連載小説
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1 エル・ヴァリエンテ号の逃走
プライベーティア(私掠船)
特定の国の政府・王族などから出資を受け、敵国の船から略奪を行うことを許可された個人所有の船のこと。
略奪による収益の一部は国と出資者へ還元される。
厳密には海賊ではないが、『国家公認の海賊』『国ぐるみの海賊行為』という見方もある。










 嵐の海。ここが人間の住まう領域ではないと実感する、地獄の海原。

 ブリガンティン船で敢えてそこに乗り込んだ俺は、舵輪を必死に左右へ回していた。メインの縦帆、フォアマストの一部の帆を張り、乱れた風を辛うじて操る。風と雷の音に水夫たちの怒号が混じる。
 大砲も悪天候相手には役に立たない。空に立ち込める黒雲といい、その合間に光る稲妻といい、『絶望』という言葉がこの上なく似合う光景だった。

「船長! まだ追ってくるぞ!」

 水夫の報告に振り向く。足の遅い大型艦は振り切ったが、俺のエル・ヴァリエンテ号と同じブリガンティンが六隻、未だに食いついている。苦し紛れに嵐へ飛び込んで逃げようと思ったのが、大砲や魔法の射程圏に入れば、数の優位で袋叩きにされるだろう。
 敵船のマストの旗が暴風に靡いている。暗くて見えないが王国海軍の軍旗だ。まったく、しつこい。

「諦めるな!」
「船長、右舷に大波が!」

 見張員の報告を聞き、こちらへ迫ってくる恐ろしい波を見やる。舵輪即座に舵輪を右へ回し、船首を大波へ向ける。横から波を受けるより転覆の危険が遥かに少ないのだ。波はぐっと船首を持ち上げたが、そのまま船底を通り抜けてくれた。

 俺が盗んだものを考えれば、王が俺を地の果てまで追いかけようとしてもおかしくはない。貴族として生まれ、何不自由なく暮らせるはずだった俺だが、それを自分で許さなかった。だから自分の正しいと思うことを密かに繰り返し、今回は最後の大計画を実行に移した。

 失敗するかもしれない。後ろの軍艦に海の藻屑にされるか、またはその前にこの嵐で沈むか。だが舵輪を握るこの手は離さない。何があろうとやり遂げる。



 ーー全部の帆を張りなさい。



 不意に、女の声が聞こえた。澄み切った声が、頭の中に。



 ーー全部の帆を張って、風を捕まえなさい。貴方は私たちが守る。



 その瞬間だった。渦巻いていた風が不意に、追い風へと変わったのだ。フォアマストのトップセルが膨らみ、船が速度を上げる。

 何かを感じた。俺を見守る、何かの存在を。そして背中に受ける風に、勇気と希望を感じた。


「総帆展帆! 最大船速!」

 嵐の中で全ての帆を張るなど、本来なら自ら地獄へ突っ込むような愚行。強風の中では帆を畳めないので減速できないし、速度が乗りすぎて舵が動かなくなる。下手をすればマストがへし折られる。
 しかし船員たちは俺の命令を躊躇なく実行に移した。皆も俺と同じ希望を感じたのだろうか。海の男たちは風に耐えながら懸命に帆柱を登っていく。

「ゲルンスル、ロイヤルスル! スタンも張れ!」

 畳まれていた帆が続々と降り、張られた帆布はしっかりと風を掴み、船首が波を切り裂く。
 風が味方についた。元々速い船だ、追跡者たちをどんどん引き離していく。皆が歓声を上げた。

 差が開いていくのを見て、追っ手の船も同じように全ての帆を張り始めた。奴らも必死だ。だがそのとき、信じられないことが起きた。六隻の追っ手の只中に、巨大な柱が現れたのである。

「竜巻だ!」
「何だあのデカさは!?」

 船員たちがざわめく。経験豊富な船乗り……好きでなったのではなく、ほとんどが奴隷だが……である彼らでさえ、このような巨大な竜巻は初めて見たのであろう。それは六隻のブリガンティン船をたちまち巻き込み、帆柱をへし折り、互いに衝突させた。帆布が木の葉のように吹き飛んでいく。すでに距離が開いているため見えないが、恐らくは人も吹き飛ばされている。

 そんな惨状を背に、エル・ヴァリエンテ号は順風満帆で嵐を抜けて行った。天佑としか言えないほど都合よく。








 ……目的地の海岸近くに投錨したときには、夕日が空を茜色に染めて、すっかり風も凪いでいた。ボートで乗船者たちを砂浜まで送った。奴隷の船員たちと、船倉の中に詰め込んできた男女たちだ。

「船長、本当にありがとうございます!」
「本当に……このご恩は一生忘れません!」

 涙を流しお礼を言ってくれるのは、綺麗な身なりの美女と見すぼらしい服の青年。我が祖国の王女と、彼女とはあまりにも身分の差がある恋人だった。他の『乗客』たちも大体そうだ。身分の差、または何らかのしがらみによって愛し合うことを許されなかった者たちを、まとめて国から脱出させる。そういう計画だ。
 そしてその中には俺の親友と……俺の婚約者も含まれている。

「アマロ様……何とお礼を言ったらいいか……」

 旅装束に身を包んだリリアーナが、涙ぐんで頭を下げた。小麦畑のような、黄金色の髪が美しい女性。親が決めた許嫁であり、俺が心から愛し、幸せにしたいと願った女だ。
 だが、彼女が真に愛したのは俺ではなかった。その隣にいる我が親友・カリストだ。

「傷の具合はどうだ?」
「ああ、大丈夫だよ。手当てを受けたから……」

 右の二の腕に巻いた包帯をちらりと見て、彼は笑った。顔は優男風だが生粋の海の男で、腕の立つ操舵士だ。もし船までの逃走中に傷を負っていなければ、彼にエル・ヴァリエンテ号の舵取りを任せるはずだった。
 このカリストこそ、リリアーナの伴侶になるべき男なのだ。

「永の別れだ、兄弟」

 肩を叩いてやると、彼まで目に涙を浮かべた。

「アマロ……君も一緒に……!」
「俺にはまだやることがある。父上との決着を着けなくては」

 丁度そのとき、水夫の一人が報告に来た。船員・乗客含め、全員の下船が完了したと。船員は全員奴隷から選んでおり、ここから乗客を安全な土地まで護衛させる。そしてこの地は彼らの故郷にほど近く、そのまま自由の身だ。
 俺は1人でここに残り、エル・ヴァリエンテ号を焼いてボートで近くの港へ向かい、そこから帰国して自首する。そして自分以外は全員嵐の海に飲まれたとか、魔物に食われたとでも証言すればいい。まあそれまでに海の藻屑になるかもしれないが。

「命がけでリリアーナを幸せにしろ。ただし、死ぬな。絶対に」

 俺の言葉に、カリストは泣きながらも頷いてくれた。後は二人の幸せを祈るしか無い。
 後は奴隷水夫たちに全てを託す。金になりそうな船の調度品は持てるだけ持たせてやり、路銀にさせる。彼らも故郷へ帰れることを喜んでいた。


「船長、あんたはきっと報われる。そうでなきゃ、あんなことが起きるもんか」

 ある水夫は去り際にそう言ってくれた。あんなこと、というのはあの都合の良い追い風と竜巻のことだろう。彼らもあの時、何か神秘的な力の加護を感じたに違いない。だがそれがいつまでも俺を守ってくれるなどと期待はできない。

 皆が別れを惜しみながら山の方へ去っていくのを見送り、俺は船へ戻った。エル・ヴァリエンテ号は嵐でいくらか傷ついていたが、船首像が脱落したこと、大砲がいくつか使えなくなったことを除けば大した損傷ではない。本当によく持ちこたえてくれた。
 おそらく他国の船に見つかることはないだろう。一ヶ月前にレスカティエが陥落して海上交通も大混乱だし、恥知らずの国王もさすがに「王女が失踪したから探すのを手伝ってくれ」などとは言えまい。それでも何日かすれば王国海軍がここまで探しに来る可能性はある。乗客たちが生きているという証拠の隠滅、そして愛する船がどこの馬の骨とも分からない奴の手に渡る屈辱を避けるため、自分の手で焼くのだ。

 火薬を各所へ仕掛け、松明に火を灯した。これを船室へ放り、日が回って火薬に引火する前に海に飛び込んで、陸へ上がる。導火線が湿気ってしまったためこうするしかない。

「ありがとう、友よ。すまない」




 ーー貴方は臣下の身でありながら、何故王女の駆け落ちを助けたの?



 また、あの声が聞こえた。誰かは分からない、だが恐らく俺たちを助けてくれた『何か』の声が。


「殿下があの男と心から愛し合い、そのために苦難に挑む覚悟をしていたからだ」


 ーー貴方は自分が心から愛していた女性を、何故他の男の手に委ねたの?


「辛かったとも。だがリリアーナが心から愛していたのはカリストだった。カリストなら必ず彼女を幸せにしてくれると、俺は信じた」


 リリアーナの本心を知ったから、この航海を計画した。王女を含めた、愛を叶えられない人々を国から逃すと。


 ーー何故、奴隷たちを自由にしたの?


「人間は皆、どう生きるか、誰を愛するかを自分で決めるべきだと信じているからだ」


 静かに、姿なき声に答えを返す。全て本心だ。それが何者なのか分からなくても、本心を話すことに不思議と躊躇いが湧かなかった。
 声は尚も聞こえた。


 ーー貴方は強い意志と、思ったことをやり遂げる力がある


 ーーもし共に船に乗り、純粋に貴方と同じ志を持つ仲間が大勢いたとしたら





 ーー愛と自由を奪われた人たちのために、これからも航海を続ける気はあるかしら?




 仲間。
 一人でできることは限られている。先ほど別れた船員たちは頼れる仲間であり、同時に俺が助けるべきだと思った人々だ。俺との間に友情はあったと信じているが、協力してくれたのは自分たちが自由の身になって、故郷へ帰るためでもあっただろう。
 もし純粋に、俺と同じ願いを抱いている者がいて、仲間になってくれたとしたら。

 赤々と燃える松明を見つめながら、俺は再び口を開いた。


「……そうなれば、まだ戦うだろうな」


 ーーよかった


 ーー貴方は娘たちが見込んだ通りの男ね


 不意に、優しい手が頬を撫でたように思えた。ハッと目を見開いた途端、目の前の松明に異変が起きた。炎の色が不意に桃色に変わり、持ち手から俺の手、腕へと燃え広がったのである。
 やがてそれは俺の全身を包み、大きく燃え上がった。だが熱くも苦しくも無い。むしろ心地よい、不思議な温かさだった。


 ーー我が娘たちと共にコートアルフへ……マトリへ向かいなさい


 ーーアマロ。私のプライベーティア……





20/02/15 21:33更新 / 空き缶号
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