連載小説
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お泣きください、御主人様
一定間隔に響いてくる音に私はゆっくり瞼を開いた。
いつもと同じ時間帯に目を覚ましベッドから身を起こす。だが、瞼を刺す光はなく薄暗い室内に気付いた。
ベッドから抜け出し寝巻を脱ぎ捨てる。いつものメイド服を着こみながら窓の外へと視線を向けた。



―雨だ。



窓を開け外を見る。灰色の天井から涙のように雫が垂れる。地面を濡らし湿った土の匂いが広がっては冷たい風が肌を撫でていく。

なんと―不快な空気だろう。

湿気った外気に眉を顰める。髪の毛先やキキーモラの耳や尻尾の毛先が跳ね上がっている気がする。これでは手入れに時間がかかりそうだ。
だが私を不快にさせるのはそんなものではない。

「…ふっ」

小さく息を吐き出せばそれ以上に濡れた空気が唇をかすめていく。その様子に筆舌しがたい感情を抱き始め、すぐに窓を閉めた。
灰色の空の下。湿気った空気と降り注ぐ雨粒。湿った地面と肌を刺す冷気。

その情景が嫌になる。

以前の旦那様、奥様もなくなった日には雨が降っていた。墓前に身を寄せ死ぬつもりでいたあの日もまた雨だった。
だが、御主人様であるユウタ様に出会ったのもこんな雨の日だった。あの日が終わりであり、そして今のための始まりだった。そう考えれば幾分かましだろう。いや、むしろ良い印象を抱くものだ。
だけど、雨の日は好きになれそうにない。



雨の日は―ユウタ様に会えないからだ。









「…失礼します」

部屋のドアをノックして反応を待つが何も聞こえない。耳を澄ますも物音一つしない。反応を待っても意味がない。それを知っている私はドアを開け室内へと踏み入れた。
いつも通りの部屋の中。家具も景色も変化なく整理された光景だった。
ただ、問題なのは既に干された洗濯物とテーブルの上に並べられた食事だろう。誰でもない、私へと用意した食事と既に済ませた家事。一見すれば私がまだメイドとして仕える前の光景と同じもの。

だが―そこに迎えて下さる優しい笑みはない。

仕事着である十字架の描かれた制服が部屋に残ったままだった。逆に、普段着であるあの黒く高級感あふれた服のみがなくなっていた。
ユウタ様は部屋からいなくなっていた。

「…っ」

また、と胸を絞める感情を抑え込み別の部屋へと足を進める。
浴室は―いない。
寝室は―いない。
トイレは―いない。
ベランダは―いない。
リビングにも見当たらぬユウタ様の姿。だというのに掃除は終わらせたのか埃はない。昼食の用意はなく、夕食用の食材が取り出しやすい場所へ並んでいる。帰ってきたらすぐにできるようにだろう。


―『帰ってきたら』


「…どこへ行かれたのですか、ユウタ様」

誰もいなくなった冷たい室内で私の声は虚しく響くだけだった。





雨の日のユウタ様はどこかへと出かけてしまっている。しかし、次の日にはいつものように振る舞いながらレジーナ様の元へと行く。
レジーナ様もこのことには何も言わない。むしろ、許可しているらしい。そうでなければあの戦闘狂王女がこの部屋まで来て引っ張っていくことだろう。
ユウタ様は雨の日だけは接触を極端に嫌う。それはまるで猫が水を嫌うかの如く、尋常じゃない程に。以前、意地でもと後を追ったが容易く逃げられ、何よりも思い知らされた。


あれは軽々しく踏み込んでいいものではないと。


部外者が泥のついた足で踏み込めるほど無礼な領域ではない。もっと深く、もっと親しく、もっと大切な者だけが歩み寄れる繊細な部分だった。



あの時の私のように、脆く崩れてしまいかねないものだろう。



だから今までは見て見ぬふりをし続けた。次の日にはいつも通りで接するのだから気にすることではない。メイドとは御主人様に無駄な口出しをするものではなく、寄り添う従者のことなのだから。
だから、私はただメイドであり続けた。いや、三流程度のメイドで甘んじていた。

だが今は違う。

共に過ごした時間がある。
築き上げた信頼がある。
何より今はキキーモラである。
ユウタ様の心情を理解できる。何を求めているのか察することができる。あの闇色の瞳の奥に隠した感情を読み取り、心の支えになれる。
一流のメイドになるためではない。
完璧なメイドとして仕えるためではない。


ユウタ様ただ一人のメイドとしてあるためだ。


だが、一つの問題がある。
ユウタ様の足は速い。勘もまた良い。追いかけたところで気づかれて、すぐに姿を眩ませる。まるで煙か、靄かの如く。
ならば誘えばいいというわけではない。近づけばその分離れられ、招いたところで気づかれず、視線が向いたところでやんわりと拒否されることは目に見えている。

それ以上に―どこにいるのかがわからない。

常に別の場所へいるのか、はたまたわざと痕跡を消しているのか雨の日のユウタ様は追いかけることは難しい。魔物として探せば別だろうが王宮内でやれば勇者や誰かが気づき、その場で殺されかねない。

なら―聞くしかない。

正直気が進むものではないし、何より悔しくはある。だが、私以上にユウタ様を理解しているお方がいる。
命をかける事態となるだろう。だが、ユウタ様には命以上にかけるものがある。
だから、だから私は―








「入れ」
「…失礼します」

豪華な扉越しの声に私は言葉を返し、両手で開く。
向こう側は大きくひらけた白の空間だった。床には柔らかな絨毯を敷き、上には豪勢なシャンデリアを吊り下げて青白い光があたりを照らし出している。壁際に並んだ家具もまた白く、表面が鏡の如く輝いている。おそらく彼女の付き人やメイドの手によるものだろう。

そんな豪勢な空間の最も奥に彼女はいた。

長い金髪を鬱陶しげにかきあげ、苛立ちを隠せぬ青い瞳は両側に積まれた書類へと向けている。羽ペンでサインをすれば次の元へと手を伸ばし、決してこちらを見ようとはしない。それはただ忙しいからではない、向ける価値すらないからだろう。
それでも私は一礼し、部屋に入ると目の前で足を止める。それでも彼女の視線は書類に向いたままだった。

「…お忙しい所を失礼します、レジーナ様」
「わかっているのなら来るな。後にしろ」
「…そうしたいのですが、何分急用なのでご容赦ください」

私の言葉に感情の変化はない。見下してはいないが当然向き合うつもりもない。それは私が一人のメイドであるから―では、ない。
胸中に渦巻く感情は嫌悪に似て、猜疑に近い。明らかに私を疑っていることに冷汗が出そうだが、抑え込みながら尋ねる。

「…ユウタ様がどこにおられるか、ご存知ですか?」
「それはお前が知っているのではないか?ユウタのメイドなのだろう」

透き通った声が耳に届く。感情のない声なのに微かな苛立ちが伺えた。その声、言葉からしてレジーナ様もご存じではないのだろう。

「…」

そこでふと、隣に置かれた椅子に目が留まった。
白を基調とした家具や飾りの部屋だがその椅子だけ異なり黒一色。シンプルだが洗練されたデザインのそれは明らかに浮いている。辺りに馴染まぬ家具はきっと元から部屋に供えられたものではない。
そして、レジーナ様は白く豪勢な椅子に座っている。
たった一人のために自室に椅子まで用意する。それも王族である一人の女性が。それだけ大切に想われているという証だ。

だが、そんなレジーナ様ですら今日だけはユウタ様と距離を置いている。

らしくない、そんな姿。
以前見せつけられたあの強引で、不適に笑う妖艶な姿。戦闘狂と呼ばれる血気盛んで勝気な姿勢。常に進み、全てを切り伏せんばかりの強さを持ち、略奪すらも上等と言わんばかりの勢いも今日に限って見当たらない。
それだけ、レジーナ様も今日のユウタ様の気持ちを尊重しているのだろう。
否、それだけ親しくとも今のユウタ様には踏み込むことができないのだろう。


―あの重く、苦しい感情の前には何もできないのだろう。



「…お忙しい所失礼いたしました。失礼します」

これ以上いるのは無駄だろう。頭を下げ部屋を出ようとドアに手を掛けた次の瞬間、私の指の間に何かが突き刺さった。
あまりにも突然な出来事に一瞬固まってしまう。そこにはナイフや刀剣の類ではなくペンの先端部があった。青白く光る魔力を帯び触れてもいない私の肌をちりちりと刺激する。

「待て」
「…何か御用ですか?」

書類に向けられた視線がゆらりとこちらへ移される。その目は剣呑に細められ明確な殺意の光を宿していた。
形の良い唇が言葉を紡ぐ。私の胸を突き刺す言葉を。

「お前、魔物だろう?」
「…何を仰いますか、レジーナ様。私はどこにでもいる人間です」
「ふふん、それで人間だと?」

傍に立てかけてあった剣に手が伸ばされる。視線は外れているも逃げ出したところで意味があるとは思えない。
その間にもレジーナ様はゆっくりと椅子から立ち上がり私の前へと歩み寄る。距離が近づくと深海に沈められたような息苦しさと重圧がのしかかってきた。

「あの時のリリムの魔力で誤魔化せると思ったか?魔物一匹隠したところで見抜けぬ者が王などつとまらんわ」
「…もし、そうだとしたらどうするのですか?」
「死ね」

情状借用の余地はない。自身が間違っているとは微塵も思っていない。迷いのない剣先が私の喉元に突き立てられた。
一方的に向けられた殺意に流石の私も固まるしかなかった。下手に動けばその瞬間レジーナ様に首を斬られる。仮に逃げたとしてもここは王宮内。魔物の私が生き抜けるほど容易い場所ではない。


―覚悟はしていた。だが、それでも進む。いや、進まなければならない。


ユウタ様を良く知っているのは悔しいがこの女性以外にいない。私とてまだまだ分からぬ部分が多くある。
だからこそ何か手がかりを求めてきた。
雨の日のユウタ様は近づきがたい雰囲気があるが、それ以上に人と出会うことを自分から避ける。レジーナ様ですら近づけないが、私など近づくことすらできていなかった。

私はこのまま終わるメイドではない。

命をかけることなど最初からわかっている。だが、死ぬつもりなど毛頭ない。ユウタ様の許可なく死ぬわけにはいかない。

「…私はメイドです。ユウタ様に尽くせるのならばどのようなことでもするメイドです。人間であることにも魔物であることにもこだわりなどありません」
「ここは魔物を認めぬ王国だ。それを最初からわかっていないほど愚か者だったか?」
「…わかった上での行動です。王国の決まりより、王への礼儀より私にとってあるべきなのはユウタ様への忠誠のみです」
「それが命であってもか?」
「…それこそ、私の『メイド・畢生』です」

ユウタ様に救われた命。ユウタ様のために死ねるというのならこれ以上の名誉はない。だが、メイドが死ぬのは御主人様の命令か、御主人様がお亡くなりになる時だ。

「…ユウタ様のために死ねるというのならこれ以上誇らしいことなどありません。ですが、ユウタ様が支えを必要としている。そんな中で易々と命を散らす程馬鹿でもありません」
「なら、なぜ私の所へ来た?」
「…私には未だユウタ様を理解できてはいません。ですが、レジーナ様には私にないものがあります」
「だから頼る、というわけか?」
「…恥知らずであると重々承知しております」
「ふふん」

ぐっと剣先が喉元に食い込んだ。魔力は引っ込めたのか焼けつくような痛みはない。だが、その分鋭い刃が薄皮を裂き生暖かいものが首を伝わっていった。
私が動けないでいるとレジーナ様は顔を寄せてくる。人間とは思えない程の美貌を持ちながらも青い瞳は冷たく私を見据えている。
伸びてきた指が顎を摘まむ。唇を妖しく撫で、鼻先をかすめると目の前に突き立てられた。

「なぜ、お前はあの男にそこまでできる?拾った程度の恩に命をかけて釣り合うと思ったか?」
「…拾われたことがきっかけではありません。私の御主人様になられたことが、全てです」
「だが、こうしたところでその主は来ないぞ?そんな男に忠誠を誓うか?」
「それを知っているのはレジーナ様の方ではないですか?」

ユウタ様を貶す言葉に隠れた嫌悪感。わざわざ私の言葉を引き出すためとはいえ、使いたくない言葉を用いる。平然としているが、その心根は優しく何より透き通っていた。
まさしく王たるべき存在。それでも、私の御主人様には遠く及ばない。

「………ふふん。『キキーモラ』というやつか」

どんな言葉を並べたところで意味もないと悟ったのかレジーナ様は剣も指も引いていく。だが、その視線だけは真っ直ぐ突き刺したままだった。

「なら問おう。お前がユウタにそこまでできる理由はなんだ?」

納得できない心が弾き出した疑問と、ほんの興味。それから淡く切ない感情の交わった言葉に私は瞳を見つめ返して言った。



「…私がユウタ様のメイドだからです」



私にとっての全てであり、私という人間―魔物の根幹。今まで過ごしてきた人生とこれから生きる魔物の時間、その全てがユウタ様の喜びのため、私の誓った忠誠心のためのもの。

私が私であるための―『メイド・畢生』

私の言葉にレジーナ様は瞼を閉じる。何かを悩み、小さくため息をつくと椅子まで戻らず机へと腰を下ろした。すらりと長い足を組み、手にした剣を傍へ放る。

「ふふん。だったらメイドらしいところを少しは見せて見ろ」

刀剣よりも鋭い視線。その奥に隠した僅かな羨望に私は気が付いた。

「癪だがな」

自分では踏み込めないことを自覚しているのかレジーナ様は苦虫を潰したような表情だった。
レジーナ様とて軽々しく踏み込めない領域。それは親しみや信頼だけでは近づけない深いもの。


もっと重くて、もっと近くて―ユウタ様が求めているのはきっと私達では届かぬもの。


「目を瞑ってやるのは今回限りだ。次はないものと思え」
「…ありがとうございます。それでは、失礼します」

頭を深く下げ、私は部屋を後にする。扉に手をかけ音を立てぬように閉める、寸前のところでレジーナ様の声がかけられた。

「雨の日は鬱陶しくてかなわん」
「…?」
「どこにいようとも雨の風景は似たようなものだ。風情もなにもあったものではない。だが、王宮内の植物園はまるで別世界にいるような光景だろうな」
「…!」

見ればレジーナ様は既に書類へ視線を移し別のペンを走らせていた。もう何も言うことはないと態度で示してる。
これ以上尋ねたところで言葉を返すつもりもなく、会話する気さえない。後は自分でやれと言っているようだった。

「…ありがとうございました」

返ってくる言葉はない。だが、それでも再び頭を下げ足早に廊下を進むのだった。











―…いた。



レジーナ様が仰ったように見つけたのは植物園だった。数々の木々が枝を広げ太く長い枝を揺らしている。花々が咲き誇り湿りながらも甘い香りを漂わせ、垂れる滴が葉をざわめかせる様は確かに王国であることを忘れさせる光景だった。



その中央にユウタ様はいた。



癖のある黒髪が艶やかに垂れさがる。上を向くその頬から滴がいくつも滑り落ちた。だが服には染み込まず同じように表面を滑るだけ。足元の水溜りには波紋が広がり立ち尽くす姿が揺れ動く。
幻想的な姿だった。
異国な風貌と顔立ちで、艶やかな黒髪が肌に張り付く様はどこかぞくりとする色気を感じる。だが踏み込んではいけないような、今にも崩れるガラスの塔の如く脆さを感じさせた。
声をかけていいのだろうか、そんな躊躇いを抱いてしまう。
踏み込んではいけない、そんな戸惑いを覚えてしまう。
だが、私は。

「…ユウタ様」

それでも私は、ユウタ様へと声をかけた。

「………………」

しかし反応はない。答えないのではなく、単純に声が雨音でかき消されているからだろう。
一歩、足を進めて距離を詰める。
また、一歩。木々の横を通って進む。
さらに、一歩。水たまりを避けず真っ直ぐにユウタ様の元へ向かって足を止めた。
距離を縮めてふと気づく、胸中に抱いた感情。それは以前私に口づけをして下さった時とは真逆なものだった。
氷の如く冷えた心に渦巻くのは痛みを覚えるほどの切なさ。
呼吸が止まる程の締め付けられる寂しさ。



そして何よりも―今死んでも良いと思えるほどに広がった虚無感だった。



「…っ」

唇をかみしめる。声を掛けようと言葉を探すが思いつかない。
レジーナ様が遠慮する理由もよくわかる。キキーモラでなくとも察せる程に今のユウタ様は危うい。触れることすら躊躇うほどに。

だが、進まねばならない。

ユウタ様が必死に隠す、他人と距離を置く理由。レジーナ様やフィオナ様をどこか遠巻きに見るあの視線。まるで家族の如く心配していたあの感情の訳がここにある。



私と初めて出会った時、どうしてあのような場所にいたのかがわからなかった。



だが、今なら、キキーモラとなった今ならその感情がわかる。否、わかってしまう。
胸に抱いた虚無感。
寂しさの静寂の奥に隠した哀愁。
何かで繕うにはあまりにも大きすぎる喪失感。



その気持ちは―あの時の私と同じもの。



「…ユウタ、様」

ぽつりと零した言葉は雨粒により掻き消える。だが、視線を感じたのかユウタ様がゆっくりとこちらへ向いた。普段優しげな光を称えた瞳を見て唇を強く噛む。
見続けると吸い込まれそうなほどに深い闇色が今はとても冷たく淀んでいる。ぞっとするほど冷やかだがどこか妖艶な雰囲気すら漂わせた姿だった。

「……ごめん」

冷えた体は熱を欲している。薄紅色の唇が青紫に染まっている。だというのに紡がれた言葉は謝罪だった。

「せっかく来てくれたんだけど今日は休みでいいよ。十分体をやすめてね?」
「…っ」

とても柔らかな拒絶の声色に私は濡れたメイド服を握りしめた。
こんな状況を全く知らなかった自分に腹が立つ。
キスされ舞い上がっていた心に苛立ちが募る。

―それと同時に未だ私に頼ることを遠慮するユウタ様に怒りを覚えた。

私が無能だと思っているわけではない。だが、私を巻き込むことを遠慮している。その事実が何よりも許し難い。
寂しさを誤魔化すために快楽で塗りつぶすとなっても体を差し出そう。自分勝手で暴力的に凌辱されようと受け入れよう。
ユウタ様にされること全てが私の喜びであり、私の快感だ。ユウタ様が求めて下さるのならばこれ以上嬉しいことはない。

―だというのに!

相変わらず私を女として見ていながら、メイドとして傍におきながら自分の領域へと踏み込ませない態度。怒りを通り越して―悔しさに体が震えた。

「…ここでは体を冷やしてしまいます。どうか中へとお戻りください」
「…」
「…お風邪をひかれます。せめて傘だけでも」
「…」

私の言葉に耳を傾ける様子はない。レジーナ様と違うのは意図的ではないということだろう。
私の声以上に雨音に耳が傾いている。抱いた感情を紛らわせたいのか、湧き出した感情を抑え込みたいのか、どちらにしろ好ましいものではない。


だからこそ―苛立ちが募る。


「…私には何もできませんか?」
「そんなことないよ」

一歩踏み出し大きな声で問いかける。だが返ってくるのは優しく諭す言葉のみ。隠した感情は優しくとも―冷え切ったものだった。

「…私はユウタ様のメイドです。ユウタ様だけの、メイドです。御主人様を支えるためならば何でもするメイドです」
「うん…」

滴る雫が頬を伝う。濡れた髪の毛が張り付き、冷えた唇が小さく息を吐く。

その姿は―まさしく過去の私の姿だった。

やることをなくし、仕える御主人様をなくし、生き甲斐も信条もなくした骸となるだけの存在だった私の姿。唯一違うのは一時だけのものということだろう。
死ぬ気だった私と異なる、今だけの脆い姿。明日になれば戻るとはいえ他人が踏み込めぬ繊細な領域。
だからこそ、私は進む。
私は他人ではない。ただ親しいだけのものではない。

私はメイド―ユウタ様に仕えるたった一人のメイドなのだから。

「…私では、ユウタ様を支えることはできませんか?」
「そんなことはないよ。すごく助かってる」

優しい声色とにこやかな笑み。偽りのない言葉を掛けられ私は―声を荒げた。



「…なら、なぜ一人になるのですか!」



大きく踏み出し、服を掴み瞳を覗きこむ。泣いてはいない、と言い切るだろうが滴る雫はどう見ても瞳から溢れだしていた。
それだけ見られたくない姿だから。
それとも抱え込める問題だから。



だから私の手が必要ない―それは理解できても承諾できる問題ではない。



御主人様が零した涙を拭うことも出来ずに何がメイドか。
御主人様の苦悩を取り除けずして何がメイドか。
女として求める以上に私はメイドとしてユウタ様を支えたい。恩返しなんてものを考えての事ではない。私が、ユウタ様のメイドだからだ。
私が私としてありたいからで―私がユウタ様へ尽くしたいからだ。

「大丈夫。ちょっとした気分転換だよ」
「…っ!」

にっこり笑ってそう言った。
明らかな誤魔化しの言葉。浮かべたのは笑みでありながらも―抱いた感情とは異なるもの。
そうまでして偽りたいのかと悲しくなる以上に呆れてしまう。分かってはいたがユウタ様は筋金入りの頑固者だ。

「…気分転換でそのような感情を抱くものですか?」
「え?」
「…まるで、あの時の私のようです」
「……そっか」

やはり笑みを浮かべる。感情と不釣り合いな明るい笑みは見ているだけで痛々しい。

「大丈夫だよ。エミリーみたくこのまま死んだりしないから。明日にはちゃんと、元に戻れるからさ」
「…」

戻れる、戻れないが問題ではない、というのに。
ユウタ様は動こうとしない。このまま植物園の中で雨に打たれ続けるつもりなのだろう。そうでなければあの心は何も埋まらない。
冷たく澄んだ空気。降り続く雨音。木々のざわめき。人の気配がない空間。
それらでようやく誤魔化せるほどの想いを抱くユウタ様。その原因がなんなのかはわからない。

「…本当に、大丈夫なのですか?」
「何?そんなに疑わしいの?オレが死ぬように見えた?」
「…はい」
「……んふふ〜」

素直に頷くとユウタ様は奇妙な笑い方をした。何かをなぞらえるような、誰かに似せた明るくて乾いた笑い声だった。

「…………死んで戻れれば…世話ないんだけどね」
「…え?」
「もしオレが死んだらどうする?」
「…私も死にます」

突然の言葉に私は即答した。
そうなればもはやこの世界に生きている意味などない。またユウタ様のように拾ってくださる方が現れたところで他人へ忠誠を誓う気など欠片もない。
全てを失った私を救ってくださった御主人様だからこそ忠誠を誓った。
メイドとしての活かしてくださったユウタ様だからこそ全てを捧げた。
命を絶とうと決めたのならそれを邪魔立てするつもりはない。だが、私も死後の世界へとついていく。御主人様のいない世界など終わったも同然なのだから。



「…この身はユウタ様に助けられた身です。ならば、ユウタ様の傍で息絶えましょう。それがメイドとしての忠誠であり、これが『メイド・畢生』です」



「………それは、やめてほしいなぁ」

ぽたぽたと雫が伝い落ちる唇が弧を描く。優しい笑みだが悲しみが拭い切れぬ表情は見ているだけで痛々しい。

「…それならば、どうか死なないでください。出過ぎた真似だとわかっていますが、どうかこのメイドのためにも死なないでください」
「別に死ぬつもりなんてないよ」

そう言ってはいるが心の中は許容している。死ぬつもりはないが、死んでも構わない、そう思えるほどに冷え切っている。
放っておけるわけがない。体を壊す以前にこんな姿もう見ていられない。

「…部屋に戻りましょう」

服を引張り室内へと誘導する。だが、ユウタ様の足は依然としてその場を離れようとしない。まるで張り付いてしまったかのように。
多少強引な手段を用いてでも部屋へ移すべきだろう。体温は低く冷え切っている。体調管理ができるとはいえ、こんな精神状態が良好とは言い切れない。精神が病んでしまえば自然と体調も崩れるものだ。

「…ユウタ様」

声をかけても動かない。雨が降り続ける限りずっとここにいるつもりだろうか。
せめて雨脚を凌ぐものをと思いテーブルクロスを取り出そうとスカートへと手を伸ばす。だが、それより先に突然両腕が伸ばされ、背中にまわる。かと思えば縋り付くように抱き寄せられ肩に顔を埋められた。

「………ごめん、ごめんね」

震えるからだと震える声。心は寂しく泣き腫らしている。
私に対しての謝罪ではあったが、それ以外にも何かが含まれていた。
レジーナ様やフィオナ様の前で感じたあの懐かしさ。ただ、今抱かれている感情はその比ではない程重く、切ないもの。
私は慰めるように両手を回し、その頭に手を添えた。指先を流れる濡れた黒髪を撫でるとたっぷりと水気が伝い落ちていく。その量はちょっと雨に打たれた程度のものではない。

「…っ」

私は強く抱きしめた。
それでも心の隙間は埋まらないだろう。哀愁は誤魔化せず、寂しさを拭うことはできない。
だが、わかっていてもどうにかしたい。御主人様の悲しみを癒せぬというのならせめてその心を支えたい。
強く、強く抱きしめる。滴り落ちる水滴がメイド服を濡らしていくことも構わずに。

「…………っ」

抱きしめられた腕に力が込められる。冷たくなった肌が重なり寂しさが流れ込んできた。
顔を寄せ、耳元へと唇を近づける。吐き出す息すら冷たく感じられるのは抱いた感情のせいだろうか。

「―   ………」

「…はい」

震えた唇に紡がれた言葉。それを聞き取った私はただただ強く抱きしめ返すのだった。
16/03/27 23:02更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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■作者メッセージ
ということで堕落ルートメイド、シリアス編でした
前回と真逆なシリアスシーンです
レジーナが以前自慢げに言ったことであり、冒頭のエミリーとの出会いにかかわる部分ですね
こうして雨の日は一人寂しく泣いている、そんな彼のちょっとした秘密でした
失ったものがあまりにも大きい故にレジーナだろうと軽々しく踏み込めない部分です
だからこそエミリーは仕えるメイドとして全力で立ち向かっていきます

次回堕落ルートメイド編最終話になります

ここまで読んでくださってありがとうございます!!
それでは次回もよろしくお願いします!!

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