読切小説
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風が止む前に
 神殿から出て、眩しい夕陽に顔を覆った。今日は一日中よく晴れていた。若い頃にはこういう日の昼間、捕虜を縛って船の甲板に放置し、暑さで苦しめたことがある。金と食料を盗んだ報復として。

 だがこの街には水と共に涼風が流れ、日中も非常に快適だった。そして波の音が絶えない。ポセイドンを祀る白亜の神殿、荘厳な作りの劇場さえも、基礎は水に浸かっている。
 道は石畳ではなく海水で満たされ、馬車の代わりにゴンドラと呼ばれるボートが行き来する。人魚と人が乗るものもあれば、山積みの花を運ぶものもある。

 コートアルフ第一歌島アル・マール。海の魔物が行き交い、婚姻の儀式が行われる、海上の楽園。

 水路を行き交うゴンドラには二種類あった。住民が足として使っているものと、旅人を乗せた観光用のもの。俺が乗るのは後者。艶やかな黒で塗られ、ささやかな金の装飾が施された小さなボートだ。神殿の前に繋がれたそれには櫂がなく、自分で漕ぐことはできない。

 ゴンドラに乗り込み、揺れを感じながら漕ぎ手が戻ってくるのを待つ。水面に映る自分の顔を見て、そろそろ髭を整えるべきかと考える。
 ほどなくして水中に影が見えた。魚影、と言って良いのだろうか。それはゴンドラの前でぐっと浮上し、微かに飛沫を上げながら顔を見せた。

「ごめん、お待たせしちゃったね」
「いや。俺も今戻ってきた」
「そっか」

 プラチナブロンドの彼女は微笑むと、船縁に手をかけた。まず水の中から上半身が露わになる。服は着ているが、その白い生地は如何なる素材でできているのか、非常に目のやり場に困る服だ。ボディラインにぴったりとフィットし、豊満な胸の形が裸同然に表れている。もっともすでに見慣れたが。
 そして下半身……輝く青い鱗で覆われた、魚の体。臀部をゴンドラの上に乗せ、立派な尾びれを水中に垂らす。

「こっちは誰も知らなかった。旦那様の方は?」
「ダメだった」

 神殿にいたシー・ビショップの、申し訳なさそうな顔を思い出す。この島に到着したのが昨晩、今朝から人探しを続けて日も傾いたが、未だに手がかりを掴めない。もっとも分かっているのは名前と性別、歳、そしておそらくもう人間ではないということだけだ。
 雲をつかむような話ではある。おまけにコートアルフにいるとは聞いたが、どの辺りかはハッキリしていない。

「この島じゃないのかもしれない」
「一先ず夕飯を食べに行こうか。露店船区画なら他の島の人もいるから、誰かが見かけたかも」

 俺が頷くのを見て、彼女はゴンドラのもやいを解いた。その青い尾びれでゆっくりと水をかくと、小舟は静かに岸を離れ、水路へと進み出る。その優雅な尾が櫂の代わりだ。

 船乗りの間で水の都コートアルフを知らない奴はいない。親魔物国家の船乗りなら楽園、反魔物国家であれば魔境の海としてその名を胸に刻んでいる。俺は元々後者だったので、実際のコートアルフに関してはあまりよく知らないままやってきた。とりあえず島の中心地であるアル・マール島へ来たのだが、ここでの移動にはゴンドラが不可欠だと知り、旅人向けの店で借りたのだ。案内役のマーメイド付きで。

「よっ……と」

 小さな掛け声と共に、小舟はくるりと十字路を曲がる。見事な操船だが、前述の服に包まれた胸が大きく揺れた。

「……旦那様は、もっと清楚なのが好き? 神殿の人たちが着てるみたいな、さ」

 俺の視線に気づき、彼女は苦笑する。ラツィアという名の彼女は人魚にしては少々ぶっきらぼうで、ツリ目がちの強気そうな風貌だ。だが俺の探し物を親身になって手伝ってくれているし、加えてゴンドラの扱いも上手い。

「目の保養には良い」

 素直な感想を述べると、ラツィアはくすっと笑った。ゴンドラの漕ぎ手を務める人魚たちは皆、こうした体の凹凸が全て浮き出る服を着ている。彼女たちが速く泳ぐには全裸が一番良いらしいく、それに近い感覚で泳げる制服が作られたそうだ。万一客が舟から落ちたとき、いち早く救助できるように。まあ俺たち男がいくらその胸を見ても、彼女たちは不快に思わないようだから何の問題も無い。
 しかし先ほどの神殿にいたシー・ビショップたちの服装も露出度はかなり高かったが、人魚の基準では清楚なのだろうか。

「悪いな。探し物に付き合わせて」
「全然構わないよ。そういうのも歌娘の仕事だって、私としては思ってるから」

 話しているうちに、水路は下り坂に入った。この島の街は上層と下層に分かれ、それぞれ水路が張り巡らされている。魔物や海神の力によるものだろうが、昨日着いたときはその光景に唖然とした。
 上層へ来るときは噴水のような仕組みで昇ったが、帰りはゆっくり降りることもできるようだ。ラツィアは尾びれで適度にブレーキをかけながら、余裕を持って船を降らせていく。

「人探しついでに、島の良いところも見てもらえればいい。海詩の神殿はどうだった? あたしは結構好きだけど」

 ふと感想を求められ、言葉に困る。コートアルフで最も高い場所にある白亜の神殿、かつて七つの島を救った大歌姫のために建てられた……ラツィアからはそう聞いた。確かに荘厳で、祈りを捧げる大勢のシー・ビショップたちを含めて美しかった。

「……正直、俺にはどう捉えたらいいのか分からない。神殿に限らず、この場所自体が」

 水路の脇に停泊したゴンドラへ目をやれば、ラツィアと同じ制服を着た人魚が客らしき男と抱き合っている。横を通り過ぎるとき、囁き合う愛の言葉が微かに聞こえた。朝からこういう光景を八回は見たし、水上で行われる結婚式にも出くわした。

「海は俺にとって詩を吐く所じゃなく、血を吐く所だったんでな」
「そっか、苦労したんだね」

 優しくそう言われて面食らった。落ちぶれた騎士にならともかく、落ちぶれた海賊に「苦労したんだね」とは。身分を全て明かしたわけではないが、俺が堅気でなかったことくらい察していると思うのだが。

「昔はどうあれ、今はあたしのお客様」

 俺に微笑みかけながらも、ラツィアは巧みに舟を操り、他の舟を追い抜いていく。

「少なくともあたしの舟に乗ってる間は、幸せを感じてもらいたい。だから人探しだって喜んで手伝うさ。ましてや、お客から指名されるなんて初めてだったし」
「君が一番、操船が上手そうに見えた。というより、好きそうにか」
「ああ、それは確かに」

 彼女はちらりと自分の尾びれを見た。水路ではたまに子供の人魚が一生懸命に舟を漕いでいるが、バシャバシャと音を立てる割にはあまり進んでいない。そこへいくとラツィアの佇まいは余裕に溢れている。水中で優雅にひらひらと靡く尾びれは、まるで水流を従えているかのようだった。

 人魚は皆泳ぎの名人だろうが、操船については訓練が必要なのだろう。だからこそ年少の人魚が必死に練習している。ラツィアもまた日々訓練を積んでいるからこそ、これだけの技術を手にできたのだ。他の人魚と比べて日焼けしているのも、水中ではなく水上にいる時間が長いからだろう。

「自慢じゃないけどゴンドラの扱いだけなら、いつか歌姫のアーリアルさんにも追いつくだろうって言われてる。緊急輸送の仕事をやって表彰されたこともあるし」
「それでも客から指名されるのは初めてだったのか?」
「人付き合いがちょっと、不器用でさ……」

 軽く日焼けした頬を掻き、はにかみ笑いを浮かべるラツィア。夕陽に照らされるその顔が眩しく思えた。

 ふと、水路の脇から穏やかな音楽が聞こえてきた。複数の乗客を乗せた舟が、俺たちと反対の方向へゆっくりと進んでいる。『歌娘』と呼ばれる人魚も何人か乗っており、彼女らが竪琴を鳴らしながら歌っていた。ポセイドンへ捧ぐ賛美歌だろうか、乗客は皆聞き入っている。

「……ヒレ捌きの他には、歌もそこそこ自信あるけど。リクエストも受けられるよ?」

 ラツィアがぽつりと言った。
 歌、か。島を『歌島』と呼ぶだけあって、この国は歌をかなり重要視しているらしい。そうなるに至った大歌姫の伝説もある程度は聞いた。ラツィアの声は艶やかなアルトで、この声の歌は確かに聞いてみたい。

「いくらだ?」
「お金は取らない」
「『風が止む前に』を頼む」

 何も考えずに船乗りの歌を注文すると、彼女は微笑んで頷いた。舟を漕いだまま姿勢を正し、一度深呼吸。薄い桃色の唇から、歌声が溢れる。


 ーーあの爺さんは 俺に言ったんだ

 ーー潮時だぜ ロビン

 ーー航海はもう 十分したろう

 ーーそう この風が止む前に


 何度も聞いた歌だが、そういえば女の独唱は初めて聞く。シーシャンティは男社会である船乗りの労働歌で、作業中に誰かが歌い出し、他の奴らがそれに続くものだ。だが男視点の歌詞を、彼女は違和感なく、それでいて女らしい声で歌い上げる。同時にちゃんと周囲を確認し、舟を漕ぎ続けていた。


 ーー潮時だぜ ロビン

 ーーああ潮時だぜ ロビン

 ーー後戻りできなくなる前に

 ーーそう この風が止む前に


 夕陽で輝く水面に、ふと過去の光景が浮かんでくる。教団の戦列艦を乗っ取り、奴らの海を荒らしまわった。上陸して砦を乗っ取り、農園を襲って金目の物は根こそぎ奪い取った。乗組員たちは歌いながら帆を張り、敵船を見つければ大砲を撃ちまくり、カトラス片手に乗り込んで敵を蹴散らした。
 最初はそんなことが目的だったわけじゃない。貧しい漁民ではなく、大金持ちになって妻と幸せに暮らしたかっただけだ。貧乏ながら慎ましく幸せな家庭、なんてものを俺は信じていなかった。

 一年で戻ると妻に約束し、私掠船に乗った。腕っぷしには自信があったからだ。その後妻が妊娠していたことを手紙で知らされたが、後戻りはしなかった。
 だが一年経って俺の懐に入った額は極僅かで、夢見ていた金持ちの生活には程遠かった。やがて俺はより大きい稼ぎを求めて海賊になり、さらに二、三年かけて富と悪名を自分の物にした。

 そして振り返ってみれば、一番大事なものを失っていた。


 ーー次に港へ 入ったら

 ーー潮時だぜ ロビン

 ーー船を降りて 別の道を行こう

 ーーそう この風が止む前に


 帆船は逆風でも進めるが、風が止んでしまっては動けない。進むことも、引き返すことも。

 水面に映る青春の日々。愛した妻も、共に歌い、笑い、戦った仲間たちも、もう戻らない。


 ーー潮時だぜ ロビン

 ーーああ潮時だぜ ロビン

 ーー後戻りできなくなる前に

 ーーそう この風が止む前に


 歌声を聴いているうちに、枯れたと思っていた涙が湧き上がってきた。そのことに気づいたのは、頬を伝った涙をラツィアが手で優しく拭いてくれたときだった。














 ……歌が終わる頃に陽は沈み、ゴンドラは露店船区画と呼ばれる場所へ入った。魔法の明かりを吊るした舟が多数集まり、月の下で多様な店が出ている。すでに店じまいして去っていく舟もあったが、逆に夜に商売する者もいるようだ。
 美しい光を放つランプを売っていたり、複数の船を繋いで即席の酒場を開いたり……酒と食い物の良い匂いが漂っている。

 懐かしい料理があったので、晩飯はそれにした。トルティーヤだ。俺が昔暴れていた辺りの伝統料理で、トウモロコシ粉の生地で食材を包んで食べる。香ばしく焼けた生地に新鮮な野菜、そして魚介の旨味。昔食べたのよりさらに美味い。
 食後にはラム酒の入ったコップを傾けながら、ぼんやりと月を眺めていた。空いた波止場に繋留したゴンドラの中で。

「……いいもんだな」

 傍にいるラツィアにぽつりと呟く。彼女も酔っているためか、体をそっと寄せてきている。俺の腕にのしかかる柔らかいものは、制服によって強調された胸の膨らみだった。

 結論から言うと、この店を見ながら聞き込みはしたものの、やはり情報は無かった。明日は昼間のうちにもう一度訪れてみようと思うが、まあ今日も悪い一日ではなかったと言える。ラツィアのおかげで。

「……旦那様。もし見つかったら、その後はどうするのさ?」

 緑色の瞳がじっと見つめてくる。息がかかる距離だ。

「女房の墓参りでもするかな」
「その後は?」
「……予定はない」

 今の俺に先のことを考える力はない。多分、墓の前で泣いて詫びるしかすることは無いだろう。かつて悪名を馳せた海賊も、正体はただのダメ男だ。
 そんな俺なのに、ラツィアは親身になってくれている。人付き合いが不器用だと当人は言っているが、自分でそう思っているだけなのかもしれない。

「なら、ここにいれば? この島でならのんびり暮らせるし……」

 相変わらず、彼女は優しく微笑んだ。

「じっとしていられないなら、マトリかクイン・ディアナへ行って船を手に入れればいい。旦那様も新しい幸せを見つけていいと思うよ?」
「新しい幸せ、か」

 ラツィアの顔をじっと見る。日焼けした彼女の頬は赤らみ、熱を帯びていた。言葉も少し早口になっている。酒が回った勢いで唇を奪っても、形を変えてひしゃげる胸に俺から触れたとしても、おそらく彼女は嫌がらないだろう。全てを失って以来、性的な欲もほとんど抱くことはなかったのに、今は不思議とそれが湧いてくる。
 それが魔物たちの力なのか、または酒の魔力か。

 もし彼女がこれからも一緒にいてくれるなら、『新しい幸せ』というのを見つけられるかもしれない。見つけようという希望を持てるかもしれない。
 女房を不幸にしておいて、我ながら図々しい話だ。

「今はまだその時じゃないな。せめて彼女を見つけたいし、それに……」

 ラツィアの肩越しに、水面に浮かぶ物体へ目を向ける。

「こういう場面をじっと見られるのは、さすがに気になる」
「えっ?」

 ラツィアもハッと俺の視線を追う。水面から顔を半分だけ出していた人魚が、バツの悪そうな苦笑いを浮かべた。よく見るとラツィアと同じ歌娘の制服を着た子だ。
 俺もまだ海賊時代の第六感は鈍っていないようで、先ほどから視線には気づいていた。害意は無さそうだから放置していたが、さすがにこういう空気になったところをいつまでも見られたくはない。

「……何してんの?」
「あははは……ちょっと、ラツィアさんにお願いがあって来たんですが……」

 ゆっくりとこちらへ泳ぎ寄って来るその人魚は、ラツィアとは顔なじみのようだ。彼女は露骨に不機嫌になっているが。

「声がかけづらくて……あ、覗き目当てだったわけじゃないですよ!?」
「分かったから用を言いな」
「あのですね、私も今日お客様をご案内していたんですよ。それで歌のリクエストをお訊きしたときにちょうど、近くからラツィアさんの歌が聞こえてきましてですね……」

 あたふたと説明する同僚の様子を見て、ラツィアは何かを察したかのようにため息を吐いた。

「ああ、同じ歌をリクエストされたけど知らなかったんだ?」

 その言葉に、彼女は水面で「……はい」と俯いた。
 夕方に神殿で歌った『風が止む前に』のことか。俺が暴れていた地域では有名なシーシャンティだったが、この海域では今ひとつマイナーらしい。魔物たちと接してみて分かったが、少なくともこの島ではあまり辛気臭い歌は好まれないようだ。そんな歌も知っている辺り、ラツィアはこの島の人魚としては少し変わっているのだろう。

「今日は咄嗟に私の十八番をお勧めして、ゴリ押ししたんですけど……明日はちゃんと歌いたいなー、と」
「……旦那様、いい?」

 呆れたような笑顔を浮かべ、許可を求めるラツィア。俺は「教えてあげろ」と言って陸へ上がり、用足しへ向かった。少し、一人で考えたいことがあったのだ。







 平和で、希望に満ちている。
 自分の目で見て分かった魔海コートアルフの実態はそれだ。落ちぶれた海賊でさえ、その希望に惹きつけられる。

 娘もここで、幸せに暮らしているのだろうか。母親に連れられ家を出た後、魔物に襲われて親子共々死んだと聞いていた。その娘が実はコートアルフで生きているという噂を聞いたとき、俺は酒浸りの日々から抜け出してここまでやってきた。彼女が生まれたとき側にいなかったし、名前さえ知らないというのに、我ながら虫の良い話だ。

 今更会いに行って、本当に良いのだろうか。この海で希望に満ちた暮らしをしているところへ、家庭を放り出して海賊になった父親が会いに来たら、娘はどう思うだろう。そもそも何と声をかけるべきなのか。



 ーー潮時だぜ ロビン

 ーーああ潮時だぜ ロビン

 ーー後戻りできなくなる前に

 ーーそう この風が止む前に



 ラツィアたちの歌声が聞こえる。もう一人の人魚は透き通ったソプラノで、非常に良い声だ。もし娘も人魚になっているのなら、その歌声だけでも聞きたい……そんな考えも所詮、エゴでしかないだろう。
 いくら考えても答えは出そうにない。波止場へ戻ろうと、路地の中で踵を返した。

「……ん?」

 一瞬、自分の目を疑った。振り向いた先に女が一人立っていた、というだけでは別に驚かない。その女の体が、路地へ射しこむ月光を透過しているのだ。
 長い髪、並外れて豊かな胸、人魚に近い下半身。若々しいラツィアたちとは少し違う、大人の魅力を宿した瞳。その全てが透き通った青……このコートアルフの海と同じ色。街で売られていた、ガラス製の人形のように。

「こんばんは」

 穏やかな声と、優しい眼差し。それらは彼女が人形ではなく生あるもの、そして知性あるものだと証明していた。

 俺は目を見開いたまま動けなかった。人間でも単なる魔物でもない、ある種の特別な存在だと肌で分かる。この感覚は以前にも味わったことがある。そう、確か精霊使いと戦ったときだ。四大元素の精霊の力で繰り出される魔法は、普通の魔法使いが使うものとは違う力を感じた。
 今目の前にいる女が纏う気配は、それをより濃厚に、そして現前とさせたものだ。海と水の力が女の形を取り、目の前に立っている。

 その自然の力の権化に、俺は圧倒されている。かつて一人で戦列艦を乗っ取り、敵どもを恐怖に陥れたこの俺が。

「貴方の娘さんは今、マトリにいます」
「な……!?」

 不意に放たれた言葉。初めて会ったにも関わらず、彼女は俺が一日中求めていた情報を、それも確固たる自信を持って告げてきた。

「貴方の旗を掲げたフェラッカ船を探すといいでしょう。そしてご自身の過ちと向き合うのなら、貴方の幸せを願う者にも向き合ってあげてくださいね」
「あ、あんたは一体……!?」

 後ろを向き立ち去る精霊に、辛うじて喉から出た問いを投げかける。彼女はこちらを振り向いて微笑み、静かに答えた。

「ディフィーナ」









 俺は波止場へ戻った。何と出会ったのか、はっきりと理解できないまま。
 ラツィアとその同僚は歌の練習を終え、小声で談笑していた。昔大砲をドカドカ撃ち合っていたせいで、俺の耳はあまり小さい音は聞き取れない。

「練習はもういいのか?」
「あっ、ハイ!」

 声をかけると、同僚の方がはっと返事をした。

「お二人のお時間をいただき、すみません! これで明日はバッチリです! ……けど」

 彼女は少し考え込んだ。何か引っかかることがあるのか。

「ちょっと、悲しい歌ですよね。船を降りる歌って」
「この国じゃあんまり無いからね、こういう歌は」

 あたしは結構好きだけど、とラツィアは笑う。

「なら君が新しい歌詞を考えてみたらどうだ?」
「え? でも……」
「いつ誰が作ったかも分からんシーシャンティだ。時代や土地に即した歌詞が新しく作られて、歌い継がれる。労働歌ってのはそういうものだ」

 ラツィアが歌ってくれた歌詞は俺もよく聞いたものだったが、最初に作られた歌かどうかは分からない。今またコートアルフ版の歌詞ができても構わないはずだ。

「なるほど……ではちょっと考えてみることにします! お二人ともありがとうございました、あまりお邪魔になるといけないので失礼しますっ!」

 得心のいった様子で、彼女はそそくさと水中へ戻った。泳ぎ去る人魚の航跡を眺め、次いでラツィアの横顔を見る。

「良い子だな」
「まあね。ちょっと危なっかしいけど、大事な友達だよ」

 苦笑しつつ、友達を見送るラツィア。その同僚は潜水して他の船の下を抜けると、それっきり見えなくなった。
 ゴンドラに乗り込むと、ラツィアは再び身を寄せてきた。彼女の手をそっと握り返す。

「……娘はマトリ島にいるらしい」

 先ほど聞いたことを告げると、彼女はじっと俺を見る。

「誰に聞いたの?」
「多分、精霊だと思う。ディフィーナと言っていた」
「ディフィーナ!?」

 ラツィアの目が見開かれた。

「それ大歌姫様だよ!」
「大歌姫? コートアルフの女王か」
「この国に王はいないよ。大歌姫様は守護者であり、調停者だから」

 話しながら、速やかにゴンドラのもやいを解き、尾びれを水に入れた。水面が微かに波立ち、月光を反射させる。ゴンドラの船首には魔力による柔らかな光が灯り、進路を照らした。

「あの方が言うなら間違いない。マトリへ行こう」
「今からか?」

 夜の水路を進む舟の中で、反射的に縁に掴まる。いくら近いと言っても、夜に小舟で他の島へ渡るのは危険だろう。しかしラツィアは得意げな笑みを浮かべ、頭上を指差した。
 昼間は陽光に煌めいていた、空中を走る水路。それらの周囲に光の球が漂い、幻想的に照らし出していた。昼と変わらず流れる水はこの時間でも、いくつかの舟を運んでいたのだ。

「寝ながらだって行けるさ」












 ……俺たちは再びアル・マール島の上層、海詩の神殿がある辺りへ舟で上がった。ラツィアの操船で、ゴンドラは空中水路の一つへ入る。『マトリ行き 低速』の看板が見えた。

 ラツィアが尾びれを水から引き上げたが、舟は流れに乗ってゆっくりと進み続ける。隣の水路はもっと流れが速そうだが、こちらは一晩かけて目的地へ着く速度とのことだった。眼下に島の夜景を見ながら、ふとあの女……大歌姫ディフィーナの言葉を思い出す。

「旦那様」

 俺に身を寄せ、耳元で囁くラツィア。その唇からはワインの残り香が漂う。

「温かいね、体」

 そう言う彼女の体も、熱を帯びていた。下半身が魚だからといって、その体は人間と同じく温もりがある。そして豊かな胸の柔らかさは、人間と人魚が男女の関係になれることを力説していた。

「あたし、さ……さっきの子みたいに、自分から人にアピールするの苦手でさ。でも……」

 ゆっくりと体重をかけてくる彼女は、俺を押し倒そうとしていた。抵抗しようと思えばできたが、素直に船底へ倒され、彼女に身をまかせる。ゴンドラが揺れ、潤んだ大きな瞳がこちらを見下ろしてくる。

「私の舟を選んでくれた旦那様には、幸せになってほしい」
「……君と一緒にか?」

 こくりと頷いたラツィアと、そっと手を繋ぐ。瞳と唇が間近にあり、吐息がかかる。

 もし、俺が新たな幸せを手にできるのなら。
 もし、今度こそ誰かを……俺の幸福を願う女を、幸せにすることができるのなら。

 唇が触れ合った。柔らかく、ワインの渋みが微かに残っている。その一方で、彼女自身のものと思われる甘い匂いがした。

「ん……」

 彼女の舌が先に入ってくる。ねっとりと絡め合いながら、豊かな胸を掴む。制服は単に胸の形が浮き出ているだけでなく、その下の柔らかさを全く損なわない不思議な生地だった。指の間から膨らみがはみ出し、蕩けるような柔らかさだ。服の下で勃った乳首の感触もはっきりと分かる。

「んっ、ちゅっ、ふぁっ……♥」

 舌同士が唾液の糸を引き、ラツィアの艶やかな声が漏れる。俺に乳房を揉まれるお返しとばかりに、彼女の手は俺の腹部から股間へと滑っていった。
 ズボンの下で怒張したそれを、美しい指がそっと撫でていく。布地越しにも関わらず、その刺激は快感をもたらした。

「……もっと熱くなろ? 旦那様」

 唇が離れたとき、ラツィアの顔も上気していた。指先は手際よく俺のズボンのベルトを外し、下着をずらし、勃起したそれを露出させる。

「わ、立派……」
「君の方がそう言われる機会は多そうだがな。……その胸」

 からかってみると、彼女はくすりと笑った。そして次の瞬間には自分の大きな乳房を手で支え、それを股間へ密着させてきた。服を着たまま、胸の谷間に男根を挟み込んでくる。
 摩擦の少ない、すべすべとした生地の感触。その下から伝わる柔らかさ、温もり、重み。それらは心地よい刺激となって男根を包み込んだ。

「よい、しょっと……」

 自分の乳を手で上下にすり合わせ、肉棒をもみくちゃにしてくる。歌娘の制服は乳房の形がひしゃげるのもはっきりと分かる。
 上目遣いの瞳で、気持ちいいかと訊いてくるラツィア。俺は彼女の、プラチナブロンドの髪を撫でてやることでそれに答えた。

 気を良くしたのか、ラツィアはさらにサービスしてくれた。いや、彼女の目に浮かぶ情欲は、サービスというには熱すぎた。彼女は制服の裾を乳房の下まで捲り上げ、可愛らしいおへそを見せる。
 そして服の下へ男根をねじ込み、再び谷間へ挟む。卑猥な制服は彼女の乳房だけでなく、俺の男根もぴったりと包み込み、人魚の滑らかな素肌へ密着させてきた。微細に伝わる振動が彼女の鼓動だと気付き、それがさらに興奮を掻き立てる。

「人魚ってのはみんな、こんなに淫らなのか?」
「好きな人には、ね」

 楽しげに笑い、さらに強く胸を寄せてくる。汗ばんだ肌が表面を滑り、質量のある乳房が圧迫してくる。物理的な快楽だけでなく、ラツィアの艶やかな仕草に、熱い吐息に情欲を刺激された。

 流されるゴンドラの中で、彼女の奉仕を受け続ける。俺たちを見ているのは月と星だけだ。男根が震え、玉袋が上がってくる。俺が達しそうなのを察し、ラツィアは息遣い荒く男根を胸で擦りたてる。
 白い制服に染みができ始め、彼女が男根を挟み込んだまま、俺の下腹部へ頬ずりしたときだった。その赤らんだ頬の熱を感じた途端、股間に快感が突き抜けた。

「うっ……!」

 思わず声が出た。声だけでは済まない、男根から迸ったものがラツィアの谷間から溢れ、制服の染みが大きくなる。

「あ……熱い……♥」

 うっとりとした彼女の声が、さらに快感を強める。射精が妙に長く続いているような気がした。いや、錯覚ではなく実際に大量の精液が迸っている。彼女の制服の襟元や、それどころか袖のないの脇からも白濁が溢れ出したほどだ。日焼けした肌が白く汚れていく姿を見ながら、快楽にのみ浸る。

「うわっ、すごい……♥ あのラム、本当に効くんだ……♥」

 快感でぼんやりとした頭に、ラツィアの声が響く。そういえば先ほど飲んだラム酒は彼女に勧められたものだった。

「何を……飲ませた……?」
「魔界の食べ物飲み物にはよくあることだよ。特に蜜とか砂糖とか、甘いものにはね……♥」

 悪戯っぽく笑い、ラツィアは制服を完全に脱ぎ捨てた。精液まみれになった乳房が大きく揺れる。服で隠れていた肌の白さと、日焼けした腕や顔の境目が不思議と蠱惑的だ。

「ね、見て」

 上体を起こしたラツィアの、へその下。人の体と魚の下半身の境目に変化が起き始めた。青い鱗が体へ沈み込むように消えていったのだ。

 代わって現れたのは縦一直線の割れ目。そこが微かに口を開き、たらりと愛液が垂れ落ちる。間違いなく女性器だ。人間のそれと全く同じかは分からないが、少なくとも繋がることのできるものだ。
 俺の男根は未だに勃起し、その割れ目に頭を向けていた。

 もう言葉は必要なかった。彼女の潤んだ瞳、黒曜石のようなその瞳を覗き込むだけで、心が通じ合ったように思えた。

 ラツィアがもう一度こちらへ体を倒し、俺は彼女を抱き寄せる。白い指が男根に触れ、割れ目へと導いた。そのまま彼女の体重で、ずぶずぶとそこへ咥え込まれていく。

「ん、くぁ……♥」

 美しい顔を淫らに歪め、声を上げる人魚。同時に、男根には甘美な締め付けが加えられた。根元まで挿入され、上の口の方でもキスを交わす。
 重なった唇の隙間から、彼女の艶かしい声が漏れる。俺の方も人外の女体がもたらす快楽に悶えてしまいそうだった。流れる水の音に、蠢く膣のいやらしい音が混じる。人魚の蜜壺はあたかも別の生き物であるかのように蠢き、男根を咀嚼していた。下の口、という表現がぴったりだ。

「旦那様……繋がっちゃった……♥」

 歓喜の涙を流しながら、ラツィアは尾びれを上下させた。泳ぐときのように。その動きで膣が男根を摩擦し、快感が増す。

「あんっ、あぅっ♥ 旦那様ぁ……」

 彼女はしばらく、俺を焦らした。互いが達しそうになると動きを止め、キスを交わして、交わりの時間を引き伸ばした。甘い声、揺れる胸、蠢く蜜壺。それらに身を委ね、流れる小舟の中で快楽に浸る。
 そしてラツィアの方も快楽に溺れていた。激しく腰を動かし、止めて、また動かし、整った顔は泥酔したかのように蕩けている。

 やがて彼女が俺に強く抱きつき、同時に膣内が収縮した。歌声のような嬌声が耳に響く。昼間と同じように、この人魚は俺のために歌っているのだ。


 その歌声と女体の温もりを目一杯感じながら、俺は彼女と共に絶頂を迎えた……






…………




……







 目が覚めたとき、海から昇る朝日が目に染みた。海上には難破船の残骸が点在し、隣では裸のラツィアが寝息を立てている。
 一先ず上着を脱いで彼女にかけてやり、俺たちの乗るゴンドラが浜へ乗り上げていることを確認する。記憶が曖昧だが、空中水路から出た後ここへ流れ着いたのだろうか。または交わりの末に俺が寝てしまった後、ラツィアがここまで漕いでくれたのかもしれない。

 そして俺たちの小舟の隣には一回り大きな、一本のマストを持つ小型船が停泊していた。フェラッカと呼ばれる、砂漠地帯の大河などでも使われる船だ。帆を畳んでいるが、マストの頂点には黒旗がはためいている。
 見覚えのある、というよりは見慣れすぎた旗だ。黒地に炎を纏った髑髏。かつて俺の船のメインマストにはためき、そして焼け落ちたはずの海賊旗。

「あ。起きたのか、おっさん」

 不意に甲高い声で呼びかけられた。十台前半くらいの女の子……人間ではないが、人魚でもない。二本足で立っているが、槍のような厳つい尻尾がある。皮の胸当てと腰巻のみというあられもない格好で、腰にはカトラス。エキゾチックな褐色の肌には幾何学的な刺青が彫られていた。尖った耳と白い髪も、この子が人間ではないことを物語っている。

 だがその笑顔にはどことなく、亡き妻の面影があった。

「朝起きたらいきなり私の船の隣にいたから、びっくりしたよ」
「……悪いな」
「いいって。私も船の中で寝過ごしたりするし」

 少女は陽気に笑い、フェラッカ船に乗り込む。ズタ袋に入った荷物を置き、船出の準備に取り掛かった。

「嬢ちゃんの船か?」
「ああ、これでも海賊なんだ。駆け出しだけどな」

 黒旗を指差し、得意げに答える。

「その旗には見覚えがある。スウィフト号の、ロバート・ベゼル船長……」
「父さんを知ってるのか?」

 少女の目の色が変わった。思った通りだったようだ。父さん、と呼ばれたことに図々しくも喜びを感じてしまう。

「アバリオ海で最も危険と云われた男だ。でもってあの海域で最後に処刑された海賊だった。……魔物の娘がいたとは」
「はは……」

 俺の言葉に、彼女は少し寂しげに笑った。

「昔は人間だった。父さんが母さんを置いて出て行った後、私が生まれて……何年経っても帰ってこなくて」
「……」
「母さんは完っっっ全に愛想尽かしちゃって、私を連れて故郷を出たんだ。でも行った先の村で病気になって、たまたま男狩りに来たアマゾネスに助けられたってわけ」

 アマゾネス。屈強かつ凶暴な女戦士の種族だというが、人間の女を同化させる力も持っているという。ネレイスなどがそうするように。この子もそれによって魔物へと生まれ変わったということだろう。その話が反魔物領へ伝わるに当たって、魔物に殺されたという形になってしまったわけか。
 そのときふと、あることに気づいた。

「なら……お母さんも生きてるのか?」
「ああ。旦那と一緒に幸せに暮らしてるよ」

 思わず名前を出してしまいそうになったが、娘には気取られなかったようだ。
 妻も生きている。新しい亭主と共に、幸福に暮らしている。安堵が胸に湧き起こった。

「ってことは、前の亭主のことも吹っ切れたのか」
「もう愛していないって言ってた。でも万一まだ生きてるなら、幸せになって欲しいとも言ってたっけな」

 ……あいつらしい言葉だ、とうっかり口を滑らせそうになる。気が強く、だが思いやりのある女だった。今でもそこは変わっていないのか。

「ベゼル船長は最強の海賊だったが、かなりの駄目男だったらしいな」
「まあ私もそう思ってたけどさ。少し前に、父さんに助けられた人と会ってね」
「……助けられた?」
「父さんは農園やガレー船を襲ったとき、奴隷にされてた人を何百人も助けたんだって。それに金の亡者だったけど、奴隷貿易には絶対に手を出さなかったって」

 そういえばそんなこともしたか。ただ人を鎖で繋いで働かせる連中が気に食わなかっただけで、善行のつもりはなかった。感謝された覚えはそれなりにある。俺の子分には元奴隷も多くいたから、奴隷の売り買いをやろうなどとはそもそも考えなかった。

「それから、父さんのことをもっと知りたいって思った。同じ旗を掲げて海に出れば、父さんと同じものが見えるかも、って……」

 そこまで言って、彼女はふいに目を逸らした。何かに気づいたかのように。

「……なんか変だな、私。いつも、こんなに自分のこと喋らないんだけど」
「そうなのか?」
「ああ。なんか、話しやすい人だな。おっさん」

 親しみのある笑顔を、俺に向ける。
 俺の娘。どうするべきか、迷いが生じた。全て打ち明けるか、それとも……


「ラズリ! お待たせ!」

 近づいてくる足音と叫びに、俺の思考は中断された。彼女と同じくらいの年頃の少年……線は細いが日焼けした、水夫見習いといった出で立ちの男の子だ。肩には腰には娘とお揃いのカトラスを提げている。
 彼を見て、娘はぱっと笑みを浮かべた。

「遅いぞゼルア! 早く乗れよ!」

 娘に急かされて、少年は大急ぎでフェラッカに乗り込む。彼が櫂を取り、娘はマストから帆を広げた。黒いラティーンセイルだ。

「仕事があるのか?」
「宝探し。難破船から金目の物を見つけて、もっとでかい船を買うんだ。あばよ、おっさん」
「ああ。……おい!」

 浜から離れるフェラッカ。その船首に立つ彼女を、今一度呼び止める。

「お母さんが言ったように、親父さんがもし生きてたらどうする?」

 その問いに彼女は少し考えた。だが船が数メートル離れた頃に、不敵な笑みを浮かべて答えた。

「一発ぶん殴って、それから一緒にご飯食べるかな!」
「そいつはいい! 頑張れよ!」

 そのとき、吹き抜けた一筋の風。帆が膨らみ、フェラッカは勢い良く遠ざかっていく。娘がこちらへ手を振り、俺も振り返した。
 気づくと沖の方には他にも小型船がいる。なるほど、マトリは海賊の島。駆け出しの海賊はこうやって基盤を作り、成り上がりを目指すのだろう。


「……よかったの? 自分が父親だって言わなくて」

 ラツィアがそう言ったのは、フェラッカが遥か彼方へ行ってからだった。彼女はしばらく前から寝たふりをしていたようだ。話を全て聞いていたと見える。

「とりあえずはこれでいいさ」
「そういえば旦那様、処刑されたことになってるの?」
「ああ、俺を捕まえた賞金稼ぎが元同業者だったからな」

 俺が暴れていたアバリオ海は当時、海賊の楽園だった。いくつもの海賊団が島々を支配して自治を行い、一時期は誰も海賊に逆らう奴はいなくなった。しかし好き放題やりすぎたせいで、教団と諸国は海賊征伐に全力を注ぐようになった。島は次々に奪還され、処世に長けた奴らは恩赦と引き換えに教団へ寝返った。
 そしてそいつらは賞金稼ぎとして、かつての仲間を狩り始めた。俺からすれば裏切り者だが、奴らとしては単に潮時を見極めただけだったろう。結局そいつらは以前の友情を完全には捨てきれず、俺を既に死んだことにしてこっそり逃してくれたのだ。

 話をしながら、ラツィアは上着を俺に返してくれた。海から昇る朝日も眩しいが、それに照らされる人魚の裸体はさらに眩しい。そこへ元通り歌娘の制服を着て、ゴンドラの船べりに腰掛ける。

「これからどうするの?」
「特に予定はない」
「ならずっとここに居なよ。コートアルフに」

 少し熱の籠もった声で、ラツィアは言う。

「あの子が一人前の海賊になるまで見守ろう? あたしと一緒に」
「……そうだな」

 いつか殴られてやろう。ラツィアが隣にいてくれれば、それまでここに留まれそうだ。

 肩へそっと手を回すと、ラツィアは嬉しそうに微笑み、虚空を見つめて息を吸った。そして昨日と同じく、素晴らしい声で歌い始める。



 ーー七つの島が 言ってるよ

 ーー潮時だぜ ロビン


 聞き慣れたメロディ。しかし歌詞は知っているものとは違う。


 ーー後悔はもう 十分したろう

 ーーそう 風はまた吹くのだから


 歌いながらちらりとこちらを見て、ウィンクする俺の人魚。彼女が自分で作ったコートアルフ向けの歌詞だ。
 波の音をバックに響く歌声、船たちを沖へ運ぶ風。今はその先に、未来が見える。



 ーー潮時だぜ ロビン

 ーーああ潮時だぜ ロビン

 ーー涙を拭いて錨を上げろ




 ーーそう 風はまた吹くのだから









 ……fin

20/10/13 19:30更新 / 空き缶号

■作者メッセージ
お読みいただきありがとうございます。
コートアルフらしい話を書きたくなって始めたのですが、思いの外時間がかかってしまいました。
主人公のモデル、分かる人には分かると思います。
ご意見ご感想などあればよろしくお願いいたします。

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