読切小説
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フレンドブレンド
 学校の屋上。大抵は進入禁止となっているけれど、僕のいる学校は違った。違った、と言うのは進入禁止となっているとかそんなわけではなくて、僕だけが入れるような秘密の場所になっている、という意味で。
 いつぞやこの屋上で出会ったサキュバスに鍵を渡されて以来、僕は暇を見つけてはこの屋上に来ていた。僕以外に誰もいない空間の居心地はとても良くて、貯水タンクの陰に隠れて寝転ぶのは気持ちがいい。秋の日差しと、涼しい風のコンビネーションは、僕を堕落させるのに申し分ない威力を発揮していた。
 転落防止用のフェンス越しに、昼休みにグラウンドでサッカーに興じる男子生徒がちらほらと見える。とある空き教室では、昼間からよろしくやっている白蛇と男子生徒のカップルも見える。魔物娘が学校に編入して以来、ちょっと秩序が乱れかけていると感じるけど、それでも、そんな俗世からはこの屋上は隔離されていた。
 僕はちょっとした優越感を覚えながら、ゆっくりと瞼を閉じる。遠くで聞こえる音が、風の臭いが、少し固いコンクリートの感触が。どれもこれも心地良い。
 少しまだ違和感の残る真っ黒の男子の学生服の感覚も、ここでは忘れることができる。
 授業開始五分前のチャイムが僕の目覚ましになってくれることを願いながら、僕は意識を暗澹に沈め――
 ガチャリ。
 突然の予期していなかった出来事に、僕の意識は一気に覚醒させられた。

「!?!?」

 動揺する頭をしっかりと働かせながら、事態を迅速に把握するべく僕は貯水タンクの陰からこっそりとその音の方向を窺った。
 今の音は、間違いなく屋上のドアが開かれた音だろう。鍵はちゃんと施錠しておいたはずなのになぜ?だけど、そんなことはどうでもいい。もしここに誰かが来るとしたら、来訪者は生徒か教師かのどちらかだ。前者ならまだいいが、後者だった場合最悪だ。
 もし出入り厳禁のこの屋上に出入りしていることがバレてしまえば、僕にとってこれ以上都合の悪いことはない。生徒なら、まだいい。最悪、口封じに何か奢ればいいだろう。幸いにも、この学校にそんなに悪名高い生徒はいない。暫くはここも少し居心地が悪くなるだろうけど、それは我慢すればいい話だ。
 恐る恐る辺りを見渡して、僕と同じ男子生徒の服を着ている人影を見つけた。数は一。どうやら生徒のようだ。よかったと安堵したくなるのをぐっと堪えて、その生徒の動向を見守る。あの生徒がこの屋上から立ち去るまでは、僕は貯水タンクの陰に隠れたままでいなきゃならない。
 その生徒はそんな僕の気持ちを察することはなく、一人でフェンスに手をかけると、それをロッククライミングよろしくよじ登り始めた。

「ん?」

 よじ登ってる?
 なんでよじ登ってるんだろう。フェンスの向こうには僅かな足場のスペースがあるだけだ。あとは精々、転落防止になるとはお世辞にも言い難い、段差くらいか。そんな場所に用でもあるんだろうか。
 と、考えたところで、嫌な予感がした。
 その予感はどうやら的中したらしく、その男子生徒は僅かな足場に身を乗り出して、地上を見下ろしていた。
 ああまずいまずいまずい!

「ちょっと待ったああぁああぁあ!!!」

 僕は慌てて百八十センチはあろうかというフェンスをたった二秒で登り、そして僅かな足場に飛び降りると同時に男子生徒の制服の裾を掴むと、こちら側へと強引に引き寄せた。
 二人して僅かなスペースにもみくちゃになりながらも、まずは無事らしい男子生徒の容態にほっとした。
 男子生徒はと言うと、突然自殺を妨害された僕に向かってぽかんとした表情を向けていた。きっと何がなんだかわからないのだろう。

「えぇっと・・・・・お前、誰?」
「誰でもいいから自殺だけはやめてよ!僕の居場所がなくなる・・・じゃなくて、命なんて粗末にするもんじゃないよ!!!」
「い、いや待て待て!違うんだ!これは決心のためであって!」
「自殺のための決心だなんてまずいって!もっと別のところにその決心を使うべきだよ!」
「いや、だから違ぇって!人の話を最後まで聞け!!!俺は失恋した心を慰めにきたんだよ!」
「やっぱり自殺じゃないか!」
「慰めると自殺は同義じゃねえ!」

 その後散々言い合って、やっと彼の言っていたことがわかった。彼はどうやら同じクラスのゆきおんなの霙さんに恋をしていたらしい。ちなみに霙さんは僕と同じクラスなので、必然的に彼も同じクラスメートになるのだけれど、生憎彼に関する記憶が僕にはなかった。まあ、暇を見つけては屋上にやってきて、クラスに溶け込む努力を怠った僕が悪いのだけれど。
 そんな彼は恋する乙女の如く悩みに悩み、とうとう思い切ってフラれてもいいので自分の気持ちを伝えることにしたのだそうだ。当たって砕ける覚悟で彼は放課後、霙さんの所属している弓道部へと顔を出しに行った。ここまではまだいい。言ってしまえばよくある青春の一ページだ。ほろ苦い思い出になるが、きっとそれを糧に成長を遂げるような展開が待っているだろう。ここまでだったら。
 問題はこの後だ。
 弓道部に顔を出しに行った彼は、霙さんがいないことを知り、慌てて霙さんを探しに校内を探し回った。折角固めた決心が霙さんを見つけられなかったことで鈍ってしまうのを恐れたそうだ。そして彼は霙さんを探し回って、その姿を見つけることができたらしい。
 使われなくなった教室で生まれたままの姿になって、自分とは別の男子生徒の性器を喜悦の表情で貪っている、受け入れている霙さんを。
 なんてことはない。
 霙さんが自分から関係を公にしていなかっただけで、しっかりと恋人がいたという、フリーの身ではなかったとオチのつく話だ。
 ただ、彼の場合、その真実を知る形が、実に残酷で冷酷で無情で、厳しくて、思春期の心をぶち壊して粉微塵にするには、十分すぎるものだっただけで。生まれてこのかた感じたことのない複雑な気持ちを抱きながら、彼はしばらく、泣きたくなるのをじっとその教室を、ドアを一枚隔てた場所で耐えていた。その間も、非情にも漏れてくる好きになった人の嬌声を聞きながら。
 幸い、いや、不幸か。
 霙さんもその恋人も彼に気づくことはなく、最後まで行為を終えたらしい。もっとも、その頃には彼は学校を後にして堪えきれなくなった感情をぼろぼろと零していたようだが。

「って、いやいや、重いよ。重すぎるよ。やっぱり君、自殺しにここへ」
「だから違うつってんだろ!」

 そして、続けて彼が言うには、自分の中で整理がつかない感情を思い切って吐き出すために、この屋上にやって来たそうだ。なぜか屋上の鍵は開いており、どうせなら心の底から叫んで自分の中で踏ん切りをつけようと思ったらしく、ならばフェンスの内側からよりも外側で、思いっきり叫んで、泣いて、気持ちを晴らそうとしていたらしい。
 そこを勘違いした僕が阻止したわけだ。

「なんか、ごめんね・・・その」
「いやもういい。・・・なんか話したら楽になったわ。考えてみれば、こうして誰かに自分の話を聞いてもらうのって初めてだな」
「それはよかった。えっと・・・」
「ユキト。夕暮ユキトってんだ」
「えっと、僕は・・・」

 こうして。

「楠木。楠木ユウ」

 僕らはお互いに、自己紹介をすませた。



「あ〜〜〜未だに若干引き摺ってるなこれは。どうもモヤモヤが消えねえ・・・」
「あのさ、なんでまた屋上来てるの?」

 ユキトは今日もなぜか屋上に来ていた。今回はなぜか鍵が開いていたのではなく、僕が屋上に向かう所をユキトに見つかり、強引に連行された。
 僕としてはのんびりと昼寝に時間を費やしていたいのだけれど、ユキトはどうやらそれを許してくれない。どうやら話相手に僕を選んだようだった。他に友達いないのか。いや、僕が言えたことじゃないけど。

「なんでって、お互い自己紹介しただろ?なら、もうその時点で友達だ」
「そんな人類皆兄弟みたいなこと言われても」
「冗談だよ。友達認定の理由はちゃんと他にもある」

 ああ、そこは揺るがないのか。僕がゆっくりと睡眠できる環境がどんどん遠ざかっている気がする・・・。
 少なくとも、当分は訪れてくれそうにない予感がする。

「お前、ちゃんと俺の話を聞いてくれただろ」
「それは・・・」

 それは、否定ができなかった。僕はちゃんとユキトの話を聞いていた。あの時は僕の勘違いのこともあったけれど、それでも、思いつめた悩みを解決できるならと、一字一句逃さないようにして聞いていたと思う。

「俺、ユウみたいないい奴、久しぶりに会った気がするんだよ」
「僕、ユキトみたいな馬鹿、久しぶりに会った気がするんだよ」

 僕らは二人して、笑った。ほんの数日前の出来事からあっという間に築かれた友人関係に、まんざらでもないと思う自分がいた。考えてみればそうだ。僕は今までほとんど友達を作ったことがなかったし。なるべく人との接触を避けていた。そんな僕に出来た、感覚は、悪いものではなかった。

「それで、霙さんの件のモヤモヤはどうするの?」
「う〜ん、そうだなあ。やっぱ、失恋には新しい恋だろ」
「それ、節操なしって言うんじゃない?」

 そう言うと、ユキトは憤ったような顔をして、

「いいやそんなんじゃねえぞ!いいか?慰めてくれる相手を探すとかそんなチャチな理由で恋をするんじゃねえ、本気の本気、本気と書いてマジと読むくらいの真剣な恋愛対象探しだ!」
「で?」
「まずは候補探しだな。早速、放課後からおっぱじめるとする」
「今度は空き教室に無闇に立ち寄らないようにね」

 僕は軽口を叩いて、そのまま寝入ろうとしていた。まあ当然の如く眠れはしないのだろうけど、それでも目を瞑るだけでも少しは気分が休まる。
 ユキトの考えは、まあこっそり屋上から応援くらいならできるものだろう。失恋の形が形だ。すぐさま新たな恋に走りたい気持ちも、理解できる。というか、それで不登校にならないあたり、中々にしたたかな神経の持ち主なのかもしれない。少なくとも、もし僕に好きな人ができたとして、その人が別の人とセックスしている所を目撃したら、しばらく学校には通いたくない。できることならベッドの中で無意味に時間を過ごしていたいとすら思うだろう。
 そういう意味では、尊敬する。
 少なくとも、毎日ビクビクと怯えて過ごしていた僕よりは、よっぽどいい。
 僕は違う。
 ある日から、毎日が苦痛だった。
 流石に今は少し違うけれど。
 まあ、折角できた友人のために、少しは成功を祈ることにしよう。と思っていたところで。

「なに無関係みたいなこと言ってんだ。お前も手伝えよ!な、アイス奢ってやるから」

 冗談みたいな冗談が聞こえた気がした。



 夕焼けに染まった校舎には、特に学校に思い入れがなくてもどこか黄昏てしまうような雰囲気がある。その空気は、時に恋人同士の情熱を燃え上がらせたり、時には恋人の気づかないような一面を見つけさせてくれたり、時に恋人の美しさを際立たせたりと様々だ。
 で、この叙情文で僕が何を言いたいのか。それは至って簡潔なことだ。
 つまり。

「なんでどいつもこいつもしっかりカップル成立してるんだよチクショウ!!!」

 ユキトの恋人候補探索作戦は僅か二時間で幕を閉じた。
 いや、まあこんな不埒と言うか、不謹慎な理由で恋人を見つけてもどうなんだろうと思っていたから、僕としては有難いところだ。

「ワイトの青奈さん、サキュバスの礼奈さん、スライムの伽耶さん、サイクロプスの百合さんにクノイチの五十鈴さん。彼氏がいないとされていたこの学校の女子って、もう他にはいなかったと思うけど」

 手持ちの未婚娘一覧表(僕の名誉のために言っておくが僕のではなくユキトのものだ)にあらかた罰点をつけながら、ユキトに諭すように話しかける。

「うがあああああああああ!!!この学校、カップル多すぎるだろ!しかもどいつもこいつも!・・・学校はラブホじゃねえぞ、ちくしょう・・・・・・・・」
「ご愁傷様」
「そうだ!お前の姉妹なら」
「僕は一人っ子だよ」

 もう誰でもいいから恋人を作って傷ついた心を慰めたいというのは、理解はできてもあまり大っぴらに応援できるものじゃないけれど。
 けれど流石に同情せざるを得ない。
 僕も知らなかった学校の性事情をとことん見せ付けられた僕ら二人は、戦場から足を引き摺り退散する敗残兵よろしく、ラブホ・・・もとい学校を後にした。
 いや、本当どうなってるんだろう。魔物娘が学校生活に組み込まれている以上、そういうことはあるんだろうなとは思っていたし、実際僕も屋上からそういう場面を目撃してはいたけれど。
 ここまで多いものなんだろうか。ちょっと性に爛れすぎちゃいないかと疑問を呈さずにはいられない。まあそんな疑問、誰かに揉み消されそうだけど。
 夕暮れの帰路には、二つの影が長い楕円を作っていた。

「・・・まぁ、付き合ってくれたのは事実だしな。アイス奢ってやるよ。何味がいい?」
「チョコレート。もしくはイチゴかな。あ、クレープでもいいよ」
「女子かお前は」
「好みは人それぞれだって」

 そこに誰かが口を挟む権利があるだろうか、いやない。
 ブーブー文句を言いながらも、ユキトは律儀にクレープも買っていた。なんだかんだでいい奴だ。甘いクリームと、アイスのコンビネーションはあっという間に僕の舌を蕩けさせた。

「幸せそうな顔してんなおい」
「そりゃあタダだもん。それに、甘いもの大好きだし」

 言いながら僕らは二人して歩いていた。何気に人付き合いは楽しいことだと、今さらながらに気づいた自分がいて、遅すぎる思春期かと笑いたくなった。
 この関係が、大人になっても続けばいいのにと。
 そう思ったかもしれない。
 二人して、酒でも酌み交わしながら、あの日は若かったなんて言い合うような仲。悪くない。男の友情・・・悪くないけれど。

「僕には無理だな」
「ん?何か言ったか?」
「何も言ってないよ」

 そう、何も言ってない。



「今日も全滅か・・・」
「お疲れ様。あ、アイスはしっかりと奢ってもらうよ」
「いつか倍返ししてやるからな・・・」
「流行のあれ?」
「いやもう最終回迎えて終わっただろ」
「あ、そっか」

 くだらない会話に花を咲かせながら、僕は今日も今日とてユキトの恋人探しに付き合っていた。今日は下級生ならば狙い目が!と意気込んでいたユキトが撃沈するまで、一時間とかからなかった。
 どうやら僕らの学校は、放課後はラブホに変貌を遂げるようだ。
 知られざる(僕ら限定だろうけど)学校の真の姿を連日目の当たりにしては撃沈する日々。そんな日々が続き、流石のユキトも諦めがついたようで、今日でもうこんな不毛なことは止めだと言っていた。不毛ということに気づくのにどれだけの日にちを有したのか、少し説教してやりたい気持ちにもなったけど、そこは我慢だろう。
 今は友人がようやく悟ることができたことに、祝福するべき時だ。具体的にどんな祝福なのかは僕にもわからないので、その内容には触れないでおくとして。

「そういや、俺、お前の家に行ったことなかったよな」
「ああ、そうだね。まあ特に何も面白いものもないけど」
「秘蔵のエロ本くらいはあるんだろ?」
「ところがどっこい。ないんだなこれが」

 と言っても聞く耳を持たなかったユキトは、無理矢理僕の後をついてきて、とうとう僕の家まで到着してしまった。ダンジョンを突破されて目の前まで来られた魔王の気持ちが少し、わかった気がする。中途半端な絶望感が凄い。
 その絶望感に反抗するのも悪くはないと思ったけど、さすがにここまで来てしまった友人を追い返すほどに、僕も鬼じゃない。そこは菩薩のような広い心で迎える。

「本当に何もないんだな」
「言ったのに」

 僕の部屋に侵入したユキトの第一声はそれだった。まあ無理もない。必要最低限のものしか揃ってないような部屋だ。唯一例外としてあるのは、うさぎのぬいぐるみくらいか。と言っても男子の目線からそれは大して面白いものでもない。ユキトの目当てはエロ本だったみたいだし。

「う〜ん、何もなさすぎて怪しいな。これは」
「だから何も無いって」

 どうやら納得できないのか、ユキトはどんどん僕の部屋を探索し始めた。といっても、勝手に収納スペースを空けたり、クローゼットを開かないあたり、やっぱり礼儀をわきまえてる。わきまえた探し方だ。

「どこかに無いのか〜エロ本」
「諦めなよ」
「いいや!健全な男子がエロ本の一つも持っていないなんて、俺の価値観に反する!」

 そう言いながらユキトは最後にベッドの方へと向かっていった。って、まずい。
 ベッドだけはまずい。

「ちょ、待って、そこは」
「はは〜ん。さてはベッドの中だな!?どれどれ、お前の秘蔵の品を拝見しようじゃねえか!」

 違う。エロ本なんかよりももっと見られたくないものだ。きっと見られれば友人の関係も終わってしまうような、そんなもの。それだけは、それだけは嫌だ。やっとできた友達なんだ。心を許せる友達なんだ。くだらない話を心置きなくできるような友達なんだ。そんな関係を、ここで壊すことなんて、そんなことあっていいはずがない。
 僕は必死にベッドの上に覆いかぶさり、ユキトはそれを面白半分に引き剥がそうとしていた。無邪気な暴君のように、僕を引き剥がそうとした結果、僕とユキトは床に転げ落ちた。
 偶然にも、ユキトが僕を押し倒すような形で。

「あったたた・・・。わりい、ちょっとふざけすぎた・・・・・・・・か?」

 ユキトの手は、僕の胸に当てられていた。もちろんわざとじゃないことはわかっている。だから、今ならまだ間に合うから、その手を早くどけてくれないと、そうでないと。

「お前・・・?」
「どいて・・・」
「いや、これ」
「どいて!!!!!!!」

 僕は無理矢理ユキトを押しのけると、部屋の外へと押し出そうとする。必死に抵抗するユキトだったけど、僕の力に敵うはずもない。あれよあれよという間に部屋の外へと押し出され、僕はしっかりと部屋の鍵をかけた。

「おい!待てよ!」

 ドアの向こうから、ユキトの声が聞こえる。

「お前、女だったのか!?」

 そして、エロ本よりも知られたくなかった、僕の秘密を口走るユキトの声が、耳に浸透していく。
 ベッドの中には、女の子が着るようなワンピースが一着、隠されていた。



 時は一ヶ月ほど前に遡る。それまで、僕はある悩みに悩まされながら日々を過ごしていた。そう、包み隠さず話すのなら、僕は自分が女だと思っていた。違和感を感じ始めたのは中学の頃から。その違和感の正体が、性同一性障害と知ったのはそれから間もない頃で、そこから僕は怯える日々を過ごすことになった。
 他人と、根本的なものが違う。
 それがどれだけ人の目からすれば気持ち悪いことか、用意に想像がついた。そして僕はそれをひた隠して、ひたすら自分を曝け出せない日々を送っていた。軽い拷問だ。
 結果として僕はクラスに馴染めず、友達も作れなかった。
 そんな日々を変えてくれたのが、屋上で出会ったサキュバスだった。
 人目を避ける場所を日々変えていた当時の僕は、その日、屋上のドアが開いていることに気がついて、興味本位で屋上へと立ち入った。
 そこには佇むサキュバスがいて、彼女は一目で僕の本質を見抜いた。つまり、心は女という本質を。
 そして、彼女は言った。

「あなた、本当の女の子になりたくはない?」

 その言葉を聞いた時、すぐに僕の心は決まった。

「変わりたい。」

 自分を曝け出したくて、

「本当にいいのかな。」

 迷いがあるはずもなくて、

「構わない。」

 答えは決まっていた。

「変えてあげる。」

 そして僕はアルプという魔物に変えられた。念願だった女の子の身体に僕は喜びに打ち震えていたのだけれど、ここで少し問題があった。
 姉妹のいない僕に、女子の学生服を手に入れる術はなかったのだ。まさか誰かのものを拝借するわけにもいかず、だから結果として、僕はそのまま男子生徒の服を着ていた。女の子の身体で着る男子の制服には、違和感があったけど、外見上の変化を見破られることはお陰でなかった。
 そして念を入れて、突然身体が変化したことを悟られないために、屋上でずっと過ごしていた。身体はもう女の子になれたんだから、焦る必要はない。学校を卒業してから、思う存分女の子としての生活を満喫すればいい。そう思っていた。
 そこに現れた、ユキト。
 もうそこからはあっという間に自分からボロを出してしまっていた。
 フェンスを二秒なんて人間離れした、魔物でしかできないような速度でよじ登り。
 友達になってからは、今まで女だとバレてしまうかもしれないという懸念から、我慢していた甘いものを食べるようになり。まあ、女なんだから、男の友情なんて無理に決まっている。
 ぬるま湯に浸かったような心地良い関係に終止符が打たれるのは、実にあっけない。
 これからどうすればいいかなんてわからなかった。
 ただ、壊れてしまうことだけが怖い。この関係が。
 必死に解決策を考えていたけれど、僕の愚者のような頭が解決策を思いつくはず、なかった。



 学校の屋上に立ち入ることなく、僕は放課後真っ直ぐに帰路へつこうとしていた。屋上には、もう入れないかもしれない。結局あの後、僕は耳を塞いで、気づけばユキトはいなくなっていた。当然なんだろう。
 もう、友達なんかじゃいられない。
 それは確定事項なんだから。

「・・・・・・・・・・」

 独り言も満足に吐き出せず、僕は重たい足を動かしながら――

「よう」

 聞きなれた声だった。
 校門の傍で、ぶっきらぼうに突っ立って。

「・・・・なにやってるの」
「いや、友達を迎えに」
「・・・」

 なんなんだ。

「気持ち悪いでしょ」
「なにがだよ」
「男みたいな女とか、女みたいな男とか」

 僕もなんなんだ。何言ってるんだろう。まだ、未練にでも縋りつきたいんだろうか。

「別に気持ち悪くねえよ。ちょっとは驚いたけど、生き方なんて人それぞれだろ」
「口だけならどうとでも言えるよ」

 甘えるな。

「俺の目もたいがい節穴だよな」

 縋るな。

「結構な美人が傍にいたのに他の奴を探すなんて、これ結構酷くねえか?」

 頼るな。

「・・・」
「あ〜・・・お前がどう思ってるかは知らねえけどさ」
「知らないけど、何」

 期待するな。

「俺はお前のこと、嫌いじゃないぜ」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・泣くな。
 僕が今、するべきことはなんだろう。女の子として見てくれた、認めてくれた友人に泣きつけばいいんだろうか。それとも、優しい友人に、甘えればいいんだろうか。
 選択肢が多すぎてわからない。
 泣けばいいのか、笑えばいいのか、貶せばいいのか、甘えればいいのか、不貞腐れればいいのか、拗ねればいいのか、愉しめばいいのか、安心すればいいのか、喜べばいいのか、逃げればいいのか。
 愛すればいいのか。
 わからなかったけど。
 複雑すぎて自分でもどこで絡み合っているのかわからない胸の中に、嬉しいという気持ちがあるのだけは、しっかりとわかった。確かな輪郭を持って。
 自分を受け入れてくれる人に対する、嬉しさが。

「とりあえず、ほら、一緒に帰ろうぜ、友人よ」
「名前」
「ん?」
「名前で呼んで」

 友人は、少し照れくさそうにしながら、

「ほら、いくぜ、ユウ」
「うん、行こう、ユキト」
「俺も立ち直りは早いほうだけどよ、お前も結構早いよな」
「うるさいな」
「ひょっとしてあれか、優しい一面が自分に向けられると好感度急上昇とかってやつか?」
「死ね」
「ひでえ!」
「冗談」

 夕日を背に、私は歩いてく。

「あ、またアイス奢ってよ」
「またぁ!?おまえ今日は何もしてないだろ!」
「いいじゃん。毎回奢ってくれてたんだしさ」
「・・・ったく、しょうがねえな」
「へへへ」

 どこまでもどこまでも。
 いや、帰るところは決まっているんだから、どこまでもじゃないかな?でも、それだって。
 二人で歩く帰り道は、悪くなかった。
 またアイスを奢ってもらおう。クレープも。今度は・・・。
 私と、ユキトのぶんを。半分にでもしてあげて。

「ねえ」
「なんだ?」
「キスして」
「いやいきなりか!?ハードル高くねえか!?」
「私のこと、嫌い?」
「・・・い、いきなりキャラが変わりやがって」

 困った顔をするユキトの顔は、夕焼けに照らされて新鮮だった。夕焼けは、気づかないような一面を見つけさせてくれる。
 大好きだ。
 どうやら、キスはまだまだ先のようだけど。
 それすらも悪くないな、なんて思えてしまって。

「はははは」
「な、なんだよ!おい、待てって!」

 私は一人、笑っていた。
15/11/11 22:09更新 /

■作者メッセージ
そんなお話でした。楽しんでいただければ幸いです。
ツイッターで書こうと言っていたアルプがやっと書けて満足。
今回お話の構成上、ジャンルをヒミツにするべきかアルプにするべきかで一時間くらいPCの前で悩んでいるところを愛犬に蔑むような目で見られました。
死にてえ。

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