連載小説
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【メイド】 清掃、洗濯、炊事等の家庭内労働を行う女性の使用人
【懐かしい】 ・心が引かれて離れがたい
       ・かつて慣れ親しんだ事物を思い出して昔に戻ったように楽しい
       ・引き寄せたいほどにいとおしい

『記録』の中から気にかかった感情を探し出し意味を確認する。一度覚えたことを忘れない私にとって不要のことだというのに。
以前感じたあの感情。なぜ抱いたかわからないあの気持ち。
意味こそ理解しているはずなのにどうしてこうもわからないものなのか。

かつてあったような『懐かしさ』

物事を忘れない私にとってそれはあるはずのない感情なのに沸き上がってきた意味が分からない。
記載されていないものなど調べようもなく、確認しようもない。新たに記録するにも私は媒体でしかない。

―私一人ではどう探しても見つけることもできない。

もう一度感じられれば理解することができるのだろうか。
誰かが教えてくれればわかるようになるだろうか。

―しかし私一人ではどうやったところで無理なこと。

結局何をしたところで私は『本』。記述されたこと以上のものなど得られない。

―だったら求めるのは外部からの『記入』

それが出来る相手はいくらでもいる。だが、私が関わりを持てる相手はごく僅か―結局のところ頼れる相手は一人しかいない。










「…おや、メモーリア様ではありませんか」

人気のない廊下にぽつんとある黒い扉。それを開けて現れたのは以前と同じ姿、同じ姿勢のメイドのエミリーだった。当然ながら魔物らしい姿ではない。誰がどう見ても人間に見える形である。今更私には不要なものだけど。

「ユウ、タは?」
「…本日はレジーナ様の護衛のお仕事があります。戻られるのは夜ですが、何か御用でもありましたか?言伝ならば私が承りますが」
「…い、い」

ユウタがいないのでは来た意味がない。なら、夜まで待つべきかと思うが時間を潰すものもない。
仕方なくいつものように庭園でただすることもなくじっとしていようかと思い踵を返す、その時だった。



「あら、エミリー」



誰もが忘れることのできない輝く白髪。老若男女問わずに惑わす魔性の赤目。人間にはあるはずのない角に尻尾、そして翼。
メイドが廊下を忙しなく駆け巡るように、騎士が自室へゆっくり戻るように。彼女もまたここにいることが当然と言わんばかりの足運びで部屋の前へと歩いてくる。
魔王の娘の―リリムが。

「こんにちは。あら、あなたは…確かあの時の娘ね。貴方もユウタに会いに来たの?」
「…!」

薄桃色の艶やかな唇が穏やかな言葉を紡ぐ。親しげにユウタの名前を混ぜながら。
明らかに初対面とは思えない呼び方だった。

「ユ、ウタと知り合、い?」
「えぇ、レジーナのところに遊びに行った時からね」

にっこりと見せるその笑顔。感情のある者ならば男女問わずに惑わされることだろう。

だが、気になるのはそこではない。

目の前にいるのは魔王の娘。魔物の中でも頂点に君臨する最大の脅威。
人気のない廊下とはいえ魔王の娘が白昼堂々と出歩くことができる。そんな王宮内の警備の甘さは変えなければいけないこと。


それ以上に気にかかるのは―名前を呼んだその声色。


ユウタは他国に知られるほど有名ではない。魔界に轟くほど脅威でもない。その上で呼ぶということは。しかも、親しげに呼ぶその声色は。

明らかに初対面の物ではなく―まるで友人のようなもの。

「…お手数ですが、ユウタ様は只今レジーナ様の護衛の仕事の最中です。お帰りは夜になるかと」
「あら、今日もなの?んもう、レジーナったら独り占めしちゃって」
「…ちなみにこの前の休日もレジーナ様に連れ出されておりました」
「あ、ずるい!」
「…仕事外でもお二人は上司と部下、いえ、王女と護衛ですので」
「ただの職権乱用じゃないの?エミリーだって甘えないとレジーナが全部もってっちゃうわよ」
「…むしろ私はユウタ様に持っていかふぇへへへ」

魔物二人が会話する。だが、そこに私の記録にある淫らでいやしい姿は見られない。
あるのは町娘が偶然出会った友人とするような明るく気ままな会話のみ。違うのは尻尾と翼と角の有無ぐらい。
何より驚いたのはフィオナの表情。
リリムといえど感情は表情に出る。だが、そこにあるのは初めて私を前にした時とは異なるもの。ひどく残念そうで、じれったくて、焦れて、だけど楽し気で。
少なくとも記録される悪魔のようなものではない。堕落させるような淫らなものでもない。
そこらのメイドが浮かべるような、時折女性の騎士に垣間見えるような、ここ最近レジーナ様が見せるものと同じだった。
なら。


リリムの感情も人間と変わらぬのだろうか。


魔物が抱く心情は人と同じものだろうか。


記録として載せられぬ情報。考えと目の当たりにした事実に私は狼狽える。

―らしくない。

『本』として生きているこの私が。
『記録書』として過ごすこんな私が。
何を今更感情なんてものに執着しているのだろう。
わからない。
わからなくて、理解できない。




―だからこそ、知りたい。





「「感情を知りたい…?」」

自分でも言ったことすらわからない程自然に零れた言葉。二人は突然のことに目を丸くして私の言葉を繰り返した。
突然すぎるが、当然の反応だろう。言った私すら自覚できなかったのだから。
だが、エミリーは表情を変えることなく、フィオナは顎に手を当てて考え込む。笑うことも馬鹿にする素振りも見せることなく。

「…感情を学ぶ、ということでしょうか。急なことで驚きましたができないことでもありませんね」
「いえ、むしろそのままでもいいじゃない。無理に変わろうとしなくてもそれがあなたの魅力なんだから」

出された意見は真逆のもの。しかし、顔を見合わせる二人の間には張り合う雰囲気はない。
押し付ける気も強制する気もない。ただ、私のために悩みだした答え。
その事実が―また私の『記録』に相違を生んだ。

「でも、きっかけが欲しいっていうのなら喜んで協力するわ♪何がいいかしら…やっぱりマンティス?」
「…フィオナ様。ここは反魔物領です。無暗に私のようにするのはメモーリア様にとっても危険なことかと」
「それなら魔界に来ればいいのに」
「そ、れは無理」

持ち出し厳禁の本。当然ながら魔物化なんて許されないし、そうなってしまえば一大事。
本来ならば魔物を淘汰しなければいけないのだが私にあるのは忘れない記憶力のみ。戦う力も戦闘力も欠片もない。

「大丈夫よ。ちょっと出かけてちょっと帰ってくればいいだけだもの。この王国の町もいいけど他国の様子を見るのもいい刺激よ?」
「な、い」
「え?」
「外に出ることなん、てなかった。町なんて、行っ、たこと、もない」

町の光景は記録している。誰がどこで働いているのかも頭にある。
だが、その光景の中を歩いたことはない。日差しの光も市場の香りもにぎやかな喧噪も記録にない。
『本』が外出など許されるわけがないのだから。

「だ、から、この国の町も、よく知、らない」

以前ユウタに連れられた湖畔へのピクニック。あれが王宮を出ること自体初めてだった。
エミリーは表情一つ変えない。だが、フィオナは悲し気に眉をひそめて私を見つめていた。

「…」
「…」
「…」

誰も、何も喋らない。私の一言が原因なのはわかっているが、何を言えばよかったかなど考えつかない。

「…ならば私から一つ」

エミリーは人差し指を見えるように立て、言った。



「…メイドになればよいのです」



「めい、え?」
「?」
「…メイドになれば良いと申し上げました」

疑問の声を上げる私とフィオナを前にエミリーはただ頷く。

「…メイドとはご主人様に仕える者です。そのためにはご主人様の些細な感情の変化、意思の汲み取りが必要不可欠。ご主人様の感情を察するためにも僅かな変化に対応していくものです」
「う、うん…?」
「…感情の読み取り、対応、察知、適応。何を求めているのか、何が適しているのか。その技術を学んでいけば自然と感情がなんたるかを知ることとなりましょう。無論、そうなるためには長い年月をかけて鍛錬を積まねばなりません。頭から足先まで、ご主人様の一挙一動が何を求めているのかを理解するなど素人には容易いことではないのですから」
「それじゃ、あどうす、ればいいの?」
「…今すぐできるようにすることはできません。メモーリア様がキキーモラになれば話は別ですが、当然そのようなことは無理でしょう」

そこで一度言葉を切るエミリー。そして真っ直ぐ向けられた瞳が鋭く光る。

「…だからこそのきっかけです。根本はご主人様への忠誠心ですがそのさわり程度でもメモーリア様にとっては十分なものでしょう」
「メ、イドの、忠誠心?」
「…ご主人様を敬い、慕い、尽くしたいと思う心のことです」

両手を胸に当て瞼を閉じる。ご主人様、という言葉だけ声色にわずかな変化が聞き取れた。豪語するだけあって特別な感情を抱いていることに違いない。その感情もきっと私には計り知れないほど強く、深いことだろう。
故に―

「―わ、から、ない」

エミリーが豪語するだけの理由が。
私がメイドになる必要性が。
結局それはエミリーの場合である。私にとってはまた別のことでしかない。だから、そこまでしてメイドとなる必要性が理解できない。
論理的な意見。客観的な事実。汲み取れた情報からして筋は通っている。彼女の厚意ということも理解できる。だが、その上で納得できるわけでもない。

「貴方のはた、だの押し付け。忠誠心な、んて人それぞ、れのもの。嬉し、くあるけどメ、イドである意味がわ、からない」
「…そういう捉え方もあるかもしれません」

否定の言葉だというのに意外にもエミリーは静かに肯定した。反対意見や図星を突かれれば激高するのが普通だと思ったがそうではないようだ。

「…ですがメイドの忠誠心は時には言葉や理屈では語れぬものでもあるのです。ご主人様が求めてくださる、それだけでも天にも昇るような気持になることがあれば逆にぼろ雑巾のように扱われて喜びを覚える、そのような方もおります」
「理解で、きない」
「…メイドの心を理解するなど一度や二度対面した方には到底無理なことでしょう。他者への理解など簡単に出来ることではないのですから」

そういっても私の記録にあるメイドと彼女の語るメイドは全くと言っていいほど異なっている。
彼女の口から出たメイドは一つの職業ではない。まるで王が王たることを語るかのような、堂々たる『生き方』。私が『本』としての職務を全うするのとは異なる誇らしい態度だった。

「…私にとってのメイドとはご主人様に仕えること」

胸を張り、自分自身に宣言するかのようにエミリーは言葉を紡ぐ。

「…私を性欲処理の道具として扱うのならばそれもまた喜び。暴力を振るわれることにも歓喜し、痛みすら悦楽へと変わります。ですが、それは私をメイドとして扱ってくださるからこそです」

最早その言葉の中に私の記録のメイドはいない。彼女の目指しているものはメイドであるが、メイドに非ず。きっと王宮内のメイド達でも理解のできぬに違いない。私も、隣のフィオナも同様だ。
それを理解できるのが―ユウタなのだろう。

「…ユウタ様は私をメイドとして見ています。同時に女性としても扱ってくれます。私にとって堪らなく嬉しいことであり、時にはもどかしいことでもあります。そんなご主人様だからこそ私は頭を垂れているのです」

二人の姿がメイドと主人の関係には見えなかった。それでもユウタは理解して、許容して、相応の態度で接している。当たり前のようで、簡単なことではない。
一人の女性の全てを支配する。全てを捧げ、貰い受け、一人の生を背負い込む。伊達や酔狂でやれるものではない。まともな人間なら普通やらない。

「…よく覚えておいてください。私はメイドとして生きることができ、メイドとして死ぬことができるからこそユウタ様にお仕えしているのです。ユウタ様が私を見捨てる?そのようなことは一切ないと言い切りましょう。もしそうだと言うのなら私は既にあの時に墓石の前で朽ち果てています」
「…」

かつてこれほどまでに胸を張り堂々と言葉を並べたものを私は何人か記録している。だが、それらの人物は皆地位が高く、同様に誇りもある気高き人だった。多くの者を従えて、国の先導者となるべくもの。
つまるところ王族である国王様やレジーナ様たちの姿と―エミリーの姿が同じに見えた。



「…これが私の、『メイド・畢生』です」



記憶できても理解できる内容ではなかった。
私の頭の中にあるメイドとはやはり違う、異常と表現できる存在だった。
だけど―堂々とした姿から勇ましさを、胸を張った佇まいから誇らしさを感じ取れる。
姿形は異なるのにそれは正しく王の姿と同じ。否、王のように気高く尊いものだった。

「素敵……」

ぽつりと零したフィオナの言葉に私も気づけば頷いていた。
ここまで言われては納得するしかない。彼女のあり方を否定することなどできやしない。
むしろ、ここまでメイドとして生きる彼女だからこそ学べるものは大いにあるだろう。白紙のページにびっしりと詰め込んでくれるに違いない。
ただただ感心するばかりの私たちにエミリーは背後へと手を回し、どこからか二着の衣服を取り出した。

「…ではまず形から入りましょう。こちらをご着用ください。折角ですのでフィオナ様のもありますよ」
「「え?」」

白と黒のコントラスト。厚手の布が波を打ち、飾られたフリルが揺れ動く。長いスカートを包むエプロンドレス。それから引っ掛けられたカチューシャ。二着ともデザインが異なるがそれはわずかなもの。よくよく見ればエミリーが着用する衣服とも似通っているそれは―





「…『メイド服』です」









「…メイド服とはメイドがメイドである証。袖を通したということは貴方達は今からメイドということです。そのメイド服を着用している間は私のことをメイド長と呼び、はっきりとした返事を心がけるように」

メイド長は眼鏡をかけて髪の毛を一つにまとめていた。最早隠す気もないのか大きく垂れた耳はキキーモラの証。スカートからはみ出した尻尾は魔物の証拠。それらを気にすることなく振る舞う姿には人間も魔物も関係ない―『メイド』の姿。ただ着込んだだけの似合いもしない私たちには到底できないものだった。

「…それではまずは感情を察するための講座といきましょう。こちらを御覧なさい」

背後へと手を回したメイド長はするりと布地を取り出した。黒くて薄く、袖のあるそれは王国内ではまず見られない衣服。ジパングの衣服である『ユカタ』というものだった。

「…こちらはユウタ様が就寝時に着用されている寝間着です。薄い布地で通気性も良く肌触りも良い。柄はありませんが黒一色なところは正しくユウタ様にぴったりと言えましょう」

試しにひらりと揺らしてみれば抗うことなく波を打つ。私たちのメイド服よりずっと薄く部屋の明かりが透けるほどだ。

「…ではここで質問ですが、なぜユウタ様はこの寝間着を着用されているのでしょうか」
「「え?」」

突然の質問に素っ頓狂な声を返す私とフィオナ。だが、そうなるのも当然だろう。感情を察することとユウタの寝間着。その関連性が見当たらない。

「…ご主人様の感情を察するためにはこのような事象から理由を読み解くことが重要です。なぜ、そうであるのか。どうしてそうなされるのか。そこには必ず相応の理由があり、重要な答えが隠れているもの。その答えを見つけられてこそメイドというものです。では、なぜ?」
「えっと……普通に考えて寝やすいから、かしら?」
「…?…………?………」
「…果たして、本当にそうなのでしょうか。この衣服は見た目の通りにとても薄い生地です。聞けばもとは湯上りに着用するためのもの。そのため着用には手間を取らせぬ構造となっています。このように」

ひらりと布地が揺れる。そのせいで端を止めていたひもが緩み、胸元を包む部分が大きく開けた。
すぐにほどけて脱ぎやすい。構造はまるでバスローブに近い。これでは外に着ていくようなことはまずできないだろう。

「…他人の手でしても楽に脱がせる構造です」
「っ!」

眼鏡がぎらりと輝いた。それは瀟洒な使用人というよりまるで無防備な獲物を前にした獣の瞳。牙を突き立て涎を垂らす本能塗れの動物だった。
対するフィオナははたと気づいたように目を見開く。

「…ユウタ様は年頃の男性です。当然性に興味もおありでしょう。ですからいつでも及ぶことができるようにと着こんでいるのです」

得意げに語るメイド長の言葉に対しそれはないと言い切れる、はずだった。
だが私には感情を理解できるほどの頭はない。もしかすれば本当にそう感じているのかもしれない。
記録と記憶ではどうにもならない人間の感情。さらにユウタは男性であり私には到底わからぬ存在。
だが、対するメイド長はキキーモラ。メイドの中のメイドでありその上で魔物である。私たちには見えぬものが見えているのだろう。

「ユウタも男性なのね…」
「…ユウタ様もお年頃ですので」

本人のいないところで言いたい放題な二人だった。
魔物同士の会話についていけるわけもなくただ黙りしているとフィオナがぽんと手をたたく。にっこりと笑みを浮かべた表情から何か思いついたらしい。

「それならこのメイド服ももっと露出を増やせばいいじゃないのかしら?それにほら、メイド服よりエプロンだけっていうのもセクシーでしょ?ユウタだってそっちの方が嬉しいに決まって―」


「…愚か者っ!!」


言い切る前に怒鳴り声が響きわたる。静かな佇まいからは予想できないほどの大きな声に突然のことにフィオナは驚き、私も一瞬体を震わせた。
あまりの剣幕で眼鏡も傾く。それでも彼女は構わず話を続ける。

「…メイド服を自ら脱ぐということはメイドである理由もなくなるのと同義。メイド服の形状を変えるということはメイドという職業を冒涜することと同じ。例外は休みかご主人様の命令のみです。だというのに肌を晒して魅惑するためにする?それがご主人様の喜びに繋がると?恥を知りなさい」

こほんとひとつ咳払い。傾いた眼鏡をかけなおしたメイド長は人差し指をフィオナの目前に突きつけた。

「…メイドは娼婦ではありません。メイド服は男性を魅了する飾りではありません。メイドはあくまでご主人様に使える使用人です。はき違えないように」
「は、はい…」

リリム故に思考がそちらへ傾きやすいのだろうか。なんてことを縮こまるフィオナを見ながら考えてしまう。だが、落ち込む彼女にメイド長は静かに言葉を続ける。

「…ですが、メイドは女性。ユウタ様は男性。時にはそういった奉仕を行う事もありうるでしょう。そのためにも時には楽しませる仕草を心がける事も大切です。うなじをさりげなく見せたり、しゃがみ込んで臀部の曲線を強調したり、触れるか触れないかのぎりぎりの位置を保っては意識させる。しかし、露骨に見せつけるなど恥の知らぬ者のやることでしかありません」
「そ、うな、の?」
「…なのでフィオナの言った事もあながち間違いとは言い切れないものですので忘れることないように」
「は、はいっ」
「…」

ただ正すだけではない。落ち込むフィオナにさりげないフォローをいれる。他者の感情を察して誘導する。私にはどうやってもできない事を彼女はやっていた。
やはり学べることは多くある。きっかけとなることも、ためになることも。

「…それではまず姿勢を、続いてお辞儀を教えます。メイドとしての基礎の一つですが、メイドとしての極意でもあります。二人にはそこから学んでいただきましょう。返事」
「「はい、メイド長」」





そんな講習を何度も続けて、やがて気づいた時にはメイド長が部屋に明りを灯していた。短いスカートを翻し振り返ると静かに一言。

「―…それでは実践してみましょう。ユウタ様が戻られる時間です」
「あら、もうそんな時間かしら」
「…ご主人様のご帰宅にはお出迎が大切です。二人ともドアの前に並びなさい」

促されるままに二人で並ぶ。その前にメイド長が来ると同時にドアが開かれた。



「ただいまー」



現れたのは土と傷にまみれたユウタ。誂えられた制服が所々切り裂かれ、膝や肘がすりむけている。頬や手の甲には深い裂傷ができ傷口の側には赤黒くなった血液がこびりついていた。しかしどの傷も深いものはなく致命傷などありはしない。ただ、鍛錬後というより戦後の兵士のような有様だった。
そんなユウタが私たちを見る前に頭を下げ挨拶。

「…おかえりなさいませ、ユウタ様」
「おかえりなさいませ」
「おか、えりなさい、ませ」
「…………んん?」

案の定というか、突然の出来事にユウタは眼を点にした。その目で私を、フィオナを見て固まる。

「……え?なにこれ?」
「…メモーリアが感情を学びたいとのことでしたのでフィオナと共にメイドとしての講習をしまして、只今その実践中です」
「あ、そうなの。え?なんで?」
「…メイドとはご主人様の感情を読み取り率先して行動する者です。ならば、感情を知るためのきっかけになるのではと思いまして」
「そっか。そういう考えがあるならいいと思うよ。」
「…それでは失礼します。二人共」
「「はい」」

私とフィオナは返事をするとユウタを挟み込むように移動する。
まずは上着から。

『…ユウタ様はレジーナ様の護衛という大役を一人で担っております。常日頃命を狙われる危機はありませんでしょうが、それでもいざという時のためお二人で鍛錬に励まれることもしばしあります。ユウタ様がお帰りになるころには満身創痍。ならば、メイドとして何をすべきかです』

ユウタの背後へと回り込み上着を脱がす。その間にフィオナが水差しとコップの乗ったお盆を運び、差し出した。中に入っているのはレモン果汁を加えたブレンドティー。とびきり甘く、栄養価も高いもの。

「あ、ありがと」

長い時間をともにしたわけではないが、私にもわかる程に戸惑いを隠せない。
それは私がメイドとしてユウタに奉仕しているから。

果たして―それだけだろうか。

人の感情は一で終わらない。十を抱き、千を思い、万を隠す。
メイド長の言った言葉が真実ならば―果たしてユウタは私に何を抱いたのか。

「お飲物をどうぞ」
「えぇ、何フィオナまでやってるの?」
「ブレンドティーでございます」
「話聞いてよ」

そうは言いつつありがとうの一言とともにカップを受け取る。琥珀色の波が揺れるそれをユウタは一口含み飲み込んだ。ただ、理解しても腑に落ちない。そんな表情を浮かべながら空になったカップをフィオナへと戻す。
そんなわずかな仕草が普通と比べて遅い。指先の動きすら以前と比べればゆっくりだ。疲労の色が見て取れる。十全な体調とは言い難く休息が必要だと私でもわかる。

「…それではユウタ様。この後はいかが致しましょうか」
「汗塗れでシャワー浴びたい。夕食はその後かな」
「…かしこまりました。それではお召し物をこちらへ」

メイド長は手を差し出して視線で先を促す。だが、ご主人であるユウタはきょとんと首を傾げた。

「え、何?もう脱いでるけど」
「…まさか。衣服を纏ったままシャワーを浴びるおつもりですか?それでは汗を流すことなどできませんよ」
「いや、脱衣所で脱ぐからいいよ」
「…何を仰いますかユウタ様。衣服の着脱を行うのはメイドとしての義務です。たかが一着であってもご主人様に苦労をかけるわけにはいきません」

メイドとしてご主人様に苦労をかけてはいけない。基本であり極意の一つであるメイドの心得。
率先して行動に移したメイド長はユウタから衣服を脱がせようと手を伸ばす。だが、ユウタはその手をするりと避けてしまう。

「いや、ぜんぜんいいから。大丈夫だから。いつも言ってるでしょ」
「…だからこそいつも申し上げているのです、ユウタ様。その程度のことは私めにお任せいただければ良いのです」
「いやでもほら、オレ男だし」
「…メイドは皆女性ですから大丈夫ですよ」
「いや、オレが大丈夫じゃないから」
「…いえいえ、ここは私が」
「いや、本当にいいから」
「…まぁまぁ」

両手の指を開いたり握ったり、波打つように動かして徐々に距離を縮めていく。多少強引なところもあるがそれがメイドの使命故のものだろう。メイド長の口から涎が垂れているのが気にかかるが。

「本当にいいから、一人でできるから」
「…私達に任せてください。ほら、二人とも」
「…あ、はい」
「は、い」

突然呼ばれて慌てて返事を返す。前に出てユウタの腕をとるとフィオナは服に手をかけた。手がボタンへと滑っていくと人差し指と中指で器用に外し、力任せに布地を引っ張る。
あれよあれとよ言う間に肌をさらし、絹を引き裂くような悲鳴が響く。逆にメイド長は涎だけでなく荒い呼吸を繰り返し、ユウタへの体へと手を伸ばした。
王宮勤めの騎士とは異なる細く削ぎ落とされた肉体。体格どころか骨格すら違うのは異世界の人間のせいだからか。無駄な肉はなくうっすらと肋骨が浮き出ている。剣や槍を扱わぬ故のものだろうが軟弱さは一切ない。
ユウタは自らの体を隠すように両手で抱きしめる。反応がまるで女性だが、その行為にメイド長とフィオナがが生唾を飲み込んでいた。

「け、結構いい体してるのね…」
「…さぁ、ユウタ様。お次は下もふぇへへへ♪」

           

「………シャワー浴びてくるっ!!」

一瞬の事だった。
私の手から滑り抜け、フィオナの束縛から脱出し、メイド長の指先を交わして逃げ出してしまう。そのまま脱衣所へ飛び込むと枠が歪みそうなほど大きな音を立ててドアが絞められた。
あとに残された私たちメイド三人。フィオナは口を開けて唖然とし、私もただ呆然とするしかなかった。
ただ一人、ドアの向こうへ消えていったユウタの姿を見つめも表情を変えぬメイド長がそこにはいた。

「あの、メイ、ド長」
「…何か?」
「ご主人様の嫌が、ることをメイドがし、て良いので、すか?」
「…嫌がる?」

メイド長はやれやれと首を振る。わざとらしいため息もついでに。

「…良いのです」

そして、当然と言わんばかりの肯定を私たちへと返した。

「…口では何とでも言えましょう。ですが優先すべきは建前ではなく本音。そちらを真に理解してこそメイドというものです」

ユウタから剥ぎ取った衣服を丁寧に畳むと両腕で抱きかかえる。まるで割れ物を扱うかのように慎重で、子猫を抱きしめるような柔らかさで。
ご主人さまのものだからこそ大切に扱う。メイドごときが傷をつけるなど言語道断。それがメイドとしてのあり方だと言っていた。ただ、衣服にぼたぼたと涎が滴る理由はわからないが。

「…ユウタ様は年頃の男性であり、無闇に肌をさらせるほど無節操な方ではありません。そのようなな方が知り合いの前でどうして裸になれましょうか」

女性であれ、男性であれ恥じらいという物は誰でもある。引け目を感じて体裁が悪い、そんな感情はどちらも抱く。
中には肉体美を見せびらかす者もいるというがユウタはいたって普通の人間である。

「つまり、ご主人様は本当は嫌がってはいなかったということ、ですか?」
「…当然です」

片や肌を隠そうと必死に腕を回し、女性のような甲高い悲鳴を上げて脱がされまいと抵抗する姿。
片や無表情で的確に衣服を脱がしにかかり、力ずくに剥ぎ取っては涎を垂らしていた姿。
誰がどう見ても暴漢と女性のやり取りでしかない。立場は逆転しているが。

「…嫌よ嫌よも好きのうち、という言葉が世の中にはあります。口ではどうこう言えても本心では求められているということです。察することは難しいでしょう。ですが本音と建前を見抜けてこそ真のメイドです」
「た、てまえ?」

主の感情に鋭いキキーモラ。何を求めているのかを察することができ、体の調子や気持ちまで理解して最善の奉仕を行う特殊な魔物。
私の記録が間違っていないのならメイド長はそのキキーモラである。私たちがどうやっても知ることのできないユウタの感情を理解できる存在だ。

「迂闊だったわ。まさか私がキキーモラに羨望を抱くなんて」

キキーモラならば感じ取ることができるのだろうか。
ならば私もキキーモラになるべきだろうか―そこまで考えて気づく。

私らしくない。

自ら変化を臨むことなどほんのやることではない。
新しい情報を刻み込み、記録していく事こそが本のあり方。あらゆる事象を記憶しいつでも閲覧できるようにするのがディユシエロ王国で存在する私の意義。
主神をあがめ、魔物を淘汰するディユシエロ王国の物としてありえてはいけないものだった。

「感情は、難し、い」
「…ええ、難しいものです。ですが、ご主人様のそれを察せてこそ一人前のメイド。まだまだ貴方達は初歩の初歩ですがやがては視線一つで何を求められているかもわかるようになりますよ」

眼鏡をかけなおしたメイド長はぱちりと指を鳴らす。大きく響く乾いた音とともに私たちの前に柔らかな布が落ちてきた。
重みを感じさせない大きな塊。ふわりと香る花の匂い。肌触りも良いこれは―タオル。それも大きなバスタオルだろう。

「…それでは行きましょう。ご主人様のお体の手入れはメイドの仕事。湯浴みの奉仕は私たちの義務。湯上りの水分補給から就寝前のマッサージも仕える者のやるべきことなのですから」
「!はい、メイド長!」

メイド長は脇にタオルを抱えてユウタの後を追うように脱衣所へ入っていく。フィオナも乗り気で速足だ。その後ろ姿を見つめ私はタオルを強く抱きしめる。

感情というものは難しい。
難しいが―嫌なものでもない。
奇妙で奇怪で、理解しがたくて、だというのに悪くない。

こんなものを抱く『本』があるなんておかしな話だけど。

そんなことを思いながらフィオナの後を追いかけて脱衣所へと向かう。だが、気のせいだろうか。私の足取りは普段よりも軽くなっていくのだった。





数秒後。耳を劈く悲鳴とともに私たちは部屋の外へと蹴り出されるのだった。

16/08/21 23:11更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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■作者メッセージ
ということで堕落ルート白澤編第三話でした
今回から徐々に感情を学びはじめ成長していくメモーリアです
これからはやがて喜びや悲しみなどを知っていくことでしょう
メイドとして振る舞うことで間違ったことを学びつつありますが…

挿絵を乗せたかったので遅れてしまい申し訳ありませんでした


ここまで読んでくださってありがとうございます!!
それでは次回もよろしくお願いします!!

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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33