように、彼の身体にもたれかかっていく。
暖かい。

しあわせ。



*******************************


ねえ、エスティアちゃん。

聞こえるかしら?
ああ、起きなくてもいいわ。そのままで聞いてちょうだい。
大丈夫。眠ったままでも、あなたは私の言葉を忘れないわ。

次で、最後にしましょう。
私が、あなたに感じさせてあげられる幸せは、あくまで代替品なの。
本当の幸せは、あなたが掴まないとね。

だから、次で最後。
次、この洞窟に来て、私に身を任せるなら、決定的に、完全に、あなたを変えてあげる。
幸せになるための存在に、全部、全部塗り替えてあげる。
今のあなたなら、これがどういう意味か分かるわよね?

……けどね?選ぶのはあなた。
今のあなたのままで、幸せをつかむ事だってきっと出来る。
次にあなたがこの洞窟に来たとき、私に剣を向けたって構わないわ。

あなたが、決めなさい。
人間のまま、幸せになってウィル君と暮らすか、生まれ変わって、幸せになるか。
生まれ変わるなら、私に任せなさいな。
何も、心配する事はないから、エスティアちゃんのしたいようにすればいい。
少しくらい、我儘言ったってバチが当たったりしないから、ね?

また会えるのを、楽しみにしてるわ。
もう、会えないかもしれないけれど、その時は、ウィル君とお幸せに。

じゃあ、おやすみなさい。
良い夢を。

16/04/11 01:31更新 / 小屋
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■作者メッセージ
「……よかったの?」

「あら、なにがかしら?」

どこか心配そうに、私の愛しい夫が尋ねる。

「エスティアさんの事だよ。
 フラウは、人間を同属に変えるのが目的だったんじゃなかったの?」

私の胸に、甘える様にもたれながら言う夫が可愛らしくて、頭に手を添えて撫でる。

「私は、幸せになって欲しいだけよ。
 人間のままの方が幸せなら、それでいいの。
 エスティアちゃんにも、あなたにも、ね?」

「……優しいね。フラウは。」

「ふふふ、褒めたって愛しかあげないわよ?」

少しだけ茶化すように言うと、ふっと夫も笑ってくれた。
私を優しいと夫は言うけれど、この笑顔の優しさに比べたら私なんて大したことはない。

「また、来るかな?エスティアさん。」

「……どうかしらね。」

短く応えて、洞窟の入り口を見やる。

「大丈夫よ。もし、エスティアちゃんが私に剣を向けてきても、またあなたが守ってくれるんでしょう?」

「う……ま、任せてよ!」

困ったようにしながらも言い切った夫を見て、私は笑う。
私は今、確かに幸せだ。
エスティアちゃんも、ウィル君とこんな時間が過ごせるようになればいいなと、ぼんやりと思った。

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