12:抜き身の献身[落武者]
12:30
俺は、マンションの階段の縁に立っていた。
なんとなく。ただただ、なんとなく。
そう思っていた。
久しぶりに吸った煙草の吸殻も、白い燃えカスが少し残っているだけ。
この火が消えたら、足を踏み出そう。
カサリ カサリ
「もし、そなた」
足袋の音がした。
瞬間。
後頭部が柔らかい物にぶつかった。
「その命、私に預けて下さらんか。」
***
15:10
今頃会社はパニックか?
いや、新人を失踪紛いの退職に追い込んだような会社だ。
今更社員が一人消えたところで、心配するのは実績ぐらいのものだろう。
俺は見知らぬ町、見知らぬアパートの一室に、タクシーで連れてこられた。
畳のい草の匂いが懐かしい。
窓の外側には鉄柵が着いていた。
扉の鍵を確かめに行く気力も無かった。
何をするでもなく、ぼんやりと時間が経つのを感じていた。
あぁ、いつもなら、遅めの飯の時間か。
最近はあんまり意味が無かったが。
時計を見ながらそんな事を考えていた。
「失礼。中食を持って参った。」
彼女はそんなことを言いながら、15:20ジャストに戸を開けてきた。
「いつもの中食の時分だったであろう。...最近はあまり食していなかったようだが。」
おむすびを置かれても、それが"おむすび"だという認識しか無かった。
それ以外の感情が湧かない。
「...む。これは失礼した。」
何を勘違いしたのか、おもむろに彼女はそのおむすびを一口齧る。
生気も飾り気もない唇が、少々乱雑に歪む。
ごくり
青白い喉元を白い塊が通った。
「毒は入っておらぬ。」
再度差し出されるおむすび。
食え、ということだと理解するのに、3秒ほど要した。
おそるおそる
しかし、それにしては震えのひとつも無く
俺はおむすびを一口、齧る。
澱粉の味。
そして奥から流れてくる、苦い味。
「! どうした!?」
おむすびを、胃液と共に畳に溢していた。
「これは、思っていたよりも...」
ブツブツと、彼女は思案している様子だったが、俺には半分も聞こえなかった。
***
「お待たせ申した。」
彼女は22:00分に食事を持ち込む。
「此度は心優しいここの住人が、二人がかりで病人食を指南して下さった。昼のようにはならぬだろう。」
出されたのは、お粥。
梅干しが控えめに乗っている。
「そなたは想像以上に弱っている。ゆっくりと、少しずつ口にした方が良い。」
言われた通り、蓮華に半分も無い程度に粥を掬い、口にゆっくりと流し込む。
苦味は来なかった。
「...ど、どうだ?大事無いか?」
緩やかに頷くと、彼女の青白い顔はぱぁっと明るくなった。
「無理をして食べなくてもいい。が、少しは何か口にしないと、"私と同じ"になってしまうぞ。」
どうも彼女は、この世の者では無いらしい。
俺にとってはどうでも良かった。
***
10:00
眠れなかった。
いや、眠いという感情が湧いて来なかった。
「失礼。朝餉の...そなた、もしや眠っておらんな?」
怒りではない。
哀しみの目を向けられていた。
「そのような風体では、朝餉も戻してしまうだろう。これは私が頂く。さて...」
もぞもぞと、彼女は布団に潜り込んできた。
「私の肌は冷たいが、暫くすれば温くなるだろう。」
その華奢なようで芯のある腕を頭に回され、添い寝の形を取ってきた。
「こんな私の言うことでは無いが、やはり人肌は生きた心地がするな。」
じんわり冷たいにも拘わらず、俺は、暫くぶりの深い眠りについた。
***
19:30
俺は今の心境を話した。
あなたが誰とか、
ここはどこだとか、
そんなものに興味はない事。
あの上司の罵詈雑言がまだ頭にこびりついている事。
今はただ、なにもしたくない事。
彼女は真剣な目で聞いてくれた。
「今は何も考えず、私に身を委ねてくれれば良い。」
「案ずることなど無い。」
優しく俺を撫でながら、そう言ってくれた。
「私の気が済むかは、別だが」
***
05:00
起床 何時もと同じ時刻
支度をする
食が以前より細い
05:40
住まいを後にする
06:02
普段通り電車というものに乗る
07:30
奉公先に辿り着く
他の者はおらず
09:25
紙のようなものを機械に飲み込ませる
09:30
"彼"が、上位の者に叱責を受ける。
新人が居なくなってから執拗だ
11:00
奉公先から取引先への移動
15:20
中食
箱状の菓子を一切れのみ
22:00
未だ彼は奉公先
上位の者は既に居らず
他の者も疎らである
00:05
帰宅
何時ものかっぷ麺、というものを食す
05:00
起床 何時もと同じ時刻
支度をする
朝餉は摂らなくなった
05:40
何度か厠へ駆け込むも
住まいを後にする
06:02
普段通り電車というものに乗る
07:30
奉公先に辿り着く
何時も通り他の者はおらず
09:25
紙のような物を機械に飲み込ませる
09:30
他の者が集まる
上位の者が外に聞こえる程喚いている
自ら減らした家臣の分
上納が芳しくない といった所か
今も昔も どの世界でも
愚者が上につくと録な事が無い
09:50
新人が居なくなり
"彼"に矛先が向くようになったようだ
何とか出来ぬものか
彼方からすれば
私は見も知らぬ赤の他人
どうしたものか
11:00
奉公先から取引先への移動
しかし 進む先が何時もと違う
煙草を買う
本格的におかしい
嫌な予感がする
21:00
あの男が
あの男が
20:00
彼奴は夜の町へ繰り出している
他の家臣を差し置いて
駄目だ
熱が湧いてくる
憎い
憎い憎い憎い
■3:■■
■刀■■■が
■を欲■てい■
***
04:00
ギイ
カサリ カサリ
俺は眠りながら、畳の擦れる音を感じた気がする。
***
14:00
俺はふと、スマホをどこにやったのか気になった。
ここに来て幾分経つ。
ガサガサと珍しく精力的に家捜しすると
あった。
久しぶりの外の世界の状況を知るべく、電源を入れロック画面を解除する。
50件以上の着信やメールは、見なかったことにした。
===
俳優▲▲、女優の××と結婚秒読み
女優のサキュバス説が濃厚か
===
魔物娘人権法追加案、可決へ
===
●●(株)会社員、依然行方掴めず
別部署でも告発か
===
ぴたりと指が止まった。
うちの会社だ。
===
労働基準問題で話題となっていた、●●株式会社の会社員が失踪するという事件が起こっていることが、昨日判明した。
刑部狸の信楽率いる調査団は、同会社の別部署にて「不正な勤務形態だ」という親族の報告を受け、既に調査に乗り出していた。
===
ストップ安がどうのとか、
新人虐めの件とか、
労基法がどうのとか、
そんなものはどうでも良くなっていた。
"行方不明"扱いなのは、俺ではなかった。
===
行方不明なのは会社員の さんで、
最後に目撃されたのは■市■■の繁華街だった。
そこから程近くにある路地裏に、 さんの物とみられる鞄、衣類の破片が落ちており、更に現場には"鋭い刃物による傷痕"が無数に残っていたため、現在、警察は事件に巻き込まれた可能性が高いと見て調査を
ゴトリ
スマホの上から1/3が、畳に転がり落ちた。
「見たのか?」
背後に、刀を持った彼女がいた。
「何、案ずることなど無い。」
どろりと揺らめく藍色の炎を纏いながら。
「私は、そなたの事なら何でも知っている。」
カサリ
「そなたを、ずっと、見ていた。」
カサリ
「何時しか、そなたをお慕い申していた。」
カサリ
「理由など殆ど無い。」
カサリ
「唯、戦士として形は違えど、"同じ境遇で"死に逝く者を増やしとう無かったのが、始まりだ。」
目の前まで迫る。
ひやり
首筋に、金属の冷たさが伝わってくる。
「誰にも、そなたの首は討たせない。許さぬ。断じて。 何人も通さぬ。」
「それが...討たんとするのが、そなた自身だったとしてもだ。」
彼女の瞳は、刀身の波紋のように。
静かに、潤んでいた。
***
08:30
「むぅ...すまーとほん、というのは、些か難しい物で御座るな...」
悪戦苦闘する彼女に、俺は苦笑する。
「おお!この、位置情報なるものが、そなたの位置を知らせてくれるのだな!」
いらんことだけ覚えが早い。
「中食は何か持っていくか!?おむすび3つか?4つか!?」
俺は再就職した。
彼女には反対されたが。
自分の為に、彼女の為に、何かをしたくなったのだ。
「何かあったら言うのだぞ!絶対だぞ!」
なんとも過保護な奥さんが出来たものだ。
「...あ。 それと、だ。」
ん。と振り返る。
「不貞などあった時は...」
刀を抜いてもいないのに、首筋に冷たさが走った気がした。
「刀の錆が"また"ひとつ、増えるかもしれぬな。」
俺は、マンションの階段の縁に立っていた。
なんとなく。ただただ、なんとなく。
そう思っていた。
久しぶりに吸った煙草の吸殻も、白い燃えカスが少し残っているだけ。
この火が消えたら、足を踏み出そう。
カサリ カサリ
「もし、そなた」
足袋の音がした。
瞬間。
後頭部が柔らかい物にぶつかった。
「その命、私に預けて下さらんか。」
***
15:10
今頃会社はパニックか?
いや、新人を失踪紛いの退職に追い込んだような会社だ。
今更社員が一人消えたところで、心配するのは実績ぐらいのものだろう。
俺は見知らぬ町、見知らぬアパートの一室に、タクシーで連れてこられた。
畳のい草の匂いが懐かしい。
窓の外側には鉄柵が着いていた。
扉の鍵を確かめに行く気力も無かった。
何をするでもなく、ぼんやりと時間が経つのを感じていた。
あぁ、いつもなら、遅めの飯の時間か。
最近はあんまり意味が無かったが。
時計を見ながらそんな事を考えていた。
「失礼。中食を持って参った。」
彼女はそんなことを言いながら、15:20ジャストに戸を開けてきた。
「いつもの中食の時分だったであろう。...最近はあまり食していなかったようだが。」
おむすびを置かれても、それが"おむすび"だという認識しか無かった。
それ以外の感情が湧かない。
「...む。これは失礼した。」
何を勘違いしたのか、おもむろに彼女はそのおむすびを一口齧る。
生気も飾り気もない唇が、少々乱雑に歪む。
ごくり
青白い喉元を白い塊が通った。
「毒は入っておらぬ。」
再度差し出されるおむすび。
食え、ということだと理解するのに、3秒ほど要した。
おそるおそる
しかし、それにしては震えのひとつも無く
俺はおむすびを一口、齧る。
澱粉の味。
そして奥から流れてくる、苦い味。
「! どうした!?」
おむすびを、胃液と共に畳に溢していた。
「これは、思っていたよりも...」
ブツブツと、彼女は思案している様子だったが、俺には半分も聞こえなかった。
***
「お待たせ申した。」
彼女は22:00分に食事を持ち込む。
「此度は心優しいここの住人が、二人がかりで病人食を指南して下さった。昼のようにはならぬだろう。」
出されたのは、お粥。
梅干しが控えめに乗っている。
「そなたは想像以上に弱っている。ゆっくりと、少しずつ口にした方が良い。」
言われた通り、蓮華に半分も無い程度に粥を掬い、口にゆっくりと流し込む。
苦味は来なかった。
「...ど、どうだ?大事無いか?」
緩やかに頷くと、彼女の青白い顔はぱぁっと明るくなった。
「無理をして食べなくてもいい。が、少しは何か口にしないと、"私と同じ"になってしまうぞ。」
どうも彼女は、この世の者では無いらしい。
俺にとってはどうでも良かった。
***
10:00
眠れなかった。
いや、眠いという感情が湧いて来なかった。
「失礼。朝餉の...そなた、もしや眠っておらんな?」
怒りではない。
哀しみの目を向けられていた。
「そのような風体では、朝餉も戻してしまうだろう。これは私が頂く。さて...」
もぞもぞと、彼女は布団に潜り込んできた。
「私の肌は冷たいが、暫くすれば温くなるだろう。」
その華奢なようで芯のある腕を頭に回され、添い寝の形を取ってきた。
「こんな私の言うことでは無いが、やはり人肌は生きた心地がするな。」
じんわり冷たいにも拘わらず、俺は、暫くぶりの深い眠りについた。
***
19:30
俺は今の心境を話した。
あなたが誰とか、
ここはどこだとか、
そんなものに興味はない事。
あの上司の罵詈雑言がまだ頭にこびりついている事。
今はただ、なにもしたくない事。
彼女は真剣な目で聞いてくれた。
「今は何も考えず、私に身を委ねてくれれば良い。」
「案ずることなど無い。」
優しく俺を撫でながら、そう言ってくれた。
「私の気が済むかは、別だが」
***
05:00
起床 何時もと同じ時刻
支度をする
食が以前より細い
05:40
住まいを後にする
06:02
普段通り電車というものに乗る
07:30
奉公先に辿り着く
他の者はおらず
09:25
紙のようなものを機械に飲み込ませる
09:30
"彼"が、上位の者に叱責を受ける。
新人が居なくなってから執拗だ
11:00
奉公先から取引先への移動
15:20
中食
箱状の菓子を一切れのみ
22:00
未だ彼は奉公先
上位の者は既に居らず
他の者も疎らである
00:05
帰宅
何時ものかっぷ麺、というものを食す
05:00
起床 何時もと同じ時刻
支度をする
朝餉は摂らなくなった
05:40
何度か厠へ駆け込むも
住まいを後にする
06:02
普段通り電車というものに乗る
07:30
奉公先に辿り着く
何時も通り他の者はおらず
09:25
紙のような物を機械に飲み込ませる
09:30
他の者が集まる
上位の者が外に聞こえる程喚いている
自ら減らした家臣の分
上納が芳しくない といった所か
今も昔も どの世界でも
愚者が上につくと録な事が無い
09:50
新人が居なくなり
"彼"に矛先が向くようになったようだ
何とか出来ぬものか
彼方からすれば
私は見も知らぬ赤の他人
どうしたものか
11:00
奉公先から取引先への移動
しかし 進む先が何時もと違う
煙草を買う
本格的におかしい
嫌な予感がする
21:00
あの男が
あの男が
20:00
彼奴は夜の町へ繰り出している
他の家臣を差し置いて
駄目だ
熱が湧いてくる
憎い
憎い憎い憎い
■3:■■
■刀■■■が
■を欲■てい■
***
04:00
ギイ
カサリ カサリ
俺は眠りながら、畳の擦れる音を感じた気がする。
***
14:00
俺はふと、スマホをどこにやったのか気になった。
ここに来て幾分経つ。
ガサガサと珍しく精力的に家捜しすると
あった。
久しぶりの外の世界の状況を知るべく、電源を入れロック画面を解除する。
50件以上の着信やメールは、見なかったことにした。
===
俳優▲▲、女優の××と結婚秒読み
女優のサキュバス説が濃厚か
===
魔物娘人権法追加案、可決へ
===
●●(株)会社員、依然行方掴めず
別部署でも告発か
===
ぴたりと指が止まった。
うちの会社だ。
===
労働基準問題で話題となっていた、●●株式会社の会社員が失踪するという事件が起こっていることが、昨日判明した。
刑部狸の信楽率いる調査団は、同会社の別部署にて「不正な勤務形態だ」という親族の報告を受け、既に調査に乗り出していた。
===
ストップ安がどうのとか、
新人虐めの件とか、
労基法がどうのとか、
そんなものはどうでも良くなっていた。
"行方不明"扱いなのは、俺ではなかった。
===
行方不明なのは会社員の さんで、
最後に目撃されたのは■市■■の繁華街だった。
そこから程近くにある路地裏に、 さんの物とみられる鞄、衣類の破片が落ちており、更に現場には"鋭い刃物による傷痕"が無数に残っていたため、現在、警察は事件に巻き込まれた可能性が高いと見て調査を
ゴトリ
スマホの上から1/3が、畳に転がり落ちた。
「見たのか?」
背後に、刀を持った彼女がいた。
「何、案ずることなど無い。」
どろりと揺らめく藍色の炎を纏いながら。
「私は、そなたの事なら何でも知っている。」
カサリ
「そなたを、ずっと、見ていた。」
カサリ
「何時しか、そなたをお慕い申していた。」
カサリ
「理由など殆ど無い。」
カサリ
「唯、戦士として形は違えど、"同じ境遇で"死に逝く者を増やしとう無かったのが、始まりだ。」
目の前まで迫る。
ひやり
首筋に、金属の冷たさが伝わってくる。
「誰にも、そなたの首は討たせない。許さぬ。断じて。 何人も通さぬ。」
「それが...討たんとするのが、そなた自身だったとしてもだ。」
彼女の瞳は、刀身の波紋のように。
静かに、潤んでいた。
***
08:30
「むぅ...すまーとほん、というのは、些か難しい物で御座るな...」
悪戦苦闘する彼女に、俺は苦笑する。
「おお!この、位置情報なるものが、そなたの位置を知らせてくれるのだな!」
いらんことだけ覚えが早い。
「中食は何か持っていくか!?おむすび3つか?4つか!?」
俺は再就職した。
彼女には反対されたが。
自分の為に、彼女の為に、何かをしたくなったのだ。
「何かあったら言うのだぞ!絶対だぞ!」
なんとも過保護な奥さんが出来たものだ。
「...あ。 それと、だ。」
ん。と振り返る。
「不貞などあった時は...」
刀を抜いてもいないのに、首筋に冷たさが走った気がした。
「刀の錆が"また"ひとつ、増えるかもしれぬな。」
19/03/16 16:34更新 / スコッチ
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