連載小説
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後生鰻女郎
えー、何時の時代のどんな場所にも信心深い人ってーのはいるもんです。
皆さんの側にも一人はいるでしょう?神社仏閣に来たらあれをしなくちゃいけねぇ、この時期にはこれを食っちゃいけねぇって言う人が。
信心深いってのは悪いことじゃないんですが、信心過ぎて極楽を通り越すなんて言葉があるように、信心深いってのもいささか考えものなんです。
ある町の町人なんですが、この男はそりゃあもう大層な信心家で、いたく殺生を嫌っているんですよ。蚊に刺されようと蚤に噛まれようと、潰さずに痒いのを我慢するんです。
じわじわと照りつけるある夏の日。観音様へのお詣りの帰りがけ、涼でも取ろうと川辺の道を歩いていると鰻屋の前を通りかかった。ちらと横目で見てみると、親方が鰻を割き台の上へ乗っけて錐を打とうとしてるじゃないか。これを見た信心家の男は血相を変えて鰻屋へ駆けていき

「おい」
「へい、らっしゃい!」
「あんた、この鰻をどうするつもりだい?」

親方は気前よく答えた。

「こいつは蒲焼きにするんでさぁ」
「蒲焼きってのはなんだい?」

こんな事を聞くもんだから、親方は鰻みたいに目を丸くして驚いちまった。

「鰻を開いて焼いたもんですよ、旦那」
「開いて焼く!?そいつは、なんとも酷いじゃないか」

信心家の男、義憤に駆られて親方に鰻を助けてもらえないかと頼み込んだが、親方は膠め無く断る。

「旦那、そりゃあ出来ねぇ相談ってやつだ。こいつが売れねぇと俺が食いっぱぐれちまう」

商売と言われてしまうと、信心家の男も口をつぐんじまった。そうかと思うと、やおら懐を漁って財布を取り出して

「なら、その鰻を私が買い取ろう。いくらだい?」

と言ったもんだ。
親方が二円なら売ってもいいと言うと、信心家の男は鰻を二円で買い取った。
早速、男は鰻を笊に乗っけると、せかせかと店の前の川辺へ歩いて行き、口をパクパクさせている鰻の顔をじぃーっと覗き込んだ。

「二度とあんな親父に捕まるんじゃないよ」

そして、鰻を川へボチャーン。

「あー、いい功徳をした」

翌日、同じ鰻屋の前を通ると親方が錐を打とうとしてる所を見付け

「いくらだい?」
「今日は河岸がしけってるんで三円でさぁ」

おんなじ様に三円払って鰻をボチャーン。

「あー、いい功徳をした」

そして、そんなことを毎日毎日、続けているもんだから、鰻屋は信心家の男が来るだけで日銭が転がり込んでくる。そりゃあ左うちわってやつですよ。しまいには、この調子で行くと、月の儲けはひの、ふの、みい…なんて捕らぬ狸の…おっと失礼。そんな見つめないでくださいよ、これでも私、妻子がありまして…
と、まあ、信心家の男が通る度に錐を打つ振りをするだけの簡単なお仕事の親方だったんですが、ある日を境に信心家の男がぱたりと来なくなっちまった。
それもそのはず、一日一円値上げしていくもんだから、ついに男の財布はすっからかん。
そして、これに一番困ったのは信心家の男だ。こうしている内にもあの罪の無い鰻達が蒲焼きにされてるんじゃないかと気が気じゃない。

「これは困った。いったいどうやって鰻を助けたものか…」

ああでもない、こうでもないと悩んでいる内に、日はとっくりと暮れちまった。


その日の夜。鰻屋の親方は妙な音で目を覚ました。家の裏からバシャッバシャッと水を叩く音がするじゃないか。さては鰻泥棒だなと考えた親方が手桶に目一杯水を汲むと、窓へそーっと近付いた。

「えいっ、この、逃げるんじゃない」

水を叩く音に加えてなにやら男の声が聞こえる。鰻屋の親方は窓をピシャリと開けると、盗人目掛けて手桶の水をザバァッとぶちまけた。盗人、これはたまらんと、脇目も振らずに逃げ出した。

「馬鹿野郎!誰だか知らねえが、次ぃ来たら手前えを割き台に乗っけちまうからな!」

鰻屋の親方、ふんすと一つ荒い鼻息を吐くと布団に潜り込んだ。


それから暫くして、鰻屋の前を信心家の男が通りかかった。鰻屋の親方、久々の福の神の登場にふんだくれるだけふんだくってやろうと息巻いているが、どうにも男の様子がおかしい。青白い顔でふらふら歩いている。

「旦那、夏バテかい?」
「ちと夏風邪を患ってね」

鼻をすする信心家の男に、鰻屋の親方はぴんと来た。いつぞやの鰻泥棒はこいつに違いねぇと。
思うが早いかこの親方、男の襟をがっちり掴むとがなり散らす。

「俺の鰻を盗もうとしたのは手前ぇだな!番所へ突き出してやる!」
「それだけはよしてくれぇ!出来心だったんだ!」

年甲斐も無く泣きわめく男に、見てるこっちが情けなくなる思いの親方だったが、思う所があるのかにやりと笑って男を店の前の川辺へ引き摺って行く。

「ま、まさかあんた!私をこの川へ沈めようってんじゃないだろうね!?」
「んな訳があるかい!俺ぁ、鰻は殺しても人は殺さねぇよ」

親方、男の帯を掴むとひょいと持ち上げる。男は手足をばたつかせる事しか出来やしない。

「じゃあ、いったいどうしようってんだい!?」
「なーに、一つお前ぇさんの夏バテを治してやろうってだけよ。夏バテには鰻が一番と相場が決まってらぁ!」

そして親方、よい、しょの、しょっ!っと、男を川へボチャーン。
あっぷあっぷと慌てる男を何処からともなくやって来た鰻女郎が取り囲む。男は絡み付いてくるぬめる身体を引き離そうとするが、ぬらりと滑って胸に顔を突っ込み、つるりと滑って下腹部を触る。そうこうしてる内に、くんずほぐれつに絡み合った鰻女郎の塊が男を何処かへ連れていってしまった。
これを見た鰻屋の親方

「あー、いい功徳をした」


お後がよろしいようで。
17/05/01 00:17更新 / PLUTO
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